ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

菊名

 
 
【菊名】


人名をかんがえるうち
菊名に着く。
うらがわだ、
つまり名をもつ駅だった。
このことが不安定だとおもう。
みればたくさんの小脇が筒をかかえ
曇天下の往来も岐れている。
交差する駅は高架部をもち
階段がポンプなのか
そこに水だって汲まれる。
じょるわ じょるわ
人びとのゆれるなか
きっとにごっているだろう。
すみれみたいな恋の泥
泥を咲いている些細があった。
花新聞をとりだす。
密売の報をよむ。
眼帯を顔におぼえる。
ことばだ、ことば。
春なのに外套だらけ
八卦で行く先が橋本と出て
行く末の稀薄をかんじた。
和歌山にも同名の駅があるため。
そう、ここが和歌山ならいいのに。
駅を仮にして岐れてゆく、
やや靴さきをあおく濡らして
鉄路上の北方へ往き急ぐ。

 
 

スポンサーサイト

2010年03月31日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

改行メモ

 
 
●改行とは発端から結末までの
架橋性を空間化し
詩の身体性に有機的責任を負うことだ。

●換言すると架橋性は
詩の内部構造の有機性の保証だから
必然的にそれは作者と読者との
二次的な架橋をも付帯する。

●閉塞的散文詩にとくにないのは
改行にともなうこの二次効果だろう。

●詩の作者は詩の権能が何かをかんがえ
万能であってはいけない。
無名性がもとめられるべきだ。
したがって改行とは世界の目を自らに織り込み
詩行をその現れどおりに複数化することにつうじ
だから改行によって作者は弱体的に
分裂(分立)するともいえる。
多声は必然なのだった。

●改行の功徳が身体の現前なのは無論で
そのうえでさらに
弱さが組織されなければならない。
一線でない分岐。付帯的な掠め。
それでも充ちたりない改行。カーヴの虚無。

●そんな改行がそれまであったのか。
詩脈形成がうつくしい改行ならば無尽にある。
あるいは自己内部性によって
弱さを屈折させてゆく分光的改行なら
たとえば吉岡実「楽園」にある。

●いずれにせよ詩の形成に本質的に関わり
なおも散文といっさい袂をわかつ改行は
文字のすべてが羽毛にならぬかぎり
詩の見果てぬ夢だろう。
それはたぶん言葉の天使状態や
植物状態として永遠化されるものだ。
和歌の黄金律をもたなかった詩は
しかしこの改行の鍵を探さなければならない。
そこでこそ天上の声が発声されるためだ。

●改行がわれわれの多くの民俗となるよう
改行をあわく白熱させること。




以上、あした書く原稿のメモ(かな?)。
少し前の日記、「自己連続性」につづくものでした
 
 

2010年03月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

百合根のうた

 
 
【百合根のうた】


百合根をわける、
この手はもう百回目だ
白樺を焚く気がする、
手がわかれてゆく

しろく厚みある幾層に
あまさと旨みが沁み
歳月がほぐれてゆく。
てもとの便り。
おぼつかなさを追う、
手紙のような食が好き

百におよんだあたまが
渓谷の鳩尾にも
かげをあたえている。
だから食がとおい。
さわ、さわと音する

影がはしって
午前は羽毛さえほおばる、
ばらばらにする。
時間は百だ、――眼も

愛したおんなの
貧しいからだ
ちいさな陰阜を
食後まで
すこしかんがえる。
 
 

2010年03月29日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

空耳

 
 
【空耳】


曇りわたる空のどこかには
蝋の耳がかくれている
そこに入ろうと鳥の雁行は
焔となって失墜をくりかえす
はらわたのなかにある虫が
遠い急降下をとんでいる
ほんとうの発語の場所はそこだ
地上は花芽のつづきにより
仄あかる奥行がえられて
そこ、だれかからの人声も
二度目をともるけれど
いつもかたちにならない
おもいでのようになっている
見返す花蜜とはいつの約束
やなぎの延長に沿って
あすは携行される何かが
ましろく炎上する
 
 

2010年03月29日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

木村威夫先生追悼

 
 
僕が「先生」の敬称をつけてお呼びするかたは
着物デザイナー、千代田のきものの山田玲子先生や
映画美術の木村威夫先生などさほど多くないが、
その木村先生の訃報にきのう接した。
熊井啓監督『千利休・本覚坊遺文』の現場での
美術監督と製作宣伝の間柄としてはじまったお付き合いだから
都合22年間、先生には
映画にまつわる幸福な夢をみさせていただいたということになる。

その現場では僕はペーペーの新参だった。
何しろ監督補には原一男さんという峻厳なひとがいて、
現場取材を入れるには台本と現場進行、
俳優の顔色などを読み、総体的な判断をしたうえで
監督、メインスタッフ、俳優間の
根回しを細心にしなければならないと叩き込まれた。
「このシーンは取材を呼ぶには重くない?」
「阿部君は台本をどう読んでいるわけ?」
「主要俳優が揃わないけどそれでいいわけ?」
原さんからは矢継ぎ早に質問が飛んで、
こっちがしどろもどろになりながら自分の意見をいうと
それが「自分の意見」だと原さんが見抜けば
根回しを原さんは手伝ってくれた。

原さんに対抗するためには理論武装がいる。
ただし僕は製作会社側から派遣された製作宣伝で
社内の仕事をこなす必要があり、
ひどいときは夕方、定時の仕事を終えて日活スタジオに駆けつけた。
今日はこういう撮影になった――こういう問題が生じた、と
こっそり教えてくれたのが記録の内田絢子さん。
僕はたぶん顔に緊張を張り詰めていたとおもう。
そんなときセットの陰から例の帽子をかぶり、
ニコニコ上機嫌に僕のほうに寄ってきて
東京弁の早口で「おもしろいこと」を必ずいってくる
恰幅のいい、
どこまで教養を秘めかくしているかわからない「爺さん」がいた。
木村威夫先生だった。

熊井監督の現場の製作宣伝が危険なポジションなのは
旧知の記者や評論家が来ると、取材後、
熊井さんが饗応のはてに下手をすると翌朝まで飲んでしまうからだ。
そうなると翌日の撮影がガタガタになる。
だから酔っ払った監督を無理やりタクシーに叩きいれたりと
事もあろうに扱いが次第に「ぞんざい」にもなってくる。
おまけに当時僕は製作会社側の「一人文芸部」みたいな存在で
これまた事もあろうに依田義賢さんの脚本に
プロデューサーの命で「直し依頼」を入れるという
神をも恐れぬ振舞をしいられていた。
その直し案を熊井監督はおもしろがった。
けれど「阿部ちゃんはまだまだ映画を知らない。
俺が今後ずっと叩き込んであげるよ」。
そういう監督の余裕に若い僕は少し向かっ腹を立てていて
その様子を木村先生は横目にみながら
その「威勢の良い子ども」に興味をつのらせていただいたのだろう。

僕の「映画好き」は雰囲気ですぐ知れ渡るようだ。
社内広報誌のためにメインスタッフのインタビューを連載していて、
彼らが往年たずさわった映画の話をいつも呼び水にする。
「君はそんなものまで観てるの」と
みなメインスタッフの老賢たちは相好を崩し心地よく喋った。
木村先生のインタビューでは熊井監督をさしおいて
鈴木清順監督作品の話ばかりになる。
やれ『春婦伝』でのラストの切り株の林は時間停止の暗喩ですよね、
そのとまった時間のなか
死に傾斜する野川由美子の慙愧と心の揺れだけが動く、とか、
そういうマニアックな話を延々とするのだ。
木村先生、「そうだよね、やっぱり阿部ちゃんの世代だと
熊井監督より清順さんのほうがみんな好きだよね」。
破天荒な先走りを見抜かれている。しかしそれを先生は面白がった。
「でも熊井さんの映画の美術は僕のもうひとつの基本、リアリズムなんだよ」。

『千利休』公開前などにはキネカ大森などセゾン系の小屋で
熊井啓監督特集などをおこない、
俳優やスタッフをゲストに呼んで僕が壇上インタビューをした。
木村先生の話はとりわけ面白い。まず気風が良いのだ。
先生には自分が手品師・魔術師の自覚があったとおもう。
ところがその悦びは倒錯的で、種明かしを惜しまず、それで客の心を掴む。

たとえば熊井監督『海と毒薬』はモノクロ映画。
モノクロ映画で画面上、「白」として映されるものは
撮影の実際では薄いピンクに着色するんです、と先生。
それを露出で真っ白になるよう調整すると
黒が輝くハイコントラストの画面になりますね。
映画美術はセットでも何でもどう撮られるかという意識なしには存在できない。
また撮られないものはつくる必要もないんです。

先生はそういえば表側を厳密につくりながら
裏側が裸木まるだし、骨組み丸出しのセットを
面白いでしょ、と僕にしょっちゅう見せつけてもくれた。
カメラポジションは予想するんです。
というかセットがカメラポジションを要求しているといってもいい。
だから美術は撮影に関与してるんだね。

そう、先生の美術は動態的で、しかも荘厳癖などなかった。
魔術のようなたたずまいとは、
「映画の嘘」をセットなどにあらかじめ含んでいること。
映画は集合意識の叡智によって作法を集中化していて、
映画の嘘を種明かししたそこにこそ、映画の幻影=リアリズムが現れる
――そういう信念がおありだったとおもう。
映画は「映画内」を幸福に含んでいる、ということ。
だから先生は美術の種明かしをするときにいつもあれほど上機嫌だった。

当時の僕は吉田健一や西脇順三郎など「上機嫌な老人」が大好きで
木村先生にもたちまち心酔した。

発想力の美術監督、幻想性もある美術監督――
先生はそういういわれかたをよくされる。ただ、それだけではない。
『海と毒薬』の手術シーンを憶えておいでだろうか。
あの手術室はタイル貼りで、水が張ってある。
その水のうえに手術中つかった脱脂綿などが次々に投げ捨てられる。
手術台から下に滴ってゆく流血もある。
語り草は、あのときの血はどう手配されていたかだろう。

モノクロ映画の血は墨汁と相場が決まっているが、
しかし墨汁では水にあっさりと拡散してしまう。
続いて試されたのは豚の血。しかし血沈速度が遅く、人間の血の感じがしない。
人間の血が必要だ。結局、演出部の人間が犠牲になった。
強制献血という次第。演出部は貧血状態でフラフラしながら現場に臨んだ。

ただしここまでは実際は熊井監督と原監督補の容赦ない「算段」だ。
それを導いたのは木村先生の厳密な調査力による、
戦時下の手術室の再現だった。
しかしあれは「再現」であってやはり同時に一級品の美術だ。
何か冷やっこいところが、木村美術らしくないから壮観だった。

木村美術の基本は内包的で、夢のぬくもりがある。
生死の儚さを念頭に置いていた木村先生の美術は
必然的に母胎回帰的ヴェクトルをももつ。
つくりものの囲繞性、外界への「抜け」、どこかに配置される球状のもの。
あ、先生の美術だと直観できるフォルムがあるのだ。

リアリズムと幻想性が拮抗し、しかもどこかで映画の嘘が誘惑的に開花している。
そういえば80年代の日本映画ではすでに「木村美術」ブームだった。
四方田犬彦さんの『黄犬本』だったか『赤犬本』だったかで
木村美術展の感想記が入っていて、そのなかで至言があった。
「木村威夫の美術は眠い」。
そのことを先生にいうと、先生「いいこというねえ」。

話があっちこっちに飛んで恐縮だが、
木村先生の発想力は複合的だ。
たとえば熊井監督『サンダカン八番娼館』に出現する南洋の娼館は、
その外観をどう設計するかで悩みぬいたものだったという。
資料がなかったのだ。
ところが先生は僥倖に恵まれたひとで
あるとき古本屋で茶に褪色した安価な「家族アルバム」を手にとる。
そのなかの一葉の写真に、まさに「娼館そのもの」が映りこんでいたのだった。
だから出来上がった娼館のセットはリアリズムだ。
同時にどこかが先生の美意識によってデフォルメされ、「撮影」を誘い、
その点では天上的な「映画美術」となってもいた。

木村先生の西調布のお宅にお邪魔すると、その書斎がご自慢だった。
見事な一枚板を不規則に切ったものを胡坐姿でおこなう作業机にしていらした。
板をみつけ、お弟子さんに机をつくらせたのだという。
そしてスライド式の書棚が都合10ちかく設置されていて、
僕の本好きを知っている木村先生は「みてもいいよ」とよくおっしゃった。
美術書、写真資料の数々、文学書、台本など雑多で数限りない。
そのなかに数段、見事な「家族アルバム」のコレクションがあった。

そういえば撮影現場における美術部は妙な動きをする。
先生は撮影が好き、俳優が好きでかならず現場に立ち会っていらっしゃったが
(これが晩年の監督作の爆発につながったのだとおもう)、
美術部は急場の金槌打ち程度しか現場での仕事がない。
セットを磨くのだって演出部の仕事だ。

スタジオ内部にはそこがまるで異空間そのもののように
何杯ものセットが背中合わせなどになって建て込められている。
実際は当日の撮影が終わると美術部全員が集結する。
それでセットをバラしたり、セットを建て込んだりして
スタジオ内の「セット地図」がパズルのように変化してゆくのだが、
それは夜盗のような真夜中の作業なのだった。

『千利休』の現場の話にもどると
三畳だったか利休茶室の最小のものを木村先生が完成させた。
むろん壁は撮影用に取り外し可能。
ところが照明技師の岩木保夫さんがものすごい剣幕で声を張り上げている。
「木村さん、こんな壁色じゃ撮影できない!」。
先生は他人から罵倒されることなど生涯になかったにちがいない。
だから紙のような顔色がこわばっているのが離れていてもわかった。
木村先生と岩木さんはともに大映から日活に移ってきたほぼ同輩。
岩木さんは溝口の照明助手などからキャリアを積んで、
今村昌平映画の照明技師として知らぬものがいない。
小柄なひとだが、照明指示の必要から地声が大きく、しかも短気だった。

木村先生は茶室を史実どおり壁を利休鼠に仕上げた。
しかしそれでは光を吸い込んでしまう――
そんなこともわからないのか、と岩木さんの語気が荒い。
そう、岩木さんの主張は「映画的な嘘をつけ」ということだった。
今村リアリズムが満身に流れている岩木さんが
清順映画の魔術師の木村先生に、
一見普段の信条とは逆のことをいっているとみえる。
木村先生は「わかった、塗りなおす。明日まで待ってほしい」と静かな声でいった。

翌朝、その茶室の壁は塗りなおされていた。
利休鼠的だが、それからもはずれて明るみのある――
つまり「この世にはない色」が出現していたという記憶がある。
岩木さんもご満悦で、前日の癇癪を木村先生に謝っていた。
この逸話で、厳しい現場の雰囲気の一端が伝わったかともおもう。

木村先生は尺貫法主義者だった。
東洋的身体の倍数として部屋空間が寸法化される。
むろん部屋にいる役柄がたとえば幸福か不幸かで
部屋内の調度のみならず、寸法まで変わるのだ。
人物と部屋の暗喩的関係。しかもそれが対位法をえがく場合もある。
ともあれ尺でなければ、東洋的な寸法が追求できない、
むかしからそれで宮大工も舞台美術も、戦前からの映画美術もできあがっていた。
その単位を廃絶するとは何事か、ということだったろうとおもう。

キネ旬時代、日活芸術学院(学長だった)での
木村先生の講義を起こしたことがある。趣旨はこうだった。
台本を渡される。そのときまずは主人公の居住空間を想像しなければならない。
主人公は科白や芝居によってのみならず居住空間によっても性格づけされる。
ただ、「想像」は比較的簡単にできる。
映画美術の仕事は、その想像を正確に寸法化して図面を引くことだ。
しかも図面は何通りにもつくり、そこで比較吟味がなされなければならない。
北向きか南向きか。照明はそれで規定される。
カメラポジションをどのように誘導するか。撮影はそれで規定される。
想像はそういうリアリスティックな部分までふくむものなんです。

先生は幻想映画的なもののセットなどでは
イメージ画から作業を開始されることが多かった。
パステル画で、荒い線で、不思議と色がにじむようにぼけている。
みな、すごく良い画だ。
四方田さんのいう「催眠性」はそこに極まっているとおもう。
その意味で木村先生は一種の幻想画家なのだが、
実際はそのように描くと、その瞬間から「寸法がみえる」のだそうだ。
何しろ想像力が果てしない。

そのことでいうと面白い逸話がある。柳町光男監督『火まつり』。
木村先生は中上健次のあの台本に独自の解釈を施し、
苦労して様々な動物の剥製を集め、
主人公・北大路欣也の家のここかしこに剥製を配剤してしまった。
先生はご満悦。柳町さんは困る。自分の演出プランとちがうのだ。
ただ先生は先生で襟を正すべき創造者なのは無論だ。
で、剥製をのこしたまま撮影に入って
カメラに剥製を入れないようにした。今度は先生が焦る。
剥製が監督に嫌われているのが伝わってきたからだ。
翌日、スタジオセットからは剥製が一切消えていたという。

柳町監督と木村先生がふたたび組んだ『愛について、東京』は
不幸な扱いを受けた映画だったが、僕は好きだった。
そのときに先生がいったことがある。
もう日本映画全体の疲弊がはっきりしていた時分だった。
映画美術監督は、映画の画面に映るもの一切を統括する。
映画が低予算をしいられるのであればロケ撮影がふえセットの出番がなくなるが、
そのロケ撮影をどうつなぐのかも美術監督は監督に提案しなければならない、と。
木村先生は当然、ロケハンでも先頭を切った。
映画的風景の脳内ストックも無尽。
そういう柔軟性が木村先生だった。
「『愛について、東京』は一種、東京論映画だな」――そう語っていた。

木村先生の株がとくにあがったのは
まだ無名だった林海象監督のシナリオに惚れ込んで
『夢みるように眠りたい』の美術に携わったあたりからだろう
(これは円形性を強調し内在的な美術が目立った――
松本俊夫『ドグラマグラ』などにもつながる先生の「レトロ論」だった)。
ともあれ対象を選ばない。党派性にも拘泥しない。
旺盛に、貪欲に活動してゆく。
その時点でもう先生は70歳ちかくだった。
木村先生は乗れば参加してくれる――そういう雰囲気が若手監督にも伝わった。
風間志織監督『冬の河童』などはそうして成立した映画だった。
風景にワンポイントを加えて映画性を配備してゆく木村美術の新局面は
このあたりから芽をふきだした。
やがて風間監督は美術のコツを独自に得るようになる。
木村先生なしでも美術的な映画性を発揮しだすのだ。
風間監督がもちいたものは「すりガラス」「穴」「赤い光」といった
ミニマルなものだけに見事に限定されていった。

先生の発想力はとどまるところを知らなかった。
僕がとくに高く評価しているのは先生の小説だ。
書冊となったのは『月下茫茫白狐之図』『白姫抄』だけだが、
「ストケイシオン」という先生所属の同人誌では
その他にも数多くの短篇小説が発表された。
幻想譚。回顧的。ときに痛烈な戦争批判をふくむ。
そういうモチーフが九十歳を超えてからのご自身の映画監督作に結実してゆく。
『夢のまにまに』『黄金花』。

旺盛さに戦慄した。このひとは一生死なないだろうとおもった。
そこではデジタルカメラ撮影を基盤にした画面合成が積極的につかわれている。
先生は映画上に新しい画布を得た、とは感じた。

ただそのことによって先生の美術的統括力が緩慢になったかもしれない。
先生の美術の細部は幻想とリアリズムと意匠性が渾然一体となったもので
(ということは、伊藤若冲と立脚が同じだということだ)
実際はそこに「内部/外部」の弁別線がひけないのだ。
それが悪く出た例が清順監督『ピストルオペラ』だったかもしれない。
具流八郎グループでは実際は鈴木清順をめぐり
木村先生と大和屋竺の暗闘があったようで、
『ピストルオペラ』は清順・大和屋『殺しの烙印』の栄光を蹂躙する結果となった。
ふたりの天才の水と油、その分離は『カポネ大いに泣く』に前段があり、
さらにいえば先刻の『ドグラマグラ』が同型反復した。

ただし木村威夫・鈴木清順の共同性の成果はもう世界化している。
たとえばタランティーノ『キル・ビル』で延々つづく
館内でのユマ・サーマンの戦闘場面。
あのとき広大な床の一部分がガラス張りになっていて
カメラはそのガラスの下からサーマンの動きを真仰角した。
往年の木村美術の真骨頂のひとつ、
画角の予想できない変化を呼び込むセットだ。
木村先生は映画美術はもろい複合体で、
それは前後左右上下から透視的に眺められる、
内側のない内側だ、という考えだろう。
『キル・ビル』の美術は種田陽平さんだが
直接、木村先生を参照したというより
タランティーノの清順への熱狂を経由しているのではないか。

ともあれ大和屋竺、熊井啓、さらに黒木和雄と
先生と同格の脚本家・監督の多くがいまや鬼籍に入ってしまったが
先生ととりわけ相性のよかったのが黒木さんだったとおもう。

黒木さん最晩年の怒涛の復活を画したのが『スリ』。
低予算だったあの作品では「配剤美術」の手法がとられていて、
主人公原田芳雄の「海底的」心情にリンクさせるためか
彼の居室には漁り網が天井を這い、
硝子の浮き球(ブイ)が網のなかを垂れ下がっていた。

黒木さんに訊いた。「あれ、海底的な境遇ってことですよね?」
黒木さん、「わからないんだよね。でも木村さん自信満々だし
画柄としておもしろいからそのまま使わせてもらったんだよ」。
あのふたりには何か奇妙な阿吽の呼吸がたしかにあった。

黒木監督『父と暮せば』のラストではカメラが移動し、
原田芳雄と宮沢りえが濃密な科白劇を繰り広げていた舞台が
別様相に一変する。
そこが家屋である「と同時に」原爆ドームだったという驚愕の仕掛けが生じ
そこがいかにも木村先生的な主張だった。
戦争批判の直截さ、ということではない。
空間は内部と外部の分離不能をあらかじめはらんでいる、という暴露が
木村先生的なのだった。

そういえば、黒木さんの木村先生の物まねが絶品だった。
何か急な用件が生じ、早口でそそくさ伝え、自分で納得して
一方的に電話を切ってしまう。ややしゃがれた東京弁。
これを黒木さんが愛する揶揄で完璧に再現して
僕と日向寺太郎さんの笑いがとまらなかった。

熊井さん、松村禎三さんをふくめみんなお亡くなりになってしまった。
さすがに寂しいなあ。

最後にしるしておくと、木村先生ご夫妻は僕ら夫婦の仲人だった。
「僕の仲人したカップルはみな立派になるんだよ。
離婚も一組もない、よかったね」
あの自信満々の口吻が忘れられない。
先生のご忠告は「早く子供をつくること。
仏教的にいっても、人間は子どもをつくらないと救われないんだから」。

このご忠告に背いてしまったのに心が痛む。
僕ら夫婦の結婚した時期は、DINKSの風潮真っ盛りだったのだ。
先生、ごめんなさい

合掌――
 
 

2010年03月26日 日記 トラックバック(0) コメント(2)

中断トハ愉悦ナラズヤ

 
 
【中断トハ愉悦ナラズヤ】


夕暮ノ布ハ 脳ノ包ミ
アタエラレル、
ヒトデナシノヨスガダ。
血ガニジンデ
伴侶トハ庭ヘ出ル、
中断トハ愉悦ナラズヤ。
一身ノ創痍ハシャガンデ
菫類ノ奥ヲマサグリ
自他ヲモソレデ重ネルカラ
セカイモ包帯帯ト 帯ガ余計、
足許ノ時計状ガ余計ナノダ。
ソレコソガ創作ノ根拠ダトイウ、
渡航スル帆船ノA地点ト
B地点トノ数秒ノアイダヲ
スベテ心ノ帆トシテシマウ僭越、
ソウ言イ換エテモヨイダロウ。
眼鏡眼鏡シロイ眼鏡 (小移動、
ナダラカナ錯誤ノ自覚アッテ
時間推移ヲ面積ニ変エル
脳ノナカノキナクサイ出来事、
中断トハ愉悦ナラズヤ。
吐キ気ガ吐キ気デナクナル時ノ、
自分ノナカニアル優雅ナ邪魔。
ナラバ夕暮ノ布モマタ
宵闇ノ好キナ菫イロニ
スルマデダロウ。
中断、二布ヲ一布ニ。
  
 

2010年03月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

降嫁

 
 
【降嫁】


天国ということなのか
渡る青さを誇りに代えて
塩坑ではたらく子どもたちは
塩の岩を地上まではこぶ
きらきら通ったあとは
下りるのがいつもの仕事
このとき肩がひきつれるので
落着きを得るトロッコでは
たがいの涼しいならびで
「在ること」をただ
冷やしてゆくのだという
衣を流れる筒にして
手だけを霞ませる悦び
蜜が良い速さで行き交う
風の日ゆれる花圃に
かれらが似るから
線路脇にも玉葱の花をみる
かれらの言葉はおおよそ
「泣いているね」
「それは君だよ」
坂へつながる地上に着く
炉で温める料理ならば
料理という埒は何
なにかの硝子だろうか
あすの太陽を蒼くするため
さかなは母にあげて
球根だけを食べるのだ
筋肉はもやさない
静かな家に入っても
胡坐のままでいる
下りるのがいつもの仕事
  
 

2010年03月23日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

坂東点在考

 
 
【坂東点在考】


そのカットをいおう
焦点のあわない画面奥行き
ふすまの隙間から
藁のたばが覗いていて
はたおりが自力で
月光をつむいでいた
画面全体をささえていたのは
尻特有の三弦音
これが以後進行の不安となり
観客も尻をさがすのだが
青いものばかりがゆれて
ますます映画は
毛をめぐる
冥婚になっていった
舌のさき火の玉ころがす
誰かはいつもみえない
四人のような気もするが
登場人物が何人か
わからない点に感じ入る
サクラノ電気デ
葺カレル笠
ミエナイ顔コソ鬼デハナイカ
人穴のあたりで
あのように糸が浮くのなら
きつねのにおいもあればよかった
鼻緒の切れる映画
田がまわる まわる
三軒が主題だ
うち一軒で観客の場所が死ぬ
だから亡霊として映画館を出て
歩みを創痍にするしかない
眼の黴びたかわりだろう
みんなが屋根にいる
 
 

2010年03月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

一九六九年、鎌倉

 
 
【一九六九年、鎌倉】


鳥を杖にして
斜めをはしった
ばさばさ唸るのが
たえず一歩前なら
子どもは衣のように
世紀の写真だった
花から花をゆくが
手はふれあっていない
空気をつかんで
押すところから
こころのぴすとんが
はじまっている
待合せも切通し
星井の名をもつ場所
井戸の底を覗けば
昼間がさわさわ落ちて
中学以後の夜だって
鉛直に想定できる
葉でつくった帽子を
目深にかぶり眼を消す
はるかはいずれ
地上と空のあいだ
そこを東風がうるおし
幾束か光線になった
そんな春時分には
野にべつの厠もある
青い排便と合うように
なかのひた青い厠
性器性にくらんでいた
聖図もあったのか
そこを出入りして
さんかくの肩に大人びた
エーゲの花粉を負った
わたしのかまくら
雲母の、すみか
 
 

2010年03月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

海辺の、永遠の、野ばら

 
 
【海辺の、永遠の、野ばら】

《夢であればいいことばかりだ》
――湯川紅実「水も、その日がおわりの日ではない。」
(「酒乱」第四号)




ホラここがネオテニーのばしょ、
階段状をなさない紋章です。
あたまのどこかは恥しくていえない。
口にださない声みたいなもの。

立ちどまるときには遺影をはさみ
からだ全体でS字をつくって
波に濯がれるがままになります。
筍の内側を想っていますか。
むしろわたしは懸命な葬儀です。

認めないものがある、カラクリその他。
肘を梃子に立つ、などができず
人間機械という謂れも信じられない。
もすりんになってしまいたいです。
平らであることを踏まれたい。
肝腎のときは寝てばっかりです。

薔薇なのだから
夜、くちづけはします。
前景とするのではなく
くちづけた相手を背景にするのです。
そこで多くなった少なくなったを測ると
鋸歯の波際もカラクリになってしまう。
だから実際は自分を噛んでいます。

おかあさん、
夢であればいいことばかりです。
――港町、右腕のない人びとの往来も。
  
 

2010年03月12日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

山賊

 
 
【山賊】


髪に蔦なして 渦を生じ
鳥をだます者となった。
ジキニ拡ガルケムリ、
樹々のきざはしに目白を遣って
目の周囲を黒くせしめた。
鶺鴒を 飛翔の瀧にもした。

竹林ではない、それは隙間だ。
見ぬすずのねを振っている。
くびのわがひえてゆく。
托卵の気配。世上は只事でない。

けっきょく行も輪だから
半閉じの魔法にさだめ
つぎ来る者にひからせる。
ある日あるきがこだまする。
そのように川辺から芹を負って
自らの眼を騙していたのだ。
斜線数個を鴨に感じる。

眼底に舌が吊りあがる。
鳥のくろい、美貌になる。
偽言ハ翻ル馬偏ナノデ
はるの馬車が往来するだろう。
慢心に円を。空はひくい。

もう陽光に影がいくつかある。
そのどれかはどうでもよく
来るものは今ニタイシ多重だろう。
梅が散っていつも多重だろう。
 
 

2010年03月11日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

自己連続性

 
 
このあいだ、ある原稿のため
90年代の日本映画の質感をおもいだそうと、
自著『日本映画は存在する』を
半分ぐらい拾い読みしたことがあった。

そのとき、当時の自分のやろうとしていたことも蘇った。

つまり、映画を孤立化させない、
付帯的に映画評論も孤立化させない--
この一点に評論の精度が賭けられていたのだった。

映画を社会の、人心のなかに置く。
そのためにこそ付帯的な学問分野が
映画や映画評論を囲み、肉づけしなければならない。

僕がつかったのは
犯罪評論、民俗学、記号論、心理学、フェミニズム、音楽学、
歴史学、サブカル論全般、哲学、社会学--といったものだった。

単純な映画作家論の無効性を言い立てるために
俳優演技やスタッフ論、映画ジャンル論を
立論の中心に置いたこともままあった。
要は「多様性」によって孤立から解くという方便だった。

同じ流儀がたぶん現在の僕の詩作にある。
詩篇を孤立化させないために
たとえば行の渡りに音楽的な配慮を加えたり、
短歌俳句からの援用を試みたり、
映画性によってカッティングを組織したり
サブカル論や媒体論を付帯させたりする。

現在の稲川方人の「亜流」が蔓延している様は
80年代、蓮実重彦の亜流が
映画評論に蔓延して逼塞を導いていたのと
僕にとっては相似の光景だ。
凡俗性は繰り返されている。何が「倫理」だ

そのような詩作の現状を見ると
「本質的」改行詩の要件をますます考えざるをえなくなる。

以下はフラッシュアイデア提示のため、
箇条書きとする。
また典拠明示なしに、藤井貞和の卓見を
部分利用することにする。

1)散文詩形が増えている。
改行詩にあっても文型はもともと散文であり、
それが本罫返りしているにすぎないのだけども。

2)詩行の分かちは西洋脚韻詩を
本邦移入するときに新たに出来たとする擬制は誤り。
短歌俳句の一行棒書きののちの
連歌(連句)こそが分かち書き詩篇の日本的嚆矢だった。
そのときに作者の分立という付帯事項がある。
となると詩行はそれ自体、ポリフォニックに組織されていた。

3)上の件は西脇にあってはまだ暗示的。
それを達成したのは先駆的には石原吉郎、
方法論的には『サフラン摘み』『夏の庭』時点の吉岡実ではないか。

4)散文詩篇は、そういった達成の閑却視として
現象していることが多い。
むろんいつだって例外はある。
粕谷栄市や、現在なら高塚謙太郎の名を挙げれば足りるけれども。

5)詩の語は記号性と呪言とによって形成されるが、
高塚詩はその点をも知悉している。

6)神話以来、あらゆる表現は
一般化のため、物語化を結果している。その例外が音楽と詩。
ここで微妙なのが歌詞のある歌と叙事詩だろう。
ただ、思いの歌唱には本質的に物語がなく、
この無物語性は支配者のつくる神話にも先行してきた。

7)改行効果については以前、列挙的に書いた。
・文節提示、・呼吸(身体提示)、・景転換、
・強調、・視覚化(空間化)、・切断、・脱臼、
・多声性、・反復提示、・サーヴィス・・・
(「現代詩手帖」08年12月号)

8)繰り返しになるがこの場合、
最も重要なのは上記2、3に照らして多声性ではないか。
廿楽順治の詩の重要性はここにある。
ただし注目したいのが松岡政則。
記憶の景転換が多かった彼の改行は、
「けがれ」意識の先鋭化によって
けがれた事物がアジア大に「声」を発し
その一息の単位で改行を呈するという
原理的なものに変わりつつある。

9)「けがれ」は「詩人」の要件。
この意識がないから詩はリアルでなくなった。

10)改行の原理を切断におけば杉本真維子の詩に重要性が出る。

11)改行詩と散文詩の中間に位置するものとして
長い行をそれでも分かち書きにしてゆく自覚的手法がある。
それは改行と散文形、それぞれの根拠を問うものだ。
そこでは重要性を帯びるのが倉田比羽子と中尾太一だろうが、
無駄を挟みこむ中尾の方法が現在的かどうかは問われねばならない。

12)完全に断絶した行のようにみえて
ギリギリで詩行のコンテキスト(詩脈)を形成、
読み手を魅惑する詩の書き手には近藤弘文がいる。

13)阿部嘉昭の詩の「詩脈」については
詩の孤立化を防備すべく多彩なものが導入される。
連句性、音楽性、映画性などがみやすいだろうが。
音律主体に書かれているようにみえて「意味形成」があるのは
短歌的喩(吉本隆明)があるためだ。
しかし意味というのは微妙だ。
節と節、語と語の還元不能のスパークから
なにか瞬間的なものが「喩的読解」とともにこぼれ落ちるのを旨とする。

14)異常感覚と音韻が主体となって未踏の独自境をつくったのが
現代短歌では葛原妙子だった。
これに平行する女性の書き手は現代詩にはいないとおもっていた。
教養不足だった。じつは存在する--支倉隆子だ。



このあいだ、支倉隆子・川瀬裕之二人展で
杉本真維子と話す。

阿部「固有財産ともいえるあれだけ見事な切断的改行詩形を
なぜ手放そうとしているの?」

杉本「そうしなきゃいけないとおもって」

阿部「自己模倣が詩作倫理にもとるってことだよね」

杉本「そうです」

阿部「その結果、以前にあった〈非親密の親密〉という
峻厳な抒情詩の表情がそこなわれ、
散文形が部分的に入り込むこともあって
非親密を結果しているように僕は感じるけど。
自分の書いていることがつかめている?」

杉本「つかめていないかもしれない。
でもそういう過渡期を経過しないと
わたしは詩作者として永続しないとおもうんです」

改行詩(の作風確立)は賞味期限付限定財産なのだろうか。
自己模倣域からの真維子さんの真剣な離脱は
結局、詩作原理そのものを対象化していて
襟を正さずには聞けないものだ。

この問題は廿楽さんにも関わる。

こんど飲むときは、一回真剣な詩論を闘わせてみたいなあ。
近藤くんなども交えて
 
 

2010年03月10日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

三面記事

 
 
【三面記事】


さんめん記事が
さんかくに割り付けられて
そこで火事がもえていた。
Y字路のV部分のその屋敷は
舳先に似ていたそうだが
おおきな冬を就航していた。
その中途がついえる。
サカナノミミハドコダ
ご近所がさわぎ
きらきらほのおが鳴って
風の手も千攫一金とばかり
空から柱だけをつまむ。
そのとき小さな神殿が
消えながらみえた、
ちいさな耳形のしろがねだ。
翅につつまれる死者半名に
ご近所はさわいだ。
 
 

2010年03月09日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

砂糖壷の唄

 
 
【砂糖壷の唄】


思い出をしていると、
そこに何か難しいものが
入ったとしても気づきません。
頭を水平にしようとしても
斜めをあらわしてしまう
魔物などもあるのです。
おかげで口のまえの結びが
砂糖だ。ほどけだす。だから
壷になった自分もおもいます。
きっと月光にひかっている匙です。
いがいにも匙と些事の同音です、
自分が思い出の鍵にしているのは。
戸口でまちかまえているのは
足もようのトランプみたいな。
絵札、数からもちあがったものです、
それが幾ひきかの猫の形状を
伴奏にしてつれだしてゆくので
むずかしさを難しさのまま忘れます。
順序はこう、入る・寝る。
とびこむ前段もあるのかしれない、
たてじまに入る・寝る、それだけ。
数がきらいなので
思い出はかぞえないのです。
ひそかに瀧をみています。
 
 

2010年03月08日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

にわか

 
 
【にわか】


にわかがあらわれて
はらわたをくいだす
くいながらもこの腸に
みるみる詰められて
巻戻しの青春は汚いのだった
胡坐をかいている眼前には
ひっつくようなY字倒立と
のっぺらぼうの肉いろ
その泉から欲望をお呉れよ
と ほそくいいかけて
わたしの今と直前のあいだを
へんならせんがうごいた
落下線のようなものだ
からだにもさらに入ってゆく
 
 

2010年03月03日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

轢かれるホームレス

 
 
【轢かれるホームレス】


暮れた鉄路にリヤカーを引く。
荷台はもう斜めになってしまい
さんかくのものしか載っていない。
とりわけ筒状物が過去へとかえった。
さんさんとこぼれおちるもので
わたしとリヤカーの足跡はつくる。
からだのまんなかが透けてくる。
八王子と西八王子間の高架
水へびのおよぎを多様にふくみ
空気のながれともつれる
とおいひとすじであろうとする。
みぞおちにひかる水がたまる。
いのってなどいないが
北野あたりの二〇一〇年に
屑とひきあう星の柱も青光る。
きこえない笛の音のよる、
筒から柱、をそれで標語にする。
 
 

2010年03月01日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)