かまくら
【かまくら】
うすい水田を
うきあるく人のはるけさ
うすさとはるけさの融合を
一身にあつめては
空を、並列の孤独で截る。
春隣と秋隣にはさまれて
夏に隣はなかった
ともすれば墜落への天上に
季節外れ、女の琴が
諦念の錦を飾っただけだ
かぜにしき、
天心から頭を引かれて
郵便受のつづくそこを
奥へ奥へと重く訪ねた
地名だろうか――、蔑称?
久しぶり会う人びとの
瞳は白地に紺で描かれる。
稲村ヶ崎、
いちばん海にちかい郵便受が
風に受口をひらくのを
熱せられた夢に幾度も見る
喰われるイチヂク
その総体をおもう以外に
おもしろい物語がない
とおもっていたら 木の電柱が
四つ足で休んでいた。
波が来ている。
カーテンに風が
黒をはこんでくる
白砂として身が暮れて
別の身は希望の減る東に
ぽつねんと残されてゆく
割れた経緯は
それが水でないかぎり
受けるコップもない
もっと休むんだから
最終で帰らんぞお
江ノ島電鉄が海辺をゆき
踏切が最後を鳴る
それを遠く感じながら
人びとは肌の湿りから
ゴールデンジャズを吸いあげる
とうろう、のようだ
真夜中ちかくには
何かが円陣になる と知る
そんな次第で
不意の集まりもわれわれになる
けれども個体の芯は静かで
夜明けには一枚の板へと
均されてゆくだろう
清潔はうすい、と唄うわれわれは
移動する荷台にひしめきつづける
ネット時代の生産戦略
無限労働、ということがよくいわれる。
パソコンという文明の利器が登場してそうなったのだ。
たとえば原稿用紙に鉛筆やペンで原稿を書いていた往時なら、
手は物理的・肉体的に疲れ、
時には腱鞘炎にさえなって執筆も否応なく中断した。
それは「疲れすぎて、そろそろヘンな記述がはじまるぞ」
というサインでもあった。
パソコンにはこれがない。
視神経系統に疲労が蓄積されるとはいえ、
感覚的には「疲れないので」「無限に書ける」。
書くのも、原稿用紙よりもまったく速い。
執筆の創造性とは別のところへキーボード叩きが向かった。
おそらく「喋り」のほうへ。
だから書き終わっての孤独感が以前より深まってもいるはずだ。
パソコンでしるした文章は
デザイン技術があれば、レイアウトデザイン的な完成まで見る。
「プロダクツ」が手元に完了形で現れるのだ。
これは原稿用紙が印刷のための第一素材であった往時とはちがうし、
また発送や公開ですら無方向にできるようになった。
「詩人」のみなさんはネット利用にほぼ冷淡だが、
僕にはこれがよくわからない。
同人費をとって、手近な印刷屋に入稿して同人誌を冊子のかたちでつくり、
それを詩壇内部にのみ発送して事足れり、としている。
たとえばSNS上の日記欄がすでに個人誌としての展開なのに、
多くの詩人がそこでは自分の詩作を出し惜しみしている。
ともあれ、「別の展開ができる」ネットという手段が生じて、
同人誌はその存在意義を熾烈に、遡行的に、問われることとなった。
同人が集まっているゆえん、とは何か。
ただ作品の寄せ集めだけでは、編集意識が低すぎて高を括られるだろう。
特集主義が機能しないのは、特集主義雑誌の売行き低調から知れる。
詩人が詩自体に言及する同語反復・再帰性を恥じよ。
同人が集まっているゆえん、とは何か。
そのことで「党派」が擬制され動きが擬制されること。
たぶんいま同人誌にもとめられているのは特集記事ではなく
むろん個々の作品の寄せ集めでもなく、
本当は、同人同士の「共作」ではないかとおもう。
「共作」を誘導しない詩作を、僕は買わない。
評論を誘導しない詩作以上に買わない。
パソコン-ネットによって流通機構を変えること。
いまは本が出版されても本屋に行くひと自体が激減している。
CDがリリースされてもCDショップに行くひと自体が激減している。
つまりは「店売りプロダクツ」が駄目になりつつあるのだ。
たぶんインディ(小規模出版社)基盤ならば、良書でも最大千冊、
CDの名盤でも最大千枚しか売れない暗黒時代がやってくるだろう。
流通が機能不全に陥りだしているのだ。
ところでパソコンの無限労働の可能性によって、
たとえば詩を書くのはすごく肉体的に容易になった。
こないだ廿楽順治さん、小川三郎さんと話していたら
彼らも僕同様、年間に詩集2、3冊分の詩稿が蓄積されるという。
田中宏輔さんならもっと多いだろう。
また音楽も打ち込みと編集ソフトによって音盤製作が容易になった。
三村京子も現在、アルバム3枚分の歌曲を抱えもっている。
彼女が打ち込み機材を揃えれば、
綺麗な音源がさらにスイスイできてゆくことだろう。
アニメですら編集ソフトをダウンロードすることで
少し時間を割けば一ヶ月で10分程度の作品が個人の範囲でできてしまう。
パソコン型無限労働の可能性が、創作の容易さに向けて
切り開かれているのはこういう事例をみても確かなのだが、
実際に出版や盤リリースとなると費用の問題が生じて
量産体制へと移行できない――これがいまの文化の逼塞因となっている。
ネットを信頼するならやはりサイトなのだ、ネット上で機能するのは。
SNSではないとおもう。
たとえば詩書ならその三分の一をサイトアップする。
「全体」を読みたいひとには入金をしてもらい、
オンデマンド出版としてリクエストしてくれた当人に郵送する
(オンデマンド出版は10冊単位から刊行が可能で、
近年、デザインも製本も格段に綺麗になったのは周知のとおり)。
音盤も収録曲中数曲をサイトで試聴可能にし、
リクエスト-入金をけみして相手方にダウンロードしてもらう。
そういう、最終的にコンシューマーにプロダクツが具体的に届く、
「日記」の書き散らかしなんかじゃない、サイトが必要なのだ。
これがあれば年間に詩集3冊であっても
音盤が年間に3枚であっても自己在庫を抱えることなく
無事に「はけてゆく」ことができる。
実際の出版刊行と較べ費用も格安だし、
千冊を3種つくれば勘定は一種を3千冊売ったのと同様にもなる。
むろんサイトは個人立脚だけでは「薄い」。
ある者のサイトと別の者のサイトが融合してゆかなければならないし、
そのための接着剤が「共同創作」になったりもする。
党派性と、共同性を可能にする倫理的基盤がそこにはむろん必要で、
現代型のディスコミュニケーションにとどまってしまう者は、
以後、「生産」すら至難になってゆくだろう。
それと雑誌機能も必要だ。
外部の才能に原稿発注するくらいの度量がほしい。
サイトはそのようにして立ち上げ方がいっさい変わるべきだ。
誰もがこの点で東浩紀の先駆性をいう。
「網状言語」以降、彼は、自身の効率的な定着につとめながら、
同時にサイトをつうじ、才能を数々サポートしてきた。
大澤真幸、斎藤環、北田暁大などの「大物」でまず固めて、
それで伊藤剛なり鈴木謙介なりを
より大向こうに向けてプロデュースしてきたのだった。
東浩紀の場合は、思考力と情報管理力とが不可分になっている。
あるいは思考力と組織力とが不可分になってもいる。
僕に彼ほどの力があったら、
まずは自分のサイトを解体し、
他人のサイトとの合従連衡を繰り返して、
それを雑誌性と同人誌性とソフト産業性の「基地」にするのだけど。
グーグルの提唱するスパム排除と込みの、
ブログライター時代の到来なんてぜんぜん信じない。
広告をクリックさせるだけの「広告的」文章なんて
アメリカ人でない日本人は、実際に「捨てて」いるでしょう?
ネットは生産拠点にならなければ意味も失う。
SNSで「個人性」にとどまり、
書き込みですら他人とコラボできない
閉じたコミュニケーションが横行するにつけ、
夢想するのは、そんなことだった。
(とまあ、以後5年の自己目標を書いた。
コンピュータ技術をもつ学生は今後より大切になる)
十三句
耳畳み蜩聴かず幹に凭る
天上は女だらけに大火かな
静脈の透くことありし夜の雷
忘八に似る忘我にて葵枯る
炎あらば双葉ををみな二匹にせむ
水難を女難に代へて接岸す
パライソは孕む同胞(はらから)ひかる原
行く雲ををみなに見たり今日の繭
わが女声閉づるがごとく本を閉づ
脳幹に喜女顕ち以後を翁かな
●
吸盤の付き弱まりてあの世乞ひ
転写、八月の終りは長く銀貨舞ふ
をみならがつどへば母の疾風(かぜ)湧けり
●
夕方、女房の帰宅待ちで時間があまってしまったので
「なにぬねの?」コミュ「時かけ」「不思議の国のアリス」に
一挙に十句を出す。
粗製濫造かもしれない(笑)。
ついでに、最近つくった句(●以降)もここに掲げました。
「吸盤」は「なにぬねの?」柴田千晶さんの日記に書き込んだもの、
「転写」はmixi小川三郎さんの日記に書き込んだもの、
「母の疾風」は自分の書いた三角みづ紀さんの詩集評に成した句です。
しかし気分が沈滞しているときに句作は良いですね
三角みづ紀・錯覚しなければ
――まずは一句、ひねってみる。
《をみならがつどへば母の疾風(かぜ)湧けり》
たとえそれが少女性であっても
女の集合が過激に巨大化すれば
女性にとっての最大の属性「母性」が
その個別性を超越した次元に現れてくる。
たとえば女たちが臨戦する砦をおもい返してみればいい
(となると、たとえば「ハラジュク」での少女性重畳光景では
まだ何かが馴致され、何かが誤魔化されているわけだ)。
「現れる」ということが大切だ。
世界は、本当は追慕のなかにも予想のなかにもなく
ただどうしようもない――重ね書きすら不能な、
この殺伐たる「現れ」のなかにしかないのだから。
「現れ」という語をしるすここでは僕はアジアをおもっている。
三角みづ紀は新詩集『錯覚しなければ』のあとがきでこうしるした。
こわいこわいと泣くわたしを皆たしなめますが、どうしようもない恐怖はどうしようもない。
こわいこわいと呟きながら詩を書いていて、こわいながらも、確かにこわくない瞬間があります。わたしはそれをみるために、詩を書いているのでしょう。
この同語反復、循環論理は意図的で、
あきらかにこれらの文言を三角は詩として書いている。
――ではなぜ「こわい」のか。
女性性の本義に自分の存在がだんだん迫ってきて、
やがて辿りついてしまう「母」の領域によって
それまで記憶や愛情や空間にしるされていると信じた、
自らの個別性を失ってしまうその予感がこわいのではないかとおもう。
むろん実際に出産などの事実があって
戸籍的な母になることとは、これは関連がない。
「母」とは個別性の浄化(漂白/脱色)概念だ。
それを知るためには、概念自体を累乗化してみれば済む。
「母」「母の母」「母の母の母」「母の母の母の母」――
そう、これは吉田喜重『エロス+虐殺』が提示した思考方法だった。
このように世代架橋要素として「母」を重ねてみると、
次第にそれは、静かで無名な、歴史/世代継承の純粋性をつよめてゆく。
祖母の顔を知る孫はいるが、
曾祖母の顔を知る曾孫はどのていどいるか。
むろん十代前の母の母の母の・・の顔を知る者など
特殊例でないかぎりは皆無だろう。
形象はだんだんと常闇に、「根」に、ちかづいてゆく。
自身の成立要因が深い非知に基づく、という認知も生じる。
この非知を生み出す装置が母胎であって、
女たちはそれをもつ自身の恐怖に――静かにも目覚める。
このような恐怖は即座に時間生産の肯定性へと接木されるはずだが、
むろん時間に顔がないように、
本質的な女たちにも顔がないという恐怖を
繊細な女ならば意識の外に置くわけがない
(男は多く、それを性愛の渦中に予感するだけだ)。
たぶん『オウバアキル』で自身の生や存在の個別性に立脚した
そんな「私詩」を書き、事柄の衝撃度も相まって
一挙に詩壇以外からも話題を集めた三角は、
自己属性の蒸散が詩性への接近法だという自覚をもやがて持ちはじめ、
それでいま本質的な恐怖に包まれだしたのではないだろうか。
●
三角の思考は「逆転」を経由する。――つよく経由する。
だからたとえば、個別の死が複数の死になり、
自己要因が他者を照らす相補性をも難なく掘り当ててしまう。
冒頭収録、「マッチ売りの少女、その後」から――
●
冬の日、未明、
街角で少女の遺体が発見された
死因は餓死
凍りついた少女の範囲外にも
恐怖のように
マッチが散乱していた
かすかに薬物の匂いがした
(一聯:中途まで)
掲出した最後の行がパンキッシュなサブカルに親炙し
そのような交友をも組織する三角らしいともいえるだろう。
さて逆転の詩句は二聯中途にある――。
誰も少女を殺せなかったから
故、皆が少女を殺したのだ
不可能性の論理が「逆転により逆転されている」。
気をつけよう。
この現代版マッチ売りの少女(当然「詩人」の隠喩だ)の
本当の死因とはなんだったか。
明示されている「餓死」ではない。
オーバードースでもない。
二聯冒頭には
《少女は母親になれなかった/母親のふりさえできなかった》とあり、
「それゆえに」彼女は死んだのではないか。
それは、時間へのつながりを欠いたため、とも敷衍できる。
浮遊のままの浮き草のように世にあれば、
その者は「関係性において」死んでしまう。
その関係性をつくりなしたのは相補的な位置にある他人でもあるから
《誰も少女を殺せなかったから/故、皆が少女を殺したのだ》
という詩句も実は正論理で成立していると注意を払う必要がある。
三角は詩集中、母からの出自を幾度も語ろうとし
母になることを幾度も希求しながら
「現に」「ここに」生まれる自分の衝撃を錯綜的に語りだす。
母から生まれたことと、私が母となることは、時間軸上の相補だが、
ならば時間内のひと雫であるこの私にこそ相補の構図が極限され、
よってこの私は母の産褥の苦痛を映して
存在の継続を「生まれ(/生み)つづけ」なければならない。
「私」は少女ではなく母の形式を借りてでなければ
この産褥の型で崇高に存在できない(私はそうして詩を書く)。
母という
あらゆるこどもたちが抱く
幻影のなかで
わたしたちは立ち回るのだ
わたしたちは母になって
母親になって
それからようやく
紡ぎだす
(「すずな、すずしろ」最終聯)
このときに「私」の個別的単数など
即座に「私」の内在的複数へと変化を遂げるだろう。
●
大勢のわたし自身のわたしたちが
わたしを囲んで
かごめ
かごめ
を、はじめる
言い当てたわたしを
わたしは食して
もう行かれない場所には
赤い丸をつけるのだった
あなたたち
わたしじゃない
にせものよ
もう少しで
わたしはわたしを取り戻す
でもなにかが
うまいぐあいに
欠落していて
(「うしないつづける」部分)
●
改行加算には脱論理と曖昧が仕掛けられていて、
こういう三角の詩的修辞に詩作者としての彼女の未来を感じる。
隠されるように忍びこんだ「食して」の修辞の気味悪さ。
これまたフッと入ってくる、「うまいぐあいに」という言葉の自堕落さの戦慄。
この詩篇では「みんな」という、「わたし」の敵対者も定位されているのだが、
その本質がついにつかめないとおもう。
それは論理的にそうなるのだ――なぜなら、「みんな」とは「わたし」であるから。
それで最後の一聯、三角十八番のゾッとするヤクザな修辞が光る。
みんな、泣いていた
わたしは灰になりながら
息ができずに
笑っている
●
このような前提を置けば、詩集中の白眉詩篇のひとつ、
「悲劇をわたくしは待ち望んでいるのだった」の冒頭聯も理解がゆくだろう。
にんげんが回転して回転して血液になった
その理屈を
母はわたくしに説いた
わたくしは
出刃包丁をスライドさせ
ようやく新聞にまで名前を湿らせた
わたくしは母を拒んだ
その結果、
わたくしは母を孕んだ
「拒んだ/孕んだ」の単純脚韻。しかし事態は熾烈だ。
「母を孕む」というのは認識の逆転ではない。
世代をつないでゆく女性性を
誇示とともに詩的な修辞に包むことでもない。
時間の陣痛の近くに「わたくし」がたえずあるために
「わたくし」が負う倒立的な存在秘儀の形式、だということだ。
「わたくし」が自己抹消を企てても「わたくしのなかの母」がそれを無化する。
それを三角は一旦「悲劇」としるすが、
「悲劇の不可能こそが悲劇」ともたぶん知っていて、
よって悲劇は彼女によって肯定的に待ち望まれる
――そういう幾重もの、(まるでブランショの記述のような)奥行がある。
この詩篇は論理必然として、すごく美しい結句で終わる。
《つまりは//遠くから産声が聞こえる》。
誰の産声?――「わたくしの」/「母の」/「われわれの」、だ。
詩篇「満開の母」でも、結語は「わたくしはいつか/母になる」だった。
繰り返すが、母を生むことと「わたくし」が母になることに
女性性論理ではもはや径庭がない。
こういう認識を導いた三角自身の実母が
たぶん実際に魅惑的なのではないか。
その実母は蒸留された三角の意識のなかでは以下のような姿をしている。
《わたくしの母は/鏡にうつらない》
《わたくしの母は/子供らを切り裂く出刃包丁》
《わたくしの母は/邂逅するには美しい》
この詩集で最も美しいとおもったのは
女たちが三角を基点にかぎりない多数化を遂げる「最後の鈴」だった。
フェミニスム的な疎外論を「見せ消ち」にして詩篇が発動されながら、
女性性由来の肯定性としかいえないものに最終的に行き着く。
《錯覚しなければ》、生きられるのだ。
もちいられる喩「鈴」が「美」を形象させながら
幾重にも意味を深化させてゆく機微をみてもらうため
以下に全篇引用しておこう。
●
【最後の鈴】
鈴をのみこんだおんなは使い物にならない
捨てるのだ
冬の荒野に
夏の砂漠に
秋の教室に
春だけは勘弁してやった
歩くと
ちりんちりんって鳴くのよ
素敵でしょう
だからみんながわたしのこと妬んでるの
もうすぐ捨てられちゃうんだ
あなたは忘れないで
ね
きれいな手足をしていた
軽やかに舞った
だとすれば
彼女は生きなければならないのではないか
石を投げられた
額が紅く染まった
なにもかもが容認できない
使い物にならないなんて
誰が決めたの
おんなどもの群れが
廃棄され
縦横無尽に彷徨う
ひとりのおんなが
ひとりのおんなの
足を踏み
殴られ
爪をたてられ
ひとりが拡大してみんなになる
無数の鈴が揺られ
残されたものは
半生だけだった
冬の荒野で
夏の砂漠で
秋の教室で
一斉に鈴が奏でられた
涙を流すものも居た
使い物にならなくなった
おんなどもに
残されたものは
半生であり
だとすればやはり
生きなければならないのではないだろうか
●
三角フォロワーの「ポエム作者」というのは
現在、相当数出現しているとおもうが、
そのひとたちと三角のちがうのは
三角の詩(行/聯)の組成が
勢いにまかせた「私領域」の列挙とは程遠いということだ。
聯のあいだには論理的な罠を仕掛けるような行アキがあって、
なおかつ掲出の最終6行に明らかなように
魅惑的で構えの大きな脱論理が提示されて
それで読者が飲み込まれ、
そうした非知の余韻にこそ詩の本性があるという誘導が起こる。
東京新聞8月23日付夕刊の
三角みづ紀インタビュー(インタビュアー:石井敬)は
三角を適確に読者へと誘導する素晴らしい記事だったが、
見出しは「平易な言葉で深く心に」と大書されている。
三角の用語が平易なのはこの記事の引用部分でも明白だろうが、
修辞が成功裡に進展したときには
語と語の作用力によって詩の本懐ともいえる複雑な化合が起こってくる。
不気味で美しく、洞察力に富み乱暴な――ともいえるような。
このとき三角の詩魂の大きさを称賛するしかなくなる。
それは三角が敬愛すると語る(同インタビュー参照)
金子みすゞや芝木のり子の詩にもたしかにあるものだが、
魂や認知には「いまここの」現代性がもっと「悲劇的に」発酵している。
この点が閑却されてはならない。
●
化合的=融即的措辞、というものが三角にはいつも萌芽的にある。
今回の詩集で眼にとまったものを以下に拾い上げてこの稿を閉じよう。
《無色の椿がわたしを食べる/一気に飲みこむのではなく/じわりじわり/啄ばむのだ》
(「花売り」部分)
《眼鏡でみようとする世界と/服を着たままはいろうとするお風呂は/均整が保たれているので/寸前で、助かった》
(「破滅の発端はお風呂場にて」部分)
《四季、というものに囚われ/式、というものに惑い/ああ/なんだか死にたくなっちゃったな/満腹になれないんだ》
(「かけぬける、僕らの欲情」)
《蛇行しながらきました/今日のお茶は何にしましょうか》
(「ミシンを売る時」)
《おとうとは/晴れながら降った》
(「家族パズル」)
《このひとごろし!/僕は僕を罵ります/にんげんの飼い方って/牢獄ではないのですか》
(「にんげんの飼い方」)
《わたくしが微塵もないころ/夕日の隣まで叩かれております》
(「夕日の隣まで叩かれております」)
トウキョウサラダ
【トウキョウサラダ】
まものになる
いまのせなかだって
すいめんからはななめだよ
跳ぶかもしれない
ひとびとは藻のようなものを
交換する
セックスのなにが健康か
ひっくりかえしたり
ぶちまけたりしながら
ばらばらになった四肢が
だんだんひかってゆくだけ
こんな港さえもが未来だと
物乞いしてあるいて
あごのしたに嘆きがふえる
こびとになればさらに
眼に映るこびともふえる
光芒のようなものが
全景を通過体にして
垂直の桟橋、きれいだなあ
縦に跳ぶ鳥、破滅のいきおい
割れた音を必死に出すのを
手許に放さずつかまえて
ひしょう――卑小のピエタ
泣くために
死にちかい者を捕獲した
それが、おまえ
ホテルにいたんだ
金貨といっしょに
生き死になぞは財布、とおもうから
消えた者とした貸借だけが気になる
からだを冷やすため頼んだくだものも
とおくに置けばのきなみ砂金となって
食べられない水辺の日々もつづく
川沿いでは からだ、
「からだ食べたい」(どの次元で?
(はらわたのないかげろう
の次元でだろう、たぶん
さあ、自分を、自分に
ゴーストや記憶や義手など
霊的なものをあつめては
酢と塩と油をかけ攪拌する
くちに運ぼうとすると
そこに帆ではなく
やはりかげろうがいて
わたしのシャツとおなじ模様だった
つくづくこどもだとおもう
ニースふう(『ニースについて』)
笑い方のそよかぜ。
そういう彼岸が着実にあるから
あれこれひかる
トウキョウサラダも
サラダなのに液体だった
泪みたいに液体なのだった
もはやなんの記念日でもないな
もろとも溶ける
乳房とほく流れよ
白花をゆびもて挟むあらはれし昔ただ切れわが半減期
すこしづつ死ぬを常とし色失くすわがうつしみと空の鳶の輪
常闇の黒かがよひをとほりたり手にもつものも美(は)しき黒とす
性愛に異境ありせば性愛の外もとよもす滝つ瀬のおと
凶獣がしりぞく今の葉裏見ゆ銀をなすもの白へとただ褪す
千年の白ともおもふ忌み曇りさくらと霊の境つかめず
川上に人あるべきを葛の花踏まれもせずに匂ひ古りたり
千年を耐ふる喩として色もなき鴉ゆきかふ曇り空など
歴年が艶なるゑみを返すなら一刀のもと寵姫血まみれ
ちちぶさは谷底の花ながるるに壊死なくば乳房とほく流れよ
●
昼までにつくりあげた十首をアップすることにします。
最初の九首がコミュ「タイトルで詩歌句/「百年の孤独」「海と毒薬」」へのもの、
最後の一首が依田冬派くんのミクシィ日記への書き込みです
黒瀬珂瀾・街角の歌+十首
黒瀬珂瀾さんから送っていただいた
『街角の歌』(ふらんす堂)を随分遅れたいま読み出している。
しかもバウムクーヘンを一片ずつ惜しんで齧るように。
この本は珂瀾さんの著書にして編著だ。
一年を365日のカレンダーにして、
一日一日にふさわしい短歌を珂瀾さんが充(あ)て、
それぞれに200字強の解説が付されてゆく。
本は一ページ二首掲出、月代わりには扉、というシンプルな構成を貫く。
「歳時記を読む」ように読める、ということだ。
珂瀾さんの解説は、時代背景・季題を主にした鑑賞の眼目、
作者の最少の伝記的紹介、などなどで埋められ、
簡潔適確な読みと、幾何学的な構成意志とが
本のなか、静かな緊張で拮抗しているとおもう。
「幾何学的な構成意志」というのは、
珂瀾さんの選歌が「街角」をおもわせるものに限定され、
明治から現代まで対象領域を自在に渉猟して、
結果、読んでゆくこちらの手許には
多重的時間と空間とがこもごも、
季節進展の整序性をも相なして刻々編成されてゆくからだ。
しかも、同一作者が二度と登場しない。
つまり「百人一首」ならぬ「365人一首」でもあったのだった。
「折々のうた」などより構成には厳密さがもとめられている。
「百人一首」の現代的編纂というのは
たとえば塚本邦雄などもおこなった。
それは塚本美学を逆照射しつつ、
短歌の基軸を
リアリズムから反リアリズムへと変貌させる試みとしてあった。
珂瀾さんの営みにはそんな偏向が一切ない。
短歌の多元的立脚を、明治以来の歴史のなかに
切実に、透明な態度でのみただ追ってゆくだけだ。
――考えてみるといいのだけど、
明治以来の365人一首を、主題を「街角」に限定して編纂し、
しかもそれをカレンダーのなかに並べるというのは
二重三重に「短歌知」を誇るアクロバティックなおこないだ。
よほどの蓄積がなければとてもできることではない。
ところがそのアクロバット性がぜんぜん感じられない。
歌群が結局は歴史限定のもと透明な人心と声調に還元され、
一切の署名性をも脱却する消尽を引き金に、
そこに声音の総合といった永遠域を逆にたちあげうると
珂瀾さんが知っているからで、
こういう本に接してこそ短歌芸術の大きさと切なさが迫ってくる。
珂瀾さんはなんてすばらしい仕事をしたのだろう。
●
珂瀾さんといえば「歌壇のヴィジュアル系」で、
その歌も初期・春日井建を淵源にした耽美幻想色のつよさが有名だが
(珂瀾さんのデビュー歌集『黒耀宮』はその華麗なる結実だった)、
もしかするとこの本をつくりながら
珂瀾さんの作歌精神の基軸が
別方向にうごきだしているのではないかとおもった。
年内には新歌集も上梓されるという。
緊張とともに期待を感じるゆえんだ。
●
現在、読んでいるのは「六月」。
6月17日
雲母ひかる大学病院内の門を出でて癩(かたゐ)の我の何処(いづく)に行けとか
明石海人
6月19日
選りに選りて上水道に身投げして死骸の汁を四日飲ましむ
森本治吉
6月20日
群集と呼ぶまぼろしの権力へ投げてみよ因陀羅(いんどら)の金剛杵
中山明
6月23日
遠くにて消防車あつまりゆく響き寂しき夜の音と思ひき
尾崎左永子
●
6月17日、明石海人。
ハンセン氏病にかかるという非運によって37歳で生を閉じた
伝説的な戦前歌人として明石は知られているだろうが、
この罹患宣告の衝撃を唄った一首を
6月17日に置いた珂瀾さんがすごい。
伝記的事実の裏打ちが実証的にあるのかもしれないが、
「雲母(きらら)ひかる」の措辞に
梅雨晴れの残酷な眩しさをみたのだ、と僕などは捉えた。
結句七音の悲傷は決して胸から拭い去れるものではない。
6月19日、森本治吉。
浅学の僕には作者不詳。一読、作家の中心眼目も不明。
ところが珂瀾さんには
これが太宰治の玉川上水への入水を詠んだ歌という把握がある。
四日間の捜索ののち太宰の死体は発見された。
そういう事実が裏打ちされて、この森本の太宰への位置取りが面白く映る。
歌中に季節符号が一切ないのに、そこに日付を捉えた珂瀾さんの眼の鋭さ。
6月20日、中山明。これも僕には作者不詳。
一読、戦慄の走る歌で、大衆(/学生)運動者の作と感じるが、
珂瀾さんの解説は、「フランスの社会学者ル・ボン」からはじめられて、
《因陀羅はヒンドゥー教の雷神で、日本名は帝釈天》と簡素に徹する。
結果、この掲出などはずんぐりと異状を挿入する効果を発揮する。
この「因陀羅」の歌がなぜ6月20日なのか、
その謎が解き明かされないことで却って歌に強烈な印象がのこる。
6月23日、尾崎左永子。
結社短歌の重鎮のひとりという認識が僕にはわずかにある。
珂瀾さんの解説は、歌意を丁寧に追い、
左永子の別の作にも触れる、という正攻法。
ところが僕の心に残るのは、結社短歌なのに女声の必然を経由して、
連想の恣意残酷が意味を脱中心化して調べの美しさだけ織り上げた点だ。
そう、歌には明瞭な「葛原妙子調」がある。
こういう歌が歌誌に不意に登場してしまう短歌という芸術の奥行き。
ところが左永子の短歌は「感覚」の限定性をもっと大切にする。
たぶん珂瀾さんは葛原妙子的なものに
さらに身体の有限性が取り巻いた左永子の歌を
別の独自性として嘉納しているはずだ。
珂瀾さんはこの言外の意を伝えるべく、
左永子の別の一首を解説のなかに掲出する。
《つぎつぎに匂ひことなるなか歩む果実店薬局木材店のまへ》。
●
珂瀾さんがカレンダーの一日一日を歌の掲出で埋めてゆくとき
膨大な記憶アーカイヴのなかでは「連想」が猖獗している気もする。
結果、一日単位での歌の順番の流れが、
連句に接したような面白さを呼んでいる例もある。
これについては僕のコメント抜きで列挙してみよう。
4月14日
キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる
佐藤りえ
4月15日
水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器
坂井修一
4月16日
人間のあぶらをつけて蘇る始発電車の窓という窓
盛田志保子
しかもこの一連の流れは、4月17日の欄、突然
以下のような税吏による異様な歌で断ち切られる。
にくしみにたぎる言葉もきき飽きて今一軒差押へむ靴屋に這入る
中島栄一
●
『街角の歌』を読むことは未知の短歌作者の才能を、運命を、
その作例だけで追認するという残酷な礼儀をふくむ。
となって、珂瀾さんが夭折作家の死亡年齢を過たず解説にしるす、
その意味もあきらかになってくるだろう。
早死によって埋もれた不吉な才能を畏れるのみならず、
その全作を知るべきだと誘いかけているのではないか。
こうした基準を、僕は早くも本の冒頭で知った。
1月2日
早春の紗のかかる街四つ角のポストも夢を見るやも知れぬ
永井陽子
一読、メルヘン型幻想の歌におもえるが、
朝靄の喩ととれる「紗」の用語が不吉だと捉え、
珂瀾さんの解説を読むと、
やはり「平成12年1月、48歳にて逝去」とあったのだった。
●
俳句は峻厳な世界認識装置で、それは言葉の生成とまさに一致する。
ところが短歌はやはり「歌」で、その流れと身体的な空隙性をもって
読む者に感情を代入し自らを無名化させる契機の器として
普遍の水平域にこそたち現れてくる聖なる指標なのだった。
だから下句十四音も余剰ではなく、魂が肉体化する支えなのであって、
これ以外の可能性を突き詰めようとしても
短歌形式はその作者にむなしく離反してゆくだけだろう。
僕も最近はそういうことを考え、作歌をおこなっている。
最近の作例――
●
をとこへし風に割れざる百年に急いて着物の柄こぼしゆく
百年の孤りに配する千年の多勢、眼路みな白草木炎ゆ
水に泛く円のさみしさ「決」の字のさんずゐのゆゑ民草は知らず
おそ夏はいましの膚の螺鈿へと十年の夢きらり漾ふ
なが雨に甲羅の濡るる気配してわが一年などみだれほぐるる
自分脱出したし水平ライオンも垂直ライオン殺戮班も
聖護院大根泛ぶ記憶には旧臘に見し月を重ねき
凶兆は暁闇あるく郵便の赤ポストにして誤配うれしく
おそ夏のさむさ葡萄を掌(て)に割いて果汁たばしる藍の朝明け
部屋隅に天狗となりて佇ちてゐき脱分節にけぶるわが身が
●
一首~五首は「なにぬねの?」コミュ、
「タイトルで詩歌句:「海と毒薬」「百年の孤独」」へ出したもの。
六首・七首、新マイミク「DICE」さんの書き込み欄へ打ったもので
当然、六首めは塚本邦雄の有名歌のパロディ。
八首め以降が今朝の作歌です
五首+十句(八月下旬)
蒸し器には春の焼売咲きみだれあれから消えし瀬の渡し板
手詰まりの自己史記述のこの朝もにぶく皺なすあさがほの衰(すゐ)
シガテラを享く僥倖や神待ちて近江の寺にあきつ喰らへり
三年を淵に瞰下ろす色恋は離るる白火、薄荷の冷えもつ
題詠にはつかに滲む百季丸そのをぐなめく貌の影はや
●
をとめごの蛇腹部分に蝋を塗る
髪に火を点け瓜とせし乙女かな
おのづから桃濡れてをり恋の芯
身を消せば銀いろにこの恋終る
枇杷の森に少女がふたりそれも枇杷
猫を越すこの脚を斬り世を流る
項とはきやきや生(あ)るる魅(もの)のもと
風鈴を脳髄として少女寝る
白雨にて消えゆく契り川にゐて
草鳴りの奥に女の厠かな
●
最近つくった句歌を上に。
一首めだけ田中宏輔さんのミクシィ日記に書き込んだもので、
その他は「なにぬねの?」で近藤弘文さんが立ち上げたコミュ、
「タイトルで詩歌句・「百年の孤独」「海と毒薬」」への投歌です。
俳句はすべて、同じく近藤さんの「なにぬねの?」コミュ、
「「時をかける少女」「不思議の国のアリス」」への投句。
「少女」テーマなんだけど、次第にネタ切れになりつつあるのは、
「をんな」への興味のほうが年齢的にまさっているから?
柴田千晶・セラフィタ氏
詩集として出された柴田千晶『セラフィタ氏』は
単純な読後印象ではポルノグラフィのアヴァンギャルドとなるだろう。
アヴァンギャルドというのは、劣情をそそる性的(内的)描写が不在、
主体としてしめされる対象実在性も幻想性へとからげられ、
なおかつ、奇態な妄想にのめりこもうとする「こちら」を
夢の挿入や異空間の連鎖で
ずたずたに寸断させてしまう悪意にみちているためだ。
それでもこれをポルノグラフィと呼ぶのは、
性的使嗾(とりわけ緊縛マゾヒズム)をもちかける「男性的他者」によって
「私」=主体の自己同定性が解体され、
そこにポルノグラフィ特有の機能的な物語の枠組が生じるからで、
(詩)文中、フランス書院の例示もあるが、
事態はポール・レアージュ『O嬢の物語』、
さらには幻想性の猖獗ということでいえば
マンディアルグの一部幻想短篇に味わいが似るということにもなる。
水準が複層性を保持したまま
同一平面にコラージュのように記述が貼られる。
例示として、詩集冒頭の見開きを転記打ちしてみよう。
●
セラフィタ氏
眼が乾く
空調の熱風をまともに受け
データ入力オペレーターの眼は絶えず乾いている
柏店婦人服お直し伝票125軒
東京店婦人服お直し伝票272軒
――VDT作業は一時間までとする
一時間連続して作業した場合には少なくとも十分間の休憩をとること――
眼が乾く
四人のオペレーターは終始無言のまま
休憩時間もPC画面を凝視し
トランプゲームに熱中している
〈フリーセル〉No.29596はまだ誰もクリアできない
雨降ればオフィスの午後は沈鬱に沈み深海魚として前世
眼が乾く
何処に居ても
眼が乾く(外気に触れたい)
(外光を浴びたい)
誰といても
眼が乾く(言葉を交わしたい)
(性交したい)
●
改行詩文体で書かれてはいるものの(本では途中からそれも稀薄になる)、
これが出自を異にするメモの、無味乾燥な同列列挙(混在)だという点は
一読にして判明する。
店ごとの伝票件数は仕事上のメモが記述へと外挿されたものだし、
(外気に触れたい)から(性交したい)までの括弧書きは
内心の声として逆に記述に内挿されたものだ。
「――」で挟まれた勤務規約は、おそらく部屋の壁紙から
そのまま記述の現在に侵食してきているのではないか。
偶有的な外在性が記述原理となること――
そうなったときの記述者の「眼」は、居場所の抽象性へと純化される。
しかしこれがぎりぎり詩的文章に飛躍するのは、
《眼が乾く》の俳句的五音がリフレインとなって
「外在」を内的定位へとたえず差し戻すためだ。
あらゆる水準の言葉が空間同一性のなかにコラージュされるというのは
哲学的記述、映画撮影日記、映画館の半券、
通常購入物のレシート、さらにはそれらと脈絡のない他人への悪罵が
糊付けも駆使して記述空間のなかに苛烈に同居していった
タルコフスキーの日記をもおもわせる仕儀だった。
さて、上記引用文には短歌も入り込んでいて、
これもまた作者の記名性の埒外から適用されたものだった。
現代歌人・藤原龍一郎の作歌からの引用。
現代的風景への視線を基準線にして
そこから疎外態を――とりわけ性的疎外態を
喩構造のうえに微妙にスパークさせる藤原の短歌は
以後も柴田の作成する詩篇のなかに繰り返し挿入されてくる。
この「挿入」という事態の性的な様相を意識すべきだろう。
むろん「歌物語」という古典文芸ジャンルもそこにおもう。
ただし藤原の短歌は相聞歌ではなく、
それでも柴田のしめす物語が(幻想の)性愛の進展だから
歌と(詩)文の接合面には詩的(現代的)「摩擦」が生じている。
『古事記』に挿入される歌謡もまた抒情歌謡で
それは歴史(神話)の心情的厚みを保証(捏造)したが、
たぶん藤原の歌が外挿されることで
地となる柴田の(詩)文には、(擬似)神話性が逆照射されることにもなる。
いずれにせよ、凝りに凝った複層性により
詩集の冒頭がこのように開示されていったのだった。
柴田の本業はマンガ原作だろうが、映画脚本の仕事もあった。
異質シーンの貼りあわせによって軋みを目すということなら、
ゴダールの融通無碍なシーン(ショット)連鎖も念頭に生ずる。
●
冒頭、「性的使嗾」としるしたが
現在的ポルノグラフィでそれを機能させる場所はメール(ネット)環境で、
しかもそれは「不審者」からのものでなければならない。
そのメール送信者が「セラフィタ氏」だった。
セラフィタ氏からのメールが一瞬、ゴダール映画の苛立たしい組成のように
スクラッチ的吃音をかたどってしまうこともあった
(事故に似た偶有性は、柴田的詩文のなかにあっては訂正・解消されない)。
《あなあなあなあなたのセックスは、益々散文的になってきてきてきているはずです》(12頁)。
「私」自身より「私の本質」を知ると任ずる者からの権威的容喙。
それはむろん疎外態だが、疎外態がこのように「吃音」を描くのだった
(ここにこの作品の現代性、その根拠のひとつがある)。
このセラフィタ氏のメール文では
「池袋西武ぽえむ・ぱろーる」で歌人「藤原龍一郎」が
「あなた」の以前の詩集を購入する姿を見かけたという記述もある。
そう、作品の多様な空間性に輪をかけるように
そうして作品にメタレベルからの迷彩がさらに施されてもいった。
ちなみに「セラフィタ氏」の語から誰もがおもうのは
バルザックの幻想小説『セラフィータ』だろう。
熾天使(セラファン)から命名されただろうこの主人公は
男には美女にみえ、女には美男にみえ、
そのどちらとも性愛が可能だという「境界上の」幻影だった。
この小説を読んでからもう30年ほど経っているので
細部記憶が定かではないが、
各人物とのセラフィータとの邂逅描写が多元的に進行するなかで
その正体把握を読者にあおる、
バルザックの大時代な19世紀的筆致に、
「やれやれ」とおもいつつ心躍った印象がのこっている。
相手によってこそ自らの性の所属がゆらぐこうした可変性を
とうぜん柴田の『セラフィタ氏』も継ぐ。
77頁、ついに幻想装置のなかでセラフィタ氏を間近に見上げた「私」が
そこに誰の顔を見たのかのヒントはまさにこの点に隠されているのだが、
詩書の結論部分を得々と綴る
手柄自慢の質を評者はもちあわせていないので
ここではそのセラフィタ氏の「正体」を暴かないことにする。
セラフィタ氏の対象選別に性的な自由のある点は、
12頁、《セラフィタと名乗る男と 私の/
セラフィタと名乗る男と 私の男との》という小さな記述にも揺曳していた。
●
「私」はセラフィタ氏の使嗾によって
とあるSMサイトの存在を知る。
この結果として、のちに中心的となる「坐禅縛り」に先行して
専門度の高い緊縛名が詩文中に列挙されだす(14頁)。
「高手小手縛り」「菱縄縛り」「後手合掌縛り」
「片足吊り」「三本胸部縛り」――じつに嬉しいことだ。
評者自身は緊縛SMの経験がないが、
金科玉条にしているのが平岡正明『官能武装論』に収録された論文、
「縛られて菩薩となりぬ」だった。
緩く縛り、対象が動くことで縛り目が硬化すること、
縛りの進展、責めの進展と同時に、
そこからの解放をもってフィニッシュとする眼目があること。
解放後には蕎麦を食い、食席での話にはジャズが合うとする平岡は
縛りの刻々、解放の刻々に、アジア的風が吹くのを体感していた。
縛り痕の肌への刻印に縄文文化への復帰を感じる向きも
別の映画監督の作品にはあった。
セラフィタ氏の縛りも西洋的拘束ではなくこの流れだろう。
だから本来ならばそれは唯物論的「物理法則」なのだった。
ところが「見られることでこそ自己同定性が溶解してゆく」という
『O嬢の物語』以来の西洋的主体論も当然ここにからんでゆく。
●
セラフィタ氏は「私」の記憶の隙間にいて、
私を――私の性の奥底にある嗜好を――監視する「不気味な位置」にいる。
だからそれは不気味な他人すべての場所へと代入可能になる。
私には性の恋人がいるが、
それが不気味な風合いを湛えだせばその「セラフィタ度」が上がるし、
私が歌の引用を依拠している歌人藤原龍一郎にも、
私が契約している派遣会社の嶋田久作似の「佐島」にも
私が手芸用の赤縄を大量購入したデパートの女売り子「霜村」にも
ティッシュペーパーに挟まれた弘前の放火犯の似顔絵にも
男との交接中にホテルの窓から見た丹古母鬼馬二似の男にも
水漏れを指摘して家屋に入り込んできた気味悪い戸別勧誘員にも
私の家の隣の空き地を造成する作業員にも
部屋をビデオカセットで埋め尽くし一時期を引きこもっていた私の兄にも
私が八重洲で垣根見た、異臭ただよう浮浪者にも、変貌できるのだった。
こうした対象変貌性は、私自身の同定性剥奪と当然に「対」で、
だから私の(詩)文も多様な別界面に容易に連接してしまうのだろう。
歌物語として正統な機能回復をする一瞬――
《スリーエフの駐車場に中古の赤いボルボを止め/男は私を待っていた》
という柴田の地の文は、藤原の以下の短歌と連接される(18頁)。
《起動音響くフロアの人工の光まばゆく性的悲傷》。
連句でいう「場所付け」。地の文で提示された光景が拡がる。
同時に「悲傷」は「ひしょう」と読むのか「ピエタ」と読むのか。
いずれにせよ、磔刑(縛りにも似た釘による十字架への身体固定、
そこからの解放を母が泣くこと)への連想によって縛り幻想が復帰し、
結果的に聖なるものとSMビザールとの連接が起こったうえで、
「私」が会う男の「セラフィタ性」が高められる余禄も生ずる。
一回の提示機能が一機能に終始しないこと――
これは幻想文学の「特質」だった。
小説的「伏線」にも似るが、そこにはもっと変型された何かがある。
この点を、順を追い説明してみよう。
まずは脱論理が平然と文中に紛れ込むこと。
32頁に好個の例文がある――
《生家の記憶というものが私には無かったが、でたらめに歩いていると/
奇妙に懐かしい椿の木が現れた。この家が私の生家に違いない。》。
「根拠」が他の箇所によって保証されない治外法権。
そうなっていい理由は最終的に一連が夢の記載という保証を得るからだ。
しかしいつしか夢という枠組を外されても
「私」の「無根拠」は次のような創意ある修辞へと変化してしまう。
60頁、《いや実際にはしてこなかったのだが、男にはそう見えたのだから、してきたのかもしれない、何事も。》。
引用では「してきた」ことが何だか不明だろう。
「見知らぬ男とホテルに向かうこと」だった。
連打されるものや連想には幻想的奥行きが付帯してゆく。
「ヒートアイランド現象」――その直訳「熱の島」――津島祐子「歓びの島」。
「歓び」の語からは、クロソフスキー『歓待の掟』の浮上が紙一重だ。
ある男と別の男の「一致」。
それはフロイトのいう「不気味なもの」の完成だが、
そのまえには類似性の連打が要るのだった。
評者のとりわけ好きな章(詩篇)に、
ニューシネマ由来ではまったくない「スケアクロウ」があるが、
略言するとそこでは、私の戸籍謄本で発見された夭折した私の伯母「時子」、
コピー機のガラス台に忘れられた履歴書、その写真部分にいた「マスクの男」、
それから開店前の日本橋丸善の前に置かれていた
顔部分を白布で隠された「案山子」が「一致」をみる
(柴田の記述はたとえば銀座中央通りの景物を丹念に追う様子に明らかなように
地上の具体的景物を抽象性には決して転化しない――
よって幻想空間を現実性が裏打ちする化学反応が起こるのだが、
こうした東京の地誌的連続性への執着は
『東京ボエーム抄』での倉田良成の作法とも相似だった)。
「一致」が基底層となって上位次元から降りてくる何者かの発語が
掟(命法)であると同時に、第一義的な意味で「詩」ともなる。
案山子が話題対象になれば、「私」がそれに合致するが、
44頁の男の科白「素っ裸の素敵な案山子だ。君をどこに置いて来ようか」は
あきらかに基軸の狂った抒情詩文であり、同時に「命法」だった。
32頁、(結果的にそうと知れる)夢のなかで生家と思しき場所を訪れた私は、
その家に現在住まう主婦から今年のカナブンの「異常発生」の話をされる。
主婦は詩文への外挿者として絶対に「ありえない」述懐をする。
「あの臭い、たまらない・・・まるで男と女が交尾しているときの臭いみたい・・・」。
これを前提(伏線)にして、
ジョン・レノン「イマジン」が念頭に置かれた罰当りの命法が
括弧付きの曖昧さの詩として、記述空間に内挿される。
(想像してごらん。網戸を食い破ったカナブンがいっせいにおまえの躯を目がけて飛んでくることを)
●
散文形を提示したうえで何が詩かを、身をもって問う熾烈さは
倉田良成『神話のための練習曲集』でも直面したことだった。
倉田の場合それは「練習文」がいかなる内在要因で自走ダイナミズムに転化しているか
――そうした瞬間瞬間によって測られたことだ。
柴田千晶の営みはけれども倉田とはちがう位置にある。
まずは異界面を記述空間に並列させて文それ自体から同定性を奪うこと
(これは通常ひとが考えうる詩の作法だが、
柴田はそれを確信犯的に幻想文学の成立要因とも交錯させてみせる)。
幻想物語全体に歌物語の要件をあたえることで、
一文が他者領域と容易に連接可能だとしめすこと
(ここで西洋的=幻想的ポルノグラフィと日本古典との区分破棄が起こり、
架空の「私」語りには短詩型的「私性」とのスパークが挑発的に生じる)。
さらにその上位次元には命法の生じる場所さえあって、
そこではこのポルノグラフィが詩的に黙示録化する第三の変型すら起こる。
このような多層性こそがここでは詩性として意識されるべきだろう。
●
最終章「西日デパート」は奇態なデパート空間を舞台に
「押絵」パターンの幻想小説と同様、私が限定空間に閉じ込められ、
そこで「見られること」のマゾヒズムを完成させ、
同時に、「私」をSMの煉獄へと導きつづけた
「セラフィタ氏」の顔が何なのかが暗示される白熱の「詩篇」だ。
しかし前言のとおり読者の愉しみのためここでは詳述を控えておく。
そこにいたる直前(64頁)に、散文形の隠れ蓑をかぶっているが
記述が最も詩に接近した小さな一連がある。
行分け形態に置き換えて以下に転記打ちしてみよう。
●
私は管
欲情を連結する
私は管
排泄されるための
私は管
二人の男に連結する
私は管
私は管
収斂を繰り返す歓びの管
●
自らを「公衆便所」として蔑視するM者の崇高な述懐でありながら、
同時に記述は稲垣足穂型の「人体空洞説」に背景を負っている。
ただそこには足穂的な宇宙論への接続がない。
この欠落にこそ『セラフィタ氏』の現代性の価値が宿っている。
●
初出一覧をみると、各「詩篇」はみな01年から02年の詩誌への掲載。
柴田は6年後にそれらを集成してこの書を世に問うた。
引用した藤原龍一郎への敬意もあったろうが、
自らのなした混在的文学様式が「詩」としか総称されえない意義を
現在の詩のフィールドにぶつけてみたかったのだろうとおもう。
営みの挑発性が素晴らしい。
煙にまみれた自画像
【煙にまみれた自画像】
うすやみをゆくしろへびから
けむりへの感性をたかめてゆく
そのあたりを、おくがというのだ
かすかにそらはわたしをうつしていたが
行路をまがりつくして知った
屈曲とは音曲に似たべつの通路だと
休符がおしあげる夏の霜柱をあるく
ものものしく草履がほどけてゆく
マモウという音 そのインドの韻き
疲弊が苦労なのではけっしてない
疲弊にいたる音階の記譜、それが仕事だからだ
早速 がらすたばこを暮れのこりに咥え
雲からは琵琶をひきずりおろして
唄う中心を一切れの僧形にした
あいうえお と そう吟ずる
ぎらついていた葉緑は 泥みはしない
あっさりと溶暗に加担して類を形成し
ちきゅうはその類力によりまわってゆくのだった
趨勢がしかあるときに
仲間という語は正負どちらをとっても怖い
なかまとはむしろ鞭毛のゆれのような感じだろう
誠を尽くしての終わりはけだものとしてわらうか
けむりとなって拡散するかで
ひとが人の匂いをなくする水っぽい食後もある
王冠のようなパフェはこの瞬間をすべりこみ
まさに形成への胆力、その台座をうばう
(あれもけむりだった、)
あいうえお そこでそう吟ずる
いつかは鹿の爪となって森の通路を掻くのだから
木の実のふりつづける金色の幸福すら
まばたきひとつでこれまたけむりにすればいい
喫煙とはたえず幻滅の予備演習で
自身への繋辞など遮断して
「わたしの三匹」の 口先のたわむれに任すべきだ
二を軸にした魔法が磨耗するとして
そこからの例外にこそ親密も宿る
基本はいつでも森のような集合体だ
おまけに日本語の現在の母音も五音あって
それだけでも音への親しみは普遍というべきだろう
あいうえお そう吟ずる
森状を発声にする
奥に伸びようとする「あ」を
「い」で斬ってわたしも平面に復する
ただし余燼が生じて それがけむりに似るだろう
「う」「え」「お」がそうして三匹になる
こんなふうに自分を追悼できないかわりに
母音をあらかじめ追悼しているとするなら
この詩語はなんのざわめき
わからないまま森状を発声にする
あいうえお いつもそう吟じて
ことばの鹿がちかづいてくる
へびのきえた場所に
●
夏休みにしなければならなかった課題のひとつは
詩稿の整理だった。
サイトにアップしていた「ネット詩集『誰かとは君のこと』」は
タイトルを「ネット詩集『あけがたはなび』」に変え、
そこでの不出来詩篇を一挙に刈り込んだ。
詩集を構想する愉しみのひとつは、
まさにこの「刈り込み」――「自己切断」にある。
血を流しているつもりなのに、
自分の躯から蜜が流れだす感覚に導かれるのはなぜだろう。
その作業の余勢を駆って
サイトには「一人連詩『大玉』」もアップした。
http://abecasio.s23.xrea.com
「サイト更新履歴」か「未公開原稿など」の欄で双方を確認できます。
おひまな折にはぜひ
まんがめがね
【まんがめがね】
詩は紫(し)をあつめ
ゆうぐれをただよう
猥おみんぐの井戸に
王のいるような予感で
あるくことはあつめること
だと犬のこころも折れた
まったくの草ばなしだ
だぶる場所に花ばなあれば
辞書の同音異義を
ばけつではこんで撒く
まんがめがねで眺める
此世のまあるい四角
それ見えなくして
おんなの精神開脚もない
いろいろと もぞもぞがいう
水紋があっちに向かっている
めでたさは薄荷ていど
終わっても舌で頬ふくらまし
わたがしのように抱き合う
尻を嗅いでたしかめたいが
ああなんて考えが犬めくのだ
宵のくちに螺子ばらばら
かんせつがあさってに外れる
身の森ならこうして枇杷で重い
犯行現場に似た六畳で
まんがめがねをとおせば
おっかさんもみんな姉
かしゃかしゃ思い出を刻んで
火車も青ざめる
おなにぃ幽霊となった
ロック・バンドとは何か
三村京子さんが、ロックバンドを運営していて、
いま結構、「有産的な苦労」をしている。
光永くん(ds)、タカヒロくん(b)は
熱誠タイプですごくガッツもあるのだが、
いかんせん彼らの多忙で、
レパートリーが増えない。
アコギ曲をロックアレンジに変化させるような
新鮮な創意にもいまだ乏しい面がある。
それで、ロックバンド形態でライヴを繰り返すと、
「反復」の病相がつよまっていってしまう。
三村さんの「どサイケ」なリードギターが轟いても
女の子をリーダーにした3ピース形態が
怖いもの知らずでスゲエ、にしても、
彼女のアコギ単独演奏ほどの色彩感が出ていない。
光永くんがいくらライヴ会場でPAに指示しても
歌詞がロック音でつぶれてしまうことも多いし。
●
ロックバンドとは何か。
多くのインディバンドを見ていると
ヴォーカルの歌詞が聴こえない点を前提視して
ひと色、もしくはバラード曲とアップテンポ曲のふた色程度で
パフォーマンスを乗り切ろうとする例に数多く直面する。
歌曲の斬新さ、歌唱の充実のうえに
バンドメンバー個々の創意が有機的にからんで
曲ごとに別地点に客を幸福に誘ってくれる
そんなバンドが意外に少ないのだった。
レコードを聴いてみる。
たとえばリトル・フィート『ラスト・レコード・アルバム』。
昔でいうA3に畢生のファンキー・バラード、
「ロング・ディスタンス・ラヴ」が入っているのだが、
ビル・ベインの電気ピアノの「揺れ」のあと、それに乗って
リズム隊が脱臼させるほどのシンコペーションを刻み始める。
それに発声法をダンディなウィスパー(引き気味)に変えた
ローウェル・ジョージの、
彼にしか実現できない唄いまわしがくっつく。
スラー、シンコペ、黒っぽいビブラート・・・
たとえばリズム隊のシンコペと
ローウェルのシンコペは同調しない。
その隙間のリズムの、微分的差異が
静かな曲なのに聴く者を白熱に導く。
「ファンキー」がそこから刻々と実質化されてゆく。
鳥肌が立たざるをえない。
大切なのは、これと同じ感触の曲が
リトル・フィートのほかにはない、ということだ。
ということでいえば、
二枚目『セイリン・シューズ』中の名曲「ウィリン」と
キャラかぶりする曲もない。
「テキサス・ローズ・カフェ」だって同様だ。
「一曲」にたいしてバンドメンバーが創意を振るった結果、
「一曲」の色彩が単独というか唯一無二で前面化する
--ロックバンドの有為性は
たとえばこのようなかたちで実現されてゆく。
そのとき最初の一音の衝撃すら保証できたのが
たぶん黄金期ロックのポテンシャルだった。
エルモア・ジェイムスでも何でもいいのだが、
50年代のシカゴブルースではバンド音の色合い全体が
ヴォーカルの個性と相俟って単純な紋章をつくりあげていた。
エルモアの場合は2パターンだった。
ブルーム調とバラード調。
その形式だけではロックバンドが商業的成功を見ないという
決定的な変化が起こったのが60年代だった。
その前のジャズの達成が意外に大きいとおもう。
クールジャズ時代のマイルスがこだわった「吹き出し」の一音、
これに影響を受けているのだった。
そこにすでに存在が賭けられ、
しかもそれが曲ごとにさらに別の
存在形式すらもたねばならない。
ビートルズを例にすると、この弾きだしの存在論は
いろいろにかたちを変えていったことになる。
たとえば「プリーズ・プリーズ・ミー」では
それはロックンロールから継いだギターリフとなった。
「ハード・デイズ・ナイト」ではそれが
コード構成のよくわからない
ちょっと中近東的な一発ストロークとなり、
「ヘルプ!」ではジョンの連呼を縫いながらの
コード進行の難しいヴォーカル入り前奏となる
(この部分は曲中、二度と繰り返されない)。
ビートルズのメンバーがさまざまな楽器をもちかえはじめるのは
『ラバー・ソウル』あたりからだが、
『ホワイト・アルバム』「クライ・ベイビー・クライ」で
ポール・マッカートニーが不協和音アコーディオンを奏でる一瞬で
ピアノを一小節程度転がし、
別の不協和音フレーズを「可愛く」入れた創意など素晴らしい。
曲の色彩を複雑にし、
同時にその複雑さをも定着させているのだった。
音楽をよく聴くひとはわかるだろう。
ある曲を記憶に反芻させようとすると、
意外に聴覚的イメージではなく、
色彩に代表される視覚的イメージが出てきてしまうのを。
ロックバンドとはむろん一体感だったり
グルーヴだったりが尊重されるのだが、
演奏力をアドリブで誇示しないのなら
曲ごとの色彩付与の創意がすごく大きかったりする。
むろん曲中の展開力も。
あるアルバムに入っている曲の色彩の一回性。
たとえばビートルズなら
『アビー・ロード』中「ビコーズ」以上に
「青い曲」も他に存在しない。
ロックが完全に身体性の音楽だった時代には、
スタジオ録音での加工はあったとしても二次的だった。
ジョン・レノンは、「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」録音の際に
山の頂上から響くようなヘンな声に加工してくれと頼んで
録音エンジニアを困らせたそうだが、
現在のクリックを主体にした録音のような
つぎはぎ感は基本的にない
(ビートルズ録音でのつぎはぎは、
ジョージのヴォーカルとかリンゴのドラム、
あるいはアレンジに凝りすぎた曲とかに限定されている)。
たとえばこないだの「トップランナー」に椎名林檎が出てきた。
彼女は、ピアノ、ベース、ドラムのジャズコンポをバックに
全曲を披露した。理由はヴォーカルの下手さが目立たず、
歌詞-歌唱の可聴性が高まるからでもある。
ところがたとえば、東京事変をバックに
林檎がMステに出演する場合は、
いくら練達のPAがいても演奏が空中分解し、
歌詞テロップがあっても歌詞そのものが聴こえない場合が多い。
林檎の最近の曲は多くルーツに依拠している。
そのルーツは番組出演でも伝わってくる。
ところが曲に最終的な色彩やふくらみを与えるのは
切り貼りを前提にした
ヴォーカルエフェクトの細かい単位での付与と、
演奏の貼りなおしなどレコーディングワークのほうなのだった。
Mステをみるかぎりでは
東京事変はバンドの実質を欠いているとおもう。
この実質とは恐らくすごく身体的なものだ。
ビートルズに話を振ったとき、
楽器もちかえ、を例示した。
その最高峰のひとつがザ・バンドの二枚目『ザ・バンド』だろう。
五人のメンバーは基本的に楽器配分が決まっているのだが、
あるときオルガン弾きがアコーディオンを弾くと
ドラマーがフラットマンドリンを弾き、
ピアニストがドラムを叩くなどの演奏シャッフルがおこなわれる。
それで、曲の表情・色彩が曲ごとに
ダウン・トゥ・アースな幅を保ちながら変化してゆく。
それでもからみあう三人の声の囃しかけは
ディレイ感覚を孕んだひきずるようなゴスペル調。
アルバム『ザ・バンド』は
基本的に録音がすごくモコっているのだが、
そのローファイ状態から迫ってくる
曲ごとの色彩付与、この創意が只事ではない。
ザ・バンドは「ルーツを作曲する」、というバンドタイプで、
彼らの持分の可変性はこの目的に向いて
まったく無駄を生じていない点が驚異なのだった。
ビートルズが嚆矢となり、ロックが商業的な定位を見たとき、
曲の「多彩さ」が売りとならざるをえなかった。
それで一体感にプラスアルファする
振幅ある色彩感が着目されだす。
これが唯一無二の身体性とからんで離れないときに、
そのバンドがバンド独自の価値をもった。
現在の三村京子バンドが闘っているのは
そうした価値を彼女らも獲得しようとしているためだ。
少女(vo+g)を前面に出した3ピース、というのは
たしかに画柄的にはつよいインパクトがある。
ところが三村さんのエレキギターでは
まだ曲ごとの色彩感をつくりだせない。
また、リズム隊との連絡もいまひとつで
複雑なリズムが刻めない。
しかもロック音に負けじと声を張り上げて
ヴォーカルからも曲ごとの色彩が失われる。
圧倒的なサイケソロを打ち出せる反面、
失うものも多いのだった。
それと三村さんのつくる曲の質として
イントロ当てクイズが成立するような
イントロの曲が少なく、
それでも曲ごとの色彩感が実現できていない。
3ピースバンドが成立するためには
ギタリストが「本当にひとりで弾いているのか?」
とおもわせるような多音を弾ききる奏法の厚みが必要で、
それはクラプトンがクリームをやりだしてからは
単なるコードストロークではなく、
やっぱりフレーズの問題となった。
ジミ・ヘンはそれを彼の色彩で踏襲する。
ブランキーの浅井健一だってそれは変わらないし、
曲ごとのギター奏法の幅ならば
クリームやエクスペリアンスよりも大きい。
3ピースバンドでの唯一の例外が、
坂本慎太郎のゆらゆら帝国だったが、
あの隙間だらけの音を有効にしていたのは
坂本のヴォーカルの演劇性で、
現状の三村さんにそれを期待するのは無理だろう。
--冒頭の自問自答にもどる。
ロックバンドとは何か。
その魅惑とは何か。
以上、つらつら書いたことで、
これが一筋縄では収まらないことだけがわかる。
ところがアマチュアバンドではこの「一筋縄」が多い。
それを知る三村さんは
いま躍進を期すべき時を迎えているのだった。
●
上で書き忘れたこと。
演奏にはまだうまく色彩感の幅をもちこめないけど
曲どうしの組成の幅なら
三村さんのロックバンドも驚異的にあります。
これは保証する
●
もう一個、書き忘れ。
うえで書いたことは
現在の詩論にも
適用できるとおもっています
●
【以下、三村京子の書き込みへのコメント】
そうなんだよね、
前の日記「共同制作について」にも関連することなんだけど
場(座)が演算の場になって、
個人の限界を超えるものが引き出されてしまうとき
それがバンドの実体となる。
ベースが入ればギターはベース音の厚みを強調する必要がなくなり、
たとえば上3~4弦で、
通常性から離れたフレーズを弾くことができる。
シンプルさに傾くか、複雑さに傾くか。
となって、ギターはベースに何かを預け、
自分の領分を変えることができるんだけど
そういうのがバンド音の色彩の実質、そのひとつとなる。
ベースは大事だよね。
それはギターの低音域の増幅・強調であるとともに
ドラムのリズムと合体して
ドラム・リズムにさらなる「付与」をおこなうものだから。
たとえばコード進展をもっともはっきりしるしづけるのもベースだし、
たとえばウォーキングフレーズをとるか否かで
曲ジャンルを先験的に規定するのもベースだったりする。
バンドの結束が精神性と呼ぶしかないものに負っているのは、
ビートルズが「お荷物」リンゴ・スターを
抱えつづけたことでよく考える。
彼はリズムがファジーだったし、
複雑なリズムパターンもこなせなかった。
ドラミングに「雰囲気的な隙間」がある。
ところがそれを、下支えの大きな要因にして、
音跳びの大きいポールのベースがそこに化合し、
結局はロックンロールから
ジャンル規定不能の音楽の実現へと飛躍しだした。
難しいドラムは、スタジオ録音だけなら
ポールが叩けばいい。
何にせよ、ビートルズは
ジョンとポールの声音を最大限に活かすため
音楽を豊かさに向け進展させていったような趣きがある。
リトル・フィートの初期と
ビートルズは、僕は意外に似ているとおもう。
三村さんのいってるビートルズの独自性というのは、
音楽における「コラージュ」感覚でしょう?
異質なものを連接させ、
驚愕と感動をあたえるというこの20世紀美術的作法は、
実はリトル・フィートにもすごくあった。
ただ、デルタ・ブルースからブギから、
ビートルズよりもルーラルなものを
リトル・フィートは多くとりこんでいったけど。
ローウェル・ジョージの歌詞発想は
自由度においてジョン・レノンにも似ている。
僕のサイトの「ロック訳詞集」を参照してください。
ディランのバッキングによってキャリアを確定したザ・バンドは、
ディラニズムのバンド的増幅・複雑化を考えたとおもう。
ただその本質は、バラッド(物語性のつよい、一色の歌詞世界)を
ロック歌曲にどう変貌させるかという着眼にあって、
その際の方法選択が確実だったのではないか。
楽器の多元性を織り込んで
ルーツ自体への崇敬を倍加する
(これは現代詩に
詩歌からの恩恵を盛り込む作法に似ている)。
そのためにメンバーの楽器分担に可変性をもたせ、
ヴォーカルの調和で、最終的な一体性の芯を得る。
だからザ・バンドのポテンシャルの低下は
3人ヴォーカルのゴスペル的掛け合いが減ってきたときに
あらわだった。
そういえばザ・バンドはビートルズのリンゴ同様の
「お荷物」を抱えていた。
リチャード・マニュエル。
ただしそれは彼の飲酒と嗜眠とメランコリーによるものだった。
三村さんの歌曲はジョン・レノン型もあるけど
ザ・バンド型もある。
ただしザ・バンド的アプローチは
3ピースバンドでは難しい。
ギター、ドラム、ペースそれぞれに
音楽ジャンルのルーツ設定ができるか、
という問題になってしまうからで、
ザ・バンドならリズム隊はキープをおこない、
キーボードと、アコースティックな非ロック楽器で
ジャンルの色彩づけをおこなった。
ただ、それでも3ピースバンドのギター奏法は、
ジャンルの規定がおこなえる。
かっこいいのは、ジャズ・アプローチだとおもう。
ともあれ絶頂期ザ・バンドが達成したことは、
「歌物」の高偏差値なロック化だったとおもう。
だからここにも三村さんが参照すべき金脈があるわけだ。
以上、まとまりなく
フラッシュアイデアを打ち込みました
●
いい忘れた。
もう一個、現代的なロックバンドの行き方としては
「ロックがもう終わった」と、死相を演奏に籠める方法がありますね。
ウィンターボトム『9 Songs』などでは
もう本当に観ている自分の肌が冷え冷えとした。
ロックは自己(ジャンル)参照性をつよくもつ。
アニメほどではないけれど、
ロックは内容のほかに、
「これはロックです」というメタメッセージももつ。
アヴァンギャルドロックの多くは、
そこにゆさぶりをかけるけれども
結局は、アヴァンギャルドの自己参照性へと回収される。
となって、ロック史を参照しつつ
そこから熱を奪い、展開を刻々の死相展覧に変えてゆく
ロックの「やりかた」のほうが
いまは衝撃性をもつなあ・・・とおもったりします。
ロックは、いずれにせよ「電気増幅」が要件ですが、
死相ロックはその「電気増幅」をクールに縮減し、
ヴォーカルも抑揚をとり除き
演奏や歌詞をリフに向け呪文化してゆく。
ただ、これは三村さんの行き方ではないね。
むろん新しいロックバンドの肌合いというのは必要。
僕はロック史からの転位を試みるしかない、とおもっていますが。
ああ、ここでもまた問題が詩作と共通してくる・・・
●
「死相」展覧ロックは色でいえば灰一色。
それとエフェクター的要件が
リヴァーヴやディレイになる。
これはむろん、身体性の自己否定です。
けれども彼らは「亡霊」としてロックに関わっているから
そこには主張の一貫性がある。
ただしバンドメンバーの
身体の取り合わせに
幸福な光暈の生じるようなロックのほうが
やはり正しいとおもう。
ロック的身体とは実は「情動」だけじゃないんだよね。
まずは「抜け目のなさ」。
これがさらに上位にズレると
「畸形性」という別問題も関わってくる。
「性」はそれらの領域への作用源となる・・
●
こないだMステでサザンの特集をやっていたときに
いろいろおもったことがあった。
もともとサザンは、桑田が
リトル・フィートが好きで、あんなふうになりたい、
といっていた初期に注目もしたし、
世界的にもキッド・クレオールなどに先行して
ロックへのラテンの有為な組み込みなども実現していったし、
「真夏の果実」など畢生の名曲があると認めるにも吝かでないんだけど
何しろ桑田の歌唱が自分の体感に沿わない。
これをバンド音レベルで言い換えるとどうなるか。
桑田の歌唱(発語)とバンド音のあいだには
「支え(支持)」とともに隙間があるんだけど、
その隙間の形状がごちゃごちゃで
清潔、かつ造形的という印象がないんだとおもう。
実はそうした造形性こそが、
共感覚レベルでの「スリル」に転化するんだけど
そこにどうしてもサザンというバンドは行きつかないんだよね。
ソリッドさが何かでずっと誤解があったということだろう。
しかもサザンはいますごく演奏的に退廃している。
楽器加算がルーティンになっているだけでなく、
リフ形成をホーン隊に預けちゃったから。
もともと弱かった身体性が
どんどん摩滅していっちゃったなあ、と
すごくぼんやりした印象をもちました。
女房はすごく懐かしがっていたけど(笑)。
音楽において言葉にしにくい「音の精神性」、
その難しさに直面した放映でしたね
少女萌え
襖より少女を嗅いで葱冴ゆる
夢喰つて快刀乱麻獏女(ばくぢよ)斬り
接いで剥ぐ少女の原資よるがほに
凝血なく白くみだれてロトの裔
夏むすめ下着をとほき樹に置けり
はつあきは蜥蜴のゆびでまはす水
躯には銀漢のあと漆食む
総身より魂(たま)出でゆきぬ鬼と寝て
少女往く還りは骨の小さ鳴り
連夜をとめとなるものを視る蓮かげに
●
「なにぬねの?」で近藤弘文さん主宰のコミュ、
「タイトルで詩歌句」がまたはじまった。
今度の主題はまあ、「少女」。
10句出したので、備忘のために上に載せました。
テーマがテーマなので、
破礼を踏みそうでスリリング。
僕は「なにぬねの?」では
コミュがいちばん面白いとおもう。
俳句づくりはずっと抑制していた。
今年の夏までに躍起になって作句し
まとめたものが句集単位で完結したとおもったので
(僕のサイトに『草微光』としてアップされています)。
ただ、なんかまた躯が俳句モードになり、
近藤さんに、柴田千晶さんと僕で、
コミュ立ち上げをリクエストした経緯があります。
少女句は結構むつかしい。
「趣味」で、つんのめりそうになるので(笑)
●
ついでに。
今日、三村京子のミクシィ日記に書き込んだ返詩と、
盛田志保子一家の盆帰りをことほいだ歌も下に貼っておきます。
少し以前、僕の日記がペーストを使った
「書き込み報告」にずっとなっていて
そっけなさすぎる、という批判が僕の教え子からはあったんだけど、
書き込みでこんな詩歌句を書いたよ、というのは
SNSにはあっていい日記内容なんじゃないかとは
いまだにおもう。
「手柄」の主張めくのはむろん駄目だけど、ね。
●
【手】
手は
手にあらざるものを
通過して
透明をつかんでゆく
麦が透ける向こうに
夕陽がみえ
手は無為になろうと
真夏を垂れる
捕縛を待つ
滝の手は
やがて夜の流れにも挿す
手がそうして殖える
●
炎昼を北上しにゆくうろくづと恋をしに行くそれだけのこと
にくのかたまり
【にくのかたまり】
にくのかたまりとして
うまれたかいぶつは
なまえもなく
もりのなかで
なにもたべずに
ずっとくらしていました
なにもみえない
なにもきこえない
なにもさわらない
にくのかたまりは
いしのようにさわにあって
ずっとひとりぽっちでした
だれもそれに
ちかづかなかったのは
とてもくさかったからですが
あるとき
くろいおんなのこに
ほしのはなしをきかされました
「よぞらには
きらきらするほしがたくさんあって
あけがたまで
はなしをしながら
みんなでながれてゆくの」
にくのかたまりは
そんなほしがすごくみたくなって
そのおんなのこに
めのあなをあけてもらいました
とってもいたかった
でも ちのまくのむこうには
ほしがたしかにみえました
みえたのでずっとみてました
なぜだかずっと
そのころは
ほしのよるだったのです
ちはとまりませんでした
だからにくのかたまりも
ほしをみながら
ゆっくりとしんでいって
でもあんまり ねっしんだったから
とうとうほしになりました
あのまんまるかったからだは
ちがながれすぎて
すごくちいさくなっていたのです
にくのかたまり しんだ
それにともなうように
よぞらからもほしが
ひとつきえたことは
くろいおんなのこだけが
しっています
そんなふうにして
よぞらから
だんだんほしが
へっていってもいるのです
これは ないしょだけど ね
●
連日のオリンピック鑑賞を断ち切って
盆休みを昨日から一挙に
マンガ・モードに変えた。
後期の大教室講義のためだ。
それで女房をないがしろにしている。
昨日午後から今日11時までに
読んだマンガ単行本、11冊。
つげ忠男『宵の市』の素晴らしさが
火付け役となった。
山上たつひこ『人間共の神話』にも
中村明日美子『2週間のアバンチュール』にも
花輪和一『刑務所の前』3 にも圧倒された。
現在はデラックス版、
浦沢直樹『Monster』の
第4巻を読み終わったところ。
そこで「ヨハン」が卒倒した
チェコの童話の話が出てきて
ちらりと出てきたその内容に触発されて
うえのような「童話の試み」をしてみた。
東欧的にしようとおもったのに
どこか古代中国的になったかも。
残酷童話って、むずかしい。。。
小川三郎・流砂による終身刑
「詩手帖」の次号用に、
小川三郎さんの詩集
『流砂による終身刑』評を書いた。
昨日、編集の亀岡さんからファックスが来て
行間詰めレイアウトパターンにすれば
あと六行増やせますというので、さっき増やした。
大切な言葉「不如意」が元原稿に組み入れられず、
すこし後ろ髪を引かれていたので
この亀岡さんの提案には助けられたのだった。
書評原稿には詩集への総体的見解をしるした。
繰り返しになる部分を省くと
小川さんの今度の詩集は、措辞が正加算されず、
ズレてゆく不如意を
そのまま独創的な詩法に転化している面がつよくなった。
こうした曖昧体と、措辞の病性によってこそ
じつは味読が繰り返し誘導されることになる。
詩作者とはたぶん、どこかでセンスを競うもので、
小川さんの措辞の病性の幅がごく「小さい」こと――
ここにこそ小川さんが自負しているはずのセンスがある。
僕などは世界観の大きい「粗大」な詩など
齢のせいかもう感覚的に受けつけなくなっていて、
形成する対象の「小ささ」に、
反射するように映しこまれる詩作者当人、
その身体のかけがえのなさに釣り込まれるところがある。
小川三郎はそういう機微のつくりかたが見事なのだった。
小川的な詩行加算の魔法については
字数の問題もあって
「詩手帖」の書評にはほぼ何も書けていない。
だから、以下では一篇を全篇抜き、それをもとに
小川さんの詩法につき実体的に検討してみようとおもう。
集中「段差」を、行数を頭に付して引用する――
●
【段差】
1 手詰まりの予感に
2 夕べの延長に
3 活路は手前の路地へと曲がった。
4 その声がまた
5 しんみりとしている。
6 鉢合わせを期待させた烏が一ぴき
7 電線の上で一声鳴いて
8 それで全てが済んでしまった。
9 肉体は繋がりを持つものではない。
10 心もそれと同じこと
11 とっくに海へと流れてしまった。
12 私はガードレールの上に残され
13 混沌としている
14 と、
15 いつかの花が
16 アスファルトを破って咲いている。
17 目と目が合って
18 逃げ出したらば
19 そこに車が飛び込むのだろう。
20 胡散臭い話だ。
21 熱っぽく語る詐話師が私の中にいるのだ。
22 何処までがその目論見だろう。
23 最早それを知りたくもない。
24 ずっと花を
25 踏みつけていたい。
26 なんなら
27 掴んでいるものを放してみようか。
28 恐らくそれは
29 拳の端から飛び出して
30 万国旗を連ね何処までも伸びるのだろう。
31 しんみりと胸が辛くなる。
32 付き合いきれないほど明快な結末だった。
33 それが作り出したものは
34 茶番と責務だった。
35 目の前の道路一杯に
36 掴み合いをする人々が犇いている。
37 私はガードレールの上に座って
38 その成り行きを眺めている。
39 私の相手は何処にもいない。
40 あの動き方を拒んだからだ。
41 いきおい、知る権利まで放棄した。
42 それを後悔はしていないけれど
43 迎えの車が
44 これでは入って来られないではないか。
45 でもいいや。
46 私の足の下には最早花など存在しない。
47 仮にあったとしてもそれは花ではない。
48 藻屑と消えた余禄の日々
49 傘を差して
50 人目を避けて
51 二つ先の路地を折れる。
●
冒頭聯(1行-5行)の文法破壊性は
瞭然としているとおもう。
3行目、「活路は」の主語設定がまず奇妙なのだった。
ここまでには作為的な片言がある。
読者は次のように補正して読むはずだ。
「手詰まりの予感をおぼえ
夕べを延長し
そうして活路を得ようと
(私は)手前の路地へと曲がった。」。
省略可能な主語「私」の出番は
妙な主語「活路」の登場により抹消される。
自己抹消の匂いがはやくも発せられる。
そして「活路」-「路地」に膠着連関が生ずる。
4行目、「その声」の「その」が
何を受ける指示語なのかも、文法的に確定しない。
文脈の跳び。脱臼。
しかし「私」が聴覚存在として
「しんみりとしている」様子は伝わる。
ともあれ、「路地へと曲がる」「小さな」動勢で
詩篇が開始されたのだった。
たぶん「その」の指示対象は
掟破りにも後続する語群のなかにあった。
6 鉢合わせを期待させた烏(からす)が一ぴき
7 電線の上で一声鳴いて
その烏の鳴き声がたぶん「しんみり」させたのではないか。
「電線の鳥(とり)」といえばレナード・コーエンの名曲。
そこでは「電線の鳥のように・・私は〇〇した」という構文があって
比喩で私と鳥が繋がるのだが、
小川は9行目《肉体は繋がりを持つものではない。》と
それを言下に否定してしまう。
この一種の不機嫌は現在的な気分だとおもうが、
10行目《心もそれと同じこと》がさらに追い討ちをかける。
物心両面の連接不能性という不如意のなかに定位される自分だ。
11「流れてしまった」、12「残され」という動詞の選びに
不如意感はさらにはっきりしてくる。
第一聯での場所の指標だった「路地」は
いつの間にか第二聯では消滅して、
ただならぬ曖昧体が出現していたが、
12行目「ガードレール」で
詩篇名「段差」を実体化する措辞が出てくる。
12-14《私はガードレールの上に残され/混沌としている/と、》
という行の運びには明らかな独創がある。
同時に「私」を自身、塵芥に擬しているような不敵さもある。
「流れて」「残され」――この「私への設定」から
僕が憶いだしたのは、
テレヴィジョンのバラード「Carried Away」だった。
同時に「ガードレールの上」という「位相設定」に感じたのは
はちみつぱいのバラード「塀の上で」だった。
僕は小川さんがロック好きなのは知っているが、
そこからの変型引用をどれくらいおこなっているのかはわからない。
むしろ通常の詩作者なら、
11行目「海」に着目しながら
12行目の「ガードレール」を、
「ボードレール」の変型と感じるのではないか。
いずれにせよ、「流謫(るたく)」の色彩は
この段階でもう横溢しだしている。
もうひとつ、「流れて」「残され」の動詞2形態により、
自動=受動という「接合」が生じる点にも注意したい。
つまり「流謫」とは運命であり、同時に自己意志なのだった。
この二重性によってこそ、
小川の詩が不如意を形態的に描くということにもなる。
――もっとペースを飛ばそう。
第三聯15-16行《いつかの花が/アスファルトを破って咲いている。》。
「ど根性大根」云々とマスコミで喧伝されたもの、
この領域に小川の視線が滑り込んでゆく。
そんなのはじつはどこにでもあるものだが、
何かそのけなげさが人を意気阻喪に導く。
当人にとっては単に「逃げ出し」(18行)たらいいのだけれど、
運命のクルマ(43行でも「迎えの車」として再登場する)が
代位的にそんな「けなげさ」を蹂躙してゆくだろう。
「私」は自分の不作為の跡地を事後的に臨む傍観者で、
その際の倫理破壊を不感無覚にしようとも目論む者だ。
その成行、もしくはそうした自分自身をも
20《胡散臭い話だ。》と唾棄するように吐き棄てる者でもある。
このときの感覚の不如意は、流れを再確認すれば自明なように
やはり文脈進展の突発性-不随意性と「精確に」リンクしている。
21《熱っぽく語る詐話師が私の中にいるのだ。》。
自身のなかの「悪」をこのように披瀝する者の二重の悪。
なぜなら「偽悪」もまた「悪」の一種だからで、
しかしここに「偽善」を対比させると
もう「善悪の彼岸」までが生じてしまう。
それに人はもともと「詐話」しか操れないのではないか。
「私」がそれでもしたいのは「悪」の定着だった
――「飛び込」み、蹂躙してゆく「車」よりも先験的に
アスファルトを破って咲く「花」を踏んでいたい。
しかしその位置に「私」を置けば
「私」は「花」より先に、車による衝突死を描くことになる。
「片言」によってはぐらかされているが、
ここで張り巡らされる善悪の哲学は熾烈だった。
20《胡散臭い話だ。》という悪意の不意の点綴によって
詩文脈が「折れる」というのはもう小川三郎の十八番で、
それは次の第四聯、《付き合いきれないほど明快な結末だった》
(22行)でも同様の衝撃をもって現れる。
第四聯の詳述はしない。
「自己分岐」が思索の対象となる、とだけいっておこう。
「私」はこれまで詩篇内で秘匿されてきたが
拳のなかに何か
(恐らく「自分自身」や「行為の鍵」というべきもの)を
把持していて、拳を開けば自己拡張が始まると信じている。
ところがそこで繰り出される比喩は
手から次々に万国旗の連なりを引き出してゆく
「手品師」を対象にしたのだった(30行――明示的でないが)。
21「詐話師」と30行目に隠れている「手品師」が
暗々裡にぶつかり、「私」の虚偽性(魔法性)を確定する。
(31行目「しんみりと」が5行目「しんみりと」と
遠隔呼応なのにも注意しよう――僕にも実作経験があるが、
行の運びに、用語誘導による脱臼や不如意を仕込むと、
用語は自らの展開の病性に焦れて、
メインテーマ的回帰を果たそうとするものなのだった)。
第五聯(35-41行)の詳述もしない。
またも「段差上の傍観者」として
「ガードレール」もしくはボードレールのうえに座る「私」がしめされるが、
「私」はボードレールの精神的兄ポオのように視線を群衆に移し、
「群衆の中の孤独」を味わっている。
群衆が動けばそれは乱れつつ推移する音楽的現象となる。
「私」はその誰とも「繋がり」(9行目参照)をもてないが、
疎外感とは無縁の位置にいる。
「達観」の危険に発火しそうな自身、その成行を
他人事のように愉しんでいるにちがいない
(そのようなことは何も書かれていないという反論もありうるだろうが、
小川の乱暴な語調は、そうした言外の意味を発散させてゆくとおもう)。
ただし群衆はそこでは「掴み合い」(36行)をしている。
小川はその「動き方を拒ん」(40行)でいる。
彼の存在は不穏だが、乱をこのむかたちへは直結しない。
ともあれ、「知る権利」をくだくだしく主張する一般と異なり、
第五聯で「私」が「知る権利」を放棄したという一旦の意味確定がくる。
明示されなかった「ど根性大根」的なものもふくめ
「私」の立ち位置が、マス的趨勢を批判する「段差」に
設定されているのはもはや明白だろう。
第六聯(42行~)は「知る権利」の放棄について
後悔していないという自負から始まるけれども、
43-44《迎えの車が/これでは入って来られないではないか。》
という自身への危機意識が、
そのつげ義春的口調とも相俟ってすごく奇異に映る。
「迎えの車」は「私」を轢殺する媒介だったことを憶いだそう。
群衆=世界との関係性を絶てば、
「私」からは死の可能性さえ失われる――
このときにこそ孤独/孤絶の道義的な不利が定着されるのだとすれば
小川の世界認識は逆説的で、かつ強靭・詩的なのだった。
それと7行目でレナード・コーエン「電線の鳥」を連想した僕は、
42行目「迎えの車」に、
コーエン「チェルシー・ホテル♯2」で歌中のJ・ジョプリンを待つ、
「迎えのリムジン」をふとイメージしてしまった。
というのも、小川の発語が散乱的で、
しかも「小さく」文脈形成を拒否する悪意をもって行内に置かれるから、
言葉そのものが浮きあがって、
詩自体とは「別に」像を乱反射させてゆくのだった。
これが真の詩性を達成しようとする彼の意志に
密接に関連しているのはいうまでもない。
僕自身の作法とも似ているが
「自己抹消」に暗さがあるか明るさがあるかの差異があるとおもう。
最終第六聯(42-51行)で僕が戦慄したのは、
意図的な自堕落として挿入された45《でもいいや。》だった。
こういうゾッとさせる文言も小川三郎の独壇場だとおもう。
けれどもこの片言性のつよい「でもいいや。」の自嘲によって、
詩篇はきれぎれでありながら、
最終的には次のような意味形成に達した。つまり――
アスファルトを破って咲くけなげな花を嫌悪する→
それでその花を踏むと、私はその位置を目標にされ、
迎えの車に轢かれてしまう→
ところが私はそうした花をけなげとする群衆とは感性的に離反していて
私は群衆にたいし知る権利まで放棄した→
すると迎えの車も私の存在を無化する→
そうなって私が踏んでいた花もまた無化される(46-47行)
いずれにせよ、小川の位置は詩中にふたつあった。
ガードレール(段差)のうえで孤独を味わっている者、
そして「ど根性大根」を折ってどこかに潜んでいる実際の「市隠」、
このふたつがそれだ。
ただ小川はそれでも、最終3行で、冒頭聯に回帰して、
「路地」に入る者の動作/歩行の懐かしさを称賛してゆく。
しかもそうした自己郷愁は、秘匿されていなければならない。
その気概をしめす最終三行は、
冒頭に回帰することで詩篇全体を閉じる機能をもちながら、
詩篇の余白に印象的に動勢をのこすことで、
最も小川自身の身体に読者の視線を移行させるものだった。
48行に「余禄」の語があるが、
49-51行こそが「余禄のように」美しいのだった
(「二つ先」という限定辞の素晴らしさに唸った)。
――再度転記打ちして、この稿を終えよう。
傘を差して
人目を避けて
二つ先の路地を折れる。
百日
【百日】
さるすべりの花の
しろいこまかさ
その空中寺院に
内的な鐘が響る
百日というのは
われわれに課せられた
水の澄む受苦だから
あせもにあらわれた
消えゆくものを追って
この翅をみがいてもいい
ちいさく共鳴しては
こんにちは、を呼びあう
丹念なレンズ観察の日々
あなたがあなたであることに
しずかな風が吹いて
ゆっくりと内包も傾く
睡魔だ、骨を叩くのは
しらほね眠れと
呪文が叩き撫ぜるとき
その呪文の起源も淡い
橋のようにまわるだろう
ものみなの連関も
夏にとがったものとして
屋久の大杉ではなく
三陸の鋸を幻想した
涙目に藍があふれてゆく
重いのか暑いのかさえ知らず
直行が疲弊したものとしてのみ
記憶に滲みだす
世界のにしび
旧い美貌は旧く
だから最後の馳走となる
三村京子の俳句
「未定通信」が届く。
投稿は高原耕治さんと僕だけ。
だからすげえ薄い。
出句清記帖が句会欠席者に送られもせず
原稿依頼もなされなかったようだ。
編集代行の玉川さんのチョンボだとおもう。
ここでの原稿は、「未定」関係者にしか読まれない。
なので三村さんの俳句について書いた部分だけ
三村ファンのためにペーストしてしまおう。
改行・行アキなしで貼るので、
ちょいと読みにくいけど、ご勘弁あれ
●
【並句】
PASSION篭る寺という身に出口なし
・評
「身」が「寺」と同格となり、「寺」には「PASSION」が籠もり、それで「出口」がないという嗟嘆が生じている。修飾構造は17音短詩のなかではかなり複雑で、多元的な意味がそこに生じるようにおもう。「PASSION」がまず句解の鍵。それは「受苦=情熱」に「パッション」とルビの振られる「現代思想」流儀の、意味の二元性/分離並存を志向しているだろう。「情熱」が問題だった――なぜなら、「寺」の語には寂滅、教義的厳格、節制などのイメージ圏がまつわり、「寺」と「情熱」は通常、背反的なのだから。だからこそ、句全体から疎外や「受苦」の感触も伝わってくる。そして「寺という身」という、句の「同格構造」の中心は、「身」の脱分節化という奇妙な事態を意識させてさらに緊張にも導く。それを後続する「出口なし」が駄目押しする。身のうちに生じた受苦=情熱を瀉血するような出口が身にない――つまりこの身体は『荘子』応帝王篇にみられる、感覚に必要な七穴を穿たれるまえの「渾沌」なのではないか。二眼・二耳・二鼻孔・一口の七穴。人はそれに加え一尿道、一肛門の二穴もあり、女はさらに膣口をもった全体で十穴の魔性となる(『荘子』では「渾沌」に七穴を穿つと、死んでしまったという謎めいた寓話だったが)。この句では穿たれる前の「出口」がじつは膣口ではないかという印象がとりわけ生ずる。ならば「寺」には尼寺の印象もまとわりつくことになる。エロチックでありながら、「出口なし」の捨て科白のような、自己断定の冷ややかさも共存する構造に注意。句を噛み締めると、倫理感をもって何事かに熱中する女の、身体的不如意が立ち現れる気配があった。
●
なおこのときの句会に僕が出した句は以下。
兼題は「山」「口」だった。
●
山蛭や黄泉となるまで著莪を吸ふ
山蛭もて不動山往き娑婆荒るる
山響は億万のこゑ蛭の飢
山藤に棚なくて白爛れたり
口よりぞ我も出でゆけ出羽つ瞽女
あけがたはなび
【あけがたはなび】
身のなかにこそ足がある
これが俺の詩だ
やわらかいものを踏み
濡れて流れるものを踏む
身を逆さにみちびいては
こんいろの天上まで踏む
こころを羅針盤に貶めては
じりじりと暑い歩みも炙りだす
まわっているのか
すすんでいるのか
わからないのが世情のつねだ
でてきた像のちいさな斑点
そこに詩の根拠があるとしても
夜空の白鳥を絞める手が
足になりかわって
存在が裏オモテするこの電気を
のちはただ下降にまかせればいい
逆さになれば髪の毛も逆さ
来るべき朝顔の朝を
自分流儀の模様にするまで
掃いて掃いて
ひたすら刷[は]く。
●
先週は――
・水曜日、レポート採点簿を立教に提出。
そのまま研究室で白土三平『忍者武芸帳』を全巻読了。
女房と待ち合わせて近所のもつ焼き屋で一献。
・木曜日、大島渚『忍者武芸帳』をビデオ鑑賞。
研究室からもち帰った大島渚文献、
白土三平文献(大量)を読み漁る。
石子順造(「白土三平論」)、四方田犬彦(『白土三平論』)、
それに自分の往年の原稿(「中間化する大島渚」)
のリーゾナブルさに感心。
原稿の方向性に見切りをつけ、意外な早寝をする。
・金曜日、大島『忍者武芸帳』を再度ビデオ鑑賞ののち
その評論15枚の執筆を開始。
旧友木全公彦からの依頼で、
紀伊国屋DVDボックスのライナーノーツ。午後2時、完了。
のち久しぶりに買い物がてら自転車で近所をふらふら。
帰ってビールを煽ったのち、自分の原稿が
字数の計算間違えで10枚しか書いていないと判明。
あれだけ削除圧縮に苦労したのに。。。
消す前に書いてあったことを必死で復元しはじめた。
意外に簡単だった。これは一時間で完了。
・土曜日、女房とうだうだ
録画済みドラマやらオリンピックやらを鑑賞。
夕方前から小学校の同窓会へ。遠地・藤沢での開催。
二次会で翌未明に達し、遠隔地から来た級友を置き去りに
地元民が次々にタクシーで帰り始める。
トロピカルなバーで級友6人と粘っていたが
50か49の者同士では午前3時半が限界。
意を決して同方向の級友とタクシーを相乗り、
藤沢から世田谷までを帰った。
第三京浜→環八→甲州街道は、一万円ずつの出血出費。
・日曜日、昼前にようやく起きる体たらくで、
女房にさんざん叱られる。
オリンピックを適当に流し見て、
ビデオ返却を兼ね、新宿へ買い物。
高島屋地下で黒沢清とばったりでくわす。
たがいにギョッとした視線を交し合っただけ
(話したことがない)。
そういえば、このごろは人とばったり出くわす。
こないだは銀座で滝本誠さんとばったり会って、
このときは女房もふくめ15分くらいの立ち話だった。
滝本さんは僕のヒモの身脱出を大絶賛してくれた。
返す刀で年金生活のはじまる自分の話をして
僕ら夫婦を羨ましがらせる。
・今日月曜は「現代詩手帖」用、
小川三郎『流砂による終身刑』評(3枚)の〆切。
――とまあ、近況報告でした。
ミクシィ、なにぬねの?ともにサボりまくりの一週間、
その言い訳を以上、書きました。
それにしても暑いなあ。。。
キンパツ
未明に起きだして
ひきつづき入門演習の採点を。
これが最後の採点作業だ。
おもしろいもの続出。
全員が評論ではなく作品提出で、
ヴィジュアル系も多く、
とてもこの欄には転記できない。
笑ったり唸ったりしながら
とうとう採点を終えた。
続いた怒涛。
自分の四日間にはご苦労さん、をいう。
本来ならこのまま
ふやけてしまえばいいのだけど
今日は立教に採点簿を出しにいって
その後は研究室に籠もり、
白土三平『忍者武芸帳』を再読しなきゃならん。
そのあと本棚を睨んで大島渚の文献漁り。
というのは大島渚DVDボックス、
その『忍者武芸帳』のパーツの
原稿を頼まれているのだった。
〆切は盆前――ということは今週末。
寧日なし、とはこのことだ。
三村京子のライヴにも行けはしない。
●
入門演習提出レポートで
気に入った歌をまず一首、書きとめてみよう。
ニューウェイヴ歌手・福島遥さんのもの
(本人の承諾なしだが、まあいいだろう)
金髪が料理に入っているよりも黒髪のほうが私はいやだ
畸想佳し。
そしてこの一首はとうに忘れていた
僕の学生時代の自作も髣髴とさせた。
これも書いてしまおう。
忘れえぬ記憶のひとつ金髪は花に明かりてあやふくなりぬ
ということで、気分も金髪になって
以下の詩篇をさっき一気書きしてしまった。
【キンパツ】
犬をゆらしてキンパツを流す
ということはもともと
おしだまる水面だったということ
花づなになりたくて
幾度か壁にもぶらさがってたけど
こっちの愛情が
主君的だったのだろう、恥しい
いまは壁に鏡をみる(犬なし)
俺の歩みに唸り声を縫って
死んだ犬のまぼろしも同道する
きっと菖蒲を探しているのだな
一帯を水郷にするためにだ
でもあやめしおれて
殺め枝垂れた夏の陽に
詩情がひともと定立する
照りをかんかん鳴らして
ぞろ虫己れを割ってでよと、だ
うらぶれて影ゆけば
銀幕も美女美女
キンパツと電気だらけだった
物語のくらげ見て
参集ら呑気に口開いてら
美女にかかった紗がゆれて
キンパツ、映画から独立する
犬と観ているつもりだったが
犬のおもかげに泣くこともあろう
隣などつねにおらず
きゃんどるめいたものにも弱く
川を掘る夏の聖節を歩けない
歩くと足が虫になって
足跡にキンパツもわだかまる
「喰おうとするなよ足跡など」
ひるがえればとことん暑い
きゃんでぃめいたものを溶かし
われ割れまでしゃがんだ
こいけまさよキンパツになり
もりたしほこキンパツになり
みむらきょうこキンパツになる
ひるがえればとことん暑い
身そのものも
味噌のもののように
浴衣となったからには
ゆうかぜにさみしくはためくだけ
地球の休暇期は
俺も少量のキンパツ泉だった
らしい
●
短歌と詩の往来というのは、
「なにかすごくありうる」。
歌物語のように和歌と物語の並立だってあった
(そういえば現代の柴田千晶さんの詩集、
『セラフィタ氏』は現代短歌と
勃起不能の意地悪なエロ物語の
迷宮性の高いとりあわせだった)
僕の場合は、短歌は躯をほぐす。
それで書き込みに短歌をよく書くようになった。
八月に入って盛田志保子さんの日記に書き込んだ歌を
備忘のため、以下に転記しておこう。
蝉麿とわが名呼ばれり空蝉を着て夏の水消えゆくを視る
児(こ)を放ち雷鳴の昼まどろめば綿毛とあそぶ蜘蛛の心地す
●
今期の入門演習には
高校時代から歌作に親炙している学生もいた。
門司奈大(もんじ・なお)さんだ。
彼女は、サブカル度のすごく高い詩画集を提出した。
その詩は個々がグラフィックに文字配置されていたが
ひとつひとつが短歌だった。
うち大好きなものを転記しておく。
風吹きの黒髪視界を埋め尽くすこのまま閉じればさいわいの果て
隠されたその本質を探りつつ未だ知り得ぬ君の毒薬
階段を駆け上がるように一息であいのことばを言えたらいいのに
「なあ一体、いつまで呼吸すればいい?」「ひとまず明日の午後八時まで。」
ありふれた結末なんてごめんだと硝子の靴を蹴とばしている
さあ行こう ドレスの裾を引き裂いて 逃亡方法 1×∞
●
門司奈大ちゃんなどは数年後、現代歌壇に打って出るかも
(↑これ、かたちのみの短歌♪)
犬を想像できない
【犬を想像できない】
片目が姿となって
犬を想像できない
南京の夕方では
川岸へ戻ろうとするのを
棒でつついて
水と区別できなかった
気配を感じただけ
ありふれた虹ともいうが
それすら想像できない
夜半の腕に抱えるものも
ただきらきらする
重く濡れた荷物なだけだ
このうえは呼吸とか
横隔膜の上下とかが
想像力の手もとには
ほしいのかもしれない
磁気のようなものだ
けれどもいつかは
はいいろの自分自身が
想像できない犬になって
川面を歩いてみせるんだ
叶うまでは星座となり
天に反ってまわろう
あすの天気だよ、いまは