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坂東点在考 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

坂東点在考のページです。

坂東点在考

 
 
【坂東点在考】


そのカットをいおう
焦点のあわない画面奥行き
ふすまの隙間から
藁のたばが覗いていて
はたおりが自力で
月光をつむいでいた
画面全体をささえていたのは
尻特有の三弦音
これが以後進行の不安となり
観客も尻をさがすのだが
青いものばかりがゆれて
ますます映画は
毛をめぐる
冥婚になっていった
舌のさき火の玉ころがす
誰かはいつもみえない
四人のような気もするが
登場人物が何人か
わからない点に感じ入る
サクラノ電気デ
葺カレル笠
ミエナイ顔コソ鬼デハナイカ
人穴のあたりで
あのように糸が浮くのなら
きつねのにおいもあればよかった
鼻緒の切れる映画
田がまわる まわる
三軒が主題だ
うち一軒で観客の場所が死ぬ
だから亡霊として映画館を出て
歩みを創痍にするしかない
眼の黴びたかわりだろう
みんなが屋根にいる
 
 

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2010年03月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

架空の映画の評みたいな詩篇を書きたかった。
ただし無反応。
う~ん、作者の意図が余りすぎているのかなあ。
行の渡りがうまくゆき、
ヘンな映画、という感じが出たともおもうのだけど

「登場人物が何人かわからない映画」では
鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』を意識してました。
「観客の場所」はスラヴォイ・ジジェクの用語。
先ごろの岩波での原稿では
キー概念のひとつとして扱っています。

それから「きつねのにおい」は異類婚の前提なのですが、
被差別民との結婚がそれで暗示されるという議論があります。
「冥婚」は死者との婚姻。
民話のなかに多出します。
それらの幻想領域をごっちゃにもしたわけです。

そういえば支倉隆子さんには
『グリーン・ドア』評をそのまま詩篇にしてしまった
不思議な快作がありました

2010年03月18日 阿部嘉昭 URL 編集












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