ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

連詩A、十五から二十三まで

 
【路傍霊】
阿部嘉昭


幾何よ、いくなん
曲学阿世はまがりおもねる
秋は かどいくつ越えて
路傍霊の淡い拡がり
枯葉を肩に積んでは
もえる銀の実たべた
(陽の痕になってゆく

木のぼり上手が
千年ぶらさがっているなら
へちまと揺れろ以後百年も
泥-警の在世の間に
経済の折れ線グラフを泳ぎ
あなた曲がるぶらさがる

花粉浮く大きな湯船を
巡礼とともに通行する
誰も入っていないのに
すずしい亀頭
その数々だけが見えた

あるく植物たちの秋
炭焼き円のあの寝床まで





【スペクトル】
伊藤浩介


秋山に昇る
ただ一心に昇る
頂上から放射する
風邪のベクトルを目指して


アジアの街角
花咲く電波の季節
「この世は愛に満ちている」と
あの八丁堀で言った君に
手紙を書いた。


拝啓
お元気ですか?
僕は今 風を愛撫しにいっています。
(正しくは死んだふり)
頂上からの景色は
キレイでしょうか?
そこからナニを捨てれば
幸せになれるのですか?

返事はまだない
(そうだ、この受話器は
受信できないんだった!)





【ハロー新宿】
望月裕二郎


登りつめれば足の裏、
その冷え方はアスファルトだった。
ビルの隙間に見える満月を、
幸せだって云ってわたしたちは出会った。
手をつないで歩きながら、
月を剥く。
一枚二枚と増えていく、
使い捨てのコンタクトレンズ。
その数だけの出勤と、
よそゆきの酩酊。
帰ればあなたはもういない、
その置き手紙が表現だった。
ならば、
この世は歌舞伎町に満ちている、
そう云ってもいい。

(決めた

パンツを下ろして、
便器に跨って、
わたしは、
肛門からアジアを捨てる。





【焼く】
都野有美


ビルをつつんだ火が
青くないと子供が叫んだ
青くない火、空、血
ならば私達の素粒子は秋の焼畑だ
産業道路の両わきを焼いて
処女の目を乾かす熱気で
地方都市に住む東京の
服を剥く
水に溶かした白い灰を
地に吸わせる
ついでに酪農の乳牛のふんも捧げられる
その快楽は
去勢された猫のレーズンをまねて
もろもろが配送されていった
酸味のきいたシャツと
上野公園あたりで
山桜のように生きればいい
喜悦の少年





【五反田】
水野 桂


光る劇場は
この世のものとは思えないほど
飛んで闇に響いた
誰のものでもない
猫と一緒に眠る夜を
夢に見ていたから

かきわりの満月に
お誂え向きな黄色

(暗転)

みな死んだら
あの色に落ちるのだと
父が教えてくれました

あの赤いゼラチンを
身に纏うことが出来るなら
仲間外れだってかまわない
拍手だけがともだちさ

神に誓った甘い匂いは
ゆうるりと
少年のボタンひとつ分
外すのにたやすいことだった





【隣り】
中村ふみ代


約束事のように
窓の数だけ明かりは必ず灯る
鉄のかたまりは
光速で通り過ぎていった
見廻した隣が隣に
ふさわしくはないが
全ては同じリズムで揺れる
一つの箱になっていた

今日もお水には香を
かけておきます
信施として窓から注ぐ
青い祝福に
階段をかじってでも
すがりたいです

目が覚める前には
ここを降りて
血がまだめぐるなら
つま先を思いっきり
サンドイッチを思って
踏みつけよう





【空白の椅子】
三角みづ紀


目が覚めて
また朝が訪れ
毎朝、朝が訪れ
呪文をとなえる
そんな
きまりごと
毎朝、朝が訪れるという
事実に
すがらせてください

すがりたいのですが
訪れなくとも
よいものは確かにあり
きまりごと
なんて
踏みにじりたい
この朝。

この朝の
椅子にて生をこらしめる
(戒め)

朝でした





【知事をペンペン】
大中真慶

ペン、ペン、ペン
とハンドクラップ
けつを蹴り上げられる

ワンダーランドの規則では
みんな笑顔でフウコウメイビ
もちろんお触り自由です
地域振興の立て看板をゆく
未成年はこんな所にあった
知事の独断と生へ配慮から
成績不振でつぶれた高校の
元学生たちがそのまま就職して
四つん這いで犬らの橋を作ってる
男たちは女子とふとももで語り合い
女たちは制服のままである悦び

目やにからの招待
シーツ自体の変調までも
にわかに党外へ脱出する
決をくださねばならない

ブログは青い火影をめざし
池袋を即、乾かす





【脂のきいろいベーコン】
阿部嘉昭


犬のうずくまる橋は橋ではない
しょんべんの切なる匂いだろう
川端に柳の似合うのは無論だが
わたしも一身にふともも巻いて
ぺんぺん草の世情をたもとう
しかし頭蓋はどこなのだ

ベーコンの燻製臭が好きだから
生にて椅子をこらしめる
椅子を女にして
その悲鳴も四つ足にする
それだけ、それだけの一人獅子舞
きいろ いきろ きいろ

鳥の割れる空は空ではない
あれは六甲颪のえがくpie in the sky
指令:「チキン・パイを負え」
指令:「アリス・イン・パリスを追え」
わめきすぎた。目脂に両目縫われて
あたかも絵空事のブルドッグよだれ
性愛なんざも背後に貼りつく幻影で
きいろ いきろ きいろ
 

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2008年10月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

連詩の即興性はどうあるべきか

 
昨日の連詩連句演習では
メーリングリストのやりとりがやや滞りがちになったと指摘、
授業内即吟のかたちで
適当な詩篇に放射状の線を取り巻くようにみなで付けてみて、
詩作の速さ=面白さを実感してみようということになった。

付ける対象――「前詩」に担ぎだしたのは、
三村京子さんの「放課後」。
学校と水のイメージが伸びやかで付けやすい――
しかも詩篇中の「ぼく」が鍵になるともおもったためだ。
《その「放課後」に制限時間10分で後詩を付けよ》。

詩篇作成中の草稿も人によってはもらった。
三角みづ紀は一発書き、6分程度で作成を完了したとおもう。
リズムを一旦からだに浮上させれば
頭ではなくもう指だけで書いてしまうタイプのようだ。
そしてその詩の出来がすごく面白い。

僕(阿部)の草稿は逆。
ダダダッと書いたうえで語句訂正の引き出しが草稿に数多く入り
(そうして用語関係に脱論理性が仕掛けられ)、
改行指示も加えられて、
内在的に生じている律動には錬磨の過程も加わる。
つまり推敲によって詩をあらしめるタイプ。
僕がちょうど10分をかけ清書までを完成させた。

ほかは15分から20分で完成。

うち、出来が面白いと思ったものを下に一挙に転載してみる。

なかでも望月裕二郎くんはいつも新鮮な着眼があって
その創意の種類の多さがスマートで、
何か詩のエリートのような印象もあたえる。
今回は詩篇がどう終わるか、それが見事に形象化されているのだが、
同じ印象は都野有美さんのものにもあった。

三村京子さんは独吟のかたちで自分の詩篇に付けた。
相変わらず混乱を詩に組織していて、
こちらは中村ふみ代さんのものと似た感触がある。
ただし中村さんは混乱と同時に、語句に透明を盛って
それで詩行をつなげてゆく個性がはっきりとしている。

いずれにせよ、これらは連詩という枠組を生かして
最も即興性に傾斜したときの詩作例として興味深いとおもう。
モチベーションは三村京子「放課後」そのものにあって、
それを自分の詩作に乱反射させればいいのだから、
詩作は即興的だが、即興そのものでもないのだった。

「どう付けられているか」が
詩篇自体の鑑賞評価にさらに加わる。
なので煩雑だろうけど、後詩のそれぞれを読むまえに
三村さんの「放課後」に幾度も戻っていただけると幸いです。



●前詩


【放課後】
三村京子


おはよう
これが終わったらみんなどこへ行くの
ぼくはこの池のそばにいるよ

教室は色紙
大雨で流される

ぼくらは頭痛になやみ
くだらないギロンになやみ
でも足は何処までも行くんだから
洪水にまけちゃだめだろう

ここで何か交換するのかな?
彼女の痛みを和らげられるかな?

耳を澄ましてる
そこへ流れるのが切断された記号の粒
メロディという鉛ならば

孤り孤りに返される
贈ったはずの葉も水も
それではあんまり寂しく帰るだけ

ぼくの歌なら消えてゆくが
水紋おちる、この池に
少しの声が潤んだら



●後詩①


【水流に寄す】
都野有美


鯉になる夢を見た。
昨日はなまずになる夢だった。
どじょうは肉食だっていって、
昔 金魚の目玉だけ食らっていた気がするが、
本当に深層心理などというものがあるなら、
ぼくはまったく節操がない。
授業中の居眠りだから仕方がない。
ぼくの中でぼくは無限だ。
八百長をしても、
カンニングをしても、
口パクをしても、
マロンケーキの出所をごまかしても、
それはぼくの愛だ。
だからこれは泉のごとくあふれ、
君に注ぐ。
君では器が足りないので、
彼に注ぐ。
彼女に注ぐ。
だから ぼくの時間は世界だ。



●後詩②


【あした】
中村ふみ代


自転車のカゴに
カマキリが止まった
他人のハンカチで
顔を洗う前に
メロンの種と皮ぐらい
ビニールに包んで
捨てておこうか

電話回線に
葛が絡みついて
生き延びる水面は
ビニールカバーで覆う
いつまでも新鮮な
鋭角ではねのけたいから

百合の花粉が落ちて
3回目の結婚式は
家の手伝いで早退します
あなた方は
みどりのぬけた
この聖壇を飾る
塩味です



●後詩③


【運送屋】
三村京子


停まっているものと
進んでゆくもの
トラックの運転席
いつか迷い込んできた女
胃と眼が残る
クラゲの不老不死
朝が繰り返し
笑っている
ボブ・ディランを口ずさむ
決められた距離と
決められた合図
忠実に
だから停止は
たえまなく侵され
穏やかに
顔があること
ひとりの顔でない兄弟の
弟よ
贈ったものは届いたか
この足はどこまでもゆく



●後詩④


【(うるさいよう)】
望月裕二郎


うるさいよう
耳がすましてる。
雨が上がって
まだ
真っ青な絵具のチューブ。

ぼくらはフツーにおくやみ。
昔つながっていくときの
まだ耳を立てて歩くのか。
歌かさなっていくときの
まだ経済を読んでいるのか。
水おっこちていくときの
まだ充血を信じているのか。

ほんとうの
ほんとうのぼくが
ほんとうのぼくの声が
ほんとうのぼくの声がいたい
ほんとうのぼくの声がいたいねえ。



●後詩⑤


【疑問符】
阿部嘉昭


さんざん
雨漏りするギロチンに悩み
下半身を
透明になるまで切除する
以後ぼくは神さまになった

神さまだから
葉っぱで隠すところもある
孤舟のように
怒りの大河を下ると
それはもう海ではない
そんな 雫に関係のない
秋に出会ったよ

過去で織られた竪琴を膝に
首をかしげて疑問符を唄う
そう ト音記号はすでに
疑問符に換えられて
だから伝える森も
次つぎ葉裏をみせて返る



●後詩⑥


【追いこした】
三角みづ紀


教室の机の裏側に
かくされたおかあさん

おかあさん、
ぼくの切ったつめ

数だけ
圧迫される、年数

鈴なりの郵便番号
ほどいては
今朝も
おかあさんが咲く

がっこうへ行ったら教室で
裁判がはじまります
たくさんの
おかあさんを背負った
たくさんの
おかあさんを背負ったぼくたち

ねむりなさい
おやすみ

おかあさんが咲く
 

2008年10月28日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

連詩B、十六から二十五まで

 
立教・連詩連句演習、
そのB班連詩のその後。
ハラハラするけど
何とか流れが続いているとおもう



【秋が落ちない】
阿部嘉昭


遠い風に眼が胎んで
夢の、海の坂
蜃気楼がみえた

わたし以外を抱くため腕を伸ばすけど
このわたしは散らかせない
こどもの町の飴玉にも
気球が浮いて
ずっと秋が落ちないでいる

ぱりぱり割れる前のそこ、天国
色水がおいしい場所
針山にもゆかず
玻璃だけをずっと踏んで
あゆみもおたまじゃくしのように
自分の影だけは掻く
そうして対幻想になったかな
おとなにならずに

きみがまぶしい眼差しなのは
ぼくが炎えているから?
空にものぼる坂が一杯だ
晩からは漁火もゆれて 魚津





【履歴】
内堀亮人


真っ黒の紙に
真っ黒な文字
これが僕の履歴書です

そこではきっと
昨日の僕は
海の底から
追い出されて
食べられたのだ

そうして今日は
生まれ変わったので
今のところは
朝日をみるのが
億劫なのです

このようにして
何回生き返れば
もう飽きたよ、と
言い出すのでしょうか。

生まれながらにして
性楽説を唱え続ける
ただひたすらに





【影を作る会社】
石井洋平


遅ればせながら参上しました
朝食は野菜スティックでしたが、きゅうりの青臭さったら
ないよ
ほうっておいたら
茶っこくなってどん黒くなって腐りおってん

食うなや

若者の貪欲さにはいつもながら驚かされますな
油性マーカで書き込みすぎて読めたもんじゃあありませんな
それに臭い、まっことふかいのにおいですな
それではこいはもう用無しという事でしょうか
ええ、こいはもう即刻、廃棄すると言う事で
異議なし       異議なし         
   異議なし   異議なし    異議なし

満場一致で

おい

食うなや

いやいや素晴らしい

何べんでも吐き散らかしてそれでもまだ飲み込み続けるとは
いつもながら驚かされますな
おやま、あなた、ふかいのようで





【白昼】
春木晶子


カオスに飛び込みながら
一寸先は白。
何もないともいいますが
あるいはそれも何かなのかもしれません。

喉が渇いて仕方ないのですが
どうやらここには食物しかないようで
気の利かないことですね。

いえいえ、別に異論はございませんよ空腹は
未だ感じますけれど
優先順位としては
やはり潤いの方が高いので

だから、
食用の任務を全うしないでの廃棄は
やはり礼を失すると思いますし

先ほどから注文が多い?
それは
人間だからですよ

幸か不幸か

怒らずに聞いてくださいますか?
トマトは水分に含まれますよ。





【単複同型】
松岡美希


別段の用意もない
ただ
あるもので
育ってきた
にもかかわらず
いつの間に
みずを持つ

(最近は持ち物に ジュースがおおいなあ)

食って止まない
口唇は
もう特別に
正論を
敷いているよう
話す速さは
はじめから
手と組んでいて

意外に単独は
与えられて
なにかと与する
いつの間に







【コミュニケーション】
佐々木綾


液体が六割と固体が四割
黄金比には少し遠いけど
それでもこれがベストだそうで
一時間に100mlと1,2品目がノルマ
ただし科学は含まれません
あ、ダブりも駄目ですよ?

正論に覆われた
その言葉を摂取する
私の耳
いい加減飽きたようで
そろそろ刺激がほしい
いっそ冷や水でいい

手と喉が手を組んでいることなんて
わかりきってた筈
集中砲火を喰らう目と耳
反論を張るのが間に合わない

みそっかすの足は
組む相手も見つからないし
崩れたところで文句もなし





【響く】
輿水英里


朝まで生テレビを遠目に
逃げ出した私の
耳を坊主が塞いで
ひたすらに歩かせる
躰の奥底に警鐘
この血は緑色なんだ
こんなとき
足は音を頼りに
何処までも行ける

痛い
痛い
いっつも頭が痛いんだよ
どうやら
宇宙人にチップ埋め込まれたな
ありとあらゆる毒を以ってしても
麻痺させてあげられない
過敏な躰

下らない議論はもうやめて
平和を願おうよ
私の為に
スタンドプレイもたまにはいい





【放課後】
三村京子


おはよう
これが終わったらみんなどこへ行くの
ぼくはこの池のそばにいるよ

教室は色紙
大雨で流される

ぼくらは頭痛になやみ
くだらないギロンになやみ
でも足は何処までも行くんだから
洪水にまけちゃだめだろう

ここで何か交換するのかな?
彼女の痛みを和らげられるかな?

耳を澄ましてる
そこへ流れるのが切断された記号の粒
メロディという鉛ならば

孤り孤りに返される
贈ったはずの葉も水も
それではあんまり寂しく帰るだけ

ぼくの歌なら消えてゆくが
水紋おちる、この池に
少しの声が潤んだら






【壁をたたく】
井澤丈敏


極彩色の
音の粒が
滝となって
流れ落ちていく

波に飲まれた
ぼくのうたは
釘だけで止められた
時間
剥がれる

ぽかりと開いた穴が
塞がらないから
今日もまた
壁をたたく

隣人と寂しさを
交換しながら
朝の来る日も
来ない日も
世界が
風に乾くまで
ぼくらは
壁をたたく





【空のよろめき】
阿部嘉昭


ぼくらはすすむ
樹のうろを自在にとおり
一樹を虹にするまで
虫の複眼へしずかに降りて
屍を天のしずくにするまで

「橋の向うに老い先がある」
そういうものを杖でつつく
地虫が焔のように湧いて
悪縁が一斉の朝となる
渡らせすぎている橋、
その湿地回復のかたわらで
あらゆる先行も閃光と感じた

おとといが誕生日、だね
つごう三十の輪っかで
「悲哀は微笑する」を
もう金色に隠せるようにもなって
血流、あるときのある空は
飛行機雲にまったく切られてゆく
(そんなふうに君に先んじていた、

万朶のよろめき、空に。
 

2008年10月28日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

意外に哀しい

 
昨日夜は三村京子バンドの練習につきあう。
ギター和生くん(チムニィ)が入っての練習に
立ち会うのは初めて。

光永くん(ドラム)、タカヒロくん(ベース)、和生くんが
先につくってきたアレンジでまず演ってもらい、
それをその場で、ときに僕がギターも弾いたりして
細かく方向転換していった。

上昇志向的アレンジではなく、
三村さんの身体・声を基点にバンドスコアを考え、
同時に三村さんにはアンサンブルの精神を伝える。
そのための触媒--まあ僕の役割はそんなところだった。

和生くんは、やっぱりギター名手で色づけもうまく
飲み込みも早い。
僕が仮提示したフレーズを
すぐに記憶し、展開していったのに「ほほう」と嬉しくなった。

リズム隊にしなやかさが出ないのが現在の壁。
自然体で臨んでいるというには
体育会系的な根性が入って力みが出ているし、
ジャンルの引き出しもストックが少ない。
それで三村さんの躯の芯に
力みとは異なる音楽的力動を入れられない。
四人の音が有機的結合になるには
まだまだ時間がかかるなあ。
来月の一週ごとの練習に期待しよう。



その渋谷の練習スタジオへ行く道で読んでいたのが
噂の雑誌「ロスジェネ」の別冊。
表紙に「秋葉原無差別テロ事件
「敵」は誰だったのか?」と大書されている。

実はこれを買ったのは巻末収録、
容疑者・加藤智大の犯行直前のネット掲示板への書き込みを
全文読みたかったため。
最寄り駅のホームで読みはじめ
ちょうど渋谷に着いたところで読了した。

事件報道で書き込み文を抜粋引用されていたときには
なんて自分に甘い、しかもユーモア感覚のない、
女性へのステロタイプな想像力に蝕まれた駄文なのだろうと
実は辟易していた。

書き込み対応がないのも、その精神性の低さ醜さに起因し、
加藤容疑者はそうして自分で墓穴を掘り、
掘ることで犯行意欲をも駆り立てていたのだと僕は考えていた。
その自己再帰性の狭隘がすごく気持ち悪いとも感じていた。

全文を通覧して印象が変わる。
「独り言」を多いときは一分に三回程度、
しかも自分の室内移動までも刻々と「実況」してゆく
その「片言」文の連鎖は、
一文一文それ自体が俳句のように簡潔で、
抜粋で抜かれたときともちがって
ルサンチマンが意外に前面化してこない。

というか、非モテ系の自覚がやはり面倒だとしても
全体が痛ましい寂寥のなかに有機体化していて、
なぜか山頭火の句集に接しているような
錯視が生じたのだった。

加藤容疑者は、独言してその反響・木霊を自身に響かせ、
それで次の自分の文をあきらかに呼び出している。
この営み自体は意外に澄んだ印象をもたらすのだった。
何なんだろう。

繰り返すが掲示板で
誰も加藤容疑者に書き込み呼応しなかったのは
彼の文章が下品だからだと誤解していた。
けれど本当はその自己反響性が完璧で
他人が容喙する余地などなかったということなのだ。
通覧するとたしかに彼の書き込み文には一定の律動があって、
それで彼自身の身体が静かに脈づいている印象すら生じた。
その脈動はひたすら淋しく哀しい。

なるほど加藤容疑者自身の醜形恐怖は筋金入りだし、
何度も躯が痒いといっているし、
しかもできものができてそれを何度も潰している。
その意味では彼はすごく気味悪い肉体に
自己閉塞しているという観察も生じるが、
それを割るようにして響いている
この独言による内部反響の美しさは
一体何を指しているのか。何の無駄なのか。
このことを考える必要が出てきた。

というのも、「書簡文化」をテーマにした大学紀要に
原稿依頼を受けていて、
僕の担当は、ネット環境における書簡--
つまり、メールや掲示板・SNSでの書き込みのやりとりなのだった。
それがなぜいま多くディスコミュニケーションに陥るか。
それで恰好の例示対象として、
いつぞやの現代詩手帖での
「新しい詩人」同士のやりとりとともに、
この加藤容疑者の書き込み文を考えていたのだった。
う~ん、方向性が変わる。どうするか。

これは50枚という大量原稿。
〆切が11月3日。

ところがその同じ週には
「ユリイカ」の「母と娘」の30枚、
「現代詩手帖・年鑑号」の「展望」15枚と〆切が続いていて、
11月最初の文化週間には
不眠に泣きながら原稿を書いているかもしれない。

その「ユリイカ」の原稿は、「母と娘」テーマの
文学やサブカルを数珠繋ぎに論じ、
信田さよ子のベストセラー本『母が重くてたまらない』の主張に、
側面的に光を当ててほしい、という依頼。
アラウンド40の独身娘が
来るべき母親の死に
これまでにない精神的苦痛を覚え始めている事例考察が
『母が重くてたまらない』らしい(未読)。

どなたか、このテーマにかよう文学/サブカル文献を
ご存知ないですか?
ここのところ頭が重く、
よい材料が何もおもいつかない。。。
 

2008年10月27日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

馬具十句

 
馬具の塚いでて緋馬や天を往く



女旱を千年つづけ蚊もをみな



死者として写真の棘の横へ佇つ



遠縁が溶けゆく先に海の秋



エスプリの重量ままのグラスかな



身を透かす腹水をもて秋の坂



床縛りに遭ひて眼の糸ほぐしえず



松虫に松のこと聞く露酌みて



来信はインクの秋なる空の創



葱の佇つ極道いかなる天の道





一句め二句めは
柴田千晶さんとのSNSでのやりとりで生じたもの。
三句めは松本秀文さんとのやりとりで。
句中「写真の棘」はわかりにくいかもしれないが
バルトの写真論の「プンクトゥム」を指しています。

「遠縁」の句は、なにぬねの?解酲子さんの句のパクリ。

「女旱」の句がとりわけ気に入っている。
これも郁乎句
《かげろふを二階にはこび女とす》のパクリかもしれない
 

2008年10月25日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

連詩いよいよ公開

 
総勢12人という大陣容で巻いてきた連詩が
いよいよネット公開されました。
「連詩大興行」というタイトル、
三村京子のデザインによるもの。

参加面子は(年齢順に)、

小池昌代、森川雅美、黒瀬珂瀾、湯川紅実、
杉本真維子、松本秀文、依田冬派、久谷雉、
三村京子、明道聡子、松岡美希、
それに僕(阿部嘉昭)。

アドレスは
http://www.geocities.co.jp/renshidaikogyo/

連詩は、4行程度のやりとりなら、
付けでは同じ語句の重複をきらいますが、
ここでは基本的に、トータル30行詩の応酬。
(順番を決め、12人が三巡書きました。
メーリングリストを活用しました)。

前詩の語句・フレーズを抜き、
そこで解釈・環境をつくりかえながら
書き手の私性にも接木していって、
トータルで地上の拡がりと時間の推移をしめす、
という方法をとっています。

かたちはちがいますが、
芭蕉歌仙の方法を連詩に継ごう、
という当初からの意気込みで、
最上の流れとなったときには
芭蕉のいう「匂い付け」の効果も出ているとおもいます。

いずれにせよ、壮大な実験といえるだろう試みで、
上アドレスをクリックして
ぜひ覗いていただければ。



連詩がなぜ重要か。
現代(自由)詩の代名詞は「逼塞」です。
詩壇詩はその内部でしか流通できない
特有の語彙や発想にまみれています。
その符牒のやりとり、閉じた感覚が、
一般の読者にひらかれてゆけないブレーキとなっていた。

連詩はとりあえず自詩を書くとき、
次に付けられることを想定しますから、
ひらかれていなければならない。
他者のために、全体のために、
自分の署名性を半分消して書く--
そういうバランスが連詩には必要で、
これがたぶん詩壇詩特有の「重量」から
詩を自己解放してゆく方向づけとなる。

僕らの連詩の一巻めでは
まだそれが十全だったとはいえませんが、
その萌芽がみとめられるとはおもいます。

流れでいうと、
口語嵌め込みの応酬となったくだりなどは
僕自身、すごく好きです。
地名嵌め込みが続いた三巡めなどは、
見事に「地上の拡がり」が出てきた。
参加している連衆の「それぞれの生」が輝くことで、
芭蕉連句での
平句(雑の句)のやりとりの素晴らしさに近いものが
出現した、とも感じています。

誇るべきは、上の面子紹介でいうと、
依田、三村、明道、松岡さんと、
既成詩人以外というか
もろに学生かそれに準ずる若手が加わっている点。
このことで、解放が促されたのではないかとおもっています。

この「連詩大興行」は久谷くんが降板、
第二巻めは小川三郎さんに加わってもらい現在進行中です。
これも、出来上がり次第、同じサイトにアップされます。



このサイトには「近況」の欄もあって、
サイトの開設記念に、
「広尾」という、昨日書いた詩もそこにアップしてもらいました。
こちらもぜひ覗いてみてください
 

2008年10月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

声・ベース・詞のための十二断章

 
昨日の朝は徹夜明けで帰り、
しかも帰宅後、うまく眠れず、
夕方からようやく睡眠不足を補って、
週刊文春への書評執筆も
さっき(12時)からはじめていま終わった。
そんな綱渡りだった。

それで頭が覚醒してきたので、
一昨日の三村京子レコ発ライヴにつき書いておく。
ただし夜も更けてきたので(笑)、
備忘に付すためにだけ断章的に書いてゆく。



1)三村さんは、レコ発ライヴにつき
女性の声の複合、を着想の中心に置いていた。
このためのゲストだ。
つまり『雨男、山男、豆を引く男』から詩を朗読した小池昌代さん、
それとテニスコーツのさやさん、
これらの声が自分の唄う声と複合することを希っていたとおもう。

2)――それぞれの声の質。
小池昌代の声は甘みをふくみつつ端正で、
「正しい女性性」を分泌し、聴く者を正当に魅了するとおもう。
さやは歌声であると同時にボイスアートでもあり、
少女性をマイクワークもつかい夢幻的に加工できるひと。
ファルセットで弱々しさも印象させる声を出すが、
このとき少年性と少女性の化合が起こり、聴野座標が崩れる。
「崩れた野」、永遠の光景。
三村京子の声は甘く掠れ、高音がときに苦しいが、
調子が出て自己賦活の変転力をもったときに
不安定が安定に、揺れが伸びやかさに変わる魔法を演じる。
自己賦活の方向性こそが彼女の歌ヂカラの実質だ。
このときの「節回し」が唯一無二のものになる。
その声は小池のアナウンスのとおり個性的なのだ。
この「個性」を「孤独」と換言してもよい。
声の孤独は男声のニール・ヤングを想起してもいいが歌手の真の財産。
しかし三村の作曲はジョン・レノンのほうに通じる天才型だ。

3)その声が「到来」するかで三村のライヴの出来が決まる。
毎回毎回が雨乞いの儀式のようなものだ。
このレコ発ライヴでの彼女の声はリバーブに助けられていたとはいえ、
ものすごく調子がよかった。しかも上り調子で声色があかるくなった。
じつはこのライヴのまえ、彼女は沖縄で連続ライヴをこなしていて、
「南風」が彼女の華奢な声帯に取り憑いたらしい。
声には湿潤さを否定する爽やかな渇きもでた。
「秋の沖縄だ」とおもった。



4)一定のひとがすでにミクシィ日記に書いているように
しかしこのレコ初ライヴの真の主役は、
ウッドベースの船戸博史さんだったといえるかもしれない。
たとえば小池昌代の朗読では船戸のウッドベース・バックと
さやのピアノ・バックの2パターンがあった。
さやのバックでは小池の女声は、さやの間歇性を仕組んだ透明な鍵盤音に、
青空のなかの黄金光さながら溶けてゆく。満点の抒情。
ところがディレイ系とピッチチェンジャー系、
ふたつのエフェクターも介在させた船戸のベースがバックだと
小池の声は安定的な場所をうしなってゆく。
音が声に添う、のではなく、音が声に「入り込む」。
その状態を小池自身が愉しんでいるようだった。
これが彼女の朗読のなかで最もテンポが遅く、
余白を入れたものだったから。

5)この船戸のベースが、三村の声にも切り込んだ。
アルバム『東京では少女歌手なんて』の録音光景にじかに接するような体験。
この日、三村の声はときにさやとの微笑ましい和声のなかにもあったが、
顔が少年でも手の力がゴリラのようにつよい船戸のベースはこの次元にいない。
もともと楽器を源にした最大限の歓喜であり、
しかも悲鳴の連鎖にも連祷の響きにもその性質を変化させうるのだった。
ウッドベースのネックを光速で動物的にうごく彼の指は、
もう演奏ではなく愛撫ですらなく、
ベースの楽器特性への妥協のない審問であり、
そこには拷問の色彩すらある。
「限界を超えた」楽器音が湧き、うねりだし、
しかもこれがベースの怖いところで
そこでは音程と律動とがこれまた決して乖離できないのだった。
つまり楽器ひとつで船戸は、オーケストレーションにちかい、
多彩なバッキングをおこなっているということができる。
指弾き-二本の弓をつかった奏法の転換はマッハで動物的だ。
むろん三村の歌唱・ギターへの寄り添いも、
賦活でありつつ、ときにSM拷問的切り裂きともなる。
たぶん船戸にとって、音楽が歓喜であることと
音楽が驚愕や緊張であることとに、ちがいが設けられていない。

6)妙なことが起きる。
たぶん「音楽好き」は、
音楽力のある三村の女らしい清楚な姿よりも
世界と関わる普遍力すらもつ船戸の指のほうを見てしまうのだ。
そこが「音楽的震源」だと感知すれば当然そうなる。
そうして視覚すら悦びにいたれば、
三村の歌唱・歌詞が逆に頭に描けなくなる。
僕自身はそうなるがままにしていた。
歌詞が、自分が関わって既知の域に属するからそうできるのだし、
次のアルバムで船戸がロック曲にウッドベースで切り込むときの
効果を測定する必要も立場上あった。
船戸の初めて加わった曲で、
船戸が弾くフレーズをすべて記憶してしまおうという意気込みさえあった。
結論からいうと、ロックにいまは愛着が薄いとさんざん述懐しながら、
船戸はロック曲にウッドベースで見事な彩りを添えられるのだった。

7)たぶん船戸はロックのバックを演るかフォークのバックを演るか
ジャズに参加するか、それぞれに弁別を設けていないとおもう。
彼は「存在の伴奏」を演るだけだ。
彼はだからステージの前面に立つ者が「もどき」ではなく「存在」であれば
すべてベース参与の価値をそこに見出しているとおもう。
となると彼のベースはたんなる楽器ではない――何かとても精神性の高い、
音を発する「世界の支柱」なのだ、ということ
(ベースが「ベース=基礎」と名づけられているゆえんだ)。
しかし繰り返すが、この音楽神は魔神ではなく少年の風貌をしている。



8)コラボレーションがたぶん僕の現在の活動の鍵だ。
大学授業にさえ、この原理を僕は持ち込んでいる。
であるなら、三村の曲に歌詞をつくることも、
連詩・連句で「全体」をつくることと何ら径庭がない。
あるいは個々の詩篇で詩集の「全体」を導きだす点とも。
それであらゆる個別性が永遠の方角へと溶解してゆけばいい。

9)三村の曲につけた僕の歌詞は「刻々と消え去るもの」の後姿の強度だ。
ただし聴衆は瞬間に到来する言葉を――躯をひらき、得ていると錯覚している。
たぶん瞬間がつくりだすこの僅かな時差が観客の躯をその充実へ結びつける。
音楽では物質性で感動が導かれつつ、同時にその虚無では高揚が生じている。
音程変化する言葉を声とともに鞭打たれるように受け入れるため
自身の感覚を待機の媒質に変える聴衆には敬虔も宿ってゆく。
一聴だけでは「構造」を念頭に置く全体化も不可能だろう。
三村の後見人のひとりとして、明るさが適度にキープされている
三軒茶屋グレープフルーツムーンの客席を見渡す。
三角みづ紀をはじめ、約半分の者が瞑目のなかライヴに接している。
刻々と消えてゆく歌詞の後姿を追っているのだった。

10)船戸のベースは音を黙示として世界創造を企ててゆく。
このベースと僕の歌詞の言葉が衝突するとどうなるか。
前提をいうと三村の歌唱が時間性の「魚泳」だとすると、
僕の歌詞は奇怪さと直接性ゆえ魅了の因となる、そこに燦めく鱗だ。
それはメロディや三村の躯と同体だが、同時にメロディには「溶けない」。
だから船戸のベース音と僕の歌詞が、
一種、古典以来の普遍性の「対」として真向かうことになる。
しかもこの正対は構造上、三村の声・身体を媒介にしか成立しない。
となって、ステージには最終的な柱――三村の姿が定位されることになる。
それも殉教の印象を伴う宗教的幻影の性質を帯びる。

11)世界の支柱の三つ巴――これは神話創造の秘儀だ。
言い方は大げさだが、「少女価値」を基軸にしてもそこへ移行できた場所が
この日のグレープフルーツムーンだった。
だから音的にこの日がベストライヴだっただけでなく、
いろいろな複合が、分節なき白熱に変貌する姿をつうじては、
哲学的にもベストライヴだったとおもう。
親密のなかの非親密、非親密のなかの親密(これがポップの本懐だ)
――こういったものが少女性媒質、ひいては三村の性質だが、
これらが当日は様相を変えないまま培養・拡大されていった。
船戸のベースは三村の特性を帯びたベースであり、
それは阿部の歌詞が三村の特性を帯びていることとも同じなのだった。
聴衆は目瞑ってその歌詞を追い、親密と非親密の複合にふるえる。
見開いて船戸の指を追った聴衆も
その指に、同じように具象と抽象、その分離不能を知る。
とすれば三村京子もまた、具象であると同時に抽象なのだった。

12)ライヴの終わりちかくになり、三村がギターをエレキに持ち変える。
ドラムセットの前に光永君が座る。
ラストまでの以後4曲は
ロック的クレッシェンドを伝統性に則って自己演出した。
ラスト、「私は終わらない」ではついに三村のサイケギターが、
脱分節性によってのたうつ蛇身を性的開示のように披露する。
客が息を呑んだ様子が伝わってくる。
三村はやはり光源だった――しかも要約不能の光源だった。
ライヴのラストに来てそんな衝撃を叩きつけらけた観客を
それまでの敬虔さをおもい、はかなく感じた。
そうして「ひとが美しくなる」のが、正しいイベントというものだ。
イベントは三時間弱をたるみなく自ら流れた。
 

2008年10月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

犬顔十句

 
右耳を立てる犬顔われ五十



形見分けのごと風起り目瞑つた



馬上にも馬つづく秋、韃靼を



ルパシカに拘禁されて顔ふたつ



幽門に枯葉舞ふ日の追慕かな



月曜の馬視て火曜を怖れるを



川海苔も枯れて古りたる透魚ゆく



けざやかに艶書を曝す江戸供養



馬鞭を幹にあてがふ奔れ樹よ



導眠刑たましひ冷えの樹下のひと





つづいて十句。

さっきまで、週刊文春書評用に
北野武『女たち』を読んでいた(読了)。

内容が散らばっている。
書き筋もまとまらず
本日の執筆を断念。
もう、あすにしよう。

危ない域まで提示された
彼の女性観で書くかなあ。
原稿も短いし。

しかしどんな一枚の画柄を延ばして
一本の映画を全体化したか
その具体例提示もおもしろかった。
 

2008年10月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

曲学十句

 
曲学の徒になりそこね棒と円



日記には流木を書く魅(もの)もなし



秋冷の壷に鹿ゆく鹿ゆかず



水巻いて一遁世となる魚も



霜月の霜のながめに眉の罅



あざみ世に白馬(あを)を連れゆき光迅(と)し



殖産やきのふ見し人なべて繭



大望を煙に代へて章魚ふかし



境涯を流水にして野にしやがむ



木犀の香も金を結ふ庭の鬱





冒頭二句はなにぬねの?での
柴田千晶さんとのやりとりで生じたもの。

昨日は登校のさい
送られていた「未定通信」をみていた。
その第二部で拙句を
五つもとりあげられているのには恐縮したが、
書き手の句読解に大きな疑問ものこった。

「山響」すら「やまなり」と読んでもらえないなんて。。。



今日は三村京子さんの
三軒茶屋グレープフルーツムーンでのレコ発ライヴ。
三村プロデュースのライヴは
いつかの早稲田ジェリージェフ以来。
あのときは三村さん手製のクッキーが配られた。

船戸博史さんの超絶技巧ウッドベースのバッキングで
端正な小池昌代さんの朗読がどう変貌するのか
じつはそんな対バンも愉しみだったりする。

会場で何人の知り合いと会えるかな
 

2008年10月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

秋の棒十句

 
深更にからだ哭くまま秋の棒



首のみの麒麟抱く夜の火伝説



都どり果ては陰萎に雨も降る



葱に翅をみて冬までの蝶とする



麻綿原いまごろ骨の遠揺れか



おほとりの二羽ゐる辻へ我と我



穀物神とほくに焼けて雲のすぢ



浮きに似る綿負ひ秋野くだる日も



輪郭をおのれ以上に牛や憂し



竜五千川をながれて空暮れる





久しぶりに作句。
『頬杖のつきかた』の後遺症か、まだ調子が出ない。
とりあえず、
mixi猫侍さんの日記に書いた冒頭二句、
なにぬねの?banさんの日記に書いた次の二句で
ようやく十句とした。
 

2008年10月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

連詩A、七から十五まで

 
【鉛筆H】
阿部嘉昭


馬車が通りすぎれば
往来が縦横にできる
秋の街路はねむい
透明すぎて眠いというのは
たぶんケダモノのあかし
眼で測るものにも限界あって
「そそくさ」という地上の草を
ほら一身で愛していった

お急ぎですか思想のテキヤ
ちんぽこが真昼の星座なので
橋のうえに座れもしない
殺傷にむけ私を予行するとしても
自分の手からはさらに手が伸びてゆく
バケツをぶちまける
この外延性は何だ
何の讃歌でしょうか
彼岸花が枯れたようなひともいて
そそくさとその肩をつまんでやった

Hといわれつづけたが
そんな鉛筆じゃない、この棒状は





【シャープナー】
伊藤浩介


花びらくぐり
肌に潜れば
もう何を獣頭というのか
こっけい ゆえに堕した吐息は
あい飢えた もののけのように
欠落した僕の水平を 
あざ笑いにきたのだ

いつもなら あるいは
無機的な跳ね馬でも
愛でればかたい導体となって
孤独な僕の 誇大な芯を
ただ削るように 撫ぜてくれた。

押しては確かめつつ
言葉枯らして
ただ酔うままに
はぐるまを回し
絡みあう歯は決して逸れず
おどる機械が交差する

ああ、次第に尖っていく
僕の頭は





【僕と相武紗季】
望月裕二郎


僕は首から上が相武紗季だ
健康そうに日焼けした肌
学生時代は部活に打ち込んでましたみたいなえくぼ
(資本主義的には誤っている)
しかし僕は首から下が相武紗季ではない
だから僕は知らない
(芯を失った機械の踊りを)
相武紗季とは結婚できないということを

相武紗季の首から上は相武紗季ではなく僕である
塗料の摩滅した肌
電源スイッチを隠すための人工ぼくろ
(資本主義的に正しいのはこっちだ)
それでいて相武紗季は首から下がしっかりと相武紗季なのである
ゆえに相武紗季は知っている
(馬の延長であるところの言葉を)
ちょっとフライデーされちゃった方がかわいいということを

さて、
僕のあたまか相武紗季のからだか
どちらが先に崩れるか。
さしあたって僕は塩キャラメルをぺろぺろと溶かす





【ふわふわ】
都野有美


廃れると私は私でない
ヘアメイクには気を遣わなくてはいけない
私は私
主従の関係など
客体には意味をなさないので
外行きの財布にカビが生えたとしても
それはよくあることだ

(時給上げてください店長)
(ミニトマトじゃなくて、蒟蒻ゼリーで隙間埋めたいです)

ふわふわした頭で考え
アルコール除菌するものの
なんとなくで生きている
ゆえに弁当箱を洗い忘れることも
かなりよくあることだ
それから五日後
蓋を開けたときに変異
しているものは
引きこもらない私だ
という
せかんどらいふ





【動物園】
水野 桂


きっと映画のなかで
生きている人はみんな死んでいる
なめらかに生成された言葉は
どれも私のものではないから

私に帰るのは
ふたがそっと開けられた時
黒インクは
さめざめと決壊する

木曜日という速度で
片づけられた仕事でさえ
私ではない
という感度は
ますます尖っている
視界がある人にはわからない
こめかみを失ったひとならわかる
私が私でないということ

点、という価値観において
気が合うだろう私たちは
青白い背面を散歩する
動物だった





【チョコレート】
中村ふみ代


私の立っているそこが
フェアであるために
指輪は常に磨かれていた

指輪をはずそうとすれば
指先は赤黒く変色し
力ずくで指は根元から外れても
指輪がはずれることはない
目の奥がまた
じりじりと痛んだ

ハイライトをのせた目頭は
いつもピントが合わない
つま先から熟れた肩上10センチ
頬は頭までしびれてくる
2人の幻滅は
チョコレートが白い時
指の腹だけでは
混ぜ合えない不安に
机をこする音がして
そっと
どろけいが始まった





【背骨が痛い】
三角みづ紀


いちばんたいせつな
ゆいいつの指に
のこる、痕
かなしい?
かなしくないよ
うれしい?
うれしくないよ
しとねの欠けた
ころしあいは
あくる朝
からだがいたいの

おわらない
おわらせたくない
おわりたくない
平行線で。
しあわせだって彼女がないた
しあわせだって僕がわらった
平行線で。
痕が。





【二十歳を過ぎて】
大中真慶


肩のあざは生まれつき
二十歳を過ぎて
あざは紅葉するようになり
市道の左右にほぼ等間隔で並ぶ
イチョウと肩を並べる
葉と枝を一時結ぶ茎は
黄色が白と混ざり合っていて
心地よい固さ
細い枝はいくなん学的に駆け巡り
親元の枝に回収される
それらは曲がりながら
斜め下に下降し幹に繋がる
その繋がりにぶら下がっている
二十代男性
(こんな昼間に
(学生だろうか
それが私だ
樹皮は三角形が重なったようで
2cmに達する亀裂にアリを発見した
足をブラブラさせて通行人の邪魔だ





【路傍霊】
阿部嘉昭


幾何よ、いくなん
曲学阿世はまがりおもねる
秋は かどいくつ越えて
路傍霊の淡い拡がり
枯葉を肩に積んでは
もえる銀の実たべた
(陽の痕になってゆく

木のぼり上手が
千年ぶらさがっているなら
へちまと揺れろ以後百年も
泥-警の在世の間に
経済の折れ線グラフを泳ぎ
あなた曲がるぶらさがる

花粉浮く大きな湯船を
巡礼とともに通行する
誰も入っていないのに
すずしい亀頭
その数々だけが見えた

あるく植物たちの秋
炭焼き円のあの寝床まで




前日のB班につづき、
立教連詩連句演習、
今度はA班の二巡目を上にアップしました。
例によって、八篇目の付け筋確認のため
重複となりますが、阿部の七番も再アップ。

三角みづ紀という大物が闖入しているのに
みんな伸び伸びしているなあ。
僕は望月君の詩がとりわけ好きだ。
どこかがかわいいのだった。

連詩のコツは、たぶん詩篇内どこかに
「普遍」をもつ気概ではないだろうか。
そこが「それぞれの自分を消す」ための
付け筋ともなる。

それとリズム。
前詩篇の律動をもらい、
それに少し変化をつけるというのがたぶん正しい
(20行縛りの条件ならば)。
この次元ではまだ連句は
A班B班とも機能していない。

「語彙」を僕の「秋収め」の書き込み欄で、
三村京子が話題にした。

学生の語彙はほぼ彼らの日常から蒐集される。
僕だってそうだが、たぶん蒐集の筋道がちがう。
それで別次元の体系が
詩篇にリズミカルに組織されるのだとおもう。

とはいえ、学生から使える語彙をもらうのは
じつにすずしい体験だね
 

2008年10月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩B、七から十六まで

 
【水が朝にしゃがんで、】
阿部嘉昭


かけら、けらけら
自分を階段に下げる
ただ もぐりゆくねずみとなって
地下のみどりを
眼やからだに這わせる

もてあました尻尾が
異議のようにポップ
無量の きるまいせるふで
舌も朝へとはがれてゆき、

会った。
調味料のきらめく通路で。
たがいの眉に塩を盛っては
こわれる固定を交換した
ぼくたちの顔の浮く
街のようなものにも
刻々と色が這って
四つ足が不足になる
その偽の動物誌もかなしい

西口に義体哭く。
水がしゃがんでいる





【限界】
内堀亮人


冷たくて
国境線が
不可視になるような場所
子供達を
待ちわびて
グルタミン酸と
イノシン酸のような夜
けれども
もう賞味期限が過ぎてしまいました

今は
雇用問題
環境破壊
よりも
夢の島か
家の庭か

人生を愉しむ秘訣は
甘いか酸っぱいか
ではなく
逆境が快楽か、
鞭がアメか





【抵抗】
石井洋平


誰にも姿を見られなくなった少女は人知れず赤靴下を脱ぎました
腐ってしまったような気がしたふとももの肉は
ほろほろしていてあるいは食べ頃なのかも知れません
ねぇ

いつでも遠くを眺め続けた少年は人知れず義眼を外しました
時折聞こえていた隣国の炸裂するような音は
からころと笑う声を持ってしてもまだ足りない
ねぇ

生まれてから
これまで一度も聞かれたことが
なかったから
あたし、お母さんがいること知らなかった
ぼくだって、父親になることを忘れていた
誰も聞いてはこなかったもの
ねぇ
妙齢の方に生まれた日を尋ねちゃいけませんよ
ねぇ
ねぇ
そろそろ前、見ませんか

危ない





【このページは見つかりませんでした】
春木晶子


父という呼び名も
母という呼び名も
僕の固体識別番号ではない
だからどこか
絵空事


子供の存在など知覚しなかった

だけど固有名詞だって
だれかと同じなこともあるでしょう
それが
自分で決めたものではなく
組み込まれた
暗号だから

握り締めた赤は
僕の存在の輪郭を示さない
それは君のものだから

窓の外行き
あんなに焦がれたはずなのに

ぽろぽろと零れ落ちたもとの
固体情報が検索にヒットしない





【保存】
松岡美希


剥がれ落ちた
薄膜とは
もう
決別をしてあるが
透過性は
まだ
選択式で

受け皿的な手触り
にしては
出て行ったものは
もう入ってこられない

同一に出会っても
また
ダブりが
増えていくので
まず
口角を削ってゆく
角質をそぎ落とす
明日は
おがくず





【しょうひ】
佐々木綾


接がした後からくもりひろがり
ほろほろと飛来しては
総体の中紛れてしまう
辿ったところで違いなど
あり過ぎて返って さっぱり

隠したくて詰んだのか
詰みたくて接いだのか
おがくず食みだすまで
判りません

削られ残った口は
皿の中身をぺろりほおばり
靴底と床すりつける
音たてて過ぎていく

表面が隆起する
動きに合わせて ゆっくり

皿の中身が減らないので
そろそろ不安な消費期限
貼りかえられた表示は
皿の中身へ注がれた





【発酵】
輿水英里


私 また間に合わない
私 また間に合わない

汚した皿の上
深夜2時に
腐りきった
引籠もり共が
蒼白で這いずり回って

打ち揚げられた鮪の
手が
まるで
生き物か


まるで
尻に接着剤塗ったか


くぁwせdrftgyふじこlp;
詰んでなんかない
詰んでなんかない

朝に食べる納豆ご飯だって
腐ってから





【まな板の蛙】
三村京子


まな板の蛙、
遅れてしまった。
残ったのは、食べ散らかすこと。

汚れた両手で、
彗星の瞼を撫ぜ
痴情の夜をくり返す。

穴は
生き物としてあり、
抜けることすら、地上の痣を踏む。

接着するわたしの、子供、子供、子供
連なる卵も
眠りだせば

警報として時限はあり
濡れた路面が
つゆくさを笑んでいる

接着するわたしの、ひかり、ひかり、ひかり
もう胎児が若葉を
喃語めいてちらつかせる
ここに仰向けて
眠りだせば





【孵化】
井澤丈敏


孵りそうですよ、
暖かい日射しを浴びたから。
手を当ててみれば
わかりますよ、
ね。
胎児は母親の声を聞いて
黙々と躍り続けています
彼は夢でも見ているのでしょうか
とても
恐ろしい顔をしています。
自分が自分ではないことが
わかりすぎて
怖いのでしょうか
お母さんに食われるのが
楽しみなのでしょうか
自力で殻を破って
出てくる前に
ぱりんと
割ってあげないと
大変なことになりますよ





【秋が落ちない】
阿部嘉昭


遠い風に眼が胎んで
夢の、海の坂
蜃気楼がみえた

わたし以外を抱くため腕を伸ばすけど
このわたしは散らかせない
こどもの町の飴玉にも
気球が浮いて
ずっと秋が落ちないでいる

ぱりぱり割れる前のそこ、天国
色水がおいしい場所
針山にもゆかず
玻璃だけをずっと踏んで
あゆみもおたまじゃくしのように
自分の影だけは掻く
そうして対幻想になったかな
おとなにならずに

きみがまぶしい眼差しなのは
ぼくが炎えているから?
空にものぼる坂が一杯だ
晩からは漁火もゆれて 魚津




連詩B班でまた僕の番がまわり書き上げたので
ご報告として経緯をアップしておきます。
重複をいとわず僕の七篇めから掲載するのは、
八篇めの付けを確認していただくため。

お読みいただければわかるけど、成行は危うい(笑)。

なんとか前詩に「付いている」のは自明だけど、
何か発想が私性に閉じて、
しかも暗い詩篇の連鎖になりだしている。
僕の16篇めはそこに、活を入れました。

共同創作にあっては立脚が透明な必要を感じる。
私性は必要なんだけど、
それを「半分」飛ばし、
共同の場にいる目出度さを、
地上全体に敷衍してゆく拡がりをなす、というか。

これが次の演習での強調ポイントになるだろうなあ。

各班の連句もこれまた「付いている」けど、
季題設定が僕の説明不足で壊滅となった。
無季前衛の長句短句の応酬もおもしろいとおもったんだけど
なぜかそれだと歌仙の味がやっぱり出ない。
句も江戸俳諧の感触が入っていたほうがいいらしいのだ。

春季秋季三句以上。
月の座、花の座の設定。
その間を、雑でつながれた夏句・冬句が顔を出し、
人界を眺めて、時間の高位の祝言にいたる。
連句の主体は連衆個々ではなく、
それを取り巻く時間だってことだな。

こっちの説明は難しい。
江戸俳諧の要件説明も。

う~ん。
大変な授業をやっているわけだ。。。(笑)
 

2008年10月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

昨日の予告どおり、

 
昨日の予告どおり、
「阿部嘉昭サイト」に
ネット長篇詩『春ノ永遠』をアップした。
これも「未公開原稿など」の欄で読めます。

じつは行アキのない1296行なので
読むと疲れないかを測るため
さっきまでネット画面で読み直していた。
こう書くとバカみたいだが、
それで陶然たる気分を味わってしまった。

これ、本当に自分で書いたの?
まあ、感慨の理由は、そういうことだ。

僕は詩が自己模倣におちいるのを極端にきらう。
それで詩集単位ごとにちがった詩法を組織しようとする。
そのときに「他の自分(らしきもの)」と共謀しあって
自分の詩を
自分から遠ざける位置で書こうとする。
このときにたぶん、麻薬的な陶酔が付帯する。

そうして詩作が成り、その具体的内容を忘れ、
改めて読みなおしたときの感慨が
「これ、本当に自分で書いたの?」。
こうなって、初めて詩作が
「いい感じ」で遂行された確証を得る。

ともあれ、俳語と改行の兼ね合いが
自画自賛だが斬新だ。
西脇調も換骨奪胎されている。
それで「春」という季節がぶんぶん唸って、
そのなかでゆっくりと詩の主体も溶け、永遠化する。

先にアップした『あけがたはなび』『頬杖のつきかた』と併せ、
お暇な折にこの『春ノ永遠』もぜひお読みいただければ。
この三作で今年の主だった詩作は終わりだろうなあ。
これからはまた俳句をつくりたい。



昨日、畏敬する廿楽順治さんから
所属するふたつの同人誌「生き事」「ウルトラ」を
郵送で併せてご恵贈いただいた。

「生き事」は、とうとう納得した同人誌だった。狂喜した。

廿楽順治、阿部恭久、岩佐なを、松下育男四氏による、
(こんな言葉はないが)「四つ巴」のがちんこ。
それぞれの持ち頁が20~30頁で、
章立てかどうかは別に、各人が長篇を出し合い、
それ以外に誌面は何もない。

詩の同人誌は同人が詩作品を出し合い、
そのど真ん中に詩の潮流が潜んでいると
ただ高らかにうそぶけばいい。
特集記事も、既存権威からの寄稿も要らない。
濁るだけだし、そこに有償無償の区別もできれば
編集方針も同人結束も疑われる。

それと現在の詩の同人誌の多くは、
同人が多すぎて、個々の作風が完全につかめない。
片々としたものが載っただけで同人が安閑としているのは
他の人員の多さで、リスクが回避できると考えるためだろう。
それで結局は無個性のごった煮になるし、
なぜこんな力量の劣る詩が併載されているのだろう、
という疑念にもなる。

「生き事」は上述の四人にそれぞれ独自の力量があり、
しかも小さく瀟洒な判型をどう活かすか、
その使命を相互にもちあったとおもう。
だから小さな判型なのに、
なおも紙面余白が綺麗で巧みで、
しかもそれぞれの余白の型が異なっている余禄もつく。
各人の詩風を云々するまえに
眼ですでにそんな贅沢が味わえるのだった。

小さななかの四人のひしめき、充実。
これは「明かしえぬ共同体」であり、
詩誌ながらバタイユ「無頭人」の精神を継ぐものではないか。
「一定の長さをもちつつ何が小さな詩たりうるか」が
いわば静かな沸騰状態で論証されていて、
詩の小ささと大きさの弁別すらゆらいでゆく。

廿楽さんは、僕の『春ノ永遠』と同時期に
「なにぬねの?」で競いあってアップしていた長篇詩を、
部分的にアッと驚くレイアウト変更をして載せていた。
これについては別途、ちゃんとした感想を
綴らなければならないだろう。
ともかく僕は彼の詩風変貌をずっと待っていて、
とりあえずこの「生き事」第四号に載った廿楽「化車」は
大きさのうえからの変貌だった(長篇詩なので)。
この点だけは先に明示しておこう。

廿楽さんは最近の日記で「生き事」のパブに力を入れていて、
その意気込みがなぜだかよくわかった。
詩の同人誌の画期をつくった、という自負があったのだとおもう。
廿楽さんは松下育男さんによるおまけ詩篇、
「初心者のための詩の書き方」をずっと日記で撒き餌につかっていた。

それは廿楽さんの昨日のアップで全7章が揃ったので、
さっきその日記から全部、ペーストさせてもらった。
松下さんのように確信的にそういう詩が書けるのは
当然、自分の詩作にもブレがないからだ。
詩論を詩で書きつつ、ぜんぜん既存の詩論詩とちがう。
啓蒙的かといえば、じつは怖いことが綴られている。

僕は同人誌参加をずっと敬遠してきた。
SNSでしるすことが、
すべて阿部の個人誌での記述だと自覚してきたので。
たださすがに「生き事」での、
他者性をもはらんだ四人の結束をうらやましくおもった。

「生き事」は、「詩手帖」での久谷雉の詩誌月評の
最後のターゲットになるのかな。
どう扱うのか愉しみではある。

ともあれ僕がネットに詩を吐き散らすことも、
四人による最強の同人誌「生き事」も、
「詩を」「現在的に」「生きるとは何か」を
指針している点は確かだろう
 

2008年10月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

連詩B、七回まで

 
今度は連詩B班。
こちらも無断転載ゆるして



連詩B班


【午前零時の空模様】
春木晶子


屋根の上の猫の影が月を喰らう夜は
冷めたカフェオレがやけに不味い

曇天の画面は来訪を告げない
いつまでたっても いつまでたっても

エネルギー不足ではないのですが
ボタンひとつで明転すれど
やっぱり独りきりなのです

震えたのは待ち望んだ来訪のせいじゃない
数打てば当たるかもね、ダイレクトに
押し付けお断り 出会いもいりません

気を紛らわそうと 独り言の更新
その間に来てくれるといいな
呟く言葉もなく親指が止まる

不味いとわかっていてもう一度啜る
夜がこんなに長いのなら眠ってしまえばよかった
でも寝ている時に貴方が来たらと思うと
目が冴えてしまうのです

貴方が私を忘れて
眠ってしまっただけなのだといいな
いつの間にか猫の影が吐き出した月は真ん丸





【パターン1の場合】
松岡美希


タイミングをずらすと
弛緩すらも
とれなくなって
しばらくは
指紋も失った

おとといと昨日が
あまりにも
近接低空
飛行の朝に
ぶくぶくと
うきあがる
夜の黒胆汁

眉を汚される
コーヒーのあさに
フォークが清潔に見える人の
からくりを
解くドリルが
虚数回路に逃げ込むのを
見咎めつつ





【定理証明のための仮定法】
佐々木綾

                
余りと言うにはあんまりな
隙間を縫って入り込むそうです わずかに
覗いた数字は3から7から11へ 安定しない
カップの底の残った甘さを火にかけて140度
こえないようにかたむけて
アイなんてわかんなかったら無視です
それよかナイフがない
理由のほうがきっと近道に
繋がります
急がば回れ
油が売り切れるまでに 後
どれだけ残ってますか?

解答用紙の余白を増やす方法は
どうにかして
三段論法を成立させようと蹂躙
されたとうの昔から
忘れていない 消費された
時間に比例するように
ゆっくりと三原色が乾かす視線
でさえ





【白昼夢】
輿水英里


息詰まったら
息抜きに
一服してはいかが
気ままにイギー・ポップ
聴きながら 奇数
逝きながら kill you
してみたくて 失敗
スプーンで掬い上げるだけ
貴方の白と
私の黒とを
かき混ぜて かき混ぜて
砂糖を三杯
銜えて 飲み干す
食後の一杯

事後 眩暈

聴こえてくるのは
In Between Dreams
イン ベッド ウィズ ドリームス
死んだ背中
視線逸らした





【移動】
三村京子


死と人生との
タッチアンドターン
友川さんなら砂糖を、配る速度です。

問題は、XTCのションベン臭さ
無理みたいな残り時間
二回目に当たった。
以後は奇数月のみの参加でいきます

遠近両用の死角で
裸で死んでる少女
存在が提示するのは恥だけでしょうか

笑う帽子が27000円だった。
これからは洒脱な人生だろう。
脱臼は白いですか

鯉がすれ違う流れのなかで
手が光りながら行き交うようなハイファイヴ
そんなふうになりたい
死んだこともある人たちって、案外、多い
そうでなくても星と星が交換されてる
だから吾らにあるのは
移動のみ





【欠片】
井澤丈敏


急ぎすぎて
体が崩れてきました
友川さんの砂糖も
螺旋状にからころと散らばって
それでも彼はずっと
欠片を拾い続けるのでしょうか

途切れがちな思考さえ
続けるのが困難になってきて
手と足がばらばらに
動き出しそうです

いまあなたはそこにいます

うそがほしいのかな
それは不味いと思う
私だって落下する

いまわたしはここにいます

むつかしいことば
なんてわからないし
追いつけないスピードに
追いつく気もないがたまには
死んでみるのもいいかもしれない





【水が朝にしゃがんで、】
阿部嘉昭


かけら、けらけら
自分を階段に下げる
ただ もぐりゆくねずみとなって
地下のみどりを
眼やからだに這わせる

もてあました尻尾が
異議のようにポップ
無量の きるまいせるふで
舌も朝へとはがれてゆき、

会った。
調味料のきらめく通路で。
たがいの眉に塩を盛っては
こわれる固定を交換した
ぼくたちの顔の浮く
街のようなものにも
刻々と色が這って
四つ足が不足になる
その偽の動物誌もかなしい

西口に義体哭く。
水がしゃがんでいる
 

2008年10月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

連詩A、七回まで

 
立教の連詩連句演習がはじまった。
A班B班に分け、
それぞれの班の七人めが僕。
それで7×5=35回で
最初の一巻としようとおもっている。

さほど添削指導はしていない。
どんな出来なのか。
とりあえずご吟味のため
下に七回までをペーストします。
こっちはA班の分です。

受講生のみなさま、無断転載ゆるされよ



連詩A班


【思想買います】
望月裕二郎



思想が必要ですかそうですか売りました
鞄持ってますが
わたしはもう時代です
靴に穴開いてますが
わたしはもうシステムです
下着つけ忘れてますが
わたしはもう政府です

といっても、まあ
わたし最近
朝日に溶けやすい
くきやかなあなた
それ立ってるんですか座ってるんですか
やっぱり輪郭はずるいですよ
そもそも
朝日だっけ夕日だっけってなるはずですよね
勝手に俯瞰しないでください
手、離さないでください
ええ、ええ
わかってます
一つ買います一つください





【痛覚錯誤】
都野有美



ああでも知りません
ネジ穴が合わない
かもしれない
わたしの小指では
そんなことよりも
あなたの肩甲骨にきれいにはめてみせます
人差し指ですが
簡単でしょ
そうじゃなかったらわたし
天上天下 
って叫んでます
分かりませんか

体巡る小さな賭けで
わたしの首はすぐに太くなる
太くなっても二つになれない
そのもどかしさを
直近でかんじつつ
しだいに
朝露に渇いてしまうものだ





【ぶれる】
水野 桂



6時間後には
きっと閉じてしまう
磨かれた歯車ほど
淀むものはない だから
わたしの頬を操って下さい
同じ記号に飽きるまで
歌留多めくりをしませんか

そういえば、もう
描線も揺れる
8時
お金はあります
ただ誤算が足りません
銀色に誘われて
やってきたわたしは
きっとトレモロの中の一音
だと
分かりません
湿気で奪われてしまう前に
重なり合わせる術が





【駆け水】
中村ふみ代


よどみ水は はやく
逃がしてほしい
足がはやいから
急がないと
やきがまわる

骨抜きにして
検閲する
傘も
てまえの柳に
落としてしまった
くしは
虫歯のかけらでも
流せなくなってしまう

走ってきた
砂地に
水が
ゆらめく
いいえ
今度のむなら
水は間に合うだろうか





【不眠】
三角みづ紀


ころす、と呟いた、
君の早朝の蛇口にて
したたることばの温度に
負ける気なんて
さらさらないのだ

(わたし無責任になります
太古から連綿とつらなる
わたしたちの産声まで
さかのぼったとしても
わたし無責任になります)

君の絶望をひたすら願う
したたる蛇口から
早朝の白濁液のあじ
ころす、と呟いた
君がふたたび
ころす、と呟いた
ならば
わたし無責任になります





【リリー&チョキ】
大中真慶


(けっ
隣りのあんたから
昼なき昼はでてくる
せきではなく
だれかが口にしたのだ
左部屋のリリーちゃん(ハムスター)から
犬小屋のチョキちゃん(柴犬)へ
伝わってしまい
明後日には町中が
ザラ、ザラ、ザラ
同じことを
いう

目がよくなく
振り込みができたのか
それから
子どもたち
あんたを合図に
円陣が散って
これは予行演習だと
一頭立て馬車が通りすぎ





【鉛筆H】
阿部嘉昭


馬車が通りすぎれば
往来が縦横にできる
秋の街路はねむい
透明すぎて眠いというのは
たぶんケダモノのあかし
眼で測るものにも限界あって
「そそくさ」という地上の草を
ほら一身で愛していった

お急ぎですか思想のテキヤ
ちんぽこが真昼の星座なので
橋のうえに座れもしない
殺傷にむけ私を予行するとしても
自分の手からはさらに手が伸びてゆく
バケツをぶちまける
この外延性は何だ
何の讃歌でしょうか
彼岸花が枯れたようなひともいて
そそくさとその肩をつまんでやった

Hといわれつづけたが
そんな鉛筆じゃない、この棒状は
 

2008年10月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

小説改作(2)


さっきまで来週の卒論準備演習にテキストを提出するため、
今度は石倉優希さんが出してくれた小説の改作に励んでいた。
無事終了したので、以下にペーストします。
読みやすさを考えて、
これまた原文の改行を一行アキに、
原文の一行アキを二行アキに、それぞれ改めました。



石倉優希『道の真ん中のウェディングケーキ』改作
阿部嘉昭


 今度のソファーは、やわらかすぎるように感じた。

 健郎さんにはわるいが、前のソファーなら、安物のうえ随分つかいこまれていたけど、からだには馴染んだ。腰掛けるたびスプリングか留め具が軋んで、なさけない音を立てるのはたしかに難点だったが。

 傾きつつある西日が、左の睫毛にひかりの虹をむすんだ。この卵黄色のソファーも、表面にひかりの斑をえがいている。生ぬるくなった自分のからだを感じながら、ソファーが以前と同じ位置にあるのに色がちがう、それを奇異におもった。いつも西日のため、ソファーに身を置いていると午後の気分がみだされる。眼のなかに夕光の補色が円のかたちにおどって、それが花火をみるようにうるさいのだった。

 「カーテン、しめていいですか。レースのほう」

 読んでいた雑誌を閉じて、健郎さんのほうを向く。

 「どうぞ」。向かいの補助テーブルの彼が顔をあげた。彼は文庫を手にもっている。

 立ち上がってベランダ側にゆき、カーテンを引いた。刺繍模様の影が私の顔に落ちたとおもう。やわらかい紗のなかにいる私の姿を、健郎さんは追っているだろうか。

 健郎さんは暮らしをきつく縛らない流儀だった。ものの配置がいつもゆるやかだ。雑然とまではゆかないが、構えがやわらかい。だから遮光カーテンもいつも束ねない。だらしなくたゆたっている。ほんとうは律儀な私の信条ともちがうのだが、健郎さんのつくりあげるそうした生活の余裕が、心地よかったりする。

 健郎さんのほうをあらためて窺うと、手暗がりになっている。

 「電気もつけますね」

 「ああ、うん、ありがとう」

 基本的に自分に無頓着なのだとおもう。だからもっている奇癖にも頓着しない。健郎さんが文庫本を読んでいるいまの恰好といったら。両肘をついて眼のまん前に文庫をもってゆき、顔を隠すような窮屈な姿だった。あれでは手首と肩と首と背筋に負荷がかかっているはずだ。じっさいその読書の身ぶりを真似したこともあって、手首がすごく疲れた。

 ソファーにもどった私は、自分のてのひらがもう眩しくないと確かめて、姉からかすめた雑誌に手を伸ばす。雑誌はいつもどおり膝に。そういえば、いぜん健郎さんは、膝のうえに本を開いて読むと、俯きをしいられて首が痛くなるんだ、といっていたこともあったな。

 静かだ。静かだと、時間も連続状で直前直後の区別なく、ただ、とうとうと流れている感慨になる。淀みのなさは読書の進展でもあるし、西日がゆっくりと傾くことで生じる部屋のようすの変化でもある。たしかに平穏な午後がここにつまっている。カーテンで区切られて、何かの内側にいるという充溢感もさらにつよくなった。

 私が開いていたのは、ウェディングケーキを紹介する頁だった。部屋の空気が濃くなった気がして、逆に眼に映る写真が稀薄に映る。私はそれでウェディングケーキの写真を、実在を承認するように指でなぞった。なぜか新種を誇るそれらでは赤の配色がこのまれていた。なぞったとき変に新鮮な手触りがあった。印刷インクでも指についたのではないか。私は雑誌から手を離し、指を眺めた。何もついていない、赤くなっていない。

 そのようすを、意外にも健郎さんがみていた。

 「指でも切った?」

 「いえ、大丈夫です。ほら」

 自分のしてきたことの説明が面倒だったので、反射的に指をみせてしまった。迂闊にも健郎さんに向け人差し指を立ててみせる恰好となった。「この指とまれ」のようで、自分の滑稽を感じた。それで、てのひらをひらいて、問題ないです、としめすため、手を振る上塗りをしてしまう。今度はバイバイ、のようだ。意志と仕種が奇妙にずれだした。笑うでもなくこちらをじっとみている健郎さんのため、私は具体的な話題で挽回をはかる成行きとなった。それでみていた頁を開いたまま、健郎さんに掲げ、

 「この雑誌、姉のもっていたウェディング特集なんですよ。でもこういうウェディングケーキって、衒いすぎておいしそうじゃないでしょ」

 健郎さんが身を乗り出して、見てくれる。

 「はあ、変というか奇抜だね」

 その頁には「たっぷりベリーのケーキで決まり」という見出しがゴシック体で大書されている。正方形、長方形、円形、ハート型と、ケーキのかたちはさまざまだ。

 「ハート型のケーキに入刀すると、結婚が壊れるみたいだよね」

 健郎さんがすかさず、全体がピンクの多幸で染まったこの雑誌の、浮き足立った滑稽の核心をついた。

 「ウェディングケーキっていうと、丈が高くて大きくて、てっぺんに新郎新婦の人形が乗っていて、というのしか、おもいうかばなかったんですが」

 「ああ、あれ。あのケーキのうえに乗っている人形って何でできてるっていったっけ」

 「マジパンじゃないですか」

 「マジパン?」

 「アーモンドの粉と……あとはたしか、砂糖か何かでできていたとおもうんですけど」

 私自身、記憶をひもといてみようとするが、検索がうまくゆかない。一方の健郎さんは、無意識だろうが、マジパンの語を低く口のなかでつぶやいている。音が奇異なのだろう。真面目なひとの渾名のようだから。そうやってつぶやかれると、マジパンという音の反復がいよいよ呪文めいて、新郎新婦の人形があたまのなかを回転盤にしてまわりはじめる。背景は白い生クリーム、苺、ピンクの花弁。この新郎新婦の人形の顔に、自分たちのそれを置くべきか迷った。

 健郎さんが、テーブルに手をつき、身をのりだしていたので、私は次の見開きもしめしてみせた。

 「旬のフルーツはいかが」という見出し文字をそのまま健郎さんが読み、「いろいろあるんだ」といったんは感嘆した。この無頓着も演技ではないとおもう。ただ「いろいろあるんだ」という紋切型の言いようが興味の退潮の引き金になったようだ。健郎さんは身をひいて、椅子にまた腰を落とした。

 「そういえば、綾子さんの披露宴の招待状、届いたよ。まだ先とおもっていたら、もう来月なんだね」

 綾子。姉のことだ。

 「さすがに忙しそうにしてますよ」

 五つ上の姉の結婚式は来月に迫っていた。日取りは、決定までに、やれジューンブライドだ、誕生月だなどと紛糾もしたが、安価に釣られ、はた迷惑な真夏の結婚式となった。そう決まると心にゆとりも生じたのか、指輪を見せびらかされて、あんたにブーケあげるから早く結婚なさいよ、と権勢風すら送ってきたのだった。


 「今日もありがとうございました」

 肩かけ鞄を提げ、玄関先に私がいる。段差の高いほうに健郎さんが立っているので、見返す私は、渇仰の視線を自分に意識している。見上げてどうするのだ。自分の首が儀礼で酷使されているとおもった。「またね」。私のからだの脇をかすめるように健郎さんの腕が伸びる。取っ手が下げられ、ドアが開かれた。促されるように、私は外へ出る。健郎さんに会釈。もういちど「またね」といわれ、ドアはゆっくりと閉ざされた。暮色の濃くなった通路にとりのこされる。ドアはもう建てつけがわるくなっていて、残忍な金属音をいつも立てる。その音と、健郎さんの「またね」という優しい声音の違和、おそらくその落差に私はとりのこされ、だから玄関の土間と廊下部分の段差にも、神経質になるのだ。

 予感を振り払うように、通路をすぎて、階段を急いで下りる。建物から完全に離れたところで、深呼吸を試みた。体調の異変を感じる。呼吸というが、吸気を多く自覚するのに、呼気がおぼつかないのだった。かなわぬことながら、この場に自分をとどめようという意識がはたらいているのか。足がそれで停まってしまう。

 暮れ方の空気は、とおいざわめきをふくんでいる。ざわめきのほうに足を向けよという指示もある。私は健郎さんの部屋を振り仰いだ。その扉は瞑目をやめない。その眼がひらいて光を放ったらいいのに。振り仰ぐ視線によって自分の眼がどうしようもなく乾いてゆくような気がした。気づくと、眼瞬きでそれを補おうしている。泣きだすみたいだ。私は自分の動作が、自分に自分を反響させる範囲を出てないとふと反省して、踵で蹴るように歩きだした。

 西の地平方向はまだ赤いいろを湛えていた。東空は暗澹としている。街の夜は等間隔を組織しているとおもう。暗くなって存在感をました街灯は、ひかりを吸いとる磁石のようだ。それが整列して並んでいるようすに、未来的なものを感じた。

 位置があるから、何かが置かれる。健郎さんの部屋にはそれで新しい卵黄色のソファーが置かれ、雑誌の頁には奇抜なウェディングケーキが置かれ、街路には街灯が置かれる。複数のケーキと、複数の街灯は、それぞれの距離を測れと促すが、あの単数のソファーには周囲の何かからの距離がない。それ自体が身をぼかすように部屋の空間を占めていて、そういう場所にたぶん私はだらしなく安逸していたのかもしれない。ほんとうの私は、健郎さんの座っていた椅子からたえず測定される距離だったかもしれないのに。

 埒もないことをおもいめぐらしながら、歩いてゆくと次第にからだはあたたまった。湿り気を不快におもっていた風が心地よさに変わる。街路樹の枝がさわさわ鳴って、東の空の暗さをおもい、一瞬、それを雨音と錯聴した。このとき眼が疲れていたので手をつかい、降りだした雨粒を確認のため、てのひらに受けようともしたのだった。今日の自分は、自分にたいしこの手が分離的だとそこで気づく。今日の手はしかし虚無しか受けとめなかった。

 近道の路地に入る。甘い香りが鼻を打った。感覚が誤るはずがない、ケーキの匂いだ。時間が反転して、さっきの健郎さんとのやりとりが、からだの間違った箇所によみがえっているのか。

 現状への爆弾を、みた。奇異なことにも、街灯のもと蒼白く照らされて、狭い路地の中央にウェディングケーキが置かれていた。捨てられていたのではない、台座つきで置かれていた。何かの悪意が介在しているのだろうか。その出現に、唐突さと想定内を見分けらなくて、私は自分の喉がひきつるのを感じた。しかしそれはケーキの甘い香りに反応して唾液を分泌する舌の裏を、のどが戒めたということかもしれなかった。

 幻想か願望による結像だ、という当然の警戒心が走る。そのあかしのように、そのケーキは、健郎さんの部屋で私がいったんおもいえがいた姿と酷似していた。てっぺんにマジパンの、新郎新婦人形が鎮座していたのだった。段数をかぞえ、立派なケーキだとおもう。1メートルはある。眼が慣れて、細部が詳しく判明するうちに、その香りもあって絶対にサンプルではないという確信が生じた。誰かに拾われることを念願しているのだろうか。そうおもって、たかがケーキに小動物とおなじ意志を幻想するようにもなる。ただしこのケーキは何か決定的な運命を帯びている――「出現している位置」が、まちがっているのだった。

 今日一日の体験との符合もあって、私はこのウェディングケーキの路上への配置に、ただ無防備に困惑したとおぼしい。今日のからだなら、私から私の手が伸びて、ケーキを虚無にするため、ケーキが確実に抱えられる。その考えなしの挙動によって、私は災いのなかに入り、もう家に帰れないかもしれない。

 それでも私は健郎さんの部屋から離れたときのように、ふたたび自分の脚に力がみなぎってくるのを感じた。「通りすぎるんだ」、私は脚にそう命ずる。通りすぎれば、この巨大なケーキも犬の糞のような無意味へと貶めることができる。

 通りうる幅はしかし狭かった。ケーキが区分している道幅の左右を慎重に見極めた。左がすこし広い。左に入ろうと決意した。

 ウェディングケーキの縁と塀のあいだに、まず利き足の右を差し込む。次に左足をその先にまわし入れようとして、バランス移行が危うくなって、鞄がゆらいだ。

 肩から離れかけた鞄を咄嗟につかむ。一筋たりとも生クリームを掠めてはならない。命法のようなものが作動している。大きな音で打ち出している心臓を注意ぶかく宥めて、ケーキから距離をとるため鞄をもった右手を頭上にあげると、なんと眼路がケーキではなく鞄のほうに向かってしまった。逆光になった鞄の遠い向こうに、金色を帯びた月が優雅に浮かんでいる。三日月と半月の中間くらいの、綺麗というか清潔な月だ。周囲に雲もなく、この女のような月の姿に、なぜか眼が放せなくなってくる。ケーキ脇、中途半端な恰好のまま、私の進退がこうして窮まってゆくのか。

 息だ――そう感じた私は、その恰好のまま静かに深呼吸をした。今度は吸気だけが多いということがない。呼気と吸気に均衡がとれているとおもう。そんな深呼吸を幾度かつづけた。それで脚に集中していた精神力が、全身にうまく分散したようだ。細心の注意をはらい、ふたたび足を運びだす。呪縛はもう切れている。右足、左足、右足。髪の毛にも注意。右足、左足。何とかウェディングケーキの脇をとおりぬけるころには、鞄を掲げていた右腕が上腕下腕とも冷たくしびれていた。無意識のうちに、こまかくバランスをとっていたはずの左手のほうは、逆に汗に濡れ身熱をはなっている。

 ついに、とおりぬけた。ウェディングケーキを振り返る。前姿・後姿の区別は、てっぺんの人形だけからわかる。彼らは次に近づく者を窺っていて、抜けきったこちらにはもう頓着していなかった。その心情が、悪戯ざかりの小動物のようだ。そうおもった私からは、もう余裕が生じていた。

 ケーキが置かれていた、ということではないのかもしれない。逸話が置かれていた、といったほうがいい、ともおもった。私はだからこの奇妙な体験をとうぜん後日、健郎さんに語ることもできるのだが、それを語るには健郎さんが対象として適格を欠いている気がしだした。なぜだろう。振り返るのをやめて歩をすすめ、なぜだろう、なぜたろう、とつぶやいた。このつぶやきもやがて、マジパン、マジパンへと変わっていった。もうウェディングケーキを振り向かないまま、路地を私は出ようとしている。頭のなかにふたたびえがいた路上のウェディングケーキは、どこかあのやわらかすぎたソファーをもおもわせた。

2008年10月02日 日記 トラックバック(0) コメント(0)