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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

動物番組

 
 
【動物番組】


ある哀しみにとって冬のさむさをみる単純で厳粛な装置が動物番組
だとして、そこではたえず律動が無数の動物体を媒介にたましいの
ないひかりの狂奔としてみられ、それに終末的な大喧騒がさらにと
もなっていれば視聴者の眼を水でかわかすにも申し分のない管弦楽
だ。たとえばこの星の北端の極光がひかりの内側においてひかりを
たえずめくるむなしい開陳だということすら、海鳥が海中を驀進し
て魚を捕食するようすとおなじ層にあつめられて莫大なるものの自
転、その内実をつくりあげ、なにか数というものが固体性をはなれ
た滓や粒からしか形成されない図形の諦念までもがてらしだされて
くる。あらゆる図形が風に浮き微細にゆれることでようやく図形と
なる発現の奥行きというものが再帰的にあれら風のなかにある。人
間が通常おりなす物語の質にはその者の特性とかかわる恋愛とか破
滅とか彷徨などがあるだろうが、そういう物語に飽き、個体の強弱
と経年だけが決定項となり崖や海流や温度をつうじて生命の推移が
数量内外に還元されてしまうだけの世界をみると、一集団の離散と
集合が他集団のそれらと出会う運動論的な確率だけが魔物の貌のよ
うにあって、その図像も誕生なり死なりが極点からの分布として点
在する抽象画の領域にのみいつもひろがっている。一個体をたまた
ま襲う非運というべきものすら点滅性の本質のなかでうべなわれて
ゆくと気づけば、動物番組とは残酷とむすぶなにかの呼気とともに
いることをさそう敬虔な宗教番組でもあって、けれどもそこで一視
聴者が感覚の全体になるのか無になるのかが一概にはいえない。た
だ哀しみのこぼれを多量性として一切まぶしくみているだけなのだ。
 
 

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2011年01月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

きみの机に春がきている

 
 
【きみの机に春がきている】


あきらかな太陽と
あきらかな影とが
よりそっているなかにしか
ぼくという棒はあるいていない
あえぐほどの、というほど
おおげさでない犬もあるけば、だが
棒にはあたらずに
ふくらんでいる外の
継ぎ目のようなものへとはいる
だれの目だろう
そのなかで思い出になるには
ぼくの手足が鏡に似すぎていて
けっきょく空の色を拝借し
ほのあかるむ残存となるしかない
なぎさがむかしの散歩みち
あるいはぼくがあるくことは
二匹の犬がひとすじになることで
この世の中間のなかで
身の中間を排除することなんだ
いつもきみのそばをあるいているのに
いつもきみのなぎさをとおっているのに
ぼくは歩数にしかならない
ものおとにも霊性があることを
鏡があるき世界をふやしていることを
犬とぼくがおなじ場所で点滅していることを
おそらく春というんだ
きみの机にはかこまれてひびくこだまがある
やなぎのおもかげもあって
机にむけくもりがらすが叩かれている




未明に本日分の卒制チェックをおこなったあと朝寝、
起きてからは今日の課題の
「かいぶつ句会」寄稿用の俳句づくりをした。

自分でいうのもなんだが
おどろくべきほど冴えていて恐くなった(笑)。

それでふとおもいだす。
自分のサイト中の
「句集」と「かいぶつ句会エッセイ集」を更新していない。
去年の「かいぶつ祭り」で出した句とエッセイだ。

いま更新をしたので
ご興味のかたは「阿部嘉昭ファンサイト」の
「未公開原稿など」の欄をごらんください。
エッセイは安井浩司を書いています。



お報せついでに。
岩波書店の「日本映画は生きている」シリーズ第八巻
『日本映画はどこまで行くか』が
シリーズ完結本として
とうとうできあがりました。

ぼくは四方田犬彦さんと黒沢清監督にインタビューしています。
題して、「世界化と廃墟の狭間で」。
昨日この欄でご紹介した『ゼロ年代+の映画』の座談会よりは
ぼくはずいぶんとおとなしく喋っています。
ご興味のかたはぜひこちらも書店で覗いてください。

ともあれこれで
ぼくの「日本映画は生きている」シリーズへの登場も
計三回となった。
あらためてしるすと、

・「日本映画は生きている」第一巻『日本映画は生きている』中の
「メディアがあたえた映画の組成変化とは何だったか
――〇〇年代の「東宝的なもの」をめぐって」

・「日本映画は生きている」第七巻『踏み越えるドキュメンタリー』中の
「ドキュメンタリーとしてのアダルト・ビデオ」

・「日本映画は生きている」第八巻『日本映画はどこまで行くか』中の
「世界化と廃墟の狭間で」

となります。

学生の映画研究者には必携どころか
一般映画ファンが読んでもおもしろいシリーズ企画。
ぼくが登場する以外の巻もどうぞ手にとっていただければ



本日の詩篇は、「あるき」から
吉田拓郎「春だったね」へ領域ののびた詩篇となりました。
なぜか音楽的発想のつづく今週
 
 

2011年01月28日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

歩行困難

 
 
【歩行困難】


単音を
ばらまいているうち
足が地面から
ほどけなくなった

そこにできていた楽譜は
かなでればもつれるだけの
あぶらの、ろうぜき

やけにぎらぎら
虹の根っこをおもわせて
いつのまにか
くつなしになった足を
つかんでいる

草がかわったのかと
おぼえるほどの
ひかるあらべすくだが

そのようにみやこが
あしもとをくずす変貌を
もうずっとみおろして
じぶんが渦になっていた
気もする

東京は
ながめるには良いところ
渦になっていると
それがわかるけれど

きょうは季節をすこしやめる
かさなったために
しろくなっているだろう
真うしろだけを
ふりかえる




今日は朝イチで
緑内障治療のため狐久保の眼科へ。
まめに薬を点眼していたためか
眼圧検査の結果は良好だった。

その後バスで仙川に行き、
本屋さんで「レコードコレクターズ」の増刊として出た
『フランク・ザッパ キャプテン・ビーフハート
ディスク・ガイド』(和久井光司の単著)を買ってしまい、
帰宅してぱらぱらめくると
読むのがやめられなくなった。

膨大なディスクレビュー集。
ディスクレビュー特有の「文体」にふれるうち
「ミュージック・マガジン」を読みふけった学生時代が蘇り、
そのころ聴いた音楽の感触まで厚みとして記憶にひかってきて、
卒論チェックをほっぽりだし
懐旧的になって一気読みしてしまった。
和久井さん、レビューがうまいなあ。

むろん評価はひとそれぞれだ。
たとえば和久井さんは70年代ザッパに点が甘いとはおもう。
レビューを読むためのBGMとして
70年代ザッパのアナログレコードをかけつづけたが、
『グランド・ワズー』も『万物同サイズの法則』も
うつくしく、手堅いとおもうがやはり物足りない。
ごった煮感が足らないのだ。

ザッパの60年代のアルバムは
細部を憶えきらない脅威が
その「前衛精神」「音のおいしさ」とともにあって
それが万華鏡の変化をスローモーションでみるように
時間意識に作用してきた。
その幻惑が好きだったが、
『グランド・ワズー』も『万物同サイズ』も
ぼくは精確に憶えていたのだった。

ともあれついさきごろ『ザ・ベスト・バンド』と
『メイク・ア・ジャズ・ノイズ・ヒア』にイカれたぼくだ、
『オン・ステージ』シリーズは第六集まで揃えようと誓った。

上の詩篇はその『ディスク・ガイド』の読後を書いたもの。



ここでお報せふたつ。

森直人+品川亮+木村重樹編集の
『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ができあがりました。
ロング座談会(インタビュー)が三本あって
ぼくは松江哲明監督とともにその二番目に参加し、
「フェイク・ドキュ」について話しているんだけど、
一番目には樋口泰人さんが参加、
三番目は黒沢清監督がインタビューされて、
これらをとおして読むと「ゼロ年代経過後の映画の現状」が
どのようなタームと精神性で捉えられなければならないかが
如実に、身体的につたわってくるとおもいます。
他の論考は未読だけど
現在的映画を捉えるための必携文献だと請合えます。

もうひとつ、岩波書店で刊行されているシリーズ、
「日本映画は生きている」全八巻がいよいよ終了ということになって
以下のイベントが決まりました。



シリーズ「日本映画は生きている」(全8巻)完結記念イベント
日本映画は生きている!

日時
2011年2月13日(日)
18:00~20:00(開場17:30~)
料金 税込:1,000円
会場 青山ブックセンター本店
定員120名様
受付開始日時
2011年1月19日(水)
10:00より
参加方法
オンラインストアにて受付いたします。
http://www.aoyamabc.co.jp/event/
または店舗にて受付いたします。
※入場チケットは、イベント当日受付にてお渡しします。
※当日の入場は、先着順・自由席となります。
※電話予約は行っておりません。
お問い合わせ先
本店
03-5485-5511
出演: 加藤幹郎・木下千花・黒沢清・小松弘・松本圭二・吉見俊哉・四方田犬彦・李鳳宇

ぼくは壇上者ではないけれど、当日会場にはいます。
とくに学生のかたで映画に興味のあるかたは
ぜひ青山ブックセンターのオンラインストアに
申し込んでいただければ

――以上、お報せでした
 
 

2011年01月27日 現代詩 トラックバック(0) コメント(1)

かばんのある散歩

 
 
【かばんのある散歩】


かばんにささえられて
あるいてゆくと
空気がかばんにはいってきて
自分がどんどん内側になってゆく
空といっしょにあるこの内側が
なつかしさの正体だ

たしかにかばんのなかには
いまはないがあって
詩想をかきちらしたまま
きえていったあれら手帖も
ひとつのおもかげだろう

整列するのはじつはむしろ
おんなのたしなみだが
きえていったものの整列が
むこうにはいつまでもみえている
かばんはそこからひかりをとって
ゆっくりふくらみつづけ
自分のあゆみまで空気的になる

ありふれたにある脱力
かばんの閉じをひらいて
道ばたに置いてみると
かばんから空へけむりみたいに
空漠もひろがってゆく

まほうなのかそんなふうに
かばんのかたわらで
ほんとうの内側のひとになった
 
 

2011年01月26日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

たたずまい

 
 
【たたずまい】


ひとのたたずまいというときには、おもざしやすがたとともに、そ
のからだの輪郭からわずかにひろがる風景までもがふくまれ、とり
わけその風景のなかでのたたずみかたが、さみしさや夢のようすと
して愛着されるのだろう。そうでなければからだそのものが他人の
想起のなかでただ劣化にまかされるがままになって、ひとは紙切れ
のように集約され、おもいすらめくられることなくついには点にな
ってしまう。だから摘みとった花をかかげ、たずねてくるひとも、
その花をつうじ自分がそれまでどんな風景のなかにいたかをことば
によらずつげて、このときつぎなることばは花のゆれからうかぶ橋
をおもわせこちらへしずかにしろくのびてくるだけだ。たとえばお
はようというほどの単純なことばを手がかりに声の棲処をまぶしむ
ときに、むかえる夢想が対象にしているのは、ことばではなくその
ひとの外側、おもいからからだの輪郭をつきぬけてにじみだす色あ
る無人の風景で、それがたれにもひろがっているものなのかそのひ
と固有なものなのかへはじっさいに注意がむけられない。ことばは
通常みられずして聴かれるものだが、春ちかくにあってはひとを媒
介にかくもぼんやりとみられ、あるいは夢とも区別がつかなくなる。




たたずまいの重要さをおもうことがある。
逆をかんがえてみよう。

たたずまいを感じられない詩作者、
たたずまいを感じられない歌手などは
たぶん存在そのものから崇敬をうばわれて
商品にちかい位置に対象化されるだけになる。

やがてはそのことばの惨状に悪酔いするようになるか
あるいはその歌声からわかさの消えることを
深甚な欠陥のようにおもいなしてしまう。
テキストやからだだけに注視がおこなわれるためだ。

だからこそたたずまいの要件、
からだの周囲の風景のひろがりがうながされるべく
からだそのものがあらかじめ
世界をふくんでいなければならないのだろう。

そのように詩作者や歌手を、最近のぼくはかんがえだした。



近況:

最近聴いた七尾旅人の『billion voices』の音楽性があまりにもたかく
釣られて往年の「音楽脳」までもがもどってきてしまった。
それで昨日から立て続けに音楽を聴いている。

まずはスティーヴ・レイシーとロズウェル・ラッドの『Monk’s Dream』。
少人数でビッグバンド形態を貫徹するレイシーの漂泊性が
セロニアス・モンクの陽気で記号的にクールな音の分散をたどって
なにかやわらかい中間域が幸福にひろがってくるのをかんじた。

つぎはフランク・ザッパ。
ザッパは『シーク・ヤプーティ』『ジョーのガレージ』まではよく聴き
そのうえで『200モーテルズ』までがザッパの絶頂期だというのが
ぼくの学生時代いらいの一貫した持論だったが、
ミクシィのザッパ・コミュは大山甲日さんとは別地点で
ものすごく充実していて、
不知の癌を宣告されてなおザッパ・ミュージックの大輪を
ライヴで咲かそうとした90年ごろ以降のザッパへと
興味をかきたてられる内容がつづいている。

それで手にしたのが『ザ・ベスト・バンド』と
『メイク・ア・ジャズ・ノイズ・ヒア』の二部作(ともにライヴ)。

ロックやクラシックの定番のザッパ的カバー、
ザッパの過去の名曲のコラージュ、
そのうえに完成域に入ったザッパのギターが
意外に枯淡な歪形美学を発揮する。
ベーシストが途轍もなく音変化を読めていて、
その支えがあって演奏全体の自由が獲得されているとわかる。
ということは、第一期マザーズと似た
演奏の面白さがあるということにもなる。

タイトルを掲げたライヴ盤はどちらも二枚組CDで
通して聴くと四時間以上かかるとおもう。
そのなかで『メイク・ア・ジャズ…』のdisc1が異様な達成だ。
スタジオ録音でしか成立できないとおもわれた
往年の『アンクル・ミート』的な複雑音楽が、
おどろくべき余裕で祝祭的に延々、演奏されているのだった。
こんなに高度で嬉しい音楽など、滅多に体験できないだろう。

晩年のザッパ、網羅的に聴かなくちゃ、だなあ。

と書いたところで次に聴こうとしているのがマーク・リボット。
気に入れば、また感想を書くかもしれない
 
 

2011年01月25日 現代詩 トラックバック(0) コメント(2)

  
  
【坂】


坂のある風景には、その坂となだらかに連続する斜面もあり、そう
した斜面の真髄のように、坂道がひとすじの意志にかわって風景に
垂れ、往来によってそれがのぼりくだりの転会となって受容されて
いる。萩原朔太郎は坂にたいし二つの地平線が遠方から透視される
複合をかんじ、だからそれを数理的に愛したが、むしろ坂はそうし
た遠方透視を前提に、往来の速度がのぼりにおいて緩徐し、くだり
において加速する対照性の、いわばその発火から地上にうごきをあ
たえる。坂があることで早く暮れる場と晩く暮れる場が頂で隣りあ
い、その早い晩いが明けの場合は逆の結果をみちびかれることでも
真の偶成があり、たんなる遍満ではないものへと敬虔にしがみつい
ている人びとの暮らしからは、たしかに総和と傾斜の概念もしたた
っている。坂のえがくこの地上的な律動がさみしさをもって是とさ
れるのなら、坂はちかさと認められてもそのとおさが空間全体に投
影される自らを超えでたものなのだろう。坂をつうじ一個人のうえ
にとおくえがかれる転会の本質もそこにあり、だから坂はひかる。
羽虫のかるさで自転車が数台、坂道の夕暮をおりてきたので祈った。




松下育男さんが個人ブログへ一月二十日にアップした
散文詩「なくしたものを」は
私見では萩原朔太郎の散文詩「坂」の
松下さんなりの変奏だとおもう。

ふとその萩原/松下「ふたつの地平線」のあいだに
もう一本の地平線を引いてみたくなった。

それで上の詩篇を書いた
 
 

2011年01月22日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

アナクロニズム

 
 
【アナクロニズム】


アナクロニズムの手つきとは牛に恐竜の尾をつけるようなもので、
多くは時間を円環とみてそれを断ち切りその尾をあかるみにだす一
次元的なブリコラージュといえるが、これがキメラづくりの反骨で
あるかは一概にいいがたい。というのもアナクロニズムとは手つき
でありながら同時に身に纏う生き方にもなってしまうからで、対象
の牛を探しながら自らが対象の牛そのものへとすりかわる、犯人探
しを犯罪者がおこなう怖ろしさがそこにつねにつきまとっている。
ならば時間錯誤者の発見にとって悦ばしい恐竜の尻尾もほんとうは
自らと同類のゼロ値の魔物と呼ばれるべきだし、クローゼットに苔
むしている緑の上下も発見されることによって発見者を矩形に固定
する、精神の枷とかんがえるべきではないのか。一方アナクロニズ
ムとは一面では全体を罅割ってゆく部分的な蒼古であって、脅迫で
あっても同時に時間の全体性への浅慮の性質をもつから、そのまま
頭脳の模様に反映されて、時間錯誤者の頭脳も足りなさをさししめ
すただの部分になってしまい、それは一空漠が他空漠とつながりつ
づけるあの無時間ともなりがたい。綜合すれば部分でありつつゼロ
であるものの矛盾撞着がよわいということで、かつてあったものが
自在によみがえるのもたかだか想像力の恣意のなかでにすぎず、想
像力とからだが相殺しあったのちに現出してくる無時間には如かな
い。牛は虚心にみられるべきで、そうすれば牛が尾をもちつつそれ
を振ることでじっさい尾を欠いているかたまりの時間だともわかる。
 
 

2011年01月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ancient adolescence

 
 
【ancient adolescence】


春ノ日ニミヤコヘ行ツタ。
カナタ、コノ世ノ色ガ
ウスモヽニナガレテヰテ、
眼ハ オモヒデヲ呑ム。
幾ラカハアマダイノキモチ。




昨日は神楽坂で黒瀬珂瀾さんの歓送会。
出席すると大盛会だった。

珂瀾さんはこの二月から
一年間のイギリス滞在だという。
帰国後は福岡在住も決定しているとかで
東京で名残を惜しむ会となった
(とはいえ、ネット社会なので
日本/東京への原稿送付に何の支障もない)。

歌人ばかりで壁の花になるのかなと危惧していたが、
旧知の加藤治郎さん、斉藤斎藤さん、江田浩司さんと
愉しい長話ができたほか、
小笠原鳥類さんとも知遇を得て幸運だった。
辛辣さの質が意外にぼくに似ていた。
また一緒に「品定め」をしてみたいもの。

会場では「町」の同人にも声をかけられる。
服部真里子さん、平岡直子さん。
どちらも初々しくて可愛かった。
ぼくのブログをいつもみている、とか。
嬉しいことだ。
  
  

2011年01月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

一月十八日、お茶の水

 
 
【一月十八日、お茶の水】


ひとのながれへ消えていった
宵はどんなに流れであるのか
それでも顔みなが竿燈形にうかび
稲穂の記憶は風にゆらいでいる
摩擦のない街との過ぎ行きがある

胸におしとどめようとしても
あふれてしまう一月、万物の川
決壊がひかりの生き方であったとき
宵はなにかの鈍い反芻にすぎない
くろい空がとおくひろがる

それは-かつて-あったは今や
あるくまるごととしてただあるかれ
写真を撮りあうような往来だった
気配だけ浪費するよわい民族の共同
ひとらの眼が恥じて伏せられた

べつの言い方も呼ばれるだろうか)
あるくのをやめられないが
移動の生じないようできないかと
このからだが抵抗していた
それでも万有の速すぎることはない

夢遊をおもわせる、場所の橋
かぞえに先行しているのは漂泊だ
またも別れが予行されるだろう
街灯にてらされる一瞬が共有され
影が錯交するのをその宵にみていた
 
 

2011年01月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

海辺の一日

 
 
【海辺の一日】


海のなかへ下りてゆく階段で
見た目の膝を折りたいとねがう
帰巣については本能が壊れていて
ゆうぐれのように生きている

一汁二菜のその二にわけられて
ちゃぶだいが十字路になった
やせるためにした食事の
うつくしいどぶのいろ
噛みながら鶴を聴いていた

いまごろは眼に枯れ木が浮かぶ
しずもって出される腕には
だらしなくひろがる水が
今日として抱えられるがよい
そうやって胴体がよみがえってきて
とうぜんそれは濡れひかっている
ゆうぐれのように生きている

皮膚にさかさもうもれていた
こころに海市をみすぎて
愛着は紙なのかうすい

胸郭のせまさに刻限があたえられ
その身は海峡だ濡れている
おしたおせば舟に似るからだから
釣りあげようとした
轟々とひびく海底

呑むと塔のうえに十字架がみえる
ひとののどぶえだ
おんなとは浪でつながれて
ゆうぐれのように生きている
 
 

2011年01月18日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

苦痛について

 
 
【苦痛について】


苦痛においてわたしが生ずるとあなたはいうけれども、むしろそう
いう苦痛とは脱個性化の契機ではないだろうか。たとえば植物に苦
痛があるのも自明だろうが、植物は領地をうばいあった果ての、曖
昧模糊とした植生の連続相として地上にいつもあらわれていて、そ
れ自体ではおさまらない延長をたえずもつ点にその苦痛がむしろ拡
散されているとみえる。だからこそたとえば乳房をもつことで苦痛
をかんじるあなたが植物の群生地をあるくすがたにも、何と何がつ
ながるのだろうと予感してひとが陶然となるのだとおもう。ひとを
自分を、植物のなかに置け。ただし庭師はそれだけでなく、歩行者
がたまさか草の実をつまむ所作をつうじて、苦痛そのものが人のか
らだの外側で作庭されてゆくふくらみをも、自分の作品につけたし
ているだろう。歌の用意を。やがて苺の花が微風にゆれだす時節だ。
 



 PDF詩誌『四囲』3号がアップされました。

 目次は以下の通り。同人の課題は散文詩です。


「たぶん、きっと」長谷部奈美江(ゲスト)
「桃」飯田保文(ゲスト)   
「ふちをたどれど」(5編)高塚謙太郎
「大川」(4編)廿楽順治
「遠さのために――散文詩のこころみ」(5編)阿部嘉昭
「きざはし」(4編)近藤弘文
後記

サイト「改行屋・廿楽商店 〈この世〉支店」で公開されています。
URL http://tsuzura.com/konoyo/


ぜひご一読ください
 
 

2011年01月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

楽人について

 
 
【楽人について】


楽人は月桂樹のもとあぐらをかきながら微風につつまれてうかんだ
楽想=消えてゆくをいつからかかなでている。その琵琶が無有の器
だとして、ならばそのからだも無有の器だろうと聴きとるとき、そ
こでは彼の自分にないものこそが月桂樹のかげりや微風とともに彼
じしんに編成されていて、こつじきの様相すらその拡散と集中には
ただよいだしている。それが聴く者をちかさのやすらぎからおだや
かなミメーシスへといざないだすようだ。哲人にあらずして消えて
ゆく、ないものだけのうつくしいぼろぼろがそうしてかなでられる
ことで、消滅はまわりの者たちにもちいさく感染されていって、楽
人と聴衆、その退場のどちらが早いのかもまた、離れた場からはみ
てとれないが、しあわせの体験とはいつもちいさくうごく音の列と
してたったひとつの場所にああして匂うのだろう。楽人の訓え「そ
のときもあのときも楽音だから人みなは捲かれ、ただ消えてゆく」。
 
 

2011年01月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

詩作者の散文

 
 
このところ詩作者たちの散文書籍を
新刊、古本とりまぜてずっと読んでいた。

きっかけは去年暮れに読んだ井坂洋子さんの
詩篇解読と身辺雑記エッセイを精密に抱き合わせにした
『はじめの穴 終わりの日』(幻戯書房、10年12月刊)と、
これまた去年暮れ、試写会に行くついでに渋谷古書センターで買った
「詩と思想」10号(80年10月刊)。
そのどちらにもふかい感動をおぼえたのだった。

後者には三橋聡の『じゃりン子チエ』評、
井坂洋子の音楽評と田村隆一論、
山口哲夫の井坂洋子論、支倉隆子の吉岡実論、
菊池千里の犬塚尭論(これはのち松下千里名義で『生成する「非在」』に収録)、
古賀忠昭と松下育男それぞれの近況報告文などが載っていた。
そう、いま再読したい詩作者が一堂に揃っている感があって、
なんとむかしの「詩と思想」は豪華なラインナップなのだろうと嘆息も出る。

連続読みした散文書籍は以下。
・荒川洋治『文学の門』(みすず書房、09年12月刊)【A】
・清水昶『自然の凶器』(小沢書店、79年7月刊)【B】
・岡井隆『詩歌の岸辺で』(思潮社、10年10月刊)【A】
・入沢康夫『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(書肆山田、10年5月刊)【C】
・入沢康夫『ナーサルパナマの謎』(書肆山田、10年9月刊)【C】
・多田智満子『動物の宇宙誌』(青土社、00年6月刊)【C】
・菅谷規矩雄『ブレヒト論 増補改訂』(イザラ書房、72年5月刊)【B】
・野木京子『空を流れる川』(ふらんす堂、10年10月刊)【D】

それぞれにしめされている「散文」が
彼ら彼女らが別の機会に書いている詩(歌)と似ているかどうかが
読解にあたってのひとつの思索判断基準となった。

【A】に分類した荒川と岡井の著作は、
書評集、エッセイ的詩人論集と呼べそうなものだが、
その柔軟性と全方位的な目配り、さらにそれらを裏打ちする学殖が
達意といえることばの運びのなかにしずかにきらめいている。

荒川洋治の書評が絶頂期坪内祐三に輪をかけている点は
読書人の多くにならもはや自明の域になってもいるだろうが、
たとえば山本有三の作家的資質を、
初版文献の文中半角アキ表示から言い当ててしまうなど手際が鮮やかだし、
チェーホフの短篇にどのように対するかにも血肉がかよっている。
荒川の詩の初学時に彼がどんな行動や嗜好をしていたかも伝えられ、
書籍全体でものすごく情報量が多いのに目詰まり感がないのは
荒川が選択する文体が論理的に武張らず、しかも精確だからだ。
「やわらかさ」はそうした荒川的精神の端的な結実の位置にある。

文章の掲載順序にたくらみがひとつある。
《散文は、異常なものである》という揚言が冒頭収録文にあるのだ。
もともと上代からの詩をふくむ文章では、
伝達性よりもその周囲にある特性が文章の眼目となっていたのに、
商業性を抱えもつ近代の発明品「散文」では伝達性に特化が生じ、
結果、「精確さ」などという
それ以前になかった特性が価値化されるようになる。

荒川は書中の一箇所で
自分の書評は、異常性をもつ自分の詩とはまったく似ていないと書き、
たぶんその返す刀で、
自分の散文が近代以来の「異常な」散文精神を体現していると
暗示しているような全体構成なのだった。
そうして荒川は精確さの実現のために、柔軟性をも組み込む。
そこが稲川方人的硬直との分岐点だ、というように。

近年、旺盛に雑誌発表された詩論詩人論を集成した
岡井の『詩歌の岸辺で』は
日夏耿之介や北原白秋から松浦寿輝、笹井宏之まで
(あるいはちらりと論及されるところでは藤原安紀子まで)、
俎上にのぼせる対象がじつに幅広い。

たとえば谷川俊太郎、吉本隆明、北川透、小池昌代への愛着が
「本気」なのもその文章から素直にわかるし、
とりわけ遅れてであった知己・辻征夫に
その生前もっと触れえていたら、という慙愧もうつくしい。
しかも詩文解読の見本のように、その解釈が多元的で見事でもある。

ぼくなどは物を書く日々の順序は、現在は
依頼原稿→詩作→自発的評論、といった優先順位になるが、
岡井さんの文章があつめられてハッとするのは、
そうした分離がなく、それら相互が溶融してゆく際に、
人生上の「機会」の意味が探り当てられている点だろう。
その証拠というように、掲載文章の一部は
詩集『限られた時のための四十四の機会詩 ほか』、『注解する者』、
さらには歌集『ネフスキイ』へと自然な接続が果たされている。

詩作・歌作と文章書きに分離意識がないという点でいうと
実際は先の荒川洋治とは好対照をなしていて、
それでも散文書籍の出来が荒川どうよう柔らかいのは、
岡井さんの場合は現状の詩作歌作が柔らかく、
その接続先となる文章も柔らかいという単純な図式に負っている。

70年代岡井短歌に出現してきた「詞書」が
いまでは岡井さんの文章全体に拡大したといっていいだろう。
収録文それぞれは依頼原稿なのに、
それを日録のように感じさせる点にこそ岡井魔術がある
(かつての『辺境よりの註釈』『茂吉の歌 私記』も日録だった)。
感性の異様な若さのことはここではいたずらに喋々しないでおく。

【B】に分類したのは清水昶と菅谷規矩雄の著作だが、
前者では黒田喜夫にたいする論争文の幾つかが
分厚い量で冒頭収録されていて、その構成の闘争性にまず驚く。
70年代後半、「革命意識」逼塞の時期に、
大きくいうと清水昶は日本的自然とは何かに着目せよと説き
黒田喜夫のいう「土着」がいかに概念的に空疎かを突きつける。
吉本の論争文が「試行」に飛び交っていた時期だから
このようにポレミックで感情的な物言いも時代的に許容されたのだろうが、
さすがに途中から、読む神経が磨耗してくる。
とりわけ欠けているのは相手への「例証」精神だろう。

このような「男性的な」文章はいまでは多く忌避されている。
ただしポレミックな文章の「たたみかけ」に
清水のリズミックな詩作意識を同時にみることもできるから厄介なのだった。

ともあれじっさい清水昶『自然の凶器』の美点はそのような場所にはない。
「荒地」「列島」などの戦後詩プロパーから外れた、
丹野文夫、永井善次郎、大野新、天野忠、米村敏人などを論じだす
第三章から途端に書面が精彩を帯びだし、
見事な平井弘(歌人)論を挟んで、
思潮社『新鋭詩人シリーズ・荒川洋治詩集』に掲載された
荒川洋治論(これは初期の荒川洋治論では白眉をなすもの)も出現する。
そこでは「新しさ」への非常に柔軟な対応もあって、
石原吉郎の追悼文の「敬虔」と大きな幅での好対照をなす。

清水昶の文章はその詩と似ているだろうか。
ぼくは彼の良い読者ではないが、
革命意識挫折ののち、さまざまな詩作者の美意識との化合をはかった苦闘史が
清水昶の詩業だという意識がなんとなくある。
そういう「くるしさ」と清水の文が似ていなくもないのだが、
たとえば論じる対象の荒川洋治とは清水は似ることができない。
岡井隆なら論じる平田俊子とも水無田気流とも似ることができるのに。

70年代後半に書かれたそれらの文章では
内ゲバ時代の終焉、という時局性がたえず裏打ちされていて、
その自然延長で「いまの若い世代はくるしい」とエールが送られるのだが、
その時代の「若い世代」の片隅にいたぼくなどは
清水昶の強調している「くるしさ」を自覚していた感触がない。
ぼくらは清水の把握とは「似ていなかった」。

どういうのだろう、
先に論及した「詩と思想」10号にあった70年代のひかりが
清水昶の文章の多くに欠落していて、
傍流詩人とわかい詩人を論じたときにのみ、そのひかりがにじんでくる。
その構造こそが清水自身の「くるしさ」と「その後」を
規定していったのではないか。
となると結論的にはやはり
この詩論集は清水昶の詩に似ているということになる。
ただその「似方」もまた「くるしい」のだ。

もういっぽうの【B】、菅谷規矩雄の『ブレヒト論』はどうか。
のち「造反教官」となる菅谷のドイツ文学への嫌悪がみてとれるその文面では
ドイツ革命→ナチス台頭→亡命→ハリウッドとの対決といった
ブレヒトを取り巻く個人史のなかで
とりわけブレヒトの初期演劇と詩業がつよい筆致で跡づけられる。
そして既存ドイツ文学者へのルサンチマンからか
ブレヒト論のキーワード「異化」には
なにか不透明な留保の施された立論がつづく。

当時の翻訳文献状況の限界なのだろうか、
ブレヒト的「異化」の本質がコラージュであり、
役柄の感情移入を廃した並立的概念化であり、
芝居時間のニューズリール化であり、
しかもその全体が「質問化」として機能する、といった
ロラン・バルト的な視座がすべて閑却されている
(これらがゴダールや大島渚の営為を枠づけするものだが、
ドイツ以外の「前衛」は菅谷の場合、
フランス「文学」者にほぼ限定されてしまう)。

バルトがおこなって菅谷がおこたったことは即座にいえる。
ここでも基礎文献からの例証手続きが稀薄で、
その結果、余計に付いた「澱」こそが
文脈の過度の抽象化と論争性なのだった。

野村修のような、基礎文献の丹念な解読によって
ドイツ革命後のドイツ思想をになった群像を
しかるべき空間に陰影化する手続きがほしいと当然おもうし、
長谷川四郎『中国服のブレヒト』のように
ブレヒトの赤化が中国の古賢とまじわって
どのように寓意的世界を織り成したかといった、
つまり「ブレヒトを救う」着眼もほしかったのだが、
ナチスへの対抗を傍観したブレヒトには
代わりに「生き延びる」「亡命者の思想」だけがあったと短絡されてしまう。

いまからみれば奇異なことだろうが、
菅谷のブレヒト論にはベンヤミンの名前も出てこないのだった
(晶文社の『ベンヤミン著作集』はもう刊行済みだったので
「ドイツ文学者」の位置からもう降りようとした菅谷の苦衷も推察できる)。

周知のように菅谷の興味は音韻論にその後移ってゆくが
そこでも彼は圧倒的な悪戦を繰り広げる。
そのさい散文でおこなわれただろうさまざまな立論が
菅谷の詩作そのものと似ていたかどうかは
菅谷の詩のよい読者ではないぼくにはわからない。
ただ知る範囲での印象では清水昶よりももっと「くるしかった」とおもう。
そういう苦衷を先験的に固定してしまった本として
菅谷の『ブレヒト論』はたしかに詩史的な価値があるともいえる。

そのなかで意外におおきな印象をのこすゴッドフリート・ベンは
とうぜん主体的な社会参加者ではなかったから菅谷の反面教師だろうが、
ブレヒトよりもベンに呪縛されたという意味では
菅谷にとってベンが自分の虚像だったともとらえられる。

【C】に分類した入沢康夫のふたつの著作は、
『校本宮沢賢治全集』の監修校訂者としての
入沢の知見が縦横にめぐらされたもので、
『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』は
賢治の手帖に殴り書きされた「雨ニモマケズ」中の
《ヒドリノトキハナミダヲナガシ》の「ヒドリ」が
「ヒデリ」の誤記かどうかをめぐってなされた論争文を集成している。

論争文なのに、エッセイの滋味をたたえ
しかも賢治の文献から「ヒデリ=旱魃」が
いかに「冷夏」と対句的にとらえられた兆候なのかを立証し、
またその書き原稿から、賢治の誤記の癖を図版として差し出し、
そのなかに「ヒドリ→ヒデリ」の例も散見されることを博捜するくだりには
推理小説的な蠱惑さえある。
なによりも入沢の散文の安定感が読んでいて本当に心地よい。

『ナーサルパサマの謎』はそれ以外の、
『校本宮沢賢治全集』ののちに生じた
賢治のトピックについて書かれたエッセイ集で
標題の文章に引用されている帽子屋さんの文章など、
素晴らしさが入沢さん本人にのみ帰着しない点にうつくしさがある。
そこでも安定的な、文章の確実さが胸をうつ。

さて、ここでは入沢文と入沢詩との分離線をしめすものとして
歴史的仮名遣いの有無について注意喚起したい。
周知のように入沢詩では散文形がもちいられながら
たとえば『かりのそらね』ではそれが本人的に詩に属するとあかすように
記述では歴史的仮名遣いがもちいられる。
その区別がなければ、一応は入沢文の安定性と
入沢詩の安定性は『かりのそらね』レベルでは
すごく「似ている」ということになる。

ぼく自身は歴史的仮名遣いの文章(岡井さんもそうだが)では
歴史的仮名遣いの発想が(たとえば石川淳のように)
あるべきだという信念があって、
入沢さんの歴史的仮名遣いはその使用に必然性がなく、
読んでいても現代的仮名遣いに置き換えて読む隔靴掻痒を感じてしまう。
つまり、詩である表徴として
歴史的仮名遣いがあるという解釈は誤謬だとおもう。

とうぜん記憶や伝承の危うさ、飛び火と、
論脈の一種の神聖な欠落のほうに
入沢さんの書くものの詩性が胚胎されていて、
つまりは近年の入沢詩の詩性は散文性からわずかに離れる、
主題選択と論述提示のなかにこそ宿っているという判断をもつ。
むろん詩的言語をどう創造するかといったラディカリズムのなかに
入沢詩の現在はほぼない、といっていいだろう。
これがいわゆる「学殖詩人」のとりがちな姿なのではないか。

【C】にもうひとつ分類した多田智満子『動物の宇宙誌』は
今回とりあげたなかで最も豪華絢爛で学殖的な本だ。
また日本語が達意だという点でも群を抜いている。

ありようは、「亀」「鶴」「イルカ」「馬」「牛」の諸動物が
日本、中国、朝鮮、インド、エジプト、ギリシャ、アフリカのなかで
どのような神話的想像力を吸いこみ、
諸伝承を異文化させていったかを博覧強記する本で、
文献博捜は見事の一語、澁澤龍彦にも書けない本だろう。

しかもそれぞれの動物の「形態」への実際的愛着から書き起こされている
女性的な観察の繊細さが心を打つ。
文中、一箇所にのみ南方熊楠の名が出てくるが、
そこから博物誌の書き手として熊楠の継承を意識していた点も確かだろう。

亀の所作が悠久性をそのまま幻想させるという示唆につづき、
「浦島」伝説のヴァリエーションを『出雲風土記』『史記』から明示し、
やがて地球を支える亀の幻想的属性を『楚辞』『列子』『山海経』から例証、
ついにはその亀がどう空を飛んでゆくかを
多田自身が羽ばたくように物語ってゆく冒頭三篇だけでも圧倒感がある。

「亀鳴く」ならば季語にもあるのだが、
亀が空を飛翔する神話的想像力の「妄想」を嬉々として列挙してゆきつつ、
鳴管がないから本当は決して鳴くことのない亀が
音を発する条件などもさりげなく書かれていて、
百科全書的記述からたくみにマイナスされているものにも
繊細な注意が必要なのだった。

こうしたあふれる学殖があれば多田智満子の詩も
絢爛豪華なバロック詩篇となったはずだろうが、
実際はほぼそうならなかった。
多田さんの詩は短く刈り込まれ、凝縮され、音韻性も抑制され、
その寓喩性と漂泊精神のうつくしさ遥かさのみがしずかに迫るものだった。

多田エッセイはたとえば『鏡のテオーリア』などにしても見事極まりないし、
その訳文もアルトーにしてもユルスナールにしても絢爛なのに、
多田さんの詩には絢爛も増殖もあまり感じられない。
なぜなのだろう、とおもう。

「自分」を限定づける態度が清潔だったためとしかいえない。
あるいは詩の権能についてのみは、
すごく古典的な見解を生涯保持したともいえるだろう。
多田智満子の場合、その文章の博覧強記と、その詩のさみしい清潔とが
「似ていない」ことこそが価値なのだった。
詩と文とを峻別する点では荒川洋治の立場にも似ていながら
荒川にない属性がその文にある――「絢爛さ」だった。

さて、これまでの【A】【B】【C】分類では
「泣ける」感触がなかったのだが
【D】に分類した野木京子さんの『空を流れる川』では
読みながらあやうく泣きそうになっている自分にびっくりした。

「記憶」をあつかった第一章のそれぞれの短文が
清潔で静謐でものさみしくて、
自分の幼年期に確実にいざなわれるのだった。
当然、さきに言及した井坂洋子さんの
『はじめの穴 終わりの口』も【D】なのだが、
もっと似た読中感のものがあったとおもいめぐらせて、
中本道代さんの『空き家の夢』(ダニエル社、04年1月刊)をおもいあたる。
そうしたら、案の定、その中本さんへの言及も出てきた。

野木さんの「必殺感涙文章」ならば、
集中「人形の行方」にとどめをさすかもしれない。
ひとの記憶の多くは起承転結の「結」部を欠いていると示唆されるのだが、
野木文によれば、

起:実姉が人形を可愛がりすぎている
承:母が姉の人形離れを促そうと妹の私を連れ人形を捨てにゆく
転:人形の紛失に気づいた姉が泣き、
つい私が真相を漏らし姉とその人形を探しにゆく
結:(ところが帰趨が判明しない――この部分のみ私の記憶が欠落している)

という、事実をもとにした記憶の起承転結分類なのだが、
ひとにとっての記憶は多くそのようなものではないか、といわれ
肝腎な何かをいつもとりのがしている人間の曖昧さ・あやふやさには
読者自身もおもいいたるだろう。

野木さんの出した結論はしかしもっと奥深い。
本当は人間の記憶のすべては
「起承転結」から「起」「結」をも差引いた「承」「転」でしかない
――なぜなら誰もが自分の「生誕」を記憶できず、
自分の「死」を体験できないのだから。

こうした「記憶」への想起があって、
野木さんの本は第二章の「ヒロシマ幻視行」へと移行する。
ヒロシマの被爆中心地は被爆の惨状を隠すために盛り土がなされていて、
土地そのものが死体や陶器などをうずめる記憶の器になっている。
そうした原爆の聖痕を訪ね、あるいは映画などにも接したのは
野木さんの一時の居住地が広島だったのみならず、
野木さんの文学的出発のひとつが原民喜への感銘だったためだ。
ぼくが先ごろ「詩手帖」の今年の収穫アンケートにあげた、
港千尋さんの『愛の小さな歴史』とも不思議な暗合があった。

ところがヒロシマを語る野木さんの声がひとつも声高でない。
惨禍を惨禍として引き受けつつ諦念しながら、
それでもなお惨禍から何かひかりのようなものが分離する、
その気配にのみ、そのからだ全体がひらかれている。

むろん失われたものへの痛恨は大きい。
ただし原爆の死者を総数でかぞえず、
そのひとりひとりを現出させる、という
石原吉郎的倫理が終始つらぬかれていて、
実際はその透明な語り口の奥には、つよい心が秘められている。

野木さんは言及されているものごとにたいし、
自分はこんな詩句を書いたことがある、と敷衍をよくおこなう。

その手さばきがじつに自然で、なぜそういうことがおこるのかというと、
書かれる文章と詩作のあいだに
透明性、抑制、悲哀、記憶の主題、ひそかな憤怒どれひとつとっても
乖離がないからだとおもう。
むろん野木さんの詩には飛躍も内蔵され、
文章よりももっと照射領域のながい余白も機能しているだろうが、
程度問題としてそれは文章にもある。
つまりその文と詩が「理想的に似ている」、ということだ。

上記分類の【A】【B】【C】系列ではたとえ類似があったとしても
その類似は透明でなく、したがって理想的でもないだろう。
野木京子さんはその意味でこそ「本格的な」詩人なのだった。
これがこの長文の結論。

最後にひるがえってすこしだけ自分自身のことをかんがえてみる。
ぼくも日ごろ詩作をおこない、
以前より減ったとはいえサブカル評論も書く。
ついこないだは長大なAV論と平岡正明さんへの追悼文が活字になった。

ところがサブカル詩がかなり蔓延する詩の現状にあって
ぼくの詩からはサブカル的語彙や発想がほぼ駆逐されている。
それでもたぶん文章のほうに
「詩にかよう」何かをつけ加えて、
詩と文章を似せよう、というおもいが働く。
それで文章に音韻をくわえ、
文章の根幹を詩想的なものに集中させようという努力もする。

ぼくの文章が体現したいのは
上記分類でいう【A】【C】だとずっとおもってきた。
むろん時代が変わったのだから【B】ではない。

ただし【A】のやわらかさは身体的にぼくにはないものだし、
【C】の学殖もまた、ぼくの生にはほぼ無縁なものだ。
サブカルというぼくの取り扱い対象そのものが拡散的で、
蓄積にはむかない、ということなのだろう。

そのときに【D】の系列の大切さを改めて野木さんに教えられた恰好だが、
これまた危惧が走る――はたして自分に、
あれほどの記憶力と、立ち位置の透明性があるのだろうか、と。
 
 

2011年01月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

写真

 
 
【写真】


ふたり、土手のような場所にならんですわっていたが、むかって右
のほうがその場から身をときほぐそうと、やや後方へ顔をそむけ、
たちあがろうとするその瞬間をとらえた写真が、そこにあらわれた
やわらかい午後のひかり、あらわな膝とともに、どういうわけか記
憶中に数葉、強迫的におさめられていて、それらはあきらかに後年
の心理テストともなるようだ。時間差のおそろしさをそのまま凍り
つけられた動勢があらわにしているという主題。つまりもうあきた
というような不敵な面がまえの右のほうがかつてのわたしなのか、
気配をおぼえながら行かないでと無言で懇願している内省的な左の
ほうがわたしなのかと、自分の宿命的な位置どりを記憶の写真のな
かにまようのだが、じっさいわたしの役割はわたしの少年の生にお
いてその右でも左でもつねに可変的だったとはいうべきで、そのよ
うに存在の強者でも弱者でもありえたときに、わたしの身体にきざ
している運命的な恣意がなんとはるかだろうとおもわずふるえもは
しってくる。わたしは、傷つけられる者でも傷つける者でもありえ
て、それらがすべて焦燥からきているということ。画角からきえて
いるとはいえうつされている場所には土手の感触があるが、撮影視
点の不可能を度外視すれば、海面上から仰角した埠頭ともおもえ、
そうなるとその場を立ち去る際ににじみでているのは、ふたりをつ
つんでいた散文性がとけ、そのとけたはざまから音韻の藻がくらく
たちあらわれるのをきらう身振りだったという解釈の尾鰭もつく。
日はかたむいている。だからでおくれた左側のほうの少年もそうし
た身体の位相変化には同意しているような印象もあり、けっきょく
記憶上のわたしは夢想的な左側であっても、夕方まえの時間をから
だにすなおにおさめているだけで傷ついてはいないのかもしれない。

 
 

2011年01月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

風呂場の椅子

 
 
【風呂場の椅子】


水に侵食された地形の
きたならしさをおもった
午後のからだはおもうにまかせず
くらさの世系にかこまれる
あげくの黄金風呂
いっときの中立のために
得た紫もなんのむらさきだ
かもめの鳥影にかさなるよう
水中にへのこをただよわせ
やがて背丈だけが
王侯のように納棺大となる
えきたいがあふれてきて
よこたえる全身もなんの岬だ
おんなのしるしに似たちくびが
くらい湯殿世界にあかりして
ごくわずかにぬれると
追憶のおもさにへしおれていた
あの世情のなかの連結が
のっぽたちを真似てあるきだす
後の世のことはすでにわかる
脱いで着て、脱いで着て
そのなかに性愛がまきこまれる
音楽の魔的な反復誘惑から
ともにある者が奏かれねばならず
その一斉の速度が花ある流行だろう
粉よりかるい紛失物がいっぱい
立つ等身大の墓とよばれたが
そうあってはたれとも押韻を結べず
単語だけが組閣されてしまう
詩篇的にぽつんとあるのは
あすへ延長される例題が
例題のかぎりにおさまっているためだ
ずっとしぐさだけでだまっていたが
脱いで着ているながれの眺めに
ほねばった海浜通りをおもいえがく
全長になった自分のつぎには
ぼろきれの洗濯もあるだろう
それでも風呂場になぜものものしく
椅子が設置され照らされていたかを
それらは理解しないだろう
しぐさを湯浴め、という例題がだされ
とけるように湯にいた者の
こわいほどの自分へのちかさを
それらはまるで哀しまないだろう
そうみずからに語り外へでると
からだを拭くために
湯にいたともわかってしまう




井坂洋子さん「海浜通り」へのオマージュ
 
 

2011年01月12日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

尾鷲

 
 
【尾鷲】


せなかにころがっているひあたりをたましいにしてはりつけるばし
ょがおわせだとして、わたしというそまはかげがだんだんとみじか
くなるじせつをみなとともにあるくことで、めにうつるきいろをた
いせつにしなくてはならないとちかう。かやぶきやねまでがはなの
はたけになっているひなをゆきすぎる。ことしのすいせんはよいす
いせん、せのびしてようやくとどくかぜにめずらかなしるしもやど
っているのだから、しずまりかえるたいらにイザききみみをたてる
と、いっせいにとびがうみになってゆく。わずかないどにしずんで
いるなにかをすくおうとうしろむきをみせて、みずとひとしくなっ
たわたしもちいさくなる。あかりがどのようにきえるのかがわかる
ひるのおわせがあきびんのようにしずかで、ゆめもゆらされている。
 
 

2011年01月11日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

春のモダン

 
 
【春のモダン】


てのひらを下にむけくぼみをつくると
そこにたましいがあがりこもってきて
それがこんどはきゅうりくさい
おんなのくぼみをぴたりともおおうので
しりこだまをあやつるおとことよばれているが
がんらいはトルソの身ごもりを判定し
あまおとさえも数列とききごもる
はるさきのくうきの測量士なので
はだかの繭じろい月桂冠の
瞑目気絶おんなへのぺってぃんぐも
たましいやたまごの分割みたいで
くもりがらすのまえでは
やなぎの里への遠足をもろもろ憶いだし
けっこう口髭がさみしかったりするのです
といって顔すらないのですが
 
 

2011年01月07日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

数字

 
 
【数字】


馬の名を借りてガラス野をはしる。なりわいが隊商であれば、宿場
ごとに分銅を交換してたえず測量をあらたにする。黒い葉のみえる
そこに古典いらいの円周率がほどけていて、ほとりでは鶏を絞めて
酔う。ゼーロンとわが名はあり、群走はたがいのたてがみを噛みつ
つゆくから、ほどこされたのも蝋のリボンだろう。空洞になってゆ
く四頭立ての中心に八角の燈明があって、はしりがはこびである春
泥がまぶしい。炎やすためにかかげられているおんなみたいだ。馬
の名を借りてつかえない海図を買うと、開門までのねむい干潟があ
らわれる。三月、まぶたに塩をもられた群盗としてゆくといつのま
にか無理数になっている全身。馬にとって魔界はそのようにかわる。
 
 

2011年01月07日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

おくればせながら

 
 
あけましておめでとうございます。
もう三が日もとうに過ぎて
いまさらこの挨拶も間抜けだけども。

暮れと正月は
女房の実家に行き、おせちお屠蘇三昧ののち
飛騨高山と奥飛騨に温泉旅行に行きました。
奥深い山々の雪景色のなかにいたのは何年ぶりだろう。
何十年ぶり、という気さえする。

おかげで正月ボケというか
じつは去年の終わりくらいから、
詩作精神が減退しているのを感じる。
ぼくは多作なので、
からだがこういう感触になるのはじつはチャンス。

自分の詩を吟味し、捨て去るのにもってこいだからだ。

今年はある計画性のなかで詩集を発表しようとしていて
これから一ヶ月くらいは
痛烈な自己吟味を繰り返そうともおもっています。

ネットアップした既存詩篇も
次々に消去してしまうかもしれない。

さて、ネット環境にないうちに
暮れ正月ではありながら演習の連詩が進んでいたようで
気づけば自分の番がきていて、
枯渇した詩心を奮いたたせ、やっと以下をつくった。

従来どおり連詩の流れをしめすため、
中川くんからぼくまでを以下にペーストします。



19【自縄自縛】
中川達矢


人間国宝が生きた化石をぎゅっと抱く
まるで種馬が肉食動物のように馬肉を食べてしまうようだ
『種の起源』はエデンの園で破かれており
ガリレイは望んでいた土葬によって監禁された
地球は太陽に背中を向けた時に夜を覚え
赤い道を渡るアフリカのオアシスの水の中の魚を食べる種族が
年がら年中踊るダンスのリズムに酔いしれては朝を迎える
源平藤橘を冠として我が道を行く苗字帯刀
ショーケースに飾られた刀は血だらけ錆だらけ
世界平和を訴えるための平和活動をするための募金活動をするための募金
時はひがしににしにみなみにきた
せっくすとせっくすがせっくすをすればせっくすが生まれる
時が経てば解決してくれるだろうという安心感を放棄せよ
一日が二四時間と決めてしまったのはどうせ人間だろう





20【列車/外/わたし】
松井利裕


鉄骨で縦横の線を強調する灰色の景色が、左から右へと流れていく。しかしその速度はあまりにも緩やかで、電車の通路を左から右に逆行するあなたは着実に前進している。身体の記憶と移動距離と不和を抱えながらも、緑のスニーカーは交互に地面を捉え、離れるを繰り返す。
顔を上げて歩みを続けるあなたを、気だるげな女が眺めている。ブロンドの髪をした彼女の濁った眼と丸く形のよい額とを見返しながら、あなたは彼女の前を通り過ぎる。女はあなたの後姿をしばらく見つめるが、すぐに眼を宙に向け、窓外の景色を自身の中に取り入れ、あるいは瞑目する。
車両の境である枠が重なり、列車全体の傾きと撓みからやがて先が見えなくなる。あなたは金属性の支柱を手がかりに、その冷たい触感を視覚以外と連動させる。脚のメカニズムと、半規管の感覚毛についての意識を、ひそりと口内の渇きに集約することで、あなたは歩き続ける。
あなたは。





21【浮力】
三村京子


この浮力はなんだ。あしのうらを地面につけようとしても雲を掴むようにうまく着地できない。歩こうとしても体中に気圧が絡みつく。では私は何処にいるのだ。ここは地球ではなかったのか。
いま、世界が揮発しているきらきら、というのか、いま、私を美しさによって圧倒し、なお、それを続けようとする世界、世界のその肌理を、言語によって記述することもできるのかもしれない。世界の側(のその美しさ)に、圧倒されていたい、ということは確かで、そうして私はいつでも水のように流れていたい。それは、嘆きや悔恨とは遠いところにある、滅びることや悲しむことでもあり、同時に生きる喜びでもあるだろう。

私が流れてしまう為に、その肌理がもしも言語に化身して私に触れようとするとき、万華鏡めいたその文字の海に五体を絡めとられ、うまく歩くことができないかもしれない。けれど、浮力の理由がそれで説明できたわけではない。
数年前、それが真実であるならば、と、国が秘密主義を施行した。
解けない浮力の問題が生じたのは、それからだった。
秘密裡に発足された秘密政府の統治下で、成長と発展を願ってきた、われら純真無垢の希望の星たち、






22【反射した夜、苺まみれに】
長野怜子


誕生日を祝う白いケーキも、
君が亡くなるときには消え去っているかもしれない。

ふと想う、私の背中で。





23【陰膳】
阿部嘉昭


いまうつくしいものがとおりすぎた
それはけだものじみていて
留守のようにほころび、もつれてもいて
すこしまえには春の土手にあったものだが
わずかな盲目になるため食へなげこむと
食事につどう者らの気配をたしかにざわめかせた
食べるたび川になってゆくんでしょこの季節は
橋のうえになにもないことを深呼吸して
陰膳のあちらこちらに
花の蜜をうかべるんでしょこの季節は
鳥のたぐいをかじるのはくちばしをおもうことだから
さらにうつくしいものもとおりすぎる
芹の椀を見下ろしている恋の目に
(それはうつっている、
  



昨日夜は久しぶりに帰宅すると
郵便受けには賀状の束が。
それとともに、同人誌も一杯入っていて
自分がボケているあいだにも
世の中は見事に進んでいる、と感心しました。

一個だけPR。
「平岡正明という思想」という特集題で
ひさしぶりに復刊した「同時代批評」(17号)も
郵便受けに舞い込んでいて、
ぼくはそこに「少数派が多数派を解放する」という
平岡正明論を寄稿しています。
ネット発表した追悼記事を加筆修正したもので、
読みやすい記事だとおもうのでぜひ。

それよりも他の執筆者がすごい。
菅孝行、高取英、足立正生、石飛仁、
野崎六助、ハーポ部長、八木忠栄、梁石日、
上杉清文、伊達政保、平井玄、
布川徹郎、岡庭昇・・・
(朝倉喬司さんの原稿はついに間に合わなかったようだ)

雑誌全体に「70年代」が渦巻いている。
廿楽順治さんが70年代風の過去詩篇を
「現代詩のおけいこ」のタイトルで
ネット詩集化する英断をしめしたことだし、
今年最初の気分は「70年代ブーム」ということなのかなあ。

気風の持続を負う、ってことだ
 
 

2011年01月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)