メモ8
わたしのなかのなにかが、わたしにとってたえがたく速い。だからゆるやかさを課すことが、からだへの懲らしめとなる。ゆっくりと、さらに間遠になってゆく戒律を仕向ける。音をおもいながら。こうして拷問の外観が、わたしじしんの外観と合致してゆく。けれどねがうのはそれにとどまらない。ひび割れた水甕のなかの最後の甘露によって、その水甕ぜんたいを否もうとしているのだ。
散文8
鋏で切りはなしてもなお落下しない実の、みのっているというよりうかんでいるひらたい坂の庭を、反重力や引力の中断とよんで、いまある感情に擬してみたりするのだが、それにしても眼前からきえてあるよもつびとらのすべてが、そうした停止図にきれいにおさまるともおもえず、ついには庭が一時に荒廃するように一斉に橙の尾をひいて、感情が着衣をもやしながら下へとはなれてゆくことが、泪をからだがこぼす海辺の寝返りにはあった
散文7
体液からすれば、からだの肉のすべてはそこにうかんでいる。くだの数ではなく浮遊において、ひとの内部は無限なのだ。スポーツではないうごきをかんじるたびに、おもさがきえてゆく。白昼というほど、ひとつの時間ではないかもしれない。あざやかな色の、うきくさに似て。
メモ7
なぜみずからもまた全体の員数をなしているよろこびをいえないのか。ひとつのひるがえりは、他のひるがえりとともにみられる。おなじ苦しみすらおなじうごきへと還元される。ともにある数とうごきに個別を隠すとき、かんがえの多くも同調から生じている。はなれあっているたがいがおおきな貌になり、これこそが地上からみとめられるしるべだ。みずからのなかにあるみにくい多数、たとえば臓器や性器もそうしてきえる。かくして内在と外在(引力と斥力ではない)には、みとめられないことにおいて星光的な関連がある。
散文6
すでにもう、ひと匙にも満たないとなげく。がらす瓶の底にある希望は、見た目に一回分の服用に不足しているし、だいいちうまく掬うこともできない。ところがのこっているものは、いつでもすぎさったからだなどを中和する願掛けの具となる。のこすままにしたらいい。かんがえてもみよう、ほんとうはすくなさなど一瞥できず、その漸減の経緯だけがいつともしれない日へむけて、いまから花ひらいているのだ。想像の域のみで、ひとのあゆみに粉をちらし、わかれをすくなさへとかえてゆく。見送る服にかくしもった匙と卓上の瓶とが離れてあることも、列柱の位置が分立しているにひとしい。いくつかの遊離をわけあうすくなさこそが、きえゆくうごきを霧状に建てなおしてやまない。
メモ6
ながさを調節しなければならない。書いてから適正なながさに刈りとるのではなく、ありうべきながさそのものを、書く目的にはめて、動機をかるくするのだ。どこまでが塔とよばれる高さかを、てのひらのうえ、じぶんの視線でたしかめること。そのとき塔が愛着に透きとおって、この世の縮率さえかわるだろう。まるでおもいだすべきひとの身長のように。継続の質は、ひとつではなく多くのながさで測られる。あした時間がとまるのなら、庭師もすべての植生をそのようにただすだろう。
メモ5
時間だとおもう空間もあれば、空間だとおもう時間もある。いや、そのふたつしかない。そうとらえると、時間の単独や空間の単独を前提にした、あらゆる間歇が否定される。うつくしくつづくものは、単独性を壊れながらつづく。
メモ4
これは失敗したとおもう詩はことばが勝ちすぎている。一語一語が負けるよう手さばきをゆるやかにしなければならない。詩脈を折り、できた枝状にやすりをかけ、記憶を予感するようにする。接眼レンズであると同時に、プレパラート内だということ。感覚にともなう天界のひみつ。ひとつの顔が何層でさえあるゆううつ。そのなかへ有翼がぼやけだす。いつか観た、両断された羽根まくらのように、無言とスローモーションとを詩が祭りだす。
メモ3
つながっていないものをつなげてみては、と詩はいう。もともと予兆的に音韻がつながっているのだから、あとはそれぞれの深度をもつことば、その奥にある感情の空間をむすび、ときには空隙もまた、つながりのなかへとみちびけばいい。建っていることに疑念のある世界の構造をつくりなおすのだ。そのように寡黙な詩は使嗾している。そこでは、ないもの、隙間にあるもの、音韻だけあって実体のないもの、なにもまとっていないからだ、後ろ姿などが、読む者の吐息によって奥行へしずかに招かれる。そう、じぶんの後頭部をみいだせる鏡も、詩にしかない。それら逆説の背骨にむけて、いまあるものがながれてゆく。
壇蜜古画
【壇蜜古画】
ついに北海道在住でよかったと感激できる、北海道オリジナルの番組に出会った。テレ朝系、HTB(北海道テレビ)、木曜深夜0時50分から30分枠で放映される「壇蜜古画」(こうしるして、「だんみつのいにしえ」と読む)がそれだ。道内の「きえた町」を、静かな撮影とナレーションで追ってゆく連続ドキュメンタリーで、話題の壇蜜は意外なほど抑制されたやさしい声で、簡潔なナレーションをつたえてゆく。
七月二十五日深夜放映の第一回は、最盛時に人口一万五千人を誇ったが、一九七〇年には閉山してしまった、釧路市阿寒町の雄別炭砿が対象。目抜き通りがあり炭坑住宅も櫛比し、駅があって鉄道も敷設されていた往年の町は、建物が壊され、放置されたものもその土台までもが「溶け」、往年の地勢だけをつたえるまま、いまは周囲の原野と見分けのほとんどない疎林に変貌してしまっている。キタキツネがゆきかうだけの、さみしい無人地帯だ。
番組は往年の8ミリ映像、写真を丹念に収集し、それと現在の光景とを見事に対照させていた。同ポジションによる「今/昔」もさかんに挿入される。特筆すべきは現在の風景の捉えかただ。フィックス、あるいはゆるやかなパンニングだけがおこなわれている。それで時間のしずもりと、入り込んでいるひかりの孤独が画面にみちる。
ロラン・バルトがその写真論にいう「それは―かつて―あった」は、ここではおもったほど悲痛ではない。「かつて」という時制そのものにある内部性が、じっさいは回顧的な充実をもたらすのだ。同時に、「いまは―なにも―ない」にもかつての建物や道のかすかな残痕がきざし、それが廃墟風景へのやさしい「加算」を印象させてゆく。そのなかをちいさなさくらが開花し、蝶が舞い、キタキツネがすがたをあらわして、いわゆる「時熟」までをもかんじさせる。
とうぜんかつて深夜枠で放映された瀬々敬久のTVドキュメンタリー、「廃墟シネマ」を想起した。これは以前の日芸放送学科でぼくが授業の素材にした名篇だった。そのときの講義草稿がぼくのサイトにアップされている。そこでぼくは当時の廃墟写真ブームのなかで、ふたりの廃墟写真家、丸田祥三と小林伸一郎とを対比した。のち場所の選択と構図のオリジナリティをめぐり訴訟問題の起こるふたりだが(先行者丸田が後進者小林を訴えた)、ふたりの写真は廃墟にたいするまなざしがもともと異なっていて、それをぼくはその講義の段階で問題にしたのだった。
丸田の廃墟写真にはタルコフスキー映画と同様の、しずかな催眠性がある。現在時間の実質である「ひかり」が、崩れた建物の外観・内観とふれあうすがたこそをとらえる。だから丸田の写真には「時間→時間」というヴェクトルがひそんでいる。そうした再帰性こそが、たぶん読者の視線を「くるんで」、その論理的な帰結から「眠くなる」のだ。これを「やさしくなる」といいかえてもいい。
たいして小林のそれは、廃墟の細部を手柄意識の血走った眼で渉猟し捕獲するのだが、結果、スナッフ的な死体写真、臓器写真――あるいはポルノグラフィにさえ似てくる。丸田の写真が総体ではおだやかな永劫回帰に近づくのにたいし、小林のそれは相場的な沸騰をこころみる派手な野心がある。廃墟という対象をしずかに愛する丸田と、商売や好奇の具として価格を吊り上げる、表現インフレ型・「覚醒」的な小林――そんな対照をいいだしても良い。
そういえば花田清輝は、往年、廃墟について書いたなにかの文章で、廃墟が崇高なのは、「線」や「面」を中心にした現状の残存物から、いわば幾何学的な「復顔術」が興り、かつての栄耀を予感させるからだという意味のことをしるしていた。だがはたしてそうか。花田の言い方では過去と現在が対比されている。ところがいま痕跡としてある、さびれ、腐蝕、鉄錆、くずれ、配線の露呈、破片化、泥炭化、鉄骨のむきだしなどは、きえた「かつて」に活き活きとした時間がまつわって、「過去と現在」を、不完全ながらにも「共存」させた、時間の満尾というべきものではないのか。
こうした「共存」が位相的に「梱包」「繭」へとつながるから、光景そのものが就眠的になる――ぼくなどはそうおもう。だから忘れられた「棄景」(丸田の用語)に直面して、往年の栄華を算段するように感覚はざわついたりしない。粛然とひとのからだが眼前の光景にくるまれ、自分のなかの時間をぼんやりと再帰させるだけだ。いいかえると、廃墟に直面することは物見高さにつうじる崇高ではなく、やはりしずかな悲哀だけを産出する。ところが「その悲哀がひかる」のだ。このとき「ぼんやり」が美質となる。
こうしるしてわかるように、深夜枠のドキュメンタリー「壇蜜古画」のすばらしさは、丸田の写真、ひいては瀬々敬久の『廃墟シネマ』の系譜に連なっている。だいいち、この深夜枠、就眠前に観るこの番組が、小林伸一郎的であったなら、視聴後、「覚醒」が起こってしまう。つまり自分自身の廃墟化について神経質な不安が生ずるに決まっている。それが廃墟であっても、丸田的なひかりの実感のなかに、視聴後をひとはねむりたいはずだ。
第一回は渡辺淳一が出てきた。興味をもったことのない作家だが、炭坑内の雄別病院に出張医として足しげく通勤し、またこの炭坑を舞台にした幾作かをものしているから、往年をふりかえる人物として、これは正しい選定だった。番組は「炭坑の現在」を映像として突きつけられて自然に落涙する渡辺の表情を、たしかにうつくしく捉えていた。
むろん北海道では刻々、櫛の歯が落ちてゆくように、各処で廃墟化が進行している。だから東京在住者が安閑と廃墟ドキュメンタリーを観るのとはわけがちがう。みな、切迫感をうすくおぼえるはずだ。それでもよくかんがえれば「廃墟化」はすべてに必定なのではないか。現に東京でも、たとえばむかしではかんがえられなかった、中央線沿線の活力低下(ただし吉祥寺と立川と中野はべつ)がすすんでいる。それに廃墟化は、いずれ死ななければならない人間の身体的な宿命でもある。だからこそ廃墟の観想が沈思的になるのだ。
「壇蜜古画」の第二回放映は八月八日の深夜0時50分から。こんど探訪されるのは美唄の小学校だという。
雨のバケツ
ふと訳したくなったので以下に。ディラン『血の轍』収録のラストチューン。
【雨のバケツ〔バケツをひっくりかえしたような雨〕】
ボブ・ディラン
バケツをひっくりかえしたような雨が
バケツをひっくりかえしたような泪が降り
おれの内耳へと浸透してゆく
バケツをひっくりかえしたような月光もうでに
これがおれの愛すべて
おまえは耐えられるだろう
ずっとおれは意気地がなく
樫の木材なみに硬かった
おれは大切なひとが煙みたいにきえるのもみた
生きてゆく友であれ死んでゆく友であれ
おまえがおれをもとめるのなら
きっとおれもそんな生滅の場にいるよ
おまえのわらいがすき
ゆびの先っぽがすき
くちびるのうごかしかたがすき
おれをみやる落ちついたまなざしもすき
それでもおまえにあるすべてが
おれをかなしくさせる
小ぶりの赤いワゴン
小ぶりの赤いバイク
サルじゃないんだから
じぶんのすきなものならよくわかる
おまえのたくましくゆっくりとしたセックスがすき
だからおまえをつれてゆくよ
おれがここを旅立つときには
ひとのよはかなしい
ひとのよは破綻する
だからできることだけをなす
しかもそれをうまくやらなくっちゃ
おれもおまえのためにそうする
どうだい、なにかいうことがあるか
散文5
あかるみへ踏みでるのはからだ半分だろう。みちてあるものに引き潮をもどすのだ。そのように、まひるまにして半月がなる。はだを影に織られて、乳房のささえがうすく翳る。ひとがそのひとの場所にだけ拠るとわかる。在ること、つまり写真、ひとときの捕獲。うるおう写真ではまなざしもとまっていない。けれどこもれびから天体があふれつづける、そのひとのうしろこそを注視する。
改行文1
あのひとの母親が逝って
こころづくしを送るならば
ひとつの霊であることは
これからも起こる
せかいには幻肢がみちて
もともと場所は痛みをたたえ
おのれがかつて肢だったと
やなぎをゆらすのだから
ひかりが土にもつれることは
雲が示しにおもえることは
かなしみと無縁ながら
これからも起こる
立腹
通常の原稿依頼は、〆切、字数、テーマと要領、を挨拶とともに明記するのが鉄則だろうが、なんともこれらに曖昧な女性編集者とメール上で付き合った。経験が不足しているのか。「三田文学」の「唖然ちゃん」と呼びたい。
最初は、リストが添付され、このなかから推奨する平成の芥川賞受賞小説をえらぶアンケートに協力してほしい、という茫洋とした依頼が北大メールにとどく。一作をしるして返信したら、三本選んで、それぞれについて簡単なコメントも付してほしいとさらに返信がくる。最初のメールの不備を謝りもしない。それで〆切はいつか、とこちらが改めて質問。〆切は7月24日(昨日の日付)だとさらに応答がきた。子供のつかい、とはこういうことをいうのだろう。これらが先週の段階。
それで多少の準備(つまり読み直し)をして、いわれていた〆切どおりに昨日、アンケート回答を添付メールした。えらんだのは川上弘美「蛇を踏む」、綿矢りさ『蹴りたい背中』、川上未映子「乳と卵」。「簡単なコメント」については字数の明示がなかったので、ぼくなりに「簡単なコメント」とおもわれる範囲で書いたのだが、今日、メールが来る。分量が多すぎるので、綿矢りさ『蹴りたい背中』のコメントのみ活かし、あとは割愛させてもらいます、と。
あまりにも一方的な通告で、舐められているとしかおもえない。この編集者、知人を介してぼくを知ったらしいのだが、ぼくを売出し中、腰のひくい「ライターちゃん」とでもおもったのだろうか。年齢はすでにオッサンなのに。メール文面に無知(相手にたいする無関心)と、そこはかとない「上から目線」をかんじて不快になった。だから再返信はしていない。「もう、どうでもいいや」という気分だ。
だいいち、コメントはべつだん分量が多くないだろう。一作を語るに必要な最低限の字数――常識の範囲にあるとおもう。紙幅を費やさないよう配慮したつもりなのだ。「一言コメント」ということなのだろうか。それでも「三田文学」はまがりなりにも文芸誌で、しかもアンケートで扱おうとしているのが小説なのだから、ネット上でヒットチャートの感想を述べるような、軽々な「一言コメント」などそぐわないとおもうのだが。
かなり立腹したので、掲載誌の発売前だが、送付した原稿を以下にペーストしておく。これが「分量が多すぎる」かどうか、ご判断いただければ。
○
●川上弘美「蛇を踏む」(一九九五年・上)
幻想を通常性からの距離とする幻想文学とは川上弘美の小説は一線を画する。通常性のなかへ無媒介に共約不能性が浸潤してゆくのだ。しかも浸潤にさらされる関係項はミニマルで、多くのヒロインの受動性と相俟って、全体を寂寥が領する。この受賞作では人物のすべてを「蛇」的なものがみたしてゆくが、とりわけヒロインの内耳の体感に蛇がまつわってゆく微細が見事だ。静謐な法悦。のち川上弘美の小説の法則=「しずかな浸潤」は、主人公=話者ごとに文体が変貌してゆく分岐性のなかへさらに高度に実現されてゆく。
●綿矢りさ『蹴りたい背中』(二〇〇三年・下)
いまになってみると、綿矢の小説は共約不能なヒロインにいかに共感をあたえるかという孤独な試みの連続だったとわかる。そこに外界の光景が付帯する。この受賞作では、「布」と外界の微妙な隙間に剥き出しの生を自覚するヒロインを置いて、その疑似外界の束縛を突き破り、足=脚がいかにオートマティックな「運動」をしるすかまでの物語だった。身体の今日的な悲哀の把握という点で群をぬいている。やがて綿矢は『ひらいて』でさらにヒロインに試練をくわえるが、その際の性交描写がドゥルーズ的な沸騰さえおもわせた。
●川上未映子「乳と卵」(二〇〇七年・下)
関西弁の口語を基体に、うねるような複文でだらしない尾籠を書き連ねる戯作文体の作家だと、当初川上未映子を軽視していた。ところがのちの傑作『ヘヴン』から逆算すると、運動神経のするどさで停滞の曖昧な動態を鷲掴みにする稀有な才能が一貫していると見直したものだ。受賞作は、豊胸手術への希求によって「乳」を体現する姉と、初潮期前の不安によって「卵〔らん〕」を体現する姪の間接的な母娘物語だが、ずっと緘黙をつづけていたその姪がついに発語して、髪と玉子の葛藤となる凄惨なくだり、その長文構成が奇蹟的に神々しい。悲惨と絶望をそのまま光明化する川上未映子もまた希望の作家だった。
散文4
蔓がのびてゆくような寓話の型がある。ところが蔓というものには、らせんの伸長がけして自明なのではない。不安定にのびた尖端が中空をまさぐり、ついに添え木をつかむまで、手のばけものがみえるのだった。うごきのゆれを風が「手」助けしているのもかんじた。なにか、にんげんみたいな手のかかわりあうそれら摂理がおそろしかったが、蔓型の寓話から検出されるべきが、ときどきの風量だとはみとめた。いいかえればそんな風量に天族の四五手があるのだ。もっとおもいだす。かつてのすまいのベランダ、たばこを吸い朝顔の鉢をみていると、吐かれるけむりすら掻きみだされて、巻きへとはこばれていった。そのけむりのなかにも手の霊がぼんやりみえて
散文3
胸のまえに真珠玉をおろしていて、球面にうつる光景がじぶんをふくんでいる。そこにあふれているみずからのはだいろは光暈と区別がない。じぶんをみながらあるいている夢遊だから、在ることのくずれをひろってゆく乞食からほどとおい。さらにおんなを加味してみる。乳房は真珠玉の映りをさらにふさいで、自同がとじゆく扇となってゆく。みずからによってこそ足りないこと、爾後をかんがえずに不足をむきだすあのひとたち。ゆきかいながら、あのあわい真珠玉をもぎとる来季があるだろうか。夜の通りはきらきらしている。
散文2
いきものの構造は躍りでる。ひかりの針をさされて瀑のしぶきのなか、みずからのからだにおどろいたありえぬ釣果のようなもの。おもたさは反って跳びあがり、羅をほどいて、しなりつづける。痙攣はおのれの外を打ち、発端がかく継がれる。世界を怒張しているのか。ぬれている表皮の下にも濡れがあふれて、ぜんたいが神経の肉となっている。組みついたことはほとばしり、かんがえと痛みがまざる。泪に似て、いきものの構造が躍りでる。
散文1
カウンターに沿って通り側をふとながめると、グラスに口をよせるおんなの、瓜実の横顔がある。かわりつづけるふたつのひかりのまじわりにそれはおさまっている。なにかの交点にある顔は情のめくれであり、それをさらにつつむうすぎぬでもあるが、在ることは、いつもかたちではなくうつろいにこそやどっている。しろい色の幅をかえるごとに、顔のこころがむごたらしくむきだしになり、しずかなまなざしのうつりにはなじめなさもわずかに尾をひく。いきもののなかにはそうして、やはり無魂のいきものがいるものだ。それじたいではないそのつめたいふるえに、きれいだと、いつしかゆっくりと息をのんでゆく。
メモふたたび
さきに夢をみるか、あとに夢をみるか。極論すれば、愛されたあとに殺されるか、殺されたあとに愛されるか。この択一の帰趨が意味すらかえない、おどろくべき対象がある。あいまいなからだ、乞食、あらわすことに憑かれた者、鳥に似るひとなどがそれだ。それらでは生死を問わず、風変わりな本質だけに評価がもとめられていて、あたえられる区分もただ鳥に一括される。
空への梯子
【空への梯子】
樹の果の生る樹をゆうぐれにみあげれば星をしのぐ。みのりはみぢかな生死をみなめぐっているのに、みえがたく隠れ、わずかなひかりを散らす音までひびかせては葉のかげになかば泣きやぶれている。はかられることがすでにあばかれる、かたちの性のめくれ。空にある熟れは天上へいたるみちに縊れた閉じのある、こころのあらがいをうつす。とどめた息をうれいでおもくするゆうぐれの見上げは、おんなめく桜桃にはじまり梅の実がつづいて、しびとのあけびのならぶ森もあるかもしれないが、祝言なら葉のすべてない柿で終わる。かたちにとなりのなくなる澄みをつうじ、一年はさみしく空への梯子をいなむ細みになってゆく。
歌
【歌】
歌であるあかしが成るとき、ことばが声にとける。歌であるあかしが立つとき、一曲という囲いが終わる。ひとやにいるなら、とけることはさいわいで、終わることがただものさびしい。だからひとやでは歌というものが口とのどをみたし、もう歌をやめられない。胸にはなだらかなまるみができ、歌のかまえともよばれる。死ぬまでのえらび、これがねずみとちがうところだ。
メモまたもや
「水はぬれているWater is wet」「火はもえているFire is burning」といった、意表をついた意味上の再帰的構文を、「空気」を主語にしてはつくれない。ふとおもいつくのが、「空気は呼吸しているAir is breezing」という構文だが、そこでは「なにもないこと」を統括し物質化し流動化するなにかが、空気の内側に暗示されてくる。そういうのが空気の特性だ。詩を書いてゆくと行ごとにつくりだしている理路が円満し、これで一篇を書き終えるという導きが生ずる。そうなれば整えればよい。これはたんに「Water stops flowing」「Fire stops burning」ということのできる原質に詩作が忠実だったことをあかすだけだ。ところがやはり「空気」はこうした言い方にけっしておさまらない。おさまらず、ととのえることができないものが空気で、それはそれじしんをみとめさせないことで場所や時間をみさせている、超越的な持続というしかない。「水の詩作者」「火の詩作者」は数多い。「空気の詩作者」はまれだ。それでも数人はいて、そのひとたちが畏れをおぼえさせてやまない。
トナー
【トナー】
無関心が法則となっているそのひとみを
みごと鳥影が射当てると
うちがわをくろい粉が
ほこりをたてるように舞う
そんなふうに水は土でできているが
おそろしいながめとは内部を
ちりばめているものがとび散って
むすぼれがあやしくなることだ
キャンパスのなかのハス池
眼の断面と鳥の断面がちがうのに
おなじにおもえるのは
すぐまえであるわたしが
眼と鳥の中間だからかもしれず
みたものをつげるまえには
やわらかな転写がさけられない
凱歌
【凱歌】
だれかのからだが落ちている
木立というものがある
きっと木立が産み落としたのだから
そのまぶたをひらいて
わかみどりの香をかがねばならない
ふかしぎなり
おもわず声から口が出る
植物をへんれきしてきたものは
おもったよりみどりがふくざつで
まみそのものがホトに似ている
すじにおいても
けだかく負けが凱歌をあげている
メモさらに
欠けているものがみちている感覚が詩の行にはあり、詩のことばはたがいの張力によりながれている。だからそれは意味になるてまえで、すでに読む眼を音楽でぬれさせ賦活させる。詩の原罪はそのように音楽を代位してしまうことではないか。しかも哲学や自身の生までをも代位しようとする越権すらある。ただの、うすまくなのに。あるいは、とおさがちかいだけの息なのに。そのように括られそれじたいを捉えられない無惨なからだなのに。
メモ
ひとに教えるとはあやういことだ。
了解のとりつけのためには、興味をいだかせる展開が要る。ということは教示内容とともに、時間の形式をも教示しているのだ。教示内容をさまざまな機会に反復することは反感を買う。ということは、反復は、変容の色彩によって隠さなくてはならない。
提供者と享受者が「ともにかんがえること」が極上のかかわりだとしめす必要もあるが、いつまでも相手が了解にいたらないときには自分の無力とともに世界の無力にもそめられる。その意味で、教えることはいつも、「諦念を克服しなければならない」という諦念につながっていて、そういう憂鬱をも教えなければならない。むろん教えられない非力を、教師が生徒に教える逆説も、教えの裏がわには膚接している。
きみはひとりだ、と告げること。それはひとりでは構成されない世界にきみがひとりで投げだされている痛みを愉しむことだ。
だから教える順序も以下のようになる。一、内容。二、展開。三、痛み(孤立)、四、余裕(連帯)。最後にかたられるべきが、五、救済の意味、だろう。知らなかったことをかんがえはじめたという事態は、生徒の自己のみならず教師をも救済する。そういうちいさな救済でながれる時間が填められている。だからこそ「みんな死ぬ」という定理も満尾するのだ。
これらのことはじつはすべて偶有性において複雑で、教えは日々の転変に満身創痍になるしかない。そこには万全堅固なものなどなにもなく、教えるひとの色彩もそれじたいをとらえられない中間色しかしていない。これは教えにともなう必罰で、そういうことがあやういのだ。
窓枠
【窓枠】
きょうも灼けているしろい空
窓をおおきく開け放っていると
たてものの横がぐらぐらして
ひかりを背に劣化したともだちが
窓にぶらさがってくる
その顔が椅子なのですこしおどろいた
そこは肋木じゃないって
というまにカーテンレールへ身をうつし
うぶげでひかるはずかしいはだかを
カーテンにつつもうとしている
まわっているようにもみえる
椅子の絵ばかり描いてきたんだろ
ならおれを描けよといわれるのだが
口をあいたぼくからは微風がでていて
かるい土蜘蛛みたいなやつもゆれやまず
クロッキーだってできはしない
いつまでつづくんだろうこんなおとずれ
つかれながら振り子にてとまらないやつは
支えたいんだ棒をくれとついに懇願する
椅子の顔のままでいればいいのに
よけいなことで時計に似ようとまでするなら
しんせつに棒をあげるふりして
いっそ砕こうかとおもいたつけれど
それは窓枠をひろげるだけかもしれない
竹がない
竹の北限地は本州にあり、したがって北海道には孟宗竹の藪がない。すずやかな笹鳴りもない。孟宗竹は日本自生ではなく中国大陸からの移入。日に一メートルものびるそれは、土地の結界づくりにももちいられ、風景を翳らせてきた。すさまじい成長力は、竹藪のそばに建った家の畳を、ゆかから突き破るともいう。ぼくの母親は庭木にしてはいけないものに、いちじく、さるすべりとともに竹を挙げていた。竹の戦慄、というものがあるのだ。
札幌の景色の「アジア離れ」のひとつは、竹の不在によるかもしれない。翳りのない眼路の平坦。ぎゃくに都内の住宅地ではまがりくねった道のかどにとつぜん竹藪がみえて風景に強調がほどこされる。竹は樹木ではなく艸だ。それも怪物的な。そこだけなにかべつのものが青い。だから朔太郎の詩はあり、松岡政則のいう艸のひともいる。身近な分類不能性として竹はそよいでいる。復活後の谷川雁は、東アジアは黄=黄土の定着性・停滞性と、侠気の青=刺青の不測的流動性、それらの対立・交響だと喝破したが、その青は刺青のみならず竹のそれでもあるだろう。
大火にあって竹は焼尽するだろうか。焦げるだけではないか。それで木立よりもさらに、竹藪がひとの群れに似ているのではないか。竹は籠になり笛になり竹刀にもなる。そのこどもは食用に供すべく探される。筍の狩場は山中にあって秘密だ。だれでも竹の断面を知っている。空洞が実質。竹は反物質の悦びといえる。詩歌にひつような結節も竹はもつ。切字のあつかいが見事な俳句に、ひともとの竹をながめる気分がおこる。
ぼくのそだった鎌倉の家には忌まれるべき植生ながらさるすべりも竹もあった。親父が勝手にじぶんのこのみを庭師へこっそりつたえたのだ。父母は離婚し、その家は手放された。家のなかには足裏から健康を恢復する道具として、縦に半分に割った竹が置かれていた。それをよくはだしで踏んだ。親父の部屋には竹と虎を画題にした軸が置かれていた。それら竹の不吉さに感覚を涵養された気がする。いまは北海道に住んで、それらを眼にしない。眼にしない自覚はなかった。院生に「北には竹がない」と教えられ、じぶんをとりまく異調におもいいたったのだった。
ヘルプレス
訳したくなったので訳してみた…
【ヘルプレス〔どうしようもなく〕】
ニール・ヤング
北オンタリオのあの町では
夢をつうじてこそ甘美な記憶が絶望となる
だから心にはいまだ逃げ場が要る
そこから出ればすべて変わりえたのに
満天の星のうしろ、真っ青な窓がかぎりなくひらけ
そこへ黄な月がのぼりだす
巨鳥は夜空をわたりゆき
ぼくらの眼へ鳥影を落としてきえる
そうしてただ盲いのこされる
どうしようもない 救いなき ぜつぼうに とらわれて
ぼくの嘆きのうたがきみへひびいているか
鎖はきつくとざされ
扉などひらきもしない
家の外からでいい、ぼくの声に和してくれ
満天の星のうしろ、真っ青な窓がかぎりなくひらけ
そこへ黄な月がのぼりだす
巨鳥は夜空をわたりゆき
ぼくらの眼へ鳥影を落としてきえる
そうしてただ盲いのこされる
どうしようもない 救いなき ぜつぼうに とらわれて
どうしようもない 救いなき ぜつぼうに とらわれて
あすのプリント
※先週にひきつづき、あすの国語表現法にて配布するプリント。またも保坂和志、カフカ、正岡子規の引用のみだが、読まれると各断章にひそかな連関をかんじられるとおもう。よろしければお読みください
●
国語表現法配布プリント【保坂―カフカ―子規】
その2
●保坂和志『カフカ式練習帳』〔文藝春秋、二〇一二年〕より
小動物と暮らしている人たちは必ず思う。子犬や子猫たちならなおさらだ。馬や牛や象のように自分より大きな動物でさえそうかもしれない。
「天使みたいだ」
しかし天使とは物質界の法則に従わない存在なのだから、時間の影響を受けない。人が「天使みたいだ」と感じる動物たちは人よりも強く時間にさらされている。生涯の時間の進みが人よりも速い。
ならば私たちの天使は衰弱するのだ。私たちの目の前で、あれほど軽やかに跳び回っていた天使が、私たちを追い越して衰弱してゆく。
(一一六頁)
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通勤帰りの時間に郊外から都心に向かう逆方向とはいえ、午後六時の電車はつり革が半分以上埋まるほどに混んでいたが、電車が急に速度を落としてのろのろした走りになり、そのうちにいったんは停止してしまっても車内は苛立った空気にはならなかった。電車が運転を再開すると車内放送が流された。
「さきほど線路内に犬が侵入し、しばらく電車の前を走っていたため徐行運転をいたしました。」
笑いがもれ、電車は速度を上げていった。しかし、電車は高架を走っているのだった。犬はどこから来て、どこへ行ったのか。
(一二九頁)
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高校二年の土曜の昼、野球部、といっても軟式野球部だが、部員が校庭の隅の壁の前に五、六人で並んですわって弁当を食べていた。そこですでに早弁を済ませたレフトの高木がやって来て、ショートの成瀬の頭ごしにボールを壁にぶつけて、「早く食べろ」と催促し出した。壁にぶつかったボールがワンバウンドして高木のグラブに収まり、高木はすぐまたボールを成瀬の頭ごしに壁にぶつける。高木に急かされて成瀬はむっとしてわざとゆっくり弁当を食べる。私は成瀬と親しくなかったから成瀬の食べる速さを知らなかったが、わざとそうしているとしか見えなかった。だいたいなぜそこに私はいたのか。目撃するためにいたのか。
高木はワンバウンドでなくツーバウンドしてグラブに収まる力加減で投げ出した。そのうち高木の投げるボールは山なりになり、弁当を食べている成瀬のすぐ目の前にバウンドするようになり、そしてついに壁に弱く当たったボールが成瀬の弁当箱に落ち、弁当が飛び散った。あわてて駆け寄る高木に成瀬は目を合わせず、「お母さんが朝早く起きて作ったんだぞ」とだけ言い、高木は顔をこわばらせて棒立ちになった。
高木は一週間前に母親が亡くなっていた。成瀬はそれをどこまで意識して、その言葉を言ったのか。高校生の男がふつう口にしないはずの「お母さん」という言葉を成瀬は、高木に向かって使った。話はそれだけだが、成瀬が不自然な事故で死んだという報せを聞いたとき、私はあのときの真意を成瀬から聞けなくなったと思った。
(一三六~一三七頁)
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公園の猫たちに毎日夕方餌をやりに行っている妻が、
「ホントに失礼しちゃう」
とブリブリ怒って帰ってきた。事情を聞くと、ここ二、三日で、猫たちの口のきき方が急にぞんざいというか下品になったそうだ。
今までかわいく控え目に「ニャオ……」と鳴いていたのが「ニャアオー」と脅すみたいに催促する鳴き方になったとか、妻が缶詰の中身を皿に出すのが待ちきれずに手を出して引っ掻くようになったとか、そういうことだろうと思ったら、
「ひとみって呼び捨てにしたのよ」
と言う。
「まさこが呼び捨てにしたと思ったら、よしひこなんかババアって言うのよ」
「頼むから、おれに言うときは“三毛のまさこ”とか“茶トラのよしひこ”とか言ってくれないか?」
「なんで?」
「柄をつけてくれた方が猫って理解しやすいだろ?」
「いいけど、まさこは白でよしひこは黒トラよ」
「わかった。
それで『ババア』っていうのは、どういう鳴き方なんだ?」
「だから『ババア』よ」
「ニャアオオか?」
「バカねえ。『ババア』は『ババア』よ。
『ババア』って、あたしに言ったのよ」
(二一八~二一九頁)
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〔…〕
以前、ある仏教学者が言った。
「インドではそこらじゅうにヨガの行者がいるんです。食べ物はいったいどうしているんだろうと思って、私は見てたんですよ。そうしたら、行者の前にポンと、人が食べ物を投げるんです。
日本でもお地蔵さんには必ず何か食べ物がお供えしてあるでしょ?
『あ、あれと一緒だな』って、私は思いましたね。でも、食べ物が行者からちょっと離れたところに落ちた。一メートル、いや一・五メートルくらい離れてたでしょうかね。手を伸ばしても届かない。
どうするのかな? と思って見ていたんですが、行者し知らーん顔してる。
ところが、私がちょっと目を離した隙に食べ物が消えてて、行者が口をもぐもぐやってる。私は何人も見たんですけど、一度も食べ物を手で取る瞬間が見れなかった。
あれは変でしたねえ。」
(二四一~二四二頁)
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ぼくの夢はいつか地球が人間が猫の寿命になって猫が人間の寿命の星になることだ。
猫は八十年くらい生きて人間は二十年くらい生きる。人間は猫を家族で代々飼うのを伝える。自分が生まれたときに猫がかりに十歳くらいだとしたら僕が死ぬときに猫はまだ若いさかりの三十歳だ。僕が死ぬのを猫は暖かいような少し無関心のような眼差しで見送る。二十年しか生きないということは当然いまの四倍のスピードで人間は歳をとるから、人間は五歳で大人になる。人間の動きは今の人間より四倍とはいわないがだいぶ早く、猫の動きは今の猫よりもだいぶ遅いかもしれないが、猫だからやっぱり人間より素早いのかもしれない。
〔…〕
八十年も生きるのだから、猫は二十年か三十年は同じ場所にいる。今、僕の家のお向かいの家の玄関の上の小さな屋根が張り出しているところに昼間は毎日必ず、うちで「キナコ」と呼んでいる猫がいる。猫の寿命が八十年になると、キナコはきっと、僕がよちよち歩きのときから歳をとってよぼよぼ歩きになるまで、お向かいの玄関の上の張り出した屋根の上で僕のことを見ている。
〔…〕
(二四九~二五一頁)
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〔…〕
――彼は自分の中に、泣こうとしている傷ついた少女がいるのを感じた――苦痛で泣くのではなく、さらに危害を加えようとする人物をなだめるために泣くのでもなく、貧者を見捨てる町の冬の通りに放り出されることを恐れるかのように泣くのだ。
〔…〕
(二七三頁)
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●岩波文庫『カフカ寓話集』〔池内紀・訳〕より
【使者】(全篇) ※六三頁
王となるか、王におつきの使者となるか、選択を申し渡されたとき、子供の流儀でみながいっせいに使者を志願した。そのため使者ばかりが世界中を駆けめぐり、いまや王がいないため、およそ無意味になってしまったお布れを、たがいに叫びたてている。だれもがこの惨めな生活に終止符をうちたいのだが、使者の誓約があってどうにもならない。
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【小さな寓話】(全篇) ※六四頁
「やれやれ」
と鼠がいった。
「この世は日ごとにちちんでいく。はじめは途方もなく広くて恐いほどだった。一目散に走りつづけていると、そのうち、かなたの右と左に壁が見えてホッとした。ところがこの長い壁がみるまに合わさってきて、いまはもう最後の仕切りで、どんづまりの隅に罠が待ちかまえている。走りこむしかないざまだ」
「方向を変えな」
と猫はいって、パクリと鼠に食いついた。
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●カフカ『夢・アフォリズム・詩』(平凡社ライブラリー、吉田仙太郎・訳)より
ほんとうに判断を下せるのは党派だけである。しかし党派である以上、党派は判断を下すことはできない。そのためにこの世には判断の可能性はない、あるのはただそのほのかな照り返しだけである。
(一〇二~一〇三頁)
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独身生活と自殺はよく似た認識をもっている。自殺と殉教死はまったく違う、結婚と殉教死は似ているかもしれない。
(一〇三頁)
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信ずるとは、自分のなかの〈不壊なるもの〉を解放すること、より正確には、自分を解放すること、より正確には、不壊であること、より正確には、〈在る〉こと。
(一〇五頁)
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天空は沈黙している。ただ沈黙している者に対してだけは、こだまを返す。
(一〇六頁)
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〔…〕罪の原因となるものと、罪を認識するものとは、同一である。〔…〕
(一一〇頁)
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嘆き――もしわたしが永遠に存在することになったら、あすわたしはどうなるのだろう?
(一一二頁)
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われわれの課題が、ちょうどわれわりの人生とおなじ大きさであることが、その課題に無限性の外観を与える。
(一一二~一一三頁)
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認識は、われわれがすでに持っているものである。ことのほか認識を得ようと努力する者は、認識を得まいと努力しているのではないかと疑われる。
(一一五頁)
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堕罪に対しては、三つの刑罰の可能性があった――いちばん穏やかなものは、事実上の刑罰、すなわち楽園からの追放。
二番目は、楽園の破壊。
三番目は――これがいちばん残酷なものになっただろうが――生命の木の隔離、そしてその他のものすべての、変更されることのない放置。
(一一六~一一七頁)
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すべての責任が君に課せられると、君はその一瞬の機会を利用して、責任の重さに屈服してしまおうとすることもできる。しかしそうしてみたまえ、君は気づくだろう、君にはなにひとつ課せられてはいなくて、君が責任そのものなのだということを。
(一一八頁)
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●正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫)より
長塚より鴫〔しぎ〕三羽小包にて送る由の報来るその末に
昨今秋もやうやうけしき立申候 百舌も鳴き出し候 椋とりもわたり申候 蕎麦の花もそろそろ咲出し候 田の出来も申分なく秋蚕〔あきご〕も珍しき当りに候
とあり田舎の趣見るが如し ちよつと往て見たい
〔…〕
夕飯後鴫の小包到着 三羽一くくりにしてあり
淋しさの三羽減りけり鴫の秋
(五五~五六頁)
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【『仰臥漫録』中の「蚊帳」句】
病人の息たえだえに秋の蚊帳
病室に蚊帳の寒さや蚊の名残
秋の蚊の源左衛門と名乗けり
秋の蚊のよろよろと来て人を刺す
残る蚊や飄々として飛んで来る
(六〇~六一頁、一部表記変更)
筆も墨も溲瓶〔しびん〕も内に秋の蚊帳
(七二頁)
二つ三つ蚊の来る蚊帳の別かな
蚊帳つらで画美人見ゆる夜寒かな
(八〇頁)
寝処をかへたる蚊帳の別かな
痩骨〔やせぼね〕をさする朝寒夜寒かな
(九一頁)
●正岡子規『病牀六尺』(岩波文庫)より
百二十五 〔※一八四~一八五頁〕
○足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。大磐石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号泣、女媧氏〔じょかし〕いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。
(九月十四日)