真利子哲也監督書き足し
立教レポート採点なう。その合間に昨夜は「図書新聞」から届いたゲラをチェックした。原稿は先週水曜に、真利子哲也監督の新作『NINIFUNI』を、前作『イエローキッド』をからめて書いたもので、真利子監督の「世界の悪接続=世界悪の接続」という「哲学的な」映画組成を主題にしてある。ゲラを読むあいだに、字数の関係で割愛した諸点をおもいだした。
コミックストリップ作家の妄想とボクシング練習生の鬱屈が暴力的に織り合わされた『イエローキッド』は、イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』を発想の拠点にしたという証拠を提示する。ボクシングジムの練習生が深夜、ジムにひとりいるとき、吊るされたサンドバッグがきしきし軋む音を詩情化するディテールが召喚されているのだった。ところがふたつの映画は対照的な成立をみせる。『ミリオンダラー…』が「ボクシング映画」と「尊厳死主題の重い人生ドラマ」を「悪接続」しているのにたいし、『イエロー…』はぼくが「図書新聞」の原稿にしるしたように、その細部すべてに「悪接続」がみられながら、「ボクシング映画」としては、練習→成果としての連勝→栄光の獲得、という要素を過激に「欠損」させている。つまりグローブをつけた拳による運動は、グローブのない手の暴力へと横ズレを繰り返し、ボクシング映画としては実質ある練習も試合も勝利も描出されない、決定的にズレた場所に着地して、(編集によって時制が「悪接続」された)波岡一喜への惨劇場面に悪結実するのだった。
「図書新聞」に書けなかったのは、真利子監督が仕込むこの「欠損の暴力」だった。この「欠損の暴力」は、「これだけで映画が終わってしまう」という慄然たる感触とともに、新作『NINIFUNI』全体を、今度は組成的に貫いているものだ。逆にいうと、『NINIFUNI』は「悪接続」の(今度は目盛りの大きい)展開に息を呑みながら、映画が欠損を充填しないまま終了してゆく「呼吸」に「遅れて気づく」恐怖映画とも規定できる。「気づきの遅延」。しかしこれは「欠損」とは逆に観客の「情動」を点火するものとはいえないか。
じつはその証拠が『イエローキッド』にはある。認知症の祖母と暮らし、貧しさに喘ぐジムの練習生、遠藤要のアパートの部屋に、恐喝・強奪を繰り返すジムの先輩・玉井英棋が現れ、遠藤の後頭部を強打することで「なけなしのカネ」を奪う。衝撃からようやく立ち直ったとき、もう玉井の姿はアパートを出た路上にない。買い物客が往来する下町の商店街。やがて遠藤はトレーナーのフードを頭にかぶり、顔を半ば隠す。そこでようやく、相次ぐ生の理不尽に憤怒しだしたという気色で、彼の顔が「ゆっくりと」憎悪に染まってくる(このあと彼は主婦からのひったくりを強行する)。このときの遠藤要の顔の凄さは語り草となったが、表情変化の「ゆっくりさ」はふたつの意味にまたがっている。「作品が開巻してもなかなかそうならなかった」という意味と、「表情変化そのものが、あいだに一切の空白を置かず、それ自体、持続的微速のなかに生成する」という意味だ。むろんアクションを主体にした映画では、「迅速」が舞踊性と「見えないこと」に関わる快感なのにたいし、「緩慢」は情動と「見えること」に関わる衝撃を付与する。
ということは、『NINIFUNI』では、「見えないはずのこと」が「見える」交錯が起こった――その事実「まんま」が、作品終了構造にまつわる、ある「気づきの遅延」のなかで浮上してくる衝撃が描かれたことで、作品の事後性が認識論から情動論に転位する稀有な作品と呼ばれるべきだろう。
「図書新聞」の原稿では以上は本筋ではないが、書きたいことだった。こういう「書き足りない感触」が、どうも終面の映画評の字数が八枚から六枚になってのこるようにもなった。ともあれ、拙稿には真利子監督論としての創見をちりばめてあるので、ぜひご一瞥を。今度の土曜、店頭です。
『贖罪』第三話「くまの兄妹」
黒沢清『贖罪』は、原作物だし一話一話にも振幅があるから、元来の黒沢清的世界(たとえば倉庫空間のがらんどうや半透明の幕)が描かれながら、そこに園子温的俳優(安藤サクラ)、熊切和嘉的俳優(加瀬亮)が介在して、清水崇的な瞬間まで訪れ(家階段の質感が『呪怨』をおもわせたのち、加瀬亮が二階の部屋の扉をあけると、マンガ『座敷女』のヒロインのように左右の眼の離れた安藤の風貌が、扉の開きによって徐々にあらわになってゆくときのホラー感覚)、大島渚的な結末を迎える、といった「複合」が起こる。
『贖罪』第三話「くまの兄妹」は、そうとはみえない「テリブル・マザー」(高橋ひとみ)によって引きこもりがちになった(むろん小泉今日子からの強圧もそれを促した)ブラコンの妹・安藤サクラが、連れ子をもつ女(内田慈)と結婚した兄(加瀬亮)に、連れ子目当てのロリコンの薄汚さを「見抜き」、葛藤に陥る、神経戦のような話だ(ところが描写の細部には、加瀬の犯罪性を実証するような明瞭な導きはどこにも置かれていない)。
『贖罪』各話にはかならず人物の出血があるが、今度は娘の死を聞いた十五年前の小泉今日子が、安藤サクラの子役時代の少女を玄関先に倒して流させた大量の鼻血がそれに当たる。それによっておしゃれな一張羅のワンピース(叔母からプレゼントされた)が台無しになったが、十五年後、「活人画的な同一構図で」(ゴダール『パッション』!)、今度は大人になって、おしゃれに興味をしめさない安藤に、兄嫁・内田慈から、おしゃれな衣服が授与される。結果、その衣裳をまとった安藤に再度、流血惨劇が訪れるのではないかというサスペンスが擬制されるのだが、それを裏切るのが、第三回から露頭しだした「円-球」をしめす主題系的な物質/運動だった。
黒沢作品への「階段」の例外的登場は、もう第一話の時点にあったが、第三話では階段は秘匿を解かれたものとして作品内に猖獗している(警察内、歩道橋、家屋内、倉庫内)。ドラマを呼ぶために別の主題系が必要だとたぶん黒沢監督は考えたはずで、それが球/円の主題系だった。ジャン・ジュネ『愛の唄』の主人公よろしく、安藤サクラが「くるくる回り」を室内で披露したのち、「円/球」は病原菌のように作品に蔓延しはじめる。リストバンド、輪投げの輪、縄跳び運動が作り出す輪(塚本邦雄の『日本人霊歌』にある《少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓駆けぬけられぬ》の一首をおもった)、オレンジ色の風船、庭の花壇にシャベルでつけられた同心円模様、クルマのハンドル、ショッピング・モールの建物のかたち(そこで安藤サクラは加瀬亮の、小学校高学年女児との「援交」を目撃することになる)……そうした円形反復ののち、やがて「何か」が人物を害するために「輪」のかたちをなす。それは映画的にいえば大島渚的主題の借用だった(大島映画の場合はそこに多く「日の丸」も付帯したが)。
安藤サクラが猜疑をおぼえた加瀬亮の行動は、眼を凝らしてみても、彼に生じた変態性欲疑惑の決定的な証拠を何ひとつ明かしていない。つまり黒沢清の描写は中間性に徹し、心理や欲望の奥行を秘匿しているということだ。それが黒沢監督の新しい達成点だといえるだろう。安藤サクラが最後に倉庫に踏み込んだとき、彼女が目にしたものは、それまでSOSを発していた義理の姪と、実兄・加瀬が織り成す、「駅弁」スタイルでの抱擁、ベッド上の抱き合いながらのぐるぐる回り、擽り遊戯などだった。そこで姪っ子は笑顔を湛えている。その笑顔が保身のための演技なのか、単純な快楽による結果なのか、眼を凝らしても終始不明な点がじつは最も怖いのだった。この映像の「中間性による戯れ」は予告されていた――倉庫内、吹きすぎる微風によって、ビニール袋が空中で「踊る」姿に(それは大和屋竺『裏切りの季節』ラストの蝙蝠傘のようだったし、コーエン兄弟『未来は今』の細部のようでもあった)。
映像的脅威という点ではもうひとつ、驚愕のワンショットがあった。安藤サクラを「ナメ」たテディ・ベア(今回のタイトル「くまの兄妹」にかかわる)のヌイグルミが、縮率のリアリティを突破して、やたらに大きいのだった(ゾッとしたあと、これが合成画面だという判断が生じる)。似た黒沢映画のディテールもあった。『回路』ラスト、煙を発して空を斜めに落下する旅客機も、また縮率異常的に大きかったのだった。
原田ひ香・東京ロンダリング
女房が読んで褒めていた原田ひ香『東京ロンダリング』を昨日読了。貸間や借家で自殺や孤独死や殺人などが起こり、その後気味悪がられて借り手のつかなくなった不動産を「問題物件」というが、ヒロインはそうした住居に不動産業者からカネをもらって住み、前住者の問題性を「ロンダリング」するという変わった職業に就いている。瀬々敬久の『アントキノイノチ』で描かれた、無縁死者にかかわる「遺品整理業」は実際に成立しているものだが、それと連続すべき不動産ロンダラーは虚構の職業だ。
瀬々の映画では残されたアパートの部屋は遺留物のみならず死者の体液のシミや蛆までもが綿密に描写されていて息を呑んだが、原田ひ香はそういうリアリティは女性らしく度外視する。けれども「おとなしく問題物件に住みつづけるだけ」の女(30代バツイチ)の感性と身体の稀薄については、真空性、孤独、切なさ、気味悪さをうまくブレンドして設定してある(さらりと描かれた離婚原因の提示が見事だ)。そこから雑多な人間の住まう巨大な無秩序=東京、という視座を出して、「東京そのものをひそかにロンダリングする」者の生物的静謐がたくみに定位される。
そんなヒロインが明らかに押尾学事件をモデルにした問題物件(ただし六本木ヒルズではなく丸の内に設定されている)に住み、どんどん生気を失っていって、彼女をおもう定食屋の息子(店は、ヒロインがその前に不動産ロンダリング居住をしていた谷中にある)が、彼女を救出できるかが小説のクライマックスとなる。ヒロインと定食屋の息子のしずかな交情(真情吐露がずっと慎ましく抑制される)とともに、そのクライマックスも、いわば映画シナリオ的な「物語のコンパクトさ」を前面化していて、じつは不動産ロンダリングという職業成立の不気味さよりも、作品への好感の焦点はそちらに結ばれてしまう。
高円寺の駅前古本屋で借りられるミステリー小説、コンビ二食、銭湯、コインランドリーなど、「ミニマルな小道具」(つまり、ひと一人が最低生きるために必要な諸物)にも興味がある。これはかつて矢崎仁司『三月のライオン』で描かれたものにちかい。それらいずれの意味でも、『東京ロンダリング』はインディで映画化するのに恰好の小説だが、どこかがもう押さえているのだろうか(そういえば昨日女房も、ぼくから借りて読んだ中村文則の小説『掏摸』の映画化を話題にしていたなあ)。
大辻隆弘・汀暮抄
「外界具体性/聖徴/自己身体の卑小」――この三位一体を念頭に
「声調」をともなった、叙景をはじめとした機会首が
しずかに繰り出されてゆくとき、
歌集の総体は、「敬虔」を産出する、ひとつの浄い運動体となる。
その機微をつくしたような歌集が
このたび上梓された大辻隆弘『汀暮集』(砂子屋書房、12年1月)だった。
アトランダムに付箋を入れた歌をまず引く。
くさかげの雫にふるふミカエルは天使九階梯の第八
人あらぬ屋上階にのぼりきて銀杏の錐の全貌を見る
掲出一首目は幻視歌なのだが、
下句が漢音のなかに句跨りになっていて
その「見えない分割」が何か聖世界の法則ではないかとおもえてくる。
「階」にもなにか心ざわめく。
歌中の「階」が歌集の実際では二首跳んで掲出二首目に飛躍して
今度はそこで「錐」形という聖なるかたちのつよさが現れる。
いずれもただの体験歌ではないが、
それでも「脱体験→明瞭な喩」というようには読解が進まない。
何か硝子板を経由するような齟齬や障壁があって
それがじつは詠み手の身体の重みに関連しているのではないかとおもった。
「椅子」が聖なるかたちをもつというのは
それが形代として不在のだれかの身体を呼び寄せる「座」だからではないか。
この「椅子」のかたちにたいする感受性が
大辻隆弘の知覚の性質を言い当てるかもしれない。椅子関連三首。
わがかつて病みたることのありしかば癌を病む父のかたはらの椅子
すみやかに深まる秋のかたはらに椅子を置く背が垂直の椅子
小春日のひかりを裏返すやうに白木の椅子にニスを塗るひと
和音の調べを整えて、
歌体をちいさくしめそうとする謙虚が大辻隆弘の個性だろうが、
掲出歌のなかにある「ニス」のようなカタカナ語が
縮減を歯止めする抵抗圧ともなる。
大辻のカタカナは、音の異調であり、文字上の窓であり、
一首の成立を多元化するゆらめきの機能、といえるかもしれない。
よってカタカナの侵入している歌に複雑な韻きが目立つ。
むろんだからペダントリーとは程遠い。
逝く秋の総てを神に於いて視てニコラ・デ・マヘルブランシェさびしゑ
アルブレヒト・デューレルの母バルバラの頬骨隆きこと瘤のごと
テレマンの宗教楽は流れたり発たむとしたるあしたの部屋に
このカタカナは人名でなくてもよい。たとえば楽器名でも
それは通約不能の不可思議を帯びて、イメージを侵食してしまう。
そうしたイメージは視覚性と聴覚性の双方に跨る。
夕時のひかりしづかな雑司ヶ谷ホルンを抱いた女が通る
さて、大辻のもうひとつの個性は生活詠の繊細さだ。
「飲食(をんじき)」の悲哀をうたうとき、
彼は「あるかたち」をそこに置いて、焦点をふかくする。
読者はその「かたち」を手がかりに、
じつは「みえないものの深度」を読むことになる。試しに二首――
贄浦〔にへうら〕の浜のやどりの朝粥の匙に掬へば緩きしたたり
みづ切りて朝のレタスの葉を外すまぶた一枚ほどの薄さの
ここで「の」の問題が出てくる。
掲出一首目で「の」は、重畳形枕詞のような「長さ」を物質化するが
二首目では、最終音「の」は、形容節の倒置によって出現し、
それが何か、詠嘆助詞とさえ錯視されるようだ。
くぐもった感慨があって、倒置が起こっているからではないか。似た例を――
液晶の明かりは頬を照らしをり携帯に声を入れゐるひとの
いずれにせよ、大辻の歌では「意味」は「声調」を加味することで
くぐもって現れる。
そのときに何か「遅延」のような感覚が生じて、
それが情感のありどころを伝えてくる。これこそが美質だ。
大辻は、この歌集収録歌を制作中、さまざまの肉親の死、
それに玉城徹と河野裕子という先達の死を閲した。
この歌集の「意味」は人死にの余韻に
敬虔がまつわっている歌の連打によって第一に形成されるのは間違いがない。
あらゆる感情が籠められるが、骸の卑小を「物質的に」うたった歌が
逆に読み手の心にもっとも悲哀を刻みこむ。
その卑小は生者の身体にも反射する。死生の順で二首を並べてみよう――
命なきひとのからだは揺れやすく後部座席に祖母を抱いてゆく
いちじくの葉の匂ひ立つたかたはらをさびしみにつつ過ぐと知らゆな
存在の「揺れ」「たゆたい」「逡巡」「心もとなさ」。
これらについ接してしまう大辻はたとえば心優しさを誇っているのではない。
そのようなものを世界の本質として峻厳に感知してしまうということだ。
膝に陽が当たり始めてゐしことがまどろむ前の最後の記憶
大辻の歌は、喩の露出も畸想もほぼない。おとなしいのだろうか。
そうはおもわない。とおさや深さが図られて、一見そうおもえないだけなのだ。
たとえば以下の一首の、可視性と不可視性双方に点滅されて
身体にかかわる余韻が複雑化しているさまの見事さ。
ひとはたれも城を抱くとぞ夕潮に石垣濡れて沈みゆく城
すばらしい歌集だとおもう。
井上理津子の捉えた飛田
話題となっているルポルタージュ、井上理津子『さいごの色街 飛田』(筑摩書房、11年10月)を読む。十年ほど前、女房と飛田新地を「冷やかし」で歩いて、その色街風情がどぎつく残る町並みに茫然とし、同時に心騒いだことがあった。レトロとかそんなことを通り越し、ヤバイ地霊が渦巻いている奇怪な磁力に、一気に全身をぶん殴られたような衝撃があった。だから本は刊行された直後に購入していたのだった(読むのが遅くなったが)。
男性の「体験取材」ではなく、売春の実際を捉えるために、「経営者」「おばちゃん(客の呼びいれ役)」「女の子(従業員)」、果ては元締と噂される「暴力団関係者」にまで「縁故のない女性が」取材をかけた、足掛け12年、執念の記録だ。「ルポルタージュが割に合わない」が通弊になっている現在、驚くべき書物だが、暗部にみちた飛田の、「料亭」の内部、匂い、人脈、売春の実際、料金、関係者取り分、人物たちの虚実綯い合わせた出自告白、貧困連鎖、歴史変遷、近隣地などさまざまなものが掘り起こされ、伝わってくる。この暗部の立体的奥行に息を飲む。
明治45年に成立した飛田遊廓、その戦前の推移を、豊富な文献から縦横無尽に精査した第三章から、完全にもってゆかれた。女性の書くものなのに、朝倉喬司などともおなじ匂いがある。たとえば以下の慄然とする記述。《滋賀県八日市市(現東近江市)にあった八日市新地遊廓では、娼妓になる儀式として、女性を、死者の湯灌に見立てた「人間界最後の別れ風呂」に入れ、その後、土間に蹴落とし、全裸で、麦飯に味噌汁をかけた「ネコメシ」を手を使わさずに食べさせた。人間界から「畜生界」に入ると自覚させたのだという。「男根神」と書いて「おとこさん」と呼ぶ木の棒を強制的に性器に入れる「入根の儀式」というのも行われたという。飛田でも、同様のことが行われていたのだろうか》。
著者が岐阜県高山市平湯の篠原無然記念館でみつけた、《ミミズが這うような文字で「娼婦の作りし哀歌」と題した歌が綴られた巻紙》中の歌詞(詩)も哀切極まりない。《浮き川竹の勤め程/辛い切ないものは無い/二七の検査が来たなれば/親にも見せない玉手箱/情け知らずのお医者さん/少しの傷も容赦なく/直ぐに取り上げ病院に/入院するのは厭はねど/さすれば年期が増すばかり/里に帰るも遠くなる》。
以上二例は、事実秘匿性の高い飛田を補強しようと、側面から著者が膚接させた記述なり引用だが、本書は終盤、著者の「突進的」取材力によって、冒頭にも記したように、神がかり的に取材対象を次々獲得してゆくことになる。なかでも飛田の「料亭」経営者「まゆ美ママ」の語る生い立ちと「女の子」指導哲学が、ピカレスクかつ凛とした信念を感じさせ、その倫理倒立性と迫力にメロメロになった。サド小説よりおもしろい。
読後感全体に、「人間のどうしようもない猥雑」が哀しく浮上してくるのも手柄。奇蹟のようなルポルタージュ文学、詳細はぜひ手にとってご覧を――
『贖罪』第二回
黒沢清『贖罪』第二回、鏡のショットから小池栄子登場。体育館の剣道場面は、塩田明彦『月光の囁き』を超えて三隅研次『剣』を想起させる。プールサイドでの小池栄子の必殺剣はまさに三隅研次。水橋研二の起用は『月光の囁き』つながり。
(※以上、若干アレンジしたミクシィでのアイカワさんの日記文、以下は阿部の書き込み)
つまり「研」の映画。
小泉今日子への小池栄子の手紙文。左利きで書く手と、小池の文面ナレーションの交響。素直なトリュフォーの参照。あるいは万田邦敏の非参照。なにかが「磨かれて」(研磨されて)いる。
教室。教室は中島哲也『告白』のように撮られるべきか『鈴木先生』のように撮られるべきか。廊下。廊下は豊田利晃『青い春』のように撮られるべきか。ここでも黒沢清は潜在的な中間態の提示に終始していたが、理科室での「いじめ」シーンは、羽根の乱舞が、塩田『害虫』を引用していた。
体育館という、たぶん伊藤高志にあって黒沢清には縁のなかった空間が、やがてドラマ上は相米的な室内プール場に化ける。このとき、プールサイドで「対岸」を捉える大規模なレール移動が開始され、小池の動きを捉える後退移動がそれに伴い、画面−運動が脱相米的に幾何学化してくる。そのるつぼにプール内に逃げ込んだ学童たちが、そして水橋研二がいる(第一回目の蒼井優の経血は、第二回では侵入者の刃傷によって体育教師から流された血に化けた)。
それによって再度の体育館シーンには小池栄子の演説、という中心性が付与される。フリッツ・ラング的な権力、大衆と演説者の対立。
反復。教室での小池の不屈。理科室のいじめと室内プールの惨事。「十五年前」と現在の反復。第一回と第二回の反復。
時間の皺と、陰謀の多重性。小池の過剰防衛を、怖さを、学校サイトの掲示板に書き込みつづけたのは単に父兄たちなのか、教頭なのか、水橋研二なのか、両方なのか。つよい者が転落する。「過剰防衛」を論題にされることの本質的な疎外性、恐怖。サミュエル・フラーのような。
非ホラー映画での、ホラーの呼吸。剣道で小池栄子が打ち倒した相手が侵入者に変わる。そのおなじ「侵入」の呼吸で、最後、焦燥し狂気を孕んだ水橋研二が画面に切り込んでくる。そのまえ、大がかりな木漏れ日を体育館の壁に当てる照明がベタ照明に不穏に切り替わる。あれは加藤泰にあった照明変化の継承だろうか。すべてがおもしろい。
算数の授業風景。小池栄子が三人の学童を黒板の前に出し、大きな定規をつかって「直角」を書かせるようすが、寓意的だった。あの「直角」とプールサイドの動きのなかにあった「直角」が照応しているのか。
むろん小池栄子の、いわゆる「魔女顔」の物質性を前面化したという点では、『贖罪』第二回は、万田邦敏『接吻』と双璧をなす。
それにしてもラストの唐突感の「後味の悪さ(鮮烈感)」は『接吻』のラストの完成感とは似て非なるものかもしれない。『贖罪』第二回ラストの感触はたとえばフラー『ホワイト・ドッグ』のそれに似ている。
むろん人物の内側に秘められた葛藤という点では、ここでの小池栄子は『降霊』の風吹ジュンとも拮抗している。いずれもが、テレフィーチャー作品というのが興味ぶかい。『降霊』はもしかすると黒沢清の最高傑作なので、『贖罪』第二回は黒沢清のフィルモグラフィのなかでも大きな意義をもつ。
それにしても、一画面一画面に「連想」を働かせる黒沢さんの力は見事だ。ただしそれは映画狂的な「引用癖」ではなく、もっとエレガントなものだ。つまり知識ではなく、血肉にかかわっているものだ。だから黒沢清がやめられない。
『贖罪』第三回のヒロインは安藤さくら。本日夜、WOWOWにてオンエアされる。
決定!
来年度四月からの
北海道大学文学部での勤務がたったいま正式決定しました。
職分は准教授です。
表象と映像を軸に
学部生から院生までを教えるという大枠は決まっていますが、
授業の内容などは
シラバス作成の過程で詰めてゆくことになります。
じつは、去年九月、本年度後期の始まった日に
立教の同僚でもある千葉一幹先生から
北大で「公募」があるという情報をいただき、
九月三〇日の応募書類送付に駆け込みセーフ、
十月下旬の書類通過、十一月一日の北大での面接を経て、
先月末の教授会での推薦、
とうとう本日の採用決定連絡という長丁場でした。
そこにいたるまでの自己資料の作成や
自著と論文掲載雑誌の送付も結構たいへんでした。
不安な神経戦ともなりそうなこういう経緯のなか
いろいろ「慣例」を教示しつつ聡明なことばで励起してくれた
高校の同窓生、入不二基義君(青山学院大学教授)には
本当に感謝しています。ありがとう。
連日、北海道の今年の寒さが報じられていますが
これから今月27日〆切のシラバス入稿など
慌しい毎日が予想されます。
単身赴任なのでよけいに引越しのことも懸念されます。
その引越しも北海道の「家」と「研究室」に
現在の自宅の本と立教研究室の本を振り分けたうえで
しかも防寒を主軸にした家財道具を
最低限、揃えなければならず、
これから四月まで何回札幌に行けばいいのかもわかりません。
ともあれ、立教文学部での特任の任期が今期末で切れ、
その後、職が決まらなければ家計的に大変なところだったので
本日の決定ほど嬉しいことはありません。
これまでは私学の「即興的な」サブカル教師だったけれど、
これからはより学問的な構築も必要になるか、とおもいます。
よって重厚「も」目指します。
まあぼくは魚好きなので、
北海道に行けるのが嬉しい。
反面、単身赴任なので、
これまで女房に依存していた生活がどうなるか。
いろいろ不安を抱えた「門出」ですが、精一杯、奮起します。
まずとりあえずは、みなさんへのご報告まで
一月二十日は雪
【一月二十日は雪】
やがてこのしずけさのなかを
ある等速のようなものがひびくのだ
そのことで空からしたに埒ができ
みえるものすべてしろく血流化して
ひとは多数のほろびのおりなす
おもみのない降臨にとらわれてゆく
このたずさえられるいっせいの等速とは
いったいなんのからだのすべてだろう
ありどころにまどい瓶をもちあるいては
いっしゅんごとの持続へ聾いてゆく
登仙
【登仙】
ぬれ髪がおのれじしんをとわに
濡れつづけるだろうと気づいたとき
ひかるぼくらにあらわれたのは
とどまらない羽化へのおそれだった
やがて眼の生をはがすべく
湯気でふえた顔をすべらせた
瞑目のそばから髪をもつれあわせて
しずくにより相愛も研いでいった
その登仙のかたちがくちびるを接点に
水をけずるうごきまでともなった
●
「入浴詩篇」をさがす過程で句集も渉猟した。すると微妙な語彙にであう――「濡髪」だった。浴場から出た身体の位相をただちにあらわすことばだが、入浴の事実はじつはそこに潜在し、ひとはたぶんむしろ奥行ある体験のうつくしさこそを感知する。つまり「濡髪」は入浴の縁語だが、入浴に否定斜線を引く上位性をももっていた。目にとまった「濡髪」句で秀吟とおもうものを以下にふたつあげておく。《ぬれ髪のまま寝てゆめの通草かな》(赤尾兜子『歳華集』所収)、《濡髪の女闌けたり桃の昼》(中村苑子『四季物語』所収)。兜子さんの句は女手としかおもえず、苑子さんの句作と錯視してしまう。
お知らせ
立教の文学部文芸思想専修二年生が企画した
小池昌代さんとぼくの最終講義+送別会
(小池さんとぼくの特任の任期は今期末で終了する)、
その日取りと場所が下記のように具体的に決まりました。
「入浴詩を読む/つくる」(配布プリントをもとに講評)
2月17日(金) 15時~17時30分
@立教池袋10号館 X105教室
参加費:500円(小池さんと阿部へのプレゼント代)
「送別会」(立食+お酒)
同日 18時~20時
@立教池袋 第一食堂2F 藤だな
参加費:2500円
講義参加者は、「入浴体験」をテーマにした詩篇を事前提出すると、
配布プリントにその詩篇が採用されることがあります。
参加希望のお問合せ等は阿部宛にメールでおねがいします。
立教在校生、卒業生のみならず一般のかたも歓迎します。
それで今日の午前は「入浴詩」の詞華集をつくるべく
転記打ちとコピペを愉しんだ。
現行、収録を決めたのは以下。
種田山頭火「涌いてあふれる」、
安永蕗子「朝に麻」、
岡井隆「薔薇抱いて」「うたた寝の」「陰茎の」、
会田綱雄「野州塩ノ湯」「野州紀行」、
支倉隆子「魅惑、という部屋」、
井坂洋子「花豆」、
小池昌代「数」「かもしか」、
岩佐なを「おねえさんの湯」、
柴田千晶「雁風呂」、
斎藤恵子「女湯」、
廿楽順治「いれずみ」「あふれる」、
阿部嘉昭「医王湯」「不滅の生」、
河邉由紀恵「桃の湯」。
サジェスチョンをいただいた方に感謝します。
あとは田中庸介さんの詩集の到着待ち。
それでプリントの「参考用詩篇集」が確定する。
不滅の生
【不滅の生】
あるかいっくをおもいながら
あるかりの湯にぬるぬるになって
ふやけてましろいひとへ
かわろうとしている
ろうはいと木目はきえた
からだの木目がなくなると
そこにべつの目がうまれだしては
すべてかすむために湯のおとをきく
湯に泛くひとつの性は露天にてらされ
うくことでハラワタを滅しつづける
しごく
【しごく】
たてものにある障子の端は
たてものを横抱きにして
横紙やぶりをさせるべくある
その紙でできて感光する境界は
おんなのかくしどころめき
みずから閉めるともなく閉めていて
だからべらべらにしごき
さかき挿して神棚にしてしまえ
さねさしさがみの紙と木の住処は
北風に蛇腹するだれかのかばん
冬ぼたん
【冬ぼたん】
からだの胸のたかさに
ならんで肺のひめられてあることは
いのちのしろい面目なのか
おんなたちのそこから
からだの黄泉がうつろおうとしたとき
そのたかさをさらに隠すように
手前を冬ぼたんの白はゆれて
たかさそのものが消えていった
爾来ひとから失せるたかさは
とおくにおもいつづけた
かんがえ
【かんがえ】
手筈をかんがえたとき
この手には筈が生いでて
射ることがおもわれた
もう同属をほそめるように
やぶを撫でるのも偽りだった
らんらんと手管がうまれるまで
かわりに管をまくしかなく
てのひらにちょうど絮ひと掴み分ある
くぼみの底から
手ではないものは練られつづけた
客
【客】
客というものはくさいろの波になって
とつぜん畳をてらす電球を
とりかえていたりする
まむかう構えを問うている円でもあって
おまえの通夜にはでると語りだす口吻からは
意外や真鍮の冬のひびきがつたわってくる
知遇は何年まえからだろうとぼんやりしたが
そうか主客転倒が来客のならいか
かくして定かとなる自分は電球であかるく
客のいない口をパクパクさせている
くろねこゆみこ
【くろねこゆみこ】
汲むもの汲まざるものを
ともに一体より抱きあげて
手から満身創痍になってゆく
この手中でおどっているこれは
くろねこゆみこ、だろう
曲線がつねより多いどうぶつの
みだれをおさめるには闇がいりようで
ふすまの夜を閉めきったしばし
手中の不定とからだの傷が
おなじ色になってゾクゾクする
物証
【物証】
十九日頃そちらに立ち寄ると
てがみがきて
身辺のへりがきゅうにあふれだした
窓などもうかたちを崩そうとしている
あいわたるふたつが物証をもつのが
ものごとのかなしみだと
とおくから告げにくるのだという
ゆがんだ窓辺に佇ち朝な夕な待つと
まつことがつよく構えられてゆき
それじたい粉のように拡がった
水でする便り
【水でする便り】
三時には西日とかわる冬の日
とおい並木に郵便夫のあゆみが
みえ隠れしてゆくすがたさながら
井戸より桶へ汲んだ水をもちあるき
かわもにただながしてゆくのは
たりない日のながさをよりながく
ながれへつたえるためのことで
なにかを容れるなら水がふさうのは
ひるま対比されるもののまが
ねむたくふくらんでもいたためだ
真葛原
【真葛原】
あかりにてなす似ていない似顔絵にも
似ようとするこころはあって
線はおもかげをよみがえらそうとするが
うかんでゆく面にうらぶれがはいって
けっきょくそれは顔ではなく紙になってしまう
いきているものと死んでいるものの等分が
顔らしきものを野面にしてあらわれるさみしさ
そこにもながれる髪がそえられてゆき
えがかれたものがその毛しかちからでないなら
ひとの毛だってかたちにならないかなしさだ
田中眞澄追悼
日本映画史家の田中眞澄さんが亡くなられた。先月29日、新宿紀伊國屋ホールでの澤登翠さんのリサイタルと忘年会の後、帰宅、施錠後に、玄関で崩れた本に埋もれて亡くなっていたことが、31日夜、弟さんと警察が部屋に入り、わかったという。郡淳一郎君から連絡があった。北海道の同郷ということもあり、亡くなり方には草森紳一さんをおもわせるものがある(大学もおなじ慶應義塾)。
田中さんとぼくとは、フィルムアート社の「映画読本」シリーズで、「成瀬巳喜男」「森雅之」を共同編集した仲。というよりも、つきあいは、ぼくがキネ旬に入って早々からあり、「筋金入りの年長の書き手」としてずっと畏敬してきた。資料の博捜、そのうえでの判断。消失した作品が、「当時」どのような評価を受け、それが通時性をもつか否かを慎重に考察しながら、実際は「人脈」によって、映画内世界が、その「外部」が、どのように拡がっていたのかをいつも原稿が示していた点で、映画本体とともに世上の「歴史」を彼は書いてきた。つまり一映画にたいしての単一視点ではなかった。だからのち大学研究者に拡がっていったメディア論的映画史家の嚆矢もなしたが、たとえばベンヤミンやクレイリーを援用するタイプでもなかった。青山学院短期大学に奉職していたとはいえ本気の民間学者だった。往年のリブロポートから出ていた「シリーズ民間学者」に推したいようなタイプのひとだった。
田中さんは小津安二郎の研究家としての認知が高いだろうが(そこに著作が集中している――なかでも『全日記 小津安二郎』の、執念にみちた編纂が忘れられない)、たとえば90年代初頭当時、往年ATG公開されたスコリモフスキーの『早春』を観ていて、それを抜群の記憶力で語ることでぼくを羨望させたり、日活ロマンポルノの鑑賞体験も豊富だったりと、多くのひとが田中さんにあまりイメージしないことを、ときに茶目っ気もまじえて匂わすところが人間的な魅力だった。どこかにルンペンプロレタリアートへの憧れがいつもあって、それが既存の、大学を牙城にした映画史研究家や、「おたく」的な映画評論家と齟齬をきたし、その原稿も暗色に詰屈することがあった(そういえば、最期まで原稿用紙への鉛筆書きが守られたはずだ)。
田中さんは古書古雑誌蒐集派ではなく国会図書館派だった。雑誌にまだ原稿を書いていないころは、映画を観ていないときは国会図書館に籠り、貸し出しリクエストして、転記などのディスクワークをつづけていただろう。やりかたは、たぶんこうだ。年度を「縦に」追いながら、戦前の一般新聞、文芸誌をふくむ一般雑誌、映画雑誌を同時に「横に」読んで、そのなかから実際は歴史とメディア性の拡がりを捉えていた(その作業から構築される雑知識が、彼の知られざる魅力だった)。だから一本の映画にどう焦点を合わすのかの作業も実際は多義性を経由していて、「観てない(観られない)映画を、資料を鵜呑みに判断する」という評は、まったく田中さんの本質に届いていない。
むろん映画鑑賞機会をものすごく大切にした。「フィルムセンター最多有料鑑賞者」という巷の評価も間違っていないだろう。そうして「雌伏」をつづけていた田中さんが、生誕90年を契機にした何回目かの小津ブームで、一挙に小津研究の中心的な書き手になった。学識はあるが、学者的無味乾燥のない名文。当時流行のテマティスム構造批評にも接近しない。「事実」と「映画」の痛烈で同時に人間味ある「関係」を、自分のためにではなく、あるいは読者のためにではなく、ただ「歴史」のためだけに展覧する――それが田中さんの律儀さだった。
実際は内田吐夢論を単行本で書きたいと願っていらした。小津については周辺人脈が刈り出し尽くされ、発言も蓄積され尽くしていて(それは第一に田中さんがまとめたものだ)、既存文献の捌きと、ビデオの反復鑑賞で、何らかのことができてしまう気楽さがある。そうでないもの――そして自分の好むケンカイさと侠骨の入ったひととして(そして当然、途轍もない傑作を脈絡なく寡作する作家として)内田吐夢に情熱をそそいでいたのだとおもう。じつは内田には「自伝本」があって、それがまったく当てにならない。薄いし恬淡だし、日活多摩川の人脈も、満映の人脈も、戦後の人脈も、当然、謎にみちた「作家動機」もつかめない。「だから」田中さんは内田に肉薄したかったはずだ。
田中さんには単発の内田吐夢論はあるが、それは字数的に一事象の史的考察といったものに照準が合わされていた。織物でいえば、「糸」のようなものだ。そういった糸それぞれを織機で織り合わせ、構えの大きい吐夢論を仕上げてゆく時間と契機ができなかったのが惜しい。
ひととひとがどう交通して、「作品史」が成立してゆくのか――真面目にいうなら田中さんの視界はそこに展けていて、じつは映画を取り巻く上部構造も下部構造も知っていたひとだった。出自は左翼系かアナーキスト系だという感触をもたせるが、そこは例のごとく韜晦する。それでも柏木隆法さんの『千本組始末記』(そこではヤクザと映画人と材木屋とアナーキストが戦前の京都・千本を舞台に錯綜する)が出たときは「先を越されました」と心中、悔しがっているようすが窺えた。小川紳介が好きで、「集会」の一員だったことがあるのではないか。あるいは三流エロ系の出版物に、高尚な文言を書いていたこともあるという「伝説」をみな知っていたし、明治文学のあれこれにも博識だった。たぶん筑摩などの「明治文学全集」は読了どころか三読四読しているとおもう。いちど広津柳浪かなにかの話が出たとき、田中さんの語る「細部」がぜんぜんわからなかったこともあった。
「交通」が田中さんの興味だったことは、田中さんが自分のライフワークと目していたものに「上野駅」論があった点でも傍証されるだろう。どのような内容かはわからない(聞いておけばよかった)。ただし明治鉄道史から始まって、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし」、東京芸大生の青春、下谷万年町のスラム、兵隊列車、闇市(アメ横)の勃興、やがては集団就職期にいたるまでを多くの有名無名のひとたちが右往左往し、駅前旅館がどう繁盛し、吉原へとどのように人力車が駆け抜け、不忍池のほとりをどのように恋人たちが同道したか、あるいは上野駅の地下がどうなっていたか、また「浮浪児」がどのようにたむろして、たとえばそこで石川淳がどのような出会いをしたかが、創造力豊かな活劇として、それでも田中さんらしい慎重な考証性をつらぬいて、書かれたかもしれない。田中さん特有の博覧と稠密さから、どうしても堀切直人の「浅草」四部作、その「上野駅」版を聯想してしまう。
最後に田中さんと会ったのは、内藤誠さんの『明日泣く』公開と『偏屈系映画図鑑』出版を祝うパーティだった。その前、『マイ・バック・ページ』の試写のあとは、南新宿の裏のほうで飲んだ。どちらのときも、微妙に話が噛み合わなかった。たぶんそれは、90年代に映画の仕事をした者同士が、間隔を置いて久闊を叙すとき、ひとしなみに起こる事象だろう。「われわれ」が悪いのではなく、「映画」の状態がどの局面でも悪化し、しかも「情熱」への算段では人生に応じた角度差がかならず生じているということなのだ。もっと喋っておくべきだった。
――いまはただ、合掌