ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

自分を試す

 
風邪をひいた。喉が痛い。
関節も疼かず、高温になってもいないようなので、
インフルエンザではないらしい。
どこかで寒い思いをしたのだ。
昨日の外出時から咳き込みつづけ
おかげでさっき起きるまでは
ひどい頭痛がしていた。

さて、既報のように
現在は禁煙実現に向けて
いわば助走段階にいる。

いままでなら風邪をひいて喉が痛んで
しかも喫煙により咳き込んでも
声がどんなにがらがらになろうとも
「風邪のせいで」減煙することはなかった。
そんなに苦労しても
喫煙をしたくなる、という自覚があった。
傷みきった喉に強い煙草の煙、この取合せが
喫煙の原初性イメージを形成するらしかった。
煙草吸いも必死なのだ。

喫煙年数が重なって
厄介なもののひとつに咳がある。
僕は幼年時から学童時まで小児喘息で、
鎌倉への転地療法で偶然、それが治ったのだが、
気管支は以後もすごく鋭敏なほうだ。
それが長年の喫煙で変なふうに過敏になった。
ある場所からある場所に移り、
空気が少しでも冷たくなると咳き込んでしまう。
つまり夜中にトイレに起きるときのみならず、
真夏、外から冷房中の店に入っても咳き込むのだ。

これは現在ではすごくまずい。
他者への寛容がなくなって、
菌発散者は電車のなかにいても白眼視され、
下手すれば撲殺されようという勢いだから。

話をもどす。
「いい具合に」喉が痛くなった。
しかも昨日までは、煙草を吸っていたけれども
同時に脳のニコチン受容部を遮断する
禁煙錠剤チャンピックスを服用中だ。
今日でじつは服用四日目になった。
今日から朝晩一錠ずつ、一日二錠となる。

風邪のときの常として昨日は
どんなに咳き込んでも煙草を吸いたかった。
ただそれで喉がやられ、
咳の衝撃で脳神経がずたずたになって
頭痛もものすごかった。
とうぜん、理性は風邪のこのときこそ、
煙草をやめる好機だと判断している。

ましてや現在はチャンピックスで
ニコチン刺激を遮断中。
一日一錠だったからまだ遮断は緩やかだろうけど。

この今日の風邪が禁煙の引き金になれば
それに越したことはないが、
そうならなくても、
チャンピックス効果により、現段階で
減煙がどの程度まで容易なのか、
それを自己診断できる絶好のチャンスではないか。

じつは今朝未明に起きたとき
枕許においていた煙草に手を伸ばさず
(それは僕にとって「起きる」道具なのだが)、
のど飴に手を伸ばして舐め始めた。
痛かった喉が潤ってゆくのを
ゆっくりと自覚することで起きる準備をした。
喫煙よりも意識が精確な像を結ぶまで
倍以上の時間がかかるが、よしとした。

そうしていまこの日記を書いている。

起床の瞬間に煙草を吸わなくて済むというのは
チャンピックスのニコチン遮断効果が
ある程度、実現されはじめたからだとおもう。
ただ起きてほぼ一時間経過した現在、
自己診断では、喫煙欲望が脳の奥に出始めている。
どうしようか。

体育会的に我慢を通すという選択もあるが、
この段階で一気に禁煙に踏み切ったら
かえって本番、三月三日からの禁煙週間にたいし
禁煙ストレスをあらかじめ学習してしまうことにならないか。

聖書は託宣する。「神を試してはならない」。
僕はべつだんキリスト教徒ではないが、
神をずっと試さずにきた。
悪いことをして
何か超越的な領域が懲罰をもくろむか、
それを固唾を呑んで見守るとでもいった
射幸性の高い生き方を拒否してきたのだった。

僕は自分も試さなかった。
尾籠な例でいえば、
「この据え膳を食うだろうか」と
相手を引き込んでから
自分の欲望を測ったりもしなかった。

ただ現在、ニコチン依存によって
実際は脳から気管支・肺、血管までもを
深甚に傷つけている自分にたいし
自己保存本能がどの方向で発露するかを試そうとしている。

禁煙が理性による自己保存だとすれば、
喫煙が慣性による自己保存。
僕は自己保存性そのものが大事だとおもうから
本当は禁煙・喫煙どちらでもいいのだが、
女房や学生やマイミクさんや禁煙外来までもを巻き込んで
ことさらに禁煙実行を大騒ぎしているのは、
理性と慣性との闘いにおいて
もうひとりの本能的な自己が
スト破りめいたことをしないための防備なのだろう。

むろん禁煙は他人からの強制ではない。自発的意志だ。
歩行禁煙区域がふえて生活がしにくくなったのと
ニコチン依存が昂進し、
一時間半の講義の終わりに
ものすごく煙草が吸いたくなって
どこか授業が上の空になってしまうのが厭なだけだ。
禁煙すると長いものが書けなくなる、というのは
たぶん嘘(短期傾向)だろうという確信も得た。

じつは昨日は咳き込みですごく辛かった。
会社で働く女房とケータイでやりとりするうち
ひとりで帰るのが億劫になり、
僕が読書しているサンマルクカフェに
女房が落ち合う、ということになった。

とうぜん昨日の段階だから喫煙席。
うなぎの寝床みたいな地下施設の店で
喫煙室は込み、煙ももうもうだ。

僕は20代末期に二度ほど
禁煙を試みたことがある。
そのときは一日二本程度までの減煙に一旦は辿りついた。
だが一回目は飲酒時に自己抑制がゆるくなり、
二回目は理不尽な上司に怒りストレス抑制のために、
それぞれ煙草に手を伸ばしてしまい、
堤防決壊にいたってしまった。

ニコチン欠乏のそのときは
他の喫煙者の側に行き、
彼らから出る副流煙をことさらに吸った記憶がある。
それでもニコチン補充が少なからずできた。
このときの禁煙は本数主義で、漸減主義だった。
むろんそれでは喫煙イメージが残存し、
禁煙は成功にいたらないのが眼にみえている。

ところがサンマルクカフェの喫煙席では
僕の躯が他人の煙草に不寛容という、
これまでからすれば信じられない事態が起こった。
すべて煙が自分のほうにたなびいてくる隣席が起こす問題で、
その席に坐るひとは十分おきくらいに代わった。
あるときは匂いが甘すぎてちゃらちゃらしていると不機嫌になり、
べつのときはつよすぎる煙草の煙が僕のほうに流れてきて、
落涙にいたるほど眼が沁みた。
自分ではなく他人の煙草の煙で咳き込みそうになったこともある。

あ、とおもった。
チャンピックスが効いてきているのだ。
煙草を異物として、僕の躯が「正しく」認識しはじめているのだ。

とここまで書いたところで決意。
いま口に入っているのど飴が全部溶けたら
今度は煙草刺激が自分の躯にどう分岐するかを測るために
一本だけ吸ってみよう。

咳き込みは拒絶として出現する。
脳へのニコチン充填は悦びとして出現する。
その悦びが意外に少なければたいしたもの、といえそうだ。

さっきも書いたが現状は少しだけ、
脳がニコチンをほしがっている自覚がある。
それを完全に殺すと、
禁煙ストレスを事後的に刻印してしまう。
まだチャンピックス効果が完全ではなく
禁煙挙行は時期尚早という判断なのだ。

一本吸おう
 

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2009年02月27日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

『ネフスキイ』を語る会

 
土曜日は昼から「『ネフスキイ』を語る会」に出席させてもらう。

岡井隆さんの近来の「日録短歌」が完全開花した歌集。
840首+アルファという大部で、
それゆえそこに関わる視線は
分光器への光のように分散させられるという予感があったが、
案の定、会合も歌集のそうした巨大さを
ずっと傍証してゆくなりゆきとなった。

「未来」参加者が会場の三分の二を占める、というなかで、
平田俊子さん、林浩平さん、僕といった詩作者の面々がわずかにいる。
黒瀬珂瀾、斉藤斎藤、高橋睦郎三氏の基調報告のあとは
会合はごくシンプルに進んだ。
なんと出席者を指名し、基調報告を受けてさらに、
『ネフスキイ』の感想をマイク片手に順に語ってもらうというもの。
栗木京子、石井辰彦・・
歌作者だけが対象になるのか、とおもっていたら、
詩作者もやがて対象になり、僕も喋った。

それもあり、会合は緊張したし、
それだから出席者も精選されたのだろう。
ただ「緊張」といっても、
「未来」のかたがたは岡井さんという最大の才能に
ユーモアにあふれた揶揄も忘れない。
結果、すごく開かれた感触が空間全体にみなぎった。

僕は以前、『ネフスキイ』について
ここに書評記事を載せているのだが、
内容をもう忘れてしまっていた。
おまけに重たいので会合には当該本を持参しなかった。
で、斉藤斎藤さんのレジュメプリント
(彼の基調報告はすごくフィットした)をもとに
その場で考えたことを展開。

日録という形式が生活上の偶有性と関わり、
結局、作歌に随想性がとりこまれ、作歌行為そのものは弱体化する。
そこでは「私性」がとうぜん入り込んでくることにもなるが、
岡井隆の「私性」はかつては「肉の闇」としての重量をもっていた。

ところが現在の老齢では性愛歌の紛れ込んでくる経緯もなく、
それもあって「私」が軽量化する。
けれどもそうした「私性」、「私の軽量」は
じつは短歌形式そのものの本懐なのでもないか。

この本懐は現在若手の口語短歌作者も感じていて、
岡井短歌はあらゆる技法を自家薬籠中にしたうえでの
そうした若手の傾向への同調と反発という付帯機能をもつ。
斉藤斎藤さんの指摘した「時間の断面の小さな空間化」
(岡井はその場所をえがく詩的修辞が柔軟で平明でかつ異趣に富む)は
けっきょく岡井の身体の断面としても成立している。

もうひとつ。『ネフスキイ』は「医療者」岡井の自画像(自写)でもある
(この「ショット感覚」が大切)。
その日録にはシュバイツァーの伝記を読みすすめる経緯もあって、
「医は手段」という岡井の述懐が出てくる。
つまり「医は目的」ではない。
岡井の認識は医療的で、だから全体的なのだった。
医の文学者・鴎外や茂吉への岡井の興味も当然
(その知性は中井久夫などとも似ている)。
言い換えると岡井はまず「私」への臨床医であり、
結果、上記の機微からして、同時に短歌形式の臨床医たりうる。

岡井さんは会場の右隅最前にいた。
つまり会合全体が「本人を無視しての」一種の欠席裁判だった。
僕の席から岡井さんの顔がよくみえた。
瞑目して自分に語られた言葉を反芻し、
ときに苦笑もしていて、人間的なひとだなあと感銘をうける。

高橋睦郎さんの基調報告には動悸を誘う箇所があった。
これも略言すると、
岡井隆の短歌は短歌形式を
「教養」を盛る自由な器とした点に特徴があった。
往年は、短歌形式を教養を盛る器としたのは
塚本邦雄のほうだという謬説もまかりとおっていたが、
実際の私(高橋)は塚本短歌に教養を感じたことがない。
「生きること」と関連のない雑知識が、
目詰まりするようにひしめいていただけ、ということだろう。

語の関係性のみに注意のゆく塚本短歌は、
結局は情がなく、構造的にも体言止めが多くなる。
あとで懇親会で睦郎さんと話すと、
晩年の塚本短歌はとくにその弱点が露わになったと
睦郎さんはさらに指摘なさった。
睦郎さんとは、「草森紳一を偲ぶ会」以来。

岡井さんご自身とも懇親会で長話する。
『朝狩』ごろまでは岡井さんは左翼短歌の旗印のもと
短歌にそぐわない政治用語を器に盛り、
器そのものを軋ませる「臨界の歌人」だった。
詩型に何かを盛ること。
それは詩型から恩寵をもらい、同時に恩寵を授けることだ。

岡井短歌は以後、さらに「本質的」になり、
そこに「私」をつよく盛りこんでゆく。
その「私」を徐々に軽量化してゆくこともまた、
詩型への挑発であり、その本質化でもある・・

左翼的な立脚というのが大きいのではないか。
自分(僕=阿部)は最近、花田と吉本を精査していて、
彼らの思考にはともに
互いにあい似た反転構造があるとわかった。
つまり戦後の左翼的思考はこの「反転」を基軸にしていて、
岡井短歌を底流しているのも、じつはそれだった、
と、そんなふうに岡井さんに語った。

話題はいろいろに飛ぶ。
柄谷の話にもなる。
岡井さんは柄谷さんは詩にうといと公言しながら、
あの切断文体は詩そのものだね、などとドキリとすることをいった。

当日の収穫。
斉藤斎藤さんとは懇親会でも話をして、
クレヴァーだな、と驚嘆する。
なぜ現代詩と現代短歌は並行性をえがくのか。
それはモダニスム詩とモダニズム短歌の並行性ではっきりし、
戦争詩と短歌の戦争詠でも同断。

じつは若手の詩が「無」という吉本さんと
若手の短歌が技法的にすべて把握できるものの
情に響かないという岡井さんにまで
この並行関係がつづいていて、
それだと柄谷~瀬尾育生がしめす
ネイションステイツ内の詩語、という枠組にすべて収まってしまう。
ならばなぜ短歌はその詩型によって
「独自に」「単独に」その表現性の発展が不可能なのか。

この会は江田浩司さんが誘ってくれたものだった。
最初、江田さんが岡井さんに
「阿部さん、『未来』に入りたがっています」と紹介してくれた。
岡井さんは盛田志保子が送ってくれた
岡井隆についての僕の講義草稿の内容をちゃんと記憶していた。

聞くところでは『未来』では選者を定め、
月に十五首を投稿するのが規定だという。
僕などはとうぜん岡井さんに宛てて短歌をしるすことになる。

世界認識を盛る俳句とちがい、
短歌は情を調べに乗せて盛るものだという
変更しがたい考えが僕にはある。
ちょっと前には、高島裕さんの短歌の「情」に驚愕したばかりだ。

ところが自分は理知的人間で
情緒的人間とはちがうのではないかという自己診断もある。
だから短歌をそれほどの分量つくるとなると
自己の組織替えが迫られることになる。
はてしてできるだろうか。

二次会の席は書誌山田・鈴木一民さんの隣で
懇親会に引き続き、さんざん話す。
どんどん「濃いひとだ」という感慨を深くしていった。
睦郎さんが健啖家なのにも驚く。

さんざん酒を飲み、
珂瀾さんと連詩について長い立ち話をしたあと
帰りの電車ではアルコールが回りはじめた。
比較的早い帰宅だったのに、
京王線最寄り駅を乗り過ごし、東府中まで行く。
戻りの電車では今度は終点の新宿まで戻ってしまう。
結局、飯田橋から還るのに
普通なら一時間のところを三時間かかった。

この経緯はケータイで女房に伝えていて、
日曜日、起きてからは女房にさんざんののしられる。
「帰巣本能をうしなった犬」という罵倒には笑ってしまった
 

2009年02月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

寓話

 
――ワタシノ正シサヲ救ッテ下サイ。


――ヨカロウ、シカシ何ノ功デオマエハ正シイノダ?
  語ラレナケレバ、ワレワレハ動ケナイ。


――明ラカナコトヲ、アエテ言イマショウ。
  ワタシハ龍ノ街ヘ行ッテ、ヒトラノ蒙ヲ啓キマシタ。
  驢馬ノ街ヘ行ッテ、糧ト衣ヲ施シマシタ。
  魚ノ街ヘ行ッテ、ワタシト似タヒトノ無辜ヲ証シシマシタ。
  虫ノ街ヘ行ッテ、世ノナリユキヲズット考エマシタ。
  虎ノ街ヘモ行ッテ、虎口ノマエニワガ身ヲ差出シ、
  頭ヲ喰ワレ、喰ワレタ頭ノ、「モウナイ場所」カラ、
  魅了スル声ヲ得テ、ヒタスラ淋シイヒトニ唄イツヅケマシタ。
  ナノニ、ワタシ自身ニハ着ル服モナク、啜ル葡萄モナク、
  心スラ裸デ、イツモイツモ寒イノデス。

――イツモ寒イコトガ正シサデハナイノカ?
  赤裸デイルママガ、イツモ正シイノデハナイノカ?
  ソレデモナオ正シサノ上塗リガホシクバ、
  スデニナイオマエノ首ヲ、サラニ刎ネテアゲヨウ。


  (斬)


――アアッ!


――サア、先ヘ走ッテ、濡レタ瞳ノ、出会ウモノミナニ、
  ソノ魅惑ノ声デ告ゲ、唄ウガヨイ。
  「ワタシハ二重ニ斬ラレ、
  二度モ正シサヲ証シサレタ者ダ」ト――。
 

2009年02月21日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

高島裕・薄明薄暮集

 
開巻わずかにし、次の一首で、おや? とおもう。

うなじ見せ髪洗ふひとを思はしめ蕾うつむくかたかごの花

かたかご。片栗の別名。白く小柄で寂しい花をつける。
蕾の挙止はたしかに、はにかむようなうつむきが多い。
暗い湿地に寂しく群生している。片栗粉はこの植物から採られる。

この歌を読んだ第一観は、片栗の蕾に女性の俤をみた男歌ではなく、
その蕾の寂しさに自身を投影し、自身の未恋をかこちながら
なおかつその生=性に自恃をもつ若い女の歌だ、というものだろう。
作者はしかし、他の歌を読めば自明のように
雪深い地方で、妻帯せず母親と孤独に暮らす中年男、
職種も農業から派遣社員という苦しい道を渡る「男」だ。

短歌形式という問題がある。
つまり、花を中心にした植物を詠むと、
自然にそれは往古からの調べをあふれさせつつ
女歌へと変じてしまう魔法があるのではないか。

作者・高島裕はたぶん、短歌で存在の可変性を希求するひとなのだ。
それは彼の生の苦しさによるところも多いのだろうが、
これほど華麗な変身劇を目の当たりにすると、
いっそ収録歌の個々に署名などなければいいとまで願ってしまう。

註解なしで圧倒的な彼の自然詠を転記打ちしてゆこう。
そこから聴えるのは繊く、凛とした「女声」にほかならない。

鶸(ひは)ひとつ雪の梢を翔(た)ちにけり萌黄のこゑをそこに残して

花の下くぐるときのま幽かにも冷たきものがわれを包めり

咲き満ちたるまま夕暮れて桜花かずかぎりなき声となりゆく

そつと包めば蛍はともる、われの掌(て)の底に寂しき街あるごとく

月光(つきかげ)に泛びてそよぐ笹葉群(ささはむら)そこにひそかに昼つづきをり

月うけて笹群(ささむら)蒼く凍れるを残像として今日を閉ぢたり

雪掘れば雪の底ひに眠りゐる果肉のごとき青に出会へり

ひとりゆゑひとりの影をひきつれて朝々を行くわれもつばめも

薄明か薄暮か知らず ひとり目覚めて生まれたままの寂しさにゐる

掲出、最後の一首は
この高島裕の歌集『薄明薄暮集』(ながらみ書房、07年9月)の
書名の由来ともなったもので、歌集の掉尾に置かれている。

歌集は整序意識にみちて
春夏秋冬・羇旅・恋・雑(ぞう)の部立に分類され
五十首百首の単位で各章が並んでいるが、
あえて章を度外視し、一挙に女声歌を列挙したのだった。

ともあれ静謐な精神を感じる。
たとえば高島裕には仰角という特有の視線もあるようで、
それは裏返って、身の卑小さの演出をする。
恐怖にちかい感覚が謡われることもあるが
最終的には視線の方向性は祈りへと転じてしまう。
また、「上方(じょうほう)」が形象でなく音にみちることもある。
そうした機微をあきらかにすべく三首を連続掲出する。

花の下より見上ぐればいつせいに花の眼(まなこ)がわれを見下ろす

新雪の上(へ)に仰臥して目をこらす なほ降りつづく雪のみなもと

列なりてわが直上を行くときのかなしき声をかりがねといふ

二首目はひとつ前の日記の書き込み欄に引用した、
西東三鬼の名吟《われら滅びつつあり雪は天に満つ》をおもわせるし、
三首目中「いふ」には、河野裕子の名歌、
《たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり》の
「言へり」をおもった(女性的な決意こそが「言ふ」ではないか)。

安永蕗子への対応意識がはっきりした名歌もある。以下。

千年を情(こころ)のままで暮らし来ぬあるときは泥あるときは花

国を問ふ切なき声よ朝露の助詞助動詞を日本と呼べり

これは歌書中の二首連続引用で、
一首目に《日本といふ国。》の詞書がなされている。
それもあって、安永の
《日本に依り韻律に倚ることの命運つひに月花を出でず》をおもってしまう。

むろん高島は花鳥風月のみを抽象美として昇華する歌人に終始するわけではない。
生活詠から境遇がおのずと明らかになる例だってある。
ただしそれは通常、出来の点で見劣りがしてしまう。たとえば――

麦ばたけ夕日にゑまふ頃ほひをわが帰りゆく軽(ケイ)を駆りつつ

作業着のままで見に行く川花火 あぢさゐ色の少女(をとめ)ら流れ

ころころと芋の出で来る嬉しさに鍬振りてをり暑き夕べを

「軽」一字が軽トラックの略語と気づけば彼の労働の質がわかる。
「作業着」「鍬」でもそれは同様だ。それで作者の性別も判明する。
だがそれだけでは歌の調べが弱いままとなる。

ところが奇妙なことが起こる。
そこに正統な男声がとりついたとき韻律が今度は男性的に締まり、
高島の男声歌というもうひとつの個性が現れるのだった。
なんという変身容易性。
きっかけはやはり岡井隆との対照性を自身に降誕させることだったろう。

陽光は蜜のごとくにのしかかる。駐車場までひとり歩けば

四方(よも)の蝉聞こゆるままに眼(まなこ)閉づ このときのまぞ、夏の頂

一首目は「。」の使用が最近の岡井短歌写しであるというほか
「蜜」の主題も岡井、
《蒼穹(おほぞら)は蜜(みつ)かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶》
を想起させる。
二首目の口調が岡井をおもわせるのも明らかだろう。

この男声歌にはやがて異様な寂寥が混入しだす。
彼の労働環境を想起すれば、胸が塞がれるようなおもいとなる。列記。

四十歳(しじふ)われに幻肢のごとき夏休み、八月尽はいたく淋しも

思ふさま書(ふみ)読み暮らす秋一日(ひとひ)ふいに激痛のごとき寂しさ

横ざまにふぶくゆふべは空も野もほのかに赤し ここで生まれた

苔濡らす滝に対(むか)へばわたくしが滝そのものになる刹那あり

一首目「幻肢」は「ファントマ」ともいい、
事故切断後のいずれかの四肢が
「もうないのに」、痛む脳神経特有の症状をいう。
二首目は《ひさびさの休日。》という詞書とのスパークで哀しみが深まるだろう。
「激痛のごとき」の直喩が素晴しいが、ふとマラルメの
「あな肉体は淋し。われなべての書を読みき」とも交響する。
三首目、一字空白ののちの、原型のような口語文体の侵入は
これまた淋しさの窮みゆえのことだろう。

あ、とおもう。高島裕は保田与重郎を愛読しているらしいのだ。
本質的和調のなかに女声の艶麗と男声の寂寥が混成し、
日本的季節が荘厳されるというのはこの保田の影響からではないのか。

春雨はよろしく石を濡らせるに蛇足のごとき涙流せり

与重郎読みゐる真夜に顫へつつ苦しき野より返信とどく

「蛇足のごとき」の直喩が苦い一首目は
《義仲寺、保田与重郎先生墓前。》という詞書がなければ読みが成立しないが。

高島の男声歌は、やがて烈しい振幅をももつとも理解されてくる。
労働疎外なら、次の歌でわかる。
《派遣先の食品工場でライン作業》という詞書のある一首目も、
「下部構造」(マルクス主義的には「経済」と理解してよい)という一語に
自身が閉じ込められてしまった二首目も、
それぞれ切っ先するどい社会詠と呼ばねばならない。

8:00から17:00まで隙間無く流るる瓶の灼熱の川

人一生(ひとよ)昏き脚もて足掻けるを「下部構造」と呼びて澄ましゐき

これらの苦衷はやがて時代錯誤的・政治的「妄想」に結びついてもゆく。
いや、次に掲げる二首目は不穏ながら、
グローバルスタンダードの旗のもとアメリカ属国化する自国批判だった。

北一輝の肖像蒼く刷られゐる日本銀行券 夢に見つ

星条旗に描き加へたる星ひとつかつて日の丸なりし赤星

おそろしい自嘲の一首もある。作者の家が富山の辺境にあるとだけ註記すれば、
あとはその歪んだ自画像の迫力のみを味わえば済む。

おのが妻を他(ひと)に抱かするヴィデオなど需(もと)めて炎昼の県都まで来ぬ

しかし、この女犯願望は、世界の女性性を欣求する自己肯定にもすり変わる。

わが道に雪よ降れかし雪降らば寂しさは花、世界は女身(ぢよしん)

ではこの歌作者は女性にたいし悪辣な欲望をただおもいえがくのみなのか。
そうしてこれまでの論議のうち秘匿していた部立「恋」に
言及せざるをえなくなってゆく。

部立別に章構成された整序的歌集だとすでにしるしたが、
その部立構成を隠れ蓑に、
その展開が自己暴露的な衝撃力をもつ野心的な構成でもあったのだった。

そう、大きくいうと、四季の植物詠の女声性に陶然としたのち、
前出、「ヴィデオ」を唄う不埒な自画像のような歌がある。
このあいだを埋めるのが子供ある未亡人に「恋」をした
作者の純情歌の数々だ(それは悲恋に終わる)。
つまりこの歌群が本歌集の男声歌の中心で、
読み手は植物詠・雪詠の華麗と、恋情詠の切迫とに引き裂かれ、
結局は「短歌という器」が
作者変容の恐ろしい契機だとまずは知ることになる。

けれどもここでの恋情は
じつは男女どちらの種別でも変わらないという交換可能性の逆説ももつ。
高島は、いわばらんびきにかけて、短歌形式から性差を沸騰・消滅させ、
その情が叫喚にまでいたる機微を展覧するのだった。
つまり生活詠に即した具体的自己がこの歌集のなかにいようとも
作歌を契機に短歌媒体自体の変貌可能性を測定する、
一種、抽象詩のつくり手として高島がいるのではないか。
そのような読み筋でこそ、この『薄明薄暮集』が最大恐怖の光芒を放つ。

さて恋歌は最初、意中となる女との出会いを綴る。
スーパーのレジ係の女性の色白に悩殺されるというそれは
そのあまりの凡庸さ・散文性に、読者が赤面すること請け合いだが、
僕自身はこれを、やがて情の性差を消すための罠ともとった。
まずはそのくだり、冒頭三首ほど引用してみよう。

雪色のひとに出会へり冬の日の灯(ともし)あかるきレジを挟んで

ショーケースにケーキを並べてゐるときの遠目に見ゆる指さへも雪

しろがねの釣銭を手に受けるときぬくみほのかに指の触れたる

ところがこのありきたりの邂逅は情炎の恐ろしい孤独のゆらめきを結果し、
結局、短歌形式の可能性そのものに接触してしまう。順番に引用する。
読者は恋の進展が焦燥や彷徨、
ときに「ストーキング」に近い危険を孕みながら、
やがて季節昇華といったものにまで結実してゆく圧倒的な流れを知るだろう。

底知れぬ明るさとして立つひとを一塊の火となりて見凝めぬ

吹雪野へひとり車を走らせて日すがら白く迷ひ抜きたり

拒まるるたびわれの野に萌えあがる詩想のごときもののかずかず

体でも心でもない。薄闇に熱(ねつ)湧きやまぬこの場所が君

宵闇に蛍かがよふ岸にゐていちにんの頬(ほ)を思ふ、激しく

人づてに「迷惑です」を伝へくるあなたへ渡すまぼろしの橋

隣国をときにするどく憎むごと真夏真昼間女(ひと)を憎みぬ

われといふ瓶(かめ)をしづかに盈たしたる素水(さみづ)と思ふ、九月のきみを

謎のまま恋ひわたり来つ謎のまま着馴れし衣(きぬ)のごとくなりたり

雪豹のよぎる疾さに移りゆくきみの心の色をたのしむ

目合(まぐは)ひの原義を思ひまひるまの廊下のはてへ送るまなざし

目を閉ぢてきみの内部のくらやみを流るる水の音を思へり

ここにきみ居よと念じて鷺渡る薄暮の川をひとり見てゐる

とうぜん別離確定のち、恋の収束をしるす幾つか歌もがあり、
そこでとうとう「きみ」が完全に溶け、
いわば季節そのものとなる昇華的認識もそこに続くはずなのだが、
それらは経緯を伝えてもすこし力が弱く、ここには採らなかった。

けれどもたとえば「ここに居よ」の一首の情の凄さ・寂しさは何だろう。
むろんこれが短歌的普遍だ。
これらの歌にたいし「相手がよかっただけ」という
事件性のなかでの納得を僕自身はしない。
これらの歌に接して、高島裕の寂寥の「普遍的な」深さが
歌集全体にわたって瀰漫してゆくためだ。

たとえば最後に引く以下の三首は、
この仮面をとったりはずしたりという
アクロバットも時に印象づけるかもしれない歌作者が、
実際はその顔貌も名前を考えなくてもいい
無名の声を良質に響かせるだけの「誰か」であっていいとただ告げる。

群青のつばさわが背にあるごとし世の人に名を呼ばれて立てば

亡き父の寝床の位置にわれも寝て見分けがつかぬまでに肖(に)てゆく

百年の家居の闇に抱かれつつ童形のまま老いゆくわれか

なんとも素晴しい歌集だった。つい歌を引用しすぎてしまった。
 

2009年02月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

親鸞・吉本・雪担・金石

 
本当の宗教者の言葉は、譫妄の渦中から
発せられているような衝撃力をもつ。
熱量が通常とまったく異なり、
その異質性によって傾聴を動機づけられてゆく。

異質性は分類学的なもので内容分析することができるだろう。

・独自の概念が高い頻度で混入している。
・しかもそれらは世界内の具体的事物と高度に結びついていて、
その分離不能性がひたすら強靭と映る。
・比喩は理解への武器としてもちいられるが、
比喩の通常――「順接」ではなく「逆接」をも多く内実していて、
語られることの方向性が、困惑どころか驚愕をあたえ
聴き手の身体対象化を不可逆的に組織してしまう。
(以上の項目が詩文の成立条件と酷似する点に注意)



吉本隆明『最後の親鸞(増補版)』(春秋社、81年)を読んだ。
「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」の悪人正機説が
「なにぬねの?」の一部で話題になっていて、
ただ吉本のそれにたいする考えはかなり単純に整理されている。
たとえば以下――。



法然が説いたところは、
のちに親鸞が記しているように、
〈知〉と〈愚〉とにかかわらず、
また、〈善〉と〈悪〉とにかかわらず、
他力の念仏だけによって生死を超える道であった。
しかし結局は、親鸞の理解によれば、
本願他力なるものは絶対他力までゆくよりほかない。
そして、絶対他力にゆくためには、
〈知〉と〈愚〉が本願のまえに平等であり、
〈善〉と〈悪〉もまた平等であるというところから、
〈愚〉と〈悪〉こそが逆に本願成就の〈正機〉である
というところまで歩むほかなかった。
もっとも仏から遠い存在は、自力で仏に近づこうとしない。
いわば、他力にゆきつくよりほかすべがない存在である。
だから存在すること自体が、
絶対他力に近づく極北であるような存在をさしている。



本質的宗教論でありながら、
考察されている対象は、親鸞的「衆生」から吉本的「大衆」へ
分流してゆくような趣もある。
そして吉本の言葉の熱がたぶんここでの問題なのだった。

彼の『マチウ書試論』も当時の政治状況
――前衛党批判論に負う結構をあかしながら
〔※ユダヤの民にとってマチウ書(マタイ書)の置かれた
責任追及的な位置を吉本は強調する]、
けれどもイエスの具体的教説に記述が入り込んでゆくと
崇高な譫妄性を発する機微があった。
僕などはそちらのほうに惹かれたのだった。

吉本は戦争責任論、花田論争では
激烈というよりヒステリックな言葉を発し、
その世代性の生臭さは現在の読者を辟易させるだろう。
「詩人」の自負、といった病性の問題もそこにからんでいる。

ところが『言語美』『共同幻想論』でその圏域を一気に突き抜けてしまう。
自負によって文章が正義を産出しようとするのではなく、
展開の圧倒性によって
詩的直観におおわれた文が別地点に飛翔してしまった。
花田派は当時あまり表立っていなかったが
吉本のこの飛翔によって対象を見失った恰好にもなった。

話をもどす――『最後の親鸞』だ。
吉本のこの本が「悪人(愚者)正機説」の考察結果を自明性に置いて、
親鸞的「往相/還相」の考察に力点を置いたことは知られているだろう。
この考えは、親鸞が浄土宗内の先行者・曇鸞の思考を発展継承したものだ。
曇鸞『浄土論註』の肝腎箇所の吉本私訳を孫引する。



往相というのは如来がじぶんのもっている功徳をあげて、
すべての衆生に向けて施して、
一緒にかの浄土に生まれてからあと、
静かな心の統覚と、正しい智慧をもってする察知力を得て、
すぐれた手だての力を成就したならば、
生死の迷いにみちたこの世の樹林に戻ってきて、
すべての衆生を教え導いて、
一緒に仏のさとりに向かわせることである。



吉本はこれを土台に、『歎異抄』に採られた親鸞の言葉につき註記する。
圧倒的なことが書かれている。



念仏によって浄土を志向したものは、
仏になって浄土から還ってこなければならない。
そのとき相対的な慈悲は、絶対的な慈悲に変容している。
なぜなら、往相が自然な上昇であるのに、
還相は自覚的な下降だからである。
自然的な過程にあるとき、世界はすべて相対的である。
よりおおくの慈悲や同情や救済をさし出すこともできるし、
よりすくない慈悲や救済をさしだすこともできる。
しかし、さし出された慈悲が、実現するかしないか、有効か否かは、
慈悲をさし出す側にも、慈悲を受けとる側にも根拠がない。
ただ相対的であるこの現世に根拠があるだけである。
自覚的な還相過程では、
慈悲をさし出すものは、慈悲を受けとるものと同一視される。



還相とは悟達した者のこの世への凱旋ではない。
吉本は、「戻る」ということの衰弱を前提にしている。
それが「下降」という用語にはっきりと映る。
しかもその戻りによって対立物が合一をみる。
それで慈悲を受ける者/ほどこす者の弁別すら消え、
なにか光の弱い風土で、統一体ができる姿が夢想されているのだった。

しかしこれは親鸞、吉本どっちの夢想なのか。
吉本は『歎異抄』の当該部分の私訳を掲載しているだけ。
だから『歎異抄』本文にあたらなければならないが今はその余裕がない。

ただ、この吉本的な「還相」の強調は思考内での拡張使用が可能だ。
たとえば死の側からの視線もまた「還相」特有のものなのだということ。
《親鸞が、曇鸞の『浄土論註』にならって「往相」と「還相」をとくとき、
ある意味で生から死の方へ生きつづけることを「往相」、
生きながら死からの眺望を獲得することを
「還相」というように読みかえることもできる》。
資本主義の低迷にあえぐ現在の人は、この「死からの眺望」の「死」に、
「自然」「貧困」「発展終了性」「欲望終了性」などを代入することもできる。

いずれにせよ、「往相」「還相」は
吉本のライバル花田清輝の思考的鍵語「ブーメラン」をもおもわせる。
花田の「ブーメラン」もどこかで弁証法から外れているところがあるのだ。
アクロバティック、という印象をそこに加えてもいい。
そうした花田的な吉本は、この『最後の親鸞』のなかでは、
僕の知らなかった親鸞的思考の鍵語、「横超」の真髄を綴るとき現れた。



口にも文字にもあらわせないような、思惟を超えた信楽、
そこに具象化される〈真実〉と〈虚偽〉との距たり、
あるいは如来と人間とのあいだの距たり、
それを一歩でも縮めようとする所業は「横出」であり、
他力のなかの自力であった。
だがこの絶対的な距たりの自覚において一挙に跳び超される
〈信〉楽の在り方こそが「横超」と呼ばれた。
絶対的な距たりを縮めようとする行為は、
遠まわりの善であるという逆説の完成こそが親鸞の教理的な精髄であった。

すこしでも善の方へという志向性は善への接近を意味しない。
むしろ絶対的な距たりを知ることは、
その距たりを一挙に跳び超えるものである。



偏向をふせぐため、読書は宗教書つづきにし、
「現代の道元禅師」と呼ばれる川上雪担さんの、
『雪担老師語録』(リフレ出版/08年)を読む。
新潟県東山寺のこの住職の、「譫妄的崇高性」の言の数々は、
「68年世代」詩人と呼ばれながら長く沈黙、北見に住んで
その後ついに静謐な祈祷詩集『星を聴く』をもって復活した
あの金石稔さんがまとめたものだ。
この本に出会った機縁は、金石さんの恵与にあずかったため。
その彼のあとがきによると
雪担老師の言の抜書きにネット上で出会った金石さんが感激、
自分の意志で編集を進めたということだ。

書物は第一章が長い。老師による「般若心経」の独自の註解が、
語りことばで、しかも行分け多用の形式で
一行もしくは数行ごとに連続してゆく。
異言者あるいは預言者特有の奇態な日本語、
助詞も溶け誤用され、分節も崩壊しているようにみえるが、
強度に圧倒されて読みすすめると、卑近な例示も交えたその向こうには、
真理におそろしく迫る思考と博覧強記が伏在しているとみえてくる。
この老師の異言性をそのまま露出した金石さんの編集仕事は、
まさしく「詩人」のものだった。

第二章「法語」から、いろいろ引用してみよう。
まずはギョッとしながらも
雪担老師の本質を一挙につかんだ以下のくだり――



「人の死ぬるやその言やよし」
とは、同じく死語になりおわる、いやわしはそうは思わないです。
「坊主になってよかったことは、人の死に顔に接することです」
そう云うと、変な顔する人多いですが、
死人を仏という、示寂、寂を示すというんです。
たといよれちまったろうが、楽をしようが、そんなことには関係ない、
妄想曖昧模糊が失せるんです、生まれ本来の器に帰るんですが、
「どうしようもこうしようもない人間」
がたった今おしまいになったです=仏。
荘厳ですよ、わしら坐禅して坐の工夫がうまく行っていると、
死人の顔になります、はい寂を示すんです。



この日記の冒頭にしめしたことは、
たぶん吉本隆明より川上雪担にさらに適合するだろう。
その彼の閃光の言葉を以下に引く。
具体像が発話にどう取り込まれ、
聴き手のほうがどう対象化されるかに注意を払っていただければ。



一番上の位は如来さん、釈迦如来阿弥陀如来という、
むずかしいこたないです、
如来に返り点を打ってごらんなさい、来たる如しです。
他なーんもないんです、
おまえはだれだという、たいていの人、
くわしくはCD一個分ほどの履歴云々もって、
だからどうなんだと云えば、その回答はっきりしないんです。
下らんですよ。
達磨さんにおまえはだれだと聞いたら不識、知らんわいって答えたそうです、
知らないんです、来たる如しなんです。

花のように知らないんです。

どうですか、雀もたぬきも草木も空の雲も、
たいていこの、知らない部類に入るんでしょう、
人だけが知っているんです、知っている分嘘なんです、
騒々しいのは淋しいんです、
いいですか仏教が何を云っているのかわかりますか、
「人間も人間をそろそろ卒業して」と云っているんです、



この雪担老師の言葉には、親鸞の「還相」にも適用できるだろう。
さきほど引用しなかったが、吉本は「還相」で獲得されるものが
「非知」だと言明していたのだった(これも詩作と同じだ)。
浄土真宗、臨済宗の差異は雪担側からいえば只管坐打の境地だろうが、
同じ仏教の教理上の枝分かれだから共通項は無論このようにある。
ただし「禅味」の認識は不可視と可視を、苛烈な綯混ぜにもする。
以下の恐ろしい言葉を、ぜひ味わって読んでもらえれば。

《無常迅速だ、はかないだの、他の詩人の言葉を借らないんです。
我無うしてものみな、無常を見ることは不可能とを知る、これ仏教。》

浄土真宗の来迎の視線にたいし
禅宗の視線は「みない」ことで成立するのではないか。
以下はどうだろうか。



やがて死ぬ景色も見えず夏の蝉

蝉のように二百パーセント鳴いてごらんなさい。
いいですか百パーセントじゃまだ自分の皮つら残るんです、
色即是空パーラミターとほうらね、
あっちとこっちと一つこと二百パーセントでしょう。



おもわず論理展開に安直に納得しそうになる。
空蝉は夏に数多くみるが蝉の屍骸はみないなあと。
それは蝉が鳴く命を二百%燃焼させて、
自身を完全焼尽させたためだと。

そう考えて、いや蝉の屍骸なんて沢山みているじゃないかと反論が出る。
いや、出そうになって引っ込める。関係ないのだった。
「見殺すこと」が
雪担老師のなかでは叡智として組織されているのだから。


【上のミクシィアップをしたのち三村京子さんから
ラスト前の「見殺す」が仏教的認識にふさわしくないのでは、
と質問があって、それにたいし返答した一文(追加)】

すごく良い指摘です。

生き物を「見殺す」ということは、
基本的には仏教的慈悲にありえない。
釈迦の説話でも
虎に生身をあたえようとした話はあるし、
自然物と融和的であろうとした仏教精神では
殺生戒が普遍的だった。

つまり、そこのところはもう少し説明が要った。
内情をいえば、女房の帰宅時間が近づき、
記述を切り上げてしまったのです。
せいぜい「見-殺す」とか「見/殺す」とか
表記すべきだったかもしれません、
含みをもたすために。

僕がいいたかったのは「禅機」の問題でした。

現象を観念にして
観念にすることで現象を見殺さない、という
認識の再帰性みたいのが禅機にはある。
たとえば四角形をその形の閉塞性から円形に変型してしまい、
その円をもってすべての三角や四角や多角形に
救済をあたえるという認識の超越みたいのが禅にはあるのです
(それが彼らの理想境、「無」へと昇華する
--だから掛軸に「○」が書かれたりするのです)。

あるいは、ふたつのものがあるとする。
その一方に眼をつぶることで、
双数性の概念を温存しながら、
全体を点滅過程にしたりもする。

そういう現象を観念に替える操作のなかで
現象が一旦は「見殺し」にされる。
「見殺す」ことが認識の契機になる。

たぶんオウムのポアなんかは
そういう仏教的思考方法の悪用ですね。
彼らのポアは殺しと往生との短絡なんだけど
往生させるために殺すということは
すでに殺さないこととも同じだというのが
真の仏教的発想なんじゃないかな。

あ、多くの俳句がこの禅機を活用していますね。

正岡子規の

鶏頭の十四五本もありぬべし

の、「十四五本」という曖昧な把握は、
子規が病床から庭をみたからだという
リアリズム解釈が一般的だけど、
「十四五本」と修辞したからこそ
鶏頭という対象の具体性が「殺され」、
鶏頭群生の幽玄な概念が立ち上がってくる。

あるいはあんたの好きな西東三鬼を例にとろうか。

蓮池に骨のごときを掴み出す

リアリズム解釈では「骨のごとき」と比喩されたのは
蓮根ということもになるのだろうけど、
具体的な蓮根はここで「見殺され」、
やはり蓮根と骨の中間体のような--
つまり具象と観念の中間体のようなものが
ここにじつは出現している。

三鬼でもう一句。

われら滅びつつあり雪は天に満つ

これは「われら」「天」が二物対立の構造だけど
「滅び」の語が中間に置かれたことよりも、
二物が併置された、ただこのことによって、
「われら」「天」が相互に殺され、
消滅を迎えるような運動を感じさせます。

しかしその消滅を荘厳するものがある--「雪」です。
これなどもすごく禅機のはっきりした一句だとおもいます
 
 

2009年02月19日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

昨日は

 
昨日は榎本了壱さんたちとしこたま呑んで、
そののち榎本さんのご自宅兼事務所にまでみんなで押しかけ、
寺山論・俳句論・60年代論・
セゾングループ論・女性器論等を延々交わしあい、
大盤振る舞いともいえる榎本さんのご著書連続寄贈にまであずかり、
結局はタクシーで帰宅したのがもう朝の4時前だった。
こんなに愉しい酒は滅多にない。

おまけに俳句の投句にも誘われた。
僕の俳句をいい、といっていただいたのがすごく嬉しかった。

おかげで今朝は10時起き。
起きると、何と女房が家にいる。
「体調が悪くてお休みしたの」。
あほたれえ!
以後、女房のだらだらの身体性がこっちにも移り、
結局、やるべきことをだらだらこなすうち、
試写に行く気もうせてしまう。

いま女房がつくっているオムライスを食べたあと
また昼寝だろうなあ。じつにダルな一日だ。



何か散々ミクシィでの詩作発表を説いたせいか
マイミクの日記やそのやりとりが急におもしろくなってきた。

小川三郎はすごくいい詩をアップした。
うみきょん日記への僕の書き込みも詩的で、すごくいい。
なにぬねの?では近藤-高塚の連詩バトルが
血で血を洗う壮絶な成行だし。
そうそう、世の中、こうでなくっちゃ。

となってtaitaiさんもスタンザを連続アップして気を吐く。
それで以下に貼るのは
taitaiさんの四つのスタンザから僕が適当に語を拾って、
再構成したもの。
返詩のつもりで書きました。読んでみてください。



聖美術犯
扉のなかをかけめぐる
「俺を開けろ」が標語
--「道を開けろ」ではなく。
世界の膀胱がそこにふくらんで
あらゆる金色も禁となるが
鳥の目はやがて点数から離れ
指先から現れでようとする文字すら
圏点だらけになってゆく。
胡麻だな、鳥は開かない
 



榎本さんと僕の出会いのきっかけをつくった
榎本さんの『東京モンスターランド』の書評を
下に貼っておきます。
もう掲載からだいぶ経ったので許されるでしょう。
すごく柔らかく雑多で、気持いい読み応えのある本です。


○快走感に満ちた時代証言
--榎本了壱『東京モンスターランド』
(東京新聞=中日新聞08年12月7日付)


現在なら「誰でもピカソ」の駄洒落好き審査員として、小ぶりでハシっこい榎本了壱は、ワケのわからない人、と一般に認知されていると思う。
粟津潔門下のブック(雑誌)デザイナーとしてキャリアを開始、寺山修司の「天井桟敷」に様ざまな局面で関わり、盟友・萩原朔美とは雑誌「ビックリハウス」を立ち上げた。
同誌のスポンサーは増田通二のパルコ。
以後も黒川紀章の日本文化デザイン会議に参加、今は日本各地で展覧会のプロデューサーも務める。

団塊世代だが、党派を作らない。
蜜のありかをもとめるうち受粉を導く蜜蜂のような存在。
あらゆる仕事をやるのも分裂的な資質のなせる技だろう。
狙いではなく後天的に、人脈や文脈がこの人の足跡に生じてくる。
だからこの自叙伝『東京モンスターランド』も脱領域的な時代証言でありつつ、厭味のない快走感に満ちているのだ。

聖なる七〇年代対抗文化を、文化資本へ再編成させ陳腐化させた誘導剤という榎本への非難は当たらない。
彼がデザインした「季刊フィルム」のハイブラウ感と、「ビックリハウス」の、エッジが混浴のなかでとろけてゆくだらしないレイアウトの落差も、潮流変化の転写だった。
「ビックリハウス」創刊直前、榎本は天井桟敷のヨーロッパ公演参加ののち、欧州各地からインドまでを転々とした。
この記載が白昼夢に似る。
七〇年代が八〇年代になるにはこんな空位期を誰もが経過したのだった。
感銘の一節。

本が後半を過ぎ、交配者・榎本が加わった座談会記事のフラッシュ構成となる。
寺山修司、杉浦日向子など物故者の真の面影もここにたつ。
都知事選などで不思議な晩年爆発をした黒川紀章は、共生体の条件を都市デザインの分野から真摯に示していたと、このごろ考えているのだが、相互の異質さがコミュニケーションの前提だと語るここでの黒川の言が、今更のように強く迫ってきた。
 

2009年02月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

待ち時間が半端なので

 
本日は要件があって、ずっと待ち時間だったんだけど、
要件が遅れ半端な時間ができてしまった。
なので、状況に合わせ、半端な日記を書こうかな、とおもう。

一個は前の日記「飛/攻」に延々続いた書き込みで
書き落としたこと。
ネットの属性について。

僕は現今、情報プアが若いひとのあいだに進行している
という実感があって、
そのうちに彼らの参照領域から
新聞、TV、書籍、雑誌等が脱落してゆき、
最終的にはネットだけが
参照媒体になってゆくだろうという悲観をもっている。

となって、ネットに「作品」が存在しないと
たぶん「作品」が悲惨な末路を迎えるだろうとも予想する。
それで、ネットに「作品」が蔓延する逆転を考えざるをえない。

ただし書籍文化が一挙に終焉を迎えるような
大変動が起こるという悲観論もまた現実的ではない。
つまり、書籍を買えなくなった情報プアが
積極的に図書館を利用する逆転要素も秘められている。

このとき、本を買える優位性にある者がつくりだすネット情報は
情報プアが借り出すべき本を伝える義務があるともおもう。

今後はネットと連動した図書館が情報殿堂となる。
映画評論の分野でいうと
図書館営業が完全に成功すると、
全国で2000部がはけるという。
これを制作費自腹、最大部数500の詩集に適用できないか。
そうすれば自腹切りもなくなる。

廿楽さんの日記の書き込みに書いたが、
表現者を助成する第三者機関が必要だ。
しかも、匿名と成員のくじ引きで。
この機関は助成金を出さなくても
たとえば図書館に購入を推薦するだけで
詩作者を救うことができる。
その動きをつくるように
ネット上の詩作者たちは、自分が素晴しいとおもった詩集につき、
具体的にして全体的な評を書かなければならないのかもしれない
(僕はその作業を明日からおこなう)。

もう一個。
現在ミクシィで起こっている齟齬は
以下のような端的な図式でまとめることができる。
「ケータイアクセス(作文)派vsパソコンアクセス(作文)派」。

みよちんの書き込みで鮮明になったが、
僕の不平不満は
ケータイ依存性によって
ミクシィの共同性が
動物的(昆虫的)反射神経によって侵食され、
表現の沃土がデータベース消費にさらされている点にあると
総括できるようだ。

PC的ネットがケータイネットと敵対する--
これがたぶん現在の技術革新の型だとおもう。
類似が差異を噛みあうのだ。
姉妹的技術であったのに、なぜこんな面倒な事態になるのか。

それはビデオ→LD→DVD、
あるいはレコード→カセット→CD→デジタルテープ→CD
といった媒質の帰趨(変化)とも似ている。

ところが問題はそれだけではない。
どういうか、「人間の適応性」といったものが
さらに問題圏を複雑にもしている。

たとえば「なにぬねの?」近藤弘文くんは
ケータイ適性が強烈に高く、
詩作も気に入った詩の転記打ちも
すべてケータイアクセスでまかなっていると
衝撃の告白をしている。
彼の分断性の高い詩行の運びは
異様で素晴しい独創なのだが、
どうやらそれはケータイの媒体性に負っていると踏んでいる。

となって、女子中学生に訊いてみるといい。
近頃は名短篇のダウンロードサーヴィスもあるようだが、
ケータイで一番読みたい小説は何か、と。
「ケータイ小説に決まっているじゃん」と応えるだろう。
ケータイ小説はケータイの液晶画面とスクロール機能と視角、
それらの限定性が生み出した
メディアに根ざした表現なのは間違いない。



今日の待ち時間、
前田英樹さんからご恵贈いただいた
ちくま新書『独学の精神』を読んでいた。

大学改革の方向性を啓示した本かと身構えたが、
「身ひとつでなす」智慧・技術・思考がどんな体系を負うかを
新書らしい平明さで綴った倫理的な書物だった。

二宮金次郎が最初、話題の中心になり、
道学臭のつよい本かと誤解しそうになったが、
前田さんの家の改装をひとりでおこなう大工さんの話が出てきて、
鉋がけなど、前田さんが驚嘆する
「技術」を描写するくだりになると、
例のごとく--つまり剣道における重心のつくりかたや
セザンヌの目の考察にも似た、
アフォーダンスにも通じるような
描写の厳密な細緻が現れてきて
(といって、前田さんの流儀は
精密さを期すために無駄に膨れ上がることが一切ない)、
ああ、「見切り」がやはり剣道の達人だと嬉しくなってしまう。

しかも参照系がそのあたりからどんどん発展していって、
孔子→宣長→藤樹→宗悦→保田と
とどまるところを知らなくなって、
そうして最後、お馴染みのベルグソン登場と相成る。

大工的技術を支える「勘」は
個人の身体や気候条件など多様性に負っていて、
木との対話性をも内側に繰り込み、
それは化学的建築資材を組み立てる建築士的設計とは
知的体系がまったく異なる。

その木との対話をする場所が「身ひとつ」ということであり、
「独学」はそこから芽生える。
芽生えつつ、徒弟制度では継承も着実におこなわれてゆく。
これこそが叡智の姿だと。

それから前田さんの筆は農耕的な叡智にも及び、
知性の植物性と動物性との対立をより露わに描いてゆく。

この本の結語のひとつは「米を食べよう」。
こう書くと、
あっけらかんとしすぎているか
何かの回し者の意見かと誤解されそうだが、
その結語が読みすすめてゆくと実に気持よかった。
前田さんの剣士的に爽やかな風貌が蘇る。

そういえば、小池さんと僕が
例の池袋ジュンクのイベント後の飲み会で
まるで前田さんを
インタビューするおもむきになったことがあった。
剣道的身体の基本とは何か、ということ。

相手とつくる場が問題で、
踏み切る、引くがあって、
そこから、打つ、があると語られたとおもう。
それで大切なのは、「引く」のほうだと。
相手の殺気を真に受けてはいけない。

ボディビル的に愚かな肉体は上筋のみを鍛えるが、
武道に必要なのは下筋のほうなのです、ともいった。

僕もブルース・リーの信奉者なので(笑)、
その前田さんの意見に自分なりの上乗せをする。
すると前田さんがするするとさらに展開してゆく。
あれはおもしろいくだりだったなあ。



ミクシィの話に戻すと、

ケータイアクセスというのは
たぶんミクシィという牧草地に不意に侵入してくる
弓矢と刀剣のような、動物的な「線」だとおもう。
これはあしあとからも書き込みからもアップ記事からも
見事に感知できる。
寸言により構成されて、
「つながり」意識が偽装され表面的にはやさしいが、
内実はするどい切っ先により表現されているとすぐわかる。

つまり農牧労働の積み重ねの植物的やさしさと、
どこか種類のちがう運動によってつくられていると感じる。

僕はしかしそのケータイアクセスを
排除しようとするのではない。
またも花田清輝の意見を借りれば
「対立物を対立のまま統一」すればいいだけ。

ただ気になるのは、
ケータイアクセス主義者が
ミクシィに極度に疲弊しているということだ。

きっと操作上の身体性に要因が潜んでいるはず。
たとえばそれは「引く」ことができないのではないか
  

2009年02月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

詩の効用について

 
前回ここに転載したミクシィ・コメントにたいし
さらに三村京子さんからコメントをいただき、
それにミクシィで対応しました。
これも大事な記事だとおもうので
以下に転載します。



ミクシィに一詩篇がアップされたとする。
その一行目が緊張感にみちていて、
全体をゆっくり読もうという判断をしたとする。
これは何を意味するのか。

既存資本のなかで人が行動選択をどのようにして、
結果、社会を変えてゆくかというのは
柄谷行人などがいっている「とりあえずの運動」です。

たとえば柄谷さんは購買運動を言い、
明言がはっきりしないけれども不買運動もいっているはずです。

「労働者=消費者」が社会運動を起こすためには
資本の枠組を温存するのであれば
このように彼のいうことも当然、一理あるとおもいます。
それだけでも社会が変わる側面がいっぱいあるから。

それでたとえばエコ商品の価値があがってゆき、
反エコ商品が潰されるということにもなります。

むろんミクシィも資本です。
たぶん東浩紀のいう「データベース消費」くらいは
視野に置いているとおもう。

そうした資本の「しつらえ」のなかで
行動を起こすとはどういうことなのか。

データベース消費によって体感的=昆虫的「速読」に、
なだれうってほしいと資本自体が願っているとおもう。
消費対象の「本体」ではなく、
その「影」に快感を覚えてほしいとなれば、
ミクシィ自体が「速読=消費=昆虫的体感挨拶」を
じつは促している媒体なのですね。

このとき、資本の敷いたレール以外を汽車が走ろうとすれば、
柄谷的購買運動と同じ水準で、
素晴しいアップ記事(日記)にたいしては
読み飛ばしをせず、ゆっくり読もうという
「運動」が起こるのも当然だという気がします。

要するに、資本が「つくってくれた」レールには乗っかる。
けれど「乗っかりつつ裏をかき」、
彼らの思惑以外のところで愉しんじゃおう、ってことですね。

ふたたび論点を集中させます。
このときになぜ、「詩」が有用になるのか。

データベース消費という言葉によって
東浩紀→現今の社会学者を類推しました。

この欄の読者がどうおもっているかはわかりませんが、
現在の日本の社会学は、
東浩紀の注意喚起もあってすごく優秀だともわかるとおもいます。
東的図式では、大澤真幸、北田暁大がその駆動両輪です。

僕が疑問におもうのは、
このふたりの優秀な社会学者をもってしても、
「社会学」が現状肯定的な「解釈学」の域を
抜けていないのではないかということです。

なるほど、大澤さんは、国際政治における「喜捨」をいう。
けれども一旦の喜捨が
ポトラッチを招きかねないのではないかという、
リアルポリティックス的反論には有効な再反論がなせないでいる。

北田さんの系譜にある鈴木謙介さんは、
ユビキタス社会下の「自由」の逆説性を見事に分析する。
けれども、その突破口として「宿命」を出すとき
論理構成がすごく苦しげな気もするのです。

これはもしかすると社会学の限界を明示しているのではないか。

社会学の言辞は、自身の有効性を疑っていない。
だから、精神分析、経済学、哲学、現代思想などからも
アトランダムに概念語を輸入してきて
一旦の解釈体系をつくりあげるのだけど、
「それ自身がそれ自身でしかない」言葉は、
現状解釈の限界をついに超えられないでいるのではないか。

社会学の弱点はこのような前提から総括することもできる
--要するに社会学には「詩性」がない。
「それ自身であってそれ自身でない」言葉のありかたからは
暴力的に現状世界を転覆してゆく力があるのだけど
(それが詩性です)、
つまり社会学にはそうした直観的膂力が欠けるのです。

現状、社会学だけが現状社会を精密に描写していることは
おそらく誰しも異論がないとおもいます。
その場合の精密さはたしかに美徳なのだけど静的。
その静的な姿を打ち破るためにこそ
いまここで詩が必要なのではないか。

僕はつまびらかにしませんが、
ハイデガーの哲学が成立するためには
ヘルダーリンの詩が必要だった。
日本的思考はいつしかそういう前提を必要としなくなりました。

柄谷も蓮実も詩は視野に置かないと明言する。
この風土は東-大澤-北田-鈴木謙介にも
着実に継承されています。
西脇や吉岡や石原や岡井から
思索を立ち上げる思想家がいないのは一体どうしたわけなのか。

たとえば保田与重郎なら万葉などが
思索の多くの契機をしめていた。
この傾向は、小林秀雄や吉本などにも続いてゆくのですけれども。
そう、吉本がきつくて、その後の世代の思想家が
逆ポジションをとった、ということなのかもしれません。

こうなったとき、僕は最近、花田清輝のことを考えてしまう。
花田と詩の関連は、
日本でいえば小野十三郎や関根弘など、
モダニストの末裔とのつきあいに
表面上、限定されてしまう傾きもありますが、
実際はモダニズム詩の思考の発展を
評論という飛び火の場所で貫徹したのではないかと
おもうことがあります。
つまりモダニストの発展形としてとくに花田が極上なのです。

実は、柄谷の花田再評価に影響をあたえたとおぼしい、
乾口達司『花田清輝論』(柳原出版/03年)を
遅ればせながらつい最近、読みました。
この本は花田-吉本論争の精査からはじまるので
最初は構成的に辛いのですが
(とくにヒステリックな文献でしかない吉本の引用がキツい)、
以後、花田に照準があってゆくと
ベンヤミンにも比肩しうる花田の思考の柔らかさに
あらためて圧倒されることにもなります。

一個だけいうとマルキストとしての花田は
吉本よりぜんぜん優秀で、
それは彼のカント読解とも地続きだということが
乾口さんの適格な引用・考察ではっきりしてゆくのです。
それで意外な結論が出てしまう。
カント、マルクスを思考の可能性の中心に置いたとき、
柄谷と花田が時代を挟んで相似形を描いてしまうのだ、と。

ところが乾口さんが意図的にか書かなかったことがあるとおもう。

花田の思考は詩性に寄与するようなヤクザっぽさがあるのです。
だから逆に古びない。
柄谷さんのは詩性が徹底的に遮断されているので、
世界の思想地図が変わると
歴史的一流派になってしまう危惧もある。

となって、思考の諸形態のうち詩性を中心に置く、
ギリシャ的学問分類の必要をまた考えたのでした。

詩は世界を変える道具です。

もしかすると言外にだけど
そのことを僕は立教などの授業で伝えたのかもしれません。

それでいうと、三村さんもkozくんも不安がる必要がない。
音楽講義--とりわけそれに付帯する歌詞解析で、
やはり僕は詩の授業をやったのだとおもうよ。

花田のことに話を戻すと
僕が彼の書いたものを熱心に再読したのは
『復興期の精神』と『錯乱の論理』程度ですね。
あ、小説も再読した(難しかったけど)。

乾口さんの花田引用はじつはそれ以外にもわたっていて、
それぞれが瞬間的に、おもしろかった。
詩性がすげえ、と打たれたのです。
なんという読みすごしをしていたのかと戦慄した。
うちにある花田本、その全部を
精密に再読する気運なのかもしれません、
詩の復権のために。

ただ僕自身は花田の圏域を旋回していただけだという
慙愧に駆られてもいいのかもしれません。
たとえば連句--共同創作についても
花田がずっと熱く語っていたのだから。

あ、文学部は社会学部にたいし
もう、分析力では現状かなわない、
という言い方がよくなされます。

上に書いたことから
ご理解いただけるとおもいますが、
文学部生の突破口は「詩」ではないでしょうか。

ということは逆もいえる。
社会学が詩をもとりこんだら
無敵になる可能性がある、ということです
 

2009年02月14日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ミクシィに詩を発表する意義

前回の書き込み欄でのやりとりのつづきで、
三村京子さんが
「ミクシィに詩を発表する意義とはなんですか」という
ど真ん中の質問をしてきた。
それに応えたのが以下の文章です。



(三村さんへ)

僕は資本の裏づけのないひとたちが
気軽に「作品」を発表できる場が、
そしてそうした「作品」が波及してゆく場こそが、
ミクシィなどのSNSだとおもっています。

愚痴でも自慢話の場でも
相互の「つながり」(実質は自己愛の応酬)を
ただ確認する場でもなくて。

そうかんがえないと(ミクシィ内の)状況が変化しないし、
現状、ほかに有効な媒体がまだ出ていないのなら、
逼塞を解くためにまずは
「ここでこそ」作品が交流しなければならない。
これはまあ倫理的な立場ですね。

で、なんでミクシィで「詩」なのか。

詩は作品として小説や本格評論、本格随筆などよりも
手軽に書ける利点が一応あります。
理想論でいうなら、短詩ならば十分で書けるかもしれない。

それと評論などは
草森紳一さんが好例なように
「一文が高い」=一文が成立するために
多くの参照系を負っている、ということがあり、
それは読書量や時間や記憶力の豊富なひとに有利ですが、
詩では基本的にそんなこともありません。
つまり誰でも書ける、という点ではじつに民主的な表現といえる。

そういう民主制であるべき詩を
いたずらに密教化・特権化しているのが詩の同人誌などで、
その特権意識の「印籠」をかざしながら
若いひとのミクシィ詩に叱言爺ぃのように容喙してくる破廉恥漢を
僕はすごく許せない。

昨今は、勤め人でもフリーターでも学生さんでも
忙しいひとが多く、
手軽な媒体、手軽な所要時間で
何らかの「作品」を公表したいのなら、
とうぜん詩にたいしての注目も高まってゆくとおもいます。

つまりそれは、「作品にかかわる」「民主制」の問題なのです。
そして僕にも、無方向から作品に接したいという希望がある。

むろん「書きあがった詩、即、作品」ではありません。
改行形式をもちい、ただインスピレーションを書き散らす、
そういう姿のものもミクシィなどには目立ちますが、
それらは自身と言葉との関係性が不潔で、
ほとんど読めるものがないともおもいます。

それと詩作者として名をなしているひとなどの場合、
ヤバイ傾向は、
「詩らしきもの」を迷妄からアップしてしまうことです。

僕はこの点では、本質的かどうか、を
その一行目から最終行までずっと問うことにしています。

本質的でないフレーズは、
いわば「詩らしさ」を演出するための虚辞。
これらは排除してみても、じつは詩想の骨格が変わらない。

それと詩らしさを虚飾するために
詩語に依存するインチキもすぐに見破ることができる。

世界は多様な言葉で成り立つ雑多空間で、
そこに好みの偏向が生ずるのもまた
言葉にたいして民主的ではないのではないか。

本質的な詩とは何か。
言葉が作者の必要によって削られ、
そのことで読み手に「じかに」迫ってくるもの。
雰囲気で書いてしまったような曖昧なフレーズがなく、
構文が、助詞をふくめた語のつらなりが、
ただ孤独な裸の構造としてみえるもの。

むろん本質性にはいろいろな局面もあるとおもいます。
意味形成、認識、音韻、喩機能、破壊性、切断性、形式--
これらのどれをとっても
そこに真摯な着想があれば本質的になりうるのです。

ミクシィ詩の多くの失敗は、
言葉の過剰武装によるものか、
「情」の転化に失敗し、何か湿ってしまったものに多い。

僕は実人生(生活)を詩のモチベーションにすることに
否定的だというわけではありませんが、
言葉自体のつらなりのほうをモチベーションにしてゆくと、
そういう甘さも消えてゆくのではないでしょうか。

「自分」のようなものは切断や点在として
詩では残酷に扱うに越したことはない。
といって僕は芸術至上主義を標榜しているわけではありません。
言葉のユーモリストのほうにむしろちかい。

最近(ミクシィ記事にも書いたことですが)、
僕は詩にたいしていい比喩をみつけました。

改行詩の場合でいうと、
詩の一行が、書いた当人にも読み手にも馴染むためには、
語同士のぶつかりを下支えする空間性が必要なのです。
そして改行加算は空間性を強化する場合もありますが、
基本的には「展開」--時間性をつくりだす欲求のほうがつよい。

つまり、「空間」単位が「時間化」してゆくもの
--これが多くの詩の姿、ということになる。
何だ、詩は、映画とまったく同じ作用性をもつんだ、とも
気づかれるとおもいます。

一つの詩篇は一本の自主映画。
映画がミニシアターで公開されるように、
詩がミクシィで公開されると考えたら、
それは「夢のようなこと」ではないでしょうか。
自主映画の上映後に懇親会があるように、
詩のアップにも、懇親的な書き込みがあることを
僕などは夢見ています。
ロマンチストといわれるかもしれないけど。

特権性から離れ、民主的に当事者全員が振舞うことが必要ですね。

これは「詩は万人によって書かれねばならない」と宣言した
イジドール・デュカスの精神を継ぐものです。
そういえばゴダールも
「映画は万人によって撮られねばならない」と
一時期マニフェストしていました。

詩には効用があるのです。

じつは立教の文芸思想の現在三年生
(今度の三月までの三年生)の三分の一は
一年のとき前期は僕、後期は小池昌代さんで
詩作のスパルタ教育をしたのです。
その彼らが08年後期、僕の手塚・浦沢大教室授業の
期末レポートを出してくると、
断然、S評点比率が高かった。
それで僕は詩の効用ということを考えたのです。

詩を考えることは
言葉のつらなり、詩篇の成立基盤、
詩集の空間性のみの考察にとどまらず、
思考自体の詩性の発展につながる。
同時に、
「構造」(マンガ作品にあるもの/自分のレポートにあるもの)を錬磨し、
思考から無駄を殺ぐことにつながるようなのです。

この傾向は、僕が演習で詩作を教えた現・二年生にも顕著だった。

べつだん「詩による教育」を構想するわけではないのですが、
詩の効用はたぶん、それが思考の発展に手軽につながる点にあるのは
まちがいないのではないか。
となって、コミュニケーションにも
豊かさに向けた変化が生じるともおもう。

それやこれやで、
僕はSNSが詩作の楽園になればなあと夢想しているのです。

ということでいいでしょうか

2009年02月13日 現代詩 トラックバック(1) コメント(0)