今日8月29日のメモ
まったく、なんという当たり日だ。一階玄関の郵便受けへつぎつぎに書物がはいり、配達夫がつぎつぎぼくの住まいの玄関扉のむこうに立つ。寝て待った果報のなかに、過褒もあったりして、これはもうぼくの、めざましい幸福日といえるのじゃないか。
北川透さんからはいよいよ刊行が開始された『現代詩論集成』の第一巻がとどく。鮎川信夫を中心とした「荒地」論集で、目次をみると親炙した文章もならんでいる。『換喩詩学』著者の浅学に、叱咤激励をなさっているようで、もちろん大先達からのご厚意に緊張する。北川さんにふさわしい重厚な造本。
アマゾンに注文していた高塚謙太郎『ハポン絹莢』もとどく。彼の詩集題名にいつも「日本」がはいる理由を、そろそろ真剣にかんがえないと。むろん高校教師として古文にもつうじる高塚さんに、和語の豊富な蓄積のあるのは一目瞭然なのだが、日本浪漫派か四季派か塚本邦雄派かいうと、それ以上にやはり現代的な換喩派だ。ことばをモチベーションにどれだけ微妙な詩を書けるか、そのいとなみがじつに果敢なひとだが、「体験」もひそんでいるはず。チラリ紙面をみると、二行聯詩が連続している。「やってくれましたねー」の横位置判型もふくめ、おもわずこちらが破顔。
ぼくの女神、坂多瑩子さんからは第二詩集『スプーンと塩壺』(06)と、第三詩集『お母さんご飯が』(09)が。どちらも所持しておらず、古本ネットでも在庫なしだったので、突然の到来に欣喜雀躍した。換喩系かつ肩の張らない、しかもふくみの多い哲学的な詩を注意ぶかくつむぐ坂多さんは、もうその構えからして、明晰とわかるひと。ときどき思いがけないご褒美をくださる。最初がご自分の書棚を崩して、下村康臣のものでぼくのもっていない詩集を、率先して送ってくださったのだった。
安井浩司さんのオビ文の載る句集も送られてきた。吉村毬子『手毬唄』。「毬」の重畳に、うつくしい胸騒ぎがする。ご送付は安井さんのお計らいだろう。奥付対抗の著者略歴をみると、中村苑子に出会って作句活動にはいったとしるされている。付されている近影にどきり。すごい美人だった。オビ裏の著者自選十句からとりあえず二句引く。《金襴緞子解くやうに河からあがる》《口中の鱗を吐す花曇り》。
「現代詩手帖」9月号もとどく。小特集が「詩論集を読む」で、三つの詩論集にひかりが当てられている。たかとう匡子『私の女性詩人ノート』(書評執筆者=藤井貞和・陶原葵)。貞久秀紀『雲の行方』(書評執筆者=白井明大・ぼくすなわち阿部嘉昭)。拙著『換喩詩学』(書評執筆者=笠井嗣夫・神山睦美)。さすがに気になるので、その小特集部分だけ、拾い読みした。
たかとうさんの著作は未読なので、書評にたいしても論評をひかえるが、貞久秀紀『雲の行方』に寄せられた白井さんの文章は、対象への敬愛にみち、なおかつ適確で、しかもやわらかな滋味にとむ。未読者に対象のすばらしさをつうじさせようとする思いが、抑制的な筆致から着実につたわってくる。白井さんは『季節を知らせる花』でもそうだが、このところ「です・ます」調の名手の趣がある。ぼくの書評のほうは、その白井さんの書きものと論旨があまり重複せず、どちらかというと哲学的・言語学的なアプローチ。相互補完が幸福に成立したとおもうのは、じぶんにたいして楽観的だろうか。
で、拙著『換喩詩学』にたいする、畏敬すべき先達、笠井嗣夫さんと神山睦美さんの書評。こちらは「相互補完」の幅がもっとひろい。たとえばぼくの案件のひとつ吉本隆明にたいする書き手のポジションが対照的なのがおもしろかった。書き方も対照的。笠井さんがなるべくぼくの本の内容を具体的につたえながら肯定的な指摘をかさねられてゆくのにたいし、神山さんはいわばその名のとおりの神力を発動し、ぼくの本の地勢のうえに、学識を導入していわばひかりかがやく塔を打ち建ててゆく。しかもぼくの潜勢部分までを読みこんで、慈愛たっぷりの励起をおこなっているのだった。
●《換喩が詩にもたらすのは、流れと運動なのだということ。とすれば、これは詩にとって現在的であるとどうじに根源的なものであり、ここでの論理を「換喩詩学」と命名することで、詩の領域に原理的覇権をもたらしたように思う》(笠井嗣夫「詩学の今日的復権に向けて」)。
●《共苦とは「死んだ手紙」によって、希望をなくしたすべての他者とつながろうとすることなのである。「ないこと」があるというしかたとはそういうことなのであり、ここ〔※メルヴィルの『バートルビー』〕にはイエスのいう「善きサマリア人」の「利他行為」の本質が語られている。だからこそ、イエスの言葉は、すべて換喩表現とみなされるのである。/阿部嘉昭の「詩学」はこういう問題を思想的背景としていることにおいて、これまでのどのような批評からも区別されなければならない》(神山睦美「希望もなく死んだ人々に宛てられた希望の手紙とは何か」)。
笠井さんの穏当さを意図した文章にたいし、神山さんのほうはご覧のとおり、トレードマークの連接力によって着想の爆発状態にある(その連接力が換喩性とつながっていることを神山さんは意識しているだろう)。『換喩詩学』の著者は、じっさいは神山さんの文章から印象されるほど神山的な膂力にあふれていないとおもう。それを期せずして傍証するのが、ぼくの貞久さんの名著への、ほそぼそとした書評の書かれ方だろう。
いずれにせよ、今号の「現代詩手帖」には「阿部印」が満載。今日夕方、一部を院生室に進呈するので、気になった学生は拾い読み回覧をしてくだい。まあ買うのが一番だけど。
さて書物の爆発的な到着のまえに読んでいたのが、トリン・T・ミンハの久方ぶりの評論集、『ここのなかの何処かへ』(平凡社、14年1月刊、小林富久子訳)だった。フェミニズム論客の文章をぼくはかまえて読んでしまうことが多いが、トリンは別。「ベトナム人=アジア人」「女性」「亡命者」という三重の負荷が、いわば詩性によってやわらかく開放され、しかもやわらかく論評のなかに寓話がきらめき、なおかつやわらかい身の立て方により、文学作品と映像作品を区別しない彼女をとても敬愛している。ぼくは不勉強でその映像作品を未見だが、『月が赤く満ちる時』の「月」のアジア的な把握などに魅了されつくした。
その彼女のあたらしい評論集ではいわば「境界」についての考察が主流をなしている。神山さんのいう「共苦」の能力がすごくたかいと同時に、時事性についても意外といっていいほど本書は精密で、港千尋をすこしおもった。あるいは視野のひろがりかたにはスーザン・ソンタグとつうずるものもある。けれども彼女の思考の奥にあるのは、東洋的なものとデュラスだろう。今回はそれにくわえ、『恋の虜』のジャン・ジュネへの親炙が印象にのこる。魅惑的な細部に付箋をたくさん入れてしまったので、かえって読後感がうまくまとめられない。それで二箇所のみを抜き書きし、本の全体にあるものを換喩的に考察することにする。
未来というものがある限り、あらゆる真実は部分的だ。①
例えば、タンブーラ奏者は、タンブーラの音を調律しながら、自身の魂も調律すると言われる。この場合には、調律自体が演奏の一部となり、従って聴衆もまた奏者が調律するのを耳にしつつ、自らを調律しなければならない。②
掲げたふたつはともに神山さん的な「共苦」とかかわりがある。①はかつての藤井貞和さんの「しごとの中途性」についての小メモのような詩篇と共通している。ここでは「部分」の部分性にこそ時間が関与し、それで未来への方向性がひらける見識が伏在している。時間の部分性とはむろんそれじたいが「共苦」だ。その負荷を万人がかんじるから共苦が単純に生まれるのではなく、その未来方向性が付加要素としてさらに意識されて、共苦がかならず伝播力・反映力をともなって人-間にこそ現象するのではないか。むろん神山さんどうよう倫理のことをいっているのではない。思考はこうした限定性における作用力にしか宿らないといいたいのだ。
共苦がじっさいは人間が身体間になしうる「調律」だと示唆しているのが②だ。したがって共苦はそのものが音楽的とならざるをえない。だからそれはかならず身体(の対峙性)を基盤にする。むろんこの部分は、笠井さんのいわれる《詩の領域に原理的覇権をもたら》すことへと即座につながってゆく。トリンのこういう部分がぼくは好きなのだった。
――今朝、目覚めたときに見ていた夢は奇妙だった。今日の爆発を予言していたのかもしれない。一匹のおおきな犬とずっとぼくは話していたのだった。具体的にその犬を記述すると、おおきさはインド象に匹敵し、しろく毛むくじゃらなので、羊と牛とを併せたような「犬の形状」をしている。吉岡実の「苦力」ではないが、あるいている犬の腹にしがみついて、ぼくは犬のおもう場所に連れてゆかれながら、犬とずっと会話をつづけていたのだった。犬のことばひとつひとつが哲学的で、ぼくはなにかふかいところでの納得をつづけている。アジア的な湿気が行程には漂っていた。ふと首を反らせて進行方向に眼をむけると、森の手前の木橋へと巨犬がはいろうとしているところ。「ああ、橋」とぼくは当惑した。橋にはいると、ぼくか犬かどちらかが消えるはずだから。恐慌へいたった。そこで眼がさめた。
椅子らしさ
じぶんの坐りを想像しながら
これまた想像のなかで椅子らしさに坐ると
身にあらためてあらわれてくるのが
じぶんの尻や上体の前傾や両脚で、
その個体性(というより系統性)が
椅子らしさを四脚、背もたれつきのかたちにもするが、
坐ったものが雨上がりの湿った森に
よこたわっている丸太でかまわないというのが
想像に起こるほんとうのこととするなら、
椅子らしさもまたつねにむこうにありながら
すでに定型を欠いてしまっている
じつはじぶんのからだのひとつ、
からだのかたちをした可能性ということではないか
――尼ケ崎彬『ことばと身体』(勁草書房、1990)を繙読中。
日本語系認知言語学の著作としてとてもすぐれている。
読みながらおもったことを、上にメモ(つまり詩篇ではありません)
最果タヒ・死んでしまう系のぼくらに
最果タヒさんの新詩集『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア刊)が、ながれくる彗星のひかりのようにすばらしい。「あたらしい感情」を発明するのが詩の使命のひとつだとおもうが、そうした使命をわかい世代むきに、かんぜんにおびている。ことし一、二の出来をあらそうというよりも、詩の使命という点で、時代を画する詩集というべきだ。たとえばそれは音楽の大森靖子やマヒトゥ・ザ・ピーポーなどとも効果をきそう位置にある。こんな詩集は詩壇からうまれてはこない。タヒさん、歌詞や作曲や歌唱もやったらいいのに。
「死んでしまう系」は流行語となるだろう。たとえば「好き」という感情にも、メメント・モリが疑義をかける。だからそれは内在的に微分されてゆき、鉤型のようにのこったかたちが、どの永遠へ架けられるかで、ほんとうの空間が現れてくる。あかい東京の夜景。あたらしい感情は嫌悪や疲弊や泣きたい気持ち、さらに自己透明性の認識が織りまざったもので、一様としてはかたりえない。それは相反物が縒りあわさったにすぎず、だから、もつれと線型との中間にやどる通過体のようなものかもしれない。いいかえれば、定位できないことが、あたらしさなのだった。わかりやすいアイスバケツチャレンジとはちがう。
1200円という廉価をあたえられたこの詩集のよさをつげるには、端的にどうすればいいか。資本主義的にいってみよう――《三冊買って、うちの二冊を、すきな男の子と女の子に、それぞれべつべつに手渡したい詩集》。このとき、どの季節、どの場所でかを、この詩集が夢想させる。けっきょく、セカイ・ガ・スキニナル。
横組と縦組の交錯するレイアウトがあたらしく、必然性もある。いずれはちゃんとした書評を書くかもしれないが、いまは巻頭の「望遠鏡の詩」(横組)のみ、抜き書きしてみよう。
死者は星になる。
だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、その事実がとても好きです。
いつかただの白い骨に。
いつかただの白い灰に。白い星に。
ぼくのことをどうか、恨んでください。
いま情意と修辞のもんだいを、来年の国語表現法のためにかんがえている。この詩集、授業でつかおうかなあ。
さっぽろは完全に秋になってしまった。昼間でも半袖だとさむい。どうしよう。茫然としている。
じぶんの刊行予定詩集を、送られてきたPDFで校正した。ひとつだけ、はっきりとした特質がある。ゆっくりしか読めない、それでも疲れない、ということ。あたらしい感情が出現しているかどうかはじぶんでは判断しない。
井川耕一郎・色道四十八手・たからぶね
【井川耕一郎脚本・監督『色道四十八手・たからぶね』】
ピンク映画五十周年記念作として、PGとぴんくりんくを製作母体に、井川耕一郎が『色道四十八手・たからぶね』を撮ったのは、もともとピンク映画の代名詞的存在のひとり渡辺護のために井川の書いた脚本を、その渡辺の死と、そのまえに渡辺がしめした遺志により、井川じしんが代理的に撮り手として継いだためだった。
もちろん大和屋竺にかかわる証言を採取したときから井川と渡辺のあいだにはつよい紐帯ができ、以来、渡辺の破天荒で磊落な活動屋精神とピンク映画の演出技法を後世につたえようと、井川が渡辺にインタビューを試みながら、十部作の映像論的ドキュメンタリーをつくりつつあった。私淑というには足りない熱烈な執着。だから渡辺監督作として予定された自らの台本を、撮り手として受け継ぐには、井川じしんに相当な寂寥と葛藤があったとみるべきだろう。
もともと脚本家=演出者の井川は、自主映画-映画美学校ラインでミニマルな怪奇映画をつくりあげてきたと、まず経歴的には要約できる(監督が大工原正樹の場合もある)。それぞれが見事に映画へ期待される怪奇性を更新しているが、井川的な怪奇映画の特徴は、怪奇演出をミニマル化しながら、「ひよめき」「ファントム」「赤猫」「蠱」など、通例性のよわい言語がつくりなすブレたひろがりを、そのまま映画の進展のゆらぎに転写することだった。その意味で特異な言語ゲームに俳優の身体が動員されることになるが、このことが俳優に独特の稀薄感をもたらし、これが怪奇と隣接する「美」を画面の刻々に滲ませたのだ。そのうえで光や「みえがたさ」にかかわる独特の感性も発揮された。
むろんいま書きつけた一連は、ピンク映画がまとうべき属性には、基本的に参入できない。だから井川の個性とピンク映画のジャンル法則が分裂するのではないか――そんな危惧も生ずるとおもう。結果的には、それは杞憂に終わり、『たからぶね』鑑賞後は、胸の透くような――それでも奇妙な快感が身体と頭脳に宿ることになる。
『色道四十八手・たからぶね』のミニマリスムは、画面に登場するあらゆる場所が「ありもの」で、同時に登場する俳優数にも厳密な縮減がかけられ、六人しかいないことによる。しかも渡辺護という「色道」探究者の興味に添って、江戸情緒の新内的な三味線の音のひびくなか、屏風と褌姿、着物と襦袢姿によって性交のヴァリエーションを繰りひろげてみせる、ほたる(葉月蛍)と野村貴浩がいる。四十八手をいわば図解的に披露する活人画の駒であって、芝居上の人物ではなく、この虚構的なふたりを減算すると、登場人物がさらに四人へと縮減する。しかもそれらが主人公夫婦と、その夫からみた叔父夫婦なのだから、設定される世界像が極限的に「狭い」。なのにそれは無限の内部を抱え込んで、世界同様にひろがってみえる。そのなかには「死」や消滅さえひろがって、渡辺護没後にふさわしい寂寥をたたえるのだった。見事としかいいようがない。
井川が渡辺護用に書いた脚本は、もともと分節が幾何学的にきりわけられ、清潔なほどに構成的だ。しかも驚くべきは、それ以前に井川が台本を書き、渡辺が監督した『喪服の未亡人・ほしいの…』(08)からのアクロバティックな転用すら盛り込んでいる。二組のカップルが描かれること。「ほ、ほ、ほーたるこい」の音声が聴覚的な幻影としてゆらめくこと。性と死の近接に気づいた者の喘ぎ「死なないでね」が性交中に発せられること。階段が芝居の重要な場所として召喚されること。骨壺が転がり、転がった骨の脇でなされる性交が、死に近似するおのれを、過程的であれ完成させること。
その清潔なほどに構成的な台本にも、とくに『たからぶね』のばあい井川の特有性が感知される。指摘した言語遊戯的な進展により、芝居の「現実世界」が怪奇的に併走させられてしまう機微が、井川のかかわった従前作どうよう出現するのだった。ふたつの事例を掲げる。
冒頭のほたる、野村貴浩による四十八手の活人画はその展覧過程に言語遊戯をほのめかす。「ほ、ほ、ほーたるこい」の声が性交渦中のほたるから妖しげにほとばしり、「こっち」の「甘い水」に接するように、野村の舌がほたるの秘所にのび、そこでの「ほたる」が「陰〔ホト〕」と頭韻関係をむすぶ。『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』(井川脚本、大工原正樹監督)の題名中にある「ホト」がそうして転位される。しかもそこに生身の女優としてほたるまで導入されているのだった。
夜這いを誘う符牒として、「柿の樹はありますか」も出てくる。これを誘いのことばと意識して「はい」と答えると夜這いが成立するというのは知識のない者には奇異だろうが、やがてこの作品における夫婦交換のクライマックスで、「柿の樹はありますか」「はい」「実を千切っていいですか」「千切って〔=契って〕、契って」と熱烈に女の声が連呼されると、この言語変転におうじて柿も「掻き」だったのかと合点されるようになる。いずれにせよ江戸的な暗示、縁語、洒落につうずるもので、だから芝居どころで見事に活かされる川柳《ばか夫婦春画をまねて筋ちがひ》も効果を発揮することになる。
浮世絵による体位の四十八手図解は嫁入り道具だったというが、起源は大アジア的だ。インドに教典『カーマストラ』があり、中国で養生〔養性〕術が蔓延した。「四十八」は相撲の決め手とおなじく(『たからぶね』には北野武『ソナチネ』どうよう「紙相撲」「人間-紙相撲」のディテールがある)、「2」の繰りひろげうる総数=無限数のことだ。「1」は極限ではないが、「1」足す「1」が無限となるという世界観は、楽観的でかつ微分的/積分的、ひいては世界構造的だといえるだろう。ところがナレーションのいうように、なかには「こんな体位、実現できるのか」というアクロバティックなものがあり(インドのヨガ的な風土と関連しているだろう)、無限のなかに不可能性まで点描されて、それがまたさらに世界構造を喚起する。
この四十八手のなかから体位「たからぶね」が特権的に選択される。ヒロイン千春=愛田奈々の決定的な体位としてそれが現実と幻想のあわいに召喚されるのだ。女の片脚をもちあげる体位なら通例的だろうが、たからぶねはその逆に、仰臥した男の片脚をもちあげ、その脚を上体が抱きかかえながら、女が斜めに男へ跨るものだ。その全体が帆掛け船=宝船に似ることから体位の命名があり、それは四十八手のうちで「ここ」から「ゆえしらぬところ」への航行性を最も印象させるものだろう。性交の時間性はそこで空間性へと転位される。
しかも女の上体が抱きかかえる男の腿から爪先までの片脚が画面に映されるとなにか仏像めいてみえ、体位の性交性には祈祷性も揺曳する。なおかつ、男の片脚を狂乱的に抱えながら腰をゆらす女は、それを実現するのがほたるであっても愛田奈々であっても奇態なチェロ奏者のようにみえ、そこから楽音がひびきわたる気にもなる。「たからぶね」の特権化はじつに映画的な着想だった。
千春=愛田の夫・一夫を演じるのは、情の外化に諦念=不作為と激情が交錯するさまが見事に不穏な岡田智宏。夫婦の和合において「うぶ」な妻にかえって夫が劣情をそそられるという前段がつづられたのち(愛田は「恥しい」を連呼し、掛布団におおわれてでなければ開脚せず、行為後には恨めしげに「灯りは消して」と懇願する)、あるとき妻が笑みをこぼしながら寝言で「たからぶね」と漏らしたのを遅く帰宅した夫・岡田が聴くのが、いわば井川的な怪奇性の起動点となる。現実のなかに、現実に離反するように浸潤している「夢」。その着眼に乗って、本作に導入される、いずれも「妻のたからぶね」にちなみながら達成感を得ない、二度のちがう夢のシーンが、井川的な蠱惑感にみちてくる。
井川の仕掛けた罠は、体位「たからぶね」が活人画としてほたると野村貴浩、あるいは愛田とその義理の叔父であるなかみつせいじのあいだで達成されても、愛田とのたからぶねを切望する岡田には実現されないことだ。しかも岡田のまえで実現されているほたる-野村のたからぶねの渦中で(岡田は夢の奇妙な要請により、体位の変転を映像に記録するようしいられている)、ほたるから愛田への「すりかえ」が夢幻的に起こり、そこで愛田のしるす絶頂の表情が、体位としての「たからぶね」の極上性をしるしづける。
たからぶねは終幕、岡田と叔母・佐々木麻由子のあいだでは実現されるがしっくりこない。たぶん膣口の配置や方向や分泌や収縮性といった個性がちがうのだ。そうなって、「四十八」の無限のなかには、消滅のみならず、踏破できない個性差もあったと言外にしるされる。提示されている世界像はこの意味で峻厳だった。
「たからぶね」の寝言を耳にした、と翌朝の食卓で、岡田が若妻・愛田にいい、「どんな愉しい夢をみていたの」と何げなく質問したときに、妻が驚愕し凍結する(感情としては赤面も隠されている)。妻のした言い訳は換喩的なずれをかたどる。妻は七福神の乗り物としての「宝船」をいい、その成員を「恵比寿・大黒・毘沙門・弁天・寿老・福禄・布袋さん」と、俗謡のように韻律的な調子で列挙してみせる。いずれもがインドや中国に起源をもちつつ日本化した神性だ。のちに夫が七福神の「福」とはなにか、と訊ねたさいには、妻は「みんななかよく、いつまでも」の意だと語る。その響きには予祝がこめられていて、その「みんな」に字義どおりの無限性があたえられ、「なかよく」に性的な逸脱までもが籠められるなら、それがピンク映画の精神的な基底となるだろう。しかもそこにフーリエ的なユートピアの具現のみならず、むなしさを加算するのがここでの井川のピンク映画観なのだ。ピンク映画五十周年を精確に見据えた井川の眼力を意識した。
むろんピンク映画監督としての井川は、早撮りを実現するため(撮影日数は四日だったという)、ピンク映画スタッフの手慣れたノウハウにおおむね従っている。たとえば会話シーンがふたりの俳優によるばあいは、撮影効率のため、カッティングなしで横位置から長回しがなされる(撮影・清水正二)。それで芝居に「間」や「ダレ」が出ないのは、演出現場の井川が、テンポよい台本にふさわしい演技テンポを、たとえば増村保造のように俳優へ仕掛けているためではないだろうか。
しかもカッティングのピンク映画的=効率的な規定律が前提となるから、井川がときたまみせる意外なカット処理が効果的に印象づけられる。水平方向から怒気を孕んだ佐々木麻由子が飛び出してきて金網を蹴るときの爽快さ。その身体が縦方向に正面化すると、彼女の仁王立ちが可笑しさにより愛おしく映る。むろんクルマのフロントガラス越し方向へ固定されたカメラが、車中の芝居を捉えるふたつのシークエンスも、見事に奇異で、かつエモーショナルな画面推移を形成する。
もともと人物がすくないから、世界配置が(いわば膣口のように)収縮的になりエモーションがうまれるのだ。ピンク映画とは最小の材料(つまり肉体)でエモーションを探究するいとなみというべきではないか。もうひとつ思想があるとすれば、「交歓」が「交換」を必然的に付帯させることだろう。これらが「2」に、ひいては「4」に無限性を付与する。これをさらに逆算すると、「1」にもともと無限性が胚胎していたことにもなる。その無限性は充実と虚無、それぞれがたがいを繰り込むようにしてなす運動から生まれる。最終的に、愛田=千春の「さみしさ」が岡田と佐々木のあいだで言及されるとき、そこにひそんでいたのは存在にまつわるそんな哲学だったのではないか。
これは性交論に転化できる。ひとつの性交は、べつの性交を視る。性交当事者どうしが、すこしはなれた場所でべつの性交を視、視線が交錯するのがスワッピング的な侵犯の本質だろう。「他」が現れて「自」がゆらぐ。それは性交の対象=「他」に、べつの「他」を視ることの発展なのだ。そうなって、ひとは眼前の対象とではなく、自らの夢想と性交しているという、おそろしい擬制もできあがる。これがユートピックなむなしさの本質だ――井川は渡辺護の訓えから、そんなことをかんがえたのではないか。
佐々木麻由子のしめす淫蕩がさみしさを抱え込む一瞬をみせることなら、多くのひとが認識しているかもしれない。井川はこの基底に見事な喜劇性を付加する。なかみつせいじと性交する佐々木が、片脚をたかく掲げたときに脚が攣〔つ〕る。このとき痛みに喘ぎながら、佐々木に漏らすことばに大笑いしてしまった。「ミネラル不足かしら――ヒジキを食べないと」。生の全価値をこうして食品に還元することが佐々木の住む世界の法則で、そこから重要な小道具「にんにく味噌」も出現する。
井川がピンク映画にえがいた抽象的・結晶的な理念はそれが映画であるかぎり具体性をからげてゆく。納豆の糸がその糸状を超えて画面に召喚されること。それは「驚異の糸」のようにみえる。あるいはホイップ状のものの変奏。来るべき日に肉欲を爆発させるため、ラブホテルでの剃毛儀式がえがかれるが、そこで剃毛クリームにつつまれてみえなくなった佐々木の陰毛は、なかみつの誕生日のショートケーキのうえにまたがって下した局部、それで付着したホイップ状の生クリームによって消された愛田の陰毛へと転位する。そうした図像性からはふたりの女優の個性差と、「どうしようもない」相同性が軋みあうことになる。
これから観るひとの興味を殺がないようストーリーについては間接的な表現にとどめているが、それでも注意ぶかく読まれれば、物語の全貌がどこかで露呈しているかもしれない。テンポよくはこぶ物語には、それじたいが皮肉な艶笑にみちた大人の感覚がある、とだけいっておこう。
俳優がいい。まだ具体的に綴ってこなかった愛田奈々は、最初にマンション住まいの居間で、夫と紙相撲に興じる表情がすごくノーブルだ。わらうと高貴さを発散する女優だとわかる。そのあとの含羞にみちた寝室での濡れ場では、横顔のラインのうつくしさが強調される。そうなって好色が画面にしるしづけられたときの物質的な悪意と抵抗性がつよく胸をうつ。おおきめでかたちのよい乳房のやわらかさも、局面局面で見事に濡れ場進展に活用されている。これらの経路があって、彼女の表情の恍惚が中心化されるとするなら、井川は女優の見え方そのものに、周到な位階性をともなわせているといっていい。それは井川脚本『喪服の未亡人・ほしいの…』の結城リナにたいして渡辺護がほどこした「見せ方」の演出を、井川じしんが踏襲したものではないだろうか。
俳優演出がピンク映画の通例性を拡大したものだったとすると、空間演出には井川の独創性がみられた。大体において現在のマンションの間取りに多い「田」の字構造は映画のもとめる空間性には不適格だが、井川はまず、玄関からリヴィングまで縦に貫通する廊下を、ここぞとばかりのタイミング(岡田智宏がナイフをもつ場面)で縦構図として活用する。リヴィングに隣接する和室の映画的な活用がさらに驚愕的だ。二面にある襖の開け閉めによって、それがはじめて映画的な空間に昇華することを「発明」しているのだった。この画面設計がクライマックスの緊張と直結している。しかもそこに「みていないこと」「みていること」の葛藤さえしるされるのだった。
井川の性交演出ではさらに気づくべき点がある。そこでは間近の男優によって擬制される接合局部よりも、性的な高揚によってあらわれを刻々変えてゆく女優の腕の表情のほうに眼目があるのだった。ベッドに縛られ、スカートをもちあげ、フェラチオのさいに男の腰にまわされ、「たからぶね」のときに高くかかげられた男の片脚に上体がすがりつきながら、それを撫でる女の手-腕。性愛を情化しているのはじつは局部ではなく手-腕だった。これが渡辺護のメソッドの継承なのかどうかは、渡辺映画を体系的にみておらず、しかも記憶力のわるい筆者にはよくわからない。いずれにせよ、ピンク映画のエモーションは肉体の唯物性がうごきをつくるとき純粋に生じる。
渡辺護のたましいに捧げられたこの驚異的なピンク映画の傑作は、今秋、公開のはこびとなる。それは「たからぶね」として現在のピンク映画の領海を航行するだろう。音にかかわる意欲的な表現も多いが、エンドクレジットにながれる、結城リナの唄う『尺八弁天地獄唄』主題歌が感動的だ。効果的な「特殊造形」をほどこしたアニメ作家・新谷尚之の仕事にも注目したい。
に
【に】
ぼくの馴染みの博士過程の院生が、論文を書くとき主格助詞の「は」が「が」へ転用可能ならば、すべて「が」としたらいい、と語ったぼくのことばを、「呪い」と評してFBにポストしているのが可笑しかった。それほどの他意もない。「は」は「が」より強調をふくんでしつこく、文のおとなしく自然なながれを阻害するのだし、複文構造のなかで主格構文をしめすのにも主従関係にしたがい従構文中の「は」なら「が」への転用が適切だし、なによりも入れ子複文構造では「は」の重複が瑕疵と映るためだ。
「てにをは」でいえば、じつはいちばん厄介なのが「に」ではないだろうか。私見では「に」がいちばん登場頻度のたかい助詞という感触がある。だから「に」が「へ」に転用できるときには「へ」としたらいい、とひとまずいうが、ことはそれほど単純でもない。「に」はいわばオールマイティの助詞で、たえず反復の危険をかかえている(その理由についてはすぐに後述する)。詩を書いていると、反復阻止に気を払うのがまずは「に」、そのつぎに離れがちな文脈を同一性の基準で接着してみせる「も」に、かぶりが多くなるというのが経験則だ。
認知言語学的にとらえるなら、異論も出ようが、まず「に」と英語の前置詞の相関関係をあかすべきかもしれない。「に」は空間と時間双方に作用する。つまり空間としては「to」(学校「に」ゆく)、「at」(駅「に」着いた)、「on」(机「に」置く)、「in」(家「に」いる)など、英語前置詞の差異性をあっさりと併呑してしまうし、時間としては未来対象の「for」が「till」「toward」にまでひろがる気色をもつ(あす「に」希望を託す)。しかも「for」にかさなる「に」では時/空の弁別を文脈が無効にする働きもある。それが「ために」の意図もふくむようにも拡張できる。その他、人事にかかわる、「by」とつうずる「に」だって閑却できない。
認知言語学における例文提示が単純な一文になるバカらしさを、日本語では避けられる。みじかい例文なのに、複雑な機能をおびるものとして俳句が存在するためだ。で、俳句における「に」のふしぎさについて。最近、ぼくがつづったものからいえば、芭蕉《朝顔に我は飯食ふ男哉》の初五中の「に」をどうとらえていいかわからない。あるいは安井浩司《糸遊にいまはらわたを出しつくす》の初五中の「に」も。こうした「に」をじっとみているだけで、時間とも空間ともつかないものが眼中にひろがってくる。そんなこんなで不安になると、西東三鬼《百舌鳥に顔切られて今日が始まるか》の初五の「に」からも、英語前置詞byには収められない、空間の無限定性をかんじてしまう。錯覚だろうか。
日本語で詩を書くさいの「母語のゆたかさの実感」は、「てにをは」のむずかしさと表裏をなしている。とくに「換喩」――「ずらし」を意図して、一行に多元性の影をあたえたいなら、助詞のずらしがおおきく物をいう。きのう投稿した文章のなかで石原吉郎の詩篇「像を移す」を添えておいたが、もういちど確認していただければおわかりのように、そこでは「に」をもちいる通例のすべてで「へ」が代用され、そのずれが微妙な空間性を醸成しているのがわかるだろう。『換喩詩学』のどこかにも書いたが、助詞そのものが字義を離れた異物性をもつ日本語の詩なら、それじたいが換喩のあらわれをしるしているということだ。こうした微妙さが賞玩にあたいするとするなら、書き散らしの散文詩など、まったく別次元のものだろう。
あえて恥をしのび、例をだす。ぼくは『ふる雪のむこう』につづけて書いた詩篇群を封殺した。『ふる雪』の「二行聯×五」の定型を、「二行聯×n」に拡張したものを方法的につくりつづけたのだが、七二篇に集成してみると、どうも野心や功名心が多くの詩篇に透けていて、鼻白んで閉口したのだった。まあ直せば生き返る詩篇もあるだろうが、あたらしく詩篇を書くほうが気も楽、とそのまま打っちゃってある。そのうち忘却の彼方へ埋没するかもしれない。
前置きが長くなったが、そのなかに「に」の用法展覧を意図した、その名もずばり、「に」という詩篇があった。ペーストしてみる。
【に】
はじめにふみこんだ足が後悔にそまる
ろうかの端の春田のようなところに
まどがあるのは眼にはよいきざしで
足をいなむためにやなぎがゆれている
ずぶずぶとあることがゆれることになる
それがからだにひそむあまたの序曲で
こんなふうに「に」ばかりをいっていると
やがては「二」もじぶんにはっきりする
きみの方角になにをたてているのだろう
じぶんのからだをいまの窓辺において
たくわえる回路がたらなくなった弱電の
ひとみたいによわいしめりをつたえている
裁たれるまえに布がみな矩形であるのは
からだのほんしつにたがえていて恐ろしい
しかくがくずれてりったいにふくらむとして
きみの着た窓もそれで服になりやなぎがみえる
まあ、そんなにわるくないかな。ごらんのとおり、一行の例外があるだけで、すべての行に助詞「に」を組み込んである。それが反復のしつこさをもたらすか、自然化されるかで、賭けをしたようだ。
この詩を再読してみてわかる。「に」とは時空・行為にかかわらず、到着点をしめすための方向を予備するとき「に」、われがち「に」舞い込む符牒なのだった。それは差異性が不可能「に」なる同一性の蔓延が、にんげんの頭脳「に」あらかじめ脈打っているあかしのようなものなのか。このこと「に」諦念をもつか、石原吉郎のよう「に」、「へ」を代位して反逆「に」いたるか。
というわけで実験。詩中の「に」をべつの助詞に置き換えるとどうなるだろうか。予想はより換喩性がきわだつということだが。
【改作】
はじめをふみこんだ足が後悔へそまる
ろうかの端の春田のようなところで
まどがあるのは眼のよいきざし
足をいなむためやなぎがゆれている
ずぶずぶとあることがゆれることとなる
それがからだのひそめるあまた序曲で
かくのごとく「に」ばかりを回避すると
やがては「二」もじぶんからきえる
きみの方角へなにをたてているのだろう
じぶんのからだをいまの窓辺でかさね
たくわえる回路がたらなくなった弱電の
ひとよりも、よわいしめりをつたえている
裁たれるまえを布がみな矩形であるのは
からだのほんしつとたがえていて恐ろしい
しかくがくずれて、りったいが泣くとして
きみの着た窓もそれで服だ、やなぎがみえる
どうかな。
*
未明に井川耕一郎のすばらしいピンク映画『色道四十八手・たからぶね』を観た。それについてポストすると、昨日の今日で疲れるので、今日は「に」についてかるいエッセイを書いた。
自体と以外
【自体と以外】
昨日の夕方、蓮實重彦の大著『『ボヴァリー夫人』論』800余頁を読了したが、300頁の段階でおととい中間的感想として書きつけた印象に、あまり変化は出なかった。ただし途中の感想で終えるのもフェアではないので、もうすこしこの本の「全体」をとらえてみようとおもう。媒体に発表する書評論文ではなく、時間を節約してネットに載せる感想文なので、具体的な引用を極力ひかえるが。
本章は10章に分割されている。進展的というより、べつの主題系によってフローベール『ボヴァリー夫人』への分析(アプローチ)を章ごとに変転させてゆく気味がつよい(それでもそれは次第におおきな合流をみるが)。ⅠからⅩは、順に「散文と歴史」「懇願と報酬」「署名と交通」「小説と物語」「華奢と頑丈」「塵埃と頭髪」「類似と齟齬」「虚構と表象」「言葉と数字」「運動と物質」と題されている。一目瞭然で「AとB」による対比形式が章題に共通している。
とはいえここでの「と」はドゥルーズがゴダール映画の(カット)法則とした「とet」ではない。ドゥルーズの「et」は無媒介で暴力的でスピーディな「並列」(リゾーム状に進展できるもの)を意図していた。これについては平倉圭が名著『ゴダール的方法』で具体的なカット進展を精査することで批判をくわえている。彼によれば、ゴダールのつなぎの法則とは、類似性を隣接させることだった。ぼくなりにいいかえれば、「暗喩性を換喩性により、極点単位の精確さで破砕すること」となる。
『『ボヴァリー夫人』論』の「と」はこれらともちがう。対比形式に期待される正反性をほどき、フィクショナルに対比された任意的な二項を相互進展的に記述することで、その悪無限的な「もつれ」からなにかを見出そうとする――最良の「と」はここではそのように発現されている。そうなっていないのがたとえば「散文と歴史」で、マラルメの「詩の危機」に先駆けて、小説という媒体誕生直後の「歴史」に、すでに「散文の危機」を見出していたフローベールが考察される以上、「散文と歴史」が「散文の歴史」に代位されるほかないためだ。最良の章「塵埃と頭髪」なら「塵埃の頭髪」とはいいかえられない。
蓮實のアプローチはこれまでと変わっていない。端的に小説的散文の危機とは、書かれていないことが読まれてしまう受容共同性にあるということだろう。たとえば『ボヴァリー夫人』は多くの先行論者に「現実と夢想をとりちがえるエンマ・ボヴァリーが自殺する物語」と要約されている。ところが「エンマ・ボヴァリー」という記述はフローベールのテクストに一切ないし、ボヴァリー夫人は三人出てくるし、自殺の記述は素っ気ないし、自殺後にも小説はつづくし、エンマの自殺の動因も純粋に経済的なものなのだから、そうした要約は「テクスト的な現実」に入り込んでいない――そう蓮實は強調する。
蓮實のしるすことを敷衍してゆけば、「テクスト的な現実」とは以下のようになるだろうか。「作者」や「時代」からの照応「以外」に、テクストには作者により付与されたそのテクストだけの内在法則があって、そこにこそ運動性や内部照応が加算される。同時に内在法則に縛られたはずなのに、細部に矛盾が生ずれば、それがテクストの生々しさを露呈させる――と。蓮實にはフローベールに通例的に規定される「レアリスム」は否定的な色合いでしか眼中にない。むろんフローベールの視覚的描写は、必要いがいを記述する不穏をはらむ。ただし同語の使用を避けるために文体の彫琢鏤骨に励んだ推敲者フローベールという伝説は、蓮實の眼中に、章を追うごとに、次第にはいってくる。
小説的テクストがそれ自体のみの内在法則しかもたないとすれば、そのテクストはそれ自体のみを形成するという意味で、排中律を起動させる。ところが「それ自体」は「それ以外」へかならず親和するものではないだろうか。つまり「現実と夢想をとりちがえるエンマ・ボヴァリーが自殺する物語」という誤解的な要約も、社会学ではなく文学的な意義をもつはずだ。たとえば以前の蓮實も考察対象とした夏目漱石なら文学の原理を「F+f」という。Fを概念、fを情緒とまとめてもいいが、Fとfは相互にたいして「それ以外」だという点が忘れられてはならない。とすると「書かれてあることだけが読まれるべきだ」という蓮實の主張が、「書かれてあることがもたらす作用も読まれるべきだ」よりも、相当に狭隘で窮屈だとわかる。単純にいえば、蓮實の主張は、詩の読解には通用しない。
じつはこの点で蓮實じしんの立脚がブレている。たとえば二項対立的な章「華奢と頑丈」はこの長大な書物で初めて蠱惑的な魅力を放つ章なのだが(論及するフローベールのテクスト細部が「人体」にかかわる具体的な物質性をおびてくるためだ)、そこで読者が接するのは、「都会性と農民性」に還元される「華奢と頑丈」である以上に、「手と足」の交錯であり、のちの「類似と齟齬」の伏線となるエンマとその夫シャルルの「相似性」なのだった。ここでは対照性をつなぐ線以外に、さまざまな線が交錯してきて、じつは対照性が消され、そこへ相似性が代位してくる。論旨の成り行きは錯綜的だが、読者はテクストから抽出された線型を読む誘惑にひきずられてゆくだろう。ところで、「テクストから抽出された線型を読む」ことがテクストそれ自体を限定的に読むことから離反していないかどうかが微妙なのだった。
「塵埃と頭髪」では引用された訳文から蓮實以上に読者のほうが、「それ自体」から「それ以外」への回路に直面せざるをえなくなるだろう。漱石流にいえばFが意図されている引用に、読者はfを読みこんでしまうのだ。なぜそんなことが起こるのかといえば、対比される「塵埃」と「髪」が、なにか物質的な魔法を演じるためというほかない。蓮實は周到に、まったく恣意的にみえるこの対比が、物質的・位相的に類似性をもつ、と前段で論述するが、塵埃的なものに髪的なものが召喚され、その逆の事態も起こるフローベールのテクストの内在法則が、いわばフローベールの個性という以外に根拠をもたない点に畏怖をおぼえる(蓮實じしんもそうしている)。このとき「小説の決定性とは決定不能性のことなのだ」という感慨をぼくはおぼえたが、これこそが、「それ自体にそれ以外を読むこと」なのではないだろうか。
むろん章内と章間がこの調子で展開しつづければ、『『ボヴァリー夫人』論』は蠱惑的な細部のみを抱えることになっただろう。ところがいま讃美した章においてもそうならないのは、先行書誌に気をとられるあまり蓮實の論旨がたえず迂回を挟むためだ。これほど参考文献の多い彼の書物はほかにはなかった。先行書誌にたいする振舞が「余分」を印象づけるとすれば、これまで「怪物的」と称されることもあった蓮實の著述が直観性と単純明快化から魅力を発していたことになる。つまり精査力ではなく、膂力の魅惑として蓮實著作があったと。むろんこの見解には初期の映画分野の著作や「進展がゆるやかな小説」として読まれるべき『凡庸な芸術家の肖像』を念頭におけば歪みがあるとわかるが、論述の迂回がこれほど疲弊をよぶ書物はこれまでの蓮實にはなかったとかんじる。
なにが問題なのか。むろんフローベール、ならびに『ボヴァリー夫人』には先行研究書誌がフランス本国に数多くある。それなら「それ自体」のプーレ、サルトル、リシャール、ランシエール(あるいは他国圏ではチボーデ)ていどにとどめ、もっと純粋な「それ以外」から論旨の補強をすればよかったのに、とかんじてしまう。たとえばジェラール・ジュネットでは『物語のディスクール』からの参照が多い。慎重に記されてはいるが、よく読めば貶価的な引用なのだ。ところがジュネットがその本で「それ自体」の領域としているのはプルースト『失われた時を求めて』であって(ぼくは『物語のディスクール』を記号論・物語論としてではなく、プルースト論として至芸だといまだにおもう)、ジュネットの物語論もまた、プルーストだけに適用される内在法則があるかもしれない。ところが蓮實は、そうした「それ以外」を、論旨の「それ自体」にむけて参照してしまうのだった。
いずれにせよ、先行研究の盲点を突くことを強調して、自説を展開するという「順序」を遵守する蓮實の論述は、「それ自体」を中心化する際の、余分な迂回をともなわずにはいない。むろん「読解の現在」あるいは「読解的な現実」はそれに食傷してしまう。
そうした自己中心化にともなう「書き方」は章内では言い換えられ、おなじ言い回しが回避されているが、これだけ長大な内容になると、やがておなじ言い回しを避けられなくなる。それはおなじ言い回しや同語を避けようとして推敲に呻吟したフローベールとは「似ていない」――つまりフローベールとの「親和力」を欠いた振舞といえるのではないか。あるいは参照系におおいかぶせて自説を中心的に上乗せするのは、位置的にではなく意味的にちかいもので奥行を隠すという意味で暗喩的な振舞だが、それはプルーストが「比喩がつかえない作家」とかんがえたフローベールの脱・暗喩性にも離反するのではないか。すくなくとも名文家フローベールでは「語調」に辟易するという事態は起こらないだろう。あるいはフローベールでは記述されるべきもの以外は記述されていないが、蓮實はその禁にふれているということでもある。
参照系に説得力を欠いてまでサールやローティが導入されるとき、「小説が出現した時代=近代」を照準に置いていた論考に、現代性がまぎれこんでいる不純をかんじる。なにを防衛しているのかがわからない。あるいは蓮實がこれまでほとんど言及してこなかったベンヤミンについても、みじかい参照があるが、これもまた「それ以外」の領域――『複製技術時代の芸術』からなのだった。
「類似と齟齬」では蓮實にいわせればこれまで先行研究のどれもが考察してこなかった「エンマとシャルルの相同性」にかかわる指摘が見事に作動する。つまりエンマとシャルルのあいだに親和力が形成されていることになる。それならばなぜ、カップル同士がカットバックをつうじて相似的な悲劇に陥ってゆくゲーテ『親和力』を考察したベンヤミン「ゲーテの『親和力』について」が参照されないのだろう。これはベンヤミン『複製技術時代の芸術』が参照されてしまったから起こる不満だ。しかも「ゲーテの『親和力』」には、「ただ希望なき人びとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている」という、親和力を念頭にしながら、「それ自体」と「それ以外」の弁別を無効にする、いわば外延進展力が末尾にくわえられている。蓮實の文章にはそれがないようにおもう。むろんゲーテをここで導入するのは恣意ではない。フローベールどうようゲーテも「小説の形成期」を体現する作家だからだ(さきに漱石を例示したのもおなじかんがえによる)。
「類似と齟齬」では、「テクスト的な現実」からエンマとシャルルの相同性が摘出される。その契機は「父親が自分で連れていった」という記述が、同語やおなじ言い回しをきらうフローベールなのに、若いエンマとシャルル双方に、適用されていることだった。蓮實は例のように驚いてみせる演劇的な身振りを選択する。この「同一の文」が基準になって、その後のふたりへいかに相同的な主題が舞い込みながら、やがて同一性が軋みあう齟齬をも来してゆくかを蓮實は追ってゆく。このあたりは見事なのだが、むろん「同一性が継時的に相反性を組織してゆく」すがたは、「それ自体」が「それ以外」をふくむ事態の、変奏とよべるだろう。
けれどもこれがフローベール『ボヴァリー夫人』の「テクスト的な現実」=「内在法則」にとって驚くべき事態なのかどうかはよくわからない。詩には往々にして起こる事柄だからだ。たとえば詩篇内の「同語」関係はいわば「同語性」を微分するために組織される。語Aは最初の出現時に基準となりながら、その基準はつぎのAの出現時に侵犯され、微妙さ(これを時空のずれと略言することができるか)を付加されるためのものにすぎない。しかもこのことが同語間に律動をつくりあげる――というのは、いわば詩学上とうぜんのことなのではないか。つまり蓮實の驚愕の身振りは、小説性から詩学を峻別する立脚に生じているのだが、そのことの現在的な是非がよくわからない。たとえば伊東静雄『わがひとに与ふる哀歌』で、「有明海の思ひ出」の直後に、間奏的にはさまれた以下の「(読人不知)」はどうか――
深い山林に退いて
多くの旧い秋らに交つてゐる
今年の秋を
見分けるのに骨が折れる
ここでは「秋」が同語だが、それは「旧い」と「今年」でぶれるのではない。同語が出現することで、秋が内在的に「それ以外」のひろがりをかかえこんでしまうのだ。自己鏡像を主題にした石原吉郎の「像を移す」では動詞が「同語」となっているのがみてとれるが、じつは最大の問題は助詞「へ」の重複だろう。ここでも同語の出来は瑕疵とされるどころか、完全に方法とされている。しかも助詞「へ」は、位置と「それ以外」を同時にくみいれる助詞であることが詩的に増強されている。
私へかくまった
しずかな像は
かくまったかたちで
わずかにみぎへ移せ
像のおもみが銀となって
したたる位置で
したたるとき
私へやがて身じろぐのは
位置と位置との間〔あわい〕ではない
もはや時刻のかたむきである
蓮實が「律動」に無頓着というわけでもない。「言葉と数字」では『ボヴァリー夫人』中の数詞の探索が、かつての『大江健三郎論』とどうように開始される。しかも同語をきらうフローベールを立証するように「49」といった稀用数値まで分布している点が強調されるが、たとえば「42」についてはなんの指摘もないのだから、これはおかしな論理機制といえる。ともあれフーコー『言葉と物』でmodernの語をかぞえあげまでしたように、数値であれ何であれ、リストアップは一貫して蓮實的な方法なのだが(それにしてもくどすぎる)、やがて蓮實は「野蛮な」(もしくは蓮實用語でいう「愚鈍な」)方法選択にいたる。英語でいえば「One day」にあたるフランス語の「One」を数詞としてかぞえあげ、その時制的な根拠のなさへ、さらに無根拠に「翌日follwing day」が陸続してゆくときに、エンマやシャルルの破滅がリズミカルに記述されるという驚愕の指摘がつづくのだった。「3」の破局性はつづられるものの、「ある日」の強調からはじつは数詞の問題が跳んでいて、そこが逆説的な魅力と映る。なぜなら「One day」の「One」もまた、数詞の「それ自体」を「それ以外」へと転轍する、「決定性から決定不能性への移行」だからだ。このように書けば、蓮實の記述は「説話論的な経済性」により圧縮されたはずだ。むろん構文「それ自体」にたいし、リズムは「それ以外」を形成する。それは詩論の問題のはずだが、このことが散文論の考察のなかの「One day」の指摘に、矛盾として露呈している点が、フローベールのテクストのように生々しいのだ。フローベールの意図がいつも決定不能なように、蓮實の作為もどこまでが自覚的かじつはわからない。
概して蓮實の指摘は、正当性ではなく語り方のつよさにその意義を帰着させているのではないか。最終章としての圧巻さを帯びた「運動と物質」でもそうだ。ここではエンマとシャルルの「齟齬」が、物質性の差異として位置づけられる。つまり物質性を負わされたシャルルにたいし、エンマには物質性が欠落していると結論されるのだが、大論のこれまでを丹念に追ってきた読者は煙にまかれるのではないだろうか。たとえばエンマの毛髪が塵埃の「物質性」と溶解していたことが蓮實の文で感動的だったのだし、よしんば物質性が戸外を中心の居場所とするシャルルに付与されたとしても、「物質性がないという物質性」ならエンマにものこるのではないか。あるいはシャルルのほうに戸外性を振り分けたとして、馬車のゆれによって不倫への情熱をたかめてゆくエンマの「戸外」性はどうなってしまうのだろう。その章に内在する「語り方」だけが浮き上がり、細部は全体性のなかで「齟齬」を来している。
それでも「運動と物質」の章が蠱惑的なのは、リシャールをはじめとした諸家が「水」とエンマの関係を考察している先行書誌に、蓮實が居心地わるそうに参入しているためだ。たとえば仕種や動作などを考察の中心に置く蓮實は、詩的なものにつうじやすいバシュラール的なものを、松浦寿輝とはちがってほぼ度外視してきたのではなかったか。だからここでの蓮實の記述は、水に惹かれつつ、即座にそこから身をひきはがす、倒錯的な身振りを連続させることになる。ここも「露呈」部分として生々しい。蓮實みずからが「それ自体」と「それ以外」を点滅させているようにみえるのだ。そこでは山田𣝣による名訳が以下のように引用される。シャルルが独身時代のエンマに惹かれた一節――
あるとき、ちょうど雪解けのころで、庭では木の皮が濡れそぼち、屋根の雪が溶けだしていた。彼女は玄関口にたたずんでいたが、パラソルを取って来て、それを開いた。鳩羽色の絹のパラソルに日の光が透いて、彼女の顔の白い肌をゆらめく照り映えで染めた。彼女は傘の下から淡い暖かさにほほえみかけた。ぴっちり張った木目模様の傘の絹地へ、ぽつりぽつりと落ちる傘の雫の音が聞こえていた。
リシャールはここからフローベールの「水コンプレックス」を抽出し、「ぽつりぽつりと落ちる傘の雫の音」に「発生と死」の象徴を見、蓮實もそれに同意しながら、農作業におけるエンマの乳しぼりなどを話題にのせるのだが、見解はやがて物象のあらわれがまとう間歇性のほうに移ってしまう。「水」そのものを考察するのが厭だからとしかおもえない。惜しいとおもうのは、何度も形態についてするどい考察をしたここでの蓮實が、「パラソル」的形態そのものを『ボヴァリー夫人』中に「かぞえあげなかった」点だろう。
むろんこの部分の引用には「驚愕」した。前回のぼくの投稿が、まさに「傘」で終わっていたためだ。さすがにずっと蓮實重彦を読みつけていただけあって、彼とは「親和」していたというほかない。
本書ではこの「運動と物質」の章のあとに、終章が来る。そこで、エンマの死の場面が死の場面らしからぬ理由のひとつとして、そこに乞食の俗謡がはいってくる細部が強調される。最初、蓮實はその出所を謎めかすが(そこではウディ・アレンの映画からコーンゴールドの音楽を探索した往年の振舞が期待される)、あっさりそれがレチフ・ド・ラ・ブルトンヌが蒐集したものだという定説を解き明かす。解き明かしたうえでなお、その場面への俗謡の舞い込みが、フローベール自身の体験(記憶)の有無、テクストの由来的な異質性などから、いわば決定不能性をおびると指摘する。
これがこの大論の最終部分だった。つまり「テクスト的な現実」(それ自体)は最後に「決定不能性」(それ以外)を発散する、というのだった。とすればもともと、「テクスト的な現実」の擁護者として、語調に辟易させてまで「自体」を中心化する必要など、さらさらなかったのではないだろうか。決定不能性、相似性など、書かれるべきものだけが適確な長さで書かれればよかった。
露呈
【露呈】
露呈によってさらされる対象とは個物ではないのではないか。宝箱のなかのふしぎな石のようなものをまずかんがえ、その列にたとえばポルノグラフィにおける性器などもくわえる経緯をおもえばいい。なんらかの偶然作用のもと、物理的に開陳されるそれらは、隠されていたものが顕わになったその瞬間に、「興味」や「欲望」の本質として、退屈さの相貌をおびてしまうはずだ。
むしろ露呈されるものは、いつでも、うごいている現前ではないか。もっというと、うごいているから、とらえがたい変化の無限連鎖。つまり露呈を視る者が露呈によってつかまされるのは、対象把捉の不可能性というべきものなのだ。それは刻々脈動しながら、それじたいの同定性をべつのものに更新しかえる、深度すら測ることのできない表情ともよべる。「個物の存在」と「個物の表情」には決定的な離反があると銘記すべきだろう。
これらのことは、成瀬映画のヒロインの類型をおもいかえすと容易に理解される。高峰秀子が露呈するものは、「個物の表情」が素早い変転によって把捉できなさにうごめいている、とりあえずは驚愕に類する表層だ。それは反射行動と類型化の累乗なのだから、むろん存在の立ち位置、あるいは存在の映画的な周囲もアフォーダンス的に活用されている。けれども総括が即座におとずれる。彼女が露呈しているものが要約不能でないとするなら、それはまず動物的な狡猾さと縮約されてしまう。どんなに迅速でも、ひろがりに縮約をほどこす絶望が、彼女の演技の存在論なのだった。
成瀬映画の原節子は、認知的な動物性ではなくもっと存在的な物質性を露呈する。表情変化があってもそれらは唐突で奇抜でゴツゴツしており、周囲や運命との調和を欠いているがゆえに、個物的な実相まで顕わにしてしまう。それが高峰とはべつの動物性となる。高峰秀子の露呈する変化が、俳優技術的には完璧であってもどこかで愛着対象にならないように、原節子も「技術と存在」の均衡を破られて、愛着対象であっても俳優技術が不全に映る。ところが認識を一歩すすめると、俳優技術の不全さこそを俳優において愛する倒錯が、観客と俳優を、ともに救済の円にふくませてゆくと結論できるようにもなる。
成瀬映画においては高峰秀子も原節子も葛藤の産物だ。このとき司葉子の無葛藤こそが奇貨だと気づく。彼女はさらに俳優技術がひくく、画面に映っている刻々にあらわれている葛藤は、すべてシナリオレベルに還元される意味に誘導されていて、不透明な厚みをもちえない。俳優技術の質も愛着対象であることもそのまま露呈されて、そこから高峰や原のような「個性」にではなく、女性性全般のもつ細部の風情といったものに、自分の「現下」をはかなく移し替えてゆく。みられる表情変化も、変化の本質に反してすべて観測できるものだ。彼女はその意味で不透明さを玉条として高峰や原が画面に存在するようには、「画面に映っていない」。だから彼女にたとえば十和田湖の水明かりがからむとき彼女の身体以上に、水明かりのほうがみえてしまう。複雑な言い方だが、個物性が滅却されている――そのことが露呈されているのだった。
いずれにせよ、映画は観客と契約をむすぶために、露呈を組織しなければならない。くりかえすが、露呈されるものは個物的な静止ではなく、変化の渦中にあって把捉できない速さなのだ。それは長篇小説でもおなじだろう。いま蓮實重彦の『『ボヴァリー夫人』論』を三百頁まで読みすすめたところだが、彼の論議のくりだしかたは、章ごとに組織される主題系が一変しても、一定している。フローベールのテクストの細部矛盾を露呈のなまなましさととらえ、疎略な要約に代表される静止の付与を、うごきつつある対象のとらえがたさへむけて開放し返す「通例外し」と「テクストの存在性の擁護」がそこに貫通されているのだった。
とうぜんジェラール・ジュネットへの嫌悪が顕わなのだが、蓮實の今回の大論は、「記憶されるべきもの(=それはテマティスム構造批評における細部定着に資する)」と「記憶できないもの」のあいだで、これまでになく軋みを演じているようにみえる(それゆえに抽象化にもとづく操作がそれじたい大胆な「物語否定の物語」を付帯させてゆく快感がない――それは書誌に忠実であろうとして選択される、日本語としては重たすぎる複文構造の連鎖の結果でもある――書かれているものの長さが不意に納得できなくなるような事態は、たとえば蓮實の最良の「小説」、『凡庸な芸術家の肖像』にはなかった「新機軸」だ)。
蓮實がくりかえし注意喚起することのひとつは、ロラン・バルトの援用による。つまり「一文」を熟考しそこからなにかの普遍を導こうとする言語学的なアプローチでは、「記憶できない」分量の文が(出鱈目さと整合性を相伴って)集積されている長篇小説が、けっして精確な動体視力の視野に収まらないということだ。驚愕の感知――露呈の認識――露呈されているものは把捉不能性=記憶不能性だ、という連鎖がたしかにここにはある。ところがその指摘のために、小説が加算しつづける細部どうしの矛盾が記憶もしくはマークされていなければならないのだから、蓮實のおこないは隘路のなかにあるか自己矛盾のなかにあるのかどちらかだ。このときテクストへの愛着深度だけが、批評の浄罪をまねくだろう。
相変わらず批評主体をどう言明するかでは、彼の文章は間接的な(勿体ぶった)屈折をたどる。「『『ボヴァリー夫人』論』の著者」といった客観化がほどこされる一方で、書誌的な平叙文では「蓮實」があらわれ、さらには批評の推進者としてはいまではもう禁句にちかくなった「われわれ」が適用される。「われわれ」は蓮實重彦とその周辺の権威の総称ではない。そうではなく、蓮實と、その文章を読みすすめている読者との共謀関係のことだ。ほかに言い換えのきかない緊急避難性から「われわれ」の語が選択されていて、じつはそれが『ボヴァリー夫人』におけるフローベールの書き出しにある主語「僕ら」と、策謀的に共振している。
言語学のように、一文を精密に操作するのは批評的な頽廃で、小説の読みではその組成と自己変化こそを視野に置くべきだという立脚は一貫している。ところが論が三百頁ちかくになって、一文とかわらない細部への考察がスリリングにあらわれる。フローベールが自由間接文体におちいっている部分の喚起がそれだった。叙述文にふとはいりこんでしまいながら会話引用の符牒のない局所。そこでしるされている「感情の露呈」はだれのものなのか。作者、話者、読者、小説内人物――それらすべての中間にある、規定できない領域こそが感情を露呈しているのだと、蓮實はデュクロを援用してしめす。「それじたいをつかめない」「細部の」「露呈」が自由間接文体の極限に見え隠れすることは、そのすぐあとで蓮實が指摘する夫シャルルのみが気づかない、ヒロインのエンマの華奢な足の踝の魅力、その生々しさとも同位なのだった。
ことばが行使される環境=世界へとさらに考察が移るにせよ、認知言語学でも、例文はほぼ一文単位だ。そこには納得だけがあって驚愕がないし、把捉不能なものへの謙虚な敬意がいつもそこなわれているきらいもある。だからこの本では自由間接文体にたいする考察が、極点的な細部と組成全体を協和させるものとして想起されている点はまちがいない。ただしそこでも細部をじっさいは単純さとしてみる眼差しが温存されてしまう。だからさらに必要なのは、認知的な詩学というべきものではないのか。
自分にとっては不案内だった三井葉子を、追悼対象として「びーぐる」24号が特集してくれた。「驚愕」的な詩篇がたとえば以下のようにあった。
【はなの傘】
三井葉子
やわらかにあなたが寝ていて
わたしはきょうの絵日傘
あしたのから傘
わたしは茎のようにやわらかになりながら
かたちないあなたにかける傘をかける
かたちないものにいそぎながら
傘をささずにいれましょうか
はなをかざらずにいれましょうか
そんなによいものが寝ているうえに
よいおとこのうえにはなの傘を
一読、女性的な語調がある。だがむろん、主題となっている「傘」を、女性的なまごころをしるす間接的な媒介とでも「要約」してしまえば残余のない詩篇では、これはない。傘は実体化をゆるさない。それで「きょう」と「あした」にぶれ、その同一性も「絵日傘」と「から傘」にぶれている。たぶん戸外で寝ている美男に、雨にふられるという状況が加算されて、そこへ近づき傘をさしかける構図、方向性のすべてが、「想像的に」展開されているだけだ。「だけ」なのに、このようにして残余だらけとはどういうことなのだろうか。
自由間接文体では局所に帰属不能性があらわれて、それが作者・話者・読者・対象人物のあいだすべてにわたる中間領域を指示した。そのながれでいうと、三井葉子「はなの傘」では、局所は全体に揮発拡散されて、すべてが帰属不能、自由間接的、そして自由間接文体どうよう、共感形成的で、そこでかくれされた驚愕性をおびているのだった。「一文」に支配されがちな認知言語学が対象とすべきものは、まさにこの「はなの傘」がそれじたいでしるしている「分量」なのではないか。
むろん局所が全体に瀰漫しているといっても、この「はなの傘」にはめざましい局所がある。以下だ。
わたしは茎のようにやわらかになりながら
かたちないあなたにかける傘をかける
「かける傘をかける」ではたしかに文法が壊れている。しかしこの壊れは情の表現をかんがえれば「必然的な(「論理的」ともよべる)壊れ」なのだった。それは自由間接話法が、直接話法と間接話法の分離を無効化する「壊れ」だという点と同位だろう。
「傘」ついでに岡井隆の傘の歌も最後に掲げておく。一首は『禁忌と好色』の劈頭、エピグラフ的に掲げられている。
歌といふ傘をかかげてはなやかに今わたりゆく橋のかずかず
朝食崩壊
【朝食崩壊】
えようとして跳ぶかいなに
からだからはずれる
くうかんの箍をかんじる
おどりばのながめもあって
だれかのなした視覚が
うすあおくわだかまっている
きのうからずれている
さいしょの時間がいつも今日だ
蝉のかばねが玄関におち
なきごえのあぶらのない此処へ
つかいすすめる箸に似て
すべてとならない数がうごく
ならばあたまのすべりこんでくる
あたまの場所がこの枠だろう
ぼんやり予感の裏箔で
さかさまの股裂きはひらく
うすい刑をおもうことが
朝餉のなかハモニカを呼吸させる
のみこむのどが幾棟にも建ちながら
なぜきらきらの存続だけしら骨なのか
ないままに、朝顔の気配へむかう
Strawberry Fields forever
【Strawberry Fields forever】John Lennon
*Let me take you down, 'cause I'm going to Strawberry Fields.
Nothing is real and nothing to get hung about.
Strawberry Fields forever.
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
It's getting hard to be someone but it all works out.
It doesn't matter much to me.
*
No one I think is in my tree, I mean it must be high or low.
That is you can't you know tune in but it's all right.
That is I think it's not too bad.
*
Always no sometimes think it's me,
but you know I know when it's a dream.
I think I know I mean "Yes" but it's all wrong.
That is I think I disagree.
【とわにイチゴ野】拙訳
*きみをつれだしたい
いっしょにイチゴ野へ
ほんとうらしさのなく
煩いもない、あの
とことわのイチゴ野へ
めつむって暮らすのはたやすい
誤りはすべてきみの眼より生ずる
ひとかどの者となるは難し、だが
すんなりうまくゆくこともある
まあぼくにはどっちでもいいが
*
ぼくの樹にはだれものぼっていない
うれしくもあり哀しくもある
きみは波長をあわせない、それでいい
ぼくだってそんなに悪い気がしない
*
いつでもではなく時々現れるのがぼく
そんなありさまを夢とよぶのだな
「是」とつたえてもみなひっくりかえる
だからあらかじめぼくも否定するんだ
*
今朝、出勤のバスにゆられ、あたまのなかにこの歌が鳴った。転調が天才的なポール・マッカートニーの「ペニー・レイン」と両面シングルだったこの曲は、ぼくには分裂寸前で浮遊している曲調のようにおもえる。昨日の谷川雁のことばを借りれば、「感じがあつまり、けもののあぶらのように浮」き、「くらげみたいにただよいはじめ」る音時間。
じっさいは転調がないのに、主調音がみあたらない奇妙な感触だ。ながれおちてゆくものが、どろりとろけてゆくようなスローモーションの崩壊感を、分厚さのないサイケデリックなアレンジが支えている。ジョンのメロトロンとジョージの繊細でフォーキーなピック弾きの協和。そこに弦楽隊とホーン隊とシタール、電子加工音と分類不能なエレキギターのエフェクター音がくりだされ、すきまが膨張して音場が破砕されそうになるその寸前を、溜息と掠れの度合いをつよくしたジョンの声が、一種「人間性の特権」でまとめあげてゆく。この反世界では「まとめる」ことが「すべる」ことなのだった。
コード進行はネットで分析されているのであらためてしるさないが、歌メロのつくりなす感情は以下の変転としてぼくには聴える。
・【Aメロ】「無媒介の浮遊感 (Let me take you down…)」→「暗転とキナ臭さの増強、ワグナー化 (I'm going to Strawberry Fields…以下。しかもそれがしだいに増強されてゆく=「アイ・アム・ザ・ウォルラス」にあるものが、ちいさな単位性でそうしてつくりあげられる)」→「はやすぎる破滅的決定 (hung about)」→「ファンファーレの解決をおもわせる、しかし唐突な復調 (Strawberry Fields forever)」
・【(Aメロを裏張りしてゆくような=つまり「順番」なのに「重複」と「逆像」でもある)Bメロ】「温厚と諦観 (Living is easy…)」→「Aメロ記憶の揺曳 (misunderstanding all you see)」→「英国的に抑制された瀟洒美〔チェンバロに似合う旋律と装飾的なフリル感〕 (It's getting hard…以下)」→「二度目であることで眠気までともなってしまう解決=復帰 (It doesn't matter much to me)」
素早いのに、速度感が消されている。ジョンによる分裂型の名曲ということなら、「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」もあるが、あれはちいさな曲どうしを「展開的に」コラージュしたものだ。曲の時間は、色合いの爆発をともないながら、ともあれ「流れる」。それでも「大団円」をとりだす手つきには冷笑性がみられるが。
それにたいして「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」は稠密化した小節構成に「内在的なズレ」を組み込んで、「つながっていないのに」「つながっている」一曲性をミニマルに実現してゆく。「ウォーム・ガン」のように明瞭な「つなぎめ」が感知されない点に、ありえない音の時空のこわさがある、といいかえてもいい。
「つながっていないのに」「つながっている」ことは、出現性が第一義的には隣接感を生成する音楽の宿命にたいし、その隣接性の真芯にむけて否定をくわえることだ。飛躍をつかわない否定。ほんらい分裂がかたちでないのに、それすらもかたちにしてみせる、時空上の「地-図」の反転というべきか。隣接そのものがうさんくさい隣接性を内包してしまう、その当の質量どうしは、じつは質量の自壊のほうに表情を向けている。この意味で「ストロベリー・フィールズ」の詞ではなくメロディは、隣接を人質に脱隣接を志向する換喩詩の理想形を具現している。ぼくは少年のころ、この魅力をことばにすることができなかった(だからいま、これを書いている)。
この歌メロはむろん単純で記憶可能なのに、人間の所業を超える境位にあるようにおもえてしまう。ここにLSDの恩恵をおもうのもふつうだろう。「つながりでないもの」が「つながり」になり、「かたちでないもの」が「かたち」になるとき、あらわれているものの背後が問題になっている。なにかある、というこの感じに、すでに、とうとさが揺曳している不可解な二重感。そういえばASKAのつくった「Say Yes」もさきごろ覚醒剤の恩寵が関与していないか取沙汰されたが、転調推移と「つながっていないのにつながっている」展開がやはり奇蹟的だった。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の完全性は、ビートルズ・カヴァーをあつめてアルバムをつくったトッド・ラングレンが、この曲のみ、変化を加えず、完全コピーで収録してしまった逸話にあらわれている。なまじいの容喙などゆるさない張力が、この隙間だらけの音時空には張りつめていたのだった。
曲調そのものが換喩的な「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」では、意味の減少性と欠落そのものを形成力の実体としている歌詞があって、ぼくの用語でいうならその歌詞は「減喩」的だ。歌メロは脱連続性の連続を実現して過激なのだから、歌詞の形成力を減少させて歌メロに添わすことも「善良/穏当な判断」といえる(ぶきみな「無頭性」の実現ともよべるが)。むろんその歌詞は、ふくみがあって、それじたいが消えそうで、それでも「すべてがあらわれていて」、訳しにくい。口語性もつよい。ネットをみても、翻訳挑戦者の苦労がつたわってくる。拙訳は「しめされてあるもの」を活かしたうえで文脈化をほどこした。つまり意訳ではない。なお、Strawberry Fieldsは母親を事故で失った少年時のジョン・レノンが一時期暮らした養護施設の名だそうだが、伝記性を度外視して「それじたい」を訳した。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の歌詞のようなものなら、詩作することができる。だがその歌メロのもつ組成状態に詩作をちかづけるのはとても困難だろう。このときふと脳裡をかすめるのが杉本真維子だ。「びーぐる」24号に掲載されている彼女の新作詩篇「音楽堂」。そこにも脱連続の連続が、暗喩の効力など度外視してひろがっていた。最初の二聯だけ引こう。
リコーダーを磨く
その腕に、蒼い萼をかぶせて
あなたがはげしく鳴っている
わたしは、耳の準備に忙しく
わずかな旅費を無心してむかう
すこやかな唄口、漏れた一音に浚われ、
ぐねぐねと塹壕に行き着く
富岡八幡宮例大祭
昨日は朝から女房と、三年に一度の本祭となる富岡八幡宮の例大祭見物。五十五の町区分(丁目区分)になる「大人」神輿が続々繰り出して、永代通りに面する富岡八幡の入口で、八幡様の宮司からお祓いをうける。すでに水をかぶってしたたっている神輿と勇猛な担ぎ手たち(とはいえ女性もいる)。神輿は回転運動をして正面を向き、高台の宮司がお祓いをすると、加護をうけたよろこびをあらわすために、神輿が持ち上げられて上下したり、ちいさめの神輿ならさらに上下左右に波打ち動作をしたり、飛ばしをしたりする。しかも見物の拍手にあわせて担ぎ棒をになう手を打ったりもする。そのうごきに勇猛の優劣、男ぶり、操り巧者ぶりが競われているようだ。
五十五の神輿登場は、七時半から。すべてのお披露目が終わったのが九時半ごろだったから、ほぼ一本の大スケール映画を観たのとおなじ感慨だ。この朝からの部は、地元民〔ジモミン〕が大集結している趣がつよく、近所の担ぎ手を追うために、町ごとに住民が神輿とともにゆっくり移動してゆく。盆にあわせた祭りなので暑さ対策もあってか、派手な水かけのあるのが有名。水かけもゴムホースでシャワーをつくるものもあれば、水をためた入れ物から、桶で水を掬って高々と投げ、瀑状に落下させて、投擲に男ぶりをみせるひともいる。神輿のそれぞれは鳳凰を頂いているが、永代通りあたりは江戸時代なら海岸線ちかくだろうから、どこかで水をしたたらす神輿が海にちなむ龍のようにもおもえてくる。金色の飾りが鱗という見立てだ。
女房と立ち見していたのは、富岡八幡宮の正面、六車線ある永代通りの10センチ幅、5センチ程度の高さの中央分離帯のうえ。交互に男女四人の打ち手がいれかわる太鼓が神的な律動で空気をふるわせるなか眼のまえを神輿が通過してゆく。重さで担ぎ棒が肩にくいこみながら、地下足袋の足をリズミカルに踏んで気丈な表情をみせている顔が至近にとおりすぎてゆく。禿げ頭の屈強な壮年から、おミズ系のお姐さんまで、下町には下町特有の顔があって、それらが水にしたたっているのだから生々しい。周囲はやがて立錐の余地もなくなる。なにしろ神輿の繰り出し数が圧巻で、神田祭、山王祭とともに江戸三大祭とよばれる看板に偽りはない。
神輿のうごきがすごいとおもったのは町区分でいえばとくに冬木だろうか。行列の構成は町によって区々で、纏いを突き上げて男衆が踊りをみせる町もあれば、太鼓を載せた山車を先頭に置いて、律動を強調する町もある。だいたいが先頭に法被姿の少女の隊列を置いて、彼女たちがもった笏を鳴らしてまず練りあるくパターンが多いのだが、女房の住居区分の下木場はとくにそれが見事だった。赤い法被を着て、笏を地面に立ててシャンと鳴らす以外に、地面に棒の先を這わせてシャーッという音を予感的にひびかせる工夫があった。たしかに町ごとに気合がちがう。
中央分離帯に立っていると、やがて眼前の神輿の繰り出しにくわえ、背後でも逆方向の神輿の練り歩きがはじまる。永代通り、門前仲町の交差点で折り返して、それぞれの神輿が八幡様の正面にむかうためだ。熱気をおびた人波に囲まれ、ふたつの神気にからだが逆方向に斬られる恰好になった。地元にいるからとはいえ、ほんとうに特等席を確保したのだなあと体感がたかまった。
女房とはこの午前の部を見物して引き上げたが、午後の部では方々から祭見物が大挙押しかけて、新聞発表では総勢32万人にまでふくれあがったとか。朝はまだ眠っていた呑み屋などの商店も、永代通りの歩道から深川不動までつづくテキヤさんの出店に負けじと、飲料やツマミを路面売りしだして、猛暑のなか雑踏がゆらぐようだ。そのなかを札幌へ帰るため、旅行鞄を提げて逆方向へあるいていった。ひとり帰るさみしさを「逆方向」がたかめる。そういえば一方向にながれる雑踏を、ひとり逆方向にゆくというのは、スピルバーグ映画のモブ演出にままみられる。おもいかえせば、三年前の本祭は小池昌代さんと見物していて、彼女からいろいろ地元ならではの知識を教えてもらったのだった。
八幡宮の祀る八幡神は応神天皇が由来で、武運にかかわる(富岡八幡宮では相撲取りが祀られている)。『古事記』中の天皇だが、帰りの飛行機では松本輝夫『谷川雁・永久工作者の言霊』(平凡社新書)を読んでいて、ぐうぜん谷川雁がこども用に書き換えた『古事記』国生み神話の修辞のすばらしさに行き当たった。空間と霊気の把握が見事なその一節を引いて、この小文を終えよう。
がらんどうがあった。
大地は、まだなかった。
がらんどうしかないけれど、まんなかはあった。
そのまんなかを見あげると、高いなあという感じがあった。
とうといものがあるぞという感じだった。
この感じがあつまり、けもののあぶらのように浮いてきた。
くらげみたいにただよいはじめた。
そこに、春にもえる葦の芽のかたちがすうっと立ちのぼった。
たてとよこ、空と雲、さらさらしたものとねばっこいもののちがいができた。
ほう、きれいだなあというため息と、ああ、力強いなあというため息が生まれた。
その思いが男の神と女の神になった。
男神、名はイザナギ、女神、名はイザナミといった。
今年の一日バス旅行
東京三日目の昨日は、例のごとく女房と「1日乗車券 都営まるごときっぷ」を買って、都営バスを中心に都内のバス路線などを乗り継いでいった。こうすると、東京の地勢がバスの車窓から連続的につたわってくる。もちろんバス内は冷房がきいているので、ウォーキングのような熱中症の心配もない。以下は同好の士のための行程メモ。
【門前仲町→東京駅丸の内北口:都バス】
門前仲町は最寄。「都営まるごときっぷ」は都営大江戸線の門前仲町駅で買った。700円。
【東京駅丸の内南口→赤羽橋駅:東急バス】
東京駅→等々力車庫の都バスへの乗車をぎりぎりでのがし、やむなくおカネのかかる東急バスに乗車。はじめて乗った路線だが、丸の内の日本一のオフィス街を横断したあと、西新橋の奥、緑多い愛宕山の崖線手前をすすむ景色がすばらしい。しかもやがて芝公園内にはいる。
【赤羽橋駅→天現寺橋:都バス】
目黒の山手線内側から恵比寿の内側へ。天現寺橋を超えると広尾、というところで下車。
【天現寺橋→四谷四丁目:都バス】
外苑西通りをずっと進むこんな路線があったとは。どこにも向かわず横滑りしてゆく印象。
【四谷四丁目→市ヶ谷仲之町交差点:都バス】
上記を踏襲。
【市ヶ谷仲之町→新江古田駅:都バス】
遠征というか長征。目白通りを貫通してゆく安定的な路線で、日本女子大、学習院の正門前を通る。意外に古い商店が並んでいる。
【新江古田駅→豊玉北:徒歩】
バス路線が途切れる。というかこのあたりは、バス便が一日数本しかない。しかたなく歩く。目指すは環七。
【豊玉北→赤羽駅北口:国際興業バス】
ほんとうのバス旅行の目的は、練馬美術館(西武池袋線・中村橋駅下車)にて開催の「あしたのジョー」展に行くことだったが、空腹になって断念。環七をぐるり長征してゆく国際興業バスに乗った。都バスの「豊玉北→王子駅」とで勘案したのだが、自分たちにとってより新鮮な赤羽行をえらんだ。赤羽のディープな飲み屋街へ。馬刺し屋さんに惹かれたが、焼肉屋に。ぼくは黒ホッピーを飲んだ(中身を二回、おかわり)。昼間からおばさん集団が焼肉を豪快に喰い、鯨飲高笑していた。
【赤羽駅東口→池袋駅西口:国際興業バス】
巨大な赤羽団地を通り、たぶん川越街道をまわっていった。やがて女房が独身時代に住んでいた板橋区南町をかすめる。要町もとおった。
【池袋東口→江北四丁目:都バス】
一挙に23区内の「北部」を長征。隅田川・荒川を渡り、赤羽につづきふたたび北区へ。細い道をゆく。おさない娘をつれていた美人のヤングママが眼福に。
【江北→見沼代親水公園駅:舎人ライナー】
ビル五階ほどの高さからの眺望をもとめて舎人ライナーへ。もちろんこのモノレールも一日乗車券がつかえる。子供っぽいとおもったが、最前部の眺望席を女房と独占した。
【見沼代親水公園駅→日暮里駅:舎人ライナー】
来た行程を、一旦降りて逆行、今度も最前列の眺望席を確保。荒川脇の高速をモノレール路線がさらにまたぐときビル8階くらいの高さになる。このときの眺望が最も開放的だ。日暮里にちかづくとビルの林立が目立ち、未来都市へ突っこんでゆく感触になる。
【日暮里→亀戸駅前:都バス】
谷中側でないこちら側の日暮里に立ったのは初めてと気づく。名物の洋裁グッズ店をすぎ橘きらきら通り、三ノ輪などをかすめた。明治通りをずっと進む行程。亀戸名物、佐野醤油味噌店で、味噌を買う必要があった。盆休みを心配したが、無事、開店していた。味噌とともに、生姜の味噌漬けなども買う。
【亀戸駅通り→木場二丁目:都バス】
味噌店の真ん前のバス停から帰宅。引き続き明治通り。午後からはずっと曇天だったが、このあたりで車窓の外に暮色が濃くなってゆく。
以上でした
空っぽ
【空っぽ】
乱暴な言い方だが、興味をひかれない詩は、うじゃうじゃゴテゴテとして、初見からげんなりさせることが多い。語彙やインスピレーションが豊富なわりに、似たような構文が単純に連鎖していたりもする。もとめているものがちがうのだ。たとえば「書かれていないこと」が「運動」し、それで世界の構造をかえてくれる詩――損得でいえば、そういうものが得をあたえる。あらわれている効率のよさに感心して、それが再読の誘因ともなる。
「部分」の集積によって「全体」をなそうとする詩篇は、詩のなにかをまちがっている。全体化など詩にありえないのだ。たとえば俳句が最も全体化をおもわす詩型だろうが、その全体化すら部分性を突出させている。つまり「それ自体」が「それ以外」と拮抗するかたちで、残酷になげだされている。排中律を起動させるただの「芯」でしかないことこそ俳句の本分だろう。
「うじゃうじゃしている詩」はみずからがみずからであることにみちたりる、という意味で自同律的だ。究極的には、それ自身がそれ自身に類似しているこの密約が暗喩的といえる。暗喩構文A=Aがつかわれていなくとも、そうした自己契約のありように、暗喩性が不随意的にひめられている。いっぽう興味をひかれる詩は、「それ自体」と「それ以外」がその場(=「現下」)で交錯をつくりだし、自己組成のなかにある「領分」を不安定化させたり、内外のくべつを脱意味化したり、寸法を無効化したりする。そこでは「部分の定着」が「定着された部分において」不可能、という厳格がつくりだされる。
「ない容積」だけがことばのつくる容積だとするこのことが、まさに詩に特有の運動性ではないか。この運動性こそを換喩とよぶべきだ。多くの修辞学は、換喩と省略をはきちがえている。換喩の例示に多い「村上春樹を読んでいる」はほとんど考察にあたいする構文ではない。類似認知ではなく隣接認知によって部分が親和的に召喚され、なおかつ表現レベルでは部分もろもろが非親和的に隣接しているさまに、たとえば「あいだ」が介在していないか。そういうものを測定するのが読解なのではないだろうか。
坂多瑩子の第一詩集『どんなねむりを』(二〇〇三年、夢人館)をさきごろ入手した。坂多さんは生年からすると第一詩集刊行がとても遅かったのだとびっくりするが、それもあって詩作行為の雌伏が自己愛的な「わかさ」を初発から拒絶している(「みずみずしさ」ではない)。女性詩人にありがちな、抒情的な自己身体のあぶりだしもみられない。簡単な語法なのに峻厳。そこでは「書かれないこと」がたしかに運動して、世界観の変貌をせまる哲学をつくりだしている。最初から暗喩ではなく換喩に照準がおかれている感性の成熟に畏怖するばかりだ。そうした一篇――
【空っぽ】
坂多瑩子
そらという字はからっぽのから
空はやっぱり空っぽなんだと思うと
すこしばかり安心する
しかし空っぽといっても
たてとよこと高さがあるのだろうか
底の部分は
と考えていたら
あしたはあけてほしいな
空っぽにしておいて
と電話であなたが言った
いいよと答えた
慣れてくると
気づかないですむものがある
何かが空っぽになる
かるい
とてもかるい空が
するすると
こころのなかに入ってきて
いいよと答えた
(全篇)
「空」=「空っぽ」という領分の規定があり、それがまず空無と有のあいだでゆれる。そこへ「たて」「よこ」「高さ」といった寸法を厳密に介在させようとしてそれも「言いさし」に終わる。そうなって空無がいわば不気味に生物化される。それで自己身体への適用が開始されるといっていい。
詩篇の白眉は第五聯だろう。ことばの綾で、主体にたいし「空っぽ」を提案した「あなた」。第五聯はこう書かれている――《慣れてくると/気づかないですむものがある/何かが空っぽになる》。ここでは意味化が未然だ。「あなた」のことばから主体に対象化が起こっているとして、それに対象性を負わせない魔術が、「空っぽ」の分与だったのではないか。そこでは「気づかない」ことは自己にまつわっていて、それが「慣れ」だという意味形成の遡行もある。これこそが自己の容積化で、充実。たしかに書かれているのは詩文と同時に哲学なのだった。
容積化は脱容積化とつながる。あるいは自己の輪郭は周囲との境界設定をやめる。それが第六聯――《かるい/とてもかるい空が/するすると/こころのなかに入ってきて》。これも言いさしによる部分化。しかも「こころ」は上方から下方への方向化のなかにあやうく定位され、こころとからだのくべつを無効にする。つまり、こころもからだも、「空っぽさにみちている」ことで、「かるさ」を得ている。むろん湿りなどそこに介在しない。世界は上下方向の連続のなかに主体とともにあふれているが、その契機をなしたのが他者の声なのだった。
詩篇で瞭然としているのは主格節「わたしは」が徹底的に省略されている点だろう。短歌が参照されたというより、詩の哲学性の必然として、主体をあらわす語が消去されている。しかも《いいよと答えた》の反復は、「歌」特有のルフランを形成している。いずれにせよそれら消去と反復に、安寧とともに恐怖をもみない読解など、ありうるはずがない。すばらしい詩篇だった。
命法
【命法】
分裂や矛盾をしいる否定命法をきらう。よっていまは詩に否定命法をまぜることをほとんどしない。言語学的にはこんな事例だ――
わたしのいうことに従うな
シロクマについて考えるな
どうです、不快感が募ってくるでしょう。
否定命法でない命法なら詩のフレーズにもありうるかもしれない。それで急遽、作例してみる。
めしいるひとみへ瀧の静止をたてよ
いやはやなんともロマンチックだ。感覚としてもふるい。語調に、「作者」がきわだっている。そのつぎに、「読者」へそのきわだちが架橋される。高揚から高潮へ。ということは「読者」は「作者」によりあらかじめ相似物として類推されていて、この意味からこれは、命法とみえて内実が暗喩なのではないか。暗喩の本質、「強制」とも命法が親和している。むろん現在では作者も読者もいない。詩の繙読の位相には無名の寄り添いが近接をしめしながらしずかにあるのみだ。
命法は「ゆけ」など単純なものをつうじて、方向のみのこしてメッセージの内実を減却するか(黒沢清『アカルイミライ』/椎名林檎「宗教」)、命法の届け先「二人称」を閑却したうえでむしろ発信元の自己へつめたい限定をかけるしかない。それを知る田村隆一なら、かつてこんなフレーズをつむいだ。
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ
それでもこれが暗喩たることはまぬかれない。像だけがあって、方向がないためだ。命法を換喩にちかづけるには、命法がふくむ内実をさらに果敢に自壊させるしかない。それで稲川方人はかつて、《反響するな/露出せよ》とつづり、それをさらに《くつがえよ、岬の華の乱立の/その非情の無言に露出せよ》へと変遷させた(『封印』)。けれどもおもたい。「くつがえよ」という文法破壊だけで充分なのではないか。とうぜん詩の作者に価値が置かれないいまでは、命法が詩篇の滑稽部位を印象させてしまう。
稲川のつむいだ命法で好きなものならたとえば『償われた者の伝記のために』にみられる以下だ。
まだ満ちない
その子らの煩欲のために
あらゆる拿捕は遅れよ。
命法の想定する作用客体として抽象的な「拿捕」が設定されていること、しかも命法が行為の集中性、方向性にやどる通常があって、その前提を逆用し「急げ」とは正反対の「遅れよ」という命法をたてることは、命法じたいを内在的に不如意にする。そうした着眼はさすがとおもうが、このフレーズから、稲川が暗喩と換喩の中間にいる詩作者だという事実もより明瞭にうかびあがってくる。「あらゆる」の強圧がひっかかるのかもしれない。このフレーズに換言は成立するのだろうか。作例してみる。
ながれるめぐりへむけ
ひとつの拿捕も
ひとのなかで遅れる
ああ、やっぱり命令形語尾では締められない……
2÷3
【2÷3】
一般論としては「2」も「3」も面倒くさいはずなのだが、多くの者に「3」が率先してえらばれ、このまれるのはなぜだろう、とかんがえてみる。どういうことだろうか。
「2」の設定――「わたしはあなたがきらいだ」といわれたとする。「きらい」というマイナス価値のなかに、自分自身が当事者性をもたされて叩きこまれたことがまず面倒くさいが、そうしめした相手に、「自分自身を擁護できるかどうか」の反論可能性を、「自分自身がかんがえる」ことのほうがさらに面倒くさい。これはだれもが経験済で、そのような場にはいたくないと、ふつうは自分をきらう可能性のあるひとのそばには近づかなくなる。
「3」の設定――わたし(A)、相手(B)が直面しているとしたうえで、相手が「Cがきみの悪口をいっていたよ」といっけん親切な「助言」をしたとする。この局面には、BもまたCにむけて、わたし(A)の悪口をいっていた事前事実が「とうぜん」隠されているはずなのに、わたし=Aは、「2」の状態における当事者性へと還元されるのを回避し、相手(B)との共同関係を偽装しようとして、Bに、「Cは嫌なやつだねえ」などといったりする。わたしのことばの多くは、そのような関係性のなかで「自動的に」だされていると気づくと、そこに起こるのは自分自身への不信であるほかない。むろんこの状態では、「3」が「隠された2」の変型なのだった。
「わたしはわるくない」という信念をめぐる自己実証能力は、ことばには通常付与されておらず、行動――もっと広範な領域でなら「生き方」にのみ付与されている【1】。逆をかんがえてみよう。たとえば「――だと自負している」は、自分にかかわる批判可能性を「自分自身で」「あらかじめ」封殺させる物言いだと咎められ、いまではものすごく奇異にひびく【2】。あるいは「笹井副センター長をころしたのはマスコミだ」という物言いは、笹井氏にたいしてもマスコミにたいしても、さらには自分自身にたいしても「なにもいっていない」。「なにかをいっている」アリバイづくりにただ似ているだけだ【3】。
いきなり「詩」のはなしに移してみよう。【1】の「生き方」を発語に反転させて、ことばが自己実証を、発語と同時につくりあげるのが、いちおう詩といえる。ところが【2】「自負」がきみわるく発語のここかしこに点滅しているのが「わるい詩」で、とうぜんこちらのほうが多く、たとえばそれで独善的な現代詩に人気があつまらない。その現代詩をとりまく批評は【3】のかたちをしていることが多いが、そこで当事者性を復権させようとすると、自分の詩風を擁護するために、自分に似た詩篇のみを褒美する我田引水批評に堕することにもなる【4】。したがって当事者性の問題からいえば、ゆいいつ重要な【1】は、自己言及と自己消滅を「同時にふくむ」アポリアを自らに抱えこまざるをえない。
このとき自己言及を「全体」とし自己消滅を「部分」とするか、あるいは自己言及を「部分」とし自己消滅を「全体」とするかは、しょせん順番(=過程)の問題であって、本質とはいえないだろう。全体性を部分性によって否定し、部分性に全体性を付与するような刻々の明滅のみがたいせつで、これが技法的には換喩となる。換喩は交代なのだ。「わたしはわるくない」という自己言明すらこの交代のなかに置かれて、意義じたいを消滅させ、ただことばの痕跡だけがのこる。
いっぽう交代なくして部分という看板に全体をペンキ塗りしようとすると、じつは看板の地をペンキの色が上塗りで隠す、暗喩しか起こらない。むろん交代を連続させる換喩は構文の生成にかかわるが、暗喩は静止的な図柄にすぎない。しかもそれは静止性を勲章にしようとする後退なのだ。「AはBである」という構文のほとんどは、うごきをとめる。陳腐な暗喩があるのではない、暗喩そのものがいまでは運命的に陳腐なのだ。むろん例外はあるが。
AとBにしかかかわっていない暗喩の原理は「面倒くさい2」だろう。いっぽう換喩の原理は、たとえば算術でいえば「2」を「3」で割って、そのあまりを進展のなかに続々とのこしてゆくことではないだろうか。しかも「それの可能性」が「それ自体」であることで、面倒くささすら、そこに起こっていない。
ところで、「わたしはわるくない」と、相手(藤竜也)に死への蓋然性をほどこして叫んだ『私の男』の二階堂ふみは、言明と行動が近接していた。だからこそうつくしかった。
きのう呑み屋で
きのう呑み屋で院生に話したことをふたつ。
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チョムスキー的な「一般」ではなく、ことばが独自性の場においてどう機能しているかを重視する認知言語学では、周囲からの情報が刺戟となって、それが主体の行動をどうつくりあげてゆくかをとらえるアフォーダンスの理念がふたたび必然化されるだろう。たとえば母語性と離れられない詩作においても、「すでに書きつけられたことば」がつぎの発語を刺戟的に喚起する。そのことばが毀れることをねらうのならそれは「減少的な」換喩に早変わりするし、そのことばが遠距離間をつなぐのなら、「つなぎの自体性」そのものに、当初予定からのずれ、これまた換喩がやどる。むろんことは詩学的な問題にとどまらない。単純な例では、論文作成の際の発想力もまさに上記から規定できる。
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イメージは真の映画性を疎外するとする映画観が、日本の映画評論の一時期を席捲した。それで像の贅肉をはぎおとした「運動の計測」が至上命題となった。これに多元性と、作品それ自体の内在法則の指摘とを付与し、批評の時空をいわば化肉させたのがテマティスムだった。けれどもそれは映画を内在的に小説性へと転送することだ。だから映画と詩の離反も付帯されてゆく。テマティスムは強調しないが、むろん映画の細部には、記述できないもの・記憶できないもの・転写できないもの――がある。それらこそが詩に類する領域だ。そこへことばをとどかせようとすると、要約や剔出や好悪表明ではなく、「それ自体のうすさ」をつかみださなければならない。いま意欲的な映画批評は、画面定着と画面移行にかかわる「それ自体のうすさ」に着眼することで、従前の映画観を更新しようとしているのではないか。このときに再浮上するのが「身体的なもの」だ。それは影のようながら方向をもち、修辞学の換喩ではなく、認知言語学の換喩を形成している。したがって映画での換喩はカットの単位性を超えている。
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某氏の某大著を入手したものの、なぜか繙読意欲が起こらない。このことに現状のなんのリアルが関係しているかをめぐり、以上、語られたことば――
(大幅加筆あり)
○補足
本日分の採点作業がおもいのほか早く終わり、午後イチの打合せまでヘンな間ができてしまった。それでいま読んでいるスティーブン・ピンカー『思考する言語(上)』(NHKブックス)から、おもしろいとおもった「馬脚」にかかわるジョークを転記打ちしておこう。「ジョーク」とは書いたが、換喩的な現代詩とも読めるもので、そう、感触は初期の橘上に似ている。
馬は偶数本の脚をもっている。後ろ脚が二本、そして前には前脚〔フォア・レッグズ〕がある。これで脚は六本になるが、馬にとってたしかにこの数は奇妙〔オッド〕だ。だが偶数でも奇数〔オッド〕でもある数というのは、無限しかない。したがって、馬には無数の脚があるということになる。
(二一九頁)
すず子
こう昼間が暑いと、日中からビールをくらって、なにもせず、もうろうと痴愚の時をすごす。ぜいたくをいわば愉しんでいるのだ。酔眼で録画済ドラマなどを見、うたたねをして、最良の集中力ではできない読書などもあとおくりにする。こういうとき、むかしなら音楽を聴いてやりすごしたものだけど、その音楽も、おもいだした感触があたまのなかで寸刻鳴っていればそれでいい、というていどの、消極的な対象になってしまっている。齢のせいなのか、身体リズムとして詩のほうが勝ってしまっているのか。
クーラーがないので、網戸にし、住居の東西方向に風をとおす。換気扇で空気をまわす。さらには旧態依然の扇風機が活躍してくれ、もうペットにたいするように愛称をつけたいところだ。「すず子」などどうだろうか。首をすっくと立てた健康な容姿だし。
ともあれ札幌の夏のこの室内は、じつに空気的だ。くうきてき。ただし冬用の二重窓が素通しになると、クルマや市電の走行音が遠慮会釈なく、はいってくる。喧噪のなかへ宙吊りになっている気さえする。ぼくの住まいの面しているのは幹線で、病院も方々にならんでいるので、とりわけ救急車のサイレンに惰眠をさまされたりする。
昼間が無気力だと、すずしくなる夕方から集中力がでてくる。そういう交代リズムを利用して、いまからいえばおとといだが、貞久秀紀さん『雲の行方』の書評を書いた。
猛暑がきわだたない最近までは、日ののぼった朝から午前にかけて、詩を中心に、ものを書いてきた。東方向に開放のある空の半球を、住居を超えてかんじる。じぶんをとりまくそんな位相が「進展」のようなものを演出するのだが、よみがえったこの鮮らしさによって、まだ疲弊していないタブララサに、意味ではなく方向を書きつけることができる。この感覚が軽みになった。朝に日録をこなす岡井隆もそうだろう。
昼間が暑く、夜に活動し、昼夜逆転の様相もおびてくると、朝起きができず、夜がマラルメ的なおもさをともなう危険が生ずる。あるいはカフカ的な不眠の危険も。
夜の書きものは物音がしずかで、外からの何の干渉もないから、「自分だけ」の様相が肥大してくる。自己対話の応酬が密になって、どこか狂気的だ。その滑稽をわすれるために「没頭」などをするのだが、自家中毒を起こしていないか、世界と切れていて、それを判断する指針がどこにもない。もともと深夜に物を書かないようにしていたのだが、今回はしょうがなく、『雲の行方』も深夜に書評をつづったのだった。
「現代詩手帖」最新号の「田中宏輔論」をみてもぼくの書き物は異質だ。字数設定の狭隘なこともあるが、それだけではなく凝縮とメタモルフォーゼと「文意の言外配置」が通例からずれているような気がする。説明ではなく、「書かれるものの内在」のほうが展開している二重性。それで電圧がたかい。この趨勢が深夜の物書きではさらにつよまりそうで、書く刻々に膠着防止液を点滴しなければならない。そんなとき、くるくるまわる「すず子」が背中に風を送ってくれたりする。よろしく時を得たやつだ。
そんなこんなで、まあ自分としては素軽く、『雲の行方』評をしあげたつもり。ところがそんな自己判断も、書いていたもののメタモルフォーゼを、書くゆびさきで刻々愛撫していた直近の体感がもたらすものでしかなく、いったんすべて忘却し、ゲラなどをみる段では、自分の文章がそうとうに面倒くさいとクラクラすることになる。わらってしまう。
このごろの依頼執筆では、あたえられた字数にたいし準備をしすぎてしまうきらいもある。加齢におうじた老婆心なのか。つかわなかったものはすべて消える。『雲の行方』評でもそうだった。この本では終盤から俳句引例が数多く目立ってくるのだが、文脈の用意のためにぼくじしんがあつめていた俳句のおおかたが、ながれてしまった。それらは、うらめしい顔でメモ用紙にならんでいる。
たとえば貞久さんには、「二、三」という特有の観念がある。詩集『明示と暗示』にもそれを主題に「数のよろこび」というすぐれた詩篇が載り、『雲の行方』でも樹木の「二、三本」というあいまいな数値が、いかにオブスキュアな身体をつうじて回収されるのかが考察されていた。いや、それは回収されないのだ。「二」でも「三」でもない「二、三」とは、「算えることの未然」でありつづけ、それじたいの外側に、「以外」を生成しつづける。「何か」とはそういう様相をもってこそ顕れるのであり、それはひっきょう知覚にまみれる主体の定義不能性、その言い換えなのだろう。
むろん数値のあいまいを詩にした嚆矢は、子規の《鶏頭の十四五本もありぬべし》だろうが、この歴史的な一句を弟子の虚子が評価しなかったことも知られているだろう(独自のバイアスをもつ虚子は、子規の辞世句も評価していない)。ただし虚子には壮大なスケールによる「数値のあいまい」句がある。これだから虚子もやめられない、というべき秀句――《ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に》。
初句切れの倒置文と了解されるものの、文法破壊の印象がつきまとうのはなぜだろう。そうかんがえて、「ゆらぎ」の置かれ方が不安定で、けっきょくは「ゆらぎ」が主体にも、百から三百への移行にも、くうきにもわたっている「ふしぎ句」だと気づく。この一句がたとえば『雲の行方』評から落ちた。
空気的な詩作者・貞久さんが俳句から渉猟するのは、「自明句」のたぐいだ。ぼくの大好きな原石鼎の《秋風や模様のちがふ皿二つ》も引例されている。秋風の明澄と涼気により、模様のちがう皿がくきやかにみえる感慨を石鼎が詠んだものだが、読むひとなりに句中の「模様」をおもいちがえる罠めいた構造がミソだろう。ぼくなどは青や藍の、全体には円形の彩文、その装飾的な細緻を、脳裡になぜかうかべてしまう。
この句では「二つ」は自明なのか。このとき「秋風」をくわえて「三つ」とする、ことさらに錯視を志向するかんがえが出てくるだろう。「二つ」とは冷ややかなものを秋風が撫でさする方向をしるしするものともいえ、「二つ」にまたがる相互距離が、これまたひとにより区々だろうことが、句に時空のひろがりをあたえている。「二つ」を5センチ間隔から2メートル間隔ていどへとひろげていって、ついに「二」がきえるときに恐怖がはしりそうになるが、それを救いだすのも「秋風」の実在なのではないか。秋風はすべてのもの――「ないもの」にさえ「同値」をあたえる救済的な媒介だと、ぼくとしては結論づける。
この句も論考から落としたが、「秋」とはなにかをかんがえて、この石鼎句にたぶん裏側から貼りついた淋しい佳句も落としてしまった。《うちくるぶしそとくるぶしも秋時雨》。武田肇さんの句集『アーデルハイトの封印』にみえる。「秋は同値を配剤する」という主題を皿から人体にかえてみた一句だろう。
秋はまだとおい。すず子には、そういいかけてみる。
一句
真向ひてクラゲ噛みたし河骨に