fc2ブログ

ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

俳句談義(追加あり)

 
採点地獄がつづいています。
傾注しているのにぜんぜん残量が減らない。
一授業あたりのレポート提出者が多すぎるためだ。
レポート採点一人あたり幾ら、といった
歩合手当てはないだろうか。
がらがらの大教室授業をしている
正規教授連にたいし余りに不公平だよなあ。

けれど本日は午後から映画。

近況報告というわけでもないが、
「なにぬねの?」近藤弘文くんと交わした俳句談義を
下にペーストしておきます。



ちょうど数日前、自分のこれまでの句作を見直して
ちょっとゾッとしたところでした。
意図した震撼句、怪物句(耕衣ばりの)が
かなりの頻度で空回りしている。

歌作ならば自分の情の質と
韻律との配合を吟味して
出来不出来が簡単につかめるのですが、
句作での自己満足の弊は
その句を完全に忘れたころにこそ判明する。

綺語と認じたところが
大体駄目ですね、手前勝手で。
俳句は短歌より
普遍性がもとめられているのかもしれない。

それと意味が数様に分岐する
「曖昧句」も駄目ではないか
と現在おもうようになりました。

ともあれ俳句に重圧をかけすぎた。
「未定」に拠って無理をしすぎたのかもしれない。
現在、「かいぶつ俳句」に乗り換えて
だいぶ俳句への見透しが変化しました。

ともあれサイトにのっけている俳句、
暇をみつけて
半分に絞ろうかなあ、とおもっているところです



俳句というか秀句の成立与件とは何か
って真剣に考えだしたんですよね、
これについては短歌より自分の考えが甘かったともおもう
(短歌は塚本邦雄を否定するなかで
原理思考を深めていった自覚があります。
結果的には韻き・調べが第一となった)。

いっぽう俳句は世界認識の器でしょう。
身辺雑記の用具でもない。
そしてそこで何か強圧、
それが言いすぎなら「強調」が入る。
ここでどこか眺望が歪む。
そういうものをじつは俳句性と感じる。
それで俳句が好きなのです。

律が守られていても俳句でないものが多く、
それに対すると応接に窮する、ということにもなります。

たとえば永田耕衣の絶頂が『冷位』とはみとめるけど
あの句集を読みかえすと異様に疲労する。
あるいは山川蝉夫の一行句は好きなのに
高柳重信の多行句のほとんどが
ピンとこないのはなぜなのか。

等々、俳句鑑賞には疑問がつきまとうんですよね。

つまり、なにが俳句性の芯なのかが
俳句作者のあいだでもぶれているとおもう。
この点、批評的一貫性をもっているのは
僕の知見範囲内では仁平勝さんが一番です。

「未定」句会の気持悪かったところは
ぜんぜん納得できない句が
いつも句会で最高点句をとってしまうことでした。
それでは抑圧がたまる。
ただそれは句会につきまとうことかもしれない。
いま「かいぶつ句会」に行ってもこの点は同じだし・・・

俳句性の芯。あるいは瘤のようなもの。
その認知なくしては
芭蕉とたとえば放哉と郁乎と安井浩司を同列に読めない。
こういうことを最近考え出したのです。
けっこう真剣ですよ、
後期に連句の演習もあるから。

しかしこのごろは小説の要件を考えるとか
そういう原理的思考が多いなあ。
余生時間が限定されだしたということかもしれない


【その後のセルフ書き込み】

俳句を、写生とシュルレアリスム、
その視点の合体とする見方は、
いまは文献を精査できないけど
モダニズム俳句時代にもあったものですね。

僕は映画評論を以前はやっていて、
そのなかではジャンル論の手法をよく活用しました。

たとえばフィルムノワール的な映画があったとする。
その映画とフィルムノワール映画のジャンル法則をぶつけあって、
対象の歴史的位置を吟味するのです。
たとえば一人称ナレーション(オフ)はどうなっているか、
話法中の時制変化はどうなっているか、
あるいは都市はどのように迷宮化されているか、など。
そうすると当該対象映画の相貌が
ものすごくくっきりと浮かび上がることがあった。

むろんそのようなジャンル法則は
俳句のように普遍性のたかい文芸ジャンルには
とうてい活用ができない。
俳句を俳句たらしめているものには
もっと複雑な与件があるはずです。
僕は季語とか花鳥諷詠に典拠をもとめるわけでもないし。

それをたとえば
認識の切断=文脈の切断=音韻の切断、
この三一致だといってみる。
この等号連鎖によって
たかだか十七音程度にすぎない言語世界に
異様な広がりが出ることもありうる、ということですね。

ただ三一致だけでは「ねじれ」が感知されない。
もっと俳句の「俳」の字に見合った、
畸形的な拉致が、語斡旋には必要なのではないか。

田中宏輔さんの『Wasteless Land Ⅳ』栞原稿での僕の手柄は
ゆがみ、重複とズレによって
詩篇の物量が増大する、と分析したことだとおもうのですが、
俳句という文芸にある魔法もこれだとおもいます。

極小は極小性のままではかわいらしさを意図できても
退屈さを除去できない。
盆栽をみるとわかる。
苔の分布、そして枝の撓み、ゆがみ。
余白に全体を志向するこのような東洋的表現の本質にとって
俳句、茶、盆栽の小ささなどは
みな同じ要件をもとめているのかもしれない。

となって秀句だと驚嘆するときにも
何か畸形性への畏怖が介在しているのかもしれません。

俳句はウラタロウさんのおっしゃるように
その極小性・三分節性によって
サンプリングと再構築処理に適する、
その小ささも理想的な、
超現代的文芸とみなされても別にいい詩型です。

ところが僕にとってそうさせないものがある。
俳句にまつわる東洋性の亡霊のようなもの、がそれです。

短歌は歌として記憶化され、
記憶した身体を再-情緒化してゆくけれども、
俳句で同様のことをしても
自らが怪物化してゆくだけなんじゃないか。
しかもそこでは奥底もない。
永田耕衣の怪物句などはこの意味でこそ
反復的な再訪に値するのだとおもいます。

と書いて気づく、
僕のこの立論は俳句的な要件を
ひとつも具体的に語っていない、と。

これが僕の力量の限界でないとすると
これこそが俳句自体の「正体」に突き刺さっている・・・?  

スポンサーサイト



2009年07月31日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

自己陶酔の危険

 
昨日・今日と、
自分の詩作の確認と校正つづきだった。

最初の詩作の確認は、
「ユリイカ」本年八月号(特集・菅野よう子)が届いてのこと。
そこに僕の詩篇、「みんなを、屋根に。」が
六頁の長きにわたり載っている。

これ、自分でいうのも何だが、
すごく泣けてしまう詩篇だとおもう。
今度出る僕の詩集の、
さらに先をゆく境地にある。
ただしこの詩法では量産が効かない。
今後はこの手の詩を書いてゆこうとおもっている。

いっぽう最初の校正は、
「詩と思想」(特集=詩と身体)から届けられたゲラによって。
僕の論考は「詩的な男性身体とは誰か」とタイトルした。
あっちこっちに論旨がすすむ
僕特有の数珠繋ぎ論考だが、
横山未来子の前フリのあとフィーチャーしたのは、
石原吉郎、西中行久、そして松岡政則。

ただし執筆時は一ヶ月以上前なので、
松岡政則については出たばかりの素晴らしい新詩集、
『ちかしい喉』がまだ視野に入っていない。
これについては詳しい論考を
いずれ繰り広げなければならないだろう。

この「詩と思想」のゲラでは
字数制限と闘った痕がくっきりしていて、
原稿が目詰まりしていた(論旨展開ではなく見た目が)。
一頁超のようだったが削れという指示ではなかったので、
改行をふやすなどして
視覚上の重圧を軽減する直しをした。

しかし先ほどの松岡さんではないが、
今年は春以降、素晴らしい詩集が目白押しだ。
飯田保文、田中宏輔、清水あすか、杉本徹とつづき
そこにいま松岡政則の一撃がくわわった。
その後は、廿楽順治も九月に詩集刊行を予定している。

僕もじつは九月に詩集刊行を予定していて、
これが大ボリュームの異常詩集となる。
『頬杖のつきかた』というタイトルで
版元は思潮社、編集も廿楽詩集と同じく亀岡大助。
その亀岡さんからは「とんでもない詩集」と
悲鳴とも絶賛ともつかぬ声があがっている。

僕は大体、自分の文章や詩を読み返すと
冷静さを保ちながらも酩酊してゆく。
発語される語同士の距離やリズムが
当人だからとうぜん気持よいほかに、
書いていたときの観念連合や依拠現実などを
まざまざと憶いだし、
自分の生をそれなりに畏敬するためでもある。

ただしそこでは自己と自己の距離があまりにちかい。
よってその陶酔が「死と近接している」事実も知っている。
しかもこれが体感としては気づきにくいから危ない。
僕が事故死するのは、
こういう日に買い物に行くなどしてではないか。

ともあれ昨日今日は「ユリイカ」最新号、「詩と思想」ゲラで
まず自己陶酔を覚え、
ついで自分の詩集のゲラで完全にアシッド状態に入ってしまった。
眼がくぼんだほか
社会的不適応者のおももちもしているとおもう。
路上で出会う犬などにヤンチャをしでかしそうだ(笑)。

以前、僕のマイミクだった詩作者は
自分の詩集のゲラを読むと疲れてしょうがない、と
ミクシィ日記でこぼしていた。
これが僕には信じられなかった。

自分の屁がくさくないのがまず道理だとして
自分にいちばん心地よいリズムも自分の心音のはず。
だから自分の心音で書かれた詩は
かならず自身を陶酔に追い込む、
もう残余すらないほどに。

ところが詩作は同時に、自家撞着であってはならない。
他人のためにこそ書かれるべきで、
このとき言葉の舞い込みもまた
他律的境地へと並行変貌する。

僕の以前のマイミクさんは
誰がどうみても「自己チュー」だったから
自分の詩作を振り返るときでも
自己を契機にした世界の広がりがみえず、
徹底的に自身の影に逼塞してしまうのだろう。

ともあれ自分の書いた詩が判断できるのはゲラだ。
読み返して、軽さと快楽、
それに「他人が書いたような驚愕」が伴っていれば
それで書いたものが傑作と自己判断できるとおもう。

僕の今度の詩集はこの感覚がつよい。
嬉しいが、前言したように
それに喜んでいると「死が近づく」。

告白すると、すでに足が
地面から浮いているような気もするのだ
 

【その後のセルフ書き込み】

亀岡さんにゲラを見終わったとメールしたら、
「もうですか、早すぎる」と電話があった(笑)。
う~ん、たしかに僕は
どんな本でも自著のゲラ見が異様に早い。
病気みたいなものだ。
それでいて注意力が低減している自覚もない。
ハイでありながら細密になる。インテル上昇する。

自著のゲラを見る儀式とは何だろう。
自身の文体(韻律)や思考様式と
それは逼塞的に向き合うことにほかならない。
このとき読む自分が
書かれた自筆から逆規定されるという暴圧が起こり
自我はその試練を乗り越えなければならなくなる。

どんな経路によって?

ひとつは自分の文体を憶え
憶えた末に、忘却へと向けさせる自己離反によって。

もうひとつは自分の文体のなかに
他者性を発見し、それを希望の兆候とすることによって。

つまりゲラチェックとは、どんな場合でも
自己の確定と同時に、自己の減少なのではないか。
この二律背反を経由して、ひとは書き手として練磨される。
だから著書を出しているひとを
ゲラチェックによって自己問答した人として
一応、僕は信用してしまう。

そういえば写真家・荒木経惟の自我が「薄くなった」のは
なぜだかを僕は知っている。
あれほど写真構成+文章構成の達人だった彼だったのに
妻・陽子さんの亡くなったあたりから
写真の束を編集者にあずけ
写真集の構成を他力本願にしてしまっているらしい。
そういう局面がとあるドキュメンタリーで描写されていて、
「あ、これでアラーキーの写真が薄くなったのだ」と震撼した。

自分の処理は自分の問題でしかない。
それができなくなって、売れっ子が頽廃する。

ミクシィなんかの文章は
入力前にチェックの時間帯もあるが、
これがゲラチェックの峻厳さをもつか否かは
人それぞれだというべきかもしれない。
ゲラチェック=最終的な文体確定、
という先刻の言にしたがえば、
ミクシィ日記にも
文体確定、文体非確定の二様がみられるためだ。

しかしミクシィ、もう終わりなのかなあ
(とりわけ僕自身にとって)。

上の日記は、「この僕が」思潮社で詩集を出す、
という最大の事実暴露を伴っていて、
思潮社一極支配への対抗論陣を張っていた
僕の過去と矛盾するのだから
「どうして?」の突き上げがあってもよさそうだし、
「ユリイカ」の詩、みました、などの反応があってもいいし、
詩集の内容構成を訊ねる質問が舞い込んでもいいものだった。

なのに、誰も興味をしめしてくれないなあ。

僕の今度の詩集はものすごく分量が多いけど、
その理由は詩篇を次々にミクシィに発表していったから。

その意味ではネット詩集なんだけど、
書式はネット詩集的ではない。
この存在矛盾がメディア論的には
僕の営為の意味すべてだともおもい
それを思潮社の懐ろからこそ問いたかったのだった。

ああ、また自分で書いちゃったな・・・

みんな、「自分が自分に」だけだ。。。
 

2009年07月29日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

北海道旅行七月二十日~二十六日

 
車窓を流れゆく北海道原生林の姿が
まだ眼底にのこっている感じがする。
女房と一週間、北海道旅行に行ってきたのだった。

北海道旅行というとレンタカー利用が相場だろうが
夫婦ともどもクルマの免許のないウチでは
JR北海道のフリーパス切符で
延々つづく鉄道旅行となる。車窓をみて、眠くなれば寝る。
本はもっているが読まない。
何しろ北海道は土地が広く駅間も長い。
だから出発地→目的地の車内時間も半日に及ぶことザラだ。

九州、中国地方の豪雨被害がニュースでつづくが
今年の北海道も低温つづき、日照日不足の天候不順で、
「晴れ女」の自負をもつ女房ともども
ついに悪天候による旅程変更の憂き目にあうのかと覚悟したが、
結果でいうと土曜日、釧路から花咲線での根室行を、
豪雨で電車が遅延して、戻れなくなるのではと断念、
途中の茶別で引き返しただけだった。
かわりに行った釧路市立博物館はすごくおもしろかった。

以下、簡単に備忘録。

●月曜日=新千歳空港。途中、旭川で下車、
以後は宗谷本線で稚内へ。
宗谷本線は途中、天塩川に沿う恰好になるが
川は泥水で不気味に増水している。天候曇り時々雨。
ところが豊富あたりから急に晴れ、西日がまぶしい。
このとき遠景に利尻富士の姿がみえ感激する。

旭川で昼食。「すがわら」で塩ラーメンを食べた。美味。
ニュースでご存じの向きもいるだろうが
地元名物百貨店・旭川丸井今井が最後の開店日で取材陣もいた。
時代の流れでもあるが、北海道は拓銀崩壊から不況つづきだ。

稚内での夕食は、「車屋源氏」で蛸しゃぶ。
蛸しゃぶとは、冷凍されている蛸の薄い切り身を
昆布だしで「しゃぶしゃぶ」して食すもの。

●火曜日=稚内からフェリーで礼文島へ。
前日とはうってかわり波が穏やかだった由。
礼文島・香深(かふか)港からは観光バスに乗車して
最北限のスコトン岬などへ。風景に圧倒される。
空は晴朗なれど風つよく、岬では躯全体を飛ばされそうに。
先ごろの松江哲明『あんにょん由美香』評で
平野勝之『由美香』にも言及しただけに
スコトン岬などは眷恋の地となっている。
バスガイドよろしく(中年女性)、
高山植物の咲きみだれる礼文のうつくしさを堪能。

堪能したが、バス旅行はあっさりと終わってしまう。
昼時で名物のうに丼を食べればフェリーの便が四時間ほどない。
どうするか。結局、うに丼ハーフを、薦められた「酒壷」で味わい、
なんと観光バスで紹介されたトレッキングコースのうち
「桃岩・猫岩展望台コース」を行けるところまで行こうと歩き始めた。
涼しいので七月二十日過ぎでも足取りは軽く、
予定時間の半分で展望台に着いてしまう。

植物相が途中から変化、
短い笹の草原に、高原の花々が点々と咲く天国の光景。
しかも桃のかたちをした山・桃岩のみか、
視界ぐるりのほぼ360度で青い海の水平線も拝める。
地球が丸いとしめされるいろいろな眺望があるとおもうが
これほどのものは僕の貧しい一生ではもう存在しないかも。
ただ風がきつく稜線をもっと歩こうと提案するも
高所恐怖症の女房はビビって回避する。
僕だけ展望台からさらに十分ほど歩いてみた。

フェリーで稚内港に戻る。
これも平野勝之に敬意を表し、防波堤ドームへ。夕闇迫る。
この日は事前調査なし、フリで女房と飲み屋に入る。
「ます助」。タン塩焼きや牛テール雑炊が名物らしいと入って知る。
美味。いっておくが、女房の食い物への勘は異様に鋭い。

●水曜。旭川に戻り、凡愚と呼ばれようと旭山動物園へ。
曇り空で日蝕を認知できず。北海道は20%程度の欠けだったらしいが。
動物園で幸運だったのは、オランウータンの空中散歩を観察できたこと。
クモザル三匹が「見ざる聞かざる云わざる」のような連携、
ときに決めポーズも交え、頭上を移動してゆくのも面白かった。
目当ての動物の食餌時間を当て込んで、
その前に好位置に陣取るのが鑑賞のコツとやがて知るが、
白熊などは込んでいて入れず。虎が歩き回っていたのが印象的だった。
ゴマアザラシの見せ方はやはり画期的だとおもう。

その後は石北本線で網走へ。網走着はもう九時ちかくだった。
目当ての鮨屋「むらかみ」へ。
この日の食事だけ旅行中格別の贅沢だった。お任せで十四貫。
出され方に、大将の工夫と自負があった。

①おひょう、②ほたて(能取湖産)、③ぶどうえび、④釣きんき、
⑤さんま、⑥さくらます(3キロ物で、味は時知らずと鮭児の中間とか)、
⑦あぶらがに生身、⑧ほっけ、⑨あぶらがに外子、⑩あぶらがに内子、
⑪そい、⑫あぶらがに茹で身、⑬いばらがに外子、⑭いばらがに内子

うにのないのが意外かもしれないが
オホーツクでうにの旨い時期はじつは六月までとかで、
大将は出さなかった(こっちの食いしん坊をみてとり、
ネタを珍しい地魚に絞った)。
ぶどうえびはトロトロで味が濃厚。いぜん気仙沼でも食べたことがある。
ぼたんえびに完全に勝つ、えび系寿司ネタの王様だとおもう。

ほっけはアシが早く、すぐ身がぐずり、水っぽくなる。
だから鮮しくなければ刺身にしない。
というか関東では一夜干しの開きを焼いて食べるだけだろう。
この日のほっけは以前札幌で食べた刺身よりさらにブリブリだった。
となると脂がすごく甘い。
と、但し書きの必要なもののみ細かく記したが、
すべてが「あまりに旨い」。

途中、大将とあぶらがに談義がつづく。
あぶらがには、以前たらばがにと不当表記された地元の告発事件があって、
たらばの亜種、味も劣るという通念があるだろうが、
実際は水産管理所のプロにも味のちがいがわからないという。
つまり網走で獲れるたらばの甲羅中央の棘だけが四つしかなく、
それが六つあるたらば中、あぶらがにと呼ばれているだけだというのが大将の見解。
マスコミの贋物呼ばわりで網走は大損をしていて、
だから味の啓蒙のためにも観光客にはあぶらがにを出すのだという。

生身(握り)、外子(軍艦巻き)、内子(同)、茹で身(握り)すべて、
「ああこれが蟹の風味・旨みだよなあ」と感動させてくれる。
外子の粒粒は口内ではじけ、
内子のとろとろは舌をとろかした。
大体、蟹の握りは水っぽいことが多く僕は鮨屋であまり頼まないが
この「むらかみ」のは特別だった。味も歯ごたえ・舌触りも抜群。

じつは当初、十貫程度を頼んだのだが、
あまり旨いので四貫追加したのだった。
それで大将は蟹の食べ較べということで、
いばらがにの外子・内子も軍艦巻きにしてくれたのだった。
こちらはあぶらがにの味の濃厚さに較べ淡い。
淡いが口のなかで転がすとやはり蟹の旨みがどんどん増してきて
やはりあぶら同様に、飲み込むのが勿体ないとまでおもわせる。

たらば、あぶら、いばらは蟹の種類としてはほぼ同種。
ただし大きさがちがう。あぶら→たらば→いばらの順で大きくなる。

●木曜。午前中は網走監獄博物館を見学、面白かった。
往年の受刑の様子をしめすために置かれる獄吏や囚人の人形がリアル。
五翼放射状平屋舎房は近代国家の記念碑的建築だろう。
囚人監視精神が徹底していて、パノプティコン同様の威圧性もある。
ガイドさんの説明中はしきりに花輪和一『刑務所の中』をおもった。
ちなみにいうとこの博物館は
明治以来の旧刑務所内施設を移設してなったもので、
現在の刑務所からやや離れた場所に立地している。

昼飯ののち、観光バス(ツインクルバス知床)に網走駅で合流。
北浜駅、小清水原生花園駅、オシンコシンの滝など
撮影最適スポットで適宜見物時間が設けられ
やがて知床半島の最奥玄関ウトロに到着。
あとはいかつい崖の切り立つ海岸を遊覧船の船上から見る。
イルカと出会う。
折り返し場所はカムイワッカの滝が見物できる間近の沖だった。

夜、知床の夜行動物を見学する一時間半ツアーに参加。
十人程度がワゴン車を運転するガイドさんに案内される。
懐中電灯と双眼鏡を渡され、すこし緊張する。
なぜか蝦夷鹿と鉢あわさない。ヒグマの親子とは出会う。
キタキツネは人間に馴れている。
前日見られたという縞ふくろうは不発。星がきれいだった。

●金曜。前日のツインクルバスの続きで、知床半島を峠から横断、
羅臼に抜けて(ここらに前日の北浜駅同様、
ドラマ『北の国から』のロケ地が目白押しらしいが、
ドラマをみなかった僕らではその案内にピンとこない)
やがて摩周湖などを見物し、
釧網本線の塘路でバスを降り、
釧路湿原を徐行で見物するノロッコ号に乗る。

バスでは女房とガイドさん(前日と同じ/中年女性)の気が妙に合い、
台湾からの30くらいの女性バックパッカーとも知り合う。
大の日本好きで陽気。
日本のTVドラマのビデオ・DVDで日本語をおぼえたとかで、
好きな男優が阿部寛、堤真一というから変わっている。
行きたい日本国内の場所をサイトで指示すると
旅程プランが幾通りか出てくるという。
それで旅程を確定させるらしい。
聞くと宿代を浮かすため夜行列車を活用、車中泊だらけの強行日程だった。
この日の夜は夜行で翌朝は青森に着き(そこでのホタテを愉しみにしているとか)、
次の夜は金沢に移動しているという。日本人には考えられない。
台湾については台湾島南限がいい、ぜひいらして、と強調していた。

バス行程の途中から道東特有のガスが出だし、
「地球の丸さを実感できる」サイトスポット、開陽台では
霧で視界ゼロにちかく、
『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の一節と同じになった。
ところが裏摩周展望台では霧が切れてその美しい湖面を拝んでしまう。
訪問一発で摩周湖を拝めるのはじつは不吉なんだとか。

わずかに降雨もある曇天下、ノロッコ号で釧路湿原の神秘的光景を堪能。
植物と水の分布が予想不能で、展開力に富む。
この日はバスもそうだが、蝦夷鹿を幾度も見た。
一瞬、丹頂鶴も見た(とおもう)。

釧路着。名物の炉端焼きは宿の薦めの「ひょうたん」へ。美味だった。
その途中、豊文堂という古本屋に行き会う。
これが地方旅行の恩恵のひとつとなる、埋もれた大古書店だった
(「日本の古本屋」には未加入ながら在庫サイトは出しているとか)。

なぜか書棚に詩集が多い。
『西東三鬼全句集』(最初刊行されたほう)のほか、
井坂洋子の詩集が安価だったので大量買いし、
倉田比羽子の未入手詩集もゲットした。ほくほくだった。

釧路は日本有数の本好き生産地かもしれない。
なんと駅舎内にも古本屋があった(日本でここだけだろう)。
そういえば草森紳一も映画史家の田中眞澄さんも
生地はこのあたり。両者とも慶応ボーイだった。

●土曜。前言のとおり花咲線での根室旅行、納沙布岬見物は豪雨で不発。
それでも途中、厚岸ちかくの湿地帯の景色の美しさに息を呑んだ。
水と緑の配合でなら松島に匹敵する展開だろう。

代わりに博物館へ。釧路湿原の成り立ち、動植物、
北海道開拓史とアイヌの暮らしなどをつぶさに勉強してしまう
(時間が余っていたので)。
釧路名物の洋食屋「泉屋」で昼食、
トンカツの切り身の載ったミートソーススパゲッティ(名物料理)を食べるが
あまりの量の多さに半分ほども残してしまう(美味だったけど)。

大雨のなか特急(根室本線→石勝線→千歳線をつなぐ線)で札幌へ。
札幌で小雨になる。チェックインしたらもう夕飯時だったので
すすきのまで傘をさして歩く。
庶民的な飲み屋で一杯、という気分だったが、
女房がみつけた串焼き屋「福鳥」は最高だった。
武蔵美大を卒業し札幌でデザイン事務所を開いているという
60代半ばくらいのおっさんとその場で知り合う。
僕の奥さんの福相を褒めちぎるのが可笑しかった。

●日曜。帰京。
帰途は前日ゲットした井坂洋子の詩集をずっと読んでいた。
詩文庫で読むのとこれほど感触のちがう詩作者も珍しいかもしれない。
先日、中本道代さんの会で小池昌代さんが紹介してくれ
ご本人の人となりを眼前に、ますますファンになっていたのだった。

しかし『箱入豹』などはすげえボリュームだなあ。
難解、という印象は同じだが
(たとえば喩の指示するものがわからないし題名の由来もわからない)、
その難解さにはすごく魅力もあるのだ
(行替えや音韻がよく、
書法もまた女性離れする箇所があり、素晴らしいとおもう)。
 

2009年07月27日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

飯田保文さんの詩

 
昨日晩、いきなり廿楽順治さんからミクシィメールをもらい、
本日急遽、横浜・野毛で飲むことになった。
僕の敬愛する詩作者、飯田保文さんも参加面子だという。
この儀式をもって、平岡正明さんの私的追悼に代えるとか。

飯田さんといえばずっと横浜市中区在住、
いっぽう廿楽さんも横浜紹介そのものを職業とするひと。
いわば二人の「横浜のプロ」に囲まれ、
横浜本を量産、野毛を組織した平岡さんが
今夜の俎上にのるわけだ。
お二人には何か趣向もあるのかもしれない。
店は平岡さんがしょっちゅう書いていた「萬里」だろうか。

それでこれを良い機に、
ずっと懸案だった飯田保文さん、
その「詩人スケッチ」を以下に少し展開してみることにしよう
(こういう機会でもないと怠惰な僕は詩人論を書かないので)。



飯田保文の詩を読むと、誰も自覚するだろうが、
自身の脳が過激に粉砕され、断片化してくる。
つながらない詩脈、強烈な言葉の瞬間イメージが
飯田詩の特徴だとして、
それと同様の状態に読む側の脳も移行しようとするのだ。

これは何を意味するか――どうやら飯田詩には生き物のような「気配」、
たとえば鼓動や粘着性や蠢動などが常にあって、
それに読者はテイなくヤラれてしまい
生き物対生き物の常道として
「たたずまいの模倣」をやらかす、ということだろう。

言葉の強姦器。というか数語の、数行の、全行の強姦器。
となれば飯田は高偏差値を誇る悪達者とも見受けられようが、
何か言葉の組成が、バラバラであっても親密性を保持していて、
親父ギャグにちかい用語のズレなどがほほえましいのみならず、
どこかでガテン系めいた溜息が聴こえたり、
下層性のなかに置かれた性欲がうつくしく空転したりもしていて、
IQ高官性からはきれいに身を引き離しているのだった。

この親和性と非親和性の融合が飯田詩だ。
図式で書くと、【組成(親和=非親和)】となる。
つまり読者は、飯田の詩から親和性部分と非親和性部分を恣意的に抽出し、
うちのどちらが好きなどと、呑気なこともいえないようになっている。

大体、飯田の発語には常に薄い苛立ちがあって
敏感な読者はそれにも伝染する。
何か途轍もないものが「伝染ってくる」ような脅威もあるのだ。
詩脈の欠損とか過剰とかの畸形性が原因しているとおもわれる。

たとえば即座にも気づく。
「適量」を引用しようとしても飯田の詩は「行が切れない」。
行間が粘着していて、一行を引くと芋づる式に全行が手許に舞い込む
――おおよそがそんな感じなのだった。

こういうたぐいは、行連関が連句のようにつながっているものが多いが
飯田詩はそれとはちがう。何か本質的な異形といったほうがいい。
比喩は陳腐だが、僕は納豆のように粒粒が糸を引く状態を想像する。
僕は納豆が嫌いで(というか生まれて口にした事すらない)、
だから飯田詩が好きな自分がうまく定位できなかったりもするのだった。

以上、総論。以下は頑張って「引きちぎる」引用を駆使する。



飯田詩の言葉がどのように破壊されているか、
その例を彼の処女詩集『ムルロア』(03)収録、
「あらゆる道の積分」の冒頭部分からみてみよう。



紅いだから云ったじゃないの降り注ぎバンケ山からバンケニコロ川まるで神経
ベンケ山からベンケニコロ川シーソラブチ川も流れ出すか
ただ日本セーラー服の断末魔(明宮殿下も着てらっしゃった)
台風は台風でなくデフレすらインフレーション
それだのに
大気中の酸素分子は、我々の額を、音よりも遥かに速い速度で打ち据えていった



これ、日本語だろうか(笑)。
カタカナで書かれた山の名・川の名には
アイヌ的な起源が感じられるかもしれないが、
僕自身はここには信憑が感じられない。
つまりこの構文の乱れを「相手にするな」という判断がまず働く。

それは《デフレすらインフレーション》という
経済学を無視した能天気(バカっぽい)フレーズの(逆)効果かもしれない。

ところがそうやってこの詩篇を遠ざけようとして
引用最終行の詩的な瞬発力と美しさにもってゆかれる。
こういう「もどかしさ」をあたえるのが飯田詩の本当の暴力性だろう。
意地悪なのだ。

実際の飯田はたぶん西脇のような改行の達人なのではないか。
同じ詩篇にはこんなくだりもある。美しさでとろけてしまいそうだ。



夢だ
この世界黄金
触るもの凡て黄金しかし翠萌える
燃える脳が平塚駅前小島玩具店の前撒き散らされ
一斉に染める汚いガム痕
拡がる久遠の資本運動に磔なろうと堅く眼〔まなこ〕閉じ
習字の巧い尾形さんに会いに
小1の夏休み海の下さまざまな魚釣り下がってる宿題の工作教わりに
本当に見たのか
お前は黄金の世界



「萌える」→「燃える」の同音、不必要な精度をつくりだす固有名詞、
つながらない文脈、それでいて瞬間的に読者を襲う不意打ちの詩的イメージ、
助詞省略による片言性――飯田詩の符牒はこのように揃うが、
読者は飯田の想定している世界観の基底を知らされないので
読んで驚嘆しながらも、不安を解消できない。

これにたとえば「西行」「花の下の死」という依拠線が貫き通されれば
読者も詩句・詩行のうつくしさに完全に身を預けることができる。
たとえば「ムルロア」(『ムルロア』所載)の以下のくだり。



本当にワッ嘘だよ
嘘だよ永遠のジェットコースター上がり下がり
が好きだね五十にも成って年賀状に七転び八起き
は止めて呉れよでも花見には来て呉れよ
若い細君を連れてね桜の下で笑いたいよ
逆光の花びらの色に
遠く映る西行のミサイルの影
最高だ
花咲け咲け花散れ
踊り狂って笑っていたと言う



「西行のミサイルの影」とは西浄土へ伸びてゆく光陰の矢、
それは満開の桜の真下から見上げた花びらに奔っている光線ではないか。
言葉の連関は破天荒になろうとしながら美に逢着してしまう。
なぜかといえば、それは飯田の好きな花を素材に
光線、時間といった認識の詩性が結集されてくるからだ。
飯田は天邪鬼だが、ここではうつくしさの醸成装置たる自らを恥じない。

飯田の美しい花には「色即是空」の可能性が秘められている。
その例を第二詩集『サーフィン,ジャパン』(04)中、
詩篇「死」の、以下のように驚異的にうつくしいくだりから拾おう。



藤色の錯乱
でない
サフランの娘
にならい
蜘蛛のように論理的
だけ
君よ笑え
美しいひとを見た
はれ
あさき昼
脳笑い
君は口をポカン
もとい
脳ポカン
すべて世は
ない



口当たりがいい箇所を拾いすぎているのかもしれない。
これだと飯田詩の読解に忍び込む「格闘性」がいえない。
それは解釈をめぐって起こる読み手内の格闘なのだが。

たとえば今年(09)上梓された飯田の新詩集『人間インフレ』から
中原中也を飯田なりに変奏した「言葉なき歌」の
以下の箇所をまず拾ってみよう。



言葉かぎょう
は分節あら
ぎょうもがく
でいねい
わたくし
蚊とんぼう
きがつきゃプィーンは
うるせーぜ



言葉かぎょう=言葉稼業=売文、あらぎょう=(僧侶的)荒行だとして
修辞が虫食いにあって切れ切れ化したようなこの詩篇のこの部分、
文意はおおかた以下のように補われるだろう。

売文仕事は分節が大事
(分節は文章の意味単位/
しかもメリハリをつけて生活を分節化し、自家中毒も起こさない)。
けれどもその本質は荒行で
もがいているうちに自分の居場所すら泥濘と感じられるものだ。
しかし粘性のつよい泥はいただけない。
わたくしは蚊蜻蛉のように細身なので泥にはまると身をひきはがせない。
羽ばたきもやがて途絶え死ぬばかりとなる。
というようなことを考えていると実際の蚊が
執筆に詰まったわたしから吸血をこころざしている。
しっかし蚊の羽音ってのは「うるせーぜ」。

気をつけよう。この場合「うるせーぜ」は「べーぜ」(接吻)と韻を踏む。
それで蚊の縁語「吸血」から「流血キス」が幻想されるようになる。
よってこの詩の主体の執筆の遅滞が
「スケベな妄想による」という判断も生まれてくるのではないか。

ともあれ詩脈に欠損があれば読者はそれを補う。
穴埋めどころではない、腰に第三の義足をつけるくらいの暴挙だって平気だ。
ならば同じ詩篇中のこの箇所はいかが?



ぬすみまくれまくわうりまくらかすめろかすみそうあしたあしは
らにあしもつあなたあなろぐいっしゅんでじたるに



ま→か→あ、の流れに沿い
いくつかの頭韻で言葉が連続しつつずれてゆくとみれば
このくだりは音韻による詩発想であって
意味を追ってもむなしい、という見解も出そうだ。
だが「あなた」への相聞と僕などは受け取ってしまう。

「あなた」は「まくわうり」のように野生で、
盗みとって食する誘惑を投げかける。
しかし「あなた」を食べれば一瞬にしてかすみそうの霞となる。
「あなた」が森にいると捉えたのが間違いだった。
あなたは葦原にいた。豊葦原にして「悪し原」に。
あなたの脚は植物性だがよって悪を発散する。

「あなろぐ」という語が、ここでは動詞にみえる。
「あなをもつ者がたじろぐ」ぐらいの意味ではないか。
それにたいし「でじたる」という他動詞をもってきて、
ようやく「あなた」は線形から点滅存在へと粉砕され、
詩の主体の「枕(欲望)にまつわる」危機も消去されるのだ。



『人間インフレ』において飯田の自己身体意識は
危機の性格を高めているとおもう。
「時間を知ってしまった」ということだろう。
詩篇「パンゲア」には次のような一行がある。
《はじまりは後から想像されおわりはあらかじめ想像され》、
飯田は親鸞とポオの思索が交錯する位置に立っている。

同じ「パンゲア」では飯田の自己身体把握は以下のようにヤバい
(60近くになってご苦労様、ともおもうがこの若さが飯田の証だ)。



待っている待っているあらゆるものは
自己の抹殺をパンゲアとは天国の別名なのに
恐竜は起き上がりオレの足を噛み砕く
食道で尾翼は外部との出会いを夢見る



身体の輪郭、ひいてはアイデンティティはどうなっているか。
詩篇「いま」の冒頭であれば、こうなっている――



世界は脳になだれこみ
身体はながれこみ
脳の情報は回路にながれこまない
ことが脳(こころ)がじぶんのみ中空にポッカリうかんでいる
ように感じられる貧相な理由じゃあないか



「求愛」なら以下のように混乱し、それも飯田自身を苛む。
むろんボブ・ディランの「アイ・ウォント・ユー」を好例に
求愛上の混乱はうつくしさへと転化する。
詩篇「あなたの名を知った」より引く――



あなたの眼が好きなんだ
脳の外に一斉にふる
黒い雨は
蟻酸
草をさらに根だやしにする
〔…〕
あなたの体臭が好きなんだ
毛穴に挿された一本一本の日の丸が燃え
陸地におよぐ魚のような
あなたのからだ
ピアノ鍵盤のことごとくは原爆のスイッチ
脳内を爆撃し脳外はしずかだ
と知ってますか



この相手が性愛の対象へとのぼったとき
詩の主体にとってそれが「どう見えるか」についても
飯田のヴィジョンは脅威=驚異的だ。
僕が体験したことのないフレーズが以下だった。
詩篇「世界」から引く――

(※ひらがな書きされた「まゆ」は「眉」「繭」の双方にイメージを揺らし、
結果「あなた」との架橋実質、「魔羅」をも引き当てるが
それに自身の署名がないという危機がここで生じている。
「ま○」という語にはもうひとつ「まえ」もあって、
してみると詩篇のこの箇所の主題は「前方恐怖」なのかもしれない
――即興性によったろうに、
これほど複雑な意味を生成する飯田にはたぶん詩神が憑いている)。



自己磨きたてまゆくもらす
そのまゆは自分のまゆでもないのに美女のあそこに入っているめのまえのまら
自分のかどうか分からないのに
名まえかくボールペン
つつけば脈あばれる
心臓のこどう



一つひとつを追うことはしないが
この詩集には「自己未生」のイメージも繰り返される。
生まれていないことはしかし、すでに生まれていることと不分離だ。
とりわけ、「空」を背景にすればそういう神秘劇が上演されるだろう。
詩集『人間インフレ』のコーダ部分と僕が受け取った、
詩篇「誕生」の以下を、改行法則を変えて引いてみよう。



こうして天国ふかいコバルト拡がり
永遠さえ始まっていない
1が生れていない
感情の感情が青空を辿り花びらのかたち
宇宙に貼って絶望し絶望に貼って笑う1が
テメーはテメーであるんだ!
生れる



もともと飯田詩のふかい主題は時間であって、
よって「光」が詩篇中の「敏感部分」を受け持つ。
光は列になり、詩篇の推進原理ともなるが、
飯田の身体論では光は皮膚から透過してきて、
けっきょく身体は無名の光束、あるいは絮のようなものとなる。

この機微がうつくしく、
飯田の処女詩集『ムルロア』を書店の棚から引いたときも
冒頭詩篇「通信」にこの機微をみて信頼、一挙買いしたのだった。
その「通信」を全篇引こうかともおもったが
予定字数を超過しているので、
同じ詩集から「透視」の冒頭を最後に引いて文を終わろう。



私は観察される
大根の煮付けによって
その背後の他者神しこうして私
私は光に射し抜かれたい
願望は他者に射し抜かれている
つまり小松菜の炒め
蒲鉾の板
他者の背後の板
 

2009年07月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

大波小波

 
法相時代の鳩山邦夫を「死に神」呼ばわりした朝日に呆れ
東京新聞に乗り換えてからは、いろいろな恩恵がある
(別に「回し者」なのではなく、これは正直な意見)。

うちひとつが夕刊匿名コラム「大波小波」だ。
匿名執筆者によっては左翼小児病や逆説自慢コラムなだけのこともあるが、
今日(7月16日)付、「反権力の批評家の死」には
さすがに感涙してしまった。
執筆者は(ハマッ子)。
その最終段落を、改行等を補助して以下、転記打ちしてみよう。



売れない評論など、
出版社からはゴミのようにしか
見られない時代だ。
その純マイナーぶりが、
反骨と反権力に徹し、
横浜の下町・野毛を愛し続けた平岡には
似つかわしかったのかもしれない。

平岡によって漸く理解された
芸術家や芸能は多々あるが、
平岡を理解しえた者はごくわずかだった。
彼の孤高の批評人生は伝説となるだろうが、
彼を評価できるかどうかを、
後世は試されるのだ。



――何かすごくすっきりした。

平岡正明さんが亡くなって
ネットにも追悼記事めいたものがあふれたが、
ジャズ評論家や山口百恵評論家としての平岡さんを懐旧する返す刀で
平岡さんを時代遅れとなったと言い募ることで
自分の怠惰を保留する(ような)、
倫理的に低い「展開ともいえぬ展開」を
ずっと読んできて苛立っていたのだった。

じつはそれでちょいと鬱にすらなった。
つまりこの平岡さんへの評言は
まるで最晩年の阿部嘉昭への評言の予告のようにおもえたからだ。

で、今日の夕刊、「大波小波」での快挙だったというわけだ。



ポイントは単純、平岡正明は一種、リトマス試験紙で、
現段階(逝去段階)の平岡評価は、
その者の反権力性のあかしともなるということだ。
加えれば、思考がいかに口承重視で
フレキシブルで逆転創意的か、それを測る手立てともなるだろう。

さらにはこういえばいい。
平岡評価にはニューアカ的な手続きとは別の基準が要って、
その評価手続きはひとり平岡のみならず
批評の今後――批評の動物神経的な流動性をも証しする、ということだ。

この匿名コラムの奥でもこのように判断できる感触があって
だから新聞記事の範疇を綺麗に超えていると襟も正したのだった。



ひとつお願い。

この日記内容に賛同なさった読者は
ぜひ僕の前々回の日記
「少数派が多数派を、」のほうに書き込みしていただければ。

どういう問題があったのかわからないが僕の自覚では
この日記「少数派が多数派を、」は、
僕が年間に一、二書けるかどうかの出来で
しかも論題からいっても平岡評論の本質に徹底的に迫るものだった。
ぜひともここにはコメントがほしかったのだけど
何かがすれちがって、コメントゼロに現状とどまっている。

この日記を読み直し、コメントがいただけないだろうか。
記事自体を救いたいので。

平岡さんを供養したい、というのではない。
批評精神、対人意識のなにかに
尊厳をふたたび与えたい、ということだ。

よろしくお願いします
 

2009年07月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

ベスト詩篇発表!

 
今週月曜で立教の前期講義が終了したことは既報した。
才能ある一年生が結集した入門演習も終わった。
ちょっとワケアリになったのだけど、
「有志」が書いてきた詩篇もその最後の授業でもらう。

50行の詩篇を、自由な用語で書いてきて、という課題だった。
参照テキストは僕自身、もっと詳しくいうと
以前の連作で、
最終的に『フィルムの犬』と題した詩篇群から抜粋したものだ。

うち優秀作を、以下に二篇、転記打ちしておこう、記念に。
ただし作者名はイニシャル表記とする。



【空飛ぶ蛇達】
H君


汗をかいた部屋
つんとした刺激臭の中
混じる花びらの甘い香り
突如増す重み
鼻の先の桜色
蠢く襞
小刻みな蠕動
痙攣そして命を奪う毒
へんなこと考えてない?
蟲の事ですよ(裸の)
肉付きのいい白い背中
変態チックだね
おもいきり爪を立ててぷつり血の玉
エスな私まるでコーヒーのよう
白の入る余地のないほど黒
また膜の張られたまま
ホットミルクは冷めていく
噛みたい締めたい喉を
だけど本当は身動き出来ない縄が好き
何を言っても緩めないで
そういうの大好き生産の振りをした退廃
刃物だ刃物だ刃物だ
産まない女王様だ
ハーレム兎可哀想に
ここが学校だったから
街で必ず見かける鳩たち
どいつもこいつも指がない
心覗き放題なら明日死んでもいい
あの娘があんなに下品な事をとか
軽く失望しながら死にたいのだ(パパ風)
嗚呼またも孫殺し
気づかぬうちに君も共犯
僕の指の形をした
ぬめる僕の中の君たちの指
君たちの口君たちの○○○
今日は笛の音で逝こう
喜びとともに湖のそこへ
定冠詞のついた獣
天使たちを食い荒らす
清楚でかわいいあの子に
家畜用下剤をぶち込むような下卑たソウゾウ
既に汚れる事が目的となってきている
誰かご存じないですか
恋人たちが脳味噌をすすりあう話
つい声上げちゃう子が印象的
されたことないのに分かる快感
まるで一つに溶けるような感覚
犯されたがりの制服が今日も町を歩く
都合のいい縞馬を捕獲した蛇達
それでも親指をかむ癖が抜けない女の子が好き




へえ、とおもう。
僕の詩の口調、呼吸がうまく転写され、
スケベな靄がたちこめながら
結像にいたらない不如意感も確実に伝承されている。
こりゃ高度な「阿部嘉昭論」じゃねえか。脱帽。
ただしもっと同音異義語で遊べたかもしれない。

もうひとつ、今度は僕の詩篇に内在する七五律を前面化して
どこまで現代詩たりうるかを体現した
Iさんの野心作を転記打ちしてみよう。
ここでも言葉のポップな工夫がある。

そうね、先のHくんと下のIさんの詩篇ふたつで
「今期ベスト詩篇」としますか。



【ぷぷぷぷぷぷっpっぷうう】
Iさん


ぱぴぷぺぽから始めましょう。
張りがあってやわらかく、
押しても戻る弾力性。
あふれんばかりのその中の、
苺とミルクを飲みほして
今日も私は生きている。
いえいえそれは真昼間、
もしくは月が笑うころ、
フォークで苺を刺しながら、
ぼんやりみてた夢なんです。
破裂音のあの感触。
あの快感が欲しくって、
おさらは真っ赤になりました?
やっぱりそれも夢でして、
モグリの医者のオペのよう。
メスで叶う快感を、
フォークで再現したかった。
・・・どうやらそれも違うみたい。
この手が求める感触は、
リストカットじゃ叶わない。
ぶるーべりの皮なんて、
しわとくちゃの集合体。
ふと思いついたのは、
ちがうところがでっぱった、
おなじかたちのお人形。
甘噛みされた損保ジャパン
まちがえた
甘噛みされたその場所を、
かまわれるのが好きだった。
Not過去but現在
クイズの答えは決まってる。
大○もちと○耳だもん。
あぁ、刺したい。
でも、それはメインディッシュ。
フルコースの楽しみは、
厳選素材で始まります。
目と鼻を使ったら、
やっとお口の出番です。
やがて苺に変わるもの。
あくまで思考は冷静に。
研ぎ澄まされる程度にね。
いけない、いけない。
齢をとると激しくってね。
いやなに、くるいはしないさ。
そのビンを取ってくれ。
そう、それだよ。
これを飲めば震えも止まる。
え、中身かい?
苺のソーダ割りさ。
さ、いこうかあっ、あああああああああああ―――・・・・・・。
 

2009年07月15日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

少数派が多数派を、

 
昨日は前期講義最終日。
講義のあとは研究室を舞台に卒論・卒制指導対象者の連続面談で、
女子たちが少しずつ就職を決めている状況もはっきりしてきた。
それで嬉しくなり、面談後は学生たちを大挙引き連れ、飲み屋へ。
いつもの店だったが、すごくいい感じで飲めた。
学生に注文をまかせたが、四年になると変なものを頼まない。

おかげで今日は開放感とともに午前中を過ごす。
関東甲信越の梅雨明け宣言も重なった。
ただ結構夏バテしている自覚もあって
懸案だった三村京子の歌詞づくりはあす以降に回し、
午前は寝て起きて・寝て起きてのだらしない時間をじつはすごした。
ラノべ論だのセカイ系の物語構造だのの論文が眠気を誘ったのだ。
窓からふとみる空が青く、
ベランダの鉢には白朝顔が濃い影を落としつつ
微風にわずかに揺れている。――夏だ。



昨日が授業集中日でなければ、
本来なら平岡正明さんの葬儀で保土ヶ谷に行っていた。
また昨日の朝が早くなければ
おととい19時からの通夜にも行っていたはずだ。
一日、葬儀日程が前にずれていればなあ。
誰が列席していたんだろう。
これからネット上、誰かの葬儀報告を探してみようか。

ネットといえば、平岡さんの追悼文がもうかなり出ているが、
僕にとっては心にしみるものがほとんどない。
紙媒体の追悼記事でないとやはり無理なのか。
ちゃんと著作を読んでいないのに
「えらそうに」断言をおこなって、
平岡さんとの関係を自ら閉じている追悼文がじっさい多いのだ。

例をひとつ(末尾部分のみ抜粋)。



平岡氏の最後の著作は、「昭和マンガ家伝説」(平凡社)だった。
その少し前、彼が終生愛してやまなかった若松プロに関する著作、
「若松プロ、夜の三銃士」(愛育社)を上梓している。
時代は変わっても、己の精神は変わりようがないのだといった、
まさにこの著作こそ、
平岡氏の遺言でもあろうか。
晩年は不遇に見えたが、
それもまた彼にふさわしい生きざまだったと思う。



「文化通信」という、映画業界の通信紙に掲載された文章で(7月10日付)、
文末に、(大高)、と署名されている。
執筆者が落語にたいしての素養をもたなかったゆえだろうが、
数々の落語考察本をものすごくエネルギッシュに上梓しつづけた平岡最晩年が
「不遇」の一言で平べったく片付けられているほか(なんという誤謬)、
執筆者の主要フィールドだろう映画本の分野でも
『夜の三銃士』の「要約」がかぎりなくまちがっている。

平岡さんは河出ムック(文藝別冊)の特集『赤軍』へ書いた、
大論文「赤色残侠伝」(01年)から、
日本新左翼の壊滅史にたいし
自ら参与的に歴史証言と、分割内在線の書き入れをおこないはじめた
(この論文はのち河出『大革命論』に収録される)。

平岡さんのおこなったことは
ウォーラスティンなどが無媒介に援用される「68年革命論」にたいし、
日本の60~70年代の新左翼思考のなかで、
断罪すべきものと、可能性をもったものの徹底的な腑分けだった。

その際に、世代的なノスタルジーを徹底除去して
能天気と後ろ指を差されることを拒否しつつ、
同時にエピソードでしか思考的真実に迫れないという態度を表明することだった。
つまりそこでは歴史主義というより説話主義が徹底的に貫かれていた。

若松プロにたいする再言及文章が集成された『夜の三銃士』も
とうぜん、こうした新左翼再検証の流れだ。
これは足立正生の刑期終了・活動再開がきっかけになった
受動的契機の本などではなかった。

だいいち足立『幽閉者』よりも若松『連合赤軍』のほうにシフトがずれ、
大和屋再評価の動きのあと沖島再評価を上乗せしようとした
これまた参与的な意図をもった本だった。
これらの機微が(大高)の
《時代は変わっても、己の精神は変わりようがないのだといった、
まさにこの著作こそ、平岡氏の遺言でもあろうか。》
という「曖昧な」(文としても要をえない)書き筋から一切伝わってこない。

引用した箇所にはないが、(大高)の原稿は、
平岡さんの映画本から香港映画本の言及が脱落しているほか
『海を見ていた座頭市』の着想がやがて精密化し大輪の花を咲かせる、
『座頭市・勝新太郎全体論』の言及もない。

必要事項を落とし、
それでも制限ある字数のなかで不要な主観の盛られた、
ネット上に載れば炎上可能性もある歪んだ追悼文なのだが、
半可通の文章が半可通により
いかに対象への敬意と記述精度を欠いてゆくのか
その典型を読者は上にみただろう。

問題はそのような文章のまとう表情がいつも「偉そう」だという点。
ここで考えるべきはいつもどおりの「鶏と卵」理論だ。
そう果たして、「知識が半可通だから文章が偉そうにみえる」のか、
「偉そうという精神性ゆえに半可通な文章が書かれざるをえない」のか――



前回アップした追悼文で書き落としたことを集中的に書く。

平岡文には電撃的に通過してゆく直観力にあふれたテーゼ群がある。
記憶力が悪く、また、あまり時間のない僕には
平岡的テーゼの真髄を網羅的に掲げる余裕もないのだけれども
たとえば上で言及した『座頭市・勝新太郎全体論』では
座頭市殺法における仕込杖の逆手握りによって
剣の軌跡が「自己」側に向くその「内省性」こそが
太刀筋の変態性の正体だと語られていたとおもう。

相手との間合いはそうして狂い、
座頭市の太刀先もそうして予想不能となり、
しかもそれは断裂生成型/直線性でもなく
円形-球形の自己領域から相手に意想外をほどこす仕儀に近づく。
この仕儀の本質は「恩寵付与」だ。

それと「攻撃」におけるこうした自己再帰性は
平岡武道論でのいつもながらの強調ポイントで、
拳打ちにおける上腕の、上筋にたいする下筋の優位性、
つまり「打ち」でなく「引き」が
破壊性の強さを決定するという知見にも結びつくし、
座頭市映画のディテールから「一揆」をとりだせば、
「武器はどこから調達するか――敵の懐ろ=武器庫から」
というテーゼも同位相の着想としてとうぜん招来されてゆく。

むろんこれらは座頭市映画の分析でありつつ、
現在でもサウンドデモなどにつうじる、
具体的な革命武闘論のテーゼへと二重化されてゆくだろう。

そこでとどまれば平岡正明は
文体はちがえど花田清輝的なメタファー、寓意を駆使した、
というだけに落ち着きそうだが、
平岡を花田から引き離す優位点がさらにいくつかある。

ひとつは花田の寓話が論理成立のための例示にちかいのにたいし
平岡の説話は爆発的で、それ自体が連鎖のかたちで自らを組織する点だ。
いまひとつは平岡の文章が不可思議な感覚論に通じている点
(花田の文章は平岡のような五感の総動員性がない)。

結果、たとえば座頭市の姿は北関東の風の乾いた匂いのなかに結実し、
ゆえにそれは中腰に腰を落とした革命家のからだの構えを惹起する。
そうだ、鋭敏な感覚によって「さまざまな」身体が刻々生まれる豊饒は
平岡のものであって、花田のものではない、ということだ。

前回、魯迅「鋳剣」〔竹内好の定訳では「剣を鍛える話」〕の「黒い男」を
平岡さんが任侠の理想、とした、という意味のことを書いた。
『故事新編』を実際にひもといてもらえばいいのだが、
国王への眉間尺の仇討ちを
「黒い男」の名前どおり影の位置から補助するこの男は
まずは無名性のなかに沈潜し、なおかつ情勢を計る感覚が機敏だった。

これが「侠気」の第一条件だとすると、
最終的に国王と眉間尺の、沸騰する釜のなかでの生首対生首の闘いに
「黒い男」も自ら首を刎ね、「生首として」参入する。
侠者は死地(自己展開地)をずっと探し
ついにそれをみつけたとき義を貫徹する。
ということは義の貫徹形にはかならず自死が付帯されるということだ。

たぶん「侠」とは以上のような、
複合性(無名性/交通性/自死性の複合)
のなかにしか閃かない徳目なのではないか。
だからむろんそれは、中国的八徳目のなかに存在しない。
そして存在しないからそれは毛沢東を超えた革命原理というか
革命家の身体的たたずまいとなる。

このことを感じた文章が『平民芸術』のどれかにあった記憶があるが、
平岡さんの文章は以上のような僕の立論よりずっとさりげなかった。
テーゼ列挙に馴染んだがゆえの展開の涼しさこそが平岡的身上だった。

ただ革命と自死の英雄的達成ということを
平岡さんがもっとナマに構想していたことが若い時分にあったようだ。
高取英が最近編集した平岡レア文献集成ベスト本のどれかに
真崎守『共犯幻想』中心人物にもつうずるような
そんな暗い情熱が書かれていた記憶がある。犯罪者同盟の頃。
三島由紀夫総括の対比で出てきたのかなあ(同じ平岡姓だし)。

平岡さんで語るべきは
その多くの行動が幇派の構えをとろうとしたことだ。
アジア的な行動団体、組合、秘密結社、
さらには幇派(パン)にちかいもの。
あるいは具体的到達点が明瞭になれば
「富士講」みたいなものにさえ発展したかもしれない。

最初期の犯罪者同盟。相倉久人との蜜月。
竹中労、太田竜との三バカトリオ。「映画批評」。
朝倉喬司などとの同盟が全冷中、河内音頭組織、三波春夫聞き書き組織、
そして雑誌「同時代批評」などへと発展していったこと。

これが90年代以降は野毛大道芸の組織づくりに中心化していった。
種村季弘と平岡さんが野毛の一角に並ぶ姿は圧巻だったろうなあ
(荒井晴彦はなぜ足立正生の出所祝いに、平岡さんを呼ばなかったのか、
種村さんは出ていたからそこでも種村-平岡の2ショットがみられたはず)。

平岡さんはよくこういう型の悪口をいわれた――
《○○を仲間に引き込むようじゃ平岡も焼きが回ったな》。
余計なお世話だ、その○○が平岡採点のなかで高得点なのは
平岡さん自身の問題で、「お前の問題ではない」。
○○への平岡さんの擁護というかオマージュだけをただ聴けばよい。
そこにはかならず「お前」がおもいもよらなかった独自性があるはずだ。

そういえば、僕がともに来てくれと仕掛けた中国映画の試写で
平岡正明と上野昂志が鉢合わせたことがある。
相手をみつけた途端、平岡さんは満面破顔で、
「おやまあ、お懐かしいひとが」とヒョイヒョイ近づいていった。
上野さんのほうはどこか表情を硬くしている。
平岡さんの天敵、蓮実一派に接近した過去によって
その脚がすくんでいた、ということだろうか。

そういう上野さんは、非難まったく抜きでよくわかる。
わからないのは平岡さんのほうの天真爛漫さ、屈託のなさだ。
「一旦の仲間は終生の仲間」、そういう自己法則を
平岡さんは規範内部につくっていなかったか。

となって、平岡的組織論とは何か、という着想が湧いてくる。
これについて晩年最もうつくしかった平岡テーゼは、
《少数派が多数派を解放する。
多数派が少数派を解放すると誤解されやすいが、そうではなく
内実はいつも逆、少数派が多数派を解放する、だ》
〔※――とまあ、意図的に砕いて転写してみた〕。

たとえば領主が農民を解放する。主が奴を解放する。男が女を解放する。
この場合、「解放」は支配層の総意の結果で、
この「支配」「総意」の形態から多数性がそのまま幻想される。

けれどもここでは解放以前/解放以後の時間生起意識が起こるだけで
解放の前提となった支配/被支配による空間安定性、
これまでがすべてご破算になったかどうかには
別基準の判断が必要になるのはいうまでもない。
こんな判断のまえに、「解放」とはもっとむしろ本質的に関係改変的なはず
――これがこの平岡テーゼの奥底にある認識だろう。

これをどう読むか。こっちもテーゼを列挙でゆこう(キリよく10個)。

1) 支配に必要だった成員は政治性・軍事性を超えれば
実際は成員明示性をうしなう。それは本質的に黙示的だ。

2) 支配/被支配の関係も正しくは対峙的でなく幻想的。

3) 人員の明示性はその多数性には集中しない。
むしろ今日的には多数性のほうが対象視認の困難さを現象している。

4) 少数性は意志であり、明示であり、そのものがテーゼ的。
つまり力の行使主体が集中性から現れるなら
論理的にみて解放行使の主体も少数派にならざるをえない。

5) 少数派だけが解放のためにからだをつかい、
たとえば野を走り、走った場所を真の国土とすることができる。
いっぽう多数派が形成する運動は被-放牧運動で
それは運動と呼ぶよりは領土と呼ぶべきだ。

6) ということは領土の再規定/確定のために
少数派は認識の手段として多数派を「解放」する。
領土そのものである多数派はこの手続きを論理上、できず、
手続きの副産物として少数派を現出させることもできない。

7) 勝利するのはこのようにしていつも少数派の想像だが
勝利の効果がつねに即効的だとはかぎらない。
「解放」そのものが黙示的だからそうなる。

8) ということはこういえばいい――
多数派、少数派、解放の三項のうち
黙示的でないのは少数派だけで、
そこに少数派勝利の根拠がある、と。

9) むろん多数派が少数派を抑圧していない(できていない)のは自明。
歴史はこの確認から、局所的な変化をつぎつぎ生み出してゆく。

10) 多数派への少数派自覚は自己再帰的。
多数派領域を一種の円形として自己身体化し、
その多数派の手足をつかって
多数派自身を解放するのが少数派の営為だ。
この行動の質も自己再帰的ととうぜん呼べるだろう。



――どうだろうか。これが平岡さんの真意だとおもう。
しかしずいぶん、平岡さんと僕とは文体がちがうなあ。
逆に、それでいうと例示した(大高)の文のほうは
平岡さんを真似る意識がある(でも実際はぜんぜん似ていない)
 

2009年07月14日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

追悼・平岡正明

 
冬場の恰好は、上が、皮ジャン系が多かった。涼しい短髪。
幾つになってもジーンズとショートブーツが似合った。
脚が結構長かったからかもしれない。歩きは大股。
からだはどのくらい柔らかかったろうか。
往年の極真黒帯の余韻がまだ神経や筋肉に残っているなら
あの長い脚はふりあげられ、一旦、方向を見失わせ
やおら相手の死角からその踵で
あっさりと急所の延髄を逆打ちしたかもしれない。
どのくらい、肉弾戦につよいんだろうなあ、と
最初に会ったとき、ぼんやりとおもっていた。

その平岡正明さんが死んだ。
脳梗塞だったという。
高血圧に悩み、数年前には入院療養もし、
インプット量もアウトプット量もそれ以前の三分の一にまで低下し
身辺は逆にそれで落ち着いてきた、と近年の賀状にはあった。
だから訃報にたいしてはついに来る日が来た、という感慨があった。

賀状の字はいつも平岡さん独特の悪筆だった。
筆圧のない字がゆがんで紙上をダンスし、個性ある痕跡をえがく。
手首を固定するゆえか「ひねり」が字に多く、慣れるまで判読しがたいが、
慣れると結構、読解苦労もなくなる。
なぜあんな字を書いていたかといえば、
尋常を超えた多筆速筆で、舞い込んだ原稿依頼をこなしていったためだ。

腱鞘炎をおそれていたにちがいない。
腱鞘炎をおそれる者はほかにピアニストなどのミュージシャンがいる。
拳の故障をおそれるのならボクサーなどの運動家。
そう、平岡さんは抜群のアジテーターであると同時に
陽気きわまる上機嫌のパフォーマーであって、
そのパフォーマーの実質は音楽家と運動家の綜合にあったとみる。

僕は中学高校時代、「(ニュー)ミュージック・マガジン」を定期購読していて、
平岡正明の文は最初、そこで知った。
のち『歌の情勢はすばらしい』などに収められるような
演歌を中心にした歌謡界とアジア、それから第三世界を想像力で結ぶ、
一種奇怪さをももった原稿を書いていたとおもう
(そう、そこでは歌詞分析もどこかで拡散的で、
ひたすら「類推」が翼を広げ、領域を跨ぐ飛翔が繰り返されていた。
その意味では意外に音楽定着的でなかった)。
ジュリー、百恵、ピンクレディなどをつかまえ
世界音楽は現在、準決勝段階にあると平岡さんに断言されて、
その断言の有効性がどこまでかを
音楽好き高校生の僕は測りかねていた。

たしかに音楽の趣味は僕とすごくちがっていたとおもう。
僕は自分の同級生の山口百恵には平岡さんのように乗れなかった。
声が嫌いだったのだ。

それでも平岡さんは抜群の耳の持ち主だった
(晩年は片耳をやられてしまっていたけど)。
「背景」と「歴史」を声の土台にある空気から聴きあてて、物語を紡ぐのだ。
だから平岡さんには会うたびに、いろんな提案をした。
ザッパを聴いたらいいですよ、
60年代後期のロスの知的な空気はじつは20世紀世界を集約しています、
アメリカの芸術的覇権はそこにのみ集中しています、とか何とか。
(そういえば進言したドルフィはやがて聴いてくれるようになった。
ただスティーヴ・レイシーやカーラ・ブレイは最後まで聞かず、
ビパップ時代に平岡さんのジャズも領域特化していたとおもう)。
だから僕の平岡さんへの提案も結局、中国映画の分野にとどまった。

たぶん僕には、前世代への反発から
吉本隆明を読まないで
一生を貫徹しようと決意した時期があったんだとおもう。
前世代の恰好悪さと吉本のそれが似ていると錯覚していたのだ。
それで反吉本の論陣を張った才能ばかりを拾ってゆくことになった。
だから花田清輝と平岡正明は
活躍時期に十年~二十年くらいの時差をはらみつつも
僕にとっては同位の存在だったのだ。

物を書く態度には「花田的気分」「平岡的気分」というものがあって、
たとえばそういうところで「わたし」「俺」と主語がどう選択され、
自身の思考スピードをどんな文体でつないでゆくかがかかわってゆく。
そうした文体には当人たちの個性もあるが、時代の要請もあった。
花田は屈曲、最後っ屁、曲線、ひらがな、読点。
平岡さんは思考直線を経緯交差させつつ
絨毯状の平面をつくり、爆撃する。速さが精度に勝るような位置も探し当てる。
その際はテーゼ列挙と、直観で遠いものを結ぶ運動をつくりだすのがコツ。
それは滅茶苦茶かっこよかった。だからエピゴーネンも当時は無限にいた。

けれどもエピゴーネンは本物の輝きを証しする周辺にすぎない。
いつしか(たぶん80年代中葉には)平岡さんの個性は
単純に模倣不能の独自性にたどりついたとおもう。
「天才」と呼ばれることが多く、また才能にはそれに似合う刻印があったが、
その「天才」という形容に何か涼しい風が吹いた感じになるのが
80年代中葉だったろうとおもう。
僕にとっては時代錯誤といわれようと平岡さんは80年代の中心選手、
その精髄が当時のベスト評論集ともいえる『官能武装論』だったといえる。

以後、『大歌謡論』『浪曲的』など
落語本爆発以前の時期が平岡さんを最も思想的に読んだ時期かもしれない。
たとえば平岡型の魯迅「鋳剣」の読解にどれだけ恩恵をこうむったか。
「鋳剣」を、「黒い男」中心に「侠気の行動原理の書」と読んだのは
平岡さんが唯一無二だったのではないか(魯迅学に疎く、確かではないが)。

そういえば平岡さんの70年代のDJ実況本のどれかに、
平岡さんに突っかかり難癖をつけた聴衆の発言が収録されている。
そいつはただ勘で平岡さんの言を薄っぺらく否定してみせた。
すると平岡さんの傍らで、たぶん伊達(浦島)政保だったかが気色ばむ。
「お前、もっと(論を)展開しろ」。

「展開する」は60年代以来の左翼用語だ。
平岡正明はひたすら展開した。
その意味で類推とテーゼ列挙が表側の武器で、
裏側の武器は、実は「傍証」だった。

平岡的傍証はじつは参照体系が彼以外の左翼運動家とは大きくちがっていた。
無限定、それでいまでいうサブカルチャー的なものまでが傍証材料となった。
革命理論とたとえば風太郎忍法帖と鬼六SMが合体する。
赤塚不二夫のウナギイヌが革命家の姿に移行する。

その平岡さんの得意用語のひとつには「記憶台帳」もあった。
ロシア革命成就にいたる数年の民衆動向を
カレンダー日付的にすべて(物語)活写できたという平岡さんは有名だろうが、
じつはそれに見合うだけ彼の記憶力も異様だった。
直観力と記憶力が通常人の飽和量の数倍をいっていた――
そのふたつで文や語りの展開が運動神経よく起こったから天才だったのだ。

さすがに訃報に動揺したのか、とっちらかした書き方をしているが
平岡さんにじかに会ったのは、僕のキネ旬時代、
香港映画につき宇田川幸洋さんとの対談を僕の司会で仕組んだときが最初だ。
このとき平岡話法、平岡発想法の精髄にすぐ触れた。知っていたが美声だ。

「人から人」、発想のつなぎはいつもこの基準だった。
たとえばサモ・ハン・キンポーと清水次郎長がつながり、
魯迅とマイケル・ホイがつながる。
ブルース・リーとフランツ・ファノンが結ばれ、
ジャッキー・チェンとパリ万博におもむいた日本の雑技団が結ばれる。
それで時間と空間が織られ、
平岡さんの話のもとエピソード満載の、見たことのないアジアが
(たぶん幻想領域に)出現した。
あれはいわばフーリエ的アジアだったとおもう、マルクス的ではなくて。

平岡さんは左翼的なものにいろいろ自分の思考祖型を見出していたろうが、
案外、大きいとおもうのがそのフーリエだ。
平岡的集団性にも僕はいつも合唱団とレモネードの海、
それに過激精密な「段階化」を感じた
(そうした段階化のなかに朝倉喬司さんやら田中優子さんやらもいた)。
フーリエの思考の奇癖=かたちを文人趣味からいつくしんだバルトにたいし、
平岡さんはたぶんフーリエを「本気で」愛した。
変態的なものはその変態性ゆえに本物だったはずだ、平岡さんには。

あるとき僕も自分の原稿でフーリエをつかい傍証をする必要が出て、
平岡さんのフーリエ読解にいつも鍵語(二大原理)として出てくる
「香気」と「呑気」、その具体的言及箇所を探しはじめた。
しかし『四運動の原理』、どこを探しても「呑気」の語がない。
当時フーリエはこの主著(巌谷国士訳)のほかは
たぶん『愛の新世界』の部分訳しか日本語としては流布していなかったはず。
あとは「空想社会主義」を紹介する古色蒼然たる戦前秘密文献だろう。
平岡さんはフーリエの一方の鍵語「呑気」をどこで手に入れたのか。
そう考えて、その「呑気」を
平岡さんの誤読・誤解・妄想の賜物と考えたほうが面白い、とおもった。

あれだけの記憶ストックを誇るひとだ、細部に小さな変調があって当然だが、
実際は暗誦能力までが途轍もなかった。
『水滸伝』、虎造浪曲、左翼文献、落語――たちどころに
ストックから語りの表面に言葉が浮上流入してきて、
語りを起こしたあと調べるとその記憶の精確さに舌を巻いたこともある。

筆圧を軽くしておくこと。
同時に記憶ストックの出し容れを容易にするため
脳内空間・脳内神経を軽やかに涼しくしておくこと。このふたつは相即だ。
だから平岡さんの文章にはまず機能美がある。
それと頭の回転が速く、省略がすぎ、主語述語が呼応していないのに、
リズムでの呼応がみられる場合もあった。
ものすごい名文。けれど、ここで「機能美」という本質が閑却できない。

だから同属とみなされがちだが、一度、平岡さんは竹中労の文章を
難詰したこともあったのだった。
漢籍素養を軸にしているがじっさいはその悲憤慷慨調が重い、
書き出しまでの助走をなくし、端的に所説を開始すべきだと。
そういう竹中的特質によって、思考の瞬間性が取り逃がされる、
ともはっきりつづっていたとおもう。
実際、80年代からの竹中はえらくスピードが落ちた
(内藤誠『俗物図鑑』での演技は平岡より竹中が上だったが)。

そう、こういうこと一切を僕は平岡さんから学び、その文章に憧れた。
けれども能力的にも性格的にもそのエピゴーネンになることはできなかった。
分析分野をひたすら脱領域的にすること――ただその教えだけを守った。
ただ「君は筆力からいって、生涯50冊を出さないと」という
平岡さんからの要請は守れそうにないなあ。

ともあれ平岡さんは何でも書いた。繰り返しもふくめるが
パーカー、マイルス、山下洋輔、革命、犯罪、座頭市、若松プロ、香港映画、
花岡炭鉱、台湾高地民族、百恵、石原莞爾、タモリ、冷やし中華、闇市、横浜、
極真、風太郎、鬼六、筒井、赤塚不二夫、在日、河内音頭、浪曲、新内、落語・・
こうした脱領域性はほか草森紳一だけが比肩可能なものだ。
その草森さんの基底に「中国文学」があったとすると
平岡さんの基底は二分されていたとおもう。そう、ジャズと革命論だ。

平岡さん、やりのこしはいけないですよ、と昔、
生意気にも進言したことがある。
革命行動にとって空間はどうあるべきか示唆しつつ
テック闘争では打倒の対象だった谷川雁、
同志的同道をつづけたようにみえて最後はたぶんすれちがった竹中労、
このふたりの論を単行本として出すべきじゃありませんかといったのだった。
「うーん」と、あの決断の涼しいひとが呻いた。
それよりも晩年の平岡さんは落語評論とジャズ評論に邁進した。

さっき強調した平岡的「記憶力」をおもいおこしてほしい。
百冊をゆうに超えた平岡著作の細部も平岡さんは記憶している。
しかもその細部には「その後展開すべきこと」という尾鰭もついている。
それで何か一個、論及対象が生ずると
平岡さんの記憶の活性化が起こり、一事象に異様な裏打ちが始まるのだった。
ファンにはお馴染みのディテールにみえながら
そうしたディテールには新情報が加算されてもいて眩暈がする。
読みつけないひとには暴力的な類推と映り、
そういう箇所では消化不良も起こすだろう。

ところがそれは絢爛たる類推とみえながら
平岡さん内部ではリアルな傍証、裏打ちに、実情はちかいだろう。
平岡百冊超著作はその意味で、すべてが読まれ体系構築される必要がある。
それで各ディテールの交易と増殖状況が把握できるのだ。
そうなってたとえば落語とジャズの平岡的類推の隙間がリアルになる。
横浜の敷道をあるく平岡さんに港からふきつける夜風の潮っぽさが
読者にもはっきり嗅がれるようになる。
器用に片手で風をさえぎり、煙草の火をつける平岡さんの姿も想像できる。

十年ほど前、「カルチュラル・スタディーズ」が日本の思想先端を席捲したとき
既存勢力の平岡さんたちに呼び水を施そうと
平岡さんを「カルスタの世界的先駆」ともちあげる言が部分流行したとおもう。
ただ、事象を考えるに左翼性に立脚し、
しかも文化の地域間やりとりの蓄積を考えるなんて
思想が辿るべき筋道そのものであって、
それはカルスタの特権でも平岡さんの特権でもない。
平岡さんはただ多様な文化事象から現在や歴史を「思考した」にすぎない。

たとえば平岡さんの横浜は、もともと上海やシスコとつながり、
中国的にんにく臭もたっぷりしていた。
加うるに、通常カルスタと平岡さんの叙述方法には
当然、無味乾燥な論述式か
躍動的な説話によるのか、そのちがいもあったけれども。

この意味で平岡=カルスタ先駆説は浅かった。
それともうひとつ、この説には歴史読解上の錯誤もある。
平岡さんもカルスタも「ともに」「68年的思考」だったのだ。

僕がいま考えるのは平岡さんの老け方がじつによかったなあ、ということ。
ジャズ論議は革命論・組織論の色彩を徐々に弱め、
懐旧的になり都市論的になり、同時に極上の感覚論ともなった。
部分的には特定の人物を焦点に据えた短篇にも似てくる。
これほど実際の(往年の)都市の姿が浮上してくるジャズ論はないだろう。
平岡ジャズ論はそのデビュー当時の難詰=「頭でっかち」から無限に離れた。

このジャズと、落語への異様な集中が、晩期平岡さんの執筆の両輪だった。
これらは身体的に自然な対象選択だった。
唯一異常だったのは、
執筆の際に導入される記憶がいよいよ精度を加えていったことだ。

ちかごろは老年の「居座り」がじつに多い。
某氏など若手評論家にあずければいいインタビュー、対談までいまだ独占し、
そして書くものも昔どおり老けず、よって気持ち悪いほど脂っぽい。
すべて後進に禅譲せよ、とはいわないが、
活動や執筆の領域を自然体によってずらすことで
後進に道をあける配慮が東洋的な叡智というものだ。
最近の評論家にはこれがわからない無神経漢が多いなあ。
というかみずからにとって滋味のあふれる対象を見出せず喘いでいるのだ。
この点、平岡さんは物書きとしてものすごく均衡感覚がよかった。

百冊超の金字塔、よかったじゃないですか平岡さん。
それに平岡さんや草森さんの若い時分は雑誌原稿の一本一本が長く、
それらを提案して編んでみせるアンテナの鋭い編集者も多かった。
「○○の評論集」というだけで、出版時のアピールも充分だった。
だから年間に十冊ちかい著書を量産できた。

それでいうと忘れてならないのは平岡正明の最後の20年は
出版不況の継続状態だったということ。
よってその単行本も雑誌原稿を編むかたちでなく
書き下ろし一気、のスタイルが多かった。

平岡さんを最後の文人のひとりと遇し、
書き下ろし単行本が成立する環境を整えたフリー編集者が向井徹だ。
向井によって、平岡さんは90年代以降もほぼ遅滞なく著書を増やせつづけた。
男同士の見込み、盟約、黙契がそこにあったということ。

向井さん、どうもご苦労さまでした
(僕には人徳も能力もなく、一向にそんな編集者が現れないなあ)。


【その後のセルフ書き込み】

上の追悼文では
もしかすると僕が平岡さんの落語本に
冷淡だという印象をあたえるかもしれない。
そんなことはない。
たしかに僕には落語の教養が欠落していて
その落語本を縦横に読めた自信がないけど。

とりわけ物量を誇るべき
『大落語』上・下、
『シュルレアリスム落語宣言』は
読み終えるとブルースト体験と似た達成感も生ずる。
平岡世界に包まれる至福はむろん他で得られるものでもない。

それと落語を平岡さんの視点から「勉強」しつつ
どの章でもかならず平岡さんの「感覚」には
ゾクッとするところがある。
そう、「類似」を探り当てる神経に
一種、異様なものがあるのだ。
たぶん肌のどこかが異様に澄んでいて、
そこから物語や感覚を体内ふかくにとりこみ
原型になるまで思考を浄化することができるのだとおもう。
これが速い。
そのばあい平岡さんは「からだで考えている」。

からだで考えること。
昔、平岡さんは彫よしさんと
取り壊し前の九龍城に行ったとき
何かのきっかけで
小さくするどい冷気(霊気)を感知した彫よしさんを絶賛していた。
彫よしさんのからだ全体を露光装置のように捉えていた。
それと彫よしさんの刺青施術の際の
チャッチャッチャッチャッ・・
という「冷たい」加算音も
アジア的脱力の真髄と絶賛していた。

むろんここにあるのは以下のような図式だ。
「英雄が褒めるものはなべて英雄性をもつ」。

ただ平岡さんは同時に平凡というか下手糞なものにも
鷹揚な面もあった。
くだらないものにも狂喜していた。
それがあのひとの冗談主義だ。

平岡さんの感覚は鋭かったなあ、と、
どんどん記憶がよみがえってゆく。
そういえば僕が最初に平岡さんと会った
平岡・宇田川対談のとき、
何かのことで平岡さんは
色彩では蒼白にするどく反応すると驚嘆したものだ。

そうだ、ポリネシアのどこかの島の野外広場で
日本公開前のブルース・リー映画を観たとき
電力が低くて、
画面が蒼白かったのが綺麗だったと語ったのだった。

電力の低さ。
そういえば平岡さん、
エドワード・ヤンの『クーリンチェ殺人事件』も
あの複雑さをすりぬけて一発で本質を捉えていた。

たしか平岡さん、あの映画のビデオは
中華街のビデオ屋さんで借りた字幕なしのやつを観たはずだ。
それでもあの複雑極まりない映画を見誤らなかった。
台湾の60年代初頭の階層社会、居住地分断、
受験事情までちゃんと把握していた。
やっぱり天才だったなあ。

むろんアジアの何かの蒼白を感知するだけでなく
西洋の頽廃を笑う際にも卓見が数多かった。
ただ刺青を皮切りにアジアの藍色に反応した平岡さんの感覚は
谷川雁とすごく似ている。
そして竹中労は自分で墨を入れた。
蒼白者の流れ、ということか。中井英夫用語だけど。

そういえばアジア的天才の条件は肌の青黒さだと綴っていた。
あれは伊達政保さんの処女評論集解説文での話。


【その後のセルフ書き込み②】

平岡さんは「11P.M.」なんかで
レギュラー的なコメンテイターだったこともあるのだけど
僕はいまも昔も早寝で
その姿が記憶にのこっていません。
僕の高校時代には拝めたはず。

ただ足立正生『女学生ゲリラ』なんかの
意味不明の優等生役をみると
じつは若いころは、すげえ美男子だったですね。
あの顔あって、天才的な絨毯爆撃文もあった。
顔面蒼白、貴族的。
ロシア人ぽかったとおもう(じっさい早大露文中退だけど)。

しかし顔がふっくらして、
おやじっぽくなったころが平岡さんのルックスの中心です。
あの顔が談論風発で、上機嫌でギャグも振りまくから
周囲をとことん魅了した。

実際は日本人らしい丸顔。
その顔から飛び出す語彙は
僕が起こした談話では
そのものが香港映画、中国映画がテーマだったから
水滸伝でも革命中国でも中国系が多かったけど、
落語本などでは語彙に江戸情緒が纏綿としてきます。
ふと考えた、「現在」こういう語彙をつかい
無理もなくボロも出ない、
気取りのない文章を書くひとなどいない。
石川淳以後の名文家はじつは平岡さんだったですね。

実際は音楽的な文章で、
平岡的リズムのみならず、数々の和音を感じるし
(それが平岡さんの類推の妙です)、
主題提示、数楽章構成、メインテーマ復帰なんかもある。
それらはじつに鮮やかだった。
絢爛なはずなのにいぶし銀にいぶされてもいる。

とうぜん最晩年に連続した落語本が彼の文章の精髄だけど、
そういう気配を最初に感じた本が『浪曲的』あたりだった。
あ、90年代に多かった横浜本もすごくいいです。

僕はいろいろ談話起こしの仕事を編集時代にしたけど
速射砲のように喋られたものをそのまま起こして
手入れする必要を一切感じなかったのは平岡さんが一番。
あ、山口昌男も立て板に水、だったなあ。

平岡本をどの順序で読むか。
本文に書いたように
平岡論説では傍証体系が繰り返されながら
しかもそれが本ごとに膨らんできて、
膨らんだ果てにはさらなる融合すら起きるという特徴があります。
となると、やはり刊行順に読まれるのが正統かもしれません。
平岡本では書かれたことがたんに情報としてのみならず
複合的に面白いのですね。

四方田さんの『ザ・グレイテスト・ヒッツ・オヴ・平岡正明』は
その意味でも良いナヴィゲーターになりますね。
あの本に収録されている対談で
平岡さんが自分の少年時代の凡愚ぶりを語るところは
かなり意外で、衝撃を感じました。

あ、そうそう、あの本、芳賀書店刊で
ものすごい制作費がかかった割に売れなかった。
芳賀では当時、亡くなった石原郁子さんの本も出していて
平岡本=石原本の編集者はじつは
僕の映画評論のファンでもありました
(この事実を僕はのちに知る)。

その編集者は平岡ベスト本不振の責任をとって退社する。
石原さんから聞いたその彼の弁。
「ちくしょう、阿部評論本を出してから
平岡ベスト本を出すべきだった、順序間違えた」。

そうであれば僕のアジア映画本が世に出たはずなんですけどね
(この企画は結局、幻のまま)
  

2009年07月10日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

中本道代さんの詩

 
今夜は「中本道代さんの丸山豊現代詩賞受賞を祝う会」に出席する。
それもあって、昨日から、もっている中本さんの三詩集、
『春分』(94)『黄道と蛹』(99)『花と死王』(08)を順に読み直していた。

中本詩は通常の女性詩に較べ、情を抒べず、
言葉が峻厳に刈られ、その成り立ちも厳しい。
言葉は最少状態で結晶化してゆき、硬質な抽象性を招く。
その際に、ひとつの発語が別の発語へ連鎖されてゆくような
円滑さを印象づける「詩の線」といったものがない。
詩線はおおむねいつも過激に途切れてゆく。
これが読解中の不安定な印象となる。

同時に長い詩を書くことはどこかで中本的戒律を外れる。
だからその言葉数の少ない詩篇もごく短時間で読了される。
体験の少なさ、あっけなさ。
それで読者は一篇読了の直後にその詩篇の再読をもう開始する。
そう、読解がかならず反芻に似始めるのだ。

このとき読者に共有されるのを峻拒していたような詩篇の硬い表情が
ほぐれはじめ、そこで像をも産出しはじめる。
ぎりぎりの修辞の裏側にあったものを
中本道代という個性から得た経験則で読者が率先し補いだすのだ。
そうなると、もういわゆる「うるうる状態」で、
読者は中本詩の魔法になすがままになってしまうだろう。

中本さんの清楚で、大きく潤う瞳が詩篇の印象にかさなる。
それは、高所の湖水のような、「秘密と拒否と清浄」の三位一体ともいえる。
恰好の詩篇が『黄道と蛹』『花と死王』それぞれにあった。



【湖】
(『黄道と蛹』所載)

高い山の上に湖があり
湖はその深い水底に魔物を匿っていた
あなたはボートに乗るの?
湖の中央まで漕ぎ出るの?
そんな小さなボートで

高い山の上で
ボートとあなたは水の上にあって
天に向かっていた
その水平面は非常に薄く
在るとも言え 無いとも言えた

見下ろせば水は青緑にどこまでも深く
魔物はどこにいるかもわからないのであった

けれど

魔物はゆっくりと泳ぎ上って来る
あなたはそれを見ることはできないのだが
天とあなたと魔物は今 一直線をなす



【高地の想像】
(『花と死王』所載)

ヒマラヤの湖に
夜が来て朝が来ても
ただ明暗が変わるだけ
そこでの一日とは何だろう

風が訪い続けて
そこでの一年とは何だろう

ヒマラヤの湖に
だれかが貌を映すだろうか

ヒマラヤの湖に
小さな虫が棲んで
何も考えることなく
くるりくるりと回っているのだろうか



一篇め「湖」には、水面の「極薄(アンフラマンス)」を定着する
簡潔な二行がある。
その薄さのうえで、もともと高い湖底と天が相互反映する。
湖底から「あなた(ボート)」を狙う魔物の線は
水面の薄さゆえに天へと突き抜ける怪しい動勢を獲得する。
すべては高さ、さらには水性という神々しさのなかで危うい。

ところが僕はこの湖面が中本さんの瞳だとも考える。
だから「あなた」のボートを浮かべるこの湖面は
「あなたを見ている」中本さんの瞳だ。
その「あなた」を眼底に引きずりおろすか遠方に解き放つか
そうした生殺与奪の権利は、瞳の水性自身が握っている。
たとえば瞑目ひとつで瞳は対象を殺すこともできるのだから。

こうして「湖」はトポロジーの魔法をしるす詩篇なのだが、
それが圧縮され、同時に平易な言葉で書かれきっている点に驚嘆してしまう。

ところが二篇め「高地の想像」ではさらに言葉が痩せはじめる。
痩せて、「ヒマラヤの湖」の語が無造作に三度反復される。
高所の湖が、俗塵を峻拒しながら
どのように自己展開・自己巡回しているか
想像は純潔にその一点のみに迫ろうとして
かえって水流と生をともにする「小さな虫」に逢着する。
ここで生とは汚濁であって、同時に「汚濁の反省」のようなものだ。
つまり「われわれ」だ。
このとき中本的な「死と生」の二重模様も滲みだすのだが、
いずれにせよその模様を特権化する場所は「水」にちなんでいる。



中本的な「水」は出現し、にじみ、一空間で別の何かを告げ、
美しさによって人をまどわし、生に、あるいは死にひとを近づける。
効能を数語に短縮して要約することはほぼできないが、
水の幻惑は「他」との対照により真の幻惑となり、
それゆえに水は自身の水性を離れだす何かとなる。
それは定着できない動勢なのだ。
以下、拾ってみよう――
(字下げについてはPC画面上の「スペース」がファジーなので、転記を割愛)。



《水分で飽和している空気/の中に//今//光る乳が流れ出る》
《バスで海へ/茫漠とした深まりへ》
《ぬかるみに残るタイヤの跡/海へ》
(「Summer Song」『春分』)



《海にせりだした山/海に落ちていく山》
《裏日本で干上がっている魚/海の向こうに/大陸/血の流れる大陸》
(「日本列島・1989」『春分』)



《そして 今/シャーベット状の池の底では/
電話線の中を男のような声が流れる/
「私がここにいるのを/知れ」と》
(「1月16日午前」『春分』)



《犬は水に映らない/犬はどこへも行けない》
(「鏡」『春分』)



《昼夜を貫いてやっと届いた眼差しが深い水の中に沈んでいく
//「瀧はいつも視線の外側にあるのです」》
(「翳」『黄道と蛹』)



《海には二つの色があって/一つはこちらへと/一つは彼方へと向けられていた
//私は胎道の中を/出ては入って/
海のそばで/海に触れることはできないのであった//
サクラが開こうとしていた//
日本と呼ばれた国の/誰もいない裏側に向かって》
(「春の遍在」全篇『黄道と蛹』)



《水の中に浸された一本の足は/
生きることと死ぬことを同時に為しながら/春へと開かれる音楽》
(「蛹」『黄道と蛹』)



『春分』『黄道と蛹』という二つの詩集名は
中本の想像力の好みをそのまま語っている。
閉鎖世界(蛹の体感)が等分割されることで
圧倒的な次段階が呼び込まれるとして
それは季節としては春分、地球への太陽の干渉線としては黄道なのだった。

中本はその意味で「境」を感知する。
「閉鎖世界」の感知と、どちらの頻度が高いだろうか。
どちらにせよすぐれてトポロジカルな想像力なのだが、
彼女は自分のそうした想像力をこれみよがしにしない。
むしろ「蛹化」する――そうして彼女の詩句に、言葉の運びに
薄いながらも上品な奥行き、
「それ自身がそれ自身になす影めいたもの」が感知されるようになる。
中本詩の体験とは、つねにそういうものではないのか。

さきに列挙的引用したなかの最後のフレーズは
そういったものが像とも音楽とも呼べないものを組織し、
言葉の魅惑が秘密めいて女性化する機微を端的に表現している。
同様の例をさらに抜いてみようか。



《パンティをはく夏/あせた花びらのようなうすい/色の/パンティ//
ぬれた水着は足もとに/くたりと//
パンティをはく/(そのたびにしのびこむ夏)//
脱衣場のぼやけた鏡に/うつる/顔》
(「夏」『春分』)
【※引用部分で物理的な「境」はふたつある――パンティと鏡だ。
その境によって作用されるのがここに描かれている少女の躯で、
それは加算されたあとでうつくしく朧化してゆく】



《うなぎeelをあなたはきらいだと言った//私はそんな長い体について考える//
蛇 ミミズ/ことに ミズヘビ アナコンダ//
私はそんなあなたの長い体について考える》
(「異国物語」『春分』)
【※引用部分で「境」をしめすのは「うなぎ」と「あなたの長い体」。
それらは相似を描き、ゆえにうなぎの「非食」によってすらあなたの長い体の中に入り
差異=境を本当になくしてしまう】



《その貌は何度でも世界に顕れるでしょう/けれど/
人の世の終わる時/その貌は消える》
(「言葉の蛇」『黄道と蛹』)
【※中本的世界ではエピファニーは「境面」の出現だが、
同時に蛹の体感も志向されるので視界の傷口は自然縫合されてしまう】



《接吻と抱擁/それらは白熱する黄泉の太陽に司られて私たちのものとなる》
(「親和力」『黄道と蛹』)
【※「黄」泉という限定辞がある以上、本当は「白」熱しない。
ところが用語は付帯的に「黄」と「白」を混ぜる。
この混合によって「接吻」と「抱擁」が一体化するが、
それでも「白熱」が除外されているため、この一体化の内部には境がのこる】



《やがて闇が降りてきて/
私はさびしくない  ことがさびしいのだと/遠くの方で教える声がした》
(「無声」『黄道と蛹』)
【※恐ろしい語句の運び。「さびしくないこと」と「さびしいこと」の境が消える。
そういう境界消滅者が真の寂寥のなかにいるのだが、
その者は先験的に闇のなかにいる――少女的価値倒錯の闇に】



《樹々よりも高いところで単独の性が泡だち/薫りだけが残る》
(「天使の涙」『黄道と蛹』)
【※「単性生殖」は樹木の高さまで、というのが世界の法則で、
この場合、樹木は目安や目盛りとして整合性に君臨している。
その「境」が越えられてこそ、薫りにみちた想像の自由が到来する】



《私たちは結婚した/まだ十歳にも満たず//
それからというもの/数え切れないくらい結婚した》
(「花の婚礼」『黄道と蛹』)
【※「境」をなくした時間が設定されて、そこで「愛」が生きられるとどうなるか
――とうぜん挑発性によって美しい、上のような詩句を中本的世界は招来する】



中本道代の既存詩集『春分』『黄道と蛹』にかかわりすぎたかもしれない。
本来は、今回の受賞対象となった『花と死王』のほうを詳述すべきだった。
とうぜん同一作者だから、既存詩想の目覚しい発展もある。
蛹=繭籠もりという中本的トポスは
『黄道と蛹』では「白の位相」が素晴らしいが
「白の位相」で花のなかにいたのは、懐かしさを覚えさせる病者だった。
『花と死王』では詩篇「陽炎」でやはり花が降るが、
その内部は数々の「境面」が織り込まれて事前と事後を映しあい、
結局は幽玄ともいうべき対象化不能の光景をつくりだす。
むろん「わたし」にかかわる光景で、それは接吻が動機ともなった。
「/」による繰り込みなしで、全篇引用してしまおう。
愛が褪色したあとの色も愛というべきだという人生真理もそこにはみえる。



【陽炎】

花びらの降り止まない日
くちづけの中にどこまでも
行方を尋ねていく

敗北の長い影を負って
枇杷のつゆに濡れた口で
わたしたちが
時の中からあらわれ
枇杷の種を吐き出して
短い眠りに沈む

水の輪の下で
揺らいで消えていく文字とともに
約束は何度でも消え

わたしはなぜ生まれたのか

先立つ未知のものたちの息づかいが迫り
けれど 遠く
擦れ違っていく場所で

ひっそりとあふれる水に
もうわたしのものでなくなった貌を映す



最後の一聯の「中本印」などファンには直撃だろう。
それでも語法の曖昧・幽遠は、以前の詩法から深化したものだ。
水の主題なら、水が自明性をなくしてゆく過程で
貝の死に様・生き様がそこに交錯してゆく「貝の海」が『花と死王』にある。
水に空間を浸潤され、固有性を空間がなくす成り行きを
想像して憧れる「夢の家」という不可思議な詩篇もある。
この詩の空間の語られ方の独自性は、
『春分』ラストの素晴らしい詩篇、「母の部屋」とも比較されうるだろう。
地上的固有性を失った閉鎖空間にこそ、逆説的に中本的郷愁が滲み始める。
とすると、中本道代の奥底にあるのは漂泊意識なのではないか。

この中本の意識を告げるフレーズを拾ってみよう。

《だれも知らない一隅で起き上がるとき/記憶が滴のように落ち続け/
おそらくは意味のわからないそれを/悲しみと間違える》
(「薄暮の色」『花と死王』)

さてそうした閉鎖空間を等分に分断する顕現者として
この『花と死王』ではものすごく印象的なキャラクターが登場する。
タイトルにもある「死王」だ
(「死神」ではないそれを形姿に変えることはできないだろう)。
ただし「死王」は詩の主体の想像力から召喚される。
意味のないTV画面の像によってこねあわされ、つくられるのだ。
こうして「死王」と詩の主体の関係は「繭内」のそれともなるはずなのだが、
中本の獲得した修辞の「幽玄」は、
詩中に描かれた関係をどこかで確定的にしない
(このことが最も恐ろしいことなのだ――
「AとB」と対比がなされた瞬間に、その対比性が消えることなどありあるのか)。

最後にその「死王」が初登場する詩篇「交錯」を全篇転記打ちして、
この長くなった詩的メモを終わりにしよう
(付帯していうと、『花と死王』は末尾に散文形〔に傾斜した〕詩篇を集めていて、
そこでは中本道代が構想している新しい詩法も垣間みえ、ゾッとさせる――
そのなかの「新世界へ 風の脈拍」でも
一瞬「死王」が姿をみせる。以下のように――
《蒼白い太陽は死王の精嚢ではないだろうか》)。



【交錯】

窓から侵入する水銀灯の光がギラギラし過ぎている
そう思ったのだ
いつものことなのに

TVをつけるとその中の人々もギラギラし過ぎて

白薔薇が霊気に包まれ最期の息を吐いている

だれもが生きることしか求めず登場したはずなのに
世界は解〔ほど〕きようもなく縺れて進んでいく

きみの黒いダンスも少しのあいだしか許されていないね
だから

踊るんだ 思いっきり

死王よ 見るがいい
あなたのためのダンスだ
あなたに瞳がなかったとしても

―――――

雪が約束されている

   ―――――

鳥たちが燃えて飛び立っていくね
その炎に包まれた小さな脳髄がこの世を記憶する

わたしたちも眠ることができるだろう
眠りの中で
再び絡み合った森の中でもがくだろう
そしてまた見つけるのだ
わたしたちすべてを
その変形した一つ一つの姿を

死王よ
雪が約束されている
 

2009年07月09日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

あい編むマイン

 
【あい編むマイン】


少しづつ憂ふ非自己となつてゆく――あい編むマイン、錫の鉱脈。



撲滅を僕滅と書きたがへてはこころ一所を棒犬とする



いづれもどる哀惜か今日の訣別は。「ブーメラン軌動」なべて愛せど



極上のゼリーのやうな詩句となり まがつぼしとて掌上に揺る



ダリア玉転がるまひる 斬首などさまざま出あふ改行にすぎぬ



「揺ら腸〔わた〕」とわが名呼ばれり 夏夕の器に透きてしづもるまでを



お前にも星採があり窓がある、だから昨夜は斜〔はす〕にし 截つた。



鳥籠のやうに日影が走るので主のためすこし真青も嘔いて



起きだせば茶事に残火を喫しゐて世界もおのれ消ゆるまでの朝焼け



楕円転を地球に招〔を〕きし遍力はフーリエとなり沖に感じた。




この二箇月弱、歌作結果を繰り返しミクシィに発表してきた。
既報のようについに200首に達したので
ここでひと区切りとし、
とりあえず詩作のほうに戻ろうかとおもう。

200首については「阿部嘉昭ファンサイト」
http://abecasio.s23.xrea.com
の「未公開原稿など」の欄にアップしている歌集『ラジオ巍々峨々』、
その「2」の部分に作成順に載せてありますので
おひまな折にぜひ覗いてみてください。

この久方ぶりの短歌熱は
僕が現在、卒制指導をしている望月裕二郎くんが最初に火をつけた。
彼は卒制に歌集制作を予定していて、
彼が親炙している若手の口語短歌、
とりわけ故・笹井宏之と斉藤斎藤を読まねばならなくなった。

読んで、口語短歌ゆえの「情」の瞬間性と呼ぶべきものに震撼する。
その瞬間性に同期すると
「われわれの」天使性、それと同時に普遍性が証しされることにもなる。
これが驀進をつづけた短歌のゼロ年代の特性かとおもった。
それ以前の短歌にはなかったものだ。
じつは情の重量の薄さこそがその誘因ではないか。

余勢を駆り、いまは休刊している荻原裕幸さんが責任編集をしていた
「短歌ヴァーサス」のバックナンバーを次々に読んでいった
(枡野浩一さんからいただいた書き込みが動因になった)。
すると、ずっと苦手にしていた(していると錯覚していた)
加藤治郎さんに代表されるニューウェイヴ世代短歌が
すごくいまの自分にしっくりと来だした。
岡井隆のみを守護の砦とし(あるいは水原紫苑などを加えてもいい)、
この世代の創造を遠ざけていた自分は一体どんな不明にいたのだか。
ただし感性変化の前兆もあった。
高島裕さんや大辻隆弘さんの短歌に親炙してきた
最近の体験が礎ともなったのだ。

歌作をこのようにして噴出させてみたが、
だんだんと僕の作歌に言及してくれるひとが減ってゆく。
制作頻度が濃すぎて引かれる、というのはいつもの僕のパターンだが、
僕の欲していた情の瞬間性が、これら200首に実現されていたのか
誰かがここであらためて感想を書いてくれれば嬉しい。



「近況報告」として、
「なにぬねの?」秋川久紫さんの日記にした書き込みをペースト。



(椎名林檎が出演した)『SONGS』はじつは僕も昨日、
録画していた一夜・二夜をみました。
二夜の松尾スズキは余計だったなあ。
林檎理解も浅かったし。

「ありあまる富」は歌曲的には
「ここでキスして。」以来の
技を組み込んだ名曲ですね。
「世界」をうたった歌でもある。
コミュニケーションの断絶と融合、
その空間化。

「SONGS」バージョンは「Mステ」で同じ曲を、
林檎が自身のガットギターで唄ったときより
ずっと出来がよかった。

ただし斎藤ネコのアレンジはこってりしすぎ

実は後期の立教大教室授業のテーマが
椎名林檎で、
技術顧問に三村京子を呼ぼうともおもっています
 

2009年07月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

霜月築城

 
【霜月築城】


霜月の築城さびし脳裡には枯葉めぐらすM字開脚



さらさらと虹かかりゆく音のして白をけぶらすお前過ぎたり



馬上やがてまぼろしとなる戦記かやけふの騎乗位ほのかにしろし



嚢のなか枇杷の胤なる哀しみに をとこの不妊はつか乾くも



髭まとふわが有言は有限の色たる朱〔あけ〕もいつしか帯びて



「うそ」といふ名の鳥ならば蝋となるまで銀漠の国めぐるかな



島じまに流木〔ながれぎ〕ありぬ多島とて樹の通過点、ひとやにあらず



破〔や〕れ蝶の泣き萎るさま痛ければそこら辺から梅雨もとけだす



わがゐるは梅雨の筆倦〔ひつけん〕、花白の白消えたれば花でさへなく



泡吹に似る切口の女〔をみな〕かな泡さびし吾〔あ〕には刺細胞ある




昨日は原稿を二本仕上げた。
一本は「図書新聞」用、松江哲明『あんにょん由美香』評。
これは編集の須藤君からのメールで
「久々に原稿を頂戴したが阿部節炸裂!」とのお墨付きをえた。

映画評をしあげたあとは
川野里子『幻想の重量――葛原妙子の戦後短歌』を読み継いだ。
同人誌をふくめた歌誌にこまかにあたり、
戦後的なリアルとして葛原像を結んでゆく誠実な本だ。
葛原短歌にはそろそろ記号解析的読解がほしいとおもっていたが、
川野さんのやったことはやはり金脈の発掘だった。
やはり文献学の重要性が結果的に主張されたのだった。

途中、葛原妙子が塚本邦雄短歌の弱点を
じつに精確に指摘するくだりが引用される。
彼女の所属する「潮音」に66年9月発表された
「短歌の言葉の機能について」がそれで、
評論だから随筆集『孤宴』にも未収録だ。
あまりに適確なのが驚愕のはず、
改行を加え以下に孫引きしてみよう――



塚本の喩法偏重は、当然、喩の為にイメージを提供する
体言の過剰を招く為、
「喪章の歌」の様に一首の有機的な情緒、
つまり楽音を与ふる用言を失い勝である。
「観念象徴」は短歌に昔からあったが、
塚本の場合はこれと違い、
最も知的な詩であろうとして
西欧から「イマジズム」なる詩の技法を輸入した
現代詩の意識的摂取であった。
先ず短歌から「私性」を廃除し、
従って主情的詠嘆を現わす音楽性を極力追放し、
専ら心象イメージの構築によって作歌したので
彼の作品は彼自身の肉声が極めて希薄である。



川野は葛原の短歌は別様だと指摘する。
むろん前衛短歌の併走者にしてその倍音の体現者だったという
葛原への評価は現在ではもう定着されているだろうが、
それを「喩」から語ると次の川野の言になる。

《葛原には暗喩と現実の区別がなかった。
それは塚本のような明瞭な方法論がなかったという以上に、
前衛運動が方法論の問題として考えようとした問題を、
葛原らは魂の問題として考えようとしたからなのだ。》

川野は79年5月、「短歌研究」での葛原妙子のインタビュー記事から
次のような彼女の金言も引いている。

《私は作歌については故意に、
有機性、生理性を失わない様につとめます。
これらはいわばうたの肉体だからです》

むろんこれは僕らの詩作にかかわる記述ともなる。

やがて感動裡に川野『幻想の重量』を読み終える。
「女性性」に執する川野の葛原読解はときにごつごつとしているが
噛んでゆくとじつに腹に響いてくる。硬派なのだ。
それにしても巻末に置かれた森岡貞香インタビューが
葛原の奇怪な人となりを見事につたえて抱腹絶倒だった。



このとき女房が帰ったので夕飯を手早くつくりすぐ晩酌。
それで「ユリイカ」のための詩稿作成が起床後のこととなった。

じつは、僕にしては珍しく、詩が書けるかが不安だった。
経験則でいうと俳句に惑溺していてもすぐに詩作に転化できる。
僕の詩はフレーズ主義で乾いてもいて、しかも飛躍を必要としているから
詩も俳句の連続みたいところがあって、
俳句→詩の移行はいつも容易なのだった。

けれどもお気づきのように最近は短歌三昧。
短歌は「情」が調べに宿ることが
どんなに前衛的なものでも必要とおもっていて、
これが自分の詩作観と矛盾する。
本当は萩原健次郎さんのような
厳しい詩篇をいま書きたいのだ。

じつは対策を練っていた。
上述、川野さんの葛原論から、
あまり葛原っぽくなく、しかも引っかかった語彙を
読み進む傍らでメモ抜きしていったのだった。
何のことかわからないかもしれないが、
「袖」「部屋を花の香よぎる」「妖なる者」「瘤」「感官」などが
結果としてメモに溜まっていった。

未明に起きだしてこれらの語を眺める。
詩想が湧きだしたが、
さすがにここ一ヶ月、詩を書いてこず、
書き出しを何度もしくじる。
膠着し、葛原妙子の指摘ではないが体言節が林立し
意味の目詰まりを起こしてしまうのだ。

ようやく《葉のような者には/合成と視界がちかく/
これからは分け入ってゆく/澱粉と葉脈でいっぱいだ。/・・》
の書き出しを得て、詩作が流れだした。

黒瀬珂瀾さんの「世界」歌の向こうを張り
「世界の水槽」という語を得、
最終的には三村京子さんのために僕が作詞した
「みんなを、屋根に。」の別ヴァージョンというか
増強ヴァージョンとなった。

下層労働者が長野県を歩く、という構想が全体にいきわたっているが、
タイトルはそのまま「みんなを、屋根に。」とした。

というような瑣末なことは、まあどうでもいいのかもしれないが、
ひとによっては興の湧く、僕の詩作秘密の暴露ともなっているだろう。

詩篇トータルは原稿依頼のときしめされた上限110行に達してしまった。
この詩篇を皮切りに、また詩集を構想してゆこうとおもう。



となると作歌が沙汰止み、ということにもなる。
じつはこの一連の作歌は僕のサイトにアップしている
暫定歌集『ラジオ巍々峨々』の第二部として蓄積されていった。
ただ最初からトータル二百首という心積もりでいて、
実は今日のアップでもう190首に達しているのだった。
なので、あと一回、十首アップすれば
歌作は当面、お休みということになる。

短歌を最近、ずっとつくってきて面白かった。
一皮剥けた気がする。またつくりたい。

なお本日アップの一首目の着想源は葛原妙子。
川野さんの本から、以下の畸形的名吟があったことを憶いだし
戦慄していたのだった。

築城はあなさびし もえ上る焔のかたちをえらびぬ
 

2009年07月03日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

黒瀬珂瀾・空庭

 
黒瀬珂瀾の短歌を主知的だと印象するひとは多いだろう。

春日井建の愛弟子ゆえに
現在的な『未青年』の自己編纂を作歌の宿命とし、
同性愛ディテールをももつ「美少年短歌」を量産した
(とくに第一歌集『黒耀宮』)。
ところがそこからサブカル・ディテールをもつ歌への
自然な連続性までもが組織されてゆく。

一方、黒瀬は岡井隆のいる同人誌「未来」に拠っている。
塚本邦雄的に堅牢な喩精神と同時に
岡井→加藤治郎→斉藤斎藤→笹井宏之ライン、
現在最も刺激的になりつつある口語短歌の流れにも伍し、
後述するように深いレベルで歌が岡井調をかもすばあいもある。

時事詠も多い。しかも着眼はマスコミ報道に依拠せず独自性をもつ。
価値転覆的。しかも禁忌侵犯的。
珂瀾歌にあっては天皇家も大東亜戦犯もナチスドイツも
たとえばグランドゼロにたいする詠草、サブカル批評的作歌と
単純な等価をなしていると気づく。

絢爛たる技法、博覧強記の印象とともに
主題選択には彼の内部で単純な交易性が存在しているのではないか?
あるいは塚本=初期春日井的なものと岡井的なものとの交点で
歴史反復者のおもざしを印象づけながら
それらの変幻する中間項を体現しようとしているのではないか。

となると黒瀬珂瀾には歴史意識、批評意識があって
固有の自我がないのではという疑念も出てくる
(これは私性の問題にたえず回帰する短歌世界で地雷的存在を貫くということだ)。
あるいは自我の規定方法がちがうのではないか。
たとえばコクトーのようなプラスティック=可塑性自体を
自我の運動と珂瀾が嘯くのではないか。

そうした疑念から珂瀾の本当の自我をつかまえること、
たぶんそこに彼の歌を読む醍醐味がある。
そこで彼の美貌が生きる。表面の問題が惹起されているからだ。
つまり黒瀬珂瀾の領域は、コクトー的な創意と
その創意のもとでにじみ出てくる天使性、
この双方の域を不遜にも跨いでいる、というわけだった。



核心にあたることを一気に書いてしまった。
新歌集(第二歌集)『空庭』を贈呈され一読しての印象だった。
もっと本書を精しくみてみよう。

黒瀬珂瀾は時事詠を志向するので連作性をもつ短歌作者だとはわかる。
なかなかその連作は構成が凝っている。
まずは時間生起的な組成をもたない。
自由連想によりながら、各首は相互嵌入的、熾烈な噛みあいを演じ、
その傷口から、特定性を自ら脱する時空混合体がつくりあげられる。

詞書を駆使し計28首で構成された、
巻末近くの「太陽の塔、あるいはドルアーガ」などがその好例だろう。

最初に《池袋に住んで、もう2年》と詞書がある。
万博で岡本太郎がつくった建造物「太陽の塔」の名で
時代錯誤的に形容されているのはサンシャイン60だった。
僕らの時代ではあの高層ビルは
ロマンポルノの数々のアパートの窓から実際に捉えられ、
「お墓みたい」という形容をつねに受けてきたものだった。
池袋は新宿淀橋のように高層ビルの林立化も進んでおらず、
「お墓」の位置をサンシャイン60はいまだ独占している。

珂瀾のその連作は東池袋論へ傾斜してゆく。
おたくというか腐女子の聖地、乙女ロードがサンシャインの膝下にあれば
まずはアニメを中心にした珂瀾十八番のサブカル詠が連打され、
やがてはサンシャインが東京拘置所の跡地に建ったという歴史的事実から
今度は珂瀾の別の十八番、戦犯詠が組み込まれてゆく。
この複雑な時空体を宰領しているのが珂瀾、というわけだ。

うちに痛烈、暴力的な断言の一首がくる。

○日本はアニメ、ゲームとパソコンと、あとの少しが平山郁夫

精神的真実を言い当てていておもわず笑ってしまいそうになるが、
同時に歌の作者の体温の冷たさも感じる。
彼は二次元表現、ネット表現に親和しすぎて
その血液すらドライフーズ化していないか?
こういう疑念を珂瀾自身が誘導していて、
その反転をも彼は連作に仕込む(韜晦こそが彼の作歌動機なのだ)。

○ゲームクリエイターのパーティに吾をりて青鷺と寝るごとくさびしゑ

直喩とともに、詠嘆語尾の「ゑ」が生きている。
僕はこの「ゑ」にいつも女性性を感じる。



歌集全体が春日井建の追悼連作からはじまり、
やがてその徹底した自己対象化でもって肺腑をえぐるような師の葬儀出席を
詞書も駆使しドキュメントする
「六月の」へと流れが間歇的につながってゆく。
春日井短歌との決別はそこから印象される。
歌集中のもろもろは黒瀬がさらなる「独自性」をもとめさまよい、
時にはもうひとりの師・岡井隆をも併呑しようとする過程の提示だった。

短歌作者としての黒瀬珂瀾の位置。

○「若手」より二世代は下 王墓より響く鳴き声まとひてぼくは
※ ――現在の花壇で「若手」といえば加藤治郎の世代か。
「若手」=アラ50。
埋葬されている王は春日井建、
あるいは作歌時点ではまだ生存していたはずの塚本邦雄か。

○母語圏外言語状態 この美しき響きには強風に立つ銀河が見える
※ ――「母語圏外言語状態」全体に「エクソフォニー」とルビ

○PathosからLogosへ渡る橋にゐて神の火の一撃がまぶしも
※ ――岡井隆の謦咳に触れる幸福がうたわれているととった。
パトスとロゴスの共存者としてまずこの才能を人は数える。

○詩こそ紫紺の暮れ方にして鳥わたる静寂をわが鎮めがたしも
※ ――「静寂を鎮める」という撞着語法に注意。
詩精神は暮れ方にきてもう物音すらたてなくなりそうなのに、
そこを幻のようにいまも鳥が渡って、
作歌精神はそのありようから刺激される。
詩歌と鳥を配合し、「詩とは」と大上段に語りだす、
この歌の先例は岡井隆の例の絶唱だろう。
《歌はただ此の世の外の五位の声端的にいま結語を言へば》

○人ら等しくとらはれとしてひとやなる星にゐてまた星を眺めつ
※ ――黒瀬の本当の作歌の位置がみえる。
自らに特殊性を想定しない、ということだ。

○扁桃といふ実を持ちてわが身〔しん〕は日ごと黄泉へと溶け出してゆく
※ ――それでも作歌が反世界的行為だという自覚もある。

○ヨハネにもユダにもなれぬ皆様でDr. Ryuを囲む夕べだ
※ ――「Dr. Ryu」は岡井隆の異称、塚本が命名、岡井も自ら使用した。
岡井はイエスの位置に擬されていて、彼を囲む珂瀾たちには
ひとりのヨハネ(伝道者=道を継ぐもの)も
ユダ(大胆な裏切り者)もいないと唄われている。
そうした微温的会合を自嘲しつつ、全体は
ゲッセマニの森の十二使徒を描いた宗教画のように静謐だ。

○ われはわが歌によごれてしろたへの衣をまとふ炎天の下
※ ――「よごれ」の逆説に注意。「白妙」とうたわれ姿は汚れていない。

○ 恐るべき高みにて羽根を切り捨てし男に届かざるわがコーダ
※ ――作歌者・珂瀾にとって、先行者は洗礼者でなくイカロスだ。
「わが墜落を、自己切断を見よ、これを模倣するか」と問う者だ。
僕は珂瀾が誰を暗示しているのか実はわからない。
岡井隆、春日井建、塚本邦雄の誰かだとはおもうが――

○ あの人の玉なる声をかき消して夕立ふればそののちは蝉
※ ――岡井隆の往年名吟、その反転と受け取ったのでこの一連に掲げる。
《ひぐらしはいつとしもなく絶えぬれば四五日は〈躁〉やがて暗澹》



黒瀬珂瀾の性愛(関連)歌。

○ 君の身にわが肉片を沈めつつ脳裏に天の金雀枝〔えにしだ〕は満つ
※ ――「金雀枝」はフランス語でgenet。
よってジャン・ジュネは自分の守護植物と夢想していた。

○ 大学の前に手を振る一滴の羊水もまだなさざる妻よ
※ ――妻帯者にして子供をなさぬ者の自覚。
宗教的な立脚を考えるひともいるはず。

○ 吾がふふむ君の乳房の左右左右みぎひだりのあさひ
※ ――乳房の左右が曙光の清浄さのなかで悲哀をもって音韻化された。

○ 口でしてもらふ暮れがた雨ひとつすばやく過ぎて燈火を残す
※ ――フェラチオ、静寂、夕方は三題噺に似ている。しかし珂瀾歌は綺麗。

○ 騎乗位なる体位〔ラーゲ〕のありてもののふは矢をつがへたり宇治の川辺に
※ ――見事な二重視覚歌。そうだとして矢とは何か。
性愛の相手のどこに、宇治の川辺を見るのか。
そして「宇治の川辺」の隠喩に実質的な意味が結合できるのか。

○ 魂を注ぎ込むがに君の耳へ舌を差し入れ 花散らし雨
※ ――耳への舌挿入を「花散らし雨」と自署し
珂瀾特有の可憐、自己愛、美しさ、不気味さが揺曳する。
彼にしか許されない業だとおもう。

○死を思ひ出すたびにわが性愛の蓮咲く沼を覗かむとせり
※ ――性愛による死の抑止、それゆえの性愛の清浄。
この歌の世界観には、もしかすると折口が貼りついている。



黒瀬珂瀾の戦犯/ナチス歌/サブカル歌。
これは説明をせず、ただ投げ出そう。

○ 風吹かぬ朱夏の底なれ大東亜大臣重光葵の義足
○ えんえんと会議は続きスライムとスライムベスの差を思ひをり
○ 少年の瞳こはれてゆくさまを楽しみて見る吾は何者
○ アウシュビッツに奉職したる思ひ出のあらば明るき残生ならむ
○ 雪降ればわが身白布〔シーツ〕に巻かれつつナチスよ美〔は〕し、と思ひ至りぬ
○ 窓の外〔と〕に草薙素子立つ刹那朝地震〔あさなゐ〕の来て揺るる硬水
○ 幕間のごとくに晴るる空かつて首落とされし天皇〔おほきみ〕ありや



この歌集の著者あとがきの最後の文言は、

僕もそろそろ、《世界》を卒業せねばなるまい。

だった。
実際、黒瀬の歌には「セカイ」ではなく「世界」の語が頻出する。

手近な人間同士の間柄から何かの兆候を読み込んで、
中間項・中間手続きをすっ飛ばし、セカイと交信しつつ
そこでの自らの使命を構想する、
抽象的・独善的な外界想像力を「セカイ系」という。
『エヴァ』なら許容範囲だが、たとえば僕は高橋しん『最終兵器彼女』が駄目だ。

その「セカイ」と対峙するように珂瀾の「世界」歌はある。
ただし「世界」という用語にはもともと抽象化の危機がある。
それは哲学の危機とも同じ。
それでも「世界」の語自体は魅力的なのだ。
たとえば誰もがヘッセの詩をそのまま唄った頭脳警察の、
「さようなら世界夫人よ」の「世界」に陶然としただろう
(あれと同じ感覚を、最近ではアナログフィッシュの
「世界のエンドロール」におぼえた)。

よって珂瀾の作歌は、その世界の多様性(複数性)、殺伐感、無秩序、混在性、
さらには同語反復的になるが、その「世界性」を保証することでしか
「世界」を主題にしようとしない態度となる。
この試みに成功したとき珂瀾歌の独自性が最も保証されるのではないか。
歌集から引く。これも解説をはぶく。

○ 秋めくや僕は世界の中心のやや左にて愛をさけぶ、よ
○ 永遠に白き葉月の午後 蝉の声を残して世界は終はる
○ 晩餐のライスもてわが築くかな《世界》を容れぬための長城
○ 朝焼けは植民地にも絢爛と来て世界中朝焼けだらけ
○ 世界終ハレ世界終ハレト兇王ガホホヱムユヱニ焚キ火ヲツナグ
○ クリームシチュー甘く煮つめて混沌の世界をひとつ産み出しませう
○ 見えすぎる世界もいやでコカコーラ飲みつつ歩む闘技場まで
○ エレベーターで三十階へ行くときも世界は《性》に覆はれてゐる
○ ルーレットことりととまり平行世界沸き来るを見て部屋を後にす
○ しろがねに輝く水は傷にしみ世界がふいに戻されてゐる
○ ファインダー覗けば朝の祈りほど世界はつどふ君のまはりに
○ 華やかに世界の朝が遠くなる 仮装を解きて笑みかはすとき

同時に、「世界」の語がなくとも、「世界感覚」が迫ってくる秀歌群もある。

○ 意味消エヨ消エヨ僕ラハ朝焼ケニ架空庭園論タタカハス
○ 銃だつた、あれは確かに。緩徐調〔アダージョ〕の街との別れ際に見たのは
○ 時間は香る、だらうか昼が夜となる時を華やぎ無残なるみづ
○ あるはずさ人類愛は きみがけさペリエをついだグラスの底に



黒瀬珂瀾の歌は塚本邦雄的な喩から離れだし、
意味の空間的形成に歯止めをかけ、むしろ、
息の生起によって意味の形成にかえること、
つまりは読み下される時間性にさらに繊細となることで
より絶唱率が高まるだろうが、本人がそれを志向するかどうか。

このあたりの判断の際に驚いた歌がじつは二首あった。

○ 火の落つる地の遠ければ地を歩むものらはみえず乳の匂ひは
○ 死者はつね水際〔みぎは〕に吹けるオーボエのどこか遠くに豪雨はそそぐ

どちらも、主格助詞「は」が問題で
一首め「匂ひは」の「は」留めは、言いさしのままの切断、
二首め「死者は」の「は」は呼応する動詞のないまま空中拡散する。
文法的誤謬のような真似がなされているわけだが、
この「は」は韻律的にも意味の曖昧効果に向けても「決して動かない」。
こういうところに
黒瀬珂瀾のさらなる新境地の可能性が覗いているとおもった。



一頁五首組なのだが、圧迫感がない。
判型と字の大きさのバランスもよく、
これは歌集装丁の新発明ではないだろうか。
装丁=クラフト・エヴィング商会。
僕の詩集の装丁もお願いしたいくらいだ。

本阿弥書房・本年6月刊、2000円。
 

2009年07月01日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)