ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

 
 
【紺】


紺をみるとその色にひとみまでそまり、泣きたくなる、それがホテルの一夜だ。からだとは理想がげんじつにかわっていった相手のいまで、この時間の尾っぽを紺色ということもできる。そうして色をみたのに色をさらにひきだして視覚を全体にするのは、からだにまかれて、ひとのなかへときえることだ。
 
 

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2012年03月27日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

引越し準備

 
 
【引越し準備】


からだのゆうべになっている。引越すに、要らぬものを束ねてゆくと、耳のうしろがかるく、もう捨てるものも恃み以外になくなる。それで顔を泛ばせながら、渦のようなものを伴侶とかんじている。この渦の消えを待つ数瞬、からだへの決定だけが野蛮だった。
 
 

2012年03月26日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ガーネット66

 
 
廿楽順治さんから「ガーネット」66号が届く。自作をとりあつかってもらったからというわけではなく、廿楽さんの詩誌時評が素晴らしかった。東日本大震災で死亡や行方不明になったひとからの「成仏」請求により、現地では「水たまりに目玉がみえた」など生存者の異常感覚がつづいている――そんな前振りから、その死者たちの視線の遍満にまずは注意が促される。返す刀で実体験や報道見聞によらない、詩作立脚の可能性が暗示されてゆく。直接関係的でないこと、書き急ぎでないことがそこではいわれているだろう。

もっといえば「死者たちと同等に」、自己を抹消する(これが脱拙速につながる)詩作の位置改変が問われていて、それはとうぜんフレーズの片々にまで人格不明性を不気味に導入するから、ここですぐれて詩作技術の問題が惹起されてゆく。廿楽さんが扱ったぼくの詩篇でも、「だれがみているのか」という謎が摘出され、時評の全体文脈に接続される。確かな読みだ。取り扱われたもののなかでは去年、ぼくが驚嘆した「repule」13号掲載、柿沼徹さんの「途上」もちゃんと入っていたのが嬉しかった。

廿楽さん自身は「人名詩」シリーズを載せているが、冒頭の「「いわた」さん」がとくに見事な出来栄えだ。他者の偶有的現前にたいする遥かでやさしいまなざしもまた、対象の「不明部分」=無人格性をえぐる。えぐって、なお余韻がでる。それが「この世」の法則だ。そういえばこないだの「入浴詩」プリントでも廿楽さんの詩篇には同等の感触があった(ネット版入浴詩集への転載依頼は、岡井さん、支倉さん、井坂さん、斎藤恵子さん、岩佐さん、河邉さんが返信にて快諾、杉本真維子さんだけが東京にいないのかまだ届いていない)。

廿楽さんのその記事によると、小峰さんも個人詩誌を出したのだなあ。小峰さん、入手したいのだけど、どうすればいいですか?
 
 

2012年03月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

財布

 
 
【財布】


これから緯度のひととなるにあたり、足もとに用意するのは蹄、蹄鉄師とも寄り添わなければならない。もはやかばんに入らないものを相手にするのだ。それでも雪より迅い光線が薄びらきのくちへさしこんで、財布でもないのに、たずさえる鉄だけが歯こぼれそうだ。
 
 

2012年03月21日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

窪地

 
 
【窪地】


ふりかえることは、立ち位置からただ導かれる。一個のからだは、ほんとうは背後などもたず、身の棒を星へあたえようといつも回転するだけだ。そうして風になびく草木をおのれのパノラマにしたとき、からだも透けて内なるしべをめぐりにこぼす。さんしゅゆにかこまれたその窪地で。
 
 

2012年03月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

江津湖

 
 
【江津湖】

よしは水の境界、岸のひろがりを茫々と戦いでいる。これに一斉をかんじれば俯瞰の眼がとつぜんにえられて、からだもいつか泛きだす。あることの無量無寿讃がよしよしとただひびくのは鷹の視韻律だろう、鄙をこのみ歩く身からはその後がきえる。
 
 

2012年03月19日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

安永蕗子追悼

 
 
このところ、とくに週末は引越しの準備に追われて、吉本隆明に添うようにして他界した歌人・安永蕗子をちゃんと追悼再読できなかった(いまもそうだ)。いまとりあえず彼女の処女歌集『魚愁』で印をつけた歌を通覧する余裕を得た。凛冽、淋しさ、抒情性と音韻の見事な融合に、心がうるんでゆく。むろん彼女の歌は、戦後前衛短歌のうち、「女歌」の正統の位置にある。つまり葛原妙子の異端とも異なるのだが、正統のもつその極上の哀しさが肥後熊本で貫徹された彼女特有の生と響きあっていて、逆に葛原を都会派の織りなす乱調美だったとおもいなおす。安永短歌は『魚愁』ののち、修辞をより複雑にし、また「漢音」の硬質な響きも活用してさらに魅惑的な複雑体をなすようにもなってゆくのだが、そう知ればこそ『魚愁』の端的な抒情性、わかさを記念するおもいが湧いてくる。追悼に代えて好きな歌を以下に摘出しておこう。

朴〔ほほ〕の花白く大きく散る庭に佇ち茫々と生きねばならぬ

凍りたる白菜小さく刻みゐる硝子のごとき食〔じき〕も思へり

相隔つことをひそかに恃みゐて灼かれをり星と人の眼〔まなこ〕と

かすかなる雪ともなひてゆくことも町に逢ふ日のかなしみとせむ

紫の葡萄を搬ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

噛みあてし紫蘇の実暗き口中に拡がるものをしばらく恃む

ながらへて享けし孤独と思ふとき天譴のごとき白き額〔ぬか〕もつ

飲食〔おんじき〕のいとまほのかに開〔あ〕く唇よ我が深淵も知らるる莫けむ

降る雪も過ぐる時雨も沁まざれば我が深淵のかたち崩れず

「深淵」と女性性が安永にあっては類推関係だということが掲出でわかる。彼女は何かをおもいにずっと秘めていた。それと転記して気づくのだが、体言止めの歌が一首もない。塚本邦雄の歌に代表される体言止めはいわば「関係認識」の産物だろうが、体言で止めない安永は、「おもいの(動性の)余韻」こそを作歌の主眼に置いていたのではないか。そうかんじたとき、安永は吉本のいう「短歌的喩」の図式から最もとおい前衛歌人だったという感慨もうまれる。
 
 

2012年03月19日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

吉本隆明メモ

  
 
Facebookに連打ちした文章を以下にペーストしておきます



吉本にかんしては、ぼくは他人を非難するときの舌鋒のするどさに辟易して
ずっと花田派をとおしてきて、
じつは近年になってまとめ読みをしたような体たらくでした。

以前、「詩と思想」の原稿にも書いたんだけど、
実は吉本著作を縦断的に読んでゆくと矛盾がいっぱいある。
ところがその矛盾こそが彼の思考の生動性なのですね。
このことに気づくまで時間がかかりすぎた。

『言語美』が吉本著作の中枢なのは当然として
ぼくがびっくりしたのは、『最後の親鸞』と『母型論』の二著でした。
このふたつの著作の重要性ならフランス現代思想と比肩できるし、​
とりわけ『母型論』は用語はちがうけれども、
ドゥルーズと似た着眼点も多い。
これらを思い返してもわかるように終始、「自己表出」に拘泥した​から、
吉本さんは詩作の上ではなく思考のうえで詩作者だったといえる。​

今後も「吉本を使う」必要は多々あるとおもいますが
では「吉本を使う」とは何か。
いまは答をまだぼく自身出せていないけれども、
ヒントは藤井貞和さんや瀬尾育生さんの思考にあるような気がします。
このふたりからの「角度」によってなら吉本を逆照射できる。

「修辞的現在」はぼくも当時、それで詩のフィールドを見取る道具としたけど、
それ以外の余禄のほうが吉本には多いとおもいます
 
(※以上、廿楽順治さんのミクシィ日記への書き込み)



むろん再生産理論の読みなどに理解度の差はあったが、アレゴリカー花田と情熱的分類家吉本の思考にさほど差がないのではというのが近年生じた認識だった。花田の非連続、吉本の破裂にいたる連続は、ともに持続の相にあるという大局がまず把握できるが、大きいのは相殺装置をふたりともにもっていた点ではないだろうか。花田は早かった。たとえばエラン・ヴィタルとフラン・ヴィタルがそれで、吉本は同様の装置を親鸞の往相/還相から掴んだのではないだろうか。相殺によってできる眺めを花田は「死」といい、吉本は「無」と呼んだ。いま吉本は孤立への信頼では​なく類推への親和によって読まれなければならない。花田​とベンヤミンの類推がすでに成立しているなら、吉本をドゥルーズの傍らに置いてみることが必要かもしれない。それにしても「う」を昔のぼくは浅田彰のようにわらった。いまはちがう。発語衝動とは(古代)人にあったと同時に、世界そのものにすでにある、と考えるようになっている



あ、最後に書いたことは期せずしてベンヤミンの「純粋言語論」とおなじ論旨だった。そうか、吉本とベンヤミンも類推可能関係だ、ということだな。「純粋言語論」については首都大学東京から出ている『詩論へ』の最新号で、瀬尾育生さんが見事な明晰さ(つまりはわかりやすい、ということだ)で語っている
 


吉本『母型論』の書き出しは「口」だった。母親の乳を吸う子の口がやがて錯綜し、喉の痙攣を契機にした口腔の運動が舌や唇に拡がって、ついに「喃語」を生み出すようになる。「母語」はここからしか付帯しない。発生論的で緻密なその考察が、吉本「自己表出」論の身体性への転位として綴られていた記憶がある。圧倒されたが、じつはその論は、吉本の活動をも包含するものだった。つまり吉本はいつしか「語るひと」と自らを捉えなおし、その使命を全うしたということだ(そうして講演音源が陸続することになる)。そのながれでいうと、「音読できる詩」をかんがえたときに現在の若手の営みが「無」と映ったのではないか。これを別言すれば神話性と自然を欠いた詩ということに確かになる。正論だった。いっぽう花田の「声」はよくわからない。その生前を知っていた編集者の言によれば、笑い声は「ホホホッ」という女性的なものだったというが…
 


吉本さんの詩への貢献は、じつは『言語美』の短歌的喩の提唱だったというのが私見だ。「分立」の組成がそのまま詩の身体となると略言できるそれは、誤解されがちだが、実際は「暗喩」の否定だった。つまり暗喩の成立できなくなった「修辞的現在」を別方向に領導できる道具が、吉本著作のなかでは順序が逆だが短歌的喩だったはずだ。そのことを吉本さん自身が意識しなかったのではないか
 
 
  

2012年03月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

表出

 
 
【表出】


往相によってからだに春が生じるのだとすれば、ほんとうの往相とは一切の同時進行だろう。「う」の発語衝動をつうじ海の浪も芽吹いている。そうした一つひとつには奥ふかく還相すら脈打って、だから無をかたることばがついには往相へと帰還する。そんな海がみえてしまう。
 
 

2012年03月16日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ウラヌー

 
 
【ウラヌー】


針終わりで仕上がった着物の、ふかぁい水のにおい。ながれが糸である遥かさを人も着て、けっきょく景色には着衣だけがながれてゆく。この世のひかりなら往来の背後を、ころもがえの橋にしてとおく裏縫う。
 
 

2012年03月14日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

消滅棒

 
 
【消滅棒】


こーん、とはるかな眼路が鳴った。その音のなかみがなにだろうとかんがえたが、みいだせなかった。それでも響きが空気をちいさく崩すさまをみて、それをおもいでとかんじた。目鼻のあることで人を真似ている鳥獣のわたしには、いつでも消滅棒が指示だった。
 
 

2012年03月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ポセイドン

 
 
【ポセイドン】


眼のなかをこうなごのおよぐひとに自分の男を入れることは、いさどりに似る。地引網の語があるが、海流をくりかえしてかの地をひとから壮大に引く。遊星的な舌が釣られてくる。これを巨大音ということのできないのは、すべてが曲がりそのものだからだ。
 
 

2012年03月09日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

喜田進次・進次

 
 
俳句ではやはりその「俳」の字が問題なのだ。「にんべん」に「非ず」の旁を付すその字のおそろしさ。なにか短躯で畸形な詩型のおもむき。むろん周知をいいおおせる月並にはその感覚がないし、奥行のある季語秀吟にもそれはない。真正俳句のみがもつ、世界認識の奇怪さと恐怖(これは俳句に端を発したイマジズムでは決して解けない課題だろう)。2008年8月2日(ぼくの誕生日だ)に55歳で逝去した、一部にとってのみ知名だった俳人・喜田進次の、生涯句集『進次』がこのたび柴田千晶の金雀枝舎から上梓されたが、そこでも「俳」に向けての終わりのない格闘が凄絶にしるされている。動悸した。

句のなかに、ときに喜田の妙ちくりんなエッセイを織り合わせた秦鈴絵(きっと喜田の句中で「恋人」と呼ばれたひとなのだろう)の編集、それと秦の「後記」によって、喜田句の奇矯さが満身創痍を引き換えにしたものだったとわかる。芭蕉の句すら「ごろつきの句」と呼ぶ喜田は、その俳句への直観を自身にも適用しようとして、ときに自壊自滅すら厭わない。畸想句、難解句も数多い。ところが「俳味」ではなく「俳」そのものに拘泥する喜田は、永田耕衣の句のような、禅や幽玄や余情の安定性にもおもむかない。永遠のあたらしさのゆえんだ。「畸」であることのみに閉塞しようとして凄惨を醸すその位置どりということで、詩壇で類推したのが、たとえば加藤健次だった。

秀吟のみをこころざせば、喜田はそれなりの達成をみせただろう。だがそうしなかった。むしろこうした秀吟と奇怪吟の二段構え(あるいはさらに自壊句をくわえた三段構え)、それによる経験したことのない立体感が句集『進次』の魅惑だということができる。まずは秀吟を、引かせてもらおう。

秋天へもどるがごとし郵便夫

手袋に一身入るるごとくなり

ねむきねむき身の奥に蓮ひらく音

鰯雲よりもしづかにあるきけり

昼寝して四国の中のどこかかな

猫去つて畳の上に秋の海

バカガイを食つて日なたに黙りゐる

椋鳥にあけつぱなしの財布かな

秋冷といふべきものが水の中

栗をむくいつしか星の中にをり

茄子といふとほき世の紺漬けてあり

「バカガイ」の句は、俳句が予定する自己卑下的凄味のなかにあって、それ以上ではない。「椋鳥」の句も一見奇矯だが、その(雛の)嘴と財布の形状に相似を見出したとき穏当な類推句に落ち着く。「茄子といふ」の「といふ」には喜田の理知が透ける。「栗をむく」の空間飛躍のみが常軌を逸しているが、句の抒情が逸脱をきれいに回収してしまう。それにしてもどの句も「感情」が佳い。ところが喜田のなかの騒ぎ虫は、これにあきたらない。

そこで「俳」を念頭に通常の俳句性への凌辱が喜田に発生する。作法のひとつは、「当然」を詠んで、そのあまりの当然さに、「自明な既存」が破壊されることではないか。たとえば――

霧の中巨大な烏瓜のまま

桃食べしにんげんの香を漂はす

写真から誰も出てこぬ秋の風

夏至暗く使はねば身の広かりき

花栗の幹そつくりに冷えてみる

冷奴どこにも円と球置けず

大雨がやんで椋鳥まで直線

先に掲出した句群では「中」の措辞が印象的だったとおもう。で、いま掲げた句群は「中」の措辞がないのに、ある「内域」(=「埒」)が詠まれ、そこで自己にかかわる不動性や無差異が詠まれている。ある意味で「当たり前」と呼ばれそうな句意が、どこかで「奇蹟が起きない奇蹟」(ジャン・ジュネ)に反転しそうなあやうさ。次には畸想そのものが綺麗な句群が以下のようにある。

壺の底につめたきものがあそびをり

夕顔が手にあるやうにひらきし掌

洗ひ髪川に引つばられるかもしれぬ

あらうことか未明の花火ひらいたまま

これらでは着想が勝利している。ところが喜田の最後の真骨頂は、自身を梃子にして「人間」という大きな概念に亀裂を入れる、そのしずかな凶暴性にみてとるべきかもしれない。以下は簡単な一句解説を付そう。

たましひのやうには桃を過ぎられず
(では、どのようにして桃の花林を句の主体は「過ぎる」のか――「からだ」あるいは「肉」のようにしてだろう――桃の色香は、人が魂であることを拒絶する)

青麦の方がきれいで人を捨つ
(比較構文によるが、その比較自体がのっぴきならない。人間遮断という恐ろしい事態が詠まれているのに、句のうつくしさはどうだろう。よって三橋鷹女の「嫌ひなものは嫌ひなり」の上位にある)

水仙や立てば人間蒼かりき
(因果性の逸脱。水仙に干渉を受けたのではなく、もともと人間は蒼白だというリラダンのような認知があるのではないか。断言にみえて過去形の微妙な斡旋がにがい)

雌を出て雄にもどれば蝉しぐれ
(上五「雌を出て」の読みが問題となるが、「性交の終了」とみた。性交の終了後、「男にもどる」のなら、性交中は相手の女性性にまみれて、規定できない性の惑乱に自らいたことにもなる。その後の虚脱感に「蝉しぐれ」が響き、死の予感が配置される)

桜貝と思へなくなり裏がへす
(何か作者の生の不吉な持続感のなさが印象されて慄然とする。しかも掌中にあるものが「桜貝」なのか「それ以外」なのかがついに判然としない、朦朧の怖ろしさもある)

鯊ばかり釣れにんげんに戻らうか
(太公望は人間ではない〔仙人である〕、という前置的な認識があって、「鯊ばかり」の絶望が救抜されている絶妙なはこび。こうした構造的二重性によって句の悲哀がきわまる)

掲出では、可能態の大きさをいうため、失敗とみなされる喜田の句をかかげなかった。そういえば筆者はさきごろ「入浴詩」の最終講義を立教大学でおこなったが、俳句では例外的な見事な「入浴句」が喜田にある。

空蝉をとりにゆくなり朝湯して

この寒き暮色天体ひとり風呂

句集『進次』は函入りで、そのなかに分冊として詩集『死の床より』も入っていると最後に付言しておこう。
 
 

2012年03月08日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

地球詩

 
 
【地球詩】


さるひととの関係が平行だと気づいてほとほと恐ろしくなる。あゆみがついに出会わないのだ。わたしが芽吹いた柳のゆれをみあげているとき、なみだ壜がゆうがたにいろづくのを、むこうはかんじているのではないか。ながれゆくものがこうして一切の平行ならば、風域もわたしらのためひろがる幅員をえがく。
 
 

2012年03月06日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

あるかなきか

 
 
【あるかなきか】


ふらぬーるでゆくつい先に、ふらまぁるというべきもやがかかって、雨中の川原ではそれに滲まされる。傘を半分だけさして半分ぬれること。そのように半分の家を身に帯びるから、そこへ女の恰好でかしぐのだ。川のそば、ふらまぁるで消えるいとしさ。
 
 

2012年03月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

粉雪が舞って、

 
 
【粉雪が舞って、】


不意に、というときの意のなさのまま、みたものに規律されてゆく。この意のなさは自分の内側をみたすのみではなく、外側をもあふれていて、むしろすべての包含が果肉めいた連続となっている。ここに身を置くとスリルのないのが不思議なくらいだ。気と肌は秘めあい、立つ位置の先までをずっと沿う。
 
 

2012年03月02日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

詩と思想三月号

 
 
帰京したら、雑誌『詩と思想』の三月号が届いていました。特集は「ショートな詩」、つまり行数が短く、分量の少ない詩。「巻頭詩」としてぼくの十行詩三篇のほか、短詩にかんするぼくの論考も見開き掲載されています。

論考のほうは自分の詩作ではなく、モダニズム詩から現在の詩まで、自分の好きな詩篇を誌面の許す範囲で濃く紹介・解説しています。そのなかで、短詩は詩の組成を裸にする利点があるほか、連詩の単位とみなされることによって、さらに自らを単位の細かい連詩的分割に導く、とも主張しています。ご興味のかたはぜひ書店でご覧を。

誌面そのものはまだ読んでいる途中ですが、多くのかたの掲載詩篇は「まだ長い」といえるかもしれません。全体にぎっしりと詰まったレイアウトで、たしかに分量的に豊富な号なのですが、もう少し字が大きかったらなあともおもいました。

ところで掲載詩編のなかに、びっくりするフレーズがありました。龍秀美さんの「水である内部」。その部分を転記打ちしておきます。


〔…〕

桃を食べたとしても
桃のどこにも行けないように

食べられた桃の
外部がわたしであるように

わたしによって書かれた詩は
わたしにかんけいがない

〔…〕
 
 

2012年03月01日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

札幌にいってきた

 
 
二月二十五日、三村さんが催してくれた歴代の教え子によるぼくの送別会のあと、翌二十六日からは女房と札幌に行き、北大赴任のための新しい引っ越し先を物色してきた。

その二十六日の夜早々には、北大大学院文学研究科の映像・表現文化研究講座、その新しい同僚たちが、温かい歓迎会を、女房も込みで催してもくれた。この家族的な雰囲気は東京の大学とはちがう。

引っ越し先は当初、官舎も考えていたのだが、これは単身赴任のぼくには広すぎ、また築年数もかなり経過していたので断念。いろいろ札幌市内を回るなかで、だんだんと土地勘もできてきて札幌市電沿線を気に入り、札幌駅と大通とすすきのから等距離の物件を探し当てた。

それでもいろいろな不動産屋さんを煩わせ、都合10程度の候補を下見したうち、生活の利便性が高い庶民的な立地を選んだということになる。ぼく自身も女房も、「引っ越し鬱」を気にしていたので、あまりに静かな場所は敬遠した恰好となった。

札幌には二十九日の昼すぎまで滞在した。最高気温零下三度という日が多かったが、慣れてしまうとあまり寒くはなかった。歩道などにはパウダー状の雪が所によっては堆積していて、つよい風が吹くと一斉に粉が舞い上がるようにみえて、吹雪かとすら錯覚してしまう。雲から太陽が薄く透視できる空のもとでは、すごく夢幻的な光景が広がっている感触にもなる。傘は不要。せいぜいコートのフードをかぶるだけだ。

だが札幌市内を闊歩する人々は意外なことに、東京よりも防寒の面では薄着。若い女性でオシャレのために生足のミニスカートの例があったり、サラリーマンでもスーツ姿にノン・コートのひとがいたりする。理由はすぐ知れる。建物内でも駅内でも車内でも気温が高く設定されていて、服と肌着のあいだに溜まった熱の温存するかぎりでしか、歩行など、屋外の行動をしないから薄着でいられるのだ。とりわけ札幌駅からすすきののあいだは温かい地下道が完備されていて軽装のひとが多い。

歓迎会ではとうぜんぼくの物件探しの話題になった。札幌というか北海道の集合住宅での厳禁は一階物件に住むこと。階下からの暖房層の緩衝がないのでじかに冷気にさらされ、寒くてとても住めないのだという。これはたとえば駐車場設置による下駄ばき構造マンションで、階下に居宅のない二階部屋などもおなじ。実際、そのような物件を下見した途端、まったく室温がちがうと気づき、入居を即座に断念した。

ともあれぼくは引っ越しに代表されるような世間知が欠落していて、女房の判断と折衝力をひたすら頼りにした。それと女房のネットによる事前調査も役に立った。そういうものがなければ、これだけの短期間で引っ越し先を決められなかっただろう。

最終日は駅前の大規模電器店で必要な家電類を購入。「新生活」需要で割引特典がいろいろついているのだが、これもフレッツ光への加入などがからんで、手続きや確認事項(メアド維持など)が煩雑きわまりない。こちらも女房がリーダーシップをとり、ぼくは隣でただ粛然と座っていただけだった。もつべきものは、やはり便利な女房だなあ。

これで心配な事案は具体的な引っ越しだけということになるとおもう(北海道の賃貸契約は結構、保証人審査が面倒で、まだその最終結果が連絡されてこないが)。

引っ越しは、立教の研究室から所蔵本を搬出し、それを家からの所蔵本・家具と合流させ、さらにすべてを北海道に移して、新居と新研究室に振り分けるという複雑な経緯を必要とするが、定年退官の先生が新任のぼくのために研究室を明け渡してくれる最終期限は三月末なのだった。ぼく自身も立教の研究室を三月末日までに明け渡す約束で、つまり引っ越し日は新研究室の明け渡し日次第で決定しなければならない。

とうぜん三月の最終週は引っ越しの最繁忙期。早めに引っ越し日を通達しないと、きちんと三月中に引っ越しできるのかどうかすらわからない。それがかなわず当初はホテル暮らしで大学に出講した例もあるとか。ちなみにぼくの北大でのスケジュールはもう四月二日から連日の日程が組まれている。引っ越しのいろいろで授業準備が入念にできるかも不明だ。

むろん世間知の低いぼくのために、引っ越しのときも女房が仕事を休んで手伝いにゆくといっている。

ともあれぼくの引っ越しその他を心配してくださるかたが多いので、以上とりあえず経過報告をさせていただきました。なお、送別会がこのごろつづいて、札幌移住を控えたぼくにたいし「今生の別れ」めいた挨拶で涙ぐむひとすら多いのだが、女房は東京にいて足溜まりもあるし、新学期がはじまっても試写などで週末を挟んで東京に頻繁に舞い戻りますよ。その節はよろしくお願いします。
 
 

2012年03月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)