ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

朝の網

 
 
【朝の網】


眼の網を
くりひろげるひとに
朝が
おちてくる

さらに網を
あたまからかぶり
木立に
よそおっていたら
朝焼けが
きらきら
くりかえされる

とおく青山椒のかげが
朝の網をのばし

内側であるひとの
内側も
朝の移りのなかへ
数のように
あふれてくる
 
 

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2011年05月31日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

台風

 
 
【台風】


木橋はみずからを
はがすようにおどり

いろの青が
たけりくるっていると
はがすひとの観察も
そこにけぶりたってゆく

しぐさの線をたばね
ゆくかげをこくしてゆくと
ゆくあしがしずんで
だいたいは
しずむあしのゆくことになる

そんなふうに
いろの青にふかれ
あしもとの橋をはがしてゆくと

みんなけぶりだらけになる
この世の向こうも
 
 

2011年05月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

江代充のように

 
 
●江代充のように


【落下する影】
大永 歩


煌々と熟れた柘榴の 芳醇な彩よ
舞いあがる刻の蒼穹の渓流に
あなたは骨がちの枝を這わせる

長いよるの円環を掌握しきれず
ひと知れずエリカは過去の書を繰る
薬の爪のはじらいよ ほどける雪よ
真珠はふたたびすべり落ち 落ちるように飛ぶ







【日の速さ】
三村京子


石段を上ってゆくと
蔦と雑草とが木霊する血のめぐりを
わたしが日の奥へと沈んでゆき
教えられたことが
歩きの内側で出血してしまう
日の速さに行きつく
樹木の陰を過る猫に
横顔を掠めとられながらも
この手が見えている
丘の上の舗装路では
見えていることを数えた輪郭により
数自体の啓示を把握していった







【聖夜】
二宮莉麻


重厚な厚みにふりかかる白粉
あなたの肩をふみしめ
血塗られた数千年を星にしずめる
広げた讃美歌をつきぬける 歌声は淡く透き通り
間接的に森を折り曲げる
鼓動が地面を破壊させ
私はただ深緑にあなたを想う







【宿命】
中川達矢


憐れみを求めて祈りを捧げる満月の下で
ふたたび金や香や薬を待ち続ける母の姿を想い
知らない 知らないと裏切られ
ゆくゆくは磔刑に処される運命を捨て
四十日四十夜見守るしかなかったのか
海は裂け 天は曇り 地はどよめき
洪水が訪れようとも変わらない原始として
言葉は初めにあり 神と共にあった
わたしの役目は再臨への待望だけで
それ以外に拾う神は必要ない







【超能力者】
長谷川 明


風の吹く日にわたしは自転車への誘いをする
誘いには午睡がはんぶん流れ込んでいて
その海に長細い連絡船はたゆたう
秋に撮った家族写真には立ち枯れた一族が写りこんでいて
青白い顔の超能力者はかばんを開く
背中にもっと美しい形が滲んでいる
分からない言葉は空中に浮かんで
言葉の心臓はくるくると回る
超能力者は港へと向かった
外国に知る人は一人としていない







【砂】
柏谷久美子


森に足を踏み入れ
何度となく行き来しただろうけもの道を
水音をたよりに歩いてゆくと
枝からぶら下がった二匹の蛇が
かれとみた藤の花のようにわたしを見下ろしていて
砂利でふちどられた川に近寄り
水に沈んだ砂に隠れたみながひしめき合う声を知った
とおくの川の向こうには
ついさっきまで丸かった綿毛たちが
浸食されるように欠けてゆき
生い茂る枝に振り向きもせずすりぬけていった







【四角く割った】
森田 直


四角く割った視野の内部で
風が吹き 無数の線がたわみだすと
左端が青く光って モノクロが溶ける
燃されているのだと解るのは
私が手前側であると認識している証拠で
この世界に奥ゆきがあり
それでいて区画のなかの 線は切れ はね
ある偶然によってのみ結ばれることの愉しみを
問題なく享受し 会得していることへの
なにか夢のような自らへの そのまぶたへの精一杯の投石で
間接的な言い訳なのだろう







【血液】
森田 直


心臓を破って生まれた小鳥も
東京の雑種と交わって
今や群れをなし 渡り鳥に化けて
南の方まで飛んでいってしまったから
残ったものは残ったもので
しかたなく新しい嘴を形作り
縫合された心臓の ぎこちない襞の中に育ち
今やその合理的な破り方を腹の中で知って
出ていくに適した
暖かい季節を待っている
古い青色の血液を飲ませる
わたしと話すとき
怯えたように笑う

 





【夜よりも深く】
川名佳比古


夜よりも 深く 
降りつもるさざ波の 
寄せてはかえす 幾億のすき間に 
骨をうずめている
その衒学的なしらべの 揺らす月影のおもいでと
少女の頬を濡らす 雨のしずくとが重なり
やがて鈍色の目覚めがおとずれる







【透る】
斎田尚佳


紙をめくる指先にみとれて
目があうのを恐れて下を向いたら
羽ばたいた鳥を見失ったけど
いつの間にか重なった音だけが
私の宙ぶらりんな素足を覚えてる
かどの取れたガラスの欠片をもてあそんで
君とことばを交わせるか知れない
何色なのかもわからない空の中で
見えないくらいが きっと上手く過ごせる







【残鶯】
渡邊彩恵


藪の中から飛び出した
オリーヴグリーンのちいさな影は
残桜の枝々を翔け
ひと鳴き
声は辺りにめぐる
いったい 誰を求めるのか
柔らかな日差しをさえぎり
儚くゆらぎ
邪魔だと云うように
わたしをおいて 実をついばんだ







【息】
斎藤風花


隠され煤けた炉の中から小さな息がきこえる
わたしの思考が上水でしずかに雲になるときを待っていれば
炉に嘲笑われる
高らかに笑い 清らかに微笑むふりをする
炉の中に棲む年端のいかぬ少女はまた
ひとりのちいさな女でもあるらしい
澄んだ眼でわたしをなじり
つめたくあかい純朴な頬で煤けた炉を灯す







【流浪】
斎藤風花


その一重まぶたの人生を常々考える
白いデザートに乗った芥子を 宝物のようにじっと見つめているその瞳は
遠い故郷の面影を映し
またその故郷が もはや完全なる故郷であることを告げている
そろそろ還る時が来たと その一重まぶたはいう
早すぎようと遅すぎようと 時の自尊心は厳粛を保ったまま
否定せず 抗わず ゆらぐ柳の枝のしなやかさを息子へおくった







【傍受】
森川光樹


見上げる夜の重みに折れ続ける声の
埋葬を赤帽の瞳の奥に求めたが
黙っている私を数える指先が
否定した影のひとつの中で
笑う奴隷達を焼かなければならなかった

都市に包装された球の海を反芻し
猫の待たない坂を登る帰路
私から海の声までを数えようとした







【舞踊】
山崎 翔


狭い路地を抜けると
壁と壁とが落とす雑然とした影の中で
踵はおもむろに回転をはじめ
跳躍と屈伸とを通し
繁茂する雑然のそれぞれを書き換えていくのではあるが
その痕跡も
いつかはひとつの欠伸とともに
正午の陽が映した広葉樹の若い葉脈につつまれ
靴音が盗まれていくことを知る







【母】
荻原永璃


およそ祈るかたちというものは
橙色のひかりのなかで
くずおれた白バラや百合の集積
またその発酵したものを嘗めるようでもあり
わたしたちのための賛美は
千の鼓膜を糸でつらぬき
真夜中に
天上へと吸い上げられる
搾取にも似た呼吸の音楽を
かつて母は知っていた
湧き上がり燃え上がるものを
その腹部へいだいていたことを
回天する焔をひとりかかえ
やすらかに微笑むことを
朝靄のなか 母は舞い降りる
 




 

【こうかい】
中村郁子


リンゴの青が 水に洗われて重い
わたしは錆び色の白布のなか

ちいさな人が 木の上を行き交う
オリが嫌だと叫んだ鳥は
あま水としお水で羽をやられながらも 東の空へ旅立った
星の海の果て こわしたものは直せるか
あかい体をひきずっても 君はわたしを受け入れるのか





江代充さんに「まねぶ」ということは
受講生にはとくに抵抗が少なかったようだ。
よって語彙が存分に披瀝されている。
ただし堅牢詩が目標となるのではない。

第一に静謐、第二に読解時のしずかなゆれ、
それから『梢にて』以後も参照すれば、
第三に複文構造の散文性、第四に再帰性、第五に描写性、
が目標となるだろう。
それらがあって再読誘惑性が来る。

今回はどの詩篇も緊張感と静謐と圧縮にみちているが、
認識の再帰性によって
第一認識と第二認識に、
いわば「序数喩」が生じるところまで
世界を展いたものが少なかった。

先週の演習を急ぎすぎたかもしれない。
この点は次回、貞久秀紀さんをあつかうので
さらに補強できるだろう。

とはいえ傑作が噴出した。
あきらかに「詩手帖」投稿欄より良い眺めだ。

恒例なので、点数を発表しておこう。

最高点=三村京子

次点=柏谷久美子、山崎翔、荻原永璃

次々点=大永歩、長谷川明

ぼくが前回アップした詩篇も遭わせてお読みいただければ
 
 

2011年05月26日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

点国

 
 
【点国】


点をうったそこがひとつの国になるとき
ななめからのみおろしが拡がってゆくのだから
野にかくれた七草もたがいをかなで
書くことだってしずかな点前となるだろう
たがやすためになにかを立てなければならないが
ひとしれず、わざまえは身へと反響して
けっきょくその身だけの最後のひとしずくが
たらない容積すべてをみたすのだから
書いたあとにかわらずのこるものも
かわらぬそよぎをきわめてただ落ち着く
 
 

2011年05月25日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

善福寺

 
 
【善福寺】


とつぜん視界がひらき
ハスの花にあたる光が現れ
池のおもっている階段も
池の内部へとあふれてきた
てまえしずかに赤の配色
奥行きに白の散在というのは
眼こそがそこを疲れてゆきかえ
という誘いなのだろう
ハスの花のひとつひとつは
すわることをまず眼につたえ
つぎにはたたずむ腰を
微風をとおしてなぜるから
棒立ちで池をみる姿をつくる
たしかにそれは
ウエハスをたべてきた
おもいでへつながってゆく
ウエウエウエそこにぼくがおらず
たべるゆびさきだけみえていて
それらひとつひとつもハスなのだ
水が鏡をふくんではならない
ただ瞑想のように
見る者のからだ前方に
うかびかさなっていなくてはならない
反重力がそうまなばれてゆくが
水の彫りこむ年齢とは
からだのどこへの橋渡しかと
自分にとけている階段にたずねる
ぼやっとしてしまう
ひとのきえている犬もながれ
公園を蛇行する
ゆるやかなこみちが
蛇行に適したからだを織るので
やがてのどがちいさくかわき
ホールハウスに着いた矢先
つめたいお茶をもらう
それからは
ゆれる葉陰でただ曖昧に
のむことになってゆく
藤井さんがちかづく
 
 

2011年05月23日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

二個

 
 
【二個】


あたまの左右
そのまんなかを
前におしひらくように
両目の奥で
やまゆりの残像が
においとともに炎え
この者が類推の両端を
つないでいる
天秤の
わずかな傾斜だと知る
 
 

2011年05月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

佐々木安美のように

 
 
●佐々木安美のように


【しゃこ】
大永 歩


くちのあなは
きれいにしなければね
しゃこしゃこ
しゃこが
長いあしをめぐらせ
すみからすみまで
ぼくによりそう
あかく
にじむ
なみだが
おぼれそうにぼんやりしている
息ひとつ
つけども
そよぐ雲にまみれ
かたちは
あるはずなのにはかるにはかれず
平均の逢瀬をはたとあやしむ
ぼくは
いきを
のむ
おえつが
しゃこしゃこ
かさなる







【ボニー】
森田 直


韓国産キムチを食って
ウメーというぼくに
君のにらみが
効く
クー
そんなの
信じられない。
冷蔵庫に入れたのは
君じゃないっけ?
どうして君は
そんな右まがり?
あさりのみそ汁なら
ゆるすの?

寝室では
まるい肩
まるい腰
なめらかな
流線型のかけぶとん
それをつまみに
つるつると
ぼくはとなりで
そうめんを
すすっている
一人前食べると
君が「ナー!」とさけぶ
ビックリ寝言だった
なんだか
遠くで
聞こえたみたいだ

ぼくの目は
いちだんと覚め
またちょっと
寒くなる

もう一人前食べた
夏の日の
君とぼくと
ボニー







【頭の中のどこか】
森川光樹


奇声をあげるとラジオが
かけられた
車の中に
かなしいことはひとにかくそうと
いうかなしい歌が流れた

外くらいですね
所沢はいい所だわ
所沢はいい所ざわ
ざわわわわわわ
ざわわわわわわわ
郊外はくらい

とても久しぶりの
「げんきずし」が
「すしおんど」になってた
乾いた蛍烏賊が流れてた

しばらくして家にかえった
家はあかるい
「げんきずし」を食べてた小学生のころを
思い出したことを
思い出してた







【午后】
川名佳比古


夏を呼んでいる
空に
ひつじの群れが
そろりそろりと
歩いている
父がそだてた
とねりこが
春のおもいでを
土にかえす
ひつじが
食べのこした
夢のあまりを
ていねいに
和紙につつむ
母はしごとを
やめてから
すこし
体重がふえた
いまは空に
うろこが
ぞろりと
生えている







【草原】
高橋奈緒美


草を食む
馬は
背に乗せた者を
見たことがない
どこまで
馬糞が示す道を
辿ればいいの
たてがみからは
夜の
においがする
あの丘の向こうの
家につくころ

ここでは
そんな慣習ないよ
ほしを
数えるなんて
誰がはじめたの
もっと
いるのに
夜空の話じゃなくて
わたしのことだよ
わたしらの

ああ
首がいたい







【おこめ】
斎田尚佳


ぼくはいつだって
空の大きさなんか
どうだっていいんだよ
きみの手が
ぼくのより大きくないか
それだけが心配で
爪の隙間に入り込んだ
おこめたちが
食べてと
せがんでいたから
おにぎりをにぎる
きみの手が
ぺとぺとのおこめを
ひとつにしてく
黒いのりが
ぴたりとはりついて
ひとくち食べて
しょっぱいと笑ったら
きみの膨れた頬におこめが笑った
頬張ったおこめが
一粒落ちた穴に
ぼくの手は大きくて入らない
それが嬉しいんだよ
寂しいんだよ







【くっちまえ】
斎藤風花


それでいい

それでいいのよ 午前四時

あ。
追いぬいた 奴が 
憎たらしくわらった

追い抜かされたわたしの
隠しきれない きもちのたまり場は

かすかではなく、おおきくもないが
大きくもなく、幽かでも、無い

あじさいを見にいった
江ノ電の窓は晴れ間を演出する
午前の太陽のやさしさにあまえる

ひかりのふもとで寒がってみせるあたしの
寒がりぬく、あたしの
ふもとで
奴は
しろいひかりの
くるしみも 未来も 
しかんさせて あげてるみたい

くろいTシャツで クールぶりながら
あったまってる奴の
こちらをみている奴の
にくたらしさたるや







【まど&ごはん】
長谷川 明


ぼく
ごはんが
くいたくないです
のまどの
そとから
いろんな
からだが
やってきて
ぼく
をよく
かんで
なんかいか
なめた
そんで
からだ
をかいたい
ばか
へんたい
いろんな
いっぱいを
でてきたのをたべます
まどれえぬ
とか
いかぼくにとか
まどの
からだは
なんちゅーか
うろこ

ぺっとする







【気がする】
荻原永璃


登るのに適した木を
十三の年から探している
ゆりかごのガジュマルは
みな倒れてしまった
幻の街
そのスーパーの
階段に射しこむ光を
わたしは知っている
地図はわからない
かつて遊んだこどもがいた
気がするだけなのか
引き出しの中の手紙は
もうずいぶん以前のもので
あわい水色の紙に
あなたがすきだと
かいてあったこともあった
毛虫の文字は
羽化して飛んでいった
階段の光の中で
ガジュマルの気根の中で
はばたくもの
鱗粉のきらめき
気配だけが
耳元に感じられる
今朝
どんな夢をみたか
思い出せない
残り香
握りしめていたなにかが
あったように思う
手のしびれ
ずいぶん遠出したような
白い朝の
さえざえとした








【桃太郎】
山崎 翔


ここら辺の家だと
生活排水はとかげのすがたをしてて
ちょろちょろと音をたてながら
緑のいろの
コンクリの川に流れこむ
そうすると
今日あたりは
たくさんの泡ができて
痩せ細った月が
こなごなにやぶけてしまうだろうね
どんぶらこ
どんぶらこ
台所では
洗い忘れた空っぽの牛乳パックから
それはそれはまんまるにふとった腹を
でんでんと鳴らしながら
なまぐさくて
しめりけのある
ごつごつとしたほしが
ようやく
這いだしてきたんだなあ
 
 

2011年05月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

接線

 
 
【接線】


じてんしゃにのって
ぎんいろになってゆくのは
やがて枇杷のみのりがながれつづける坂道
ななめにもてあますということが
じてんしゃのりの姿勢で
こんなふうに風景にすべりながらくっつくのは相当はずかしいと
ぬかるみの のりしろまでもを俯いてすぎるけど
おんなのりでは
風の尾っぽがぜんしんにつけられたようで
もっというなら 万人になってすすりながら
ところてんそのものを責めてもいるようで
かぞえられるものには とことん疲れてくる
だから ところてん式に枇杷など
そのすぎさりへとかぎりなく生る、生るだろう
銀輪をまわすひとのなかでぼくはじてんしゃをすべらせているはずだのに
じてんというもののけだるさからしまうまをおもい
さばんなで先遣隊の懐中時計をひろった命知らずはいるだろうか
と 発熱三日めのようにまぶたのうらをぎんいろにしてゆく
ぼくが返すと それはひかるよと
いろんなものにまなざしだってなげるけど
風景をすまきにする気合で
目をつむり 坂をじてんしゃでくだってゆけば
めだままで枇杷になっているのだから
エロ本をめくっているきぶんにだってなる
ひかりにうかぶおっぱいのしずか
身近にみえるものは身近ののりまきだ、なんて
かんがえのわきにもかんがえのあるのがもどかしい
きっとめくれているのはぼくのからださ
ともあれじてんしゃから車のとれたじてんで
線になりながらにおいだらけの午後を浴びて はしる
 
 

2011年05月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

半径

 
 
【半径】


半径というものは
もえあがるでしょ と
瞳孔で光量を
おとした老人どもが
ふはは ふはは
畔がゆれている

延長がいつも
しろすぎるとはおもっていて
夢をみすぎた後頭部の
かれくさもこげていらあ

看板書きをやっていたが
書くべき看板が
おそろしいことに
つぎつぎうかんでいて
いつしか湖央へきてしまう
さいごの看板を舟にしていると
風が 轟々とわたってゆく

文字文字文字
おんなでもないのに
ひるの星すら映す湖面は
ぼくの半径に
しずかに挿入された
 
 

2011年05月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

廊下を見回る

 
 
【廊下を見回る】


まどのつづいている
ながい廊下をゆくときの
おなじひとりは
照ったり翳ったりで
そんなゆるやかな点滅から
むしろそのおなじひとりを
壷にあふれる水のように
たかめようとしている
とおく終礼がきこえ
柱は縦 梁は横
およそ校舎もそんな構造だから
戸締りでは四角くある理想の
四角を全うするしかないが
まどのそばをながれるひとの
あるもののある時間だけは
鍵の領分をはなれ
水のように形にできない
 
 

2011年05月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

松下育男のように

 
 
●松下育男のように

【目】
大永 歩


おばけが
こわい

薄緑色の奇怪な顔が
窓の向こうから
こちらを
見て
いるのではないかと
ぼくは何度もふり返ってしまう

こわい
のに
見て
しまう

もし それが顔でなくて
胴だったら
脚だったら
手だったら
こんなに怯えることがあっただろうか

もし その顔が
犬だとしても
友だとしても
親だとしても
きっとぼくは肩を震わせておののくだろう

だから
ぼくも
見る







【蛇】
長谷川 明


蛇が現れて
僕の寝床をかむ
それで目を覚まして
メールを見る
君のこと好きと
書いてある
僕は
僕の金庫を見る
がっしりとした
とても立派な金庫を見る
ためいきが
出る
目を覚まして
電話に出る
君のこと好きと
言っている
見る
見る
出る
蛇が現れる







【わからなくなってきた】
荻原永璃


ただ
くもばかりながめて
くらしたかったのだけど
おもっていたより
くちはひらかなきゃあ
ならないし
みみをとじれば
おこられるし で
せけん はとっても
うるさい
はえがぶんぶんうなってる
くちからはえをだし
みみにはえをいれ
みみにはえをつっこまれ
たまらずに
くちからはえをはく
ぶんぶん
ぶんぶん
ひっきりなしに
とんでいる

あたまのうえのあれは
くもだろうか
はえだろうか
そろそろ
わからなくなってきた







【あしたのあさ】
森川光樹


ねむくなると
昼に
わらいすぎたことがわかる
ひとが多くて
やすめなかったから

ねむいぶんが
ぬすまれたぶん

それはかえらないから
次の日
みんながみんなから
「おはよう」を
ぬすむ







【満員電車】
斎田尚佳


黒いスーツの波の中
乗り込んで
呑まれる

押せば跳ね返される
人に 人

誰かがおいていった
折り目のついた
網棚の週刊少年誌
感動なんて
むわっとした湿気に
とける

ドアが開いて波がうごく
流される間際で
漫画を
網棚に放る
ぼくらが漫画をまた
読むことができるように







【ピアス】
渡邊彩恵


ひとつ
空洞をつくってみる。

始めは
わざわざ
気持ち悪いのは ごめんだった。

ふたつめ。

今じゃあ
そこかしこに
ある。

なんだか
空洞に叫んでみたくなった。
それで今
ふさがっている。







【髪】
山崎 翔


季節にあわせ
久しぶりに
自分で髪を切ることにした

鋏を
ざくり
と入れるたびに
黒くてやや脂っぽい髪の毛の
無数の
束が
床に敷かれた新聞紙へと
ぼんやりと
落ちる
落ちる
そいつらは
確かにさきほどまで
自分の

であったけれども
顔をかき集め
黒くつややかな
ひとまとまりにして
捨てる
ことには何のためらいもいらない
そんなことはもう
どうでもよくなった

ひとり
顔を洗っているとき
この手が触れているものについて
ひどく
怖れた
のはいつのことだったか





つづけて「松下育男のように」。

「支倉隆子のように」と較べ
掲出詩篇がすくなくなったのは
本質的に松下育男の詩が
やわらかく、簡単そうにみえて
「むずかしい」からだろう。

松下詩の無駄のなさは、
じつはヴィトゲンシュタインの哲学などに似ていて、
認識の本質性は
「語りえないことを削る」
思考の厳しさと境を接している。

それでいて、詩行では
「呼吸」とともに「最小の物語」も生じている。

こういうものへの参照が、学生世代にはまだ難しい。
それでも松下詩の奥底にひめられている
ゾッとするような「怜悧」が
出現している佳作が多かった。

松下育男や高階杞一の模倣は
簡単そうで難しく、
ほとんどが恥しい結果になる、とは
以前、廿楽順治さんの日記の話題にあったが、
掲出詩篇群は、そんな愚をまぬかれている。

ちなみに今朝ぼくのアップした詩篇は
支倉詩と松下詩とを
無理無理に融合する、という心意気だった
(まあ、これは蛇足)
 
 

2011年05月12日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

支倉隆子のように

 
 
【小川】
大永 歩


ドジョウを生けどりにする
緑にすすけた橋の下で
ハシビロコウがはばたきはじめ
はじまりの地へいきつくか
すみれは知らない
ただ野に横たわるばかりだから
すみれの寝姿は
夢に見る欄干に似ている
青春を謳歌する壮大な欄干だ
謳歌という謳歌なんて
ただその口をあけて
ドジョウを受け入れるくらいだ
英雄の恥を書きとめるくらいだ
すみれの茎の
しなやかな四肢の
小川の端の
くちびるの裂け目の
さみだれの
焦げついたおとこの
はばたきが
こけむすままに響いている







【足を洗う為の水】
長谷川 明


足を洗う為の水は
むしろ時間の為の水だ
金銭で取引された
年老いた鹿達は
その角に熱を隠した
現代の列車にも
動物を運ぶものがあって
間接的にあなたの外側を
通り過ぎる
宣告はある
森の中で草木は
足のように生え揃うという
宣告がある
四輪の群れは
動物園を作った
鹿の群れは
どこででも足を洗った
水は遠く離れた
水自身を洗った
硬貨は時折
輝きを取り戻した
骨は外側を少し
暖めた
熱は間接的にあなたの外側を
通り過ぎる
角のような足の
男が告げた
その時足を洗っていたのだ







【封筒】
荻原永璃


封筒をあけたら
花びらがおちてくる
月の溶けるころには
空気が紗になる
かぜが吹けば
文字はほどけてまいあがる
(そちらおかわりなくおすごしでしょうか)
草々草々草々
絹のゆびが紡ぐ
花びらをさいて
神経をとりだす作業
上の姉も
中の姉も
下の姉も
そうやって暮らしてきた
手紙
しろい指がふるえている
濡髪のにおい
こえをきくには
とおくにきすぎた
指先をほどいて
かぜにながす
紙コップを用意してください、姉さん
もしもしもしもしも
波浪
かぜのつよい日は
世界のカーテンがゆれるので
そのすきまから
帰ることもあるかもしれない
花びらが吹き込む
封筒の奥
草々草々草々







【柘榴】
中村郁子


そんなにいたいのなら
荷物を捨ててしまいなさい
苦しい傷の数を数えている
私たちの
柘榴のように割れた背中
籐でできた籠を抱えている
グリム童話を読んでいる
友人の妻に恋している
友人も妻を恋している
遠ざかるおんなの
こころは
枯れない霧島躑躅だ
「今朝はあそこから霧島躑躅がみえました」
「わたくしたちは毒林檎を喉から取り除きたいのです」
「毒林檎の欠片は霧島躑躅に隠しましょう」
「世界は禁断の果実です」
森の中に一匹の優しい狼
亡骸を入れる籐の長い籠
籠を抱くおんなの初夏の
むね……
もう荷物はいらない
かぞえきれない鞄の
むすうの
深紅の色をくぐりぬけて
地獄はそんなに痛くはない
追想の柘榴よ







【影】
森川光樹


まどろんだ眉間をばかり
とおいめはみつめる。
あそこの城のむこうの日どけいの
ひくい針があかるみにささり
一本の弦にとどくとき
みずいろの血が一滴かげにおちるだろう。
みずいろの曲がながれ
針がそだち、とおさをぬっていく。
そして誰もの真ん中をぬいあわせる。
左右のめのなかの城のなかで
ねむたい楽団のひとりの女と
きづけばあかるみをかさねていた。







【埋め合わせ】
斎田尚佳


落ちた雫をなぞるように
指先に走る赤を見る
割れた声が引き裂いた薬指に
白い修道女が
もう沁みないように
薬指に悪さできないように
苺のジャムを塗りたくって
粘着質な甘さに彼女を閉じ込める。
あかい目をしたうさぎが
綿菓子に体を埋める。
泣きたいと言って鳴いている
鳴かないと思って泣けている。
あまさがまとわりついて滴るのだろう
固く閉めたガラスの蓋に
くっついた声がもう出ることはない。
しぼんだ綺麗な石を叩き割って
砕いた欠片を溶かす。
歪な形の苺を
鍋いっぱいの白につけこんで
しずくにならないように煮てしまおう。
出来上がったジャムで
わたしのことを満たすのだ。
眠りたいうさぎの鼻をくすぐって
瞳からひとしずくのあかがほしい。
喉を満たしたあまさが
きっとすてきな声をあげるだろう。







【地球】
二宮莉麻


夜の色は青
蒼い宝石にちりばめられた
限りない白石
白点が重なる
白鳥がざわめきはばたき飛翔する
目だけになって見つめれば
ブラジルの土に埋まった骨が
心地よい音をたてはじめる
死人の行進は月まで続き
そのあどけなさを彩る
灯篭ともしの行列は
かつてはあんなに温かだったのだ
直線がさみしい
直線が心地よい
まっすぐにのびた白鳥ですら
いつかはそれにさえぎられよう
曲線からなる生命は
その瞳に宿る草木のうるみ
生命線にさえぎられるのは
いつか覗いた
夜のあお







【泳がされることについて】
中川達矢


春と夏の間を飛んでいる
鳥がすぐそばで巣をつくっている
誰よりも隣でありたいそこで
見守り続けたい場所がある
池の中を泳ぐ鯉を祝福したい
外の世界を知らずに
偉そうに死ぬなんて蛙みたい
きっと祈りを捧げるために
腐っていくいのちを祝福したい
雲は水で出来ている
鯉は水で泳いでいる
雲で泳ぐ鯉を祝福したい
動かないはずの石像の上で
鳥が成長していく眼で
鯉に祈りを捧げる

ほら
外の世界を
泳いでごらんなさい

鯉は祈りを捧げるために
雲の中を泳いでいる
春と夏の間を飛んでいる
鳥が雲の中をはばたいている
水で出来ている母体を祝福したい
溶けていく石像が帰る池で
鳥が閉塞していた








【イコール】
渡邊彩恵


しろとぐれいが二重にうつす
おんなのカオがふたつ
隙間からは風が吹きつけてきた
それも両側から
にじゅうのそれは黒い後ろも
うつしている
流れる色はくろで
顔も黒く流れている
やむことの知らない風は乱れ
おんなの顔を黒で乱れ隠す
ともる灯にのって
どこも夜鏡にうつって
くろとぐれいがブレながら
風が入り混じっている
皺がよるおんなは
後ろの灯を目で追っている
横目には風をうけて
身を守りながら
しろにもどそうとする
いずれは二つに分かれるのを知りながら







【虹の下の家】
高橋奈緒美


ドアを開けたら生活が転がっていた
帰りがけによった家
だらだらになったはずの壁
かべの呼吸はそのままに
火傷した皮膚ははがしてしまいたい
先祖がやってくる
猫が邪魔をする
ねこは畳にはさまって
少し背が伸びただろうか
やせてしまったのは
鉄を実らせた木だけではない
子供の作ったような積木の家に
もう一度棲みつく者は
天井よりも空を眺め
虹を探しに旅に出る
どうじに帰路も探している
みちは永遠と一方通行のようで
地球を一周しなければ
帰れないのかもしれない
かえれと命じたのは
隣人ではなく文字だった
おかめをかぶった狐や狸が出る噂を聞いて
うわさどおりのきつねやたぬきなら
むしろ歓迎するのだが
もう春なのに寒気がする
ここでしか手に入らないものがある
納豆は食べられない
生活はごろごろと昼寝をして
夜には姿を消してしまうが
街の空気に呑まれていった
夜空がふくらんでいく
吸い込んだ感情を涙で流して
海に溶けたこえが
うずまいているよ







【砂】
山崎 翔


ひきだしを開けると
真っ白な砂ばかりが呼吸しており
瀬戸物のふるびた亀も
すでに空を飛んでいる
かめの残したつめあとにも
泳げるほどの水はない
すなの吐きだす
菫色した雨音からは
ぬかるみで
食堂の女が汚した
長靴の踵で踏まれた
薬缶がこげた臭いがする
酸化した残骸に
わかい蓬をしきつめて
弛緩しきった水たまりと
濁ったいろのおんなの咳を入れた
そのままどこかの煉瓦の下に
ふかく埋めていたのだと記憶している
その殻を破り
地面にたどりついたものはいるか
赤褐色の雨粒に
喉をうるおしたものはいるか
いつからか
名前を読み上げる間もなく
この喉からも砂があふれだす
にごりのない時間よ
取っ手をなくしたまま
閉じきれずにたたずむしかない







【きかせてください、どうやってここまできたのか】
三村京子


蚕がするようにはきつづける
あしのうらから誰かがひっぱってくる
民衆特急の氷シートから
丹沢のおく、
木通の芯で待っているという婆さまのもとへ
この両脚がうごく
長雨が降っている五臓六腑
それを一本ずつ、たぐりよせ、紡ぎだす、
紡ぎたい、紡ぎたいよ、何体もがいう。
盲目の新聞を蹴って
赤い実を電波にのせて
音声の大きさと小ささとが
大雨嵐うけて、ちりちりしている。
大窯のつよい火あぶりで
やぶれたりちりぢりになったりわめいたり、
まぶしいのはたしか。
どうしてこんなにお腹がすく。
時間をください。時間を。
ひとひらにも、はりまどのえいえんを、
嵌めそびれたくないので。
長い雨のすじに乗って
わたしはわたしにたどりつくまで
つたってゆく




立教金曜四限、
詩作演習履修者からメールされてきた
課題詩篇のうち、
すぐれているとおもうものを
上に一挙にペーストした。

いちおう今朝が刻限。
まだふえるかもしれない。

みんないいなあ。
負けそうだ。
むろん漢字をひらくべきなど
ちょっとした修正点もあるだろうが
なにか詩魂がおおらかに脈打っていて
上のものはそのままに
新鮮な詞華集ともなりそうだ。

支倉さんの詩篇をあつめてプリントにし
「支倉隆子のように」と要請したのが
よかったのかもしれない。

つまり強圧のない詩作の自由、
奔放な想像力と音韻によって
身軽でうつくしい衝撃がとびだす支倉詩篇こそが
生徒に詩作モチベーションをうながしたのだろう。

難解硬直詩篇を範にすれば
こうはゆかなかったとおもう。

課題はもうひとつ「松下育男のように」も出している。
これについてはこれから一堂にあつめる作業をする
 
 

2011年05月12日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

白身

 
 
【白身】


水上まで垂れて
そこにつらなる白藤は
ほのおをゆるやかに
すいめんへ
備給してゆく

湯になる

それが水底だとしても
底からあかるくなるのが
初夏
ねつのゆきかう ちまた

わたしらのゆうびんにも
つつみのたぐいがふえ

あがりかまちで
くつをはくことも
背後への期待となる
そう
でかけるときには
あかるい台所が
背後にのこる

わたしらは
椀の底にすけている具
それでも影ではない
ただ薬味にであい
からだの白身を

うるませてゆく
 
 

2011年05月12日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

しあわせってなんだっけ

 
 
以下、facebookへ今した四連打ちをペーストします。
題して「しあわせってなんだっけ」。



読んでいた本のあとがきに、ふと引用されていたカフカの、カフカらしからぬ(むしろジャック・ドゥミ的な)言。ヤノーホに語ったものだから読んでいるのに、まったく忘れていた。曰く--《恩寵は届くかも知れないし、届かないかも知れない--また来ないかも知れない。この安らかな不安の期待が、すでにその前触れ、あるいは恩寵そのものかも知れないのです》。読んでいた本--フリートマル・アーベル『天への憧れ』(法政大学出版局)



音楽性があるゆる差異(断裂)を均す、とおもうことがある。音楽(そこに情感や身体は籠められる)はしかし本質的には意味によって縮減できず、それ自体の音素展開としてその内実をただ排他的に説明されるだけだ。音楽は音楽によってのみ表される。ならば「音楽へ入る」とはどんな仕儀を指すのか? それは未到来と到来の弁別不能地域がただ希望の地域だと告げる、そんな恩寵に入ることなのではないのか。詩が、文章と機能が根本的に異なるのも、音楽・未到来・恩寵・非意味といった事柄から解けるだろう



同道-先んじ-振り返り、を、父役・丸山定夫にたいして繰り返す、千葉早智子の『妻よ薔薇のやうに』での舞踏的-少女的振舞いを、「可愛らしさ」ではなく、一種の「行動の倫理」としておもいかえすときがある。ドゥルーズのいう、「少女になること(少女性への逃走)」は、じつは平滑空間に逃走線をはるか引くより前に、身体内在的な領域にある単純な「リトルネロ」なのではないか?



いかなる場合でも、自分がただ自分をみせるときには機智は生まれない。単純に換言するなら、自分とは似ていない自分が破壊的に開陳されるときにのみ機智が生まれ、多くその機智は自分をより賢くではなく、より愚かしくみせる豊饒にこそ貢献する
 
 

2011年05月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

てがみ

 
 
【てがみ】


おたよりは かかれたことばに
いつも おもいがはずかしめられて
ゆきさきを あやまる

葉っぱとなって まいこみ
まどべで しずかによまれて
てもとの時間と 天上の時間とが
あめあがりのかなたのように
あかるく ずれてゆく

あかるいなあ
ずれてゆく

わたしはあなたのまえにいない が
けっきょく かかれてあることの すべて
だからどんな もじ にも憮然はある

あくぃなす『大全』の第五〇問題から第六三問題
あれら 天使論のあつくるしさも
おたよりでいつも くりかえされる
そんなもんだいをつぎつぎかぞえれば
それじしんが それじしんに つぎたされ
せたがやく
きたからすやま の
このひとみが あかるい

これらがどんなに つみかさなっても
あなたのかくれている
森にならないということが

めにできる
あなたの葉っぱの
あかるい ずれ
あめあがりの
葉っぱの きらきら
 
 

2011年05月10日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ひゆのひと

 
 
【ひゆのひと】


口から順繰りに小鳥をだして
はばたかせてゆく、ひゆのひと
しゃぼんだまよりもおもいおもいを
こかげからとりどりに交信しては
だれかを、ゆるやかにだれかにする
のも食べられ葉のもようだろうか
褪色のねいろをえるために
もっかんがっきをもちよって
木のうれいているそばにすわり
けぶりだすなにかがあるとおくへ
「空のながれている」「ときがみえる」
と故意に分節してつぶやく
あなたわたしあなた
人称がかなたにわたされて
ひゆのひとは日にあおくひえながら
すぎさってきたひわいろをおもう
あるとが好きとこがれるのも
事後のあなを追うのに似る、だから
はじくのではなく穴をおさえることが
奏でのしゅるいとしては極上で
音楽とはくびれさすからだのかずかず
そのなかを空のしろとともに
おとのない稲妻という
妻のひゆまでもがながれた
 
 

2011年05月09日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

木喰

 
 
【木喰】


半径何十キロメートル
ということがいわれるようになり
往古から境界神がやってきて
その線上をひっそりと憩いだした
めじるしの場所は貧相な百日紅
やがてくれないとしてつづく連日が
いつも途中の途中でありうるよう
境界神のこじきのからだも
百日の曲に飾られてただまわる




集英社新書の春日武彦『奇妙な情熱にかられて』
を読み出した。
春日さん的なレファレンスの、魔術的精髄。

引用される細部がおもしろく
同時に、その連関もすばらしい。
ベンヤミンの幼児回想につうじる繊細もある。
脳髄にある、細民街の路地をゆくようだ。

その67頁のテルミヌス(境界神)の記述と
その後の記述から
上の詩篇をでっちあげたが
これまた震災詩篇となってしまった
 
 

2011年05月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

最近、Facebookに書き込んだこと

 
 
●5月2日

「詩手帖」今号(特集・東日本大震災と向き合うために)を読了。
和合亮一さんがツイッターで展開した
「詩の礫」が一挙掲載されていて、
朝日新聞に部分紹介されたときは散文だとおもっていたが、
やはり爆発的な詩の連打だった。

《明けない夜は無い》などの
ベタなルフランが成立し許容される理由は何か。

1)当事者性(つまりは事実性)。

2)140字という制約のあるツイッター基底材を睨んだ
疲労と悲哀と怒りの切迫した連打リズム。

3)1ツイートを現在的なダウンサイズ(縮減)の方法として
完全に使いきっていること。

つまり書かれたものは震災詩である以上に
ツイッター属性に忠実なことでこそ
変成的な断章詩篇集となっていたのだった。

加藤智大が秋葉原事件の前に投稿サイトに書き込んだ
自己実況と全体が似ている。

それがじつは今日的な詩の栄誉だともおもう


●5月2日

政府が運営する震災復興会議では、
津波被災地にたいし「一律に」
津波の届かない高台を宅地造成し、
港へは住民の「通勤」を促す、
という暴論方針がいまだまかりとおっている。

「現代思想」今号によれば
スマトラ沖地震のときスリランカでは
沿岸の住宅再建を禁止した結果、零細漁民は四散、
代わりに大資本のリゾートホテルが乱立して
風景が一変してしまったという。

逆にタイの津波被災地では
漁民が政府の退去命令に服さず、
自力で元来の地域コミュニティを復活させ、
それがニューオーリンズのカトリーナ惨禍での
復興目標となったという。

費用的な面はわからないが、
元の町並みと居住を復活させつつ、
各住居に津波用の地下シェルターをつくらせるなどの
「反・高台造成」策が
建築家から出てこないものなのか。

安藤忠雄の参加、いかにもマズい


●5月3日

「つまらない」と「わからない」は
本来的には非対称的評価なのに、
評価者のなかで不気味に融合し、
対象物を疎外へと落とし込む。

けれども本当は
「つまらない」は自分の感性への評価、
「わからない」は自分の能力への評価であって、
往々にしてそういう雑駁な感想のときは
評価者のほうが
対象から疎外されていることのほうが多い。

自分自身への殺伐としたディスコミュニケーション。

そうなると「つまらない」「わからない」を
決して融合させず、
「わかるけどつまらない」か
「わからないけどおもしろい」を
まず評価の癖として立ち上げて
「わかるしおもしろい」を待望しなければならない。

さてこれらは能力についての問題なのだろうか。
ちがう。
他者についての精神の傾斜、
あるいは速度を諌めること、
ただそれだけの問題にすぎない。

自分に忙しいときは、
じつは自分が自分の敵になっていると知るべきだ


●5月3日

履修者数が多く、
配布プリントが嵩張らないよう、詩の転記打ちをした。

まずは支倉隆子さんの5詩集から精選した19詩篇を。

手に入らない詩集からのものなので、
プリントは詩の好きな学生には宝物となるだろう。

詩の勉強はいま転記打ちが基本だとおもう。
作者固有のリズム、用語、語法が身体的に伝わってくる。
同時に、この転記打ちによって、
その詩作者の良し悪しそのものまでわかってしまう。

支倉さんの転記打ちは異様に気持ちよかった。
そういえば「現代」詩は散文稀用語彙系など、
転記打ちを憚らせるものも多いなあ。

午後からは松下育男さんの転記打ち。
これも気持良さは必定


●5月4日

今クールのTVドラマでは
『犬を飼うということ』(テレ朝/金曜11:15~)と
『鈴木先生』(テレ東/月曜10:00~)の二本を
全番組精査の結果、観ている。

前者は松竹の本木克英、後者は若手の河合勇人と、
どちらも映画畑の人材がメイン演出。

結局はTVドラマでも映画と同様、
俳優にたいするカメラ位置、
1ショットの適確な単位性(別に手持ち長回しでも可)を
作品の是非判断にした、ということになる。

『犬~』は見事な古典主義、
『鈴木~』はTVという基底材にたいし批評的な創造性が何かを
それぞれ体現している


●5月5日

表現のエレガンスとは、
自らの執着している範囲や対象を、
小出しに(緩やかに)開陳してゆくことかもしれない。

好きなものの不偏向(所属領域、外観、内実もろともに)、
意外な連接、
対照をえがくものへの類推的架橋などは、
その表現者の存在している風土自体の
可塑性をも証ししてゆくが、
問題になるのは常に
好きなものが具体的に何なのかではなく、
可塑性の及ぶ範囲の大きさのほうだろう。

表現の民主制が風土と関連するのはこの地点で、
それは分割分節を旨とする
既得権益主義とは全く姿を異にする。


●5月5日

朝、ゴミ出しに下まで行ったら、
郵便受に郵送物がザクザク。

1)ネット注文していた春日武彦の集英社新書
『奇妙な情熱にかられて --ミニチュア・境界線・贋物・蒐集』。

2)支倉隆子さんから「西へ。」20号。

3)潮田文(南原四郎)さんから写真集『風に吹かれて』。

4)野村喜和夫さんから詩論集『移動と律動と眩暈と』(書肆山田)。

5)小川三郎さんから「ル・ピュール」12号。

6)海埜今日子さんから「すぴんくす」14号と「hotel第2章」27号。

大賑わいで嬉しい。
「すぴんくす」は次号の原稿依頼付きだった
(当然、快諾のメールを送付しました)




以上、Facebookに書いた最近の記事の幾つかを
試しにミクシィ用に貼ってみました。

Facabookは近況報告、ミクシィは作品か評論の発表、
というふうに使い分けたいのだけれど、
マイミクさんにみせたい記事を
Facebookで避けることができず、
結局、ソーシャルネットワークの使い分けができていない。

これには自分の執着の多さと
媒体戦略の煮え切らなさが起因しているとはおもう。

Facebookは現在は「招待」なしに加入できる。
ぼくの名前を検索すれば、
すぐにぼくとFacebookでの「友達」になれるのでぜひ。

いずれは、ミクシィとFacebookは書き分けるつもり。

Facebookの利点はブーム到来によってか
「友達」の広がりが加速的だということだ。
しかもツイッターより多い字数が許容され、
閉鎖性にも守られている
 
 

2011年05月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

行幸

 
 
【行幸】


あたまを向かう空にあずけ
知られぬ者としてみぞおちを
草のわずかな上にすすませることを
あるくというのだとしたら
きっと上体と下肢のとりあわせは
胃の不吉にうごめき返されるだろう
擦る音をちらすだけで
それはどこにもあるいていない
線量の多い水のはぜていることのきれい
そのつゆだくのひそかな一帯に
みちているはずのダクオーンもなく
なぜサ行だけがながれてゆくのか
いつしか雲上をあるいている
とすればからだのうごきじたい密談で
だれもがそんな草とからだの
直立関係を一息ごとに離すしかない
なくなった駅がまたなくなり
水平がただ消滅へ帰結してゆく
やみくもとはひろいこと昼日中のもんだい
くものこをちらしてバスからおりても
数人のかたちづくられるのが早すぎた
そういうのがいつも往路の鉄則だとして
草が菜の花でないことも
音が存在の音でないことも
みんな決意の尚早とおもえる
空洞にたまりつづける陽光
だからむだに突っ立つ耳には
せめて銃撃に似たK音を
 
 

2011年05月02日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)