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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

頭山

【頭山】


《曇天の日にかぎって面倒がおこる》
視野に四角く截ろうとした
「前方」が揺らぐから。
ゆっくりと姿を現す「滲むもの」
臆病は足許を見て歩きつづける

草の花の青や青を吸い込んで
眼底に滑らせた数十秒
・曇天に移動が触れて寂しさよ
・眼路に青、生[あ]れては消ゆる寂しさよ

陽が雲間で手回し風琴を弾き
風体を冷やしつづけるから
不意に歌の残量が見えてしまう
本格の秋は砂時計よりもくびれる
肌着同士の行き交った今年の部屋ぬちも
過去の前方になり 点に閉じた

同じ日 京都の田中宏輔は
場所を換え 場所を換え
詩集のゲラを見直している
移動すると自分の詩がちがって見えるらしい
身の置き場が別なら眼路も別に
ならば宏輔さんが見ているのは
きっと「みんなのバード」だ
最初っから鳥の翔ぶかたちも
鳥ではなく空の残心だろう

くもりびの息を円く抜き
五条の橋から転がしてみる
淀へ淀へと 歌を懸けて

「頭山」は自我位置の矛盾
だが投身入水すべき山の池は飛び地して
小高さの薄青を眼につなげている

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2007年09月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

小川三郎さんの「直中」

廿楽順治さん主催、「電気ブランで酔おうぜの会」で
さきごろ知り合いになった小川三郎さんから
05年11月刊の第一詩集、
『永遠へと続く午後の直中』をおくってもらう。
さっそく読んだ。2回読んだ。素晴らしい詩集だった。

四六判。思潮社刊だが派手さを排した体裁。
一頁17行と行の多い組だが、目詰まり感がない。
レイアウトに工夫があって、
各詩篇は右開きなのだが、
その開始された右頁は左右中央に一行、
詩篇タイトルが印刷されるだけなのだった。
このレイアウト上の冒険が効いている。

小川さんの詩行は字数が少なく、
語句も一見、平易さから離れない。
だから、トータル112頁26篇の詩集が
上のレイアウトもあって30分内外で読めてしまう。
これは何か――「再読」をしいているのだ。
それで語句は簡単なのに意味や修辞に仕掛けのある彼の詩が
深い次元で咀嚼され、読者が魅惑に包まれることになる。

ロマンチックすぎるような詩集タイトルだが、
むろんそこには毒が秘められている。
直中(ただなか)=渦中にいるという身体意識は
充実に結びつくのが常だが、
ここではそれが結びついたりつかなかったり、と
メタモルフォーゼにちかい運動が多く起こる。
描かれたのが「渦中」のはずなのに、
その「渦中」が「決定的な事後」と弁別がないこともある。
だから火薬を身中に装填されたような妖しい読後感が生ずる。

あるいは、こういうべきか――
世界は永遠に変わらない。
そう諦念を感じたとすると、その諦念の分だけ、
もう世界は決定的に変わってしまっている――と。
これはマンガでいうなら浅野いにおのテーマだった。
小川さんはその意味で、若いひとの心性の側にいるともおもう
(実年齢は30代の終わりらしいけど)。

マンガといえば、この詩集でエラく目立つ役割を果たす
第一篇「夏の思い出」。
映画『ジョーズ』の設定を借りたような作品で
鮫に食われた恋人同士が非論理的に不変性のまま生き残り、
しかも鮫に食われる毎年の夏の回帰も寿がれ、
さらには鮫に食われることには快楽語句がまつわるという
「逆つなぎ」がすごく映像物語的な詩なのだが、
このタイトルは当然、
つげ義春の名短篇「夏の思いで」を想起させる。

しかも詩集の作者名が「小川三郎」。
むろん「小川三郎」は、同じつげの短篇「退屈な部屋」で
つげと思われる主人公が、元遊郭のアパート小部屋を借りるとき
名義手続きで使用した偽名だった。
ならば果たして、この作者名「小川三郎」も偽名なのか?

「渦中」にいるということは、
時の進行の動力に紛れて、「私」が存在を失うということだ。
だから小川三郎の詩に「血」が頻出しても
それは多く、赤々とはしない。
ヘンな切り方になるが、二番目の詩篇「濃度」から数行抜こう。



血痕すら残せない。
私は既に一秒生きて
残りは一秒ありそうもなく
煮詰まるにはまだまだ足りず
寧ろ薄まる一方だろう。
しかし私は心の何処かで
水ほど透明になればいいと
思っていはしなかったか。

グラウンド横を流れていく
ぬめった河の透明度が
丁度私の色らしい。
私も時代の人間である。



「渦中」をたった2秒と捉え、そのうち1秒が既に生きられ、
残り1秒の保留もすでに覚束ないという特異な時間意識。
むろん余命のなさが予感されているのではない。
時間の微分のなかで、そのどこにも身の置き場のない点が
不如意感として摘出されているのだとおもう。
余命がないのではない――この充実を欠いた時間意識は
むしろ永遠に続く――だから「直中」なのだった。

最終行「時代」の語には悪意がある。
荒川洋治的な使用のようにみえて
前行からの連結が足りず、言葉が奇妙に裸になり、
よって電通的な意味の付着から語が離れる。
この場合の「時代」は「次代」の否定でもあるだろう。
諦観の感触だけが痣のように残る。

偽物の下町で偽物の着物を着た偽物の女を
詩の主体が尾行する設定の詩篇「芸術的」では
その最終聯で「永遠の持続」のなかに
「不可逆的変化」が微かな傷として刻印される、
時間論=意味論的メタモルフォーゼがやはりみられる。
あらかじめいっておくと移動の渦中に定住を
一瞬でも夢見たことが
移動に「微かな」致命傷を負わせたのだった。
しかもそれが「永遠に」続く逆説を負い、
やはりその致命傷も致命傷たりえない。



閉じられた格子戸の奥には
誰かの人生が
丸ごと収まっている。
格子戸は女の行く道に沿って
無数に並んでいる。
私もいつかはその向こうで
丸くなれるに違いない。
しかしここらは満室で
取り敢えず偽物の女を追って
偽物の下町をごろごろと
転がり落ちて行く日常。



結語の投げ出したような体言止めが
すごくヤクザだとおもう(笑)。

小川三郎にはもうひとつ、詩句に残余をまつわらせない
特異な残酷、という特徴があるだろう。
周囲の情景が消え、あるものがあるものと――
あるいは、あるものだけがあるものだけと――
その真芯で「合致」する(カフカのアフォリズムと似る)。
たとえば以下、詩篇「汲み出す」の冒頭聯――



昼寝から覚めると
一本の鉛筆だけが目に入った。
まだぼんやりで
私の意識には
鉛筆だけがあった。
私の記憶にも
鉛筆だけしかなかった。



贅肉を殺がれた、詩的修辞たりえないがゆえの詩的修辞。欠性。
修辞のあられもなさが詩性に残酷に転化するということでもある。
それを飄々としたユーモア、といっても意味は同じこと。
しかもこの詩篇ではその「あられもなさ」が
小川特有の時間意識と結びつき、哲学の気韻すら発してしまう。



死とは自己の全てが
外へ流れ出ること。
一気にすれば単なる死だが
少しずつなら
生きるであり
価値があるようにすら見える。



しかしこの肯定哲学に忍び込んだ毒の修辞、「すら」には
しっかりと視線を配っておくべきだろう。

小川三郎の詩は、詩行の数瞬を採りあげれば
カフカ的アフォリズムに通う、無気味な不透明の感触をもつ。
以下、詩篇名表示なしに送り込みで列挙。
《人の死と/人形の不死は/繋がっている。/見れば強い糸である。》
《竿竹屋が/三十年前の録音で/エンドレスに遠ざかる。》
《私はまた一年の節々を/丹念に死ぬ。》
《夏の日を/持ち帰るのは不道徳である。/
悪い奴が持ち帰る。/悪い奴の分だけ/来年の夏は痩せてしまう。》
《陰部を隠す要領で人は/地球を丸ごと焼いてしまう。》

だが、こうした部分引用は、小川三郎の詩にたいしては
誤ったやりかたというべきだろう。
彼の詩は、論理が修辞をつくり、その修辞が物語をつくる、
この全体性のなかでこそ真の相貌を現す。
もともと像の少ない詩にあって、
さらに細部同士が衝突し、像が喪失する、そんな「渦中」の刻々を
一篇の詩の読後、茫洋と恐怖することが彼の詩の体験ということ。

僕は彼岸花の咲く山の斜面を詩の主体が駆け下りるうち
距離感覚と彼岸花そのものの大小感覚が変容してゆく
詩篇「夕風」の、
他語を排したゆえの修辞論理の奇妙さが大好きだし、
「私」に傷をつけた当事者=「あなた」が傷に包帯を巻くことで
私に「人の形」が温存されても可視性が奪われてゆく
詩篇「傷」の悲惨なユーモアも大好きなのだが、
ここでは小川詩の詩篇全体の物語性がいかに錯綜し、
その錯綜のなかで詩がスパークするかの実例として
詩篇「後戯」全篇を引かせてもらおう。



鬼がやってきて
女が死んだ。
私はそれを目撃した。
私は笑っていたろうか、
笑い声は
聞こえた気がする。
相槌も打った気がする。
鬼は私を見なかった。
全ては決定済みのこと
面白いことは何もなかった。
夢であると言うならば
寧ろ納得が行くかもしれない。
しかし私はその色彩を記憶している。
鬼と女の色彩は
とてもよく似ていた。
かろうじて私は指先にだけ
その色彩を持っているのだったが
無論儚かった。
天は何度も私たち三者のところまで
降りて来はしたが
何もせずまた昇っていった。
放たれた矢は
必ず一周して戻ってくる。
私は避ける気力もなくて
見事命中
磔にされ
鬼と女の姿が
ともだって薄れていくのを
ただ見送るしかなかった。
どんより流れる煙のような
苦しみ
痛み
それは鬼とも
女とも無関係だ。
女の涙は
別件にて流される。
私は寧ろ鬼を愛した。
磔にされるも承知の上で
甘ったれるな
運命は哀しいもの
決断は冷たく
棺桶まで持っていく傷となり
しかし今は寄り掛かる。



「色彩」や「天」の語が裸で使用されていて、唸る。

さてこの詩篇では「鬼」が「私」の分身なのか
「女」の分身なのかが論理的に規定できないだろう。
そしてこの三者のうち何者が
死んだのか、死んでゆく「渦中」にあるのかも
詩篇内のさまざまな矛盾撞着によって
藪のなかに入ってしまう。
ただ、惨劇が起きたという感触だけが残るのだが、
それすら虚辞、「起きていない」と断じれば
詩篇全体が哄笑性をもってしまうことにもなる。
詩篇は変容を許容し、読者側からの作り変えをさらに待っている。

このとき詩篇で唯一、
「決断」によって「私」が傷を負い、冷やされ、
死を宣告され、なのにそれを拠り所とする精神だけが
鈍く浮きあがっている。

そういえば小川三郎の詩篇の最終行、いつも厳しいなあ。

2007年09月27日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

単飛

【単飛】


あんたが見ている白は
俺が裏返している肌
日暮れまで予感していた
あんたの眼底のすべてだ

丸め込み、折り
抱き寄せると
あんたは汐い息を吐き
寄せる波も俯瞰させる
今日はまた
極端に折られて
腕許にちいさい。
入り込んできた珠のように

物音ならば
ざくり ざくり
茎を剪る音だ
《十四五本もありぬべし》

今日の餞別には、
このロボットの躯から
円いものを出す
「息を抜いた」かも。

講義用テープをつくり終え
夜の新宿に繰り出した
単飛の鳥となりゆくも
うすれて、べつの水脈を

会うひとごとへのキス
尾花が網膜に光るまで
あらゆる擦過に
乱倫傾向をまぜる
まぜかえす。

単飛の鳥となりゆくも

2007年09月26日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

酔芙蓉

【酔芙蓉】


遠くても離れていないことに
躯のなかの他者の基準がある
そう神谷バーで感じて
いざ酒で肌を桃色にした
若い女の面長の和風を賞玩した
(ショートカットだったな)

この女は今朝歩いてきた
酔芙蓉の農道をおもわせる、
そこからの距離を近いともおもわせる、
そんな望遠を身中に置いていた

古代音階を放つてのひらのにおい

(僕は開きすぎた酔芙蓉に
順に手をかざす奇異な行動をして
後ろをあるく女房に咎められた)

季節が巡り 巡りきる酸鼻に
かすかな存在だけが酩酊する。
「酔」の字を接頭辞された花ばなが
世界の輪郭を揺らす、(破線へと)
そんなふうにひらひら歩いて
崖から落ちるなよ、詩的なんぢ

肌若く、脳天が古い(遠くても
離れていない)玉川満が莞爾とする
おうよ そんな鷹揚を前に
赤尾兜子の句が憶いだせなくて
三十年もの遡行がまよう
数ヶ月前の鯉幟も眼底に揺れる

今年を釣ろうとする(今年なぞ釣れない)。
また沢下りする水学の授業だな
僕の撒餌も芭蕉の脇に投げられて
べつの水脈を流れに流すだろう

2007年09月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

詩集はこのようにして出ます

【刊行を予定している詩集『昨日知った、あらゆる声で』の件で
9月19日、書肆山田に訪問して相談をした。
以下ではその首尾につき
小池昌代さんに打ったメールをペーストします。
小池さんが書肆山田に僕を紹介してくれた経緯があったので】



小池昌代さま

昨日、書肆山田に行ってきました。
鈴木一民さん、大泉史世さんと具体的な話し合いをした。
決まったことを箇条書きにします。

・刊行時期=本年末か、来年初頭
・部数は400部(場合によっては500部)
・判型・頁数=B6変型(天地を若干切る)で、96頁
(小ぶりのものをという僕の願いを聞き入れてくれました。
僕のほうもふたたび
ハンディサイズの詩集のほうが
愛唱性、再読性が高いという信念を言いました)

・各詩篇は右起こし
(大泉さんの計算では白頁が2頁しか出ない、とのこと)
・一頁14行 聯間の行アキは2行ドリとする
・印刷方式=活版
・制作費〓万(阿部もち)  [※ここでは伏字とした]
・定価 訊き忘れました(笑) 今日、訊きます

【部数内訳】
・100~120部=献呈(詩壇関係) 郵送費のみ阿部がもつ
・100~200部=阿部が5ガケで預かる
(阿部は自由に売っていい=サイトなどでの注文受付も可)
・残り=書肆山田が書店置きする
(返品後はここからさらに阿部の預かり分を出してもいい)

・以上詳細は、覚書を交わしてフィックスする

【栞】
・制作する
・書き手は2人
・むろん一人は小池さんに原稿依頼してくださいと頼みました。
・もうひとり、というところで意見が割れた。
僕は岡井隆さんを推したのですが、
書肆山田が現在、岡井さんに重たい仕事を頼んでいるらしく、
岡井さんにこれ以上の負担をかけるのは・・と渋った。
で、福間健二さんはどうか、と逆提案されたんですが、
福間さんは僕の本の絶賛書評をしょっちゅう書いているし、
仲間褒めの感じにならないかと今度は僕が渋った。

で、稲川方人さんの名前が出たが
原稿が遅いからなぁ、と双方で溜息。
ということで、「もう一人」については
岡井さんに当たってはみるけど
現状、ペンディングという色彩が濃いです。
何かいいプランはありますか?
瀬尾育生さんもアリかなあ、とあとでフッとおもいました。

【その他】
初出一覧では
原稿どおりmixiのアップ日を出してもらうようにお願いしました。
ブログ詩だということを自らマニフェストしたいので。
「詩人」のみなさんは
ブログ詩の是非につき色々かしましいですが
僕はブログ詩の可能性を信じています。

それと昨日は「あとがき」の話をしわすれました。
大泉さんの算定した96頁には、
「あとがき」を織り込んでいるのだろうか?
これは、今日、電話で確認してみます。
実は僕自身は
「あとがき」に何を書いたらいいものか皆目わからず、
「あとがき」はオミットしたいとおもっています。
そのための初出一覧、というか・・
小池さんはどうお考えになります?
問題は一点、謝辞が抜けることなんだけど



小池さんの後押しが効いているみたいで
話は友好裡、トントン拍子に進みました。
大泉さんが、詩集の全体の台割りや制作費を
すでにこの段階で完全に掴んでいるのに驚きました。
仕事がすごくできるひとですね。
病み上がりということでしたけど、
だいぶお元気になられたみたいです。

僕の詩集は書肆山田では出版予定の詩集に割り込んで
繰上げ出版のかたちになるのですが、
お2人ともすごく僕の詩を評価していて、
社内的な問題はない、とのことでした
(興味をもたれて、僕の詩的来歴をいろいろ訊かれました)。

部数400部は書肆山田のほうの苦肉の策。
僕は300部でいいのでは、といったのですが、
詩人ではないゆえに逆にある
僕の特殊なヴァリューが気になっているらしく、
通常の無名の人の第一詩集などより売れるのでは、
と見込んでいる様子がうかがえました。

で、僕のほうも授業で売ったり、
三村さんのライヴで売ったりします、と約束した。
一応、来年3月くらいに
僕のマンガ評論集とブログ本が出る予定なので
何かそのときに書店イベントができたら
詩集もアピールします、ともいいました。

逆に書肆山田のほうには
僕の本の置かれている映画本やサブカル本のコーナーに
詩集を棚ざししてもらえるよう書店営業してほしい、とはいいました。
ジュンクなどは僕のコーナーをつくる、といっているので。

だいたい、そんなところかなあ。

ともあれ、すごくリラックスして話せました。
自己負担額も織り込みの範囲内だったし。
みんな小池さんのおかげです。

気の早い話だけど、いずれ、
小池さんに栞文の依頼が行くとおもいます。
その節はよろしくお願いします。

じゃね
ほんとうにどうもありがとう

阿部嘉昭拝



【その後】
小池さんからメールが来て、
「栞の第二の書き手は
阿部さんとまったくつながりのないひとがいいんじゃないか」、
藤井貞和さんはどうなの? と示唆を受けました。
嬉しい示唆です。

で、第二の書き手候補は
大泉さんと相談の結果、
1)岡井隆さん、2)藤井貞和さん、3)瀬尾育生さん、の順になりました。
いずれにせよ、
栞原稿の依頼はゲラが出てから。
気の早い話をしすぎていますね、たしかに(笑)。

その大泉さんからは
「あとがき」はやっぱりあったほうがいいと説得されました。
これから書きます、400字。
たぶん必要事項だけになるのではないか。

定価については判型・頁数からして
2000円内外で考えていると大泉さんはおっしゃってた。
最終的に制作費が確定したらそっちも確定したいのですが、と。
むろん承諾しました。
学生に買ってもらいたいので、2000円を切れるといいのだけど。

あ、判型、わかりにくいかもしれない。
書肆山田の本でいうと、だいぶ以前の本を例に出すと
入澤康夫さんの『歌・耐へる夜の』などと同じです。



昨日の詩集打合せにつづき、
今日夜はブログ本の具体的打合せを烏山で。
歌人盛田志保子さんの旦那の倉田晃宏さんと会う。
そのまえに大中君に焼いてもらった七尾旅人を歌詞なしで聴きつつ、
セレクトする記事を考えてみようか。

何か、今日は前向きの仕事ばかりで嬉しい(笑)

2007年09月20日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

身虫

【身虫】


昨日からの
棒を掴まれて
身虫の鬼がぞめく
かくして不機嫌

地に地命があり
よって彼岸花が
突然に生える

第一に突然ということ
次いで花肉にまるで
面がないということ

彼岸花に反意ひるがえり
路傍が路傍でなくなって
見えない傍らの通行が
ひかひか炎える

みんな、行った
人ではなく
みんなの身虫、通った
装束ではなく。
(地面とは
地線でした

鏡面とひとしい

厭気の私は
もう心では
線、
そうして揺らす、揺らされる

あなろぐ魚やもーるす信号が聴えて。
《地球の朝焼け揺らす
世界のエンドロール
《遠くても離れていない

2007年09月18日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

砂下ろし

【砂下ろし】


月に一回、オフクロが
「砂下ろし」の日を宣言して
蒟蒻ばかりを喰わせた
表情の憮然はそこで覚えた。
瞰下ろして 眼下の雲古に
灰色の砂絵を感じては
月ごとに背の伸びる自分も怖くなる
花田清輝「砂について」を読む前だ

甘泉庭園の端に佇つ
血を巡るものが緑陰、
私と私以外がふれあって
万端がざわざわした、痒い

(七面鳥の首を絞めて
悪童が七色に笑う

(打擲癖の婆さん登場
《お前と食べ物は
箸で渡されているのさ
いにしえから箸は橋だよ
ちゃんと使えなきゃお前が摩滅する》
――婆さん、与重郎めいた機転を

打撲の灰色を愛した
「膚のメダル」と謂っていた
《だがお前、世をずれては
眉間の打撲痕もとれんぞ》

そうだ、拭う指あって だから手偏か
掏って、招いて、拌[かきまぜ]る。
手許ばかりに久遠の根拠、みていたな
地の白に 図の白
レダと白鳥の根拠だ

(そこを)装束が通る、人ではなく

2007年09月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

橋の図鑑

【橋の図鑑】


道がなく橋だけのある
葦や「悪し」の一帯で
私は全身を世界の疲労にとかして
千やそこらの橋をゆく
時間がいつかはわからない

上こそを水の通る四万十の沈下橋や
大水で壊れた大井の木橋、
V字に崩落した酒匂の橋
それでも橋に橋がただつながって
歩くここらが、変にもどかしく

茶色い虹がつたえて、
カフカの金属的な肉声が響く
ほ 牛腸さんの声に似ているな
《私は橋だった 寝返りを打った
私はバラバラになり 刺しつらぬかれた》

保田さんの重厚な咳払い後なら
《さ丹塗りの大橋の上ゆ
くれなゐの赤裳すそひき》
ジンメルの細心なら
《扉はそこから踏み出るとき
橋が与えてくれるような安定感を奪う》
ならば橋が扉の連続状になっている

いずれにせよウォタールーでもみられるものは
いつも《眠るまぎわの 夕焼けに近いもの》だ
少年のように私は人などみていない
象なしでも象の背中が通るから

橋だけを綴ったここには
さんぼん縦線のあの字ももはやない
濡れていて涸れているそこらを歩きまわったあと

立ち方によっては 私が端だろう

2007年09月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

梯子語り

【梯子語り】


映像にしえない
「犀と蝶のアイノコ」を
飲み屋で交わす
風説に訪ねる
ひらっ ひらっ、
いまし いずれも
われわれの「訪問記」

きらめいている輪郭の
ことではないだろうか、
「鰻的」もアイノコも。
改行屋はずんぐりと開陳する
なら「ぽりふぉにぃ、ですよ」

《空は行かず 足よ行くな》

公共施設ではたらく
奇妙な現代人を眼中に
こっちの睫毛が
古事記になる。
虚詩を燔祭にして
数々のタケルもほうむり
撥音の群をツッツッ、と
跳ねてゆくと、

きっと川に渡した梯子だな、
橋になるまえの意味なぞは

《日本という島の
原風景を動物化すれば
それは鹿だ、》

むろんわれわれは雁のような
カッコいい断言なぞ封じられて
改行屋もいつしか
象の背中に乗り 遠く喋ってる

2007年09月11日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

手巻き

【手巻き】


鰻と胡瓜、ちいさな寂滅を酢飯に載せて
晩遠もろとも海苔で巻く。
私は海苔で かく巻いたものを
酒で笹舟にし 躯の彼方に流すが
酒を呑まぬ金柑女房は自ら以上のものを食べ
全身を刻々 海苔で包まれてゆく

わひゃあ、(黒いっ、黒いっ、)
わひゃあ、(中年の歓び・オノマトペ)
わひゃあ、(いまだ汝が別物になれるなんて)

この「夏炉冬扇」仮面が女房の二の腕に
低い鼻くっつけて犬の息吐く、
女房の肥りじし折り曲げて
弓張る力をヒタたくわえる、

聴いたGSがひよめきから漏れている
《泣きぬれる太陽の剣で
あなたを (射止めたい)》
ブルーインパルスなら愛の壮語、
いずれ瞬時にしいられた喪から
病みあがる鰻的[マンテキ]な暑さも抜けない

――なあ佐藤さん、あなたの死後
びっくりするほど不快なブログをみたぜ
あなたが最期に駆け上がった団地の階段、
その激甚な視界変化こそを
あなた自身がドキュメントすべきだったって

映像にしえないものを守る倫理が
浅はかな言葉でかくも蹂躙されたので、
偶然に黒衣となった女房と 私は
《死ぬまぎわの 海に近いもの》を
これから見にゆきたいのだ

そのまえに双つの掌をあわせ、

2007年09月09日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

続・佐藤真さんのこと

【先のmixi日記にかんして
そのコメント欄に書き込みされた意見にたいし
僕が返したコメントを下に順に並べておきます。
「ENGINE EYE」の読者のためです。】



佐藤さんの死因を
いまきた朝刊で知る。
飛び降り自殺だった。
鬱病を患っていたらしい。

それで上の原稿にヘンな符節が生じてしまった。
何ということだろう。

もともと僕が訃報を知ったムラケンさんの日記には
死因が書かれていなかった。
進行の早い癌ではないかと簡単に推測していたのだ。

佐藤さん、俺と同い年だった



まっちゃんさん、
映画監督の死にたいしては
その作品を見ることで追悼しなければなりませんね。
加えて、佐藤さんには膨大なドキュメンタリー論の著作もあります。
それも読み直さなければ



小川紳介の衣鉢を、というポジショニングが
最初の佐藤さんを苦しくさせたのだと僕はおもう。
たしかになんきんさんのいうとおり、
少人数の撮影班で起動力のある映画をもっと観たかったですね。
パレスチナを動き回った
『エドワード・サイード』にはそれを確かに感じました。

巨躯、四角く立派な頭蓋の骨格、やさしい眼差し、包容力・・
佐藤さんに接した記憶からいうと、
やっぱり自殺とは結びつきません。

松江くんはいま「他者によって自己を語って」ますよ。
なんきんさんの区分でいうと、実は佐藤さんのほうが
ポジションがよくわからなくなる。
『SELF AND OTHERS』の牛腸茂雄は
果たして佐藤さん自身だったのか? 等々

佐藤さんが僕を見つめた眼差しがおもいだされます。
あの眼差しに牛腸茂雄の眼差しは入っていたのか?

沈鬱がとまりません



あ、いろいろおっしゃるとおりです。
小川紳介ってどっかが冷やっこい。
土本さんもそうだけど。
そういえば、黒木さんの追悼会で佐藤さんに会ったとき
土本さんにインタビューするのですごく緊張します、
と語ってらした。

土本さんはどうするんだろう。
去年は黒木和雄、松川八洲雄と「同志」が立て続けに鬼籍に入り、
今年は最も期待する後進のひとりを失った。

怒りについて:
佐藤さんの怒りは、彼のドキュメンタリー論の行間に
ひっそりと見えますよ。
名著しかないので、ぜひ読まれるといいです。
小川さんにたいしては土本さんとちがい、
どこかが両義的だった、という感触があります。

佐藤さん、東大でも教えていたのか。
あのひとはアーカイヴを指導する能力も十全にあった。
その意味でも、その死が惜しまれます



(エビちゃんさんへ)
台風下、ずっと出歩いていて返答が遅れました。

佐藤さんはたぶん、DVによるスピーディな撮影の効力を認めながら、
一種、世代の責任としてフィルムのマテリアルにこだわったのだとおもいます。
そういうポジションをとることで
森達也たちとガップリ四つを組み、
それで日本のドキュメンタリー全体のバランスをとる、
ということを考えていたんだとおもう。
森さんが若手のDVドキュメンタリストと通じ合っているならば
自分は土本さんなど年長者からの富を継承し、
現在に開いてゆこうという構えもあったのではないか。

あと、あれだけの構成力があれば
アーカイヴドキュメンタリーも撮れたのだとおもう。
ところがそれはもっと齢をとってから、と考えていたとおもう。
『SELF AND OTHERS』は
それを部分的に予行演習する意味合いがあったかもしれない。

『ドキュメンタリーの修辞学』がいま手許にないので引用はできないのですが、
『阿賀の記憶』は
たしかに一種、記憶を定着しようとしたプライベートフィルムでした。

ところが『阿賀に生きる』の捨てカットが
フィルム缶のなかで癒合し、
それを映写機にかけると
多重露光のような状態になっていることを佐藤さんは発見する。
それをスタッフ間で「糠味噌ブラッケージ」と呼んでいたらしく、
そのへんの経緯が『ドキュメンタリーの修辞学』では
異様におもしろい筆致で振り返られていました。

そう、あの作品もまずはそんなフィルム・マテリアルの発見から
作品が発想されたということです。
そして「つなぎ」にいたっては、
映像よりも自然に録れた「音」を原理にした、
とたしかはっきり書いていたとおもう。
だからあの作品は、個人/撮影隊の記憶に逼塞している
という印象を確かに与えはするのですが、
一面でフィルムや「構成」により近づこうとする
佐藤さんにとっての原理的な作品だったとおもいます。

ただ、『SELF AND OTHERS』の達成のあとに
『阿賀』の続篇をつくらざるをえなかった佐藤さんの立場からは
どこか「苦しさ」が仄見えていた。

たとえば松江くんのような個性ならば
そんな問題系とは逢着しえないわけです。
松江くんは『あんにょんキムチ2』を徹底的に峻拒し、
フィルモグラフィを戦略的にズラしていった。

佐藤さんは自分に私淑する生徒たちに警戒的でもあったとおもいます。
加藤さんの『チーズとうじ虫』については
前述した黒木さんの会で具体的に話が出ました。
僕は肉親の死が静謐に描かれれば感動にいたらざるをえない、
「構成」も見事だ、
けれどもその見事さによって
アクチュアリティが見えないのではないか、と話しました。
佐藤さんは、「やっぱり阿部さんならそうおっしゃるでしょうね」といっていました。
佐藤さんのその様子に、
アクチュアリティに惹かれる心中が見えました。

(以下つづく)



(承前)
『エドワード・サイード』は実はサイードの存命中に企画されたものです。
ところが撮影前にサイードが死んでしまう。
それで撮影を中止するか否か、佐藤さんは迷ったといっていた。
やはり自分のドキュメンタリーに繰り返される「事後性」を
気にしていたのだとおもいます。

僕はちがう、といった。
『SELF AND OTHERS』は牛腸の個体にかんしては死後に撮られているけど
牛腸の写真が「いま現在・渦中」に置かれているから
アクチュアリティが体現されている、と。
とうぜん佐藤さんはすごく喜んでいた。

僕ぐらいの齢の者が鬱病にかかる経緯は決まっています。
几帳面さが条件になりますが、
「昔できたことが今できなくなり」、
それで自信喪失を招いた結果、
最終的には発想力をも失ってゆくのです。

僕は「サイードのいない」パレスチナを
「アクチュアリティをもとめて」少人数で走り回った結果、
佐藤さんが異様に疲労してしまい、
それが鬱病の引き金になったのではないか、と
今日の日中、別の仕事をしながら考えてました。

ともあれ、佐藤さんも伝統的なドキュをつくりうる社会的土台が崩れ、
またフィルム・マテリアルに拘泥する理由も薄れつつある現在、
アクチュアリティに向け、自分の方向性を模索しようとしていたのでは、
と推測します。

ただDVをもって個人で突入してもいい主題を発見できなかったとおもう。
『花子』の主題選択の無惨さからそれを類推できる。

というか、佐藤さん自身は、自分の「阿賀」が
小川さんの「三里塚」や土本さんの「水俣」とちがい、
アクチュアリティを欠落していた現実を
当時の多幸症的評論家とちがい密かに認知していたとおもう。
だから僕は「苦しさ」と書いたのです。

僕は鬱病にかかった佐藤さんが
ずっと福田克彦の亡霊に悩まされていたのではないかという気もする。
眼がそうして過去に向いた。
逆に松江くんたちには簡単に未来を託す気持があったのではないか。

エビちゃんさんの書き込みにたいする
解答になっているかどうかはわかりませんが、
日記本文の裏にしまっていたことを
刺激されて、ちょっとここで「開いて」みました。



(アル・ウィーラーさんへ)
鬱病による自殺は、
自殺ではなく事故ですよ。
散文的に捉えるしかない。

ただ、佐藤さんが鬱になってしまった流れを
推察すると上記のようなことにはなる。
しかしこれは、書いてはいけなかったことなのかもしれない。

世界のドキュメンタリーといえばいまは中国が凄いでしょう?
僕はもうその最前線を掴んではいないけど。

戦争が文学を豊饒にするみたいな言い方になりますが、
現代日本でドキュが本当に社会化するためには
貧困が完全に明確化する必要がある。
上品な佐藤さんは、それを
不幸を希求することと嫌ったのかもしれない。

ただ日本ではいずれドキュメンタリーが復活します。
貧困がますます猛威をふるっているのだから。
学生世代にも、ドキュ志向の子が多く、
彼らはいずれ、セルフドキュだけではやっていけないと
考えるようになるとおもいます。
このとき、佐藤さんの数々の著作が物をいう。

僕は『SELF』と『サイード』以外で
佐藤さんが世界的なドキュを撮ったかどうかは
実は微妙な問題だとおもいます。
ただし、その著作はまちがいなく世界的だった。

映画評論家時代の僕には決してできないことでした。
『成瀬巳喜男』だけ近いかもしれないけど

2007年09月07日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

佐藤真さんが亡くなった

ムラケンさんの日記で知った。
『阿賀に生きる』『SELF AND OTHERS』等の
佐藤真さんが亡くなったらしい。
去年、「黒木和雄さんを送る会」で話したときは
お元気そうだったので、何で? という衝撃が渦巻く。

現代日本のドキュメンタリーの最前線だった。
ドキュメンタリーは「構成」によって最終成立する、
という信念を枉げなかった。
東大出身者特有の学識への尊敬もあり、
古今東西のドキュメンタリーに真摯に接し、真摯に考察した。
ドキュメンタリー論の著作も次々に書き、
どれもが卓抜な作家論、ドキュメンタリー論でありつつ
深い、深い「現場感覚」に裏打ちされていた。

佐藤真さんと初めて話したのは
10年ほど前、監督協会の忘年会のあと
イマジカから移った五反田の居酒屋でだったろうとおもう。
佐藤さんの隣には林海象さんがいた。
この年の新人監督賞選定の経緯が非常に面白かった。
その内輪話を佐藤さんは、
いまでは遺著になってしまったことになるのか、
今年刊行の『ドキュメンタリーの修辞学』に収録された文章で
抱腹絶倒のおもしろさで書いていた。

その初遭遇の席で、佐藤さんは僕の著作を読んでいるとわかる。
全然ちがう立脚点をもつ理論派の正対峙といったら大袈裟か。
即座にAVをドキュとして認めるか、という話になった。
僕はカンパニー松尾や平野勝之の話をしたとおもう。
扱われる題材に難色をしめすことができても、
そこに「構成」があり、社会がえぐられているという僕の言葉に
その場の佐藤さんが進退窮まった。
相手のそうした気配にこっちのほうの肌が粟立った。

ここで生じた難題を、その後も佐藤さんは引きずった。
セルフ・ドキュメンタリーにたいする複雑な是非の吐露は
前述『ドキュメンタリーの修辞学』冒頭のほうの収録文章で
佐藤さんがかなり重い筆致で書いていた
(本は研究室に置いてあり、手許で確かめることができない)。

それでも佐藤さんは不偏のひとだった。
その後のセルフドキュとAVの熱い接点となった松江哲明君を
佐藤さんは「構成=ドキュ」の見地から褒めていた。
ドキュが社会派の立脚では苦しくなりつつある点も認めていた。
佐藤さんの誠実なドキュと、森達也さんの奔放で、
観客-作り手の関係を審問にかけ、壊すドキュ。
「ドキュメンタリーは嘘をつく」のか「つかない」のか。
ここ何十年かは「佐藤vs森」で
ドキュの中心が推移するだろうとおもっていた。
だから佐藤さんも森さんが企て、ムラケンさんが監督した
TV東京OAの挑発的なドキュ『ドキュメンタリーは嘘をつく』に
喜び勇んで、話し手として登場してきたのだろう。

佐藤さんのドキュは「苦しい」面があった。
その「苦しさ」が直視されなければならない。
ところが颯爽と引っさげた『阿賀に生きる』で
佐藤さんは当時の心無い中心的映画評論家から
「小川紳介の再来」と表面的な賛辞を浴びてしまう。
あの作品で阿賀の川沿いを生きる人々の姿には
確かにあっけらかんとした可笑性が捉えられていたが、
同時にあの作品には「共同体制での長期間撮影」が
小川プロ時代から下がるといかに苦しいかが滲み出ていた。
評論家の賛辞をよそにおそらく佐藤さんはあの時点で
ドキュメンタリーに内側から真摯に・孤独に接することになった。

その佐藤さんが自分の範として誰を置いたかはわかる。
小川プロが三里塚を去ってのち
ただひとり三里塚に残ってドキュを制作しつづけた福田克彦だ。
故・福田克彦だけが『阿賀』の至福の宴会場面を
「要らなかった。切るべきだった」といった。
それが佐藤さんのその後の指針となったはずだ。

「現代詩手帖」02年7月号のドキュメンタリー特集で
僕は対談相手の福間健二さんとかなり佐藤さんについて話している。
佐藤さんには複雑な態度をとった。
『SELF AND OTHERS』を褒める反面で『花子』を
ドキュメンタリーの制作動機が後発的だとして許さなかった。
真の出会いなど、あの作品にはなかった。

この時点では『阿賀の記憶』がまだ完成していない。
完成していれば、これにも複雑な態度をしめしたかもしれない。
この作品には『阿賀に生きる』を前提にしている傲慢がある。
そんなもの知っちゃいねえよ、という客に近づかないのだ。
ところが阿賀の流域を10年ぶりに再訪し、
「にんげん」を通り越してあらゆる光と音を
喪失の相で見据えつづける作品は肺腑を抉る哀しみにみちていた。
朦朧としたアートな光、二重露光。画面の霊性。構成の意図的破綻。
この作品で佐藤さんは『阿賀に生きる』への過褒を
ひそかに「苦しんでいた」のだという感触を僕は得た。

その後の『エドワード・サイード』は
佐藤さんのフィルモグラフィを代表する傑作だった。
牛腸茂雄の「喪失」後『SELF AND OTHERS』が撮られたように
阿賀の「喪失」後『阿賀の記憶』が撮られたように
この作品もサイードの喪失後に、サイードが撮られた。
佐藤さんは『阿賀に生きる』ののち「事後性」の作家に変容した。
その「事後性」が悪く作用すると
芸術的才を示す障害者がいると聞き現場に赴いた『花子』になる。

『サイード』はサイードの少年期の痕跡を
プルースト小説の香気を伴って追い、
やがては余人の口からサイードを語らせて、
サイードの「人」を、「思想」を、じわじわ浮かびあがらせてゆく。
原一男『全身小説家』後半の手法は踏襲されていない。
なぜなら、映画はとんでもない領域に入ってしまうからだ。

パレスチナには
アラブ人とイスラエル人が「共生」している領域がある。
そういう事実はこの二元論社会では秘匿されている。
ということで入っていったカメラは
「世界の内側を抉る」生臭い動勢をともなっていた。
いや、「生臭い」のに「静謐」なのが佐藤さんの個性だった。
ともあれそこで、「一国二民族主義」が画餅ではなく
実在として生きられてさざめいているという認知を得る。
佐藤さんのドキュが平板な社会性から離れ
深甚なメッセージを繰り出した瞬間、それを忘れることができない。

雑誌「d/SIGN」「写真と都市生活」の原稿で
佐藤さんの『SELF AND OTHERS』を前振りにして
映画美学校・遠藤協君の『写真をよろしく』を論じたばかりだった。
たぶん遠藤君は佐藤さんの生徒だったろう。
だからその原稿を佐藤さんに読んでもらうのが愉しみだった。
僕は佐藤さんの『SELF AND OTHERS』をその原稿で
次のように端的に表現する。

《身体に有徴性を帯びつつ夭折した写真家・牛腸茂雄に焦点を当てたものだったが、評伝ドキュではない。眼前の対象の他者性を見据える牛腸の視線(これは彼が数々撮った静謐な肖像写真のすべてに現れている)と観客の眼を再帰的に直面させる、熾烈な写真論映画だった。見ることとは何か。観客はそんな難問に出会い、自身の存在の他者性も知る。》

佐藤さんと森達也を比較すると、
佐藤さんのほうが真摯だという評言は当たらないだろう。
どちらも真摯、というのが正しい。
ただ佐藤さんが森さんにたいし絶対量の多さを誇るべきものがある。
「孤独」の分量がそれだ。
対象に単身突入する森さんを想定するとヘンな物言いかもしれない。
「そうはみえない」という意見が趨勢だろう。
だが僕には「そうみえた」。
だから佐藤さんの作品が僕には貴重で忘れがたかった。
佐藤さんの穏やかな風貌からそんな奥行も感じられた。

――合掌

2007年09月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

顔出し



「顔出し」を僕は以前、きらっていた。
それは、モーリス・ブランショがあらゆる出版・新聞関係にたいし
「顔写真の掲載不可」を貫いていた姿を
青年期の僕がずっと範にしていたからかもしれない。

そう、「書く主体」には文字だけが現前すればよく、
背後の肉体などは書かれたものにはいっさい無縁だ――
こういう清潔な峻別がブランショにはずっとあって、
それは当然「テキスト」のみを扱う彼の批評態度とも直結していた
(やがて彼はそういう一生を見事に全うしてしまう――
ただしパリの5月、「68年革命」時のブランショの写真は
マスコミの興味本位で「流出」してしまったらしいが)。



そういえば――
まだ僕が社内原稿だけを書いていて
インタビュー写真も公になっていなかった時分、
アテネフランセで何か「凝った」作品を見ていて
いきなり見ず知らずの年少者から
「阿部嘉昭さんですよね?」と呼びかけられたことがあった。
すごく吃驚した、というより感覚が恐怖にちかかった。
「阿部さんの映画批評は花田清輝の現在形ですよね?」とか
いきなり突っ込んだ質問もなされ、
それなりに相手からの敬意が感じられたが、
最初に覚えた恐怖はずっと自分の躯に澱としてのこった。



けれどもそんな臆病も大学で授業をやるとフッ飛んでしまう。
マイミク「ちくびたいけん」らとサイトの林檎鼎談書簡の打合せで
江古田で呑んだときの飲み屋では
前年、所沢で教えていた(僕にとっては見ず知らずの)日芸生徒と
本当に「これでもか」というほど次々に邂逅し、
「あ、先生」と呼びかけられつづけた経験がある。
もうこの顔は「晒されている」のだ。
潔癖を「童貞的に」貫いたって意味なぞない(笑)。

そういえば昨年末、三軒茶屋に七尾旅人のライヴを見に行って、
休憩時間に七尾旅人自身から絡まれたことがあった。
風体が他の客と較べ異様だったのだろう。
七尾さんから「職業何? 年齢は?」などずっと「訊問」されるが
こちらは年長者の余裕でずっとへらへらトボケつづけた。

そしたら翌日、誰かのmixi日記で
「批評家の阿部嘉昭が七尾旅人にからまれていた」と
さっそく書かれていた(笑)。
「先生」と書かなかったところをみると、
僕のインタビュー写真を何かで知っていたのだろう。

「先生」ということであれば
ミヅマアートギャラリーで近藤聡乃の展示をみていたとき
立教の元生徒からいきなり声をかけられたことがあった。
彼女がミヅマのキュレイターで活躍していると聞いて、
こちらはすごく嬉しかった。

以後、ミヅマからは案内状も毎回届くようになる。
こないだの上野の森美術館の「会田誠&山口晃展」、
あるいは先週日曜、
練馬美術館で見た「山口晃展・今度は武者絵だ」などは
そうして案内に促がされて見にいった。

(ちなみにウチの奥さんはどうも、画筆の細密性によって
リアリズムが幻想に反転する画家の系譜が好きみたいで、
最近はそれに「和調」傾斜が絡んだらしく、
伊藤若冲と山口晃が現在の大フェイバリットだ――
練馬ではその山口が若冲の一生を双六形式で描いていて、
女房は具体的なその「一致」に接し、めちゃめちゃ狂喜していた)



自分のイケてない顔を晒してもいいんだ、
そうおもうようになって、自分の書くものにも変化がおこった。
以前の僕の評論は一人称主語がなく、
やむなく使用する場合も、
「筆者」「評者」などととりわけ中性的な主語をもちいていたが
この禁則も最近はゆるゆるとほどけてしまっている。

詩をふたたび書き出したのが大きい。
それとmixiで日記を書き出したのも。
主語がないと、詩も日記も僕の場合さすがに定位できないのだった。

ただ、そのような肉体性が
自分の書くものに裏打ちされていいと考えるのには
ひとつの契機があったのだとおもう。

自分の肉体が元気で生臭いうちであれば
僕は日記も詩作自体も
自分を不要に晒すものと厭ったかもしれない。
それが衰退相にあると確認できて
臍曲がりの僕はそれを自分の文に
じわじわ炙りだす倒錯的快楽に惹かれだしたのだとおもう。
もう自分は以前のように「かしましく」も「可愛く」もない。
だったらそれを「さらけちゃおう」ってことだね。
だから僕がいま書くものは「中年の反逆」の色彩もつよい(笑)。



ということで、以下は宣伝。
とりわけマイミクさんで、僕のイケてない顔を見たいひとや
僕の素軽く分裂症的な話芸に接してみたいひとはどうぞ。
何しろ、僕が公の場に出る機会がこのところ目白押し
(といったら大げさか-笑)なのだった。



9月9日(日):池袋シアターグリーン学生芸術祭の一環で
立教の演劇サークル「劇団しどろもどろ」の公演があり、
それを僕の生徒の乾亜沙美さんが作演出しています。
演目名は「揺れる部屋」。
僕にからむ開演は14時から。
公演ののち、16時40分ごろ乾さんと僕との壇上対談となります。

しどろの芝居は伝統的に往年アングラ風で、かなり「濃い」(笑)。
なので僕の肌身に合います。
っつうか、僕が昔やっていた芝居と色合いが似ている。
僕は乾さんに「学生生活と芝居」みたいな話を聞くつもりだけど
もしかしたら返す刀で僕の学生芝居時代を喋らされるかもしれない。

劇団しどろもどろのHPはこちら↓
http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/shidoro/
シアターグリーン学生芸術祭自体のHPはこちら↓
http://green55.jp



9月16日(日):
僕は昨年度、映画監督の新しい才能を顕彰する
大阪市主催の映画祭「CO2」の審査員をやっていましたが、
そこで岡太地くんという途轍もない新進と知り合う。
代表作に近視眼的ショットが異様なエモーションを渦巻かせる
ボーイ・ミーツ・ガール映画『トロイの欲情』。
僕はこれを06年度のベストテンで上位に掲げました。
(「阿部嘉昭ファンサイト」http://abecasio.s23.xrea.com)
その岡くんが新作『屋根の上の赤い女』を撮りあげて、
旧作も絡めた「岡太地特集」が池袋シネマロサで開かれるわけです。

9月16日は
『トロイの欲情』と『屋根の上の赤い女』を21時から上映。
上映後、岡監督と僕の壇上対談となります。

シネマロサのHPはこちら↓
http://www.cinemarosa.net
ここから『屋根の上の赤い女』のサイトにリンクされています。
あ、僕は「図書新聞」に岡太地論も書きます。
9月15日店頭の号です。



10月7日(日) @神田三省堂
評論家の切通理作くんが秋に評論集の新著を出すことになりました
(慶賀のいたり、おめでとう!)。
それに関連して切通君と僕が対談を三省堂でやります。
時間・場所・予約番号など詳細については追ってお知らせします



10月18日(木)、同19日(金)連日、
渋谷アップリンクファクトリー「性と文化の革命展」で
「女子」が撮った革命的エロピンク映画、
西原千尋+三浦祐美共同監督『竹林のさざめき』が上映されるのですが、
もと日芸の教え子という関係その他もあって、
阿部がトークショーに引きずりだされます。
どちらの日に出るのかは未定。
両方、という可能性もあるそうです。
これも追ってさらに詳報をご連絡します。




10月25日(木)19時~:@池袋ジュンク堂4Fカフェ
阿部単独のトークセッションで、
演目は「本当に面白いサブカルはどこにあるか/あるいはmixiの効用」
定員40名締切で、こちらは電話予約が必要になります。
池袋ジュンク堂の電話は03-5956-6111
池袋ジュンク堂のトークセッションについてはこちら↓
http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20070709ikebukuro

ちなみに、これは著作をもつ立教池袋文学部の教授たちの
一連トークイベントの一環です。
小池昌代さんは10月18日(木)19時からで
演目は「都市で生きるわたしたちにとっての、老い、死、詩、自然
――短編集『タタド』(新潮社)を中心に」。
千石英世先生は11月1日(木)19時からで、
演目は「小島信夫の小説と小説観」。
どちらも上記電話番号に予約が必要になります。

僕はこの時期までにまだ新著が出ていないけれども、
来るべき新著のアピールも絡めてmixi論を展開するつもりです。
それと旧著が会場に揃えられるとおもう。
ゲットしたい本のあるかたはこの機会にぜひ。



――とりあえず、柄にもない「宣伝」は以上でした(笑)。
ふう疲れた。
あがた森魚『乙女の儚夢』と
はちみつぱい『センチメンタル通り』を聴きつつ
ゆるゆると書いてみました(何てレトロを聴いてるんだ-笑)。

2007年09月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

鬼ともいう

【鬼ともいう】


秋になると冷奴のおもてがいよいよ冷える
眼下の遠景をぷるん、といわせて
播州はきっとすすき狩りだろう
「眼の銀」も巻末には一掃されるだろうか

ものいわない口がひとりで食べる
誰かの誰か その食卓を聴く
去年は生き別れの父が死んだ
さよう死後もずっと食べている霊には敬礼だ

巨木を隠していた密集の蔦を
毎度の行く道にみていた
鬱陶しいなあ 追慕なんて、
蔦もやがて樹下の草へ自らを禅譲する

世界の拠点いよいよ色を薄くして
ひともとの若い、茎だけの茎が
浄土の風にゆらいでいる
五十六億七千の音楽、
今年後半またそれが通るはず
ぞろぞろと この敏感な鰭をぬるくして

「うつせみぃ」「そどみぃ」
応答しあうものが擦過に濡れる
《道にあやなく惑ひぬるかな》
繊かな花のした影を
「鬼」ともいう
《あるにもあらず消ゆる帚木》
それをそれを「鬼」ともいう

琉球のあらゆる夏炉、
樺太のあらゆる冬扇、
弧は弧として反り
弓張る力をヒタたくわえて
首席賞の時計を卒業後もねらう

2007年09月04日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

茎の水を酌み

【茎の水を酌み】


みたこともない柳が殖えている
そんな途上を櫂でゆく
さいきんは少々、脚を引きはじめたが
この神の証さえ長衣でひた隠す
女だてらに また 男だてらに

夏の日の終わり、水洟
それだけで俺の顔、他者。
たくさんの目脂や目脂や目脂
来世をかがやく蓮田の花粉どこだ

中年は食生活の貧しさを自慢しあう
「おでん缶食べました」「芋粥缶食べました」
「幼虫缶食べました」 ついつい嘘も出て
ネルヴァルの黒い太陽が深刻癖を解除する

「われわれの曇り空だから
七年ぶりの皆既月食、見逃しました」とさ

(よって)微醺だ、微醺、
茎の水を酌んだ浅酔いで見返すと
いまだにびくんびくん伸びている
ただ縦をなす「世界の背丈」
大事なのは茎だね、それしかない
そこを甘露の魔がいつも昇り
輪郭にも繊毛が極端にふえてゆく
肖像画など不可能とついデリダめき
顔だって黒ヴェールで隠す
(残響残侠)微醺だ、微醺、

ご参集の心は意外に平板な 夏の喪
金魚がわれわれに倍して及んでゆく
刃物や兵[つはもの]や約物

詩篇の装身具もとりどり、
もって冷やっこく

2007年09月02日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

キャンプとジャンク



これも「省力日記」。
ただし方式はちがっている。
立教の前期「入門演習」で
自分でつくった課題にたいし
自分で提出したもの、
それをまんまここに貼りつけようとしています。

ソンタグ「《キャンプ》についてのノート」(大好きです)を自家薬籠中としたうえで
現在なら「キャンプ」の発展概念「ジャンク」こそを真摯に考察せよ、と説き、
よって「キャンプ」vs「ジャンク」の対応表をつくれ、
というのがその課題の骨子だった。

本来は「阿部嘉昭ファンサイト」に転載すべき文章なのだが、
既報のように現在休止中なので、
とりあえず日記欄にアップしておきます。
生徒さんとのコラボ形はいずれそのときに
(あ、学生マイミクのみなさん、アレンジを加え
自分のmixi日記にアップするのは奨励しますよ)。



ただし、その前にまた近況報告。

雑誌『d/SIGN』「特集=写真と都市生活」のための
1600字コラム10本は、立教の研究室に資料をとりにゆきなどしながら、
昨日、全篇を無事脱稿。
原稿をメールして編集の小柳さんに褒められる。

どんな原稿を書いたかは秘密。
ただしコラムタイトルだけ小出しにしておこうか。
自由に内容を想像してちょ

1)空の無名
2)ミルクティー
3)ケータイH写真は見えない
4)ハハキギの影
5)女の三枚の写真
6)田をみている
7)大橋仁、組写真の情動
8)瀬々敬久、写真の富を奪う
9)写真を切って捨てる
10)牛久沼界隈



「省力日記」ばかりやってると
またこの日記欄に作品=詩、を書きたくなってくる。
日曜までにぜひ一本を、という感じ。

今日は涼しいので女房とお散歩です

ということで、標題「キャンプとジャンク」の本番--



【キャンプとジャンク】
阿部嘉昭

キャンプ《美的語群のなかに糞便も連ね、何が黄金かをわからなくすること》
ジャンク《実際に糞便にまみれ、自らを糞便以下のおぞましいものにすること》



キャンプ《自分の墜落予感の恐怖を、おおらかに語ること》
ジャンク《すでに墜落している自分を、恐怖なくおおらかに語ること》



キャンプ《流通可能な「無自覚の自覚」》
ジャンク《流通不可能な「自覚の無自覚」》



キャンプ《自分に性がないという擬制》
ジャンク《自分に生がないという、「ただそのこと」》
良き趣味《自分に性があることで生じた慎ましい抑制》



キャンプ《凍りついているものを笑いでほぐす》
ジャンク《笑いそのものを凍らせる》



キャンプ《独自の、(文化史を経過している)脈絡》
ジャンク(1)《脈絡のなさが一切の比較を絶していること》
ジャンク(2)《脈絡がまさに見た目どおりの脈絡であること》



キャンプ《エネルギッシュな悪食》
ダンディスム《一日の僅かな時間に犯す少量の悪食》
ジャンク《飽食とからみあったことで死にいたる悪食》



キャンプ《無名性を有名性に語りかえすことに転覆の意志がある》
ジャンク《無名性を有名性に語りかえすことの倒錯に気づかない》



キャンプ《自分に親和性を授けるための知識の悪用》
ジャンク《知識の不在、もしくは「知識の悪用」の悪用》
人間主義《知の善用》



キャンプ《親を気さくな同胞と見なす》
ジャンク《親を獣/物体のいずれかと見なす》
良き趣味《親を親と見なす》
(上記の「親」は「配偶者」や「恋人」にも代替可能)



キャンプ《神なき世に祈ること(その祈りをもわからせず)》
ジャンク《「祈るって何?」》



キャンプ《過去を追慕する》
ジャンク《現在までもを追慕する(ことでやがて行き着く無時間感覚)》



キャンプ《優雅な杖によって自分を打擲する》
ダンディスム《優雅な杖によって余人を打擲する》
ジャンク《現実の杖によって世界自体に深甚な打撃を加える――ヴィジョンはない》



キャンプ《「悪から私が生まれる」》
ダンディスム《「私から悪が生まれる」》
ジャンク《「私と悪に区別がない」「しかも私は生まれていない」》



キャンプ《楽天的な乱婚》
ダンディスム《修道僧的な荒淫》
ジャンク《すでにして性行為が性行為ではなくなっている》



キャンプ《神殺しの10年後》
ダンディスム《神殺しの渦中》
ジャンク《人殺し》



キャンプ《汗っかき》
ダンディスム《汗は生まれてから一度もかいていない》
ジャンク《汗以上に肌から血を流すのが好き》



キャンプ《出来の悪い怪談》
ダンディスム《出来の良い怪談》
ジャンク《出来を云々できない怪談(発話のレベルがちがう)》



キャンプ《ポップさに潜む破調》
ジャンク《音として感じられない》



キャンプ《「阿部嘉昭」というジャンル》
ジャンク《「阿部嘉昭」という生活》



キャンプ《ビーチパラソル華やかな海水浴場》
ジャンク《死魚の打ち上げられている泥炭地》



キャンプ《ある日の私》
ジャンク《別の日の私》
(本当の)ダンディスム《「私」なんていない》

2007年09月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)