市川春子・宝石の国
市川春子のコミック『宝石の国』が大傑作だ。さきごろ第四巻が出て、未明あらためて全巻を読みなおした。
設定はSF。多くの月を分離してひとつの岸辺のみになった陸に、金属的結晶体の生物20数体のみが残る。それらは意志をもち、うごけ、しかも再生すら可能で、ひとりの超越的な僧侶のもとにそれぞれ役割分担をもつ。とりわけ月人たちの反復攻撃にたいし、それぞれの特性をもちいてどう対処するのかが描き分けられる。しかも主人公の定着により、自己実現の葛藤が主題化される。『エヴァ』以降の歴史観が体現されているのだ。
結晶体たちは、それぞれかわいい女の子にみえるが、性別がないらしい。しかも年齢はみな数百歳以上。「彼女たち」が飛翔し、しなり、ひるがえり、くだけ、その細片がふたたび結集して再生にいたるさまなどがノンセクスなもの特有のエロスをおび、動悸がやまない。大した生成的少女論だ。それに見合って、仏の物象を借りた月人たちも、斬られればその断面が蓮型で、しかもそこから細糸の束や漿を吹き出したり、複合をくりかえしたりする。徹底したメタモルフォーゼ表現なのだ。
相互に類似し、判別のむずかしい多様なキャラクターが多数登場するので、「だれがだれか」をつかもうとするだけで何度でも繙読にむかう。世界観も上記のように極度に複雑。なめくじのキャラクターが出てくるときに、謎めいた設定の「奥」がすこしあらわになる。かつてはこの星に「にんげん」がいた。それらは月の分離時についに、そのものが分離した。そのうちの「肉」が海中にただようなめくじになり、「骨」が主人公たちの金属的結晶体生物になり、「魂」のみが月へ昇って、それが月人になったという。つまり月人による金属的結晶生物への攻撃は、「復旧」「回帰」を目的としているらしい。ただしその仮説が真実か否かは予断をゆるさない。
矩形のコマのみと、コマ割がスタチックだが、戦闘シーンでは異形の形象、異形の能力による変化が細分的に展開し、そのなかで投網状の「放射」、落下、切断、飛散、移行などが連続し、「うごき」が極度に幻惑的になる。うごきそのもののエロスを堪能するために、読む者の視線移動は、スローモーション的な粘着変化を味わおうと、しぜん遅延化してゆく。結果、それぞれのコマ連関・コマ内はアニメよりもふかい機密性をもって「うごく」のだ。なんたる奇蹟。
運動線はいっさいない。ところが破壊や変容にともなう具体物としての「線」「光条」が運動線に似た運動の散乱をしるしづけ、なにがどううごくのかが、わからないものまでふくみつつ「すべてが」「実際にうごく」。ゆるやかなのに高速という運動感知の二元性は、麻薬的な陶酔をもたらすだろう。もういちど言う、「うごき」がエロチックなのだった。ほんとうに作画がすぐれている。市川春子は現在のマンガ家では、森泉岳土とともに天才だとおもう。
コマ割そのものに、「運動」を分割し、相互接着させてゆく展開の魔法があるとわかる。戦闘の向こう側、奥行は、遊星的な寂寥にひたされている。時間はコマ割によって空間化されているように一見おもえるが、空間が時間化されているのが実相だ。この確認により、さらに空間が空間化し、時間が時間化する再帰運動・再帰認識も付帯してしまう。この再帰性がほんとうのところ「うねっている」。
マンガはコマ割にともなう特異な表現だ。この特権に介入はゆるされていないが、詩でもこれをやりたいと、いつもおもってしまう。
道立文学館での支倉隆子主催イベント
【道立文学館での支倉隆子主催イベント】
昨夜の北海道立文学館での、支倉隆子、川瀬裕之さん主催の詩のイベントは盛会でうれしかった。ぼくの学生もきた。展示室の川瀬さんの絵に圧倒されつつ、その会場にはさらにべつの魅惑もあった。みじかい詩句が間歇的にちりばめられている支倉さんお手製の豆本が売られていたのだ。
和紙をきれいにおりたたみ、器用に和綴じされている。ひらいてゆくと、ところどころに印字した短冊がはかなく糊付けされていたり、手書きのみじかい詩句が添えられていたりする。全体では空白が有機的に流動している。ちいさいながら、あるいはちいさいがゆえに、一冊の「ながれ」が見事に音楽的なのだ。文字で書かれた楽譜、本のすがたをしたひとつの還元不能性ととらえた。
いっけん可愛い創作物とみえるかもしれないが、不整合・融通無碍・狷介・抒情美がそこに滲んでいて、やはり支倉色が面目躍如としている。しかもそのテキストは「てのひらに置いた感触」「頁をめくるゆび触り」「頁ごとのレイアウト」をも内容にふくみ、おそらくは支倉さん自身にも、見開き単位の写真撮影など「資料」がのこっていないだろう。唯一無二という点では絵画などの展示型芸術品に似ている。出演の謝礼を軍資金にして、うちの一冊、「最初の柳」と題された手製豆本を買ってしまった(なお会場には、ぼくの知らなかった支倉さんの小ぶりの詩集『オアシスよ』〔83、砂子屋書房〕もあり、それも買い求めてしまった)。
イベントそのものは、最初に簡易な仮面(というかナポレオン・ソロ型の目隠し――ただし色は白)をつけた支倉さんの妹ふたり、それに新井隆人さんをメンバーにしての、支倉「詩劇」の上演で開始された。演者は空間内を抽象的に佇立しながら、後ろ向きのすがたを自分の発声時にのみたとえば振り返らせるなどして、詩句を連関させてゆく。ことばのぶつけあい、輪唱的な受け渡し、独吟と沈黙の対照など、身の置き方と発語内容により、三人の関係が千変万化する。川瀬さんが簡易なかたちで音響を担当していた。支倉さんの詩劇じたいは、同姓・支倉常長の慶長遣欧使節伝説を、さらに複層化、多形化したもので、音韻性が前面に出ていた。終わりにちかづくと同時発声が起きて、バベル的な混乱もふくれあがっていった。
その後は、支倉さんゆかり、北海道在住の詩作者たちによる朗読、それに支倉さんの妹・藤山道子さんのソプラノ独唱などとなり、ぼくもそのうちふたつの朗読で壇上にのぼった。
いっておくと、ぼくは朗読が不得手だ。極端に。幼児期に必要だったなにかの形成過程をあいまいに徒過させてしまった結果なのはわかっている。口唇の連続運動が不正確でだらしない(ずぼらな省力性も原因している)うえに、舌のうごかしかたも雑駁で、おそらく分析すれば、一定の母音連鎖、子音連鎖に齟齬がでていると判明するはずだ。しかも朗読用に書かれてある字にたいして視線移動が速く、口の運動神経のわるさをせっかちさが度外視するので、等時拍のリズムもがたがたになる。結果、頻繁に「噛む」恥しい次第となる。
ぼくは詩の朗読の要請をずっと恐れてきたのだが、最近はつかう語彙が平明に変化し、朗読にさらしてもよい詩篇なら、かたくなに拒むのも愚かしいとおもうようになった。それで朗読が下手だと聴衆に前置きして、「噛んでも」朗読をつづけるのもアリかなあと。満身創痍にみえるのなら、そうした自分をことさら晒してしまおうということだ。
詩が書き手じしんにより朗読される局面には、しばしば東京にいたころつきあってきた。よくいうが、「詩人さん」の朗読はおおむね以下に三分される。「アナウンサー読み」「俳優読み」「ミュージシャン読み」。
叩きつけるように書いた詩は叩きつけるように読まれる。それでリズムを強調したミュージシャン読みが成立することになるのだが、伴奏音・自演音などことば以外の音の実相を欠いていて、その欠落を侘しいとおもうことがある。とりわけラッパーが活躍する現在、ラッパーもどきながら、かつ意味の通じにくい欠点をなおざりにしている、ミュージシャン読みの独善性が滑稽に映るのではないだろうか。
読みにドラマチックな抑揚をつけ、ときに顔の表情変化まで昂然と打ち出して、自愛モードをつくりあげる俳優読みは、読み手が陶然とさせる美男美女なら別価値も出ようが、詩の現在的な権能にたいして無頓着すぎるかんじがある。書かれた詩が書いた作者とこれほどたやすく熱狂理に「一体化」していいものだろうか。詩はそんなポジションにはないだろう。
他人の自己愛に直面する恥しさは否めない。そういう裏地を殺伐とモノ化する本当の俳優への崇敬もない。驕慢なのだ。たとえば萩原朔太郎の自作朗読は、のこっている音源を聴くかぎり、方言まるだし、ゆっくりと侘びていて、あれは朔太郎のキャラクターを不可解にモノ化する余栄にとんだものだった。老人めいた声と身体に、ちゃんと老人めいた隙間があって、上州のからっ風がふきわたっていたのだ。
詩の朗読は、その性格ではなく、さらに読み方でも二分できる。「朗々読み(腹式発声が活用される)」「ぼそぼそ読み」だ。ぼくはおおきな美声で朗々と詩を唄われると辟易してしまう。鼓膜もひびきすぎる。これも詩への権能づけの誤りではないか。詩の現在的条件は黙読で、その黙読からあふれてくる言外の声のもんだいなのだ。この声は、作者の声と読み手の声、それぞれを反映しつつ中間域にあるものだろう。だから詩を自分「のみ」の声で転写するときには、倒錯を告知する不如意の感覚がひつようとなってくる。それでじつは「積極的に」ぼそぼそ読みが選択されるのではないか。
このぼそぼそ読みの「いい感じ」に往年の西荻窪・葉月ホールハウスで出会ったことがある。松下育男さんが小池昌代さんの詩を読んだときがそれだった。
昨日は川瀬・支倉夫妻の「作品」の展示は特別展示室でなされたが、詩のイベントは館内喫茶ホールの椅子をならび換えておこなわれた。30席ほどがぎっしり客で埋まったので、最後列は演台からかなりとおく、朗読は声を「飛ばす」ひつようがあった。ぼそぼそ読みができない。それでたぶん口腔や咽喉に要らぬ緊張がはしったのだろう。おおくの朗読者(ほとんどが中年以上の女性)のする流暢なアナウンサー読みのなかにあって、ぼくの朗読は噛みまくる、不恰好なものに終始した。それでもそんなに恥しくはなかった。
会場に来てくれた学生の感想によると、「リレー詩「札幌は」」は可聴性があったようだ。これは朗読をもともと意識して書いたものだった。朗読の練習は事前にしなかったが、音韻と意味形成の一層性そのものが、すんなりとした朗読を喚起したといっていい。
ところが刊行予定の詩集からの詩篇は、朗読可能と自己判断したものの、勝手がちがった。同音異義の語彙がなく、字の視覚性が前提になっておらず、なるべく和語が使用され、意味が継起的に加算されてゆく詩篇をえらんだ。選択にはまちがいがなかったとおもうが、読みのリズムがときどきガタガタに崩れてしまった。つまりぼくの口腔の運動神経がクリアできない母音連鎖、子音連鎖があったのだ。はっきりとした読みにならず、読みながらこまごま復誦訂正をせざるをえなくなって、詩にもともとあったはずの等時拍が分解してしまう聞き苦しさがところどころ出てしまった。そうなると聴くひとの耳から心地よさが失われ、読まれる詩への没入がむずかしくなる。
ぼくの朗読は「一勝一敗」にちかかったようだ。まあ能力なりの結果といえるだろう。それでも壇上で「愉しかった」のが、朗読拒否をくりかえしていた以前からの変化かもしれない。今後、朗読用の詩篇を積極的に書くかどうかは決めていない。自分が朗読に向かない書き手だとは重々知っているからだ。
詩のイベント終了後は、学生ふたり、それに弘前からいらして見事な朗読を披露なさった船越素子さん、司会・朗読と八面六臂の活躍をなさった海東セラさんと飲んだ。川瀬・支倉夫妻には、来週、別途会いにゆく。
感情的な替唄
昨日は、小樽の杉中昌樹さんが企画・主宰する詩(論)誌「詩の練習」での岩田宏特集にむけ、原稿を書いた。岩田宏の換喩手法につき論じてほしいという依頼にこたえたものだが、字数の関係で、論というよりエッセイとなったかもしれない。
詳細は出来上がりをみてもらうとして、論にもちいた岩田宏の換喩詩の名篇「感情的な唄」、それをさらに換喩的にずらした自作「感情的な替唄」のみ摘記しておきます。この自作は、以前の立教大での創作演習における自主提出版を、いまの技量と感性で大幅に書きなおして成立しました。ふたつの異同を軽くお愉しみいただければ。
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【感情的な唄】
岩田宏
学生がきらいだ
糊やポリエチレンや酒やバックル
かれらの為替や現金封筒がきらいだ
備えつけのペンや
大理石に埋ったインクは好きだ
ポスターが好きだ好きだ
鳩
極端な曲線
三輪車にまたがった頬の赤い子供はきらいだ
痔の特効薬が
こたつやぐらが
井戸が旗が会議がきらいだ
邦文タイプとワニスと鉄筆
ホチキスとホステスとホールダー
楷書と会社と掃除と草書みんなきらいだ
脱糞と脱税と駝鳥と打楽器
背の低い煙草屋の主人とその妻みんな好きだ
バス停留場が好きだ好きだ好きだ
元特高の
古本屋が好きだ着流しの批評家はきらいだ
かれらの鼻
あるいはホクロ
あるいは赤い疣あるいは白い瘤
または絆創膏や人面疽がきらいだ
今にも泣き出しそうな教授先生が好きだ
今にも笑い出しそうな将軍閣下がきらいだ
適当な鼓笛隊
正真正銘の提灯行列がきらいだきらいだ
午前十一時にぼくの詩集をぱらぱらめくり
買わずに本屋を出て
与太を書きとばす新聞社の主筆がきらいだ
やきめしは好きだ泣き虫も好きだ建増しはきらいだ
猿や豚は好きだ
指も。
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【感情的な替唄】
阿部嘉昭
貧民がきらいだ
コンビニや臍出しやニーハイや高底
かれらの暴飲や強引がきらいだ
工夫あるツギ当てや
米を喰って出た極太の棒は好きだ
ハンモックが好きだ好きだ
爆笑
極端な局部
弁舌さわやかな福耳の学生はきらいだ
集音マイクが
すごろく早上がりが
縞が国が根性がきらいだ
メイジャー7とシブヤとダフ屋
らいふるとらいめいとらいふぷらん
もみあげと揉み手と濡れ手と粟みんなきらいだ
接吻と雪隠と拙速と切開
ほげほげ語の爺ィとその碁石みんな好きだ
さんばしが好きだ好きだ好きだ
元カノの
きいろいくちばしが好きだ女の付髭はきらいだ
かのじょらの鳩胸
あるいはハトロン紙
あるいはハット時計あるいはフットボール
またはヘディングやプディングが好きだ
今にもベロ出しそうなしかめっ面がきらいだ
今にも垂れそうなしずくなら好きだ
いい加減なはちみつ
湯加減のげんみつがきらいだきらいだ
午後十一時にママチャリに颯爽とままたがり
おもわず七飯郊外へ出たむすめ
その温んだサドルは好きだ
睡蓮は好きだ吸物も好きだキワモノはきらいだ
ジュンサイや淡彩は好きだ
腓も。
質問に答えられない生徒
【質問に答えられない生徒】
中村直行『沈黙と無言の哲学』では、ヴィトゲンシュタインのいう「語りえぬもの」にたいし、すぐれたケース出しをしている。たとえば「忘れ物はない?」という質問。これをぼくなりに言い換えてみよう。
「ある」と答えれば、「忘れ物」として想起された対象が意識化されるのだから、それは忘れ物の範疇から外れる。つまりその言い方は論理的に答とならない。逆に「ない」といえば、質問にたいする単純な同語反復となるか、「ないものがある」という矛盾を言外に惹起するかで、これまた答とならない。つまり唯一の正答は「ないはずだけど」という言い淀みにならざるをえない。この答のなかにある「はず」が、忘れ物特有の潜在性を転写していて、この潜在性が「語りえぬもの」の領域をしめすことになるが、じつはこの答もまた潜在性=潜在性の同語反復であって、答となってはいない。このような「答ええぬ」質問により、語りえぬものの問題がまず浮上するといっていい。
敷衍しよう。質問そのものに解答不能性をひきだす契機がすでにあるのではないか。たとえば「熱、ある?」という質問。体温のことが訊かれているとすれば、生きているかぎり体温はある。「ある」「ない」の単純返答はしたがって返答時の表情を度外視すれば誠実な回答といえなくなる。平熱の分布が35度台の後半から36度台の半ば過ぎとするなら、それにたいする「現在の程度」がたとえば「37度ちかくある」といった具体的数値をともなって語られなければならないが、有無を訊く問にたいし、程度を明示することで、質問にたいする応答性が横ずれしてしまっている。これまた設問の罠により解答不能性が強制されていることになる。
「あたし、きれい?」という質問はどうか。「きれい」と答えれば、相手の言から疑問符を除去した鏡像反映であって、これも答ではない。つまり質問がすでに答である構造に屈したことになる。「きれいじゃない」と応ずれば、それは質問内容への批評とはなるが、回答者のそうした主観は、主観内で閉じていて、じっさいは質問者の属性変化をもたらさない。あるいは「同意しない」が答の内容にすりかわるが、そういうものも回答期待性から逸れている。だから唯一の正答は「わからない」となるが、もちろんこの「わからない」も、是非を問うことばへのたしかな対応ではない。このとき質問がそのなかにはらんでいる自己言及性がすでに回答の障碍となっていると理解される。
「空、青い?」「花は咲いている?」といった外界規定にたいしてしか、ひとは答えられないのだ。それも「こちら」の状況を判断できない相手から訊かれたばあいにのみ成立する質疑応答であって、たとえば「いま」「たがいに」視認できる領域にたいして上記の問が発せられたならば、ぎょっとしてしまうだろう。主観間の相違が論題になっているような拡張が起こるためだ。
それゆえに生徒への質問は「1たす1は?」からはじめなくてはならず、根本的に質問は学校内ではそのヴァリエーションとなる。むろんたしかに「○○についてどうおもう?」は個々人の対象規定が期待される領域では成立するが、それは「語りえぬもの」と危険に交錯してもいる。たとえば「風についてどうおもう?」と設問をかえてみればいい。
「ある/なし」の質問でもさらに異様な事態が起こる。たとえば吉岡実『夏の宴』中の詩篇「楽園」は、《謎〔エニグマ〕/沖は在る》という有名な結句でおわるが、ならば「沖は在る?」という質問はどうだろう。それが隣在している相手から無媒介に出されたとすれば、「共有している光景の」「なににたいして」「沖を見いだそうとしているのか」が、自分自身にたいするのと同時に、相手の思考・感覚のなかにも忖度されることになる。この忖度の時間はたぶん無言でのみ言い表される。そうしてそれがなんと回答となる。つまり沈黙が答となる事例のみから、語りえぬものの詩的もしくは共愛的な性格がわかるのだ。ただしこの逆転は詩の効能にかかわるものに限定されていて、たとえば上記「熱はある?」では起こらないだろう。
以上、仕事で疲れたあとにかんがえたこと。だからまちがっているかもしれない。
支倉隆子企画、詩劇&ポエーマンス
【支倉隆子企画、詩劇&ポエーマンス】
今度の土曜(6月27日)、札幌出身の畏敬する詩作者、支倉隆子さんの企画する詩のイベントがひらかれます(「ポエーマンス」とよばれている)。場所は中島公園内・北海道立文学館、受付開始は17時30分です。メインは支倉さん作・演出の詩劇「支倉ウリポん」の上演。
そのほかにも朗読や音楽が盛りだくさんのようです。支倉さんにもとめられ、ぼくも北海道ゆかりの詩作者に伍し、詩の朗読を10分ていどおこなうことになりました。刊行を予定しているあたらしい詩集から、耳で聴いてわかるものをえらび、なんとか読んでみようとおもっています。
またおなじ道立文学館では、支倉さんの夫君でぼくの大好きな画家・川瀬裕之さんと支倉さんの「二人展」も、6月26日~7月5日のあいだ、開催されます。連日、9時30分~17時。絵画とビジュアル詩の、発想ゆたかなコラボレーション空間が体験できるはずです。
さらには朗読時間1分以内の条件で〈リレー詩「札幌は」〉の作成もうながされました。おそらくは参加者による壇上輪読の形式をとるのでしょう。それで今朝急遽、詩篇をつくりました。夏至のころの、札幌のながい日中時間がテーマ。イベント予告として、以下にアップしておきます。
ぜひご来場を――
【リレー詩「札幌は」】
かわいてちぢれつくす
らいらっくのおわりはむごいが
そのつづきがさっぽろでは
夏至を盛るひろがりへかわる
うすむらさきがただよって
ひるのいろがべつのゆめ
くうきをめくるゆびもみえる
そう日がのびたのではない
夕方と朝それぞれがながくなり
それらほそいあたまのかぶる
帽子がたかさになったのだ
そらごとへのひとのまなざし
とよひらの川上をみやると
ひらぎしの枝が夏至をささえ
おりてきたみじかい夜に
わずかながらたわんでいる
木田澄子・kleinの水管
(2014年度、「現代詩手帖」の年間回顧記事でぼくが真打にあげた木田澄子さんの詩集『kleinの水管』は、複数の経緯から当年度刊行詩集と誤解したもので、ほんとうは2004年度刊行だった。あろうことか第38回北海道新聞文学賞さえ受賞していて、じっさいは道内で著名な著作だった。なんたる不明。著者の木田は函館在住、詩集は緑鯨社という釧路の版元から出ている。回顧記事では他の詩集と抱き合わせで論じたため、充分な考察をしなかった。ここに分離独立させ、その作品世界を眺めなおしておく)
「変容」をおもいえがくと、それがそのまま辞になり、音韻ともなる――おそらく詩作のよろこびのひとつは、そんなたんじゅんな原理に負っている。木田澄子の詩にはたしかに「変容素」とでもよびたい媒質がいくつかあり、「水」「樹」「親族」「馬」などがそのみやすい例だろう。むろん「水」は現代詩においては詩的保証として、濫喩気味に詩作者たちにあつかわれてきたが、木田の「水」は稠密性と不気味さにおいて独自の運動をおこし、他の詩作者とは一線を画している。
圧倒的な出来の巻頭詩篇「水相(みずのすがた)」を、聯ごとにとらえてみよう。
みずのうちがわなど だれもふれたことがないから
ひとはすいどうかんの器械構造をかりて
かたちづけようとしてみる。
そのために みずは いつも不良性貧血になやまされていて
あらためて水にうちがわがあるのかと問われれば、きゅうにこころもとなくなる。水の属性はたとえばしずくがたがいにつながり、最終的には「たまり」となるような相互組織力にある。相互連接される水はいわばたがいの外部を無差異に外延していて、水の単位的な内部性など微少なのだから、そこに手をふれても水のつながりは触知できるが、その内部にはふれることがほぼできない。接するとなんでぬれるのかわからないひとつの不可能が水、ということができるのではないか。
相互組織力でつながり、たとえばくぼみでゆれるかわりに、つながる水はそれじたいのかたちをもてない。水が固体のようにみえるときには、それを容れる「うつわ」が形象化を代行する。このようにつづれば水がなにに類縁するかがすぐわかる。ことばだ。俳句や短歌の短詩型では、ことばそれじたいと型=うつわとが、たがいに像を相殺しあう点滅をえんじることさえある。くわえて原理にたちかえれば、変容をおもいえがくことばは、ことばそのものを変容させる。この意味で、水状、ことば状のものには、おもてと裏がない。クラインの壺の想起はだからただしい。
水は暗黒化し彷徨過程にはいる。それが水道の機構だ。水はゆくべき動線をかぎられ、ほとばしりやつながりのよろこびをうしなう。だから「不良性貧血」におちいるが、そうおもいこむと、水なかに白血球のようなものが増殖してゆくことになる。それはしかし、ことばを不全にしかあつかえない者のすがたが、水体のなかにぼんやりと映るにすぎない。
ゆうどうするシステム・キッチンの排水口に
きょうの領域分のながれ
降下するちかすいどうで どこからがきのうのものか
稜線をもたないみずは
どこまでも自身に平衡でありつづけ
水に区分があるのかといえば、それがとどまらなくなることで、それじたいのなかに区分をなくしつつ、「きょうの水」「きのうの水」というように、時間内にのみ区分ができる。ところがヘラクレイトスのいうように、おなじながれのなかにたとえばからだは干渉できない。区分でありながら区分不能なものが、水的な時間とよべる。
これもことばとの類縁性をしるしづける。発語では、ほんとうは詞と辞のくべつなどできはしない。辞が付着してはじめて詞にいのちがあたえられるのだから、ことばの分離はことばの死物化にひとしい。死物をならべても詩などうまれない。もっというと、ことばの分析=分解は、かならず自己再帰パラドックスをえんじる。新進気鋭のヴィトゲンシュタイン学者、中村直行の著作『沈黙と無言の哲学』(2005、大学教育出版)からの一例。《「ポチは 白い」の言語の構造は、主語―述語形式である》。
それじたいの「輪郭」をもたない水、ではなく、それじたいの「稜線」をもたない水、といってみる。このとき水に論難されているのは垂直に立ってみえる遠景をもてない水じしんの分散性だろう。水がもし「立つ」ことがあればそれは幽霊になりかわる。
このことは木田澄子にもするどく観察もしくは自覚されている。集中の詩篇「水の島を遠く」では、「水」の縁語的連接=換喩のはてに、水の潜勢力が減衰してしまうおそろしいながめがえがかれる。換喩がこわれて減喩になるときには、徴候として脱落が指摘できる。こんなフレーズだ――《たくさんの水をくぐってみえているのは わたしです あなたです/水菜を切る、水屋にすわる、水桶をかつぐ、かたちであることは/案外たやすいが/ときおり 水、の、繭、が/鱗のようにそのひとから剥がれおちるのをみる》。「水屋」に注意。水の脱規定力は水屋の意味でさえふたつに分岐させてしまう。水難からの避難場所と、台所とに。
水の相互連接力は静穏なのだろうか。水はたまればその最上部をたいらにする。ながれればその並行性により相互破滅をたやすくする。けれどもそういう水の叛意のなさをかなしみの範疇にいれるのはまちがいかもしれない。水はそれじしんの単位に一種すくいがたい罪障を負っている――木田の直観によれば「どこまでも自身に平衡でありつづける」ことで付帯される水の自己否定的な延長力がもんだいなのだ。水の単位は天秤状といえる。しかしなにと釣り合っているのか。自身のみと釣り合っているのなら、水はそれじたいを規定できなくなる。そう、またもやことばと水の類縁がめくれあがってくる。
深海に似るという木から 海市のように枝がのび
木もまた みずであったことで
みずは 記述する幼年期をもたず
みずを釣りあげようと栓孔をひらくと
管のかたちが てをぬらす
水が「深海」をよぶが、その深海がさらに木を喚起する。「深海と木が似る」というのは、しかし木田のうちでのみつくられている架橋で、その恣意をたぶん知りつつ、木田はことば=水をあえてほとばしらせる。木の枝もまた海市=かいやぐらになってしまう。そのように倒立朦朧化した視界にこそ、水は再帰的に侵入してくる。
いままで言及しなかったことをいくつか。まずこの詩篇では「水」は「みず」と表記され、その原則がくずされない。この鑑賞じたいはひらがなにみずがうもれるのをさけるべく水をつかっているが、たぶん木田は水の脱視覚性に忠実であるため、無意識の奥で「見ず」にも連絡できる「みず」と表記している。この脱視覚性をつうじ、この詩では第二聯―第三聯間ではげしく対象がずれ、しかもその第三聯それじたいの法則が、表裏の弁別ができないクラインの壺よろしく「綿密に」組織される。
しかもそれまでの各聯はすべて連用形で止められ、それじしんの終始をはばみ、水のように外延しようとしていたが、連用形でつながれるこの聯の終わり「ぬらす」の止めでついに一旦の終局が生じるよう按配されている。ただし水にとって「一旦の終局」は、「微分的な破局」へとつながるだろう。
「木もまた みずであった」のなかにある「もまた」は、どんな効果をうむのか。なるほど木の体液は水で、木は地中からみずからを「濾しあげる」いとなみをそのもののかたちにしている。おそろしいこと、見方によっては恥しいことだ。けれども「もまた」は「水でできているもの」の言外のひろがりを予定させる。つぎの聯でたしかに「海月」はでてくる。あるいはこの論考でくりかえしたように、自体性のあやふやなことで、水とことばにも類縁がなりたつ。ただしここでの「もまた」は「にんげん」の言外の示唆をふくんでいるようにみえる。
水はむろん記憶をかさねがきする羊皮紙ではない。水はむろん主体でもない。それでもさまよったすえに、「そこにある」のだ。だからひとつの水の幼年期をかんがえるだけで気が遠くなる。おとろえたイヌなら水に発狂する。なぜなら水は現前である以上に再誕といえるからだ。そのためには、じぶんの身からも水がもれでている減退が意識されなければならない。「じぶんから」―「みずから」。水は「みずから」再帰性であることで脱視覚化する手近な恐怖だ。水は詩が視像化しない最初の歯止めなのだった。
「栓孔」の語は、ぼくにとっては聴き慣れない。栓をひねれば水のでる蛇口の孔だろうか。蛇口ではなく「孔」のある「栓孔」の語がもちいられたのは、水の多孔状=境界消去力が念頭におかれたためだろう。《みずを釣りあげようと栓孔をひらく》には看過できない矛盾がしこまれている。水は栓をひねれば物理法則により落下する。ところがその落下こそが、せかいにあって「みず」を釣果にするための位相的な「ひきあげ」に変容するのだ。
ほんとうの変容は、生成変化よりもまえに、方向の錯綜を経由する。ことばには生成変化の作用点となるモノ性があるが、つながっている以上は先験的に方向性も組織されている。その方向性を読み手のからだに転写するのが換喩の本懐なのだが、それでは反転はなにをもたらすのだろうか。「減少」だろう。その減少そのものが脱視像的な「かたち」=領域を印象させて、そこに減喩が生じる。木田の減喩例――《時代を、すこしだけ気を失ってみるのはいいことだ》(集中「あめの多い水無月に」部分)。
栓をひねり蛇口からながれる水が「管のかたち」になって「てをぬらす」のはひとつの決着だ。だが管は本性的に「決着しない」。管が遍在しているためだ。木は上方への水の濾過器なのだからそれじたいが管だ。時間の後方から時間の前方をみやるときにも管が感知される。その管だけにこころをうばわれれば、じぶんが過去に向いているのか未来に向いているのかも分明でなくなる。だから「幼年期」がもてない。もちろんにんげん「もまた」、ひかりを透す眼も、おとを透す耳も、食餌をとおすからだぜんたいも、まとまりをなした宇宙的な管で、排泄が木田詩の一主題だという点は、詩集内に不敵にちりばめられている。
最終聯にゆくまえに、収録されている他の詩篇の細部から、木田のしめす「水相」をさらにとらえてみよう。
ゆれる(波間の食卓 で 私たちは確かににんげんのかたちをしているのだろう
ああ、おいしいね 幻の川茸のサラダさっくり混ぜて
世界は血がながれている
その朝 くるおしく噎るのは ドレッシングのきつい酢のせいだろうか
まだねむりの樹木から墜ちてゆけない葉擦れの
すこし痩せた潮騒のつづきのようになおも
噎かえり
いくたびも河口はほのぬるい
――「汽水/起床に」部分
すばらしい一連だ。記述域が不断のずれをかたどりながら、それでも水の縁語が連打され、それが「噎る」の動詞の斡旋により、気「管」に干渉しつづける。それでせりあがってくる病性が、水的なもののはるけさに拮抗してゆく。この拮抗は相殺ともとらえられるので、詩世界は視像において「減り」、聴像においてのみ遍満性を一定させている。こういう体感が「妖気」を放つのだ。
「幻の川茸」がきいている。幻というからには実在の自生でない。畔ではなく、川底にゆらめくものなのではないか。川苔、川海苔といった実在域が渉猟されたはてに登場した、けむりに似たなにか。そんなあやうさを引き寄せながら、「それでも」行をのばしてゆく反性が木田の創造の正体だ。
公園の枯れ木立ぬけてくる
わかい母親の腕のさみどりの嬰児
光にたどりつくのには危険な闇をいくどもくぐりぬけ
小径で ま白い息して交叉するときの
その羽毛のねむりつつんで初着のなかの細流の ふるえ
児はつよく雨裂〔ガレ〕の臭い放つ/ アア…水系のみなもと、と歩ゆるめて
――「ペーパー・ナイフの川を下る」部分
「雨裂〔ガレ〕」とはなにか。すくなくともぼくの語彙台帳にはない。雨水にしめった裂〔キレ〕。さらには雨水により裂かれた布。そんな類推がはたらくが、木田のすきな馬であれば「ガレ」は「痩せ」のことだし、エミール・ガレの、透明性をもたずに面妖化したアールヌーボーのガラス器もおもいうかぶ。ともあれ詩の勘所に、判明不能の特異点=「雨裂〔ガレ〕」があることで詩のぜんたいがくずれる。このことがすさまじいのだ。それで自己像なのか他領域の素描なのか、嬰児をかかえ公園をあるいている母親という北海道的な光景が、水の浸透力をもって不吉に顫動するさまがひろがってくる。呪詛なのだろうか。
なにしろ木田は水を知覚からえぐりだす。それは木田じしんが調伏できない水を内包しているためだろう。その同化は、対象との双対の局面ではさらに異化となる。このことのおそろしさを彼女は知っている。彼女のせかいではそのようにして「残余」がふえてゆく。あとがきにかえられた詩篇「曲〔きょく〕」では、水の残余に対峙してきたみずからへの、最終的な述懐が以下のようにしるされる。《このように私は日のおわりに水壺の栓をほどき数滴の水景をしらしら舐めています。》。
冒頭詩篇「水相」の最終聯におもむこう。
ときに くみあげたガラスの器〔コップ〕に 透明すぎる海月が なんびきもあって
みずが 海月のしゅうごうたいだったことに 気づいてみたりするのです。
つげ義春「ねじ式」の最終ネームのような文法だ。自体性の極限であり、どうじに自体性をはげしく欠く水を脱空間・脱視像的に、つまりは融通無碍・不敵な直観で、しずかながら叩きつけてきたこの詩篇は、最後に水をおちつかせる「器」を用意する。ところがそうなった途端、水は内部分節化し、粘性をたかめ、妖怪化する。「みず」は「海月のしゅうごうたい」へと生成変化するのだった。
動物のかしこさは、その憂鬱性にあらわれる。造物主の「造物筆跡」の秘密はそのようにして暴露されるのだ。イヌについてベンヤミンがつづった。ならクラゲはどうか。かしこいクラゲもおよがない。ながれるのみだろう。ながれればそれらはスカートの女性体になり、猥褻な中身をひるがえす。水の母というよりも、木田にとってクラゲは「海の星」よりもくずれやすいかけら、「海の月」なのだろう。
水の流謫は、水に海月を幻視することで完成に近づくが、この幻視は水を「きもちわるいもの」の隙間ない統合体にかえて、水のながれる能力をねばらせてしまう。結果、水はながれるのではなく、「そこに」「ゆらめく」。おのれのなかにある外部をぬらしつづける水の再帰性は、再帰性のたどる末路どおりに、「ないもの」として膠着してしまう。
このとき水が不在性じたいの潜勢力となる。カップの水がバートルビーよろしく声をもらすのだ、「しないほうがいいのですが」。「きづいてみたりするのです」は水の属性にたいしてだが、じつは自覚のほうがよりつよく機能している。つまり不在性じたいの潜勢力は、この作者の位置にこそ装填されるといえるだろう。
木田の詩的能力をつたえるために、つづく詩篇「桜 ――闇の器(かたち)」も全篇転記するが、あえて解説はひかえておこう。ただ一点、細部にでてくる「火の粉」は集中の別の詩篇「バード・テーブル」の以下の一行と対応していると示唆しておく。《(やがて闇、ひりひりと花ひら火になって一日を超える鳥鳥の孤独、散り散りと、)》。「一日」を「ひとひ」と訓めば「ひ」の頭韻連鎖と「反復音の語彙」が連携して、意味が音韻に変化する、もっともはげしい相の減喩がみられるとわかるだろう。
【桜 ――闇の器(かたち)】
闇がたつ
いっぽんの樹の名のように
深海のみずを
ひきあげ
ひるの宴のそば
樹は 闇の器でたちつくす
あめのもりで桜の刺青をした馬にであう そういったらきみはわらった 熱のかたちでたっていて そういうから 杜のしずけさのなか 焔〔ファイア〕! といななく声帯できみを走る
走り
ぬけて
そうであるのか
そのようにして
たわんだ枝先から火の粉に似た花片が
飛来する
やくそくのひがくる よるをまってぬけでておいで そういってきみはわらった とおくむかしからわたしは きみの闇のなか
その器の名で佇〔た〕っているのに
満開の桜並木のした 群衆は気づかないふりを装い
(乳母車に眠るわたしのちちとはは のはる)
そのひ わたしのなふだのついた苗木はたしかな予感に根をはることをためらっていたとしても
青のり粉
昨日、のりしお味のポテトチップスをひとり食べていて、ふと、ある恥しい体験をおもいだした。それをくわしく語るまえに、かんたんな時間論を。
ひとの一般的な知覚においては、時間は持続の性質によって馴致されている。柔和化されている。瞬間はその持続から摘出されるものだが、ふだんは意識されない。ひとは、ただながれている時間のなかに、それじしんが持続形となって親和している。
古代ギリシャでは時間概念を三分した。「クロノス=持続」「カイロス=瞬間」「アイオーン=永遠」。持続から瞬間がとりだされるのは,死や性や事件など、不可逆性をもつ強度に接したときだろう。その強度的瞬間が可逆性や円環へもやわらかにほどかれると感慨がうごけば、やがてかわりにというように永遠がみいだされることになる。
とまあ大層なことをつづっているが、もうすこし。
瞬間の存在性が拡大したのは、まずは絵画表象による。絵画はつうじょう持続をえがけないとされている。構図は凍結状態であらわれる。ところが絵画にたいする視線移動は、じっさいは持続している。いや音楽表象もかんがえるべきかもしれない。一定の持続しかあらわせない音楽には、逆に瞬間の裂け目もある。一音の存在論とでもいうべきものがそれだ。つまりもともと持続と瞬間は分離できないのだ。
瞬間の意義が拡大したのは、とうぜん写真によってだ。持続が世界そのもののおおきな有意識だとすれば、写真はそこから時間の無意識をとりだした。風景の無意識といってもいい。むろんこれはベンヤミンのかんがえだが、かれが風景の無意識を概念化したのは、実際は露光時間のながい――つまり持続状態のなかで、ひとなどの素早いうごきが捨象される――アジェの写真だったことには注意を要する。
それでも持続にかかわる意識性にたいし、瞬間はそれをくつがえすくらい無意識として、時間のなかに伏在している。もしくは宝蔵されている。それはたぶんに今日的な問題だ。たとえば「報道写真」「放送事故」「ポルノグラフィ」「ホラー」などにかかわる「瞬間的破局」は、いまや平穏なクロノス的時間をとおくに追いやってしまった。今日的な瞬間はグロテスクで妖怪的なものとなって、アイオーンには回収されないのだ。それは未確認な知覚閾のなかから露頭した馴致しえない潜勢であって、それじたいが怪物的な人格をもつかのようにもおもえる。だからこそ捕捉されなければならない。
さてここからが本題。
あるときぼくは女房とともに、なんとなく、のりしお味のポテトチップスをつまんでいた。いつしか夫婦間の差異に気づく。女房のゆびには青のり粉はついておらず、きれいなままだ。ぼくのほうは青のり粉に小指いがいがまみれている。この差異はなんだろう。
ぼくがいう。ぼくのゆびの腹はいわばアブラ性で、なにかとくべつな粘着力があって、それが青のり粉を付着させているんだ。自分を特別視してさらには宿命論をさえいいだしかねない、ナルシスティックな物言い。女房は「またか」とおもっただろう。
すこしだまってから女房がすげなくいう。「指をなめているのよ。あんたは塩味がすきだし」。ぼくは指を舐めている自覚などまったくなかったから、「それはありえない」と、つよくではないが、発語のみじかさによって内実はつよくひびくよう否定した。それっきり女房はだまり、また、のりしお味のポテトチップスを、TV番組かなにかをみながら、つまみはじめる。ぼくもそれにしたがう。
TV画面に気をやりながら、ポテトチップスを口になにげなく入れていたとある「瞬間」、女房のつよい声がひびいた。「ホラ、ゆびをなめている!」。ぼくは瞬間を把捉され、うごきが動作の途中で停止した。たしかにゆびが口のなかにはいって、しかも舌がゆびを舐めていた。
…
このときにこそ、ぼくに所属している「瞬間というばけもの」にひかりがあてられ、それがいわば標本化された。無意識のグロテスクに、持続を織りあげられた自分だったにすぎない。その事実が女房の「言い当て手術」により、剔出されたのだった。悪事をとがめられたように、バツがわるかった。格言としてはこういえる。「ひとは自分を知らない」。
とまあ、大風呂敷な書きかたはともかく、結論が凡庸な小噺。
(はじまりは…)
【(はじまりは…)】
はじまりはいつもふたつ
ふくことが天啓をつらぬく
そこからはもうわたしでない
あめつちのあいだがひかり
のぼりおりするもぬけに
垂直のようなものがうまれる
とおいところもわたしのからだ
いちばんとおい樹がそれをささえ
もぬけとなることはそのまま
みちたりだとあの樹がつたえる
わたしとわたしでないもの
さかいがはるかきらめく
みちひきは線のおわりまで
かどをたがえてつづくが
ものみなかんじてゆくかまえが
あおくへこんだのうてんへ
あめつちのはかりをたておく
ときがじつぞんするかたち
ろんりーうーまんの影さ
あぶすとらくとがかなしい
三井葉子について
【三井葉子について】
近藤久也さんの詩を考察したとき「椀」という詩篇をあつかったが、三井葉子(故人なので敬称略)にも同題の詩篇があった。
【椀】
三井葉子
白い飯はこぼれるだろう
うつせみの世の光環をいまはこぼれて
かぎりある 椀のかなしみをなだめるだろう
染めよせる 昼の枕の
蜜語はこぼれおちているだろう
美美しい武者に焦がれていった 吸い口のあとはただれて
椀のかたちをなだめるだろう
三井葉子の詩はもっともふしぎな部類に属する。えがかれる内容にたいしことばが多いのか少ないのか、それがわからないためだ。嫋嫋とうつくしくほそい発語のひびきにとらわれれば意味さえうしなわれる。てのひらに掬しつつ、その水をたわめたり、ゆらしたり、こぼしたりしなければならない。このとき女性性にたいするしぐさのようなものが、そのまま読者に分有されてゆく。
まずは、綺語を事前に調伏してゆく。たとえば「染めよせる」とはなにか。「染める」と「よせる」の複合が動作として了解できない。それでも、染めるいとなみをみずからにひきこむ、とかんがえて、それが離れた対象へむけてのくるおしい思いをあらわしているととってみる。これが昼の枕を形容する位置にあるのだから、昼寝のゆめも、なにものかをおのれにさそうまじないなのだろうか。
「蜜語」は「密語」ではなく、男女の睦言。稀用であるが「美美しい」も辞書に記載されていて、「びびしい」と訓む。「美しい」よりもさらにきらびやかなのだろうが、ぼくはこの用例をしらず、「美」の字をかさねて「みみしい」とよますことで、聾者まで示唆しているのかとおもってしまった。
さてこの詩篇では、かさねがきされている奥行を、みずからの視覚にこそたずねるしかない。「椀」もてもたらされる「おんじき=飲食」のせつなさ。椀の円形と「光環=コロナ」との類接から、視野は手許の椀と「同時に」、日輪のある中空のはてにまで外延する。「こぼれる」ものは白飯と、蜜語。おなじ動詞の斡旋により主語間に相同がしるされるのなら、「おんじき」と「性のまぐわい/つるみ」が、ひとの根源のなかにまざりあってしまう。
これらを前提に、かろうじて意味が「創意的に」読者のなかでつながる。椀に白飯をもれば、それはこぼれる。日輪が陽光を発するにおなじだ。食餌はうつわをあまる。それは「うつせみ」=空蝉が現身にまで転じてしまった、この世の「かなしみ」の外延力とならびあっている。
日輪は限界だ。月とことなり円のかたちしかもてない。それがとりわけ日蝕時にわかる。わたしたちは椀をくちに寄せ、その「かぎりある」円のかたちにふれる。ふれることがなだめることで、そこに「食べる」「呑む」が付帯する。おんじきはまっとうされない。
食後、昼の枕で片頬をささえると、ゆめにきらきらあらわれた「もののふ」が蜜語をもてあそび、わたしをよせて、そめあげる。というか、食後をそのように予想することが、すでにおんじきにはふくまれているのだ。いないひとへの恋の仕度、そのけしきが汁物を椀ですいあげるときの熱さにさきどりされている。わたしのくちびるがただれるのか、椀のへりがただれるのか。椀のまるさは、期待をもらいうける、わたしにあわされたてのひらをもたとえているだろうに。
来ぬ恋のため、わたしは日輪を呑む。呑みあげる。わたしのうちがわが焦げる。わたしもまた、まぼろしにみたコロナになって、すがたをうしなう。わたしはみずからの椀のかたちをも、なだめなければならない。
とまあ、たとえば以上のように、詩をおぎなってみる。このおぎないは詩篇内のことばのすくなさに、すきまがあるとみて、ひだをひろげたものだ。それで内容はおもたいほどに「多くなった」。ところがこのようなあやつりをわらうように、詩篇はそれじたいにおいて「すくなさ」をほそぼそとながしている。
すくなさはまだある。つごう四度の「だろう」の語尾。それは予想を期待にかえるにじゅうぶんな執拗さまで印象づけるが、「だろう」単独では「多い」とみえるこの重複も、詩篇そのものにたいしてなら、おなじもののかさなりで内容を減殺させ、すくなさをみちびいているともいえる。
こうした「多/少」の同在にこそ、読者は惑乱をおぼえずにはいない。それでべつの日には、べつの読みがこの詩篇に沿うと、かなしまずにいられなくなる。ところがこの不如意は読み手のものであるとともに、作者のもののはずだ。
三井葉子は世評のように、この詩篇をおさめた詩集『沼』(1966、創元社)で詩風を完全にきずきあげた。時代色の脱色、「伊勢物語」的な相聞、しかもおんなはおとこを待ちつづけ、ゆるしつづけ、こがれつづける。みたされない妻問い婚がくりかえされる。いまなぜこうした詩なのか。ほんとうは、おとこのみならず、おんなにとってさえ対象化のできないもどかしさがあるだろう。
けれども三井は、おんなのこころとからだにはりつめた「ほそ糸」で、うらがわから世界の双極を引きあい、世界像にことなりをもたらす。しかもそのことなりは、もうろうと「その場でくずれてゆく」ていのものだ。これをたんじゅんに反世界とよべないのは、三井じしんのからだが賭け金になる、サクリファイスの構造が奥まっているからかもしれない。恋情過多の濃密さなのに、そこに清潔な寂寥がふきわたる。なんということだ。
詩は行のながれ。しかも同定できないながれだ。比較してみよう。和歌の三十一音のながれがいったん型におさまって、「つぎ」をよぶうつわとなるならば、詩の行のなかにはつねにすでに「つぎ」がくりかえされる。うつわをまとめない、みずからへのおそろしい否みがある。それこそが情となってながれる。
むろんそんなふうに詩をつくりなせば、こころも身もこわれてしまう。三井葉子の詩が閃光をはなつのは、そうした「こわれ」の端々においてだった。『夢刺し』(1969、思潮社)から詩篇「魚」を引く。オリジナル詩集を所持せず、字詰の基本が不明なので、土曜美術社・日本現代詩文庫版の分かち書きにならう。
【魚】
三井葉子
なにを落しましたのでしょう
このさびしさ
落してはならない燃える魚を落してしまったあとは
風は燃える魚の幻を吹き
吹きつのる風の真ただなかに足もつれつつ いつか燃え
る魚になってしまうわたしを落してしまったさびしさ
が 幻の魚をみています
吹いている風のなかにたくさんいる燃える魚が
わたしからゆれ逃げていったさびしさをわたしに言うた
び
ここでも同語――「落し」「燃える魚」{さびしさ}「風」の重畳がある。反復によって、かえって位相がとらえがたくなるきびしさという点では、石原吉郎の、同語反復が語そのものを微分してゆく詩法を凌駕している。石原の詩には構文があり、構造的だが、三井の詩は書かれるごとに「つぎ」が不安定に局面化してゆく、脱構造体だといえるだろう。結果、こころのなかの舌を噛ませるように読者は読みをすすめ、同語があい食み、詩世界の像が半減してゆく魔性に直面してゆく。くりかえす、たりないのか、多いのか。
たとえばこの詩ではどんな魚がどんなもちかたののち「落され」、それが風に燃え、風に魚を転写し、そのなかでわたしがどうなったのか。そうした位相的なものすらつたえられずに、とりかえしのなさ、それを後追いするさびしさが、最少条件のなかに感情のロンドをひろげる。読者は気流にのまれる。けれども、魚が明示されていても、うおくさくないのはなぜか。ことばがことばではないからではないか。つまり三井にあるのは、減喩とともに徹底した融即だといえるのではないか。
この詩のかたわらには葛原妙子のつぎの歌を添わそう。さびしさをへらすために。田中綾さんのうつくしい好著『書棚から歌を』(2015、深夜叢書社)が松浦寿輝『あやめ 鰈 ひかがみ』の紹介でとりあげていた一首で、葛原『葡萄木立』(1963)におさめられている。
いまわれはうつくしきところをよぎるべし星の斑〔ふ〕のある鰈を下げて
(ほかびとなべて…)
【(ほかびとなべて…)】
ほかびとなべてならほめられるのに
おのれだけ禁じるのが批評のこどくだ
ひとりとかぞえられるかどうか
あやしいぎもんにまでなりかわり
しとどしずくするやなぎをみあげると
はるのではなく水はおちるときに
ほうえつのかぎりをつくすとしれる
しぬのではないがなにかこわいことだ
きたのなつは、はつなつのままでおわる
わかみどりのかさなりもかくれあって
しられないみずからでいようとする
なくのではないがなにかくらいことだ
雑感2
【雑感2】
土曜夜に札幌シアターキノでおこなわれたエドワード・ヤン『恐怖分子』の上映と、そのあとのぼくのレクチャーが一応の盛会だったので、とてもうれしかった。たびたび書いてきているので作品そのものについての言及はここではもうひかえるが、レクチャーでぼくのいいたかったのは、「この作品では視覚構造と物語構造が不吉な同調をしるしている」「それでも俳優とスタッフの集中により、この同調がいともかんたんに実現されているように感覚される」ということだった。
いまこのことをもっと精密にいってみる。うえの鈎括弧でくくったふたつの事態により、観客になにが起こるのか。
たとえばジャズやクラシックの器楽音楽では、「音の発生と、時間の経過とが、そのまま一致・同調している」。だから聴衆は構造のなかにはいり、音楽そのものに生成変化して、自身の音楽化した身体を(脳と耳が中心だとはいえ)内在的に吟味しなければならなくなる。これは自己を手放すことが、そのまま自己を再獲得することになるという逆説を、生きるにほかならない。放心と集中の同在、といってもいい。
物語、視覚、双方のおなじ構造に参入をうながされる『恐怖分子』でも、とうぜんこれに似た事態が生じる。肝腎なのは、対象が「いともかんたんに実現されているよう」な作為的ではない誘導性だ。美学的な中心を「わずかに」ずらして構図を決定/非決定の「あいだ」に宙吊るのは、じつは一操作にすぎず、そのかんたんな実現で、そこから体験したことのない戦慄美へと、ひとをみちびきうる。
もうひとつ、吟味すべきことがあるかもしれない。無媒介性がそれだ。無媒介に開始されるものにたいして、受け手は無媒介にその場にはいることしかゆるされない。生成変化の前提条件とはまさにそれなのだ。「動物になる」「少女になる」事態は努力の果てではなく、作品や世界への信頼において無媒介に起こる。それで「動物の内側で」「少女の内側で」世界はべつの摩擦や流動や遠近、さらには縮率や熱をおびる。その運動的な閉域にはいりこまされ、世界相がべつのリアルへと変転する。このことはかならず発語の質をもかえざるをえない。
カフカの「巣穴」や「橋」では読者は「モグラらしきもの」「無機物の橋」に生成変化して世界のオルタナティヴへと拉致される。映画でいうなら相似面を契機にしたディゾルヴを多用する川端康成の『みずうみ』でも、主題系と叙法の不安定さ・決定不能性が不吉に同調し、そのなかで読者は、主人公桃井銀平に「なり」、性欲的な尾行の無限遠点化(尾行は接触へとほぼ成就されない)、さらには殺意とかなしみの不可分といった未経験ゾーンを、色彩記号の変転とともに体験してゆく。そうして不安にまみれながら、自己放逐と自己再獲得とに、同時に「かなしく」つつまれる。こうした「移行性」なくして芸術体験はありえない。ということは「生成変化」と「移行性」そのものがいわば双対関係にあるのだ。
月曜日の修論ゼミで、ひごろ優秀だと目している学生が、黒沢清『蛇の道』を素材にして模擬発表をおこなった。画面が早送りされ、再生され、肝腎なところで、ストップモーションでとめられる。そのあとは板書による詳細な図解。ぼくの講義方法を踏襲している。まずは双対関係にあるものが、映画運動の関与ののちどう帰趨するのかが分析される。
ロング縦構図の奥行から手前に来られる特権的な人物はだれなのか。そのときに生じている意味の配剤により、本来は三通りある〈「3」から「1+2」への分離〉がどう選択されるのか。拷問が無時間的なのではなく、無時間性こそが拷問的であるという意趣変更。拷問対象が錯誤であるていどでは、拷問は終了しない。
そこへ代理報復というさらなる主題が上乗せされ、脚本・高橋洋の先達・大和屋竺への同調が完了するが、監督の黒沢清はロング構図と、哀川翔の数学講義での細部不明な「生成」連続により、カフカ的な寓話化をその演出に周到に上乗せしてゆく。それらを示唆してゆく学生はけっして「巧い」という形容では片づけずに、作品のもつ、なまなましい構造に肉薄した。
概念は、「→」をもちいた図解から到来する。「→」は生成変化だ。たとえば双対をしめすなら「=」か「⇔」であるべきところ、多数、さらには空間的にねじれの位置にある「→」が複合してくるのが黒沢清の映画法則で、じつはこの複合により、「=」「⇔」の単調が、映画運動のさなかで救抜されてゆく。いいうるのは、生成変化とは単相ではなく、じつは複相を潜勢させていて、それが露呈するのが表現という「出来事」だということだ。
ドゥルーズ的な生成変化の由来のひとつはカフカといってもいいだろうが、もうひとつの局面ではベルクソンがかんがえられなければならない。ベルクソンによれば知覚対象は主体に外在している。ところが感覚対象は主体に内在している。この外在と内在はじっさいにはねじれだ。それでねじれあう界面に特有な「摩擦」「流動」「遠近再規定」「縮率変化」「発熱」が起こる。これがリアルなのだが、リアルは主体と客体の「あいだ」の不可視=潜勢領域にこそ、うごめいている。
詩はどうか。作詩衝動でも詩篇読解でもそれは無媒介に不用意にはじまる。そういうものには無媒介に不用意に参入しなければならない。だから詩に自意識は邪魔だ。体感されるものは、やはり「摩擦」「流動」「遠近再規定」「縮率変化」「発熱」、さらには「融解」「減少」などをくわえてもいいだろう。暗喩「読解」や巧拙吟味などは二次的な余禄にすぎない。構造の真芯へとふれるのだから。
詩は転倒や多重や時空的矛盾などをそのまま生成する。ところがそれにはいりこむには、やはり『恐怖分子』や『蛇の道』どうよう、表徴のただならぬ一致が間歇的に存在する条件のもとで、それが「かんたんに実現されている」とみえる組成上の誘導がひつようとなる。そうなって世界の実相に生成変化が起こるのだが、ことば(の意味と音)、そのモノ性と不分離な詩では、変容はことばの形成・関係性そのものの変容まで付帯させずにはいない。結果、「世界はことばでできている」という不可能な倒錯が完了することになる。
ただしそうした倒錯がくずれるまでをえがき、「世界そのものはことばではない」地点へと逆戻りで落着する、詩のべつの運動のほうがさらにもっと魅惑に富むだろう。
雑感
80年代、「思考」そのものについて生真面目に思考した若者にとっては、たしかに蓮實重彦の影響が甚大だった。たとえば蓮實の名著『物語批判序説』なども書きかたの倫理性という点でひとつの規範を示唆していたとおもう。
この本のはじめで蓮實は爆弾を落とす。「AはBよりも凡庸だ」といった、相対比較を型とする言説そのものが凡庸だとしたのだった。これは反射する。つまりそうした物言いの圏域に入るか入らないかの自己判断で、かならず相対比較の磁場に読者自身がくりこまれてしまうのだ。そこでは事象にたいして自分が「ある」ことそのものにすら不可能性の色彩がにじみだす。発語が禁じられてしまう。
むろんそう書いた蓮實重彦じしんが、映画にたいする言説などで、この倫理的な訓戒にたいしさまざま違反をおかしていて、最終的に「自身ならびに対象を」「ともに読ませること」の称賛にゆきつく、『物語批判序説』の効力まで霧散してしまう。たしかにじっさいは自他がぐちゃぐちゃな、そういう時代ではあった。
日曜日に読んだとある大著は、死者となった作家を、その友人だった詩作者が交友録をまじえながら、作家の一作ごと、愚直に論評をくわえてゆき、その作家の自死の事実まで到達する構成となっている。ここでも作家と、詩作者じしんの相対比較がいくども首をもたげてくる。そうしたくてたまらないらしい。それでだんだん澱がたまっていって、読了までの気分がくるしかった。
むろん相手への褒貶は相半ばするし、その作家の美質も鮮明なことばでとらえられている。ところがたとえば肝腎なところで、「巧い」ということばにより叙述が早上がりしてしまう。この形容詞にこそ「相対比較」が潜在している。つまり対象を「巧い」と結論づけることには、自身の見巧者ぶりが相対的に浮上しているのだ。かんがえてみれば褒められているのは対象ではなく書き手自身だろう。
じっさいそれは、構造を解析しなければならない批評にとっての思考停止といえる。わたしたちは「巧い」と賛辞を投げ捨てないために、批評のことばを駆使してきたのではなかったか。だいいち自分自身への評価誘導に信憑などない。それが批評にまつわる最初の自己認識のはずだ。
本の構成が不器用なのはかまわない。ところが伏在している精神性が読む者の尊厳をおびやかすのはつらいことだ。恥辱が分与されてゆくのだ。精確な引用なしに、ことあるごとあいまいにドゥルーズまで想起するこの著者は、その装いとことなり、どこかで80年代の悪癖にそまり、ほんらいあったはずの80年代の可能性をわすれてしまったにちがいない。
印象を印象だと自己限定するさまざまな書きかたの展覧、そこに交錯している多幸感。あるいは交友自慢、英米文学由来の鼻につくフランクな文章。そうしたノイズが多いことで、本はみずからの本質を「文体」にまで収束させようとする。ところが文体考察こそ、80年代の柄谷行人により否定されたものではなかったか。あつかわれている対象・作品にいまや詳細な構造分析が待望されているとおもうだけに、書かれかたがとても残念な本だった。
(枝を…)
枝を枝じしんに返すと
樹はちいさくなる
ちいささへ樹はなる
どこまでがそれか
わからないもの
そこからのひかりでは
たわみも香りたかい
近藤久也について4
【近藤久也について 4】
たりないことは、まるさのようなものをうかびあがらせる。角のかずのおおい正多角形もまた正円にむかって減ってゆく。かど=角=稜のおおいかたちはリズミカルだが、リズムがねむりへと親和するうちに、かどがとれていって、さみしいねむたさが曲線として現れる。それが涅槃や死とも沿うのは、「円寂」の成語からわかる。
世の中には「乳房学」といった美学領域があるようだ。増加と減少の弁別が一筋縄ではゆかない点は、たとえばその美学からもみちびきだされる。ふくらみのほとんどない乳房は、母性的なものの減少とはじめにみてとれるが、それは少年性を形象して両性具有のあやしさでざわめきもする。ぎゃくに、おおきな乳輪がぼけた豊満なしろい乳房はかたちのねむたさにより「減っている」が、それがゆれればたちまち見た目と離反する多時間が生じてゆく。
詩ではどうか。意味や修辞の稜がけずられたり減ったりすることは、詩行のあいだにやわらかな円寂をにじませる。ある一行がべつのとおい一行と連絡するにはやわらかさがひつようだ。減っているものとくゆうの、たわみや自在性のようなもの。内在されているすくなさが飛躍へのバネになる。見透しがよいのに、詩行はいつも「それじたい」ではない。
いっぽう稜ばかりの意味や修辞の加算は、そのまま加算にしかならない。そういう詩は意外にも、理解の下支えのない感覚のみで早読みされることになってしまう。リズムの単調。だから「なにが書かれているのか」で、読む眼もたちどまらない。はては徒労感までうまれる。
近藤久也『冬の公園のベンチで寝転んでいると』から以下の詩篇を全長で引用しよう。
【椀】
近藤久也
椀を持って
食べながら
何故まるいのか
気になりだした
汁をつぐと
気持ちのやわらぎを感じる
これは確かに私の汁ですと
きわどい満足が湯気のように立ち上る
四角いものを想ってみると
いかにも持ちづらい
親しく口もつけづらい
深さや量が気にかかる
施される場合にだって
頭上におずおずと差し出したその器が
強欲だと思われそう
書き始めた頃ある先輩が
茶碗の縁〔ふち〕という詩を書いていた
今私の手元にはないけれど
茶碗の縁からおりることもできずにただ
縁をぐるぐる歩き続ける
見上げても青い空ばかり
そんなことだった
四角いものを想ってみると
角のところにくると
怪しいことを考えてしまいそう
縁はひょっとすると
淵ではなかったか
淵を字引でひくと
容易に抜け出せないような境遇ともあった
放哉《入れものがない両手でうける》を勘案すると、椀にみられるうつわは、うけようとする両掌をくっつけたかたち、その換喩とわかる。もうひとつ、まるさがもたらす減少にこそ、汁がみちるということにもなる。飲食にかんする四角いうつわならたとえばおなじみアルマイトの弁当箱などがおもいうかぶが、弁当箱も徐々に稜がとれてゆくのが趨勢のようだ。
それでも矩形を基本にした弁当箱のかたちは、ふたをとった直後の、平面への俯瞰をうながす。そこでみられるのは華やかであればあるほど良い「分布」だ。いっぽう汁ものは、なにがうかびしずんでいようと「一如」を、出汁の半透明のなかにねむるようにひろげる。
具材はしだいに無化してこそ理想をとげる。吉田健一が日本酒をのむときに咀嚼でくちをうごかすのが面倒だから、出汁だけ張った椀が最高の肴になる、それで酒と出汁を交互にのめば「海を飲んでいるような気になる」とつづったのには、趣向のみならず、形象論の奥行までもがふくまれているはずだ。いっぽう海からの比喩をもちだせば、四角い弁当箱など、人間界によくみうける、プールのようなものにすぎない。
平叙でかかれた詩篇「椀」の詩法的な肝はどこにあるか。ふたつあって、その最初が以下のわたりだ。《書き始めた頃ある先輩が/茶碗の縁〔ふち〕という詩を書いていた/今私の手元にはないけれど/茶碗の縁からおりることもできずにただ/縁をぐるぐる歩き続ける/見上げても青い空ばかり/そんなことだった》。引喩により他方(このばあいは「ある先輩」)へと眺望が生ずる。「それじたい」なのに「それじたいではない」まるさ。しかも記憶されているべき詩の一節はあいまいさに変じ、「そんなことだった」と結語される。この「そんなことだった」のいいまわしが、それじたい「まるい」のだ。だからこの一節は詩篇のもつ「椀」の主題と、修辞的に即応している。こういう点が近藤久也のみごとさといって良い。
それでも椀が外郭のまるさのなかに限界をもつ奥行を、くぼみ、へこみとしてたたえている形象がかんがえられる。奥行の限界にたいし、椀の外郭の円周性は、無限と換言できる。バロックの格言をもちだしてもいい、《神は直線で円をえがく》。円の無限性は円周を「ぐるぐる歩き続ける」視線の彷徨を喚起するが、その円の一瞬一瞬には直線のしかばねが累々とたわめられている。だから最終四行にあるように、「縁」と「淵」の類縁が脳裡に生ずる仕儀となる。ここが第二の肝だ。
やわらかにまがっているものは、そのまがりのなかに深淵をくりひろげ、直線のもつ「そのもの性」とは別次元を形成する。直線が交錯によってしか「それ以外」になれないのにたいし、円の縁は淵でもあることで、あらわれているままが「それ以外」なのだ。ひとは「怪しくなって」そのふかみにはまる。曲線は正円からの例外性がエロチックなものだが、ほんとうの正円は無と有の融合において厳粛で、エロスをそれじたいではじきとばしてしまう。
ひとつ気がつくことがある。「縁」「淵」の同音系列から、おなじく同音のはずの「布置」がけずりとられているのだ。つまり「縁」「淵」の結託は、「布置」の排除を付帯させていることになる。これは詩論ではないか。詩文の一瞬一瞬はたりなさにおいてまるみをおびた縁になり、それへの単位的な微視は読むひとを淵へとおとしこむが、詩が弁当箱を俯瞰したときのような「布置」ではあってはならない、という。詩はおかずのように、ことばを置かない。ことばそれじたいの不如意により、一如にむけて「ただ」あふれだすものだろう。
「椀」は、陶器である「碗」と異同がある。にんげんを換喩的に代位するのは木材性なのだ。椀はみずうみの凹みのように、内容を汁でみたし、夢幻的に「べつもの」までのませる。用語は近藤詩ではいつも厳格だ。「縁」の初出時に「ふち」とルビがふられているのは「えん=えにし」との誤読をさけるためだが、結果、見消のようにして「えにし」がうきあがってもくる。
もうひとつ、円的系列から秀作を全篇摘記してみよう。つい最近ご恵投いただいた近藤の第一詩集(稀覯本だ)、『生き物屋』(1985、竹林館)から。
【蹴る】
近藤久也
考えこんでるように
ぽつんとしてやがるので
こづいてやると
赤土の上を
ごろごろ転がっていく
で、またぽつんとしている
どてからみても
なめらかな
つら
相手をする方が野暮だ
と思いながら
溜息まじりに
関節がぎいぎいなるような
力ない
やせた足を
後に引き上げてみる
ひきつった足のけだるさを
爪先に
ひょっこり乗っけてみる
そして
蹴
る
ふんわりと
のんきそうに回転しながら
夕焼けを向こうに
埃っぽい宙を
飛んでいく
俺は球の縫い目を
痛そうに
みつめているしかない
詩行のながれでは、「対象」が言外にずっと置かれつづける。その正体があらわれるのは、やっと最後から3行めにすぎない。「球」。これは「縫い目」があるのだから、野球のボールやバレーのボールのようなもので「球」とよばれてしかるべきなのだろう。むろんそういうものが、削り=減喩状態で対象化されつづけてきている予想は立つのだが、それがたとえば「毬」でも「毛糸玉」でもなかったと判明する点に、衝撃をおぼえてしまう。
「ぽつんとしてやがる」「ぽつんとしている」の言い方には、思念でのなかではなく、地上の具体的な場に置かれた球体のさみしさが現れている。球はかたちとしては完璧な自足をしるしづけるが、その残余や欠落のなさが、地上の残余や欠落とおりあわない。「なめらかな/つら」という擬人化は、むしろ球にはびこるべき擬人性を剥離させ、それをゆめまぼろしへと再組織させている。30歳まえにこんな老熟の詩篇が近藤久也に出現している。怖いことだ。
球の円満さは、それを計算なく、ぽつりぽつりと蹴りあるく主体の動作をアフォーダンス的に分解してゆく。動詞をぬいてみようか。「こづいてやる」「み(る)」「思(う)」「ぎいぎいなる」「引き上げてみる」「乗っけてみる」――これらの中心に動作のなかみまでが改行によって分解された「蹴/る」が出現して、この詩の「俺」は分解過程をスローモーション化されている。
ところでこれらの動詞諸系列は、はじめ「考えこんでる」「ぽつんとしてやがる」「転がっていく」「またぼつんとしている」といった球の動詞系列と等分に織りあわされている。ところが「俺」の動詞系列が「蹴/る」にむけてあふれだすと、球の動詞系列が沈黙してしまう。やがて逆転が起こる。「蹴/る」の決定性が生じ、「俺」の動詞系列が沈黙してしまうと、その跡地を球の動詞系列が占領しだす。「回転(する)」「飛んでいく」。つまり「俺」は「蹴/る」の具体的な動作によって炸裂→消滅したのだった。むろんそれは一瞬のことだろうが、詩の主体「俺」の痛覚を刺戟した。だから最後、動詞性をもつ主体として復活した「俺」は、球の行方を「痛そうに」「みつめているしかない」。もともと球には縫い目でわかるように手術がおこなわれていたのだった。
主語性が主体化の根源とかんがえたデカルトにたいし、ライプニッツは動詞性(の多様化、分岐、遁走)こそが主体化を分裂的に展覧させるととらえた。こうしたライプニッツ的な主体は明滅する。「みえなくなる」瞬間瞬間がある。持続が蚕食される。じっさいこの「蹴る」では、「球」に叙述がかたむくと、主体が脱視覚化してしまうあやうい局面が連続しているのだった。主体はことばや周囲環境から減殺されて、いわば欠落形、残余として、そのあるべき位置で磁気を発している。すくなさ、「減り」により、脱視覚性そのものが「かたちの気配」としてみえる峻厳かつやわらかいことばのはこび、これを減喩とよぶべきだろう。無駄がないのに残余にたわんでいることばは、そのままそれが詩作者の身体なのだった。
「すくないこと」は円や球形に関与する。じっさいに円がえがかれていないのに、円が浮上してくるふしぎな短詩にはたとえば以下がある。サイト「ことばのかたち」での連載第六回として、これまた畏敬の対象・小峰慎也がしるした詩篇「顔」。近藤久也のものではないが、寄り道してその全篇を引いてみよう。
【顔】
小峰慎也
すぐに何かをしようとして、
川と
そうでないところが
どうなっているか記憶を
さぐったが
だめだった
牛に石を投げて
結果を見ずに帰ってくる
それが午後
まだわたしたちは巨大すぎて
目の前にあるものが
顔を上げなかった
「川と」「そうでないところ」の弁別不能性が、空間が本来的に分節不能だという真実をつたえてくる。ところが「作用(干渉)」と「結果」も、結果をことさらに捨象すればおかしな閉塞が起こり、時間までもが野蛮に脱分節化してしまう。「牛に石を投げて」「結果を見ずに帰ってくる」ことの、恐ろしい禁忌侵犯。
ところが空間と時間が脱分節的に融合するには、いわば「球形」が感知されていなくてはならない。そうした印象のあとに、この詩篇の「午後」「巨大すぎて/目の前にあるもの」が「まるい」とかんじられてくるのではないか。それは予感だから「顔を上げ」てはみられない。どうじに読者は最終三行の文法破壊にしずかに震撼する。修辞探査がはじまる。それで、「すくなさ」「減少」と「円」「球」とが連絡する、減喩の構造におもいあたることになるだろう。
最後に近藤久也による珠玉の減喩詩を全篇引用しよう。「ラスコーリニコフ」(『罪と罰』)、「スタヴローギン」(『悪霊』)と、ドストエフスキー小説上の固有名が登場して「三十年ほど前」がかたられながら、その記憶に、客体性を周到にけされた「少女」の仕種、影が侵入してくる。主体性の消去が「円」「球」につながるとすると、客体性の消去は「ながさ」「奥行」をつくりあげてゆく。この真実への直面もまた「減喩」ならではの恩寵とよべる。むろん読まれるとおり、恋情の詩篇だ。近藤の第四詩集『夜の言の葉』(2010、思潮社)から――
【神の話】
近藤久也
三十年ほど前
その頃読みかけていたロシアの
大文豪や革命について
ひとの善意や運命についての話は
実はうわの空だった
ラスコーリニコフ、スタヴローギン
みんな脇役にすぎなかった
細いジーンズとざっくりしたセーター
小さい急須のふたを細い指がそっとおさえ
二人の湯飲み茶碗に交互に注ぎ入れる
ショートカットで
膝を立てた華奢な姿勢
西日がさしこみ
その影が
私の方に伸びてきた
保証のない想像の影を
その上に重ね合わせ
細く、長く
先へ先へと
伸ばしていた
※「近藤久也について」了
近藤久也について3
【近藤久也について 3】
ロダン「考える人」に彫刻されたおとこは、どんなポーズをとっていたのだったか。あらためて画像検索してみると、ほぼ脚をそろえ爪立ちで岩にすわり、左腿のつけねあたりへ右ひじを置き、右手はこぶしをつくってそれが口もとをささえている。長時間ではしびれたり、痛くなったりしそうだ。ずいぶん窮屈な恰好。とうぜん「とどく」ために上体も前屈するが、からだぜんたいのこころが収束するばかりとみえる。
かんがえるためには再帰性が要る。「かんがえるわたし」をわたしじしんが意識するのではなく、じつはかんがえる対象を脳裡にころがして俯瞰気味でためつすがめつ眺める、といった、対象定位にかかわる再帰性がうまれるのだ。デカルトじゃないんだから、かんがえるのにわたしは要らない。ところがロダンは徹底された思考には物質化された自己定位と緊張がともない、それが身体のしぼりまでともなうととらえたのだろう。それで上記のすがたとなった。
この彫刻にたいする嫌悪はたぶんその全身ポーズが、ご苦労さんとかんじて起こる。深刻癖といってもいい。じっさいリラックスする思考は無心こそを予定していて、「からだの部位が」「べつの部位を」なにかする再帰であっても、せいぜいが自慰か、あるいは椅子に坐り、てまえの机に肘をついて、てのひらが頭蓋の鰓をささえる頬杖ていどが適当なのではないか。それなら上体はまっすぐさを面倒にして傾斜するし、腕と頭のあいだには空洞ができて風がとおるし、成語「頬杖」もからだの仕種にかかわるものなのに、そこへ木篇をたちあげたりする。
斜めの思考。空洞の思考。木篇の思考。それらあわさらないものがあわさるのが思考にひつような余裕なのではないか。仕種のなかに仕種を入れ子で浸透させるのだから「かいやぐら」だってみえる。加藤郁乎『球体感覚』中の秀句《海市この頬杖くゞるおもかげや》をおもいだす。
この言わずもがなを前段にして、近藤久也『頬のぶつぶつ』から標題詩篇を全長で引いてみる。前回どうよう、詩行あたまに話の便宜のため序数を付すことをゆるされたい。
【顎のぶつぶつ】
近藤久也
1 畳の上にすわって
2 片膝を立て
3 その上に
4 顎をのせる
5 背骨のラインは
6 くっきりとしているが
7 なにか苦労じみてみえる
8 その姿勢で
9 新聞や本を読むのが好きである
10 私だけかと思っていたら
11 或る日
12 妻もそうだと告白する
13 (人はなかなか快楽を他言しないものだ)
14 さいさい顎を膝にのっけていると
15 そこの毛穴がぶつぶつと
16 隆起してくるものだ
17 そのぶつぶつを妻と時々
18 撫であったりする
19 ちゃぶ台をはさんで
20 私と妻は顎を膝にのせ
21 向かい合ってなにか文字を読んでいる
22 (私は原始のひとの姿を想った)
23 正座や胡座では
24 そのままじっと残れぬが
25 この姿勢だと
26 そのまま何千年か後に
27 化石となって残れるような
28 妙な気分である
29 幸いこの姿勢には
30 正座や胡座といった呼び名も無い
31 だから
32 何千年か後に人が
33 私たちの化石を目にした時
34 これはきっと人類とはちがう生き物だ
35 けれど何か苦労じみて見える生き物だな
36 そんな感想を顎と背骨のあたりに
37 感じてくれぬものか
38 そんなふうにうまく騙せぬものか
39 顎のぶつぶつはもう消えていたとしても。
1~4行、「すわって」「片膝を立て」「その上に/顎をのせ」、足もとにひろげた新聞やら本やらを読んでいるすがたは、厳格な父母にになら見とがめられ、だらしがないと叱声をうけるたぐいだろう。背中が猫になるし、字の書かれた神聖なものはゆかに置いたりしない。だいいちゆかが畳敷きなら新聞印刷のインクあぶらでよごれてしまう。
22行目にこのポーズは「原始の人」を想わせるとあるが、それは詩の主体の都合の良い思い込みで、実際はやることのない檻のなかのサルたちの姿勢に該当する。そのように腕が長くみえるのはよくないし尻と「地べた」の直接感もなにか「にんげん」として陰惨なかんじがする。だいたい「姿勢」(8行、25行)ということばは、石原吉郎の詩篇ではもっと由緒正しく崇高なものだったはずだ。
7行め「苦労じみてみえる」が最初の関門だ。まずそこで主観客観のふれあわない惧れがある。つまり「苦労じみてはみえない」という異見があるはずなのだが、それがすでに発語の途端に遮断されているのだった。
それでも読者はかんがえる。最もリラックスした適合的な姿勢がどんなものであれ精神の質そのものには適合しない。そういう齟齬が「苦労じみている」のではないか。からだの一部位から別部位への再帰性が自己定位を盤石にするとしても、それがみられてしまうのは恥しく、ひとの苦労がつきないのではないか。
子どもがとりそうなポーズなのに、背骨はまがり、背中からごつごつうきあがって、これが翁や媼のような侘びたたたずまいをまきちらすなら、童-翁の連絡そのものが、ひとの生ではひとつの「ご苦労」なのではないか云々と。
リラックスすることは、社会的にはうつくしくない(という時代があった)。むろん家庭内では親和的だ。おさない子どもは平気ででんぐり返ったりしているが、社会でならそれは色情窃視の的となるかもしれない。近藤のこの詩はひとつの仕種論、身体論をメタ次元では形成しているし、おなじ仕種の反映をつうじ付帯的には夫婦間の交情をえがいてもいる(10~18行)。
ただし「苦労じみてみえる」「だらしのなさ」は、じつは言語論にまで飛び火している。ライトヴァースに仕組まれた、そこで近藤の言語感覚のするどさに直面せざるをえない。同音反復語の頻用がそれだ。これらがそのまま発語のうえで「苦労じみて」「だらしなくみえる」のだった。
列挙しよう。「なかなか」(13行め)、「さいさい」(14行め)、「時々」(17行め)、「まま」(24行めと26行め)。そして同音反復語頻用の高密度地帯に、満を持してこの詩篇の主題、生理的に気持わるい「ぶつぶつ」(初出は15行め)が登場する。通常は稀用語彙だろう「さいさい=再々」が斡旋されたところから、同音反復語のパレードがこの詩篇の言語論的な主題だとあきらかになる。この「さいさい」が29行め、類音の「幸い」へ変貌するのもみごとだ。
同音反復は詩篇ぜんたいの修辞に、間歇を挟んだ反復をも組織する。たとえば筆者は詩文が「である」の語尾をもつと途端にげんなりするが、意図的・揶揄的な「である」であれば承認する。9行めと28行め、二度にわたる「である」は天秤のように釣りあって間歇のつくる時空をささえているし、「苦労じみてみ〔見〕える」(7行/35行)、「正座や胡座」(23行/30行)もどうようだ。二度あるものは実在をつくりあげる。
さて14~16行をもういちど俎上にのせよう。《さいさい顎を膝にのっけていると/そこの毛穴がぶつぶつと/隆起してくるものだ》。「ものだ」という語尾の魔法。いつのまにか読者への説得を完了させている。ところがこの構文、掲出2行めの「そこ」が、「顎」「膝」のどちらを指すのかで一瞬、判断がゆきまようのだ。だいいち、直後の17行めでは妻にもぶつぶつがあると判明する。けれどもじっさいは妙齢である中年おんなの膝はエロチックにつるつるしているのではないか。顎なら、ぶつぶつがヒゲを生やしてくる毛穴だという思いがつよくなる。どっちか――解釈のすすみがいったん脱線したのち、微速度的解釈を想定するなら、詩篇タイトルをおもいだして、「ぶつぶつは顎に男女かまわず生ずる」という了解が起こるだろう。
「そこ」の不明と、じつは顎を片膝にのせる姿勢に「正座」「胡座」などの「名称」がないことがここで拮抗している(「正座」そのものの峻烈な脱臼なら、近藤と親交のふかい貞久秀紀が詩篇「正坐クラブ」〔『リアル日和』〕でしるした)。なまえのないものこそが「原始」的というか起源的なのだ。中也はその領域を「名辞以前」といったし、ベンヤミンの純粋言語論でもそこから命名がはじまり、やがては罪障としての命名過剰までも出来するとかんがえた。つまり「名辞以前」は、ほんとうは手つかずで温存されなければならない。
だいいち、ひとのするポーズはすべて名称化されているのか。うつむきや臥目ひとつでも微差の体系をつくりなして、あいだにあるそれぞれのニュアンスがちがう。言語化はけっしてとどかない。うつくしいものにも醜いものにもとどかない。それは理知的には怖気をふるわせるが、「名辞以前」領域の温存という点ではじつは世界を純粋さのなかへ防御するものでもあるだろう。
ここでの「ぶつぶつ」は内実から表皮への異議申立ではないか。つまり「実在的ではない」のではないか。妻にもそれがあるからそんな判断になる。サブイボにつうじる、怖気の形象と異変。なぜそうかといえば、からだのぜんたいをじつは「名辞以前」が支配していて、表現による捕捉をからだそのものが逃れている不安がにじんでいるためだ。からだとは規定不能ななにかだ。といえば、アルトー=ドゥルーズ=ガタリの「器官なき身体」にまでつうじてしまう。
おそらく田村隆一の意志力にとんだ「立棺」幻想への、近藤の興ざめがある。名辞以前の身体を詩の主体とその配偶者がもっているとすると、それを端的にしるす姿勢のまま化石や即身仏となって、死後発掘で出現した残痕まで名辞以前にさせようとする想像の越境が生じるのだ。現にあるものの相対化。その振幅が、「何千年か後」(26行/32行)へと跳躍する、想像の大技。これによって「いまあるもの」が「かけがえのなさ」だけのこして無意味化してしまう。「私」「妻」もけしてその例外ではない。
その名辞以前のすわりかたで発見されたミイラや化石は、名辞以前だからとりあえず「人類」(33行)と未来人からはみなされないのだろうが、名辞以前こそが「にんげん」の本質なのだから、双方を併呑すれば、発見されたかたちから「苦労じみて見える生き物」(34行)という惻隠までもがともなうことになる。自己から自己への惻隠が、「何千年」の時の振幅をもって予想されたとき、この詩篇がささいな身体論をとびこえたスケールをもってしまったとわかる。この「ありえなさ」が可笑的なのだ。発語が換喩的にずれていった結果なのだが。
むろんそれは「騙し」(38行)にすぎない。しかも本質は、名辞以前の奇怪な「座りのポーズ」ではなく、デカルト的な自己再帰性への怖気=「顎のぶつぶつ」のほうにある。それは微細で、他者からの感知の域をほんとうは超えている。そういうもの=ほんとうの固有性もしくは特異性は、発掘不可能なものだ。それが最終行のつくりあげる「言外」だった。
ところが、句読点を排した書き方をつらぬいたこの詩篇の末尾で例外的に「もう消えていたとしても。」と「。」が使用される。これは単発化した「ぶつぶつ」、すなわち「ぶつ」とよぶべきものなのではないだろうか。最後に解決できないそうした予想をにじませて、このおそるべきメタ詩が終焉したのだった。
「名辞以前」が詩想の源泉だという着眼は中也のみの特権ではなく、ありうべきすべての詩作者が共有するものだ。じっさいこの主題は近藤詩のひとつの系列を貫通している。第三詩集『冬の公園のベンチで寝転んでいると』から「頭の中の深い霧」全篇を引いてみよう。引用のあとすこしだけかんがえをつづるが、ながくなるので上のような詳述はしない。
【頭の中の深い霧】
近藤久也
旅に出た遠い土地の
霧に煙る河口で釣りをしていると
不思議な生き物と遇った
ところが帰って
スケッチブックにうまく描けない
そのくせ
レイチョウレイチョウと
私の舌と唇を動かすのだ
するとそいつを鳥だと思いこんだ
鳥類図鑑で調べてみた
鳥に詳しい奴にきいてみた
動物園に捜しにいきもした
仕方なく
ひとりで姿かたちを
おさらいした
伽藍鳥〔ペリカン〕のように
獲った魚を口にためこんで
ゆっくりと静かに食べていた
食べること以外
為すことはないといった後姿
黒い影のような後姿
霧の中の
滲んで染み込んできそうな後姿
そうして
ほんの少しずつ少しずつ
雨の中の深い霧から
霊鳥の後姿が現れつつあるのだが
河口でみたのとどこかずれたままなのは
どうした理由か
ずれたままで親しく
レイチョウレイチョウといってみる
そんな鳥はどこにもいないと
いいきかせる
霧中、河口の釣ででくわした黒い影の未確認物体。神々しさだけはつたわる。それは「名辞以前」のものだったが、後知恵で「霊鳥」と規定されはじめる。ところが見たときにつぶやきに出てしまった「レイチョウ」は「名辞劫初」に属していて、そのような規定不能性は、鳥類図鑑にしめされている鳳凰などの霊鳥とはけして似ない。吉本隆明的にいうなら、例の「う」と名辞成立後の「海」に、衝動面で埋められない深淵がひらいているということになる。
だいたい「レイチョウ」という稀用語彙を漢字熟語化しようとすると、宛先がぶれるのではないか。たとえば「玲鳥」「冷鳥」「麗鳥」などと(じっさい筆者がそうだった)。あるいは「鳥」のすがたを認知したことじたいが錯誤で、それは「霊長類」だったのでもないか。筆者は近藤久也のこのむつげ忠男から兄のつげ義春に思いをはせ、その『無能の人』中の「鳥男」をイメージしてしまった。
しかも「後姿」というもんだいがさらにくわわる。「そのひと」「その鳥」を名辞以前にするために、霧中という恰好の条件のほかに、「後姿」までもがまじわってしまったのだった。「後ろ」は縹渺として陰気だ。ことを俳句系列でみよう。
山頭火《うしろすがたのしぐれてゆくか》。放哉《墓のうらに廻る》。かんがえてみれば自らの「後ろ」も霊妙だ。耕衣《後ろにも髪脱け落つる山河かな》。「後ろ」が眼「前」にみえるのは世界の異常ではないか。それでやがては「前後」そのものまで霊的な惑乱になる。郁乎《桐の花いちど生れし前後を見る》。完市《まうしろへ白い電車が夏野来る》。阿部完市にいたっては中七と下五のあいだにみえにくい「切れ」がある。主体のまうしろに白電車があり、視界前方に夏野があるのだが、方向を混在させてみせるしずかな客気がつたわってくる。
はなしをもどすと、「霊鳥」ならぬそれ以前の「レイチョウ」は、かならず「レイチョウレイチョウ」と、リトルネロの状態で主体の脳裡をひびかい、くちびるをうごかせているのに注意しなければならない。劫初とはひとつの反響性なのだった。このまえにかかげた詩篇「顎のぶつぶつ」での「ぶつぶつ」の同語反復性もじつはそれだろう。それらでは規定をのがれるものがずっと反復している。だから回帰のなさが回帰そのものをつくりあげる。ほんとうの「減少」とはそんなすがたをしているのだ。
綜合すれば「頭の中」「頭の芯」「脳髄の傷」の真相=深層にあるのはリトルネロではないか。詩篇「頭の中の深い霧」の「霧」は、発語の誘惑である「反復」こそを霊妙につつんでいた。
近藤久也について2
【近藤久也について 2】
近藤久也の詩は、感情の質が良い。それはもしかすると、筆者とは二歳年長なだけのひとの、体験の共有性によるのかもしれない。不如意、疑義、倦怠、反骨などがけして「それらを表明することの多幸」として現れない(このましい)抑制がまずかんじられる。それが「減らすこと」がみちる諸詩篇の組成そのものをつくりあげている。
サニー・テリー(ブルースハープ)、ブラインド・ボーイ・フラー(ラグタイムブルース)、ジャック・エリオット(フォーク)など「渋め」のアメリカンルーツ音楽への親炙を、詩篇をつうじあらわにする近藤の、たとえば高校時代の嗜好、その全体を同世代であれば類推することもできる。どんな映画に心ひかれたか。どんなマンガをふるえながら熟読したか。
マンガなら筆者とおなじくとうぜん「ガロ」系だろう。それもとりわけつげ忠男なのではないか。近藤久也の第二詩集『顎のぶつぶつ』、第三詩集『冬の公園でベンチに寝転んでいると』(2002、思潮社)の表紙には近藤祈美栄(夫人だろうか)の装幀によって、筆をさっとながしたような絵があしらわれていて、これらの絵の筆触がたしかにつげ忠男をそのままおもわせる。
つげ忠男のマンガはその「種類」を大別できる。まずは戦後闇市の無頼群像。そこでは記憶語りをつうじて「とおさ」と「ちかさ」のせつない分離不能性が、力動的な線の粗さからもたらされる。実際、写実を超えた写実の位置で、風や陽光や影の線描が人物と等価にコマをあふれだすマンガ作家はつげ忠男しかいない。停止と躍動の見分けがつかないそこにこそ光景の異境が現出している。
つぎは家族画。この分野では「潮騒」という超越的な傑作がある。家族でいった海水浴に、70年前後の新聞記事の引用が重層化して、一家族の固有な悲哀が作品のおわりにむけて相対化されてくる。いっけん家族、あるいはその価値までもが卑小とみえるが、彼らの背後でうねっている世界のながれもまた卑小だと気づくと、大融合が起こる。そしてそのつげ忠男の最後の分野が釣好きの近藤と同調する「釣り」マンガだった。
つげ忠男をおもわす詩篇は、近藤久也の詩集ごとにはいっているが、『顎のぶつぶつ』から以下の詩篇を全篇引用してみよう。のちの論述の便宜として、各行頭に序数をふることにする。
【理由】
近藤久也
1 雨の動物園に行った
2 妻は傘
3 娘はかっぱ
4 私はサングラス
5 片足の鶴などみていた
6 ゴリラはガラスの部屋で
7 気分を悪くしたのか
8 食ったバナナをもどして
9 またそれを寝そべって食っていた
10 居るはずの
11 ライオン、トラ、キリンなどは
12 どこかに行って居なかった
13 子連れはいなくて
14 アベックばかり
15 体をくっつけて虚ろな目つきで
16 みるともなく
17 爬虫類をながめていた
18 雨はひどくなり
19 私は肩をぐっしょりさせて
20 ノイローゼのシベリア狼をみていると
21 書き忘れた息子が
22 黄色いかっぱをひらひらさせて
23 きつね、きつねとわめき散らすので
24 妻と顔を見合わせてにたついていると
25 早くお帰りにならないと
26 動物園から出られなくなりますよ
27 という放送が
28 おこったように流れてきた
29 娘は夜になるまで
30 檻の陰に隠れていましょうよ
31 と妻の手を引っぱった
32 雨滴が幾筋も幾筋も
33 私のサングラスをつたっていくので
34 泣いているように見えると
35 妻は言ったが
36 泣く理由など
37 何も無いのだ
主語の省略、動詞の割愛など、詩篇の書きだしが簡潔なのは近藤詩のいつもの流儀だ。あえて冗長な補足をすれば、1~4行は以下のようになる。「(私たち家族は)雨の(日にあえて)(ひとさみしい)動物園に行った(ご苦労なことだ)/妻は傘(をさし)/娘はかっぱ(をまとい)/私は(くらい日和なのに)サングラス(をかけていた)」。リズム意識が作用されてこの「いわずもがな」の括弧が減殺されると、じつは私たち家族そのものの像や属性の減殺までもが付帯しはじめる。私たちは「足りない」のだ。
結果、4~5行のわたりに錯視が起きる。《私はサングラス/片足の鶴などをみていた》が、「片足だけの存在に欠損して」「鶴さながらに痩せさらばえている」私と、「サングラスをかけて不敵な」鶴とに、像が二重化されて分岐するということだ。日本語では成立する「私はサングラス」という構文の換喩的な縮減性に、英語でいうなら「I am sunglasses」という看過できない文法の錯誤が揺曳している。
檻に幽閉され不自由をしいられ、野性を暴力的に削られて、みすぼらしい馴化をしいられた動物たちにたいする惻隠は、詩でいろいろとしめされてきたが、近藤「理由」は、動物への同調にはけして自足しない。
5「片足の鶴」が鶴のたたずまいの通常を描写したにすぎないのに欠損の予感を漂わせた――これを皮切りにして、嘔吐と食餌に弁別がなく、食そのものへの振舞が汚く頽廃しているゴリラ(6~9行)、不在そのものが動物磁気を不穏に発している、おそらくは倦怠と不機嫌がならいになった「ライオン、トラ、キリン」(11行)。「獅子」「虎」「麒麟」という表記の尊厳を奪われたのは、子ども向けに擬人化が図られたためで、そのことから動物は神話性を剥奪された。かたちそのものが異形もしくは不具といえる「爬虫類」(17行)。陸にありながら鱗をもち、ヘビにいたっては手足がきえている。
そのあとに20行目の「ノイローゼのシベリア狼」が出てくる。上顎、下顎が突出しておおきく割けた口から、それじたいが喘ぐ大蛭のような舌がだらしなく垂れている。瞳は蒼白で、そこひのようだ。雨の日なのに薄暗さを眩しんでいる。シベリアンハスキーの白黒に整った配色にたいし、ぜんたいが灰と茶を脱分節的にくすんで溶け合わせた毛並み。おそらくは群れでいて、肉を噛み取られた骨片を舐めしゃぶるためのヒエラルキー闘争がマンネリ化している。狼たちは無意味な周回を狭い閉所のなかでつづけ、顔の表情のみならず、行動がノイローゼをおもわすように病化している。
暗示的かつ的確にとらえられた以上幽閉動物たちの病性は、冒頭の家族成員の描写の欠落と複合されて「私たち家族」のうえに病性を鏡面反映させる。なぜなら欠落は弱さとも骨がらみで、だから対象そのものを反映のかたちで貪食するしかないためだ。不吉な動物磁気は、私たち家族のほうにもある。
冒頭の4行にみちているのは、欠落が並列的にみちている、眺めというよりも気配というべきものだろう。逆にいうと、家族による欠落の並列は、幽閉動物たちの気配まで決定づける。動物との対峙性に「私」は刺しこまれ受難感を研ぎ澄まされるのだ。19行の「私は肩をぐっしょりさせて」は安価な傘、傘のさしかたのまずさ、雨脚のつよまりなどを理のうえで印象づけながら、実際は私の身体が動物園の空間から屈辱的な反映をうけている「感覚の上位次元」を暗示している。
むろん動物の幽囚への抗議などない。動物と同位化してしまう脆い身体への諦念が、それが「世界」への架橋だというように入れ子外延するだけだ。ここでは「自足のないこと」が自足だという融即が、いつもの近藤詩の法則どおりに生じている。
もともとが酔狂だった。子どもの欲求に促されて、雨の日に動物園に行くことじたいが、憂鬱をつかんでしまう行動の蛇足だったのだ。私たち家族は恥しい「例外」に位置づけられる。それをつたえるのが、13~17行、《子連れはいなくて/アベックばかり/体をくっつけて虚ろな目つきで/みるともなく/爬虫類をながめていた》。雨の日の閑散した動物園でのデートは、たがいのからだを「くっけつけ」る好機とはなる。だから入場にもとりあえず理由がある。
ところが光景の寂寥によって、所期の目的が壊滅的なまでに無化されてしまう。彼らでさえも(さみしい異形か不具の)爬虫類に存在同調をしいられ、俄かに自分たちが交情に適した「にんげん」なのかどうか心もとなくなる。自分たちの芯をつらぬいているのが充実ではなく、「虚ろ」だと予感せざるをえなくなるのだ。しかも私たち家族はそうした彼らを媒介にして、さらにさみしい立脚へと相対化されてゆく。
この詩のユーモアは、まず21行目中の「書き忘れた息子」から生ずる。2~4行目でいったん定位された「家族成員」に遺漏があった理由はこの息子も「かっぱ」を羽織っていたためだろう。同語説明の面倒がきらわれるうちに「うっかり」存在を割愛されてしまったのだが、22行目「黄色いかっぱ」の形容「黄色い」が上乗せされることで、息子は「上乗せ」的存在へと、出現した途端に昇格させられる。家族の行動選択の誤謬を上乗せするように、20行「ノイローゼのシベリア狼」を23行「きつね、きつねとわめき散らす」のだった。
お稲荷さんなどで見知った犬の異種「きつね」だけが識別台帳に登録されている「息子」は、既存の手持ち項で「シベリア狼」を越権的に類推表現するしかない。狼を既知の犬ととらえずに一応は「きつね」として犬と区別したのだから息子としては得意満面だろうが、類推がもともと越権だという点は詩の書き手である作者には意識されている。その息子の愚行を夫とともに「顔を見合わせてにたつく」「妻」(24行)も、夫の詩作営為の本質を理解しているのではないか。その理解はたぶん寂寥と背中合わせのはずだ。おそらくは近藤詩のぜんたいに、類推がない。類推とは「詩人的」想像力のいとわしい「自足」だからだ。
いずれにせよ、嘘寒い「雨の動物園」は家族の社会的孤立をしるしづけるものだから長居に向かない。それを運営する動物園側も知悉していて、25~28行、退園を促す園内アナウンスが、「好機を逃すとここから出られなくなる」という恫喝とともに、「おこったように」流れだす仕儀となる。寂寥そのものがそこからの脱出の契機をうばうアリジゴクの様相をたたえている。嵌るとは、いつでも機会喪失から生じる錯誤で、悔恨しかもたらさない。
ところが弟を反射してさらなる「上乗せ存在」になった「娘」が29~31行、「夜になるまで/檻の陰に隠れていましょうよ」と、動物園にいつづける奇怪な提案を妻に強調する。むろん直截の動機は園内放送が無慈悲にひびいたことへの反抗なのだろうが、娘の言動から家族哲学が、そしてこの家族がどんな「裏」の像をともなっているかが、問わず語りされる。
まずは家族が成員の欠落なく蝟集していればそこがすなわち家庭だというフレキシブルな見立てが娘の言い方には成立していて、それが哲学的なのだった。社会的な孤立こそが紐帯の別名だということ。これはどの局面を切りとっても「類推的」ではない。
もうひとつ、帰るべき家に帰ることと、雨の動物園で一晩をすごすこととに価値の優劣がなく、選択の勢いから後者が嘉納される点には、彼らの過ごす家庭そのものが褪色を体現しているという予想も立ってくる。娘の主張にみえる「錯誤」は、錯誤そのものがもつ本質的な価値をもただよわせて、なおかつ詩の主体「私」を、家庭運営責任者としてのよわさ、くわえて詩の思考者としてのヴァルネラビリティ、その双方で挟みこんでいる。「私」は雨に、動物園に、雨雲のむこうの暮色に、さらに家族にまで、「愁殺」されかかっている。しかしそれはけして言明されはしない。
気弱さによる抑制が、欠落による抑制とともに、詩行のはこびを「自足」させている。だから近藤詩の感情が良いのだが、これを家族画としてみたばあいに、つげ忠男「潮騒」と感触が似ているのだった。ところでつげ忠男のマンガでは――とくに「戦後闇市の無頼伝」系列では、サングラスが人物表象の特権的な道具となる。32行から最終の37行、かつて4行目で示唆されたサングラスが「私」に再誕するが、その表面は雨水の筋をつたわせて、涙眼そのものと妻に「類推」されてしまう。
雨水を筋状につたわせるものすべてが涙眼なら、壁の塀も、柱も樋もみなそうだろうが、問題はサングラスがときに骸骨の眼窩のように凹んでみえ、眼を代替する眼の上乗せ、換喩的な隣接物として、そこを眼以上に眼にする越権のほうにある。その越権が泣いている、となると、妻は「類推をきらうあなたにこそ、類推の魔が巣食っている」というメタレベルの示唆をしているのではないか。「私」は雨水のつたいにより泣いてはいないし、「私」の眼はサングラスとの隣接によっても泣いていないが、「私」の心奥をえぐった妻のことばによってなら「泣いている」。
不足がみちるという点に、ある類型の詩作者はとりわけ意識的だろう。しかもそれは詩の表面的な図像性のもんだいをも喚起する。詩行のわたりでは不足が詩行をうごかすみちびきだ。ならば逆に、各詩行が同字数で揃うことは、いわば「死のような膠着性」で詩行のわたりを視覚的に固定する気持わるさとなる。この詩篇「理由」では、近藤詩にはめずらしく最終三行が《妻は言ったが/泣く理由など/何も無いのだ》と、すべて6字でそろっていた。
これは意識的だろう。詩行のわたりを死にちかいもので止める禁忌へ「ことさらに」触れているのだ。そこから感情がみえる。「泣く理由など」「何も無いのだ」というマニフェストは嘘言か、あるいは「泣く理由のないことが泣く理由になる」メタ次元がここで示唆されているのではないか。詩行の字数揃えは、減退という強度を発現させているのだ。
コクトーのなにかのフレーズに、「ぼくは泣こうとした。けれども泣けなかった。だからぼくは涙をながした」という洒落た逆説もあったはずだ。あるいは音楽好きの近藤久也なら、70年代中盤のエリック・クラプトンの、ゲスト参加の多彩さにより、自分が他と融合するか稀薄になることで逆に名盤性を獲得したアルバム『ノー・リーズン・トゥ・クライ』も念頭にあったかもしれない。このアルバムタイトルはどう訳すか。英語が不得手な者は「泣く理由などない」と訳すかもしれないが、じっさいは「泣くには理由などいらない」、もっといえば「泣きっぱなし」こそが正解なのだった。これは近藤詩の世界では、たしかに入れ子外延するだろう――「ノー・リーズン・トゥ・リヴ」へと。
(この項、つづく)
「サブカルの海」第15回掲載
本日の北海道新聞夕刊にぼくの「サブカルの海」の連載第15回が載ります。カフカが弟子ヤノーホに語った、「真にリアルなものはリアリスティックではない」を前振りにして、以下を串刺しにしました。
●今年4月から5月、NHK土曜ドラマ枠で放映された、横山秀夫原作、たぶんTVドラマ史上屈指の傑作といえるだろう『64(ロクヨン)』。
●今年4月放映のETV「日曜美術館」でのサブカル型/細密型日本画家、山口晃のドキュメンタリー。
●2012年7月放映のおなじく「日曜美術館」、スペインの写実画の伝統をもとに具象表現の究極にゆきついた特異な画家・磯江毅の特集。
『64』でのピエール瀧の実在感、横山原作ならではの警察リアリズムの目盛の細かさは一部で話題沸騰でした。語り口の序破急もすごかった。俳優個々の演技も。また山口晃は朋友・会田誠とともにファンが多い。
そういう意味ではもしかすると静謐な静物画、裸体画で鑑賞者を不安定な深淵へといざなう磯江毅がマイナーといえるかもしれません。ここで画風を諄々と説明するより、気になったかたはぜひ「磯江毅」をグーグルで画像検索してみてください。きっと何かが変わるはずです。
『64』といえば旧知の瀬々敬久監督も映画化にいどみ、来年に全国東宝系で公開される運びになっています。先ごろクランクアップした瀬々版は、ピエール瀧の代わりが佐藤浩市。TV版は1時間枠×計5回でしたが、映画のほうは、ちかごろはやりの前篇/後篇公開となるもようで、長大な横山原作を容れる器のおおきさという点では、TV版と遜色がない。脚本協力には井土紀州の名もクレジットされていますが、メインは久松真一のようです。このひとはTVの横山秀夫原作の2時間ドラマをずっと手掛けてきている俊英です。ちなみに、TV版の脚本は、森田芳光監督『39 刑法第三十九条』など、緻密な構成力で知られる大森寿美男でした。
瀬々版の音楽はどうなるんだろう。TV版の音楽は大友良英でした。『あまちゃん』でのポップ・スカとはちがい、『64』での大友の音楽は改造ギターを大友が自ら弾く緊迫感あふれるオルタナロック/フリージャズ系で、じつにシビれたものでした。
おなじ原作をもっての「NHK土曜ドラマ」と「日本映画」の対決はなかなかに熾烈です。ぼくの判断ではこれまでの勝敗は以下のように決しています。「『魂萌え!』→土曜ドラマ>映画」「『八日目の蝉』→土曜ドラマ<映画」「『紙の月』→土曜ドラマ>映画」。瀬々監督のプレッシャーも並大抵ではないかもしれません。
『恐怖分子』イベント
6月6日(土)、札幌シアターキノでの、エドワード・ヤン監督の伝説の傑作『恐怖分子』の上映時間、ならびにぼくの上映後レクチャーのタイムテーブルが決定しました。
『恐怖分子』19時10分からの上映ののち、21時からぼくのレクチャーとなるそうです。予定時間は30分ですが、当日最終上映で「けつかっちん」ではないため、時間超過も可能だとのこと。たぶん延びるでしょう。
ぼくが書いた『恐怖分子』評を手軽に読みたいかたは、とりあえず「阿部嘉昭」「恐怖分子」でググってください。作品概要と、作品の凄さ、意義がつたわってくるとおもいます。
ぜひご来場を