沢田研二・東京ドームライヴ
三万人、六時間半、八〇曲、六十年――
これが、憶えておく数値。
昨日の15時から21時半まで
東京ドームでひらかれた
「人間60年 ジュリー祭り」で
沢田研二がつくったものだ。
ゲストなし、ツインギター、シンセ、ドラムという小編成のバンドのみで
単身の沢田がつくりあげた数字だから、恐れ入る。
満席の会場が冬の到来もあって地味な色に感じられた。
むろんそれは1940年代から50年代に生まれた女性が
大挙、会場に繰り出したこととも関連している。
客席の雰囲気を総括すると、
新宿コマのそれと変わらないという結論が出るのだろうか。
いやちがう――周囲を見渡し、どこかではにかみをずっと保持している
「元少女」のはかない面影をもつ女性が客席にとても多いとおもった。
たとえば「ジュリー!」と歓声をあげる声が
思春期のそれのようにかしましくなく
どこかで弱々しい含羞にも翳っているのだが、
これがヘンに永遠の少女をおもわせて生々しかったりする。
結局はずっと、「大人になれなかった女たち」。
こちらは六〇前後のそんな女性たちに妙な色欲さえ覚えてしまう。
彼女たちは「永遠の王子」ジュリー=沢田研二にたいする
「動物的」反射現象のなかにいた。
そこに性的な――肌の微妙な湿り、喉許のうわずりも感じられた。
●
いまの若い子たちに、
往年のジュリー=沢田の輝きを伝えるのは難しい。
六〇年代後半から八〇年代初頭まで
「単独アイドル」になっても日本のポップスの基盤を
歌唱・衣裳・ルックス・アイドル自覚・ブレインたちなどをつうじて
からだを張ってつくりあげ、
他の歌謡ポップスともちがい、どこかで日本化を拒んで
欧米ロックとの連絡性を深層では強化したこと。
しかもそれを美しさと、歌謡界的「けれん」「派手さ」のなかで
微視的に検討できる厚みのなかに常に繰り広げたこと。
そのようにして彼はずっと「歌の中心」にいたのだった。
むろん華やかさにおいて比肩できる人材などいない。
そう、彼は唯一神だった。
会場には同世代の女性グループのほか、
母-娘カップルも目立った。
「お母さんの若いころ好きだったアイドル」の凄さ、
それを伝えるには実物を見せるにしくはない、とおもったのだろう。
ジュリー伝説が伝わりにくいのは、
ずっと「トップを張りつづけ」、
ついに加齢からそれが維持しえなくなった八〇年代初頭、
沢田研二の活動の迫力が低下したのと軌を一にするように
彼のナベプロ脱退が沢田をTV画面から放逐するような流れをつくり
沢田自身もそれで間歇的な俳優活動に基軸を移し、
歌手としては往年のヒット曲の宝蔵を潔く封印してしまったためだ。
要請があっても、
彼は経済基盤が弱くなりヒットしなくなった
「新曲」しか唄わない(つまり「昔の名前で出ない」)と突っ張ったはずで、
この長い自己封印が、ついに「還暦到達」という機縁を得て
「往年のヒット曲をすべて唄います」の表明に変化、
これが今回の客足の伸びにも跳ね返っていったとおもう。
俳優としてのジュリーは『悪魔のようなあいつ』『太陽を盗んだ男』と
アイドル期にもっていた微妙な陰翳を拡大するようにキャリアを重ね、
八〇年代後半からは眼の下の隈の深化、疲労の蓄積と顔色のくすみを武器に
「冴えない中年」の役割で、ずっといい味を出していったとはおもう。
それでも肥満化による体型の崩れが否めなく、
歌手としての往年の栄耀を
そこから摘出するのは至難だったかもしれない。
たとえば同じタイガース出身の岸部一徳が悪辣さ・軟体性をふくめ
その演技に存在論的深みをつよめてゆくのにたいし、
俳優としての沢田は、どこか居所のなさに付きまとわれた感もある。
中年俳優としてもっと出番が多ければそれも打開できたかもしれないが、
どこかで彼は「労働」「頑張り」を
斜に見る習いもできてしまっていたのではないか。
ただ長年のジュリーファンは
やはり彼を「太陽的光源」と捉えつづけたい希求をもちつづけたはずだ。
この「太陽」というのは、僕が岸部一徳からじかに聞いた言葉。
映画『ラブドガン』パンフ制作でのインタビューに当たり
ベース奏者が俳優に転進する例は
存在論的、「本質的」な演技に結実する場合が岸部もふくめ多いのにたいし、
歌手出身の演技は――と視点が移って、沢田研二の話題へと自然に動いた。
このときに岸部が遥かな視線にいきなり転じ、
「あのひとは太陽ですから」とぽつんと語ったのが印象にのこっている。
沢田の「太陽性」については、
実はその美貌以外に、「声の美貌」が関わっているだろう。
「王子の声」とずっとひそかに呼んできたのだが、声がすごく艶やかで、
唱法のロック典拠に、なにか綺羅を刷く要素もそこに加算されるのだった。
唱法のロック性に関しては
声がダウン気味に入ってゆくことがまず挙げられる。
次に、ディープソウルシンガーのように、一定の長さの歌唱フレーズを
分節として演奏のなかに「置き」ながら、
そこでは基本的に声を伸ばさず、発声を間歇状態にさせる
(これらには沢田の深いロック理解がある)。
ところが勘所ではジュリーの声が華麗に伸ばされる。
クライマックスの高音域でそうなるのはむろん自然だが
中音域でも彼はそれをおこなう。
それをたとえば布施明のようには横に平べったく全開にしない。
この中音域の声の伸びにこそ独自の艶があり、
これがエロキューションの良さと相俟うのがジュリーの武器だった。
ジュリーは決して、同世代のロック系歌手のように
アメリカ音楽へのコンプレックスを起因に
発声にビブラートをかけたり、下品な巻き舌をつかったりはしなかった。
元は京都の不良少年ロッカーという資質もみえたのに、
どこかで端正さにより歌を練り上げてゆく精神的な傾きがあった。
露骨に芝居的な感情移入性がない、という点のみを抜きにすれば
上記のジュリーの歌唱特質はシャンソン歌唱に通じる面もあり、
それがジュリーの美貌と相俟って、
彼をロッカーにして「宝塚スター」にも近似する「聖なる怪物」に変えた。
彼の歌にはそれで、「アイ・ラヴ・ユー」とともに
「ジュ・テーム」も組織され、ここに違和感がなかった。
このことでジュリーにはトランスセクシュアルという役割も
追随者の郷ひろみとともに付加された。
グラムロックの隆盛を横目にジュリーが化粧をしても、
誰もがその声の美貌と、姿の美貌とを、分離できないと知っていて、
そのバサラな振舞にもしごく納得したのだった。
●
このライヴを前に、歌手としてのジュリーの近況を伝える、
二回にわたるNHK『SONGS』での放映を見ていた。
歌唱の艶は往年の姿を取り戻したものの、
その肥満体型を女房と僕は「沢田彦麻呂」とわらいあってもいた。
ところが今度のライヴでは、
やがて綺羅綺羅しいステージ衣裳の重装を解いた彼が
往年の痩身を再獲得したとわかってくる。
ステージの花道も袖も走りまわるにふさわしい、抑圧のない体型。
皺だらけの老犬のようなミック・ジャガーの現況に較べ、
この「人間60年 ジュリー祭り」の沢田は身体レベルでの精神性が強い。
ジュリーは、最初、ビジュアル系ヴォーカリストに紛う、
全身白、歌舞伎的な連獅子をおもわせる派手ないでたちで現れた
(ただしルックスが良いのだから隈取の化粧で顔をごまかす必要がない)。
そのたてがみ部分が、身体を側面・背面から覆う。
つまり肥満体であってもその体型の弱点が隠されるステージ衣裳だ。
しかもそれは、よくみると「たてがみ」を模写しておらず、
どちらかというとアメリカ先住民族の「酋長」の様式、
つまり、羽根の集積を表現していた。
もしかすると美空ひばり「不死鳥ライヴ」での
あの衣裳が念頭にあったかもしれない。
一曲目から彼はステージから飛び出した花道にどんどん繰り出してくる。
だんだん歌唱に熱を帯び、拳が演説者のように前面に突き出されるに及んで、
「カリスマ」に接しているような鳥肌も立ってきた。
番組『SONGS』とは電圧がまるでちがう。
そして七、八曲が続々披露されたのちその装飾的な覆いをとると
前記のように彼が自身のからだを細身に鍛え上げているのが明らかになった。
その体型的「自信」が裏打ちする電圧だった、ということだ。
途中、約20分のわずかな休憩時間を挟んだとはいえ、
ジュリーが六時間半に及び八十曲を唄いあげるというのは
「往年のヒット曲網羅」だけでは理解できない事柄だ。
ヒット曲はタイガース時代のものからソロアイドル期のものまで
確かにほぼ不足感のないまでに惜しみなく披瀝された。
一方で、一部の熱心なファンを除き
大衆がジュリーの曲から離れていった受難の時代にも
佳曲と見事な歌唱が目白押しにある、と実証するために
沢田研二は半ば「意地で」、八十曲を延々唄いつづけたとも思しい。
実際、「掴み」は弱いかもしれないが、
僕の知らない曲にも素晴しい作り・歌唱が続出していた。
第一部の最初、ジュリーはずっと知られない曲を連打してゆく。
中年後期の女性を中心にした客席はうまく自分の場所を定位できない。
ジュリー自身は受難期までふくめてその全貌を明かすのだから、
得意であるはずのMCも最小限度にしなければならない。
一曲が終わって彼が語る言葉は、
決まって「ありがとう、サンキュウ、アリガトね」。
くるっとからだを回す場合もある。
最後の「アリガトね」は田舎のお婆さんのような発声というべきか
フィリピーノの片言の日本語というべきかで、滑稽味もあり、
何度繰り返されてもおもわず笑ってしまう。
第一部、七曲目、とつぜん聴き知ったイントロが流れてきた。
意外や、既知の曲の最初の披露は
タイガース時代の『銀河のロマンス』だった。
往年とまるで変わらない「王子の声」が「王子的な曲」と
寸分もなく合致してきて、
僕自身も「友達のお姉さん」と一緒にジュリーに憧れた、
往年の甘い感情になってくる。眼が潤んできた。
以後、『モナリザの微笑』『青い鳥』(これらのGS様式の曲の、
ポップ文脈での、なんという変わらぬ新鮮さ)なども立て続けに唄うが
加橋かつみがリードをとった曲をジュリーはきっぱり回避した。
『シーサイド・バウンド』では客席全体が
「GO! GO!」の掛け声で揺れた。
また、知らない曲の連打に少しジュリーが戻ったのち、
今度はソロデビュー『君をのせて』(宮川泰作曲の
隠されたジャズコードの素晴しさ!)を皮切りに、
『許されない愛』など、ソロ時代の初期曲が立て続けに唄われた
(『六番目のユ・ウ・ウ・ツ』など例外もあったが)。
上述『君をのせて』には「ア、ア~ア、アア・・」という
ジョン・レノン『イマジン』とそっくりの間投詞的歌唱の一節があるのだが、
この部分でジュリーの高音歌唱が
還暦を迎えた男とはおもえないほど色気がある、と鳥肌が立った。
それは、第一部のアコギやクラシックピアノ音だけをバックにした
短いフォークコーナーでのジュリー歌唱の驚きにも引き継がれてゆく。
ヴォーカルに適度にかけられたリバーブの特質を知りつつ、
最も音域の高い発声では声にひずみをかけ、
それを反響のなかで適切に伸ばしてゆくのだが、
そこでディープソウルの「絶唱」に似た効果を
沢田は「ジュリー文脈」で独自に実現していたのだった。
やはりジュリーは稀代のヴォーカリストだったという思いをつよくしてゆく。
ジュリーが還暦を迎えたのは今年の六月。
以後、彼は小規模な「ジュリー祭り」を地方でずっとやってきた。
それでたぶん痩身を取り戻した。
この東京ドームでのライヴの三日前には
大阪・京セラドームでドーム公演も敢行していて、
この流れのなかでたぶん声の調子をずっと上向きにしてきたはずだ。
ハードスケジュールでも声を潰さないというのは
往年の彼が歌手としてノウハウをずっともっていたことの反映だろう。
同時に「復活」に向けヴォイトレを敢行していた裏事情もみえる。
第一部の終わりはタイガースの解散コンサートでの主題曲だった、
隠れた名曲ともいっていい、『Love Love Love』。
忘れられない、ブルーアイドソウルなサビメロが抜群で、
おまけにその部分でジョン・レノン『愛こそすべて』と同じメッセージをもつ。
会場で沢田と唱和していたら、
やはり後ろから前から
中年女性たちも低くだが同じく唱和していると気づいた。
ジュリーはさすがに客席への転写能力が強い。
この女性たちは当日、家庭も仕事も自営業もほっぽりだし、
祭りに駆けつけた「翔ぶ中年」でもある。
ジュリーもまた、会場の女性の中心が自分と同年代だという点を意識していて、
やがて始められたMCでは「ご老体を労わる」口調で彼女たちを擽り、
自分の「頑張り」がいかにしんどいかを自己申告することで彼女たちを笑わせた。
●
休憩を挟み、第二部。往年のヒット曲とともに
新アルバム収録曲を網羅するというので相変わらず、知らない曲も多い。
ただし『SONGS』でオンエアされた曲は知っている。
「わが窮状を守る」という一見右翼的なメッセージに見えつつ(曲調もそうだ)、
内実は「窮状」と「(憲法)九条」を引っ掛けていると気づき
そのリベラルぶりで唖然とさせるフォークバラードや、
最良のクイーンにたいするようなマッチョな掛け声がふさわしい
シングルカット曲と思しい『ロックンロール・マーチ』など佳曲も多い。
それと不意にジュリーは第二部で一曲だけタイガース時代の曲を演った。
ラストシングル『美しき愛の掟』。
シングル音源では狂奔するギターが遠くに入っていて、
奏者が森本太郎ではなく成毛滋ではないかと噂された、
ドラマチックな設定からロック的反復呪文に入るいわくつきの名曲だ。
ジュリーは自分の名曲が何かを見事に検討しているとおもった。
この第二部にいたってもジュリーの声が枯れない、潰れない。
それどころか歌声の天性の「王子的」艶やかさが曲を追い、増してくる。
ああ、このようにして八十曲が唄われ終わるのだとおもった。
第一部で温存されていたソロ・アイドル時代の、
ロックンロール的スピードのある曲は
『危険なふたり』『TOKIO』など、この局面でここぞとばかりに披露され、
客席の手拍子、挙手の波、唱和の度合いがぐんぐん高まってゆく。
それを機にジュリーは正式な唱和も提案した。
対象となった曲は『あなたに今夜はワインをふりかけ』。
意外だったが、これが素晴しい選曲だった。
ジュリーは自分への、観客のマニアックな執着を知っていたのだった。
相前後して新曲群と往年のヒット曲群を交互させる構成も続き、
『サムライ』など、阿久悠作詞時代の、
歌詞に代理店的な仕掛けのあるバラードの歌唱が中心となる。
アンコール後は、満を持して
『勝手にしやがれ』『時の過ぎゆくままに』が披露されたが、
それでもラスト数曲は、ノリのいい曲が選ばれながらも、
観客に馴染みの薄いもので通したのには上述のジュリーの「意地」をみた。
体力抜群、気力の充実抜群。時に軽快に走り回って唄う姿には心底驚いた。
大体、ジュリーは八十曲の歌詞を、記憶しきって暗誦で唄いきったのだった。
それだけでも常人の能力を軽く超えている。
歌詞が跳んだのは一曲の小さな一箇所のみで、
それもふくめ全てにわたり、これは圧倒的なライヴだった。
聴きのこしたとおもった曲は『魅せられた夜』くらいか。
音色を変型させたキーボードのイントロにたいし
ジュリーが最良の歌唱で放つ声の「湿気」が調和し、
ジュリーの資質が英米と欧州大陸に魅惑的に分裂する、あの憂鬱な曲。
衛星が先だろうが、NHKがやがてこのライヴをオンエアするという。
ラインで録った音に差替え、
多すぎる反響を適度に殺した音で放映されるだろう。
ねがわくば、全曲を割愛しないで出してほしい。
それがメドレー方式に圧縮せず、
すべての曲をフルコーラスで唄い切った
ジュリーにたいする敬意の表明ともなる。
●
時代をつくったジュリーを素材に、このようなライヴ評をものすれば
当然、最後は世代論で締めくくらなければならないだろう。
最も留意すべきは、団塊の世代の、老いを兆す現在の身体が
その青春期には「ロック的身体」として熱狂的に組織されていたという点だ。
女性に限っては、ポップスヒットにロックの真髄を潜ませていたジュリーが
そうした身体組織を領導した面がつよいということが無視できない。
そこで彼女たちはロック的なものとロマンチシズム的なものの
不思議な融合を自分の身体にすらみたはずで、
そういう絵空事にもちかい幻想が若かった彼女たちの感性をつくった。
つまり彼女たちの身体は、「幻想」で織り成されていたのだ。
身体が実在だった前世代とはこの点が大きく異なる。
それでその後「世界」がある方向へと傾斜してゆき、
最終的にはこのことで現在のネオリベも母娘癒着も、あるいは
「おひとりさま」の自裁と最終連帯に向けての「独善」もあるのだとおもう。
会場は僕にとっては、年長女性にたいする往年の甘い幻想を確かにもたらした。
いまでは見受けられなくなった「友達のお姉さん」の自由への憧れや
性的な自己責任を負わされている躯の、甘い匂いが
ここにはいまだに漂っている――そのように知覚したのだった。
「68年の女たち」の残存。
そういう身体の実質とジュリーに代表される「ポップス」の実質が
実は見事に拮抗していて、
これこそが、戦後民主主義と並ぶ、「日本的条件」なのだともおもった。
若い世代も、この点につき、体感を研ぎ澄まさなければならないだろう。
だから母から娘への「ジュリー伝説伝承」が大きな意義をもつのだった。
この第二部にいたってもジュリーの声が枯れない、潰れない。
それどころか歌声の天性の「王子的」艶やかさが曲を追い、増してくる。
ああ、このようにして八十曲が唄われ終わるのだとおもった
このあたりから、、。
ありがとうございました。
2008年12月04日 ナタリー URL 編集
ナタリーさんへありがとうございます。
僕は音楽評論もやっているので
表現が硬くなりがちなのですが、
ナタリーさんのように読んでいただいて
本当に感謝しております。
僕は実は当日、女房と会場に行ったのでした。
その女房もこの記事を読み、
ひたすら泣けたといっていました このような専門的な角度からのジュリーのドームコンサート解説がとても興味深かったです。
ジュリー及びファンにたいする愛情もそこに感じられ、読んでいて鋭い推察力に感心と同時に暖かいものを感じました。
2008年12月04日 ひろこ URL 編集
ひろこさんへどうもありがとうございます。
12・3東京ドームは
ジュリーもよかったけど
客席もすごくよかった。
僕の斜め前のご婦人が
とうとう立ち上がって
恥かしさを克服、
昔にもどって
腰を揺らしながら手拍子しだしたのにも
涙が出そうになりました 実況的コメント、ありがとうございます。
読んでいて昨日のことが蘇ってきました。
感動です!
テレビ、新聞報道などでは、
会場には年配女性が多い印象で伝わって
おり、確かにそうではありますが、
私は、42才です。
中年と言えば中年ですが、
一緒に見たファン仲間は年下も多く、
タイガース世代でないファンは、
勝手にしやがれ、それ以降も、
ストリッパーあたりから目覚めて、
今もライブへ行っています。
男性ファンもたくさんいます。
決して母がファンで…というわけではない
人たちばかりです。
キムタクがカッコイイとか言われても、
昔のジュリーを知ってるから、
大したことないと思ってしまう私です。
先日のBSの昔の映像を、7才の息子が
スゲーカッコイイ!と言って、
夢中で見てました。
その後、現在の映像を見て、
愕然としてましたが(笑)
それでもジュリーは別格です!
2008年12月04日 じゅりる URL 編集
はじめまして。ライブレポートが素晴らしかったので、
勝手に自分のブログで参照して
トラックバックさせていただきました。
またおじゃまさせていただきます。 じゅりるさんへ
わあ、ジュリーファンにも
お若いかたがいらっしゃるんですね。
僕はその年齢下限がどのくらいだろうと
いつもおもっていました。
「ストリッパー」からファンになったというのは
素晴しいことです。
ただ、ドラマ『マチベン』から
ファンになったひとだって
いてもいいわけだし
(あのドラマでの岸部さんとの共演に
僕と女房は嬉しがって泣いていました)
女房もジュリーとキムタクを比較していた。
単独であること、
知性がぜんぜん上であることなどで
ジュリーはキムタクなんか
ぜんぜん相手にしなくてもいい、
というのが女房の結論でした。
握手!
shira-kumoさんへ
僕の日記に言及した
ブログをさっそく読ませていただきました。
僕の書き方の特質にちゃんと触れていただき
とても嬉しかったです。
しかし「ジュリー祭り」、
行かれる時間がなかったのは残念ですね。
NHKが完全放送してくれれば、
とshira-kumoさんのためにも
お祈りしておきます たまたま検索でとんできました
感動したので書き込ませて頂きます。
ちなみに僕は34歳です。笑
年上の友達と一緒に行く予定でしたが
当日になって単独で行くことになりましたが
とても素晴らしいライブでした
あんなライブはなかなかないです
いや、今までに見たことないです
3曲目くらいから涙が出そうになって
曲によっては奥歯をかみ締めながら
聞き見入ってました
僕も最初は我慢して静かに見てましたが
…カラダが反応しますよね
知らないオバさんやジュリーに憧れたであろうオジサン達と
ノリノリでした
あの一体感はスゴイです
コーラス隊も出番でない時も
ノリノリだった人たちがいたのも
見逃さなかった&嬉しかったです。笑
こりゃカッコイイよ
こりゃファンになるよ
こりゃ泣くよ
こりゃ忘れられないよ
頑固でイケズで媚びないまま60年
こーゆー「生き方」もあるのだと
年下ながら、素直に思いました。
僕は自分の生まれる前からの音楽が
好きだったりするので
予習はバッチシ(笑)でしたが
そーでない人でも
あの感動は完璧に伝わったはずです
見に行かなかった人はもったいないです
あの感動はテレビサイズでは味わえないです
ジュリーにあらためて敬意を表します。
長々と書いてしまってスミマセン。 初めまして… 勝手ながら私もリンクさせていただきました。読ませていただきながら「ウン、ウン、そうそう!ホントその通り!」と嬉しくて嬉しくて! いい時間だったなぁ… 阿部さん、素晴らしいコメントありがとうございますm( _ _ )m 私はファン歴約35年で、結婚して子供が小さかった数年を除きずっと年2回ほどライブに通ってきました。
今回は大阪ドームに参加しましたが、
皆さんがおっしゃるようにジュリーのファンでいたことを誇りに感じた素敵な時間でした。
いつも今のジュリーが最高だと思わせてくれるプロとしての姿勢が私たちを魅了するのだと思います。
これからも素晴らしい歌を届け続けてくれると信じています。
2008年12月04日 YUKA URL 編集
ブログ拝見させていただきました私は母-娘カップルで行きました
ちなみに私は23です
母が昔熱狂的なファンだったことは知っていたのですが何分テレビなどで拝見したことがなくて最近までそんな人がいたのだという認識でしかありませんでした。
が、最近になってSONGSやラジオ、BSの過去の映像を見てはっきりとジュリーがどんなにすごいスターだったかということを知ることができました!
感想はこんなすごい人見たことない!!と圧倒されすぐにファンになってしまいました。自分の生まれる前にこんなスターがいたなんてと不思議な気分でした。スターなのに何故か少し謙虚さが漂うのがまたなんともいえないです。
ライブは母と共に思いっきり感動したし楽しめました。
母はさすが私の娘と言っています(笑)
母は段々昔にテンションが戻っているみたいで最後はジュリー!って叫んでいました。確かに少女だったかも(笑)
長々と書いてしまいましたがそれほど昨日のライブに感動をもらってしまったのかもしれません。
では失礼します。
2008年12月04日 ei URL 編集
リキティさんへ長く書き込んでいただき感謝しています。
ジュリーはもともとその美貌の声が最強の歌手。
それとエンタテイナーであるとともに
歴史軸にちゃんと乗っかったロック歌手です。
だからあなたのような34歳男性歌手が
魅了されてもぜんぜん不思議ではありません。
「3曲めくらいから」というのが素晴しいです。
カリスマに接したような気がして
鳥肌が立った、と僕が書いたところですね。
僕は実は不遇時代のジュリーを
ちゃんと聴いてこなかった。
それを反省しているのです。
素晴しい曲、歌唱が多い。
手始めに新アルバムから買おうね、
と女房と語っていたところです。
それとジュリー・レーベルで
ジュリーは何かをやるのではないかともおもいます shunさんへ
どうもありがとうございます。
僕は齢で記憶がすぐ劣化するので
感銘が新鮮なうちに書きました。
実況っぽく書こうとおもったのは、
それだけの内容が
びっしりと詰まっていたからです。
ただ、曲順的にはちょっと怪しいところも(笑)。
あとで全曲順の載っているサンスポをみて
気づきました YUKAさんへ
年二回、ずっと継続的に
ジュリー詣でをなさっているのですね。
素晴しい。
僕は何年か前、
厚木でのジュリーライヴに行こうよ、
と女房に誘われましたが
スケジュールが合わず断念。
ただ今回はもう最大イベントなので
行かずにはいられませんでした。
行ってよかった。
ジュリーにももちろん
バックバンドにも客席にも感動したライヴだった。
おばさんたち、ちゃんと「振り」つきで
踊って、唄っていたし。
ジュリーライヴは地方の小規模のものでも
みんなこんな感じなのかなあ。
あ、そういえば新橋演舞場での
藤山直美とジュリーのお芝居、
『桂春団治』にはちゃんと行ってますよ eiさんへ
そうですか、
かつてのジュリーの熱狂的ファンの
おかあさんと行かれましたか。
会場には確かに母娘カップルが多く、
母と息子のカップルはほぼ見受けられなかったのが
不思議で面白いところです。
(あ、そんなに関係はないけど、
僕は「ユリイカ」という雑誌のいま出ている号に
文芸のなかでの「母と娘」について
長い原稿を書いています)
ともあれ、「SONGS」を頂点に
ジュリー復活の機運が
このところずっと高まっていましたね。
おかあさんは見事な教育者だった。
うらやましいかぎりです。
僕は大学で教えていて、
たとえばおかあさんから
ビートルズの素晴しさを教えてもらった、
という女子学生も多いですよ
現在の母-娘関係には
論じるに値する何かがあると
たしかにおもいます ライブ中は大丈夫だったのに今は涙が止まりません。
12月3日の東京ドームで6時間30分、私はは少女の頃にタイムスリップしました。
ジュリーは「自分は夢見る人間ではないけれどみんなに夢を見させてもらった。」といっていましたが私たちもまた「ジュリーから夢を与えてもらった」のです。
本当にありがとう。 atさんへ
そうそう、あのジュリーの言葉、
よかったですねえ。
そういえば僕の好きなニール・ヤングという
アメリカのロックスターに
「ライク・ア・ハリケーン」という曲があって、
そこにこんなフレーズがあります。
I was just a dreamer,
And you were just a dream
僕は夢追い人にすぎなかったけど
君はそれ以上にただの夢にすぎなかった
ニュアンスを補うと
そんな訳になるでしょうか。
僕はまずそれを憶いだしました。
そういえばビートルズ解散直後の
ジョン・レノンの「ゴッド」には
こんな歌詞もあります。
I was the dreamer,
But now I'm born
長いあいだ夢を見続けて
やっと僕はいま誕生した
こっちはこんなニュアンスかなあ
沢田さんの言葉はファン感謝のうち
最も美しい言葉なんだけど、
彼の洋楽の素養を
ずらしたものなのかもしれません いやぁ、素晴らしい解説ありがとうございます
小生は、55才
今年の1月から2度ほど予習を兼ねライブ参戦した後の「ジュリー祭り」
このロックの王道を見せつけてくれるバンドに敬意を!
昨今の同好会の延長としか思えないスキルと知識しか持たないバンドがこのジュリー率いるこの奇跡に遭遇したとき、乗り越える壁さえも無い不幸を知ることがあるのかと
まさに71年の9月24日武道館で小生達の世代を自由という道に誘ったあの奇跡が、08年12月3日に起こるとは
ジュリーとバンドが花道の先端に並んだとき
満を持して駆け寄るファンの中に小生も
これがまさにジュリーの存在をジュリー自身が思い出した瞬間だったと
「ありがとう」のシャワーの中でのジュリーは、還暦を迎えた幸せな人間ジュリーの顔でした
ガキオヤジさんへ
ザ・タイガースの解散は
71年1月24日の武道館?
たぶんガキオヤジさんの打ち間違いだとおもいます。
いずれにせよ、ジュリーが
あえて小編成のロックバンドをバックに
今度の東京ドームでも唄いぬいたこと、
たしかに大きな意義がありましたね。
バンドは6時間半の演奏にも
決して悲鳴をあげなかった。
かつての名曲の数々、
そのイントロを弾くに際しては
「歌謡曲」への律儀さをしめしながら
同時に演奏を高々とロックに反転させていった。
そしてジュリーのヴォーカルの邪魔をせず、
理想的にそれを盛り上げてもいった。
歌謡曲の枠組からロックを立ち上げた、
そうした混交性が
現在のポップスのありようにも当たっています。
ジュリーが歌詞を完全に暗誦していたとは書きましたが、
バンドも譜面に一切頼らなかった。
猛練習と同時に、これはロック魂の賜物だとおもいます。
それは単に「ガッツ」と表せるような代物でもなく、
おっしゃるとおり、
やはりロック的演奏の自由への希求だったのではないでしょうか。
その自由のために努力という枷が必要だったのです。
ともあれとてもいいバンドでした。
ドラマーが女性だったのも素晴しい。
なぜWギターにして
ベースレスの編成だったのかを考えてみたのです。
ベース音を片方のギターが強調することはありましたが、
ドーム公演の反響性からいって
ベース音が全部つながってしまうのを
ジュリーが危惧したゆえなのではないでしょうか。
ジュリー自身が何かの表明をしているのかもしれませんが。
第一部のフォーキィパートのとき
バンドの力量がすごくはっきりしましたね。
アコギもピアノ音にしたシンセのジャズ風演奏も
抜群にうまかった。
それにしても、
タイガースの解散コンサートにも行かれていたとは。
僕などはそれに「間に合わなかった」、
「哀しい遅延の世代」です。
でも第一部の終わりでジュリーが
「ラヴ・ラヴ・ラヴ」を演ってくれて、
タイガース解散時の幻を見たような気もしました。
東京ドームでは、タローもサリーも
ジュリーをずっと見ていたそうですね。
ピーは会場にいたのだろうか? 遠回しな表現に反省
71年9月24日の武道館の奇跡は
前日23日から日本を縦断したあのレッド・ツェッペリンの奇跡のことです
申し訳ない
解散コンには行っておりません
ベースを入れていないことに対するジュリーの弁
まさしく阿部様の仰るとおりのことを先のライブMCにて弁じていました
キーボード奏者がミラクルな打ち込みを行ってそれをミラクルなコントロールしているとのこと
ジュリーの楽曲全てをカバーし、かつ冷静なフィンガリングをするベーシストが見つからないということもあると思います
ベースが全てを破壊するライブ、多いですな
あと
ジュリーは、楽曲解説はしない!とも
聴き手が感じるまま、それで良いのだと
表現者が解説をしたら「自由」は失われると
あの女性ドラマーは、グレースという方であのパワーとアイデアの素晴らしさ、ドラミングしながらのコーラスのピッチコントロールの良さに脱帽
あと
全員がEar Monitor無しで完璧に決めていたこと
今時の洒落音バンドにはない気骨を感じざるを得ません
長々と失礼致しました
あ、こちらこそ失礼しました。
日付が同じだったもので
ついつい打ちミスなのではと考えてしまいました。
ツェッペリンの初来日って
リハを延々6時間くらいやったとかで
伝説のあるライヴですよね。
71年といえば当方は
小六~中一。
まだライヴには行けませんでした、
鎌倉在住でしたし。
ちなみに当方が始めて
武道館ライヴに行ったのは
エリック・クラプトンの初来日時です。
高1でした。
ともあれロックが精神の自由と
イコールだったのはいつの時までか。
思い返すと、何か力を失う気もするのですが、
今回のジュリーは
絶望することはない、
と語ってくれたような気もします。
女性にたいして力を与えたライヴだったのは
いうまでもないですが、
ジュリーは会場に少ない比率で存在している
ロック中年男にも
メッセージを放ってくれたのだとおもいます
>ほぼ見受けられなかった
とおっしゃる母と息子カップルでドームへ参りました。
息子は学生、東京で一人暮らしをしております。決してジュリーファンではありません。
でも、声をかけたら「行ってもいいよ。」と。
初めて誘いました。
東京駅で待ち合わせをしてドームへ。
周りを見て、「え~っ!若い奴、おらへんやん。」
と少し引き気味でしたが、
そんな息子が、一緒に手を振り上げ、手拍子。
別れてから東京駅に向かう私にメールを送って来ました。
「今度、ジュリーの歌をまとめて頂戴」と。
翌日の仕事を休めない私は、夜行列車で帰宅。
列車の中で「ある青春」を聞きながら、
青い青いジュリーの歌声にハラハラと涙が頬を伝いました。
『ジュリー、これまでずっとステージに立ち続けてくれて、ありがとう!
歌い続けてくれて、ありがとう!
ジュリーのファンで良かったぁ!幸せ~!』
そんな気持ちでいっぱいです。
素晴らしい「ジュリー祭り」レポートに心より感謝申し上げます!
2008年12月05日 直美 URL 編集
直美さんへ息子さんは東京に下宿か在住、
お母様は関西などに在住で
母-息子ペアでご覧になられたのですね。
母-息子のデートがジュリーの東京ドームライヴ。
しかもそこで息子さんが乗った。
すごく心に沁みるエピソードです。
昭和6年生のお袋もジュリーファンでしたが
お袋と一緒に見るとは、
考えもつきませんでした。
僕は不孝なのかもしれません。
ともあれ、ジュリーライヴには
いろいろな人生が交錯していたと知り、
なにか感慨も深いです。
しかしジュリーって
どうしてこうまでそれぞれの方々の
「人生」に当たるのでしょう。
まあそれが
スターの条件、ということなのでしょうけど 素晴らしい解説、ありがとうございます!!
本当にその通りなんです!この感激を残さず文章にまとめていただいて、さらに感激です。
私はタイガースからソロ全盛期までのファンでしたが、その後はすっかりご無沙汰でした。でも今回友人に誘われ、彼の容姿を心配しつつ、28年ぶりのライブだったわけです。
それがこんなに素晴らしいライブになるとは。。。想像もしてませんでした。後半なんて、顔もしまってきて、すご~く格好よかった。興奮しました。昔にタイムスリップして、本当に楽しかった、夢心地でした。
彼は人間として素晴らしい!脱帽です。そしてすごく勇気をもらいました。
私は51歳ですが、まだまだ頑張れるな!って。本当にありがとう!!!ジュリー!!!
2008年12月06日 PAMY URL 編集
12/3 41年振り?(日劇ウエスタンカーニバルでのデビュー以来)の生ジュリーでした。あの時モンキーズの曲をタイガースに置き換えて歌ってました。まだオリジナルがなかったはずです。同い年の友人と何気なく「お互いファンだったしね」とドームへ
ジュリーと叫んでいました。
知らない曲も多くて。
アリーナでずっとジュリーに合わせているファンの方々を見て、きっとどんな時も応援してきたのだろうと思いました。ヒットが無い時に離れた自分が少々後ろめたかったです。
「いくつかの場面」の時は私もまた自分のこれまでの人生と今こうしてライヴに来れるくらいの余裕が出来たことへの思いに目頭が熱くなりました。
一緒に行った友人が昨日「行かなかったら一生後悔してた。誘ってくれてありがとう、サンキュー、ありがとね」とメールをくれました。
余韻のさめない私はネット検索でこちらのライヴレポートにたどり着きました。
読ませていただいて新たな感動でコメントをいたしました。
ありがとうございました。
「ジュリーはすごい」「歌ってすごい」
その場面に一緒にいられた幸せをかみしめています。
2008年12月06日 mie URL 編集
阿部さまコンサートに行けなかったわたし・・・ですが、
阿部さんのブログで感動!
感謝! です。
まるで実況中継をみているようで、
またまた涙してしまいました・・・
阿部さんのブログを紹介させていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/aran1104/d/20081205 PAMYさんへ
そうそう、おっしゃるとおり
後半、ジュリーの顔が
神かがりにしまってきましたね。
素晴しいライヴでは
何か神的な形容できぬものが降臨する。
それで宗教性すら帯びてゆく。
ジュリーの魂の深さに電気が走り続けました mieさんへ
最初期のタイガースを
ウェスタンカーニバルでご覧になっていらっしゃるのですか。
それは体験の財産だなあ。
うらやましいです。
まだオリジナル曲のなかったタイガースが
「ロックする」姿が髣髴としてきます。
デビュー前ビートルズの
ハンブルグ・ライヴのような荒々しさでしょうか。
ロックライヴというのは
たしかにステージ上のみではなく、
自分の周囲の客席からも
巻き込まれるように、
感動へともってゆかれますね。
そこにいる人たちが美しい、と感じること、
これが素晴しいです はるみさんへ
さっそくはるみさんのブログへお邪魔しました。
暖かい言葉で僕の日記を紹介いただき、
ありがとうございます。
福井県在住でいらっしゃるのですね。
いずれ近々、福井県にも
ジュリー神が降誕されますよ、きっと 意を決しておひとり様で行った久し振りのライブ。
まだ興奮冷めやらずの日々で、あまり関心のない友達にも、ジュリーの歌が子守唄だった息子二人にも、勝手に感想など送りつけてる毎日です。
今日この素晴らしい鳥肌もののリーポートを発見してまた感激に浸っています。
深く深く共感しました。ありがとう!
後半ジュリーの顔が引き締まった気がしたのは私の錯覚じゃなかったんですね。
なんだか嬉しい!!
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2008年12月06日 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます2008年12月06日 編集
歌手としてはテレビから遠ざかりながら、表現の舞台を音楽劇や芝居に完全には移してしまわず、毎年1作のアルバムのリリースと全国ツアーを続けてきていたことが、両ドームでの素晴らしいパフォーマンスにつながったのでしょう。一方で、やはり、数々の音楽劇でのトレーニングが、ジュリーの歌唱に一層の深みと幅をもたらしたことも否めないように思います。「漂泊者のアリア」で、藤原義江を演ずるなど、本格的な歌唱力を求められる舞台も、誠実に練習を重ねて成功させてきたからこそと、この20年来の活動の映像記録に感動します。実は、京セラドームの方が、サラリーマンの男性の率は高かったと感じました。見回して、アリーナの2~3割は男性でした。土曜日の午後だったからでしょう。企業戦士は、平日の12月3日はなかなか難しいと思いました。それでも来いと、ジュリーが言うなら行こうと思えるコアな若い男性が、アリーナで隣に居たので、結構嬉しかったのは、私も同じ後追いファンだからでしょう。タイガースのステップは何も知りませんでしたが、一体感はファンの熱いオーラから、感じることができました。首都圏にお住まいの経済力のある男性には想像もつかないでしょうが、本当に日本中から(一部は海外からも)こつこつためた何万円もの費用を投じて、たくさんの中高年の女性が集まってきて、宿泊までして還暦のジュリーに熱狂していたことを、私はこの国の経済効果の面からもすごいと思いました。韓流とかで海外に流れる資金を思うと、もっともっとこの際NHKにも還暦のジュリーで商売して欲しいと感じています。ファンは、見ることのできなかった20年間のジュリーの足跡や今回のステージに、もう少し費用を投ずることができるでしょうから。ジュリーの古いファンの中には、自身や肉親が体調を崩して参加できなかった人も多いことでしょう。勤めと違って、夫や親の介護などでは、休みも取れません。そんな人達のためにも、是非、フルサイズのDVDとテレビ放映をお願いしたいものです。。。 千葉ペコさんへおひとりで行かれたんですね。
それはそれで引き締まった体験を
なさったんだとおもいます。
観衆の熱狂の
中と外に同時にいる、というか。
僕らは「あのころ」にたいし
いつも離散の姿で現在にいる。
けれどもある場所に集まると
「あのころ」がよみがえってきて、
離散にたいし懸命に抗おうとする。
ペコさんがライヴののち、
ジュリー再布教をすすめていらっしゃるのは
だからとても人間的な営みにみえます 小芋さんへ
ずっとジュリーの活動を追ってらしたのですね。
年一回リリースされるアルバムをきちんと聴かれ、
その舞台に次々に接しては
ジュリーの音楽活動全体に
それがどのように浸透しているかも考える。
脱帽しました。
ジュリーが演じた藤原義江、みたかったなあ。
そうですか、京セラドームは
もっと男性ファンの比率が多かったですか。
曜日のちがいから
それは当然のことでもありましょうが、
ファンの資質・層が
関東と関西ではちがっている、
ということかもしれません。
関東の人口から考えると
水曜日の東京ドームライヴというのは
正解だったかもしれないですね。
そうでないと収拾がつかなかったかもしれません。
ただジュリー自身はちゃんと動員ができるか
すごく不安だったのでしょう?
チケットの売行が悪ければ
ライヴを中止する、という
悲壮な覚悟ももっていたとか書かれていましたね 阿部さま
素敵な解説ありがとうございました。
41年間ジュリーのファンを続けてきた私にとってドームは夢の結晶のようなものでした。
実はドームコンサートが発表されてから、「お客が入らなかったらどうしよう…」と、とても心配でした。
きっと、またあまり宣伝はしないでしょうし…。
彼の容姿の変貌を揶揄する風潮には心を痛めておりました。
もちろん、私も美しかったジュリーは大好きでしたが、もっと今の歌を聞いて欲しいと切に望んでおりました。
SONGSなど数々のジュリー特集を組んでくれたNHKには感謝しています。
あれらの番組で往年のファンも新しいファンも会場に足を運んでくれたと考えます。
昔のファンには空白の時間を埋めて欲しいし、若い方には昔の美しさを見せてあげたい…
願わくば、ジュリーがマスメディアに自己を解放してくれますように…
今より少しでいいのですけど。
コンサートチケット争奪戦は辛いですから(笑)
長々と失礼しました。
2008年12月07日 なおりん URL 編集
なおりんさんへウチの奥さんもチケットのゲットには
四苦八苦していました。
宣伝をしないジュリー、ってまさにそうですね。
今度もライヴをネタに
いくらでも民放などに出られただろうに、
『SONGS』にだけ集約させた。
ただ、ラジオ番組でも
ずっと自分の過去を
シングルをかけながら語ったのでしょう?
本当に聴いてくれるファンを大事にしている。
聴きたかったなあ。
ジュリーは自身にたいして潔癖。
だからMCでも
曲ごとに何かをいうことをしなかった。
それは過去に濡れがちな僕らに較べ、
とてもカッコいいことだとおもいます。
そのジュリーが痩身を取り戻したのだから、
もう何もいうことはありません 優しさ、強さ、繊細さ、図太さ、頑固さ、
美貌、魅力的な声すべてを持ち合わせた男。
ワシらを魅了するため生まれてきた男。
少々賛美しすぎか?!
彼が「ジュリー」となってからの歴史をまざまざとみせつけられた。
魂を揺さぶられたドームライブだったぜ。 あっきっきさんへ
賛美しすぎじゃないですよ。
ただ僕はジュリーが
60歳という年齢で
はっきりと復活の足跡をしるしたのが
やはり嬉しかったです。
ロッカーにはいかに老成するかという問題が
ローリング・ストーンズなどでも
ずっと付きまとっていますが、
とりあえずジュリーは
肉体を復活させることで
自身を復活させてみせた。
それとジュリーをみていると
ロックが不変、だという幻想にも
引きずり込まれる。
このことの意味が僕にはとても大きかったです ワシもきっとジュリーがまた蘇るだろうと信じていたのだ。地道に自分の道を貫いてきたから、あのドームがあったのだろう。
「君をのせて」などのバラードも大好きなのだが、「おまえにチェックイン」「ストリッパー」など年を重ねたジュリーが歌うと若い頃よりシビレル。これが熟成というのか。
死ぬまで歌ってくれジュリー。 ロイヤルさんへ
僕も「ストリッパー」、
以前よりもドキドキしました。
以前は華やかに挑発的にジュリーは唄っていた。
いまは仙人的な叡智を獲得して
唄っているような気がしました。
しかもアップテンポなのに
息切れは以前同様にない。
老体(失礼)とエロという問題かなあ。
しかしこれには哲学的なアプローチが
必要なのかもしれません 素敵な記事をありがとうございす。
ジュリーファン暦一年の私ですが、このコンサートに参加できた喜びをかみ締めています。
本当にジュリーはロッカーなのだと思いました。2ドーム、13時間私たちに素晴らしい夢を見させてくれました。そして、ドームが終わりではなく、これからも歌い続けてくれるということにも感謝しています。
ただ、チケットが争奪戦にならないといいとは思っていますけど。
2008年12月07日 yuki URL 編集
ほんまに超人的です。あの体力、喉の強さ。彼こそ永遠のスターだ。
六十でピカピカのジュリーをだれが想像しただろうか。
わし、ノロノリの曲はいつも一緒に唄い踊りまくる。隣のおとなしそうなおばさんは(わしのが年上だったかも)ついにアンコールから立ち上がった。立ち上がらずにいられなかったのだろう。わし、ばあさんになってもライブでは一緒に唄い踊りまくっているだろうなあ。 yukiさんへ
ファン暦一年で
東京ドームジュリー祭りに行かれたなんて
なんと勘がいいのでしょう。
yukiさんてすごく幸運なひとなのだとおもいます ばあさん?
性別を誤解してたんでしようか。。。(笑)
ともあれ、
ジュリーの喉が
なぜあれほど強靭だったのかは謎ですね。
僕など、ジュリーと一緒に唄っているうち
だんだん声が潰れて
音程が狂ってゆきましたもん。
それにしてもジュリーのマイクワークが
天才的にうまいとおもいます 1970年に12歳だった“昭和の少女”として「ジュリー祭り」には参加せずにはいられず(というか、参加すべきという使命感?のもとに)、仕事を放り出して駆けつけた者です。
タイガースには少し遅れた世代ですが、ジュリーと共に「ラブ・ラブ・ラブ」の「L」のサインを掲げることができたことが心から嬉しかったです。
もちろん、ソロ以降の曲にも身体ごと乗りまくったわけですが。
でもこの吸引力が何なのか言葉にできず、またライブに行ってしまう自分がいます。
阿部さんのレポートを共感とともに興味深く拝見しました。
「大人になれなかった女たち」への阿部さんの視線がとても面白かった。
このレポートをもとに、沢田研二的エロスの成り立ちについて、どこかでもっと書いていただけたらと思います。
2008年12月08日 wanda URL 編集
wandaさんへわ、僕と同い年だ。
同級生。
沢田研二的エロスの成り立ち、、、
貴重な宿題をいただきました。
いずれやらなければ。
僕は兄貴がいたので
wandaさんと同い年でも
タイガースは現在進行でしたね。
でも小学生当時を振り返ってみると、
同級生の女の子は、
むしろ歌謡ポップス一般に
萌えている子が多かったかも。
いしだあゆみの
「あなたにあげてよかった」を
鼻歌で唄っていた初恋の子が
じつは忘れられなかったりして(笑)。
すぎやまこういちと筒美京平が
僕のなかで闘っていたのです
感覚でいうと、
ジュリーファンはロマンチストで
かつどこかに欠落を感じていた
少女が多いんじゃないか。
こう書いてイメージしているのが
実はウチの奥さんだったりします(笑) はじめまして。ジュリー大好きおばさんです。
これだけジュリーについて専門的に分析されていて、大変興味深く読ませていただきました。歌のうまさを私の語彙では表現できませんでした。拝見して、そうそう、そうなのよと感じる所が随所に見られ、嬉しく思いました。因みに私は九州大分から京セラドームに参戦いたしました。
ありがとうございました。勝手ではございますが、自身のブログ アメーバブログとGREEに紹介させていただきました。
2008年12月08日 夕霧 URL 編集
はじめまして15歳でタイガースに出会い 片田舎のためGSは禁止され
コンサートに行き補導されたり 受験の上京までライブに日程を合わせ アシベの冷たい階段で並んだこと 遠く遠く ジュリーの海で泳いでいたような気持ちです。
CDで歌を聴くことはほとんどなく美しい姿と共に ライブか
画像なしではありえませんでした。
阿部さんのレポートを読みじっくり歌のみで
聴いてみます。ありがとうございました。
2008年12月08日 雪 URL 編集
はじめまして。記事をじっくり読ませていただきました。
東京ドームの感動が伝わってきました。
私は北海道から京セラドームの「ジュリー祭り」に行って来ました。
タイガースの頃は小学生でしたが、素敵なお兄さんは60歳を迎えられてもやはり素敵でした。
郷ひろみさんも大好きなので興味深く記事を読ませていただきました。
どうもありがとうございました。 夕霧さんへ
ブログへの紹介、ありがとうございます。
大分から京セラドームに行かれたんですか。
情熱だなあ。
ジュリーの唄い方って
「王子声」を理想的に響かせる
「王子様」の唄い方ですよね。
日記本文にも書いたけど
ロックへのコンプレックスなく、
独自にロックなのが素晴しいです。
実は、あの歌唱法は、天性もあるけど
鍛錬の賜物でもあります。
このふたつがあい揃ったのだから
誰も真似ができないですね
ドームライヴでは
その鍛錬の部分がすごく透明に把握できた 雪さんへ
そうですね、GS全体が
メンバーの長髪などから
「不良アイテム」と看做され
タイガースですら
紅白に出場できなかったこと、
つい忘れがちですね。
ジュリー(ソロ)の紅白出演集大成は
NHK・BSでオンエアされたのでしょう?
そのジュリーが今年なぜ紅白に出ないのか。
「SONGS」もあったし
話題性も十分なのに、なぜ?
きっNHKがジュリーに
往年のヒット曲のメドレー披露を提案し、
ジュリーの勘気に触れたためではないかなあ。
アシベの階段・・・
素晴しい体験でうらやましいです。
地方から頑張って上京し
「本物」に触れるというのは
昔は絶対の体験だったんですよね、
いまほど映像メディアも並立してなかったから。
そういう意味では
鎌倉から武道館へ
エリック・クラプトンの初来日ライヴを
見に行ったのが
僕のそんな体験のうち
最も大事なものかもしれません。
高一の時でした 「猫だらけ」の家主さんへ
こちらは北海道から
京セラドーム・・・
地方から大遠征して
ライヴに行かれたかたは
水曜日の東京ドームではなく
土曜日の京セラドームを狙った、
ということですね。
僕は筒美京平さんが
作曲とアレンジを手がけたいた時代の
郷ひろみも大好きです。
ただ郷ひろみは
ジュリーとちがい、
自分がどんな佳曲を唄っているのか
その自覚が薄いですね。
無論そういう「無意識過剰」が
彼の魅力ではあるんですが わしは阿部氏より二つ上と言うことかな。
タイガースがデビューした時、ワシは小学校5年だった。姉は二つ上でタローが好きだった。
~てな訳でテレビか少女雑誌で見るしかない。
明治チョコレートの包み紙を送ってポスターも何枚ももらったし、メンバーそれぞれとデートしてるようなおしゃべりをしているソノシートも集めた。
映画「世界は僕らを待っている」見にいきました。
放課後たまたま先生と一緒にいた小学校の校庭を通った姉の友達に見に行ったことを告げ口され、あとからみんなの前でしかられた思い出がある。
そのタイトルのLPレコード、姉と半分ずつおこずかいだして買いましたよ。
当時1800円。小学校の近くのレコード屋さんで買うのですが、学校帰りに小学生のわしが1800円も持って何かを買うのはよろしくないと言うことになり、高校生だった兄がお金をもって帰りにワシのところへ寄ってくれることとなった。
ワシは当日も放課後ドッジボールで遊んでおった。
すると眩しくも制服姿の兄が近ずいてくるではないか。
ワシは友達と別れ、米山と言うレコード屋でついにそのLPを手に入れたのだった。
あれから41年まさに「夢みる昭和の少女」はドームであの歌をきいた。
手ぬぐいを見て確認。「朝に別れのほほえみを」ではないか!?
もうタイトルは忘れたのだがこの歌だ。
~ジョニーの手紙が五月に届く 元気でいるよ もうすぐ帰ると~
恋人を残し戦争に行く若者 戦争が終わっても若者は帰って来なかった。
子供ながらに胸が苦しくなった。
そんな素晴らしい曲もその昔あったのです。
おっと いかんいかん間違えておった。
~ジョニーの手紙が~は「忘れかけた子守唄」だ。
ドームで唄ったのは~別れ行く時が今僕たちにきたの 恋人よもう泣かないで笑顔を見せて~だった。いずれも戦場に向かう若者の恋人への思いや母親の気持ちを込めた歌だ。
九条を守ろうというジュリーの思いが、この選曲になったのだろうか。 テレビで「シーサイドバウンド」の新曲発表のニュース映像を見て以来、タイガース=ジュリーのファンとなって今年で51歳になった北海道の男です。74年に地元(釧路)に来てくれたのが生ライブデビューで、(69年にタイガースで来てくれたけれど小学生は行くことができず家でレコードを聞いて我慢していました)以来、札幌までコンサートへ出かけていました。毎年毎年アルバムを出し、ライブをしてくれる。しかもR・Sのように毎回同じようなセットリストではなく、しかも、ベテランになるほどありがちな、タメのような、流しているかのような歌い方では決してなく、歌を譜面を大事に当時のまんまに歌う姿勢が何より嬉しくあります。
今回東京ドームへ参加させていただきましたが、本当に「ジュリーファン」良かったと実感しています。そしてこのような素晴らしい文章で「沢田研二」を表していただき感激です!
いままでは「ファン」という枠で囲まれるのが嫌で「尊敬」「生き方の見本」・・・うまく表現できませんが「存在」が僕の誇りでした。でもいまは「ジュリーファンです!」と胸を張って言える自分がいます!
本当にジュリーと同じ時代に生きていることに感謝しています。僕が51になってもこうして「ジュリー」と生きられることに、この世に産んでくれ育ててくれた両親に感謝です!
12月3日(12・1が僕の誕生日)は本当に最高のバースデープレゼントでした。
長々と書いてもうしわけありませんでした。
が、書かずにはいられませんでした。
2008年12月09日 shu URL 編集
ロイヤルさんへお見事な思い出語りで、
すっかり楽しくなりました。
小学生にさまざま設けられた限界、
ソノシート、明治チョコレート、
LP1800円時代・・・
女性だったこと、
僕より二年年長だったこと、
兄姉をおもちなこと・・・
それだけで「世界の見えかた」が
やっぱり違っていたのですね。
自分の人生が一個ふえた気までします。
ジュリーの「わが窮状」にたいしても
そのルーツを掘り起こしていただきました。
本当にどうもありがとうございます shuさんへ
僕より一歳年長で
しかも男性でありながら
あねいは男性であるがゆえに、
ジュリーに生き方まで学んでしまう
コアな同調ぶりが素晴しい
ファン人生なのですね。
うらやましい、とおもいました。
歌手がベテランになると
持ち歌を「崩す」ように唄う・・
洋の東西にかかわらず見られる現象ですが、
それはなぜなのか。
はやる心を卒業し、
聞かせどころを複雑にしようという配慮なのでしょうが、
おっしゃるとおり、
ジュリーはそれが嫌いですね。
そういうのを甘え、とみているのかもしれない。
ジュリーは端正さを美学にしている。
それであれだけ凛としたライヴもできた。
若さを保ちたいとかいうのではなく、
若さも老練も関係のない、
歌そのものの境地にいたい、
ということなのだとおもいました たびたびおじゃまして恐縮です。
ジュリーはこんな事も言っている。
テクニックを使わないでうまいと言われたいと。
たとえば伊東ゆかりさんなんか、何のテクニックも使っていないのにうまいと言っていましたな。
歌は魂がこもっていなければ伝わらんし、うまいとも感じないですな。
そう言われるといいですな。伊東ゆかり。そんなに声量もないのに歌全体から醸し出される感じが。伊東ゆかりと世良譲が出ていた歌番組ありましたなあ。何ゆえ今、大人の雰囲気の歌番組ないんかなあ。
沢田研二は十分にその域に達しましたよ。
そしてきれいな大人になったじゃないか。
今まで出会ってきた人を心にずっととどめている人なんじゃないかと思う。
ゆえに『いくつかの場面』では涙ぐむのだな。ワシかてウルウルもんよ。
願わくばピーもトッポもあの会場にいて見守っていてほしかった。 ロイヤルさんへ
わ、無技巧ゆえの技巧、
伊東ゆかりの名前を出されるとよくわかります。
60年代後半当時のポップス系は
ポップスなのに、
何か不思議なコブシ回しをする女性歌手が多かった。
小川知子なんかがわかりやすいけど。
旧くは美空ひばり(浪曲型)に対する
島倉千代子(新内型というべきか)。
フラット唱法といえば、西田佐知子もそうで、
これがいしだあゆみにいたると
また独特のコブシめいたものが付随してくる。
ともあれコブシというか
唄いだしのひねりは、
歌詞を強く響かせる方便だったのかもしれません。
いまのJポップとちがい歌詞数も少なかったので、
歌詞の情報量を増す意味まであったかも。
GSでも不思議なコブシ、ありましたね。
ブルコメ「ブルーシャトー」なんかが
わかりやすいけど。
日本人性、ということなのかなあ。
ともあれ、ロイヤルさんが引かれた
「歌唱は無技巧がいい」というジュリーの発言は
ジュリーの歌唱の秘密を解く大事な補助線です。
だからこそ六時間半を唄いきったともいえる。
ロイヤルさんに敬服しました。
これとジュリーのロック歌唱との関係も
考えるべきなのかもしれません。
ともあれジュリーは俗にいう「黒っぽさ」がないのに
それにあれほどの「王子声」なのに
なぜロックとして
その歌唱が響くのか
これを解くのが宿題ですね テクニックを駆使した歌唱ではネチッコクなってしまい、とても6時間半も聴いていられぬ。
~かと言って平べったいだけでは飽きる。
美空ひばりを聴くと、一曲の歌の中でいろんな声をだしておる。変化があって飽きさせない。
ジュリーの声は神様から授かれしもの。声のいい人はたくさんいるが、人を魅了する声の人はそういない。
キリストとか釈迦とかきっとそんな声だったんじゃないかとか思っってしまうのだ。
ワシ 不覚にも一時期ジュリーから離れてしまったひとりである。
しかしいつもいつも気になっていた。別れた彼氏がいつまでも気になるみたいに。
今あーやっぱりこの人が一番だあー。
まるで生涯の伴侶を選んだみたいな気持ちなのだ。一方的に。
ハハッ 自分で言っておいて少し照れるなあ。 こっちまで照れます(笑)。
僕も「声」が音楽的唯一物と
つねづね考えています。
ジョン・レノン、マーク・ボラン、
ローウェル・ジョージなど
海外には唯一の声が正しく機能しているけど
日本での筆頭は
男子ではやはりジュリーだとおもいます。
音楽を聴くことが
ただ声を聴くことにずれる瞬間がある。
これは、人間が耳をもつまえに
からだをもっているからなんじゃないか。
だから唱法を前に
声をいいだすことが僕は多いですね、
大学の授業でも。
声の問題は小室哲哉全盛の時代に
おもいっきり後景にしりぞく。
声を抽象とする傾向がつよくなった。
そういうことでいうと、
ジュリー・ライヴへの熱狂は
人間性の場所に声を戻すことと
関連しているのかもしれません ワシ かなりしつこくてごめんなさい。
ジュリーの容姿について。
だれにでも肉体の老いはやってきて、精神の成長が追いつかず、凡人はそれを受け止めることに拒否反応を示す。
かつてジュリーのあの潤んだ悲しそうな目に魅了された。まるでギリシャ神話に出てきそうな容姿だ。
ちなみにワシはジュリーの歯が好き。(かなりマニアックな好みだ)
年々ジュリーは膨らんでいき、いつかまた痩せてくれるだろうという願いもよそに、いつのまにか二重あごに、横から見るとトリスのおじさん。
最近のアンチエイジングや過度のダイエット
は美しくないとジュリーは言っている。
しかしドームのジュリーの雄姿たるや、41年の軌跡に裏打ちされた自信に満ちた姿だっ
たのだ。
ブログの拍手数が増えていくのがうれしいですなあ。 エロキューション=滑舌のよさ、でよいのでしょうか?
アメリカ・イギリス文化へのコンプレックス・・・
「ただのコード進行だよ。」('Not a second time'のエンディングが「エオリア終止法」だと指摘されたジョン・レノン)
ただ持てるすべてで全力で歌うジュリーの潔さ。
批判覚悟で文章を書かれた阿部さまの勇気に乾杯。
2008年12月13日 ぞお URL 編集
ロイヤルさんへジュリーの歯。。。
意識しませんでした。
ジュリーは痩身にもどったけど
顎下の肉はやっぱりかなり豊かでした。
ところがその顎下の肉が
歌唱の最中は細かく震えている。
何か共鳴増幅装置となっているかのように。
じつは僕、それに感動したのです。
歌の肉体だ、とおもいました。
トランペッターの耳の下の肉が
プクッと膨れ上がって
そこが共鳴器のようにみえるのに似ている、
とおもったりなんかもしました。
拍手数。
たぶん僕の日記で
これだけの数をいただけるのは
今後一生ないだろうなあ、とおもいます ぞおさんへ
エロキューション、
芝居でいうところの台詞回し、
言葉の口離れの良さ、
みたいな意で
僕はつかうことが多いですね。
ジュリーは透明でロマンチック。
「僕のマリー」からこの次元が実現されています。
「階級」も見えないんですよね。
たとえばジョン・レノンなんかだと
イギリスの職人階級モロ、という感じになるんだけど。
GSは団塊かそのちょっと前の世代中心で
意外に旧い日本語の響きで唄うひとが多かった。
堺正章なんかはそうした基礎のうえに
黒人音楽への憧れとアクのつよさが入ってくるんだけど
ジュリーはそういうわかりやすい要素に
歌の内実を分解できなくて、
なにか全体で華やかな光を帯びる、
そういう「分離不能性」がありますね。
GSのかたでジュリー以外に
とりわけ評価しているヴォーカリストは、
意外や井上順だったりする(笑) 再度おじゃまいたします。
東京ドームの感激から行き着いた阿部さんのブログ 私のブログでも紹介させていただく予定です。
といってもブログ初心者の私、お名前と沢田研二・東京ドームライヴしか載せられません。でもご挨拶はしておこうと書き込みしました。
前回の書き込みで日劇ウエスタンカーニバルでタイガースのデビューを見たと書き込みしましたが、なんとその時のプログラムが残ってました。私のブログに載せようと思ってますが、出演順でタイガースの隣に内田裕也さんの名前が、今だに続いている、友情なんでしょうか?来年ジョイント公演と新聞にあったので、それもまた人間性を感じました。
2008年12月14日 mie URL 編集
mieさんへそのタイガース正式デビュー前の
ウエスタンカーニバルのプログラム、
まさにお宝ですね。
内田裕也さんというひとは
僕にとっては謎です。
俳優としてとても好きなんだけど
音楽的なポジションがわからない。
ロカビリー→ロックと進み、
GSが跳んでるとか
そういうところが不思議で、
しかも日本ロックの精神的支柱でありつづけてる
(歌がすごく下手なのに-笑)。
絶対に何かがあるんだとおもいます。
裕也さんてたとえば浅草に
フランク・ザッパを呼んでいるんですね。
その特攻精神を知りたい
(僕がもう少し年長なら
そのザッパ浅草ライヴに絶対行ったはずなんですけど) 40才男です。レコ大の勝手にしやがれに衝撃を受けて以来のファンです。当初より同世代のファンはほとんどおらず中学2年時の6番目のユウツ以降ヒット曲が無いにもかかわらず現在までファンを続けられた最大の要因は、中学2年時から行き続けているライヴだと思います。いわゆるヒット曲というものが無くても、必ずしもアルバムを買わなくても十充分に楽しめるからです。ルックスをキープするに越したことはありません。しかし、やはりジュリーの生命線は歌唱力とパフォーマンスであると思います。大学時代を過ごした関西への訪問を兼ねて単身で京セラドームに参戦しました。その感想は皆様が書き込んでいるので割愛しますが、まさに敬服に値しますね。ジュリー以外にも奥田民生と岩崎宏美と安室奈美恵は毎年、他にも邦洋問わずいろいろとライヴへは参戦しますが、これほどのパワーと感銘を受けたライヴは初めてです。サプライズゲストやサポートメンバーの力も借りず普段通りのスタンスで大観衆を魅了したジュリーに、それらを期待してしまっていた自分をいい意味で裏切ってくれたジュリーに、本当に感謝です。TVは1時間程度の縮小版のようなので、録画はしますが、DVDのフルバージョンを見るまでは、再生しないことにします。 ジュリーのライヴ、ずっと行かれているのですね。
頭が下がります。
TV放映は一時間縮小版なのですか。
がっかり。
DVDのフルバージョン発売はしかし画期的ですね。
東京ドームのライヴが収録されるのかなあ
ジュリーの声・歌唱力といえば、
ちょっと長瀬智也に彷彿させるところがあります こんにちは!時間が経ってしまいましたが、ひょんなことから阿部さんの文章に行き着き、感銘を受けたところと共感できたところがあるので、メールさせていただきます。
ドームコンサートの素晴らしさについては、皆さんの仰る通り、私もあの日夢の中に連れて行ってもらいました。ジュリーのファンでいて、本当に良かったと思っております。土曜日に(奇跡元年)の最終日に行ってきましたが、彼も観客も充分にあの熱狂を引きずっていました。いい意味でね。
ところで阿部さんが彼がテレビと言うメディアから離れていた時期の曲をあまりご存知ないというのであれば、是非25周年記念の武道館公演(ジュリーマニア)のDVDをご覧になって下さい。秀逸です。姿形も歌もパフォーマンスも声も、そして曲順でさえ…
ではこれからのご活躍もお祈りしております。
Suna
Sunaさんへ
どうもありがとうございます。
Sunaさんの書き込みで、
またあの日の興奮と感動が
僕にも蘇ってきました。
ジュリーマニアのDVD、興味津々です。
チェックしてみます。
というか、女房に買わせます(笑) はじめまして。
ずっと前に読んでいたのですが、
それぞれの方にコメントするのに頭が下がり、つい出てきてしまいました。
自分へのコメントは絶対にしないでくださいね!
自分は阿部さまと同い年で、ジュリーから洋楽へ行った者です。
いまさらですが、ずっとジュリーを追い続けていればよかったと、すごくすごく後悔しています。
でも、ドームは凄かった。間に合った!
同じ空間を共有できたことに感謝!
2009年01月28日 nuko URL 編集
さすが、やっぱりジュリー!!!と確信しています。このジュリー、なんとしても若いみんなにも伝えたい。
私も、今は中年。
憎み切れない~♪からのハードーロック小僧。バンドもしてます。
鹿鳴館などにも参戦していた者ですが、ジュリーはもう別格。
ただ、タレント、芸能人、俳優、歌謡界、エンターテイナー、スーパースターなどいろんなジャンルを網羅するジュリーがゆえに、彼がもっともっと評価されていいのに、ちょっとぶれた状況なのがくやしい。ジャンルなし、それが沢田研二。
ジュリーを残したい。
世界にも紹介したい。
もっとジュリーのことを感じてほしい。
若ジュリーは、昔からのファンだけのものにしたくなし。
今ジュリーとなり、さらに彼の外面だけでない崇高な存在を感じあいたい。多くの人々と。
ありがとう!!阿部さま!!
また、お願いします!!!
初めて論理的なジュリーの論文とでもいうべき文章に出会いました。
深いです。素晴らしい。
またじっくりと読まさせていただきます。 このコメントは管理人のみ閲覧できます
2009年07月20日 編集
こんばんは!偶然見つけてココにやってきました。
素晴らしい長文のブログです。
ファン歴36年51歳で御座います。
「ジュリー祭り」で復活しました。
感動の6時間半でした。
今はもう36年前に戻ったようにジュリーを追いかけています。
「老後」の楽しみが出来ました。
ジュリーには70歳を過ぎても歌い続けて欲しいです。今のジュリーなら大丈夫でしょう。
こちらのブログを私のブログにも紹介しました。よろしかったですか?
この長文ブログを皆さんに読んでほしいと思いました。お許し下さい。
此方にもお邪魔させて頂きます。
これからも楽しみに読ませていただきます。
有難う御座いました。 はじめまして。HNどおりの74年生まれで、84年からジュリーファンをやっています。あの日の東京ドームにもいました。ケンケンジさんから紹介され、拝読いたしました。素晴らしい分析に感服しました。
ただ…1つだけ言いたいことが。ジュリーは、売れなくなってからもずーっと歌ってました。平成元年からは、新作を中心とした全国ツアーを続けていました。「ジュリー祭り」の歌声は、小手先のボイトレによるものではなく、20数年間のライブの積み重ねによるものだったということを覚えておいてください。
2010年11月23日 74年生まれ URL 編集
ひとつ違うんですよ。テレビから露出が減ったのは独立とは関係なし。まぁ一般的には当時の報道もあってそう誤解されてますが…。森進一などが独立の際は「はいさよなら」でしたが、ジュリーに関して事務所は貢献を重視して「失敗したら戻ってきなさい」というスタイルで独立させてくれました。
つまり経営が落ち着くまでは傘下独立でしたから。
その後、黒字収支の結果を出し数年後傘下から離れました。ちなみに独立当初から社長は二足のわらじで渡辺プロの営業部長高橋氏が現在も就任しています。
また過去の映像が一時期テレビで使われなかった件に関しても同様の理由で誤解がありますがそれも誤りです(^O^)
ちなみに私は当時のスタッフの一員として仕事をしていました。
2010年12月27日 たけ URL 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます2015年02月23日 編集
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2008年12月04日 音楽生活 - music life -
今年一年の「私」へご褒美{/ピカピカ/} 「人間60年ジュリー祭り」へ参加してきました{/!!/} (※詳細は2008年12月04日 さんが ~Samgha~
沢田研二/Julie VI ある青春(CD)商品価格:2,000円レビュー平均:0.0沢田研二沢田研二『DOWN(UGAカラオケ楽曲)』商品価格:105円レビュー平均:0.0巷でうわさの・・・アレです! 沢田研二・東京ドームライヴ一方で、一部の熱心なファンを除き大衆がジュリーの曲から離れ?...2008年12月05日 ナチュラル