ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

かたむくもの

 
 
【かたむくもの】


ゆっくりと傾くものは
何かをこぼしているはずで
夕方までの箱根には
早くもふと新酒の匂いがした
頬をてらされ透かされながら
どのようにバスで抜けたかもわかる

骨格そのものを可愛いとおもい
対象がしぼれなくなった
骸骨ののちは悲傷もわがこと
移動が水おととともにある誉れを
声の数珠でつないでいっては
そのあとを疲れて眠った

こんな運行の悪事によって
伴侶があまりに星を負うものだから
ふと厳格さを捨て
ただのふたつの性別として
顔の秋を祭り渡ったのだ
くるくるひらめきえたから
もう輪切りでいいよ
影もふえていったもの

途中いくどもこぼれだし
翅のやぶれた秋蝶をみた
模様は翅自体か
さらなる破れか議論もしたが
いまさら希臘人ぶったのが可笑しい
心がキュクロペスなのにね

そういえば願いの一つ目には
尽きる世の天秤もみえた
もう星の時が来ようとして
午後の光をずっと貯めていた薄が
涙をながすように箱根をこぼす
さああのかたむきをはかるんだ
思い出はいつも間遠いのだから
影の歩行に気をくばって
測るものは常に遠くにするんだ




ちょっと日記アップが間遠になった。
ごくごく機械的に近況報告。

9月25日(金)=かいぶつ句会〆切で
もとめられている都合11句と
俳句についての小エッセイを一挙に仕上げる。
昼前に終わってしまい
朝昼兼のスパゲッティをつくり飲酒までして
午後がグダグタになってしまった。

9月26日(土)=女房と仙石高原の薄を見に行く。
ただそれだけではつまらないので、
仙石原湖尻自然探勝歩道を行くウォーキングをした。
この日も三万歩以上の女房サーヴィス。
このパターンはシルヴァーウィークでもう三度目だ。
なのに一向に痩せない。
禁煙成功して栄養吸収率が変わってしまったらしく
以前より食事量も削っても痩せなくなった。
あ、上の詩篇はこの仙石原行の体験変型。

9月27日(日)=女房を尻目に読書三昧。
「かいぶつ句会」関連の著作をリレー読み。
主宰・榎本了壱さんが関わった粟津潔関連の本、
それと同人・笹公人さんの歌集(頂いていた)。
テレ東「大食い」二番組を「片目で」一瞥、
もうこの番組の時代は終わったと痛感した。

9月28日(月)=授業集中日。
二限は椎名林檎講義で、『無罪モラトリアム』の二回目。
「虫=下降志向」がテーマになって、
aiko「カブトムシ」、戸川純「蛹化の女」2ヴァージョン、
ゆら帝「午前三時のファズギター」、林檎「モルヒネ」を順番に分析。
絶頂期・戸川純には受講生全員が飲まれたとわかった。

のち「昭和歌謡」=ノスタルジー批判。
林檎「歌舞伎町女王」にたいしGo! Go! 7188を批判する。
濃縮ジュースのように迫った。

それと十八番、「丸の内サディスティック」の逐一解釈。
ただしあとで三村京子に指摘される。
歌詞中「ラット」を僕はこれまでずっと
OLのパソコン仕事における「マウス」の言い換えとしてきたが
三村さんによれば「ギターエフェクター」の一種だという。
来週、訂正しなければ・・・

三限は俳句連句演習で「永田耕衣」。
それ以降、卒論・卒制従事者の連続面談。
三限前の昼休みに文芸思想サイトのインタビューだったから
(インタビュアーはほとんど僕の見知った生徒ばっかり!)、
実は10時40分より18時まで喋りっぱなしだったことになる。

その後、東大の院に合格した子のお祝いで
四年生有志とともにいつもの飲み屋に。
そのまえ望月君の新作短歌12首ほどをもらう。
相変わらず面白い短歌を書くやつだ。

9月29日(火)つまり今日=月に一度の緑内障診断で虎ノ門へ。
眼圧があがっているといわれる。
移動中、診察待機中、それに帰宅後をかけ、
ずっとちょびちょび読みをしていた
『現代詩手帳増刊・飯田龍太の時代』にケリをつける。
素晴らしいボリュームと内容で、お腹がいっぱいになった。
亀岡大助編集。

帰宅の途中で、新宿ジュンクへ。
岡井隆のインタビュー本、加藤郁乎のエッセイ本以外目立った収穫なし。
「詩手帖」最新号を拾い読み。
今度出る僕の詩集の広告が僕の顔写真つきで出ている。
文言がちょっと偉そう。
だが僕は関わっていない。すべて亀岡氏文案です
(ご感想もとむ)
 
 

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2009年09月29日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

永田耕衣のこと・その他

 
 
こないだの月曜(敬老の日)から
「俳句・連句演習」がはじまっていて、
有季定型俳句として飯田龍太から
受講者たちの俳句入門がはじまった。

で、その次はもう少し禅機を交えた怪物句として
永田耕衣をあつかうことで
受講生の興味を拡げたいと考え、
本日は1972年までの耕衣大ベスト句集の趣のある
『非仏』をずっと括って
プリント掲出句を吟味していた。
数が膨大になるので
結局は耕衣の代表句集『驢鳴集』『吹毛集』からの選とした。

じつをいうと俳句に熱狂的な興味をもったのは
大学時代にまず永田耕衣を読んだからかもしれない。
それまでの有季定型句ともちがい
また加藤郁乎の、一行詩にも還元できる前衛風ともちがい、
それは「ザ・俳句」ともいうべきものだった。

ナヴィゲーターはその郁乎のほか鷲巣繁男あたりで、
何か周辺人脈からいって
耕衣俳句は土方巽の化け物文章と類縁があるようにおもった。

『非仏』栞には塚本邦雄も耕衣讃を書いていて、
「拉鬼体」と形容している。
怪物性によって恫喝され、
それにより魅了されるという意をふくんでいるだろう。
僕は、耕衣句はその脱論理性もすばらしいとおもうが
その禅機が塚本同様、怪物的と映るとおもってきた。
それはそのまま安井浩司の幽玄なケレンにも移行する、と。

けれどもしるしをつけた耕衣句を改めて見返してみると
随分感触がちがう。「やさしい」のだ。
文法もさほど破格におもえない。

というのもその後というか最近、
俳句自作をおこないはじめて
耕衣的な想像力が俳句創作では自然だという確認ができたためだ。
僕が志向する俳句での優美な理想、という感じがする。

たとえば塚本邦雄は
ついに俳句を自家薬籠中にできず(つくっていたが)、
それゆえに耕衣に脅威を感じつづけたのだろう。
それはそれで興味ぶかいことだが。

耕衣特有の俳句語彙というものはある。
たとえば「鯰」「白桃」「笑ひ」「寂しさ」
「世」「葱」「肉体」など。
これらをパズル的に組み合わせると一句ができてしまう。
《夢の世に葱を作りて寂しさよ》などのように。

このパズル的偶成性というのは俳句のやばい肝で、
安井浩司にその疑念あり、と「未定」同人もいっていたし、
摂津幸彦の句はこの点を逆手にとって方法論を構築していた。

ただしそのように方法論の圏域をまとめてみると
耕衣はぎりぎりで俳句の俳句性を自体的に注げる場所に
句作を峻厳にとどめている気もする。
「やさしさ」の感じがそうした印象を呼んでいる。

この『非仏』のすぐあとに
耕衣はコーベ・ブックスから
一部では最高傑作と誉れの高い『冷位』(75年)を出す。
ここでも僕は鉛筆でしるしをつけているが、
拉鬼体に翻弄された数多くのしるしがあるなか
耕衣スタンダードの句には
やはり最高点にあたる☆印をつけていた。
たとえばこんな句に--

手を容れて冷たくしたり春の空

出歩けば即刻夢や秋の暮

浮世とは葱の彼方の此方かな

前回日記のコメント欄で言及した、
貞久秀紀さんの「夢」に通ずる句想といえるだろう。
その一方で、度肝を抜かれる奇想句がやはりある。

薄氷に薄氷をくつ附けて死ぬ

見る人を海となすらん老白桃

見ることは死ぬることなむ大白桃



さて、俳句「演習」であるから当然、
自作提出も受講者には乞う。
僕のケータイへはさっそくメールが来た。
HSさんのもの。五句中二句を下記する。

夕霧の爪は乾かぬひとりきり

振り向いた頬のむかうの渡り鳥

一句めはマニキュアを夕方に塗った直後の無聊を詠みつつ
夕霧と爪の対比により確実に「俳句」が生じている。
しかしまだ「少女句」の範疇にある。

しかし二句めの系統遺伝性の高さは何だろう。
永田耕衣もたぶん知らぬのに、
すごく「耕衣度」の高い句が自然に出来上がってしまっている
(あとでペーストする「秀句選」のプリントでよりわかるとおもう)。

これにはほんとうに吃驚した。
僕自身も気を入れて有季定型句をつくらなければならないとおもった。
で、早速つくったのが以下。
今回確認した、「耕衣句のやさしさ」を念頭に置いてある。

稲の秋近づく蝶も音速に

夕眺めこころの裾にあきつ満つ

龍胆に遭ふは龍胆になれる身ぞ

全人や鈴虫もいま消え響く

壷数箇寺院的なる窓の冷え

それでは最後に予告したように、
次回配布プリントをペーストしておこう--



永田耕衣秀句選



【『驢鳴集』一九四七年~五一年】

夢の世に葱を作りて寂しさよ

凍蝶や西天に乳母車出で

亡ぶべく炭を掴める者あらむ

恋猫の恋する猫で押し通す

柳蔭われはをみなとなりしはや

かたつむりつるめば肉の食い入るや

夕凪の遂に女類となるを得ず

朝顔や百たび訪はば母死なむ

流失を予感せし牛流れ失す

行けど行けど一頭の牛にほかならず

寒雀母死なしむること残る

樹々の上に揚羽なること寂しけれ

物書きて天の如くに冷えゐたり

六尺の寝床や蓮枯れにけり

百姓に桃満開し褪色す

着物着て蛇の野に我が遊びけり

天上に映りて麦を刈り尽す

老の身にぱつぱつといなびかりする

藁塚が母亡き我に蹤いて来る

母の死や枝の先まで梅の花

牡丹花に入るまで虻に蹤いて行く

夏蜜柑いづこも遠く思はるる

熟れ際に倒れし麦の熟れにけり

枝を張る紫蘇のいづこを笑はんや

物として我を夕焼染めにけり

我が啖ひたる白桃の失せにけり

冬蝶を股間に物を思へる人

雁の夜や鼻を先〔さき〕立て散歩する

池を出ることを寒鮒思ひけり

角伸びて春耕の牛帰るかな

落花の中我も乞食たり得しに

いづかたも水行く途中春の暮

同大の鯛多〔さわ〕に世の移るかな

墓を去る時に笑ふや墓参り

寒鮒の死にてぞ臭く匂ひけり



【『吹毛集』一九五二年~五五年】

水を釣つて帰る寒鮒釣一人

天心にして脇見せり春の雁

麦曰く斯く熟しては切に寂しと

笑ひ棲む池の鯰を笑ひけり

揃はぬまま雁の声々天に入る

母の忌や後ろ向いても梅の花

餅を切るゆゑに石橋架かりをり

近海に鯛睦み居る涅槃像

藤の房己れ長しと思ひそむ

川芹の短き事に世を忘る

芹籠に乗り行く芹に我劣る

天降り来て身心臭し揚羽蝶

尿の出て身の存続す麦の秋

百合剪るや飛ぶ矢の如く静止して

萩叢を抱き起こしたるまま眠る

後ろにも髪脱け落つる山河かな

枯蓮に青の還るや乱れむと

桃の花老の眼にこそ精〔くは〕しけれ

春の暮飯始まれば飯こぼるる

春の野に出るや心身量〔かさ〕もなく

韋駄天の土蜘蛛後ろ向きしかな

頭古くこの炎天を庭とせり

道路ほど寂しきは無し羽抜け鶏

秋水やまた会ひ難き女ども

髪の中に脱けてある髪夕霰

あたたかき甍は何処へ行かむとする

腸〔はらわた〕の先づ古び行く揚雲雀

新しき蛾を溺れしむ水の愛

蛾流るる後ろの水に遅れつつ
 
 

2009年09月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

あふれるくつ

 
 
【あふれるくつ】


からだが
鳥籠のようになって
感覚の四ほうを
むだにする
風をくみ入れた
肋骨は
わたしを運ぶわたしを
河原のながい
花束にしている
ひょんなものを
たずさえる心根で
かり
過去のあるじが
ひとすじの線に
なったときは
この短日
彼方の秋へ
のびるもの
を見とおす

なにの森だろう
この詩はなに
秋の眼になっている
ぬれないいろに
なっている
ゆれていて
ひかりのあふれた
そこへも入る
くうきの
さかなたちだ
以前まで
なのやみにいたのに
もうわたしは
あふれるくつ
答のなかをただ
あるきねむりにて
生きているのだ
 

【その後のセルフコメント】

上はほぼ一日、
何のコメントのない
孤独な詩篇となりました。
そんな詩篇自体が可哀想なので
(ミクシィの共同性は
文自体がこういう孤独から回避されるためにあるのでは)
以下には「自解」の試みをしてみます。

あ、いまこの欄を読んでいるひとは
上の詩篇に何か解釈の糸口があれば、と願い
日記へのコメント数がふえれば
それを見ようと考えてくれていたともおもいます。



一見、簡単にみえて
じつはとっつきにくい詩篇だったんだとおもう。
その理由もわかる。
詩篇は主題以外に
実験的なモチベーションももっていた。

各行末から句読点を排除しているために
文節のつながりで混乱が起こるようになっている。
で、実際は一行が
前後に別の文脈でまたがるようなこともして、
そのうえで宙に浮かせる行もつくったのだった。
とつぜんはめ込まれている一行とか二行が少しあります。

ただ、そういうことでないと
改行詩はどこかが単純すぎてしまう。
とくに全体行数、一行字数の少ない場合はなおさら。
僕はまあそうおもうのですが。

ライトバース化にそのようにして歯止めがかかるのは
たぶん僕が短歌俳句に親炙していて
それらにない「決定不能性」を
詩行の運びで実現したいからでしょう。

たとえば上でいえば一聯十一行目、
たった二音の「かり」が問題にもなるかもしれません。
どう漢字表記されるのか。
正解は秋の到来を告げる渡り鳥、「雁」で
その二行後「ひとすじの線」で
俗に雁行(がんこう)といわれる
雁の整然とした群れの飛翔が伝わってくるとおもう。

同時に、読みの段階で少ない比率で採用されただろう
漢字表記の可能性「狩り」「刈り」「駆り」なども消えないで
読者の脳裡に幻のように残存してゆくとおもう。
そういうことで行加算の理路に複合などが起こるのですね。

一聯は、秋の日中を歩む身体を
再帰的に述懐するというだけの試みです。
周囲にみえるだろうものによって
その身体が散歩の速度で相対化されてゆく。

とくに詩篇の最初の八行は
躯に入り込むひかりや風を
それらの言葉をあまりつかわずに
表現できているとおもいます。
それで躯の内側/外側という視座が出る。
これが秋の内側/外側へ拡大するのです

そのなかで明らかに俳句が組み込まれていると
理解される三行が入って
詩がジャンル的同定性をゆるがせる。

以下の三行です。

この短日
彼方の秋へ
のびるもの

秋になり日が短くなって
短日性植物だけが自らの終わりを唄うように
寂しげに咲く。
秋の午後は日に日に夜の含有をつよめてゆき、
そういうものに秋の身体は位相されている。
そうしてはるかをみはるかす。
「かなたにのびるもの、なに?」

「なに」という設問は
実は二聯二行め「この詩はなに」に出てきて
これが通常僕が使わないフレーズなので
引用くさいな、ということにもなり、
詩篇が参照しているのが
辻征夫の詩論集『ロビンソン、この詩はなに?』
(書肆山田、88年刊)ではないかという疑念も
わきあがってくるかもしれません。

当たりです。
二聯ラスト五行は圧縮すると
《わたしは/答のなかを/生きている》という
すごく肯定的な自己承認になるはずですが
(となって、「あふれるくつ」が不可解な挿入行ともなる)、
この着想は『ロビンソン、この詩はなに?』の
28~29頁、辻征夫が引用しているリルケから
孫引っぽく変型使用しました。

最初この五行がもやもやと浮かんで
じつはそこに辿りつくように詩を書き始めた。
主題的なモチベーションもそこにあったといえます。

秋の自然の遊歩者が
その遊歩そのものを回答とする神的状況にいる・・・
そのような認識の転位を
詩篇の最後でありながら中心的に据えるという詩発想は
もう僕がさんざんオマージュをささげている
貞久秀紀さんの詩篇「夢」(『昼のふくらみ』所収)と同じです。

二聯中に一瞬出てくるフレーズ「なのやみ」は
「なやみ」を「やみ」へ変奏していった
那珂太郎『音楽』の先例に倣ったものですが
ゴダール的な「名の前」も含意しています。

わかりにくいところですが
これもモチベーションだったので捨てられませんでした。
こういう語句については詩篇が自己説明すると
壊滅が起こってしまう。

「あるきねむりにて」という
詩篇完成直前に入れた譲歩節が好きでした。
その瞬間、眠り男シェザーレを
詩篇のなかで歩く男(ほぼ自分)の顔に想像しました。

図像的には秋の銀色にぼかされるのは
歩行睡眠している哀しい男の顔と
エチエンヌ=ジュール・マレーが分解写真にしたら
歩行する男の足許につづいてゆくだろう
「あふれるくつ」のはずです。

そして「あふれるくつ」の詩篇タイトルには
椎名林檎の「ありあまる富」をも意識しました。



このような自解をなぜ今回は書いたか?

こういうことです

僕が大好きな詩作者が最近ある詩篇をミクシィアップした。
詩発想が斜めながらどこかがベタだったその作品を
僕はその詩作者の本領から離れるものと捉え
好きにはなれなかったんだけど
何かほかの詩作者たちからのいろいろなオマージュがつづいた。

それらのことばはほんとうに考えられているんだろうか?
その詩篇はちゃんと読まれているんだろうか?

いっぽう僕の上の詩篇にたいしては無音でした。
けれども上と同じ問いを自らに返してみたのです。

まあ、ひとつの詩篇を書くには
これだけ頭が動いていた、としめせればよかったのかもしれません
 
  

2009年09月23日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

テラチタ・テラトトレ2+椎名林檎

 
 
以前三村京子さんのために書いた歌詞を
この欄にも発表した。
歌詞の意図は
三村さんがピアノでつくった12音階ポップスにたいし
呪文のような「音素」を足してやろう、ということだった。

しかしさすがに発想がハードすきで
もっと可聴性を高めてほしいとリクエストがあって、
いまさっき直してみた。
直す過程でちょっと蕪村とかフォーク引用を入れたりして。

日本語の12音階ポップスという点では初期「さかな」もあるが、
ものすごい達成度をしめしていたなあと最近別のデュオで確認する。
石橋英子と吉田達也のデュオだ。
むろん三村さんの12音階はそれほどの峻厳さと緊張から離れ、
もっと「やさしい仕上がり」をみせるだろう。

今回のアルバムで僕はアドバイザーとして前面に出てない。
彼女が自発的にプロデューサーと動いている。
アルバム抄録曲決定のためのデモ音源を聴くと
たたずまいの端整なストレンジ・フォークミュージックが
見事に居並んで、なかなか壮観だ。
「ロックアルバム」のほうは結果、あとの製作になるが
まずは柄にあったほうからのこのアプローチが安全だろう。

その三村さんは、僕の今度の「椎名林檎講義」の
テクニカルアドバイザー。
コード解析などを頼んでいる。
昨日はじまった講義は休日授業ながら鈴鳴りの入りで、
笑いをまじえてはじまった。

『無罪モラトリアム』の曲を分析するために
川本真琴、aiko、矢井田瞳などを前振りにしたが
さっそく女子学生から
Cocco、CHARA、鬼束ちひろなどを比較アイテムに入れるべきだ
と意見が出される。
「アルバム貸して」と頼んだ。

授業はペース配分を失敗。
林檎曲は「正しい街」一曲だけの分析で終わってしまう。

あ、今回の授業、僕自身が自著
『椎名林檎vsJポップ』を参照していない。
気が向いたひとはもぐり歓迎です。
二回目からは極端な人数減になるともおもうので

ということで直したヴァージョンの
「テラチタ・テラトトレ」を
いきさつ上、下に掲げておきます



【テラチタ・テラトトレ】


くるめきマシーンで
眼を閉じたら
三半規管が
ケムリを巻く。

亜剌比亜風呂で
蝶を追う
わたしもまた、花。

おもかげ島を
凧がゆき
昨日の空、ゆめ。

雲が切れて
背伸びして見るは
此処の向こう――
幸〔サチ〕の夕つ方、
現在〔イマ〕のヒシガタ。

巻き時計
なおもグラモフォンか、
テラチタ テラトトレ。



嵌め込み模型に
火を向けたら
選り取りミドリも
朱色を嘔く。

おもかげ橋を
影がゆく
ひとりの恋、黒

みづうみ笛で
過去も吹く
ごにんの恋、青

空が切れて
ふりかえり見るは
夢の彼方――
性の夕つ方、
臨終〔いまわ〕のホシガタ。

物の怪
なおもサキスフォンか、
テラチタ テラトトレ。
 
 

2009年09月22日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

なかにしけふこさんの詩

 
 
以前マイミクだった、なかにしけふこさんに
初の詩集『The Illuminated Park 閃光の庭』を送っていただく。
題名がうつくしい。
ランボーの『イリュミナシオン』と造園術がふくまれている。
僕は造園では幾何学的図像性を架空の俯瞰視線から志向するフランス式よりも、
ある種無駄毛を放置してしまうような英国式、茫漠な隠者趣味が好きだが
この詩集はどっちだろうか。

いずれにせよヨーロッパ起源の神話学民俗学歴史学の学殖が細部に渦巻き
反時代的傾向の詩篇集とはいわれるだろう。
往年の鷲巣繁男たちが中心となった詩誌「饗宴」に
掲載されるべきだとおもわせるようなこの反時代性はじつに狷介だ。
尖った現状否定精神の変移として各詩篇があるからだ。
ただ僕の好みとしては、であればもっと「無時間の現状にもまみれ」、
そこから魂の流謫をつたえることがあっていいかな、とはおもった。
何よりも現代人は提示された学殖に「試される」のを嫌う。
神を試してならないのと人も同様なのではないか。

けふこさんの詩は風が白く光って潤み、
ひとがうつくしく、駘蕩をまじえてすら自己展開してゆく。
希臘的晴朗さを薬籠中にして、
反面、幾ら意図しても汚濁が盛れない、一種の「幸福」のなかにあるとおもう。

詩集は構成意識までを評価の対象にする。
「詩人に生まれついた」という伝説的な存在がいまだいるとするなら
「書いた順に」詩篇を並べればそのまま詩集が成立してしまうような存在だろう。
書かれたものが交響し対位し、自己展開して、
おのれが時間となって、おのれを奏鳴させてゆく。
ただ「われわれ」凡俗は、そんな至福恩寵にいることなどほとんどなく、
ある詩篇は捨て、のこった詩篇をあれこれ並べ替えて詩集を構成してゆく。

初出一覧をみると詩篇の創作順は掲載順とはだいぶちがう。
それと全18詩篇中、書き下ろし詩篇がわずか2、
これは処女詩集をつくる手つきとしてはちがうのではないかとおもった。
自分の詩篇のうち「良い特徴」を延長させるべく
書き下ろし詩篇をもっと殖やしてゆくべきなのだ。
テンション的な理論としてはそうなるだろう。

たとえば厨房作業に材をとった冒頭ちかくの「厨」にたいし
欧風風土に想像を働かせて自由な時空化をかたどる彼女の通常詩篇とはちがい
現実の彼女の日常を別次元化して反映させた
モザイク詩だという判断をするとする。
そうなると「ここにあまり人生がない」という否定的評価が出てしまう。
そしてこの詩篇が、造園と発語についてエピグラフ的に掲げられた冒頭祈祷詩篇の
つぎに入り込んでくる「構成」にも迷いの意識を感じてしまう。

こんなことも書くのも、「瀧」という詩篇が掲載された74頁から
最終詩篇「ぱるかろうる」が終わる112頁まで
この詩集は圧倒的な展開になり、
書き下ろしも加え、「こういうもの」で押すべきだったと惜しんだからだ。

「こういうもの」とは何か。
「音素」を中心にする。その「音素」を、学殖を洗浄させる要素にもする。
詩篇細部に曖昧が宿り、そこに読者の心情がたゆたい溜息が出るようにする。
散文形、改行形は問わない。ことばのうつくしさは意味のうつくしさでなく
もっと機能的にその音楽性のうつくしさでしかないという
「絶望」によって詩篇を、そのあいだを、柔らかく構築すること。

このときルフランといった明瞭性をもたない「反復」が
詩篇時間の背後を往還するコーラスの役割も担うようになるだろう。
たとえば何度も書くのだ、「歓びの男は」という書き出しを(「寄港地にて」)。
その周囲にこそ、古代都市の風光が豊富なディテールをもって現れるだろう。

とはいえ僕は学殖に暗い馬鹿だから
学殖の伏在によって威圧される詩篇よりは
「そのままに読めてしまう」音楽的な詩をより深く愛する。
前言したようにそうした彼女の「特徴」へと転調を最初に完全に告げたのが
74頁からのすばらしい「瀧」だった。これのみ全篇転記させていただこう。



【瀧】
なかにしけふこ


ふりしきるふりしきる
ほんとうのみず
滝壺に嫗は空を向いて
いちめんの水をてのひらにうける

つかのまにわかくなる
酔うほどに
水はあまい

いとすぎの
にがよもぎのまちをすぎて
女は跪き
いくつものうつわに水を汲む
燐光の走るてのひらに うおはひかる

ふりしきるふりしきる
ほんとうのみず
地の果てへの道の辺の磐に降りて
血に塗れた手を
つかのまに老いる
むすめは濯ぐ

ありえない合一の夢ばかりみる
酔うほどに
水はつめたい

ふりしきるふりしきる
ほんとうのみず
瀧は
葉ずえを
外套をぬらし
風は頬にも面紗にも吹く




「ふりしきるふりしきる/ほんとうのみず」
(それ自体反復をふくむ)は
詩篇全体の牽引機となって三回反復される。
その反復により、「嫗」は「女」になり
「むすめ」は血にまみれて「老いる」(老いは洗濯されるのか・・)。
三回目の「ふりしきる・・」ののちは地上を総括する位置から
すくない言葉がだされて詩が終わる。

水は回春を導く。万物は流転であり水でできている。
水は清澄にして内部に水しか含まぬ虚無なのに酩酊を導く。
甘露により、老婆が娘になる着想なら
何かの神話に典拠を見出すこともできるだろう。
地上にはそのような霊力をうたわれる泉も洋の東西を問わず数多い。

ところがこの詩篇では水の逆転力、
たとえば流血をともなう罪を犯した娘なら
水の眷属・血において老いるという逆元が
発端と終結を結ばれるウロボロスのように構成に加えられる。
むろん女と血は「ある種の同意語」だ。

発端と終結を同じくする力。
それで水は永劫になって回帰する。
その回帰の姿はニーチェの直感どおり「反復」を証拠とする。

もうひとつ詩篇で賞玩したいことがある。
水の現れる場所が「瀧」だということだ。
瀧においては、音が霊気がイオンがちがう。
地形の恣意により現れた高低差を根拠に
恍惚と水の落下する運動があたえられ「世界の果て」を暗示する。

瀧は斜面の裂け目だ。
男瀧女瀧があると考えるか、瀧はすべて女だと考えるか。
ともあれそういう瀧の水をてのひらに受けて、
女が女として繰り返され、再生され、死ぬ――
よって瀧と女と時間はすべて同位だという見解が伏在していると感じられる。

一瞬の文法の乱れと感じられる(やがて形容節の悪戯と判明する)
《血に塗れた手を/つかのまに老いる》の、
読者を欺くようなうつくしさ。

さらに一瞬擦過するフレーズ《ありえない合一の夢ばかりみる》も
もう不満を抒情する言葉ではなくなって
その「合一」は「嫗」と「むすめ」のあいだの、
すなわち時間上の発端と終結のあいだの
合一のレベルにまで変貌している。
男女和合からかぎりなく離れ、
女と水の遍在を語ることで詩篇は反世界性を獲得してゆく。

この「湿気するもの」の「遍在」一点において
物語りを変奏したらしいこの詩篇は
西脇順三郎『Ambarvalia』にある先行詩篇をも指呼するだろう。
《南風は柔らかい女神をもたらした。/青銅をぬらした、噴水をぬらした、
〔…〕この静かな柔い女神の行列が/私の舌をぬらした。》の「雨」だ。

詩が文学であること。あるいは文学でしかないこと。
そして遮二無二、文学に依拠することに、いまの僕は反対する。
詩は詩そのものであって、そのありようは単に息や運動神経でしかない。
その意味でいうと詩に文学の装飾や土台をあたえるなかにしけふこの詩は
基本的には僕の詩観に対立的だということにもなる。
また、現実に取材した「厨」などの詩の運動神経の悪さにも辛さをおぼえる。

ただ一点、上の詩のように「音素」により
意味の、文学の浄化がまず起こり、詩が水のようになり、
そののちに「文学が回帰してくる」のなら何の異存もない。

この詩篇にある、《濯ぐ》の語の作用域はとても広いと考えるべきだ。
洗濯、濯ぐ、濯(あら)う――「内藤濯(あろう)」の名を憶いだす。
そして「濯ぐ」は「雪(そそ)ぐ」にも変化する。
このとき前景として「汚辱」が描かれる必要があるともわかる。

なかにしさんにはより多くの他人の詩篇にふれて
自らをさらなる多作に導く今後があればいいとおもった。
 
 

2009年09月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

飯田龍太後期俳句傑作選

 
 
立教の後期におこなう「俳句連句演習」では
去年の無手勝の乱れを正すべく
俳句の基礎、たとえば季語俳句からはじめようとおもう。
まずは入門篇となる第一回目の配布テキストをどうするか。

最初に考えたのは高浜虚子だったが、
風格と、少しの異形のせめぎあう虚子句よりも
静謐で凛冽な男性句をと考え、
読んだばかりの角川『飯田龍太全集』第二巻、
そこに収録されている彼の最晩年の二句集から
僕自身の選んだ秀句群を編纂することにした。

龍太といえば父・蛇笏の薫陶を受けた古典的安定性によって
戦後にあっても高い句格を維持し
しかもさらなる句の平易を模索したひとだ。
どんなに崇敬されても山梨の奥に生活の基盤を保ったことで
寂寥の気配も清潔に立ち込める。
句の無駄は省かれて独自境に辿りついた。以下のように――

《一月の川一月の谷の中》(『春の道』中、昭和44年)

ここまでは一般にいわれることだろうが、
何かもうひとつ龍太句には独特の艶があるとおもう。
美男がなした句、といったものが紛れこむのだ。

《紺絣春月重く出でしかな》(『百戸の谿』中、昭和26年)
紺絣を美しくまとった痩身の若き龍太を
春月そのものがみている感慨をおぼえる。
紺絣は月光を透く。読んだ者はそんな龍太の皮膚を得る。

潔癖なひとにみえて女のアナーキーも知るひとではなかったか。
こんな句をみつけると嬉しくなる。
《枯野よりとび出す女焦げくさし》(『忘音』、昭和43年)。

ともあれ端整、行儀が良いと片付けられそうな龍太は
晩年にいたり凄みをましてきた。
晩年の龍太は平易ながら
永田耕衣の俳味にも匹敵するというのが私見。
甲斐に籠もっても何か存在全体が「旅体」になり、
僕の前回日記のコメント欄にしるしたような「悲哀の調律」がなされ
句によっては胸ふたがれるような全感情にぶつからされる。

なるほど芭蕉を現代の俳句で受け継いだということなら
諧謔では永田耕衣だろうが、
悲哀の調律、しらべでは晩年の龍太ではなかったか。
彼は「端整」の標語を自身から静かに解いていったのだ。

プリントは以下のようにできた。




●飯田龍太後期俳句傑作選



【『山の影』(昭和56年~60年)】



枝を垂れし蛇にさびしき沼明り

秋真昼柩三尺宙に浮く

神の留守押せど動かぬ大魚にて

大根抜くときのちからを夢の中

冬瀧の音の洞なる夕あかり

冬ふかし鉄くろがねと読むことも

十二月小躯こつんと墓の前

冬茜かの魂はいま闇の中

山火事のあと漆黒の瀧こだま

朱欒叩けば春潮の音すなり

蟇鳴くや祖父母はるかと思ふとき

薄暑かなひと来て家を見て去れば

ががんぼは糸の音また詩〔うた〕の音

優曇華の彼方ひしめく瀧の音

さまざまの風吹く秋の水馬

茨の実麻疹はるかと思ふとき

文化の日鉄の屑籠雨の中

水澄める日向に京の女達

返り花老師お臍のはなしなど

冬の雷模糊と手の指足のゆび

敵さだかに見ゆ寒風の落暉また

放哉忌春雪午前三時より

朧夜や山に隠れし川もまた

人参赤し夏をこの世と思ふとき

ある夜ふとかくしどころの明易き

退屈な仏ばかりぞ葛の花

公魚〔わかさぎ〕の眼おのれの死を知らず

流れつつ春をたのしむ水馬

法螺貝を真近に吹かれ山ざくら

花吹雪浴び血しぶきの紅楓

山の月ときに花の香乳のごとし

鶏鳴のちりりと遠き大暑かな

冬の蝶山の束の間焔見え

短日のひたすら遠き暮天かな

八方に音捨ててゐる冬の瀧

村びとに遠く星ある春隣り

胡桃割る音の中なる雪解風

凧のぼるひかりの網の目の中を

禍も福もほどほどの夜の花吹雪

春愁とは湯の沸く音のごときもの

海きらめくは神の目か蝶の眼か



【『遅速』(昭和60年~平成3年)】

おのがこゑに溺れてのぼる春の鳥

十二月西国どこか香くさし

眼のとどく限り見てゐて年の暮

木には木の水には水の暮春かな

木の奥に木のこゑひそみ明易し

碧空の中なにもゐぬ大暑かな

何気なく火に近づきて夜の秋

幼帝のいまはの笑みの薄紅葉

なにはともあれ山に雨山は春

雲雀野や赤子に骨のありどころ

花辛夷昼月もまた花のごと

朧夜のもう誰も出ぬ不浄門

夜の秋のさびしき臍のあたりかな

いつとなく咲きいつとなく秋の花

金魚田にひと映りゆき日短し

義仲忌熊笹に雨錐のごと

風吹いて身のうち濁る春夕べ

鳥雲に蛻〔もぬけ〕の殻の乳母車

雪月花わけても花のえにしこそ

秋風の瀧に泣く音と笑ふ音と

茅舎の死ある夜ひとりの夏座敷

海辺まで花なにもなき涼しさよ

真帆白帆みるみる秋に従へり

夏夕べこころしばらく紺のまま

蟷螂の六腑に枯れのおよびたる

雪降るを見つつ小骨の舌ざはり

海を見てまた山を見て日短し

小春日の猫に鯰のごとき顔

落葉降る隣国信濃すこし見え

遠くより人の見てゐる蜆採り

蓮掘りしあととめどなく雨の音

耳聡き墓もあるべし鶫鳴く



【『遅速』以後(平成4年)】



またもとのおのれにもどり夕焼中




最終句集成立後の秀句を最後に一句のみ掲げた。

さて『遅速』には標題句、
すなわち「遅速」の語をつかった秀逸句が収録されていない。
ただし『全集』「拾遺」部分を確認すると
「遅速」の語の入った句は句集同一期に四つあり、
龍太が編集時にそれらを落としたとわかる。以下――

① とぶ鳥に遅速ありけり夏はじめ

② それぞれに睡りの遅速明け易き

③ ものの芽の遅速たのしき瀧こだま

④ 光陰の遅速いづれも小春かな

この①と④は句集に収録されて何の遜色もない秀句だとおもう。
「遅速」が「時期が遅れること」の意に終始しているのが②③だが
残り①④は「無常迅速」の反意語のように「遅速」の語が奥行をもつ。
万物は一切が迅く流れ、けっきょく跡形ものこさないが、
「それでもなお」ゆっくりと時の無常を浮上してくるものがある。
あるいは万物は素早くみえてその本質、芯には
不変や反復に由来する「遅さ」もあるのだ、ということ。

そうした「遅速」世界のなかに入ってこそ自身が無化する。
掲出句なら《碧空の中なにもゐぬ大暑かな》
《金魚田にひと映りゆき日短し》
《夏夕べこころしばらく紺のまま》
《またもとのおのれにもどり夕焼中》とも共通する境地が①④にある。
①が嫌われたのは下五が動く、と警戒したからだろうか
 
 

2009年09月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

反れない

 
 
【反れない】


光の檻のようにみえる川を沿った
都合十年もう傍らがわからずに
鳥が眉を影さすにまかせた
卑しすぎて秀麗とも呼ばれない
風ぬける菰がわたしを集中して
あらがえずに棒杭の辛酸
十字を切りやがて万字も切った

みぞおちからとりだした影で
さきを四角くなろうとする
あの川面の桝目を埋めれば
約束が用紙で流れるのも知る
わたしの三分の一が拘束だった
きょうはやがて反れないだろう

柱のようなものを追憶する
でもきっとわたしの極のむざん
ふたつの帆のあいだを計算しても
なるものが風や原稿になるか
やわらかさがただ楯となるか
なきくずれてかたまりが笑う

二三の煙がねじあげる天上の道を
ない衣服もつらくなだれて
ふりかえる背骨が平衡のなか
川幅の範囲でただゆれるから
わたしと橋の関係が削られた
ふかい夕暮はそこに
糸くずがでて
 
 


このところじつは午前中に俳書を読み
午後は音楽を聴きまくるという日が
基本的につづいている。
やがてはじまる後期の講義のためだ。

昨日の午後は久しぶりに
モールスの『モチーフ返し』を聴き、
胸が悲哀でつぶれそうになった。
これはたぶん
僕の10年単位の愛聴盤になるだろうと
そのとき気づく。

以前聴いたときにはバラード系に佳曲が多いな、
という程度の印象だったが、
全体も、流れもすごくよく、
酒井泰明の歌唱は「節回し」のレベルを超え、
そのふるえ、ひっくり返りが
存在論的にこちらをゆさぶってくる。
純度の高い異形性の哀しみによって照らされた世界が
変哲もないのに異常という視界を呈するようになって
なつかしい。

最近は(『みんなを、屋根に。』の段階から)
じつは胸が悲哀にふたがれたときを
詩作の契機とかんがえるようにしている。
悲哀状態では運動神経が重くなり、
発語聯想もひきずりをかたどるようになって、
詩一篇の完成が遅れるのだが、
その逡巡やら停滞やらも詩にしようとしているのだ。

悲哀の倍音として、眼下に詩の進行を組織する。
停滞によって具体相を消し、
それで音素の普遍性を得る。
意味形成は分光の果てを狙う。

そうやってできあがった詩篇は
自分で再読してみても他者性が高く、
自分だけの所有に適さない。
そして再読ごとに悲哀が抽象的に浮上してくる。
詩が音と意味のまま分岐しないが、
その融合性のなかに悲哀という、実質でない実質も潜む。

上の詩ではたぶん、発語聯想が
とりわけ不自由な遅延形態として認められるだろう。
「秀麗」「拘束」などはそうしてからげられた言葉。
それと「柱」は神を数える単位だった。

ずっと杉本真維子のような
安直なイメージ結像を阻む峻厳な、
それでいて音素のあかるさによって再読をしいられる、
圧縮と割愛だらけの身体落下詩の抒情に憧れてきた。

憧れてきたが、あのようには絶対に書けない。
そうおもったのは、彼女の詩の秘法が
「省略」にあると考えてきたためだ。
そう、技術のみへの着眼だった。
しかし《技術のみを語る者は頽廃する》(大島渚)。

ちがう、「悲哀の調律」(中沢新一)がむしろ
杉本真維子の詩の根源にあるものだった。
これが何か「魂の唯物性」にとって不要なものを
飛ばしてゆくのだ。

そんなことを考えながらも、上の詩をじつは書いた。
結果、真維子さんの「笑う」(『袖口の動物』所収)の域に
すこしは詩が近づいたかもしれない。

あの詩は何度も引用した詩なので
そのリズムも、その語彙も、
なんとなく記憶にはのこっていたのだった。
その「なんとなく」を奇貨とした
 
 

2009年09月15日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

その後考えたこと2

 
 
出自が決定的、ということがあるかもしれない。
僕が自分の出自の原風景と考えるのは
恥しいが学生服のポケットに詩集を入れ、
夕暮れの鎌倉の海岸でそれを取り出し拾い読みし放心し
夕焼けの色彩の推移にも心を奪われていった自分だ。
詩集文庫は兄の本棚から掠めていた。
お定まり、朔太郎、白秋、中也、賢治・・・

自分がひとつの袋だとおもっていた。
入り口はブカブカなのに装填が待たれる凹存在。
しかしそれは自分が見上げている空も同じだった。
入るべきものは「それがそれでなくなるための」共鳴共振。
それは天上の音楽の属性といってもよかった。

音楽は謎でできていてしかも構文には連絡がある。
それは世界の秘密を告げながら
それ自体がそれ自体を奏鳴させる、
崇高(排除的)な自己再帰性をもつ。

こうして書きつけた未知のものへの賛辞が
女性的なものへのそれと区別がつかない点も
理解されるだろう。

そんな共鳴共振に救抜される自身を考えたなぞ
何か自身の固定性に不自由があったためにちがいない。
ただ不自由は自由を段階的に見出してゆくことで
何か眼前には「通路」も展けていったのだ。
サブカル状況に感謝する。
じつは詩集文庫のまえに
音楽を聴きいる自分の耳が詩集文庫の解読に似ていた。
マンガのコマ割とネームを追うことも同断だった。
動悸に関わる、魂のひめごと。

たとえば吉岡やジュネや片山健と同列の存在には
レノンだって鈴木翁二だって控えていたというのが
一種、世代的な特質だったのかもしれない。

母親が短歌俳句をPTAのつきあいから点火され、
それで短詩型文学が自分の幼年期に身近だったという
環境の特殊がさらに加わるのかもしれない。
音楽にさらにアナロジーされるもろもろ、
それに特有な「空間化」の特質。

一字一字が推移してゆくときの謎の分泌と音楽的な顫動。
にもかかわらず謎にくっきり刻印された理路。
最小の運動の分裂に身をさらして全身を放心させること。
あるいはその性的な恍惚。
詩脳、音楽脳という問題。

つまり詩的なものとは、わかる/わからないの
伝達でも対立でもなく
共振によってわたしとあなたを
あるいはわたしと世界を無差異にすることなのではないか。
血液の混交なのだ。

こう考える者には
たぶん詩分野をもちいての教養構築の意識もなく、
たんに執心できるものを渡る横断がそこに起こってゆくのみだ。
アナロジーによって刺激される記憶が
ここで付帯的な問題になってもゆく。
この分野ではもっと簡単に言葉が交わされればいいのだ、
「ああ、それがあったねえ」と。

ところが得点主義に汲々とする者は
「最近これを読んだ。
これがわかった。あれがわからなかった」とだけ、やる。
「それ」が音楽的物質でできていて、
なおかつそこに天上的理路がある点がひたすら貶価され
その者の身の丈で再生された詩が
その者の熱望により、蒼ざめて再現前されるだけ。

このとき詩文庫を学生服のポケットに入れ
夕暮れの浜辺をさまよった往年の記憶が妨害されるのだ。
しかし世界交信とはこんなものじゃないだろう。

硬い文脈のなかで硬い部分を引用し、
亀裂によって自壊を招くバベル主義者。
逆に、やわらかさにいたろうと
からだにいれたものを何度もときほぐし
それで自身のからだまでつくってゆこうとする者。
ともに詩の愛好者であったとして
それら存在のありようは正反の刻印がなされるほどちがう。

過程的な考えならこういえる。
相互のからだを照らすために詩の愛好があるのだ。
あなたひとりがひかるために詩の愛好などはない。
だんだん光が衰えてゆく夕暮れを歩いてみれば
そんなことは、たちどころにわかる。

天上に奏鳴されている領域をいまも耳で見上げた、
あれが詩だと



昨日は朝早くから女房と
竹橋・国立近代美術館に
ゴーギャン展を見に行った。
朝イチに近いタイミングで行ったのに
芋の子を洗うような盛況。

一幅一幅の絵の前にいたるためには
行列に入りゆっくりした移動を
一回一回なさねばならず、
念を入れる鑑賞は断念した。

何しろ近づいての筆致の確認、
遠ざかっての全体構図の鑑賞、
色彩の褪色の確認といった
美術展での基本営為が不可能なのだった。

ゴーギャンは実人生をリタイアしたその人生も好きだが、
むろんその絵画もいろんな面で好きだ。

色彩でいうと橙、茶、濃緑の色遣いが独特で、
そっちのほうが先験的に
フランスからタヒチへ彼の視界が移りわたる契機ともなるのだが、
そこにたとえばハシシュなどによって増強された
異常感覚をみとめることができるかどうか。

もうひとつは江戸絵画からの影響。
ゴーギャン的な特質は、絵画の全体的平面性、その「部分」に、
形容矛盾だが別界面の平面が介入していって並列をつくり
その並列が静かであるために
いわば構図に奥行と幸福と怠惰の三幅対ができるということだ。
これが彼独特の色彩感覚と相俟って鑑賞者を恍惚に導く。
タヒチでの彼の絵画にはそうした営為が賭けられているのだ。

展覧会自体はそれらの絵が数多くあって壮観だった。
少ない点数であったが
人波がその前にできていない展示もあり、
そこでは筆致を間近にみた。
筆遣いは速かった。塗り重ねも自己抹消的でなく加算的。

ただしゴーギャン展は
ほぼ素早く通り過ぎてしまったというに近い。
女房には生理的にゆっくり観るのが無理、と謝った。

それで入場料の見返りを得ようと、
常設展をゆっくり鑑賞する。
藤田の「アッツ島玉砕」が
ここに展示されているとは知らなかった。
古賀春江の繊細で弱い絵とデッサンが結構あった。
フランシス・ベーコンの実物を初めてみた。
上村の美人画、その日本髪の鬢のぼかしが
御簾の影の向こうに臨める際の
幽玄に卒倒しそうになった。
草間弥生はやっぱりクレイジー。
河原温のタイル絵もはじめて実物を見た。

その後、近くの工芸館では
リーチ、濱田、三輪寿雪などの陶芸を見る。
濱田庄司は「物」が物のまま
愛着される機微に通じているなあ。
数多くの実物をみてますます好きになる。
落ち着いているのだ。
反面、寿雪は騒がしい。萩焼なのに白く内燃している。

その後は飯田橋まで歩き途中で昼飯。
また東西線に乗って以後、
下車したことのない落合で下りる。
早稲田通りと路地を縫って
東中野の商店街などをひやかしたのち、
中野に入って久方ぶりに中野ブロードウェイへ。

まんだらけが増殖していて、
写真集専門の古本屋、精神世界の古本屋までもができていた。
新たにできていた非まんだらけ系フィギアショップも数多く、
ブロードウェイはおたく殿堂としていよいよ磐石になった。
メイド喫茶や「可愛い占い屋さん」もでてきた。
古本屋では詩集を少し購入する。

うち夏石番矢『人体オペラ』をさっき読んだ。
これまで毛嫌いしていたのだが
わりとグッとくる句もあった。

さすがにウォーキングにはこの季節はまだ暑く
途中、女房とおたく系喫茶店で
からだを冷やし水分補給した。

吉祥寺で最後に買い物。
バスからの車窓はすっかり夕暮れていた
 


詩とは生き方であり思考方法であり
感覚の手法だ。
つまり「権威」から「権威」のために
「権威」にたいしてやりとりされたものを
後発者が受動的に追認してゆくだけの
「試験に出そうな」教養体系などでは毛頭ない。

90年前後の軽薄な批評バブルを牽引した
男性詩作者たちはそののち歴史の必然として自壊した。
それで荒地にはゼロ年代詩が
「無教養体系」「運動神経の体系」として萌芽しだした。

いまこうした希望的動きにたいし
教養の名を出して敵対する硬直者がいる。
彼らには「反動階級」の名指しをほどこし
徹底的な情勢諌止をおこなわければならない
 


ふとおもいついたことをさらにこの欄に。

音楽性を詩の運びの動機にしている、
だから意味が二の次で
音素の展開だけに執着している
と自分の詩がいわれることがあります。
改行の原理も飛躍感の醸成にのみ奉仕していると。

実際、僕がやめたSNS「なにぬねの?」では
『昨日知った、あらゆる声で』につき
そういう評言をもらいました。
あるいは別の詩では掛詞を駆使し、ざれ詩を書くと
ただ「加藤郁乎の踏襲」といわれた。

アナロジー的発見はじつは発想の収縮、
上のように怖い面もあるのだけど
じつは自分の詩篇自体がそれを呼び込んでいる。
これは否定しない。
ただたとえばその詩篇の場合も
加藤郁乎の詩法をつかい、
それをどう転位しているかが実際の眼目だったりした。

音楽と詩のアナロジー、
それを基盤に僕が詩を書いているのもたしかで、
たぶん上に書いた時代の、メディア環境が
僕にずっと作用している。

たとえばディランの言葉のようにギターを弾きたいと
ジミヘンがいったとするなら
ジミヘンのギターのように言葉を書く、
という言い方があってもいい。

その場合ジミヘンのフレーズが何か、という熟考が要る。
それは即興であると同時に作曲でもあるわけで、
この「作曲」を伴う感じが
自分の現在の改行詩の仕掛けではないかとおもう。

この「作曲」と「意味性の前面化」には
ことばの作物であるかぎりはあまり径庭もない。
だから、音素だけで詩が書かれ
意味が度外視されていると指摘されると憤慨してしまう。

改行は音楽類推上は
4単位程度からなる加算的小節転換にフレーズが載り、
4小節めの終わりに休符以上のゆがみの余韻を入れて
次の小節アタマをシンコペではじめる、
という感じにちかい。

このシンコペはじつはリズム上の問題よりも
意味(の脱臼)のときに出現してくる感覚だったりする。
だから僕の詩も一応「意味詩」だとは
自己判断しているのだけど・・
 
  
 

2009年09月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

その後考えたこと

 
 
早く寝すぎて真夜中に起きてしまう。
ヘッドホンで音楽を聴きながら
その後をいろいろ考えている。



結局、ネット上の評論の問題は
精密性の低下を
数の論理がむしろ支持してしまう、
という点に尽きるかもしれない。

とうぜん低精密性評論にたいしては
同じ対象に取り組んだ者からのチェックが入る。
入るのだが、それはたぶん抽象的なチェック機能の伏在、
そのレベルに終始されることも多く、
結局それでネット空間そのものが精神疾患にかかる。

低精密性評論を支持した者すら
見えない視線からの批判の対象に入ってくるので
全参加者が防衛的になるということだ。

贋評論にかかわった人間が直感的におそれるのは
そうして生じている空間の多層性にたいしてだ。
それでいう、多層性とは
全・平滑的な民主性にもとるではないかと。
これがすべてにわたりPC抑圧となる。

たとえば詩の実作者同士の目配せにより
「わかるひとはわかるよね」という符牒の交わされることが
詩をわからないのに詩の評論に首を突っ込む人間には
これまた恐怖と映る。

ただその人間は二重に間違っている。

まずはこのとき彼自身が評論主体にならず
彼の嫌いな受動性に終始している。
本当は自尊心の肥大した彼が苛立っているのはこの点だろう。
それで「教示」してほしいという甘えさえもたげる。

いっぽう自分が間違った、得手でない領域に
首を突っ込もうとしている点が閑却されている。
価値基準が自分中心だからだ。

「教示」にあるだろう分布の偏奇。
全教育時代がかかげる悪平等主義によって
書かれるものはすべて正しいの評語が、
正しく書かれたものだけが正しいというトートロジーを
「民主的に」駆逐してゆく。

そうなって疎外に陥っているのが結局どの類型なのか
一応は綿密な吟味が必要ともなるだろう。

「データベース」はいまや本来的に空間でない。
それが「隈なく」「拡大している」という事態が
資本が喧伝しているだけの擬制にすぎないと
もはや理解されているからだ。

それは俗情に集中を起こし、
自己愛を相互補強する怠惰な精神の材料にしか
現状なっていない。
空間ではなく装置なのだった。

その証拠にいくら検索しても、
別人の同じ意見が重畳してくるだけで
真の少数意見には出会うことがほぼできない。

少数性を架橋してゆき
多数性をその盲点から切り崩す、批評の本懐にたいし
じっさい批評は「そんな対象は知らない」という無視により
段階的に、かぎりなく圧殺されてゆく。

ということは批評も
もはや「負けない」「屈しない」という
精神性からしか起動しないことにもなる。
その場合「負けない」は「知らしむる」情熱に漸近してゆく。

詩壇に蔓延するネット詩否定は
たぶん俗情が詩作に集中する経緯を恐怖し、
それが自分たちの詩作の特権性に
否定的に跳ね返ってくることの防備意識からだろう。

とうぜん心情的には理解できる面もあるのだが、
そこでは現在の批評が不屈性からしか起動しないという
観測だけが脱落している。

ネットはそれを否定し変化させるためにこそ、
対象として否定されてはならない。

そうなってネットに批評、
つまり少数性同士の架橋が開始されてゆくだろう。
この可能性を圧殺してはならない。
 
 

2009年09月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

なんかスゲエきつい

 
 
なんかスゲエきつい。
--たぶん、こういうことだ。

僕はこのところずっと「映画評論家引退中」で
その理由は90年代、
阪本順治や瀬々敬久や三池崇史など
自分とほぽ同世代の映画監督に着眼、
それで映画の内実が変化するよう
これら「鋭い」監督たちを支持してきたんだけど、
そうした監督の多くが興行的な苦戦をしいられ、
また作風も変ずるにおよび、
自分の批評の無力を感じ、
映画批評からの撤退こそを決意したためだった。

このかん例外的に日本映画にかかわる映画評論集を二冊だし、
作家モノグラフも、映画の時代的傾向分析の著作もそれぞれ出したが
(結果的にはこの時期、
たとえば山根さんより評論実績があったということになる)、
往年の蓮実さんのように映画評論で幸福にはなれなかった・・・

ともあれ、ごめんな、みんな、という感じ。
「鋭く痩せているものこそが90年代のリアルだ」
という自分の予想は
作品レベルでなく商業レベルでは、結果的に虚偽だった。

以来、本当に試写は
知り合い監督・スタッフ・キャスト・プロデューサーから
依頼を受けなければ行かなくなった。
それでもいまも年間、5~10本程度の映画評を仕上げ、
なんらかの媒体に発表しているのが不思議だが。

その後のこと。
たとえば瀬々敬久と詩作者・廿楽順治が同齢だという
確認はわりとうれしかった。
自分の世代の救済される分野として映画が駄目なら
次は詩があるじゃないかという気持になった。

そうそう、「眼高手低」という言葉がある。
批評達成は高いが、実作がいまだし、という意味だ。
好意的に見積もると
僕が詩壇に興味をなくした90年前後は
詩論を積極的にものすることに根性が出た「男性IQ高官時代」で、
しかし彼らがつくりあげる批評バブルにこそ寒気がして、
詩の動向を追うのをやめてしまったきらいがあった。

ところが気づくと2000年に入ってからは
出身学歴とか実際的就業状況(いまどんなアカデミシャンなのか)
といった「詩壇的出世」の呪縛が不況からか消えつつあった。
これには詩作者のうちの女性が
権力中心的ヒエラルキーを溶解してきたおかげという側面もあって、
結果、ゼロ年代は女性ではなく男性にも
「手高眼低」の共通項がみえはじめた。
そう、詩論は不得意だが実作は得手、といった・・・

この状況に狂喜し、詩作者との通信のため
SNSをはじめたようなものだった。
若いひとは男女を問わず生理的に好きだった。
少ない報酬で、教職の末席を穢している僕の、
これは身についた哀しい習いだろう。

それでいうと最近、哀しかったことがいくつかある。
「詩手帖」は今年九月号、
「ゼロ年代詩人」と称される若手の作品特集をやった。
そのなかで早くも「詩人の椅子」に安閑と座り、
モチベーションなしで〆切にあわせて虚無詩を仕上げ
恬淡としている厚顔無恥たちの存在をあらわにしてしまった。

前々世紀以来継続している「詩の危機」にたいして
そこでは出世自覚によるメタボ的楽観が代置されている。
醜く肥ったこのような詩意識を多方面に感じ、
こっちはむしろゲッソリした。
となると趨勢は「眼高手低」に舞い戻ったのか。

それが今朝、結果が出る。
心あるひとは僕の前の前の日記、
そこに続いた延々の書き込み欄を参照にしてほしいが
僕のちょっと年少の世代の批評意識の自己チュー化も昂じ、
批評もまた極度に劣化しだしたらしいのだ。

とくに未知のもの同士を連接して魅惑の地図をつくり、
それを享受者にサーヴィスとして提示するという
批評の本懐が守られなくなった。
平岡正明、草森紳一いずこ。
既視感のあるアイテムが
劣化をけみして自堕落に再提示されるのみで、
ミクシィなどの好意前提、共感パフォーマンス空間では
そのような劣化評論も
「知りませんでした」と軽々と受け入れられてしまう。
そうなっては僕のような元祖しらけ世代には立つ瀬もない。

ということで、暗黒的な眺め、
つまり「眼低手低」という状況が確実になりつつあって、
これでは映画をなげうって詩にシフトした
自分の運命選択も甲斐がない、というものだ。

とりわけ嫌いなのが「気取り」だ。
一般人なら馬鹿しかやらないこの振舞を
何を勘違いするのか多くの「詩人さん」がいつも平気でやる。
世間的にさほど認知されていないひとであっても
ルサンチマンの反転なのかこの気取りが横行してしまう。

気取りは「託宣」をもともなうが、いつも誤謬だらけだ。
たとえば早稲田大学を基盤とする若手歌人に
考古学アイテム・俵万智との共通性を見出し
恬淡としているひとがいた。
このアナロジー指摘にはとうぜん何の意味もない。
そういえばそのひとは、事もあろうに
三村京子を山崎ハコと似ているともいいだすアナロジー狂でもあって、
結局僕はそのひとを中心とするネットサロンが嫌いで
「なにぬねの」というSNSは今日脱会してしまった。

「そのひと」はしかし90年代末期には
目覚しい詩集を自費出版していて、
つまり「たるみ」というのも
じつは個人病ではなく時代共通病であって、
したがっていまの実際は、個人攻撃すら無意味らしいのだ。
そう、「僕をふくめ」、「みんな」が劣化している・・・

この落下傾斜に歯止めがかかるのか、わからない。
そろそろかなり死にたい気分になってはいる。
自分だけ「抜け駆け」するのも倫理感に合わないからだ。
売りつけたいものは売れないし、
幸福になってほしい学生の卒業後の道筋も
険しいことが多い(ただし今年ちょっと好転したが)。
たとえば女房が現在の体調不良が昂じて死んでしまえば
たぶん僕自身の生きる理由すらなくなってしまう・・・

と考え、さすがに危機意識が走った。

ちがう、「眼低手低」を是正するのは自分だ、
啓蒙によって疲弊し、吐血して主体的に死ぬべきなのも自分なのだ。
旧いことばだが、アンガージュマンは
生倫理としていまだ有効なのではないか。

だからこそ僕はふたつのことをしようとも決意したのだった。

ひとつが思潮社からの自分の詩集の出版。
もうひとつが詩の応募サイト「文学極道」で発起人の一人となり、
若い詩作者とのあいだで
「出血的な」詩作サークルをつくりあげる一助となること。
つまり同時にいえばそう、絵に描いたような矛盾撞着の自己実践、
引き裂けるように自分の運命を再配備すること・・・

たぶん後退戦、しかも退路なきそれをしいられているのは事実だろう。
50をすぎて明日が毎日の結果次第という
賭博人生に舞い戻ろうとすらしている。
どうなんだろう、こういうのは「充実」というべきなんだろうか?

もはや加齢で体力は落ちた。
何かしようとすると途端に憂鬱になってしまう。
なのでとりあえずやはり最初の標題を繰り返すことにはなる。

「なんかスゲエきつい」・・・
 
 

2009年09月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

定型論争と改行談義

 
 
昨日夕方は荻窪に古本漁りにいった。久しぶり。
このところネット古書店からの著者検索購入ばっかりで、
その買い方もいやらしくコンサバ化しているが、
やはり「出会い」「即発」の店頭買いのほうが正統だろう、
そんな反省もあって曇天の荻窪に足を伸ばしたのだった。

即座にみつけ購入を決めたのが
前回日記の書き込み欄で孤穴の孤児さんが話題にした
飯島耕一の『定型論争』(風媒社、91年12月)。
このころ僕は「詩手帖」を
特集によってごくわずか拾い読みしていた程度で
じつはこの論争の成り行きをあまり追っておらず、
詩史「常識」をゲットしようと買った。さっきまで読んでいた。

飯島耕一は80年代半ばすぎ、ほぼ「とつぜん」
日記をだらしなく分かち書きしただけのような
当時の現代詩の不定型、「おじや」的趨勢に憤りを感じる。
それで定型化の必要をいい、やがてその定型詩も
七五調的音数律詩ではなくソネット、バラードなど
行数の確定した押韻定型詩だと、考えを深化・具体化させてゆく。

返す刀で伝統的定型詩、短歌と俳句の陣営には
定型性を脱してはどうかと逆提案も提起する。
公平意識からだろう。汲むべき点はある。
だがそれには現代詩陣営、定型伝統詩陣営どちらも乗らず、
飯島の少しヒステリックな声の余韻をのこしつつ
90年一年の盛んな詩作者たちの応酬ののち
以後終息して現代詩史上ほぼかえりみられなくなった論争となった
――そういう総括でいいだろう。

「からあし踏み」にいたる成行は飯島耕一がつくった前提に予めある。
「後知恵」になってしまうが、
最近個人的に80年代詩を吟味してみた経験でいうと、
80年代詩で良かったのはじつは軽さに運動神経を感じる改行詩であって
「麒麟」人脈によるゴチゴチに文学化した、高偏差値詩などではない。

飯島耕一は「日記をだらしなく分かち書きししただけのような詩」を
難詰しているようにみえるが、この論敵は鈴木志郎康だろうか。
ただ僕も不勉強で、70年代の「極私詩」でなく
80年代の鈴木志郎康があまり印象にのこっていない。

ただ鈴木の影響下、登場してきただろう男性の日常詩のうち福間健二のもの、
それとその祖形としてもっと厳しさを帯びた西中行久のものなどは
80年代詩の最良形をしめしていて、けっして「おじや」でないと感じる。
女性詩の改行詩型ならライトヴァースから井坂洋子などの峻厳型まであるが
これらも意図と造形がはっきりしていて「おじや」とちがう。

また当時の男性詩のライトヴァース的なものにも素晴らしい工夫がみられ、
実際は当りが柔らかくても詩的衝撃度のつよいものが多かった。
87年に二詩集を出して詩的爆発をする辻征夫がその最良例だろう。
女性たちはたぶんこの辻の柔らかい運動神経にこそ模範をみる。
辻は女性に人気があった。

その辻は飯島の文によると飯島の定型化提議にやわらかく反発している。
現代口語詩は定型性を手放したやさぐれで、
ならば一回一回、一回性定型をつくりだしそれを消してゆくしかない、と。
改行詩の運びに定型性を感じさせることでは人後に落ちない辻が譲歩し
飯島の偏狭な提案にこのように折衷的色彩を付与したのに
飯島はさらにそれに感情的に噛み付いてしまった。

この後遺症を辻は引き受けてたぶん『俳諧辻詩集』(96)を仕上げ、
同時に詩壇のくだらなさを振り返って詩作放棄宣言をしたのではないか。
辻は詩の達成ののち詩壇をするりと抜けるように急逝してしまった。

とまあ、「おじや」呼ばわりした現代詩(田中宏輔の揶揄が懐かしい)にたいし
本当のところは「おじや」の実質がなかったから
飯島の定型詩提起がまず「からあし踏み」になったのだとおもう。

良い「おじや」の気味合いのあった荒川洋治が飯島を擁護し
別の「文学おじや」だった(しかしこれは煮詰まって焦げていた)松浦●輝が
最も明快な「おじや詩集」である『虹の喜劇』を出した飯島の内心を
精神分析的に忖度するというねじれたご丁寧までやらかす仕儀ともなって、
飯島の激怒をさらに買った。いずれにせよ事態は
複雑に日本的に、ねじれきっていった(いつものことだ)。

一方、飯島があこがれていた定型詩、たとえば俳句にたいし
やがて飯島は物足りなさをも突くようになり、この方面でも眺めが乱れた。
何しろ飯島の俳句擁護の典拠は現在形では盟友加藤郁乎がいるだけ。
ほかはほぼ夏石番矢と当時彼が所属していた「未定」に注意を払うのみで
何かいちじるしく擁護にしてもくさしにしても実例を欠いていた。

土方巽の優位をいうなら
当時は土方に賛辞を惜しまなかった永田耕衣も存命だったし、
後知恵だが、高柳重信人脈なら河原枇杷男だって安井浩司だっていた。
このあたりの俳句の可能性を飯島は一切スルーしている。

また短歌はすでに加藤治郎が牽引しだした「ニューウェーブ」の勃興期で
これまた飯島は着実な対象化を施していない。
そういうレベルでの定型論争だから「から足踏み」の連続になったのだ。
指摘しない「詩人」たちもわるい。

ただ飯島の本の常としてこの『定型論争』にも面白い面がある。
岡井隆との往復書簡企画の結果を受けて、
音数律にこだわらず詩行の幾何学的一定性を顧慮するなら
吉岡実「僧侶」や谷川雁「毛沢東」などは定型性が高いと揚言するし、
となると吉岡『薬玉』も詩のあたらしい定型の提案だったのではと
飯島の論理が展開を深めてゆく
(それと本書に併載されている吉岡の追悼文がすごく良い――
それでいうとこれは飯島自身の文ではないが
冒頭収録の谷川雁の文もすごく良いのだった)。



何か孤立無援の感をふかめてゆく飯島にとって、
詩学的立場からの援軍となったのが九鬼周造『日本詩の押韻』と、
その提起の可能性にさらに踏み込んだ梅本健三『詩法の復権』だった。

僕自身はかつて音数も定めた音韻ソネットをつくった経験から
日本語脚韻詩はがんじがらめの様相を呈するだろうとの実感がある。
じじつ飯島耕一もこの論争の時期、彼のいう押韻詩をつくっているが
その文中の実例をみても冴えない。

理由は西洋詩での脚韻単位は子音と母音の複合した1シラブルであって、
これを日本語一音の共通性のみで模倣しようとしても
共通性の印象が、見た目・聴く耳ともに薄く、押韻とは感じられないのだ。
たとえば別の二行の語尾が動詞過去形の「――た」で揃えられても
それは押韻ではなくたんに反復と感じられるだろうということ。

となって日本語での押韻単位は
往年の塚本邦雄が『水銀伝説』の短歌連作でしたように、
ひらがなで音をとった場合は2マスぶんが必要、
それが無理なら「子音+母音+子音」の一音半まで、とすべきだった。

しかもアクロバティックな注意喚起もいる。
たとえば「根雪」と「小雪」ではなく「根雪」と「道を行き」のように
名詞と動詞活用が同音のときに
しかもそれが行として隣接するときにのみ
日本語ではとりわけ押韻音律の心地よさが印象されるのではないか

(もともと日本語は転倒でなければ一文の語尾に動詞が来ることが多く、
連用形と体言止めを活用してやっと押韻の見栄えが生じるが
それに可聴性を施そうとすればさらに単純化がすすみ
実態は現在のラップのように恥しくなるだろう。
だから日本語詩型での規則性は音数律にまずもとめられ、
その次が頭韻となる
――このようなことを和歌が洗練させたのも常識だろうが、
飯島の立論には塚本邦雄の実験も、この頭韻も出てこない)。

九鬼『日本詩の押韻』を理論的な支柱としたマチネポエティクも
記憶では一音主義、しかも動詞の過去形を並べただけの
「た」押韻で満足したようなところがあって不備を感じた。

ところが僕は飯島の紹介する梅本健三『詩法の復権』が猛烈に読みたい。
飯島が次のように同書の内容を転記したからだ。改行付与し、孫引する。



詩の形式的効果への寄与が、リズムより脚韻の方が軽いと
簡単にいうことはできない。
音として見た場合の詩の結論部分を、
脚韻が担当するからである。
いわば言語音の標識としての目立ち方の度合が、
詩全体に満遍なく行きわたっているリズムよりも、
定められた局部にのみ現れる脚韻の方が
読者の興味を密度濃く引きつけるからである。



「日本語脚韻」の無効というか効力限定性は前言した。
ならばなぜ、この梅本健三の立論に惹かれるのか。

詩の音楽性をいうとき、
日本語詩でのリズムは七五調など全的な覆いでなければ内在律となるが
それらは瞬間的に七五、八六などの音数律を形成しても
一行がそれ以上の音数であれば
それら目覚しい音のパーツも瞬間的に立ち消える音の幻にしかならない。

ところがそれでも継続的な音楽性が印象されるとすると
それは、「定められた局部」が
進行する時間性に打ち込む衝撃によるのではないか。
改行詩が次行に向かう前行最後の折れ部分こそその「局部」で
じつはこの局部には脚韻など共通指標も不要で、
むしろ逆にヴァリアントの豊富さのほうが呼び込まれる。
あとは行末に刻印されるのは、呼吸転換の保証のみなのではないか。
これらは日本語が規則反復をみとめつつも
その平衡意識によって「局部」の単調性を嫌うためだ。

つまり僕は梅本健三の日本語脚韻詩の意義を
単純に日本語の改行詩の意義へと拡張解釈しただけだった。
ただしこれで音楽性を印象させる正しい改行詩に
定型詩意識が温存される理由もわかった。

朗誦に適する正当な散文詩のたたみかけではなく、
現在趨勢となりだした、
小説にも色目をつかう非改行詩のだらしない散文性には
この改行詩の改行瞬間の「局部」のような
ヴァリエーション豊かな呼吸の強調がない。
ただしそれが内側に消えて、みえない改行と感じられるならば
それはもう「非改行詩のだらしない散文性」ではなくなるのだから
音楽性評価の基準もまたこの「局部」探しということになる。
それが詩人某にあるかいなか、これが考えられるべきだ。

となって、書き込み欄への記載であったために見逃されたかもしれない、
前回日記で僕が揚言した「改行詩」の意義を
以下にペーストしてゆく意味もできただろう。



短歌、俳句は歴史的定型です。
七五調新体詩は人為的産物、
押韻もふくめた日本語版十四行詩も同断です。
あの論争〔※定型論争〕はそれ以外の認識に
何か果実をもたらしたのだろうか。

改行詩そのものに定型感があるというのは
たぶんどこか観点がちがいます。
言葉の密度と呼吸(身体性)に
改行詩を定立させる一定性があるのではないかということで、
それは外因的な「決まり」の導入とは無縁だとおもうのですね。
基準は茫漠としている。
詩作者のあいだには微細な偏差も分布するはず。
ただ、その麻のように乱れる眺めが
悪くない、ということです。



分かち書きが、書かれたものを詩らしくみせる形式だと考える
低劣なひとを度外視すると、
改行詩はむしろ「内在的に」選ばれた形式であって、
そこでの行は、意味や息の分量でとりあえず「折れ」、
またその「折れ」が加算されることで
詩の時空が一回的につむがれてゆく。

改行詩が見た目安直な形式だという点にも充分に自覚が及び、
だからそこでは詩作者それぞれの
改行原則と「同時に」改行禁則ができる。
その意識化された過程と結果は、
じつは如実に「読める」のですね。
この程度の読解力がないと詩はやれない。

だから改行詩の改行を
ひとしなみに「無意識の産物」という指摘があれば
それこそ「野蛮」というしかないでしょう。



改行は詩空間の可視化意識とつながっていますが、
それは計算されたデザイン化ではなく、
あくまでも身体的動機でおこなわれる、ということです。
身体は野蛮さを基盤にする(それが詩のあかしです)。



散文形の詩の紙面は
書かれたものが
全部「作者の内側」に帰属する感じがします。

いっぽう改行詩では
詩の一行一行の終わり部分のギザギザが
書かれた詩と世界との「汀」を
はかなく表現しているような気がします。

(一行一行が継続ではなく
「継続の半敗北」だからだろうか)

ま、あくまでも比喩ですがね



詩のおおむねは文で構成されるわけで、
散文形の詩での文の更新も
改行詩での行の更新も
スルッ、スルッ、とでもいった
擬音が聴えそうな場合がある。
こういうのも「運動神経」かなあ。

縁語、倒置、おしゃれ、統一性からの逃避、スカート、
口語使用、列挙、分類上の脱臼、お下品、息延ばし、切・・・
などなど、僕が「運動神経」を感じる要素は
たとえばこのように改行部分(文末)に多々あって
この運動神経はとうぜん散文形の詩にも適用できるけど
やはり改行詩のほうがみえやすい。
身体の勘所、丹田力の籠めどころ。

それと「ときほぐれ」、行がバラバラになって
空間にリボンの舞う感じというのか
そういう動勢が僕の好きな改行詩にはあることがある。
また貞久秀紀さんの詩篇なんて余白をみつめると
それすら豊穣で陶然としてくる・・
あんなに字数が少ないのに

つまりどうあっても空間化の意識が
改行詩のほうがはっきりしていて
これは以前僕がいったことだけど
より「サーヴィス化」にもつうじているわけです。



ともあれ詩の分量は行数でも字数でも測れない。
まさにトートロジーですが「詩の分量」で測るしかない。
となって秤の目盛りが揺れるような仕組が
もっとも改行詩の空間化がうまくいったとき、できあがる。

これが貞久さんの詩篇の最高潮の感じで、
逆に西中行久さんなんかは貞久さん同様「動詞」を意識させながら
こっちはむしろ恬淡に「飛躍を重ねてゆく」。
どちらもアリだとおもう。



さて昨日、荻窪の古本屋に行ったのは、
後期の演習にむけて俳句関連の本を探すためだった。
あまり収穫はなかったが
八木忠栄さんの句集『身体論』(砂子屋書房、08)をゲットする。
この幸運にはホクホクとなった。

八木さんは詩よりも俳句のほうがフィットするとおもう。
どちらもスケベな喧騒を演出するのが上手なのだが、
俳句は破礼と奇想と伝統美の三位一体を招きやすく、
詩篇の懸命感から容易に離れられる、ということだろう。

八木さんの最高秀句をいくつか選び、転記して終わろう。



高くたかく生涯の花投げあげよ



春昼や河馬一〇〇〇頭の河ながれ



八月が棒立ちのまま焦げてゐる



四、五人の男女溶けだす冬座敷



片陰や老婆黒ぐろ排卵す



旱草に忘れものあり犬の舌



野分してなまはげ半島うらがへる



凍る川妻と来てただ石投げる



臓物の位置を正して冬ごもり



夏雲に両手を懸けて逆あがり



羅や色即是空うらがへし



紙風船浜の秋へと突いて出る



山の水汲むとき正面ぜんぶ秋



わがこころわが身に吊るし去年今年


〔※もったいないので、百ページまでの選としました〕
 
 

2009年09月10日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

中断して、ヌードをいれた

 
 
【中断して、ヌードをいれた】
阿部嘉昭


煙草や珈琲の香りがすきで
珈琲殻を敷く通路を校内にももとめた
あたえられた制服のくろさを
色でないものに転化する気持だったのか
でもついえてみれば背丈がのびただけだった
ぼくらの鉄路だってあるくためにあり
ことに夕方にはレールのあいだに
みらいを斜めにみせる珈琲殻がただみえた
あしもとはそれで冷たくゆれたのだ
均衡をとる
みんなのみぎうでがすきとおっていたな

まちかどでくろいものを呑む余裕が
自身くろいものとなるまでの猶予でもあること
そんな言い方もたしかに若さのしるしで
あこがれだって千の顔をもつのではなく
千の顔をもつもの自体がただあこがれだと
みんなが持前の律儀さで言い直していたが
けれどなにのためのげんみつだろう
あんみつずきのきのうがたりのようじゃないか
しっぽはたれていた

いずれにせよ珈琲殻の堆積がせかいにあり
無告であっても退席をしいられないその場所で
みんなの音楽は聴かれ奏でられたが
椅子はけして十以上をならばなかった
だから場所がひかっていた
椅子が椅子であるための前提やなにかを
みんなの尻がずっと敷かずにいたのは
ゆいいつの椅子をピアノまえにしたかったから
公平とはそんなかなしさだとあらかじめ了承して
みんなはいちばん歌のうまいやつの
その歌ではなく その歌の地面を
聴くようにみた
「唄いおわったら珈琲をいかが?」
それだけをどもるようにいいたくて

三々五々さってゆく 明日の授業へだ
臑毛をおがくずていどにはがしてゆけば
みんなのからだも無個性になって
立秋のプールを木材いじょうに小刻みにゆれた
プールだがここが材木座、そんな意見だってでた
性的な秘密としての肌のもくめ
じっとみているとさわりたくなっちゃう
だから水泳後のほてりは
不良を中断して
書物のけんぜんなヌードをいれた
生きるため中断して、ヌードをいれた
まゆみやえつこやるみのひかりを
みんなのくろさと対極する場所
ただの前方に




昨日、古本ネットに注文していた
西中行久さんの往年の詩集が
べつべつの書店から一気にとどく。
『定刻』(手帖社、84)と『動く水』(詩学社、91)。
西中さんの第二詩集と第四詩集にあたる。

第五詩集『街・魚景色』(思潮社、98)が遺作になったのだろうか。
廿楽順治さんが以前「亡くなっているんですか?」と
吃驚していたことがあった。
僕の知識も間接伝聞。
たしか福間健二さんの『詩は生きている』に
その事実が書かれていたのではなかったか。

西中さんの詳しい経歴はわからない。
生年没年だって知らない。
ネットなどで積極的に調べたわけでもないが。

知りうるのは福間さんと同じ岡山を基盤にした地方詩人で、
やがて東京に戻った福間さんとちがい
岡山での暮らしに終始したらしいということ。
そして『動く水』所載詩篇は
福間さん主宰の「ジライヤ」初出が多いということ。
なのでいずれ福間さんには西中さんの詳しい話を聞いてみよう。

ゴタールたちのヌーヴェルヴァーグが
風潮ではなく地上の「音響」だったという
稲川方人のすばらしい断言的評論がかつてあったが、
むろんヌーヴェルヴァーグは思潮的に厳密にいうなら
ヒッチコック=トリュフォー主義だった。

たいして僕はいま自分の向かおうとしている改行詩を
ひとつの「音響」だと考えるとき
それを「西中=貞久主義」としたい誘惑に駆られる。
「西中」が西中行久だとして「貞久」は貞久秀紀だ。

ふたりはとうぜん改行詩の達人中の達人、
しかもその改行も身体性をもちこんでじつに厳しいのだが、
なにか改行切断をかさねることで
「地上の音響」もがしずかにみちあふれてくるのだった。

この感覚こそが今後の全詩篇の回帰すべき場所だし、
詩が詩の愛好者から離反せず、「自閉」にもならず
ただ地上性の証となる要因なのだとも個人的に感じる
(僕は改行詩を短歌俳句のような
定型ジャンルとかんがえたほうがいいともおもいだしている。
そうすれば「詩の散文化」からも超然としていられる)。



ということで未明、届いた西中さんの二詩集に向かった。
それで西中さんの生きていた交換不能の時空が
詩篇ごとに僕の眼前にうかびあがってきた。
それは西中さんの個人性の時空であるとともに普遍性の時空で、
だからこちらも入場は可能なのだった。
ただ銘記しておこう、
入場するうれしさと、はじかれるかなしさ、
本当はともにあるのはそれなのだと。

そういうものを確認して、自分の詩を書きたくなり上を書いた。

では均衡をとるということでもないが、
西中さんの詩篇で泣けてしまったものを
『動く水』から二篇、最後に転記打ちしておこう。
僕の上の詩篇がこっそり影響を受けたものだ。



【蛇口】
西中行久


朝は鏡のなかで軽い
水がほとばしったあと
門を開くと
路地では水漏のような言葉が滴っている
少ない家族
だが どの家も
ピカピカに磨く物をもっていて
辺りは黒光りだ
すぐ動く人になり
触らないでわかってしまう危ない街を走ってしまう
見えない言葉の橋をいくつも渡る
繰り返し何度でも
「ストップモーションは御免だ」
ただそれだけで
何年も掛けるつもりだろう
夜は同じ画像で流れて眠るだろう
言葉に枠をはめて頭を垂れる
あの家の人も いまは
黒光りするほど生きて
水を流しているのだ




【夕焼け】
西中行久


何度でも街を焼き
人を海に沈めたかもしれない
挙げ句のように父は
明日薪を炊くために
背に火を背負って帰ってきた

むかし欠食のままで
薪を背負って歩く姿を学んだ
根は見せないで
突っ張りもなく立っている樹を学んだ
回り回って
いまは流れるように歩くすべを知っている
飾り物の余計なものも覚えてしまった

父が出てゆき
この世の店が閉まったあとも
水脈をたどり
少年は日めくりのように雑誌のページをめくる
母はどこへも伸びそうにない短い足で
もつれた人の糸をほぐすように
編み物のつづきをしていた

そのまま涙も流さないで
景色は焼かれながら
遠くにも近くにもなっていった
 
 

2009年09月08日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

俳句の犬

 
 
この夏の北海道旅行のおり釧路の古本屋で買った
『犬たちの歳時記』(平凡社、01年)という本を最近読んでいる。
寝酒と付き合うように、夜毎ちびりちびり、寝るまでを「呑む」。

著者の笠井俊弥さんは犬にも俳句にも詳しい人で
1925年生の、一部上場企業の重役さん。
文章は平易、いばらない。
もう少し年少ならTBSの鴨下信一さんともつうじる
知的な洒落者タイプとみた。

ともあれこの著者はこの本を書くために生まれた、
とおもうくらい「水を得ている」。
新年から春夏秋冬に章立てされ古今の犬句が紹介されて、
犬のいる地上の季節推移がゆっくり寂かに迫ってくる。
それで一気読みが勿体なく、ちびりちびりと「呑んでいる」わけだ。

僕にとっては犬の必殺句となれば、まず安井浩司の
《犬二匹まひるの夢殿見せあえり》(『阿父学』)だが、
江戸句から現代俳人まで偏奇なく例句を引く笠井さんは
たとえば安井の兄格=加藤郁乎の以下の句を引いている。

元旦や三本足の犬走る

犬川で今日もくらしつちぎれ虹

掲出一句目は郁乎『微句抄』所載。
この句集、郁乎の初学時代の句集成とは
最近、砂子屋書房版の現代俳人文庫3『加藤郁乎句集』を読んで知った。
つまり高柳重信なら『前略十年』、
塚本邦雄なら『透明文法』さらに『初学歴然』にあたるもの。
「元旦や」に話をもどせば俳味は「三本足」の欠落により
力技で持ち寄られている。そこが若さ。だが佳い。

二句目は郁乎『佳気颪』所載。
郁乎は『えくとぷらすま』よりのち、
大冊の句集『江戸桜』にいたるまで地口、名詞の動詞化から
やがて江戸回帰句へといそしみ
その句風もケンカイ孤独になるという一般見解だが、
先述『加藤郁乎句集』の編集がよくしたもので
江戸俳人についての郁乎の論考、『江戸桜』の自註文が入っていて、
それらを参照に難攻不落とおもわれた
『江戸桜』の幾つかの句が解けてゆく。
すると句の奥行きもくっきりとみえてくるのだった。

断じていおう、「江戸回帰」によって「つれなくなった」郁乎句は、
そうおもわせたのがこちらの無教養によるもので
責任は郁乎にはない、と。

二句目から話がそれた。これも同じだ。
初五「犬川で」が難読箇所だろうが、
『犬たちの歳時記』で笠井さんは明快な解説をする。以下。

《「犬の川端歩き」は日常使われた慣用語ですから、
略して「犬川」ともいいました。
あてどもなくウロウロ徘徊する人のことです。》
つまり「犬川で」は恣意による修辞ではない。

この解説があれば郁乎《犬川で今日もくらしつちぎれ虹》、
その句主体の姿がたちどころにわかる。
わかって、「ちぎれ虹」の実像がみえつつ、
それが今度は加藤郁乎の綺語ではないかともおもいはじめる。

『犬たちの歳時記』に引かれた句で陶然としたのは
たとえば中村汀女の以下。
《緑陰やリラと呼ばれて行ける犬》(『汀女句集』)。
やはり「女流」の可憐。すばらしいとおもう。
「リラ」=ライラックの名を犬につける少女趣味が
虚構か否かを考え、却って興趣が尽きなくなる。
葛原妙子の「金森光太」のようなものではないか。

あるいは数多く引かれた一茶の犬句の親密・庶民性にたいし
やはり蕪村、と溜飲を下げたのが『蕪村句集』の以下、
《おのが身を闇より吼〔ほえ〕て夜半の秋》。

これには《丸山氏が黒き犬を画〔ゑがき〕たるに賛せよと望みければ》
の詞書がある。黒犬の絵への賛句というわけだ。
ちなみに「丸山氏」は円山応挙。
詞書と相俟って、犬一個の「宇宙」が顕在化してくる。
これに匹敵する句についてはまたあとに書く。

犬に詳しい笠井氏は、犬についての雑学エピソードを
句の紹介に挟み、紙面がじつに流麗としている。

たとえば江戸時代、長崎から洋犬の輸入があった。
だから巷間では柴犬、甲斐犬、秋田犬、アイヌ犬だけではなく
スパニエルなども移入されていたのだ。

ただし笠井さんは書いていないが、
とうぜん朝顔、金魚などで盛んになった交配熱が
それならばなぜ西洋人の犬にたいしてのように
江戸で開花しなかったかが疑問となる。
たぶん安産神としての犬を
素朴に江戸人が敬愛したからではないだろうか
(ちなみに秋田犬とブルドッグを交配させて土佐犬をつくり
それで闘犬が興行化したのは明治以後のことだ)。

あるいはこの移入犬の話題の枝葉として
江戸俳句に頻出する「水犬」が
いったい現在のどの犬種を指すのか
推理小説のように真相に迫る、コワク的一説もあった。

皮肉屋(シニック)がなぜ犬儒派と呼ばれるのかは
秋元不死男の句《犬儒派や木の芽爆ぜるも耳になし》の紹介とともに
大略、以下のように解説される。

ソクラテスの死後、弟子は幾派かに別れ、そのうち最大のものが、
アンチステネスが率いたキニク(キュニコス)学派だった。
《恬淡無欲な自然生活をよしとし、
文化的生活や見栄を意識的に無視する
「犬の如き生活」を実行する者もいたので、
キニク派、つまり犬儒学派といわれたのです》。
やがてその太祖に、ディオゲネスが陣取ることになる。

そういえば僕の処女評論、『北野武vsビートたけし』では
北野監督の第二作『3-4X10月』が素材とする野球を
無媒介に「犬儒派的価値観のスポーツ」とする断定があった。
そう、犬儒派の由来を書き忘れてしまったのだった。
むろんあの作品の柳ユーレイの顔には「犬の風情」を認めている。

あるいは僕のことでいえば、
造語として何かの詩篇に「Y字架」を書いたことがある。
ところが、「Y字架」が実際日本に存在していたとこの本で知った。
江戸時代、犬の屍骸を埋めた際の墓標がY字架だったのだという。

さて、それではこの『犬たちの歳時記』で「犬の宇宙」に接し、
最も震撼とさせられた句についてしるそう。
有名句かもしれないが(見た憶えがある)、
加藤楸邨に取り組まずにいて意識外に置いていた句を
笠井さんはふたたび僕の前にほおりだした。

天の川後脚を抱き犬ねむる
――楸邨『野哭』

咄嗟に感じるのは元句として
芭蕉《荒海や佐渡によこたふ天河〔あまのがは〕》を
考えていいかどうかという問だろう。

この芭蕉の作が、『奥の細道』随一を争う象徴句なのは言うをまたないが、
市振という越後側の岸から夜、佐渡側を遠望すると
荒海のうえに銀漢(天の川)が映っていた云々の珍奇な解釈まであった。

僕がちかごろ納得したのは、「天河」は
佐渡島が鉱脈として内蔵する金鉱の喩で、
その「金」を「銀(漢)」と言い換え俳味にも通じた、
しかし句は佐渡島、金鉱、銀漢すべてみえぬものを
夜の荒海にみている、というものだ。

銀漢の縦放射、まるで精液をぶちまけたような川状。
ひかりの巨大なるくらさ。
それにたいし遠望の果てに感じられる佐渡島の形状の円形。
つまり芭蕉の句は、川状のものと円状のもの、
このふたつの対照の幾何学的配備によっている。
「対照」と書いたがふたつのものは偉大に溶け合う。

この機微が事もあろうに犬という卑小な生き物を介し現れるのが
加藤楸邨の句《天の川後脚を抱き犬ねむる》ではないか。
「後脚を抱き」の修辞に生じる円形の気配。
そしてそれは自らの尾を噛むウロボロス、
すなわち「はじまり」と「をはり」の一致をすら想起せしめる。

そういえばこのウロボロス型の犬は
「メランコリカー」デューラーが例の細密狂気の筆致で素描していた。
タルコフスキーもその日記に同断の犬を描いていた。
また「メランコリカー」の語を駆使したベンヤミンには
以下の魅力的な断言もある。

観想的な志向の中で本来被造物的なのは憂鬱である。
そしてその力が、思いわずらう創造的精神の態度ばかりではなく
犬のまなざしにも同様に作用していることはつとに知られている。
――『ドイツ悲劇の根源』173頁

最後にまた、自分の話を。
誰も僕のネット句集『馬上』について書いてくれなかったが
そのなかにも幾つか犬の句(無季)がある。
それは実地に確認いただくとして
句集を再生するにあたり割愛した句にはたとえば以下があった。
《世田谷区烏山には犬五千》。

いわゆる「馬鹿句」で、なおかつ宇宙的、という自負があったのだが、
馬鹿句ぎらいの高原耕治さんに
句集に残すとあとあと絶対に後悔する句、と名指しされたものだ。
出来は自分ではよくわからない。
ただ今回は高原師の意見にしたがった。

あ、「銀漢」については一句、自信作がある。
これを最後に転記しておこう。
《躯には銀漢のあと漆食む》。
初出時、柴田千晶さんが「なにぬねの?」で褒めてくれた。
 
 

2009年09月07日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

中断すること

 
 
千石英世さんから水声社刊、
『未完の小島信夫』を寄贈された。
文芸評論家としての千石さんと
小説家の中村邦生さんががっぷり四つに組んで
ひとの小説観の根底をゆるがさずにおかない、
「異様な作家」小島信夫にそれぞれ対い、
また、互いにも対してくれた好著だった。

とはいえ、いつかは読まなきゃとおもいつつ
ずっと僕は小島信夫の門外漢だった。
僕が物心ついて小島『別れる理由』が
「群像」でずっと連載されつづけていて、
「終わらないもの」にたいする恐怖から
手をださずにいたのだ。

それが終わり、単行本化がなると
今度はその物量にあらかじめ辟易した。
これが「第三の新人」中、小島信夫を敬遠した理由。
やがて保坂和志が出て、彼が小島に傾斜するようになって
僕がそこから間接的にふたたび興味をもっても、もう遅い。
今度は小島の主要著作が選択的に入手できるような
出版状況ではなかったのだ。
齧り読みはつらい。それでまた手が伸びなかった。

(某古書店に小島信夫の大量の著作が
かなりの高価だがじつは網羅的に並んでいて、
それを金銭的余裕、時間的余裕から
一挙に入手できるかに自分の人生の、
今後の小説との付き合いがかかっている気もする。
そしてそういう人生の糧は
大学の研究費では買うべきでないとも感じる)

だらだら書く作家、ふにゃふにゃな鵺のような作家、
という系譜があって、僕のなかではそれは
田中小実昌、長谷川四郎だったりする。
じつはカフカの日本的変異、ということなのかもしれない。
となって小島信夫がその最高峰というのも勘でわかる。
そのひとたちのなかでは書くことの基準が
書割型の作家たち(三島が代表だね)と全然異なっているのだ。

保坂の小説を読むと、田中小実昌好きの保坂に
「小島信夫を読むべきだ」と示唆する、
彼の会社員時代の、先輩の同僚がいたとわかる。
そのひとはたぶん僕の上司でもあったSSさんだろう。

某中堅(一流)出版社が70年代、破産法を申請、
社員の三分の二を巷間に吐き出したが、
その後をセゾングループで拾われたひとだ。
セゾングループにはそんな前歴をもつひとが多く
意外に社内での無駄なおしゃべり時間は愉しかった。

僕がそんな会社員の小僧だったころSSさんとは
休み時間にずっと中上健次の話ばかりしていた。
けれどそのころ小島信夫を薦められたら
やはり手をだして熱狂したような気がする。

SSさんは事故死とも自殺ともとれる不思議な死に方をした。
いつものように車で帰宅しながら
「いつもとはちがい」近所の塀にその車が突っ込んだ。
ずっと健康だったという。



『未完の小島信夫』で感銘を受けたところのひとつは、
ロラン・バルトの「エポケー」(判断停止)の考えを引用した
中村邦生さんの文章の一箇所だった。
そのバルトを、改行付与してまず孫引する。
『テクストの快楽』から。



愛する者と一緒にいて、他のことを考える。
そうすると、一番よい考えが浮かぶ。
仕事に必要な着想が一番よく得られる。
テクストについても同様だ。
私が間接的に聞くようなことになれば、
テクストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。
読んでいて、何度も顔を上げ、
他のことに耳を傾けたい気持ちに私がなればいいのだ。



読みの中断。テキストの表面とは別次元に妄想が及ぶこと。
なぜそうなるかといえば、それは対象の立体性に起因するだろう。
逆に考えればいい、世の中の立体性は自身の視差に基づいていて、
となれば対象を立体化する契機が生じたときは
対象と自身がいわば視差を形成しはじめるということだ。
この視差は一種倍音的でもあって、それゆえに
幸福的・増幅的・共鳴的でもある。

じつは創作とは、この読みの中断時に生じた「着想」を、
本を置き、パソコンのキーボードに指を置き換えて
展開することで多くはじまるとおもう。
ただ着想はもやもやしている。
もやもやしているから、書きながら輪郭づけをしたい。
それでこのときの「おもいつき」は
人生時間に自己否定的に入ってくる斜線だから信頼が置ける。

ミクシィで眼にする「おもいつき」は
たとえば一冊の本を読了し、その感想をおもいつきでいう
低次元のものにほぼ終始する気がする。
そこでは導入説明がなされていないし、
要約も大幅にちがっていて、
対象の描写にも愛情が感じられない。
「放言」なのだ。

自分自身の、対象にたいする優位性のみを印象づける感想文。
あるいは裏がとられていないおもいつきだけを書いて
自分の多彩を他人に演出するだけの無内容な作文。
僕はそういうのにすごく苛々し、いつも茶々を入れてしまい
じっさい物議もかもすのだが、
いま上述バルトの文にふたたび接して気づくのは――
ミクシィの文章は「おもいつき」の時制が悪い、ということなのだった。

そう、以下のような二分法が成立するだろう。
読了後のおもいつき=自己糊塗、自らの底上げのための悪心によるもの。
読んでいる最中のおもいつき=単純な創作意欲の萌芽、
しかもそれは世界の真の立体化にかかわる。

あるいはこう綴ってもいい――中断、エポケーのとき
ひとがとりうる表情は大変に心許ないものだろう。
放心、上の空とでもいうべきもので
それらは隙だらけで本質が足りず、それゆえに性的なのだ。
そういう、性的ゆえに赦免される表情がエポケーの表情であって
(昔、松浦寿輝さんがこの表情につき良い文を書いていたなあ)、
だから読みながら人を中断に導いた思念は
それが綴られても、読む者を抑圧しないということになる。

これがあらゆる「書かれるもの」の本質で、
つまり書かれたものはこのかぎりにおいて連接性をももつ。
ところが読後の「おもいつき」はこの連接性をむしろ切り、
対象の価値を自分の側にこそ折り曲げる手前勝手な悪弊なのだ
(むろんこれは僕もやる)。



「エポケー」についての安井浩司の圧倒的な一句。

《キセル火の中止〔エポケ〕を図れる旅人よ》

安井『中止観』という句集の、冒頭の一作。
ほかに《性交や野菊世界を放火しに》
《糸遊にいまはらわたを出しつくす》などの震撼句もみえる。

「中止観」が「摩訶止観」のような仏教語であるか知らない。
ただ世界の進行を、思念を磨くことで一旦「中止」し、
その世界の断面を眼前に視、中止なのにじわじわ時が伸びてゆく、
世界の本質的な融即性をそこに感知すべき「止観」なのはわかる。

それと安井のこのキセルは西脇のパイプから得た倍音だ。
西脇『Ambarvalia』中
「ギリシャ的抒情詩」の第二篇、「カプリの牧人」はこうだった――
《春の朝でも/我がシヽリアのパイプは秋の音がする。/
幾千年の思ひをたどり。》〔全篇〕

むろん安井の提起は、「幾千年の思ひ=永遠」は
一瞬の中止とも釣り合う、という時空の切断にある。
そしてこの時空の切断こそが俳句そのものの立ち姿でもある。



最近、小川三郎さんの日記の書き込み欄で
井川博年のことが話題になり、僕はこの不思議な詩作者を褒めた。
詩の散文化にたいし
これほど豪気な書き手はいないとおもわれるためだ。
その井川さんにも「中断」にまつわる素晴らしい詩篇がある。
『現代詩文庫170・井川博年詩集』から――



【胸の写真】
井川博年


――今日中に仕事を片付けてくれ、
といわれると、
徹夜をしてでもやらなければならない。
なぜなら彼は下請けの仕事をしているからだ。
風邪気味や特に疲れている時などは
我とわが身が情けなくなる、
そんな時、彼は胸のポケットに入れてある
エロ写真にさわるのだ。
他人と会うのがいやな時、彼は写真の姿態を
思い浮かべて勇気をとり戻す。
男と女のからみ合いが彼を生かす。
電話の声を聞いたその時は
彼には特につらい日だった。
家に電話をかけてくると、煙草をつけ、
人影が少なくなった深夜に近いビルの一室で
胸の写真をとり出した。
毎日のように眺めていると、
写真の男女も
見知らぬ人とも思えないのだった。
それを丁寧にちぎると
窓を開け
水銀のような水溜りが拡がっている路上目掛け
少しづつ掌を拡げた。

〔※全篇〕



井川の親友、故・辻征夫はこの詩篇は素晴らしいが、
ドラマチックな結末をつけてしまった最後の四行が
駄目(不要)だという厳しい意見を書いた。
僕もそうおもう。たんに「中断」への思念でよかったのだ。

それと猥写真の「書物としての」存続性という
詩篇に伏在する付帯テーマだって素晴らしいのだから、
とりわけラストが不要だろう。

ただし定職をもたず、苦しい若い日々を過ごした
井川さん自身の姿は労働疎外の実態とともに見事に浮上してくる。

安井のエポケー、井川の中断、ともにそこには
煙草があるとも読者の注意が向かうだろう。

そういえば僕はこのごろ中断が下手になっている。
禁煙に成功したからだ。
たとえば僕の机上はいつもそれまで左右の二面性だった。
向かって右側に本があり、左側に大きな灰皿があって(僕は左利きだ)、
その左右のシフトを入れ替えることが
僕の中断であり、放心だった。
その簡単な作業が禁煙でできなくなったのだ。

そのぶん自分の思念から潤いも減った気がする。
だがあれは潤いではなく単なる煙だったのかもしれない。
 
 

2009年09月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

サイト掲載文書の変更

 
 
自分に厳しくするように
他人にも厳しく、というのを
この夏はモットーにしてきて
さすがにだんだん窮屈になってきた。
友達も減ったかもしれない。
ともあれ自己不信と憂鬱に
今日は陥った。

こんな日は、過去の原稿のチェックに限る。
ずばずば要らぬものが切れるのだ。
それで曖昧に「阿部嘉昭ファンサイト」上に放置してきた
ネット句集ふたつ(ひとつは『草微光』というタイトル)に
自分自身にたいし残酷ともおもえるメスをふるった。

だいたい、僕の詩は俳味と俳句的語衝突、
それに詩行の連句性が売りだとすると
ネット上に愚句が並ぶのは恥辱だ。

見直すと手前勝手で文法すら怪しく
修辞的に意味不明なもの、
俳味を勘違いして厭味なもの、
類句の存在が明らかなもの、
俳句としてあまりに韻律が悪いもの、
詩か歌にすげかえたほうが得策なもの、などなど、
悲惨な出来のものが目白押しだった。

それらの句を樵のように伐採する。
半分程度しか生き残らなかった。
ただしこれなら「阿部承認済の句」として
巷間に一人歩きさせてもよい、という厳選となった。

句集名も新たにつけた。
「馬上」。
馬上を詠み印象的な句が数句あったためだ。

自己評価の裁断を下すとき
往年「なにぬねの?」の仲間たちが
褒めた句などが自然に残った。
やはり自分の良いものは他人にも良い。
そこでは句眼がはっきりしていて、
だから他人に伝わるのだが、
この句眼を詩でいうと「モチベーション」となる。

現在、詩にモチベーションなど要らないと高言する
僕の若い詩友もいるが、
たぶんそれはまちがっている。
僕が自分の句作を削ったように
それらの詩作もそのひとたち自身によって
時が経てば削られるだろう。

モチベーションとはたぶん
「この世で承認されるためのしるし」でもあるのだ。
作品の地上性の証拠、ともいうべきか。

句集をサイトにまとめなおしたついでに、
今度出る詩集の傍らでつくったり
それ以後になした詩篇もまとめた。
これも『みんなを、屋根に。』とタイトルして
「阿部嘉昭ファンサイト」にアップした。

http://abecasio.s23.xrea.com/
どちらも、「未公開原稿など」の欄で読めます。

なお、このサイト工事にともない、
こんど思潮社から出る詩集『頬杖のつきかた』と
内容重複する文書を一挙に割愛した。
『春ノ永遠』『頬杖のつきかた』
『ス/ラッシュ』『フィルムの犬』がそれ。
コピペしようとしていたかたは残念!(笑)



いずれにせよ、今日は不調だった。
サイト工事を夕方おこなうまえは、
読書が進まずにいた。

それで往年
、薔薇十字社から出ていた『西脇順三郎対談集』のうち
石川淳相手のものを暇つぶしに齧り読みする。

例の芭蕉『笈の小文』を
「きゅうのしょうぶん」と訓むべきだと
西脇が石川淳にいい、
石川淳に困惑ののち不穏の敵意が生ずる伝説の対談だ。

西脇は完全に狂っている。
だが狂っていることを凄さと感じ、
石川淳が許す。

僕の読みではそういう経緯なのだが、
ちがう感想をおもちのかたもいるだろう。
意見を聞きたいなあ。

いずれにせよ、西脇を狂わせているのが
例の「東洋・西洋音韻同源説」という曲説だった。
なんという最晩年の無駄、
そこが岡井隆とはちがう。
 
 

2009年09月03日 日記 トラックバック(0) コメント(0)