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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

泣ける曲ふたつ

 
 
あす書こうとおもっていた日記を
時間がふとできたので
今日書きます。



誰にも「泣きツボ」というのがあって、
それはとりわけ歌詞-曲の情動で出てくる場合が多い。

ということでいきなり、
「阿部の泣ける曲ベスト」(日本のみ)

・「花の街」
・「今日の日はさようなら」
・春日八郎「別れの一本杉」
・吉田拓郎「ともだち」
・高田渡「火吹き竹」
・バッファロー・ドーター「くらげのブルース」
・モールス「originalsoundtrackeasylistening」

などかなあ。

コードがおおむね単純で、しかし何かのひっかかりがある。
単純すぎるから、ひっかかりがあるといってもいい
(「花の街」が例外か。
「一本杉」も船村先生独特の節回しがある)。

その意味では井上陽水(忌野清志郎)の「帰れない二人」や
椎名林檎「月に負け犬」は、同じく泣けるんだけど、
きらびやかな綾もあって、ちょっとニュアンスがちがう。

ということでいって、
めちゃくちゃ泣ける(単純泣きツボの)曲が
最近、僕の前にさらに二曲、登場した。

まずはシスター・ポール。
このところ彼らからCDをご恵贈いただいていて
(三村京子のライヴの対バン者として
ペースのススムさんと知遇を得た)、
新譜『夢遊病者の夢Ⅱ』もすごく良いのだけど
3ピース時代の、実に95年のリリースアルバム
『sings songs』も送っていただいて、これをとくに愛聴している。

ビートルズ+パンクといったサウンドで、
しかも後年の彼らのように「虚無的な脱臼」がすでにある。
ユニゾンでも三度和音でもない
「外れた」二重唱の音楽性がここでも実に高いのだ。

ギター、ドラム、ベースの編成で
ギターはジョージ・ハリスンのコンパクト・フレーズが
美学的に歪んだ感じ。
それでもジョージのようにフレーズがやさしく歌う。

ススムさんはベースとヴォーカルだが
ジャケットをみるとドラムは女性のマッキーさんではない。
ススムさんと誰か(男声)とのゆがんだ二重唱なのだった。

そんななかでロックンロール曲でない
アルペジオ・バラード(誰でもわかるコード、
RCの「スローバラード」をイメージしてほしい)があって、
ここでもその手の二重唱がつらぬかれ、
この歌唱がススムさんを中心に
強烈にボロく、調子はずれで、哀しくて泣ける。
バラード歌唱の最高峰といっていいくらいだ
(最後に入る口笛も泣ける)。

すべてがゆっくり流れる電流のよう
(それでバッファロー・ドーターの
「くらげのブルース」とも親近性がある)。

その曲名、「犬よ」という。
この歌詞を重複部分を省き転記させてもらおう
(ただし表記基準は恣意)。



【犬よ】

犬よ ぼくにはきょう
かなしいことがあったんだ
犬よ ゆうぐれのさんぽに
いっしょにいこうじゃないか

みぎてにビニールぶくろ
ひだりてにはスコップをもって
あとしまつならぼくにまかせろ
しんぱいはいらない

犬よ おまえはしらんぷりだね
犬よ ぼくのにおいをかぐな
犬よ ぼくにはかなしいことがあったんだ

土手ぞいの道 はるかなそらのむこう
ぼくのこころの かなしみがきえていくようだ

犬よ おまえはしらんぷりだね
犬よ ぼくにしっぽをふるな
犬よ ぼくにはかなしいことがあったんだ



もう一曲はススムさんとの出会いの機縁となった三村京子のもの。
最近彼女は来月の録音に向けて
既存曲のほか、いくつかの新曲も固めていて、
そこでシンプルな曲もほしい、ということになり
ベースの船戸博史さんが一曲を作曲した。
ならばと、僕も久々に三村さんのために
シンプルな曲を作曲した。

コードはこれも簡単。
C→D7→F→Fm→Cといった感じではじまり、
一箇所だけ意外性のE♭がくるだけ。

いつもと逆でこれに三村さんが歌詞をつけた
(ほんの少しだけ僕が補作詞した)。
できあがったデモ音源は
ビートルズ「ディア・プルーデンス」と「ジュリア」を意識した
シンプルギター。

ヴォーカルはダブルで録音されていて、
ここでも微妙に声がゆれている。
それもやたら泣ける。
ユニゾンにして一人二重唱なのだった。

これは曲名が「夜に消える」。
歌詞転記して、この日記を終わろう。



【夜に消える】

遊びに疲れ
帰ってゆく みんな
宴のあとに
のこったのはわたし

屋上で星を見よう
夜が明けるまえに
ねえ一緒に透〔と〕けよう

魔法が解けず
わたしたちは遊んだ
すべてを忘れ
きりぎりすになるまで

この道は燃えている
夜が明けるまえに
少しずつ消える



シンプリシティって素晴らしい♪
 
 

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2010年01月26日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

ある日の一月二十五日

 
 
【ある日の一月二十五日】


(木立を越えるはずのバスが
枯れ木立を縫いはじめてしまう
刺繍はこのように突然やってくる
むろんけいるいを減らすためだ
視界のかわるそのなかでは
架橋の数をかぞえてゆく
(石はまだ体内にあるというが
石についての考えは
厳密でなければならないだろう
石でできた手以上の問題は
石から出はじめる手だ
そいつらに内側からつかまれて
布教がいま潜在的になっている
(離人が思考として石を拾う
離人が雲ひとつない午前の空を昇り
地上を思い出になるよう焚く
だれのなつかしい正中線
ゆびでたどろうにもここが
非自傷的に割れている
多血質の犬なんていない
少血質の装飾ばかりだよ
犬を割ってみな
亀が出てくるから
(わいだんづたいに降りてくる
黒の下降そのもの
公園にいて鳥の着地ぱたーんを
分類しようと
買い物袋も手放してしまう
せいしんの瑠璃がこぼれる
ろうぜきの近親が現れる
ディスチミア親和型、死ね
(にくたいももちよったのだ
風のふきだまりで
おわりをまこうとして
きえるためのわずかをもちよったのだ
おおかみのにおいがしてくさい
おおかみのにおいがしてくさい
そのくさいがうずみびをたべ
暦もめちゃくちゃになってゆく
せいけい大学のなかをあるく
 
 

2010年01月25日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

またまたネット詩談義

 
 
昨日は廿楽さんから依頼された
詩誌「ガーネット」のための原稿を書いていた。
既報のように「ここ20年の現代詩の意義」が論題。
例のごとく規定枚数の倍を午前中に仕上げてしまう。
原稿掲載自体はいま編集人の高階さんのもとで
ペンディングの扱いをうけているとおもう。

「詩手帖」一月号での佐々木敦による
安川奈緒インタビューを議論の導入とした。
それで原稿の趣旨とは関係がないのだが、
安川さんの物言いで気になるところがあった。
「ネット詩」否定の論及がそれだ。

詳しく引用する気はないが趣旨は以下のことだ。

詩篇の発表には葛藤や自己査定が必要で
おもいついたらアップできるネット詩は
発表形態そのものが安直すぎる。
ましてや紙媒体では編集人の同意や盛り立てがあり、
しかもそれはデザイナーや印刷業者の
理想的な増幅を経由し
時差をもって慎重に実現を見る。
この過程を略すことは詩作への冒涜だ、云々。

稲川方人が最近ずっと語っているネット詩否定の論調、
その稚拙な模倣にすぎない論旨。
安川奈緒ともあろう者が
アンテナの精度は大丈夫かとおもわず半畳を入れたくなってしまう
(しかもこれは「詩手帖」年鑑号巻頭鼎談での松浦寿輝の論法でもある----
詩作者という、論法に繊細であるべき人種に
「認識誤謬」がみっともなく再生産されていることになる)。

論旨は四重の意味で間違っている。整理したい。

1.
詩篇の公表性の成立に
印刷業者まで持ち出すのなら
郵送や書店流通、あるいは郵便業者を持ち出さないのは
論理的には不充分

2.
「ネット詩はすべて悪い」という偏見に乗った
議論である点は明らか。
「おばさん詩」に「女性詩」を代表させて
その趨勢が偏奇に語られているにひとしい

3.
その場合、「出来の良い」ネット詩では
自己編集と決意によって
やはり慎重な自己査定を経由して
詩篇が発表されている。
詩作者の「孤立」を語る議論が蔓延するなか
「孤立」の原型性は
詩誌編集者のサポートを受ける紙媒体詩篇よりも
ネット詩作者のほうが高い

4.
現代詩作者が当然の前提にしていることは
吉本隆明がしめした「修辞的現在」だろうが、
それは個々の現代詩の偏差が
主題ではなくたんに修辞となった
スーパーフラットな現在時をしめしていた。
この論法から、古今東西の詩も機会的には無差異となり
ハイカルチャー、サブカルチャーの「詩的なもの」も
散文的な同列状態で受け取られる状況の熾烈さが出来した。
この「修辞的現在」の原義からいえば
詩壇詩とネット詩もかぎりなく同列であるであるはずなのに
なぜ詩壇詩の優位性だけが信奉的に担保されてしまうのか。

それは「すでに詩壇にある者」の
既得権益誘導にすぎないとみなされるだろう。
「詩人」の特権意識というやつ。
ただ「詩人」の優位性が破産したというのも
すでに瀬尾育生が90年代初頭の時点で展開した議論だった。

ネット詩否定者は、「一様視界」の罹患者だ。
「現代詩すべてが難解で自己中心的」
「女性詩すべてに差異がない」(これにはいつも女性作者が怒るだろうな、
この暴言はかつて91年末の「詩手帖」年鑑号鼎談で稲川方人が吐いた)
というのと同じレベルで
「ネット詩すべてが垂れ流しでだらしない」と捉える。
なんたる認識の怠惰だろう。
「面白いものだけが面白い」というのは
批評が最も展開しやすい立脚なのに、
詩壇詩にはそれがあってもネット詩への視界ではそれがない。

なにより「ネット詩一般」以上に具体語が出てこないのだ。
「文学極道」でも「現代詩フォーラム」でも「詩人たちの島」でも
「阿部嘉昭のブログ ENGINE EYE」でも
「廿楽順治の改行道中」でも「六本木詩人会」でも
対象を具体化して批判をするネット詩否定者などみたことがない。

ネット詩批判で唯一、批判が効力をもつ言い方があるだろう。
ネットは多産が導かれる媒体なのに
詩篇のアップ頻度が低い、という言い方だ。
ただしそれは多く「詩人意識」をもつ者たちの
「出し惜しみ」によることが多い。

加えて、たとえば「文学極道」ならば
垂れ流し的に詩篇がアップされることを警戒し
投稿には月二度までの枠組みが設けられてもいる。
活発に同人誌活動をする自称「詩人さん」より
詩篇公表の機会は実は限定的なのではないか



昨日はともあれ原稿を仕上げたのち
前田英樹さんから恵贈された
『深さ、記号』(書肆山田)を読み始めた



(追記)

ネット詩を注意深く見守る者にとって
ネット空間で発表される詩には
実質的な禁則が付帯していると気づくだろう。

まず字のびっしりつまった散文詩は読まれない。
あるいは複雑な字下げ等を駆使して
レイアウト感覚に富ませようとする詩篇も
ひらがな等をその感覚的な横幅によって
面積分割したパソコン画面のありようによって
(そこではアルファベットにたいする思想が援用されている)
一字分スペースが現象的にファジーになることを通じて
断念せざるをえなくなる。

詩篇は横書きで書かれ、
縦書き効果を目論む詩篇の構想も断念せざるをえない。
むろんこれらは余程のレイアウト設定を施せば
突破できる難関でもあるのだが。

あるいは書冊のかたちをとれない、という指摘は別にして
ネット詩は紙に載った言葉の物質性を体現できないという言い方もある。
けれどもこれは議論の前提が誤っている。
ネット詩では詩は紙媒体の上の字のような物質性ではなく、
ペーストも印刷も可能な、転用を予定された「情報」として書かれている。

とうぜん利便性も確保されていて、
気に入った詩篇を利用者が好きな字体・字の大きさで
紙に印刷することまでは妨げられていない。
だから書冊へはともかくネット詩の内容は無限に紙の上にも乗せられる。

だがそれらをいう前に「所与」ということが考えられなければならない。
文字がどう書かれるかは
時代に応じた感性共通性を産業によって規定されていて、
無駄ではなく端的な情報を書かれることを
資本はよし、としたのだった。
ネット上の書式はその誘導のもとに規定されていて、
だからこの点でネット詩を否定する論法ならありうる。
あるいは、字のつまった散文詩を書きたいから
ネットへの発表を詩作者が控える、という選択も至当だ。

だが「すでにあるもの」はなかなか否定できない。
所与を否定するのはいつも大掛かりで、
そこでは自己否定的なエネルギーも必要とされる。

たとえば経験のある者は理解できるとおもうが、
何かの要請からテレビ取材が自分に入ったとする。
しかもその取材方針が取材対象にとって善だったとする。
すると人はテレビ用の語法を操り、
同時にテレビ用の顔をせざるをえない。

そうしなければテレビを否定するだけでなく、
テレビとともにある自分までもが
自分自身によって否まれてしまうためだ。

同意とは現在にあって
このように雁字搦めに当事者のレベルに降りてくる。
世界否定をおこないにくいという静かな諦念の位相を
この場合、「地上的」と総括してもいいとおもう。
むろん詩もとうぜんに「地上」からは離れがたい。

だからネット詩の否定は
たとえばテレビを一切みない、というような
生活選択の強固さの水準まで行けば本物となる。

ただそこには承認しにくい逆説が身構えている。
たとえばテレビの否定はテレビを知悉したのちにしかない、
という倫理的階梯を必要としている。

ネット詩否定者がネットに一旦は惑溺したという話は寡聞にして知らない。
それよりも実情は
ネットと中庸に付き合う者がネット詩の発表を愉しんでいる例が多いのではないか。

つまり「ネット詩否定」とは地上性を度外視したその極端さによってこそ
警戒すべき意見なのだということだ
 
 


(追記2)

もうひとつ。

詩の実質をたとえば以下のように考える。

ある「語」の、意味を中心にした当該性を温存しつつ
そうした「語」群を連鎖的に組成してゆく過程で
意外性などを論脈に加え
しかも音韻・語調などを整備することで
「語」の潜在的力動そのものを
さらに物質的に裸にしてゆくことが詩だとする。

語のエロス、愛、論理性を詩文脈によって
再回収する思考的な試みこそが詩で
それが世界肯定に緊密に結びついているともする。

そう考えたとき、ネット詩は
こうした詩の本質をなんら阻害するものではない。
ネット詩否定はあくまでも発表形態にかかわる容喙であって
詩の温存・可変にかかわる力の発揮ではないからだ。

ところがそんな原理的な分割を
感情的な問題なのだろうか「詩人」たちは度外視してしまう。

安川奈緒のいうように
金属板に鉄筆で詩篇を書こうとする物理的困難によってこそ
詩作衝動の本質が試される、
たとえばそのような条件を課されたとき
ネット発表の安寧さに慣れたネット詩作者は
詩作の現場からあっさり撤退するだろう
という言い方はまったく論理的でない。
感情的だ。

それは詩の反映される基底(材質)が
詩作機会にとって恣意的であるという見解提示にしかすぎず、
詩篇が金属板に彫られるなら
同等に波の打ち寄せる砂浜にも書かれ、
むろん紙にも書かれ、
ひいてはパソコンのキーボードでも打たれるにすぎないという
当然の見解回転を付帯的に呼び出すだけだ。
論理は薮蛇を踏んでいる。

しかし「金属板」という事大主義的提示に注意しよう。
これまた例示が極端なのだ。
ネットの首をくびるには
強固なものを持ち出せば簡単だという予期も透けてみえるが、
ネットは前言したようにまったく脆弱ではない。
それは「たんなる」「所与」なのだから
本質的には対象化の困難なものだとしたほうがいい
 


(追記3)

ネット詩の問題というのは
資本主義的所与に
認識論が抗えるのかという自問を
その根っこに置いています。
多くのネット詩に嫌悪を感じたとして
その否定だけを言い募るのではなく
そうであれば資本主義否定が
くっきりと論理化されねばならない。

資本主義と民主主義が不当に重複したため
歴史と国家にねじれが生じたとはジジェクの謂ですが、
民主主義はまず「一定教育があれば
誰でも物を書けます」という擬制をつくった。

それでたとえば被害をこうむったのは
「誰でも書ける」と安直におもわれることの多い
映画評論でした。
その擬制は当然、ネットという「民主的」媒体で
力が増幅される。

結果、見た目には「悪貨が良貨を駆逐した」
という印象となったはずです。
映画評論はゼロ年代に壊滅的になった。
それは僕が個別の映画評(ずいぶん書く頻度が減った)で
「誰にも書けないもの」をいくら仕上げようと
本質的に図式を変えることがない。
それでまあ、僕は映画批評家を引退中なわけです。

いまやドゥルーズ『シネマ』にあたるものを
自分の映画評論に妄想するしか
積極的に映画評論には関与できないかもしれない。
紙媒体では画期的な著作だけが望まれているはずなのです、
このネット環境の蔓延にたいしては

「誰にも書ける」ものではなく
「その当人しか書けない」個別性のつよいものとして
誰もが指を屈するのが詩でしょう。
ところがこれまた「民主性」によって表現者特権が崩れて
詩はたしかに悪貨の状態でネット環境に蔓延してくる。

けれども資本主義の所与性脱色が不可能にちかいのとは別に
こちらでは倫理的対応が要る。
つまり悪貨が良貨を駆逐しているという状況下、
「良貨」の自覚のあるものはそれを今度は「所与」とし
自作を継続させる、という倫理的な振舞いに
でなければならないのではないか。

ネットの資本主義性は対象化が難しい。
ネットの民主主義性にたいしては
必敗の闘いを詩作を通じて敢行することが倫理となる。

僕の言い方は奇矯に響くかもしれないけど、
「詩は万人によって書かれなければならない」
というデュカスの揚言を
僕はいまだに信じているところがあります。
ロマンチックにではなく、
それは倫理的に信じているのだけれども
 
 

2010年01月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ラジオデイズ

 
 
【ラジオデイズ】


もちあげた甕から
永遠の水をかたむけるような
きゅうくつなすがたで
らじおをかかえ聴いている
家人にはひみつの体操
気がつくと耳もこめかみから離れる
そうして「片方」がかくほされ
膝立ちの身がはすかいになる
閂がとれてぐらぐらする
わたしはときに涯がみあたらず
滝をおもって自分を搾りだす
あすをけがしているのかもしれない
みずからを聴こうとして
うらぎられるなまずの毎日を
まよなかに一度だけためすのだ
掟もそれだけの門だから
風がはだえにつくる紋をただひろげる
闇なのでうろこなしのつるりだろう
葉擦れが森にもあるようだが
聴こえない和音はわるい和音だ
そんなとぎれとぎれのものを
橋にみたてわらってしまう
こがらしが調子をだす
わぐねるのけいれん
まいすのおうと
いましも火吹き竹の擬音が
もれてくるなんてつきすぎか
わたしはきたるもののため
湯をわかすさみしさ
耳の中かすかに沸騰し
黒いひかりあふれる
 
 

2010年01月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

冬の牡丹

 
 
【冬の牡丹】


幼年は綿菓子で
口のまわりがかぶれていたとおもう
さみしさと不細工が似ていた
とおさを近しいとする感覚から
花のなかへからだを
見せびらかしにいって
全身が腕になり
先端にはかなしい手水も得たのだ
ひかりと水のおりなすものを
ひそかな濡れとまとった
やがてはじぶんだけの溜息をだした
とおさならいまも鳥の飛翔の円形
しかしかわせみは沼にこない
日本にない瑠璃いろをもつ
その三羽の恩寵はこない
これを隠すためのいまの口髭なのだろうか
ともあれ旧くなっては同齢の人為に
ていもなく折り返され雫がでてしまう
幼年からの液体だろう
皺の入っている声が倍音だけ響いて
こどものような呻きに聴えたはず
冬、ともにあることがすでに
空間をあるくようなもの
はりめぐらされている鏡のなかに
じぶんの別角度を散文的にみいだす
そういう状態こそずっとつづくおそれ
それで退屈が魔のならいだとして
平板なくりかえしをただ避けようと
起伏の抽象のみうつくしい詩文を
むねのたなに温存していたのでもないか
バスはひかりをはらんで
ひとりの乗客のいなくなることは
われわれ全体がなくなるということ
病院見舞いだったかもしれない
この点から感慨の真相も生ずる
つまり冬の牡丹はほんとうは
去年の春にさいていたはずの花を
冷蔵庫に入れ 開きを遅らせたもの
大事にされたのち移植されたというが
真冬の点景づくりだとしても
その一身の錯綜がたたえられるだけだろう
おまけに牡丹は黄の花が劣性だそうで
その色の花はみなうなだれてしまうらしい
なんたる日本、冷蔵庫が遅延製造機になるとして
それは地上にどう分布しているのだろう
冬眠がつくばにあるのはたしかだ
ただ「われわれの先輩」時とはことなり
自然交配にまかせた牡丹からは
げんみつな交配系図もきえたのだという
いよいよかなしくなって
小貝川、利根川、江戸川、荒川
大仏もみずに牛久からまいもどり
ゆうやけだんだんは異変的に人がごった返す
手に案内をもつ者も多い
だれもいない関東平野からのこの差異
かたむきの分布そのものが冷蔵庫だから
ひとの雫も凍りついて谷中が膠着している
牡丹園中よりも歩行がぎざぎさになって
ひとのなかにからだの枝を
見せびらかしにゆくいとなみは
数本の枝が鏡のなかで折れている
いつまでの幼年試練だ
じぶんたちだけが水滴をみせていると
ただおそれている
往年は水運の松戸
とおってきた川の記憶も
平野に縞なした心の傷
そのとぼしさが
おんなたちの米にかくされた
牡丹の行き来でもあったのだろうか
おもうてくびは
むしろあかるい
 
 

2010年01月18日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

羊歯系

 
 
【羊歯系】


めろんこりぃで
口中の時計がズタズタだ
望遠をかじろうとして
めろんをほおばり
視野も多海島の光、になった。
先端者の日記
いやらしい乳輪の要件ならばと
粘膜面積と動物性をおもい
演算を省略したのが祟った。
遅れが早すぎるのだ
ぬくい冬壁に
もたれかかっているあらわれ、
てもとにかげをつくって
轢死的には母五人
ゆびのかずだった
時計を吊ろうとして
多島海の航路が折れるから
海賊もうまれる。
しずかにさわがしく
まいど串打ちのような食事
追憶がきらいでスープも飲まず
うみがめのうみがめといって
そんなに甲羅をおもうだろうか箱庭。
つづくものがつづいていて
あさのテーブルのみどりだらけ
めろんの眼をしてうろん
そうろんとしては
したたる哀悲はぶりきなどでなく
騎乗なしのばりきだろう。
めろんのなかの時計も
とりわけねじがにがにがだ
鞭撻されてゆく、
歯の裏が羊歯のようにいたい
すうにんのわたし海賊へと
 
 

2010年01月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

観光

 
 
【観光】


からだでアルファベットをつくるか
体内にアルファベットをつくるか
ふたつの命題にあっては後者だ
わたしは他人の心情を類推しない
たとえばある種の昆虫に色彩がみえるのは
それらへ目立とうとする花の色からしてあきらかだが
それで虫の視界が理解できるわけでもない
多数のなかの窪地を色としてみているんじゃないか
ならば幼虫はどうかとかんがえる
その退化している瞳でよりも
体表から取り込んだ光のほうを
けむしは自分の組成とともにみているはずで
世界をみるためには
そのように自分の介在をみるしかないのだ
とりわけ器官ではなくただ液体のみを内包する日にあっては

わたしも骨で自身を支えていないし
肉で自身を包んでもいない
遠い日にはよく路上の端にこぼれているし
自らaと語ろうとしてXと言い返す眼差しをもとめている
世界の実質の窪地がそういうことではっきりとする
あるいはこういう世界観――接合部だけをみようとする視線も
やがて接合部が影によってこそ接合されていると知る
だから胸のまえで結んだふたつの手が
たとえ祈りを表象しようと
何か昆虫的には花、と観じられるのだ(性的接合も同断)
aの声とXの声の合間をみつめられるように話す女のすばらしさ
人為の問題はそれだけだろう流線型になるな
そのようにひとは書物化する(めくられる、)
そういう女にM字開脚をしいると
ただ極点には寺院だけがみえてしまうということだ

臍などのあなたの窪地を愛そうとする
わたしの観光はおかしいのかもしれない
もっというとわれわれの観光が論理的でないのかもしれない
寺をこぼして宮殿の階段をすぎたりする
風のなかだけに日没をみたりもする
あとは山海の珍味をみおろそうとする
この「われわれ」の発語はやはり最終的だろう
そう語れば読み手のすべてを追い詰めることができるのだから
けれど寓意者は自分と禽獣をあわせ
たんに「われわれ」を自称したりもする
(類と孤独のどちらが先行しているのか、)
だからわたしかひかりのどちらかを
Mよ、wと呼んでほしいのだ
とりわけロメールが死んだこの日付などには
 
 

2010年01月12日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

一月五日、各駅停車で帰る

 
 
【一月五日、各駅停車で帰る】


左手がやがて
ものをつかめなくなる身体予感があって
会うひとごとから瑠璃や勾玉を
この左手にもらいうけようとしたのだけれど
すでに座ってあるわたしには
車中の廊下は列車の走りとは別次元
百代の往来になりかわってしまっていて
駅ごとにある出入りもみんな、はかなかった
左手は見たものを数える帰結にもなりはしなかった
川沿いの遡行だから
これも見知ってきた映画のつづきだろう
弾丸は銀、いつでも黄金の近似値
眼が近似値の加算によって敗亡してゆく
(女のようなものを、女にふくめすぎたのだ
記念時計のようにねむくなってもゆく
脳髄は残余の十時を指している
奈良井宿あたりまで雪はこの世の色を消して
車窓光景が段階的な盲目装置だと観ずる
(じっさい中津川過ぎに下界は夕暮のように掻き曇った
雪のなかでしとやかに雪を売る店をつうじ
再帰性をまっとうしようとして滅亡する道筋も
日本的にはいくつか見えていた
けれどそこに虹のような売り子を感じ
雪空をみあげるその身体の一点によって
廃墟が視の主体か対象かもはっきりしなくなってゆく
新しい布置の鉛直化がそうして旧さの図式を帯びた
そのそば、隧道に入る直前の斜面でこそ
わたしを見る意識から鹿が下りようとしている
それでおそろしいことも憶いだした
この世の形式とはディアの走りを斜線に凌駕して
より多数をハントすることにしかない
弧状の逃走(の自由)を視線の線形で集約する一望が
自由の謀略としてわたしに置かれているとすれば
関節痛にあえぐ身はなおさら視の暴騰なのだ
わたしは白い布以上に座席に広がっている
きのう米原からの座席にすわっていた少女なら
わたしの生徒に似て横顔がふつうでなかった
顎がちいさいから紅を塗らない唇の粘膜がめだつ
はかないものだけを目立たせるその無防備さによって
彼女のしているケータイメールが内部緊密性をもつとも予測できる
手許の内裏を、見下ろす井戸にして
その躯が見た目の二重形式を厭わないのが現代だろう
なぜからだがくっきりとした一個を描かないのか
とどまっているのに動く鹿のようじゃないか
時間が流れた
末尾に九のつく年号の象徴性ということはある
六九年にわたしは最初の吐き気をおぼえ
七九年にわたしはすでに援交の誘いを受けた
深夜の下北沢駅前、見知らぬ女子大生が
おカネをくれたら自分の下宿につれってってあげると
たしかにいった 三千円はらった
当時は煙草を吸う種族がまだ存続していて
ヤニまみれのくちづけと深いペッティングをした記憶がある
あるいは当時、黄炳という不吉な丈夫が銀幕にいて
フィルムの運動を厭な黄いろに肥らせ
黄禍と洪水を図太く復讐物語にもたらした
類似作までが馬糞のにおいで炎上し
商道とは焔の輪の輪だった
アジア映画の最初の侵攻にはそんな悪面もあって
混成軍の倭寇が福建で敗走した物語がそれで帳尻を得た
いずれももうからだが一個でない時代の帰結だ
(わたしとは外形以上に軌跡なのだった、
八九年にわたしは弧のかたちの逃亡を視線で串刺しにし
帰還後を自覚しながら往年のディアハンターの男のように
表面は黄金の愛で人妻を暗く支配して
彼女の運転するクルマで相模原のロードサイドを知悉していった
車内を煙幕にする曇り空の日々だった
九九年は七の月に大王と密談し黒い球を磨いていた
あたらしい刀剣の必要を感じていたが
相手がすべて非喫煙者となって性愛は害毒を流す姿に変貌した
〇九年はそうしたことの落とし前に自身を縮約した
みんなディアだった、わたしもついに風前のディアになり
抒情がともあれ情を抒べることならば
一望が一望性によって確定させる暴挙をあからさまにしただけだ
(見られるものを見るものに、これも詩の形式では抒情にふくまれるだろう、
けれどいまは列車のなか
しかも車窓の真横という溶ける位置にいて
移動する箱の限界をも感覚に負わされ
近い視界も近い未来もじっさいは
ろうかんの土産物のように
味気ないと知りはじめた
狩り尽くせなさを狩り尽くし
ならばあといくつなんだ
塩尻にむかって雪というか外界が黄いろくなりだす
崖で失意のディアが蹄から溶けてゆくように
車窓まえに置いたわたしの左腕が
黄いろく蒸発してゆく
いつでも帰還後だとして
どうしてすべてがこんなに
まばゆいのだろう
列車はひかりの筒で
走ることをすでに自身に貫き刺しているので
乗客までもが盃を傾けたように
ディアとなり流れてゆく
対象世界を対象として

  

2010年01月08日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

元旦から絶不調

 
 
去年暮れの結石発作→救急車、という流れが
ずっと祟っている。
何しろいつ発作があるかわからないので、
女房は僕を一人にできない、といい、
結局暮れと正月は
女房の実家でのおせちづくりに同行。

その実家がマンションではなく木造の一軒家なのでえらく寒い。
おかげで、正月早々、女房→僕の順番で
風邪をひいてしまった。

難はまだまだ続く。
結石発作がなければ本当は元旦直後の
出雲旅行を企てていたのだったが
これをキャンセル。
となって帰省ラッシュで
電車も飛行機も、大枚をふるまわなければ
帰りの切符がとれない。

それで例のごとくJR各駅停車+快速乗り放題の
「青春18切符」(このネーミングなんとかならんか)で
途中名古屋に一泊してゆるゆる帰ることにした。

大阪→米原→大垣→名古屋(一日目)

名古屋→中津川→塩尻→甲府→高尾(二日目=昨日)

米原あたりから雪景色。
車窓の景色はたしかに胸を打つのだが、
新幹線・米原から
大垣・岐阜方面にむかう乗客でごった返して
僕は通路に立ったまま。
ここで風邪による関節痛がきて
眼が霞むほどにしんどい。
熱は風邪薬で無理やり下げていたのだが
この関節痛だけはままならなかった。
肩、肋骨、横隔膜・・・

翌日の電車旅行は念願の木曽路の中央本線。
森厳な雪景色が続きこれまた鉄男(旅行派)としては
うれしいかぎりなのだが
感覚の芯がふらついて
流れ行く車窓風景を薄目をあけた夢見心地で眺めるのみ。

ともあれこの二日間の強行日程で
昨日はふらふらになりながらやっと家に帰ったという趣だった。

女房の実家は本を読むのに適していない。
本を読める静かな場所はひたすら寒い。
また借りられるノートパソコンも
応接間のテーブルのうえにあって
mixiを覗くことはできるが
日記を書く気分にはならない。

風邪の兆候が出て寝床生活をしいられてから
女房の実家では
風邪薬で冴えなくなった頭で読書に入った。
それでも疲れてすぐ寝てしまう。

読んだのは実験的=文学的といわれる日本の新進小説家たち----
磯崎憲一郎、青木淳悟、福永信。
磯崎の飛躍の多い詩的叙事文体(『肝心の子供』)については
ほとんど良質の詩集を読むように接したとおもう。

青木『四十日と四十夜のメルヘン』の標題作は
どうでもよいトリビアルな記述が日記形式でつづき、
しかも日記が同一の日付を反復し
トリビアが暴力のようにふくらんでくる。
そうして気づく、この小説には中心がない、と。
実験作として面白かったが、
併載小説のほうは体調が祟ったか、まったく乗れなかった。

福永の小説は、クリシェを撒き散らしながら
論理というか理路を刻々、破壊的に折ったり飛ばしたりして
もう完全に新しい小説体を築いていた。
これをナンセンスな落書きと呼ぶ者もいるかもしれないが
キャラクターの定着、物語の定着がぎりぎりで確保され、
一文一文の加算ごとに視野が開けてゆくこの感触は
やはり小説特有のものというべきだろう。

僕らの世代がこの手の小説を読めるのは
ヌーボーロマンというより
筒井康隆の実験作を読んでいるからだろうが
標題作以外の併録作品も
みな同じ方法論によっているのが気になる。
それにより手法の強調が起こり、
結果的にパスティーシュの林立を招いてしまうのではないか。

巧拙は関係ないのだ。
そのような磁力圏に自作を成立させてしまう
脇の甘さのようなものが単一方法の作品にはあるということ。
廿楽順治さんの詩篇だって素晴らしくても
同じ危惧のなかにある。
となって、「似せようとしても決してこのようにうまく似まい」という
拒絶通達だけが読者に届くメッセージになってしまう。

しかし。
なぜ文学的小説にこのような隘路だけが開けているのか。

本来ならば作者ではなく小説が小説を書く。
小説が自身の媒体性格を生きることによって
小説の人物と物語と文体を描く。
作家の頭など、それを絞りだす媒質というだけで
そこには人から注目を得るためのプランなどがあるわけでもない。
たんに小説的なものをめぐって前後左右してゆく思考があって
それが結果的に小説をなすだけだ。

口直しに読んだ小島信夫・保坂和志の往復書簡集『小説修業』からは
そんなことが爽やかに読めるだけだった。
野心の入れ込みどころが
青木淳悟と福永信はちがうのではないか。
いずれにせよ、それらはぎりぎりで小説だが
媒体性質からすでに感動を導く本道の小説ではない。

名古屋の本屋では買いそびれていた「詩手帖」を買う。
これは各駅停車の列車旅行で読むべきものだったが
目次段階でむかついて開くことができなかった。

そのなかで佐々木敦に向けた安川奈緒の声が
チラリと眼につく。
《私は単一の声で詩を作ることはできない》。
何をいまさら、という気もする。
そういう了解があって、
たとえばここ10年で詩作を復活させた中年たちの
詩のポップな眺めがあったのも自明ではないか。
それは安川や安川の世代(たとえば中尾太一)に特有のものではない。
このひとは自分の世代の田にのみ水を入れる。
意気軒昂、ということではあるが。

ということでいうと、同じことを
保坂和志が小島信夫にずっと強調していた。
小島の『美濃』『私の作家遍歴』『別れる理由』が
徹底的な複数組成の作品だというのだ。
さすがに保坂は安川とは別のことをいう。
作品の組成が複数的になるのは
小島の「私」が他の事物と同等の、
重要でない位置に埋もれているからだと。
それは一種サボタージュに近いものなのではないか。

一方、《私は単一の声で詩を作ることはできない》、
この言葉を凝視してみよう。
ここでの詩作意識は「単一の声」によらないという
「単一な決意」を経由しているだけだとわかる。
「私は複数だ」と言挙げする基盤が単一だということ。

そういう「頑張り」とは別の、
脱力的にして精緻な思考の場所に
小島信夫の小説があるのだろう。
 
 

2010年01月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)