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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

まったく滂沱

【まったく滂沱】


始めあって、終わりあり
この定式の収まりのよさ
体温の花火もあり だから
躯の落ち着く汗ばみ同士が
ひっそりとさざめいて
川辺もそぞろ歩くのだが

「汗をかく人からいずれ目鼻も消える」
その感慨を 夜空に見ちゃった
俤だけが「流れるかたち」となって、
金魚日本、まったく滂沱じゃないか

ああ 成層圏の冥い西風、
ああ 六等星で此世の滲み、
体温にのみ還元された相手と
のこり幾たり連れ添えますか

愛恋は。別住の人生は。

突貫。ポケットに癇癪球を入れて
石ころだらけの下り坂中年を転げ走る
突貫。手に点火した線香を立てて
水底調査の気分 細窟に跳び回る
上澄みを刺青された祭というなら
不全の僕ら ゐました そこに

藁のようなものを背後に引き連れては
不意に百回前の季節にも出会うだろう
目の玉や金玉を緑チューブに塗られた無惨か
たった25回分で――砂金の身も垢だらけ
アスベストとなり ポイとなり
手探りの落丁ともなって(ボサボサの紙)
不全の僕ら ゐました そこに

(裏書して)(ここへ来て話そ)
接吻と同じ、あくまでも口承がルール

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2007年07月30日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

大玉

【大玉】


こんな日は内側が見たくって、
片目を氷で冷やしてみるんだ、
「竹生島は夕立」「ぶら下がり裸体の腋窩も夕立」
世界の紗がこの眼に 部下のように引き集まっている
大玉――算えはじめた大玉の数 や
るるるるる 「る」のスキャット、
海賊が褒美とする「流」の籤で
流れ鯨にも馳走の固唾がありありだ

夢では島囲の姿を一心に追いあつめて
藁のようなものを背後に引き連れてゆく
サーカスみてえ、が少年期のくちぐせでした

みんなのポケットに韻を踏んだロケットが。
せんせはいう、《いつまでも・はじめて・みよう》
割れそうで割れなかった地球儀の時代だ

(いまどきの)トキオさん、柳亭はご健在ですか
沓掛さんは、あるいはただ一字、窟は。
唐突に 橋づくし してみる
子供騙しの びぃだまに飽きて
登校途中の夏を飽きでいってみる
(大玉を祖母に訊いたミノルくん、タエコさん、)
臨終の夏は 茫々の通りは。
「栞紐もって詩集を渡すなって」
「どこまで読んだの、が約束だったじゃないか」

せんせは死んでからも繰りかえす、
《いつまでも・はじめて・みよう》
残響を絶つため 伏せるお椀

食べ物ばかり考えて卑しい子
朝朝のお椀に三つ葉なんて贅沢を
(柳の葉の流れをおもいたいんだ、)(浮き巣を)
食後の残響を絶つため、はじめて伏せたお椀

2007年07月26日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

フィールドワーク



続けて今朝未明、フィールドワークのレポートを採点した。
これは提出者全員が「S」採点という好結果。
またまた、機嫌がすこぶる良くなる(笑)。



もともと、このフィールドワークはいわくつきの講座だった。
他大学が講座として実行しているのに倣い、
たぶん立教文学部・文芸思想専修も趨勢に従ったのだろうが、
導入段階でそのコンセプトがはっきりしていなかった。

当初のポイントは以下。
・ スクーリング(授業出席拘束)のない在宅学習で、
自由な課題を学生に自己設定してもらう。
・ スクーリングがないというアドバンテージに対し、
提出レポートの枚数下限を高く設定し、
綿密な考察をしてもらう(10000字以上の縛りだったか)。
・ 受講者は担当教員の指定も可能で、
研究内容については、事前に承認を得、
その指導のもとにレポートを完成させる。



つまり、これでいうと、
「夏目漱石研究」などというのもありうるのだった。
僕は当然、専修会議や2年生オリエンテーリングの席上などで
反対意見を表明する。
「フィールドワーク」には民俗学の学問方法が予定されているはず。
「外に出て調査する」という経緯をふくんでいない課題提出は
認められないのではないか、と。
つまりインタビューやアンケート等の方法も問うていたことになる。

ただし、議論は学生の履修決定時期が差し迫っていたこともあり、
「今年は自由形式で見切り発車」、つまり時間切れとなった。
僕はまあ専門が「サブカル研究」なので、
学生のメディア環境に関わるものがその後、お鉢に回ってきた。



それぞれの学生と面接。
アンケート調査を軸にレポートを書いてほしい、と指示、
アンケート書面の確定が彼女たち(全員、女子学生だった)の
急務となった。
アンケート項目の取捨選択、属性質問等で
何回も差し戻された学生もいた(ご苦労さま-笑)。
いざ項目が確定し、配付の段となると、
調査サンプル数は最低でも100を死守、と発破をかけた。
いつもどおりのスパルタ(笑)。
用紙を抱えキャンパスを不安にうろついた者もいただろう。
むろん僕のもっている演習講義(入門演習/編集演習)でも
僕自身がレポートを配布し、受講者に回答をお願いした。
このあたりには僕の「いいひと。」ぶりが表れている(笑)。



具体的に書こう。僕の担当した学生は4人。
ちなみにいうと、フィールドワークは
文芸思想専修在学生のみに履修可能でしかも一年は取れない。
すると現状、最高学年の2年生のみが選択できたことになる。

以下はその内実。
①木村優子さん:「写真機能つきケータイがもつらした生活変化」
②小池美津貴さん:「iPodがもたらした生活変化」
③竹内愛さん:「学生が雑誌編集者に抱くイメージとその実情」
④三村真佑美さん:「立教生の読書生活」
みな本当に面白かった。



① はデジタル一眼レフ所有者と携帯電話所有者の
写真生活の比較検討から始まる。
ケータイ写真を撮る者は、mixiでの写真公表など、
媒体にアメーバ的に触手を伸ばしている実勢が炙りだされる。
たぶん、そうして写真行為が内破するように変化する。
女の子はペットを、料理を、風景を、男の子より多い頻度で撮る。
恋人を撮るのは男女同頻度。
木村さんは当然、
暗示的にハメ撮りなどいかがわしい撮り方も想定していて(笑)、
女子が恋人を撮るのにどんな主題があるのか疑問を投げかけている。
ともあれ映像親和度は実は女子に高く、
今後は女性ケータイ写真家が陸続してくるのではないか。
ケータイ写真集といった紙メディアではない
公示の方法がさらに模索されてゆくことだろう。

ケータイ写真が教養の崩壊を招く可能性があるともわかる。
「メモ代わり」にそれが続々活用されてきているのだ。
雑誌内容の一部を撮ってしまえば、それは「情報万引き」。
バスの時刻表を撮るなら、それは利便性の勝利。
では、教室で教師が提供したPCプロジェクターの内容を
ケータイに収めてしまったら?
実際、いまの立教のそうした授業の教室では
ケータイのシャッター音が鳴り響いているという。
利便性のみに乗りかかった情報摂取は当然、身につかない。



iPod所有者の実情に迫る②では、部屋にいるときはCDが聴かれ、
電車内などで音量に気を配りiPodが利用される、という
一見常識的な結果が出る。
ただし一年-二年では一年にその所有率が高く、
IT傾斜度が学生世代では年少にしたがうほど高くなる現今、
iPodは爆発的に普及してゆくだろう、との読みが生じる。
意外だったのは一万曲収蔵できるiPodで
現状収蔵している曲数は1000曲程度の者が多い、ということ。
まあ、大学一年、二年ならばそれが平均値だろう。

最大の問題はそのシャッフル機能にある。
この機能を好むか否かは半々だった。
曲がアトランダムに出てくれば、
往年の比喩ならそれはラジオを聴くのに等しくなるが、
それは曲の印象をリフレッシュするという。
アルバム単位の崩壊。作品の位置と文脈の崩壊。
「一曲」のみが完全な消費単位となり、しかもそれが
水のように空気のように、自然化されたものとして流通してゆく。
iPodには歌詞の書き込み機能もあるようだが、
当然、そのような聴かれ方では一切、歌詞が顧みられることもない。

これはアーティスト殺し、
ポピュリズムの拍車化をも結果するはずだが、
小池さんの拾った音楽関係者の談話が振るっていた。
アーティスト印税はCD単位では1%だが、
iPodやYouTube隆盛時代なら
アーティストはメジャー会社に搾取されずに
自分本位で多様な自己プロデュースができる、云々。
嘘だろう。ポピュリズムが横行するだけだ。
(インディ)アーティストはライヴでの臨場感を重視し、
これに対抗しなければならない。
結果、装備に時間のかかる重い大げさなライヴが
実効性を段々失ってゆくことにもなるだろう。



「編集者」についての調査をもとにした③はどうか。
大手出版社に勤務する女性正社員はお洒落なキャリアウーマン、
男性社員は髭つきの眼鏡男(おたく多し)というイメージが
多くの学生にもたれているのには笑ってしまった(俺か?)。
これが弱小出版社や編プロならば、
完全に見た目「3K」色がつよくなってゆくのだが(笑)。
40にして年収200万のワーキングプアはこの層に数多い。

竹内さんの手柄は大手出版社の編集者の姿を
インタビュー取材も交えて活写している点。
企画は立てる。昼飯のとりかたはそれぞれスタイル化。
自由に出社し自由に退社。締切間際は泊り込み。
ここまではいい。
仕事の概ねはコーディネイト。
インタビュアー仕事は外部発注が半分(立ち会うが)。
原稿はほぼ書かない。テープ起こしはバイトに依存。
急場に臨んではバイトに理不尽な依頼をする。
それでも本好きが結構いて、
エレベータ内でも手許から本を離さないツワモノすらいる(笑)。

僕は雑誌企画の画一化、ペイハブの増大、クラスマガジンの細分化、
編プロへの依存強化、広告効力の低下などを要因に雑誌は、
書籍と同様に消滅してゆくのではないかと以前は考えていて、
ネット雑誌がそれに代わる、と踏んでいたのだが、
確かにいい加減でも個性的な人材が大手には残存しているらしく、
竹内さんの結論どおり、雑誌媒体の残る可能性があるとおもった。



立教生の読書生活の④。
三村さんの綿密なアンケートによって
学生個々の部屋の本棚が見える気がする。
マンガがその中枢を占め、
文庫本愛好者が書籍愛好者に較べ読書件数が多く、
本棚非所有者は本を読まない傾向がつよい。
読書離れが巷間強調されるが
ひとり時間にはマンガを含めてだが読書に励み、
それが教養や思考や文章力の形成のみならず、
コミュニケーションツールにもなると自覚されている。
書籍購入はターミナルのメガストアが突出し、
ついでブックオフなどの新古書店。
駅前の最寄店は旗色が悪い。古本屋はもっと悪い。
新書ブームが云々されるが、学生にはまだそれほど浸透していない。
書籍で読まれる中心は、国内小説だ。

学生世代の読書熱は衰えていないという安心に導くこのレポートで、
詩集、豪華本の読者の少なさ、古本屋利用の少なさが気に懸かる。
「教養の平準化」が出来していないか。
ここにもポピュリズムの弊がある。



土地の古老にインタビューした、
あるいは学内に潜む「売り」経験者に取材した、といった、
文字通りのフィールドワーク・レポートも期待したのだが、
ここにあるレポートはすべて、
代理店が「企画背景」として差し出すものと同じ文法をもっている。
彼女たちにはきっと有効な就職準備となったことだろう。
しかも代理店よりも出来がいい瞬間がある。
「実地調査」の生々しさが脈打っているためだ。
きっと代理店はこれらのレポートを
喉から手が出るほど欲しがるのではないか。

むろんこれらのレポートも
「阿部嘉昭ファンサイト」にアップするつもりでいるが、
実はこれらのレポートでは僕の指示どおりに
円グラフ、棒グラフなどが駆使されている。
つまりパワーポイントの形式で書かれている。
実際にレポートをメールしてもらって開けるのかどうなのか、
実はPC音痴の僕は心許なかったりもする(笑)。
ともあれ管理人が多忙でアップ時期が見えないので、
とりあえずここにレポートの感想を書いた。



このフィールドワーク・レポートの顛末をこの欄に掲げたのは、
むろん僕のマイミク学生にいずれ履修をしてもらいたいからだ。
「外部調査」をちゃんとやることは実にいい経験だとおもう。
ハードルはちょっと高いし、孤独な履修だけど、
やり甲斐はすごくあるだろうと請け合っときます。

今日はこれから夕飯の買い物ののち、マンガ講義の採点だあ

2007年07月24日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

入門演習の期末提出物



今回は実名で行く。
いや、立教文思1年「入門演習」期末レポートの話。
先の日記アップから約3時間、ちんたらしつつ採点を終わって
僕はすこぶる、ご機嫌状態になってしまった。
面白い期末提出作品が実に多かったのだ。
で、その感想をここに書こうとする段になって、
「今回は実名で行く」という決意をしたのだった。



しかし、僕の「入門演習」とは何の授業だったんだろ?(笑)
読書励行経験を文学部一年生に叩き込む、という目的は
他の先生がたとも共通していたんだけど、僕のばあい
テキストは強度があれば何でもござれ、ということで
評論(蓮実/ソンタグ)、小説(カフカ)、
古典詩(ロートレアモン)、マンガ(楠本まき)と進み、
果ては現代詩や現代短歌や拙文にまで移行していった。
しかも本来なら、
講義で扱ったテキストを考察するレポートを求めるべきところ、
出されたレジュメに対しレポートの勘所を自ら得々と喋ってしまい、
結果は「ロートレアモンのように書け」「石田瑞穂のように」
「荒川洋治のように」「若手口語歌人のように」という
横紙破りの創作課題を純真な生徒たちに続々と押し付けた。
人によっては「悪魔」だったろう(笑)。

となれば「レポートでも創作でも」という期末課題にたいし
生徒がよりキモチイイ創作のほうで向ってくるのは事の必然。
たったひとり律儀にレポートを書いてきた子すら
ケータイによって「コクリ」を中心とした恋愛行動が
どう変化したか、という軽チャー(古い用語!)ネタだった。

したがって期末課題群を読む時間が
良質娯楽雑誌を読みように愉しかったりする。
で、点も甘くなってしまう――悪い循環だ(笑)。



評論を書くか作品を書くかという選択では許されれば後者で行く、
という最近の学生の風潮について。

実は僕は悪くない、とおもっている。
「評論」すら読んだことのない「若人」が
「評論の死滅」に見合った行動をするというのは
若さゆえの鋭い嗅覚のせいなのだ。
小説は読んだから書く、といったもので、
その前に批評意識の涵養は必須、という考えもあり、ならば
まず評論風のレポートを求めるべきだという慎重論もあろうが、
小説なぞ書いてから読めばいい、
破天荒なケータイ世代にウザったいことを夢見ても無駄、
恥しい思いをさせるのも親心、なんて、
残酷だか慈悲深いんだかわからんことを日頃考えている。

小説を読まない子だって小説を書く、というのは
もはや文芸誌文芸賞投稿者の趨勢でもあり、
「見る前に跳べ」は時代の風潮なのだった。

ところが「物怖じ」しないこの恐るべき世代は
そうした低いハードルをチラつかせると、
ヤサシイ顔して、けれども猪突猛進してくる。
初めて書いた小説なのに、何となく読めてしまう、というのは
もはや世代の才能の問題なのだともおもう。
彼らにはサブカル経験の裏打ちもあるし。
そうして習作期間なしにある程度の処女作を書き、
やがてはあたら才能をバイトによる疲弊で潰してゆく(笑)。
以後の概ねは「ただの人」だ。
この場合、「習作期間」の苦労のない点が裏目に出たはずなのだが、
苦労がなかったことで、自分の才能が徒過されたこともわからない。
幸福な世代というべきか否か。

そう、そりゃマズイぜ、惜しいぜ、というために
受講生マイミクがたくさんいるこの日記欄に
こんな文章を書き始めたのだった。
俺が意地悪か慈悲深いかわからん、といった迷彩は
さらに迷彩化されなければならないのは無論だ。



感想は一気呵成にゆく。
高安美智さんと佐藤拓郎くんは小説を提出した。
それぞれが自身の恋愛体験を下支えにしている、とみる。

高安さんがたぶん実感型、拓郎くんが夢想型だ。
高安さんのはかつて覚えたプラトニックな憧憬によって
必然的に現行の恋愛が暗色化してしまう悲劇と
そこから逃れ出ようとする意志を素直な文体で綴る。
清新感が漲るのは、体験を元手や担保にしながら
降りかかる悔恨を払う小説の手捌きが素早いからだ。
ウルウルきた。ウルウルくれば、当然、評価が高い。

佐藤くんのはエラい文字数がある。50枚は超えているとおもう。
恋人の自立を助けることに目覚める大学4年生の話。
恋人同士、岐路にはトランプ占いで臨む、という伏線があり、
作品にある結末が出るのにそれなりの「タネ」があるのだが、
それが実にクサイ(笑)。
あげつらえば《かぶりをふった》《ホッペを膨らませた》
《今にもホッペが落ちてしまいそうな笑顔をこぼしてから》など
人の仕種・表情をしるすとき壊滅的な時代錯誤もあるのだが、
恋人同士の出会いが作中で回想されたとき、
男のほうが紙コップのコーヒーをゆっくり飲むことに対し
女のほうが「猫舌なの?」と訊き、
それに男が洒落た迂回の筋道で、ちょっと衒学的な答え方をする。
しかもそれが「迂回そのものの効用」を言い当てる。
ちょっと村上春樹の「味」だ。
愚かにも僕はそこで掴まれてしまい、
結局は別々の道を歩むことになるこのカップルの経緯に
ウルウルきてしまった。書いたのがあの拓郎くんなのに(笑)。
ちょっとした行き違いで女のほうが一旦音信不通となり、
それが回復されるときの人物と場所の出し入れに
意外性、音楽用語でいうシンコペがあって、
そこに強い現実感と達者さを覚えたからかもしれない。

拓郎くんの小説が長いのは彼のケータイ早打ちで予想していた。
彼は僕の授業中にケータイメールを速射砲のように打てる点を
身をもって実証してみせたのだった。
それは手が速いだけでなく「言葉が溢れる」ことの証左。
ところが饒舌癖が小説になく、誠実な詳細だけが並んでいた。



講義中の僕の狂言綺語に狂言綺語をもって報いる猛男猛女もいる。
以下、順を追って――。

久保真美さんの短歌。

《一時の着信音が何故こうも揺さぶり続けるのか。見苦しい》

《印を結ぶ手は自らの涜聖をやめようとしない。それが美しい。》

《曼珠沙華を眺めつつまた夢の入り口。あるいはもはや彼岸かも知れぬ》

《読みかけの本の間にそっと今すべり込ませてみた冥王星》

《影と陰 そういえば別物だった、どちらを目当てに斃れればよい》

《とろりと した 一枚布の 感触が 二月 と 五月 を 繋いでいる の》



栗田佳奈さんの詩(部分)。

(因果なら追える
声になる、 、ら変
不用意な流星を(半円で)埋める
活字の通過は棗)     な つ め)
         [※以上、原文は2字下]

方法論が蝶を弾く、
 ふ と
           溶け出す

川には笹が浮かんでいる
 水面のゆらぎ、を
唐突な礫
    で
 壊してしまった

摩滅して(けれど混沌と)
飲み干すことのない
                夕凪

視界の同心円を
なぞる、
  (石英に触れてはいけない)
蒸気に紛れていく
 盲目を、掻き分ける、
 (発芽はまだ、)
宙に吊られるままに

      終わらない



町田康がカフカに転位してゆく、それでも自己言及性をキープする
櫻井嵩大くんの不敵な小説(部分)――。


次に民子が旅人の部屋に入ってきたとき、旅人は机の下の暗がりによつんばいで、ネチョンとした眼をぎゅぬらっと光らせていた。いま思ったけど、よつんばいとよばんまついって何か似てるな。だけど、よつんばいのよばんまついなんていても嫌だしな。ま、いっか。

旅人の動きを見た民子は実際、心臓が止まるほどの衝撃を受けた。というのも、近づいていった民子を避けるように、物凄い速度で机の下の暗がりから、寝台の下の暗がりへ、よつんばいのまま移動した時の手足の動きの速いのなんの。人を気持悪くさせ、不機嫌にさせるような機械的な動きと、無機質な表情はまさに民子に多大な衝撃を与えた。

旅人はその日学校にも行かず、部屋の中で一人で過ごした。民子は泣きながら電動遠距離通話機を使い、愛人に向かって旅人の乱心を訴えた。愛人の声は深い憐れみを含んでいたが、それは旅人の乱心に向けられたものではなく、自らの愛人である民子が何らかの理由で正気を失したと思ったからであった。だからこそ、今後愛人が民子と連絡を取り合うことはついになかった。



飛山和也君の狂歌(以前この日記欄に「K・T君」として登場した)。
とりわけの「絶唱」を掲載する――

《愛撫先? 然[さ]ば尻へ濾過♪途絶えるか!?零[あや]せ!遥かな愛・飢え・と綾》

《チャイニーズ? パセリか? 実はコリアンだー。万年無視[シカト]レモンの甲羅》

《白色のオーロラ半ば果てがない双子裂かれて父を拭えり》

《聞こえないn筆書きで隙間なくレクイエムbyサンスクリット》

《アマリリス誰の誇りがお望みか彼の岸辺に咲いた血飛沫》

《壊れそう頭が割れそう「ならいっそ」君は一層破顔大笑》



内藤雄生君の散文詩とも小説ともつかぬ作品(部分)――


魔法棒はすぐダイアモンドより硬くなって今にもジーンズを突き破りそうだった。

翌朝の食事はチキンナゲットと歯磨き粉だった。

ほとんどの後ろ髪は豚に食べられて僕は落武者のようになってしまった。

と同時に、

クチャクチャとよだれを垂らす夜の島国

芭蕉が詠んだという一句が豚の額に浮かびあがった。

幼少の頃、隣に住むフランス人がこんなことを言っていた。
「コノクニハタベモノガフクヲキテアルイテイル!」

時計でいうなら3時のポーズをしたら死んでしまう
すなわち横投げの星の下に生まれた囚人だ。
「はめられた!」と叫んだ。

サイドスローの歩く灰。これが僕だ。
自殺しないかぎり死ぬことはない。
僕は戦争をする。死ぬことはない。



中西哉太君の前衛小説の冒頭――

《寒かった。さむくて、和博はストーブに近づいた。一月六日。母は、「ごはんを、」といって、イチゴジャムとバターロールを床に置いた。彼は、アニメを見ながら、食い始める。いつものこと。今日は、タートルズ。ドナテロ、ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルドの中ではミケランジェロが好き。
 寒くてもっと近づいた。ストーブにくっつきそうだけど、テレビも見続ける。彼は「離れて」って言われた。もうテレビは見ているようで見ていない。ストーブが暖かすぎて。
 ストーブは「もっと近くに」って彼を呼んでいた。彼もそれに応じる。

 暖かい

 彼は、ストーブと一緒になっていた。白いストーブと赤い火と彼と。一緒になって、朝の七時半を過ごした。とても温かかった。
 目玉焼きの匂いがした。誰もが泣きはじめた。彼は、まだ一緒にいたけれど、違う彼は泣いていた。階段まで駆けて行って、誰かが気づいて彼を止めたけど、その人は怪我をして、床も少しよごれた。
 次に、気づいた時は、彼は風呂場でシャワーを浴びていた。「なんで、めだまやきの匂いするの」って言ったけど、もっとくさい硫黄のような、それこそ腐った卵。だけど、そんなことはしらなくて、隣家の朝食の目玉焼きの匂いだと信じて疑わない。
 外に出て、彼は自分が焼けていたのを知った。あんなのに騙されたのか。彼は、上半分の皮がはがれかけて、白くなっているのにも気づいた。ビロンビロンの白い皮に触りたくて仕方がなかった。》



むろん以上のような変態オンパレード(笑)だけではない。
大学一年だもん、可愛いのだって当然ある。

金ミン希さんのは内的モノローグの連鎖が詩心を誘うマンガ。
第二次大戦前に夭折した韓国の詩人ユン・ドンジュの詩と、
『不思議な国のアリス』からインスパイアされた部分もある。
ゲ、こんなに画が巧かったのか。
僕は日本の前衛マンガ家・岡田史子をおもった。同様の詩性だろう。

桜庭愛子さんのマンガだって負けていない。
こっちはボールペン書き、
フキダシ内もキムさんのように写植っぽくなく
鉛筆書きではあるが、幻想譚として一本線が通っている。
イラストレーターが自分の腕に刺青として魔王を彫る。
魔王は実体化、才能開花など三つを約束する。
イラストレーターには、人に顔を見られてはならぬ試練も加わった。
彼が刺青を施した者は次々と野望を叶えていった。功利的関係。
その彼があるとき寂しげな少女の腕に妖精の刺青を彫る。
美しくやさしい画柄。
少女はイラストレーターの顔を見たくおもう。
しかしその瞬間、イラストレーターの躯は
魔力によって空中に拉し去られていた。愛の関係が宿ったからか。
桜庭さんの描く顔はすごく見事だ。
誇張的でイラストレイティッドに躍動している。



初めて映像作品を撮ったのが諏訪由子さん。DVD提出。
自らの歩く足許、
日常の行き来の範囲、室内など身近の風景が撮られ、
それがフェイドイン/アウトで結ばれるなど
「私」を除外したミニマルな「私」映像だとおもっていると
崖の苔、トンネル、傘などが
幾何学図像となって映像の均整を打ち破る斬新な展開があり、
父親の声が入り、
自分の映像を再生する画面内画面が入ってきて――
編集ソフトもままならぬ状態のはずなのに映像を自在に操っている。
しかも勝ち誇ったようすもなくそこに静けさが貫かれている。
似た才能を瞬時に想起した。
『ビデオレター』における寺山修司ではなく谷川俊太郎だった。
新座に転入すべきか、とまでおもった才能だった。

写真を提出したのが寺岡美智子さん。
小ぶりなスケッチブックを写真集に見立てて
彼女の撮った写真が見開き左頁に貼り付けられている。
右頁はスパルタ・ローカルズの曲「ロマンチックホテル」の歌詞が
分断され、ほぼ一行か二行ずつ余白たっぷりに貼られてゆくだけだ。
これは一種、映像におけるテロップと似た作用をする。
ともあれ写真はその歌詞に触発され、
ただし「まんま」ではなくイメージ的飛躍のあるものが
寺岡さんの現実と近いところから綺麗に採取されている。
風景写真としてすごく清新な感触がある。
これは何か。写真(集)という形式によって
PVと同様のものが発想された、ということだ。
寺岡さんの提出物はだから、この擬似写真集とともに
カセットテープが同封されていた。
僕はグレイプバインの曲に似た感触のある
「ロマンティックホテル」を聴きながら
歌詞の出現に合わせて頁を繰っていった。
小さな至福――。この提出物は発想が可愛い。

僕の理解を超えていたのが、中里周子さんが提出した衣裳。
通常、期末レポートは僕の自宅に段ボール郵送されてくるのだが、
教務課から、「どうしても箱に入らない提出があって
取りに来てください」という悲鳴にも似た電話が入る。
で、僕ははるばるたった一個だけの提出物を
立教くんだりまで取りに行ったのだった――傍迷惑な奴(笑)。

受け渡すとき係のひとが苦笑している。
デパートの大型紙袋から薄い布がはみ出している。
僕も苦笑。「こんな提出物、前代未聞ですよね。衣裳かなあ」。
「ハイ、たぶん」――係のひとは笑いを懸命に噛み殺している。
オイ、中里さん、いくら俺がサブカルノンジャンルだからって
衣裳の採点はできないってーの。
できないから当然あんたの評点も「S」。



とまあ、破天荒な提出物の色々を、字数の掟も破り通覧してきたが、
中に「完璧な小説」が2篇あった。

一つはこの欄ではH・Sのイニシャルで既出の佐々木悠さんのもの。
ロリータ官能小説。
ったく、生徒の提出物で危うく勃ちそうになるなんて
これも前代未聞だった(笑)。
凝縮された散文詩的文体。俄かには各文の関係性が掴めないが、
やっと掴んだ途端にこの妖しい反世界へと一挙に拉致されてしまう。
鴉が白い子猫を攻撃しているさまにたいし
少女は男から「見ること」を強制される。
鴉は子猫を完全に死体にする。
その子猫の眼球を口に含んでの少女と男の交接。
描写は基本では暗示的だが、
ときにあからさまな箇所があり、その緩急の呼吸に完全にヤラれる。
バタイユ『眼球譚』の参照があるとおもうが、
球形連鎖は組織されていない。
こちらの球形は「現代的に」脆いのだった。
少女の口のなかの猫の目玉が最終的にどうなるのかは内緒(笑)。



もうひとりは佐藤瞳さんのもの。
いつも夢に出てくる幻想風景にヒロインが実際に召喚され、
破局を迎えるまでが
事態の刻々判明というスリリングな筆致で破綻なく描かれる。
佐藤さんらしく、ヒロインの過食-食べ吐きのディテールが
これでもか、の迫力に満ちていて(笑)、
最初これは「自傷系」小説かと身構える。
だから幻想系への連接に鮮やかな意外感が伴うのだった。
達者。破局ディテールの暗示描写ひとつでもそれは自明だ。



これらは当然、「阿部嘉昭ファンサイト」に
阿部の「解題」つきで転載されるべきものなのだが
(転載が可能であれば)、
最近、管理人が多忙でアップが全然、進んでいない。
なので転載完了もいつになるかわからず、
僕のマイミクの生徒も多いので、
とりあえずこの欄に寸評を(実名で)書いたというわけだった。

彼らの仕上げたものに接し、僕にも「変化」が起こる。
何か。創作欲が沸いてくる、ということだ。
その意味で彼らは僕のライバルだろう。
こんな関係が彼らの卒業以後も続くといいのだけれど、ね。
これらがビギナーズ・ラックではないと信じたい。

2007年07月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

最近読んだ本(1)



立教、早稲田とも前期講義が終わり、一挙に開放感が出た。
溜まっていたものが爆発する。僕の場合は読書欲だ。
僕は通常、未明起き→朝飯ののち
ふたたび短時間、朝寝をするのが常なのだが
(石川淳の習慣を倣ってこんな生活が身についた)、
睡眠を導こうと寝床に腹這いで読書をはじめると
これが、興が乗ってやめられなくなる。
ヘンにアタマが冴えているのだ。
結果、ここ2週間で異様な冊数の本を読破してしまった。

大した冊数ではないとおもうのはちがっている。
以下日付入りで書くが、
日付の跳びのあいだには
なまなかでは読了しない重量級の本を
熱心に読んでいる時間が潜むためだ。



読書が愉しくてmixi日記なんか書いてられるか
――当然、そうなる(笑)。
しかも今回の再開mixiでは
単純なレビュー書きを自分に禁じていて、
読後感を捻って日記に反映するのも何やら億劫だ。
よって用事のないときはただ読むだけ。
「連詩大興行」連載後は何とか立て直そうともおもったんだけど
用事のない日は、けっきょく自堕落な読書に耽ってしまった。
当然、映画など観ようともおもわなくなる。
ただ「文字」のみから「狂」に連接されているので。

以下、アタマのなかに溜められなくなったそれらの読後感備忘録。



【① 7月9日、松本邦吉『発熱頌』(00年/書肆山田)】
久谷雉の発案で飲み会の前に連詩メンバーと時間潰しに
池袋リブロ内、ぽえむぱろうる跡地の、詩書中心の古本屋へ。
神保町小宮山書店の詩書コーナーが半分出張した恰好だった。
『発熱頌』は定価2800円のところを500円で購入。
なぜか池田敏春への著者献呈サインがある(笑)。
僕は「書紀」メンバーでは松本を熱心に追ってこなかったが、
小池昌代さんに薦められた『灰と緑』が素晴らしく、
食わず嫌いをやめようと決意しての購入だった。

一頁ごとに語数の少ない散文詩が
版面左右中央、余白たっぷりに刷られている。
詩の着眼は微妙&丁寧、ときに冥暗で、ときにエロチックだが
80年代の「気風」を継いだキレイな詩が並び、
00年代の詩集にしてはナイーヴだとおもった。
ただ「高官」詩人のような野郎自大が、この人の場合資質的にない。
好感裡に読了。また開くかもしれない。

【② 7月9日、瀬尾育生『モルシュ』(99年/思潮社)】
前書と同日に購入。定価2200円のところ1000円。
瀬尾さんがランズマン『ショアー』騒ぎのとき、
まずは石原吉郎のエッセイから個人性を剥奪された死の無惨をいい、
返す刀でランズマンのユダヤ的な「偶像不在」が
ナチスの頽廃芸術展での焚書と同じ「敵の論理」に乗っていると
喝破したのは一部で話題となったはず。
その時期の詩作=思索が、この詩集では集成されている。

瀬尾さんのその後の詩集『アンユナイテッド・ネイションズ』は
連詩の会でも森川雅美さんと僕が話題にした。
森川さんは批評用語と詩語の混在を絶賛する。
僕は瀬尾さんの詩集の愛唱性と再読誘惑の少なさに疑義を呈し、
一方でドイツ文学者としての瀬尾さんの評論の突出をいった
(カネッティやベンヤミンを
これほど有効的に文脈へ援用する人はいない――
そして瀬尾『戦争詩論』は間違いなく最近の詩史書中の金字塔だ)。

相変わらずの散文詩。
『アンユナイテッド』よりも『モルシュ』は読みやすい。
単純に、分量が少ないせいだ。

炙り出しのように現れてくる無彩色で重いイメージは素晴らしいが
瀬尾さんの「息」について考える。
行分けをしない瀬尾さんの息は散文の句読点の狭間に
微妙に揺曳していて、そこを掴まないと詩を本当は肉化できない。
緊張と疲弊をしいられる。
しかも「語調」や「喩」で読者を陶然とさせることも禁欲される。
瀬尾さんは「るしおる」での稲川方人との対談連載により
稲川さんと、ひとからげにされることが多いけど
実はその詩に前提される「気風」が見事に掴めない。
圧倒感はいつも保証されているのだけど
僕はどこかで愛着を諦めてしまうところがある。論文集とはちがう。



【③ 7月10日、堀切直人『浅草・大正篇』(05年/右文書院)】
発端は今春、女房とウォーキングに行ったとき
新小岩の古本屋で買った堀切『浅草・戦後篇』だった。
ずっと積ん読にしておいたのだが、
ちょっと前に読み出したらひたすら圧倒された。
浅草の詳細と匂いと地勢を伝える文献の引用、
ほとんどそれのみに原文はよっていて、
それらを連接する堀切直人の地の文は極度に控えられている。
街を実質化するため、文献を無作為に引用してゆくやりかたは
ベンヤミン『パサージュ論』をも髣髴とさせて
慧眼・坪内祐三はその旨、ちゃんとどこかに標したらしい。

その『浅草』は上記に加え『本篇(戦前篇)』『江戸・明治篇』と
4部作で構成されていて、一頁50字詰×19行の版面。
とても現代の版面ではないくらいの詰まりようだが(笑)、
各巻が大体、400頁もある。
よって4部作全部を読むと『失われた時を求めて』を
半分程度読んだほどの分量になるのではないか。
それでいて、一切の疲労感が来ない。
それは堀切さんの文学愛と資料渉猟力が並大抵ではなく
「土地」の匂いが蔓延して五感が魅了されてしまうためだ。
「私」は実在として消えた時空をさまよう。

当然、知られていない「エピソード」に動悸することになる。
浅草十二階(凌雲閣)は、明治期には大したランドマークだったが
大正期にはもう陳腐化していた(それは震災で崩壊する)。
その足元に伸びる悪所「十二階下」を
文人がどう通ったかがこの巻の検証方向のひとつとなる。
石川啄木ローマ字日記のローマ字の向こうに秘匿させていた
売笑婦を媒介にしての、啄木の暗い自己蕩尽熱と女性蔑視。
それは息を飲むが、フェミニズム的に道義非難をしても始まらない、
「地獄に堕ちる」情熱の凄さが何から来しているかを
堀切は周辺文献も絡めて見事に炙り出してゆく。
この啄木と堀辰雄にかかわる記述が本書の偶像破壊の双璧だった。

堀切直人は、澁澤龍彦一家の丁稚格、
専門は日本(幻想)文学に特化したひとだとおもっていたが、
大きな誤解をしていたとおもう。
博覧強記をそうみせず
「引用」が馴染んで透明化してくるという意味では
草森紳一の凄さと比定すべき才能だったのだ。
一行の裏打ちに異様に元手と手間がかかっている。
このシリーズの完了は05年。
出版文化的に最大に慶賀すべきことなのに
何かの賞を獲得したと聞いたこともない。摩訶不思議だ。
文学と土地について思考したい向きには今後永遠に
必須文献となるだろう(森川雅美さん、読んでみては?)。



【7月15日、古谷実『わにとかげぎす』第4巻】
『わにとかげぎす』は今年の立教/早稲田のJコミック講義で
そのときまで出ていた第3巻までを扱った。
若い女の美的形象に不穏な形象を混ぜる画柄の混在性、
そして「人生の蓋然性」を念頭に置いたストーリーラインは
3巻まででも『ヒミズ』『シガテラ』と同等のものが貫かれている。
しかも『わにとかげぎす』では3巻冒頭まで活躍した主要人物が
一旦「リセット」される。
そうなると『シガテラ』同様、人物の「再登場場面」の圧倒感を
当然、期待することになるが、
この最終巻ではそれがついに訪れなかった。
どうしちゃったんだ、というほどの流産の印象。
サイトを見ても、「失敗作」の評が渦巻きだしている。
平凡な人間が巻き込まれる運命の非凡という主題設定が苦しいのか。
結局、2巻ラストから3巻冒頭、
「事件」が運命の蛇のようにゆっくりと/唐突に
渦を巻き始める不穏さ以上の場面がその後、登場しなかった。

「わにとかげぎす」は中海域に棲息する海魚。
中海域は明るく、捕食されるのを避け自身の魚影を消すためにこそ
その魚は発光機能を用いるというのだが(面白い習性だ)、
「シガテラ」の毒連鎖や、
「ヒミズ」の、モグラとちがう半地下性といった
題名とマンガ主題との微妙な連関も感じられなかった。
魚名には「わに/とかげ/きす」のキメラ合体があるが
ストーリーの捌きにキメラ性も感じられなかった。
古谷実は自己変革期に入ったのだとおもう。



【④ 7月15日、森川雅美『流れの地形』(96年、思潮社)】
【⑤ 同、森川雅美『くるぶしのふかい湖』(04年、思潮社)】
13日金曜日に三村京子のワンマンライヴが下北沢レテであって
(三村さんは2時間20分の長丁場を唄いつづけた――
曲の持ち数の多さとともに声がつよくなった点に驚嘆した)、
そのとき同席した森川さんからじかに恵贈を受けたもの
(その日、森川、三村、阿部は下北のお好み焼き屋に朝までいた
――kozくんは試験準備のため途中で帰った)。

僕は森川さんの詩が地名を契機に想像を羽ばたかせることは
何となく「知識」で知っていたが、詩集自体は初見参だった。
森川さんの詩語はいい意味で硬質だとおもう。
たとえば短歌的喩を内在させると、
もっとしなやかな語の連関も生ずるのだが、
たぶんそういった点にも拘泥しない。

『流れの地形』は永福(町)。
善福寺川が一帯を貫流していて、
その水の流れが、他の「水の流れる場所」をも召喚してゆく。
空間の広がりがそうして付帯してゆく。
「他の水」への意識、「水はもう流れてしまっている」という諦念、
それらが『流れの地形』冒頭2行、
《「事後を生きよ」と/ささやく声があり、立ち止まる》
に結実している。
「立ち止ま」れば、「記憶」が存在を浸潤してくる。
「水」に領域をつないだ身体や思考は
半透明化や失踪を予感する不如意にも包まれる。

ただその主題は現代詩では一種の常套にもなっている。
僕の感想では、『流れの地形』は詩想がその域を出ず、
その範囲で周回している。
その「周回」に水の属性が現れるといっても
詩の「意味」は次段階へと突破しなければならない。

で、突破したとおもうのが『くるぶしのふかい湖』だった。
そこには「爆発」の瞬間が待ち構え、
一旦「爆発」が起きると水に限局されない地上が出現し、
同時にその時間が罅割れだすという圧倒的な運動が起こる。

僕はマイミクさんの作品は
できるかぎり日記で詳細に考えることにしている。
日記の機会性がそこにこそ現れるとおもうからだ。
幸い、前回の僕の日記のコメント欄では
森川さんと「詩の語調」「行の運び」の話になった
(皆さん、見落としはありませんか?
僕は女房のPC仕事の合間にそそくさと書き込み欄に打ったので
すごく打ちミスが多く、恥しい)。
何か他の媒介項もつかい、「語調」「運び」の着眼で
『くるぶしのふかい湖』論をいずれ書いてみようとおもう。



と書いたところで、規定字数に日記が達してしまった。
よって「最近読んだ本」については
明日以降、また続きを書くことにします。

今週の僕は「採点」に一心不乱にならなければならない。
今日はまず、
期待の立教文思一年生の期末レポートから採点するつもりです。

2007年07月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

失策する眠り

【失策する眠り】


熱い。
ひとりは熱い。
寝床すべてを水枕と見定め
ガバリこの躯は投身させた
背後にいくらかの抛物を感じて。

駢儷していますが
尿を刻々膀胱に溜めているの自覚どおり
すでにして酔眼もビショビショじゃないか
破れつづけた三十年の袋
行く先々を濡らした――ここでも。
眠りは失策、差引いても座礁のかたちをとるが
以後は眠ることでしゅうへんを貪りつづける
私の変化、見て
(ソレハ)(起きてるように)気持ち悪いよ

暗いは暗い」 復路、満てよ」
暗いというのはビショビショということ」
そう、やはり例外的な水を考えている
黒の頭部が私の寝顔を俯きに流す。
かたどおり寝る水路に絶えだえと《浮く》

夢では畔の姿を一心に追いあつめて
真ん中に 字のさんぼんがわ
苛烈すぎてもう水分もない だろう

(夢では)、《あふみ》と名のる家出人を
胡坐のうえ後ろ向きに傾けていたかった
(ふたり)でつくる字が放埓に似るように
水の傾斜が 日時計二時の角度に重なる(ように)

もう駄目、
暗いというのは遅いということ」 復路、満てよ」
それは華厳?
霰の、くだる、みらいの川は

2007年07月20日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩大興行(4)



(承前)

明道聡子さんと阿部嘉昭との「連詩」
(それはニコラス・レイの映画『孤独な場所で』と反響するように
最終的に『木霊する場所で』とタイトルされた)は
05年9月から06年2月までのメールでのやりとりによる
(添付文書をどんどん「加算」させてゆくやりかただった)。
前回言及した『詩のリレー①』が、
06年1~7月の「リレー」だから
部分的には制作時期が重複していたことにもなる。

まずは、作例をペーストしてしまおう。
やりとりは第9回と第10回。
またも論議上、詩行アタマに算用数字を付すことにする
(繰り返すが、全体を確認したければ「阿部嘉昭ファンサイト」へ)。



(第9回:明道聡子)

1 我々は電車を乗り継いで逗子へ行き
2 「自慰マシーン」を見た
3 泡の白さとマグリットへのオマージュを
4 「欲望の指紋検査」
5 「おねがいさわって!」
6 そこにはシュヴァンクマイエルの指紋が強く残されていて
7 容器となった私は
8 冷たいものを入れられ
9 水平線に眼を移す

10 強ければいいというわけではない
11 我々は多くを求めず
12 我々はそれでも、それでもと
13 水平線と同化した樹と、ひとり
14 接吻をして

15 「リアリズムのコラージュ」で生きていた頃
16 穴八幡で待ち合せをした我々は
17 結局目白まで歩き
18 蛍光色の酒を飲み
19 トイレに行って、21時に別れた
20 どこにも繋がらない海だった
21 校舎に恋をしていたんだ

22 「彼女」は痩せすぎている
23 ただ、不可能を陳列し
24 食虫植物のように
25 甲虫を次から次へと蒐集し
26 消化しないまま吸収していく
27 しかし堂々とその醜態を身につけて

28 霖雨の中
29 誰も知らない狭い世界の
30 最後の樹に



10《強ければいいというわけではない》は
その前の阿部の第8回中の引用詩句
(「アメイジング・グレイス」の2番から採った)
《かつて私は弱く いま私は勁い》からの変型引用。
28《霖雨の中》の「霖雨」は
連詩中、第6回、第7回でやりとりされていた言葉で
実際、この05年の秋は長雨が甚だしかった。

20《どこにも繋がらない海だった》は詩的起源が遡行する。
第7回の明道さんの詩句に《線路へと続く汚い女》があり、
それを受けた僕の第8回の詩句には
《「線路へと続く」泥棒/「埠頭へと続く」坑夫》の2行があった。

さて1《我々は電車を乗り継いで逗子へ行き》は
確実に彼女の「現実」から持ち出された詩行だろう。
この「我々」が具体的に誰かはいま不問にするが、
ある美術展を観覧した感慨が詩作の動機にあって、
それが7~9行、《容器となった私は
冷たいものを入れられ
水平線に眼を移す》の魅惑的修辞へと結実している。
女性的な受動性のイマージュ。
しかし「眼前」領域からの逼迫にたいし眼は遠見をしていて、
しかも最終的にはその視覚対象が
13行目の《水平線と同化した樹》と化合して
29~30《誰も知らない狭い世界の/最後の樹》へと定着する。
受け取る側の僕は美しさと同時に「愛の脆さ」も感じた。

その他、21《校舎に恋をしていたんだ》は
僕が明道さんとしていた話題、
立教生特有のグラデュエーション・ブルーに関わっているし、
22 《「彼女」は痩せすぎている》の「彼女」も
僕の誤解でなければ、僕と明道さんの共通の知人を指している。



明道さんは聯で現実修辞と詩的修辞を明瞭に分けることをしない。
結果、逗子での美術展と
穴八幡(早稲田文キャン近くにある神社)での逢瀬の体験、
この二つすら溶融的に詩篇内で並立してしまう。

ともあれ、この詩篇の眼目のひとつは
女子には使用困難な詩句2《「自慰マシーン」》を敢えてブチまけ、
受け手の僕を挑発してみることだったろう。
そのなかに彼女は備忘録をつくるように
恋人との「現実」をも組み入れていたのだった。

対する僕はどんな「受け」をしたか――



(第10回:阿部嘉昭)

31 すべてを捨象して疲労そのもののように
32 ゆるやかになることができるか
33 錨が下りて緩やかになる海のように
34 潮の干満で自らを永遠に撫でることができるか

35 世界の、複数の自慰マシーンから
36 音楽すら流れてくるが
37 その自体性には王権の乱立をみてしまう

38 慰撫の唄 慰藉の息
39 あらゆるものを言葉にしようとして
40 角砂糖を噛んだのちに喋った少年期
41 いま暗闇に沈めば
42 口から気味悪い星光が漏れている

43 胃が問題なのか 胴が問題なのか
44 それとも天と地とを介在させる、
45 人の「架橋性」がすべて腐敗しているのか

46 《紫木蓮まで》《白木蓮まで》
47 暮れのこって まだ
48 誰も知らない明るみにある
49 最後の樹に辿りつくため
50 その歩調も夢みた

51 音楽の講義は苦手
52 対象を分析するうち自らの言葉を失う
53 「言葉未然」と「言葉以後」に挟撃されて
54 それが「私の」神聖を暗鬱の底へと追いやった
55 罰当たりめ
56 私は「数年前から」いないよ

57 われらの指紋=足跡はのこすな
58 手音=足音は響くにまかせてよいだろう
59 そのように草稿を書き
60 そのように校舎へ赴く



35《世界の、複数の自慰マシーンから》。
明道2《「自慰マシーン」》は複数化され、世界大に飛躍する。
その35~37行には明らかに福間健二の詩の口調が模されている。
ただしその前、31~34行では、自慰にともなう「撫でる」の動作が
波動の繰り返しへとすでに転轍されていて、
38《慰撫の唄 慰藉の息》では呼吸の反復にも付け替えられる。
連句を意識した「見立て替え」の「受け」だ。

その「息」から39~40《あらゆるものを言葉にしようとして/
角砂糖を噛んだのちに喋った少年期》で
コクトー風のナルシスティックな述懐にまず転回し、
それが41~45行では或る無惨さへと破産してゆく。
自画自賛になるが(笑)、詩的イマージュの展開スピードが
すごくうまく機能しているとおもう。

明道さんの詩句を繰り込みながら(あるいは繰り込むことで)
「私の現実」にかえって魔法がかけられる恰好といえばいいか。



明道さんが示した「遠見の視覚対象」《最後の樹》についての対応が
僕の46~50行の内容だ。
46 《《紫木蓮まで》《白木蓮まで》》は、
当然、阿木津英『紫木蓮まで・風舌』中の名吟、
《いにしえの王[おおきみ]のごと前髪を吹かれて歩む紫木蓮まで》
からの引用。
この一首の歌想を汲み、僕は視覚対象ではなく、
その視覚対象に近づく仕種のほうが大切だと見立て返している。
それが、50《その歩調も夢みた》。

ただ、51行以下は、現実の僕が近づくのは講義をする教室で、
そこではどこかで自己実現が不能な幽霊として僕自身が
学生に対峙している、という痛覚が滲みはじめている。
57~58《われらの指紋=足跡はのこすな
手音=足音は響くにまかせてよいだろう》はまさにこのとき
早稲田の二文のJポップ講義で扱っていた、
柏のインディバンドKamome Kamomeの歌詞の変型引用でもある。



ということで、この僕の「返し」の詩篇にも
僕の「現実」が複雑に/溶融的に「交響」していることになる。
明道さんの「人事」に、僕の同時期の「人事」が対比され、
しかもそれは「木霊」はしているが共有はされていない。
こうして――世界大の「不如意」が
ある抒情的感慨のうちに前面化してくることにもなるが、
これこそがメールのやりとりで連詩を作る営為に直結している。



なぜ、このように個々人の「人事」が混入してくるのかといえば、
もともと「自分の現実を織り込もう」という約束があった以上に
相互の詩篇の長さを30行にしようという縛りがあったためだ。
30行の詩作は人によっては長丁場で
(久谷雉などは30行なんて書けない!と喚いていた-笑)、
そこに純粋詩想の詩行と、自分に体験に基づく詩行が混在すると
各行の運びがそれ自体で連句的な見立て替えの反転をも呼び込む。
そう、このようにして、詩篇に内在的に連句性が保証される一方で
やりとり自体も当然に連句性に向けて炸裂する
――これが明道-僕の作例のポイントだ(拙いが)。

それは相手の詩篇総体をひっくり返すというよりも、
相手の「部分」、象嵌されている詩句の見立て替えを動機とし、
その見立て替えを孕みながら、
相手の詩篇自体は素直に
「受ける」「継ぐ」という感覚に近いともおもう。
僕の例でいえばこのとき自分の詩篇の中心にあったのが
明道さんの詩句《自慰マシーン》と《最後の樹》で、
これが自発性ではなく他律性から出来したものだから嬉しいのだ。



今度の僕らの連詩の第一回会合(7/7)では
詩句に自らの「現実」を組み入れ俗塵の広がりを出す、
という約束事はすぐに了承されたが、
明道-阿部の作例を踏襲して、
各篇を、行アキをカウントせず30行にするか否かで動議を諮った。
僕はもっと長くてもいい、とおもったのだが、
森川雅美さんが、「やっぱり30行がいいよ。
20行だと詩篇が凝縮的に結晶化してしまうし、
40行だと詩篇内部の詩行同士の連絡が行き渡りすぎる。
30行こそが詩性の現出に「不足」をしいられる行数で
この「不足」がないと、連詩の「受け」「渡し」のやりとりが
成立しないのではないか」と意見をいい、
やはり30行で、ということになった。



この会合での最大の論点は
連句でいう発句(挨拶句)をつくる第一篇制作者を誰にするか、
ということだった。
森川案では、安定力からいって小池昌代さん。
ところが小池さんが固辞をつづける。
森川「じゃ、杉本さんかなあ」。小池「そう、それしかないよ」。
無責任なお姉さんだ(笑)。
で、杉本真維子は小池さんの選詩欄での評価によって
詩的キャリアを開始した人だから
当然、小池さんにはビビりまくっている(笑)。
いっぽう小池お姉さんは、このときもニコニコ顔だったが
そのニコニコ顔で人を殺す名人芸(笑)をみなが知っている。
結果、第一篇制作者は杉本真維子さんに落ち着いてしまった。
ご愁傷さま(笑)。

杉本さんが最初だと、その詩風からいって
「凝縮」「刈り込み」を、
以後みなが競演することになるかもしれない。
一方小池さんなら晴朗で明晰な詩行の運びを実現しようと
みなが躍起になっただろう。
「発句」はそれほど「座」の全体性に影響をあたえる。
だから芭蕉も神経質になったし、
小池さんも杉本さんのお手並み拝見、となったのだ。

「小池調」が全員に蔓延することはひとつの愉しみだった。
今回はそれが以上のような流れで難しいかもしれない。
だがそれはまた「次回のお愉しみ」にすればいいだけのことだ。

ということで、僕らの連句の方法、理解されただろうか。
いやあ、長い連載になってしまった(笑)。反省してます。

(この項、終わり)

2007年07月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩大興行(3)



(承前)

僕らの連詩のメンバーに入っている杉本真維子さんは、
ふらんす堂で出された『詩のリレー』のメンバーでもある。
ほか手塚敦史、森悠紀、杉本徹、青野直枝、
キキダダマママキキ、江村晴子各氏が同書に参加した
(なお、『詩のリレー』第二弾には
僕らの連詩メンバーでは久谷雉くんが参加している)。
この「詩のリレー」が僕らの考える連詩のありようと
発想がすごく近似しているとおもう。
ではその「詩のリレー」の規則とは何か――
同書の「緒言」部分から引用してみよう。

《この「詩のリレー」のバトンは、
「作品の一行」です。
前の走者の作品の一行をかならずとりいれて書くという
(詩歌の本歌取りの)制約の下に進んでいきます。
但し第一走者のみ、任意に作品を選んでいます。》
(ちなみに第一走者・手塚さんは
稲川方人『2000光年のコノテーション』から一行を採った)。

話の契機に、杉本真維子のものを全篇引用してみよう
(またも、論議上、詩行アタマに算用数字を付す)。
ちなみに杉本真維子さんの詩篇は森さんから「受け継がれ」、
杉本徹さんに「手渡される」第三走者としてのものだ。



【或る(声)の外出】

1 いくつかのリズムの内壁に、跳びかかるべき距離を測っている
2 ぼくらはまだ脱色のように少しいたい
3 がむらんの響きを合図に
4 横になったまま暴れている星型の叫びをつなぎ、
5 (シュッ

6 「ならぶ花火の、あつめられた手のひらを言え」

7 円陣をくんで、汗ばんだ空をまさぐる
8 うす暗いへやの奥では
9 猿がむきあってトランプを混ぜている

10 与えられたすきまのための身長ならたたむ
11 背丈ほどに髪ものばし
12 くの字に折って遊ばれる
13 人形のように
14 あるひいとこにさらわれて失くされた

15 あのひと、ぼくらの、最初の声は

16 かたかたと庭先を出ていく
17 改札で白い杖にからまり
18 無言の人形がひとを泣かせてもすすむ



1行目と6行目が前任・森さんの詩行からのそのままの抜き取り。
もともとこの「詩のリレー」は
第一走者・手塚さんの詩が像の危うさを提示し、
風景のなかには水泡(みなわ)のような少女幻像もつむぎ、
同時に「語体」も描かれるものに伴って
変幻の危なさを盛る、という着想で始まっている。
第二走者の森さんは、手塚さんの立ち姿を踏襲し
水に混ざらぬものとして音=音楽をはっきり混ぜてみせた。
その音楽をさらに「声」に特化してみせたのが
第三走者・真維子さんだったといっていい。
そして音のなかに幽閉された自らには
「人形性」という、「少女性」に紛うもののズラシも組み入れた。

3行目、唐突に出現するかにみえる「がむらん」は
森さんの以下の詩行に負っている。
《転写して抜けてゆく、みず(みずからテープレコーダーが
音声を写生する、
なかにがむらんの響きがががとらえられている鈴ががが、
といういきものの波形がとどくから、[・・]》。
あるいは7行目に現れる動詞《まさぐる》も
森さんの以下の詩行に拠っている。
《あかるい肉をうごかすためのいちばんいい骨のありかを
はたらきながら彼女(は
彼女のなかのゆび)はまさぐりつづける》。



この「まさぐり」にたいして自己連句的な「展開」をおこない
動詞群を活用形の外に、別種として展覧させることが
真維子さんの詩想の最初の着眼ではなかったろうか。
7《まさぐる》→9《混ぜている》→10《たたむ》
→12《遊ばれる》→14《失くされた》。
もともと性的危険のあった「まさぐる」の用語が
さらに性的幻想の度合いを加え、
それがしかし「失くされた」で行方不明となる。
この「行方不明」と詩全体のイマージュの結像困難が
ここでは相即しているのだとおもう。

もともと杉本真維子さんの詩にはそんな気配があるのだが、
森さんの詩から採って詩行に出現している
6《「ならぶ花火の、あつめられた手のひらを言え」》に
魅惑たっぷりの結像不能性の強度が優れて満ちているとおもう。

6はどう解釈すべきなのか。
数人の花火遊びで花火に明かりする手が見られているのか、
あるいは花火大会で夜空に刻々と開く大輪の花火を
「手のひら」と隠喩しているのか。
いずれにせよ、命法は命法特有の明瞭な内容を欠いていて、
それに対し、真維子さんは、
括弧閉じをしない5《(シュッ》という、
マッチを擦る音だけを「斜めから」交錯させた。
させたが、7《円陣をくんで、汗ばんだ空をまさぐる》では
花火大会が暗喩される色彩をつよめてみせてもいる。



解釈――ズレ。それを「運ぶ」こと。
この経緯にすでに「連句」性があるし、
その「連句」性は、前言したような《まさぐる》以下の動詞連鎖で
真維子さんの詩篇そのものの行の運びにも点綴されてゆく。
で、詩の主体が、
隠れされている「ぼく」(「ぼくら」ならある)なのか、
13、18にある「人形」かも、不分明になってゆく。

この不分明性を真維子さんは最初から予定している。
2《ぼくらにはまだ脱色のようにいたい》の「いたい」は
(場所に)「いたい」の願望の意なのか、
それとも「痛い」の痛覚の意なのか。
読み筋が二様に取れるのは「脱色のように」の直喩が
意図的に乱暴だからだ。

乱暴といえば、
真維子さんは連詩の「受け渡し」は乱暴のほうがいい、
と考えているともおもう。
4《横になったまま暴れている星型の叫びをつなぎ、》に
そうした彼女の志向(嗜好/思考/試行)が現れている。
真維子さんって、どっかがパンクなんだよね(笑)。



像を結ばず、凝縮の果てに静かなままの閃光を発する
「片言」で畸形的な杉本真維子特有の詩行の運びは
それでも標題【或る(声)の外出】と共謀して、
全体的には朧ろげな「物語」を紡ぎだすようにおもう。

音に幽閉されている主体がいる→
引きこもりに近いその主体には
理不尽なものに凌辱される気配が絡み、人形性を付与される
→それはやがて外界へと出立する
(その身体の出立と、声の外出とが同位だと詩の全体が語る)



いずれにせよ、途上で途切れてしまった
15《あのひと、ぼくらの、最初の声は》に残されている
祈祷と起源回顧と、聖なるものへの寄り添いとの心情が
このような欠落態の狂言綺語へしめされているさまに
圧倒的な魅力を感じてしまう。



17《改札で白い杖に絡まり》には明らかに凶暴さがある。
自分の歩行により盲人をなぎ倒したような暴力の気配があるのだ。
ところがそこでは「改札」という詩的なトポスだけを
イメージとして残存させるような意志がある。

ともあれ、「刈り込み」によって言葉を発光させる真維子さんの詩は
やはりいつも「凄い」。性的にゾクゾクきてしまう(笑)。



続く杉本徹さんの「十二階」と題された詩篇も
全篇引用したい素晴らしいものなのだが、
長くなるのでやめておこう(笑)。

題名に往年の幻のランドマーク、浅草十二階が朧ろに隠され、
その螺旋階段を昇ってゆく気配を
詩行の全体が演じることになる。
「出てゆく」という真維子さんの詩の運動は
そうして「螺旋を上る」に連詩=連句的にズラされ、
その幻の主体の視界を襲うイメージも
これまた像をはっきり結ばない程度に間歇的に流されてゆく。
同時に徹さんらしい詩句のロマン化が見事だ。

真維子さんから採られた詩句は
《人形のように》と、若干の変型を施した《(ぼくらの、最初の声は)》。
そして真維子さんが明示しなかった「燐寸」も書き込まれ、
「改札」もまた「乗り継いだ駅」に変移する。
さらに徹さんの引用は「テープレコーダー」など、
真維子さんの前任者・森さんの詩句領域にまで遡行してゆく。
全体に知的な営為の緊張が貫かれている。



ふらんす堂『詩のリレー』をこのように解説をすることで
前任者が詩篇に部分として散りばめた
「詩語」「フレーズ」を見立て替えして自らに取り込み、
自詩を、ズレを孕んで展開させてゆく
その醍醐味が理解されたかとおもう。

そこでは、詩を書く主体が半分透明化してしまう。
合作の全体に詩各篇の主体の半分が溶ける、ということだ。
だから杉本真維子も「声」を「(声)」と書いたのではないか。



芭蕉連句では語句の重複を嫌う。
あるいは4行聯連詩でも語句の重複が同様に厭われるだろう。
一篇という単位で示される持ち分があらかじめ少ないそれらでは
「重複」を生じると詩世界が痩せるという判断があるはずだ。

ところが一篇が長ければ、語句の重複を内在因子にして
詩の受け渡しにズレを組み込む連句的な機略を獲得できる。
憶いだしてほしい、
前回日記で引用した、稲川方人の連句的運びの詩行にさえ
すでにフレーズの重複が明瞭だった、ということを。



「詩のリレー」の解説で予定の紙幅を使い切ってしまいました(笑)。

次回、最終回は、今回の連詩メンバー、
明道聡子さんと阿部嘉昭があらかじめおこなっていた連詩から
語句の重複とズレをさらに例に出して、
僕らがおこなおうとしている連詩の方法をより詳しく考えてみます。

(この項、つづく)

2007年07月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩大興行(2)



(承前)

つまりは、連句的時間がある、ということだった。

あらためて整理すると、
多人数で局面局面の「五・七・五」「七・七」に句作の役割を配分し、
前句をうけてトータル36句を進行させ完成させる際に、
一句・一句の接合面には機知によるズレ(見立て替え)があって
それで時間・空間が単純接合ではなく
ダイナミックに反転する側面ももっている、ということだ。
こうした手つきから通常の「ただ流れるだけの」時間とはちがう、
スケールの大きい、「人事」の匂いに溢れかえった
翻転を繰り返す詩の時間が成立してしまう――
芭蕉を宗匠とした一座の連句の醍醐味はまさにここにあっただろう。

僕はたまたま芭蕉、芭蕉、としるしているが
門人、地方の粋人、金満家(これらが多く開催者となる)など
多彩なメンバーによって開かれる連句の座は
集団創作であるかぎり
一人の主体に創作の全体を帰することもできない。
むろんそれはそれ自体でユートピックな光景と映る。
これが「作者は死んだ」(フーコーやバルトなどの発言)を旗印に
文学解析の方向を変えたポストモダン以降の潮流とも照応し
70年代以後に、詩人同士の高踏的な連詩が
一部で繰り返された理由ともなっているだろう。



さて、分節単位とリズムのはっきりとした連句的な組成を
(自由)詩がそのまま簒奪することは構造上、不可能だ。
言葉の濃度がちがう。古語とはそういうものだし。
ならば芭蕉連句「見立て替え」の醍醐味を僕らはどう実現するのか。

たとえば4行程度の独立詩聯をメンバーで連続させてゆく
現在の連詩の多くの作例では
前の4行を後の4行が見立て替えるというような試みは
あまりなされていないようにおもう。
詩想の発展が最大の眼目で、
その付帯効果として、見立て替えではなく
「ポジジョンの立ち替え」といったものがおこなわれているのだ。
たとえば前任者が詩篇に日本的なイメージを籠めれば
後任者はそこに古代ギリシャ的なものを籠めよう、とか。

そして前任者の詩篇から透けてくる主題にたいし、
一種の批評的な肉付けがなされる――
おおかたの詩篇の「運び」の眼目はそのへんにあるのではないか。

ただそれでは空間が変転しながら、
見え出した主題の色彩が濃くなってゆく
一風変わった長篇詩の作成と選ぶところがない。
全体は実は「一貫している」。つまり作者の個別性が弱い。
だが芭蕉連句の全体性は「全体であると同時に」「割れている」。
この時間性の面白みが4行詩連鎖による連詩にほぼ見当たらない。
組成を一瞥しただけで、それが見当たらないという印象も起こる。

こうしたことは連句を「ある程度」理解したうえで
安直に連句の特性を詩に当てはめてしまった点に起因していないか。
ならば僕らは代わりの方法を編み出されねばならない。



もともと詩篇には、詩行の運び自体に
連句的なズレや跨りの意識があるものだ。
稲川方人の詩を試しに例示してみよう
(『われらを生かしめる者はどこか』より
(路傍)と括弧をつけられた詩篇単位――
論議上、詩行アタマには算用数字を付す)。



1 無常の造形としてすぐれ、
2 さらにみちたりている罪は幸福だ
3 路傍よ
4 その罪のあるところを道として、
5 うしなわれた馬が走った。
6 強烈のさとり、
7 よきもあしきも、
8 それは迷わぬいっぽんの坂を謎として
9 手をあげる。
10 乗り合いバスがきた。
11 ここに在るから、
12 のちの世の、またの地までゆく。
13 強烈のさとり、
14 生けるものの無言に一拍して、
15 やつぎばやの現代だ。
16 まぢかの永遠がみだれる。
17 もう一便、
18 乗り合いバスが来て、
19 手をあげる。
20 よきもあしきも
21 ともにかたぶいた。



上記にかんして、詩を書く者には
詩が一行ごとに発想される際の、
飛躍、回帰、気散じ、疲弊などを含んだ「呼吸」が
生々しく伝わってくるのではないか。

教科書的には坂道でバスを待つ者がいて、
その者が抽象としての「待機-到着」に
バスの実在性を超えた時間哲学を紡いでいるという解釈が成立する。
馬の幻像の提示も「本気」だし
現代を生きることの疎外意識も正直だ。

ところで行表示1、2なら美学的述志が伴われているが
詩行の運びは「路傍よ」と問いかけたところで
とつぜん別次元にズレてしまう――
この発想の飛躍がたとえば連句的なのだった。

ルフランにあたるものが詩行内に間歇的に散ってもいる。
まずは6、13の《強烈のさとり、》がそれで
僕は、これなどはすごくヘンな詩句だとおもう(笑)。
用語に無理というか駄目押しがある。

7《よきもあしきも、》、20《よきもあしきも》、
11《乗り合いバスがきた。》、18《乗り合いバスがきて、》など
ほかにも相互に近似する詩行が詩篇のなかに散っている。

これらは詩想の膠着をしるすのではない。
連句的な前後関係により一行の立ち方が微妙に異なっていること、
つまり同一性ではなくむしろ偏差をしめしていると僕はとる。

それでいながらこんな少ない全体詩行のなかで
ロマン派音楽のメインテーマのような主題回帰と似たものが
この「(擬似)反復」によって演じられてもいる。
ただこれも「同一性をともなった回帰」というよりむしろ
「ズレを孕んだ回帰」というべきで、
このときにも稲川詩の時間が
連句性のほうに親近しているという判断がさらに生まれる。

連句独吟のようにこの詩篇が書かれていないか。
そうして「孤独」も立ってくる。

ここでの稲川方人の凄いところは、
必殺詩行の提示が16《まぢかの永遠がみだれる。》、
あるいは少し点を甘くすれば、
21《ともにかたぶいた》と極端に抑制されている点にあるとおもう。
それで読む者には1-2行目とこれらのみが印象に残ってしまう。

ではそのあいだにあったものとは何だったのか。
「透明な時間の連接」だとおもう。
それがまた、詩行の連句性を指示しているというのが僕の判断だ。



詩行の運びがそれ自体で連句性を志向できるという点を
いまの例示でご理解いただけたとおもう。
例示は稲川と実は似た詩行の運びをする西脇順三郎でもよかった。

すると、逆を即座に立証できることにもなる。
4行詩篇を連鎖させてゆく連詩の方法では
その4行内から連句性が逆に奪われてしまうのだった
(4行という単位が短すぎる)。
だから4行の「単位」のやりとりだけが前面に飛び出す。
ところが、「4行単位」同士の連接では
前記のように、見立て替えがほぼ介在していない。
だから全体が単純加算の単調な印象もあたえてしまう。
そうしてむしろ見立て替えの複雑さや脱臼感の栄誉は
たとえば稲川詩が詩行の運びに内在しているものが担うことになる。



では僕らのような総計12人という連詩の「座」で
見立て替えを自然におこなうためにはどうしたらいいだろうか。

芭蕉型連句では「替えられる」「見立て」の対象は
たとえば人物の動作を示す「七・七」や
ある季節の世界を表す「五・七・五」といった
参加者一人の持分の「総体」だった。
その「総体」がクルックルッと捻られて
その捻りが連続することで
連句的時間が稔り豊かに進行していったといっていい。

ならば着眼の単位をもっと「部分」に縮減したらどうか。
前任者のつかった詩語、あるいは詩的フレーズを
後任者が見立て替える(対象は単数でも複数でもいい)。
見立て替えて、それを自分の詩の時間に組み入れる。
そうして相手の示した世界を自らにズラして包含することで
詩の時間が大きく連続して流れてゆく。季節も推移する。
このとき詩篇同士の細部が、当然「ズレ」のスパークを発する。

これは(自由)詩の媒体属性に即した方法だ、とおもう。
連句のもつ形状性に4行詩連鎖のように引かれてもいない。



同時に、参加者個々の詩篇では、それ自体に、
連句的な時間の「ズレ」も孕まれているようにする。

僕らはそれで連詩運営のための「規則」をさらに考えた。
出した結論は、ひとりの詩篇が行アキを含まないトータルで
30行の鉄則を遵守すること、これがひとつ。
自分の現実をも詩に組みこむこと、これがふたつ。

このふたつの原則は実は「対」だとおもう。
30行は詩篇として長いとおもうひとは案外、多いだろう。
しかもそのなかに自分の現実を「も」組み込むべしといわれれば
当然、詩篇は、聯の区別があってもなくても
意味上のレベルで「内部分割」される。
その「内部分割」にこそ連句的接合のズレが生まれるのではないか。

もうひとつ。
後任者が前任者の詩想をうけて何かを「付ける」とき
詩語や詩的フレーズの「見立て替え」を眼目におくという規則は
「見立て替え」対象の選択を相当程度に自由にするだろう。
これで「4行連鎖」的な逼塞から参加者が解かれることになる。

さらに。
芭蕉連句の魅惑は、たとえば圧倒的な月の句が組み込まれる一方で
「雑事」「人事」の人間臭さに溢れ返っている点にもある。
それが「自分の現実をも組みこむ」という約束によって
自然に実現されてもゆくだろう。

そうだった、4行連鎖型の連詩の多くは
詩的に純粋な組成を誇るものが多く、それなりに高潔だが、
芭蕉連句的な「雑味」「俳味」にほぼ欠けていたのだった。



使用された詩語(別段キレイなものと限らない)と詩的フレーズの
「見立て替え」という点については
まだまだ具体的な例示をして説明を加える必要があるとおもう。

もう長くなってしまったので、以下の展開は次の日記で――

(この項、つづく)

2007年07月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩大興行(1)



こないだの土曜日は立教の小池・阿部研究室に
今度メール上で連詩のやりとりするメンバーが集まった。
詩人がお馴染み小池昌代さん、森川雅美さん、
杉本真維子さん、久谷雉くん、湯川紅美さん、
詩の愛好者としては歌手の三村京子さん、
学生時代、僕と連詩をやりとげた明道聡子さん
(その連詩は「阿部嘉昭ファンサイト」の「コラボ」欄に掲載)、
立教の詩のコンテストでグランプリを獲った松岡美希さん
(小池さんと僕の、共通の教え子でもある)、
それに、僕が面子。

この日、所用や遠隔地在住で出席できなかった
連詩のメンバーとしてはほかに
「ヴィジュアル系」歌人の黒瀬珂瀾さん、
この日記欄でも言及した詩集『鶴町』の松本秀文さん、
mixi日記欄に意欲的に詩を書いている、
映像作家志望の依田冬派くんもいる。
小池さん、森川さん、僕以外はみな若い。
あ、小池お姉さん、ゴメン(笑)。

総勢12人。
この12人の順番を決めて詩篇作成を3巡まわし、
計36篇となる「連詩」をつくりあげる――
一回のみならず何回かこの試みを継続したいという
意気込みでもある。



「連詩」というと馴染みが薄いという人も多いかもしれない。
「連句」の間違いじゃないの、とか。

そう、僕らがイメージしているのは
具体的にはやはりその芭蕉「連句」だ。
その精神を具体的詩作にどう変換しようか、ということで
今回の連詩についての方法模索がはじまったといっていい。



現状、試みられている連詩で多いのは
たとえば4行一聯の短詩を
参加者同士が決められた順番で
ずっと書き継いでゆくというパターンだろう。
前のひとの詩想を受けて
当番となった自分がそこにさらに詩想を付け加える。
それで次の担当に渡す。
「受ける」「付ける」「渡す」「運ぶ」などが連詩の「連」の字に
籠められる運動となる。
なるほど、それで詩の時間性が確かに延長されてゆくが、
何かトータルでは、一篇の長編詩ができるだけで
連詩特有のズレがあまり生まれていない作例が多い気もする。

あ、この場合の「4行」というのは
連句にあった「五・七・五」と「七・七」の単位を
現代詩における適正な分節量に単純翻訳したものだろう。
連句の一行が詩では4行程度になるというのは
「濃度」を考えた場合、すごくありうる発想だとおもう。



連句の原型は和歌に由来する言語遊戯だったろう。
石川淳の『修羅』ではないが、
対峙者のひとりが「五・七・五」を提示すると
もう一方が「七・七」を返す。
これを「付け合い」というのだが、
二人で一首の和歌をつくりあげるのではなく
上句と下句には「切断」が意識されている。
つまり上句の心情や背景を「解釈」し、
その上句のもとめている下句にたいし
機知でズラシを組み入れて
上句制作者とはちがう立脚点から
下句を付けるというのが基本だろう。
それで句体が大きくなる。
それだからこそ、言語遊戯、「やりとり」として
付け合いが面白いということでもあるだろう。

この付け合いをずっと延長していったら――これが連歌の発想だ。
百句の長丁場が基本だったが、芭蕉がこれをコンパクト化した。
小さな紙を折って句を書き込む用紙をつくり
その裏表に36句の応酬をしるすことで
一座がたまたまつくりあげるものの全体を区切った。
これが「歌仙」。

芭蕉連句にいたり、「付け」の法則が多様なままに確定してゆく。
たとえば上句がある行為を表しているとする。
その行為をした人を見立て替える「付け」がある
(たとえば侍→遊女の転換)。
あるいは下句がある季節を前提としているとする。
すると空間延長して、その下句と同じ季節の別の景物を詠みこむ。
ここでも先のが「自然」なら、あとのが「人事」など
やはりズレがあったほうが面白い。
同じ季節を前提とした句が続くと単調になる――
ならばたとえば一句の喚起する故事成語などに着眼して
時間も季節も別次元に飛ばしてしまおう――云々。

連句には第一句の「挨拶」、最終句の「祝言」、
それとは別に必ず月や花を詠みこむ「月の座」「花の座」といった
細かい設定や約束事があるし、
ズレを意識してA→Bと進んだ句想の流れが
さらにズレを意識したことでB→Aと逆戻りするのを禁じる
決まりごとなどがあったりもする。

つまりそれは全体が「進行体」なのだが
各句接合の瞬間には「意趣替え」による切断やズレが組まれていて
(この感じ、僕は映画のカッティングに似ているとおもう
――それも「遠景-室内つなぎ」「同一動作の平行つなぎ」のほか
「主題つなぎ」「図像つなぎ」「逆つなぎ」などに)、
それで単純延長される詩想よりも
さらに大きな世界や時間進行が出現してくる。
つまりそれは「世界」や「時間」を集団創作する試みだった。
連句の最終句の「祝言」は参加した個々人の労にたいしてよりも
この営みの神がかった目出度さそのものを讃えるものだろう。

いずれにせよ、前の句を解釈し、
機知で見立てを変えて集積されてゆく36句の全体は
――前の句の何に着眼したかを考えてゆかねば
後ろの句の成立意味すらはっきりしない――
という意味で、がんらい読解が難しいものでもあった。
細部にはもう消えてしまった風物さえ仕込まれ
しかもそれが圧縮された用語で書かれてもいるから
全体的な言語認識・風俗認識・歴史認識も導入しなければ
正確な解釈など、できない。

なので大露伴がおこなった芭蕉七部集の註釈を
安東次男が痛烈に批判するという事態なども起こった。
けれども「読解する知性」のこうしたやりとりは
それ自体が遊戯的な面白さをともなっている。
僕は安東次男の連句解釈本、大好きだ。
安東さんは先人の解釈につき「不可解」を連発するけれども(笑)。



うーん、連句を説明するのは難しい(笑)。
ましてや僕らの考えている連詩を説明するのはもっと難しい。
ならばひとつ、簡単な実作例を出してみるか。
僕と女房が出した06年元旦の賀状から(07年は喪中だった)。
計4句、これは連句の手前の付け合いです。



A  遠見せり寄添ふ犬の眼を藉りて  律
B     シトの匂ひに巷らんまん  嘉
C   ふらりして去年の桜の朧かな  嘉
D     眼鏡与へて粗茶を馳走す  律



Aは日々、無聊をかこつ市井の子供が
親にいわれて犬の散歩をしている、くらいの設定だろう。
散歩の一休み。犬が眼を細める特有の目つきをしている。
それは遠景を見やるにふさわしい仕種。
「釣られて」子供も眼を細め遠くを見た。
その動作の写り(移り)に滑稽や俳味が仕込まれている。

BはAの前提となっている散歩者-犬の配合から
犬の感覚内面へとカメラがクロースアップをおこなった。
「シト」は尿。
犬は当然、排尿によるマーキングをおこない、
その尿の匂いの個別差異によって、
世界領域を細部分割し、そこから充実を受け取っている。
で、季節も温まり、犬の散歩が増えたのだろう。
それで世界のここかしこから尿の匂いが芳醇に立ってくる。
人間にとっては意味のない尿臭だが
犬にとってはそれが
「巷」が爛漫に咲き誇る感覚ともなっているはず
――句の着眼はそのあたりに落ち着いている。

Cはその「爛漫」に引きずられて「桜」を出したが
「桜」が実体か否かで謎を盛っている。
ともあれ、ふらふら近所を歩いたら
みえたのは今年でなく去年(こぞ)の桜、
それも朧ろ状態だったといっているのだった。
ともあれ、A、Bに薄っすらと感じられた春の色には
この句で否定斜線が引かれる。
たしかに打越の禁(A→B→A進行)に触れる危うさもあるが
Aとは散歩の姿がちがうだろう。
Aの散歩には実体と実質があるのにたいし
Cの散歩には覚束なさと不如意、
同時に敗者のロマンめいたものが感じられる。

Dはその「いい気な」自己愛を突いた。
桜が朧ろに見えるのは
Cの「ふらりする」主体が初老となり
老眼を患ったからだ、と揶揄する。
ならば眼鏡を(買い)与えよう、
それから散歩疲れには茶も一服如何?と混ぜ返す。
句の運びが無用に美的になるのを即座に食い止め
俳味を付け替えた瞬間の運動神経が妙。
それでB→Dでは、「シト」→「粗茶」へと液体が「飛び火」し、
動物界と人間界が一体化して、世界の広がりも出ている。



とまあ、おもわず自画自賛しちゃったが(笑)、
まあ、こういうのが連句特有の「句運び」なのだった。
ということで次回の日記は、この「運び」を僕らが
詩にどう転換しようとしているのかを書いてみます。

(この項つづく)

2007年07月10日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

10首つくった



昨日は今秋、池袋シネマロサで
連続一週間レイトショー興行される
「岡太地(だいち)全作品上映」のため
800字のチラシ裏文案を捻出。
そのためにウチにある彼のDVD作品を
またも一挙に再鑑賞してしまった。
凄いなぁと、いつもどおりに唸る。

岡太地君は、大阪の映画祭CO2で知り合った
大阪芸大出身の要注意才能。
20代半ばにしてもう3作も撮っている。
『トロイの欲情』『放流人間』『屋根の上の赤い女』。
独特のエモーションがあり、現代的な無力感もある。

彼が描く「ボーイ・ミーツ・ガール」ものは
いつもすごくドキドキする。
男女それぞれに肉体のあることがどういうことかが
よくわかっているのだった。
よって男女の身体間の距離にはいつも緊張があり、
それが接触したとき、まさに「映画」が現れる。
「恋愛の神様」という称号をつけた。
北川悦吏子なんかメじゃない(笑)。

岡くんについては公開前にまた
何か日記に書くかもしれない。

ともあれ邦画もJポップと同じように
「インディ」だけが輝いている。
この転倒状況、どうにかならんものか。



立教の前期授業は来週月曜に終わる。
僕は最近、機嫌がいい。
たとえば月曜5限は3年4年が出ている「編集演習」。
2班に分けた討議制で
ウェブマガジンの制作を促がしてゆくというもので、
片方は「赤」、片方は「青」をテーマに
ヴァリエーション豊かな原稿を揃え、
デザインワークも磨いてきた。
これがここへきて佳境に入りだしたのだった。

その最終チェックのため原稿を今週、メールで次々受け取る。
たとえば中田容子さん作成の「青いおにぎり」の写真、
すげえ迫力で笑ってしまう。
青の着色剤を混ぜて炊いたご飯によるおにぎり。
何でそんなものが追求されたのかは
原稿を実地に確認していただければ
(いずれ、ウェブマガのアドレスをこの日記にも貼ります)。
ともあれすごく笑えて、可愛い原稿になっている。



この日記欄でもよく話題にした月曜3限は
文芸思想専修1年生用の入門演習。
彼らの最後の提出課題は「短歌3首」だった。
参考テキストに
この日記欄でも書いた
盛田志保子さん、望月祥世さんの「秀歌選」、
それと今度連詩を一緒にやる黒瀬珂瀾さんの
サイト上の歌集評から歌だけを取り出したものもつかった。

「ま、テキトーにつくってみて頂戴」と突き放す(笑)。
実は惨憺たる出来のものが連続すると予想を立てていて、
ガツーン、とコマしたろ、とおもっていたのだった(笑)。

短歌が短歌たるには
一首に内在する系統発生的な進化が必要だろう。
それに加えて、歌想を一本化し、
それをさらに「調べ」に乗せてゆく着眼もいるはずだ。
僕は「一息主義」。自己添削の痕の色濃い短歌が苦手でもある。
とくに指折り、「五・七・五・七・七・・」と算えてつくると
たぶんそのときの身体的なリズムの齟齬によって
短歌は、精神性と感情を奪われて瓦解するのではないか。
たとえできても作り物めいて、目もあてられないものと堕すだろう。

で、集まった短歌の出来はというと、
百人一首でもアタマにあったのだろうか
(イメージ上の)文語(古語)をとりこんで頑張ってみた作例は
ほぼ全滅だった。ゴクローサンでした(笑)。
歌想も調べもあったもんじゃない。
ほとんど分類不能のジャンクの花が咲いている(笑)。
これらは「短歌未然」「短歌未遂」。

参照テキストは口語短歌的要素を数多くふくんでいる。
僕は80年代の俵万智のブーム以来
ずっと口語短歌を敵視してきたが
ここ数年で宗旨替えをした。
口語の属性――「伸びやかな薄さ」により、
逆に歌想が飛躍をしている若い人たちの作品に接し
短歌という伝統文芸が「死なない」道筋が見えたのだ。
つまり塚本邦雄型の喩の膠着から脱し
短歌本来の「調べ」が回復されていると評価したのだった。

こうなると、詩型の短さも単純な親密性に変化してゆく。
極論すれば、今後の短歌はまずは口語短歌がその未来を担い、
次段階で口語短歌の作者が古語短歌に反転して
短歌という文芸媒体の精度が高められてゆくことになるだろう。



【プリミティヴで微笑ましい作例】

やはり、集まった短歌をみて
短歌の可能性が系統発生的に出現するなあ、の感慨を深くする。
以下はいつもどおり、イニシャル表記で。

《あれやこれ いろんなものを きせかえて もうわからない じぶんのみもと》(M・N)

《寂しさに勢い付けて走り出す押されたと思った二月のあたま》(M・T)

《さよならは君から告げた なのになぜ月夜に響く君の泣き声》(T・S)

《暗がりの闇の中君と歩いてる 息を潜めて足音は合わせて》(M・T)

《頭痛薬切らしたことに気がついてぬるま湯を窓の外へ捨てた》(H・S)

読んで字のごとし、だ。
「二月のあたま」にはちょっと畸想が入っているが、
それぞれの歌に作り手の肉体や生活が滲み、
それが寂しさと触れ合う感触もあって、
好き嫌いでいえば、好きといわざるを得ない。
この場合、無技巧が好感の要素ともなる。



【異常さゆえに瞠目すべき作例】

《雨が雲に刺さる月曜の朝 私は半熟、世界は明確》(K・K)
[※破調。下句が対句表現で薄い脚韻が組織されている。
しかも半熟=雲、明確=雨、と喩的な連関がさらに遡及してゆく]

《夜がくる 顔があらわる 窓がある 「ミズヲミズヲミ 」 飛び散る破片》
[※「壊れた朔太郎」って感じか?
「 」内はもう狂言綺語といっていいだろう。
カッコ閉じの前の一字アキもすごく効いている]

《何なのか 痰か丹か? そうではなく 胆か毬か、はてなんなのか》(K・N)
[※「短歌」を念じているうちに「タンカ」が別の用字に変わり
自然発生的に出来たとおもわれるが
意味の「不足」に面白い味がある。
加賀千代女の句《ほととぎすほととぎすとて明けにけり》
よりも上等だろう]

《「うるさいわ俺は鬼じゃ」の女性形0120-893-893》(Y・N)
[※電話番号は何のフリーダイヤルか?
ともあれ意味不明(笑)。その意味の不明性ゆえに
逆に短歌の条件上の分節が原型で露出している。
因みに電話番号「893」を僕は「ハクサン」と読んだのだが]

《睦月なる
流刑の地にて
死に光る。
稚児が浚ひし
残骸の夢。》(M・K)
[※改行は原型ママ。こりゃ幻想内容そのものがヘンだ(笑)]

《切り拓け武士の誇りを見せんかい血染めの嫡子禿げちゃいまいよ》(K・T)
[※「贋履歴詩」で話題を攫ったK・T君の短歌。
相変わらず、謎そのものがパンクしている(笑)。
ともあれ、面白い。これが今回の「特選1」]

《天照らすアマtell a lie照れ笑い数多得るアミ天立てるカミ》(K・T)
[※今回の「特選2」。頭韻連鎖風だが、やはり意味不明で
歌句がこれまた不機嫌にパンクしている。才能あるなぁ。
だからT君、君はパンクバンドの歌詞をつくるべきだってば]

《片割れを探し求めていろは歌 繋がり損なうむすめふさほせ》(H・S)
[※今回の「特選3」。
こちらは「私は美しい」で話題を攫ったH・Sさん作。
「むすめふさほせ」にヤラれてしまった。
意味のない字数揃えに一見おもえつつ
「むすめ」には確かに作者側の「実質」もある。
しかも語呂合わせ・字数合わせの短歌づくりに迷走している
自画像短歌の要素もあり、読後感も複雑]

ともあれ、いま並べた短歌にはみな「謎」がある。
これはその前に授業で荒川洋治や石田瑞穂を扱った影響だろう。
ということでいうと、これらの短歌群は
現代詩と短歌の結婚、その可能性をもしめしている。
祥さん、これらの短歌、面白いですか?
僕は無責任だから面白かった(笑)。



当然、対抗意識を燃やして僕もつくる(笑)。
このさい生まれて初めて、「口語短歌」に挑んでみようと思い立った。
以下がそれ。



【きたかみ恋歌 ――10首連作】
              阿部嘉昭

きたかみの夏は薄荷をふくむ君の脱衣の音で眼を醒ましたい

億万回セックスをした感慨はたとえば万緑、緑陰の露

ブラジャーが乳を包んで女とは贈る水菓子、それかあらぬか

指もて髪を梳いたことも 夜の空に冥い銀河を見上げたことも

落陽をのがれて着いた崖っぷちの煙のようだ、今日の騎乗位。

桜桃を口移しする日々の恋 種子嚥む役も日々振り替えて

セックスの渦中の話題に飛び出したバームクーヘン、その嗜好歴

「月曜」の韻きが好きでその夜は君の背後にこの身を添えた

「紫陽花の季節もじきに終わるけど」「あまたの相似が怖すぎたよね」

寝息とは潮の干満 いずれまたベッドの岸辺がひとでに埋まる



生徒たちを挑発しようと、故意にスケベな歌作をしてみました(笑)。
実際の僕は、修道僧みたいな禁欲生活、送ってますからー
(と、苦し紛れで、懐かし、波田ヨーク口調)。

あ、僕は昔(大学のころ)、歌作がすごく下手糞だった。
文語短歌の創作をかなり試みてみたのだけど、
塚本邦雄の悪影響で、用語スパークの線が錯綜しすぎ
調べが膠着して、歌体がいつも不恰好になった。
なので当時、つくった歌はみな捨てた
(短歌だから憶えているものも当然ある。たとえば以下――
《忘れえぬ記憶のひとつ金髪は花に明かりてあやふくなりぬ》。
これだけは秀歌と評判をとった)。

ところが口語でいいや、とおもって、いまつくってみると、
なぜか歌がスルスル出来てしまう(笑)。
これは僕のつくる詩の一行が
軽さを帯びだした現状とも相即しているだろう。

ともあれ、結論。
《口語短歌にこそ、まずは短歌の未来の最短がある》。

2007年07月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

わたしたちの教科書



前クールのTVドラマでは
坂元裕二脚本『わたしたちの教科書』の出来が突出していた。

第一回、一見平穏な私立中学に
伊藤淳史が理科の教師として赴任してくる。
担任・伊藤にとってはぽつねんと浮いて見える
(相変わらず喋り方が嫌いな)生徒・志田未来。
それにどう噛むのかわからない弁護士の菅野美穂。
ともあれ、伊藤と志田の交情を描く学園モノという設定を
キャスト・バリュウからいって視聴者の誰もがおもっただろう。
ところが第一回の最後、
志田が菅野の娘だという考えられない事実暴露のあったのち
その志田が教室窓からアッサリ転落死を遂げてしまう。
まさに急転直下。
視聴者の想像力はこうして最初から激烈なカンフル剤を打たれる。

その転落死に「いじめ」が絡んでいたか否か。
そうして野島伸司『人間・失格』以来の
いじめを正面に据えたドラマが堰を打つように雪崩れだすのだが
(以後、志田の登場はすべて回想時制となる)、
いじめの実態をショッキングに映しだすことよりも
その問題圏に入った教師たちの
職員室での恐怖・自責・行動を描くことにこそ
坂元脚本の力点が置かれていたのだった。



毎回流れるエンドロールに
このドラマの傑作を予感しない者はドラマ好きではないだろう。
廃墟を、生徒たちが続々と走ってゆく。
誰もいない教室では、教師役ひとりひとりが孤立する。
それらが詩的に切り返されてゆくフラッシュ編集は
実は鼓動や胎動のリズムを刻んでいる。
解放への胎動、革命への胎動、といえる何か。
いじめという、社会知の単純な還元に傾斜しやすい問題に
虚構からとはいえ楔を打ち込み、
人間の本来的関係性へ思索を拡げたいという気配が
そのエンドロールからは刻々と伝わってきたのだった。
このドラマでは何かが変わるのではないか。



単純なレビューはおこなわない、というのが
実は僕が今回のmixi日記再開で自分に課した制約。
ただ、ポイントだけは抑えておこう。

菅野は弁護士になる以前、若くして結婚していて
志田は実は夫の連れ子だった。
けれども夫の蒸発によって離婚し、
菅野と血縁のない志田は以後、施設での生活を余儀なくされる。
自分を慕った志田の記憶。しかし同時にその志田には
孤独からの自己防衛、世間体の堅持といった作為も感じられ、
幼い日の志田のことは菅野の記憶の痛点だった。
その志田が死んで、いじめがあったかどうかの真相を
弁護士として究明する菅野には
だからもともと脛に傷があるかたちなのだが、
菅野はやがて思考者として別次元の
ニュートラルな立脚点を獲得してゆく。
その姿に菅野の見事な演技力が裏打ちされる。
何度、涙を流したかわからない。

その菅野に立ちはだかったのが副校長役の風吹ジュンだった。
「いじめは一切ない」という公式見解を頑として崩さない。
あるいはドラマが進み、いじめの事実が露呈してきたときにも
「いじめを認めた後の学校は崩壊するから
学校を守るためいじめの存在は認めない」という態度を崩さない。
ために時に恐怖政治すら教師陣に敷き、
その凛とした気概の下に深意を秘匿しつづける姿には
聡明な威厳も保たれる。
この風吹の演技が明らかに新境地への到達を告げていた。

伊藤淳史などはあっさりと風吹の支配下に入り
学校「体制」の走狗のようになってしまうので
当然、ドラマは菅野vs風吹の構図を毎回つよめてゆく。
菅野はずっと真摯で、いじめを学校側に認めさせて
裁判に勝ちたいという利己的なポジションなどとらない。
ただ、いじめという不幸の根と枝を
以後の学校に一切断ちたいと願うだけだ。

最終回の一回前、菅野はとうとう
風吹が志田へのいじめを認知するどころか
風吹が志田を、真情をもって励起していた決定的な証拠を掴み、
それを裁判所内ではなく教室内という個人的状況で
風吹自身に突きつける。菅野の頬には涙が伝っている。極度の緊張。
風吹はついに折れ、
いじめで悪戯書きされた志田の教科書をも菅野に手渡す。
これでいじめの存在が世間へ確定的となった。
この長いシーンの「演技対決」の素晴らしさが忘れられない。
TV版『華岡青洲の妻』での
田中好子と和久井映見の「演技対決」を髣髴とさせた。



最終回は職員室に乱入し、
いじめの当事者だった生徒(冨浦智嗣)と教師を楯に
職員室に籠城する風吹の息子の姿と、
裁判所に突然赴いて志田の転落死の真相を語る谷村美月の姿、
この二人の緊迫がシーンバックの連続で描かれる。
このとき谷村のしめす語り・回想が哀しくてやりきれなかった。

谷村と志田は8歳時のときから
相互の孤独な風情に惹かれあう親友同士だった。
それが同じ中学にともに進み、
谷村と前述・富浦が恋人同士となってから仲が疎遠になる。
ところが谷村と冨浦の恋人関係が不幸な転機を迎える。
冨浦の父親が援交をしている姿に二人はデート中、出くわし、
その男を冨浦の父親と認知しないまま谷村はふと揶揄をした。
翌日、教室で再会した二人。
冨浦は谷村にいう――《お前、雑巾臭いんだよ》。
以後、二人の恋人関係が断たれるどころか、
谷村には冨浦の陰謀によりいじめの砲火が集中してしまう。

やむなく谷村は志田に相談する。
同情した志田は係累のない自分には失うものがないから、と
いじめの矛先が自分に向くよう策を講じた。
冨浦の父親の援交の噂を、校内に振りまいたのだった。
激昂した冨浦は以後いじめの対象を志田にすげ替える。
今度も教室の全員がそれに同調した。いじめは激烈だった。
いじめの対象から解放された谷村は
志田の自己犠牲によって救われた恰好だが、
彼女のプライドが、志田への謝意を邪魔し、
ずっと谷村と志田は没交渉のままになった。

やがて核心の、志田の墜落死当日の回想となる。
教室にぽつねんといる志田。そこに谷村がやってくる。
志田はいじめの辛さに自殺を考えたこともあったが
生きることについ昨日、固執するようになった、
二人が昔よく行った秘密の廃墟で確認したんだ、と告げる。
谷村は、あんたがこんなふうになったのは
すべて卑劣な自分のせい、だから自分が死ぬと窓際に行く。
ピアニストを志していた谷村は
いじめに遭った際、指の骨を骨折し夢を断ち切ってもいた。

志田はすぐにその隣の窓に腰をかける。
《あなたが死んだら哀しむひとがいるよ。
私だってそれに気づいたから、死ぬのをやめたんだ》。
それは誰、と谷村が訊いても志田は笑って答えない。
《絶対にいるんだから》、志田は確信だけをただ言う。
ともあれ、その励起により谷村が自殺を断念し、
志田も窓に下ろしていた腰をふたたびあげようとした。
そのときバランスを崩し、志田だけが教室窓から落下した
――志田の墜落死の真相とはそういうことだったのだ。

親友の善意によりかかり、自らは正義心を一切発露せず
しかも親友の死をも誘導してしまった谷村。
「良心」があれば、当然、以後を生きることなどできない。
だから裁判所でおこなわれた回想も
真相が確かになればなるほど悲痛さをとうぜん帯びるし、
それが「存在の極限へのジャンプ」にもなるのだから
谷村が証言をずっとためらってきたのも頷ける。

このときの谷村の演技力をどう語ったらいいのだろう。
役柄に完全に憑依している。
カッティングなしで頬から伝わってくる大量の涙。
声の震え。眼のうつろ。喉の緊張。
彼女の原日本人的な、「草木染」のような美しさにも息を呑む。
まだ「子役」といえる年齢の、この未知だった女優に
僕は徹底的に魅せられてしまった。



裁判所で「最も危険域にジャンプした」谷村は
以後、周囲を閉ざし、廃人同様になってしまう。
一年後、ようやく谷村の所在を突き止めた菅野は
彼女をかつての志田との秘密の廃墟に誘う。
このときその内部の壁には、自殺を断念した志田の
「自分自身への手紙文」が書き付けられていた。
『わたしたちの教科書』サイトから文面をペーストしてみよう。



明日香より。明日香へ。
わたし、今日死のうと思ってた。ごめんね。明日香。
わたし、今まで明日香のことがあまり好きじゃなかった。
ひとりぼっちの明日香が好きじゃなかった。
だけど、ここに来て気付いた。
わたしはひとりぼっちじゃないんだってことに。
ここには8才の時のわたしがいる。
わたしには8才のわたしがいて、13才のわたしがいて、
いつか20才になって、30才になって、
80才になるわたしがいる。
わたしがここで止まったら、
明日のわたしが悲しむ。昨日のわたしが悲しむ。
わたしが生きているのは、今日だけじゃないんだ。
昨日と今日と明日を生きているんだ。
だから明日香、死んじゃだめだ。生きなきゃだめだ。
明日香。たくさん作ろう。思い出を作ろう。
たくさん見よう。夢を見よう。明日香。
わたしたちは、思い出と夢の中に生き続ける。
長い長い時の流れの中を生き続ける。
時にすれ違いながら、時に手を取り合いながら、
長い長い時の流れの中を、わたしたちは、歩き続ける。
いつまでも。いつまでも!



いま自分が死んだら哀しむのは
過去の時間軸上に無限に存在している自分自身であり、
同時に未来の時間軸上に同じく無限に存在するだろう
自分自身なのだった。
この見識が志田-谷村の最後の会話で秘されていた。

人は常に「いま」に閉じ込められているが
その逼塞を解くのが時間本来の複数性だということだ。
その複数性には2種類ある。
ひとつが過去(記憶)――
これはその存在を存在たらしめている自己同一性の束といっていい。
いまひとつが未来(への思考)というわけだ。

自殺念慮者では時間が停まり、
「いま」に閉じ込められる事態が起こる――
志田(明日香)の書き付けを逆からとれば、こうした感慨も導かれる。
要は、「存在における反省の効用」が志向されていたのだった。
自らの時間的複数性を意識するのがまさに「反省」で
それこそが実際に人を幸福な複数化へ導くものなのだということ。



即座に、山口県・光市での母子殺害事件の再審で
加害者(当時少年)が「ドラえもん」「母胎回帰」など
荒唐無稽というよりさらに低劣な語彙で語った犯行の詳細にたいし
被害者家族の本村さんが
3日間裁判を傍聴して語ったコメントが思い出される。

《死刑廃止論をこの事例に局限し、
それで加害者に荒唐無稽な「物語」を注入した弁護団は
どうせ極刑になるこの加害者から
その人生の最期の段階で反省という人間的な機会を
ついに奪う愚挙を犯したことになるだろう》(論旨)

やはり、人が人になるには「反省」が必要なのだ、
という見解がここでも真摯に語られていた。



『わたしたちの教科書』に話を戻そう。
伊藤淳史が生前の志田未来から最後に聞いた言葉は
「先生、世界は変えられますか?」だった。
風吹の息子のナイフで脊髄を突かれて
下半身不随になった現在の伊藤淳史は
裁判が結審を迎えようとする日に
学校を訪ねてきた菅野美穂に
生徒たちに向け黒板に何かメッセージを残してくれ、と頼む。
菅野がこのとき書きつけたのも
「世界は変えられますか?」だった。

このメッセージが明らかになってから、
シネマヴェリテ的に生徒役だった子供たちが
この質問に何とか応えようとする場面が連続してゆき、
そこでも僕は涙が止まらなかった。

ここに、前回の日記=エドワード・ヤンの訃報が絡む。
ヤンの代表作、『クーリンチェ少年殺人事件』で
主人公スーが相手役ミンを刺殺してしまうとき
ミンが最後に喋った科白はこうだった。
《私はこの世界と同じ。誰にも変えることなど出来ない》。
二つの作品は一種の対照を形成している。
完全な対照が相似関係をつくりだすのは明らかだろう。

ともあれ、こうして『わたしたちの教科書』が
楊徳昌『クーリンチェ少年殺人事件』と同じ圏域にあるといえる
――岩井俊二『リリィシュシュのすべて』がそうだったように。

2007年07月04日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

楊徳昌が死んだ



本日未明、眼を覚ます。PCを開き、mixi画面へ。
するとマイミクさんの日記の幾つかで、
《エドワード・ヤン(楊徳昌)死去》の見出しが相次いでいた。
衝撃を受ける。哀しみ、というのではない。
砂を噛むような空しさに一瞬にして襲われ、
「才能」にまつわる「世界」の処置、
それにたいしては深甚な厭世観にさえ包まれた。



僕の人生は「映画なんかどうでもいい」という疲弊に
定期的に彩られ、突然「映画真空地帯」に舞い戻ることが多い。
キネ旬で働き始めた90年代初頭なども
実はそんな映画倦怠期だった(最近もそうだ)。
何もかもが、自分の「リアル」感覚にしっくりこない。
とくに邦画新作で面白いとおもうものに当時行き会わなかった。
よく憶えているがそんな自分の逼塞感に風穴を開けたのが、
楊徳昌、それに北野武だったとおもう。
「アジアンリアル」に最も似合うのが「恐怖」だということ、
俳優の表情は不機嫌でよく、しかもそれらが風景と相俟って、
湿気のなかに多数性を形成し、それこそが映画的魅惑となること。
北野武の『その男、凶暴につき』『3-4X10月』、
楊『恐怖分子』が契機だった。
それ以前の侯孝賢と併せ、僕は3人を極東三羽烏と呼んでいた。
韓国のペ・チャンホを加え、四天王でもよかったが。
つまり変化が、アメリカやフランスの単体ではなく、
「極東」という地域で出てきた点に「状況のよさ」を感じたのだ。

『恐怖分子』はスタジオ200での限定公開を見逃していたのだが、
日本語字幕入りLDのサンプルが早くから手に入った
(そのLDが実際リリースされたのはなぜかそうとう後だった)。
当時は僕の周囲に、郡淳一郎とか暉峻創三とか筒井武文とか
筋金入りの「楊狂」が何人かいて、うちの誰かが
僕の気難しい資質に楊作品が合うと見抜き貸してくれたのだろう。
なるほど『恐怖分子』に僕は驚倒した。
真の戦慄が躯を貫き、
自分が眼という感覚享受器官をもっている点にさえ恐怖を感じた。
高橋洋のいうとおり、眼と脳が近すぎるという身体器官的配剤が
たぶん何か崇高なものからの「悪意」によっているとおもった。

『恐怖分子』について少しだけ。
医者-女優-不良少女-カメラ小僧-刑事の五角形。
作品における人物の配剤がそうした偶有の五角形と知れるのは
時空共有を根拠に偶たま人物たちの尻取りが起こるからなのだが、
いったん作劇によって張り詰めたその五角形の各辺は
さらなる悪意と偶然によって砕け散ってしまう。
暗い画面が多く、人物や状況の判読そのものの難度が高く、
それをパズルを解くように手許に引き寄せると
付帯的に恐怖までもが引き寄せられてしまう、という構図。
現実と幻想の境界も、故意に曖昧に設定されている。
しかも人物それぞれが悪相で、「感情移入」の手かがりすらない。
だから作中人物とともに、観客までが作品に砕け散って
ただ「恐怖」に染まる――こんな悪辣な映画がありえようとは。



楊は日本のコミック好きで、アメリカ好きで、映画と音楽が好きで、
大学時代の専攻はコンピュータだったという。
もともと「核」を数多くもっていた才能だったのだが、
それら多様性が彼の創造(想像)力のなかでスパークしていた。
しかも「冷たく」――。
倦怠の温度が冷たい、という感触が一時期、楊を
「東洋のアントニオーニ」という比喩で包んだのだろう。

「画面の冷たい」映画監督には比定不能の才能があるとおもう。
吉田喜重、大和屋竺、ジョセフ・ロージー――
エドワード・ヤンは「都市=台北」の映画作家だった。
当時の台北は幾何学的に気味悪く増殖していて、それを
楊映画は作品毎に写しとっていて、冷たさには磨きがかかった。
続けて無字幕でみた『海辺の一日』『青梅竹馬』で
そんな確信がいよいよ深まってゆく。どこかがヤバい。
たとえば侯孝賢映画の最高の瞬間は
不機嫌な寡黙をかたどっていても素晴らしい光に包まれている。
このときの「時間のかけがえのなさ」が催涙的なのだ。
ところが楊の場合、『青梅竹馬』のクライマックス、
台北の巨大建造物のファサードに遠くから投げかけられて移ろう
クルマのヘッドライトでも何でもいいのだが
その恐怖感覚はそれ自体にのみ奉仕する空しさから離れない。
だから僕は、楊の映画を、
ウェルズやニック・レイに結びつけ、
認識の安定的な見取り図をつくろうとする言説を嗤った。
これが僕の「カイエ」放逐のきっかけのひとつだったろう。

いずれにせよ、アジア大「風景論」が再度胎動しようとしていた。
才能もまた後続する。
瀬々敬久、(初期)三池崇史、キム・ギドク、
ホン・サンス、ロウ・イエ、ジャ・ジャンクー――
たぶんこの時期に真摯に映画レビューを続けていたことが
僕の使命というか、幸運でもあったのだろう。

『恐怖分子』にはたぶん映画史的余禄もつきまとう。
映画を細分し、オムニバス状態にし、
その各項を微妙に連絡させるという作劇が
そののち、王家衛、(時制シャッフルの)瀬々敬久、
ホン・サンス、さらにはホラーの清水崇などに続くことになるが、
そうした流行の普及者がたしかに王家衛だとしても、
嚆矢となった創造力は楊の分断的映画組成ではなかったか。
この傾向がたとえばマンガでは
福島聡『少年少女』、志村貴子『どうにかなる日々』、
そしてとうとう、浅野いにおのパズル型作風に結実する。
現在の日本の才能でまず楊型と指を屈するべきなのがこのいにお、
次が光に対して繊細極まりない映画作家・風間志織だろう。



回顧する視線の時制を少し以前に戻す。
エドワード・ヤンは『恐怖分子』ののち圧倒的な大作を仕上げた。
『クーリンチェ少年殺人事件』。
その仕上げは調布の東洋現像所でおこなわれ、
秘密の初号試写があった。
上映時間は4時間を超えていて、まだ字幕がついていない。
しかも試写の開始時間が何かで遅れれば
もうタクシーでしか帰れなくなるリスクつき。
四方田犬彦さん、宇田川幸洋さん、暉峻、僕、
それに黒沢清もそこに立ち会っていたのではなかったか。
そこで垣間みた楊の姿はスピーディで神経質で非親密だった。
あ、この「非親密」と「親密」との脈絡こそがポップの要件だ、
というその後の僕の言挙げは、
楊の映画から導かれた発見だったのかもしれない。

この作品の詳説はしない。
徹底的に多数性で暗闇を駆使した画面のなか、
悲劇が生ずる胎動に完全にもってゆかれる映画だといえばいい。
時代をヤンの子供時代に戻し、台北のアイデンティティを
『青梅竹馬』に継いで問うた映画でもあった。
全長版と短縮版、どちらがいいか、
評論家仲間でケンケンガクガク戦わせた議論も懐かしい。
僕自身は作品に数々「物語の不可侵な袋」のできる
短縮版の「謎めいた」感触をむしろ偏愛していたかもしれない。

この作品は東京国際に出品された。
当然、ヤンは来日する。
当時僕が在籍していたキネ旬では僕を企画と司会にして
「香港台湾電影人列伝」という
アジア映画人の連続インタビュー企画を立ちあげた。
ヤン、王家衛、ツイ・ハーク、アン・ホイ――
インタビュアーは宇田川さん、暉峻、筒井さん、時たま僕――
この頃はキネ旬で働いていることに意義を感じ、
僕の精神状態もすごくよかったとおもう。

宇田川さんがインタビューしたヤンは
親日家らしく機嫌がすごくよく、かつ聡明だった。
極東映画人、とくに大陸のひとは
できあがった映画からこんなことを考えているだろうと
「見込み」をして質問すると空振りする場合が多い。
そのような批評意識が国内で育っていない例が多かった。
ところが何事にも意識的な楊には
このような齟齬がまったく感じられなかった。
何というアタマのよさだったのだろう。

最近、『ヤンヤン』で人の後頭部ばかりを写真に撮る
ヤンヤン少年の姿に
ベンヤミンの思考を結んだ文章を読んだばかりだった。
学識ボーダレスの楊ならベンヤミンを愛読していた可能性もある。



エドワード・ヤンの映画人としての不幸のひとつは
この『クーリンチェ』をカンヌに出品して無冠だった点だろう。
もともと判読性の低い画面のなかでの人物の多数性によって
人物が見分けられず、
審査員たちが内容を理解できなかったのだった。
90年代の最高傑作という評価は
僕らラディカルな映画好きでは最初から定着しているのだが
この評価が世界大に定着するにはあと10年は必要かもしれない。

ヤンはカンヌを始めとした国際映画祭での栄誉に固執した。
だから賞撮りのためやがて作品の複数性を緩やかに解いてゆく。
『カップルズ』『恋愛時代』『ヤンヤン 夏の想い出』、
人物の運命のブラウン運動的な衝突が洒脱で笑わせ、
それぞれが大好きな作品だったが、
とうとう楊は「最もわかりやすい」『ヤンヤン』で
カンヌでの最優秀監督賞をゲットした。
それで気が抜けたのか、以後はもう映画を撮らなかった。



楊が国際映画祭での栄誉に固執したのは
彼に先立ってそれを手中にしていた
侯孝賢への対抗意識からだったろう。
もともと侯と楊は親友だった。しかしそれが
侯主演、楊監督の『青梅竹馬』で金銭トラブルを招いてから
二人は犬猿の仲になってしまう。
二人が共有するスタッフも右往左往で混乱した。
この二人が90年代も共闘していれば、
台湾-極東圏の映画も様変わりしていただろう。
そうならなかった。鶏が先か卵が先か知らないが
90年代中盤以降、台湾は深刻な映画不況も迎える。
そして楊は映画から離れ、殻に籠もったように
ゲームソフトの製作のみに走る。拝金主義云々の悪口も聞いた。
一方、侯の映画はますます変格となり、弛緩も生じ、
一部の彼のファンしか熱狂的に受け入れなくなってしまう。

僕は二人ともが不幸だと実はおもっている。
ジョンとポールの離反以上の歴史的打撃ではなかったか。
楊は映画分野に捲土重来をしるすことなく
癌を患って長期入院の末、アメリカでの客死を迎えてしまった。



僕は『カイエ・ジャポン』2号に変名で
長いエドワード・ヤン論
(『クーリンチェ』と『恐怖分子』を射程に置いた)を書いたのち
フィルムアートの『楊徳昌電影読本』でキーワード事典を書いた。
そののちの『カップルズ』『恋愛時代』は
「映芸」と「図書新聞」にそれぞれ8枚以上の作品評を書き、
『ヤンヤン』『青梅竹馬』は立教で授業をおこない、
これらについては講義草稿も残している。
つまり楊の作品のほぼすべてに付き合ってきたのだった。

僕のアジア映画作家論は、楊を支点というか扇の要にして
胎動してきたアジア映画の作家たちを論じるという着眼で
『映画のアジアン・リアル』という名で纏められていた。
この大量の原稿群は
詩人の稲川方人さんに預け、各所に企画を持ち寄ってもらった。
結果は惨敗つづき。僕の書いたものが難解だったのか
稲川さんの交渉力に難があったのかはわからない。
ただ、稲川さんがこの企画をもって歩き回るうち
世の中では「韓流ブーム」となり、
この要素を組み込まないと企画が成立しなくなりましたね、
と稲川さんにいわれた。
それを機に僕は「この企画、もうやめましょう」と彼に告げた。
急速に心が冷えたのだった。

楊は不幸、もしくは不吉なひとだったと感じる。
そして楊の作品解析に恐らく150頁ほどは割くことになっただろう
この企画もまた不幸、もしくは不吉だったと感じる。
楊の運命を僕ももらってしまったのではないか――
楊の訃報を知り、そうふと感覚したことでまた
僕もヤラれてしまったのだとおもう。――合掌

2007年07月02日 日記 トラックバック(0) コメント(0)