ネット詩も孤立するか
創刊50周年記念イベントを特集した
「現代詩手帖」の前号(八月号)を
ずっと読めないできていた。
その理由はじつに散文的で
思潮社・亀岡さんとする自分の詩集の打合せで
亀岡さんが同号をもってくるのを忘れつづけるなか
こっちが買い控えていたためだった。
ついに送られてきて、それを昨日読んだ。
「詩の孤立の必要」が数方向から話題にされている。
一個はイベント配布物にしるされた数多くの詩作者の
「これからの詩どうなる」という設問にたいする回答のなかで
北川透がしるしたもの。
その末尾を転記すれば・・・(改行付与=以下同)
●
詩は世間のどこにも位置を与えられない。
詩はどんな庇護や、もてなしからも遠い。
だから詩の孤立を、〈わたし〉は絶対的に擁護する
●
一見、勇ましくかつ悲壮だが、
実際はなにかここで鉢巻気分を上乗せする
有機的なことが語られていると僕にはおもえない。
ちょっと前の「詩手帖」での北川・瀬尾育生・稲川方人鼎談で、
商業基盤のない詩集は商品として流通しない、
それは贈与体系のなかでのみやりとりされる精神的なものだと
瀬尾育生がいい、北川も同意していなかっただろうか。
その瀬尾の文脈ならば、詩は孤立しない。
というか、一孤立は他孤立を照らすことで孤立が確認されながら
照射をつうじ孤立はそれ自体の状況をすら超えてゆく。
「孤立」の語はかつて日本的革命状況のなかで
とうぜん以下のように定位を変えていった。
《連帯をもとめて孤立をおそれず》という谷川雁的視座。
そしてそれを覆した、
《孤立をもとめて連帯をおそれず》という柄谷行人的視座。
どちらをとっても、
孤立は孤立状況として単元で把握することなどできず、
かならず他、つまり連帯とのカプリング、その複元状態で捉えよ、
という黙示がそこにあった。
じっさい雁的視座と柄谷的視座は
安保闘争の十年の幅で捉え返された経緯だが、
意味は同じで、生の順序だけが(壊滅的に?)ちがう、
といった程度に「すぎない」のかもしれない。
どちらでも「孤立」「連帯」の相互が手に入れられるのだ。
もうひとつ、「孤立」にそのイベント内で共鳴していったのは
上・北川の文言に触発されたとおぼしいその瀬尾育生だった。
とうじつ瀬尾は、吉本の講演を司会する場所にいて、
たぶん吉本の「還相思想」なども視野に入れたとおもうが、
「孤立の技法」を吉本に問うた。
こんな言い方がなされた。
●
いま不況で、たとえば自動車部品の下請工場が
いろんなところに、
たとえば大田区なんかには
小さな町工場がいっぱいあって、
そういうときに、ひとつには、
多少質を落としてもコストカットして
当面の利益を確保する、
というスタイルがありうるわけですね。
だけどもうひとつには、
ただひたすら、いまはあまり生産しなくてもいいんだから、
そのかわりひたすら世界レベルの技術を蓄積して、
来るべき時代に備えよう、という
やりかたもあるように思います。
●
瀬尾においては「孤立」の状況はこうした局面に比喩的に出てくる。
つまりたとえば取引先からの孤立を、
技術蓄積のための雌伏、その奇貨とせよ、という意味らしい。
雇いいれた工員の給料が遅配になるような町工場で
社長自らが自己給与をカットしている現状で
こんな二者択一の比喩が成立するか、という
経済論的な立腹までいかにも呼び込みそうだが、
こういう瀬尾の立論に択一命題を感じるのがむしろナイーヴだろう。
つまり瀬尾自身も、孤立と連帯の不可分を充分知っているはずで、
つまり技術蓄積のための雌伏が
「連帯のなかですら」状況していい、
とも柔軟に捉えているとおもう。
いえば、「孤立」は常態だから恐れるな、ということではないか。
●
いずれにせよ、詩作は今後ますます孤立をしいられる。
そのことに清潔な姿勢を個々の詩作者はたもち、
談合や互酬や権威化や阿諛からも離れて
雌伏でもいいからこの詩の受難の季節を乗り切ろう、と
呼びかけられているようにみえる。
そのように乗り切るべき理由は「詩が必要だから」のはずだが
(それは対・散文によってそういえるのではなく
ひとの身体と言葉の関係で、自明的にそういえるのだとおもう)、
このことはこの50周年イベントであまり吟味されていない。
あるいは政治/経済/哲学状況を考えるにも
それらの分野の思考の膠着を打破するのに
詩の思考が導入されるべきだという積極性もない。
それならば遠点どうしをつなぎ
たんなる言語隣接に幸福をあたえる詩の属性が語られるだろうに。
「孤独」にたいして最も言語的に清潔で、
しかもその清潔を最も詩作の糧にしているとおもわれるのは
しかし上述した男性人材などではなく
詩壇意識にたいしいつも本質的な亀裂を入れる井坂洋子などだと
僕はその詩作品を証拠に考えるのだが、
その井坂さんは、イベント配布物に次のように書いた。
これは名文なので、改行を加えてであるが全文引用しよう。
●
優劣や強弱を競う世の中で
詩は生き残れるだろうか。
利害によって対立する政治とは
まったく無縁であるというつもりはないが、
詩は丸腰で方策のたたない愚かな子どもだ。
けれども一人ずつに飛び込んでいく。
人間の皮膚より内側に浸透し、
つながっていく場合がある。
孤りきりに巣食うものなので、
人が孤独を抱えるかぎりにおいて、
生きのびると思う。
孤独ではないという幻想を与えるもの、
国家概念やある種の宗教、
ネットなどの集団偏向現象を詩は嫌う。
●
詩作の栄誉ある孤立孤独というときに
なぜか思潮社的文脈ではネット詩が眼の仇にされる
パブロフ的反応があって、
掲出、井坂さんの書いた最終行もまたそれかとおもってしまう。
多数性を恃んでいるのはむろん詩壇のほうで、
へたれ書き込みをやりとりをしない、
たとえば応募サイトのネット詩作者などは
「集まる場所」すらなくもっと「孤立」しているのは自明だ。
井坂さんはたぶんそのあたりにつうじていなくて、
ネット詩の水準を、「祭」程度の最低水準に定めてしまっている。
ただし、井坂さんの詩にたいする見解の無類の美しさはどうか。
《詩は〔・・・〕人間の皮膚より内側に浸透し、つながっていく》。
この皮膚浸透力のある環境は実感的には紙媒体よりも
ネットのほうだとする者も多いとおもう。
しかし詩は/詩作は、そこではなかなか定位されてゆかない。
孤立と連帯の配分に、詩壇とちがったものがあるとはおもえない。
むしろ個々の詩作者の孤立が高まっているぶんだけ
ネットのほうに今後の可能性を僕などは感じる。
けれども詩の運営がうまくゆかないのは
「孤立」の質がネット環境でほとんど履き違えられているためだ。
誰もが「わたしが、わたしが」と自分を主張する。
SNSなら自分が環境にあたえた刺激を
足あとなどの数値で実定的に受け取ることもでき、
それがまた癪の種になって自意識過剰が更新されてゆく。
これが依存性を高めようとするメディア資本側の罠だと
多くの人間は自分のいる環境を還元してゆかないだろう。
詩作特有の「罠」もある。
詩作者は自分の詩篇は繰り返し読む。
そして「絶対」他人の詩篇はそこまでの回数を読まない。
そういう自他関係の非対称性がそのまま
「わたしは他人に理解されない」という怨嗟の温床ともなるのだが、
実際はそこに隠されているのが
「わたしは他人をぜんぜん理解していない」という図式だとは考えない。
結果的には自己保全本能が働く。
そのレベルで日記が応酬されることのみを所与と考えて、
皮膚感覚レベルでの書き込みがしやすい日記が選ばれて書かれるようになり、
結果、ネットにおける詩作が壊滅してゆく。
自分の詩作を安定的にするためには
実際は他人の詩作にたいする批評能力を練磨し
それを自作に再度、還流させる手立てしかない。
けれどもそれが実感的にわかるためには
ある程度の加齢が条件になるかもしれない。
批評によって他人の詩作に介入し、
自分と他人の共同域を樹立すること。
これができず自分の詩作、
そしてそれに伴う野心や慨嘆ばかりを日記化する者が、
見当ちがいの不安定な詩作を繰り返し、
あるいは自己保全のために自己模倣を反復してゆく。
この部分こそをネット詩は詩壇から見透かされている。
考えてみれば、これはネットに「より」特有に起こることだ。
自分は自分の詩作を繰り返し吟味するが、
他人の詩作の吟味は絶対に量的に少ないというのが真実だとすると
(べつだんこの点は非難に値しない)、
横書き・小さな文字でほとんどの詩作が披露されるネット環境では
視覚の及ぶ範囲が広く、読解行為が速くなるという
生理感覚条件がさらに横たわっていて、
他人の詩作は「より構造的に」ないがしろにされるのだ。
ネット詩は環境的に「ゆっくり読めない」状況にこそ立ち上がっていて
これを環境疎外と考えるリアリティが
多くの若いネット利用者に育っていないと換言してもいい。
自分の詩作よりも省みる回数の少ない他人の詩作にたいし
あるいは飛ばし読みを環境的に促されている他人の詩作にたいし
「自分の孤立を救うように」そこにある孤立を救ってゆくために
人がすべきことは
しかしそれらを「よりじっくりと繰り返し読む」ことではない。
むしろ速読・一瞥読みでその本質を捉える
読解力・運動神経が必要なのではないか。
この能力の獲得がたぶん「詩的環境」を変える最大要因だ。
そうして「孤立=連帯」という等号が環境に成立してゆく。
佐々木幹郎が同じイベントで、
詩は縦書きで書かれ、読まれるべきだ、
たとえば言葉、あるいは言葉の流れには重力があって、
改行詩では一行の容量はその重力負荷と反転から決定される云々と
いまは横書きが決定的になった中国の詩環境に向けて語っていた。
これも場合によっては中国系詩作者への逆提案でも何でもなく
横書き詩が横溢するネット詩への牽制が本音かもしれない。
縦書き・手書き・原稿用紙で詩を書くとわかることは単純だ。
見通しが利かず、書き進む速度も遅いために
分量的に内容の多い(場合によっては饒舌体の)詩が書きにくいのだ。
それを言葉の重力にやられた、と換言することもたしかにできるので、
佐々木のこの提言を笑止というつもりはないし、
体力によって抑止がかかる慎重な環境を詩作が選ぶべきでもあるだろう。
ただ縦書き手書き紙印刷の詩における「重力」が特権的にいわれるなら、
ネット詩は横に伸びてゆく自らの立脚を特権的に言い返さなければならない。
詩は真空環境を横にはしる光線として書かれる、と。
とまあ、これらが「詩手帖」前号を読み、最初に感じたこと。
タイトルは「ネット詩も孤立するか」とでもしておこうか。
性なる往年を列聖する
前回日記「文学極道No2.のNo.2」で
軽谷佑子「SPRINGTIME」を引用してからの反射作用なのか
最近読んだ詩集のうち、
性(愛)をつづった詩篇を昼食後まず探し出した。
まずは以下に転記してみよう。
●
【蛇いちご】
辻征夫
この閉じられた空間の
豊饒の夢のはなしはいつか
きみがしてください
ぼくはぼくの小鳥を
きみの乾草の匂いがする
茂みにかくしているからなんて
いわれてもこまるじゃないの
どんな花の
物語を
わたしはすればいいのですか
不忍の
池とmegalopolisの
雨雲には牡丹だけれど
ぼくは
きみの蛇いちご
噛んでいるから
舌の
さきでたわぶれて
いるからなんて
〔※『現代詩文庫155/続・辻征夫詩集』より、
詩集初載は辻『ヴェルレーヌの余白に』90年、思潮社〕
●
【散見】
井坂洋子
緊張すると
むかし尾の生えていた部分が
左右になびくような気がして
落着かない
あなたは
おとこの姿で
宿した熱を敷き
くらがりを利用して
有無もなく
しんしんと行い始める
樹間をわたるときのように
いま 汗をつなぎ
肉の窪みを
押しあげられる
刺激がつよくて
ほとんど何も感じなくなったからだに
ひとりずつ
心音をもどし
睡りへの勾配に向かうまで
いくどでもすがたを変える
昼の脱衣をそこに
散らしたまま
〔※井坂洋子『marmalade days』思潮社刊、90年〕
●
どちらも「性愛」をうたった詩で
90年刊行の詩集に収録されている。
そしてどちらも、暗示的な手法によっている。
しかしおおらかなポルノグラフィの栄誉に浴するのは辻征夫のほうで、
井坂洋子のほうには
自虐、殉教、磔刑など負の価値が性愛に付与されていると感じる。
個性差にして男女差だろう。
ここで考えなければならないのは
性愛をあからさまにうたう詩が伊藤比呂美によって先鞭をつけられ、
多くがそれに賛同し、追随をみたのが80年代全般だとして
(井坂洋子『GIGI』82年にもたとえば「幕」という詩篇がある)、
転記打ちした辻征夫の詩篇も井坂洋子の詩篇も
そのおなじ流れにある、ということだ。
同人詩誌「酒乱」の80年代特集では
たとえば座談会に出席する杉本真維子が、
80年代全体の詩風のおおらかな自由さによって
すぐれた女性詩作者は「詩を書かされた」傾きをもつと指摘した。
性愛詩などはまさに「書かされたもの」のど真ん中で、
いまなら井坂洋子も上のような詩を書かないだろう。
その誘導、勇み足はじつは「いい気なもの」なのではない。
むしろ時代に導かれた虐殺で、少年十字軍のようなものだ。
その荒廃した跡地に、パレスチナのような価値混交地がいま花開いた。
ということは、80年代詩の価値は
個々の「いい気」度ではなく
「殉教」度によってこそ測られる、ということにもなる。
だから女性詩が多くの男性詩を凌駕したと事後的にいえるのだ。
このように80年代詩の男女差を括る分析も有効なのではないか
(そうしてその後の詩史進展が読める)。
けれどまあそんな視座を「酒乱」80年代特集が
提示しているわけでもない。
それは同人のそれぞれに
真率な性愛詩を書いた経験がない点とも相即しているだろう。
いまつくった自作をひとつ。
●
【海溝】
阿部嘉昭
溝はひらかれるけれども
ひらいて海のような
中性が露見するわけでもなく
むしろそれは誰しもの肉が
とりわけ花びらのいろを
生きている間だけ保つにすぎないと、
つまりはひとしなみ普遍なんだと、
しずかにかたりするものだから
さおだって
さすかわりにただ領地をなぜて
溝を泪のふかみへかえてゆくだけだ
だがそれがどんなれきしの川なのか
肉なんて天上の総体にならない
栗のように秋のはずれに落ちるなにか
あい沿いあい離れる、ものみなのつねで
音楽もきっと川の二流となって
このあいだをつなぐ橋も
思想のように
ただ折れてこそ本望だろう
折れる
そんな気で
ひかりに白くなりゆく
輪郭をうれしくなぜて
手が鳥型の叛意もうける
こんなもの泪じゃないか
ああことばのただしい意味での
禁断じゃないか
それで腰下の骨組をたしかめきって
うれしくたがいに泣いたあとは
価値をけむらせるためだけに
きみのおなかのうえにこぼしたものを
まずは霧のようにひろげて
そののちゆっくり拭いてみる
かいこう、
海溝/開口/邂逅――
来年のない
いまはあまい秋が
ぼくらに
ただきていた
文学極道No.2のNo.2
8月12日の日記、「文学極道No.2」のつづき――。
08年度分から秀作詩篇を選んでゆく。
●
【悪書】
りす
目が悪くて ちょうどそのあたりが読めない
世田谷区、そのあたりが読めない
悪書でお尻を突き出している女の子の
世田谷区、そのあたりが読めない
もはや 言葉の範疇ではない
もはや ストッキングが伝線している
伝線を辿ると たぶん調布なのだ
それを誰かに伝えたいのだけれど
目が悪くて 読み間違えるので
ストッキングを被ったような詩ですね
と書いてしまい アクセス拒否をされたのは
世田谷区、ちょうどそのあたりだと思うのだ
眼球が腰のくびれに慣れてしまい
女を見れば全て地図だと思い
上海、そこは上海であると決めつけ
あなたの上海は美しいですね、と褒めておくと
行ったこともない癖に、と怒られた
この場合の「癖に」は、逆算すると
北京、だろうか
やはり 言葉の範疇ではない
やはり 世田谷区はセクハラしている
それを誰かに伝えたいのだけれど
目が悪くて 読み間違えるので
かわりに読んでもらおうとしたら
上海は書く係で 北京は消す係で
読む係はいないのだと教えられ
どうしても読んでほしければ
世田谷区、そのあたりで読んでもらえると
悪書を一冊渡された
〔全篇〕
○
前回の「モモンガの帰郷のために」につづき
またも、りすの詩篇をピックアップした。
理路の崩壊。不機嫌と事件性だけが伝わってくるようだが、
この不機嫌が感情レベルにとどまらず
論理性の不機嫌だという点に注意する必要があるだろう。
前回、放置した問題。「この作者の性別は?」
勘では♀という結論を出しているが定かではない。
ネット詩の作者名はハンドルネームで書かれることが多い。
詩壇詩でも「久谷雉」「小笠原鳥類」「水無田気流」などと
性別を超越した筆名が一時期、席捲したが、
ネット詩にこの傾向がさらにつよいのはとうぜんだろう。
詩作とは変身の欲求であり、そこでは匿名性が前提される。
たとえば女性詩が性差記号にもたれかかって
自己愛的に書かれることが即、性別擁護にまですりかわるという
夜郎自大にいたる危惧をもつとすると、
性差を超越しているネット詩では
その自己愛記号も作者の背景の分野ではなく
発語に自体的にともなうものとなる変転が起こっている。
こういうことは根本的に、
「頓珍漢」の心中を見透かすようだが、不安なのだ。
地域属性と人格属性との暴力的な付着、
という、とりあえずの着想がこの詩篇にみえる。
このような詩篇では【大意】は恣意生産されてゆく。
そのさいその恣意を色づけしてくるのが詩篇の呼吸の気分。
あとは「AはBである」という「断言」が
同時にたえず「寓喩」となるという確信があればこの詩が読める。
乱暴が勝ち、そこにこそ口調の面白さも追随するというのが
ネット詩を面白がるときみえてくる眺めの質でもある。
【大意】
世田谷区(♀)は悪書=エロ本のグラビアで
挑発的に突き出される尻として指標される。
駒澤大学も成城大学もある世田谷区には
そんな尻が欺瞞的にあふれかえり、
まさにバックスタイルで犯される直前なのだが、
女子大生にして装着されているOL風ストッキングには
もう脱力的な伝線も起こっていて、
その伝線的なものが調布を指標するのでじつは犯すに値しない。
それは白百合女子大の領域だ。
なんておもって、その指摘を上半身下半身逆倒させてまでおこなって
わたしは記号のこの地上性からアクセス拒否され、愛も拒否された。
世田谷区、嫌いだ。気取ってるしマダム多いし。
おまえのエロさが、すでにセクハラだい。
いずれにせよ、女はくびれをもった猥褻な「分節」なので
(つげ義春「ヤナギ屋主人」冒頭参照)、地名が似合い、
女の集合自体もそのまま地名分布されてゆく。
記号性はこのような熾烈さをもっているが
それは記号性がそれ自体、もう悪書となっているためだ。
ところで女に戴冠させる地名性は相互対立的な局面までいたるか。
上海/北京――記載/消去の、
なさぬ二対を考えてみる必要があるのはここだろう。
記載=上海=くびれ=女は、自同律としてうつくしい。
けれど書いてわかる、消してわかる、上海とは北京じゃないか。
記載/消去の運動は自動生起して、
そのかん誰も成行きを読まないのだから当然そうなる。
だから世田谷なんぞも悪書まるごと
女としてこちょこちょしちゃえばいいのだ。
そうやって悪書をもらっちまった。
ああ目が悪くてすんません。記号の論脈を読めるのはこの程度まで。
でもじつはわたし、目が悪いんじゃなくて、
本当は「目つきが悪い」んだよね。
(※こういう詩篇では【大意】の提示が分量的に本編をまさって
真の読解が完了するといえるだろう)
●
【アゲハのジャム】
浅井康浩
どんなによわよわしくたって、見つめられているというこ
との、その不思議な感触だけがのこされていた。あなたはね
むりに沈みこんでゆくけれど、塩のように、わたしとの記憶
を煮つめてきたのだから、そっと、さらさらとしたたってゆ
くものが、とめどないほどに、みえてしまったとしても、わ
たしはもう、どうしようもないのでしょう。だから、そう、
あなたのからだが朽ちてゆくのを待っているのだとしても、
わたしとの思い出がほつれてしまうおとずれを、まつげをふ
るえさせるかすかなしぐさとして、あなたはそっと、わたし
にだけおしえてくれる。そうして、ともに、あなたから溢れ
だす、しょっぱい記憶の海のなかへ、はからずも息をするこ
とができてはじめて、わたしたちはこれから、どこへもたど
りつくことなく、ながされてゆくことができるのでしょう。
たとえば、わたしがとしをとって、そっと、いまのわたしを
ふりかえれば、ここは、たどりつけない場所になっていて、
もういないあなたのそばで透きとおる、記憶のなかのわたし
に溶けあう手はずをととのえている、そのようなおさないわ
たしが、みえてくるのでしょう。思い出は、そっと霧のよう
に降りそそいで、やさしく、時間のながれをゆるめてくれる
から、ときには意味もなく、隣でカタコト揺れながら、ほこ
りをかぶったままの空き瓶となって、あくびもし、えいえん
に、詰められることのないジャムの、あわいラベルを貼られ
たりもする。そうやってすごすひとときが、しずかに夏のお
わりをつげて
〔全五個聯中、第一聯・第四聯を転記〕
○
サイト「文学極道」をひらきだした初期のころ
もっともびっくりしたのが浅井康浩の一連の散文詩だった。
三省堂から出た小池昌代/林浩平/吉田文憲編『生きのびろ、ことば』に
僕はネット詩の現状分析の稿を書いているのだけれども、
うち「文学極道」の箇所で引用したのも、
《あした、チェンバロを野にかえそうかなとおもっています。なんというか、場所ではないような気がします。野にかえすこと、それだけがたいせつな意味をもつようにと、そうおもっています〔…〕》
という書き出しの、浅井「No Title」だった。
「ですます」調で、ひらがなの多用されるその文は
手紙文やメモともまごう装いをもち
メッセージ性=意思伝達性が一見高いようにおもえるけれども、
内実は宛先の明瞭でない「独白体」で、
かつ、文の進展に重複があればその箇所が淡くなり、
飛躍があればその箇所が軽くなるなど
内部に翻転してくるような不定形性・やわらかさがある。
この語調の抒情性そのものに読者が拉し去られてしまう。
いずれにせよ、独自文体をもつ、手だれの書き手だ。
『文学極道No.2』巻末の掲載者プロフィールをみると大阪在住の80年生、
名前からすれば当然♂だが、ここでの「わたし」の記載のやわらかさは
そういった性別判定価値を一切、無効にしてしまう。
じっさい浅井の詩では主体・対象に性徴が生じず魂の様態だけが漂う。
浅井の言葉はその内心にむけ語られる。
言葉は意味ではなく木霊であればいいから
響きの弾力性を阻害する漢語も忌避される。
そして一人の内心で響く語群は
それが「一人の」という限定辞が精確なかぎりにおいて
「万人の」という非限定辞へと反転してゆく。
掲出、「アゲハのジャム」は愛をふくんだ生活をともにした
「あなた」への「わたし」の述懐を言葉にしたもので、
どこにも別れの言葉は書かれていないが、
別れの決意が全体に瀰漫しているとおもわせる詩篇だ。
そうなって重要性を帯びる概念が当然「記憶」となる。
掲出した一聯には一瞬こんな図式が成立する。
「あなた」の寝姿=「わたし」の記憶が海水であったとして
それはもはや塩の結晶=
あなたの寝姿はそれと等価となり塩としてさらさら流れてゆく
=しかしそれは消えたとしても塩であるかぎり不朽だろう
=ねむる「あなた」とそれをみる「わたし」は
そんな相互斥力のなかにもいる
斥力であるかぎり、「わたし」と「あなた」は、その間柄は、
《どこまでも透きとおってゆくのをやめなかった》(第三聯)。
そうなって記憶はすべて回顧調の色彩に置かれ、儚い。
それはありえないものにすら似る――たとえば塩ではなく
色彩を抽出するために煮詰めてつくるアゲハ蝶のジャムに。
ジャム瓶は夏の終わり、テーブルのうえの木立となっている。
それは夏ばかりでなく記憶の終焉を示すための木立。
しかもアゲハ蝶を煮詰めた色は時の褪色によってさらにみえない。
現実的には瓶が埃をかぶって不透明化しているだけなのだが。
ともあれ、それが記憶の位置だ。それは手に取れるが見えない。
回顧の語を詩篇から考えれば
「アゲハ」と連動し、「回顧」は「蚕」となる。
それで記憶は繭状のものに変ずるが、それが誰にとってもみえないのだ。
感知されるもの、感知域が感知されているとだけ感知されるもの、
本当は、記憶もそんなものにすぎない。
用語と形成文脈の微妙、現れてくる細心の中性性の水準。
しかもそれが虚無と戯れるメッセージでもあること。
そういうエレガンス。
このような浅井詩の特質にたいし
詩壇詩でそれにいま対応しているのは杉本徹の詩だと僕はおもう。
ところが浅井の詩のほうが揮発性、蕩尽性が高い。
ひとえにそれは、彼の詩が散文体によって書かれるためだ。
散文体は転記の拒否であり、流通の拒否だ。
それは一回性の読みのなかだけで、
パソコン画面では読みにくさすらともなってとおりすぎる。
ただしそれはもうひとつの可能性ももつ。
詩のサイトのなかでコピペされ印字されて
浅井のあずかり知らぬ者たちの手許に
静かに置かれる可能性だってあるのだった。
浅井の詩篇がしめす潜勢はその圏域にある言葉の透明性で、
その透明性を人は水性か火性か判別することがじつはできない。
●
【SPRINGTIME】
軽谷佑子
わたしの胸は平らにならされ
転がっていく気などないと言った
そしてなにもわからなくなった
柳がさらさら揺れた
井の頭の夏はとてもきれい
友だちも皆きれい
わたしは黙って自転車をひく
天国はここまで
暗い部屋で
化粧の崩れをなおしている
服を脱いで
腕や脚を確かめている
電車はすばらしい速さですすみ
わたしの足下を揺らし
窓の向こうの景色は
すべて覚えていなくてはいけない
除草剤の野原がひろがり
枯れ落ちた草の茎を
ひたすら噛みしめている
夢をみた
そしてわたしはかれと
バスキンロビンスを食べにいく
わたしは素直に制服を着ている
風ですこしだけ襟がもちあがる
〔全篇〕
○
前回「花風」につづき軽谷佑子の詩篇転載。
女子高生かのだれかの、春の午後の、
日常的な恋愛(性愛)進展が
抑制された筆致で素描されている。
時間進展が聯によってたくみに飛躍していて、
この詩法は僕の大好きな西中行久さんのものとも共通する。
三角みづ紀という、いかにもネット詩的な才能を発見してから
三角にその傾向(自傷傾向)の詩篇を独占させるかわりに、
詩壇は井坂洋子から杉本真維子などまで、
厳しい詩風の才能が女性に開花するのを見守ってきた。
それで現在、意外な陥没地帯になっているのが
かつて「ラ・メール」が称賛したような
普通の感性の女性詩ではないだろうか。
この分野はじつは詩の応募サイトでは着実に歓迎されていて、
それを代表するのがたとえばこの軽谷「SPRINGTIME」だ。
冒頭、胸の「平ら」に作者の身体個別性あるいは世代の刻印がある。
「わたし」は乱交傾斜ではない。自己保持欲求はある。
それでも春の日差し、若い緑のゆれる井の頭公園で、
同世代の男女とは集団デートをした。
わたしだけが近いので自転車で集合場所に行った。
ふわふわした語り合い、池からの水明かり。
そこでわたしはひとりから求愛をうける。
こうして生じた瞬間的な愛によって
わたしの、相手の躯は蔑ろにされた。
それでもそれはたがいをもとめ世界の橋のように伸びた。
その相手の下宿は井の頭線に近く、電車通行のたびに揺れた。
暗い部屋だった。そう、意味合いとしてはラブホだった。
二聯冒頭《井の頭の夏はとてもきれい》の
直叙の清々しさ、感情吐露に泣けてしまう。
《天国はここまで》という単純きわまる措辞の
世界を切り開いてゆくような心情と空間の描写。
三聯《服を脱いで/腕や脚を確かめている》。
性愛の質もこの簡単な措辞で如実にわかる。
所有格人称を省かれた「腕」「脚」は相手のものではなく
「わたし」のものだと僕は読んだ。「わたし」はまぐろで、
性愛行為中、自分の腕と脚の所在に神経を通わせていた。
そうして自分の反応、可能性を計測しようとしていた。
なぜなら「わたし」はそういう営為にまだ慣れていなかったから。
それは「わたし」の決定的な日だった。だから
《窓の向こうの景色は/すべて覚えていなくてはいけない》、
そう考えようともした。
肝腎なのは「わたし」の落花は春の季節と同調し、
ひかりのなかでこそ起こった、という点だ。
春だった。初夏のように暑い四月の終わりだったけれども。
その日は夕方になって落ち着いた。彼と簡単な外食にゆく。
世界が暮色に傾いて、わたしはかれとも世界とも馴染んでゆく。
《わたしは素直に制服を着ている》中、「素直に」の素晴らしさ。
世界にたいする気負がなく、
もうわたしはわたしとして許容されている。
それを世界が祝福する。それで最後の一行、
《風ですこしだけ襟がもちあがる》が来る。
とうぜん、詩篇がこのように書かれれば作者への忖度もはたらく。
詩篇は08年のものだが、
09年での作者の経歴を覗くと《1984年東京生まれ 事務員》。
よって詩篇が描きだしたのも現在のものとはおもわれない。
そう、作者の記憶のなかの出来事だろう。
注目したいのは作中を明示性なきままに覆っている光。
それはそのまま、僕が大学時代だった70年代末の光とも共通していた。
【※この項、さらにつづく】
瀬々敬久・パンタ・井坂洋子・わたしはテレビ
一昨日は瀬々敬久の
『ドキュメンタリー頭脳警察』の試写に行った。
瀬々がはりついたパンタが
驚くほど「いいひと。」なのに驚嘆する。トシもそうだ。
それらのことがドキュメンタリー深度の当然の誘導剤ともなって
瀬々はものすごくパンタの内奥まで入り込んだ。
その一環が、パンタの実母の死に顔を撮ったことだろう。
パンタの音楽=ロックの転写、としては
新宿・風林会館(抜群の空間!)でおこなわれた
パンタ・シークレットライヴの撮影がすごかった。
文字通りカメラは後退しながらパンタの足許にくるまり
パンタの内から湧きあがるリズムと汗と老いを激しくみあげていた。
矢沢永吉のインストアライヴを撮った
テレビカメラなどとはぜんぜんちがう映像だった。
じつはこの作品、トータルが五時間を越える三部作で
試写では第一部しか上映されなかった。
第二部以降ののこりは試写来場者にDVD配布された。
当面すべきは女房とそののこりをこの週末にでも観て
(女房は学生時代、ミニコミ誌でパンタにインタビューした由)、
その感想を来週にでもミクシィ日記に書くことなんだけど。
ただし、原稿依頼があるようならやめる。なるせさん如何?
二部以降はマラッカをキーワードに
アジア地勢と日本侵略、闘争、赤軍、70年代などのテーマが
瀬々の作品らしく噴出してくる雲行きだ。
そこでたぶん大浦信行さんの『日本心中』二部作、
井土紀州『LEFT ALONE』と瀬々ドキュメンタリーとの
「領土配分」の問題も起こるのではないか。
それにたいする考えがまとまれば何か書こう、ということだ。
あ、第一部でナレーションは80年代パンタの『KISS』発表を契機に
パンタと評論家のあいだで論争が起こったと語っていた。
評論家名の明示がなかった。先ごろ物故した平岡正明だ。
●
この久しぶりの試写行で体調リズムが崩れたのか
「本質的」読書がつづかなかった。
飯田龍太の全集が途中でかったるくなったのだ。
それで滋味だけをもとめる読書へと切り替え
積んであった山村修の「狐」書評シリーズ(ちくま文庫)二冊、
鴨下信一『誰も「戦後」を覚えていない』シリーズ三冊(文春新書)を
昨日から今日にかけ立て続けに読んだ。
人生知に裏打ちされた
達意のしかも声高でない文章をこのようにゆっくり味わうと
いつもいる、萎縮ししかも声高な詩世界からますます離れたくなるが、
そういえばそういうつもりがあって
こないだは辻征夫を読んでいたとも気づく。
どこかで自分の躯に変化が起こっている。
さて本日は息抜きに詩を書いた。
素材は本日OA、荻窪を舞台にした「ちい散歩」。
そのさい参考にした詩篇もある。
井坂洋子『marmalade days』(90年四月刊)所収「私はテレビ」。
井坂さんのものを転記打ちしたのち、拙作をその下に並べてみようか。
●
【私はテレビ】
井坂洋子
ルノアールの豊満な美女たちは
みただろうかテレビを
午後三時そよぎもしない空
テレビになってテレビをみている
テレビみる不安を
紛らすためにテレビをみる
食べながらみつづける
午後六時のにび色の空
テレビみる不安に駆られて
またテレビをつけている
テレビに殴られて声をあげる
深夜二時半 眠りながらみつづける
ふいに抱きしめられ
私が消える
●
【わたしはテレビ】
阿部嘉昭
やったらおおきな画面を
直線状のスピーカーが横伸びして
下ささえする今の薄型テレビの構造は
スピーカーの存在を暗示にとどめ
画/音にあるべき分割を ただ
画面内の音の分布にかえる働きがあるので
たとえば南洋の水中紺碧のなかから
少女的な気泡がはじけあがるたびに
音が眼にむけてしたたってくるような
へんな至福も感覚にあたえてやまない。
そのようにして脳内がぬれるために
なにか前方に窓のようなものがこじあけられて
孤独にたいしてなされ閉じられるべきこの蓋が
散文的に いまある皮膚ぜんたいということにもなり
わたしというものはただひらかれたまま逼塞し
その矛盾のなかにできたスペースにすぎなくなる。
このこととテレビに相違はない。
けっきょく緑色テレビのつくりだす
画面上音声上の政治的な分割が
そのままわたしの臓腑の分割ともなって
それが縦への歯止めをつくりだす構文とさえなるから
くらげていどにもいまは水中をただよえないのだ。
身の繊毛に可能性をしばられているともいえる。
だからテレビを夏以降室内に置くのはまちがいで
どうにか技術的な克服をして
河骨の花がただようようにみえる
幽玄な水面のうえにさっきうかべてみせたところだ。
たがいを花にし無言にしようという魂胆。
いずれこの画面も曇天にゆれながら
からんでちぢこまってゆくくろいパスタを映し
そのしたで厚着した人びとの
まんなかに空き地を保った名づけえないくろい歩行をとらえ
さらには荻窪の宿泊地「西郊」がくろい多角になる推移を
あかるい無彩色をはいけいにしながら
この脳内をかわかすようにゆっくりと展開してゆくだろう。
推移はどちらかというと音楽的だ。
そのときには河骨もただただ骨になって
テレビ画面は分割形成力をうしない
捨てハンガーでつくられた
鴉の巣に似はじめる(枯木の)。
かたちをのみそこに見て、ひかりすらかんがえない。
それはうごかない死だ。
その冬のためにのみ夏のテレビは
池にうかべた小舟からだけ
「伴侶なくして」ただみられる。
とくにこの昼間などには。
●
【その後のセルフ書き込み】
う~ん、完璧な「配合」の日記を書いたつもりだったのに
書き込みが一日なかった・・・
意図が通じなかったのかなあ。
「テレビつながり」の三題噺のつもりだったのです。
もともと、ピンク映画ではなく
ドキュメンタリストの瀬々は
『羽田水景』(だっけ?)から『同潤会アパート』『廃墟ブーム』まで
素晴らしい、深夜OAのTVドキュをずっと撮っていて、
そこでは「静かにポレミック、時間回顧の面ではメランコリック」
という特質が共通していた。
僕のサイトに彼のTVドキュに関する
講義草稿が採録されているので
ご興味のかたはどうぞ。
その枠組でパンタ=中村治雄を追った、ということが
実は瀬々『ドキュメンタリー頭脳警察』のポイントで、
だからこの作品のライバルは
『タカダワタル的』でもエンケン『不滅の男』でもなく
『日本心中』『LEFT ALONE』だろうと書いた。
瀬々敬久がTVに託すものは
ジャーナリスティックにして個人的なものだ。
このスタンスの一貫性を僕は尊敬する。
では大TV人、鴨下信一はどうか。
TBSの演出家として音楽番組もドラマもこなしていったこの人は
全人的なひとで、スケールがちがう。
僕はずっと快楽的に番組をショーアップするのがうまい、
と鴨下さんを感じていたけれども、
『高校教師』第一回めの「神のような演出」をみて往年、卒倒した。
女子高生フェチ(部分)がフラッシュ編集のなかで「分割」されて
それで真田広之のみならず
視聴者の誰もを女子高生病に罹患させてしまう凄みがあった。
鴨下さんには一度だけお会いしたことがある。
『野島伸司というメディア』の表紙写真、
その使用便宜をはかっていただこうと
当時の「図書新聞」の山本光久編集長と一緒に
TBSの重役室にお邪魔した。
ダンディで知られる人物、いや緊張したのなんの・・・
鴨下さんとたとえばのち「TBS問題」から退社し、
テレビマンユニオンをつくる今野勉さんたちとは
闘争性の面でちがう人種かとおもっていた。
誤解だった。それは『誰も「戦後」を覚えていない』中の
「蜂の巣城」のくだりなどでもわかる。
鴨下さんの教養の実質が映画、歌舞伎、音楽、エロ本などだ
とわかったのも収穫だった。
その雑食性興味の勢いでアヴァンギャルド理論をも
併呑していったのではないか。
すぐれたTV人の実質、「ブレヒト性」を
鴨下さんはずっと保持している。
分割的で、並列的で、質問提示的だということ。
瀬々のTVドキュメンタリーが志して
まだ完璧でないものがその作法だろう。
そういえば、鴨下さんへの畏怖はその達文からでもあった。
「忘れられた名文」シリーズなどの凄さは
語りつくされていないとおもう。
小説のみならず、一般人の書簡なども視野にいれたその展開は
差別性をもたないオールラウンド。
それと「名文」を論じる文の名文性を、
これほどあっさりクリアするひともいないとおもう。
ということでいうと鴨下さんが現役だったTV黄金期では
TVは「映像表現」の組成を変える戦闘的道具だった。
そこではTVは対象として屹立している。
ただし以後、TVはその方法論を変えた。
つまり視聴者との「同化(強制)」の道具になりさがる。
瀬々のTVドキュメンタリーでの闘いは
おそらくそういうTV属性への批判と諦念からはじまっている。
あと山村修の書評は山田宏一贔屓とともに
ナンシー関贔屓でも有名だった。
僕も以前、ナンシーを河出の「文藝別冊」で大評価したことがある。
ナンシーは「からみついてくるTVを
ひきはがそうとする身振りにおいて可愛い」。
そのことで、井坂洋子さんの素晴らしい詩篇を想起し、
しかしそのTV受像機の物質性は
地デジ対応TVでさらに変わっただろう、とも考え
自分の詩篇をつくったのだった。
このようにいろんなコメント可能性の網を張っていたんだけど、
どうもみなさん、お疲れみたいね(笑)
昨日の「ちい散歩」での「西郊旅館/アパート」は
まだ壊れていない同潤会アパートのように息を飲ます。
荻窪駅南口、商店街が尽き、住宅街に入ろうとする一角にある。
一方、この日の地井武男のコメントで素晴らしかったのが
北口商店街のひとつを歩くうち
電線をみあげてのものだった。
「日本の電線は海外では空を這うパスタといわれてるんだよね」云々
【その後のセルフ書き込み2】
あ、書き忘れたが
もう一個、隠れた符合が上の文にはあった。
故・山村修とパンタ、ともに1950年生まれだった。
そのころを鴨下さんの文章も当然、活写している。
それと井坂洋子は生年がぎりぎり1949年(つまり12月生)。
試写場で瀬々に冗談で
「パンタ年齢サバ読み説」の話を披露した。
「俺らの中学のころ
パンタは30過ぎといわれていた」
「つまり足立正生なんかとタメ齢くらいじゃないの?」
瀬々「絶対ないって」
ただしパンタ年齢サバ読み説は
女房のいた関西にも蔓延していた、と女房もいっていた。
なぜだろう。答は結構簡単だ。
一個は、パンタの顔には若いころから結構、皺が多かったという点。
もう一個は、やはり政治(革命)意識の目覚めが
パンタは早かった、ということだろう。
「赤軍宣言」「銃をとれ」の創唱時が
パンタ、トシともに20歳そこそこだったという点は
やはり早熟として評価できる。
それで以後、つらい思いもしたろうが。
パンタはギターをもたずマイクで唄うと
ステージアクションというか身振りが結構ジュリーに似ている。
そういえば瀬々の映像の一節で、
グループサウンズとしてプロデュースされそうになっている
前身・頭脳警察の決めフォトが出てきて、笑った。
足立正生と書いたけれども、
「アッちゃんおかえりの会」に出席したとき
会場(新宿アスター)へのエレベータで
乗り合わせたのがそのパンタの実物だった。
即座に僕はいった、「ファンなんです、握手してください」。
「いいひと。」パンタさんは当然ニコやかに握手してくれた。
この「技法」をつかったのはじつは二度目だった。
吉田喜重『嵐が丘』の製作宣伝で俳優との初顔合わせのとき
石田えりちゃんにも同じことをいったのだった・・・(笑)
あとでスタッフに大非難を浴びたけれども
岡井隆・辻征夫・玉である
単行本化された岡井隆の詩集『注解する者』を
「現代詩手帖」連載時以上に感動裡に読む。
僕の力量では
この散文形が中心になった詩篇集を詳説するのは無理だが、
いえることは岡井の日々の読書は
たぶん彼の生の暗合要素にみち、
だからそこからおもに生ずる「注解」行為も
書物圏域に身を浸しそこを去ることだとして
身体性にこそ富んでしまうということだ。
そうして明晰な思考が身体に裏打ちされる景色を
読者はこの「注解」テーマの詩篇集で読むことになる。
岡井の書くものはその歌(とくに詞書のついたもの)も、
あるいはかつての『辺境よりの註釈』のように
ノンシャランな岡井文体での日録と
はげしい思考を跡付ける「註釈」の混交であろうとも、
すべて何かが混交状になっているかぎりは岡井の「身体」だ。
「混交」も「岡井の身体」も好きな僕は
この『注解する者』のような書物を
舌なめずりして読みながらただ脱帽してしまう。
西脇以後の最大のgift。
岡井はそのようにしてわれわれに贈与されている。
西脇の晩年はたぶん精神病理的な「上機嫌」が連続したが、
岡井にうちつづく明晰と若さは何だろう。この世の何のgiftか。
いいわすれるところだったが、
『注解する者』は、彼の『機会詩』よりもさらに詩だ。
その散文形は句読点のあるべきところを詰めることで
全体がどさりと投げ出されてくる言葉の束となっていて、
読者はそれを縒り、分けてこそ、胸中に抱える。
するとある「分節」がみえてくる。
彼の身体と地上と時間によって区分される(囲まれる)
場所性を失うほど小さな「場所」のようなもの。
あるいは場所というより抽象的に区分といったほうが適切なもの。
これについて「『ネフスキイ』を読む会」で
斉藤斎藤も何とか語ろうとしていた。
ともあれ、あれが詩で、あれをみなが好きなのだ――
岡井のみならず、みなの、人生の崇敬材料ともなるから。
●
夏休み特有の「本質的」読書をまだしていない気がして、
読書モードを連日にわたり全開にしたら、
反動でミクシィ日記を書けなくなってしまった。
『文学極道』掲載の素晴らしい詩篇につき
さらなる論考を書くとも予告していたが、
その作業は来週ぐらいにでも回そうとおもう。
ミクシィで無理することはない。
読書: 宮沢賢治の短歌の異様さにあきれ感動したのちは
宮沢賢治論をいくつか踏破し、
そのあと懸案の辻征夫に入った。
僕はずっと辻征夫を、
80年代詩のライトバース傾向を助長させた
趣味的詩人だと誤解していた
(もうその誤解が通用しなくなっているとも気づいている)。
辻征夫を読む動機はいくつかあった。
① 廿楽順治と同じ高校出身で、
『隅田川まで』など題名がニアミスの詩集まである。
廿楽さんの、力を抜いた、しかも多元的な改行法則の祖型については
石原吉郎から松下育男までの名をあげ廿楽さんは韜晦するけれども
辻征夫の詩からの財産継承もあるのではないか。
② 僕が今度出す詩集名は『頬杖のつきかた』で
辻征夫には『かぜのひきかた』という似た題名の詩集がある。
辻が50歳をすぎて詩的爆発をした要因のひとつに俳諧への親炙があり、
その点でも何か僕自身との親近性を感じる。
③ このあいだの80年代への論考でも感じたことだが、
井坂洋子を中心に、80年代の女性詩爆発を領導したのは
自らの肉体の場所を虚構もまじえ描きつつ
全体の時空が柔らかくしなる男性詩の系列だった。
鈴木志郎康や荒川洋治(のちには福間健二なども同じ圏域に入る)
などの存在はその意味で重要性を帯びる。
となって、82年に刊行された『現代詩文庫78・辻征夫詩集』も
女性詩の方向づけの画期的指針となったのではないか。
これこそを確認する必要があった。
④ 現在僕が所属している「かいぶつ句会」には
辻の親友だった八木忠栄さんもいて、
辻征夫未読ではもう済まされない、という覚悟もあった。
○
で今は、現代詩文庫の『続・辻征夫詩集』『続続・辻征夫詩集』を
詩集単位の掲載ごとにもちかえ、相互読みしているところだ。
『続』は詩作爆発以後の辻の詩集をものすごくギャロップしながら
ときによって一挙掲載をするという「濃淡」編集をしていた。
そうしたら辻が急逝してしまい、
それでギャロップで飛ばした詩篇をさらに再編する必要が出た。
『続続』が出たのはそういう経緯だ。
いずれは、もっと通常の編年構成へと
『続』『続続』を変えるべきかもしれない。
で、途中までの感想なのだが、
辻征夫を僕は心底好きになり畏敬した。
詩作動機が軽く、詩行の運びは細心で、
かつ「悲哀」がペーソスの奥底を罅割るかたちで突き破ってくるのだ。
ただ詩発想は典雅で、書き出しも終結も素晴らしい。
それでも詩篇のなかに単一性に閉ざさない波風がある。
そういうもろもろが愛着と脱帽の要素だということ。
彼の詩業をもっと早くに総括していたら
自分の詩作も変わっていただろう。
もうひとつ、彼には散文詩形も多いのだが、
粕谷栄市型でない、散文らしい散文詩では、
辻征夫のものこそがなぜかまったく苛々しない。
展開力と語調の問題がまずあり、そして発想が「詩」だからだ。
これは「詩の散文化」の問題を
先の岡井『注解する者』と同様、形成しないのではないか。
と書いているうち、辻征夫の詩篇を引用したくなった。
『現代詩文庫155・辻征夫詩集』から一篇だけ――
●
【豚祭】
辻征夫
豚祭には
あやめを食べる
蛍も殺す
おとこも
ひとりだけなら殺してもいいことに
なっている
豚祭には
紅鉄漿つけて
おんなは
匂うばかりにうつくしく
なぶるおとこを
密かにきめて
日暮れの微風に
汗ばんでいる
ぶたまつり
ぶたまつり
いずれのとしに
なぶられしか
道のべの少年の
股間のものが異様におおきい
●
この辻の詩篇を読み、じつはリズムと主題に影響を受けて
詩を書いてしまった。これも下に転記しておく。
【玉である】
阿部嘉昭
酢酸で
眼を洗って
白眼がすだれ
すがめすると
見えなかった
みらいの雷雲も
見えたりするので
小走りに
酢酸溜りを
飛び越えて
わが盆地
向うの山脈の
飛越のかたち――
或る飛越のかたちを
子供じみて盲信する。
夏の制服、
燕といわれて
そんな背中にも
なったけど
問題は
自ら白眼視する
異様にあおい
この股間だとおもう、
この時間だとおもう、
小走りに。
【その後のセルフ書き込み】
自分の日記にも書いたことですが、
岡井隆はずっと「注解」を日録的な境界のなかで
「文学作業」としてやってきたとおもいます。
古くは流刑地で塚本邦雄を論じた『辺境よりの註釈』、
同じく流刑地で茂吉を論じた『茂吉の歌』、
あるいは吉本に肉薄しようとして挫折した『吉本隆明を読む日』。
あるいはノンシャランな「身体」が書物に触れ、
そこに一種舞踏的軌跡まで生ずるという点では
書肆山田からの二つの大冊、
『『赤光』の生誕』『鴎外・茂吉・杢太郎』も同断です。
その「註釈」「注解」作業と実作の連携という点では
岡井短歌に詞書とこれまた日録性があって、
それが近年では歌集『ネフスキイ』に大結実した。
つまり肉体派岡井は一面では最大限にブッキッシュなわけです。
本を読み、作品を解釈し、実作への刺激をつくりながら
それでも日常的な身体変転に
最終的には作品の死命をまかせてゆく・・・
「偶然」への崇敬。
このとき時間・空間、
そしてそれらが衝突する場として
真の事件=身体が生起する
(たとえそれが平穏なものであっても)。
これまた僕がしるしたことですが、
西脇の「空間」が時間軸に乗った偉大な帯状なのにたいし、
岡井は彼の身体性にみちた囲い=埒(らち)をつくる。
「もはらわたくし」の埒。
その輪郭線がたとえば「注解」によっているのです。
ところがそうしたものに関わる用語が、親密・微妙で
それが「生」一般の親密・微妙とさらに倍音を奏でるのですね。
だから叡智が生きる。
ああ、いいことを書いた(笑)。
『注解する者』の「詩篇」一々には、
書き出しと最後のあいだに「落ち」というか
「暗合」のあるものが多いでしょう。
それはスリルの創造というより
「注解」に関わる必然的偶発性に起因しているのではないか。
そういうふうに岡井は作品を
自己身体に向け組織しようとしている。
そうなって作品圏域に「出入り」し、
そこに「境界」をつくってゆく岡井隆の身体が
そのまま単純営為となっている詩集の構造もみえてくる・・・
注解者とは誰か。
ほとんど宗教的な響きがそこに出始める
文学極道No.2
人波の流れを縫うように、軽く移動したい。
「ひとがただ移動するだけ」なら、
きんいろの足取りの軽さのなかにこそ
世界のいまの構造を映したい。
世界とは消えながら同時に再生されてゆく、
「私の幅だけの」層、その
(自分にとってもそうと映る)遥かさにすぎないのだから。
こういう歩き方ならもうあたりまえで、
だから僕などは容赦なく
眼前に立ち塞がってくる「大袈裟さ」を斬ってしまう。
――そう、ネット詩作者と対立する、
詩壇詩人のたたずまいをいっている。
詩壇とは詩集を自費出版し(実際、「詩人」の資格審査とはそれだけだ)、
「詩人」住所録を参照しその詩集を方ぼうに送りつけた、
「いちおうカネのある」者たち、それらが集まった共同体であって、
評価の互酬を担保に「つるみあう者たち」といわれても仕方がないだろう。
とうぜんそれはハイソ擬制だから、排除的にもならざるをえない。
詩の応募サイトにつどう者たちとはこのように経済格差もあるから
詩壇詩人とネット詩作者の対立はとうぜん「階級的」なのだった。
この点がまず銘記されなければならない。
さて、ネット詩をただ闇雲に否定する「頓珍漢」がいる。
いいものとわるいものの混在する対象分野に、
批評技術として「闇雲」もないだろう。
しかもその否定態度は「読まない」という不作為に終始するので
彼の対立者は彼と同じ議場に立てない構造ともなる。
そう、いつでも不戦敗のなかにいる彼が
いつでも不戦勝を僭称している、不公平があるのだ。
たとえば「頓珍漢」は「気風の持続」をいう歴史主義者を装う。
詩には継承があり、そのうえでこそ転位があり、
それらは結果的に教養体系を、軋みのなかでつくりあげる。
個々人の作品は例外なく歴史象限で座標位置化されるのだ。
これは詩の不意打ちから衝撃性をたえず緩和してゆく試みでもある。
教養にたいする手つきはこのようにして文明化されてゆく。
その「頓珍漢」は「68年世代」とみなされるだろうが、
学問上の68年とは体系の崩壊を、自殺行為であっても志すことだった。
それはいっとき学際性をもったが、ただちに産学協同化する。
一方でこれは学問の欲望化と呼ばれてもよく、それで学問からは我慢が消えた。
刹那性を装填して閉塞を突破すること、これは悪いことではないが、
このNOの突きつけが数を恃んだのが68年の失敗だった。
ネット詩は詩壇という体系の「現在的」崩壊過程だから
68年的主題の最終実現のひとつともいえる
(革命的、とは単純にいえないとおもうが)。
歴史主義者を自称する例の「頓珍漢」はこんな簡単なこともわからない。
68年派の看板が泣く。
ネット詩の特有性はそのジャンク性でもある。
彼の盟友評論家はそれに気づき、そこに価値を見出しているだろう。
構造的にはこうだ――
ネット詩は「情報プアであるがゆえ」詩壇からの継承を切断されている。
それは教養とはあらかじめ別次元の情動だ
(教養があるとしても「現代詩次元」ではない)。
しかもネット上の擬似連接以外は、
個々の立脚も、孤立を排除しない精神の高潔さのなかにある
(これは詩壇「詩人」ではほぼできないことだ)。
つまり体系崩壊的である点では68年が継承されながら
数を(本当は)恃まない点では68年を否定しているという、
ダブルバインドにこそネット詩は位置している。
そういうねじれがたぶん上述「頓珍漢」には
ぎっくり腰になりそうで面倒くさいということなのだろう。
「頓珍漢」のみならず
詩壇人を自称するひとのうち悪い類型とつきあうと、
彼らのレファランスが徹底して詩壇内自給的と気づくことがある。
詩壇をかためるために詩壇内固有名詞が動員され、
それでますます用語や思考が硬直し「大袈裟」になってゆく。
ここでは誰かが提唱した有職故実だけが継がれて動脈硬化が起こる。
参照系に横断性のない「おたく」といえばそれまでなのだが、
個別詩篇のレベルで見やすい「硬化」こそが
「詩語」という、不要なものの介在なのではないか。
「詩語」詩がもう駄目なのだ、滑稽で重く、硬くて。
こんなことは意欲的なネット詩の作者にはすべて自明だろう。
考えてもみよう、詩は「思考の新提起」が呼吸をもつ
――そういう小さな一点からはじまるだけだ。有職故実とは無縁。
思考が世界の何かを改変しようとして
それが世界内にあるかぎりで呼吸化されて、
こうした発語にこそ律動が生じ、語法=身体性も小さな保証を得る。
詩壇詩とはちがい、ネット詩では
「私の変型した世界を見て」という懇願は
ただ「私の新しい思考を/律動を/語法を/身体を/見て」
という力線のみになって、これこそが危急性を帯びる。
だから即時投稿/即時アップが要求されるのだ。
このときネット空間という不定形な基底材が
「私のために」割れて、「私の場所」をつくるための作用域となる。
それはつまり詩誌のようなヒエラルキーを経由しない。
たんなる即時性だ。
ここからこそ「遅れすぎた刊行」の悪弊が消える、
むろん詩作者に意欲と身体のよさがともなえば、だが。
ともかくネット環境は同人誌環境を
すでに包含しているという中間結論が出せるだろう(SNSもふくめて)。
とりわけいまは詩壇の詩集に変わる機能を
ネットの詩サイトがどうつくりあげるかが課題だ。
○
前置きが長くなったが、この点で優秀な刊行物が出た。
最も熾烈な詩の応募サイト、「文学極道」が
06年度、07年度のサイト内各賞を受けた詩篇をあつめた
『文学極道No.2』がそれだ。
ネット詩の優秀性をつたえるのものが
刊行物の形態をとるのは矛盾だが、
これこそが現状の「歴史性」=過渡期世界性だろう。
つまり、たんなる「素晴らしい詞華集」と遇するだけでも足りないのだ
(及ばずながら僕が思潮社から次の詩集を出すのとも意義が同じだとおもう)。
むろん『文学極道No.2』掲載詩は「詩壇フリー」なので
詩壇内レファレンスからの疾病、つまり「大袈裟さ」を病んでいない。
個別の思考が個別の世界を改変するなかで
詩句が「新しく」呼吸化・身体化・韻律化されていて、
この出自によってこそ詩壇詩とは新鮮度が異なる、ということになる。
それらは斬新であるがゆえに「生きて/動いている」。
(ところで以上の立論と矛盾するようだが、
こうした素晴らしさは詩壇の一部の書き手や
「詩手帖」投稿欄の一部の書き手ともひとしい。
つまり問題は例示した「頓珍漢」に代表される
「反動階級」だけなのではないだろうか。
いきなりの「宥和」的提案で恐縮なのだが)
さてこれから数回に分け、『文学極道No.2』で魅了された詩篇、
それをいくつか個別にみてゆくことにしよう。
同書を恵贈してくれた若い詩作者でもある
平川綾真智さんにはこの場を借りて感謝します。
同書奥付には通販希望のかたは以下のアドレスへ、という案内もある。
読者便宜のため転記しておきます。store@bungoku.jp
●
【モモンガの帰郷のために】
りす
モモンガが森に帰る朝
謝るとは何を捨てることなのか
すまない。
わたしはモモンガにそう言ったのかもしれない
なぜ、謝る?
家内が君のことをずっとムササビと呼んで、
いいんだ、慣れてる
レガシーのサイドミラーに自分を映し
女生徒のように丹念に毛づくろいしている
長旅になるのだろう
モモンガは鏡が好きだ
モモンガは断言する
これが人間から学んだ唯一のことだ、と
餞別のつもりで
三日分のバナナチップスを渡そうとした
モモンガは現地調査で行くから心配するなと呟き
振り向きもせず毛並みを整える
長い距離を飛ぶのは久しぶりなんだ
そう言って薄い飛膜を朝陽に透かす
きれいだな、とわたしは言ったが
モモンガは相変わらず
きれい という言葉を理解しない
わたしは 現地とはどこだろうと
気になったが尋ねなかった
(全八聯中、三聯まで)
●
「モモンガ」と「ムササビ」の差異は何か。
どちらも「飛ぶリス」で同じ種に属するが(飛膜も双方にある)、
「ムササビ」のほうが大型ということらしい。
作者名は「りす」、ということは生き方が飛翔的になるとき、
それは「モモンガ」の別名を生じるのではないか。
動物詩、したがって寓意詩で、
詩は「わたし」「モモンガ」「家内」の関係性のなかで
ゆるやかな物語をえがく
(散文形をとるか否かは問わず、
「物語性」のつよい詩の多いのが「文学極道」の特徴かもしれないが、
僕はそれを詩の現在の趨勢だとはあえていわない)。
家内のゴミ出し要請にたいして「わたし」をモモンガが代行し
モモンガは電柱づたいに朝の向こうへと飛び去ってゆく(帰郷する)。
引用しなかったが、詩篇の最終局面はそうなる。
このときモモンガの利巧さを家内は褒めるが
「わたし」はモモンガへの謝罪の気持でいっぱいだ。
「わたし」「家内」の家庭にとって
男・女・動物の属性を複雑に転写される、このモモンガとは誰か。
へんな三角関係がえがかれたと読んでも愉しいが
モモンガは「わたしの可能態」のうち、
「飛翔可能性」のほうを体現しているのではないか。
詩はユーモア詩の語法をもちつつ、
括弧類でくくられるべき会話体が、詩の「地」の叙述に
無媒介、括弧なしで侵入し、
その驚愕をリズムにしている。
作者自身、物語の詰屈と小さな驚愕を原動力にして、
この詩篇をつむいでいったのではないか。
つまり「自分自身が愕くためにのみ」手が詩篇を書いた。
ここから作者の離人的な位置を観測すべきなのだろう。
○
長い距離を飛ぶのは久しぶりなんだ
そう言って薄い飛膜を朝陽に透かす
きれいだな、とわたしは言ったが
モモンガは相変わらず
きれい という言葉を理解しない
○
三聯のこのあたりの行と言葉の運びがうつくしい。
「わたしのことをいいつつ」「いっていない」齟齬がまず胸に迫り、
つぎに「飛膜と朝陽」の配合に泣ける、と僕はおもう。
●
【花風】
軽谷佑子
ともなわれ手を引かれて花畑
を転々としたわたしはこちらがわ
でありむこうがわ
手をしばり
つなぎあって死んでいく互いを
さしてばたばたととりが死がいをついばみに来る
いっせいに開いた
中心に立ちかこまれる顔は
ののしりのかたちに裂けて
後列から引かれいちまい
いちまいが回転をもつわたしをするどく
のける花風
手をしばり
つなぎあって死んでいくからだは水浴び
のあとのかたちとりが死がいをついばみに来る
(全篇)
●
一聯三行の自己法則を詩篇進展に課したとして
たぶんその「三行」は誤謬として設定されている。
それもあって見たことのない改行法則が生じ、
字アキまたは句点の余地が膠着する。
一種のにかわでできた柔らかな起立(一行の)。
その起立の林立(一聯の)。
これら組成上の矛盾撞着によって、
詩篇からは着実に、声が、身体があらわれてくる
(抵抗圧こそが身体性のあかしだから)。
あらわれてくるが、「花風のように」読者の身体を
詩篇はすりぬけてもゆく。奇蹟の眺めだ。
平易な言葉、ひらがなが多用され、高度な隠喩が貫かれる。
「わたし」は花畑に花弁を拡げた茎の一本だったろうか、
それは風にあおられて花弁の数々となり、
それならば「花風」全体にも「わたし」はなり、風雨にひるがえってゆく。
「ののしりのかたちに裂ける」春の死が「わたし」の演目。
この自己上演には、本質以前の気まぐれがあると踏んだが、
そういうのは僕自身の、少女愛好趣味なのかもしれない。
唱歌「花の街」とは別のながめなのか。
修辞個々はひらがな特有の連接性のなかで
「裂け」をかたどっていて少し恐怖する。
そしてこの恐怖を生産した自分自身の虚構を作者が笑っている。
そうだった、「花風」は「鼻風邪」と同音なのだった。
●
【堕胎】
中村かほり
蝶に追われるのは
わたしのからだが
あまいものでみたされているからだろう
半日おりたたんでいた指をのばすと
そこから朝がはじまるから
光に飢えた子どもたちが
とおくの空より落下する
〔※二個聯省略〕
街のほうでは
檸檬の配給がおこなわれていて
半裸の女が
うつろな目をして順番を待っている
いますぐにでも駆け出して
あなたのうしなった
子どもはここにいるのだと
伝えたいけれど
檸檬のにおいがただよう街のなかに
蝶をともなっては行けない
〔※三個聯省略〕
あちら側から風が吹いて
瞬間
ただよった檸檬のにおいに
子どもたちは顔をしかめた
蝶に気づかれぬよう
わたしたちはしずかに
街のほうへ行く
●
平易な言葉で書かれているが
最初の二つの聯での言葉の成行に驚愕するだろう。
しかし驚愕はそこにとどまらない。
詩の世界観そのものも異常なのだ。
詩篇は水子をえがいている。
堕胎によって常闇のなかにおちてしまった未生の群が
母親を常闇からみているという全体布置。
母親たちは堕胎の苦患をせめてうるおわすため
檸檬の配給を待っているようだが、ここにも構図がある、
生者の世界にこそ光と檸檬の香りがあるということだ。
あちら側(生者)から風が吹き込んで、
死後世界に檸檬の香りがみちるというイメージの鮮烈さ。
さらに奇妙なのは
この詩篇の主体「わたし」「わたしたち」のほうだ。
「わたし」も水子と同様の死後世界にいて、
わたしの体臭は甘く、それで蝶に追われている。
この体臭の甘さによって「わたし」は水子との同断性を免れているが、
ではそうした水子の群れを「わたしたち」が宰領しているのかというと
じつは詩篇はそうした関係性の秘密を
最後まで明かそうとはしない。
ただわたしたちは蝶のつきまといからのがれ
その甘い香りのからだを
生者の世界にしずかにちかづけたいとおもうだけだ。
詩が最終的に定着したのはそういう接近の気配なのだが、
これは執着心をともなう再訪なのか。
ここで詩のなかの「わたし」が
堕胎経験者かどうかという判断は何も意味をなさない。
ある一定の世界があわく脆く隙間のあるもので連接され、
常識的な実在性を覗き、近づこうとしているとだけ
この詩篇の読者はかんがえ、そこにこそ感動する。
富であるかぎり見えない
【富であるかぎり見えない】
僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
――椎名林檎
遠見しながらおもう、
礼文から利尻から
わたる風になるために
みどりのうみどりと
体温をおんなじにすることは
もはや「みえない」。
北だけを羅針に
世界の方向づけがなって
体毛を大気でくしけずり
木彫の流れをえがきながら
一様なたなびきになることも
みんなとみんなのあいだでは
もはや「みえない」。
われわれをわれわれの内側に向け
掘りすすめるうごきのなかでは
もはやなんにもみえなくなって
まぶたのにおう陸にあがり
蒸気のようなものにすらなって
夕暮はただあすのため
最後の「日を着る」んだ
それがもう毛皮かもしれないが。
なぎさではかわいた流木を焚く
書を焚くかわりの飲食にのぞむ。
われわれのうちの
みたことのないわれわれ
これを感じることは
もう性交の者となるのとおんなじで
顔の円にも署名がなくなって
たがいの欲があげる声を知るかぎり
四肢交換までもが汚名となった。
なぎさ、うっすらとした配置と姿、
たがいの椀のひと吸いごとに
身のけむりを脱いでゆき
木彫のはだをあらわにして
すべて先行の暗くなる流木時には
なんの泉だろう、鮭の貌だって感じるが
溯上だけがやどられて
あれら陸の傷はなんたる木彫状だ、
とおい、とおすぎる。
「陸は溯上においてこそ稠密なので」
その富は水にも奪えないだろう、
洗いながしてしまうあの水にも
肌のした薄くひろがる物語が
もうそれほどに「奪えないだろう」。
明治がここへ来てしまっては
がらすよりも透くあたたかみに
くるまって朝までを眠るだけだよ
愛しているから さわれない、
一斉の時報のような心があるが
一斉の時計がそこにあるわけでもない
朝はただ浜辺に起きだして
前日の罠に女や魚がうずくまっていないか
たしかめるうち 結果として
からだに曙光を入れてゆくだけだ。
こういうのが北海に在ること、
みどりだったゆびだってこのとき以後は
かたれない情にするだけだ。
うみどりのみどりながれる、
その幅が、幅員が 脳のひと晩だろう
(ふれないし、鰭でもない、
はじまったばかりの朝なのに
「身から出た近代」を
これらひと続きの
性愛にたしかめる。
なぜたしかめるときは
声ではなく ただ身をつかうのか
背骨を縦にして
考えのいずみのようなところに
その足までもをあるかせるのか。
あるきがわれわれを沿っていて
「われわれが歩いている」のも
木彫のように「みえなくなる」。
身の近代ともなれば
かなしいこともかなしくなく
かなしくないことだけ かなしくなる。
これらがおぼえのならいだとして
眼のなかのみどりに
なづきの内側へひらいてゆく
感情の形容不能を
負わせられるかが問題だ。
それにわれわれの手足は
きたきつねを撫ぜるていどには
自分にまがりすぎてもいる。
なにかそれは杖に似てしまった。
そういうのが肌のしたを
雲のようにたなびく物語や富で
われわれは裸身のかわりに着ているので
彼らはそれを奪えない。
そっちの涙をこっちの頬に
奪えないということは
距たりにも踏みこえ不能があり
これこそが恩恵ということだ。
世界は延びているし
われわれもたんに
「みどり」といわれるような
色彩ではない。
そこには枯れもあるし ながれもある。
ただ ときには水に像をあたえて
この河原立ちそのものを
木立にまで同化させ、
すべて消すこともある、
ある、ただそれだけのことだろう
●
ひさしぶりにミクシィのため詩を書いてみた。
八時からのニュースワイドの喧騒を拒否して
椎名林檎『ありあまる富』を聴くうち
このあいだの北海道旅行の体験が
詩に化合していったのだった。
この曲、思弁性の高いセカイ系の歌詞が抜群で
そこに「ここでキスして。」に匹敵する
曲の展開力が相俟っている(転調も素晴らしい)。
よって林檎さんの代表曲となった。
出だしのガットギターのストロークが
ビートルズ・コードなのも嬉しい。
曲の一瞬では「フリー・アズ・ア・バード」を
想起させるところもある。
泣けてしまう。
○
あ、このところは
泥沼めく採点作業が終わった嬉しさのなかで
連日、飲んでばかりいます。
金曜日は抗鬱剤再投与決定の女子と、
吉祥寺で魚をつつきながら、鬱について愉しく語った。
土曜日は藤沢で小学校の同窓会。
旧姓・清沢さんの撮った「私たちの通学路の現在」が
パソコン画面からそのままスクリーンに投影され
懐かしさでちょっとウルウルとなる。
癌の転移がなくなった萩君の顔色がいいのが嬉しい。
またもや「女子」といちゃついてしまった。
帰りの電車で志村ちゃんが
三村京子の歌詞を褒めてくれたのも嬉しかった。
今日・月曜は定例の「かいぶつ句会」。
あす火曜は魚返一真さん、思潮社・亀岡くんと池袋で飲み。
案件は、詩集表紙につかう魚返写真の決定。
方向性確定のために、ということで
魚返さんから連日、僕のパソコンに
「魚返エロ」な写真を送ってきていただいている。
玉手箱を開くみたいで、それがすごく愉しい。
以上、簡単な近況報告でした。
阿部嘉昭の八〇年代
「酒乱」第三号、特集=八〇年代詩を、
高塚謙太郎さんに送っていただく。
特集を読む前に、自分の八〇年代とは
何だったろうかと考えてみる。
最初の二年間が大学生で
以後は不安定な編集者生活、
もしくはネクタイをしめて
一部上場企業の、映画製作部署にいた。
バブルの恩恵はこうむっていない。
後半に学生時代の映画みまくり生活が復活しているが
ちょっと年少の「映画小僧」たちとは
感性的に一線を画していた自覚もある。
「酒乱」巻末には、
八〇年代の代表詩集のリストが載っている。
驚くほど同時代的には読んでいない。
吉岡実、那珂太郎、吉増剛造、平出隆、稲川方人、松浦寿輝など
わずかな詩人の作品を選んで読んでいただけで
すると僕は八〇年代、ほぼ詩から離れていたのだった。
相対的に詩がつまらなかった。
不勉強もあったけど、稲川方人にしか戦慄していない。
七〇年代は結構「詩手帖」を愛読してたんだけど。
粕谷栄市にしても井坂洋子、中本道代、倉田比羽子にしても
あるいは荒川洋治などにしても読んだのは事後的で、
その多くは二○○○年代に入ってからだ。
では八〇年代に僕は何を読んでいたのか。
前半は隠者生活で、フランス文学(翻訳)を読んでいた。
つよく印象をのこすのはプルースト、ブランショなどで
やがて後半になってバルトなんかもひもときはじめる。
その合間、詩を読みたくなると
歌集をひもといていた記憶がある
(「俳句研究」なども読んでいた記憶があるのだが)。
塚本邦雄から離れるいっぽう、
旺盛に歌集を出す岡井隆を追いつづけ、
八〇年代空白だった女性詩の体験のかわりに
山中智恵子や安永蕗子の歌集を出るたび読みついでいった。
角川「短歌」で最終的に『をがたま』にまとまる
葛原妙子の歌作群を、その奇異さを喜び読んでいたのは
八〇年代も前半だったかもしれない。
ただ俵万智ブームには辟易してしまう。
その歌はコピーライティングのレベルで読み、
そのレベルで駄目だとおもったのだった。
八〇年代といって僕がイメージするのは、
コミックでいえば江口寿史『爆発ディナーショウ』みたいな
モザイク引用型の文化批評のたぐいで、
音楽でいうと、戸川純たちのヤプーズみたいな感じになる。
この流れでおもしろい雑誌が多々あった。
この感覚を文芸に移すと高橋源一郎になるのだろうが、
小説にはあまり手を伸ばしていない。
中上健次くらいだが、これはスケベさで読んでいた。
『水の女』から彼に嵌ったのだった。
むろん映画の影響による。
いっぽう当時の僕にとってサブカル評論のスターは
相変わらずの平岡正明のほかは橋本治だった。
おもいかえすと僕の平岡さんの読み方はちょっと変で、
谷川雁、竹中労的「蒼古」の現代的対応、
朝倉喬司的犯罪評論の併走など
多元的意味をこめていた。
平岡さんには屈曲がない。文体はそうだった。
もうひとりの橋本治は文体的に屈曲があるようにみえるけれども
じつは驚くべき「正論連鎖」。
最後の一文で、煙に巻いて迷宮をかたちづくるのが彼の癖で、
この、破線ではなく正線の連鎖のつよさ、に憧れた。
八〇年代的なものとは、
江口寿史のニューウェイヴ的おしゃれ、
平岡さんのサブカルパッチワーク(実際はザッパみたいだ)とともに
この無駄のない(スッキリした)正線連続というのがあって、
これが断絶をも孕むと柄谷行人の文体になる。
そういえば柄谷には八〇年代後半、すごく親炙した。
むろん仕事の関係もあって
後半になって異様に読み始めたのは映画評論本なんだけど、
蓮実重彦はエピゴーネンが蔓延してしまい、
じつは映画評論の論理展開には、その柄谷を意識しはじめた。
同じことを当時の早稲田の映画研究の精鋭学生もいっていて、
柄谷は映画的思考には援用できない、
などと僕自身は韜晦してたっけ(笑)。
ということで「詩心」はつづいていたのだけど
じつはそれは詩集を読むことによってではあまりなかった。
歌集、サブカル全般、そして柄谷などが備給源で、
そういう徒輩は案外、僕の世代には多いのではないか。
そしてたぶん、女性詩をみなおすことで
たぶん詩の世界にもういちど、注意を向け始める。
僕の場合、きっかけは誰かなあ。小池昌代さんあたりか。
いや誰かいたような気がする。
「八〇年代はスカだった」的な大月隆寛的な発言は
九〇年代初頭にはすごく盛んだった。
新保守陣営特有の発言で、
自分への九〇年代の呼び水を期待するさもしい発言だから
そこに信憑を置いたことはない。
けれども八○年代の僕自身は、徹底的な「スカ野郎」だったなあ(笑)。
ただ八〇年代に僕は「アジア」を発見した気もする。
魯迅なんかを頑張って読んでいた。
象徴的な人材は侯孝賢あたりかもしれないなあ。
あとでそれはエドワード・ヤンに訂正され、
中国へのナヴィゲーターには草森紳一なんかも加わるんだけど。
そうそう、八〇年代の僕は
映画製作の場にいたとき以外は壊滅的にモテなかった(笑)。
見た目は変なリーマンだったろうけど、
おたくとおもわれていた公算がつよい(内実はちがったが)。
そうそう、八〇年代にはメディア的楽園もあった。
AVだった。
あとあと、八〇年代文体の象徴をつくったのは
中沢新一だったということになるのかな。
僕が彼を一所懸命読みだすのは九〇年代に入ってからだ。
いやちがう、「お茶」をテーマにした映画のイベントで
中沢さんをお呼びして
あまりの知識と思考力にびっくりして読み始めたんだった。
それまでの彼は僕にとって胡散臭かった。
いや八〇年代の象徴文体はドゥルーズの訳文か。
これらはじつは当時の日本の詩に影響していない。
この点でこそ、詩と散文が乖離し始めたのだとおもう。
村上春樹にはまったく興味が湧かなかった。
そんな詩もなかったんだけど
【その後のセルフ書き込み】
バブルの恩恵をこうむっていない、というのは
残業手当などで処分できない所得があったり
いやになるほどタクシー券をもっていたり
バブリィなギャルと
バブリィなセックスをしたりはしなかったということだ。
日ごろはほとんど、ウジウジ映画をひとりでみていた(笑)。
たまのアフター5娯楽が、
同僚(ギャルふくむ)との
比較的地味なカラオケだった。
当時はまだボックス化していない。
パブでのカラオケは
順番待ちがすげえ、うざかった。
ただ、キョンキョンを唄う同僚(20代半ば)に
朴訥に胸キュンしたりなんかしていた(笑)
なんか切ないなあ♪
キョンキョンはそういえば象徴的才能だったね。
たけしより80年代的な感じがする。
「ベストテン」も隆盛期だった。
けど「おニャン子」オンパレードで
もう潰れかかっていた、80年代後半。
なにしろ当時はAVの子が信じられないほど可愛かったし
音楽は、最後に「バンドブーム」になるんだけど、
やっぱ半ばはスターリン、町蔵、じゃがたら、なんか?
佐藤寿保なんかはこのあたりが好きだったんだろう。
僕は前半、ユーロニューウェイヴに惹かれたあとは
退嬰的にすごした。
ジャズのほかは、60年代おたくみたいな
レコードの買い方をしていた。
牙城は六本木WAVE。
WAVE行って
帰りにシネヴィヴァン六本木というのは
恥ずかしかったけど僕のパターンだったなあ。
あ、そういうことでいうと
僕に80年代の音をもっとも告げたのは
マーク・ホランダー=アクサク・マブール=
ハネムーン・キラーズ
だったりする
ま、映画でのスターはやっぱり相米慎二だったなあ
ありきたりだけど
意外にアメリカ映画はみていた。
ロバート・ベントンなんかが好きだったりした
80年代は女の子の服装が黒くてねえ。
眉毛のみならず、もみあげが凛々しい子もいた。
口紅=黒、というのは例外だったけど、これもたしかにいた。
でも脱がすと結構、乳臭くて
あ、三村京子、やっぱ『AVに捧ぐ』をもっと唄うべきだ(笑)
●
でも「酒乱」、なんで80年代特集なんだろ。
特化する意味がここに見出されているのか。
何の分岐点だといってるんだろ。
そりゃま読んでから判断するんだけどさ、
加藤治郎など象徴的な名前が見当たらないなあ
【その後のセルフ書き込み②】
80年代はそのラストに、
ベルリンの壁崩壊、
昭和天皇・手塚・美空などが逝去した89年が鎮座しているから
「何かの終わりへの助走」とみなされがちですが、
実際たとえば「戦後詩」の「戦後」がとれたのは
じつはもう70年代だったんじゃないかなあ、とおもいます。
やはり荒川洋治の登場が、あとで考えたんだけど大きかった。
ただ僕の70年代のフェイバリット詩人は
西脇・郁乎・吉岡・石原・入沢・天退などで、
「同時代的なもの」よりも
エスタブリッシュメントのほうに視線がいっていて、
このことに気がつかなかったのです。
本当をいうと戦後詩の別方向への転回は、
実際は詩の68年に萌芽されていたともいえ、
その意味でやっぱり吉増さんがビッグネームなのですね。
僕は読んでいたけど「麒麟」系のIQ高官詩を
生理的にまったく受け付けず
(短歌俳句が好きだったからかもしれない・・)、
結局、80年代詩が有意化されるのは
女性詩の存在によってではないかと現在は考えています。
しかも女性が女性によって定立する女性詩ではなく
その後の男性詩の遠因となる女性詩の存在が大きい。
「ラ・メール」は最初の四号程度を読んだだけ。
しかも当初は詩・短歌・俳句の鼎立状態に興味をもち
読んだ記憶があります。
「夏蜜柑ところどころに置きて鬱」とかいい俳句があった。
だから伊藤比呂美ではなく井坂洋子がでかい存在だとおもう。
まだ「酒乱」はアンケートを読んでいる段階ですが、
猫さんの女性詩への注意喚起と相即するように
たしかに座談会採録でも29頁、
久谷雉と廿楽順治の発言が重要ですね。
荒川洋治や鈴木志郎康の詩のやわらかさが、
女性詩を影で牽引したということ。
そこで僕などは泉谷明なども射程に入れてしまう。
そのあとで福間健二などがまた出てくる。
実は男性詩と女性詩の相補性というのは
もう80年代には確立的であって、
これがあとからは見えにくいところだった。
趨勢はこっちであって、「麒麟」じゃない。
福間健二への注意喚起で、
とくに「なるほどなあ」とおもいました。
僕は福間さんにお会いした最初が
93年だったかの、アテネフランセでの、
大和屋竺追悼特集が最初(映写技師はまだ松本圭二だった)で、
そのときすぐに彼の詩集を大量にもらう。
詩への再開眼はじつはそこでしたね、おもいかえすと。
福間さんのやっていることはよくわかった。
80年代詩の本質って実は複合性だったのです。
そこからするとねじめ正一も松浦寿輝もベタに映る。
僕自身は前半、短歌的喩と散文を組み合わせて
非物語詩を書いていた。
福間さんの80年代後半の詩は、
女性詩の私的述懐、身体性、それと散歩詩の枠組に
ロック詩とエリオットなどのイギリス詩の系譜を重ね、
箴言的フレーズを箴言化するか否かで
逡巡をかたどってみせる、という「複合型」だった。
その「複合型」が照れ隠しになっていて、
わかる、という感じかなあ。
志郎康→泉谷明→福間、という系譜ですね。
福間さんがいちばん複雑で、
だから荒川洋治・井坂洋子的なものにも隣接できた。
いまはその福間詩の複合性が忘れられているかもしれない。
また「ベタ」が戻ってきちゃってる。
僕が叛旗をひるがえすとしたら
そういう風潮にたいしてかもしれません。
「ベタ」の要因はわかるのです。「野心」です。
これ、じつは他人事ではなかったりもします・・・
●
「酒乱」の座談会、あるいはアンケートを途中まで読んでいて、
うんと若い詩人はいざ知らず
(しかし久谷くんみたいな例外もいる)、
みなさん、80年代に詩の世界から
執念で離れなかったなあということに感激したりしてました。
僕は軽薄にも映画に奔った恰好で
(北爪さんがその良いパターンですね)、
それは詩の社会的重要度が薄れていった時代の趨勢だけども
この感覚をもたなかった詩作者もずいぶんといたわけです。
これが奇異にうつる。
これほど詩作者の名前「だけ」に限定して
あのバブリィな混沌時代を語りきれるなんて・・・
その意味で80年代後半、詩から離れた、
という廿楽さんもリアルによくわかるのです。
「こんな自己閉塞のオンパレードに付き合ってられるか」
「世界にはもっと重要事がある」ってことでしたね、僕は。
僕にとっては90年代は
座談会でみなさんがおっしゃるような更なる暗黒時代で、
ゼロ年代になって出てくる名前によって
ようやく逼塞がとかれた、という感じです。
その「新しい名前」には、じつは廿楽さんのように
年齢的に自分にちかいひともいてびっくりする。
うみきょんは何度もいうようにかなり下(笑)
80年代の僕の女王というと
キョンキョンや戸川純という言い方がひとつ成立しますが、
もうひとつ成立する。
コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーですね。
僕はのこっている写真をみると
80年代、ひじょうにダサかったんですが、
自分の感覚では精神的に
えらいおしゃれな感じがのこっていて・・
80年代回顧はじつは
この落差との闘いだったりもします。
いろえんぴつにじゅうよんしょくのうた
採点をさらにすすめています。
この過程でもう一個、
期末課題にだされた
すばらしい学生詩篇を紹介したくなりました。
作者名はまたもイニシャル表記、
立教一年生、こちらも♀さんです。
みごとなみごとな、ひらがな詩です。
せかいのいろがじゅずつなぎになってながれ
いちにちのしょうじょのじかん、をおりこんでゆきます。
●
【いろえんぴつにじゅうよんしょくのうた】
T・I
ふくろうがみずうみのうえをとんでいく
みずがゆらゆら、ゆれて
にぶいひかりをうみだすの
(ぎんいろ)
かのじょは
せみろんぐのきれいなかみをなびかせて
(きんいろ)
そのひとみにせかいをやどす
(ねずみいろ)
「かげはそんざいのしょうめいだわ」
にこやかに、
(くろ)
じゅひのしめりけがここちよい
(ちゃいろ)
かつてはかれらもあたたかかったのだ
そのあしで、そのきばで、
はくあきのきおくがはじけてきえる
(あかちゃいろ)
きのこがのこのこ
(おうどいろ)
ふかいかなしみ
しにんのこうしん
(あかむらさき)
もうすぐよあけなのだから
すこしおやすみなさいな、と
おびえながらもかのじょはきぜんといいはなつ
(うすむらさき)
しののめしののめあさのりんかく
(むらさき)
よるのかけらはしんしょくされて
(ぐんじょういろ)
うつくしすぎる、たいきがすみきる
わずかなせいじゃく
(あお)
かのじょのひとみはいのちのうるみ
(みずいろ)
いきるいし、もえる、もえる
(ふかみどり)
あおむし かえる ほたるのしっぽ
(みどり)
あさとよるのさかいめ、ひとつ
「めをこらしてこころでみるのよ」
(きみどり)
かのじょのかみのひかり
てんしのわっか
(きいろ)
しんせんなたまごのめだまやきでかんぱい
(やまぶきいろ)
かじゅうがとろり
(だいだいいろ)
かのじょのだんすのおあいてだぁれ
(はだいろ)
おいしそうなほっぺのあかみ
(ももいろ)
いよいよやってきてしまったのだ
はじまりのひかり、うさぎのめ
(しゅいろ)
ちしおをこどうをぎゅっとだきしめ
ちえのきのみをめしあがれ
(あか)
おしとやかな
はすのはな
(しろ)
いろえんぴつのまどろみ、
たましいのいろ、
(にじゅうよんしょく)
●
海老茶袴の大正貞女が
女学校の教室で「妄想」して
ノートの端に落書したような、
最高の「少女詩」ではないだろうか。
心が浄化する、
発語というより、息の淡さによって。
部分的には盛田志保子の口語短歌もおもった
(盛田さん、第二子、無事出産したのだろうか?)。
T・Iさんは提出課題全体を詩集形にしていて、
他の(収録)詩篇もよく、全体性もよい。
じつはもうひとつ転記打ちしたい詩篇もあった。
三村京子「しあわせなおんなのこ」の続篇ともいえる、
これまた淡い、しかし熾烈な少女の自己穿孔詩、
「しあわせなおんなのこ」(同タイトル)がそれだ。
こちらはしかし別機会ということにしようか
【その後の対応書き込み】
色を契機にして
想像による「世界視線」が
移動してゆく。
おっしゃるとおりフィニッシュが完璧なら
二十年後には教科書に載る詩篇だったかもしれません
(逆に出来上がりの完璧性が弱いのを
僕は好きだったのかもしれませんが)。
この詩の成立経緯は本人の雰囲気をもとに
大正貞女の「妄想」とはしるしましたが、
もしかすると即物的に
二十四色色鉛筆を見ながら
書かれたのかもしれない。
その視線を想像すると
よけい作者がいとおしくもなります
ひらがなでびっくりするのは
漢字対応の想像ですね。
「はくあき」は「白亜紀」よりも
「吐く秋」と最初読むひとが多くないでしょうか。
「白亜紀」と「牙」の対応が
この詩篇が想像的に真実だという点を問わず語りもしている。
そういえば水原紫苑の名歌。
《象来たる夜半(よは)とおもへや白萩の垂るるいづこも牙のにほひす》
(『うたうら』)。
この時期の水原紫苑は葛原妙子的です。
また初期の盛田志保子も葛原/水原的です。
これらの複合作用によって
この詩篇の作者が、盛田的になるのかもしれませんね
上、水原紫苑に着想をあたえたとおぼしい
葛原妙子の歌もしるしておきましょう。
ゆふぐれにおもへる鶴のくちばしはあなかすかなる芹のにほひす
(『朱霊』)
埴生の宿
ズルズルとまだ採点作業がつづいている。
結局、あすの最終提出日、学校の事務局に
採点票を手持ち持参ということになりそうだ。
ぎりぎりセーフのタイミング(旅行もあったし)。
とりあえずいまは最終段階、入門演習の採点中です。
これだけ採点が遅れているのにはいくつか理由がある。
① 文庫本にして百ページくらいの小説など、
非常識な分量(多すぎる!)の期末課題を出す徒輩がいる。
② 押尾学の事件がおもしろく、採点のかたわら
ワイドショーでのコワク的な事実判明に
昨日からずっと釘付けになっていて採点作業が手ぬるい。
タレント(俳優)のセックス管理、麻薬付セックス。
タレントに宛がわれた「銀座の女」がセックス事故で死んで
その後、そのチンピラタレントがどう卑劣に振舞ったか。
おもしろすぎる。絵に描いたような六本木闇社会だし。
ところで僕は90年代終わりに「矢田ちゃん命」だったから
とりわけ押尾の心証がわるいのだった。
③ カルボナーラが駄目な女房のために
チーズスパゲッティのレシピを昼は研究し、自ら食べていて
おかげで食後はたんまり昼寝しちゃっている(笑)。
なんかメタボまるだしの体型になりつつある。
ただ後期は椎名林檎の大教室授業があるので、
音楽モードにしようと
採点のかたわらCDをかけるようにしている。
ノスタルジックな気分で旧いロックをかけるうち
いまさらながらキンクスにハマる。
かつてもっていた『ソープ・オペラ(石鹸歌劇)』の
「スカイスクレイパー」がやっぱり名曲だとおもった途端
(もう泣ける--モータウン調ロックの最高峰で、
曲が一番二番単位で終わってゆくときの「解決」が神業だ)、
どうしてこのアルバムを手放したのかわからなくなった。
たぶんそのちょっとお前のロックオペラ、
『エヴリバディーズ・イン・ショウ・ビズ』の
音設計と曲が粗いのに辟易し、そのとばっちりで
『ソープ・オペラ』を『エヴリバディーズ』ともども
中古屋に売りに出したのだ(大学時代)。
これも改めて聴くと
『エヴリバディーズ』の音の粗さは
ピアノでアレンジの楽をしようとしたツケ。
アレンジにはおかげでフレージングがなく
コード構成音が乱暴に空中を漂うだけ(ストーンズみたいだ)。
このアルバムは記憶では
「ミュージックマガジン」で98点とか最高点に近い得票だった。
一方ずっと良い『ソープ・オペラ』は
86点とか低い点だったんじゃないかな。
ともかく70年代後半はキンクス評価が定まっておらず、
キンクスを聴いている大学生もただキンキィだったとおもう。
おかげで『プリザベーション第二幕』も買い損ねた
(『第一幕』は大好きなアルバムとして
まだLPで手許にのこっている)。
それでその『第二幕』は(これも改めて聴くと)
『ヴィレッジ・グリーン・ソサエティ』以来つづいた
キンクスのロック・オペラ・アルバムの最高峰じゃないだろうか。
ぼろいルーツ音で、ひねくれてわびしい貧乏オペラを
売れ行きも省みずによれよれ演っていたキンクスが
このアルバムで何かアレンジに執念をみせる。
キンクスらしくないほど音がかっきりしていて、
ここからクイーンなど後続バンドの方向性も確定したんじゃないか。
ともあれこれらのアルバムは早稲田のロック授業のとき
受講生から焼いてもらったもので、ずっとおきざりにしていた。
焼いてもらっただけなので歌詞カードもない。
たしかめてみたいなあ。
さて、近況報告のみで終わるのも何なので、
例のごとく受講生の期末提出物のうち
優秀なのをまた以下に転記打ちしておこう。
ラクをして、またも詩篇を。
最近は個人情報保護がいわれるので
イニシャル表記にとどめておこう。
ちなみに大学一年の♀です。
僕の詩がパッチワークされながらも
見事に換骨奪胎されている。
●
【埴生の宿】
R・N
肉が切れるほど
背中に思い切り爪を突き立てて、
朝から妻子のなさを
人詰め橋にたとえる。
蠱惑的な浅葱蛍に
ナツメヤシの冷水を発破して、
人間の皮膚の肌色をにた恨むのだ。
十月のしだれ雨の香りを
知人の手紙に垂れこんでは
人礫にさく甕覗の蔦に
金色の光を当ててしだれ泣く。
草と乳だけのスープ。
猖紅酒を鬱伊の胃に押しやって、
多摩川の口をすっぱ切る。
モーセ歩きに疲れては、
報いのなさを京箸に仕立てたが、
それなら一層、着られる人になって、
露草色の天を仰げ。
百尾狐と北へ旅して、
買わばや、下駄・
川端の底。
六月病に惚れられて、
肉桂の肉の意味を違える、
牝牛の濡れた瞳が悲しい。
従順な粘膜玉を如実に貫いて、
駱駝の尾っぽにあぎ慕う。
反復をくりかえす諏訪さになって、
死に至る病と見違えるキル天。
いよいよ踵、壁にそびえては、
明日、明後日、し明後日、
紙礫を勿忘草の天にほおり投げた。
儀佼精神の姉に助けられて
レトロ文体の漢詩を一発読みする。
若竹卓袱のがたぴしさに呆れ、
イワンとなく馬鹿さ加減の
馬の縞の等間隔。
肆意のかめる甲羅の上に、
ダウィンチ霧鬢の蒼に心が染まり立つ。
ぱじゃまの格子がさみしくて、
風雪宿屋で廊下を夢美走り、
土佐鶴の鍋に砂肝汁を加えて、
その女文字に期待をかける。
諂いの波に押し流されて、
言問橋で璃紺明日を
逃してしまう悲しさを
器量を身体で測って、
汚名返上に努めるまで。
飛蝗のはたはたに嫌気がさして、
興津の蝉色蟋蟀探しに明け暮れる。
諦念を違えたフロちゃんに
幻想の未来と強迫観念を与えて、
鸞台を忘れさせた。
今さら溜飲で胸がすく。
●
何という変な詩篇だ(笑)。
解読は無粋につき控えておくが、
うちこのフレーズが最高かなあ。ふたたび転記。
ぱじゃまの格子がさみしくて、
風雪宿屋で廊下を夢美走り、
土佐鶴の鍋に砂肝汁を加えて、
その女文字に期待をかける。
すいてき
【すいてき】
ごらんよ
あめでできているみんなは
いえにかえったとたん
かじんにはだまって
ぎんいろをひきながら
ふろばにいって
きょうからだにまざった
ひを てぬぐいにすわせる
ふろばのてんじょう
みあげながら
ひとすじ ひの
じょうはつしてゆく
なりゆきも おって
ごはんだよ のこえだって
そこにゆるやかに
おもいえがくのだ
このとき
あめでできているみんなは
あしもとのすいてきに
なっている
けれどごらん
うつむいてないで
じぶんのはいごの ひ も
●
相変わらず採点地獄。
さっきまでBGMは
ジェシ=エド・デイヴィスだった。
合間にふと
詩が書きたくなって
上を書きました