あおどんぐりのちらばる道には
【あおどんぐりのちらばる道には】
あおどんぐりのちらばる道には
地面の下から手がのびて
土をほりかえそうとするうごきが
まがまがしいきざしにもみうけられるだろう
とりわけ影のくろい長雨の時分に
そういう眼のさみしさをおぼえ
こころのやすきを欠いたまま
それらまぼろしの手にさきんじるように
どんぐりをひろいきみはしくじったとおもうはずだ
あおどんぐりを掌中ひかるたからにすると
そのにぶい音のひびきに青がかぶせられ
音といろとがたちまちつりあわずめぐりだし
それだけでさらに眼もうわずってうたい
林のものすらしるくみえなくなってしまう
なんとまあきみの器官のいろいろは楽器にちかいんだ
むろんきみはみずからのからだを介助するために
葉もふくめ地面のものをいつもひろいあげるが
それで林よりもふかい音に憑かれることになって
さしている傘をどう雨にさしむけてよいか
それすらもわからないままやがて畠をさまよう
しぐれるとはきみとけしきの境が
まるできみのようにみえなくなることだが
掌中のあおどんぐりだけは
きみの場所をつきやぶってあたりにひかりをはなち
きみはけしきの影になってくるしくあるいている
からだがあるためにおよそそんな不便があるとすると
みちばたのまんじゅしゃげのはなびらの
線のみえがく気味のわるいかろさもいよいよのろわしく
そういうなかできみのこぶしからの放射と
まんじゅしゃげの放射とが遠近をつくりあげてゆく
これがことばだ もっというとことばの不便だ
つまりこのときからきみのからだは
秋のしるしてゆく衰退のなかでことばとひとしくなって
そのみえなさをこころもとない入れ子の内側から
おしかえさなければならない苦衷ができ
すなわちきみがまるごと地面からの手となって
あまあしにまぎれ葉っぱもふまず
ゆめうつつにあるいていたともわかる
足ではなく手があるいているそのさかしまは
ほんらいなら紙のうえをひそかに這うものだから
きみはどんぐりの曇る音をなにかに照らし
身めぐりの遠近までみずからに似たさみしさとして
ならべおくことばでさだめようと決める
そう なんのほこりもないもどかしい詩を決める
きみが家にもどるまでにはまだいくたびも通過通過
林にも消えなければならず えらんだ行程をくいるが
ある真理にはあるくなかでたしかにふれている
からだをあらわすためにたまさかどんぐりをもちい
詩をかくことはとてもはずかしい仕儀だと
そこでするちいさな声はむろんどんぐりからもらい
けれどきみが世界の奥に不機嫌にいることも
ことばのしたしいひらきからあかされるだろう
ともえそう
【ともえそう】
ともえそうの丘で
会うものとはこういう者だ、
五年後に「わ」といい得
その五年後に「た」といい得
そのさらに五年後には
「し」というつもりで
ようやく一人称にたどりつける
はずでもあったのに
なにのまちがいか「わたげ」と
かたってしまった自称のかなしさ。
そういう者のスカートをめくり
ひかりをたしかめたが
あたりに風の秋がきて
ともえそうがみなちりぢりになると
枯れ藁いろのスカートだけが
くさのまえにうかびゆれていて、
どこへいった。
秋野
【秋野】
秋になると
はものがぎらぎら
さむけを吸い
すごみをますので
くりやの奥にしまう
それで野菜蔵にごぼうがふえて
ささがきしてくれえ
となげかれる朝が来る
このなげきのなかにしゃがむと
受胎したように
こころがうるわしくゆれる
くりやの奥から出る
ごぼうのかおりが
そこのみの秋野をなし
朝のはもののあおみとも
ふしぎを起こすから。
東窓からは日がのぼる
秋菓子
【秋菓子】
極大極小の相同のために
秋菓子がいかがか
そこを割るように川がながれ
めをつむってもたやすく
たべられるように配されている
とうめいになれたらぼくらは
手に秋菓子をもって
へやのすみでぶきようにだきあうのだろ
ぎんのしぶきのとおさはいかがか
それでもひとくちすれば
へやのすみがまっかになる
もえるような、という比喩は
そんなありえなさによこたわって
もみじであれ たびじであれ
遡上の血のあじをつたえる
この澄んだ気にあって
ちいささにおおきさをみるのは
血がながれているのだ
鱒
【鱒】
ますをたべる
くちもとが老いてゆく。
だってますは
川をかぎりなくながれ
わたしはその川もたべているから。
くちをあけてますは去る日
みずを存分にとおし
ひかりも一杯にすいこんで
ふるびた鰓から
両方はきだしていった。
ゆうひと苔の推進力でなされる
そうした遡上をたべて
このゆきばが場所であるなら
空地だって身に減ってゆく。
咀嚼が川だなならば
ますのくれないの身も
老残に階段で足され
こころは川のきらきらがとおい。
よるにますをたべることは
肺に夕の森気をわたらすこと
たべつくすまでのひとりぼっちを
せせらぎにあふれながら
ようやく立てている。
かつてあかいもの
【かつてあかいもの】
ダムの底にはとおいとおい束がしずむ
そこでは季節めぐりがさきんじられ
みのり落とした柿の枝がけむりとどけと
天にむけ束ねられほこらしく焚かれている
ダムの底には人びとの数をした人びとがいるが
水は人びとを数えずそのあしもとをながれている
人びとがかくももろくいなまれてゆくそばで
ダムの底をころがっているいくつかの柿の実は
色をうしない糸になりゆく死に鮭にもみえた
メランコリーにして、かたち
【メランコリーにして、かたち】
麩を水にひたし
そのふくらんでゆくすがたに
おもいでなどがあるなら
かたちがささえをうしない
膨張してうすくするおもいでは
身となじむようにみえながら
じっさいはそのこころへ
とあるもろさをくわえ
こころでないものに変える
周囲ある風化というだけ
ひとはそういう容積性でみちたりる
みずからをとりわけておそれ
ためにわすれをもみちびきいれて
刻々こわれ破水するのだろうが
こういう耐忍が枝のゆれと
ちがいをもつのかわからないので
めのまえにある木のみどりも
眼爛凝にして、かたちだろうか
木立
【木立】
きょうがひとつの日であるとして
今日になると今日になりかわる
ひそかなものもあって
そこは動詞だけでかたりつくされる領域だが
それぞれ卓上のコップにはすきとおる舌がひとつ
コップの容積ていどにはあふれている
そのない水をのむ時間のうしろにも
わたしのすがたがひそかに反射していたから
わたしとコップの位置関係は幾重にも
ひきだしにひかれて 中身を展覧される
そうしてうるおされてゆく存在しないのども
今日を今日かぎりのむわたしにあって
あのコップとこのコップのあいだの
ひとつのかがやく散乱だと おもわれ
だからまどにむかうひろがりのなか
木立のように動詞の刺さっている過程が
わたしをかくすものとしてあるかれる
外在
【外在】
外に在るものがそれじたいにならない
ゆたかなながれのようなものが
つねにせまりくる選択にはあって
そこにはたしかに照応もあるのだが
ふたつの月のとおいならびなどが
かんたんにこの要件をみたすにしても
この頭部が何のならびになるのかは
みずから頭部のちいささをとぎすまし
あるいてみる草の花むらのなかで
足を草染めに染ませ つかれさせながら
そのながれにそって知ることでもあるから
あらゆるものの夜のふくらみに反し
花数をへらしてゆくさるすべりと赤蓮
ある夜半の池の端となりあう語が
そのとなりあいだけでうれしいように
それじたいにさせない頭部のゆたかさに
外に在ることはとなりあって染まる
あふれ
【あふれ】
わすれていたその場所に
まいもどってみると
あふれつづけるものがあった
木の花に青なしという
確率めいたものが
ただ裏庭に敗けのこって
しかし事実はつもるのではなく
やはりあふれつづけていた
こんな時間にという鶏鳴もあり
きえてしまった夕日の場所に
みずからかかげ脳を吊って
ひとつのコロナをこころみると
そのころになってようやく
青のあふれがみどりにおちつく
山なみばかりの夕にはなった
車中
【車中】
まさおのうみを背景に
所在なくゆれるほおづえの片陰がみえて
湾曲するものがその内らに
婉曲までただよわす経過もながめられたが
なにが畢竟かをかたれない離れたところの芯熱が
たぶんすぎゆくものを胸から胸にとりのがし
不意にきらめく小ざめのようなものまで
こころの布へ通すとただ窺えるから
こちらの視野もその者のためにその者を名指し
区別の墓をのこして消えるしかなく
からだと墓とが照りあったことで
身のすべてをめぐりにつたえるあのかたちですら
その輪郭特有のかなしさから
しずかにたかくそびえそめた秋へと
ありどころがありどころにかえるように
おさめられてゆくのみとおもわれた
パン
【パン】
パンは朝のくもりぞら
それをかじると
みえなかった朝焼けが
めのいろにうかびあがるらしい
めのいろのなかの色をさらにかえるため
パンをくちにたぐりよせると
めのいろはきえうせて
かおじゅうがくちにもなるらしい
そういうことをスープといっしょにわらって
目鼻なきくもりぞら
おなじ時間にパンをたべる
ひとや犬へと思いをくりひろげると
食をめぐりまわるものがあり
ものみなもパンにたべられて
世界はもういちど朝焼けになるらしい
このあともどりする時間がおいしいから
きみといてパン食がやめられない
メモ
「私」にすでにしみとおっている
世界を腑分けするために、
ことばが要る。
というかことばは、
世界の構造それ自体にかかわり
発見にむけて「すでに」
かさねられているものだから、
「私」の探索は掘削的ながら
その掘削のさなかには
「私」と世界を見分けがたくする混乱もひそむ。
換言すればことばは
「私」が世界であり、世界がことばであることを
「私」を極点にして二重化している。
混乱は、あるものを、
そのものとしないことでもある。
ことばにおいては
変容=メタモルフォーゼと真理の定位とが
ひとしくなる運動可能性があって、
詩は哲学とちがい、
この変容を目指して狂猛に書かれてゆく。
このとき書きながら熱をもつ場所が口腔の奥、喉だ。
喉が悦楽にひたるのは痙攣の運動によってであって、
詩は手で書かれると同時に
痙攣の空間吸着力によっても書かれる。
だからできあがった詩篇は
読み手の眼に即座に肉化され、
届き場所のない声として響きつづける。
この響きを本然とする点が
思考伝達を本然とする哲学とはちがう。
詩はむなしいが、そのむなしさは贈与のかがやきをもつ。
贈与とは「あなたをあなたのままにしないこと」だから
それじたいが惑乱的だろう。
哲学なら「あなたの深部にひかりを放つ」放射性のことばが
詩では自己循環するながれを水のように掬う、
他律のことばになりかわる。
詩の自体性とは、ことば/世界の自体性とおなじだが
そこでは変容に孤独を課すいとなみすらおこなわれ
これが結局「あなた」の孤独への贈与にも変じてゆく。
それでこそ「私」と「あなた」がひとしい。
杖
【杖】
おとうとは葉のしげった兄のあやつる杖にみえた。
中空にその杖をひとふりすると梢は花を生じた。
そのたびにおとうとは頭痛にかおをしかめた。
杖は川ざらいにも向けられて底から函をあらわした。
墨をつけられて文字の書かれたこともあった、「不具」と。
弦を張られてかなでられ貧しさまでもがひさがれた。
まぢかの杖があるかぎり彼方の杖があっただろう。
坂を想像しておとうとは兄の兄になってみた。
釜炊きで炭をかくのにつかわれて杖は赤裸ともなった。
兄はおとうとの顔を塗って「覿面」ということをいった。
杖は棒におとしめられ夜半には貧棒とまじえた。まじわった。
なかまの櫂に会って杖は夜船のさまよいも聴きだした。
しかしおとうとは杖としてありながら杖のなかにたっていた。
長子相伝のうたげにはじかれて杖が土間にころがっていた。
飛翔をうみださないそのことにおいて魔法の杖だった。
たしかに魔法の杖だった。泣いた。本物の跛者に拾われて。
さらわれていった。「跛者になるとみえる跛者の数もふえる」。
月あかりにうかんでいた遠煙突は空に雲が起きて消えた。
杖の掟だろう、あるく脚に添うようにそれも消えた。
うまれかわるためだった、いびつで奇数的な音がのこった。
大通り
【大通り】
きえつつなおもあるものを
ときのながれにみるのならば
ながれのおもては日をあざむいて
そらなるいろをうつしあう
まぼろしをみみへうつし
ひとのみぎわにたつと
みることはゆるゆるきこえはじめ
かつむすびかつ消すおぼえすらもが
やがてきこえへはいってゆく
めとみみをかよわせるこのしずかさは
おそいちえをうけてとるこのしずかさは
きえゆくひとのあとをただついで
あとであることでさきゆくものの尾に
さきわいとしてもつらなってゆく
みずのように みずでない
なにかへひろがることで
きえつつあるものもこころに
みずからとしてとらえられる
広場の物音
【広場の物音】
アシンメトリーのひつようから
耳をもうひとつふやしたぼくらは
耳介だらけで耳孔のない
広場のまぶしいしくみにであい
きこえないことがきこえることの
きれいな妹だと知って前方まちかまえる
じっさいあまたのいとでできた娘なら
かぜにさえかなでられてしまうから
広場のからくりにあらわれたそのときから
身のなかに身をかくさなきゃならない
それがぼくらとちがうアシンメトリーだと
うれしくなって娘をむしってしまうと
かのじょの信義のぶぶんには
あたらしい耳があたえられている
かぜを割って前からきこえてくる音が
以前からきこえていた音だとかなしくなる
それがあらゆるかのじょだった
午後六時五十三分、川べり
【午後六時五十三分、川べり】
みずから白布をながす川に
長いながいご破算を託す
背骨のみじかい日暮れの男は
河口をゆくすえにひかるものと
かんがえているぶん哀しいし
白布と川を見分けなかったのも
一体というまぼろしに
親和しすぎていたといえるだろう
おわりはそれほど豪奢か
みじかさと長さとの差をその
躯を秤にして知るのが気弱なら
背骨もあぶみのように
ただほどかれるべきだった
みずからこそ下馬されるべきだった
水おとのいななくことが
すでにして尋常でない
なにかとても青い場所でなら
もううすやみにながれているのは馬だが
背骨がみじかすぎてそれも見えない
ゆっくりができない
【ゆっくりができない】
ゆっくりができない
内在にただおされてゆく
速さのなかにある
地点A、Bが
こまに似て混ざるのに
眼をはじめとした
からだがとろけてゆく
けしの汁がにじむように
だるくしびれてみては
身の方ぼうにちった種が
結実をもどしてきて
めのまえはおもいでにもならない
しらないものをつくっている
バス最前席にのったぼくは
ポンプのまものだ
水おとをたてているので
いずればれるだろう
微笑
【微笑】
ちいさく笑うと、ちいさくなる
せみのなく、くぬぎのもとでの
それが わたしのたたずみかた
きのしたのそこだけ秋がきていて
ゆうぐれにはとりわけ陰がふかい
なにかのとおり道になる場はすきで
こんどはあおくもわらってみるが
月のあることが じゃまになって
あふれる虫の音にしずんでしまう
青くなれず、いつまでも小さく笑う
棋盤
【棋盤】
田としてひろがる水の
おおきな面へと
いくらか柱をたてている。
くもりの天を水中へ
にがくにがく
くぐらせるために。
作業はすべて
中山服にておこなわれ
ぼくらはいずれ灯される
しずかな灰色だろう。
水に浮かびながらする、
夢のような杭打ちのときにも
くるみ状にとじた
あたまのなかがぬれている。
瞼なら、さらにとじあわせて
波紋になった無限の眼を
入れ子に詰めこむ。
だから舌にも眼のもようがあふれだして
この作業の口伝ては
こだましすぎるようだ。
耳をすませば
ぼくらは八十一人いる。
つくられつつある空間が
ときたま鳥に截られるのにも
おおらかにわらう。
ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」訳詞
ずっと昔は
音楽を聴くと頬がゆるんだものさ
だからぼくも将来うまくゆけば
自分の音楽でみんなを踊らせ
しばしの間でも幸せにさせられるとおもった
でもある二月がぼくをふるわせた
配達していた新聞
その見出しにひどいニュースが載っていて
一歩たりともうごけなくなった
泣いたのかもしれない
犠牲者の未亡人のことを読んで。
何かが胸のおくふかくに触れた、
音楽が死んでしまったその日に
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
きみは書きものに愛情をこめたのだろうか
いまでも天高くいる神様には忠実なのかな?
たとえ聖書がそのように生きよとうながしても
きみはロックンロールだって信じているだろ
でも音楽は救いだろうか、きみだって死ぬのにさ。
じっさいきみはゆっくりとした踊りかたを僕にいえる?
きみがあいつと恋に落ちた姿を知った
体育館で踊っていたのを見たんだ
きみたちふたり靴を脱ぎ捨て素足になって。
情けないことにかかっていたR&Bにはぼくもイカれた
ぼくは内気なティーンエイジャー、ブロンコ馬
ピンクのカーネーションを抱え、小型トラックを転がしてたけど
徹底的にツキに見放されていた
その日も音楽は死んでいた
だからまた唄う、
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
十年間、その日暮らし
転がる石みたいに生きて、実入りだけあった
もちろん正統のありうべき生きかたじゃない
道化師は王と王妃に向け唄いだす
ジェームス・ディーンから借りてきたコートをまとって。
きみもぼくも素晴らしさに唸った
王がちょっと気落ちした隙に
道化師は王の荊冠を盗んでしまう
法廷は日延べになって
判決はもどらなかった
レーニンがマルクスの著作を書見しているあいだ
四人組も公園で音楽練習していたけど
ぼくらは暗闇で葬送曲を歌うだけだった
その日、音楽は死んでいた
ぼくらはこう歌った、
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
うだるような夏の、螺旋滑り台
鳥たちは核シェルターから飛び立つ
高度8マイルまで昇ったところで力尽き
やがては芝生に落下する
そこで選手らはフォワードにパスをなんとか向けようとしている
でもサイドラインには装った例の道化師
ハーフタイムになって、空気はあまくかぐわしい
軍楽隊がマーチを高々と演奏
ぼくらもこれ幸い踊ったが
ぼくらはチャンスというものに見放されていた
だって楽団が踏ん張って
マーチを演りつづけているんだもの。
おもいだすだろ、あきらかになったこと、
その日にこそ音楽が死んだんだと
ぼくらは歌いだす
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
なんたって、ひとっところにぼくらはあつまってたんだ
宇宙時代のロストジェネレーションってか?
やりなおす余裕なんてなかった
やれよジャック、ぐずぐずするな、急げ
ジャック・フラッシュは燭台にましましてる
悪魔にとっては火だけがたったひとりの友だち
舞台上のジャックを見るうちに
次第にこぶしに力を入れた、怒ってたんだ
地獄に天使は生まれることができない
サタンの呪いを解くことだって。
夜、炎がたかく噴きあげた、
なまぐさい供犠を照らしだそうと。
ぼくは垣間見た、サタンのしたり顔を。
その日も音楽が死んだ
ジャックも唄っていた、
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
ブルースを哀しく唄う少女にも会う
でもよい知らせみたいな歌が聴きたいと頼んだ
その子はちょっとだけ微笑んで、それから去った
ぼくは 聖なる店に出入りしていた
そこで何年も昔、音楽漬けだったんだ
でも店長にはもう音楽をかけるのをやめたと告げられた
路上では子供らが泣き声を張りあげていた
恋人たちも悲嘆に暮れた、詩人だけがまだ夢を見ていた
でももう一言も交わされない
教会の鐘もなべて砕けた
ぼくが入れあげていた男性三人組
三位一体の父-子-聖霊も
列車に飛び乗り、海岸へ消えた
その日も音楽が死んだ
彼らも歌っていた
さようなら、ミス・アメリカン・パイ
ぼくはシボレーを走らせてパーティに行った
パーティはアルコール禁止だったけど
仲間は平気でウィスキーやライ麦酒を飲み、歌っていた
いわく、今日がぼくの死ぬ日だって
今日がぼくの死ぬ日なんだって。
あかるこ
【あかるこ】
あかるこ、と名づけたものを
身のうちがわにして
かたちにならぬものを
あぐらにたぐりよせている
それはすなわち
あぐらでもなくなることで
つまりあぐらはわたしを組まない
四肢がよけいになって
手はあしにもれてゆくから
これがわたしの死ぬ日なんだ
わたしは組まれないが
しずかさが内におくふかい
発話すらせず日をなかばして
ひかりになってどうする
いくらかの真理をなぞるように
木は木ならざるもののうちにあり
木はあかるこ、としてただある
うろがひかっている林に
なりかわってゆくすがらでは
一身が落胆からほろび
あかるこもぼろぼろとうまれ
さようならそれが最後の
林のわたしにすぎない
総数王
【総数王】
沈下橋、あのうえで寝たい
空までの高度を仰向きの寝で
はたしてどこまでと定めるかは雲と星のながれだが
層の底、横をみちてくる川上からの水の気配が
個数四万十あるとはささやかな夜の音につげられて
目移りをもらえないないほどに明度もないこれら躯が
それでもすぎてやまない草魚のにおいにふれて
ゆく鮎たちにも背をかすめられてゆれる
ただの暴虐の、数の王となるだろう
まるでめぐまれないのがはずかしいが
王も個体ではなく乞食からのとおい総和だから
身のなかの星で夜空を呼びかえすため
すぐにも沈む川面からの位置がひつようで
みんなというあつまりさえ場所というよりも
すでにそこからの霊的な数にほかならず
ならんでまっとうする身の沈みも距離に投影されて
摘出のようにやがて空に貼られてゆくだろう
うえにするものはいつでも身だ、やくざな洗濯だ
腹も網にかかっていたものでちいさくくちて
空位とちがう在位はこのように空前の底にあった
通路
【通路】
夕歩きでは迂回が好きで
わたしへあふれてくる湾曲は
家並みに隙間をつくる
おとしものへはうってつけ
ポケットがゆれている
ほそみちがつきれば
浅川の蛇行する
つつましい景もみられる
鳥のねらい場は
とおくならぶ窓が目となって
空白としてひろげている
かつての範囲は
かつてが決めるので
わたしのおもうこともない
胸はあけている通路だ
そらたかく斜めから
おりてくる銀光が
涯がなにかしめしてきて
あるだろうそこには
夕顔にささる針も
列みだし
【列みだし】
夏を物神におさめようと
白い布の人びとを追ってゆくと
わたしも牽く一端となって
列というものの性格が
このあゆみにも延期されてくる
とおい前方の最後尾はただ静謐で
それは愛すべき入口でもあり
列ぜんたいを筒にしてわたしは
夏の先頭にも抜けようとするのだが
ひかる一人ひとりを追いぬくと
なにか横にむけてなす距離が
あぶらのようにきれいで
自分の音のない足もすいすい
草から水を踏みわけていると知る
かぜのおとがきこえ(仏滅)
先頭が人なのに岬におもえた
この早足は稀薄なのか過剰なのか
そうした問いには応えがむずかしい
少なくともそれは幽霊らには同じだろう
球のふたつあるサッカー遊戯と