ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

えやみ

 
 
【えやみ】


日程を完全に計画した者はだれもいない
なぜなら改装に雪音がながれるからだ

川、川音、雪音、とかわるにしたがい
だんだんうすくなってゆくまばらもある

そのまばらのなかを手がうごきながら
腕に音をしませる作業になってしまうのだ

建物には雪以外にも半透明の幕がかかり
ぜんたいが円筒になって箇所を音楽化する

掘り進める記憶ゆえに記憶の基体も減って
この作業の川では降雪すら疫にみえてしまう
 
 

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2012年11月30日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

年鑑号

 
 
「詩手帖」年鑑号がとどく。フェイスブックなどをみると、東京を中心にした関東のひとより、札幌は最大で郵送到達が二日遅れるのだ、と改めて知る。

年間詩集回顧(総括)として、13頁の長きにわたり、ぼくの論考「詩と空間について」が掲載されている。偏りなしに計18詩集を、その詩集が未読者にもイメージされるまで論じた結果だ。このところのぼくの哲学的関心事「空間」を、現在ありうべき詩性とからませて論を展開している、自分にとっても大切な文章なので、ぜひいろいろなひとに読んでほしいとおもう。40枚の原稿だったが、それでも圧縮に苦労して書かれたと、つたわるはずだ。

ところでまだバラバラめくっただけだが、年鑑号の誌面構成に異変が起こっている。「アンケート=今年の収穫」欄が縮小されているのだ。詩集10冊、詩誌から10篇、すぐれているとおもうものをえらび、その理由を書け、というのが例年の要請だったが、まずは半数の5冊5篇選出へと枠組が締め上げられた。

それだけではない。選者そのものが大幅に削られている。ぼく自身は、年間詩集回顧との重複を避けるため、アンケート選者からは除外したい旨、編集部から連絡があったが、ぼくの大事な知己が数多く選者から抜けているのはどうしたことだろう。具体的な誰々がどんな詩集を挙げるか、それがかなりの数、わからなくなって、五里霧中のなかに突き出された感触がある。

もともと年鑑号でいちばん好きだったのが、「アンケート=今年の収穫」欄だった。多様な選者が蝟集するそこでこそ、選ばれる詩集詩篇詩書の幅が拡大したのだ。「権威」の書く回顧記事とはことなり選択の自由もたっとばれていて、それで一年間に発表された膨大な「詩のひろがり」が実感できた。年鑑号で最も民主的なこの欄から、いずれ、挙げられた詩集数などを指数化して、真の「現代詩手帖年度賞」が年間ベスト5のようなかたちで創設されないか、などと望みさえもっていたのだった。

年年歳歳、あたらしい意欲的な書き手が現れるのだから、選者数そのものが膨大になってきて、それで十年前ていどくらいに、誌面幅を圧縮しなければならなくなった編集事情も理解できる。ところが整理のつかなくなるほど加速してきたこの「膨大性」は、むしろ詩作フィールドそのものの「実情」であって、編集部が整理を怠ってきた結果などではないのだ。誇張していうならば、アンケート欄だけに、年鑑号の「うごく実勢」があった。だから逆コースに舵が切られたことを残念におもう。

平田俊子さんが書くように、「詩壇挨拶」のため選定の規定冊数を倍増どころか十倍増くらいにまでして、送られてきた詩集をせっせと書き出し、曖昧な選定理由しか書けない、これまでの一部の回答者も問題だった(「詩壇挨拶」は巻頭鼎談だけで充分だ)。今回割愛されるべきだったのはそういうひとたちだったはずだ。退場させられてしまった若手の才能ある詩作者たちは内実がちがった。仲間意識がみえすぎる回答者もいたが。

むろんアンケートは詩集名、詩篇名など、「名」が書かれるだけで充足するものではない。「選定理由」を書け、という依頼の意図もそこにある。ところが理由を書かずに名の列挙だけで済ます回答者が一定数いる。体たらくといっていい。紙幅がふえるから、というのも理由にならない。最良の一文、最良の(わずかな)部分引用だけで対象の良さをつたえることだってできるはずだ。むしろそういう「引用芸」こそに接したいのに、それを怠っている回答者は、思考停止者めいてじつは好きになれない。

いずれにせよ、アンケート欄のボリューム復活は、今回、回答者の座からおろされたひとのみならず、複数のひとが編集部に懇願して、目指されるべきものだとおもう。ということでまずはぼくが一筆書いた。後続を望みます。
 
 

2012年11月29日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

おんな空

 
 
【おんな空】


とおくみあげれば空気の理想が
刳り貫かれた雪空のなかにひそむ

自体浮力へかかわらずになんの空気か
むろんそこには鳥もいられない

落ちてくるものは遅さとなっている
遅さとなって数が炎え、やがて凍るのだ

ひとつの嘘、「善の雪空が悪である」
脈絡のないからだのみ浮くだろう

理想を物質化すると、くびれが現れる
薄さが好きだ、女体にも線しかない
 
 

2012年11月29日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

前方

 
 
【前方】


うしろ姿を嵌め替えられたひとが
空の琺瑯にとけてゆくのは

つるりと薄光る質への同化で
なくなりたいからだのなりゆきだ

きのうはふぶき、みえがたくなった
ひとの散らばりにも脳化が起こるけれど

肌にさしいれる手はみずからにもち
はらわたすら掴んでいる気がする

手をあわせれば祈りに似る左右のふしぎ
心房のかたちだ、それが歩かれている
 
 

2012年11月28日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

檸檬

 
 
【檸檬】


知床の馬群はいまどきを冷えているだろう
尖端にむかう風に彫られるものの宿命だ

鉄の血管をうきあがらせていた肌も
ゆっくりと草木のねむりへかえってゆく

もはやみずからの景観となった谷合の橋を
かぞえられるために渡る日々のあゆみが

じっさいはひづめとまぶたのちがいを消す
つなぐ橋はそれでもたてがみの余韻だ

渡られる枠組みの平衡を念じその足あとへ
だれかが檸檬を置き、蹴られ、ころがされる
 
 

2012年11月27日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

赤堀雅秋・その夜の侍・図書新聞


現在店頭(金曜日まで)の「図書新聞」終面に、現在公開中、赤堀雅秋監督『その夜の侍』の拙評が載っています。拙著『日本映画オルタナティヴ』にも簡単な同評が掲載されていますが、直感的に書かれたそれにたいし、「図書新聞」の評は字数に抗いながら、より緻密に分析がなされています。とくに、脇役が大事なこの映画にたいし、字数の許す限り、脇役分析がほどこされているので、『日本映画オルタナティヴ』読者以外にも、ぜひご一瞥いただきたい原稿になっているとおもいます。

ある種の「犯罪映画」と種別される映画は、日本の現在性、さらには現状的な「悪とは何か」といった命題とスパークせざるをえない。悪運が次々に無駄な殺しと緊張と膠着を生んでいった井筒和幸の傑作『ヒーローショー』にたいし、この映画の現在的な哲学性は、「図書新聞」のつけてくれたタイトルどおり、「膠着は、それが膠着であるかぎり、すでに救済なのだ」という、悪運そのものの膠着可能性をリアルに捉えています。

このところ札幌で女房と観た「悪」を描いた映画二本が、周囲の評判にもかかわらず、何の「現在性」をもちえなかったのにたいし、『その夜の侍』の現在性はまぶしいくらいです。堺雅人、山田孝之、新井浩文、谷村美月、田口トモロヲ、山田キヌヲ… ことしのぼくのベストのひとつです。「図書新聞」と併せ、ぜひ劇場でご覧ください
  

2012年11月26日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

通院

 
 
【通院】


風邪をひいた分だけからだが殖えて
町医者の庭に露出した根がきれいに映る

おりからの悲にしろさをましたそれが
とおくにある黒化ではないとだけわかる

さきに診察をおえた男に後頭部があって
そんな部位の列なるしずかな順だろう

天井の途中、首を狭くするふかい襟の立ち
短冊であることが直立の使命だとして

遅さと速さのまざる挙止がそこにもゆれ
うごきの断種というべきものがつづく
 
 

2012年11月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

島田隆一・ドコニモイケナイ

  
 
島田隆一演出のドキュメンタリー『ドコニモイケナイ』への拙評が、オルタナティヴなネット・マガジン『INTRO』にアップされています。頁トップ。INTROでググればすぐ出ます。よろしければご笑覧ください。タダです。

http://intro.ne.jp/contents/2012/11/21_1221.html

「図書新聞」に書いた赤堀雅秋監督『その夜の侍』評は他の記事乱入のため掲載が遅れ、初日に間に合わなかったようです。もう二週間前にデータ入稿したんだけど。こちらは掲載紙店頭となったら、またリマインドいたします
 
 
 

2012年11月22日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

しずく

 
 
【しずく】


初雪ののち、しずくをたらす楓がある
あそこまでわたしをつなぐことができるか

わからない、一部の三角がひかりと音とを
あわせてしまい、定義できないのならわかる

何時だろう何色だろう冷えている視界は
わたしの外延にあるわたしの内側は

比喩のなりたたない模様をしずくして
やがておそろしい一様しか知られなくなる

試すように、その手前で楓がまがり
きえる葉と雪を載せ宝蔵している
 
 

2012年11月20日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

ハートに火をつけて

 
 
ついでにLP盤ドアーズ1st『ハートに火をつけて』の今野雄二さんの訳でも直したいものが出てきた。それで改訳した。以下に貼っておきます。なお「バック・ドア・マン」は人の女房を寝取る浮気男のこと、つまりはコキュの憎悪対象だ。今野さんはこれをただ「ずるい男」と訳していた。


【ハートに火をつけて】

こういえば偽りになるな
こういえばおれは嘘つきだ
もしもおれがこう言えば――
「もうこれ以上高みには辿りつけない」

そうさ、おれのほのおをつよめてくれ
おれのほのおをさらにかがやかせてくれ
この夜を炎上にみちびくんだ

躊躇のときはもう終わりだ
泥沼にのたうつ時も。
いまを試さなければ喪失あるのみ
火葬用の薪の山になるのみだ



【バック・ドア・マン】

ヤー、おれは扉のうしろに隠れる寝取り男
こっそりおんなのからだをイタダく卑劣漢
世の男どもは知らないが少女たちはとうにご存じ
人みなが寝床につくころ
おれは真夜中の夢をまとって屋外を跳梁する
世の男どもは知らないが少女たちはとうにご存じ

あんたらはポーク&ビーンズていどの
まずしい夕食だろう
おれはニワトリ喰いだが、ひとが予想できないほど量が多いのさ
世の男どもは知らないが少女たちはとうにご存じ
おれは扉のうしろに隠れる寝取り男
こっそりおんなのからだをイタダく卑劣漢
ドアの・うしろの・男
世の男どもは知らないが少女たちはとうにご存じ
 
 

2012年11月18日 日記 トラックバック(1) コメント(1)

音楽が終ったら

 
 
次回、来週木曜の全学用ロック講義の題目はドアーズ。CDを確認したら歌詞対訳がひどい。一枚目『ハートに火をつけて』はLP盤に故・今野雄二の名訳があるから転用すればいいけど、二枚目『まぼろしの世界』はもともとLP盤に対訳が掲載されていなかった(錯覚していた)。かといってCD盤の対訳を頼る気にはなれない。仕方なく訳した。訳した二曲の歌詞を下にペーストしておきます。



【アンハッピー・ガール】

幸〔さち〕うすき少女
孤独へ置き去られ
ひとりするトランプに興じるのみ。
みずからのたましいの看守を任じ
みずからの牢〔ひとや〕に
身を鎖〔とざ〕すのみ。
だからきみは信じない
自分の拒絶がぼくに何をもたらすのかも。
きみをみることは
そのままきみを泣くことだ

薄倖なおとめ
みずからを閉じる蜘蛛の巣を裂き
鉄格子など鋸で断つのだ
きみは牢に囚われの身
きみがみずからを
収容しているんだ

しあわせうすき娘
悠々と翔びたて
みずからに機会をあたえ
神秘のなかを泳ぐんだ
きみは死にかかっている
みずからを収容する
きみ自身の
にくたいの檻のなかで



【音楽が終ったら】


*音楽が終われば
楽興が尽きれば
調べが絶えれば
それに合わせ
ともしびも
消さなければならない



音楽は妙なる友
乞われるがままに炎上して踊るんだ
音楽しか友だちがいないんだろ
そうして最期を迎えるのさ
最期を、終末を。

取り消しだ、
おれの蘇生認可など。
おれの信用証明なら
拘置所へ郵送してくれ、
そこにおれの友だちも入っているから

鏡に映った顔がゆれている
窓辺の少女はそこから飛び降りようとしない
友だちのつどう宴では
「生きよ!」とさけんだ
「けれどわたしを待つのは
この屋敷の外で」

大いなるねむりへと
沈みゆくまえに
おれは聴きたい
悲鳴を
蝶の悲鳴を

もどってきて
もどってきてくれ
おれの腕のなかへ。
おれらは倦みだしている、
あてどのない放浪に
眼を俯けてのこのさすらいに

とても優艶な音が耳にひびきだす

やつらは大地になにをしでかした?
やつらはおれらの妹にどんな暴挙を?
破壊した――略奪した。
妹を裂いた、噛みきった。
それからナイフでメッタ刺しにした。
明け方ちかくになって
妹の死体をフェンスへ縛りつけ
それから地面に引きずっていった。

そのときの優艶な音が聴こえる。
ほら、耳を地面にあててみな
おれらが望むままに、
世界がいま、手に入るじゃないか

ペルシャの夜が脳裡にあふれ
そこにひかりがみちはじめる
見神体験
イエスよ
われらを救いたまえ

だから


音楽は妙なる友
乞われるがままに炎上して踊るんだ
音楽しか友だちがいないんだろ
そうして最期を迎えるのさ
最期を、終末を。
  
 

2012年11月18日 日記 トラックバック(1) コメント(0)

禁断

 
 
【禁断】


食べているうちに盗賊になった気がした
なんの実だろう、ひかっていることだけわかる

あまいという舌と、かなしいという歯を
あわせられず狂ってゆくのもかんじる

からだの上下がことなってきて少しうれしい
樹のかげにいて橋桁さながら数本となっている

ほのおをふきあげて、わたしのからだだろうか
きえていっても実を載せたてのひらはのこる

むいた皮が、あしもとに永くなった
長さでないそれも、しろたえと呼ぶしかない
 
 

2012年11月17日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

オルタナティヴ発売!

 
 
拙著『日本映画オルタナティヴ』(彩流社刊)が店頭発売されました!

四六判420頁3000円、日本映画の非メジャー作品にかかわる論考と評が、ぎっしり詰まっています。学生映画もドキュメンタリーもくみこんだ過激な構成で、その他、黒沢清論、松江哲明論、フェイクドキュ論、殺し屋映画論、押井守の実写映画論など長稿も挟んでいます。ぼくの『日本映画が存在する』『日本映画の21世紀がはじまる』につづく日本映画評論集、これで90年代から現在までの邦画の趨勢が、あるていどつながるとおもいます(なお、ゼロ年代の東宝映画については岩波『日本映画は生きている』シリーズ第一巻に長稿が掲載されているので、そちらをご参照ください)。

ネット隆盛時代に、なおかつ自己定立できる映画評論とは何かを、実践をつうじてかんがえています。一本の映画に内属される「部分と全体」の関係に、「拮抗」するように当該映画にちかづきながら、なおかつ映画の完全転写など不可能だという見切りによって、それ自体が「作品化」されるしかない映画評論。評論は映画の模倣であり、憧憬であり、なおかつ孤立でもある…… そういう機微を、作品から抽出される具体的な細部以外に読んでいただければ、とおもっています。

大書店の映画書コーナーでご確認ください。なお、目次細目はここに既発表しています。検索でご覧になれます
  
  

2012年11月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

方角

 
 
【方角】


降るのは方角だ、方角のみだれが降る
われている空から現れているはずが見えない

降るのは古さだ、あちらがこちらになることで
砂をうしなった時計になりかわっている

はつゆきということばのおんならしさに
まぎれていった、わたしのもつ限定棒

古るのは針と粉だ、浸透膜をとおるのに
どこも痛さのない厖大な天心があって

ほろびのかわりをたましいがしみてくる
ここのほか測れない身の雪、檻へ
 
 

2012年11月14日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

気球

 
 
【気球】


ぬけだしてゆく自分をただ前にすすめると
身の幅に野道が刳りぬかれ空気がにおう

そこが銀いろの壜だとして栓でありたかったが
よこたわると道をとざす閂にまでなって静まった

死にたがるには持前がなくポケットだけ多い
その数にしたがい気球をうむひと月だろう

たぶん静脈が草につながっているのだから
どこから捉えても見えなさにテカっているはず

ありもののまざる周囲のひかりだ、わたしは
それでも馬連になでられうかぶ瘢痕がある
 
 

2012年11月13日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

三宅唱・playback

 
 
CO2助成作品『やくたたず』、そして今回の初の劇場用作品『playback』と、映画美学校出身の三宅唱がモノクロ映画を立て続けに連打する理由は何なのか。モノクロは世界の現実提示ではなく、その抽象化にまずは関連がある。たとえば俳優は色をうしなって、ただひかりにさらされる物象へと還元され、そのなかで物質性をつよめる。

言い換えよう。60年代的モノクロ映画では増村保造にしても大島渚にしても吉田喜重にしても、画面のモノクロ化によって白と黒の二元論をスタイルとしてデザインすると同時に、俳優と世界に脱色をほどこすことによって実存的な不安をたかめていた。ただし多くの場合、そのことと相即するように、俳優の顔には玉の汗がひかって焦燥をえがいていた。三宅唱監督が異なるのはそこだ。彼の場合、俳優は冷えて、汗をかかない(『playback』では寝起きの村上淳の裸の胸元が一瞬、汗でひかっている例外がある)。

「脱」色というのはあきらかにマイナスの付加だ。「脱」「不」「非」で表さざるをえない現代的な何ものか。作品冒頭で描写される村上淳は、中国映画のアフレコ作業で何度も中国人監督にダメだしを食らう。その次には彼の自宅での起床シーン。冷蔵庫から取り出した牛乳を飲もうとするがコップ類はすべてもちだされていて、彼はシンク下にしまってあった計量カップでそれを呑まざるをえない。

あるいは、その次、画面進行の脈絡を欠いて人間ドックを終えた村上が病院の受付で処方箋をうけとったのち、三浦誠己に出会うシーンがある。村上はそこで三浦が誰か、三浦がそこに来た理由は何かを当初、憶いだせない(以後、村上に記憶崩壊の徴候が繰り返される)。

アフレコ・スタジオで中国人監督が日本語を喋らず(即座に通訳が補填するとはいえ)その発語に字幕がもちいられないこと。のちに召喚される高校の同級生・山本浩司の水戸での結婚式で新郎用の白スーツに身を包んだ山本がそれでも右脚をギプスで覆っていること。村上が水戸の高校生だったとき彼を俳優にひきあげた菅田俊が、現在の村上にもちこむ彼の主演企画映画(余生の短い自分「たち」にふさわしい喜劇のホンを自ら書いたと菅田はいう)の内容がこの映画の描写では茫漠としていること(しかも菅田だけその発声が大きく違和を生じること)。

映画はそうした「不」如意、「不」全を数々仕込んで、それに取り巻かれる村上淳に実存不安をあたえるのだが、対立構図の布置がなく、不安はいつも鈍さの印象をあたえる。そのなかで村上をはじめとした俳優たちの挙止だけが、鎮められているのに生々しい遠さとして画面にうごめいている。

モノクロによる脱色は東京の風景からも自明性をうばう。たとえばそれは台北の風景と似てしまう。中国人監督の召喚と一緒に、エドワード・ヤンの『台北ストーリー』終景のクルマのヘッドライトによる壁面の影の変遷、それと同等のものを作品が過たずに描出するからだ。

『playback』は、意識混濁者を主軸に据えた虚実の交錯をえがくといえば、北野武『Takeshis’』や園子温『夢の中へ』と比肩される作品かもしれない(村上淳は一瞬、園の『自転車吐息』の主題をなぞるかのように中央分離帯に存在を置く)。ただし『夢の中へ』の田中哲司、村上淳、オダギリジョーが、田中の夢に捉えられて、彷徨を基本動作とし(だから移動性は称揚されている)、そのなかで役柄自体を分岐させていったのにたいし、『playback』が基調に置いているのはクルマでの移動、スケートボードでの移動のさなか、その移動性自体を「自失」に追い込む見えない何ものかの把握だ。役柄は「男は母親に似た女を選ぶ」と語られたことで母と離婚する妻の二役を演じる渡辺真起子以外、分離しない(二重性をもたない)。

この映画で奇異なのはその移動のシーンだろう。スケボーの出るシーンは後述するが、クルマでの移動シーンには奇妙な罠が仕掛けられている。最初はフロントガラス側から狭い画角で、村上淳(運転者)、その高校時代の親友といった趣の渋川清彦(助手席)、三浦誠己(運転者らしいがハンドルとの連関がフレームアウトされている)、河井青葉(助手席)が分断的に捉えられ、しかも発声のズリ上げ、ズリ下げが駆使されて、二台のクルマの描写に分離軸が消されるような展開になる。

また渡辺真起子(このときは母親役)が座席三列のワゴン車の真ん中の列の座席に座り、後ろを振りむきながら息子=村上淳に疑惑をかけられた性的な「事件」について、ほとんどバカ話をするような磊落さで語っているときには、渡辺の背後に位置する運転者が誰かが欠落を誇示するように描出されない。クルマのなかでの人物の会話もほとんど有形な意味をのこさないという徹底ぶりだった。

現実/虚構交錯映画というレベルでいうと、北野武『Takeshis’』はもとより園子温『夢の中へ』よりも三宅の画面変転は徴候的で、一見おとなしいが(たとえば「実存不安」の作家エドワード・ヤンが照明の点滅をトレードマークにしたことは、結婚式の記念撮影のとき河井青葉の隣の三浦誠己が一瞬消えるカッティングの点滅性に代位される)、ズレの広がりという点ではより大きな運動量をもっている。そうなるのは作品の後半――1時間をすぎたあたりからだ。

前半は菅田俊との打ち合わせを拙速で終え、マネージャー小林ユウキチを残し、三浦誠己の運転するクルマで、出席を約束した結婚式に村上淳が、背中に鷲の意匠をあしらったテレンコした白シャツのまま水戸に向かうとき最初の明らかな転調を迎える。クルマでの移動を同調軸にして、村上がひとり地方路線バスの最後尾に乗る姿に変わり、そのとき彼は無精髭に代表される「現在性」を温存されたまま、詰襟の学生服を乱暴に着る高校生に転身しているのだった。

バスが校門前のバス停にとまると村上は降り、これまた学生服の山本浩司が背後から近づいて村上の(いつしかもっていた)学生鞄を奪い、ふたりが校庭で遊び戯れる展開となる。注意しなければならないのは、村上には夢想や過去が他者の方向から突然ちかづき、そこに参入させられるとき「悦び」ではなくたえず「自失」の印象を確実にのこすということだ。

このときは山本の公園カップルのバカっぽい「描写」(話の前提をうばわれているので同級生なのか自分なのかよくわからない)の披露があって、そこで村上のみならず、渋川清彦、河井青葉も学生服、セーラー服で蝟集、渋川と(見た目年齢が渋川より若い)担任・汐見ゆかり(のちの挿話で彼女が早逝したとわかる)のやりとりが描かれるが、その突然の、不自然な学生服着用による過去の再現は夢オチとして処理される。

ところが結婚式の描写に挟まれてゆくのちの高校時代のシーンは、渋川の通学用バイクを河井がこっそり乗って事故を起こしたくだりにしても、みな学生服、セーラー服のまま無媒介に挿入され、夢によるものといった変調理由、同定性をあたえられない。作品は過激な「プレイバック」の刻印をつづける。そうして叙述の「同軸」が過激に抹消されてゆくのが前半だった。

作品後半では「プレイバック」は、一度描出されたシーンが、ほとんど意味連関を変えられて再出されるというふうに、その位相を変化される(だから本作の発想モデルのひとつだったろう大島渚『帰ってきたヨッパライ』の、基本的に一対一対照のなかでの「反復とズレ」より、組成がさらに複雑だ)。黒味があって、起床する村上のおなじ蹠が大写しになったのち、前半最後で村上の起こした分譲地端の道路脇での「気絶」は東京での歩道橋下の「気絶」に位相変化され、離婚を決定した妻として渡辺真起子が登場、村上の記憶崩壊徴候がより明確化され、そのうえで人間ドックによるCTスキャン検査がはっきりと意味づけされる。村上「だけ」は作品前半の経緯をおぼえていて、病院の事務前で、前半とおなじように三浦が自分の肩を後ろから叩くのを「待つ」が、それは実現しない。このとき前半にあった俳優が学生服を着用する高校時代再現の間歇挿入は作品から「不如意にも」消えてしまう。

「それでもなぜか」結婚式のシチュエーションはのこり、村上が神父への誓いの最中、会場を退出するタイミングが微妙に変わり、そのときの村上を追う相手が変わり、それでおなじ科白がちがう俳優によって語られるなど、同軸が過激に変化したままの反復が起こるのだった(何がどうズレているかの指摘は煩瑣になるのでこれ以上は控える――ただし菅田の登場は反復されるが、前半に較べ後置される、とだけはいっておこう)。

不安なのはもう村上ではない。作品の組成そのものが「高度に」不安なのだ。しかも人物たちの語りは、菅田の説教にしても、村上のスケボーを火中から拾ったという渋川の述懐にしても、自分の子供を自慢する河井にしても、すべて「有形の意味」をなさない。意味の崩落がつづいてゆく。そのなかでかつて高校時代に恋仲だったとしめす徴候なのかどうか、河井と男優たちの目配せだけがつづくが、これもまた関係性などひとつも明示されない。

組成が不安で実質のない映画――そのように三宅唱『playback』を呼ぶこともできるだろうが、ところがズレや不穏さそのものがむしろ映画的な運動だという点は、スケボーがもちいられるシーンに現れている(微差ある反復を刻む運動が最も創意的だとしるす『差異と反復』のドゥルーズを想起する)。それらのシーンの緊張感と躍動感はただ事ではない。それが意味性と連関しないことなどどうでもいい。というか、連関しないことがむしろ緊張をたかめている、そんな描出の無償性が逆説化されているというべきなのかもしれない。

じつは作品の冒頭は、ロウティーンのスケボー男児が分譲地奥の道路で、わずかな傾斜を利用してスケボーをつづけ、それで道路脇に半分消えるように倒れている男の躯(これがのちの反復で村上淳だと「一致」する)を発見し、通報か逃避のためかその場を去るという一連のながれだった。カメラの客観的な位置取り、男児の軌跡を自然に追うカメラ運動なのだが、わずかな黒味によってショット間がつながれてゆく「それ自体がそれ自体でしかない」カッティング(青山真治『Helpless』が参照されたか)が、対象との距離によって異様な緊張をあたえる。それで発見された男が死んでいるのではないかという擬制が生まれる(実際この虚実を綯う作品ではその擬制が論理的に決して解かれない点に注意)。

しかも男児がスケボーで滑走する道自体が異様なのだ。褶曲して段差というか、ゆるやかな襞ができているのだった。のち、作品舞台が水戸と判明するから、その褶曲は東日本大震災の際の液状化によるものだったと判断がつく。場所そのものにあった磁力性はそこから生じていたのだ。

渋川の家から持ち出されたかつての村上所有のスケボー板は、村上の過去の残存を唯一しめす実証のように渋川のクルマに置かれている。結婚式を抜け出してそれを村上がもちだし、追ってきた者(三浦と河井)も「振って」、会場構内を出て分譲地へ足を踏み入れたとき冒頭場面との「場所の一致」が起こる。褶曲した路面のうえをやや不自由に村上は滑り、亀裂をまえにしてスケボーを停める。そして窪みに足を入れたのち、反転するように道路脇に身を横たえる。以後、動かない。眠りなのか気絶なのか死なのかその画面では判定がつかない。そこに冒頭の男児がスケボーで滑ってきて、村上のうごかない不気味な躯を見つけ、その場をまた去ってゆく。この「一致」をもって作品の前半が終わるのだった。

作品後半のスケボー滑走場面は、結婚式を途中で抜けた村上が、今度は渋川を「振り」、スケボー板をもって分譲地奥の道路に降り立つところからはじまる。村上が滑走をはじめると先の男児が追い抜き、村上を見るでもなく振り返って仲間を呼ぶと、年齢幅のあるスケボー仲間がつぎつぎと「増殖するように」画面に現れ、ある者は村上を抜き、ある者は無関係のまま村上と並走するうごきをかたどる。順序と数にまつわっての「ズレ」がこうして不穏にかたどられるのだが、なにしろ人員の「増殖」が予想を超えていて、意味化できないシーンなのに動悸が止まらない。北野武にも園子温にも決して実現できない画面展開だ。そのなかで当初、道端に座るとみえた村上が、またも道路脇に同じ恰好で伸びてしまう。

この場面は強度をもったまま意味を結実しない。後半のその後のどこにも意味的な連関をしてゆかないのだ。この「着地しないこと」が作品の結末がどう描かれようと、不安な澱となってのこる。『playback』が人物の規定でも物語でもなく、作品の組成によって先験的に不安だというのはまさにこの点からだ。なんという作品強度だろう。監督・脚本・編集の三宅唱の才能は確実に刻印された。同時に「壊れもの=フラジャイル」村上淳の倦怠の素晴らしさも見事な現在性で定着された。

――オーディトリアム渋谷で現在上映中。
 
 

2012年11月12日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

青原さとし・タケヤネの里

 
 
青原さとし演出のドキュメンタリー『タケヤネの里』が素晴らしかった。「タケヤネ」とは竹林の意味で、日本に通常多い竹が突然変異した「白竹」の産地、福岡県八女の竹林が日本の民具文化における「竹」ネットワークの中心として捉えられている。むろんネットワークを追うからには、ドキュメンタリーの撮影場所も縦横無尽する。移動シーンは控えられているが、実質はロードムービーでもあった。

「竹」はいくつかの意味で微妙な主題だ。まずは竹細工師が被差別民とみなされる了解が歴史的に蔓延していること。また竹皮を採り、竹材を伐り、筍を掘る竹林は、竹の開花によって全体が枯死するまで年ごとに丹念な間伐をおこない、運営をする必要があるということ。しかも竹皮採取などは二年ごとの当たり年すらあるらしい。また、竹皮の剥がれ落ちる数日に降雨があると最良のものが採れない、といった困難もあるという。

竹皮は、高級肉やおこわなどの包装にもちいられると一般人はまずかんがえるだろうが、細く裂き、縒り、編むことで多様な民具に変貌する。日光下駄や雪駄、あるいは京都の舞妓の履く「こっぽり」の蹠の当たる部分、版画摺りの馬連〔ばれん〕、あるいは茶道具としてつかう羽箒など用途は多様だ。「白竹」の皮が高級材として重宝されるのは、他の竹より色がしろく柔軟性にとみ、また細く裂けるので、細工が繊細な肌合いになるためだ。

『タケヤネの里』はまず青原の旧知の女性・前島美江を訪ねることからはじめる。彼女は姫田忠義の民族文化映像研究所で青原と同窓だったのだが、いまはなんと竹皮編の民具作家になっている。拠点は群馬県高崎。戦前、建築家ブルーノ・タウトがナチスをのがれ日本へ亡命してのち安らった地で、そこでタウトは地元の竹細工師たちと民芸運動を起こした。竹皮で編まれたバッグ、籠などの簡潔で温かく涼しい意匠はこの作品に挿入される資料写真に現れる。

ただし竹皮編の伝統芸は後継者を生むことなく途絶した。前島はその時点で高崎にのこっている竹皮編職人の縁者を訪ね、それを再興しようとしているのだった。しかも八女の白竹の林そのものもいまは完全な竹藪化の危機を迎えている。そこで竹林保全のための「八女カシロダケ活用プロジェクトかぐやひめ」を立ち上げた。つまり彼女は創作と、その創作のおおもととなる原産地保護の両面で、竹編文化をまもろうという気概なのだった。

そこまでなら『タケヤネの里』はいわば義人ドキュメンタリーの域に収まる。この作品の素晴らしいところは、竹皮の民具を追うことで、それ自体がネットワーク化することだった。繰り返すが、高崎の雪駄、日光の下駄、大阪の竹皮商、京都の「こっぽり」と茶道家元、東京の馬連、版画摺り師……そこで竹細工=被差別性という通念が歴史実証的にくつがえされる。つまり空間固定・身分固定とはちがった交通性が、もともと竹皮にはあったのだった。

九州の産地に竹皮商が赴き、それを需要する全国の職人にひろげてゆく。そうした交通性はたぶん竹皮編の技術がもともとアジア全体にひろがっていた過去とも関連しているはずだ。身分固定とは逆の流通性があったからこそ、茶道文化の真髄に「竹」は最高度に定着もしたはずで、作品はそうしたことがらを最小限度の説明でつたえてくる。というか、ナレーションよりも画が終始優位であって、結果、静謐も獲得している。頭脳警察の石塚俊明の音楽も見事だ。

途中、作品を離れて聯想したのは、竹そのものの中間性ということだった。それは樹木と草の中間に位置している。技術がとりまかなければ扱えないもの。あるいは成長の速さと強さ。竹林のちかくに家を建てると畳のゆかを竹の成長が突き破ることもある。同時に竹皮や笹の葉は殺菌力ももつ。

竹皮はまずは籠や簾などの民具になる。なにかを包むものであればその包囲性はかるい。なにかを敷くものであればそれは自在な領域化を結果する。裂かれ、縒られ、編まれてゆくそのものは物質であるとともに可塑性でもあって、じつはその可塑性そのものに美があるとたとえば茶道がみたのではないか。竹林が結界というひとは、それが空間にも可塑性として現れていることを意識していない。竹の自在があって、たぶん材料としての竹皮の空間突破力、ネットワーク形成力もあったのだ。

青原さとし『タケヤネの里』は、松川八洲雄の往年のドキュメンタリー『hands・手』を髣髴させる。松川は職人の手仕事のうつくしさをいわば交響楽的に編集したが、それと同等のものが、たとえば雪駄や馬連をつくる職人に注がれるこの作品の視線にあるのだった。ただし松川の視覚性が編集による音楽性の付加と相即するのにたいし、青原たちの視線は即物性を捉える静視にやどる。謙虚なのだ。ところがその謙虚さが単位となって、職人から職人への縦横無尽な「編み」を、つまり、それ自体が竹皮編をなすような連接を、おこなう。手そのものが連接した松川にたいし、場所が連接してゆく青原。手や作業への注視がおなじでもアプローチは対蹠的だった。

場所の展開を実証することは、実際は差別性を否定することだ。青原は明示しないが、この点を作品の隠れた主題にしている。そこに、八女の竹林を所有する女性が、じつは地場出身ではなく讃岐の娘だったという種明かしの挿話が同調する。彼女の家は竹の漁具として簾をつくっていて、それで出入りする竹皮商夫婦(しかもそれは正式な夫婦でなく、不倫関係だったというオチがつく)が竹林の地主の息子を縁談相手として紹介、彼女は瀬戸内から八女にわたったというのだ。彼女の移動、それにそれをうながした往年の竹皮商、それらの移動の自在性がこの作品の組成と精確に一致している。

そのうえで、「場所」のかけがえなさがさらに上乗せされる。晴天の日に白竹の皮の盛期を探そうとして撮影班が苦労するくだりがある。そこでついに白竹の林が八女隣在の山地に発見される。このときの「タケヤネ」が周囲にたいし自然にしろくひかっている様子に、おもわず嘆息がもれたのだった。

終わりに青原氏からいただいた情報を貼っておきます。

『タケヤネの里』延長(1週間)上映
11月16日(金)
◎本日14:30の上映後、前島美江氏トークあり
 好評につき、竹皮編ワークショップ決定!! 
 時 間 :18時~20時(途中参加OK) 
 場 所 :民映研事務所内 浅草橋(秋葉原の隣)西口から3分 
 講 師 :前島美江氏     花かごを作ります! 
 参加費:500円(材料費込み)(ハサミ、タオル持参)
申 込 :メールにて minneiken@alpha.ocn.ne.jp

『タケヤネの里』延長日程

 13日(火)、14日(水)14:50~  
 15日(木)20:30~  
 16日(金)15:00~ 最終上映
 
 

2012年11月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

 
 
【ユ】


カンジをかたかなにするとどうなるか
ちらちらユれるとかけばユもアヤしいのだ

ユけむりのようなこのからだには
アイがならんでタホウコウをコらす

オクビョウなけむりのソコのユ
カハンシンからワくソコヒがあるらしイ

ウチュウのカオのまんなかのハナが
みることにさきがけてダンメンなのは

おもいでのなかのトオトいマルタか
ユのカワをきえながらあふれて
 
 

2012年11月10日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

橋本文雄さんが亡くなった

 
 
11月2日、録音技師の橋本文雄さんが亡くなった。すでにご親族で密葬を済まされたという。享年84歳。お元気だったところたった一日で体調が急変してのご逝去ということで、じつにきれいなお亡くなりかただったらしい。橋本さんが育てた錚々たる録音技師たち(「橋本一家」と呼ばれる)、ずっと親しい協働をつづけた映画監督、俳優を差し置いて、ぼくなどが追悼文を書くのも面はゆいが、生前におつきあいさせていただいたよしみで、偉大な故人を以下に偲ばせていただく。

橋本さんにかんしてはまず誰もがその偉大な作品参加歴を指摘する。大映での録音助手時代は、溝口健二、伊藤大輔、森一生などの巨匠の現場を体験した。活動再開なった日活に移って一本に。初期の日活は文芸路線が主軸で、そこで川島雄三、今村昌平、中平康などの録音技師を歴任する一方で、台頭してきた「日活アクション」のながれに乗り、アクション映画の、強弱差のはげしいドラマチックな録音設計の礎をつくる。監督でいえば舛田利雄、蔵原惟繕、それにミュージカルまで手掛けた脱ジャンルの井上梅次もいる。

日活がロマンポルノに移ってからはオールアフレコという縛りのつよい録音体制のなかにあって、とくに神代辰巳映画の、もごもごいう俳優の科白と生活音、自然音が渾然一体となった「音宇宙」をつくりあげた。このころになると、橋本さんのビビッドではっきりとした録音設計はもう日活以外の製作者、監督にも響きわたり、ロマンポルノを離れてからの橋本さんは、鈴木清順、和田誠、澤井信一郎、森田芳光、阪本順治などの映画に引っ張りだことなる。大きくいえば、川島雄三から阪本順治まで、日本映画の半世紀の「音」を支えつづけた録音技師の第一人者ということになるだろう。

ぼくが橋本さんとじかに接したのが、やがて『ええ音やないか 橋本文雄・録音技師一代』(リトル・モア、96年刊)として結実することになる本のインタビュー現場だ。インタビュアーが上野昂志さん。その上野さんと孫家邦に編集として呼ばれ、インタビュー準備、補佐、構成などをおこなった。

橋本さんの第一印象はダンディ。長身痩躯で、折り目のついたズボンを颯爽と履き、磨かれた革靴の先、長い指先がなぜかつよく印象にのこっている。薄く色のついた眼鏡を着用なさるのが橋本さんの普段だったから怖いのかというと、回転の速い京都弁で抱腹絶倒のエピソードを次々と披露なさるし、場の調和を図る肌理細かさがいつもあって、いっぺんでその人格に惹かれた。しかも次回の話題は○○で、ということになると、記憶の掘り起し、映像確認など、その事前準備も綿密だった。

橋本さんは、こけしのように首が不思議な印象でうごく。からだに何か、こまかくリズムを切ってゆくような微分化が起こっていて、これはなんだ、と最初かんがえた。あとで橋本さんの現場がわかる。録音技師は、フレームの外側、しかしフレームの間近でブームを振る録音助手を撮影現場の前面に預ける以外は、「画」にかかわる撮・照・美スタッフの後陣に構える。科白など現場ででてくる音を録っているのだが、その手許はいちばん後ろにあるから現場ではあまり意識されない。ところが録音助手たちは、橋本さんの起こしている「魔法」に瞠目している。橋本さんの作業する現場の台にはミキサーがあって、なんと橋本さんは現場ですでにミキシングをしながら現場全体の音を録っているのだ。したがってヘッドホンをつけた橋本さんの計10本の指は、それぞれミキサーのコンソールにかかって、しかも指ぜんたいが「音楽のように」波打っている、という。

むろん現場ですでに加工して録ってしまってはあとで直しがきかない。というか現場で出てくる多様で不測性にとんだ音をすべて事前に「読んで」、そのそれぞれに有機的な連合をもたらしてゆくような瞬時瞬時の指先の「運動神経」など、余人にはもちようがないのだ。録音技師としての経験の長さ、脚本の読み込みのふかさ以外に、現場にたいする観察力が人並みをおおきく上回っているからこそできる離れ業だったといえる。そのときの指先のうごきこそ、橋本さんのからだを貫いている「微分性」だったのだ。

通常の録音技師なら、音は撮影現場ではなく編集スタジオでミキシング・綜合される。つまり映画は、「画」を撮る現場と、「画」に音をつけ、つないでゆくスタジオとに場が二分される。橋本さんはそれに異議申し立てをした。橋本さんが録音だと、撮った一定量ごとにスタッフ間でOKカットを確認してゆくラッシュ試写で、すでに大体の音がついている。そのことによって、とくに監督に、強調すべき音がなにか、音全体にどんなながれをもたせるべきかといった録音設計的な思考・着眼を促すことができると橋本さんはいう。現場が速く、しかも精密になる。そこで編集との連動も起こる。

いいかえると、スタッフの布陣でみれば、編集と音楽は撮影の現場にいない。ポストプロダクションのもうひとつのかなめである録音だけが撮影現場にいる。橋本さんは、編集と音楽に撮影現場の現場性をつたえる媒介として録音というポジションをかんがえていた。

その「ポストプロダクション」ということばをそういえば橋本さんは嫌っていたなあ。撮影現場が映画制作の「本体」で、音の完成、音楽入れ、編集の完成をする現場が制作の「後づけ」「従属」だという二分法がおかしい、というのだ。そっちだって撮影現場に負けない制作の「本体」だ、ということ。とりあえず橋本さん的なありかたによって、撮影現場とその後が有機的につながる。

橋本さんに接して気づくのは、橋本さんが関西弁でいう「イラチ」(せっかち)ではないかということ。ともかく頭の回転が速い。ふだんは温厚なのに、話に興がのってくると、エピソードと、録音にかかわる思考とが、絨毯爆撃のように連続してくるのも、なにか橋本さんの現場での運動神経を髣髴させた。このイラチの気質がなければ、撮影現場でミキシングなどするわけがない。

現場でミキシングの過半を完成させてしまうのだから、橋本さんの音の録りかたはすでに選択的になる。ドラマにしたがって強調すべき音、そうでない音、その弁別ができあがったうえで、それが、映画が最終的にかたどる時間的連続性のなかでどう配備され、反復され、展開されてゆくのかが、音を素材とした一種の全体音楽として構想される。「メインの音が大事です」と橋本さんは何度もいう。それも音楽でいうメインテーマのようなもの、つまり橋本さんの録音設計は、蓮実重彦の映画評論のように主題系(テマティスム)を自然に体現していた。

しかも橋本さんは選択的でありながら、同時に全体的でもあった。橋本さんは科白(声)、音、劇伴音楽の「全体」を映画の音として、いわば帯状につくりあげ、そのサウンドトラックをフィルムに結婚させる。それは橋本さん自身が排他性のない音楽好きだった点とも関連している。

そうはいっても橋本さんはとりわけジャズが好き、と告白していた。たとえば橋本さんと映画音楽家としての黛敏郎とは、橋本さんが溝口組の録音助手だったころからの付き合いだが、橋本さんの録音のとき、黛の洒脱なジャズスコアが多く生まれたのも偶然ではないだろう。日活アクションの初期から中期は音楽ジャンルとしてジャズが採択されることで画面進行に緊密さが実現された(フランスの初期ヌーヴェルヴァーグへの意識がある)。いまは音楽のミキシングが専門化されているが、当時の橋本さんはそうした音楽録りのときもミキシングをおこなった。その当時のエピソードをかたる橋本さんの嬉しそうな表情が印象にのこる。

日活映画はロマンポルノになると音楽の選択ジャンルがロック中心になる。ロックが載せられると画面の進展はゆるやかになるというのが橋本さんの意見だ。しかもロマンポルノでは音楽をオリジナルでつくる予算がない。そこで橋本さんのもとから、のちに選曲の大家となる小野寺修さんが育ってゆくことにもなる。

橋本さん、あるいは「橋本一家」の録音作品は、スタッフクレジットをみなくても、橋本さん的だとすぐに判断できる材料がある。音がアタックの面で生き生きとしているというのみではない。無音状態(それも橋本さんにとっては「音楽」なのだ)が挟まれることで音に有無の展開ができて、それで現れる音のもつ物質性、厚み、奥行き、豊かさが強調されるのだ。この無音へのこのみは橋本さんにもともとあったものだが、やはりオールアフレコをしいられたロマンポルノを経験してより強化されただろう。要る音は出す。要らない音は出さない。要る音のみが展開されるからこそ、録音は全体にわたって設計性をもちうる。橋本的録音の「選択型」の基本形がそうしてできあがる。

この橋本型録音は、現在は趨勢から離れたかもしれない。橋本さんのような、画と音が映画において役割等分だという平衡感覚が弱まり、画が中心というかんがえがふたたび主流になってきているのだ。それは同時録音技術が、ワイアレスマイクなどをつうじてより精密化・便宜化されたこととも関連している。低予算映画でもそうだ。音は、画が撮られるときに付帯する自然として録られる。したがってできあがった映画でも、音は画に寄り添う空気のような自然状態をつくりあげる。そこでは音は全体的だ。橋本さんの音のように選択的で、なおかつ意志的・音楽的なものではなくなっている。

橋本さんの音は、大きくいうと、日活ニューアクションまでは「つよさ」への段階を移行してきた。むろん(とりわけ若い世代の)観客が刺激をもとめるのに即応してきた結果だが、音がインフレ状態を呈してきたこの点には橋本さん自身が疑義をかんじてもきた。ますます派手になる銃撃音、打撃音、破滅音。頻度もましてゆく。録音設計は、落差を強調するために強弱をより大きな幅で執拗に繰り広げてゆく。そんなとき橋本さんの録音に運命的な僥倖が訪れる。ロマンポルノに移行してアクションに特化されない、より多元的な音にかかわる契機が訪れたのだった。

ロマンポルノは性愛描写が主軸に置かれれば、あとはオールOKという自由で創造的な撮影現場だった。ぼくは根が好色なので、橋本さんが女優の「喘ぎ」をアフレコでどう録ったかのエピソードが大好きだった。アフレコのスタジオで実際に俳優をからませて、スタンドマイクではなくブームを振って、衣擦れまでふくめた音を録ったこと。それでも喘ぎが性愛的に波打たなければ、コンソールを揺らすように動かして喘ぎの波を強化したこと。

ニューアクションからロマンポルノまでの橋本さんのこうした作業をしるすと、橋本さんが「音のつよさ」にのみ惹かれたとおもわれるかもしれない。だが内実はちがう。音の何ものも弁別しない橋本さんは、音の「つよさ」と同時に「よわさ」にも価値をあたえた。そうして神代映画、曽根中生作品などの、あの全体にわたる「染み入るような音」もできあがったのだった。

それでたとえば森田芳光『それから』での「つよい音」と「よわい音」の精密な葛藤模様もできあがってゆく。そこではむろん観客は「よわい音」に加担する。なぜなら森田監督が配したガラスなどフラジャイルな画面上の物質にこそ「よわい音」が連動するからだ。そういえば橋本さんは「録りにくい声」をもつ俳優にこそ惹かれると告白したことがあった。例にあげたひとりが、岸田今日子だった。『それから』での藤谷美和子、あるいはあの作品で「よわい声」を自分に組織した松田優作も、それなりに「録りにくい声」だったにちがいない。それでも弱音幅を基本にすればふたりの声は録りやすさのなかに定位されただろう。ぼくは「録りにくい声」の現在的筆頭は原田芳雄ではなかったかとおもう。『ええ音やないか』では原田さんの声にたいする橋本さんの意見が脱落してしまっていた。残念。

話をもどすと、唖然とするのが神代辰巳『嗚呼!おんなたち・猥歌』で、内田裕也以下主要人物全員が「音を鳴らす存在」として定位されていることだった。からだから音が鳴り出てくる存在の一種の侘しい昆虫性。その最終形として角ゆり子が陰毛を焼く音の侘しさ・陰気さが耳を打つ。なぜオールアフレコなのにあれだけ音が「多彩」だったのか。神代の資質と橋本さんの資質が幸福に合体したから、としかいえないだろう。

そういえば神代『赫い髪の女』で宮下順子の「喘ぎ」や憂歌団の音楽とともに耳にのこりつづけるのが、幾日も降りやまない雨の音だったはずだ。橋本さんは自然音のサンプルを数多くもっていて、あの雨音は手持ちのものを複合的に織り合わせてつくったものだという。観客は雨音「それ自体」を聴きながら、その「層」「隙間」をも無意識に聴いていたということになる。雨音もまた「多彩」だったのだ。

ロマンポルノのオールアフレコが活動の中心となって、寸暇のできることの多くなった橋本さんは、サンプルとしての音録りを、当時の助手たちを伴って、日本全国を行脚するようにおこなうことも多くなったようだ。岩に砕ける波濤音は唐桑半島で絶品のものが録れたとおっしゃっていたが、その他、風音、雑踏音(俗に「ガヤ」という)など、人もうらやむようなサンプルストックがあったという。橋本さんは昭和40年代くらいまでは多く見かけた、ナグラ携行の自然音の録音マニアのような側面もあったにちがいない。そこでも撮影現場での橋本さんの口癖「ええ音やないか!」が口をついて出ていたのではないだろうか。

『ええ音やないか 橋本文雄・録音技師一代』編集時の90年代後半すぐは、私事をしるせば、映画評論家としてのぼくの躍進時代で、蓮実さんから得たテマティスム構造批評の方法を磨きあげる時期だった。それで橋本さんが語る「録音設計」に、反復・展開などテマティスム同様の着眼があるのに驚き、興奮しつづける次第となった。「映画の音」にかかわる考察は、当時ならフランスのミシェル・シオン『映画にとって音とはなにか』を参照するのがアカデミズムの定番だったが(現在もか)、実地体験から生じた橋本さんのかんがえは完全にシオンの理論と連動していた。

シオンの本ではブレッソン『抵抗』の音を「フレーム内の現実音」「フレーム外の現実音」「それ以外としか分類できない超越的な音」に弁別し、展開のなかで音の閉塞が開示に向かう感動を分析したくだりがとりわけ印象にのこる。そのシオンの音理論が橋本録音に高度に適用できるのが鈴木清順の映画だろう。「つながらない」映像展開のなかで、橋本さんの、主題系に配列したい音が、強圧的に分断を余儀なくされてゆく。結果、橋本さんは現実音の出所を超越的な場所に配置しなおすなど、普段は時間軸上で自然に起こる「展開」を、虚実の幅の「展開」へと押し広げ、音の幻想をつくりあげたのだった。橋本さんの神代への構えが「親和」「同調」だったのにたいし、清順さんへの構えは基本的に「対抗」だったのではないかとおもう。

ずっと書かないできたが、映画録音の最大の基本は、むろん俳優の科白録りだ。神代作品などの例外はあっても、橋本さんは基本的には俳優の不明瞭な発声を嫌い、監督を差し置いて現場で新人俳優に活を入れるほどだった。脚本を大事にしたのだ。これがたかだか俳優の「個性」などによって不全にしか伝わらないことを映画鑑賞の損失とかんがえていたはずだ。

こうした橋本さんの折り目ただしい性質と最大限に「同調」したのが澤井信一郎監督だろう(澤井作品の素晴らしさは、折り目正しさが映画の肌理細かさとかならず有機的にむすびついてしまう組成の不可思議さにいつもある)。たとえば『Wの悲劇』での薬師丸ひろ子。彼女はもともと折り目正しいのだが、それ以前の作品では「声」に地金が貫かれていなかった。それを橋本さんは澤井さんと共同で「特訓」したのだった。『Wの悲劇』を再見すれば一目瞭然だろうが、あの作品が湧き起こす感動の一端は、薬師丸の「声の幅」、そのダイナミズムから生じる。それがあって次段階、根岸吉太郎『探偵物語』では薬師丸の「声」は、彼女のからだの多彩なうごきとともに、多彩な現実音と織りあわされ、今度は「配置」「混合」のダイナミズムを実現してゆくことにもなった。

というように書いてゆけば、書籍『ええ音やないか』にほぼ限定された思い出なのに、橋本さんのことばや表情の細部、さらには橋本さんの録音作品が次々によみがえってきて、記載が尽きない。あんまり重い原稿を書いてしまっては橋本さんの普段に反するのでそろそろ筆を擱かなければならないが、橋本さんが漂わす風情にどこか洒脱さを超えた、悪戯好き、あるいは逆転性もあったことを最後に言い添えておこう。それで一旦、「毒舌モード」が点火されると、橋本さんのあらゆるものへの機転をともなった批判は、もう腹の皮のよじれるほどの笑いをもたらすのだった。あの体質は戦後すぐの混乱期から映画の現場にはいったひと特有の無頼さにかかわるものにちがいない。

それでも橋本さんは、自分のかかわるひとに尊敬を惜しまないひとだった。澤井さん、坂東玉三郎さんへの熱い口調が印象にのこる。それから「声」のもととなる俳優たちへの崇拝も惜しまなかった。あるいは柿澤潔さんをはじめとする現役のお弟子さんたちへの配慮も温かかった。その橋本さんの「声」そのものをいま、おもいだす。高い地声がその幅で揺れながら、それがどこかで音楽と通底するものだったことはたしかだ。

ほんとうにお世話になりました。  合掌
 
 

2012年11月09日 日記 トラックバック(0) コメント(2)

褒美

 
 
【褒美】


星型菜園でこの季節は
さいごの萵苣が摘まれているだろう

まかない葉は整合のみだれ
肉体のようなものの終わりも髪だ

だから理でかんがえることをしない
くちびるに藍をあつめてゆく寝床では

腕のなかにはいってくるひとの積載量
あふれだす萵苣の鳴りが複音なのは

どこかで未納ゆえ遠近法があり
はだかになってもらう褒美からだ
 
 

2012年11月08日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

スープが、そこに。

 
 
【スープが、そこに。】


日を断つために、からだにねむりを容れる
うつわ特有のぼけた容積があちこちにできる

ここにある、ここではないふくらみは自分か
ふくらませている者をこの内側にもおぼえるのか

はしご以上に部分にあふれている全体がある
みあげるためにしつらえられた、雪もよいの空

メトニミーの場所がシミリーの平板になれば
比喩は言語ではなく感覚をわたるあきらめだろう

あるいている道では、道もあるいている
たえずたしかめてゆく。スープが、そこに
 
 

2012年11月07日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)

個性と個別性

 
 
雪のふるまでは詩作しないと定めてから、たまに湧きおこるフレーズ単位の詩想を捨てるがままにしている。贅沢をしている、と自分ではおもう。そうした詩想とつきあえば、詩篇はいくらでも完成にみちびけるのだ。けれどもこれまでの身体とちがう器で詩作したいとおもうから、「癖」のようなものをいまは、すべて祓いたい。

大学で、映画、詩をはじめとした文学、音楽、マンガなど、ジャンルのことなったものを教えながら、たんに「それぞれ」で、「それぞれ」のジャンル法則をあきらかにしてゆくだけではどこか不健康が生ずる、とおもう。つまりあらゆる表現がそれ自体でみちるための内部法則にまで、思考の測量を伸ばし、すぐれた「表現」をすべて横断する共通項をみいださないと、個別的な分析能力が作動するだけで、創作全体への還元がないのではないかと危惧しているのだ。

表現内部にある細部をつなぎ、そのつなぎ目を馴化して分泌腺にかえ、表現されている「それ自体」を脱自化し、全体「構造」を、偶然と必然の相互作用によって動物化=有機化している、それ自体の内在法則を言語化・論理化できないかとかんがえる。「主題」の反復と変奏、隣接域を喚起してくるメトニミー、細部同士の内在的統一性をもたらす表現者自身の身体とその虚構化、対他性と対自性の混在(比率)、断裂を生み出すための跳躍台を部分に認定すること、時間の発明…… 

「着想」といわれるものは、いましるした程度には複雑な機能分化が配分されていて、たとえばその日、眼にした銀杏が陽光にかがやいて黄金の焔をあげていた、その感銘を表現に映さなければ、ていどでは、実は表現など成立しない。だから一次体験のみで目配せが起こっている多くのネット的やりとりは、表現の内在法則の埒外にあるもの、といっていいだろう。それは体感を一定の速さで打つだけだ。

先週アタマまで年間詩集回顧のため詩集を「浴びてきて」、個性にもたれかかった創作など自堕落で、じつは個別化していないという判定がもたげるばかりだった。そのひとが自分のしるしと信じている個性などたんに「癖」にすぎない。なるほど「癖」は身体にとってきもち良いものだろうが、その「癖」がたとえば伸長すべき着想を、いつも自分が慣れ親しんでいる手許へと折り曲げているだけだ。これが何度かくりかえされると、判定はそうした「癖」固有の限界を評点する狭さのみをしいられていって、あまり良い気分が出ない。

個別性とは、たぶん明滅的な速度で起こる反転運動、それすらこえて、個性を抹消し、普遍と闘争する際の「葛藤」のなかにだけ刻印されるのではないか。つまり抹消のあとに再出現が期待されるべきものにたいし、一時的な発現(すなわち「癖」)だけが個性だと信じられているような頽廃が蔓延している気がする。だから人格に適用される個性ということばと、世界性に適用される個別性ということばが峻別されるべきなのだ。たとえば「自己抹消運動」の痕跡がみえないものは個性であっても個別性ではない。そうしたありようではふかさにたいする測定不能が起こらないためだ。しかも自己抹消による平易化がおこって、「平易性が傷だらけ」といった魅惑的な逆転も感知できない。

真の「個別性」を称揚するために、「個性」だけはとりあえず否定しよう――モチベーションなく、とりとめもなく書き出した本稿のとりあえずの中間結論というか提起は、まあこんなところだろうか。ヘンな日記を書いたな。
 
 

2012年11月07日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

田村孟の小説2

 
 
航思社刊『田村孟全小説』、全700頁中、200頁あまりをいま読みおえたところ。なかなか進まない。二段組の小さなQ数で印字されていて一頁あたりの文字量が異様に多い点もあるが、田村の小説文体が説明的・開示的に「順序」を展いてゆくものではなく、抵抗圧のたかいその空間は「たんに理解のためだけでも」精読をしいられるものであるためだ。中上健次よりも小説的な圧力がつよいのでは、とふと疑う。

読んでいるあいだ、ふと倦んで巻末の初出一覧をみると、田村の小説執筆活動の全容がわかる。小説を手がけたのは、「映画批評」における「細民小伝」の連作からで(このときの名義は田村孟)、これはたぶん松田政男さんあたりにそそのかされ、「洒落」の気持も手伝ってのことだったのではないか(栞文には松田さんの談話も収録されているので、それを読めばいずれ事情が判明するだろう)。そのあと、田村はたぶん「本気」になる。それで文芸誌への小説掲載がなされるようになる。『田村孟全小説』は執筆順の時系列構成になっていて、これまでずっと「細民小伝」シリーズを読んできて、いま「文學界」に掲載され、同誌の新人賞を受け、芥川賞の候補ともなった「蛇いちごの周囲」(つまりこれが田村初の文芸誌掲載小説で、同時に初めて「青木八束」の名義を使用したもの)を読み終えたのだった。

いろいろなことをかんがえる。助監督から監督になり、それが次第に脚本家へと経歴が特化していった田村孟や大和屋竺のような映画人は、小説を手掛けるとき、何を欲望したのだろうか(大和屋さんは手掛けなかったが、「ちかいもの」は書いた)。彼らは脚本家として映画の撮影現場へ表敬訪問などはおこなっただろうが、基本的に現場性から放逐されてゆく。それが体験の喪失だとおもえば、彼らは小説執筆で、小説というより、「映画そのものの映画性」を書こうとするのではないか。

田村孟の小説はそのシナリオに似ない、とこのあいだ書いた。けれども、それは映画そのものには似る。しかも奇形的に「大島渚の映画の一部」に特化して似る――これが傑作、「蛇いちごの周囲」を読んでの感想だ。

大きくみると、この中篇小説の構成は単純だ。理解しやすいように、人物相関図を最初に提示してしまおう。群馬の山村から東京の大学生となった神宮雄一郎は長谷川登和子と婚約する。ところが雄一郎に赤紙がきて彼は応召され、ひとりになった登和子は雄一郎の実家・神宮家(たいへんな山地主だ)に疎開がてらにやってくる。そこで暮らすうち、雄一郎戦死の報が舞い込み、後追い自殺をした(と伝えられる)。

東京空襲は熾烈さをまし、登和子の妹・津和子も神宮家に疎開、居候をする。そこで敗戦。やがて津和子は、登和子の嫁入り道具として神宮家に入った家財のいくつかを取り戻してリアカーで運ぼうとする。家財の一時の避難先にはある蔵を目論む。運搬の手伝いとして、中学生・八束(つまり執筆者とおなじ名前)を指名する。八束は神宮家の本家筋となる農地の大地主の嫡男だ。じつは小説はここからはじまる。つまり上に書いたことは、小説が進展するにしたがい、付帯的に判明してくる事柄だった。なお、群馬は田村孟の生地で、主人公に「八束」の名がもちいられていることから、小説は田村の自伝的要素を「偽装」する結構になっている。

大島映画のファンはこの小説を読むとたちまち奇妙な感慨にとらわれるだろう。大島作品のうち脚本を田村が領導したものがいくつかあるが、何か読んでいるイメージが田村主体の『白昼の通り魔』と二重写しになるのだ。武田泰淳の短篇を自由に翻案した『白昼の通り魔』については、『日本の夜と霧』と正反対の、カット数の多さがよく話題になる(大島自身も何回も口にしている)。川口小枝のからだの部分接写が一秒程度のながさでつながれ、幻惑を生じつつ結像定位が流産するとか、俳優の動作がこまかく割られて、あたかもそれが蛇腹状の分離性をともなって、割れるように展覧されるとかだ。「蛇いちごの周囲」は冒頭、八束の「見た目」で津和子の表情や動作が微分的に描写されてゆくのだが、そこにはあきらかに『白昼の通り魔』が実験的におこなったカッティングの痕跡がある。

同時に『白昼の通り魔』は、たぶん武田泰淳の原作(未読)からはなれて、「声」のあふれかえる映画だった。大島映画における過剰な音声化は、『日本の夜と霧』が話題になるが、『白昼の通り魔』あたりから過剰な音声の主体が女性(女優)に移行する。駆動力になっているのがとうぜん小山明子の存在で、論理性をともなう語りの進展がかえって女性性を漏洩してしまうエロチックな機微をつたえ、しかも大島はそこに、打破すべき民青的価値観までも罠のように付加する。そのタイプの「音声性」の嚆矢となった映画が『白昼の通り魔』で、そこでは川口小枝と小山明子がいわば二重の状態となって「音声の過剰化」へと作品を導いてゆく。木下恵介の「議論映画」『女の園』を観て松竹入社も射程に入れたという大島らしい。

けれども武田泰淳の原作を翻案して音声過剰にしたのは脚本の田村孟のはずだ。つまり小山/川口の語り/声の質を決めているのは、田村の、女の音声にたいする体質のはずだ。そのことが文章の地の文に人物の発声内容がふんだんにくりこまれた「蛇いちごの周囲」で、感動的に判明する。とりわけ津和子の口調が、『白昼の通り魔』の小山明子に「似ている」。津和子のルックスの描写は川口小枝とはちがうけれども、色の白さ、という印象がのこって、結局、小説内の津和子をイメージすると、川口小枝のような少女が、小山明子の声で喋り倒しているような感触が現れ、それに終始、支配されるようになる。これはその意味で、田村の小説ではなく、撮影現場から放逐された田村の「映画」なのだ。

「蛇いちごの周囲」は、津和子と八束が神宮家に辿りつくと、そこで家財返却をめぐって悶着がとうぜん生じる。神宮家の当主として迅一郎が登場する。この迅一郎はのちの中上小説の浜村龍造を髣髴させる造型だが、同時に口調が、大島作品での男性発声機械の一角をになった際の佐藤慶にも似ていて、つまり「蛇いちごの周囲」を読むことは佐藤慶と小山明子の「声」を聴くことに転位されてしまう。これは保坂和志の言い方を逆転するなら「小説の不自由」なのではないか。ましてや「蛇いちごの周囲」が執筆された73年当時、『白昼の通り魔』は作品的にではなく主題的に風化していただろう。『愛のコリーダ』に入ろうとしている大島渚がこの小説を読んだかどうかは詳らかにしないが、読んだとすればその反応は「苦笑」だったのではないか。

迅一郎という強烈なキャラクターが出てきて、作品は冒頭の「懐古調の甘美」から、議論映画に似た沸騰に転ずる。津和子による次々の暴露と推察、それにたいする迅一郎の笑殺と反論が交錯する。雄一郎の戦死の報ののち、迅一郎と登和子は山での仕事と称して二人きりになることが多かった。それはつまり登和子が迅一郎に相手を乗り換え、それを承知で迅一郎は登和子を慰み者にしたのではないか。その間柄になんらかの軋轢が生じ、登和子が自殺したのではないか。登和子はもともと多淫で、じつは雄一郎に執着していなかったから、雄一郎の死をうけて後追いするなどかんがえられない――これが津和子の推察だが、迅一郎にのしかかるように語られたそれらのことばは、迅一郎の老獪な捌きに返されるだけだ。

幾らかの「戦利品」を得て、津和子と八束が神宮家から引き上げ、小説は最後ちかくで、坂道の下りを利用した津和子と八束のリアカー滑走という「運動」を用意するとはいえ、ぼくが裏筋から小説内容を伝達せざるをえなかったように、作品の構成は脱構成的な倒錯を維持している。しかも物質性を前面に出しながら「描写」そのものは圧縮されて、一読では意味のつかみにくい箇所が頻出する。「構成」が最大任務である脚本家、その小説にしては構成が過激に破綻しているのだ。つまり田村孟が脱「脚本性」を志向したのは明らかだ。けれども同時に「構成力」の欠如はこの小説を映画とみた場合、やはり失敗を印象づける。脚本とも映画ともどっちつかずの小説。それは小説の自体性を生きた小説、といいきれるかどうか。何か暗澹としたものがのこる(芥川賞をとれなかった遠因はそれか)。

それでは「蛇いちごの周囲」が駄作かというと、前言したとおり、そうではない。描写の目盛の繊かさには、田村がなしえなかった映画監督の職能を小説に定着しようとする野心すらかんじさせる。もうひとつは大島渚の映画同様に、「音声化によって表現物のオルタナティヴ」が出現している点が過激なのだった。田村小説の特徴は誰でもすぐ気づく。会話内容が鉤括弧につつまれず、それで地の文との弁別が消され、すべてが地続きの音声支配性を体現してゆく。これも人物(役名)が明示され、科白内容が明示的に分節される脚本とは大きく異なる。そして田村孟の小説は、中上健次と匹敵するくらい、小説が分泌する音声が豊穣なのだ。ところがそれは映画の理想の「転写」なのではないか。あるいは中上の小説の正体すらそれだったのではないか。田村が中上をどう捉えていたか、だれかの証言がないものか。

この本の巻末の初出一覧をみると、70年に執筆を開始された田村の小説は77年にはもう終焉を迎える。たった七、八年間の所業だった。たぶん田村は、人生中、ほぼ自力でなしえなかった「映画」を小説に転写するというそのときの自分の方向替えにも恥辱をかんじ、持前の減退と脱力におちいっていったのだとおもう。そこが大和屋竺の絶望の質に似ている。だが、田村は脚本家として磨いた「構成」を駆使して、乾いた、しかも展開力をもって読者をドライヴさせてゆく小説なら書けたはずだった。それすらしなかった。彼はただ、文体で読者を膠着的な支配下に置くことを望んだ。おわかりだろうが、小説の文体は、映画では撮影(構図選択、カメラワーク、照明設計などがふくまれる)と編集を織りあわせたものに相当する。

それにしても――田村の小説を、田村自身が脚本化することはありえなかったのだろうか。「細民小伝」中「個室は月子」ならありえたかもしれない。東京で「女中」(いまや差別用語なので鉤括弧つき)をやる「月子」が、小学校時代、破戒僧に凌辱されたが、中学のときの担任に相手を禅譲したという回想ではじまるこの短篇は、のち意想外の展開を呼び込む。中学の担任を偲ぶ会合に出席した者のなかで、月子の「女中」をやっている邸から、月子の手引き(月子が主人夫婦と別荘に同行している不在の時期、月子の「女中」部屋の窓を施錠しないという方法)で同級生たちが泥棒を企ててゆく、という大筋で、ラストに多重状態で現れる皮肉などんでん返しも鮮やかで、これなら田村の「肉体的」文体を取っ払っても、説話的な映画になる。そういえばこの小説でも大島映画の人物たちの「声」が聴えるのだった。

しかし、はたと気づく。「女中」という着眼がもう70年代初頭には成立しなくなっている。「若者」の脱倫理的な自己中心性を、倫理的な回収をせずに描出してゆく構えもヌーヴェルヴァーグ的だ。また脚本化にあたり何の付加もしなければ、その映画は60分程度のシスター映画にしかならない。つまり「個室は月子」もその作品性ではなく、そこから摘出される「映画性」が古いのだ。

70年代からの田村はつまり、映画にたいして回顧的な視線しか自己組織できなかった。それが彼を小説の舞台から下ろさせ、のちにひいては、本業の脚本執筆まで減退化させた人生上の要因ではなかったか。痛ましい人生だったといえる。

ちなみに「細民小伝」の発表舞台となった「映画批評」はぼくの生年からいって同時代的に読めるものではなかった。ただし敬愛する平岡正明も編集同人になって、のち『映画への戦略』に収録された足立正生の映画論や、布川徹郎ドキュの採録シナリオさえ掲載されていたのだから、バックナンバー渉猟を往年企てなかったのが、いまの自分からは訝しい。ただし大学生当時のぼくは、「季刊フィルム」と「シネマ69」のバラ買いには精を出していた。山田宏一さんと蓮実さんへの接近がはじまっていて、その結果のことだ。それで「映画批評」の目次細部を点検しなかった(また70年代半ばまでは文芸誌をほぼ読まなかった)ぼくは、青木八束=田村さんの小説の存在をずっと知らずにきてしまったのだった。
 
 

2012年11月04日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

キンクス、アーサー

 
 
今週(終了済)と来週の「ロック・ジャイアンツを聴く」全学講義はキンクス。今週はキンクスの歴代の佳曲を「ユー・リアリー・ガット・ミー」から70年代中期までピックアップして受講生に紹介・分析した。なかには、アルコールによって破滅した人生をブレヒト劇的なドイツ歌曲にし、そこにディキシー・ランド・ジャズのアレンジを交えて唄った(作り手本人であるレイ・デイヴィスの人生をも髣髴させてやまない)「アルコール」や、自虐性、自己穿孔性で、涙なしには聴けない究極のラヴソング(それでもビートルズ的なポップチューン)「スウィート・レイディ・ジェネヴィーヴ」も入っていた。

グレイル・マーカスが『ミステリー・トレイン』でしるしたように、女の子たちの輝かしいアイテムだったキンクスが、アルバム・セールスを落として転落してゆくのは、つくられる歌にやがて「薄暗さ」(それに同定不能性)が混入してくるからだ。マーカスはランディ・ニューマンの歌と比較していた。ランディは完璧なグッド・オールド・ポップチューンに皮肉というか、ときに真っ暗で戦慄的な歌詞を載せる。それは隙間のない合体、完璧な二重性であって、だから聴き手の感覚がブレない。ランディは信頼に値する逆説家だ。ところがレイの歌の薄暗さはリスナーに、身の置きどころのない混乱をあたえ、結果的に聴取をむずかしくさせる。そこにレイのヒステリックで微妙にゆれる声もかかわっている。

むろんレイ率いるキンクスのアルバム・セールスがdecline & fallしていったのは、野心たっぷりに臨んだアメリカツアー、その最初のテレビ・ライヴ出演でレイが泥酔し、卑猥な暴言を吐き、演奏すらできなかったからだ。かれらのツアーはキャンセルされ、以後の彼らはアメリカへの進出を断たれ、結果UKセンスとアメリカへの憧憬に複雑にゆれることになる。その揺れもまたセールスを落とす動因になっただろう(むろんキンクスの素晴らしさは商業性からではなく知性から完全な復権をあたえられ、80年代以降、キンクスへの評価はゆるぎのないものとなる)。

キンクスはもともと矛盾のなかにいた。進化論が適用しないのだ。キンクスが女の子たちの喚声を浴びていた時期のライヴアルバムでは「サニー・アフターヌーン」を演奏する彼らにもやはり凄まじい女の子たちの叫喚がカブっている。ところがスケール構成音が下がってゆく魅惑的なイントロではじまるこの曲は、脱税が発覚した実業家の経済破綻がえがかれ、二番ではアルコール中毒とドメスティック・ヴァイオレンスにより恋人も去られたとわかる歌詞内容になっている。そうして孤独となった主人公に夏の陽射しがそそぎ、そこでビールをのむと「怠惰による安寧」が生じた、といった「脱進化論的な」逆転が生じているのだった。しかもサビメロのコーラスワークは「うつくしさ」と同時に、夏の暑さによる世界全体の「崩壊感覚」をもつたえている。なぜこんな歌に女子たちは喚声をあげたのだろう。錯誤というしかない。

ロンドン五輪の閉会式でレイ自身によって唄われた「ウォータールー・サンセット」はこれまたビートルズ的に愛らしいメロディをもつ。ロンドンの下町、ウォータール―橋のたもとで孤独に暮らす主人公が、橋でいつもつましいデートをしているテリーとジュリー(そう勝手に名づけたのだろう)を観察、その恋の成行に思いをはせながら、彼らにも自分と同等の孤独と貧困を見出す歌だ。ウォータールー、テムズ川の川筋をひろがってゆく「市井詩」の傑作でありながら、そこでも最終的に賞賛されるのが「無為」だ(だから「淋しさ」に同調する「エリナー・リグビー」とは立ち位置がちがう)。ロック史上、「無為」に恋着した奇矯な個性はレイ・デイヴィスを除くと、「アイム・オンリー・スリーピング」などのジョン・レノンしかいないのではないか。ロックは若者の音楽だったから、そのイデオロギーにはとうぜん進化論が貫通しているはずなのだった。

それでいま来週の講義用に、ビートルズの『サージェント・ペバーズ』に呼応、たてつづけにキンクスが68年、69年に出したトータル・アルバムの傑作『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ〔村の緑を保存する会〕』と『アーサー、オア・ザ・デクライン・アンド・フォール・オヴ・ブリティッシュ・エンペラー〔アーサー、あるいは大英帝国の衰退と滅亡〕』を聴きかえしていた。前者はロックでありつつ掟破りにも「老人」の立場に立って(したがってエコロジーではない)、「村の緑」の保存とおなじ精神性のものを連打してくる。郷愁、過去喪失の悲哀、神の視線を大空から感じる慎ましい身体性、旧態誇示、既得権益維持……しかも写真による「思い出づくり」にすら、ラストの収録曲で皮肉が浴びせられる。いくらレイがポール・マッカートニーに比肩するメロディアスなソングライターでも、これらの価値体系に当時の若い世代が馴染むべくもなく、ロック時代「終了後」を予見したような歌のならぶこのアルバムは、同時代評価を得るには早すぎる傑作だった。

つづく『アーサー』ではさらに発想が過激になった。『ヴィレッジ・グリーン』にはデイヴ・デイヴィスがオブリガート的に奏でるエレキ・ギターの裏メロがバロック音楽に似てうつくしい「フェノミナ・キャット」という曲がある。樹木の枝で「無為」を謳歌する猫の歌で、ルイス・キャロルのチェシャ猫同様、どこか異次元の存在として捉えられているのだが、その猫の肥満時代のエピソードに、一瞬、大英帝国の世界侵略の幻想がかさねられる。このときの「大英帝国性」を全面的に考察したのが、アルバム『アーサー』だった(と、ぼくはおもっている)。

キンクスのトータル・アルバムは、のち『プリザヴェイション』(第一幕/第二幕)で完全にロックオペラ化するが、ここではまだ「歌い手」の仮構的な役柄分立はない。それでも曲調が一曲内でめまぐるしく変わる曲をふくんでいて、そこがリスナーには難解に映っただろう。ヴィクトリア女王の世界侵略をロウ・クラスの教養なき者が讃える、皮肉で軽快な「ヴィクトリア」からアルバムは開始され、戦士が上官の命令によって自律性を失い、死すら「念願」してゆく「イエス・サー、ノー・サー」へと引き継がれる。英国式反戦ソングの範例はレイ・デイヴィスによってつくられた。つづく「サム・マザーズ・サン(ある母の息子)」が見事だ。戦士した息子の遺影を額縁におさめる母の悲嘆を唄ったものだが、歌詞センスに市井全体にひろがってゆく言い回しの妙があり、そこには国家批判と庶民の無力が同時に底流している。日本の「岸壁の母」が浪曲性で悲哀を唄いあげるのとはちがい、偏差値のたかい自己抑制がある。それとともに、転調を繰り返すメロディのうつくしさがやはり情感を増幅する。一体に、レイのメロディ・センスは、音楽的素養によるルーツ回帰が自在な点が語られがちだが、テンション・メロディの独自性も一方で存在するのだった。「ユー・リアリー・ガット・ミー」ですら実は転調による3コードが基調で、キンクスののちのサイケデリックな名曲「レイジー・オールド・サン」もその系譜上にある。

アルバム旧A面ラストは、オブリガード奏法に抑圧されてきたデイヴ・デイヴィスのギターが(だがそういうタイプのデイヴのギターが、ぼくは大好きだ)、ジェリー・ガルシア的なサイケデリック・リードへと解放されるスケールの大きい曲「オーストラリア」だが、やはり歌詞は皮肉でちんまりしている。「楽園オーストラリアへ行こう」と訴えかける観光代理店的な歌で、その歌詞細部を精査してゆくと、アメリカとオーストラリアの落差が皮肉にうかびあがる構造になっている。

アルバム旧B面の最初から3曲は、旧A1-A3からの流れ同様、大学時代のぼくが偏愛したものだった。ブリティッシュ・トラッドのマイナー曲のような曲調からはじまって曲展開が目まぐるしく変化してゆく「シャングリ・ラ」は、サラリーマンが苦労して得た自宅の黄金郷が、結局は分譲地に建てられた、個性のない規格住宅にすぎず、しかもローン地獄ではないか、とリスナーに「気づき」を迫る歌詞なのだが、レイの個性により、やはり攻撃性を低減され、侘しい市井の詩情、そのうつくしさへと着地している。

これをいうなら、旧B3「マリーナ王女の帽子のような」が市井の詩情を唄う曲では「ウォータールー・サンセット」と双璧かもしれない。アメリカン・ポップ・チューン的にラヴリーなコード進行で唄われはじめ、次第にそこにディキシー・ランド・ジャズのアレンジによる狂騒性がともなわれてゆく。マリーナ王女のような帽子を散財覚悟で購入したオバサンが、しかしその帽子に合うパーティになぞ招待されるわけもなく、仕方なく日頃の掃除で場違いにその帽子をかぶる。それでも彼女は幸せ…というのが一番の展開で、ここでもレイ的な市井讃歌が見事に結実しているのだった。

アルバム名「アーサー…」はとうぜんアーサー王の聖杯伝説を錯視させる。ところがそのアーサーも一介の現代のサラリーマンにすぎないと判明する。その彼への励起をもってアルバムが終了するのだが、そこまでを通して聴くと、レイ・デイヴィスの当時の発想が、曲ごとの角度変化、歌詞の凝縮性とふくみ、ロックの「ロック性」にたいする突破力、それぞれで申し分ないとわかる。どこか襤褸めいた貧乏くささが似合う、「よれよれ」レイだが、このアルバムでは彼の非ロック的な地声が、郊外もふくめたロンドンの市井の、いがらっぽい空気をよくつたえてやまない。ジョン・レノンの声が本質的にはリバプールの煤煙を感知させるのと似ている。そう、イギリスにはシェイクスピア、ジョン・ダンからルイス・キャロルなどへ経由してゆく「UKセンス」というものがあって、60年代後半の双璧はあきらかにジョン・レノンとレイ・デイヴィスだったのだ。
 
 

2012年11月03日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

学校を舞台にする映画

 
 
三人の教師でおこなう映画論リレー講義(文学部生対象)、そのぼくの担当分五回が来週木曜からはじまる。ぼくが設定したテーマは、「学校を舞台にする映画」。このところの『鈴木先生』『贖罪・第二話』『高校入試』といったTVドラマ分野における達成、そして映画での『桐島、部活やめるってよ』の目覚ましさ(ここには『告白』は入らない)を念頭においてのテーマで、いまその準備のため、ひさしぶりに相米慎二の『台風クラブ』を観なおしていたところだ。とうぜん揺さぶられるような感動へとみちびかれた。

今期は院生用にゼミ形式の映画論授業もやっていて、一期内に別テーマで映画論授業を並行するのは結構、精神的・肉体的な負担がかかる。たまたま院生用はいまフリッツ・ラングの『飾窓の女』解析にさしかかっていて、そこで強調しているのが、蓮実重彦の立論に重点を置いた、ハリウッド映画の「説話論的経済性」だ。

すべてのシーン・会話に無駄がなく、もの語りが流麗に進展しつつ、観客の注意と不安をつかんでゆく。しかも因果論でいうと、原因→結果がシーン進展のこまかい単位で直叙されるのではなく、あいだあいだに別の原因→結果を繰りこまれることでいっけん迂回的に進展する。そうした配慮がないと映画は人為的で目詰まりな逼塞を抱えこんでしまうからだ。これを別の見地からいえば、「伏線」がもの語りの進展に沿って間歇的に配置されながら、伏線相互の「距離」を映画自体が自覚している、ということになる。

ここから「部分」への意識、とりわけ『飾窓の女』のようなノワール映画でいうなら「部分」への恐怖が出てくる。部分から全体が割り出されてゆく映画的叙述は換喩(メトニミー)にかかわる考察を呼びこむ。メトニミーは創造上の基本でいえば、ある一節によってその「隣接領域」が発想的に繰り出されるということだ。ところが、『飾窓の女』では、主役男女の身体の盲目性が付帯テーマになったとしても、部分(シーン/ショット)同士が時間軸上で、明視的に互いを見やっているという擬制が働いていて、そうした映画の「先行決定性」にこそ観客がまきこまれる。

話を『台風クラブ』にもどそう。この映画はたぶん「すぐれた」「現在型」「学校映画」の嚆矢となった作品で(作品の主舞台は信州あたりの木造中学校校舎)、性的鬱屈を抱えた中学生たちが接近・上陸した台風のエネルギーを吸収してどんな逸脱を深夜の学校で体現するかがもの語りの焦点となっているとまずはいえる。

冒頭が夜の出入り禁止の学校プール。その粘ついたようにみえる水面を映しだすファーストショットの官能性は語り草となっている。そこに演劇部の女子たち、さらに大西結花、工藤夕貴があつまって、相互の弁別をあきらかにしないまま踊る展開となる。つまり成員の無名性を軸にした集団劇として開始され、それから先にプールにひそんでいたアキラが、彼女らにプールのコースロープをつかって「処刑」されるシーンがインサートショットのかたちで後続される(このときのロング画面が高橋洋『旧支配者のキャロル』のキャスター付イントレの全貌判明シーン同様、「映画機械」の露呈機能をもっている点に注意)。

成員の無名性を軸にしてはじまった中学生集団劇は、それが映画であるかぎり、成員の個別化と名前の付与をおこないながら、「もの語り」を進展させざるをえない。ところが『飾窓の女』であれば主役エドワード・G・ロビンソンにまずは観客の視線が注がれ、シーン進展にしたがってその周囲の配役/世界が関係形成的、発展的にひろがって、人物群の布置把握に齟齬を生じない(説話論的経済性という概念が呼び出されるゆえんだ)。

ところが『飾窓の女』にあった部分の相互組成が『台風クラブ』では脱臼している。先ほどの言い方にしたがうなら、映画の「部分」が他のシーンなり何なりを見合っている際の原理は、明視性ではなく盲目性なのだ。だからメトニミー的単位の加算も、観客の理知を超えた上位領域には形成されず、ただ観客の「眼前」に、視覚性というより触覚性の感触をともないながら、「現在の現在化」として構築されてゆく。

言い方が難解になったが、伊藤昭裕の手持ち長回しをショット単位とした撮影は、生徒たちのうごきにしたがってこそ学校内空間を「ひらいてゆく」。そこにしか部分の加算=メトニミーが機能しない峻厳さに全体が貫かれている。「もの語り」は不測性にとみ、しかも意義というより量感的な力しかあたえられていない。人体と空間の提示のほうが「もの語り」より上位にあるのだ。ハリウッド的な説話論への叛意や脱臼が生々しく脈動している。

大略でいうなら、付帯的に描写されてゆく学校内空間は、冒頭のプール、校門からみた学校全景がしめされてのちは、教室(そこでもたんなる「内部」から「窓側」へとシーンを追って空間がひらかれてゆく)、廊下、踊り場をふくんだ階段、体育館、職員室、校長室、体育館の入口前の空間、という順序で「部分」進展してゆく。みな生徒個々のうごきにしたがって出現してくる空間であって、順序は事後的に跡づけられるにすぎない。

学校内空間を主軸にした映画ではたとえば廊下を舞台にしたショットが特権的な縦構図をつくることになるが、『台風クラブ』ではその最初の出現ショットの生々しさに息を呑むことにもなる。中学生たちの身体の生々しさと相即的に描かれることで、たえず「部分」が「全体」のなかに不測的にすがたをあらわす呼吸をともなっているためだ。

つづめていうと、『台風クラブ』にあるのは、『飾窓の女』の「おのれ自身を知っている」メトニミー構造ではなく、「おのれ自身を知らずに」ひらかれてゆくメトニミー、「部分出現」にかかわる神聖さ、驚愕だ。これが、部分が全体に回収されないのではないかという予感さえ導く。だから部分への絶対的な畏怖、が観客の感覚に浸透してゆく。ところがその畏怖は「なんでもないもの」からこそ出来するのだ。

相米映画にこういう属性のあるのは極論すれば『台風クラブ』と『ションベン・ライダー』だけかもしれない(『魚影の群れ』が微妙だが)。飽和的でない「ありもの」による空間が生動的に陸続してゆくこうした感触は、とくに後期相米映画では稀薄になるのだ。この稀薄さの露呈は、じつは『台風クラブ』内にもある。たとえば「家出」して憧れの原宿にいったのち、工藤夕貴は冴えない大学生・尾美としのりにピックアップされる。そのときの尾美のアパート暮らしの部屋は、日活ロマンポルノ的な全体自明性に浸食されてしまっている。おなじことはニヒリズムと諦念と自暴自棄と露悪を病んだ教師・三浦友和の居住空間にもいえる。「学校」だけが映画では特殊な力能を負わされるのだ。

むろん『台風クラブ』の「全体」も、「部分」の新規性進展によってのみ展開するわけではない。たとえばある「部分」は以前の「部分」と不測的に照応する。「三上くん」の親友で、とりわけ破滅的/攻撃的な性衝動をかかえる「ケン」には「扉」の主題がまつわる。彼は帰宅直後の扉の開閉と内部外部の往来を動作しながら「ただいま/おかえり」の発語を繰り返し、絶望的な焦燥をつたえるのだが、そのリズムが彼の執着する優等生・大西結花を、だれもいないとおもわれた台風の夜の校舎内の隅々に追って、やがては職員室に避難した彼女そのものにたいするように木の扉を左右の足交互で蹴破ってゆく「リズム」に転位する。

あるいは優等生の「三上くん」と工藤夕貴は近所に住み、一緒に登校する、学校のだれもがみとめるステディなカップルだが、このふたりのあいだには相互照応する「自慰」の主題系がある。土曜の朝、母親に起こされずに工藤は寝過ごして起床する。その顔には口紅で十字架がえがかれている(額を交点にして十字架の主木部分は鼻筋から唇中央を貫通している)。それが自らへの施しであったとするとこの口紅による十字架のしるしは自慰的なのだが、そのあと、「三上くん」の登校うながしをやりすごした工藤は、母親の寝床にもぐり実際に自慰をおこなう。

これが「三上くん」に転位する。作品、つまり台風下の日曜夜から月曜未明を終結させるために、「三上くん」は自己供犠的な死をえらぶ。教室内の机と教壇で彼は投身のためのいわば飛躍ボードを階段状、窓にむかってつくりあげるが、この組み立て作業そのものが自慰的なのだった。彼は眠りこけているクラスメートたちを起こし、「死は生に先行する」とマニフェストして投身自殺する。自殺が自慰の究極なのはいうまでもない。気をつけるべきなのは、工藤の「口紅の模様→寝床でする自慰」とおなじ「自慰的→自慰の実際」の構造が、「三上くん」の「組み立て→投身」にもみとめられる、ということだ。

こういう「転位」が最終的に映画全体に大きな枠組をつくりあげる。冒頭のプールの水面が、月曜朝、「アキラ」とともに登校してきた工藤に「金閣寺みたい」と感嘆させる、校庭全体のプール状態を、感動的に結実させるのだった。

『台風クラブ』評ではないので作品の委細についての考察は省略するが、この作品にあるのは、メトニミーと転位の盲目的な力の前面化だという点は銘記しよう。つまりメトニミーが説話論や観客への不安操作と密接にからまってゆく、部分組成間の明視性=先行決定性はここでは脱臼されている。むろんこのことが『台風クラブ』のアンチハリウッド的な価値の第一であって、これに付帯するように「東洋的身体」が作品内にすべて焦燥態として出現してくるのだ。ハリウッド映画なら「部分」が効率的に系列化・周縁化されてゆくところを、『台風クラブ』は「部分」に畏怖を感覚させつづける。

こういおう。『台風クラブ』では(もの語りの)「全体」は結局「とるにたらず」、しかも『飾窓の女』のような「隙のなさ」で溜息と身震いをあたえるものですらない。ただ部分が出演者の身体の移動にともなって連打されてゆくときの迫力・生々しさが、一種の盲目的な触感性をともなって観客の身体に蓄積されるのみだ。ここでは全体が、「瓦解化のかたちで」全体化されることでこそ瓦解をまぬかれるという逆説がひそかに生じている。とりわけ瓦解をふせぐ接着材となっているのが、作品にはりめぐらされていたと事後的にわかる「照応」だろう。

いまや問題は、ノワール映画のような悪のメタ性ではなく、生々しさそのものの盲目的な触感、生動性にある。ぼくはおもいだす。自分が中学生のときも、自分が仮定の中心にすぎないと自覚すればするほど、同級生たちが分子的衝突運動を繰り返す校内が、運動のたびに生々しく更新され、それを感覚する自分の身体に、一種、稀薄化の危機をまねいていたことを。だからぼくは同級たちのうごきをたぶん必死で「認識」しつづけ、それで自己身体を危うい「装置状」に代えていたのだ。

この感覚のよみがえりが、いわば現在的な「学校を舞台にする」映画の要件というか証拠物件ではないか。それはノスタルジーを形成しない。それはむしろ形成を破壊する更新によってすべてが攪乱されている、生々しいだけの運動体であって、詩の真の運動に似ているなにか、というべきだろう。

計五回の授業では豊田利晃『青い春』、ガス・ヴァン・サント『エレファント』も対象にする予定。さらに余裕があれば、エドワード・ヤン『クーリンジェ少年殺人事件』もあつかうかもしれない。
 
 

2012年11月02日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

田村孟の小説

 
 
昨日の出講時、市電に乗ったときから、書評しなければならない大冊『田村孟全小説集』を読みはじめた。こんな重たい本を外出携行するなんてバカみたいだが、立て込んできて携行本を割り振りする余裕がなくなってきた。

まだ最初の一篇(40枚くらいか)を読んだだけだが、もうゾクゾクするほどおもしろい。中卒者が金の卵だったギリギリの時期、東北の寒村から築地市場の水産加工商店に就職した現在20歳の女性がヒロインで、たとえば「安保」を遠景に置くことで高野文子のマンガ「黄色い本」などとおなじ空気をつたえるのだが、東北弁、東北語彙を組み込み、地の文と会話を溶解させ、ときにながい構文で粘性、膠着性にとんだ「屈折」をつくり、その抵抗圧を踏み込んだ読者の胸元を掴みまわすその文章は、手練れの一語につきる。小説は「物語」「キャラクター」「文体」の三幅対が商業的に要請されているが、文体がこのように肉体化し、間接的に開示される物語までうねってゆくときの魅惑が素晴らしい。

脚本家や放送作家から小説家に転身した者は、とくにその転身初期、うねった文体になることが経験的に多いようにおもう(隆慶一郎は未読)。さきごろ亡くなった藤本義一、あるいは野坂昭如などは戯作派のアプローチを延長した。ところが青木八束の筆名で書かれた田村孟の小説は、描写の肌理のこまかさ(矛盾形容だが「鷲掴み」の迫力とそれは同時的に出来する)の真横に、なにか(人物の)「声」にかかわる独特の感受性があって、結局、音声的な地図が小説全体に二重化されているような感触がある。印象論的な言い方だが。たとえば葛西善蔵から織田作之助あたり、戦前から戦後すぐに繚乱と開花した小説群への参照が教養的にあるのだろうが、それでも田村孟の、脚本家としての経歴と併せると、田村孟の小説を、彼自身と単純には諒解しにくい。

脚本家の仕事というのは、基本的には構成的だ。ハコ書きは物語素を単位化し、それをシャッフルし、無駄を省き、主題系を強化し、もの語りを円滑化する。バラして、つなぎなおす、それが創造の基本だろう。「構成」を純化するためには余分な沈澱があってはならない。それで科白は簡潔化され、ト書は無色透明になる。そうした作業をしいられて、小説家に転身する際は反動が出、文体に粘性ができるのだとおもうが、田村孟の小説は想像される変化幅を超えていて、たとえば同時代なら中上健次などに比肩できるものとなっている。すくなくとも佐藤泰志などよりも文章が濃厚、体臭的で、しかも運動量が大きい。

田村孟さんとはキネ旬時代に一回、原稿依頼で電話をし、気持良い長話をさせてもらったことがあるが、表面は温厚だ。ところが映画人としてのみの経歴を冷静にかんがえると、抜群の切れ味のエッセイを書いた石堂淑朗、TV分野にまたがって八面六臂の活躍をした佐々木守、つまりおなじ「大島組」の脚本家たちと較べるとずいぶん不吉だ。田村孟の唯一の監督作、『悪人志願』はもう観てから数十年経つので印象が曖昧になっているが、古典的な対立構図をつくっても、力点の置き方が不整理で、映画表現のもつべき描写効率性に達していない、何か弱く不鮮明な作品だった憶えがある。逆に大島渚は映画表現にあるはずの、そういう難関をいつもあっさりと突破し、映画の力のオルタナティヴを体現しつづける才能だった。だから田村孟は脚本家として大島の磁力圏に「吸収」されてしまうのだが、大江健三郎の『飼育』を大島のために脚色した田村は、たぶん未整理になりがちな体質を、対立図式の明確化につなげるよう大島から訓導を受けたはずだ。だがまだ大島のサディスティックな訓導はつづく。つまり、「構成」を脱構成化して混乱をつくれ、と。それで『無理心中 日本の夏』を田村は満身創痍で書いた。

さすがに田村にたいする自らの不思議な強圧を解いたのだろう、新聞記事から大島が田村に自由に発想させた『少年』は、田村自身の『悪人志願』をリベンジするかたちで強調点、対立を見事に古典的な均整=構成で織り込んだ、田村脚本の大傑作になった。

『少年』の達成は長谷川和彦『青春の殺人者』にも飛び火するが、ではその後、80年代以降の脚本家=田村孟の活動はどうだったかというと、あまりにも貧弱だ。「呪われた映画監督=脚本家」の大和屋竺(彼にも小説を書いてほしかった)よりも映画にしるした足跡がすくない。ようやく脚本家としてクレジットされている映画も、すべて出来がわるかった。これは何か。たぶん田村は大島に反発しながらも、その反発によって奮起し、方向をあたえられた脚本家だったのだ。その大島と田村が共働を解除したとき、田村はたぶん自己定位を悲劇的に喪った。そうして田村の低迷が以後、ずっとつづいたのではないか。

自分の資質への思い迷い。これが感知されるから田村孟は不吉で非運だったといえる。そのガス抜きとして書かれた小説は、だからガス抜きにとどまらず、田村孟を「もういちど」「つくりあげる」何かだった。そういう「鬼気」があって、それで「泣ける」。青山真治の軽薄なオビ文に反して、田村孟の小説は田村孟の脚本にどこも似ていない。まずは「構成」を溶解させる凄味で成り立ち、その底に「工(たく)まない構成」を組み入れる多重構造をもつからだ(『無理心中 日本の夏』の構成はパーツ分離性という点でもっと明視的だといえる)。『少年』の「無表情」については大島がつくった。田村孟の脚本が構想していたのはむしろ「表情」ではなかったか。

まだ冒頭一篇しか読了していないので、その後の収録作に青山真治のいう「無表情」があるのかもわからないが(彼の栞文もまだ読んでいない)、そうだとしてもそれは「表情」をつくろうとして「表情」を大島に奪われ、80年代は凡庸な監督によって要らない「表情」を悲劇的に上乗せされていった田村の脚本「だけ」にはやはり似ていないのではないか――そんな予感がある。読み進めよう。
 
 

2012年11月01日 日記 トラックバック(0) コメント(1)