非合
【非合】
のぞまないものになってゆく時間は
化物ではなく消滅のようにみえる
雪空をふくれあがる魔の容積に
ものの指先だけみるのかもしれない
しなやかな部分視は全体をいなむ
のびるがままの消滅が渦なすみだれ
おりることのない千単位の思議音素が
たがいをつながず中有でほどけて
ひとつとて合へいたらない観相も
ここにある無音をざんこくに横引く
来年の計画
【来年の計画(アト・ランダムに)】
●「時間じたいにひそむ希望」を概念化すること(とりわけ映画研究において――無縁のようだがエルンスト・ブロッホ再読が必須か?)
●ロマーン・ヤコブソンを超えて、メトニミーを作品組成論に完全適用すること(とりわけ詩にたいして)
●2×5型式による「雪」詩篇連作の完成、それをふくむオンデマンド詩集三冊の刊行、その後さらにあたらしい詩型にもとりくむ
●積読がつづいている『幸田露伴全集』の、その後をすこしでも読みすすめること
●「「女性性」論」についての単行本執筆を画策すること(葛原妙子/中村苑子/幸田文/大島弓子/高野文子/井坂洋子/…)
●ネットを中心に、新作日本映画の評論をさらに書くこと(オルタナティヴ系傑作が連続してほしい…)
●鎌倉仏教を思想横断する
●荒地派の現在的(批判的)総括
●「フリッツ・ラングによる映画評論の生成」を再開する
●50年代(呪われた)ハリウッド作家の映画をなるべく観る
●カルロ・ギンズブルグの著作をさらに読む
●「可読性」の研究(永田耕衣を対象化?)
●「東京出張」を定式化する
●札幌に詩友をつくる
――とりあえずは以上。
いやいや欲張りすぎだ…(笑)
鳥形変化
【鳥形変化】
あたいの禿げおちた鳥になれば
むたいに雪空を翔び、焔となるだろう
もともと飛影は比叡のかたちをはらみ
とぶべくもない寺が滑空していた
ひもじさから水魚をすなどるとき
翔びが泳ぎとなった恥辱はなんだろう
そのように物理に負って変成すれば
おびた天秤も斜めにこぼれるばかりだ
ふぶきやまぬ虚空に賽銭として散る
総身がついばみとなったはらわたとして
巳年
【巳年】
それのまわりもそれだ、それを
つくえの手袋でかんがえる
空気をつかみだす予感が
まずそれをつうじてわだかまり
さからわず一対であることが
一対のうちらにひかりをためる
それは不動によってうごき
だからこそじつはむすびあわない
ひらたさもかたちにおりてきて
それがそれ以外へのびるしかない
眠りの食
【眠りの食】
海の貝採りをとおくおもいながら
わすれられたまぶたをほおばってゆく
それらぼけた水中視界をからだにいれて
うすさを消化管へわけあっているのだ
だから液体のもともとにもつ層が
からだにとよむ虹へとこすれかわり
やかれる帆立、舟のぞうもつからも
ゆきの掟めいてあんうつの色がきえた
うすくひらかれて臨む海そこを
身中にかさね、ねむくなってゆく夢
過去の現在化
高野文子を研究したい、という研究生に打ったメールに、良いことを書いたなと自分でおもうフレーズがあったので、以下にペーストしておきます。
《「過去の現在化」というのは、記憶にある時空を賦活させることです。その賦活のために、実際は視点が奇抜に変容するいっぽうで、コマ割における時間省略がある。いいかえると「意識」が過去に介入して活動をはじめ、それで「かつてあった時間」が相対化されながらも代替不能性を得てゆく。これは、「現在の過去化」によって時間が喪失されるのと正反対のありかたです。このような時空の組織化は過去の事物の「細部」の組織化に負っていて、そうした感受性が女性的とかんがえられるとおもいます。●さんの研究計画書に女性性ということばがないのが問題です。いずれのことになりますが、「過去の現在化」を小説で大成させたのがプルーストです。したがってプルースト論にこそ参考文献の鉱脈があります。》
高野文子のマンガのうち、とりわけ「美しき町」と「黄色い本」を対象にした文章だが、廿楽順治さんの「商店街詩」シリーズ、「人名詩」シリーズへの称賛にもみえるのが不思議だ。
手紙
【手紙】
ふる雪がポストを故物にするわきを
あゆみおもく北人がとおりぬける
ひとつことがおもわれる、封を切る
さいしょのひらきはいつも澄んでいる
まぶたのたんぱく質でかこわれてしろく
傷口みせるひとみのふかい透きに似て
オパールさながら自体をゆらめかせる
貌のその場所にもそんざいの開封があり
ぬれる文字の、それからのかわきのため
北人は手紙となり雪へと配られてゆく
椀に享ける
【椀に享ける】
椀の範囲で湯にふる雪をみている
そんざいする手もとはなんの夢だろうか
つながってゆくものの金いろのくさり
それらは無底のまとう時間かもしれない
みずからを映すのに手もとの円が要る
やがてはみずからの雪も椀にはいり
いずれ起点のないものには終点がないと
ひかりだし波うつ、うすい面があった
この局所は、かたむければ傾斜にすぎない
湯を足もとにかえして悉皆けむりたつ
翌日
【翌日】
吹雪の朝に刃むかおうと着替えだして
ふと下半身が、まはだかになってしまう
みおろしたおのれがむかしのあけびのよう
よぎるためにもゆれなければならない
おそろしい白盲にこのかぐろさがいかり
やがてはらわたから、じかに垂れるだろう
とびらをあけてすこし鮭のかおになる
緯度のたかさで狭くなったすべてがぼける
ひとがこじきになるため雪は横超する
フードが扇となり、髪にも地肌の川ができて
山麓通
【山麓通】
雪をあるくとき足うらは靴のなかですこし反り
くぼみをつくる苦しみにさめてゆく
音をあるき、くぼみをあるく交錯の足が
かんがえとからだの過ちとなりしずみとなる
すぎた日はかすかに浮いてあるくひとらの
地と靴のあいだにうつくしい隙間をみていた
あるときは水のうえをあるく奇蹟にも
ながれる音のともなうのを夢としていた
雪踏む足うらに影はある、光学的に青い影
そこでは音が反り、身の交代がうまれている
今年の三冊
昨日・日曜の北海道新聞の読書欄は、年末恒例の「今年の三冊」。評者それぞれが年度を代表する三冊を推薦する、というものだが、十六人中、詩歌関係の本をえらんだ評者が三人もいたことにびっくりした。稲葉真弓、金原瑞人、菊地貴子(丸善&ジュンク堂書店札幌店勤務)諸氏が、それぞれ順に、『北村太郎の全詩篇』(北村太郎の全詩篇刊行委員会編、飛鳥新社)、『まくらことばうた』(江田浩司、北冬舎)、『バウル・ツェラン詩文集』(飯吉光夫編訳、白水社)を挙げている。うち江田さんの歌集はぼくじしん、ご恵贈いただきながらまだ読めていなかった。吉本論の〆切をあげたら、第一に読もうと決意した。『北村太郎の全詩篇』はやっぱり買おう。飯吉さんの本はツェランを把握すべく見事に引き締まった編集になっていたなあ。
大澤真幸と川村湊の評者ふたりが赤坂真理『東京プリズン』を挙げていてこれも読まなきゃ、とおもったが、川村湊さんの挙げている『石炭の文学史』(池田浩士著、インパクト出版会)がとくに気になった。
もうひとつ、ジャーナリストの武田徹さんが挙げている斎藤環『原発依存の精神構造』(新潮社)の選出コメントが気になった。転記。《[同書]はラカン心理学の概念を用いて3・11以後に盛り上がる脱原発運動の可能性と限界を示したユニークな内容だ。「フクシマ」の象徴化が招く危険に対して換喩的で批評的なアプローチの必要性を訴える》。要約すれば「シンボルからメトニミーへ」。そうか、斎藤さんがかんがえていることって、いまのぼくとおなじなのか。これも買わなきゃ。
ぼくじしんの「今年の三冊」は12月30日(日)付の東京新聞・読書欄に掲載されます。意外性のない選定とそしられるかもしれない。ただし「専門」を外さないように、という指示があり、そうなった。映画研究、映画人関連の書物、詩集の三冊で構成。字数枠は北海道新聞よりちいさい。
●
そろそろ拙詩集『みんなを、屋根に。』のご感想が葉書やメールで舞い込みはじめた。サイトアップもある。瀬崎祐さん、柿沼徹さん、浜江順子さんら、敬愛する詩作者にご満足いただけて嬉しい。なかでも松岡政則さんのものは絵葉書の宛名書き側の下部に、印刷されたパソコン文字がびっしり。克明に詩集の美点が指摘されていて本当に嬉しかった。メールでは地元の海東セラさんからのものが意が籠り、温かかった。こちらにも深謝。
たぶん今年は年賀状の余白に、拙詩集の感想を書かれるかたが多いだろうなあ。
その年賀状を昨日は宛名書きしていて、今日は結構、疲労がのこった。BGMとしてひさしぶりにCDをコンポでかけたが、最初にかけたポーティスヘッドで、するどいものは疲れる、と判断、以後はレナード・コーエン『テン・ニュー・ソングズ』、ジェシ・エド・デイヴィス『ウルル』、エリック・クラプトン『ノー・リーズン・トゥ・クライ』、オールマン・ブラザースバンド『イート・ア・ピーチ』、はちみつぱい『センチメンタル通り』と、おっさん趣味のものばかりをかけてしまった。全学授業でザ・バンドを計二回講じた影響とはわかっている。
賀状文面はいつもどおり、女房との付け合い。助詞「に」をかさねて使いあって、「2」を浮き彫りしている。乞うご期待
七飯
【七飯】
しろいジャムをつくろうとコメを煮つめてゆく
くだいた干しイチジクをすこしだけ散らす
パンは藻でつつみ焼きしてそこに貝をいれる
ながいくりやでは空気数本と肩をならべる
作業のおそさのなかで迅さが口をひらき
できあがるものは烏賊をさけぶ貌になってくる
まなこ喰いという化物だそうだ、晴れていた年の
とおくを数本の光線でふりつづけたものは
さいごに陸をわかつ海峡へと酢をしぼった
みずからを〆る味の、ほそくあるために料る
架空
【架空】
いつでも海上は雪をまとわないのだから
あるときは石狩の河口にゆくべきかもしれない
いないやつとかたることで問答というものは
距離をきたえあげるがそれで水平も割れる
雪をまとわないながれの帯を傍流とよぶのか
ならば肺の下部、架空のリボンははかない
きっと浜では永久停止する石を狩りあげる
いとしまない中枢の迅さがてのひらに響きする
ささげもつ曇り空もなにかの血のしたたり
水平をながめては一身の垂直を架けるだけだ
恋唄
【恋唄】
もろびとは蒼い眉のきみに雪束をささげ
そのあたたかい胸乳を季節で凍らせる
あの午後の薄着もわたる偽りだった
いまは汀が金いろにひかり、遠くにうすい
二時からがもう西日という辻向こうでは
水抜きをしなかった海が内破してゆく
それでもとおくのまぼろしはみな薄着
樽前浜からかんじる入江も、蜃のように
ときが逆さ立ちして入江のみを見せ
そこをきみは雪束のきららとなってあるく
内田伸輝・おだやかな日常
【内田伸輝・おだやかな日常】
『ふゆの獣』での内田伸輝の俳優演出は、おもいかえすと神業だった。簡単にいうと、内心と表面を分離させている俳優四人同士が一堂に会し、パートナーの眼前で交叉的浮気の事実がそれぞれ露呈してゆく長い密室の葛藤シーンがあって、そこではカットが割られているはずなのに(アパートの居室での撮影なので、複数台カメラがあると、一台のカメラがもう一台のカメラを捉えてしまう)、俳優のテンションがまったく途切れなかった。俳優の役柄への同化をうながしたうえで、しかもその俳優の生理まで「完全採取」してゆくやりかたに圧倒されずにはいられなかったのだが、それでもその高密度のシーンが、腹をかかえるほど可笑しいのも凄かった。その内田監督はひとことでいうと、現象把捉的な監督というべきだろう。俳優に動物実験をおこなうような果断を備えている。しかも冷徹なのに熱いという、相反するものを抱えこんでもいる。すべての作品に注目しなければならないと決意した。
その内田監督が東日本大震災を、とりわけ「精神的に」被災した(おそらくは東京在住の)二家族(アパートの居室が隣り合っている)を軸に、いわゆる震災ドラマを撮った。とうぜんそこに起こっただろう「現象」を採取して、ちいさな日常の累積でドラマを緻密に組み立て、やがては胸を締めつけるような「危機」へとドラマが進んでゆく。震災ドラマは時期尚早、いまは「被災中の」ひとたちの現実をドキュメントするのが優先で、ドラマ化は震災を作家的想像に利するだけだから不謹慎だ、という奇妙な論難が世の中にはある。むろんそこで現実から離反し、「寓喩」や「デフォルメ」をもちいれば、その作家じしんによって信じられている作家性に鼻白むだけだ。つまり被災はドラマに導入するにはデリケートな要素をかかえこんでいて、そこでは現実批判と現実追認に、倫理的な平衡がとられなければならない。つまり作家性だけの映画は、震災ととても相性がわるいといえる。
内田監督『おだやかな日常』は2011年の「3.11」直後の三月に存在していた現実にたいして、とても謙虚だ。だれもがその頃、TVやネットでのニュース報道/見解に注視し、日々の情報進展に不安をおぼえていたはずだが、画面オフであろうとなかろうと、そうしてみなが情報依存におちいっていた事実に、報道音声をながすことでまずは覚醒させる。震災(事故)後、まだ二年も経っておらず、だれもなにも「忘れていない」だろうが、「おもいださないようにしている」あの頃の感覚が、そうした音声的布置によって、リマインドされ、女優ふたりを中心にした登場人物とともに、不安がよみがえってくる。
福島第一原発の水素爆発はのちメルトダウンと認定された。東北と北関東の野菜の放射能汚染は、まずはホウレンソウからいわれ、その後、他の野菜にひろがった。関東の水がめの一部が高放射線量を記録した。結果、天然水のボトルや缶詰の買い占めがおこった。東北沖の海流を泳ぐ魚は、まず小女子から出荷禁止になった。それで産地表示でいろいろ問題が起こった。桜はいつもどおり咲いたが、花見には自粛のうごきがつよく出た。ひとのまつわらない桜がきれいだった。大学の卒業式も自粛ムードにあおられて中止がつづいた。
政府の段階的判断により福島の避難地域が拡大していった。一般人の多くが線量計をもつことで、震災事故直後の風向きで、関東でも土壌の放射能汚染がまだら状に進展していたことがわかった。「レベル7」と国際認定されるまえに、海外メディアはチェルノブイリから類推される日本の汚染状況に深刻な警鐘を鳴らし、在日の外国人はフランス人も中国人も自国へ帰還した。とうぜん関西や沖縄などに東京から移住していった日本人も数多く知っている。彼らにはみな幼い子供がいて、その子を守るための、苦渋にみちた人生選択だった。そのひとたちを臆病者、神経症と嗤うことはできなかった。
ぼく自身のことを書かせてもらうと、とくに放射能汚染地区の農家や畜産家や漁師を守るために、伴侶とともにその地域の産物を積極的に採る覚悟はしたものの、その産物がスーパーなどで、政府による出荷停止命令をつうじて「除外」されているのが不満だった。東京からの移住を決意した人たちとは逆に、大量死の一員になることを甘受する気概だった。諦念とか受動性からではない。子供のいない自分たちがなにかの「特殊事例」になるのが厭で、東京に居残ることを楽観する趨勢にしたがっていたのだ。ただし放射能にかかわる政府や電力会社や科学者の見解など、なにも信じてはいなかった。かわりにもたげてきたのは、大量死の一員になってもいいと振る舞うことの、いわば宗教的な意味だった。当時、親鸞を読み直していたおぼえがある。
放射能汚染(の可能性)については子供の有無、東京基盤性の強弱などに関連して、ひとの危機意識にも濃淡をふりわけた。ある「運命」の到来にたいし、どのような反射行動をとるかで、震災(事故)は運命分離機の役割をはたしたのだといえる。道義的には行動選択の多様性がとうぜん尊ばれるべきで、移住者は残留者を非難できないし逆もまたおなじだ。内田伸輝『おだやかな日常』はそうしたあたりまえの倫理が、日本的な中心性によって崩れた悲劇を、なんのデフォルメもなしに冷静に、同時に局点的にとらえた。彼がもちいたのは寓喩ではなく、部分から全体を指標する換喩だった。
隣接性をつくりあげることで領域化してゆく換喩は、実際は暗喩や寓喩よりも一般的でつよい、生成の原理だ。ところで「事故と速度」の関連(それらは人類が歴史をかさねるにつれ熾烈化してゆく)を考察したヴィリリオにたいし、ドゥルーズ=ガタリは「速さによって遅れてゆく」少女的=女性的生成について考察した(『千のプラトー』)。絶対的「事故」の本質をかんがえるなら、ドゥルーズ/ガタリに軍配があがる。
いちど起こった事故は、事故後も日に日に速さをまし、そのことによって事故の「内域」が日に日に遅れてゆくのだ。結果、事故は、速さと遅さに両極から引っ張られて軋みをあげつづける事故的身体をもつ。その「身体」は弾力性をもつようにみえて、実際は軋みによって脱分節化し盲目化する。その身体「内域」を想像すること/その身体「内域」にいることは、それで苦難を帯びる(これを最初に詩的散文で見事にしめしたのが、阪神淡路大震災の被災地で書かれた季村敏夫の96年の詩集『日々の、すみか』だった)。
なぜそうなるのか。とりわけ廣瀬純の言い方が妥当する。福島第一原発の事故は、廃炉が決定されても除染が困難を極め、原発一般の廃棄物処理も人類史の時間基準を超えている。とすると「事故性」は延々と継続するとまずはいえる。ところがよくかんがえると原子力発電そのものが物質の取り扱いという点ではもともと「事故」を内在化して成立したものだ。とすれば福島第一原発のメルトダウンは、時間軸の一点で勃発したものではなく、出現いらい「継続している」原発事故の、未来に向かってゆく時間直線での、一段階での濃度付与のようなものにすぎない。「解決不能性」は原発敷設段階からほぼ未来永劫へとわたるのだ。そのような時間性の異質が原発にある以上、福島第一原発「事件」は、いま日に日に速まりながら、日に日に遅れる、という時間的矛盾の強度のなかに「現象」されざるをえない。だから原発告発という単線的な態度や行動だけでは対象化の難しい局面をもつ。
むろん、それは対象化できる。それが内田監督のしめした「換喩」による。表現の基本的な生成原理である換喩は、具象物の隣接性を巻き込みながら、そこに遅さと速さを分離して、その亀裂面に実在をのこすのだ。空洞性のたかいアパート室内に瀰漫する昼の白光が空間演出的に印象ぶかいこの作品(ここでは「女が昼間ひとりで室内にいること」という空間的な主題が貫通している)では、杉野希妃と篠原友希子がそれぞれ放射能汚染にナーバスになり、それで「周囲に同調的ではない」行動をとるが、行動は亀裂として出現し、まさにその亀裂線の刻々の移動に彼女たちの実在が刻まれるのだ。
まずはこのプロデューサーも兼ねた杉野希妃を振り返ろう。彼女は夫からいきなり離婚の意志を通達される。夫は、大地震の揺れの最中に妻子ではなくある女の無事を祈った、それで自分にとって誰が大切なのかわかった、という(ぼく自身は、震災でこのような離婚動機をもった者が男女をとわず多いだろうと納得した――ここにも脚本も手がけた内田監督の「現実採取」が横たわっているかもしれない)。夫の突然の出奔で、彼女には幼稚園にかよう女児のみがのこされた。それでもともとの母娘依存の気色がさらに濃くなる。もうひとつ、彼女の属性を決定づける要因がある。彼女の実家は福島第一原発の至近だった(当初は電話の不通で、両親の無事も確認できなかった)。それらでこそ放射能危機に覚醒する。線量計を買い幼稚園の庭を計測する。自分と娘にはマスク着用を励行する。また野菜の汚染が報じられれば彼女は幼稚園の娘への給食を拒否し、弁当を持参させる。
それら「周囲と同調しない」行動の数々が園児ママのボス的存在である渡辺真起子の忌避にとくに触れる。彼女は夫が東電の関連会社に勤めていて、「電力村」「原発村」につうじる精神構造を負わされている。あいかわらず悪辣なほどの演技力をもつ渡辺は、実際は「放射能恐怖症者」へ想定される社会非難を綜合する批評的な役割を見事に「人間化」している。自己利害を隠して一般論を装い、しかもその一般論が感情論に転化、ついに異物否定の猛烈な口火を切る彼女もまた、「速さによって遅れる」時間的亀裂を体現している。彼女が唯一しないこと、それは行動原理の多様性をみとめないということだ。これが幼稚園スタッフの「事なかれ」主義と相俟って(渡辺についても彼らについてもその日本語的な曖昧性を、脚本も書いた内田は見事に「採取」している)、責任所在が分散した日本的な権力性が発動される。それがやがて「いじめ」となり、郵便ポストや電話をつかった杉野への攻撃に発展してゆく。
杉野は、このいじめによって四面楚歌となる。なぜなら彼女を庇護すべき夫は出奔している。実家を頼ろうにも、実家こそが事故現場の至近だ。家庭の経済事情も逼迫している。ダブルバインド、トリプルバインドに囲われた恰好で、ついに彼女は娘を巻き添えにガス自殺を企てる、という飛躍をおこなう。
それまで娘の安全を確保するために諸事を幼稚園に確認する彼女は、渡辺たちの至近に身を置くことの危険を顧みていなかった。両親の実家の、原発との至近。彼女自身の娘との至近。彼女はいわば「至近性」を相矛盾するかたちで生成する(つまり隣接性をおこなう換喩型の)実存であって、それがついに、もうひとつ残された「至近」、つまり空間上アパートの隣室に住んでいる篠原友希子の「救出」を呼び込むのだった。
ついでにしるすと、日本と韓国をまたぐ多国籍な女優活動、女優とプロデューサーをまたぐ脱領域な映画人活動をおこなう杉野希妃じしんも、「至近」を架橋する力動のような存在で、この作品では彼女の口が大きくひらかれたとき(それは号泣の表現だ)の体液の粘液性に息を呑む。具体的には上歯と下歯に糸をひく唾液、さらには鼻孔から反重力的に滴ってゆく鼻水がそれで、それらが架橋的な性質をもつ点も何かの偶然だろうか。
時系列、画面生起順で身を取り囲む「疎外」が観客へと伝達されてゆく杉野希妃にたいし、彼女との平行モンタージュで、その食ライター生活や夫との意志疎通を欠くやりとりが描写されてゆく篠原友希子は、その「問題」の露呈と解決がほぼ作品終幕に生じる(これについては書かない)。また杉野の母娘と篠原夫婦の、アパートの隣同士の部屋という空間性は作品のなかで「早い」位置でしめされるが、ふたりに面前交渉どころか挨拶・出会いもなく、彼女たちの真の邂逅は「遅れる」。ただしその邂逅が杉野母娘のガス自殺を救う篠原の果敢な行動となって結実したとき、そこで起こっているのは「ドラマのためのドラマ」という以上に、弱い者どうしの、あるいは女性性の、隣接性延長(つまり換喩)=空間的な架橋性だ。これは渡辺、その仲間の「ママさん」、幼稚園スタッフがつくりあげた脱中心的な権力性とはまったく対比的な、疎外を軸にした「それ自体がそれ自体にしかすぎない」侠気的な連携だ。
この連携が実体化することで、実際はこの『おだやかな日常』がミニマルな政治性をもつ、といっていい。そのまえの篠原は放射能汚染の不安に覚醒し、杉野が隣人としらずに杉野の娘のかよう幼稚園に、園児用マスクを配りだすという、一旦しめされる侵入的行動が奇怪なだけの「沈んだ状態」に終始している。だからこそ英雄的な侠気が兆したときには映画的な逸脱が起こる。
真摯さによるふたりの美しさ、それでも色白と地黒という肌の質の対照、さらにはマスクの神経質な着用という身体符牒の共通性。ここからその後の意外な展開を経由しての「共闘」展開もふくめ、この作品はしずかでつよい脈動を刻んでゆくのだが、劇場で観るひとのために詳細は書かないでおこう。ただしその後の展開にもずっと「速さと遅さ」が共存していて(書き忘れていたが、編集も内田伸輝監督だった)、それは女優たちの「身体」上に現れ、それが物質的には涙として中心化されるとはいっておこう。同調的なぼくには、そうした身体こそが催涙的だった。身体を現象把握する内田の俳優演出の粋はここでも発揮されたのだった。
あす12月22日(土)より、東京渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー。
青変
【青変】
さいれんと映画の盲目に似ている
路肩に雪山のうずたかい、町の夜は
さみしさとは車線のせまくなりゆくこと
かわりに斜線をおもうこころが離脱だろう
うたのように宙の白魔、と口にしてみる
正面に向きあえばものみな魔物じゃないか
あれらが羽虫のかばねなら町ものぼるか
雪を割る草だってうすさを割りゆくのなら
ドクサしかかきだせず白には疲れ青むが
ない運動から生まれるうごきをかんがえる
夜の大通
【夜の大通】
渋滞にまかれたバスからみたものは
あたたかい色でちらばる、無数の電飾
無数ということが眼のことなりとなって
ゆきすぎる個物のあいだに聖夜がむすばれる
かぞえきれない積載の多さで名辞がながれる
ため息をついたのだった今夜の名前、と
もしもぼくに西洋のむすめがいるのなら
脱自への願いをこめシミリとなづけた
性の睦みすら相似をもとにした譬えなので
雪のえがく奥行の、まぼろしがあわさる
束
【束】
ここからの奥はだれも下りないので
ゆきすぎる名前もみな雪駅とさだめる
鹿がいた、とながい耳を立てる後姿が
うすぐもる車窓へゆっくり溶けて
雪上のみに駅のあったむかしを
波うつ白にする、かたちの夢をみる
かたちがまなかいのよりどころだとして
なにもなくなるのも脳髄のかるさ
わらのにおいさせてからだの束をつかむ
束ねられるほどの複数がじぶんにある
まぼろし草森
【まぼろし草森】
まひるまの路肩に雪を山と盛られて
なかの痩せほそってゆく店がある
おもたい紙型をほほえんでかかえ
旧いひかりをみせてくれたあれは奈良さん
だから帯広のはずれにもゆくべきだろう
脳髄の詩型にどんな雪のふったのかを
まひるまの路肩のかたまりへ背もたれて
しろい天をみあげるポーズからつくりだす
しんだひとのうちの草森のほそながさ
そのほそながさの雪が耳まで下りている
紀要論文
土曜から月曜にかけ、北大大学院映像・表現文化論講座がだしている機関誌「層」のために、一種の紀要論文を書いていた。映像論と文学論が自由に交錯しながら学術研究に新風をもたらす自由度のたかい雑誌で、それなりに人気があり、東京でもジュンク堂など大書店で買える。若手の大学教員や院生からの論文応募も多く、それらを査読し、ときには落とす身の上であってみれば、自分自身、あだやおろそかな論文を書けない。
ところでぼくは元来、直感型、発想のおもむくままに速書きするタイプで、詳細な出典註を付して先行研究に自分のかんがえを上乗せしてゆく学術論文の書式が得手ではない。面倒くさがり屋の性格も手伝っている。けれども今回は北大に赴任して初の学術論文なので、執筆に予定した三日間のうち、最初の土曜日は本をひっくり返しての引用箇所の精査(付箋をつぎつぎ入れた)、翌日曜日にはあつかう映画の再見(そのあと投票に行った)、のち本の引用だけで書ける第一章を書き、最後の月曜日にのこりの二章、三章を書いた。ほんとうは第四章も書きたかったのだが、それも繰り込むと字数が大幅に超過してしまうのが明らかだったので、省力も兼ね、執筆を断念した。
原稿の発想は前期におこなった学部生向けリレー授業のうちのぼくの担当「「女の子映画」を観る」。ただし授業であつかった作品は今回の原稿では割愛、「女の子映画」の映像性の原点となった、90年代半ばにブームだったHIROMIXなどの「女の子写真」を考察、それから写真と映画との換喩的な関係をロラン・バルトをつかって展開、最後の章で田尻裕司の傑作映画を(「女の子写真」的な)像の生成を着眼点に、以前とはまったく異なるやりかたで分析、換喩が「生と力の原理」だということを実証した。
「以前」と書いたが、じつは文献精査で結構大変だったのが自分自身の著作だった。何を書いたか、どう書いたのか、どの本に書いたのかをまったく忘れてしまっていて、内容を再確認しながら、以前の反復にならないようにするのに神経を削ったのだった。これからは定期的=間歇的に自分の著作の再確認をしなければならないかなあ。でもこのおかげで、映像分析/批評の方法に新機軸がくわわった。ドゥルーズへの依拠も、「ためにする」箔づけの引用ではなく、独自性を発揮できたとおもう。だいいち今回は『シネマ』をつかっていない。
とはいえ学術論文を書くのは、骨が折れる。本文を書いていて註の必要が生じたとき、本文の最終部分の下に註を書き込む領域をつくっておいて、機会ごとに註を書いていったのだが、それによって本文を書くリズムが崩壊してしまい、リズムを取り戻すために本文をアタマから読んでゆく作業が繰り返されたからだ。ほかのみなさんは、註書きをどのように処理しているのだろうか。番号だけ振って一切、あとで書くのだろうか。そのためにはワードの註機能をつかいこなさなくてはならない。やはり院生にやりかたを教えてもらおう。
以前、立教を卒業して東大の院に進学した教え子から、先生の原稿は発想力、観察力はあるけれど、文献探査力という点ではぜんぜん凄みがないですね(笑)、といわれたことがある。ぼくじしんもそうおもう。文献註をみるだけで執念と精査能力がはっきり伝わり、ゾッとさせる学究がたくさんいるのだ。映像研究分野では、ジョナサン・クレイリーとか海外に多い。
それにしても映画研究は特殊な分野だ。古典をあつかう場合には文献探索が裏打ちされなければならないし、それが海外の作品であれば、洋書文献がごまんとある。ところがぼくのように、現代日本映画を研究フィールドとする者には、当事者インタビューをチェックするほかは、実りのほとんどない同時代映画評を黙殺して、発想の補強を現代思想文献にもとめないと「間がもたない」。これはほかのひともおなじだろう。それで扱っているのが現代日本映画で、参照文献にドゥルーズだのベンヤミンだのが出てくる、倒錯的な論文が定式、主流になっているのだ。そこでは論文本体にも註にも、実際は「なかみ」がない。本体と註の対応も退屈だったりする。
そういう定式的論文ではなく「思考そのもの」を書いたつもりだけれど、自己再帰的な判断はもともと不可能なものだ。あつかっている対象は旧い観点からすればアカデミックではないし、大学の研究者にはあまり知られていないものかもしれない。彼らにはどう読まれるのだろうか。それと、だれか査読をするのかな。
ごろり
【ごろり】
呼吸が焔だという喩は夜の雪道でくずれてゆく
息を吐いているのだが、声のなさにしかならない
おそらくは神経連環が穴うめるべきエロス覚に
あまりに雪の横ながれが入り、上方がきえたのだ
ききたいことがある一篇の詩がどう終わるのか
それは達成感や余情確認などではないだろう
たんに息が切れて倒れるように終わるのみだ
終息が終息に合い記述棒が切られるにすぎない
なんどもつままれて凍て道をころげかえる夜
コートを雪まみれに詩棒へともどってゆく
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今日は一日しずかに、あすとあさってで書く紀要原稿50枚(映画関連)のため、文献チェックと再読。ドゥルーズの「少女になること」(『千のプラトー』)の一連と、バルトのメトニミーにかかわる記述を拾っていったら、それぞれを読みふけってしまった。ドゥルーズでは横断する力に寸断される。バルトでは隙間あるエレガンスにはまり込む。
昨日は文学部教授会のあと教員・職員合同の正規忘年会。「詩を書いているんですって」と近づいてくださる先輩教授がいて、恥しいおもいをする。このところ、こうした「受難」がつづいている。動揺が蓄積したのか、キャンパス内、帰りの雪道では派手に二度もころんだ。運動神経が腐っておらず受け身はできたものの、今日起きると、打った肩がやや痛む。凍て雪には今後、用心しなくては。
吉本隆明いろいろ
瀬尾育生さんの『吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち』が、『マチウ書試論』が概念化した「関係の絶対性」を、「反・反核声明」「反・反原発」の晩年にいたるまで吉本がつらぬいたことを精緻に語った好著なのはいうまでもない。吉本は「反省」しないつよさを保持しつづけて、たとえば瀬尾さんが最近主題にした山村暮鳥のよわさと正反対の生をまっとうした点に、ふかい敬意がそそがれる。ただし、「悔悛」という、生の最も劇的な感情を吉本がおぼえたことはなかったのか、それを再考したい契機もぼくのなかにうまれる。
むかし吉本に悪感情をもったのは、悪罵の激越もさることながら、『言語美』のハイライトのひとつ、狩猟民が眼前にひろがる海をまえにして「う」と発語した自己表出によって、「海」がなづけられ定位されたという考察にある虚構性、非学術性を、浅田彰とおなじように直感的すぎると受けとったためだった。ところが吉本は『母型論』中「大洋論」で、単母音そのものが意味をつくりだす日本-ポリネシア系言語における言語特質をしめしつつ、受乳/味わい/エロス/愛撫/母子の相互回帰性から連環に「大洋」を見出すとき、実際は「う」の直感を、学術的に更新している(それも謎をのこしたかたちで)。こうした思考の天才性はあきらかだが、するとその動力にやはり「無反省」が役割をはたしているとかんじる。瀬尾著作に話をもどすと、むしろ対象から発語をあたえられるとしたベンヤミンを考察の端緒として、震災における深甚な失語までを突っ切った『純粋言語論』のほうに、吉本の「う」への接近がみてとれる。
吉本の一貫性、それを冷笑の材料にした新人類以後の世代がいるとおもう。そのうちのいくらかが『日本語のゆくえ』で自分の詩集を「無」と名指されたとき、ネット上で照れてみせた。「自然」「神話」がない、とした吉本の論難は、いまとなっては本気だったとわかる。自分の『記号の森の伝説歌』を賭金にしていたのだ。その貧しさも豊饒も、その部分的な良さもわるさ(下手さ)も知っていて、書かれたものは修辞ではなく、個人を真摯に貫通した世界認識だったと自己採点していたはずだ。つまり「照れ」で対応するような案件ではなかったのだ。
吉本の悔悛は『記号の森の伝説歌』に仄見える。それは『固有時の対話』『転位のための十篇』の自己否定で、『日時計篇』など、そのまえに書かれ、のちに公表された手稿群などの成熟した自己発展だったからだ。つまり吉本の悔悛のゆたかさは、その詩に注視するいとなみからまずは出てくるのではないか。それは非顕的なのだ。吉本著作を精読すると、どこかでたとえば花田清輝にするどい舌鋒を放ちつづけたことへの悔悛も暗示されているかもしれない。とりわけ再生産理論については花田のほうが把握が精確で、しかも花田はファシストではなかった、という事後見解が、べつのなにかを語ることでほのめかされてはいないか。
著作家として生涯をみた場合、花田は出発当時の文章がほんとうに上質だ。吉本はじつは晩年に近づくにつれて文章が見事になってゆく。考察と文章とのあいだに隙間がないようにみえながら、なにか生の余裕のようなものを確実に手渡され、読者が充実に導かれるのだ。『母型論』『言葉からの触手』がその最大の結実だろうが、そういう系列の発端が、ぼくの読んだかぎりでは『最後の親鸞』だった。そこでは親鸞思想のなかで「還相[げんそう]」も、「知」の「非知」に向けての過程として摘出される。ところで「還相」がそのまま反省的な世界像・世界認識であることには注意しなければならない。ブーメランを思考のなかで比喩的に駆使したのは花田だったが、花田の生には知の加算のみがあってブーメラン運動が稀薄だった。「還相」に真向かった吉本にはそれが着実にあった。
吉本は後期著作が素晴らしい。吉本を、サブカル傾斜、消費礼賛をもって批判する者は、その後期の主要著作をスルーしているのが通例で、一時のぼくもその範疇のなかにいた。その「反省」をここにメモした。
除雪車
【除雪車】
かぼそく俯くひかりをなげかけて
市電の軌道につまれた雪をはらってゆく
深夜の機械に車輪あることの畏れ
ひとが乗っているようにみえない遅さも
みうけて機械を名づけ愛称するのは
それを人域に容れ冷やすさみしさだから
先賢にならいフェルナンデスとよび
おまえを影のくらさ、くぼみとしよう
ろうどうが道を刳り貫く一途のときに
からだも散りつつおのれをつくりあげる
統合拒否
ちょうど昨日から、ぼくが吉本隆明の最高傑作とかんがえる『母型論』の再読をはじめていて(その「最高傑作」にこのたび『言葉からの触手』がくわわったのは既報のとおり)、その第二章「連環論」に、ひとがなぜ自分の首を絞めて自殺することができないかが考察されていた。吉本とぼくの用語を併せてもちいると、脳神経と呼吸神経の内的連環がつくりだす統合性が、自死行為の作用域を自己領域と捉えて自己再帰性の不可能にのっとった中止をうながすためだ。それは感覚、思考、呼吸すべての連環が、行為の自己再帰性を「食」「性」に限定する生物条件と表裏、ともいえる(今期のマンガ授業で扱った萩尾望都『トーマの心臓』でも「エーリク」が自己絞殺に失敗し、以後、過呼吸発作を招いてしまっているディテールがあった)。それで昨日の角田美代子の獄中自殺。自分の寝床にいるまま、黒のTシャツをつかっての自己絞殺に成功したみたいだ。三人相部屋だから物音を立てずの決行だったろうし、また監視が10分に一度見まわる「リズム」をからだに叩き込んでの迅速性も実現された結果となる。吉本の立論にはじつは例外があって、「統合」が壊れた統合失調症者だけは自己絞殺に成功するのだという。角田の精神が異常をきたしていたかどうかはわからない。ただ三浦和義とともに自分に訪れている監視の「リズム」に精確に覚醒し、「少ないチャンスに」「過たず自死をやりとげる」「意志と身体のつよさ」には戦慄をおぼえる。その「戦慄」はすこし「尊敬」にも似ている。冤罪の可能性に注意しなければならないが、三浦、角田ともに「自己にたいする悪」が熾烈極まりなかった、という言い方ができるかもしれない
定鐡バス
【定鐡バス】
ときどきは空から地上へと
縦列だけの前方ができている
雨滴なら、こうはゆかない
おのれの軌跡ある雪のみのしわざ
凍てる眼がその聖画にさえぎられ
たかさと狭さへの佇みが起こる
そうして世界の街でたったひとつ
通りのむすびに渋滞のけしきがみちて
思料のようにたちどまりゆくことが
仕度へと、うち巡らされてゆく
放精
【放精】
廊下しかないながい家にすんでいて
そこで翅あるものの無数とゆきあった
幼年の場所をそのようにおもいだし
いちようとまだら、両方のなかにいる
空気の位をかえるのが翅の純粋ならば
翔ばずにうなりあげる微細もまた掬され
はかりだすもののないこの性のさわりに
あふれと消えだけがかたみを照らした
それじたいのひかりある紗の昼間
雪の舞いのうちへ雪はふり殺ぐ
声の滝
【声の滝】
雪のふる昼は、電話からの声が像をむすんで
耳もとに数葉の写真のこぼれることがある
もともと息のある声では息を食べてきたのだが
受話器からそれのつたわらない盲目が電話だ
それでも地球を手離せといわれて泣いた顔が
ひとつひとつそちらで並木の奥行をつくる
樹がそうしてあるいてきて樹がひとになる
これが幾本もあれば通話もべつの冥途だろう
くるしむ声があるのではない声は元来くるしむ
ために像も要って、さらに滝側へと折れる
田村孟全小説集ほか日記ふうに
現在店頭(金曜日まで)の「図書新聞」終面に、ぼくの書いた『田村孟全小説集』の書評が掲載されている。これほどの大冊にたいし三枚の枚数というのはむごいが、それでもなんとか仕上げた。文章は圧縮されているけれど、流麗な可読性が保てたとおもう。田村さんの小説はぼくにとっては江戸小説を読むていどの読解速度となることが多く、二段組・全700頁のこの本には、ほぼ二週間ほどかかりっきりだった。雪の前の紅葉の季節、いまとなっては夢のようだ。むろんその間、濃厚芳醇な小説性に浸されつづけて、読む苦労もまた至福だった。
原稿は編集部により、「七〇年代文学の強靭な可能態」とタイトルされている。拙稿では中上健次と佐藤泰志も引例したが、さて「70年代文学(小説)」とは何だろう。政治的枠組を横目に組織される隠喩性(エロスへの逸脱もまた政治的だった)を、明快な文体意識で曇りなく書いたのが60年代小説の典型だったとすると、大江健三郎を接続点にして、文体と構成を脱分節的に脈動化し、映像イメージを瞬発性によってちりばめ、しかも音響性を拡大した、部分の摘出の難しい永遠の隣接、そういう換喩型が70年代の小説の中心だったのではないか。構造の脱構造化。これは70年代の詩にも大きくはいえる。
ともあれ田村孟は、活動期間は短かったが、小説の最高の書き手だった。それは映画の現場からの敗北を運命的にしるされながら、映画性(とくに大島渚)を小説性に代位した、彼自身の生の、微妙な磁場の賜物だ。それにたぶん戦前文学の教養が化合した。厄介さと細心さと大胆さと哀しさが織りあわされた極上の文体。文体をいうのがナンセンスになろうという風潮のなかで、田村は自分の身体で文体価値の歯止めを、信念からおこなった。中心的に活用されたのが映画人材なのに/ゆえに、音響性だった。そこに衝撃がある。田村小説の音響性は風景のなかの人物の地声の輻湊による。多くが疎開時代に学童として育った妙義山麓の上州弁だ。だから彼の小説には個人的な記憶素がちりばめられているはずで、その結構も70年代的だといえる。
原稿執筆にあたってはご子息の田村盟さんからご丁寧にも資料提供をうけた。それを原稿細部につかわせていただいた。紙幅の関係で謝辞がしるせなかったのが残念だ。
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いっぽう年明け早々の50枚の〆切のために、このところは吉本隆明漬けだ。『母型論』を読みなおして『言語美』の「自己表出」論と接続、そこで口唇と口腔の身体的宿命をからませ、言語と母性を考察する予定でいたのだが、ならばこれまで読解を怠っていた吉本詩の全貌、彼自身の「自己表出」を、思潮社の『吉本隆明詩全集』全七巻で俯瞰してしまおうとかんがえた。これで詩作者・吉本のみえかたが一挙に変貌してしまった。
60年代末期に入るまで吉本の詩業の「本体」だった『固有時との対話』『転位のための十篇』は孤独者の内心の展開のようにみえて、実際は暗喩的でない。そぎ落とされることで部分が軋むようにギリギリでつながる換喩詩、または詩の実体を欠いたメッセージの様相を呈していて、硬軟あいまぜて暗喩詩が趨勢だった荒地派とはずいぶん作風がちがうのは自明として、のちに発表されたそれ以前の初期詩篇と『日時計篇』は抒情の実質がのこりながら、しかも『固有時』『転位』が抹殺してしまった自己身体の実在を伝えている。
『固有時』『転位』だけなら「その後」はないが(実際、一時期、詩作者としての吉本はそうみえたはずだ)、それ以前の詩篇内の秀作は「展開可能性」を孕んでいて、それが70年代に間歇的に発表された詩篇の序奏を経て、「野性時代」連作詩篇、それを再構成した『記号の森の伝説歌』へと開花した。岡井隆さんには「野性時代」詩篇を『記号の森の伝説歌』より買っていた文章があったはずだが、『記号の森』のが断然いい。とくに杉浦康平がほどこした各詩行センター合わせを生存時の吉本の希望で天ツキに差し替えたことでその豊富にして素朴な本質が衒いなく前面に出てきた。
この『記号の森』自体が「修辞的現在」の一端を形成するのかというと事態は微妙だ。「木」「祖母」などの象徴系が活用され、ときに神話素がたかまる。この点は俯瞰して得られるだろう当時の詩壇の、レトリックとイメージからなる全体的平準性とは一線を画している。ところが部分的には構成不足と同語反復から印象される多くの吉本的粘着がレトリックに代位され、消えた結果、一行ごとの加算に鮮烈な驚愕が舞い込む細部が頻出する。鮮やかなのだ。
アレッ、とおもう。というのも政治的環境をうしない、イメージとレトリックのみを競うことで微差の幅に各詩作者が敷き詰められているようにみえると吉本がした『戦後詩史論』の「修辞的現在」では、吉岡実がそうした傾向の牽引車と名指されていた記憶があるからだ。間接的な言い方をやめると、『記号の森』のある部分は70年代以降の吉岡に少し似ていて、しかもより鮮烈にも映る箇所もある。シンプルだからかもしれない。じつは恥ずかしいことに『記号の森』も今回が初読。もっと早く読んでいたら逝去後の吉本像がまったく異なっていた。「詩手帖」の依頼も受けたかもしれない。
『詩全集』の最終巻には詩集ではなく詩的断章集成ともいえる『言葉からの触手』が入っている。ところがこれが『最後の親鸞』と匹敵するくらい美しい書物で、「ちいささ」が魅力という点では吉本著作の例外をなす。しかも『言語美』『母型論』の「斜め」に身を置き、さらに『固有時』『転位』を裏打ちする、吉本生涯の詩業を包括する絶妙の位置にある。この詩的断章集をも最後に収めた『詩全集』の構成が心にくい。これも初めて読んで、ふかい衝撃をうけた。衝撃は「うつくしさ」と直面したことによる。
どうしよう。ぼくは花田清輝贔屓で、ずっと吉本を倦厭してきて、吉本=知的巨人説に宗旨替えをしてからまだ10年程度しか経っていないのに、吉本の実質が思考力とともに「うつくしさ」だという印象をつよめている。ところが全著作を精読する時間がのこっていないような気もする。吉本はいま、ぼくのディレンマになりつつある。
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「詩手帖」年鑑号の拙稿「詩と空間について」にはある程度の反響が出てきたようで、昨日は季村敏夫さんが『日々の、すみか』第二版を送ってくれた。東日本大震災の震災詩を捉えるよすがとなるべく、阪神淡路大震災(後)のディザスターの渦中で書かれた詩がふたたび日の目をみたわけだ。被災者=「私達」の非日常的な日常が冷静に転写されながらそこに詩と思索を巻き込んでゆく。凝縮の底にうねりのある文体。「ともに被災すること」の哲学的考察の多元化のなかで、とりわけ「事件」と「遅れ」の言及に思想的な震撼をおぼえた。今日は、大橋政人さんの絵本『ちいさなふく ちいさなぼく』が届く。これは就寝前の愉しみに
新詩集刊行!
ぼくの新詩集『みんなを、屋根に。』(思潮社)の、オンデマンド・サーヴィスが開始されました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%92%E3%80%81%E5%B1%8B%E6%A0%B9%E3%81%AB%E3%80%82-%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%98%89%E6%98%AD/dp/4783733384/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1354611594&sr=1-1
高塚謙太郎さんの『カメリアジャポニカ』とともに、思潮社初のオンデマンド詩集。シリーズ名は「オンデマンド思潮社」です。書店にはならびませんが、アマゾンでご注文いただくと、即座に製本され、数日間でお手元に届く仕組みです。ちなみにぼくの詩集の定価は1500円+税(=1575円)。トータル150頁ほどなので、通常の詩集に較べ、ほぼ半額の定価設定になっています(詩集価格は一頁20円が相場)。
ほかの詩作者の呼び水ともなるオンデマンド詩集ということでぼくが目指したのは、「やわらかさ」「ふしぎ」「逸脱」「かなしさ」「すくなさ」などから愛される詩集をなすということでした。中島浩さんによるプロフェッショナルな装丁に、ペイパーバックのA5変型判があいまって、もった手ごたえもポップで簡潔です。再読をいざなう、という最終目標も、自分でいうのもヘンですが、達成できているような気がします。09年8月から11年9月までの詩篇をえらんで全体を編みました。
思潮社の編集者と詩集のオンデマンド化について相談をはじめてから一年半以上が経過しています。そのかんオンデマンド業者をどこにするか、ネット告知をどうするか、著者負担はどのくらいになるか、デザインに作り手側のイニシアティヴがとれるか、格安化などオンデマンド・メリットが確保できるか、複数アイテムによるスタートが可能かなどで、難航がつづきました。
結果、既存のオンデマンド業者ではなく、ネット告知の本体ともいうべきアマゾンのオンデマンド・サーヴィスを利用すれば、ハードルのすべてが簡単にクリアできるという発見を編集者がしてくれました。しかもオンデマンド本に通常危惧される低デザイン性にかんしては、デザイナーのデータをそのまま入稿して製本可能ということもわかり、その時点から編集者とぼくの、詩集編集が加速度的にすすみました。
もともと現行の詩集出版には以下のような問題がありました。
1) 出版にあたっては著者負担が過酷で(100頁400部の詩集なら相場が百万円)、経済的に余裕のあるひとしか詩集が出せず、評価基準と出版基準にズレの生じる傾向がある。
2) そのうえで詩集は書店売りではほとんど捌けず、結果、詩作者同士が詩集を贈呈しあう、閉鎖的な慣習ができあがってしまっている。そうした刊行詩集と評価の互酬制は外部からもみてとれ、それが「現代詩」への一般的な不信をみちびいてきた。
今回のオンデマンドでは、ぼくの場合、自己負担が編集費とデザイン費という名目で20万円です。仲介となるアマゾンのほうは、製本費と発送費を負担し、そこに薄利をくわえて定価計算がなされた次第です。在庫リスクが一切ないので、このようにシンプルな内実で済む。定価の安さの一端は、取次や書店の取り分がないからでもあります。
たぶん思潮社オンデマンド詩集がより軌道にのれば、詩集定価はもっと低減するでしょう。書店で読者を発掘することはできませんが、「現代詩手帖」の自社広告には誌面を割いてももらえます(13年1月号から載る予定)。むろん内容的な信頼を、編集者から得なければなりませんが。
いずれにせよ自己負担額が従来の七分の一程度で済む詩集のオンデマンド化によって、上記1の悪弊が断たれることにもなる。編集者や高塚さんやぼくが、「詩集の流通革命」と胸を張った気持もわかっていただけるかもしれません。つまりこれまでの一冊の詩集刊行にたいし、オンデマンドならば同額で七冊の詩集刊行が可能になるということです。
さて問題となるのは2です。ネット親和性、アマゾン親和性のひくい詩作者たちに詩集をどう読んでもらうのか。自己負担の軽減を目指す詩集オンデマンド化の趣旨からいえば謹呈ゼロが理想ですが、ぼくの場合はある程度の妥協をしました。
つまり自分で注文した本をごくわずかだけ読んでもらいたい詩作者に謹呈する例外をもうけたのです。条件は以下。「自分より年長」「リスペクトしている作者であること」「直接の面識があったり、やりとりがあったりすること」「ぼくの過去の詩集を評価いただいた経緯があること」――そうした詩作者にかぎり今日、謹呈本を発送しましたが、打ち明けますと、トータル数25部で、従来の謹呈数の六分の一といったところです。ここでも大幅な負担減となりました。ちなみに一冊の発送費はクロネコメール便で80円。
その他、同輩か年少の詩作者のかたには、オンデマンド詩集刊行の案内と簡単な趣旨を、高塚謙太郎さんと連名でしるした葉書を用意し、高塚さんと分担わけをして今日、投函しました。多くのかたがたにはその葉書が近々、お手元に届くとおもいます。ぼくや高塚さんの新詩集を読みたいというひとにはぜひともアマゾンに注文していただきたいのですが、オンデマンドによって製本された詩集の手触りを知りたい、というかたにも注文をいただければとおもっています。
以上、いろいろ勝手を書きましたが、趣旨をご理解いただくよう、よろしくおねがいします。
なお、アマゾンの画面を出して「阿部嘉昭」「高塚謙太郎」で検索しても、最初の頁の上のほうに新詩集『みんなを、屋根に。』『カメリアジャポニカ』が出てきます。ぼく自身、高塚さんの詩集はさっそくアマゾンに注文しました。
ほしふ
【ほしふ】
このごろは夜空から星がずっとうしなわれて
黒地に星斑のすべてが催涙のもとになる
ゆきすぎる者も黒髪に雪の斑を戴いて
ゆきすぎるだけの気高さで視界をきえてゆく
耳からこめかみに予想があつまるそれら横顔を
星のかがやきを反射しない俯きと憶えた
夕前から電燈のファンタスマゴリアがきらめき
ひとの背後にもあんなにいっぱいひとがいる
うすくなってゆくことは薄野の配字にもうあって
市電の延びも、空間の背後へとうすまってゆく