かたちについて
事物がそれ自身との関係をともなって二重にみえるときがある。それの在ることをただ内在性がほぐし、ゆえにその事物の外と、事物の外観そのものとが、「展け」によって釣り合ってもいる。場所と事物、あるいは地と図の関係をかんがえればわかるが、そういうものはたとえ一度目であっても内外が同時に算えられ、いつも二度目だし、奥行の阻みかたがうすいし(幽霊的)、それ以外に誘うそのありかたのみで、こちらの視ることを赦してさえいる。いいかえよう。直截性への使嗾がたえず悪だとすれば、「それ自身だけをのこして」周囲へと消滅する事物は、これより先も善きもののなごりかもしれない。ヌードや詩は向かわれる、そのなかにある余白をつかみだされるまで。このことのためにのみ、それ自身のかたちが要る。
秘められた生10
きみの言語にはまなざすことでは填められない穴があり、それもいたましい陰裂といってよかった。まわりにはみだらな髭がはえ男性性もみてとったが、うけいれるだけの貪婪には知恵の表情がなかった。情だけがあまっている裂け目は眼にくらべなんの特異性でもない。まねることが挿されることで、この交換によりたえず面前に貨幣がよびだされた。それでも喚びだしながらみずからを喚びかえ、そのたびきみの眼孔がうつくしい量感でみちた。再生こそが陰裂というかたちの潜勢だった。ぼくは職業柄、そこからモノクロ映画の二元反復をかんがえた。ひらいて、とじるすべて――眼と陰裂と映画。それぞれはきみの言語を旋回する、そらにぞくするとおい母娘だった。きみは三つのもので、じぶんのすべてを眼瞬きしていた。
秘められた生9
宙にうかぶしずくがひとのすがたを逆さにおさめるように、ちいさなおもいでを相手へのひとみに置いた。それからその日を別れた。うしろ向きですすむ背後にこそあすがあるといわれ、相手のうしろすがたもなんとなく過去からふりかえっていた。おぼえることの倒立がそうして一回ごとの出会いにあったが、たとえばその輪郭をもっと撫で、自分の手と水のむすびを固めてもよかった。けれどもそれをゆるさないように、ならぶわたしたちはいつも旅装で、たがいにひかりあるくあいだを、はやすぎる何かの移動撮影にゆだねていた。
秘められた生8
縦横をつくすということは性愛の外側で起きた。たとえばともに食べる時間は生の糧を眼前にならべる以外のなにものでもなく、たがいの周りにみちる夜をかんじつつ、きのこなど食べもののはっきりとした限定をいとしんだ。けれど行為はまざればまざるほど良い。食べるに語るが、視るに聴くが、笑みに後悔が混ざり、いっとき無言でふれあっていた対峙の閉塞にもそうして縦横がつくされた。うごきあう箸の形状がきれいだった。やがて卓に十字路がうまれ、できることにできないことが交叉した。曲りが直行でない原則が街のひろがりだとすれば、深夜までの街に溶ける者どうしとして、ぬれるように食べていた。
秘められた生7
ひとりをみつづけることで視は鍛えられる。けっきょく視とは変化を眼底におさめることで、耐忍が要求されるなにかだ。むろんそれらみたものを記憶が裏打ちして、やがて視そのものが多重化へいたる。この耐忍と記憶がまなざしの人間化まで保証するとすれば、ひとみにやどる重たい愛の正体もわかるし、みるもののなかでもっとも意義のあるのが時間や老いの兆しだとも得心がゆく。ともあれ記憶がみたものを複数にしてそれを時間にするのだ、映画にたいするように。いっぽう現在だけの複数をみつづけることで鍛えられる視は動物化へとむかう。性愛のただなか雄性のまなざしにあるのもふつうこれだが、やがてそれは挑みを緩和されてひとつであるものに集中し、視の人間化へとかなしく反転する。視はしろくなる、その者に絶望への知恵があればそうなるだろう。視の焦慮は愛によって盲目化する。このことを瞑目になじむ雌性は最初から知っている。
秘められた生6
性愛のただなかで起こるのは、現下の相手がおんなであることへの羨望だ。それは腕を巻きつけ落下の最中にいて、しかもその落下を開花させている。水中にいるようだし、記憶そのものにも似ている。間近なのに対象性があやうく、その混濁は、混濁なのに澄んでいる。さいわいと快楽のあいだにかくも捷径ができていて、ひとのなす空間がその内部への捷径にすぎないとおもわせ、ねじれていることがそのままうつくしさだとも感嘆させる。瞑目が花色だ。いずれにせよこちら側は、相手へ折りこまれた遠近により、媒介というよりも「消失してしまった消失点」へと墜ちる。この自己解消がおおきい。つまり相手への羨望はそれから文字どおり、こちらを少しずつおんなにするのだ。隣接をつなげている組成におずおずと触れて花粉まみれになり、ぜんたいの視線を触手にして惑乱し、それらもろもろが装飾にさえなることが、こちらへあらわれた雌性に、さらに拍車をかける。わたしは相手を逃さないために相手と混ざる位置そのものへ変わってゆく。
秘められた生5
きれいだとおもうときには、そのひとを配分ではなく含有だとかんじる。民族の特質という含有いがいに、ある段階からさきの思考不能があってそのひとの表情がかげっていることも、さほど構造の失態とはかんがえない。やがてその表情が蜜にぬれ子ども返りして輝くのと、髪のゆらしてくる柳の感触をすら二態のあいだの含有とすれば、ひとはただ両極のあいだに、かすかにくろいものをながすだけだ。座礁した舟をおもわす座位のまにま、歓喜のあえぎではなく溜息をつき、含有から気体的にくろいものがながれるのも、ふたりのきれいさではなく、会うたびに散るそのひとだけのきれいさだ。倦むことの本質とは、一回一回のあらわれを反復とせず奥行とすること。わたしたちのむこうの空間がそうしてかさなって、ふだん忌まれるものにすら不吉さがなくなる。それはもうふたりによって投げだされた世界の含有だ。
秘められた生4
一点だけの恥しさなどありえない。秘密はむしろ径路の露呈にやどる。みだらさが泣き声を経由してかなしさへときわまってゆく個別性。性愛中の舌のうごかしかたが授乳下にあった幼児期をよびだし、さみしい生の過程や質が一挙に現前すること。むろんそうした量的な秘密こそが、性愛でのひとの美質なのだが、「一点」にとどまらないながれは、一体性を逃れやすさにむけてさえ拡張してゆく。Y字路に立つような感慨も、そこをV字形に遁走しつづけ、こちらへ近づいてこない者の運動、その蝙蝠のうすやみを想像させる。拡張は記憶に息づく存在の輪郭のうすまりとも化合して、「そこにあったこと」が「そこになかったこと」をふくむ融即の契機をつくりあげる。そういうものだけが生の価値だとすれば、恥しさは絶大な効果をふるっている。つまり「そこになかったこと」だけがつよく「あった」というのが恥辱の本質で、そのことはひとの径路の線型性にこそ現れるのだ。これが生のすべての秘密。川べりをあるいてゆくようなそんな性愛がこのみだった。
秘められた生3
すはだを寄せあっていても、相手のからだに疲れ倦んだ感覚は、わたしと相手、それら交互におとずれる。いつか厭になる、は予言のしるす暗い歌だ。このときからだは、ひとりでいるときよりも傷ついている。対面性の蠱惑如何にかかわらず、からだのなすすべてが単調、もしくは短調を病むのだ。からだは肌とはべつのもの、たとえば諧和で囲われていなければならない。けれど何を挿しあっても相互の賦活へいたらない減退は、次善としてみだらさをえらぶだろう。それをゆるすのが個別性だと哲学的に銘記しなければならない。からだの向きを変え、裏返したり、倒立させたり、部分性をつよめたりする逸脱。たしかめられているのは性器の所在ではなく、むしろからだのかたどる慮外の曲線のほうだ。ひとつのカーヴが精神の属性へとひろがるわずかな可能性がそこで賭けられる。ねじれた動物化がじっさい特異性のようにうつくしい瞬間もあるが、からだとともに相手のこころまでもがみごとに曲ったことに、潜勢特有のありよう――撓むひかりをかんじるのかもしれない。そうしてひとには枝も関連する。むろんそれは「ある」のではなく「現れる」。
秘められた生2
あかるさ、色の区別はあるけれども、星に外観はない。かわりにあるのが、ただ星ぼしの配置ということになる。そんな状態にいたるまで、記憶もまたみずからを遊離する。ところがそうした「配置」こそがじつは空間理論のいう、ほんとうの一体性なのだ。ということは、退化した記憶も、細部に距離をわたらせた、親密な気圏の一体性、そのなかにある。記憶は、おぼろだったりひかったり濡れたりしているその眼、あの眼、さらにべつの眼…をかぞえてやまない。しかも外観がやがてきえる。それぞれの眼がひとりのもつ別の相であるときには、その者の雰囲気のうしろに、星空を透かしているような深遠までおぼえる。もともと、ある女の背景が夜だったことは、それだけでも感慨ぶかい豪奢だったはずだ。
秘められた生1
わたしはちぢめる。わたしは縮減者だ。のっぽのもつ粗い感触にたいし、胸許に収まる小ぶりの背丈というものがあって、抱擁するとわたしの鼻が相手の髪を自然に嗅ぐことになる。それが海の匂いをもつかどうかはべつに、相手にもわたしの心音がちいさく響いているだろうとかんじれば、鼻や耳や肌は、いまやわたしひとりにではなく相互にあり、それらが地形的な一体性をなしてもいる。姿見にとらえられると地形は互いに褶曲しあう二山のようで、しかも身長に段差のあることが空間を截っている。むろんあらゆる差は愛着においてちぢむ。おなじになろうとしてこちらの背中がかがむ。相手よりもすこしだけ背のたかいことが、むしろわたしの小人をあらわしている。しかもなお、相手のなかへとはいりきる陶酔などない。相手の穴が世界の穴よりもうんとちいさいためだ。世界と肉体の関係は、音と弱音機のそれに似る。わたしたちは自分を減らすために抱擁し、すべてが記憶になる次元まではそれにほとんど成功する。記憶が形成されるときに反転がはじまるのだ。それまではちいささを愛そうとして、じっさいにたましいではなくかたちをちぢめる。
●
その頃すでに全能感をおぼえていなかった。性愛が相手をまるごと変えるとねがうなど狂気の沙汰とかんがえていたのだ。動物は死ぬまでひとつの容積であり、たえず移動してゆく場所性を、それが可視的でなければ気配だけを、形成する。性愛はそうした気配を間近に迎え、移動性を固定しながらなおも移動性を増幅してゆく撞着にすぎない。移動は声に、睦言に、まなざしに、体位の変化にあらわれるが、相互を渚に見立て、寄せては返す波を二重にすることもある。それで性交に、唇と舌の離れることのない接吻が付加されてゆく。けれどもそれは、すべてであることをただ二重性へと分離するだけだろう。むろんすがたや同調の二重は、刻々の転写を予定する。どちらかがインクになれば、どちらかが紙になり、「印刷が起こる」。印刷機の音を立てながら用紙が繰り込まれ、二重性の極限である、ばらばらの薄さにたどりつこうとする。性愛は間近なので、たとえば眼とくちびるをことばで連続的に描写するように分離的に視覚化するのがむずかしいが、抱擁する腕には薄さと厚みとが分離的にあらわれて、惑乱が感覚されている。自分の息がはげしすぎて気づけないだけだ。全体に関係するときの、機械特有の惑乱というべきだろう。
●
パスカル・キニャール『秘められた生』(水声社、13年11月刊、小川美登里訳)は、瀕死から蘇ったキニャールが、末期の感覚で、みずからの性愛を回想し、性愛そのものについて思索をめぐらせた、小説と哲学とを分離できない傑作だった。これを土曜日に読了してから、「恋の窒息性」がからだにまつわって、まだ夢見心地のなかにいるようだ。その意味でロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』と似た経験をしたことになるが、バルトよりもさらに、その読書が「読む自分」の個別化をみちびく働きがつよいのではないだろうか。書記には断章によってしか到着できない「断章のかたちをしたちいさな連続性」があって、そのバルトの方法をキニャールも踏襲する。それで読書される細部がばらばらに分離して、この分離こそがじつは個別化をうながす。もともと個性とは分離を偽っている縫合傷にすぎず、キニャールは傷のかたちを読む者の内奥に意識させながら、しかもそれを細片にもどし、読む者の感覚を「ちいさなものの」の点在にしてゆくのだ。「眼つむること」の考察でキニャールがそれまでの伏線を憂鬱な真実へと綜合するまで、ぼくは自分の細片のこころがからだに投げかける、斑点群のような影をも追っていた。
これから毎日とはいかないが、キニャールのことばの、すばらしくくぐもったひびきを確認しながら、それに触発されて生じる自分の性愛イメージを何回か綴ってゆこうとおもう。キニャールからの具体的な影響箇所は銘記しないが、キニャールと「二重になりたい」ゆえの試みだ。キニャールの演奏への伴奏を、事後的におこなう、ということでもある。
ありがとう島倉千代子さん
【テレ東『火曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』】
昨日(11月14日)、テレ東系で20時から放映された特別追悼番組、『木曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』は、病気前の島倉千代子、その歌唱のすばらしさを多元的に刻印した音楽番組としてほんとうに見事だった。島倉がテレ東系歌番組に出演した250本以上のなか(多くは80年代のもの)から見事なセレクションをほどこし、その歌唱人生と歌唱技量をくっきりとうかびあがらせた。録画したものは、ぼくの一生の保存版になるだろう。
まずは島倉の歌唱が何だったのか――その総論からゆこう。
女声は男声よりももともと声が高いから、ファルセットは地声からの連続性がつよく、自然にひびく。島倉はたぶん流行歌手のなかで最も声の高い部類だとおもうが、そのファルセットの効力を独自に決定づけた存在だとおもう。むろん高域の女声といっても、西洋のようにそれ自体が「声の楽器性」と化した「ソプラノ」とはちがう。日本性、アジア性のなかでの文脈なのは無論だ。
もともと話し声でわかるが、島倉の地声はやさしい。そのやさしさがファルセットに自然に接続されるのだが、そこでは形容のむずかしい多元的な要素が組織される。
・ファルセットはそれ自体が一種、「声の加工性」だから、さらにそこに加工性を足すのがむずかしいし、しかも煩い。したがって以下にしるす加工性は、つつましやかな縮減性のうちに実現される。島倉の歌唱が、情感をもちながらミニマルな美学を湛えるのはそれゆえだ。
・歌唱上の声質の特徴は「空気含有感」のゆたかさではないか。といってもそれはため息を基盤にしたウィスパー唱法ではない。けれどその空気は「ゆれる」。
・演歌的なギミックは、とうぜん日本の昭和30年代の歌手として定位された島倉だから、さまざまにある。まずビブラート。ところがそこでは技法的なビブラートと「生来的な声のふるえ」とが弁別できない。こうした連続性の平滑感こそが島倉の個性だ。
・コブシにかんしても「民謡的なもの」と一種の「折れ=ひだ〔pris〕」とをこれまた弁別できない。むろんその箇所は「折れ」なのだから、歌唱の一線性のなかの二重箇所として響く。ただしその二重性は現出音と倍音の二重性ではなく、なにか分析を阻むもので組織されている。たとえば奄美民謡のコブシ(元ちとせを想起してほしい)は声が折れて二重性に聴える箇所がもっときらきらしていて(金属的=メタリックで)、倍音による裏箔感がつよい。島倉のコブシはくぐもって、薄墨をながしたような感触をもつ。それは島倉が生まれた品川・青物横丁あたりの、海風と都会性の混濁した夜の空気がつくりだした感触かもしれない。むろん東海道筋だから、島倉の歌には「旅体」も組織される。
・島倉千代子を聴くことは、音の「一線性」、そのニュアンスに耳が過敏になって、眼が盲目化することではないか。発語の一定性(それが「間隙」をふくんだうえでの一定性なのに注意)、声量の一定性という基盤があって、そこでこまかく明滅する発声の運動に惑溺することだ、と換言してもいい。「いきみ」がない。誇張もない。「ゆっくり」を実現するために、なにかが真剣に耐乏されている。ところがその耐乏の感触が自己再帰的にむしろ「やわらかい」のだ。
・ルーツ的にとらえた場合は、「語り」と「謡い」の二項対立のなかで、美空ひばりの前者にたいし、「妹分」の島倉が後者に果敢に身を置いたということでもある。「語り」は説経節から浪曲を生み、浪曲調歌謡曲にいたる。「謡い」は新内を源にして、その簡素化・粋化・平滑化などをけみし、都会的な素養として長唄・清元などに分化してゆく。よってひばり的なものと島倉的なものとの対峙は、浪曲性と新内性のスパークととらえることができる。ふたりは双方の美点を、その対峙図式のなかにみとめあったのだ。ふたりはたぶん日本の歌唱伝統を真剣な「姉妹図式」のなかに身をもって転写したツインなのであって、だから89年のひばりの死後、島倉の歌唱力も、ピッチ、声量ともに不安定になって惨たらしく衰えることになる。そのひばりの位置に、島倉にさきがけて歌が上手で、しかも小児麻痺のために歌手を断念した実姉が置けるか否かは、今後の検証対象となるだろう。
・島倉の歌唱はともあれ、フラジャイルだ。脆さをゆたかにする歌唱は、たとえば病気ひとつで「ただの脆さ」に滑落してゆく。病気後の島倉を襲ったのはそういう事態で、しかも声そのものも低くなった。このとき平易にうたえる大ヒット曲「人生いろいろ」が島倉の歌全体を代表する符牒になってゆく。けれども昭和30年代からの島倉のファルセット唱法のしずかな多彩さに親炙したひとは、歌手の潜勢力にたいする見立ての縮減が起こったとかんがえざるをえないだろう。
・島倉の空気含有感のつよい歌唱の「間隙的一定性」のなかで独自なのは、「声の途切れ」が虚数として歌唱をゆたかにしている点ではないか。唄いまわしを誇張させゴテゴテとするために感情が切れて、声の途切れ箇所が生ずる似非演歌歌手は一定数存在するが、島倉のそれはちがう。最高音部にふと欠落が生じるのだが、そこが「つながる」情感の極点になるのだ。だから現象的にはその一音は無音なのに、その無音に音程がある、という物理法則に反することが起きる。これは一色が補色を準備するのともちかい現象かもしれない。
・島倉の日本語はしずかさのなかできれいだ。美空ひばりの一語一語のイメージ結像性とはちがう経路で、島倉の歌中のことばも像をむすんでゆくのだが、その像はやはり薄墨をながしたような崩壊性も「同時に」孕んでいる。独自境だろう。子音はどの行も煩くなることがない。母音にかんしては、「ア」音が無防備で、性的幻想にみちびく間口をともなっている。一方、対極的な母音「オ」音にかんしては一旦現出した音を「奥へと」しぼませる独特の働きをする(「逢いたいなアあの人に」中の「ホロリ ホロホロリ」を想起してほしい)。
以上、フラジャイル、崩壊感覚といった語彙までふくめて、島倉の歌にたいしての最初の概括をした。美空ひばりの歌の基盤は昭和20年代で、その歌の「ルーツ」の、再帰的な自己展開力が戦後の復興過程と両輪化して国民歌謡化した。その経緯については平岡正明がいろいろな本で分析している。いっぽうひばりと齢にさほどのちがいはないが、島倉の時代的な基盤は昭和30年代だ。よって島倉の歌は昭和30年代歌謡のなかでどう定位させるかといった判断からはじめざるをえない。比較対象となるのは、春日八郎と三橋美智也だとおもう。
昭和30年代歌謡は、大規模な都市集中化を背景にして、「棄郷」をまず主題にした。春日の「別れの一本杉」(昭和30年)がその嚆矢にしてメルクマールだろう。大局をいえば、特異性ではなく普遍性が表現の内実で、音楽的には「作曲構造の明澄性」(=構造の露呈)が基本になっている。これが戦前歌謡と民謡からの連続性を印象させるのだが、歌世界自体に迫ってくる「都市化」と化合すると、それ自体の危うさを発揮するようになる。だから「ゆれる」(=崩壊感覚を内包する)――それが昭和30年代歌謡の美点なのだ。のち橋幸夫が登場し、股旅演歌が定着すると歌は記号論的な自己再帰を演ずるようになって、緊張感が消える。その緊張感をずっと保ったのが、春日より三橋よりも、島倉千代子だった。
「別れの一本杉」の作曲は、ご存じ船村徹だ。口伝によってコブシそのものをも作曲要素に組み入れる船村作曲は、春日の歌唱にそのまま継承され、「別れの一本杉」は「綾」にとんでいる(むろん名唱だ)。ではおなじ船村作曲の、島倉「東京だヨおっ母さん」はどうか。コブシは内在的なグルーヴ分割の要素があるから、コブシのある演歌は浪々と唄われても耳に「速い」のだが、「東京だヨおっ母さん」では島倉特有の平滑感とスロー化が作用して、船村作曲特有の「綾」が縮減されている。それでなにかが「あられもなく」現出することになるのだ。
歌詞は、上京した母親を皇居・二重橋に連れ、そこで記念写真を撮り、いまは英霊となった兄をヒロインが母とともに偲ぶというつよい物語性を、島倉の歌にしては例外的にしるしている。ところがその物語性が島倉の歌唱の刻々で「残存しながら」「磨滅する」という背離的な二重運動を起こしているように聴えるのだ。「磨滅」は島倉の歌がコブシの綾のちりばめではなく、一線性のなかの「平滑」「間隙」「ゆれ」を微妙に組織しているから生ずる。そのなかで歌詞中の「久しぶり」「浮かんで来ますよ おっ母さん」「とりましょね」などの「口調」が歌の界面を超えて揺曳を起こし、それでやさしさから発露される深甚なメランコリーが付帯するのだ。しかも一番二番のあいだのナレーションで「兄」が登場してから、唄う主体=島倉に「妹」属性の転写が起こり、しかもその妹が兄よりも有為ではないという予想が相俟って、島倉の歌唱表面に「くらさ」が張りつくような蓄積が起こる。歌詞そのものからたとえば木下恵介の画面を聯想する聴衆は多いだろうが、この歌はどこかで悲惨な盲目化と触れ合っている。これが春日「別れの一本杉」にはない事態なのだった。
島倉のそれ以前を定着したのは、「この世の花」と「からたち日記」だろう。どちらも「初恋もの」で、これらを再帰的に記号化すると、のちの森昌子「せんせい」などになる(「からたち日記」と「せんせい」の作曲はともに遠藤実)。ところがこの二曲でも島倉的特異性が感知される。なぜ「からたち日記」の一番が終わり、島倉のナレーションがはじまるところで短調へと転調が起こるのか。初恋の記憶が唄われることと、暗色化とが、島倉にのみ「セット」となるのではないか。つまり歌は追懐のはずなのに、予行的に不幸を吸着する付帯運動をおこなう。これが島倉の実人生ともパラレルに映って、たとえば80年代の『演歌の花道』でそれらの曲を唄う島倉の姿に、ひとは息を呑むことになる。森昌子ではそういう作用が起こらない。むろん島倉の人生推移は、島倉の個別性であると「同時に」、昭和の多数の普遍でもある。そう、「闇の吸着」がもんだいなのだった。
島倉の歌唱が、清元や長唄などを淵源にもつとつづった。となれば、「粋」の領域にある素養をだれでもイメージするだろう。むろん「いき」は九鬼周造『「いき」の構造』によれば「諦念」と対だ。ところが島倉の特異性は、「粋」を除外して「諦念」だけを奥底でひびかせるその切断性・単独性にある。歌詞から現象されるものの次元ならそういえる。ところが前言した歌唱にひそむ「一線のなかの二重性」が、この単独性を救抜する。それで歌は一種の恩寵としてひびく。稀有なのだ。
いまのことは別の観点からの言い換えもきく。もういちど「東京だヨおっ母さん」を想起しよう。「久しぶり」「嬉しさ」「浮かんで来ますよ おっ母さん」「とりましょね」の「口調」がやさしい空気のように瀰漫する島倉歌唱の独自性を前言した。むろんそれらは高い声域のファルセットで唄われ、嫋嫋たる情感を全うする。これを原理的にいうと、「嫋嫋たるもの」のもつ治癒力が島倉の歌に降臨しているということになる。だから美空ひばりのゆたかな像の形成力にたいし、島倉の歌が誇るのは耳への触感性なのだ。そのかぎりにおいて島倉はほんとうに不世出の歌手、昭和の至宝だった。
『木曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』から、さらに具体的な考察を(順不同で)すすめてみよう。「逢いたいなアあの人に」(詞・石本美由紀/曲・上原げんと)の二番のテロップはこうだった――《たばこ畑の 石ころ小道/はいた草履に 夜露がホロリ ホロホロリ/逢いたいなア あの人に/今夜もこっそり 裏山に/出てみりゃ淋し エー おぼろ月》。「石ころ小道」での二度のk音の見事さ。それは通常のk音のように何かをひっかけ、駆り立てるのではなく、k音そのものの物質性を「やさしく」伝授する。「ホロリ ホロホロリ」のオ音母音の「奥行」にむけてのすぼみについては前言した。最後手前の「エー」の囃しの「泣き景色」。結果、つたわってくるのは、情景であると「ともに」、「夜露」のしめりの「触感」なのだった。この「触感」はひばりのつたえる「物質感」とはちがう。ということはひばりにあるのは「唯物性」、島倉にあるのは霊性ということになるだろう。
「襟裳岬」(詞・丘灯至夫/曲・遠藤実)。一番をテロップから転記すると――《風はひゅるひゅる/波はざんぶりこ/誰かが私を 呼んでるような/襟裳岬の 風と波/にくいにくいと 怨んだけれど/いまじゃ恋しい あの人が》。歌詞そのものはつよい荒廃の風景を「描写」しているはずなのに、一定性のなかで嫋嫋とゆれる島倉の歌唱は、二重化の「こちら側」にやさしさを前面化してくる。そうさせているのは、「歌唱のかたどるスローモーション」「コブシの縮減」「ふるえ」などだろう。結果、島倉は歌詞世界を「緩和」する。荒い風景を鎮める神力こそが島倉の声の(うすい)ひかりなのだ。奇蹟としかいいようがない。しかも岬にのこった生の凄惨が唄われているはずなのに、「誰かが私を 呼んでる」の一節からは「旅体」がしずかにせりあがってくる。
「すみだ川」(詞・佐藤惣之助/曲・山田栄一)。ご存じ東海林太郎の戦前のヒット曲だが、東海林の「律儀な」歌唱を、島倉が換骨奪胎してカバー、曲自体が志向する清元の感触を前面化したのを記憶しているかたもいるだろう。番組では東海林一番、(転調なしで)島倉二番、三番はオクターヴちがいのユニゾンで東海林・島倉が合唱する展開が映された。作曲には「お江戸日本橋」ともかよう、いわゆる「短→長」の「一瞬転調」(ハズシ)があって、そこでの島倉の音程がゾクゾクくる。むろんそれは精確なのだが、精確さとはちがう価値のしずかな強勢もあって、どうしてもこれを言語化することができない。「聴くしかない」とはこういうことだ。
「星空に両手を」(詞・西沢爽/曲・神津善行)。オリジナルどおり、守屋浩とのデュエットだが、収録は01年。病気後のゼロ年代には島倉の歌唱から精確さ・微妙さがきえているはずなのだが、これは見事だった。守屋の歌唱力が高齢化で衰えたと察知している島倉がとりわけ奮起したのだろう。むろん奮起といっても精神的なもので、力感の前面化といった野暮と島倉がかかわるはずもない。島倉の録音した全曲を精査すれば「星」の主題が多く散見されるのではないか、と予感するが、その代表的な成り行きがこの曲にある。《星空に両手をあげて/この指を星で飾ろうよ》。ジャン・ジュネのようにうつくしい着想だが、じつは像をおもいえがくと、星にかざした手はシルエット化によって朧化・黒化する。反転恐怖の映像がうかぶのだ。そこに「影の吸着」という島倉的な主題を改めてかんじた。
「皆の衆」(詞・関沢新一/曲・市川昭介)。五木ひろしとの輪番歌唱。村田英雄で知られる浪曲歌謡だが、島倉のファルセットで、コブシを縮減した嫋嫋たる歌唱は、曲が秘めていた清元調をあかるみにだす。その歌唱は「一線」を一瞬「破線」にする「途切れ」が見事で(そこに情感の奥行がみえる)、節回しに「途切れ」をともなってしまう五木とは好対照をえがく。むろんどの歌もおなじ節回し・声音で唄う五木とはちがい、島倉の歌唱はその一回一回が創造的なのだった。
「愛のさざなみ」(詞・なかにし礼/曲・浜口庫之助)。じつは島倉のヒット曲のうちの例外的なポップチューンで、その例外性がぼくの偏愛のもととなっている。島倉の嫋嫋たる歌唱は一定性のもつやわらかさだから、じつはポップ調だと原曲の良さを歪曲なしにつたえることになる(往年の原田知世のようだ――それでも知世とちがい、微妙に「ゆれる」)。ここではポップチューンだから編曲にリズムが強調されているのに、じつは島倉の歌唱はそのリズムを緩慢化させるような、ポップ曲では経験できない作用をする。それで生じた「単純ではないやわらかさ」が、この曲のポップ感の真諦なのだった。ひばりでいえばブルーコメッツのかかわった「真赤な太陽」にもあたる位置なのだろうが、ひばりがGSを「生きた」のにたいし、島倉はポップスをそのまま転写しない。変成をしるすのだ。
ともあれ「愛のさざなみ」の例外的成功が記憶にあって、たぶん「人生いろいろ」(作詞は中山大三郎)の作曲者にふたたび「浜庫〔ハマクラ〕」が登板したのだろう。ところがこの曲の島倉の歌唱ではリズムの緩慢化が起こらなかった。着物姿の島倉は足袋と草履の足をリズミックに小刻みさせ、ときに手が拳を結んだ。島倉の歌は、ひばりの歌以上に、女性たちのカラオケ歌唱にとって困難だとおもうが、この曲だけは例外で、じつは一線性のうえの「緩慢化・間隙化・ゆれ」が稀薄だから、カラオケ最適曲となって大ヒットを記録したのだとおもう。ぼくの母親がシングルカット当時、愛唱していたのをおもいだす。
とまあ、「木曜8時のコンサート ~さようなら島倉千代子さん」の映像を導きに、島倉千代子の偉業をふりかえった。「演歌の花道」と「懐メロ番組」から全18曲の映像がえらばれたのだが、さすが演歌や懐メロ番組にずっと熱意をしめしてきたテレ東だけに、セレクションも抜群だった(とりわけデュエット曲の選択が、島倉歌唱の「稟質」をつたえていたとおもう)。放映当日の島倉の葬儀にいって全体の紹介を編集スタジオからおこなった宮本アナウンサーのコメンタリーも、意がこもり、かつ適確で、おもわず涙ぐんでしまった。番組は以下のテロップをしるして終わった――《島倉千代子さん 忘れません》。
人柄もそうだが、やはり類例のなかったその歌唱の奇蹟が忘れられてはならないだろう。むろんファンもそれを知っていた。だからながれた葬儀の映像も、島倉が「芸能神」だったことを如実につたえていたのだった。合掌
部屋についてのメモ
詩でいえばスタンザ〔聯〕の語義ももつ部屋は、窓や扉などの開口部がある、一応の閉域だ。ありようは、かんがえる機関に似ている。「それ」が「それ以外」をおもおうとすれば「それじたい」が変わるしかない、という意味で、部屋は思考性をもっているのだ。
部屋は生活導線の、隣域とのつながりの、習癖の、とりこんだ外気のながれの、愛や音の、ねむりや食事の――錯綜としてしかとらえられない。空間上もっともはっきりとした個別性なのはむろんだが(シーツに偶然できているひだをかんがえる)、それがいったん映像へ転位されると、たちまちに郷愁のようなものすら分泌されてくる。部屋はまさに「それ」なのに、「それであることをうばう薄さ」にも充填されて、うつむき加減に「それであること」を思考しているようにみえるのだ。まして、その住人に愛着をおぼえるのなら、うしなわれたからだをつたえる無人性がなおさら――
木橋がみずからであることに苦悶して身をよじり、おのれであった木材を谷底におとすような終焉を、部屋にもあたえることができるか。できるとすれば「閉じる」ことだろう。ところが部屋の閉じられかたは、扉のうごきよりも、まぶたが視覚を遮断するようなshutに似ている。ずっとおのれの内部を視ていることでやっとそれが部屋になっていたためだ。どこか住人をうけつけないところすらあった。そう、部屋の主人は、ほんとうはひかりのおよぶ範囲だったのだ。だからそれが閉じられれば、「点のように」面積をもたなくなる。
映画的な室内劇は、部屋への招待によってはじまるが、それは部屋からの放逐ではなく、空間そのものの瞑目動作によって、いつもかなしく終わる(ここが舞台とちがう)。そこで観客も自分が「眼のなか」を視ていたと感銘を新たにする。むろん眼のなかはあかるく、その眼を借りて、付帯的に観客は住人「をも」視ていたのだ。けれど視られたものの大概は空間の空間――そのようにしてしかしるされない、「眼のなか」にすぎないだろう。
フレームについてのメモ
フレームはショットの与件であり、よくかんがえれば内実でもある。「撮ること」と「撮ることの枠組」が視る者を気絶させるような一致をえがいているのだ。ほんらい視ることにはフレームがないが、「よく視ること」はそれを要求し、その入れ子構造が視ることの秘めていた離反(減退)と集中(蠱惑)とを実証する。ひとはむしろフレームそれじたいのおもいえがく分離により、視ること、たとえば夕空の可視性からさえもはじきだされるのだ。
そうなると映されるものの異様なくらさが、フレームそのものをゆるがすこともありえる。このとき視ることに視ること以外の視覚的なもの、たとえば記憶までもが浸食してくる。うすやみにはだかであえぐ女なら、その身体がねじれて裏返りほそくなろうとする。しかしそれは女じしんではなく、じつはその外枠の収縮、つまりフレームが押し隠してきた糸状の破壊が起こす、運動の必然なのだ。むろんこの内外視は永続せず、あとは黒い、見えなさの藻が、フレームの内実へざんこくにのこる。
とらえたものの意味的な中心が、無意味とむすびあうとき、フレームは「あってない」。ただの宙吊りとして亡霊化するだけだ。
分割についてのメモ
いつでも分割は全体にたいして聖らかなうごきをしるす。たとえば支配的な音楽は、倍音幅を分割した音をちりばめ、同時に時間推移をも分割してゆき、内部が文字どおりそれじたいの内部性にみちているとさいわいする。
行分けの詩では、構文内部の結節で改行し、意味や景の転換・加算を強調するやりかたもある。これは構文の内部性をはだかにする策謀だ。じっさいそこでは構造の露呈こそが、意味の着衣をいなむ新鮮な剥奪に変わっている。
けれども、はだかのみえない(はだかであることがはだかを不可視化する)くぐもったひかりのようなものがある。もともと等時拍音のつらなるひびきを、大体の等時性(日本語の特質からいって二音ていどの差のある束)をつうじて改行してゆく「二重-等時」の詩がそれだ。
それは、みえない全体にたいして分割の過程だけをみせてゆくかりそめの進展、その意味では脱構造性に依存している。音楽にかよう内部性がとうぜんそこにあるが、単位ごとの分割は、そのまましるされる音数にだけ物質的にみちあふれる。分割によって整合的に記憶にのこされる内部の進展も、それのふくむ要素によって遠くなるだけうすく盲目化されてゆくのだ。残存域の眼から耳への移行をつうじ、ことばが「そこにあった」とはいえなくなる。それでけっきょく発声の次元が審問に付されることになる。
等音性をもっておりてくる音に綾をくわえるのは、支配的ではない音楽への意識だろう。たとえば音の変化が一本のほそい幅にのみ載っているという意識。それがスラー(滑落)、ビブラート(ひだ)、コブシによるひるがえり(メビウスの輪のむすび)などを喚起して、発声の個別性をつくりあげる。こうした分割の分割がみちるなかに、一本のほそい幅が、その幅がこわれるような「瞬間の充足」でみちる。このとき充足に集中すれば悦ばしいし、幅に注意すれば哀しいという二重性が、ことばをたどる者には生じてゆく。コーラスの誕生だ。
スローモーションについてのメモ
ゆっくりとかわりゆくことをおもい、それで時間に粘性をつくりあげる。そのような粘性を媒介に、「いま・ここ」と「いずれのとき」とを連続させることだけが、たぶん希望の思考なのだ。そこに忍辱と鍛錬が要る。というのも、「あるだろう」とかんがえることはやがて到来する「ある」の希望なのだが、先行すべき「ある」は予想の「あるだろう」に浸食されて、本来の「ある」よりも薄くなるためだ。その薄さに牽引されて、ゆっくりとかわりゆくことが、時間はおろか空間にたいしてもひろがりをもつ。
思念はゆっくりとかわりゆくことを欲望とかかわらずに予想してゆく。強制されてはならない。たとえば感覚を直撃する映像のスローモーションは、じつは時間の粘性にかかわらない。それはむしろ時間を水性にして、そのなかにある身体表情の刻々を孤立させ、溺れさせる、想像外の作為にすぎないのではないか。秋がふかまり、水藻がきえ、枯木をうかべただけの透明な水面があらわれるのをかんじるにつけ、ゆっくりさにはあふれる萍がともない、その空間的な夾雑が瑞兆にもなっていたとおもう。一瞥を阻む、そのような空間上の量感を、スローモーションで分解してはだめだ。それは自分だけでゆっくりとうごかすものだ。
しごとの鉄則。「あすできることは、きょうはやらない」。この格言は今日-明日の平穏で等質的な移行だけをさいわいとするように一見されるが、ちいさな単位ながらも未来的潜勢を現在的潜勢へと続々と遡及させる点で、時間を可変態にさらす叛乱の意志をも付随させる。その意志をさらに潔く、苛烈にするために、「あすできることの純白のために、きょうの残余をさきがけて空白にする」。けれど空間的な夾雑をいろどる画家のように、今日の残余は別のものでひたすのだ。
たりなさについてのメモ
たりないことが足りない、と、散文的な自充性をうとましくおもうことがあった。ことばが精確にイメージに対応してくる成り行き、かさねなどに、息づまる怖気をただかんじたということかもしれない。意味や韻きなどにあらわれているなにかの欠落には、欠落じたいのかたちすらみてしまうが、ことばが列ねている組成にあって、それが内在的な異次元を形成する。むしろこのことを喩と呼ぶべきなのではないか。ことばが欠落によっておのれを蚕食する再帰性を、ほんとうのうごきとも語るべきなのではないのか。
そんな欠損をなぜ愛するのか、問いがとうぜん起こるだろう。わかりやすい例をしめすなら、『追憶のハイウェイ61』の頃のボブ・ディランの歌詞は自充していた。だから旋律を付加されたその歌は、いつも自充性の再現となって、単純な朗誦の亜種となり、うたうことの真髄と離反する。逆に『ハーヴェスト』の頃のニール・ヤングの歌詞はどれもこれも、みごとに「たりない」。だからそれらは唄われると、そのたびごとに欠落を活きいきとさせる。むろんその足りなさがあって、歌唱や演奏が吸着されてゆくのだ。だから一回性が真の機会になる。このとき歌はイメージを結ばす、それじたいの韻きをむなしく掘り当てようとして座礁する。それでもそのかたちがむしろイメージなのだった。
『広部英一全詩集』を読みはじめた。周縁にあるひとや植物の苦境への、想像のやさしさ。それらが自然に詩想を織りだすうちに、徐々に「定型」が自己審問に付されてゆく。ところがそうした形成性を割り込むように「みえないもの」の飛翔が、広部詩のイメージを蚕食しだす。そこに「たりなさ」が創造的にあらわれる。その「たりなさ」が「みえないもの」の横溢と連絡するところが、広部詩の独自境なのではないか。途中まで読んでそうかんがえるときの、自分の気持までもがうつくしい。
一篇引用――
【回廊で】
回廊で木を見上げながら
木に止まっているものの数を数えた
十まで数えた
白い花のように見えた
十のなかに混じっているのだと言い聞かせた
悲鳴に近い声で自分に言い聞かせた
十のなかに混じっているのだと信じた
冷たい風の吹く回廊には
だれもいなかった
と思ったがかくれているようだった
あれは自分を見張る
もうひとりの自分にちがいなかった
さざんかの花の盛りの間に
自分は回廊から
あの木まで飛ぼうとした
そして飛べた
――はがき詩集『邂逅以前』より(『広部英一全詩集』171頁)
映画における恋愛表象
ぼくのリレー授業の担当週となって、シラバス記載どおり、映画における恋愛表象の分析を満席の受講者をまえにはじめた。
使用概念は「遅延」と「受苦」。前者について説明するならこういうことだ。
映画であれば、人物が恋に落ちる瞬間は、観客にたいして「同化」的でありながら、同時に「分析」的に視られる宿命をもつ。恋愛的な身体とは実際には「ひといろの棒」ではなく、「ニュアンスの束」であって、その束状はゆれることでさらに分化的に生成されつづける。
恋愛自覚を発現する身体器官はとうぜん「ゆれ」をあらわす部位になるのだが、それは眼、眉、頬、口、顎先、首、四肢、胴、腰などでしかありえない(意志をもたないのに姿態のゆれを増幅する髪は微妙な位置だ)。このときたとえば抱擁で相手の背中にまわされる腕に「遅れて」、眼が恋愛の暗色に染まるということが起こるのだし、眼もそれじたい伏目と「見遣り」とにゆれながら、発現にむけてそれぞれの状態が遅速をきそうことにもなる。ということは、恋愛的身体は、部位間でばらばらになりながら、発現と「次の発現」=遅延のあいだで内在的に境界分けされてゆくともいえる。この光景が身体の異変を可視的にひらくのだ。
むろんたとえば、「視る」という動作も、日常性より強度を帯びて演出され演技される意義を生ずる。「ただ視ている状態」を強化するのは、じつは他のゆれる器官との複合によることは経験則からもわかるだろう。伏目から見上げること、振り返ってふたたび相手を視ることなどは、そうして映画演出=演技に形態化された。
「フォロースルー」(=「スイングバック」)をみとめるこうしたことがらからは、恋愛描写における不動の法則がさらに到来する。一度目で「抱かれた」女が、二度目では「自発的に相手を抱く」推移があるとする。そこでは「相手の承認」が「自己承認」よりも先行したという擬制がうまれる。このときの「自己の遅れ」は元来の「自己の滅却」にこそ根をおろしていて、この感触が身体によみがえる点が胸を打つのではないか。身体を軸に、時間がゆれて、往還が生じているのだ。
恋愛の自覚が歓喜にみちるかどうかは作り手―俳優―観客、三者間ににじんでくる「その場の恋愛観」次第だとおもう。むろん身体が「ニュアンスの束」となってゆれるそのことじたいは、うつくしいが痛ましく、このことが情熱と受苦の語義複合をそのまましるしづけてしまう。というかPASSIONのもつ情熱=受苦の語義複合性は、情熱に受苦の穴をあけながら、受苦をも情熱で補完する、往復運動――それじたいが遅れの尾と速まりの頭部のウロボロス咬合なのではないか。接吻は「たがいの頭部を削る」いとなみともいわれるが、接吻によって発語が禁じられることが、接吻のPASSION(情熱=受苦)をあかしだてる。運動論的にはそれは加速と遅延の、ねばつくような複合であり、この粘性こそが熱化するのだ。
同時に、恋愛の自覚が付帯させてくる運命論的な受苦は、対象承認と自己承認のあいだにあるべき「順序」が麻のようにみだれることにも起因している。結果そこにはあらゆる対立項の複合がみとめられることになるだろう。端的にとりだせるのは動物性と精神性の対だろうが、自己保全性と自己廃棄性の対などが瞬間瞬間でどちらかに力点が置かれて点滅するのを視るのも、観客にとって夢幻――身体浸透的だといえるのではないだろうか。観客は抵抗圧こそを選別し、それを自己に浸透させる。
昨日は、成瀬巳喜男『乱れ雲』での司葉子の恋愛演技を分析したのだった。上記に加えるべきは、相手役・加山雄三にしめされるべき感情が憎悪であるべき局面でも、仕種がそれじたい遊離して「恋情性」をかたどってしまう身体の予見性が、演出的な創造のなかに発明されていたことだろう。
漆黒についてのメモ
圧倒的な漆黒でみたすことは、視覚的な表現にとっての蠱惑のひとつだろう。画布をただ黒がつややかに覆っている絵でさえも、視覚性を盲目性が凌ぐことで、それが壁にかかる厳粛な意味があるとおもう。だいたいわたしの眼にしてもよくかんがえれば、わたしではなく世界に付属しているのだ。ところが書かれる文字面はじつは全面的な漆黒を実現できない。「黒い」としるせば画数と字形において疎な「い」がはいるし、「黒」の文字そのものにも窓枠のかたちがこまかく形成され、その背後からひかりが漏れてくる。意味上の一律性をみずからその場で打ち破る、くずれるような動勢がひとつひとつの文字の孕むものだ。文字は文脈により、自身のなかでひかりを増減する。だからそこではわたしの眼も文字の裏側からわたし自身を視るほかない。
時空についてのメモ
《わたしの空間は拷問に耐えた。けれどわたしの時間はその試練を全うできなかった。》
といったカフカ的なアフォリズムをかんがえてみる。
対偶ならこうなるだろう――
《音楽は空間を割るように湧きでるが、空間への同意もそこそこに、それ自身の時間の質へと、ただ回帰してゆく。》
自分の肉体は恐怖ではない。ただし音楽については、恐怖か否かの弁別そのものを問えない、峻厳な不明性がある。
中国人に教えるということ
きょう火曜日の五限は院ゼミ授業で、つげ義春&「ガロ系」を素材に、マンガを構造的に読み解く練習をやっている。ところが裏にも別の先生による国文学系の院ゼミ授業があり、日本人の院生は国文学系主体なのでみなそっちに出席している。ぼくのほうはそのお陰をこうむって、中国人院生と中国人留学生(こちらは正規履修ではなく聴講)が教室内を固めている。
こうまで徹底的に中国人一色で染められると、もう日本語添削教室の色彩を具備するのもやむをえない。たぶん現在の中国における日本語教育に共通の難点があるのだろう、彼らの文法の誤りはほぼ共通している。
過去形/現在形の振り分けを中心とする時制意識が狂うのは、中国人が英語における現在完了(継続)をおおむね過去形で表現しようとするためだとみられる。彼らは賀正メールでも「あけましておめでとうございました」と書いてしまう感覚なのだった。
それと受動態/能動態の弁別があやふやだ。その間違いはじつは意味がとれるので、誤りも放置されやすい。主語を何に設定して、述語部分をどうもってゆくかで受動・能動の選択が生じるはずなのだが、「意があまって」、受動態構文に能動態述部が接合されてしまう。しかしこれは、繰り返し注意をすると直るだろう。
いちばんの問題は「てにをは」の助詞。これはもともと「は」「が」がおなじ主格をしめしながらなぜ使い分けられねばならないのかなど、日本人にとっても難しい問題を孕んでいるが、中国における日本語教育の疎略さ(たぶん口語性を中心にした効率教育がおこなわれているはずだ)も彼らのまちがいから伝わってくる。たとえば「関係性」をつなげるときには、「の」が手っ取り早いと教えられているのだろう。だから形容動詞連体の「な」でさえ、「の」に化ける(たとえば「しずかな一日」が「しずかの一日」に、「一方的な注目」が「一方的の注目」になる)。口語性が教育の基本になっていることは、「だ/である」調の文章に、なにかの拍子に「です/ます」調が混在しても、それを間違いや不統一だと彼らが気づきにくい、という点にも現れている。
日本に来て一年くらい経ち、修士試験に合格する者が出始めるようになると、さすがに日本語による思想書を中心とした論理的文章に揉まれたせいか、前後左右の拡がりがないまでも使用語彙なら思弁化・抽象化されてくる。むろん「漢字の国」だけあって漢字連鎖による概念語の適応性はたかいのだ。ここで罠があるとすると、すでに中国内で使用されている概念的単語が日本のそれと表現が微妙にちがうものがある点だろう。これは直せばいい。
ところがこうした批評用語をおぼえると、じつはレポートの論理性がことばの勢いによって、かえって空転しまう傾向もでてくる。ここを乗り切れば、修士という難関を突破できる者がさらにふえるだろう。
彼・彼女ら中国人学生に訊くと、もともと中国人は日本人に較べ思弁性が鍛えられていない面がつよいという。効率教育と実学教育、それらが重視される結果だろう。しかも適用されている文学理論も旧い。もうひとつ、何かと何かの比較をすれば――あるいはひとつの細部にひとつの註釈をすれば事足れりとするような自己判断が蔓延する風潮も問題かもしれない。つまりそのままでは「主題系」を連鎖的に分析して、その分析が作品展開(作品組成)と対応的に一致してゆくようなながれまでつくれないのだ。単発分析では「合致」をみても、評論自体の「展開」が作品展開に合致しないのが彼らのレポートの弱み――是正のポイントもまさにここにあるだろう。
たとえば今日のゼミが扱う素材のひとつがつげ義春「やなぎ屋主人」だが、二元論的な布置に敏感な彼らは光陰の分析はよくする。また作中人物たちの視線が合わない点は、彼らが学んでいる映画論からよく抽出できる。ところがたとえば描かれる女性の裸身をエロチシズムと一括して、その量感の意味、エロス個々の差異を見極めることをしない。
しかもつげ自身の分身をおもわせる者の、負の流浪――転落と自己消失願望によって、なぜ「視ること」までが流産してゆくのかが分析されない。だからヌードスタジオで抽象化の危機を迎える「女体」が、今度はやなぎ屋の女に実在化されても「相互記憶」の流産によってこれまた無意味化され、ついに女性器の俗的な象徴である「蛤」が召喚されたあと、「猫の肉球」がそれらすべてを代位し、結果的にはとじられたまぶたのうえで視覚性を触覚性が凌駕することで、「視ること全体」がとうとう廃棄され、それで存在の流浪性が確定する(もしかするとそこに去勢願望分析まで投入することができるかもしれない)――といったような展開を実現できない。
むろんそこには「旅体」マンガから出発して、異世界との遭遇、坂口安吾とはちがった「なつかしさ」への問いかけ、最終的には日本的流浪をきわめて自己消去にむかってゆく、つげ義春の表現推移の「あぶなさ」への着目もない。そこには線の密度、コマ内の明暗差、といった「代々の」推移までもが膚接していて、それでつげマンガの分析が主題系から離れ、表現の具体性から掬いかえされなければならない要請も生じるはずだ。
ただし中国人学生にとってのそれらの難しさは「いまのところ」だとおもう。刺戟を繰り返してゆけば、彼らのレポートの表現力・展開力も画期的に変貌するだろう。そう信じて、とりあえず今日も授業をおこなう。
横浜監督のこと
昨日の横浜聡子監督との45分間の対談は、登壇者のぼくもとても愉しかった。最初に「脚本の書き方」の質問をして、「パーツごとに着想が浮かび、やがてながれとともに全体を調整してゆく」演繹型だと横浜さんが自己分析、それで脱中心型、解釈線が多様に分岐する横浜映画の秘密を、ぼくが一挙につかんだようにおもった。同時に脱中心性は周縁性とも連絡するから、それで横浜映画の作品の半数を占める青森というロケ地、俳優布置の特徴、「子どもが多用されること」にまで話が伸び、最終的には「脱中心性による中心化へのあらがい」(物語上も)が、映画の女性性の要諦だという結論まで壇上で出たようにおもった(あ、これ、ぼくの『成瀬巳喜男』とおなじ着眼だ)。
横浜監督の好返球もあって、対談はしずかながらも濃密に進展した。「打てばひびく」とはこのこと。上映された三作品(とりわけ中篇『おばあちゃん女の子』が「解釈」多様性を喚起する)のほか、上映されなかった三作品(『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』『ウルトラミラクルラブストーリー』、それと札幌では来年1月公開となる『りんごのうかの少女』)についても緻密なやりとりが生じて、しかも内容が濃すぎるために来場者が消化不良を起こすということもなかったのではないか。最初にぼくが横浜映画の系列を整理し、しかもそこからの話柄の進展が自然だったためだ。
横浜監督でおどろいたのは「大盤振舞」のひとだということ。対談後の歓迎会では北大映画館プロジェクトの運営学生が大勢あつまって横浜監督を囲んだが、ひとりが『ちえみちゃんとこっくんぱっちょ』がDVD化されてないのでどうしても観られないというと、DVDを焼いて送ってあげる、とあっさりいうし、『ジャーマン+雨』『ウルトラミラクルラブストーリー』評が載っているために監督がご持参した拙著『日本映画オルタナティヴ』を学生がみていると、ひとりが「あ、『先生を流産させる会』や『桐島、部活やめるってよ』評も載っている」などと興奮する。横浜監督「あげる」。「自分のはまた自分で買うから」。しかも手渡しにあたっては横浜さんのサインつきという余禄もついた。無償饗応というか善財喜捨を率先するひとには、「カネは天下の回りもの」の法則が働いて、やがて自分自身にもまた恩寵が跳ね返ってくる。横浜さん、つぎは長篇映画の良い企画が進行するんじゃないだろうか。
二次会は監督、ぼく、それに「カタリバ北海道」のプロデューサー江口彰さんの三人だけで江口さんの馴染みの居酒屋へ。そこでは日本シリーズのTV放映がみられて、来店時は九回表だっただけに客全員が固唾を呑んで試合の動向に注目していた。結果はご存じのように前日160球投げて「完投敗戦」した田中マー君が(日本での)最後の一回を抑え雪辱を果たした。最後のストライクでファイターズの優勝が決まった瞬間は、店内全体の壁がふるえるような感じで、客全員の歓喜の叫びがとよめいた。横浜さんも江口さんもぼくも大感激。
北海道民というのは、巨人ファン→日本ハムが札幌に本拠地を移してファイターズ・ファン、という経路をすべてたどっているが、被災地への共苦いがいにもともと東北への親和性がたかい。それで楽天の日本一を心底よろこぶ。ましてや横浜監督の出身も青森だ。それでクールビューティで鳴る彼女も狂喜の表情を隠さなかった。
これはなにかの暗示だろうか。北海道と東北の架け橋。というのも、ぼくはそのまえ、青森・浅虫温泉と、函館・湯の川温泉の対峙性と共鳴性の話を監督にしていたからだ。そのふたつの場所の「小二都物語」なんて横浜監督のつぎの企画にどうだろう。温泉気分、湯気気分のフワフワしたロードムーヴィー。むろんかつて湯の川をひくく見ていた浅虫が、いまは集客にくるしんで湯の川にまなびはじめる「悔悛」の物語でもある。その枠組にわかい男女の出会いが自然に付加できるとおもう。ちなみに横浜監督の出身は青森市の浅虫寄りだという。
斎藤久志・なにもこわいことはない
【斎藤久志監督『なにもこわいことはない』】
昭和三十年代の夫婦の日常を描いた高野文子のマンガ「美しき町」をおもいだしてみると、多彩な画角とともに、ひとコマ内にはみじかい多時間がゆらめいていて、それらが独創的なコマ構成を結実させていたとかんじる。読み手の感覚は画角にシャッフルされ、しかも多時間が介在するから、読む「このいま」「瞬間」も微分されてゆく。ここから、「みえているもの」「読まれるもの」の「こちら側」に別次元が設定されてゆくのだ。この別次元はじつは「判断の神聖」に関連している。傍観者でありながら参与者でもあるその読み手の二重性が、神性とよばれているものとおなじだといつしか気づく、ということだ。
日常は些細な事象の連鎖だ。ところがその些細さのなかにこそ永遠が顔を覗かせている。そのことは一見ではわからない。わからないが、みえているものを別の時制へと飛ばしてみると、みえていることに奥行がくわわる。具体的には、つみかさなってゆく「いま」をいつかおもいだす、という時の二重性が出現するのだ。このことが感性をぐらつかせるのだが、前言したようにこの二重性は本質的には神域にある。
斎藤久志監督の七年ぶり、待望の新作『なにもこわいことはない』もまた、「夫婦」の日常をとらえる。フィックスの長回しがほとんどで、室内にさしこんでくるひかりが静謐で浄く(撮照コンビは石井勲&大坂章夫)、一見すると、「みえているものがみえるがままに」投げ出されている。ところがそうした視覚的な一元性が、逆説的に観客に二重性を分与してゆくのだ。観客は「この作品で描かれた夫婦のためにのみ、いつかこの夫婦の日常をおもいだす(代理的)位置をあたえられている」。喩的な判断はおこなわれない。みることの深奥だけが、作品のしずかさに酩酊するようにゆらされるだけ――そのようにかんじた。
夫婦は吉岡睦雄と高尾祥子。このしずかな作品には暗雲がたしかに二回ある。そのうちの一回は、東中野のミニシアターに勤務する高尾の同僚、「加藤くん」がとつぜん死んだとわかる展開だ(高尾とその同僚・山田キヌヲが真夏のうつくしい喪服姿でかわす話柄から、「加藤くん」の事故死ともとれる自殺のことが間接的にわかる)。あ、とおもう。劇中で物静か、知的で「いい味」を出していた「加藤くん」に「消滅」が刻印されて、結果、その「消滅」の事前が記憶のなかに自然に系列化されるのだ。
しかもそれらすべても些細なことがらにすぎない。デザイナーに仕事を発注した山田キヌヲの不満が、いつもおなじ言い回しでくりかえされることへの、加藤くんのやんわりとした諌言。高尾のもってきた弁当から「スパムおにぎり」をもらい、それを旨いと賞賛しながら、どこかで感情の抑制がシャイにはたらいていること。カラオケの帰り、加藤くんと高尾がふたりになり、なぜか深夜営業している花屋(店主は柄本明)で店先の展示に惹かれ、高尾が朝顔とゴーヤの鉢を買ったこと(柄本が朝顔の値段を失念すると、加藤くんは店頭にもどり、口頭ではなく値札を柄本にみせて価格をつたえる律儀さを発揮する)。高尾と加藤くんはしずかさのなかで相性がいい。その加藤くんが最後に画面登場したとき、彼は高尾への愛着心をしめすちいさないたずらをした。最終回がはねて観客の去った劇場を掃除している高尾にたいし加藤くんは客電を消し、映写室にいる自分のシルエットを高尾の眼路へ逆光でうかびあがらせたのだった。
「ちいさなこと」「些細な仕種」から人びとの性質が如実につたわってくる。日常の激務をなげくでもない夫の吉岡は、家事のシェアを率先する知的な男だ。高尾が加藤くんの葬儀から帰り、部屋着に着替えると、台所で吉岡が待っていて、大玉の西瓜を冷やしてあると告げる。食べようということになり、テーブルのうえで吉岡が西瓜を切ってゆく。律義さ半分、不器用さ半分。その吉岡の切り分け方から吉岡の役柄そのものが伝わってくる。これもまた「いつかおもいだす」仕種だろう。高尾は加藤くんに借りていた本を、その葬儀のときご両親に返却しようとしたができなかった、とポツリという。吉岡は「返さなくてもいいんじゃない」と応える。その本の第一義的な持ち主は加藤くんで、しかし死んだからそれをもう読み返すことができない。となると第二義的な持ち主=高尾こそが、加藤くんにまつわる記憶とともにそれを保管していていい、ということだろう。このようなことを吉岡は劇中では発していないが、「返さなくてもいいんじゃない」というそのことばが、世界の構造にふれているとかんじた。
この作品で最も受難的な存在は、人物ではなくじつは料理――「ポトフ」ではないだろうか。料理ができあがる寸前で、切れてしまった粒マスタードの壜(小皿にのせたポトフの具に使用する――おでんのからしみたいなものだ)を補充買いするのを忘れてしまったと高尾がいう。買ってくるよ、と吉岡。ポイントカードはどこ? と吉岡が訊き、高尾は論理的な答え方をする。「財布のなか――財布はカバンのなか――カバンはソファーのうえ」と。その論理性が不吉だとおもうが、次のシーンは久我山あたりの坂道を、買い物に行っているはずが心ここにあらずの風情でさまよう吉岡の姿だ。
吉岡が帰宅し、粒マスタードの壜をテーブルに置く。遅かったね、すごく待った、と高尾がいう。高尾が皿にポトフを盛りつけた最悪のタイミングで、ポイントカードを探すとき偶然みつけてしまった病院からの請求書を、吉岡がテーブルに置く。以後、声が荒げられることはないが、重たくもどかしいやりとりがつづく。準備されたポトフが食されることはない。この初めての粘性的な停滞はどう解消されるか。やおら立ち上がって高尾がそれぞれの皿のポトフを鍋に返し、からになったふたつの皿をシンクに置き、蛇口の水を流すことによってだ。このとき例外的におおきな音が画面にひびき、そのことが痛ましい。カレーとちがい不幸を背負わされたこのポトフもまた、いつかおもいだすと観客はかんじるだろう。
高尾が夫婦の日常の存続のために重大決意をした場面でのみ手持ちによる明瞭なパンニングがあるが、基本的にはこの作品のフレームは、長いカットごとに絵画的に固定されている(とらえられるのは、劇性ではなく日常だ)。東京乾電池の高尾祥子はその存在感がすばらしい。肢体の伸びやかな細身のからだ。それでいて華やかさをかんじさせる乳房。肌のうつくしさ。その裸身じたいが語られないことばのかわりに存在の感情を伝播する。顔の表情もそうだ。内心のつかめないそのことが、「つかめない表情そのものの表面的な苦衷」(矛盾形容だが)を結実させている。高尾の顔とからだが浄いひかりのなかで画面に収まると、ありきたりなのにそれが聖画のようだ。この作品でフィックスは、「固定できないものの固定」を作動させている。
吉岡・高尾の夫婦にいったん兆した暗雲を解消したのも、ことばではなく、仕種と情だった。暑い日の夕方前、高尾が帰宅すると、いるはずの吉岡がいない。とりあえず扇風機で涼もうとすると、故障が判明する。それでやむをえず窓があけられる(この「窓があけられる」というのは作品の主題かもしれない。ポトフの場面でのしずかな悶着のあと、眠れない吉岡は煙草と酒をともに深夜のベランダにいる――このとき「一緒に寝床にいないとあたしも眠れないから寝床にもどって」と高尾がいい、吉岡がそれにしたがう――そのとき窓は閉められずベランダに放置感がのこる――これをこの作品のラストショットが救抜するながれに注意)。
吉岡が帰ったとき(彼はなんと新しい扇風機を購入してきた)、高尾が(問題を間接的に起こした)ソファーで就眠している。劇中の吉岡がおもったように、その寝顔は疲弊と、子供のような無垢とを「二重に」かたどっている。惹かれて吉岡はケータイにその寝姿を収めてしまう。ショットが変わる。高尾の寝姿。静止状態にみえるから、これは吉岡のケータイ画像を擬しているのではないかという判断が生ずる。ところがそうではなかった。ややあって高尾の髪がゆるやかに風になびきはじめ、吉岡の主観ショットだったことが判明する。ともあれここには「静止→動態」の変化がある。多くの映画ファンの頭をよぎるのがクリス・マルケルの短篇『ラ・ジュテ』だろう。静止スチルの連鎖に終始するとおもわれたこの映画で1カットだけ、「静止的なだけの」ムーヴィショットが混在する。それが落涙流涕をしめした。ということは、「静止→動態」の変化そのものが落涙的といえるのではないだろうか。ここもいずれおもいだすだろう。
わずかな動態が落涙性と映る場面は、じつは「加藤くん」の死後、返しそびれた彼の本を、高尾が仰臥して読むシーンに現れていた。明かさなかったが、高尾が加藤くんに借りていたのは宮沢賢治の「ひかりの素足」、そのデラックス大判だった(たぶん絵本)。そのクライマックスの一節を、「観客にも伝えるように」高尾が音読してゆく。固定的なフィックスによって画面上の変化がないとおもっていると、いつしかその内容にほだされて、高尾の頬に文字どおり泪がつたってゆくのだった。じつはその一節がこの静謐な作品の二重性の真芯にある。作品タイトルの由来だからチラシにも転載されているので、以下、転記しよう――
《その大きな瞳は、青い蓮のはなびらのように、りんとみんなをみました。みんなはどうと言うわけともなく、一度に手を合わせました。『こわいことはない。おまえたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば、太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のようなもんだ。なんにもこわいことはない。』いつの間にかみんなは、その人のまわりに環になって集まって居りました。》
二重性と書いたが、映画の実際と引用テキストだけの問題ではない。この映画はたしかに夫婦の「罪」、そしてその夫婦を「あざみの棘のさきの小さな露」として描いてきたのだった。となると逆照が生ずる。この宮沢賢治の語った「その人」とは「いまここで」だれなのかと。まずは「永遠」を体現する神性が擬人化されたと観客はみな考えるだろう。ところがその位置にこそ観客じしんが折りこまれてゆくのだ。いいかえると、観客そのものにも神性が付与される「折り返し」の二重性こそが、この作品体験の正体だった。観客は日常の些細さをやがておもいだすと予感しつつ、そのことでじつは神の視座を装填される。そのさいの感情も二重なのだ。傍観者と参与者の立場が分離できないから、観客も、冷静と同調、あるいは「現代的な所与への絶望」と「共苦」とに、「ともに」つらぬかれるほかない。
斎藤久志の作品に駄作があるわけもないが、日常的な些細さがこれほどふかく表現される映画も滅多にない。脚本=加藤仁美。11月6日より、渋谷ユーロスペースを皮切りに、この作品のリレー公開がスタートする。必見。札幌での公開もぜひおねがいしたい。
散文47
あらゆるからだをひきつれて詩が去ってゆく。波間ということばには時空を弁別できぬなにかがあるが、そこへきえてゆく。くうきをうかべている海のうえ、なみだとおもえる時空の房がゆれている。中途のままひかりにとける誰彼の途中こそうつくしい。こちらならいつも汀だ、砂礫のうえにも微風がふくらむ。くうきにおいて彼我がおなじというのは地球法則ではなく、これからとじるまぶたの前後にすぎない。