狼以下二十句
狼と大君の差を芥子咲けり
狼声に千走る千の錆び鑑
狼が霧にちぢんで灰こぼす
犬霊が狼となる無礼崖
旗に入る狼どもや雲荒るる
将棋盤百千並べる灰海波
いちぢくを剥けり食人兆すまで
畜生と石油の縁や井戸周り
胡坐して千手に錫もつ花乞かな
蓮座には琅玕楼と幻狼と
竹揺つて凶天を摩す滅種狼
血のなかに滅種狼あり網走や
地も滅び狼語残量なくなりぬ
狼の胃のかたちなる花菱や
狼貌の男ふたりの二瓣ばな
孵すものなき狼の胡坐美(は)し
驍将は狼頭巾し視てをはる
狼狂は蠱魔汁このむ色好む
脚とれて滅び野犬のホトとなる
煩雑や盗が走りて百病巣
一挙掲載
一人(いちにん)となりて浅夏に身を置けりかつての藤棚みどり垂らして
定死など枕ばなしのひとつにて屍のゑがく飛散のみ思ふ
カラオケは大人の選びモータウンにてやがて来る夜を刻めり
(枡野浩一さんのなにぬねの?短歌日記に書き込んだ対歌)
●
厨にて菜の花くたる幽霊に
顔なくて吸ふも吸はぬも葱の夜
見透せば狢みな去る枯藪を
(なにぬねの?近藤弘文さんのコミュ「幽霊トリオ」に書き込んだ三句)
●
蛞蝓に水銀をふる来世には塵のゆきかふ無が近づくも
(ミクシィ田中宏輔の「なめくじの夢」日記に書き込んだ歌)
●
林間に女となりぬ的中す
夏野となり熱に湧きゆく彼女たち
改行に女の影あり四十八手
星合尽 女として世界に入りぬ
裂け雲は女のごとし地軸消ゆ
乱寸の透く衣裳にて狂唄ふ
をんじきに鳥魚の狂ひ梁千本
口吸うて順序狂ひぬあいうねの
骨格が狂の直因、たらば喰ふ
波紋消え狂の擦過がなほ残る
(ミクシィ依田冬派の二つの詩日記に書き込んだ十句)
くちなは以下二十句
くちなはが口に縄なし緘黙す
葉自在に世界繃かるる女子(めこ)の眼も
風呂敷や天狗降りゆく八の字寝
陰王にわが龍玉を孵さるる
穂すすきに西王の貌来りそむ
一遍にひかる書中の蜜柑崖
酢くらげを皿より離し髪痺る
八紘に天あるを卑女笑へりき
元寇が手中にありて菊扼す
天族がそこ離(さか)りゆく花変村
常套を着る月下にて線となる
死者粉舞ふ不如意なるかな我王三振
閑かさに耳管ほどけて蚯蚓聴く
句世界に小句燦々バイク事故
Z(ゼエ)と啼く牛二頭にて夕焉る
対をなす六月蜘蛛と女貨の錆
葱汁を呑みて身丈も青の外(と)や
温泉に硫黄男が哭き溶ける
少年老いて少年厭ふ夏の瀞
更衣ひと半袖に溶け流る
森川さんと猫侍さんのミクシ日記に書き込んだ十首
●
青草が青酸に見ゆ星まはる亀の甲羅の上(へ)にわれ佇てば
●
百隅に甲羅干しする亀あふれ曝書もて万巻の真夏はじまる
●
池の虫なべて朧ろとなるなかを亀の泳ぎの語尾掠れたり
●
甲羅裏みせて浮べる亀の死のごとくありたし食事の焉り
●
すつぽんの腑の耐へがたさ青や金 竹生に似たるもの何もなし
●
眼鏡を分身としてゆふぐれの冥さにまぎれ光り消ゆるも
●
古眼鏡ほこりを集む明治よりこのゆふぐれに接岸をして
●
恐るべき反射たとへばをとめごの眼鏡に映るサド哲学の文字
●
両の眼に鏡のたぐひ置く梅雨は路傍の白花たよりなくして
●
鏡片をゆふぐれに見き静心(しづごころ)ある眼鏡のにれがみならむ
●
(※亀五首が森川さん、眼鏡五首が猫侍さんです)
田中宏輔日記にまた書き込んだ十首
●
窓外は霏霏と卵ふる破裂音なくして地には緋絨毯おもほゆ
●
青飯を霞みて包むオムレツは孤崖にありし涕泣の月
●
くるりんと卵より声聴えきて少女も星も初夏をくるりん
●
蝶発てば城楼ひとつ崩れさる卵の夢はいづくに置くべき
●
両の掌に卵をもちて風に佇つピサの斜塔となる玉響に
●
卓上の卵の立ちも斜めにて世界の斜性はつか忍び来
●
一周の択び無限にあるものを卵と呼べり周たしかにて
●
捧げもつ卵殖ゆる間の梅雨寒は暗庫にいかなる雛も殖えざる
●
過ちて人身(ひとみ)に巣食ふ白雲は人肌をなほ空に変へたり
●
をみならの立小便はゆふぐれに湧く常闇をしばし諌めき
●
またまた田中宏輔さんの日記に書きこんだ短歌(阻喪篇)
●
微笑卵吉田とつるむ狂過程月評ならばさらに狂卵
●
赤褌をあまた侍らすわが宮は薔薇窓破れ東風のそよ吹く
●
人間をやめるも何ももともとは蛾糞しづめるわが心根が
●
したばらのへちま暴走藪知らず囁けるそれ、「にんげんだもの」
●
檸檬より幽霊すつぱい幽霊を搾りてのこる檸檬の視像
●
依代に異な実体化ありもくもくと旧詩のことば人と生(あ)れたり
●
落胆は落雁に似て和三宝少しづつ舐め口も夏風
●
少年の背後の瓜に錐まはす六十年後の夏や仏縁
●
J也グズるはつなつに付く王冠は滴のかたちす泣きのやむまで
●
(※最後一個前の歌は、りりこ日記に書き込んだもの、
最後の歌はもっさん日記に書き込んだものです)
枯葉雨以下十句
枯葉雨犬順ひて過去となる
時計かな龍頭をまけば汝零時
極楽や綺羅蒔ける玉葱炒む
舌神経夏あかるけれ白湯飲む
躱す身なく月下はぶつかつてばかり
蹲んでは文字を落としき摩訶の巣に
銀殖ゆる夢幻散策黒も殖ゆ
幻聴か小池昌代の銀の咳
淋しくて風への手旗黒に染(そ)む
魚共々水消す禹を追ひさすらふを
弱酸以下十句
弱酸の精液こぼすあるかでぃあ
樹の眸(まみ)に見られて睦むわれ二人
巨き穴地球を呑めど穏(をん)つづく
獄中記白紙に白で書いて魚(うを)
エッグスタンドしづかに千の昼あつむ
詩型紡錘をみづからもとむ静物忌
吸物の具は鷹の爪侠夫かな
月明や平句ばかりの月夜茸
蛇三尾あの字に絡み愛ひらく
忘れじの掌浮かす潭ひとつ
海鼠以下二十句
一生を海鼠が笑ふ俳句性
薄紫篇落手ののちの手の不明
連れ立ちの朝即狆の目鼻飛ぶ
白天に触れんと水ゆ鯉すとふ
水神が水に三柱否百柱
牝鹿埋め来し赤畳横臥村
土母ドボと崩る魔天の下暗し
梅雨荒れや躯容量まま雨に消ゆ
繊花舞ふ厠の思考尿(しと)すれば
別形を念じ鯰に菱を蒔く
歌声の細々(さいさい)として蚊柱や
毒魔羅もつ男子の険や晩涼し
廃村に花粉流れて琵琶妊む
悪運や阿部嘉昭には阿部の雨
交みゐて女の麹を酔ひまはす
デーモンの足消える間をダン再読
暑き葉艶拡がる中を鶸ひかる
黄泉の音重くして耶蘇の乳ずれる
猜疑など闇に賽投げ出目知らず
木下闇鳥目を分かつ吾と虻と
田中宏輔さんの卵シリーズにまた書き込んだ短歌
●
卵とも雛ともつかぬちひささを吉田と呼びて東風のうるうる
●
文字どほりエッグヘッドの卵坊が白き脆さを音に割らるる
●
生(あ)れてより掌(て)に卵殻を握りきてしかも卵にあらざるを渡す
●
数瞬を旋回してのち蒼卵はうれへる人の顔となりたり
●
等間隔のしづくのもとに卵を置くその発狂の紅蓮となるまで
●
卵生は汝(なれ)五月闇精子より欠けて生れたるホムンクルスわれ
●
中庭に卵かがやく中庭は午前を哀しむ孤老の鬼門
●
撲殺の代りに夏は歯を欠いた老婆の口に鸞卵(らんらん)を置く
●
茹卵を肴に一夏を飲みつづけ弱さへうごく星雲爆発
●
授業の朝
【授業の朝】
健一がしずくする
朝は葉に映ってあらわれる
たなびけばもう網ではない
という罠を
ひかりのなかに
しるしている世界の網だ
朝はふるい鹿に話す
それは数語で済む
表象関係の表象は
太陽のつめたさをもらった
ぎらぎらのメスで
昨日のおもたい手荷物を
シリツする
(おとよという婆ぁの
駄菓子屋さん、)
渦をまくルネッサンスの
穴があくまで
いっぽうで手許がくもる
手許を行人が小さくよぎるので
やがてあらわれる西瓜のなかに
入ろうとする田舎の歩みも
じぶんの畑に爆薬の種をまいた
もうすぐの夏が
パチパチはぜるだろう、そこに
まいて泣きわらうんだ、
直径2センチのたつまき(だよ
ちいさな肩をおして
十字架のならびたつ
教室へさしむける
その肩越しにみえた
音楽的なけむりも
さらに映像的にけむった
六月になれば魚の腹から
脂がへってきて
川の流れに苔いろがにじむ
おもいでなんてそんなもの
とおすぎる産卵かもしれない
今日は授業なので
宿題は高貴な灰のうずたかさ
このかばんのなかで
うすくねぼけているはずだ
あるか
【あるか】
遠くが鳴っている
鮫島に鮫があふれたそうだ
けれども刃向かうものもないので
死亡通知をこの左手で受けとる
あれを返す「この」。
これを返す「あの」。
みだりに水は
嘆願も森に入ったとおもう
神輿が捨ておかれて
中断は途上からのながめ
そういうものを形見分けの
なめらかな段取りでふかめる
けれども心太にある
あかるいけむりのアイス欠乏
箸をもつ深傷もかたむいてゆく
生理前の いわしの行進
聴像がなまぐさいのは
せまい自覚のせいだ、
私をわたしで割って
マトリョーシカの
入れ子かんおけ
(舌に裏はあるが
西もあるか
なまおよぐ風の繁栄だ
三日おきに手足の柱は
入れ替えてゆこう
鮫島に鮫がおぼれる
蝋涙のさむさを
眼で海の極へ流して
私はこの丘にあるか
すこしずつ
あるか
自転車に乗って
【自転車に乗って】
飛ばなくちゃならないものを
投げる手前で断念する
私を ピアノ線を複雑に織り込む
あげていたいドブ川の川風に
深夜の洗濯物がひるがえれば
ヘッドホンのなかから木の実が
脳髄灯せと転がってくる
ころん、の寸前の 棒体脱色
川風の脇 自転車を乗る
川風のひとりとして自転車を乗る
軍属、両手一杯に呟く
「阿部山くん」「はい」
「阿部沢さん」「はい」
地上の四の五の。
継続だけでなく配置が問題で
むなしくなれば夜が
私の管を伸びた けれど
みみずの一種だって、自転車は。
ひからびて死んでいるよ、
あけがたからちょっとの間に
「おまえを鉄の味方のなかに
リボンをつけて
蔵わなきゃならないね
好きなひとは好き
と自分を騙し討ちして
線のためにも
自転車を漕ぐ
すいっすいっ、と
コーンは帰り道にこぼした
mixi田中宏輔さんの卵シリーズに書き込んだ卵の詩歌句
●
卵にも十戒ありて闇割るる
●
ノアの舟卵を運べりそこ火星
●
プロミスト・ランドは千の鶏に千の卵を抱かしめる風
●
卵帝の回想の黄身あかねさす
●
見し卵の下なる千の卵かな風の爪弾き「カノン」を奏づ
●
若きネロよ汝が驕慢の美(は)しければのみどうるほす卵を禁ず
●
このひと日卵として生く彼方には風に溶けあふ黄身や白身や
●
卵殻の真粗き肌理を憎みゐてこの乱心を磨き温めむ
●
卵料理の卵の香りふるとしは母を火刑に処してほほゑむ
●
食べ過ぎし卵のゆゑにはつなつは鶏の貌して泪し死なむ
●
割れやすさ吾(あ)にも累卵にもありて恋は錆びたる銀杖振るふ
●
箔のごと卵を焼けり薄闇は闇うすくして黄金(こがね)の予感
●
熱もたぬ焔のままに卵炎ゆこの眼のなかに殻ちりばめて
●
幽界の卵三つが朧ろにて
●
一卵を考へ世界の卵おもふ地上なべても水引きし湖(うみ)
●
悪徳は卵形をなす球もちて露ぶかき野を恨み歩けば
●
闇はひくたびに
黒い泡の代りに
黒い卵を鳩尾においてゆく
鳩尾に
びつしり並ぶ
黒き卵
「未定」提出「光」十句
泣き喰ひの飯のひかりや予後五年
蓮華光彼我の境が指標かな
薄明に眼鏡ひかりて毬藻持つ
瞑れば画光音光書物光
かなぶんが光る万象鬱の網
列をなすひかりや摩利支天国来
喜捨尽きて篠つく雨も光かな
ギドギドと笑ふ光や雷魚獲る
満身の枯葉の光をいかにせん
晩春光棘も鬼哭も春のうち
脇差以下五句
脇差や本日の顔ヒトラー似
半死後に坂東太郎と酌み交す
喫煙はけむりと消えて春野褪す
魔術中消去魔術を是とするも
馬毛服の細身うつくし木槿彦
大門以下十五句
大門をキエフと呼べり死者無数
まがつびが膝許にあり革ためん
蝶を焼く窪地をちこち心理とよ
魍魎が掠める辻に牛車千
てのひらに此世をつくり業火見る
支流、血管に似て列島の蛇身かな
鷹番の鷹への恋も円のうち
絶景は千匹の鬼つねに佇つ
思想消え焦土は瞼のごときもの
春終り一隅冷ゆる忘れ妻
憂きひとの半円とほき朝餉かな
竹愛に竹もつてする稚児の蒼
鶏詠んで鶏冠も花月むなしうす
車中この陽のなかをゆく影ふたり
犬駆つてしやがむ犬人(いぬと)をみたり視き
曙以下五句
曙に見る裸身かな朱けのいろ
太陽に負けたよ爾来蒼愛者
ネルヴァルの首吊りの秘儀全同寸
滝なべて女と知れり遅けれど
掌(て)の傷を陽の翳に置く暗(あん)無尽
「卵」五句
卵割れたちまち川は霞かな
累卵に無の増すけはい風なくて
孵る時あるやなしやの渦卵
卵生にして臍の宏輔(あつすけ)胡麻揺るる
ひと日かけ卵割りたり微力の魔
実録・連合赤軍(アイカワさんへの応答)
mixi日記の書き込み欄で
「アイカワ」さんにした応答を
ここにアップしておきます。
簡単な映画評になっているとおもうので。
●
昨日女房とようやく『実録・連合赤軍』をみてきました。
違和物件を完全に映画のうえに定着させ、
あとは歴史的視線からの審判を待つ、
そのために演出力を少ない予算のなかで完全動員する--
そうした若松監督の気概に襟を正しました。
しかもこの映画、彼のテーマだった「密室」への
最終回答ともなっていた。
想像力と犯罪と転覆力の温床だった若松的密室が
瓦解してゆくとき、
その映画性に目頭が熱くなった。
辻「クローチェ」智彦のカメラワークが素晴らしい。
「連赤」の「総括」が新左翼フォビアを確定した、
という「俗説」には僕はずっと反対意見を表明してきました。
それ以前の左翼的言辞のほうに
すでに敗北の実質があったからです。
概念語を、口語の身体性を超えてこねくりまわす、
あのくだらない「語り方」はとうぜん崩壊へ向け自走する。
そして自らの行動の革命性が
何の実質を帯びていないことにも気づかせない。
茶番でしかない、稀薄で不毛な言葉遊び。
「堅さ」がしかしそれを錯覚させる。
日本人の抽象能力がどの程度かを
またも目の当たりにしました。
森恒夫が適用範囲の定かではない「総括」の語を初めて出して
成員相互が抽象的なリンチ装置として駆動してしまう--
そんな「集団磁場」の機微を
若松さんは見事に描いていた。
いやあ、すごかったなあ。
ただ、いまの俳優ではまだ当時の公的左翼言辞の空疎さが
完全には出せない面がある。
しかしこれは、
大島『東京戦争戦後秘話』の
竹早高校生たちの語りなどで補填できます。
坂井真紀は素晴らしい演技をした。
自らを殴り顔がどう変型したかを
永田洋子が差し出す鏡面から
ゆっくり露わにしていった辻さんのカメラの
場所をわきまえない「サスペンス」が
素晴らしい亀裂ともなっていた。
宮台はどうでもいい(笑)。
「場所のわきまえなさ」が俗っぽいだけだったので。
連赤時代の「集団」内言辞の閉塞性は現在では通用しません。
「リアル」が旗印になったからです。
それでも「似たような不可能性」が横行している。
それで「集団は本当は意思決定をおこなえない」
という事態がいまだにつづいている。
たぶん『実録・連合赤軍』を創造的に観る、
とはこの観点からですね。
もしどこかの「団塊」が
この映画をレトロの文脈で語りだしたら
それは明らかに「狂気」です。
僕は試写の段階でこの作品を観、
そうした動きに予防線を張るべきだったともおもいました。
しかしカフカは箴言に書いています--
《ほんとうに判断を下せるのは党派だけである。しかし党派である以上、党派は判断を下すことはできない。そのためにこの世には判断の可能性はない、あるのはそのほのかな照り返しだけである。》
●その後のアイカワさんの書き込みにたいする返答
僕は若松さん、自分に関わることだけに
誠実極まりない態度で
作品に臨んだとびっくりしましたよ。
「編集」を駆使した伴明『光の雨』を他山の石にして、
徹底的に時系列構成を貫いたのではないでしょうか。
山岳アジトに行き着くまでの
ドキュメンタリー映像を織り込んでの速歩調、
山岳アジトで遠山=坂井がリンチ死するまでの緩徐調、
その後の死者続発時の速歩調、
浅間山荘に入ってからの臨戦体制・・・
映画の進行は速度転換装置を内包していた。
坂井真紀が死者になって
映画は一旦「中心」を見失う。
「主体化」=「共産主義化」が目されている
人物たちの言説のなかにあって、
映画を推進させる主体が消えて
全員が幽霊になる。
そのあと、加藤末弟(少年A)
(このことで映画は「ありえた」長谷川和彦映画を夢想する)と
奥貫薫=牟田泰子さんを「主体」にしようと
映画の進行が軋みはじめる・・・
このとき「中立」の概念が現れて
映画は亀裂を開始する。
この「中立」による亀裂を中心化するために
物理的な亀裂発生装置、
例の鉄ボールが画面から消えたのではないか、
と僕は考えたのでした
(むろん予算不足を糊塗する演出でもありましたが)。
そこでは原田眞人『突撃せよ』の
心情を託す相手を間違えた醜悪なリアリズムへの
批判も開始されます。
原田のバカ映画では山荘に突入した機動隊は
まず、泰子さんを救出してみせた。
ウソでしょう。
機動隊は泰子さんに見向きもしなかった。
それを若松映画は着実に描いている。
篭城を解けとする呼びかけ人に親をもってきた
日本的な醜悪さは
「密室外部からの声」として着実に音声化される。
ここには若松プロが得意とした陰謀劇の感触がありました。
こうした積み重ねのなかでだからこそ
牟田泰子さんの「今後裁判があっても
あなたたちの前に証言者として立たない」という言葉が
逆説的な強度を帯びてきたのではないでしょうか。
もう一個、「墓碑銘」の生産を映画は繰り返してきた。
それは「字」(字幕)の問題ではない、とおもいます。
どれくらいキツい撮影だったろうと信じられない
猛吹雪のなかの連赤行進場面で
オーバーラップで死者たちの死に顔が
間歇的に短いあいだ、曖昧に画面定着される。
あそこが異化された墓碑銘生産場面でした。
しかしそれは恩寵なのです、
死者とともにあることは。
そうでないと連赤問題は解決しない。
映画は逆証の動きもした。
醜さの権化、森と永田は
旅館でのセックス後の姿は描かれても
逮捕の瞬間の描写をネグられたのです。
それは敗北死にすら値しない、ということだったのでしょう。
映画が死者たち・中立者たちの側にあることを
『実録・連合赤軍』は徹底していたとおもいます。
あと「誰でも知ってること」だけでは
僕にはありませんでしたよ。
安田講堂での逮捕者があれほど連赤に雪崩れこんできた点に
実は僕は無知だった。
つまり映画は連赤を「突出」ではなく
当時の事象の連続的必然として描こうとしていたとおもいます。
ともあれこの作品では異化の内在化が目論まれている。
それが若松の成熟した手つきです。
そしてこの「手つき」は彼にあっては新発明で、
足立『幽閉者』が到達できなかったものでした。
若松監督はアヴァンギャルド批判をしたのではないか。
むろん、「異議なし!」ではなく、同意の拒否こそが
牟田泰子さんを除く、
この映画のすべての登場人物に向けられるべきなのは
いうまでもないことですが・・・
その意味では「つらい映画」でした
頭の体操のような五句
白日夢葛粉三々五々四散
栴檀の双葉の青の闇の交
雲丹に雲脂掛け雲たるを思ふかな
ダブリンの奥の橅林秘書ベケット
Yに猥かさねてあくび汝ポルノ
贋旅行詠十句
むらさきと旅装を決めて墓域ゆく
流るるや南国西国腕腐臭
須叟にして町のストア派青光る
瞑目や青斑の頭蓋星にして
穀倉のまぼろしめきて浄土山羊
詩書読むは繭玉の眼を糸にする
海溢れ女の碧あふれたり
上古とはクラゲ揺れする嘉義の熱
指先のこの猖紅熱はごく小さき
曝書かなフェロモサの果て蒋笑ふ
貧寒以下五句
貧寒と素寒貧なり貧も寒
骨肉を潤す凱歌台南ゆ
嘉すべき死者蝋芯の果つるまで
舟暮し川から川へ美蛾の貌
風紋に匪の趨ること痛ましゑ
耳
耳は風を聴かない
風に耳が運ばれるだけだ
耳に飾りは要らない
飾りに耳が集まるだけだ
赤いのや青いのや円筒状のもの
耳孔が夢の入り組む空間を形なし
輪郭のない音もそれを
繰り返すが繰り返しのない息と
ただ告げにくるのだから
古びゆく眼によりも耳にあしたが語られ
語らない生殖もそっと耳打ちする
起床後はずっと胎め、と