短歌演習秀歌集(六月二十二日、二十九日)
立教での短歌演習も
昨日の授業が終わり、
のこすところあと二回となった。
ずっと記憶にのこる
懐かしい演習になるだろう。
次々に連鎖的「才能爆発」が起こるのが
うれしかったのだった。
そうそう、門司奈大さんまで
大量創作へと移行した。
それとこの回では久保真美さんの
途轍もない二首をふくむ。
あと授業には間に合わなかったけど
昨日メールされた
福島遥さんのものも
大量創作形で秀歌揃いだった。
以下にペーストしておきます。
短歌、とりわけ口語短歌では
詠まれる「情」の姿が大切だとおもう。
○
●山本晴佳
あいたくてクルッタヨウニ書いた 「シ」 が世界のみんなを笑わせました。
おやどりにゆでたまごをあたえては奇跡がおこればいいなとおもう
汗ばんで揺らされてまどろんで、いたら 垂れたクロスがヒヤリ胸刺す
●門司奈大
置き場所を探していますびーどろのようなたまごを孕みますので
もうゆびが伸びなくなって長いのでなつかしい芽をそっとつみとる
ラリエットとラリアットとの違いくらい差のある愛をわたしによこせ
白桃の缶詰捨てたあの日からてのひらの皺が腐っていった
倒置法みたいに上下を入れ替えてえちれんを身に蓄えるのです
ケータイとおやゆびだけで恋人になれるからくすりゆびはリストラ
レギンスとニーソックスとの違いほど即答できる愛をあげます
どうしてもガールになりたいおんなにはキッチンタイマー お似合いですよ
たけのこの里ときのこの山くらい差のあるものを押しつけあった
もう二度とエレベーターには乗らないと誓う夜に食べる金魚のパスタ
問い掛けを拒みたいのでみずたまのこぶたを抱ける夜をください
●鈴木寛毅
なるとまきたべたばかりにめのまえの、らせんかいだんそうじがかり
とある駅きみをまつ間にぼくはよくからすについばまれているのですよ。
わたくしはよごとにれんがを積んでいます。できたらなまえをあたえるのです。
今日とくにうしみつどきがくらすぎるので じぶんのかげをかくしてあそぶ
ふりつもるよるのしじまに一石を投じる まえにそばでもすする
なつの陽でとかされ、くーらーでかためられ、いびつなわたくしどんどんできます
今日はこのあっしゅくされたくうかんで、ふうせんあいてのおにごっこです
あいまいなことばでにごった週末が お茶だけのんで帰っていった
たいようがまぶしすぎるので今日くらい蚊をころしたってよいのですよね
ころされたみつばちは殺されるためいきていた なのであしたは死なない
早朝のブランケットにくるみます わたしの昨夜はもうひからびたので
きょうのあさぼくの手はなれたふうせんが、でんせんのうえで泣いていました。
焼き魚やいたけむりがたちこめるとき、いわしぐもと呼ばれるのです。
まんしょんのあいだにぽっこりできたつき むくちなかめといっしょにながめる
この夜はひごとにちぢんでいるのです。ぼくとっくにのみこまれてますから
●福島 遥
ふれるのをためらっている君にだけ潮満つる音遠く聴こえる
からだじゅうひとりっきりがしみている夏の夜の職務質問やさしい
ほんとうのことを伝える練習をだまって聞いてくれるやさいたち
いけすの魚にがしてまわる どさくさにまぎれて君も私も海へ
たいように睡眠薬をうって 今、見たこともない顔をする君
システムをこわしていって最後にはハダカンボウのわたしを撫でて
いつだって既視感だけで生きていてまるで世界はひとつの映画
まんなかが空洞である二十年生きていてもまだ空洞である
一篇の詩歌になっていくからだ君がわたしにすっとさしこむ
さっきより音色が高くなっているあなたの弦をそっとつま弾く
●廣野友里恵
目が二つ、手指十本、二足歩行 全部あの子と同じですけど?
●久保真美
最初からきみは咲いててわたくしが咲いたことなど気づきもしない
重厚なバターをなすりつけてくる インスタントですませたいのに
とぎたての海岸線で指を切りその腹いせに岬をちぎる
がちゃぴんという洗礼名を与えられなんでもできるような気がする
夕映えにうかんだきみの胸元にこんもり春が続いています
まひるまの聖女貞女の行進が過ぎ去りてのちぬかるみのこす
外套を月に引きかけやはらかなガス質の星を抱くさびしさ
梅雨とは木々を女身にかへすこと。輪郭まるく浮き上がらせて。
ささくれた麻の心を持ちよって、泣きながら編む、ひとをとる網
真夜中に放物線をえがいてはあなたにもどるかなしきおもちゃ
足もとにまるい疑問がおちていてころがしながら通学のみち
あつくなくさむくもないしかぜもない だからわたしはせかいにとける
黄昏にぬるい空気にさらされてわたしのからだは蟻塚のやう。
●中島太郎
甘酸っぱい気持ちはスウェーデンから持ち込まれシャツからシャツへと感染している
卓球台の上に寝そべり朝を待つ人類みな豚になった夢をみながら
●安藤由貴
永遠にあいこのじゃんけんできるかもそう思ってた今日はどこ?
ひまわりになりたいあの子がのぞいてるむこうの世界はちがう色
銀色を空にちりばめ午前4時消えてしまいそうな私のたまご
こちらにはシャボン玉がありまして破けてしまったなつかしいもの
手軽です安いし時間もかかりません悲鳴のような泣き声つきです
●相田かほり
長い髪に隠れたあなたのその白に無様な刺青をいれてやりたい
稀にだに逢ふ夜もあらば天の河隔つる星のたぐひ無きかな
●三村京子
走者 日暮れにうすむらさきで、ああ、いいな。喜怒哀楽をまだまだ欲しい
遠くなる草笛の音のせっくすをしたお互いの弱さだけ確か
呼吸(いき)は「生き」。ただしくあれよ。閾もまた?鱗翅のようなものだとしても?
少女期とは何?ねがいごと何をした?うち、どれほどが矛盾超えてた?
鋏で、切っても切れぬ人影というものになろうと思ったんだっけ?
擦つても消えぬわが星しかたなく鋏で刻み屋上ゆ撒く
累卵のような悪夢が殖えてゆくだから早く生まなくっては
なけなしを再分配したぽろぽろに暁闇の名無しのトラッド
なめらかな不具者の空を映すような鏡をもたぬひと信じない
遠いtoy ふたつからだのあはひより弱さの音をつづる機械か
画像のひと
【画像のひと】
画像のひとは
ワンピースを着て
眼にあかるい模様を
映している
時代のあまりない
アフロディテだ
団地階段の踊り場では
光となった音の気配から
数瞬遅れた身体がそうしてあり
遅れがポーズにもなっている
関節の構造がみえて
息を呑むに値する
世界の歯止めだ
一身が丸ごと可視性なのが
まるで凪のように寂しい
ひとみも くちも
なんで全部みえるのか
そんな幽霊のなさで
花の名を刻々うしない
身はただ夾竹桃や泰山木の
在った場にもなって
脚をひらくことが
何かの入口か出口に
なってしまうが
どちらにも与しないことが
画像の本質だと
画像のひとは
ポーズをみずから放置する
そこにやはり花びらはみえて
これがきれいなので
哀しみは微笑むだろう、日に。
微笑みが哀しむように
歌集をつくるということ
何事につけ「集」を編むということは
「はじまり」と「おわり」を措定し、
全体を線型的に組織しながら
なおかつ「袋」状の何かをそこに加味して、
豊饒感や幸福感をもたらすことだとおもう。
昨日、「阿部嘉昭ファンサイト」にアップした
短歌演習用につくった二百首の歌集『湯をうたふ』の前には
僕には詩篇の近作を編んだ(まだじつは編みつつある)
『みんなを、屋根に。』があって
それもあるので詩集/歌集の編み方の、
ちいさな「偏差」に意識を集中したのだった。
『みんなを、屋根に。』は詩風の一定性を度外視し、
長短の詩篇を取り混ぜている。
ほぼ完成順に載せただけの
「企みのない」編集にすぎない。
ただし短詩篇はそれなりに凝縮的だし
長詩篇はそれなりに外延的で、
それらが前後するときに
リズム変転のようなものが生じて、
それで詩篇の流れに翳ができたりはする。
歌集『湯をうたふ』では一首単位の各パーツは
三十一音の一定性があって、
それをそのまま単純加算してゆくのは
むらっ気の僕には退屈で、
だから濃淡でいえば
「濃」をあらわす文語短歌と
「淡」をあらわす口語短歌を交錯させた。
まずは「口語短歌」が「情」の基調をつくった。
瞬間的でフラットな情。
軽さ、儚さが天使的になるような世界把握と息の出し方。
それを今度は「文語短歌」に反転させ、
「文語短歌」を従来性から離れた位置に組成する。
このとき一種の傷のようなものを盛りたい。
結果的に文語短歌の一部分に
口語性が混入することになったが、
それが現在の短歌精神だろうとあえて確信した。
混淆的であること。
そうして「情」を混淆状態にもすること。
それで基盤となった日常体験や日常観察が
次元の別の相を帯びて、摩訶不思議化がはじまる。
ともあれ短歌をつくることは自分のなかにあって
培われていた「文語性」を
ほどく経緯にあらわれているといまは感じる
(それ自体は偏狭な自己認識かもしれないが)。
「短歌演習のために」とタイトルして
連続作歌の結果を発表してゆくと
好意ある方々からは
「この歌が好き」と部分的な賞賛を受けた。
それはそれでむろん嬉しいのだが、
作者としては実は別の観点が一貫していた。
一首一首はそれぞれ納得のゆくもので、
僕にしてみればそこに巧拙はない。
濃淡があり、現実参照にたいしての
積極・不積極がただ横たわっているだけだ。
それと絶唱になりうるものと
ライトバース的なものの差もとうぜんあるが、
どれもが実際には僕の身体と感覚を基盤にしているので
作者自身にとっては「ありようの偏差」はほぼ見えない。
そういう構えのときに「この一首が好き」といわれると
面映い感覚が生じてしまう。
つまり連続作歌とは系〔セリー〕を現出させ、
その仮構性を身体的に生きることにほかならない。
そのときにセリーがセリーと認定される基準があるだろう。
まずは一貫性。
それと前首から次首にわたるとき
歌集編集は基本的に断絶をもつが、
その断絶に自己変貌の必然性を仕込むと
それもまた変貌を基軸としたセリーの一貫性を組織する。
単純な一貫性としては次のものがあるだろう。
主題選択における偏向状態
(僕の場合なら「性愛」「食」、
あるいは語単位ならたとえば「湯」)。
歌意判明性における集中分布性。
適用される文法
(口語の場合は言い回しの拡散を狙う、
文語の場合はやはり岡井隆調が念頭にあった)。
変貌性を動力にしたセリーでいえば
自己体験の時系列的順序(季節推移もふくむ)、
歌のあいだに介在しただろう「連想」を前面に出すこと、
さらには主題深化(たとえば「湯」の用例をみてほしい)。
「集」を編むという点では「はじまり」は物理的にはじまるが
「おわり」は精神的に終わらなければならない
(これは詩集でも歌集でもそうだろう)。
そうなって終結部にいたったという意識が生じたとき
音楽でいうカデンツァをもちいた。
分散的かつ重複的で、
その際のひかりのかさなりを美的にしたいとおもったのだった。
去年12月、卒制指導で
望月裕二郎くんの私家版歌集『ひらく』にかかわっていて、
途中段階では歌集が総数150首以下で
まとまってしまう傾きが生じた。
僕は彼を励起し、二百首を目標に、
しかも歌集の流れにカデンツァ的な「おわり」をつくるべきだと
意見をいった。
望月くんはそのハードルを綺麗に跳んだ
(その望月くんにもう少し文語短歌の作例が多ければ
口語専一性の単調からさらに離れられただろう
----望月くんの単調拒否は畸想提示の面で
現状は組織されている)。
このときの望月くんへの示唆を今度は自分に課し、
できあがったのが、この『湯をうたふ』だった。
ネット上に歌集形で創作を発表する場合も
二百首という分量が適切におもえる
(なので今後もこうした小歌集を
創作意欲が高まった折をみて、またつくるだろうとおもう)。
「セリー」はむろん、作り手の身体の同一性と
体験の連続性によって保証される。
ところがたとえば高島裕『薄明薄暮集』のような
厳格な「階級性/(恋愛)体験/自然観察/情」がない。
現在の短歌は若手であればみな「高島裕主義」を標榜し、
それで短歌という詩型の庇護につとめるべきだろうが、
そのようにモチベーションをつくりきれないとき
「詩想」の瞬間的炸裂を代位させるしかない。
ただし短歌は、自己体験を情化することを離れ、
詩想提示的になったとき
第一句から第五句までに分節されただけの
「音律的」一行詩に「ただ」似てきてしまう。
そうしたものの瞬間性にもむろん魅力があるが、
それに淫して呪われてしまった歌作を
数多く実例として知っている
(塚本邦雄ではない----あれは暗喩の膠着で
調べに背骨のなくなった語群コラージュにすぎない
----なので演習でも俎上にほとんど乗せなかった)。
こういう危機の生じるときに
いわば「セリー」が危機を希釈し、
作者の生活に謎の塵を蓄えこむようにして
歌作の順延性を贈与してくれる、というべきではないか。
つまり歌作は一作主義ではなく、
連続作歌主義によってこそ、現在、潤っている。
もともと二百首をつくってそれをそのまま編もうと決意していたが
その決意はたしかに緊張をしいるものだった。
ところが緊張は、歌作の連続性によって緩和されてゆく。
岡井隆の日録短歌の秘儀がわかったような気がした。
だからこそ、作者の歌作の特質に触れず、
「この歌が好き」といわれることが面映い。
自分の身体をいろいろピックアップされて
部分評価されているような分離感をおぼえる。
演習はあと三回。
受講者には五十首以上で歌集を編纂したものを
最後の授業時に提出してほしいとお願いしている。
彼らも自身の身体を基盤にした「セリー」に
そのとき直面するだろう。
このことこそが実は演習の目的だったと
いまははっきりいえる。
次回授業でプリントに出す模範歌作例は
岡井隆『大洪水の前の晴天』『ヴォツェック/海と陸』から編むが、
最後の二回は僕のもうひとつの本丸、
葛原妙子の短歌からプリントをつくるとおもう。
それに影響されてまたプリント用に作歌を重ねるかもしれないが、
それはこの『湯をうたふ』とは別だ。
そう、今回の作歌は
明らかに岡井隆から派生して
斉藤斎藤までにいたった「短歌拡張」を
自分に適用してみることが眼目だった。
すなわち葛原妙子の「感覚の短歌」は
度外視されていたのだった。
あらためていいます。
歌集『湯をうたふ』にご興味のかたは
「阿部嘉昭ファンサイト」の
「サイト更新履歴」のトップをクリックしてみてください
短歌演習のために【16】
いまわれは愛の書冊をわきに措き獣神として脛〔すね〕炎えゆくを
俺の詩のペンネはバターにまみれ果て穴、穴、穴に幸〔さち〕ひそみゐる
ウエハスのやうなる肩をみつめゐて層あるうすさあまくにほひす
公憤に真青の紛れくるときをまつりごと果つる有終にして
「越境」が自体すぎゆくときのまの俺のからだの人外あはれ
瓦礫愛といふべきものを詩に積んで積載過多となつたこの夏
くろがねの風鈴ゆるるをその隠しどころの定めとして漢〔をとこ〕らは
手のひらを天河にかさねあぶら抽〔ぬ〕く、そんなばけものの一員だつた。
減少をただ精確に詩にかいた水のなかなる両手いとほし
糸魚のかぎりも知らで流るるを性愛の場に聴きてゐたりき
亜流とはいかなる流れ、人を避〔よ〕け雑踏を縫ひ我ながれたり
駐車場ラヴをつつんだ夜空には木の香りする木星もある
視〔し〕の域に在る風媒のあはれなれ彫像まりあの、貌〔かほ〕くろずんで
白昼の湯のあかるみへ溶けいつた君になみだの塩あるらしも
断弦ののちなる琴を水明〔みあ〕かりのしづけさへ置く、それで中断
短歌演習のために【15】
そのかみは髪〔くし〕に油を受け容れて哀しむものとなりて焉〔をは〕んぬ
われ在りとわが中心をおもふとき蕭条の雨、われを貫〔ぬ〕きたり
海岸に打ち上げられし男かな手にもつ貝を蘇生の具として
「日傘買ひき」と便りにあればこの夏はきみ、乱のごとめぐりゆかむか
朝の終りにブブゼラの音をひびかせる秘策にも似た一角ありき
白鳥を魔のむらぎもと見る歩み、ぬかるんできた。ゼウスわたくし
入梅や身ぬちの〈女〉を黴びさせる或る遂行の緑〔りよく〕となるまで
接岸とふ語の羞〔やさ〕しさは夜〔よ〕にあつて君なる舟の傍らにゐる
朝あさの瞳〔め〕のかがやきの緑せば樹の内らにぞ女〔をみな〕も出づる
晩年への移行のきはを有耶無耶にすれば有耶無〔うやん〕と世界響くも
くがたちか君の湯〔たう〕部に手を入れて火傷のなきを日の歌とする
絶大などどの鍵盤にも乗らぬゆゑことのは汀〔みぎは〕にこぼれゆくかな
翻心の生〔あ〕れそむる須臾、金剛の腕〔かひな〕千なるがおのれを縛る
藻のごときものに執せし暗冥をなほ撮影すこころ濯〔あら〕ひて
「縛つて」と願へる君のためにする紛〔あざ〕なひなのか暁〔あけ〕の詩歌も
短歌演習のために【14】
「典雅とは何かがそこにない様〔さま〕だ」「さう、扇風機に扇のないこと」
灯台を見つけることを得手として渡海かさねた魚哀〔ぎよあい〕と呼ぶべき
UVをおそるる婦〔をみな〕あまたゐて夏の肌〔はだへ〕にあかるみのある
白き落花を掃ききよめゐる箒より語り起こせば堕ちる追慕へ
氷片を持ち寄らうとして手のひらが溶けたり解けたりするものがたり
スカートが天界に泛く梅雨ぞらを或る愛日〔あいじつ〕の迂遠さとせり
現像が引き連れてくるものみなで透過写真に花があふれる
チーズつまみに黄金〔わうごん〕を咽喉に流し入れ一身の愛が化膿してくる
下へ下へ咲きをきそへる釣鐘の花の泛〔うか〕びを眸〔まみ〕の治癒とす
綺羅のごと髪留め落ちてそを愛のくらき執刀のはじまりとせむ
短歌演習のために【13】
来る夏のおもひ屋根めく頭頂は黄金〔こがね〕の藁を擾〔みだ〕して葺かむ
暗殺の韻〔ひび〕き内向くこの午後は藁茶を飲みてわれのあんさつ
喫煙具に金管楽器のごときもの瞑想するほど夏はおもたし
風聞のながるる川の岸の辺に出でて草多き耳みたさるる
をとめごの試着の時は生きられて恐ろしき夏、孵化温度越ゆ
性愛のうつくしき場となるまでは天秤に肖〔に〕る星の馬小屋
朝顔に飯喰ふ視界かがやけば死ぬための恋ひとつ足さむと
マナの韻もつ鶺鴒のわづか過ぐとほく焦がるる牧人の眼に
駅まへに馬群るるほど青き世に鞍のたぐひを愚か落としつ
洋梨のくびれにも似て歳月の衰運のくだり輝きをりぬ
唄ふごとからだゆ虹を吐きゆけば夕立ののちうつくしきかな
歌また歌の此世をふたり存〔ながら〕へて声明〔あ〕かうせむ梨の下〔もと〕ゐて
旅ゆくは遥かな連視みちのくの碁盤のごとき美田も女〔をみな〕
樹下〔このした〕の鍼となるまでしろがねの危ふきおのれただ伝へむと
月かげに花粉をながす栗のごとこの性愛もすこしは青め
ロープウェイ
【ロープウェイ】
おおよその近況を里に便りしようか、
ぼくらは花や風にうもれ
からだをうしなうのがいやだから
とざした窓のおくに眼を置いて
かわりゆく葉の姿をはかなく追う。
世紀、ありとせば
かさなるものだけの変わり。
むかしのおとことおんなが
寸分ずれずにからだをかさねたことも
なにか砂時計の一種だったのだろう。
そのまましかし青銅になれないかぎり
春のほこりをかぶせられて
やがては旧い道になっていった。
そういうものが炎えている、
この地衣をおもいでというべきだ。
稜線というおんなたち、
時間もただながれるが
ただながれるものは時間だけでない。
着服や歪曲だって
衣飾や音楽として、夢をただよう。
依存にかかわらない喫煙具も
贈答のように世にたくさんある。
ゆっくりと消しゴムをかけるんだ、
まあたらしい感情に。
そのうえをぼくらの住まいは
いただきに近づく。
shower
【shower】
統一はない、過渡だけがあるときの
稀薄はあらうからだに沿うて爆発してゆく。
順次、がすべてであるそうした導線を
ぎんがみが闇雲に剥がれていって
そのからだは自体、闇雲でよいのか。
しゅんかん瞬間を岐路とすべく水ははぜた、
無名の感情もしゃらしゃら草汁を
みめぐりへおくりわたす冥い屈折になる。
ただ分離して、しはてて、
水浴び中がああ、草のようにゆれている。
続・短歌演習傑作選(六月八日、十五日)
立教での短歌演習は、手前味噌のようだが
参加者の作歌が佳境に入ってきた。
文体をつぎつぎに確立してゆくさまを
まぶしくもおもう。
六月八日、十五日に提出された秀歌を
以下に記録しておきます
●
●山本晴佳
どうせなら君がいなけりゃ死ぬくらいロマンチックな体にしてよ
「あと一度 別れる前に してこうよ」 過去にお礼を言うくらいなら
●門司奈大
木製のりんごを下げて歩きますさみしげに泣くので削ります
あかいろのりぼんが欲しいと言う君にぬるいポカリを差し出した夜
あじさいにキスする相手がいますのでちょうちょのブレスレットにさよなら
しゅうまつにばくはつぶつをしかけますどうか千鳥足でお越しを
「カンタンで手軽」を謳うあなたには五分限りのケトルを貸した
いつもよりミルクを混ぜるのが遅くなっているのに気付けば「ドカン!」
●長野怜子
ぬれそぼるひよこが三日月たべたのであしたのよていはなくなりました
空き瓶に草笛のねを閉じ込めて、夏の終わりを待ち侘びる僕。
●中島太郎
立川でピアニカ買って飛び乗って 火星に着いたら口つけてみる
裏庭を鶏頭で埋め尽くしたい 若い庭師ならそう思う
●鈴木寛毅
ベランダにきりぬきにんげんやってきた かぜにさらわれどこかへさよなら
主のいない青いせなかのいすたちにむかって、まずは自己紹介から
まよなかのくるまのかげでこっそりな、あだむといぶをみていませんてば
真夜中のみっつにわかれたぼくのかげ ぼくの体でつながっていたのか
真夜中のすけっちぶっくはひっそりと しろくてまるいをうかびあがらす
がらすまどの中にいるぼくかおがなく、とおくけしきにゆれているだけ。
あじさいのなかを歩くそれだけで つゆのあめにも輪かくがうかぶ。
本日のゆうがたなんだかすんたらず。かかとのない靴はいてたからかな
●坂井 雅
ぬばたまのプラットホームにせまり来る朝(あした)の香りを運ぶ終電
違うんだ狂ってなんかぼくはただこの眩しさを憶えてたいだけ
ぶさいくな女子高生がふいにしたあくびで地球は滅びたのです
●久保真美
顔いろをうかがうことをやめました記念にたらこを丸ごとかじる
体温が1.2度高い世界に君への想いを忘れてきた
君の腕まくらの中今日死んでいった細胞の数を数えてみる
このベッドに本部をおいてあたらしい共通言語がうまれていく
きのうの夜革命起こしたふたりは手を取り合ってニトリに消える
わたしにはパーツが一つ足りないとか考えてたら「チーク塗りすぎ」
ぞうさんのかたちの雲がにせもののいのりをはじき返すのだろう
バスケットゴールに吸い込まれたわたしは丸くなって落ちてきました
女子トイレで気づくと無数のオノマトペに取り囲まれていてくるしい
●福島 遥
とうめいなみどりかざしてアスパラガスこの夏がもう始まっている
さらりさらり風がわたっていく夏は洗濯物にまぎれていたい
●廣野友里恵
幸せが閃光残して横切っていく 鉄の国にも変なことばかり
●相田かほり
少しずつ死んでゆく世界に魅せられて冷たい水をごくごくと飲む
エーテルの冷たさに目をさますならもう許されるような気がして
六月の雨はぬるくて手に汗をにぎり気づいた、裏切りの数
●安藤由貴
タン塩は牛のベロだよ舌がない今日のあなたには教えない
●三村京子
身熱も返すことばも奪はれてわれ短刀か若尾文子の
頭に靄がかかってわたしは塩のよう。こわしてはすぐ固まってゆく
甘えられたことに気付いて怖れても身のギザギザがことを為すらしい
どこまでがジャズでどこからげんじつかわからないから抱かれてみます
どんなに私が球体を見ていたとしてもそちら側からしか伝わらない
ひすてりぃと謂うほどのものじゃありません。白砂のお城こわしてるだけ
解釈の岐れる場所で沐浴す――(昔から竹を割っていたんだ。)
剥がれてる。わたしにずれたわたくしのぎんがみ。風に爛れかけてる
器用ではないはずなのに針穴に立ってる「ここが分岐点です」
あなたを織る声の布まとうわたくしが余計な金属でないこと願う
この私が弱かったから辿り着いた「わかれ道」という小さなオペラに
●
あ、月曜日は「かいぶつ句会」だった。
「阿部嘉昭ファンサイト」の
句集『馬上』にはその際発表した新作を、
「かいぶつ句会俳句エッセイ集」にはその際発表したエッセイを
それぞれ追加更新しておきました
短歌演習のために【12】
Erotic fire incidentといふべきか、世界の楡が夕陽に焦げて。
「だんだんと意味のなくなる病気だろ? からだごといま哀しんでても」
スカートとふ入射角もて来し女〔ひと〕の付け根にひかりのあやめを挿した
こんなにもやらかくなつてぬれてゐる暗愚の部位はそれでもとびら
あんぶれら咲くあぢさゐの小径こそ貌〔かほ〕なきままの妍〔けん〕といふもの
雨ふふみ恍惚とするあぢさゐの球の色魔に色鬱〔しきうつ〕も見ゆ
かずかぎりなくあぢさゐは悲〔ひ〕にぬれて性を語らぬ黙〔もだ〕となりゆく
だんねんは雨中に傘をすてしめてひとつ身の穢〔ゑ〕をとほくすること
植生は刑余のときを生きるかな雨滴音楽たゆることなし
あぢさゐのあるかなきかの発電を掠めたのちにバスを乗り継ぐ
短歌演習のために【11】
とほい日のアクタイオーンの絶叫は眼からディアへと成り墜ちたこと
わたくしのからだに多々ある菱形も、詩作のための花序だつたのだ。
ひん曲がりボタンの錯綜する管で、音をくるしくするサキスフォーン
否、そこも此世の橋さ、てんごくは渡すかたちに似てゐないだらう
家無数、門も無数といふのなら、怖い街区をあるいてゐるな…
消えてゆく連鎖をかなしむためにこそ藍染川をみおろしてゐた
鳥と俺を二軸と算へた往時から空がやたらにまぶしくなつて
過程〔プロセス〕に転写をつかふ性事など眼と眼に起こるひどい灰染め
はふそくの回復されぬ世界では倒木どうしのやうでうれしい
きみをとりまくきみじしんの外見があやめにかくれ魔法になつた
短歌演習のために【10】
夕陽見て星空を見て草を見て寝床に炎える眼のふらじゃいる
反性を具有してゐる詩歌では、飛騨が襞とも誤記されてゐた。
栗の花咲きみだれつつ、につぽんの植生あまた刑欲の初夏
はじめてのえくすたしーは花煮えのくりいむ状をなづきにゑがいた
日を追つておのれ巡らす頬杖もあぢさゐに恥ぢ、くづれていつた
まいにちが朝湯ばかりでわたくしも瀧の記憶とともに消えゆく
げんげ田に立つてゐる身がげんげ田になるやうな身の階段〔きだ〕をかんじる。
朝焼けが夏の季語なら朝ごとに極まつてゆく夏つてなんだ?
そんなとき野へ灰色の犬を置き、世界尺度を法典にした。
長谷部とか支倉とかいふ女性性の「はせ」の感じも夏では速い
平穏、音楽的停止
【平穏、音楽的停止】
ろくがつも花の多い季節
フィルムのなかをあるいていて
ひかりと場所の断裂をすぎた
塵も髪につもってゆくので
あゆみは停まらなきゃならない
このときに身が音楽になる
あるいは鮎にもなったようだ
風位を味方につけたこの佇ちが
八方を水流にしてゆく嬉しさ
身に婚姻色のあるということが
あらゆる周囲を誘発していて
旅びとは銜えたパイプを多孔に
けむりの水流をまきながら
おのれを発作しなければならない
発作のひとつはいつも性愛だが
フィルムが内にひめる自らの形象を
おもわず誤ってしまう痙攣だって
このことばの沈黙に課して
くちびるから虹を吐かねばならない
そのためにゆくあの樹下だろう
音に疲れて
【音に疲れて】
音に疲れてあるく雨の朝の天上は
栗の花の匂いがささえている
二、三がいつでもそこに死んでいて
リートもぼんやりとしたおもかげをなす
地に湧こうとしているシカラムータ
その千とすれちがうよう往き過ぎては
花の実体ではなく嗅覚をもとに
奥行きある過去だけを作庭していった
みんなと呼ばれるものもラテの周辺にいて
これからある発語をひかるものにする
とうに葬ったことの円卓だろう、それは
からだを恋うたゆえのからだだろう、それは
ひかるものにしてごめん
コントラバスのころがる芝生なら
どこからげんじつかわからないので
まぼろしのようにふる雨だけを
かたちくずれるこの心耳にも
しずかにふらせてみることにする
汀の領分が変わるだろう
そう、音じゃない、匂いだけだ心打つのは
帽子を貸した歌もとおく聴えた
あじさいの頭部と平行するこの頭部は
円周上だけ嗅ごうとしてめぐる
短歌演習のために【9】
つばめ、つばめに私の未来はわけられて水のやうなもの前にあふれる
性愛は空から乳をひきしぼりきみの悲哀にしたたらすこと
みづからを内に収める壷ありてそれをしも金剛力と呼んだ。
天群が演奏してゐる一角に初夏も吹き寄せ配色的だ
塩あぢの歯磨き粉などふえたからわたしとふ貝も口からみがく
遠浅に真鯛あふれてさざなみがうろこを灼いてゐるやうな眼だ
藤棚ほか垂れゐるものみなゆびさせば少しは世界も終りに向かふ
かばんのなかオルゴールのみ容れてゐる通学があつた、つばめの春に。
円環をほどいてただの線となるセロテープだろ逢魔ヶ刻も
軽いんだね、君の愛着、だからこそ天空の橋も集まるんだね
短歌演習のために【8】
にんげんを眼前にぶらさげられて火の川わたる駄馬のわたくし
おれはエロおまへもエロといふときの思ひのかさなり痴愚のかたちす
ひがし向くさうした茜の横顔のどこかにはある西イースター
倫理には音叉のやうなものがある。鏘然とする夕空さみし
「あたくしが土産よ」つて君バカだなあ、嬉しくつて千葉すげえ夕立
「肋鳴らしてさあ」と悦びだけいふが、鳴つてゐたのは君の背後だ。
若鮎はかすみて泳ぐ、そのときに媒〔なかだち〕となるのは水流だきつと
霞、霧、靄と名づけたむすめらの父として海に蜃気楼した
きらきらと死ぬにはバイク事故がよい。バイクは空の駐車場にある。
それはもう閲覧不可がはみだして瀬となるやうな清流でした
のぼりきる丘の上〔へ〕で待つ数本の樹のその「数本性」のみを欲る
あれもこれも君と知るなら蓋然性計算のごときが思考の波紋
ぎもんふを残さうとしてまづ君はかさぶためくりをしはじめたのだな
月面に宙返りする軽業がこの眼中へ骨ちらし。(好き、)
馬喰と馬と道との関係に詩歌の基盤、いま解きはなつ
短歌演習のために【7】
毛布下に綺羅星いれて寝るときの身は天の川。就航つづく。
オシリスの千々にくだけた臓物を掌〔て〕に載せながら池袋の夜
万歳の挙手のなかなる万年を風に吹かれてとほくに見てゐた
「齷齪」の字があくせくとしてるからふたり歩きは歯を抜いてみる。
穀倉をみせびらかして君の身の一部はリバーエッジの秋だな
絶対に対のあることいぶかしむ大皇・皇妃ゆきさきしれず
嗜好には鞭毛みたいなものがある。それでいま心太〔ところてん〕を食べてる。
散歩して脚が殖えたとおもふ夜は寝床に恥が収まらねえや
みづからのめだまが面倒くさくなり君の窪地を窪として見た
手を舞はせ森羅喚びだすなきがらさ、大野一雄のあの日とこの日
あくびしたそのとき光がふりそそぎ君はぐうぜん二、三のあひる
サイボーグ・リリシズムとでも呼ぶべきか。君のからだに色が一杯
Y字路のやうなフォークで食べてゐる刺身は伊勢の町に似てゐる
幕切に勝手に響くがよいだらうGスポットゆ愛のアリアは
死のまへに白酢に焦がるることありや、初恋びとのひかりのやうな。
先週と今週の短歌演習
五月二十五日と六月一日、
受講者から提出された作のうち、
僕の好きなものを以下に掲げておきます。
この演習、受講者の力量が揃い、
提出物が「しのぎを削る」ようになってもきた。
結末が愉しみ。
期末にはみんな、どんな歌集を編んでくれるかな
●坂井 雅
万物が生まれ出づる場所コンビニでぺヤング得盛り買って帰る僕
●中島太郎
同級会の女子の膕〔ひかがみ〕の美しさに 今宵は漬物石をのせて寝ます
息を止めるとあの子のたて笛浮かびだす今宵限りの無重力教室
●山本晴佳
三日前飛んでたはずの空なのに―――嵐がみんな、持ってっちゃった…
オムライス見ても心臓止まらない 失恋期間終わったのでしょう
●門司奈大
こんなにも嘘が上手になったのは君の「良かったでしょう」が原因
●長野怜子
とんかちを オリーブオイルで 揚げてみる
滑った先に 私の爪先
蛇口から 新宿の汚水 絞り出た
私の口から 反吐も二度出た
ものさしで私の体を測ったら3グラムの影が余りました。
●安藤由貴
半額の値札をはられたコロッケはリボンをかけて埋めてしまおう
朝がきて私産まれます。データは名前をつけずに保存しました。
おにぎりの群れにまぎれたオムライス今日が終わったら電話して
●福島 遥
虚しさの真ん中に建つ一軒家の扉を叩く強さが欲しい
人知れず君のドアーが開いた 今、月の灯りがそれに気づいた
「もう私20歳になったよ」と天のポストに投函します
環状の流れに乗れず一日をズレ続けて走っています、わたし
今ならば 角を曲がって考えるどんなに曲がっても曲がっても角
●鈴木寛毅
めずらしい花がむこうにさいてます。むしる役目はぼくではないな。
ダンボール箱に詰め込みおくりだす昨日のわたしがみつけたわたくし
タクシーのみぎからおりたわたくしは明朝早くにあたらしくなるはず
とりあえずかたほうで視線をさえぎってもうかたほうは何かをまってた
陽光のしめすほうへとむかったら、誰かに切りとられ、しまわれてしまった
とりあえず、めんどくさいからあさりになって、すなでもぴゅーぴゅーふいていたい
ずいぶんと広いそらがあるまちで、天気予報のはずれにいらだつ
いちまいのまどがらすのなかこどもたち 今日にさよなら、ぼくにてをふる。
一羽のとりがぼくにおとした一枚のかげ はがして本にはさんでかえる
●廣野友里恵
変拍子、木魚も泳ぐ井草海死にたいって今言ってみろ
雨の矢〔アロー〕朝焼けの雲五月の陽ぼひょうぼひょうぼひょうぼひょう
●久保真美
置き場所がありすぎるから今日の身を縮めて抱いてブラックホール
明日午後に梅雨前線をともなった約束がきます「サメの涙ね、」
Gmでもジャイアンツでも重力でも何でもいいから滅びてください
●三村京子
「見る前に跳べ」と言い捨て「今日の日はさようなら」と死んでゆく父
ツイッターをまだ始めない入水する前に呼吸を整えたいので
重たいし、絡まりやすい、メンドくさい。これ、女です。悟りたいです
そこで踏みとどまるしかないですね。ファインダーごしにいくらきれいでも
あ、ひと来て、あ、また去りてわれのもとひかりぼろぼろ身の港まち