連理連理
【連理連理】
連理連理、たとへばきみの脇ばらに春告げどりの羽毛あること
花烏賊のやうに瞳がうすくなつた。みなわであつて魚でない今。
白樺期の終りは長い詠嘆をあげてゴーカートで「?」描くかも
最初つから俺はひとつの露天だよ。夏帽といへ、かぶらずに狂ふ。
野煮といふ料理をきみと発案し、辛夷とともになくす春ゆび
海鳴りの月日をここに招きたく馬刀貝、貽貝、さくらに鳥貝
さまよへる足=肉球を吟味され。富子固有の仏縁…消えた。
ほぐれるもの少々詰めてゆくゆくは繭となりたい配送員ぼく。
脊柱が百本、アテネの木琴も風を合図に青伊豆で鳴る
署月では袖ふれ合つた故人らが身をすりつける百日紅さがす
ラジオ巍々峨々
【ラジオ巍々峨々】
俺は鉄のあばらに夕を響かせた。空は断崖、ラジオ巍々峨々。
黄金つて停まつてしまつた煙だろ、自慰の遠くに雲として視た。
反復に時間単位といふ一定の実質があつて、女のやうだ。
滑り台型の詩歌が好きだ。初夏だからか、鉄棒型の文より。
風致地区のやうな女だつたから放置自転車の銀波がきれい
「にべといふ魚は南方的な鳴き声でうたふ」と漁師の便りに
檸檬内螺旋発見、掌にとつてスクイーズのみで視姦に代へる
伝言ゲームこそがエンドを育てるのにいまさら何の取材だ埴輪め
紳一の書庫から出土した発条をたとへば耳孔にうづめて。レトロ?
裏返す暇あらばこそ胸合はせ肛門性交したら折れてた。。。
●
口語短歌の試みをつづけてゆくと
だんだん異常になってゆく(笑)。
枡野浩一さんのサジェスチョンで
「短歌ヴァーサス」誌は正岡豊の載った号を探すも
ジュンク堂のバックナンバーコーナーには見つからず。
引き続き、探索を誓う。
なぜ最近、短歌に走っているかというと
たぶんサボタージュという意識がそこに入っている。
詩作の休憩期なのだ。
もともと僕は、作歌は詩作の邪魔になるとおもっていた。
作歌によって、情の線型性が心ならずも組織されてしまい、
詩作のときの加行や使用語に飛躍が減る気がしていた。
この感覚を高めるにはむしろ句作が必要だった。
ところが口語短歌ではそういう弊害がない。
フッと湧いたイメージを叩きつけてあとに何の後腐れも残らない。
こりゃいいや、とおもった。
量産できそうだし。
07年に出た「短歌ヴァーサス」11号、
特集「わかもののうたの行方」をよみだして
実は掲載されている「ポストニューウェイヴ」の歌が
コンサバだなあと落胆する。
現代生活や現代メディアの背景があっても
うたわれている情の質が旧態依然で、
そのことと律の遵守が相即している。
なんだ、新しいのは口語使用だけじゃないか。
これならばおおむねは
大辻隆弘、高島裕、横山未来子らの後塵を拝すだけだ。
僕には先に読んだ「早稲田短歌」のほうが面白かった。
つまりこの時点(07年)の口語短歌には「笹井宏之の吸収」と
「その後の緊張」がない。
だから「瞬間の天使」がいないのだ
(「瞬間の王」とはいわない――そう呼ぶと死ぬから)。
いま次に興味のあるのは歌論。
最近読んだなかでは、大辻隆弘さんのが抜群だとおもうが、
たしかに彼は時評に向いている。
つまり良い意味のスタンダードを形成するのだった。
詩壇での類推ならばかつての北川透の位置だが、
大辻さんの歌論の出来はずっと良い。
それは自作歌のレベルが北川さんの自作詩のそれよりずっと上だからで、
論は自作の蒸留要素をもつともそこで問わず語りされている。
だとするとわからないのが俳論だ。
ほとんど句作しない仁平勝の俳論が実に凄い。
邑書林「セレクション俳人」の仁平勝のシリーズ、
収録された「秋の暮論」は本当に僕の心胆に響いた。
うーん、ならば折笠美秋なんかも読んでみるかなあ。
●
詩は古本で、萩原健次郎さんのものをゲットしはじめた。
いままで読んでいなかった不明を恥じる。
たとえば稲川方人と杉本真維子の「中間鉱脈」は
実は萩原さんの詩にこそ集中していた。
現在の詩壇は90年代に関西詩人を軽視した欺瞞のうえに立つ。
最初に萩原さんがいて、次に貞久秀紀さんが出た
(貞久さんのことは近々、日記に書きます)。
そして最後に京都から田中宏輔『The Wasteless Land.』が99年に出る。
東京詩壇はそれらに警鐘を鳴らさなかった。
してみると唯一、萩原健次郎特集をした
同人詩誌「あんど」は良いセンを走っていたということになるなあ。
ということと関係なく
今日はずっと『万太郎の一句』(小澤實、ふらんす書房)を読んでいた。
久保田万太郎、大好き。
「いちばん恰好良い句」を量産した才能である点は間違いないだろう。
憧れる
学生の傑作を披露します
以下、入門演習における学生提出物の傑作を
ご披露もうしあげます。
課題は「中島悦子さんのように断章形式で、
ズレを孕んだおかしなものを書け」だった。
うち大永歩さんのものが傑出していた。
それにしてもこれが一年生の作とはすごい。
改行が少ないのでベタっとレイアウトされてしまうけど、
噛むように読まれると、すごくいい味がするはずです。
うん、あすの授業でも褒めまくろう。
●
【断章】
大永 歩
金色のトランペットが好きだった。本当は吹いているその子が好きだったけれど、トランペットのほうがずっと好きだった。へたくそな音が校庭いっぱいに響いて、白旗がぱたぱたはためいて。残暑に金がぐにゃりと溶けたら無線機になって、コンデンサを取り替えたらデジタルカメラになった。銀色のデジタルカメラが好き。
わかってんだ。最寄り駅は東海大学前。出身は大根小学校。そうさ、だいこん小学校ってばかにされたさ。悔しくってくやしくって、でも学校祭の名前は全校投票でダイコンフェスティバル。わかってんだ!
冷や汁を作りましょう。きゅうりをうすくきざみます。氷水をはったボールにさらします。味の素にみそを少々と練り合わせて、さきほどのボールに落とし入れます。たらこを焼いて皮をむき、それもさきほどのボールにまぶします。木べらでざっくりまぜたら、仕上げにきざみのりをちらして、はい、できあがり。
言語のあり方は、時として環境に左右される。それは一般に一言語として分類されるものについても同様である。内陸部の民族に『しけ』の概念はなく、沿岸部の民族に『逆さ霧』の概念はない。青森県を中心に寒冷な土地でみられるずうずう弁は、口から発する熱をより少量にするために発達したものである、という一説もある。
手編みのマフラーをもらった。幼なじみにもらった。白黒で、うすっぺらで、でこぼこで、完璧なマフラー。首に巻いて風呂に入ったら取れなくなった。六月二十日。
雑木林から光が漏れ、音が漏れている。今日は前夜で、明日は本宮。厚い革はよくしなる。たがはカーンとしていて、ばちが振り下ろされれば、うかれた子供のわめき声も呑まれたおやじの怒鳴り声も意味をなくす。音を創るたび、赤い斑点がつく。神などいない。コバチはガキの、オオドは俺のものだ。
枯れたもみじが落ちる。もみじを食べる腐葉土。腐葉土を食べるみみず。みみずを食べる鳥。あまいたれをかけてもみじを食べる。これがほんとのもみじまんじゅう。美味。
昨日な、何も連絡せんとおかんがうち来てん。急に何や言うて追い返そ思うてんけど、カニクリームコロッケ持ってきよったら、そら無下にはできひんやろ。しかしこっぱずかしいもんな、誰もおらんっちゅうのにそない話されへんねん。そのうちおかんも黙ってしもて、どないせいっちゅうねんて……あ、茨城出身やけど?
人間とは茄子である。漬け物であればなおよろしい。あの何をも浸透させる筋のしなやかさよ! できるなら深く漬けて肉厚の実に大きなしわが寄っていてほしいものであるが、皮がふやけて色をなくしていては意味がない。青紫から白へのコントラストを維持しながらでなければ、それは茄子であり茄子ではない。いわんや漬け物でもない。そして決してうすく切ってはならない。ぶあつくある宿命なのである。それで二きれ、小皿に載せて箸の右に据えれば、人生は完成する。ただし、冷や汁と一緒にしてはいけない。
人間ボーリング。なに、ピンを立ててボールを転がすわけじゃあない。横っ腹に太いくだをぶっ刺して、中身が出ないようにしてそっと抜くだけさ。それで君のステキなボーリング試料ができる。うじむしがわいているよう祈りながら、やさしく検査してあげるよ。
●
あ、この欄を借りて宣伝一個。
現在発売中の「キネマ旬報」に
僕の横浜聡子『ウルトラミラクルラブストーリー』評が載っています。
ぜひご一瞥を。
しっかし、日記書きをさぼっていたもんで、三連発日記となった。
何をしていたかというと、ずっと読書だった
高柳重信読本
多行形式の俳句というのは、どうも苦手だ。
僕は俳句に軽みをもとめるほうだが、
多行形式俳句では改行、行アキなどに
切れ字以上の切れの効果がもとめられる。
むろんそれで空間が多層性をもって広がるが
一行の立ち・定着性をくわだてるべく
使用語彙が拉鬼ふう、深刻にもなり、
結果、世界認識のしなやかさが失われる例が多い。
というか、それは元祖・高柳重信からの句風の悪影響だろう。
ところで今年三月、角川から出た
『高柳重信読本』が大盤振舞だ。
もともと生涯句数の少ないひととはいえ、
定価二千円にしてそこに全句が載っている。
そのほかに彼の文章が併録され、
加藤郁乎、高橋睦郎らの重信生前を偲ぶ新規原稿もある。
充実の年譜だってある。
高柳重信の句を往年の僕はどのようにして手に入れたのだろう。
古書価格が高かったので句集単位ではもっていない。
詩人歌人俳人らの重信論に載った句を皮切りに
重信編集長「俳句研究」での重信特集、
角川「増補・現代俳句体系」の14巻(『青弥撒』が収録)、
それと近年になって花神コレクションとして
中村苑子が編集した文学アルバム風の一冊をもった。
金子兜太とカプリングだった朝日文庫は買いそびれた。
虹/処刑台、船長は/泳ぐかな、まなこ荒れ、など
多行形式俳句での重信の達成はむろんみとめる。
ただしいつからか僕は
俳句形式の単純要請によってできただけの簡単詠と重信が嘯く、
山川蝉夫名義の一行棒書き句のほうに興味が移っていった。
そこでは三橋鷹女、永田耕衣、赤尾兜子、
中村苑子、安井浩司などと同じ土壌で、
しかも自分の個性に軽みを掘り当てたらしい重信が、
僕の無知な眼では
すごく生き生きと句作しているように見受けられる。
なので『山川蝉夫句集』『同句集以後』を一望に手にできる、
この『高柳重信読本』を今後、重宝することになるとおもう。
高柳重信に先入観をもつひとのためにも、
『山川蝉夫句集』で僕が○をつけた句を以下に転記打ちしてみよう。
●
【春】
初蝶や馬上ゆたかといふ言葉
いまはむかし夜景とあらば桜咲き
午後長し人から人へと虻とんで
【夏】
少年に五月ぞ青し悲しめり
河鹿鳴けり杉山に杉哭くごとく
六月や藪を出づれば棒も蛇
山は即ち水と思へば蝉時雨
この夢如何に青き唖蝉と日本海
遠くにて水の輝く晩夏かな
【秋】
天を仰げば身の錆おつる秋なりけり
頬杖の指のつめたき夕野分
水うごき秋浜の砂うごきけり
切株は掘られて積まれ雨後の秋
足生えて足が疲れる秋の幽霊 ①
【冬】
わが顔あり野分のあとの凩に
日の正午墓の枯野を人いそぐ
枯葉走れる正門のほか門いくつ
【雑】
乱世にして晴れわたる人の木よ
早鐘の吉野を出でて海に立つ ②
尖塔を人語の闇が仰ぐなり
目覚めをるかな海おそろしとあくがれて
或る峠を三日眺めてゐる旅愁
水過ぎゆくここにかしこに我立つに
男死に男ら来ては食ふ蕎麦よ ③
海と山と川と島見え神去る神
壜より壜へ空気を移しつづける遊び
少年老い近海いつか遠ざかる ④
椎の木の下の亜聖の亜晩年
帆柱を伐れば神父が一人立つ ⑤
日が落ちて火が燃えてゐる泥の中
群鴉仰いでゐるや足揺れて ⑥
水澄んで墓のうしろを流れけり
添ひて流れる大河の水と野の水よ ⑦
さびしさよ馬を見に来て馬を見る
衰へし夢見に鹿を死なしめる
友よ我は片腕すでに鬼となりぬ ⑧
●
①《足生えて足が疲れる秋の幽霊》の可笑しさ。
諧謔の質が永田耕衣と似ている。
②《早鐘の吉野を出でて海に立つ》。
「海」は伊勢か熊野か。岡井隆の一部の歌にある
具体地理的な疾走感をおもった。
吉野は桜の時分だろう。
「早鐘」の語がもたらす疾走調により紀伊半島自体が消える。
③《男死に男ら来ては食ふ蕎麦よ》。
芭蕉《あさがほに我は食〔めし〕くふ男哉》の複数化。
それで耕衣《男老いて男を愛す葛の花》のような
「男」の重畳となった。
同時に葬列参加の無常観・悲哀も詠まれている。
④《少年老い近海いつか遠ざかる》。
これはもっと如実な耕衣句の合体。
すなわち《近海に鯛睦み居る涅槃像》と
《少年や六十年後の春の如し》との取合せだが
「いつか遠ざかる」で批評的位置が堅持されている。
⑤《帆柱を伐れば神父が一人立つ》。
重信の多行形式での名句、
《船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな》の
老境での反響だろう。
「船長」も「神父」も重信自身。絶唱にちかい。
⑥《群鴉仰いでゐるや足揺れて》
鳥への仰角視線が、鳥によって折れる。
これも耕衣に先例。《天心にして脇見せり春の雁》。
⑦《添ひて流れる大河の水と野の水よ》。
スケールの大きい、同時にこまやかな風景把握。
鷲づかみの感触に、耕衣調も感じられるが、
水と水が出会って、
「地」の消えてしまう点にゾクッとする。
これは②と同じ感慨だ。
⑧《友よ我は片腕すでに鬼となりぬ》
鷹女の名吟《この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉》
がとうぜんに念頭にあるだろうが、
句集を収めるに素晴しい一句。
むろん「片腕」は比喩。
●
そういえば『高柳重信読本』の目次裏に
『季題別 飯田龍太全句集』の広告も載っている。
「ハンディな廉価愛蔵版」の文字。272頁。
また大盤振舞の価格なのだろうか。買わねば。
そう、最近は飯田龍太に心惹かれ、
全集を買うべきかいなか呻吟しているのだった。
俳句は短歌に較べ声調を重要視しないが
飯田龍太は最も声調の良い俳人だとおもう。
●
あ、忘れないうちに書いておこう。
昨日ご恵贈いただいた山田亮太『ジャイアントフィールド』は
すごい詩集だ(いずれ書評を書くのでここまでの評言)。
今日未明に読んでいまも興奮が残っている。
双子詩の達人!
代田物語①
【代田物語①】
星のよるをひと晩あるいて下駄の歯のあひだにたまつたひかりをあげる
眼圧のたかさのままに緑内障、みどりの奥の障りにみとれる
数人のをんなはすでにカレー粉で無価値なんかへきいろく絡む
目鼻おとすシャワーを浴びて大悲日は肉の嚢となり横たはる
三塁打に何か傷ふかいものをみた。その外野にも七福神が
禁煙の三つきが経つてもう煙の昇天芸もやらない僕だ
だからといふわけでもないが腰に銀の鎖をつけて北をみてゐる
しじまつて「肉魔」と書いても良いかもね。ずつと静かな抱き寝がつづく
代田あたりのだいだらぼつちの足跡でかつてプラハの学生を抱いた
現象に減少はある。それならば軽くなるべく書を読みつくす
●
何か軽い足どりがほしくて
またもや口語短歌に挑戦してみる。
まえにも書いたかもしれないが、
口語短歌はこころを顫動状態にして
たまゆら通過してゆく詩神をつかむ。
しかもその全身を捕縛するのではなく
蝋のような片腕だけをもぎとるのがこつだ。
その全身はおのずとまぼろしとして現れる。
その瞬発の機微にたいし
何か良い言葉があったはずだ。
貞久秀紀さんに送っていただいた
編集工房ノアの雑誌「海鳴り」で
三島とコクトオ(とラディゲ)について書かれた
三木英治さんの文章に
待望の一節をみつける。
コクトオがラディゲを追悼した有名な文だ。
細部を失念していた。
●
天は、手を汚さずに僕等に触れる為めに、
手袋をはめることが間々あるのだ。
レイモン・ラディゲは天の手袋だつた。
彼の形は手袋のやうにぴつたりと天に合ふのだつた。
天が手を抜くと、それは死だ。
〔…〕
この種の死を、真の死だと思つたりすることは、
空つぽの手袋を、
切断〔きら〕れた手首と間違へるのと同じことである。
●
望月裕二郎くんには「早稲田短歌38号」をもらっていた。
ここにも口語の秀歌が数多くある。
彼に約束したので、それらを抜書きしてみよう。
読者がそこから「瞬間への崇敬」を高めてくれれば幸いだ。
【梶原由紀】
軽トラに乗せられているじゃがいもの傷から光る汁が出ていた
【酒井孝明】
流体に完全解を与えたら必ずお前を滅ぼしてやる
【柴田小夜子】
こんな寒い夜にわたしが怖いのはかたちを変えるものたちである
【高田一洋】
深更の野球場にて寝ころんでひとりは広く星を含んだ
何かあるような気がして冬の夜のベランダにそっと発条を置く
ひっそりとひかりの層を重ねゆく春の窓辺に溜まる埃は
金属の釦を撫でる冷覚で初夏の照度をはじめて知った
【田辺広大】
捨てられた都ばかりが大きくて今は胎児に帰るうみへび
【五十嵐菜見子】
くちあけてシャワー浴びても透明なものになれないわたし肉色
【吉田恭大】
八月の一番ひどい雨の日に隣人の発生と分裂
【平岡直子】
グラビアの谷間をなぞりつつ君は お腹の中はほぼ腸だよ、と
唇を離したときに日が落ちてテレビの黒い画面にふたり
引っ越した夜はビニールハンガーでちゃんばらをしてそれから眠る
●
転記打ちをしていて気づく。
ごつごつの現代短歌調とは異なり、
体言止めが比較的少ないのだった。
調べの回復のため、阿久津英さんが
どこかの雑誌で体言止めの多さを難詰したとは、
こないだの岡井隆さんの会での
栗木京子さんのスピーチで聞いたことだが、
つくってみてわかるが口語短歌なら
体言止めの回避もしやすいのだった。
さて俳句はどうだろうか。
僕は同人となった「かいぶつ句会」の句作でも
やはりなるたけそうしてみた
(それを今日、榎本了壱さんにメールした)。
できあがったものは自己判断では
句体も軽く、わりと良い感触だった
卒煙証書をいただきました
昨日が12週間にわたる禁煙治療の、
最後の外来通院だった。
結局、禁煙期間中、僕は「ほぼ」喫煙行動をとらず、
無事、卒園ならぬ「卒煙」と相成ったのだった。
主治医の先生、カウンセラーのお姉さん、
受付のお姉さんからそれぞれ別れ際に
「おめでとうございます」といわれ、
嬉しいやら、こそばいやらだった。
振り返ると禁煙動機は明確にあった。
つまり喫煙間隔が執筆時のチェーンスモーキングにより
いよいよ短くなり
それで「一時間半」が煙草なしでもたなくなった
--この不自由がまず大きかった。
これでは外で映画も観られないし、
一時間半がひとコマの講義でも
その終盤が「上の空」となって支障を来たす。
つまり「健康になりたい」
「お金がもったいない」などというような抽象的動機ではなく
仕事にかかわる具体的な動機から
僕の禁煙治療への意志が生じたのだった。
この点が良かったとはカウンセラーもいう。
上のことに、時間の無駄の回避がからんでくる。
たとえば女房と買い物をしているとする。
地下鉄で移動、最寄り駅の改札を出ると
地下通路がそのままデパート入り口につながっている。
ところが下車=喫煙契機、と僕の場合はなり、
「一旦地上に出て煙草を吸わせてくれえ」と
女房に嘆願することになる。
しかも現在なら、人通りのなかどこかの角で
これ見よがしに携帯灰皿を手許に構え、
申し訳なさそうに喫煙をする。
それでもそこが禁煙空間だと注意される場合があって、
一緒の女房はトラブルに巻き込まれまいと
離れていたり
デパートの○○コーナーにいる、と言い置くことが多かった。
こういう時間のロスがすべて消えた。
講義のあと耐えられなくなって間近の喫煙所で煙草を吸うと
同じ教室から出てきた喫煙学生に
質問その他でつかまる。
それやこれやで研究室と次の教室への移動が遅れる。
結果、次の授業開始が10分遅れ程度となることが去年は多く、
これも鐘が鳴ったら即授業、という自分の信念に反していた。
学校、といえば、いまは池袋駅から立教までが早い。
駅を下りて歩行喫煙をする必要がなくなって地上に出ず
エチカ完成で話題になった立教への至近距離の地下道を
そのまま行くことができる。
それで信号待ちのロスがなくなり学校到着時間が短縮された。
つまり一事が万事、時間ロスが禁煙により、なくなったのだった。
これは日常生活においてすごく大きい。
僕にとっては煙草につかうおカネへの気遣いがなくなった点よりも
大きいのかもしれない。
とまあ、不自由(実際、喫煙可能場所はどんどん減る)と
行動の無駄の回避、この二点を動機に禁煙に踏み切った僕は
禁煙欲求が理想的に具体的だという太鼓判を押されていた。
これに加うるに、職業柄、僕は
禁煙渦中の自分の変化、それに伴う煙草観の変貌などを
分析的に言語化もできる。
こういう自覚的な禁煙治療者は珍しい、ともいわれた。
僕自身は、煙草文化というのは確実にあったとおもう。
それは飲み屋~カフェを舞台、
ホモソーシャルで知的な団結性のなかで
アルコールと仲の良い、紋章的な交流道具としてまずあった。
それぞれの好きな煙草の銘柄はそのひとの人格を現した。
次の煙草文化の発生地は遊郭人や職人のいる場所だっただろう。
彼らは「一服」と称し、ただ流れがちな時間に
思考の真空地帯を設け、時間変化に明瞭な分節を設けた。
それは彼らの生の、慎ましい荘厳だった。
そして最後に最終的にはヤクザ社会につながる不良性空間への、
最初の通行手形としての煙草がある。
不良ぽい俳優○○に憧れて煙草を吸った、という男子は
僕の世代ではじつはすごく多かった。
僕の場合は、『傷天』タイトル画像部分のショーケンだった。
それで喫煙の最初のころ、別に煙が眼にしみたわけでもないのに
喫煙行動と眉間の「しかめ」がセットになっていた。
随分と滑稽な中学生だったとおもう。
その後、煙草を吸う仕種への参照は、
僕の場合、原田芳雄、ディラン、ゴダールというふうに
その理想モデルを変えていった。
そういう自覚があるので、他人の吸う仕種にも
指が煙草をどうつまむか、唇のどこで煙草を咥えるか、
煙はどう吐き出すか、
さらには外で煙草に点火するとき
そのひとの背中がどう猫背になるかなどで
実は明瞭な好き嫌いポイントがあったりする。
あ、そうだった、僕にとって往年の喫煙者は
「ツッパリ類型」ではなく、「猫背類型」だったといえる。
猫背のひとには含羞をはじめそれ特有の生き方が確かにあった。
そういう「価値」がすべて顧みられなくなり、
喫煙者=KY、という図式(擬制)が成立して
一挙に喫煙維持のための抵抗運動が瓦解に帰した。
猫背類型にはもう懐かしさの価値すらない
(『あしたのジョー』の矢吹丈はその登場時、
すごく猫背にえがかれていた)。
僕の喫煙時代、女房が最も嫌がっていたのが
飲食施設、喫煙が許されている空間で
僕が食後の煙草を吸い、
空調の加減からかその煙が偶然、隣席へと流れて
「禁煙おばさん」などが「殺す」というような烈しい敵意の視線で
煙草を吸っている僕を睨みつけることだった。
というか、女房などは僕が煙草をテーブルに置いただけで
たとえば不穏な気配を隣席から感じて
「煙草、やめといたほうがいい」と事前に注意したりした。
あるいはこんなこと。
JRや私鉄が企画したウォーキングイベントに女房と行く。
あるとき山頂にようやく辿りつく。
努力の達成ののち、そのように眺望の開けるところは
昔から「喫煙ポイント」という文化的約束になっていて
いまでも灰皿を設置している場合が多い。
で、「昔のひと」は許されている、とばかりに
弾んだ息を静める目的もあって喫煙を開始する。
目を細め、眼下の光景を見回す。風も心地よい。
ところがそれを「本当の驚愕」をもって見つめる
おおかたは中年の、女性ウォーキング参加者がいるものだ。
別に副流煙が自分にたなびく、
という非難をしているわけではない。
彼女の頭のなかはむしろこんな考えが渦巻いているはず。
「折角、都会から離れ、肺の洗濯のために
みんなウォーキングに参加しているはずなのに、
あのひとはどうして、自らの行為により
自分の肺を汚染にまかせているのだろう。信じられない」。
つまりそういうひとたちにとっては
自分とは別の類型がいて別の価値観があることが信じられないし、
その異類性にたいしては徹底的な「不寛容」で臨むということだ。
その根底にあるのが「理解拒否」で、
じつはこれが禁煙ファシズムの中心にある精神性なのだった。
この精神性が蔓延して、対人コミュニケーションに変化が起こり、
現在「説得」がますます不可能事になりつつある。
ならば「理解不能なもの」は隔離してしまえばいい。
そうしてまずは喫煙可能場所がゲットー化されてもいった。
こういう類型と予想される軋轢可能性は
実は僕自身の禁煙治療開始でも大きな命題となっていた。
つい最近も僕は自分のあまり精しくない音楽アーティストにつき
自分なりの具体的論拠の提示をもって否定的意見を書いた。
すると明らかに性格異常の人間が書きこみ欄に介入してきて、
彼は揚げ足とり以外にも僕の学生との分断工作に躍起で
しまいに「僕(阿部)のライター生命に死刑宣告することが目的」という
意気軒昂な「問わず語り」まではじめてしまう。
彼の自分勝手な論拠には逐一反論が可能だった。
第一、そのアーティストについての知識なら彼はもっているだろうが、
音楽全般の知識は僕のほうがたぶん上だろう。
音楽全般のなかでのそのアーティストの位置、
がもともと論争点の中心になっていて、
たとえば僕が自分の意見の補強のため
別のアーティストの音楽に具体的に言及しても
たぶん相手は、目くらまし・迷彩のために
別の固有名詞を僕が列挙していると口を尖らせるだろう。
勝ちたいとおもっている彼のもつ「ヒステリー」。
説得したいとおもっている僕は
コミュニケーション可能性のほうに立脚している。
そうした対峙項目では禁煙ファシズムと同じように
実際には理解点・妥協点が形成されないというのが「現在」なのだ。
喫煙行動擁護も論脈的には同じだ。
だから「説得可能性」という点で実はすごく現在的問題でもあるのだが、
説得を敢行するツッパリをいまの僕はおおむねしない。
そう、「めんどくさい」からだ。
たとえば外部ブログの書き込み欄で下手にその相手に反論しようものなら
同様の者の参入をつぎつぎ招き、
自分のブログだって炎上しかねない。
非喫煙者が喫煙者にたいし想像力をもたないこと。
批判者はいつだって「自己確立」のためのみ相手の批判をして
実際は批判対象にたいしては想像力すらもっていない。
たとえば俎上にのったアーティストの音楽は
具体性の欠如を病み始めたと
僕はいくつかの例証ポイントをもって考察した。
ところがヒステリー類型はかならず
論理機制に「鏡面反射」をつかう。
「具体性のないのはお前の偉そうな意見のほうだ」。
僕の学生たちがじつはびっくりしていた。
僕の音楽評論は音・歌詞・文脈吟味そのすべての面で
たぶん最も「具体的」なものだという信頼を彼らはもつ。
だからミュージシャン志望者ともつながりができる
ところがその相手は僕の音楽評論自体をまったく知らず、
ただ当該のブログ日記のみを対象に
時には僕の学生の名まで騙って
ヒステリックな罵倒を繰り広げようとしているのだ。
フェアネスのために「関係の対称性」を築くという倫理的努力を
そういう類型はまったくしようともしない。
だから対話はどうにもならず、必然的に流産する。
こうした類型にたいし今後の「全体」の変革のため
どういう「介入」がありうるか--
この計測が現在的行動学の中心をなす要請があるだろう。
たとえば禁煙ファシズムに対抗するためには
喫煙者の立場に以前はあって喫煙者への想像力をもつものが
今度は禁煙者の場所に立って、
調停なり何なりの考察を繰り広げるべきなのだ。
そして驚くべきことに気づく。
一旦、禁煙者の場所に立ってみると
「分煙」をモットーに実際は喫煙場所のゲットー化・非美学化が
驚くべき勢いで進んでいったのだった。
この点を僕は「禁煙日記」で何度も指摘した。
ネオリベ的空間支配の本質に、僕はそうして触れた。
感想をいうなら素朴にもなるが、
喫煙習慣はネオリベ風土の台頭によってこそ駆逐されつつあって
それは歴史的な必然性をももつ勝敗決定だったということだ。
この「排除風土」はネットテロと同時に許容されるものでは
むろん絶対にない。ないけれども、
対抗手段は旧左翼的な「人権自由確保」機制ではもうありえない。
こういう確認をした点でも僕の禁煙経験は大きかった。
まずは「一旦降りること」。
ある日記がヘンなひとたちの好餌となる雲行きならば
単純にその日記を消してしまえばよいのだ。
無駄な肩の力こそが思考進展を阻害する。
ところで自分の身体を最大の素材にした禁煙推移観察で
僕が極度に自覚的にならざるをえなかったのには理由があった。
ひとつは喫煙のもつ自己再帰性を禁煙にずらしたからだ。
しかしそれ以前、
僕は自分の性格が象徴的な意味合いではなく「具体的に」、
喫煙行動・習慣によってものすごく大きな割合を形成されている
--そう考えてもいたのだった。
となると禁煙の成就は、自分の性格の減少・部分喪失を結果する。
これによってメランコリー傾斜が起こらないだろうか--
他人の忠告に根拠をもつこの「心配」によって
僕は禁煙を進める自分の心身にとりわけ注意ぶかくならざるをえなかった。
これは結論からいってしまおう。
たしかに喫煙習慣は自分の性格の一部だった。
「猫背」「悪ぶり」「煙に巻く」--
こうしたことどもに加え、
実質は「喫煙による眠気の回避」など
「生真面目さ」の維持にかんしても喫煙が効果をもっていた。
僕自身がモデル的に空間想像したところでは
ベン図的同心円の中心部分を喫煙習慣が占めていて
しかもその内在円の面積がすごく大きい、と。
ところが実際に禁煙が定着してみてわかる。
喫煙は実際は「性格円」中の小さな斑点程度にすぎなかったと。
判明は事実提示的なレベルに集中した。
もともとはこんな「不安」だった。
たとえばチェーンスモーキングができないと
執筆に支障が出る。
たとえ書けたとしても執筆の内容に不可逆的な変化を蒙る。
ところが実際は、禁煙が常態となっても
書きかたにも内容にも、変化は何も生じなかった。
僕が考えたのは次のことだ。
人間は前夜寝て、翌朝起きても、
その者が同じ人間であること、つまり連続性が保証されている。
これが存在の形式の基本なのだ。
だから煙草を吸っていたものがやめても
その人間は同じ者として「ちゃんと」連続する。
そう、実に単純な事実判明だった。
このように禁煙体験を一種「哲学する」僕は
禁煙外来にとって理想的存在だったとおもう。
カウンセラーは外来時ごとに僕に「実感」と
それを裏打ちする「解釈」を僕に訊ねる。
僕ひとりによって相当な禁煙心理サンプルを
病院は得たのではないかともおもう。
とくに喫煙習慣を哲学的に無意味化し、
その論理機制を現・喫煙者に波及させうる点で
すごく貴重な存在、と僕は太鼓判を捺された。
「禁煙体験講演をやってみては」
「ご依頼があれば協力しますよ」とは
実は外来治療が最後に近づいて
毎回交されていたやりとりだった。
ところが禁煙体験の最後の総括にあたるべきだった昨日、
僕はカウンセラーに「爆弾」も落とした。
実は今年のGWウィーク最後の五月六日、
僕は詩作者の廿楽順治、小川三郎、
そして編集者の亀岡大助と浅草で
昼間から夜までずっと飲んだのだが、
うち小川さんが喫煙者だった。
実は喫煙者の同席する酒が久しぶりだった。
そのとき僕は小川さんの「キャスター5」を
記憶では五本程度、「貰い煙草」してしまったのだった。
その事実を聞かされ
カウンセラーのお姉さんの顔が蒼ざめるのがわかった。
最も万全な禁煙移行者とみなされていた僕が
あずかり知らぬところで地雷を踏んだ、と判断されたのだった。
僕は現在、たとえば自分のいる飲み屋空間の密閉性が高く、
そこに副流煙がたゆたって煙草の匂いがぶんぷんしても
たぶん喫煙衝動が生じないという自覚がある。
ところがアルコールが入って自制心が弱まっているなかで
「親しい者」が酒席の眼前にいて、それが喫煙動作をすると
「貰い煙草が容易」という条件がいよいよ意識され
ついに「仕種の反射をするように」
その同席者の煙草を吸ってしまうようだった。
このように、かなり「条件」が集中して生じる
喫煙イメージ、喫煙衝動はたしかにまだあった。
カウンセラーは「なんという危険を」という。
僕はどういうか、ヘラヘラして自己分析をする。
まず喫煙の「仕種の反射・模倣」は
犬や猿でもそうだが、対象への愛着として起こる。
しかもこの場合の愛着は実は文化論的だ。
「最後の人種として煙草を吸っている相手」への揶揄・愛着。
同時に同じ体験をしつつも影響が深甚になる手前で
それをかわしてみせる、自分の道化的身軽さ。
これを誇示してみせることで(つまり驚愕と発奮をあたえることで)
相手の禁煙を暗にうながそうとする隠れた訓育精神。
つまり僕の貰い煙草は相手への愛着・悪戯・教育が
複雑にない交ぜになったものとしてあるらしい。
とうぜん僕は薄氷を踏んでいる。
このとき危険回避に導いているのが姑息にも相手の銘柄判断なのだ。
「キャスター1」ならずとも「キャスター5」は
ひと吸いしてみて判別するが、僕にとって煙草ではない
(これは僕の喫煙者時代の判断基準だ)。
そう、味がしない。脳にニコチンが受容される感覚がない。
煙草の味には、煙の、舌や口咥内への刺激も組み込まれていて、
このような刺激要素が嗜好要素へと変化する。
それがないような現在の低ニコチン煙草は
煙草としては「無」であって、
喫煙行動再燃の契機にならない、という判断だった。
僕は自分の煙草にたいする感覚に自信があり、
これは禁煙が常態となっても保たれている、という自覚もあった。
以前の禁煙日記に書いたように
同席の廿楽さんはサウナ外泊のとき
枕元に置かれた一式の煙草・ライターについ手を出して
折角の禁煙継続を一変に瓦解させたしまった悲劇体験の持ち主。
廿楽さんは必死に「吸わないほうがいい」をその場で連呼していた。
ただ僕の挑発性がそれにまさってしまった。
それに「煙草は愛の道具」とすることから
たぶん僕の喫煙文化論が起動していて
この程度のところで「日和る」と「恰好悪い」のだった
(って、中学の頃の「不良気質」丸出しだ-笑)。
報告するとその日たしかに僕は小川さんの煙草を吸ったが
帰り道、どこかのコンビニで煙草を買いたいという衝動は
一切起きなかった。
この一回だけの掟破りは
すぐにカウンセラーさんから主治医に伝えられる。
主治医は一挙に適確な指摘をもって僕の慢心を打ち砕いた。
「そのとき阿部さんは禁煙治療薬チャンピックスを
継続的に服用していたでしょう。
だからその貰い煙草のニコチンはチャンピックスによって遮断され、
実際は脳に受容されなかったんです。
阿部さんはその事実を忘れている。
これからチャンピックスの服用は終わりますが、
もし服用なしでそうした貰い煙草をすると
脳は一挙にニコチンを受容し、
いっぺんで禁煙の努力が瓦解しますよ」。
ホントにゾッとした。
つまり僕の「貰い煙草をしてみせる」いきがりは
チャンピックスの庇護あってのことだった。
自分の禁煙がそんな遊び(チキンゲーム)で
「決壊」してしまうのはありえない。
努力と体験が無駄になることが
端的に「勿体ない」のだ。
しかしこの危険接近の逸話があってよかったとおもう。
慢心に冷や水を浴びせられ、
緊張感をもって禁煙外来を終了することができたからだ。
失敗なしの純粋性のままでは
いつ何時「ポキリと折れるかもわからない」。
ということで冒頭に戻る。
虎ノ門アイ・クリニックのみなさんには口々に「おめでとう」をいわれた。
最近、「おめでとう」をいわれていなかったので妙に心に響く。
そのまえに院長(主治医)の小林先生から「卒煙証書」をいただく。
実際に卒園証書のデザインを模していて、もうその発想が可愛い(笑)。
最後にその文言を転記打ちして今回の日記を終えよう。
●
卒煙証書
阿部嘉昭殿
あなたは平成21年2月24日から開始された
禁煙治療プログラムにより
見事にニコチン依存症を
克服したことを証明いたします
平成21年5月19日
耳鼻咽喉科虎ノ門アイ・クリニック
院長 小林健彦
●
さあ次はダイエットだ、
依田冬派・冬至線
とあるインタビュー記事を目にするのが厭で
「詩手帖」新号を買いそびれていたら
本当に買うのを忘れてしまっていた。
地元の本屋になくなる、と慌てて購入してみると
なんと投稿欄に依田冬派くんの詩が初入選していた。
おめでとう。
彼はずっとその欄の「佳作」常連で、
「飼い殺し」などと軽口も叩いていたのだけど
今度の作は、選者の瀬尾育生さん・杉本真維子さんもいうとおり
完全にひと皮剥けた。
「詩的開眼」にちかい体験が
依田くん自身にもあったのではなかろうか。
僕の観察では、一行の用語のなかに
膠着が消えて、隙間ができ、
それで空間が確保され、
だから詩行全体が流れとして動きだしたという感触。
詩世界をつむぐにあたり眼や足許が素軽い。
書く身体が生きている、ということだ。
タイトル「冬至線」。
「冬至線」とは南回帰線のこと。
夏至線が北回帰線となる。
それぞれ太陽が
地球表面の「直下」に熱をくだせる緯度の南限北限で
その範囲のなかが緯度的に熱を充満させる。
イコール熱帯可能性、ということでいいのかなあ。
ただし僕は「冬至線」の言葉の意味を本当は知らなかった。
冬至の時分は太陽がもっとも低い。
その地平線にたいしての南中場所を
冬至線としてしめすのかと誤解していた。
いずれにせよ、それは弱さ・寒さ・低さのなかに
捕囚されることをイメージさせた。
われわれの逼塞はさむい、ということだ。
渋沢孝輔には「夏至線」という詩篇がある
(『漆あるいは水晶狂い』所収)。
ただ入選した依田君の詩とは関連がないとおもう。
渋沢孝輔の詩は
その世代の詩作者では安藤元雄などとともに好きだ。
詩句が沸騰しようとする。
同時に逡巡とか含羞が走る。
それで詩行それぞれは抵抗圧の連鎖となりながら、
片方ではげしく内部分割化しようとする。
このひび割れが「叫喚」を錯視させるのだけれども
渋沢の専門ランボーからは差っぴかれて
「不全」の面持ちをみせ、孤独だ。
渋沢初期のころの連用つなぎの詩行連鎖などは
いまでなら森川雅美の呼吸をおもわせるが、
やはり言葉の熟成や蒸留期間がちがう。
孝輔の詩は「ただ書いてしまう」粗忽者の詩ではない。
噛めるのだ。
さて依田くんの詩篇。
まず第一聯~第三聯を転記打ちしてみる。
●
連絡のつかないひとりの
仲間のために
ぼくたちはおおきな灯台を
盗んで
しのび逢う恋人たちを丸裸にして
何人かの舟守も殺した
密漁者と手を組み
あらゆるルートを奪取すると
ただちに
期待はふくれあがって
(地平線は虹色だ!)
●
「ぼくたち」という主体提示がある。
僕のいうところの「われわれ詩」だ。
われわれ詩とは、
詩篇のなかで「われわれは」としめされて、
読者もまたその「われわれ」の域への包含をおぼえ、
同調をしいられる魔法を生産するものだ。
それは左翼運動~学生運動の主体提示に同じ。
つまり「we shall overcome」から
「われわれは勝利するぞー」までと姿勢が相同で
(だから「われわれ詩」の代表選手が稲川方人ということになる)、
いまは多くの詩作者では「ぼくたち」「ぼくら」と語をかえられて
「われわれ」の鬱陶しさから逃れようという傾向がつよい。
僕はカフカの箴言のなかの「われわれ」の用例が好きだ。
「わたし」の用例と確実な偏差が意識されている。
ロック歌詞では
We carried you in our arms,
on Independence Day
から始まるディラン-マニュエルの「怒りの涙」。
初発衝動がなくなる宿命のロックにたいし
老化を自覚してメッセージの具体化にとどまり
それで悲哀と怨嗟を表現した佳曲。
そしてこの曲では主体がweからIに転げおちる瞬間がある。
Why must I always be the thief?
と。
ところがこの依田「冬至線」では
主体は盗賊であっても一人称複数のままで、
虹色の提示があっても全体が暗色・寒色に終始する
(「虹色」の語は括弧のなかに入っている)。
主題は宿命性の今日的な膠着に関わっている。
鈴木謙介の社会学が参照されているかもしれない。
もっと微視的に検討してみよう。
まるでそのものを引っこ抜くような
「おおきな灯台を/盗んで」のイメージ効果が抜群だ。
つまり詩篇は虚偽とイメージ結像不能性を
自身の法則にしていることがこれでわかる。
冒頭、「連絡のつかないひとりの/仲間のために」から
実は抑鬱的なブレーキがかかっている。
その「仲間」は「われわれ」の我々性からの離脱を指示していて
配慮はすでにそういう「われわれ」の
自己解除のほうを行きかっているのだった。
主題は一人称複数の郷愁とその同時的不能を
郷愁をもって描出するというアクロバットを演じた、
園子温『気球クラブ、その後』と同じ。
その映画に連鎖された気球-風船の球形を
依田くんは地平線眺望にまつわる球形意識に換え、
同時に「( )」の風船型にも変貌させている。
よく考えてみよう、
《連絡のつかないひとりの/仲間》の所在とは
実におそろしいことなのだ。
「われわれ」の団結意識はこうした運命上の翳のためにこそ
死にいたってゆく。
それは「かならずいる」--「私自身の可能性」として。
つまり「われわれ」と「わたし」に決定的な弁別線を引くのが
倫理的には《連絡のつかないひとりの/仲間》なのだ。
倫理というのは、こういう仲間を忘れた団結は
その示威に虚偽を抱え込むため。
この弁別線と「冬至線」がかさなっている、と読んだ。
さらに一聯~三聯に固執すると、
《しのび逢う恋人たちを丸裸にして》によって
「ぼくたち」は半端なデュラス世界を扼殺する
(「デュラス」が実現されず
メロドラマ化してしまった『雨のしのび逢い』を想起、
同時に愛知県のカップル殺人事件をも)。
「ぼくたち」は盗掘のみならず抹殺にも関わっている。
しかしそれは地平を駆け抜けられない脱出不能にもつうじている。
この岸から沖へ向かうための「舟守」を殺し、
磯で鮑や海胆や伊勢海老を密漁し
それを盗品「ルート」で捌く近視眼性に安住している。
吉岡実「謎〔エニグマ〕/沖は在る」は当面、想起されない。
「ぼくたち」は「連絡のつかないひとりの/仲間のために」、
自身についに限界をもうける。
限界をもうけ抒情に濡れて、
結局は水平線=(地平線は虹色だ!)となるのだが
「ぼくたち」の歓喜はいつも括弧のなかに入り、
やがて閉域性を決定づけられてしまう。
ずっと飛ばしてみよう。
第七聯・第八聯・第九聯を転記打ちしてみる
(第七聯は元のレイアウトでは尻揃えだが天付きとした)。
●
(サヨウナラこんにちは)
ぼくたちはそのとき、
終わりと始まりを同時に知る
だれかが貝殻を打ち
鳴らす 打ちつづける
みんなが打つ
みんなみんなが打つ打つ打つ
冬至の日、
(地平線は虹色だ!)
(いつ 銃撃戦は始まるか)
●
サガン『悲しみよこんにちは』の代わりに
「サヨウナラこんにちは」と呟いてみる。
サガンはさらに出来の悪く、大衆化されたデュラスだ。
ただそれは「こんにちは」への別れと
「サヨウナラ」との逢着、そのふたつを同時につくりだす。
そしてこれは分離できない。
つまり邂逅と別離の分離は不能なのだった。
尾が尾を食む。
「ぼくたち」は全体が一匹の蛇、ウロボロス。
そうして開始(開闢)と終結(終末)は
無差異のなか円環に隠される。
はじまっていることとはすでにおわっていること、
おわっていることとはすでにはじまっていること。
はじまりのおわり。おわりのはじまり。
そんなことはノストラダムスの終末預言が流産したときとか
例の9・11でもう完全に自明になっている。
リズムとはいつでもしかし開始だ。
微視的にリズムはそれ自身からのズレをいつも内包し
その痕跡が複合化(ポリリズム化)をもとめるから開始だ。
だがその開始はマイルスのアルバムが終わるように
ズレのままかならずいつかは終結する。
「貝殻を打つ」。
鮑を密漁し、罪に直面するため
「ぼくたち」はそれを啜ったのだから
「ぼくたち」の周囲に貝殻はあふれる。
その事実を鳴らす、打つ。
それはリズムだから「始まる」。
しかしそれは、「貝殻追放」を聯想させるから
「ぼくたち」の内在性に
さらに分離斜線を描きくわえてもゆく。
「打つ打つ打つ」、
リズムはそれ自身の本懐となって吃音化する。
括弧に入った(いつ 銃撃戦は始まるか)は
その問が括弧に入っていることで始まらない。
内域はいつも不発で、
そこに抒情的なだけの(非)実質しか呼び寄せないのだ。
述懐が「ぼくたち」の生命力がいちばん弱まる
「冬至の日」になされているからそうなるが
(「ぼくたち」は周知のように短日性植物)、
ただよく考えると「冬至」以降、「かならず」日は長くもなる。
第六聯の一節
《みみみ、みみだれる日には》から引き出されたような
《みんなみんなが打つ打つ打つ》は吃音性として意識される。
「打つ」は「うつ」と読め「ぶつ」とも読める。
「うつうつうつ」は「鬱鬱鬱」だし
「ぶつぶつぶつ」なら不平表明だ。
ただしそれはリズム理論から抜けられない吃音性の閉域にある。
詩の全体は「詩手帖」5月号を確認してもらうこととして、
この詩篇の最終聯をしめしてみよう。
●
みんなが呼ぶ
みんなみんなが呼んでいる。
●
「ぼくたち」を主語とした以上、
「連絡のつかないひとりの/仲間」もふくめ
「みんな」という語は容易に擬制される。
吃音のさざなみにあっては第二行めは
《「みんな・みんな」が呼んでいる》、とまずは分解されるが、
もうひとつ認知をすすめてみると
《みんな〔みんなが呼んでいる〕》
(構文「みんなが呼んでいる」全体を「みんな」が包含するかたち)
にすり変わる。
つまり喚起・渇望が閉塞世界の常態であって
その常態性により、
世界は閉塞をあらかじめ解かれていると
考えられているのではないか。
入れ子が開放のかたちだった。
いずれにせよ、線による閉塞と
自身を「ぼくたち」と呼んだ閉塞について
この詩篇は詩的な考察を繰り広げている。
同時に最初のほうに書いたように、
一行の空間化が保証されつつ
各詩行が動態的に「展開」してゆくから
詩篇自体は閉塞をまぬかれていて、
その「ありよう」そのものが
提示された閉塞にたいして読解をつけくわえる。
依田君の「冬至線」は
そういう微妙な場所に出現しているのだった。
だから出来がよく、ひと皮剥けたと評されたのだろう。
●
「現代詩手帖賞」受賞者のうち白鳥央堂さんにとくに注目する。
とくに掲出詩篇には、西脇的「祝言」の気配があった。
あふれている。しかも貧しさが自覚され「あふれている」。
何と倫理的な言葉の組成なのだろう。
最後のくだり、
《いまは口唇の震え//私はさいしょの詩を書いていた》の
「さいしょの詩」とは、どう読んでも
投稿欄に応募された最初の詩篇のことだ。
ここでも「円環」が意識されている。
同時に投稿欄掲載によって
そのまま「詩集全体」を段階的に提示してゆこうとした
この詩作者(「受賞の言葉」にその自負が語られている)の
若さに似合わぬ透徹した意識を尊敬した
自身のゆび
【自身のゆび】
瀉血の要感じ次善の排尿を了へて春夜は真闇ふかしも
同寸の樹を共依存の的としてそんな木陰を蹲みつくさう
膀胱をもつ定めなら人みなも晩鐘として見えずなりたり
丘ゆ丘往く高熱の自転車もいつか乗り手を草生に落とす
月齢をもつて呼び名を変ふるまの恋や枕に相手散りぢり
剥くことを自負にしをれば時々は卓上に散るわが指十本
おのれ焼く手立てがことば、持ち重る耳も脳(なづき)へぢかに順ふ
消えるべき身の糊代をどこと決め半ばに真夜はわれを折らむか
正中の線もて魚は断罪のかぎりをおよぐ我は水飲む
幻術のやがての毛野はうすひかる老いのわたげのあまたうかぶも
●
卒制指導で望月裕二郎君の歌集制作を指導することになった。
彼は立教生ながら早稲田短歌を根城にする口語短歌の徒。
助走段階で出された歌にも秀吟がすでに若干みえる。転記すれば、
玉川上水いつまでながれているんだよ人のからだをかってにつかって
さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく
などなど。
これはこっちも口語短歌の水準に慣れなければと
とうとう笹井宏之『ひとさらい』、
斉藤斎藤『渡辺のわたし』をネット注文し、読んだ。
どちらも読んでなるほど、とおもう。
それぞれ、僕がおもった秀歌を引こう
(あまりに人口に膾炙しているとおもわれるものは
なるたけ避けることにします)。
●笹井宏之
ひまわりの顔がくずれてゆく町で知らないひとにバトンをわたす
街中のリーゼントへと告げられた初雪予定時刻 十二時
美術史をかじったことで青年の味覚におこるやさしい変化
いつもより遠心力の強い日にかるくゆるめたままの涙腺
フロアには朝が来ていて丁寧にお辞儀をしたらもうそれっきり
思い出せるかぎりのことを思い出しただ一度だけ日傘をたたむ
ファールっておもったときの地平線 あおくってひとたまりもない
どんなひともひかりのはやさたもってる みえたしゅんかんにみえてしまう
シャッターを切らないほうの手で受ける白亜紀からの二塁牽制
ひとたびのひかりのなかでわたくしはいたみをわけるステーキナイフ
●斉藤斎藤
あなたあれ。あなたをつつむ光あれ。万有引力あれ、わたしあれ。
背後から不意に抱きしめられないと安心しているうなじがずらり
あるあくる朝めざめると左手は洋梨をにぎりつぶしたかたち
リトルリーグのエースのように振りかぶって外角高めに妻子を捨てる
ふとんの上でおかゆをすするあと何度なおる病気にかかれるだろう
それぞれのひとりをこぼさないようにあなたのうえにわたしを置いた
ぼくはただあなたになりたいだけなのにふたりならんで映画を見てる
めざめるとひし形だった天井を正方形にちかづけて寝る
横断歩道の手前でかるく立ち枯れていちまいの葉を裾からこぼす
寝返りにとりのこされて浮かんでるひだりのうでを君にとどける
●
口語短歌はこのレベルだと
平明さへの注意とともに精神の瞬時の集中が要る。
その軽やかさ、柔らかさは、
詩神と緊張ある取引の果てに舞い降りたものだ。
これらは塚本亜流の重々しい駄作とはまったく基準がちがう。
斉藤さんとはこないだ岡井さんの会で話した。
それにしても笹井さんの夭折が惜しい。
どちらの才能も、口語短歌流行初期のそれよりも
僕にはしっくりとくるが、
それは時代の照準が彼らのようなタイプに合ってきたからだろう。
試しに僕も口語短歌をつくってみようかとおもった。
けれどできなかった。まだ軽さの達人になりきれていないのだ。
それでも上に掲げたものは発想が口語になっているとおもう。
ご参考までにアップしておきます
マッチ売りの偽書、簡単に
前の詩日記「穴を響かせる」は
シリーズ詩篇の最後を飾るもので、
連作自体を振り返ってもらうチャンスでもあったのに、
書き込みがなくて残念だった。
というか、書き込みはあった、某氏からの執拗な。
その都合10幾つかの書き込みが
いずれもピントはずれで悪意にみちていたために
短気な僕は一々、丁寧に削除していた。
ただ日記がアップされた当初は
その某氏からの書き込みがたえずあったはずで、
それで他のひとも書き込みを控えたのかもしれない。
う~ん、ありゃ深甚な営業妨害だなあ。
廿楽さんはその「穴を響かせる」を褒めていたけどね。
いずれにせよ、詩篇アップには孤独な匂いがある。
だから、書き込みによってこそその孤独が緩和する。
僕なら、気に入った詩篇には率先して書き込むし
その見返りを他人にとうぜん要求していいともおもっている。
それが詩のユートピアへの第一歩でしょう。
もうKYはたくさんだ。
●
新一年生の入門演習(スパルタ教育)がすでに佳境に入ってきた。
『ことば汁』に収録された小池昌代さん「つの」にたいし
一班から考察ポイントのレジュメを出させて
それに批判を加えたのが大きかった。
こまかいことは書かないが、
作者の意図・描写の真偽・人物の気持などを考察したその班にたいし
僕は入れ子・フラッシュフォワード(自己言及)・序破急・反映など
短篇に組み込まれている「構造」を指摘、
同時に性的暗喩の確定不能性(男女分岐性)を示唆した。
これに「がーん」となったのだろう、
翌週出されたレポートの水準がグッとあがった。
「感想」から一挙に「構造批評」へ。
これだから教師稼業がやめられねえ。
調子にのって僕はもっと高度な話をした。
実は「つの」は
「そしてわたしはこときれた」という破天荒な一文をもっておわる。
フラッシュフォワードを部分駆使して
小説の自己言及性を匂わせての、論理的に不可能なこの末文。
ただしそれが幻想小説という
この小説のジャンルを疎外していないか。
あるいは幻想小説の歴史的「冷笑気分」が
ここに破壊的に籠められているとみることもできるが。
そうそう、幻想小説とは歴史概念なのだった。
18世紀~19世紀、イギリスを起源に
ドイツ・フランス・ロシアなどに蔓延していった
それ自体がメタな文学体系。
そこでは「現実なんか描いてられるか」という驕慢が横行、
幻想小説の付帯的メッセージも
たえず現世への冷笑を結果する。
自分の性格が(不安によって)冷たくなる、というのが
幻想小説の真骨頂ではないか。
となってウォルポールよりはホフマン、
そしてリラダン、マイリンク、
あるいはマンディアルグ以下シュルレアリストの驚異小説が
僕にとっての幻想小説の中心となる。
別格が現実を書いたのか幻想を書いたのか
深層では不分明なカフカ(とくにその短篇)と
ブッキッシュにすぎるボルヘス、
それに「ビヤン」など
同一イメージを朦朧体でしめすブランショかなあ。
そういえば、がつーん攻撃、は前回
横山未来子のベスト短歌集成のときにもやったので、
昨日どういうレポートが集まったのかはすごく愉しみだ。
こちらでは主題系を分け、
植物的受身の歌の身体が幻想か現実か
という刺激的な論点をまず出した。
そのうえでその主題が彼女の韻律とどう溶けあっているかも
授業中、チラリと示唆した。
そのかぎりで丁寧すぎる数首解説もやらかした。
●
昨日は中島悦子さんの『マッチ売りの偽書』につき
別班からレジュメを出させ、その説明をさせた。
一年生にはかならず、その前年度、
僕が最もよかったとおもった詩集を抜粋、
それをテキストとして読ませる。
一昨年は石田瑞穂、去年が廿楽順治・杉本真維子だった。
詩読解の原初的悦びをあたえ
同時にアカデミック硬直から詩を外すためには
近代詩(古典)ではなく
現代詩の「やわらかい先端」を読ませるのがいちばん、だとは
実はここ数年で得た経験則だった。
その詩が時代を呼吸していれば
その呼吸は詩を読みつけない者にもかならず通じる。
このことを詩作者ももっと楽観してよい。
さて『マッチ売りの偽書』に話を戻すと、
レジュメの論点は小池さん「つの」での僕の所見に引きずられ、
「作者の事情」の詮索にまず集中してくる。
詩集の「序」にあたる部分に「哲学者へラオ」という
奇態な固有名が出てくるのだが、
それを「表現者全般」を暗喩しているとまとめあげてしまったとき
僕は具体性の立場からそれに反論した。
へラオの「ヘラ」は
万物流転の「ヘラクレイトス」と同じ接頭辞をもっている点は自明
(へらへら笑いや「箆」に「男」をつけた、
君づけにふさわしい安直な名前でもある)。
ヘラクレイトスの「同じ河に二度入ることはできない」が
きちんと引用されている点でもこの見解が補強される。
同時に、
詩篇本文はそのエピグラフ的部分を除くと、
《その日も哲学者へラオは、マッチを売っていた》ではじまるが、
それでヘラクレイトスとマッチ売りの少女も融合される。
ヘラクレイトスの水と、少女のマッチの火。
それは水と火の通底という物質間詩学の根本を志向しつつ
同時に「水のなかの火」という不如意な現状をも示唆する。
そして中島悦子の詩篇は物質的にはまずはそのあいだを
「ポップに揺れる」。
レジュメは具体的な詩中語句を拾い上げて
詩集(「序」「Ⅰ」を実はコピーした)に喪失感と悲哀が
ともにみなぎっているともした。
僕はたしかに指摘された言葉を散見できるが、
問題は化学文から乱暴会話まで
段階的にグラデーションを形成する
文系列の虹状態で全体が形成されていて、
そうした多数性の保証によって
詩篇の世界観がポップになっている点が肝要だと反駁した。
しかもその際に付帯効果、「笑い」までもが出来し、
それがこの詩作者の隠れた苛立ちにもつながっているから
憧れも生ずる。
詩語のほぼ一切の廃棄が貫かれている点にも注意すべきで
これら全体によって生ずる「気分」「空気」が
「いままさに現在」のものだという強調もしたのだった。
ただこれは詩作者に特有な実感かもしれない。
組成の問題でいうと
レジュメは『マッチ売りの偽書』を
ズレの技法を駆使した散文詩、という大別で済ませていた。
ちがう、と僕はいった。
この詩集での基本「単位」は
数文で形成される半物語的、半イメージ的「断章」で、
断章内の文にズレがあるほか
断章間にもズレがあって、
しかもそのズレの二重性が一致しない点が肝要なのだった。
それだからズレのグラデーションが複雑ポップになる。
切られた啖呵の鮮やかさはしかし集中的な箇所にだけ生ずる。
幻想小説に変ずる箇所も、ギャグもそう。
つまり詩集は全体に「分散」をその視覚性にしていて、
それと「断章」のちりばめが相即しているということだ。
詩篇「乗りあげて」で
分離された「沼地」と「弓道場」はどんな乱暴な経緯で一致するか。
「履歴書」掲載事項の笑いにも苛立ちと唐突さが連関している。
そう、ズレの生成よりも詩篇の細部法則は
「突発の放置」といったほうがいいかもしれないが、
それが「シュルレアリスム的な自動記述」と異なるのは
じつは言葉個々の差異・深度が周到に計測されているからだった。
一例め:
《時代が変わったということもできるね、と二歳の甥が言う。》
(「小川」)
何かいっているようで何もいっていないような
ただ大人びた雰囲気だけのクリシェを
中島はまず見事に摘出(発明)したうえで、
それを「二歳の甥」に結合させる。
この笑いの「二重構造」は実際は関西的叡智にちかい。
二例め:
《目玉。目玉が流れていく川。夜を見ている目玉の川。窓。目玉がのぞいている百代の窓。夜明け、木のてっぺんにある目玉。》
イメージ結像性と発語の闘い。
句点単位でいうと上記の文は三つめまではイメージできる。
それがとつぜん「窓。」に飛躍するが
がんらい、詩的想像力では「窓」も「目」だ。
そして「百代の窓」という芭蕉「百代の過客」をかすめた語で
とつぜん川以外の空間が流動しだし(そこにも同じ目玉がある)、
その動きがさらに木のうえの同じ目玉によって
唐突に縫い閉じられて、
ふたつに割れたイメージそのものが瓦解する。目玉割れのように。
難解な語なしに、このイメージ奇術は敢行された。
詳細な書き方はしないが詩篇「石動」では、
「N戦争」「N市」という隠匿性の言葉をつかう聯があり、
うまくイニシャルの中身が当てられない。
僕などは「南京」をふと考えたが
とつぜんその答「のように」、
断章中にイニシャル「N」の
「ネカダル」という言葉が噴出す。
ところがこの古代地中海的言葉の出自が僕にはわからず、
ひらかれたNの扉はより謎の深度のほうへ向かってしまう。
とうぜん、レジュメも、
「はっきりしない地名」が多いと指摘する。
ただし「はっきりしない」のではなく、
「信憑において段階別になっている地名」が
一断章のなかにポップに混在していると
精確にいうべきだと僕が反論。
これも一例を、今度は聯の丸転記でしめそう(同じ「石動」)。
この間は酔っぱらいにからまれた。東海大学前からは、東海大学の学生が乗ってくる。東京学芸大学前からは、東京学芸大学の学生が乗ってくる。そうだろ、そうに決まっているだろって。そうですね、そうですね、って私。蛇骨原という駅を通ってきたら、蛇の骨が乗ってくるんですよね。石動からは、重たい石が。青土駅からは、まっさおな土が流れ込んで、列車の中はずいぶん混沌とした墓ができそうではありませんか。
鉤括弧で括られない曖昧な駅名提示がつづく。
それらを最大限に拾ってみると
①「東海大学前」、②「東京学芸大学前」、③「蛇骨原」、
④「石動」、⑤「青土」となるだろう。
①小田急小田原線に実在、
②は東横線に「学芸大学」という駅があって名前は近似値。
しかも「学芸大学」の隣には「都立大学」があって
それは大学が移転してもその名前のままでいる矛盾を生きている。
となって、「東海大学前」の旧駅名「大根(おおね)」が
「だいこん」と誤読されるのを住民が嫌い、
駅名変更された逸話も憶いだす。
そういえば京王線「つつじヶ丘」はもとは「金子」だった。
③「蛇骨原」はその駅名がないが、
「じゃこっぱら」という読みで、鉱物遺跡地があるようだ。
僕はその事実を知らず、
当初これを「だこつはら」と読み、
そこから俳人飯田蛇笏(だこつ)をイメージした。
露をのせた芋の蔓が群生する、「連山」手前の原。
同時に紫陽花と蛭の名産地、「麻綿原」をも連想した。
④「石動(いするぎ)」は富山に実在。
⑤「青土」は京成線「青砥(あおと)」を
ユリイカ、現代思想の「青土(せいど)社」にずらしたものだろう。
音読みすれば、「制度」と同音になる。
とまあ、駅名列挙だけで
中島の詩は「信憑」の細かい層を
遊戯的に路線変更しながら進んでゆくことがわかる。
こうした動きがポップなのだということ。
いい加減だと笑っていると
必殺詩句が不意に視野に入り込んでくる。
この「不意に」が彼女の詩の、空間の拡がりの本質だ。
玉手箱的空間、驚愕空間、決して要約されない含みの空間。
以下、出典詩篇明示も抜きにして、ランダムに。
《水中花火を真正面で見る。》
《「趣味 幻聴」。》
《たいやきでも見てろ。》
《人の肌の色を探っていく。辿り着く、その色合いがずれていく。》
《君たちを番号で呼んでもいいかな。》
《ミハエルを黙らせろ。》
(僕は最初これを「ミエハル」と誤読し
より鳥肌を立てた)
《カラスに放火する犯罪が、今では多発している。》
《魅力的な乳房は見せるに限る。》
詩句の質としては田中宏輔の最近の詩とも共通するものがあるが
抜き出したフレーズの次はかならず意外性につながっていて、
宏輔詩が前提にしている描写世界の隣接的連続性がない。
あるのは前提のない世界、
つまり言葉同士が裸でぶつかりあってつくりあげるだけの
「仮の隣接」のみで
その英断が、構文の仮の断定性とともに爽やかなのだった。
こういうことが現在の「詩の気分」に合致している。
中島の詩の律動・韻きをつくっているのは
馴染まない言葉だが「断定単位」ということができる。
それは断定でありつつ背後論脈から遊離しているため
曖昧さをももち、
それで結局、断定性の解除という機能を同時的にもってしまう。
断定文における断定性が侵食されるのは
中島の好みのどこかに「カタコト性」があって
それによって文が畸形性に傾き
断定の意味の縮減が起こるからでもある。
言葉はそのようにしていかめしさから逃れ、
子供の顔をしつつ分子的な衝突を開始する。
このざわめきにあかるさがあるのが中島悦子の特質だとおもう。
およそ以上のことをズラズラと喋ってしまい、
受講生がレポートを出す必要がなくなってしまった。
それで出した課題は
「A4一枚、計10くらいの短い断章を連鎖して
意味不明で明るい文をつくれ」。
とまあ、気楽な授業をしています
穴を響かせる
【穴を響かせる】
ずたぼろは袋で、袋はわたしだ。
わたしは河原の行人をとつぜん自らの穴につつみ、
風を聴かせ、それをもって愛とする。
世の中には風穴がいっぱい、
ただ肝腎なのは風と穴すら同じということだ。
それと春に考えるべきは
抽象すれば 内在するこの臓器も
ものものしいけれども機能個性をえながら
それぞれ穴を形成している点だろう。
わたしの内部は星でできていて
その夜空の模様が細かくなればなるほど
愛がやるせなくなってしまう。
だから愛はどちらが他を併呑するともなく
袋と袋がからみあって
それがまるで家というように風路をつくる。
そいつがざわざわ鳴る。共振。
昨日食べたものが いしずえとも知る。
卒業時や七〇年代に内部とみえたものも
穴の概念を活用すればすでに外部となり
内外の弁別が無意味とさえさとって
世界構造もクラゲだの海綿だのに範を移す。
ただようのだ、春のおわりには。
においをのこしたTシャツ(衣料的な穴)に
わたしの空身を容れて
土手などをゆらゆらしながら
気づけば買い物などを達成しているべきなのだろう。
うつす、といえばわたしは
眼瞬きに自分の表裏の刻々を写しながら
いっとき持続して、ひかりの穴に入らされ
身を宗教的なあまりとまでされて
自身が自身の影になっている。
音楽とはこの状態だろう。
わたしの心はわたしの躯を刻々撮影し
世界ならばそうした個別性の超越として
結局は非人称カメラの位置にまで擬制される。
だが本当の撮影とは布教に似て風の行き交いなのだ、
撮影隊はそうして撮影日誌の不意のみをおとずれる。
あるときの蓮華、あるときの李、あるときの菖蒲、
それらが追憶の穴となっては土手をゆれて
天国だの極楽だの浄土だのの厚みがうまれ
結局は眷恋も水郷だろうということになる。
撮影のまにまに交換する、
わたしの像とおまえの像。
像もひっきょう穴だと知って
そんなものを交換の執着にする世の中の
その死後がいよいよせつなくなるが
風とともにあるていど生きればもう
受け入れるべきも死だけなのだった。
愛する者の心臓をつかみだす、
そいつもまた風や星でできていてうれしい。
●
気づけば草森紳一『「穴」を探る』が出ていた。
著者当人が企画しなかった死後イシューなのは明瞭だが、
草森さんのかつての名著『円の冒険』の円づくしを睨んで
その編者も、多誌に書き散らされた草森エッセイから
「穴」テーマのもののみをえらび
主題一環的な一作としたようだ。
「ようだ」というのはこの本、
まえがきもあとがきもない奥ゆかしさを誇っていて
その出版事情については類推するしかないためだ。
河出書房新社の刊行。
ということは、編者は青土社時代、草森番だった
西口徹だろう。
散逸しがちな未刊行の草森文は
このように丹念に主題系でまとめよ、いう示唆だ。
それほど彼の未刊行文献には贅沢な厚みがある。
同様の編集が後進するといい。
あるいはまるまる一個が書斎だった草森さんの鬱蒼とした住居、
それが死後、有志によって整理されたとき
携わった編集者のあいだで
出版計画が極秘に締結されていったのかもしれない。
いろいろと想像は楽しい。
奥付の初版発行日は本年二月二八日。
河出のことだ、
たぶん朝日新聞などには広告が出されたとおもうが
もうずっと東京新聞購読なので刊行に気づかなかった。
この「穴づくし」の本を半分弱まで読み、
矢も楯もたまらなくなって上の詩を書いた。
これで今回の連作もフィニッシュかなあ。
●
このGWはきぜわしい。
〆切原稿は書肆山田から出る田中宏輔さんの新詩集、
『The Wasteless Land. Ⅳ』の栞文、
久しぶり、「キネマ旬報」への
横浜聡子監督『ウルトラミラクルラブストーリー』評
(信じられないほど豊かな含みをもった寓意映画だ)があって、
その合間で女房は精力的なレジャー計画を組み
これらを着々と実行にうつしながら
それ以外の日、女房はカンヌ出張に向けた諸事に追われ、
家でパソコン仕事をする。
その女房の傍らで
家事、買い物、録画済TV番組の同伴視聴に付き合わされる次第。
とりわけTVの今期はお笑いがよく、
『サラリーマンneo』の新シリーズがはじまったのに加え、
NHKはさらに意欲的に
芸人に一組一回の大盤振舞で
パフォーマンスの自由な29分をあたえる『笑神降臨』まで開始し
(東京03の回など抱腹絶倒で苦しいほどだった)、
さらにはチュートリアルをホストにした、
『侍チュート!』も絶好調なのだった。
おかげで、まとまった読書はつい昨日から開始した。
今日は昼から思潮社・亀岡さんがしかけた、
廿楽順治、小川三郎との「改行派」飲み会。
昼酒という贅沢がうれしい。
内容が充実するなら
次は杉本真維子、近藤弘文などもさらに面子に加えよう。
ちょうど詩の話を真剣にしたいところだった。
●
あ、池田實さんの個人詩誌「ポエームTAMA」最新号には
僕の未発表詩篇「江永県女文字の女子」(割と大作です)が掲載されています。
GW直前につくって送ったものがもう詩誌に入って刊行されたのにはびっくり。
今号ゲストはほかに、小池昌代、来住野恵子、岩佐なを、作田敦子諸氏。
池田さんは僕の『昨日知った、あらゆる声で』と
小池さんの『ババ、バサラ、サラバ』も書評なさっています
(並列紹介されるのはこれで何度目だろう)。
「ポエームTAMA」は送料込みで300円。
ご入用の向きは以下を覗けば大丈夫なんじゃないか。
http://www.hinocatv.ne.jp/~planet/