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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

あなたの心に

 
 
【あなたの心に】
 
土曜日は横浜中華街の中華料理店で、小学校の同窓会だった。ぼくのかよったのは江ノ電でいうと極楽寺にある稲村ヶ崎小学校で、年一度の同窓会が二十年以上にわたり励行されるほど仲がよい。鎌倉は一般的なイメージとしては観光地だろうが、江ノ電沿線住民は田舎者の朴訥さをもって育ってきていて、その呑気さ、気軽さがいまだに同窓会で一挙によみがえるのだろうとおもう。
 
いつもいうのだけど、稲小の同窓会では、なんかみなが混浴しているようにリラックスしてしまう。子供のときにおたがいの身体がちかかったという感覚は、時を超える。とりわけ稲小の同級女子は美人揃いで、加齢してもどこかに華やかな感触がのこって、それで心地よい混浴気分にひたれるのだろうとおもう。
 
ただしぼくが北海道に行ってからは日程があわず、今回の同窓会出席は三年ぶりだった。すると女子がぐんと肥ってきている。五〇代後半とはそういう時期なのだろう。男子も女子も「持病談義」がぐっと多くなって、そういう話題が緑内障以外にないぼくは、見た目も同窓生の平均値からはずれているので、すこしヘンな浮き上がりをするみたいだ。それを友だちは「雰囲気が妖しげ」というので、「東南アジアのブローカーみたいでしょ」と返すと、「そうそう、そんな感じ」と、精確な自己把握を感心されたりする。教員の立場や詩作者の立場では物を話さず、ひたすらバカらしい話柄に終始する。
 
一次会の中華料理屋が終わり、二次会は関内駅前でカラオケ。カラオケは選曲のラクさからいうと、同世代と愉しむにかぎるが、おおくの同級生のこのむレパートリーは、カラオケ絶頂期が関連してバブル時代のものが多い。ぼくはみんなの記憶と身体感覚をたかめるため、こういうときは小学校~中学校時代のヒット曲をことさら唄う。なにを唄ったかを自慢するのは控えるが、一曲だけ、必殺のレパートリーにつき言及しておこう。
 
中山千夏「あなたの心に」。これを澄んだ女子声で唄うと、みなが談笑の最中でも、自然に会話がとまり、耳が澄まされることになる。歌詞も曲も、フォーキィ&歌謡曲調のアレンジの時代色も良いのだ。耳に涼風が走る。歌メロの跳びかたに飛躍感と開放感があり、じつは日本型フォークに似ていない。ちなみに作詞は才女で売った中山千夏自身だが、作曲はなんと都倉俊一。フィンガー5やペドロ&カプリシャスよりも5年以上前、ピンクレディからは10年以上前の、都倉アーリーワークスなのも、知るひとぞ知るところだ。お試しあれ。
 
 

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2015年08月31日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

不明

 
 
【不明】
 
 
野に四、五人でいながら
かずのあいだがつくられていると
それぞれにおもうときがあって
そうしたかげのかろやかさを
はたからながめあえばうれしく
片手をとなりの肩にかけ
どこまでがひとかわからない
ぜんたいをしるしている日など
かまえとたたえのみなもとに
不明がゆらりたちのぼって
なにかでしかない図形を
四、五人のよこはばのなかへ
うすあおくわたらせるから
順に野菊をわたすならびまで
順にひろがってゆくようで
わたしたちをいるとかんじた
 
 

2015年08月28日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

李下

 
 
【李下】
 
 
とおいこもれびのなかをすぎ
こちらへとむかってくるひとは
着衣であってもはだかみにみえる
いぜんそうしるしたことがあったが
そのわけをかんがえはしなかった
からだの凹凸がしるくかんじられるとか
あらわれのなりゆきがひとつの
黄金におもわれるというきもちだったのか
いずせにせよ身にまとわりつくひかりが
さだまらずこまかにうごいてみえると
輪や短冊やまだらが刻々あるきにうまれ
眼路のなかのながれるような中心を
はだかみへとほがらかにわけへだてながら
ひとをかこいのもとの外にしたてあげた
おとよりもさらにゆっくりちかづいてくる
こころをそうざわめかせきづくのも
李下のかんむりとしてなおも髪がゆれる
はだかのそとがわのうつくしさだった
 
 

2015年08月26日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

ほそいフーガ

 
 
【ほそいフーガ】
 
 
なかみに紐のおりているのみものを
のみながら舌でひきよせてゆくと
めだまのうちがわに幕がおりて
くらくなってゆくのが味といえた
よのなかの塔はかたむいてゆく
うまいみるくでしょうといわれて
ついみやったそとをたれる紐も
一樹さながらにほそい一刻だった
 
 

2015年08月24日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

望遠

 
 
【望遠】
 
 
手でつくるらちに牧があれば
おなじひろさへふる雨もみえた
はまからさきがそのようにふられ
なみのうえにとおく牧がかたむいて
おいた馬らはそれぞれの並み足で
しろいたてがみをうつらせていった
 
 

2015年08月21日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

さきゆき

 
 
【さきゆき】
 
 
かぞえなどいつもほしいままで
ふいに隻腕とみえるあのひとの角度が
屈んでみずのほとりにふれている
みだれをおわりなくみおろせば
かたちへのかぞえすらふかくなり
たりなさをかわらずゆめみることが
むしろあのひとをうごかしている
そうわかり、そうさきゆきがみえた
隻腕はみえるそれとみえないそれの対
おもう対がかわいくねじれていると
あたまなく尻までがもちあがってきて
眼の矯めをさそっているとおもえた
 
 

2015年08月19日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

内側

 
 
【内側】
 
 
ぬかどこのにおいのする
くりやもしくは水屋は
きられた石でかこわれた
つめたいくらがりだったが
あじさいの青球があり
ほおをこすりながら
そのうちがわをたべた
ゆるやかな球というものは
くちにするとほぐれて
これがさらにつめたいと
かおをすばるにしてわらう
なまえはヨヒナリ・ユメユキ
漢字にすると酔生夢死で
くたびれるたびにねた
かけらとなったおんなを
ひきよせるような横ざまで
うちがわのなんたるかをねた
 
 

2015年08月18日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

近況・8月17日

 
 
【近況・8月17日】
 
年末あたりに刊行しようとしているあたらしい詩論集の内容を確定すべく、先週まで目次の最後にあたる(だろう)江代充論に励んだ。
 
詩論にはいろいろかたちがあるだろう。原理的な詩論(そこでは「詩とはなにか」が至上命題となる)、詩史論、ひとりの詩作者の伝記的モノグラフ、などがまずおもいうかぶ。ぼくがやろうとしているのは、詩集一冊、詩一篇からたちあげる「解釈詩学」といったもの。それらの具体的な解析をつうじ、機会ごとに原理的な詩論をたちあげようという試みだ。
 
『換喩詩学』のときに割愛した詩作者ごとの個別論考を軸に、そののち書いたものもくわえ、全体構成を睨んでみる。なにが欠落しているか。かんがえは定まった。前著のときにアイデアフラッシュとしてつづった、オリジナルの詩概念「減喩」につき、より精度と具体性をたかめるひつようがあると。
 
「要素」のすくない詩風はふつうミニマリズムとよばれる。ところが日本語の詩では俳句があって、要素のすくなさ、理路のゆれがそのまま謎めいた驚異=脅威となる突破型がときにしるされる。これをアメリカ起源のミニマリズムに集約することができない。すくなさが温順な平滑面をつくりだすのではなく、たとえば喩の減少そのものが再帰的にして最少な喩機能をもち、そこに空隙の形象化やゆれが起こり、言語から自明性をうばうような、そんな反世界的な、ことばの組成。
 
俳句なら比較的分析しやすいこうした詩的機能を、現在の日本語詩にも適用しようとして、詩論集の刊行がきまってのち、個別の詩作者論を書きついできた。松井啓子論、近藤久也論、中本道代論、江代充論がそれらで、それぞれに「詩的傾向」の分岐をになわせた。しかもとりあげること自体が価値だという時機性をもはしらせている。
 
この全体構成がうまくいっているかどうかまだわからない。今後の、編集者との折衝を俟とう。だいいち、あつめあげた詩論は、厳選したつもりなのに通常の単行本レイアウトで800頁分あり、またまた半分ていどにまで割愛をしなければならない。詩篇論は落ちるだろう。また詩歌句の周辺にかかわる論評も、至純性をえるために削ることになるだろう。
 
『換喩詩学』のときには「換喩」原理論にあたる章を冒頭に書き下ろした。それが読解のナヴィゲーターになりすぎたきらいがあった。今回はプランとして、江代充と貞久秀紀にかかわる「メモ」を冒頭に置いているだけだ。編集者はこの構成に難色をしめすかもしれない。ところが「減喩」は自分でつくった詩的概念であるだけ、換喩以上にその原理論が書きにくい。
 
とりあえず詩論集の最大値を確定した重荷をとりはずし、先週は採点と成績入力のかたわら、積みあげていた恵贈本にとりくんだ。神山睦美さんの『サクリファイス』は見事だった。書評集、講演記録集という体裁はまちがいないのだが、この本は最初の頁から最後の頁までを一気通貫に読むべきだろう。共苦、供犠といった神山さんの拘泥する思考概念は、実際はばらばらに散った事象を連接する契機としていつもある。本はそのような散在こそを「並べていて」、それらアルファからオメガまでの流動に読者がまきこまれなければならない。
 
ながれのなかにいくつかの白熱する高揚箇所があって、そのひとつがぼくの『換喩詩学』への書評だった。ぼくの本を土台に、神山さんの思考が奔流し、そこへ原理的なミメーシス論がはいりこんでくる。神山さんは文学の芯は詩性にあるという立場のひとだが、その詩性を神山さんの文字の洪水が体現していた。めがしらがあつくなった。
 
神山さんのゆたかな奔流性にたいし、北川朱実さんの『三度のめしより』は、いっけん平滑で穏やかな詩書だ。北川さんの日常性や人生に、北川さんのこのむライトヴァースが連接され、「詩のある世界」が魅力的にゆらめいてくる。詩篇のピックアップがゆたかなふところをおもわせて絶妙なのだが、生が詩をささえ、詩が生をささえるという円環的な再帰性には、じつは厳密な世界規定が介在している。
 
文章は平易だが、彼女の視線が水平性をもっているのか鉛直性をもっているか判別できない「高揚点」すらかくされている。すごい。徹底的に脱帽してしまった。ながれの終わりに松下育男さんの詩篇「はずれる」が出てくる。ぼくがこれまで言及していなかったこの詩に、強烈なひかりがあてられていた。その衝撃が、ぼくに昨日、「くずれる」という詩篇を書かせた。
 
「現代詩手帖」8月号、「戦後70年特集」もすばらしかった。巻頭にある苦心のアンソロジー「1945年詩集」がまず鮮烈だ。松旭齋天勝への竹中郁の追悼詩「魔女追慕」は、「時局の抑圧」にたいする抵抗詩だったのではないだろうか。三島由紀夫がこの詩を読んだ公算はある。
 
詩の分野での「敗戦体験者」の述懐が、そのままセルフモノグラフの饗宴だった。生はのこされていない――いま語らなければもう語る機会がない、という限定が、そのまま詩的なものを強烈に生成する。これらのひとは逆説的に、歴史にめぐまれていると羨望すべきだろうか。生がのこされていない、という切迫感は、よくかんがえれば、現存する中年世代にさえあると銘記しなければならない。
 
そういえば、目立たないが今年はすばらしい詩論集があった。紹介する機会がもてず、申し訳ないことをしている。水島英己さんの記事によって知った、川島洋さんの『詩の所在(主体・時間・形)』がそれだ。六月刊。この本はネット注文でのみ買える。アマゾンで検索してもらえれば。
 
 

2015年08月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

くずれる

 
 
【くずれる】
 
 
それじしんの皮がやぶれ
なかのあふれておりるのが
くずれる という
かたちの恍惚だとするなら
あちらからこちらへと
ちからをもちはこぶちかづきも
おしなべてわたしへくずれている
すいへいに重力がわたり
こまごま樹幹をうめている紐が
眼の奥へとずりおちてくる
いまひもとわたしのどちらが
みつめているかわからないので
せいぜいくずれを鉛直にもどそうと
みあげたそらへすがりつくのを
しくじったはげしさにて
こころごとひざまづいてみると
わたしのなかみがひかりを
こっそりあふれておりて
これも奈落だ かなりしぬ
 
 

2015年08月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

じゃんけん関係

 
 
自慢ではないが、女房とじゃんけんするとぜったいに負ける。一回じゃんけんならその場のなりゆきで勝つこともあるが、五回じゃんけんでは、たぶん勝ったことがない。「ありえないこと」のようだが、事実はじっさいそのようにくりかえされている。くやしいのか。これがよくかんがえてみれば、ぜんぜんくやしくなどないのだ。
 
女房は小鼻をふくらまし、勝ち誇っていう。「あんたはパターンが読めるのよ。パターンを崩して意想外をねらう、そのパターンすら読めるのよ。猿知恵まるだし」。あいかわらず口調がにくたらしい。
 
けれども勝ち誇ることだろうか。だいいちこの相手(=女房)が、パターン読解にかかわる高度な技術を十全にもちあわすほど知的な輩ともおもえない。例の動物的な勘で、せいぜいが「グーを出しそうな顔色」「パーを出しそうな顔色」「チョキを出しそうな顔色」を瞬間的に見分けているていどにすぎないのではないか。女房のきらう長嶋茂雄型。ひとはきらうものに似る。
 
整理しよう。じゃんけんはその場その場の分岐的選択だ。このとき「たまたま」当事者どうしに勝ち負けの振り分けができるにすぎない。この結果がオケージョンの積み重ねごとにバラつかず、かならず女房の勝ちへと収斂してゆくということは、実際は技術的な巧拙というよりも、取合せパターンが一定性のなかに織りあげられてゆく律儀さが演じられているということだ。しかもこの一定性は相補的で、片方が片方を下支えしている。
 
ぼくは女房の「勝ち」に協力しているのだ。「許容性がたかい」とはいわれても、「バカ」といわれる筋合いなどない。
 
愚かな女房は気づかないかもしれないが、ぼくにかならず五回戦じゃんけんで勝つ、ということは、ぼくにかならず五回戦じゃんけんに負けていることと、結果形成という点では「ひとしい」のだ。なぜなら「バラつかないこと」だけが形成されているのだから。ひとは個々のじゃんけんで運命の神にたいしその場その場で勝敗を訊ねているのではない。いっけん偶然性が作用するようにみえるじゃんけんという遊戯で、蓋然性(「そうなりがちだ」)、もっというと必然性(「かならずそうなる」)という「傾向」にむけて、退屈な形成をオケージョンごとに、精確にくりかえしているにすぎない。
 
はっきりいおう。もしたまたま決められているだけの、じゃんけんの勝ちパターンにたいし、その法則をひっくりかえすとどうなるだろうか。つまり「パー<グー」「グー<チョキ」「チョキ<パー」という逆則を適用してみるのだ。そうなると、これまでの女房との五回戦じゃんけんでは、ぼくのほうが全勝していたということになるではないか。
 
むろんじゃんけんで「パーがグーに勝つ」「パーがグーに負ける」は遊戯規則の設定のうえで、同程度の振り分けにすぎない(どちらも可能的な三分の一どうしの対峙)。この意味ではぼくと女房のじゃんけんでは、「あのときパーを出さなかったら」といった「運命論」など介入する余地がない。事態推移はただ「退屈に」、たとえば女房のパーを出す傾向にぼくのグーを出す傾向が束ねられていっただけだ。勝敗にかかわる選択の精確さでは、女房とぼくの存在の感触(というべきもの)は「ひとしい」。片方が片方に勝ったのではない、「対」が同一傾向をくりかえすだけなのだ。
 
つまり女房とぼくのじゃんけんでは、女房のいう能力論は適用できないし、運命論も適用できない。すごく退屈で、論じるにあたいしない事態でしかない。存在の質に一定の段差があるていどのことで、それは女房とぼくの身長がちがうぐらいの、あたりまえの分立にすぎない。いうなれば、優劣にかかわらない「個性差」が、いつも潜勢域から顕在化していっただけだ。
 
入不二基義の運命論にかかわる新著『あるようにあり、なるようになる』では、綿密な思考と大胆な所論、さらには先行的思考にたいする果敢な判定をつうじて、「運命論」擁護サイドと「運命論」否定サイドの対決するリングがこしらえられる。やがてこのリングが擁護も否定もともに運命論擁護であり運命論否定であるという厳密な「中間性」に染め上げられてゆく。この推移を経由してみると、いわば運命論の立脚する場所に、なにか晴れ晴れしい思考化や人間化のほどこされた感動が生ずる。読むのに体力が要ったけれど、そんな好著だった。。「ロンドン空襲の挿話」にかかわる腑分けなど見事なものだ。
 
その運命論をかんがえる道具のひとつに、「じゃんけん関係」というのがあるらしい。ぼくのかんがえではじゃんけんにおいては、必然も偶然もおなじで、そのとき出し手を決定した自己判断をどこまで遡行していっても、その出し手にたいし偶然と必然を振り分けることなどできない。女房は「必然」をいうが、わかっていない。つまり必然でも偶然でもいかように記述できるものにたいしては、果敢に必然と偶然の「中間」を適用させるしかないのだ。
 
「中間はただ中間性をくりひろげる」。これが、じゃんけんに常勝することとじゃんけんにかならず負けることはひとしい、ということのいいかえにもなるだろう。
 
 

2015年08月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

くいた

 
 
【くいた】


とおりあめがとおりぬけて
きみのからだをすこしぬらすと
くさのわけみちもとおりとなって
そのふかい中途できみのくびが
しずかにうつむいたとみえた
そらをおもわしめしぐさが
ふたえにみえにと曇るんだな
それがすがたの階段なら
きみのちちぶさのたかさでさく
さぎそうがきみのあばらの
うすいひろがりかもしれない
ちからなく膂がばらついて
しろいかさをわすれたとくいた
なるほど瘡を朝湯へおいて
あとにしたやども笠とみえた
あのことがこのことの前
みえるものがとおりすぎて
みえないものをちらしてゆくと
きみの微塵もまきあがった
 
 

2015年08月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

江代充について・5(終)

 
 
【江代充について5】
 
(承前)
 
時間推移にかかわる江代的想起は、「たりなさ」と熾烈にむすびつく。ある局面からそれが円満する局面までの詩篇内推移をみたすのはじつは「たりなさ」で、これがありようとして喩辞や被喩辞のすくなさ、もしくはそれらの消滅までをも付帯させてゆく。結果、うつわ状の状態にできあがったなにかが時間化されても、それがそれじたい以外の何ものすら言明しない透明性があらわれる。この事態を江代的「減喩」あるいは「無喩」といっていいだろう。
 
じっさいそれはなにも喩えていない。詩的修辞は構文そのものにひろがっているだけで、フレーズ主義的、作為的な工夫も経由されていない。繋辞によって多時間がつながってゆくほかに残余のないエシロ語は、江代のみがしるしうる特異性により、「すくなさ」を「すくなさの喩」、「綾のなさ」を「喩のないことの喩」へと清潔に反転させてゆく。空隙をゆらすことは一部達者な詩作者ならするし、それをかたちやちからへもかえる。ところが江代的な事態とは、空隙が空間上のうつわとなって、それが時間の両端(発端と終了)を釣合わせ、みなぎることがたりなさとむすびあう点だ。もちろん「語りえないこと」を語らず、みずからを減殺していった結果だが、これが推敲による「削り」ではないとも前言した。むしろ江代詩では、「たりなさ」や「なさ」が「書いている」。
 
貞久秀紀の「減喩」は、再帰性にむけことばが翻転する、あるかなきかのその回転面積にたたえられる。したがって同語反復が指標となる(たとえば「夢」〔『昼のふくらみ』〕の達成)。いっぽう江代的な減喩/無喩では、行数がすくなくとも、あるいは構文そのものに再帰性があろうとも、語彙そのものは重複を避けられ、相互が均衡をたもつよう分岐している。おなじものの再帰によって減算がはかられる貞久詩と、ちがうものなのにすべてが認識の特異性をつうじ減算へと帰順してゆく江代詩。貞久の方法が顕在的なのにたいし、江代の方法は潜在的と映る。
 
歴程新鋭賞をうけた『白V字 セルの小径』はのちのさらなる大輪『梢にて』へつながってゆく架橋だった。敬虔な想起が豊麗さをしるしてゆく『梢にて』では自充としてあらわれたものが、『白V字 セルの小径』ではまだ「すくなさ」として凶暴なひかりをはなつ局面がある。代表格が以下の詩篇だろう。
 
【道】(全篇、以下同)
 
却ってここにきて古びたと知れるのに
わたしたちの知る窪地に堆積したごみのひとつひとつが原形をたもち
そのひろい土の範囲を円形に掘ったごみの寄せ場のちかくへきて
ここからもう一方のあそんでいる窪地へと出ていくのであり
その際を通るときにもわたしたちは
殊さら注意することなくほがらかによろこびあるいた
 
「よろこび」ということばはあるが、感情は明示的な状態では読みとれない――それこそがひとつの「世界感情」だ。あるくとごみを投げ入れられた窪地のきわにいたり、歩を転じてややあゆみすすめると、こんどは内容物のまだない窪地のきわにすすんで、そこを「わたしたち」はなかへ落ちないようあゆみをのばした――これこそがあゆみの「よろこび」であり、そうかんじる「わたしたち」がさらに「古びた」と詩篇ぜんたいが語っている。これがはたして「意味」や「暗喩」といえるのだろうか。
 
詩篇から推察される「わたしたち」のうごきは、おそらく俯瞰視線からとらえれば、不完全な8の字をえがく様相なのではないか。円満的な完了性がふたつながらにつらなりながら、それがひらかれ、さらにほぐれているうごき。このうごきは体験の習熟によって歓喜とむすびつく。それは移動する回遊であり、回遊的な未完成なのだ。

たとえば海上の渦――それも窪地を逆円錐のかたちにつくる――の中腹をまわりつづけながら奈落の中心に近づいてゆく漁船の恐怖をつづったポー「メエルシュトレエムに呑まれて」では、巨大物の中心への吸収が相対的に速く、それで船乗りが樽へと乗り換え、待機と耐乏の果てに渦の消滅を待つ経緯がスリリングにえがかれる。窪地とはその意味で「吸収の段階化」とよべる。詩篇「道」中の「際〔きわ〕」は段階化てまえの段階で、それが回遊空間だと詩篇がおそらく語っている。だがこのことは明瞭には訓示にむすびつかない。
 
たった六行で構成された詩篇は、前提がない状態、いきなり「却って」の無媒介性をもって開始され、ごみ廃棄への批判もさだかでないまま、特殊な地形における歩行運動をやや迂遠な推移でしめし、それでもその歩行は進行したままの「おわりのないおわり」で中断的に終結されてしまう。けれどもこのときのうごきがひとつの時間的なうつわをつくりあげて、想起が回顧性をたちあげてゆく。
 
この不如意が倒錯的な色合いをおびずに歓喜にすりかわっているとみえる。だからこの詩を教訓化しようとするなら、そこに出所不明の哲学が介在されることになってしまう。「はじまるならおわらない」「あゆみの単位はふたつの中途半端な曲線でかまわない」。この見解のてまえをことばがみちているのだ。ことばじたいは親和とも非親和ともよべない。あらゆるもの「それじたいの」「中間性」に、ことばがひろがっているためではないか。しかも「かたりえない」以上を、ことばがかたっていない。自己の権能を誤解したうえでのなんの撞着もない。
 
『白V字 セルの小径』をひらくと、以上の冒頭詩篇のつぎの見開きにもこれまた画期的な詩篇「焚火」がすがたをあらわす。全体はややながくなるが、そこでは廃物が自己展開して、廃物として自己確定するまえに、聖なる柱を垣間みせる推移がエシロ語でつづられている。ここでも類推がきかない。炭がもえることをやめるまえの衰勢と変化が、適確に想起されているとはいえ、その炭はもえている最中でもただの物質的な炭であって、なんら「情熱」などの喩ではないし、炭化にツェラン詩などへの目配せのあるわけでもない。
 
無前提でそれゆえに単独化する詩世界がまさに「このもの」であって、ところが「このもの」へわけいるまなざしが、ひいては推移そのものの想起が繊細だから、読者は引き込まれてゆく。喩のないまま、「構造」だけに拉致されてゆくのだとすれば、構造だけがそのまま減喩・無喩にのこるものともいいかえられる。それがつまり「あるもののある」「世界」ではないだろうか。
 
音韻や律数をもちい、ことさらに音楽にみずからを寄せるわけでもないのに、江代詩が音楽に似てしまうのは、どちらも意味の具体性がないのに構造だけが前面化して、脱意味が意味を包含してしまうためだ。ところが江代の書いているのはことばであって、ことばそのものが、音符や和音、演奏音の物質性とちがい、必然的に意味を付帯させるのだから、江代詩に脱意味をもかんじるときには、音楽とことなり、ことば上の意味、その熾烈な減殺が作用していることになる。
 
これをさらにいいかえると、減殺が意味になる減喩的な事態がその内実にあらわれてくる。減喩とはむろん「圧」にかかわらない、それでもことばに課せられた別流だ。「圧」とちがい、読まれるのもことばそれ自体にちがいない。となると空隙は、ことばの背後やならびのすきまにあるのではなく、ことばの「それじたい」にある。こうした見取りが江代詩では精密なのだ。
 
【焚火】
 
燃える火は顔をかくし
立ち止まる友の口からなにを聞かされても
わたしのよろこびがくもることは
けしてなかったのに
取り片づける者たちがきて
わたしたちの足もとに
くろい消し炭があつめられる
燃えつきる冬のさなかに受入れ
赤い花をもってみなで固まると
たたかれた炭の
ひとつひとつに
しろい条のような骨があらわれ
ながい切りきずが引き裂かれると
その所所から血のしずくが滞ってながれおち
骨が割れはじめ
内部からわたしたちの
ふくらんだ肉の筋がうかがわれる
 
「条」は「きず」を経由して「筋」に変化しているが、それが「肉の筋」へと一種の倍化をみちびかれているのは、「しずく」が血色にしたたっているように炎がみえ、それが「赤い花」をもともなって感覚されるためだろう。ところがそのような焔のエロチックな動物化が、「それじたいの変容」をしるす以外のなんの効力ももっていない点がこの詩篇の清潔さなのだった。
 
「推移」への江代的なまなざしは貞久どうよう静謐だが、推移そのものへの注視が、なにが推移しているのか不分明になる渦中の恐怖を分泌することも一般的にはありうる。「赤」にたいしてあらわれたこの感覚を縮約したものとしておもいだすのが、蕪村のつぎの減喩句だ――《閻王の口や牡丹を吐かんとす》。舌の位置にあるから牡丹が赤と幻覚されてしまうが、閻王=閻魔は冥府で虚言者の舌を抜く裁き神で、彼のいとなみが彼の口許に重複して反映されている。しかもその時制が現在進行形で、潜勢が顕在にすりかわる寸止めの「渦中」なのだった。変異の恐怖、渦中。しかも渦中が渦中性しかつくりあげない。これも減喩的なものの属性だろう。
 
この奇怪句を視野にふくむと、蕪村のほかの牡丹句も、「渦中の渦中性」、その自己再帰的恐怖を放っているとかんじられてくる。ただの絵画性に蕪村を収斂させてはならない。《牡丹散て打かさなりぬ二三片》《寂として客の絶間のぼたん哉》《地車のとゞろとひゞく牡丹かな》《ちりて後おもかげにたつぼたん哉》《牡丹切て気のおとろひし夕かな》《山蟻のあからさま也白牡丹》。減喩がひとつの時間操作だとすると、それは渦中の脱自明的な露出にかかわってゆくのではないか。
 
江代の「渦中」もまた可変的――よって脱自明的だという例を、おなじ詩集から例示してみよう。
 
【道のなか】
 
滝沢さんと息子とが店の前にでて
通りがかったわたしの名をしきりと呼んでくれ
わたしが入ってゆくと
野原から道のなかへ
捧げるように持ち帰ったくびれた棒を
二人はよいものとしてほめてくれた
杖をつくと
わたしの腰にまでとどき
横にすると
それよりもさらに長目にみえた
投げてごらん
蛇になるからと彼女がいった
棒はただちに転がって三つのかたい音を立てた
それは道の上から
野原へのたうち這ってゆくことも
みずから隠れることもなくしずかに蛇にかわり
わたしたちが囲み
みつめ合うまなざしの只中に
捨ておかれていた
 
「蛇」が樹木や鳥につぐ、江代詩のけしきなのはいうまでもない。江代はむろんキリスト教世界につうじているから、それを原罪の象徴とみなすこともできるだろうが(ただし現代詩文庫表4の著者略歴にしるされているように、江代の受洗はなんと09年にいたってからだった)、象徴詩的な還元にもともと江代詩は馴染まない。そのように読解しようとする接近を詩篇そのものがはじく。だからこそ減少などの「構造」がいわれなければならない。
 
最後から二行目の「只中」が蕪村で指摘してきた「渦中」だ。路面店をいとなむ「滝沢さん」とその「息子」が媒介になり、わたしが「野原から」「持ち帰った」棒(それが「くびれ」をもつことから牝性もわずかに分泌する)が「杖」へ、やがて路上に投げられて「蛇」へと「変容」する。ならば「変容」「可変性」が詩篇の主題なのかというと、最後の「捨ておかれていた」にあるように、変容の静謐すぎるのが奇妙なのだ。
 
「道のなか」と詩篇タイトルにあるように、ぜんたいは水平性が内部をもつ平滑空間(「条理空間」と対比されるドゥルーズ用語)を舞台にしている。「管理」権力によって平準化のもたらされる条理空間にたいし、平滑空間では無媒介な邂逅や連接が起こり、事物の潜勢力がとつぜんに点滅しだす。棒から蛇への変容はそうした位置に置かれている。
 
ところが減喩的な空間の提示が詩篇の眼目だとすると、その空間内部の潜勢力が棒状のものの綻びになっている。ドゥルーズをはなれ、この詩的直観がすばらしい。ドゥルーズとはべつの奇観なのだ。それは事後の静止ではなく、事後のゆらぎつづける脱自明性、その微視的なしずかさと均衡している。蕪村のさきの牡丹句でいうなら、《ちりて後おもかげにたつぼたん哉》《牡丹切て気のおとろひし夕かな》とひびきあうものだ。いずれにせよ、聖性にかかわってもかまわない江代的な「象徴」はかわいているし、終わりから二行目の「みつめ合うまなざしの只中」のなかにこそ「もと棒の蛇」がいる。蛇は、ほんとうは路上にはいないのではないか。そうかんがえて負の潜勢力がただよう。
 
ゆれる可能性のあるものが、ひろがり「およぶ」とき、江代的な想起は至福へたどりつく。ただしそのための要件は「すくなくて」済み、この枠組にあるミニマリスムが江代的な謙虚さ、敬虔さともいえる。以前に夢のなかの「沢蟹」にかかわり、『白V字 セルの小径』から「底の磯」を引例したが、貞久「夢」とはちがう「夢のなかの」「つつましいあふれ」をおなじ詩集から引こう――
 
【こころ】
 
ゆうべやすむためにねむろうと
わたしの閉じてなじんだ眼に
時田骨接〔ほねつぎ〕の曲がり角がうかび
そしてそのほそい横道にあたる山川小路を歩いてきたか
これからあるいて行こうかと立ち止ってみていると
まえからしたしいこの道の先を
木の蓋つきの素朴な井戸がさえぎり
半分は土に埋もれたさまざまな小石が
眼の前のちかくそこいらに散らばってうごいていた
いるべきかれのいないところを
こまかく踏みなじむこの私そのもの
つぎにさらにひとつのもの
ちかくに隔たった土地のうえに生きてふくまれる
父母のいる家が思い合わされてくると
その骨接の白壁のあたり
鉢植えのおおきな白いはんなが並んですがたをあらわし
あかい飛び火のまじったはなびらの幾つかが
留めたそのあしもとへ屈むように咲きおよんでいた
 
途中《いるべきかれのいないところを/こまかく踏みなじむこの私そのもの》のくだりが幽体離脱的だ。園芸用「カンナ」とちがい、「はんな」が植物かどうかわからない。「鉢植え」で「白」の「はなびら」に「あかい飛び火のまじった」「すがた」をもつとしるされているが、「エリカ」同様、「ハンナ」の洗礼名=女性名かもしれない。名称はあやふやであっていいのだ。冒頭2行から知れるように、就寝まえの瞑目にうかんだ往年過ごした場所、その夢うつつの光景のなかに詩篇がひろがっているからだ。
 
それは「内部」から「内部」への方向性をもつ。奥津城のあふれとして「咲きおよぶ」幻影のようなものに詩篇がむかっている。思念の自己規定が不能なこと。そうした患部がしろいという就眠直前の自覚がうつくしい。
 
「最深部」へいたりつくすまえに、現実から非現実へのグラデーションをもつ「中間」が経由される。記憶の具体物としてなまなましい「時田骨接」(おそらくは往年の藤枝の商店街に存在していたのだろう)、それの位置する曲がり角から、「想起」は川沿いに迂回する。井戸がみえ、「小石」がみえてくる。それが「そこいらに散らばってうごいていた」と感覚されるのだが、では「うごき」の動力はなんなのか。水力、傾斜、風力、それらのいずれとも明示されず、主体の歩行が沿っているはずの「川」すら涸川かどうかわからない。だから「散らばってうごいていた」が反物理性として不気味に突出する。
 
夢の記述は自己再帰の逆説にいたりつく契機となるが、「とりちがえ」「自己の分立」「同心円的外延」「類推の横行」「輪郭の消滅」「光源の喪失」「身体の稀薄化」など、ロマンチックな翻転を予定しがちだ。ところが江代的な夢では、大々的な模様替えがおこなわれず、やはりその極小がつつましくほころびるだけだ。それでも「咲き」「およんでいた」の措辞にある「および」が区分侵犯をしるしづける。むろんこの法則は現実(想起)にも適用される。
 
「および」はあふれて、形象としては「数」へと転化する。江代的な数は「無数」「総数」としてやがて瀰漫との弁別をなくす。「数」として抽象化されたものが、けして矮小化とかかわらない点も特異だ。算えられないか、あるいはあいまいに算えられる数は、範囲であり、ひろがりであり、それじたいからもれでたオブスキュアなのだった。
 
これもまた『梢にて』以降に完全定着される世界認識だが、その端緒となる詩篇が『白V字 セルの小径』にあった。そこでは「鳩」が期待になり、ふくらみをつくる「この手」(その一部のかたちがV字をつくる)がうつわの可能性として限定的ながらひらかれている。この詩篇の引用をもって以上の江代論をおえよう。これまでしるしたことから、『梢にて』以降の江代詩へも、すでに対面のための自然な経路ができているとおもう。『梢にて』は詩文庫でその全容を読める。
 
【V字】
 
ふたりで十歩にも満たないうち
出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した
ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか
鳩をみるあいだ
手でふくらみを作ると
からだの盛り上がった鳩が生きてうごいていた
ここで餌を得ることのある鳩が十数羽
ひくく地べたをあるき
この手のなかにもと
眼の前のわたしのなかへ願うきもちがたかまると
鳩がいてかれらが近寄り
総数として左右へのひろがりをみせていた
 
(この項、おわり)
 
 

2015年08月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

江代充について・4

 
 
【江代充について4】
 
(承前)
 
まずは江代充『白V字 セルの小径』から現代詩文庫未収録の以下の詩篇を引こう。いま入手できる現代詩文庫にはいっていないものをことさら引くのは、一種の読者サーヴィスにすぎない。みたところ、文庫収録/未収録の区別は分量削減のための機能的な乱数調整のようなもので、そこに優劣の基準などないようにおもえる。
 
【この機会的な】(全篇、以下同)
 
この機会的な雨戸の向こうでとなりの葉をたたき
かぞえられる程の雨の音がしはじめている
家の戸口のま上にむらがってひらかれた木枠の窓が
わたしのいまいる所とはとおい反対側にあけられ
そこからもきこえる
こまかくちいさな雨音が
すでに表のひろい範囲にわたり
ながくしずかにつづいている
 
2行目、「かぞえられる程の雨の音」が詩篇把握のための最初の肝となる。とつぜんの沛雨なら雨音はザーッという一体の厚みを開始するのだから、ぽつりぽつりと間歇的に(可算的に)聴えるためには、感覚がすでに「最初の中間」にたいし研ぎ澄まされていなければならない。詩篇がはじまるときそれが物語的な発端ではなく、こうした「最初の中間」こそを無媒介にひきよせるのが、江代詩の構造だ。
 
時間はすでに/つねにはじまっている。ぎゃくにいうといつでも終わらない。物語のように意味が開始されるために、ゼロから時間がたちあげられるのではない。どの次元でも時間の推移はとめられず、だからそこに空間とはちがう充実があって、意識的であれ無意識的であれ、その充実に想念が接続し、それで自他が反照しあうのだ。包含の基軸が自他のどちらにあるのか詮索するのも無用。この詩篇でいうなら微細な音の開始されることが、世界が音でみちていると再想起するための契機となり、その音がさらに「継続中」という充実した様相で、祝福感にみちておわってしまう。おわりのないことがおわりという、これまた一旦おもわれる「最後の中間」でおわるのだ。この意味で詩篇はなにごとかをつつみこむような祝福構造をもつ。
 
通常の詩篇ではむろん、たとえば分かち書きの行にしたがい、「構造的に」時間が推移せざるをえない。これがもっともわかりやすいのが散策詩だ。西脇は散策に想起をちりばめてメタ的な時間推移をつくるが、たとえば宮澤賢治「小岩井農場」ならより実在的な身体の移動切片が詩篇中に、さらに明瞭な気配でちりばめられる。世界が推移をしるすとき、それを保証するのが個別的な身体の、時間ごとの分立だということになる。
 
マイブリッジやマレーの動作分解写真は、とうぜんモダニズム的認知の基礎に位置していた。ただし馬の疾走の分解は等距離からという定点性に枠組されていて、じっさいは馬の走行よりも先験的に定点が下支え的に空間を実質移動している。時間推移が「機会的な」諸点から計測される充実に達していない(ベルクソンなら感覚の縮減をいうために恣意的な視点を空間に前提させた)。馬の疾走の分解は分立的で、一瞬が次瞬にとけるようなすがたでぬめらないのだ。ぬめるためにはフラッシュの等間隔性が邪魔になる。となって写真の客観性ではなく、繋辞=コプラという主観的な溶解力があらためて浮上してくる。
 
詩篇「この機会的な」での「機会性」は、(降雨による)音響の充実(それはクレッシェンドしてゆく)が、空間に溶融している主体の方向性意識を局面局面で織りあげてゆく点と相即している。これを自然付帯的といってもいい。「いまいる位置」から雨戸のある場所はもちろん機会的で、その雨戸をとおしての「となり」の範囲も機会的とよばざるをえない。
 
雨音の聴えが空間のありようをいきいきと想像=創造させる。微細が聴えるのなら微細が開口していなければならない。それで玄関のあかりとり(採光)のための天窓が降雨にかかわらずひらかれていて、それが4行目の一語「反対側」としるされ、わたしが玄関側に背をむけたとえば居間から庭へ顔をむけている状況が付帯的につたわってくる。つたえているのが繋辞であって、となると繋辞がそのまま感覚的時間の実質をつくりあげていることになる。この構造が精密なために、江代詩では一読での読了が困難になるのだ。
 
この詩篇の魔法は微細にみれば以下の点にあらわれている。雨戸の向こうにあるべき音を戸口のま上にひらかれた窓がつたえる「最初の中間」では雨音がかぞえられるのに、その方向性がわたしを囲繞するすべてへと無方向化された「弁別不能な時差」後では、最初の音の可算性がうしなわれ、ただの静謐な継続へと変化している――この事実が繋辞により、いつの間にか成立しているのだった。
 
江代詩では、「……を感覚していると」「……とみうけられた(おもわれた)」という(写生)構造の出現することがおおい。とくに『梢にて』以降は、この構造により、えがかれることの「異変」がほぼ消え、静謐化が更新する。この静謐と敬虔が対だと前回考察したが、たぶんその印象は、静謐を空間が受けもち、敬虔を時間が受けもつ(逆もいえる)といった二元性が、血脈のように作品の時空にひろがるためではないか。詩篇「この機会的な」はそうした江代的法則の完全成立をまぢかに予告するものといえるだろう。
 
時間に内在していると時間推移は自己的なものにすりかわってしまう。ぎゃくに時間が他在していて、自己の時間推移までもが他者的になる事態も喚起されるだろう。いずれにせよふかい次元で自己と時間とが分離できない。ただし主体が時空にたいし作用的になるときの時間は、ふりかえられれば空洞状を呈することもある。詩篇「この機会的な」からきえたのがこうした空洞性だった。「この機会的な」は無方向性を前提に充実を織りあげていたのだ。作用的であったことで回顧に空洞を定着した詩篇は江代詩が確立するまえの最初期にある(モダニズム的だが、やはり対象化する価値がある)。詩集『公孫樹』から、これまた現代詩文庫未収録詩篇――
 
【36】
 
わたしには 一体に 壁に向いたい欲求があり
菫荘の いない部屋に 花を活けちゃう悪戯
 
九月三日 あかい菊
九月四日 あかい菊 と戯れる
 
かれは時折空部屋に入り
暗い心で逆立をする
 
江代の第一詩集『公孫樹』は78年の公刊で、このころのアパートでは住人の独立(並みあって棲みながら、住人個々の空間閉塞が保持されること)が現在ほど厳密ではなかった。廊下など共有部分が街路とひとしい邂逅可能性をもち、同時に部屋の施錠もあいまいで、ともにあることが、ともにみられ、きかれあうなかでの居住共同性を牧歌的にくりひろげていた。詩篇は、ふと住人の不在なアパート一室へ、忍びこむというほどの犯意なしに、空間上の点轍をさずけるべくわたしが、部屋に置かれている花瓶に、たまたま秋の到来をつげる野菊を活けたとおぼしい状況で成立している。ふだんから交渉があったのだろう。男女の区別をかんがえるひつようはない。
 
ここでは「しのびこんだ場所」での「あるじの不在」が、ふりかえられて空洞化し、それが「わたし」のふたたび出会いたいという気持へつなげられている。二聯の《九月三日 あかい菊/九月四日 あかい菊 と戯れる》は一日幅の時間経過に「と戯れる」が加算されていて、主体が花瓶に生けた野菊が水を吸いいまだ生命感にあふれていることを数刻眼前にしてよろこんだ様相がつたわってくる。それでも無為の感触がたちあがる。
 
この秀逸な第二聯により、以後江代詩ではしるされなくなった時間の空洞化が確定している。第三聯「かれ」は、いつもどおり時間推移を経由したときの人称の変化であって、一聯「わたし」と同一だろう。最終行「暗い心で逆立をする」にはその後江代がみずからに禁じることとなる抒情の暗喩が揺曳している。
 
江代詩の方法が確立したのは第二詩集『昇天 貝殻敷』からだが、そこでは黙示録的な徴候がみられる。時間が多義的に展開する枝分かれが、終末観をよびよせるといってもいい。異変が劇的だとかんじられる詩篇を引いてみよう。これも詩文庫未収録。
 
【帰郷】
 
木の間に首をさし入れた半身が
豚のように美しい
かれは風の強い日に帰っていった
家屋の屋根が表面をひからし
樹木のどれもが葉をひからしている
彼の頭蓋骨も 金の瓦屋根に転がるのがみえ
それも実にあるがままにあるとわたしは言う
 
異郷の槇垣にあらわれたエリカは
両腕を羽交いにされ 顎に指をかけ刎ねられると
風のくる方角にじかに向き合い
永遠のマリアと化した
 
第一聯の「つながりのなさ」に圧倒される。ただし「つながらないもの」は読解によりつなげられ、修復され、癒される。「わたし」としるされるべきが「かれ」としるされた主体は、帰郷にあたり、樹木のしげる場へ足をふみいれ、木漏れ日に半身をひたされる。強風にゆれる木の葉が陽光にかがやき、家もどうようにみえたとき、最初に「想起」された「わたし」の半身性が世界のあらゆる分離につうじて、自分の頭蓋骨が斬首後の状態で瓦屋根に転がるのまでみる(幻視)するだろう。
 
分離は世界がひとつのものでひろがっていないあかしだ。それが法則(「あるがままにある」)なのだと「わたしは言う」が、その「わたし」はそれ以前「かれ」「彼」の呼称へと分離していた。私見では以上がこの「つながらない」第一聯をつなげる、ひとつの読解可能性といえるだろう(ほかの読みもあるかもしれない)。
 
詩篇「帰郷」では、時間推移は唐突さの極点を飛躍する。ところが飛躍は「想起」により着実に跨がれてもいる。第一聯にあった多様な分離が、第二聯のエリカ(たぶん恋人に付された洗礼名的な抽象名)を分離させるのだ。エリカは世界法則にしたがって分離される。それは刎頸として事象するが、第二聯での構文の骨格はつぎのように分離される。《エリカは風の方角に向き合いマリアと化した》。刎ねられた首が胴だけの自己を風のむこうに視ることが聖女化の条件だといっているような直観が、修辞の奥をひそかに貫通している。
 
処女懐胎ではなく、マリアが聖女になった局面がピエタだとすると、江代は、イエスの屍を、斬首された自己の分離とマリアが見たと示唆しているのだろうか。いずれにせよ世界法則は江代にあっては分離状態であらわれるが、それら分離の横溢がぎゃくに世界へ柔構造をあたえる。一瞬記述された惨劇も惨劇でなくなる。それよりも分離が空間の実相で、さらには時間の生成結果だという穏やかな把握替えまで起こってしまう。
 
想起がひとまず詩篇単位で進展を終えたとき、回顧そのものの一巡的内包性をまで不如意に付帯させてしまう――それが江代詩の「時間」の第二法則だ。目的論的に回顧が志向されるのではない。あくまでも想起が「ふとしたはずみで」回顧へとゆらぐのだ。『みおのお舟』から一篇――
 
【短躯のよろこび】
 
小川から左右に這うようにながれ
わたしたちの喋り声が
ここで昇りひびきつづけた
みあげる木の葉の揺れるのはなつかしいよ
高い葉のしずんだ音にさえ
みみが慣れるのはおかげさまだ
ひびきつづけるわたしたちの輪のなかで
わたしはよろこんだ
喋りちらした声をからし
あかるい胸の思い思いがのこされた
わたしはわたしであることをよろこび
さし交わされたすべての声が
顔のうえから消えていった
 
なんとすばらしい詩篇だろう。「なつかしいよ」という具体的な述懐のみならず、動詞過去形終了の文尾が「回顧」的全体を調弦している。ただ江代的回顧はかたられるべきものに想起でとどくかとどかないか、ぎりぎりの全体性として組織される。音は小川のせせらぎと「わたしたちの喋り声」と葉音を混和し、ものごとは「揺れ」、「わたしたち」はふくすうである本懐を遂げるため「輪」形をなしている。
 
わたしたち、とりわけ「わたし」はとりわけ想起≒回顧のなかで、世界にたいして短躯でなければならない。なぜなら「みあげ」をつうじ世界事物に純粋に囲繞されることが敬虔さのあかしだからだ。至福にかこまれることは、主体的にはちいさくなることを付帯する。木立をとびだすほどの巨人の背丈などひつようない。ちいささは、顔からかこみにむけ声がきえるあまやかさまでよびこむ。時間が推移するためには以上の空間的な条件が要るのだった。それにしても植物を視ることが江代的知覚の根幹をいつもなすのはおどろくべきことだ。
 
この意味で短躯の存在論ともいえる詩篇だった。現実の江代さんはたしかに小柄だ。その意味で実在の身体が詩篇のなかに刻まれている。ところが短躯は子どもの条件でもあり、しかも木立との比較では人間や動物そのものの刻印なのだ。声がひろがるように、ここでは短躯というからだのありかたが、全生物的に時間領域を浸透している。このことで「内包」が結果される。
 
時間が上方を見出すのなら、それは条件次第では水平方向にたかみをも見出すだろう。おなじ『みおのお舟』から――
 
【鍵】
 
ある日母が駆りだされてゆき
ふるい寺院の修復工事に加わっていた
わたしはその高い屋根が見渡せる所までしりぞき
手洗い場のはしらのちかくから
ひとりの姉とみあげていた
あれはどこの高い屋根で
わたしを誰だといっているのだろう
かえりに姉が鍵を買って
わたしのてのひらにのせると
それはしずかな水紋をたててしずみはじめ
道すがら底ふかくみえなくなった
 
古刹の修復を地縁で実母が手伝ったというのが、作者の具体的な記憶内容であるのはいうまでもない。母はその増員仕事に忙殺され、母のいるだろう場所を姉と「みあげる」この一事から、幼児期に訪れやすい寂寥がおよんでくる。たぶんわたしはこの母の不在傾斜により、「鍵っ子」状態を濃くした。それで姉が必要だと合鍵を買いあたえた。
 
「理路」をそのように「修復」的に読んで、とおくの水平をわずかな仰角でみあげる(しかも「見渡す」には「しりぞく」ことが必須となる)詩篇の力の方向性が、とつぜん変化する。つまりてのひらに鍵がしずかにおとされる鉛直性にすりかわり、しかもそのてのひらがさざなみをたたえる湖面となって、水紋の中心に鍵を降下させていったと「回顧のみだれ」が生じてゆく。時間推移は方向性の錯綜により、回顧をこうして内破する。ところがその内破の瞬間こそが回顧の真の対象なのだった。作者はその出来事が「道すがら」の学校帰りに起こり、起こしたのが姉で、その理由がなんであったかも(言外にだが)しるしている。
 
力の方向性を想起することが付帯的な回顧をも具体化する。さらに『みおのお舟』から引こう――
 
【庭】
 
せまい庭先に生き生きとかがやいていたあの草のあるひかりのなかへ
そこのあばら屋で 歯をみがいていたやさしいひとの視野のなかへ
こざっぱりとした体つきでわたしははいっていった
そこで腕をひろげ
口をつきだし
前かがみになってながれる物音をきいていた
わたしたちの吐きだした水が溝へゆかず
おい立ったみどりのくさのなかへ 主張してまぎれこんでいくのを
 
詩篇のおわりが不安定とみえるが、「きいていた」の反復が省略されているとかんがえればよい。一読のさいには情景がのみこめなかったが、成瀬巳喜男『驟雨』での佐野周二と小林桂樹をおもいだした。往年の日本人は朝の歯みがき(口の漱ぎをともなう)を庭先の空間でおこなう習俗があったのだった。
 
「やさしいひと」の庭には簡易な水飲み場がもうけられている。そのひとはそこで歯をみがくが、「わたし」はそのひとを意識し、ならんで歯みがきをおこなうのをためらい、なおかつそのひとの視野にはいって自分の存在化を望んでいる。「こざっぱりとした体つき」が抜群の修辞だが、それは「わたし」のもともとの属性であるとともに、寝巻から一日再開のための身支度をおえ、すがたがととのえられたことをもしるしているとおもう。
 
水飲み場からの排水溝は庭をほそくえぐり、それが庭のそとへとつづいている。わたしが歯みがきにえらんだのはその中途だ。そうすると口から漱がれた歯みがき粉のとけた水は、排水溝でそのひととわたしのものをまぜる。それが合一をときめかす。ところがときめいた途端に、そんな愛着が不純だと「主張して」、それは「みどりのくさのなかへ」「まぎれこんでいく」のだった。自己抑制。
 
ひとがひととともにある時間のひと齣がこのように回顧されたとして、それが回顧にとどまらない時間推移なのは、その「やさしいひと」と「わたし」が空間的に並置されつつ、しかもおなじように口許から鉛直に、くちにふくんだ歯みがき粉のとけた水を、ややかがみながら降下させているためだ。つまり並置の水平性と、漱ぎの鉛直性、その縦横の双対性が空間を織りなしたとき、それこそが想起されるべき時間の質だと認識されていることになる。こうしたものの至純形のひとつが小津『父ありき』の父子の流し釣り場面だ。ミニマルな事実依拠のようだが、「双対的な空間成立」が「時間想起」を付帯させる点は、想像=創造力の原基だという点を確認しておくべきだろう。
 
時間は空間と分離できない。ところが時間単体は分離的だし、空間単体も分離的なのだ。ということは、すべての縫合をなしとげているのが、それじたい分離であるものが別次元で複合されるときの、一種のかがやきにほかならないことになる。複合に力の方向性があって、江代詩はたんに事実の回顧ではなく、以上の世界法則を定着させるために、精確に「想起されている」。おなじ詩集から、①「奥」への力から何が「分離」していったか、②夕映えた山肌から何が「分離」していったか、それぞれをしるすことで、時間を実質化させていったみごとな二詩篇を立て続けに転記してみよう。①が「幹をつたって」、②が「山の小鳩」。解説は付さないが、どちらにも聖なる顕現=エピファニーがある。むろん時間が劇的になるのはこのエピファニー時だが、江代的なそれはことさらミニマルであろうとする。この意味で「敬虔は敬虔により二重化されている」といえる。
 
【幹をつたって】
 
幹をつたって葉のしげみにはいると
こちらから見えるものすべてが
太陽のひかりに揺られ
その輪郭をあらわにしている
蛇のようにまがり伸びたほそい幹から
無関係にささげられた枝のさきまで
かさなりあった
おおくの美しい葉のしがらみのなかに
なによりも明晰な意味をもつとおもわれる一枚が
張りきったみどりと
周囲に棘のあるみずみずしいかたちをあらわにした
 

 
【山の小鳩】
 
松や土屑を切りくずし
蓮のしおれた湖水を吹き渡っていた風が
山頂の
ゆるやかな斜面に火をはなった
そのすがすがしい対岸の山焼きにみえたものが
ほのおを空へ隣接したままきえてゆくと
それまで足もとのなだらかな斜面をはなれ
崖の枝にまぎれて
ながく丘に触れていた色も淡い小鳩が
むらがる岸のかがやきを背に
形状のないひかりのなかへ飛び去っていった
 
(つづく)
 
 

2015年08月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

ひだ

 
 
【ひだ】
 
 
ふと耳にしたひびきが
たとえなりゆきのわからぬ
異国語だったとしても
一節がキャニオーンときこえれば
うたのぬしはあの世まで
おおくの谿をかぞえてきたのか
おもいえがきも夜来の雨で
ぬわれてしまうあのやま道に
かたむけてひとをこぼした馬車を
それでもうたのぬしは馳せおろして
荷とした草をここへ匂わせるのか
ゆくてにかさなるあれら谿は
ふかくすっぱくえぐられていて
老いびとの歯ぬけた穴のよう
こえがひとたびキャニオーンと
おおかみをうみなしたのも
ぬしから人のきえる前後だった
 
 

2015年08月12日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

暴露

 
 
昨日は研究室で、黙々と期末提出レポートの採点をしていた。うち「国語表現法」では「奇妙な文章をピックアップして、その構造を解析してほしい」という単純な課題をだしたのだが、意外に詩のピックアップがおおく、すこしびっくりした。教員の属性が配慮されたのだろうか。
 
レポートのなかに、眼をうたぐったものがあった。すばらしい詩篇が引用されていながら、その作者につきまったく見当がつかなかったためだ。引用出典も書かれていない。それははたして詩集からのピックアップなのか。
 
作者「長谷康雄」、とレポートにはしるされている。ネット検索してみると、村野四郎主宰の同人誌「世代」で活躍したひとらしいが、経歴の詳細がわからない。詩作活動をつげる個人サイトがあって、そこでは七パートの小詩集が読めるが、それらの出来はいまひとつだ。学生が論及した詩篇もみあたらない――とおもったら、「パート6」に学生が引用した詩篇がやはりあった。
 
ほか、昭和4年生の、演歌の作詞作曲家で、みずからをゲイとカミングアウトしている同姓同名者がヒットする。このひとが詩作活動をしていて、どうもさきにのべた「世代」同人と同一人物らしい。そちら(音楽活動のほう)のサイトでは、既刊詩集として『母系家族』『人間地獄』『受難』などの書名がみえる。大阪在住のかたらしく、サイト成立の時点では矍鑠としている。
 
こちらの音楽活動サイトの印象は庶民的だが、学生が引用した詩は、まったく次元がちがう。ロマンチックで、かつ戦慄をおぼえるものだった。「すくなさ」が「かたち」をつくり、そこにあたらしい感情が炸裂する。語調にはたしかに60年代詩の趣があった。
 
【暴露】
長谷康雄
 
どこかでわたしはおまえをみた
わたしじしんさえわからない
おまえはわたしをみつめてくれない
みつめるわたしじしんさえわからない
 
どこかでわたしはおまえに会った
はまぐり貝のふたが割れて実がはみ出すような記憶
 
どこかでわたしはおまえの頬をなでた
その頬よりもやさしいてのひらで
 
どこかでわたしはおまえをみつめた
そのめからつららのようになみだが垂れて 突然 亀裂が入った
――光よ
人生は倦むのに夕陽を必要としない
 
どこかでわたしはおまえと死んだ
――長いあいだ 忘れられた
ああ しやんでりあよ
めが 耀くばかり 燻される
 

 
とりわけ最終行に震撼する。ロマンチックな詩はもう現在では機能をみとめられることがすくないが、この最終行だけでこの詩篇は詩史中の金字塔と目す価値がある。
 
いま「詩史」と書いた。それは詩壇ジャーナリズムや、詩壇一部の既得権益者が自己規定するものでもない。埋もれていた栄光をたえず掘り返し、意想外の連接をくりかえして、この「現在」へと生成をみちびきつづけるものだ。詩篇「暴露」もまた、終わることのない詩史の書きかえをせまってくる。
 
 

2015年08月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

江代充について・3

 
 
(承前)
 
江代充の詩にかかわる印象として共通していわれるのは、「静謐」「敬虔」だろう。うち「敬虔」についてはのちに解析するが、「静謐」なら(とくに日本語の用例として)吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で展開したような分類も可能だ。まずはそこからはいる。
 
「うるさいもの」という逆元をとってみよう。それは「情動の露呈」「説明過多」「自己主張(とりわけ才能にかんして)」などの共通項をもつと即座に理解される(現代詩のおおくはそればかりだ)。間投詞や感嘆符が「うるさい」のは自明だとして、品詞でとりわけうるさいのが接続詞ではないだろうか。それは論理性の補強として文脈にあらわれる。これが過多になると読者は作者の運転にクルマ酔いするようになる。江代詩ではこの接続詞がおおかた欠損している。
 
句読点がうるさいのも理解されるだろう。文の連鎖は内在的に分節と呼吸を指示することができる。となれば句読点の頻出は、文の呼吸にかかわる顕在と潜在の一致、それゆえの二重性の露呈であって、過剰なものと映らざるをえない。改行詩は、句読点配置のかわりに折り返しをもちいることで、ことばのつらなりをなだらかに時空間化する。ことばのつらなりを束にするのは時間的な等質性だ。それが意味形成より先験するのが、詩なのだ。
 
作者の個癖もまたうるさいが、これが自己主張と連絡すると、重複が結果されてくる。まずは強調のための言い換え。江代的な「文」は、冗語をはらむとみえるばあいがあるが、じつは想起された領域の分離にともなうものであって、冗語のあるときは時間的微分、さらにはそれともつれあうゲシュタルト崩壊まで結果する。原理的冗語とよぶべきだろう。
 
これにたいし通常の強調冗語は、冗語そのものに未整理な感情の翻転がからみあって独立する。詩作者のおおくはそこに感情の証をもりこんだ気になるだろうが、それは「おまえ」にのみかかわりのあるものであって、世界とは無縁なものにすぎない。カフカのいうように、世界とおまえとの闘いでは世界に支援しなければならない。
 
とうぜん論理提示と主張が野合する語尾「である」(その弱拍形である「のだ」さえ)も詩ではうるさい。「である」は文脈を断ち切る乱暴さをもって、使用直後に空白(休符性)をもたらす脱臼効果としてのみもちいるしかない。「である」が過剰使用されがちな暗喩構文「A is B」さえあらかじめうるさいし、その詩的感興をうたがうべきだ。
 
ぎゃくにbe動詞ではなく一般動詞を主体にし、平叙体のなかに過去形であれ現在形であれそれが間歇的に配置されると、しずかさが湧く。江代的な感覚であれば、複文構造を駆使して文末動詞の頻度を低下させる意識さえはたらくだろう。
 
小説を主眼においた文章指南では、過去形あるいは現在形に統一された動詞文尾が連鎖すると単調が結果されると説かれる(三島由紀夫など)。そのため体言止め(倒置が内包される)、疑問形、形容詞文尾をまぜ、文尾にヴァリエーションをもたせてはと提案がなされるのだが、これもよけいなことだろう(自由間接話法だけが、換喩と関連して、ほんとうの意味の、他在的なヴァリエーションをつくりあげる)。同一性においてこそ連鎖のぜんたいが表面性のひとつ内側にしずんで、読者と作品を媒介していた文字の直截的な現前に寡黙をまとわせてゆく。いま現前しているものが目前にありながら再現的だという疎隔感覚のほうがむしろ読者を深部へとおろすのだ。
 
詩発想が病んでいると気づくときがある。徴候の特異点が品詞上ある。格助詞だ。とりわけ「に」がおおいのだが、なぜかおなじ格助詞だけが舞い込んでしまう文連鎖が出来することがあれば、発想が病んでいる。文そのものをつくりかえないのなら、別の格助詞で可能なかぎり置き換えて是正するしかないだろう。江代詩の格助詞はあるときは意図して誤用的だが、それにより、同一格助詞の重複が避けられている。種類ゆたかな格助詞により文連鎖をささえることが、世界を多様性によりみつめる視点をたんじゅんに裏打ちしている。
 
いずれにせよ、江代的想起が想起の順に精確に展開されるとき(これがのちの「写生」につながってゆく)、視点もしくは主体位置がいつのまにか移動しているのは、世界をおりなし、むすびの全景をつくりなしている「関節」を一方向からたとえば仰角しない制約が内在化されているためだ。
 
格助詞は多様性をともなって分岐し、それで書かれている構文そのものが多様に並立する。あるときは構文どうしの因果すらはっきりしない。そのありようが、世界光景の「ありのまま」とつうじあって、静謐がもたらされてゆく。このように詩世界の細部がべつの視点でささえられ、分裂が瘢痕なしに統合されているものいがいに、詩などありえない。
 
約言すれば、語義矛盾のようにみえるが「同一性が多様性をわかちあっている」調整的なながめが江代詩だ。そうした江代詩を読んだ直後に、べつの詩作者の作品を読んでそこに荒蕪や脱色をかんじない例は稀だ。江代詩の内在的反響性は、江代詩だけの再読をみちびいてしまう。
 
けれども江代詩が他領域にゆるす繊い線が確実にある。貞久秀紀、とくに最近の川田絢音など。静謐さの横溢のために、表面的な理路を否定する一群だ。そこでは「わかりやすさ」「抒情の同一性」がかんがえられていない。ことばの存在意義だけがしずかな呼吸でおもいつめられて、それが自発的に流露する。
 
以上、江代詩の「静謐」にかかわる使用言語/文法(分布)上の組成をみた。ところがじっさいのところ静謐は詩そのものの主題とも密接にかかわる。「生成のきざし」「それによる関係の微細な変化」がそれだ。以下にそれを分析してゆくが、『昇天 貝殻敷』『みおのお舟』期に考察を集中させるひつようがある。その後ではとくに「写生」の主題が、「生成のきざし」にゆるやかに添ってくるためだ。現段階では「写生」は分離しておく。それではまず『昇天 貝殻敷』から、現代詩文庫未収録「父」の全篇――
 
【父】
 
なつかしいとうちゃんの仕事場の
なつかしい職人の投げ出した足をこえ
消えゆく薄荷の匂いに導かれて
その意味はなぐさめの
特有の顔へ移っていく
地に向い
かがんであるくあのひとのかげ
その影から身をひいて立ち去るときも
わたしは正確に仰向いて
苦しむ顔を模倣していく
 
現代詩文庫に併載されている江代インタビューによると、江代の実家(静岡県藤枝市)の生業は洋服の仕立て屋で、おおくの職人をかこっていたという。繁忙期は徹夜にちかい作業を職人みながしていたのではないか。毛布にくるまり、ゆかで仮眠をとっていた職人たち。
 
仕立て屋の空間には奥がある。幼年のわたしは奥へゆくひつようがあった。ひとりの職人がうすやみに上体をおこし、わたしの挙動をぼんやりみている。わたしを許容している。やがてたちあがって、たとえば水を飲みにあるいてゆく。疲弊は色濃く、そのからだの移動をじかではなく影でたしかめると、すがたに俯きがかんじられる。
 
ちいさなものを許容する者にある赦しの本質――わたしは職人たちのなかでひとり、その職人を「あのひと」とよぶ聖別をこころにしるしている。仕事ぶり、容貌などに差異があるのだろう。わたしはその者と別方向へむかう。このとき影と実在、あるいは俯きと仰向きの差をこえて、「わたし」の顔が「あのひと」の顔とおなじに「生成」されてゆく。どちらもくるしみをかたどるためだ。ところがそれは自然な生成ではなく、わたしの自発的な「あのひと」への「模倣」によっている。
 
江代の詩世界内部にある幾段かの階梯を踏みわけるひつようがあるかもしれない。まず詩篇の全体イメージが「聖画」化するとき、とくゆうの呼び名が顕れる事例がおおい。「エリカ」がそうだし、「あのひと」もそうだ。どちらも具体名の脱色にかかわっているが、多くシフターが排除される江代の詩法則にあって、「あの」という指示性で名指された「距離を置く存在」は、礼拝対象になる趣をたたえる。「ここ」から「あそこ」へは渇仰の予感がわたるのだ。そうして地上にふつうにいる者でも「あのひと」と抽象化されて聖人化が起こる。「あのひと」の措辞はそのまま生成の一契機となる。
 
主題はみられるように、顔から顔への、主体だけに意識された反映だ。しかも江代的な世界では「模倣」と「生成」に弁別がない。なぜなら主体が生与的に敬虔・謙虚で、「なること」は「なぞること」でしかないという自己限定がともなっているためだ。
 
以前「ガニメデ」ヘ寄稿した文では、江代の達成のうち、この点にかかわりふたつの箇所をひいた。日記体裁(しかし日記的な事実性がたぶん部分的に詩性へと再編成されている――その意味で「文集」というよりやはり詩集とよぶべき)『黒球』(97)、その七四年七月六日の日付をもつ記載。《みゆき橋の夜。〔…〕わたしはそこを歩いた。わたしのKになって。》。「相似」のとつぜんの成立としては――《方方へ風が吹くので/倒れこんだくさむらの窪みにわたしは似ていた》(長詩「露営」〔『みおのお舟』〕冒頭)。
 
顔から顔への反映はむろん「愛情的」だ。たとえばそれで接吻もすでにくちびるどうしの接触のまえに自他の溶解をたたえる。接吻では溶融が接触するのだ。ところが、接触が予定されなくても顔への反映が成立する。このためにはむしろ遠隔が作用する。ベンヤミン『パサージュ論』に超越的な一節がある。《人間の顔は星の輝きを反射するために作られているという箇所は、オヴィディウスのどこにあるのか。》(『パサージュ論』Ⅱ、78頁)。顔は遠隔性からのエクランだ。江代詩では、そうした映写幕のようなものが仕立て屋の仕事場で、職人とこどものあいだにゆらめいたのだった。
 
「みあげること」は江代的な仕種のなかで生成を付帯させてしまう。その動作をみちびく恩寵が梢のなかにいてさえずりのみをつたえてくる小鳥だ。江代詩において「鳥」は初期から特権化されているが、のちには鳥と「わたし」のあいだに同一化生成が起こり、やがて鳥が科白として詩を吐く「鳥詩篇」の系譜が、『梢にて』、さらには『隅角 ものかくひと』(05年)にあらわれてくる。そうした系譜の端緒にあたる位置に、以下の『昇天 貝殻敷』所収詩篇がある。
 
【秋】(全篇)
 
プラタナスの葉がブリキのように曲がる地上の秋
雑踏する暗い胸が幾何の鼓動で大空をめぐり
どこかの入口からぬけ出した一羽の鳩が
つちつちと悲しみにぬれながら過ぎさった
わたしは羽音からきた金属のさえずりを持てあまし
探るような額で路上から仰いだ天使だった
 
叙景のつらなりを保証するのは「わたし」の視点だが、みられるもののほうが先験されれば「わたし」が消去される。ところが江代的聖画では最後の最後、「わたし」がつつましく可視化され、聖画世界の一角にとりこまれる。
 
詩で鳩、もしくは鳩の周辺におわされているものは、「ブリキ」「曲がり」「幾何」「金属」と存外にきびしいものだが、それは外界のもつ親和性がまずは非親和性として出現する事実に対応している。「羽音」が変成した「金属のさえずり」がつづくから、「わたし」は音の出処を渇仰するしかない。そのとき「わたし」は天使へと生成される。むろん単純な位置付与によるものだ。《わたしは〔…〕天使だった》と縮約されてしまう最終構文はけして自己愛的ではない。意志の場所はいつも疎隔状態に置かれる――そうした天使の立脚がわたしに作用しただけだ。
 
江代は小鳥類の鳴き声にオノマトペをつかう。朔太郎の「鶏」(『青猫』)にしるされるその鳴き声《とをてくう、とをるもう、とをるもう。》ほどには創成的でない。「とを=とほ」「くう=空」をふくみ、詩ではしののめの時間帯がつづられるので、朔太郎の鶏は空に鳴き声を投げながらも、「るもう」で自己再帰的な反転をともなうように、たしかに「かんじられる」。つまり「こう聴えた」以上の形象化をこの秀抜なオノマトペがふくんでいる。江代はそうした形象化を「減らす」のではないか。
 
「つちつち」はたとえば「キチキチ」にちかいが、「土・土」と異言化される潜勢をにじませる。空から大弧をえがいて降下し再浮上した鳩の群れのなかで(通常の飛翔軌道を超えて)空の「入口」から脱出してきた「鳩」にもじつは生成がまつわっている。その飛翔軌道の「曲がり」は黄葉して枯れ散るプラタナスの葉片の曲がりの反映をうけているのだ。プラタナスは地上から伸びている。だから鳩の「羽音からきた金属のさえずり」(とはいえそう書かれて、音の発祥基盤がどこなのかゲシュタルト崩壊する)が「土・土」とひびくのだった。
 
この詩には根底的な不明性がわたっている。「わたし」はどこを仰角視したのか。鳩の飛翔軌道にたいしてというのは一義的な読解で、冒頭一行、葉を落とし裸木になりかかっているプラタナスの樹冠部分すらふくまれるのではないか。「わたし」の「天使化」は透明なものを経由しての大俯瞰のもとに位置づけられる。この詩は、鉛直性を方向として読者が得るひとつの換喩構造のなかにしかない。そのきびしさが自己愛を峻拒する。気をつけるべきは、生成が多方向で、しかも徴候的だという点だ。それらが総体で均衡をつくりあげている。だから静謐なのだ。そこを「つちつち」が割りこむ。
 
生成は転移をともなう――これも江代的な法則だろう。それをしめす詩篇をさらに『昇天 貝殻敷』から召喚しよう。現代詩文庫未収録の詩(全篇)――
 
【白鳥】
 
私が魅せられた窓の女は
別の場所で私にはげしく触れてくる
別の女に酷似していた
星がのぼる冬
寮の裏手にしのび
輝く汚物焼却炉をのぞいていたとき
わたしたちが怖れたのは
そこの暗闇にかくれ
足から血を流している
もう一羽の白鳥だった
 
前回紹介した「顕現」と似た変容がみとめられる。終わりから4行目「わたしたち」とはだれとだれで構成されるのか。最終行「白鳥」になぜ「もう一羽の」という文節がうわのせされているのか。試験問題的な解釈ならば、一行目「窓の女」がわたしにくわわる「もうひとり」にならざるをえないが、それが三行目「別の女」をも包含しているというのが詩的な解答ではないだろうか。
 
「窓の女」「別の女」の分岐が「もうひとつの」というオルタナティヴを予感させ、結果、わたしと窓の女が「汚物焼却炉」の「暗闇」にみいだしたのもオルタナティヴということになる。
 
さらに問おう――そこではなにが「もうひとつの」という意外性をもともなって顕現しているのか。「別の女」「窓の女」を「先験的な白鳥」「別にあらわれた白鳥」に反映させ、なおかつ白鳥と女にもともとの反映があるとするなら、わたしの窓の女が焼却炉の暗闇にみたものは、ほんとうのところ、「窓の女」「別の女」「先験的な白鳥」「事後的な白鳥」、それらの分離しがたい混淆体=キメラではないのか。
 
それは分離しがたいのに、その「しがたさ」があらかじめ分離している。逆転のようだが、それが生成のかたち――きざしだと詩がしずかに、しかも恐怖感をもってかたっているのだ。
 
『昇天 貝殻敷』から別詩篇を。これも全篇引用するが、ここで分岐のかたちで生成されるのが、場所ひいては時間だということが気づかれるはずだ。
 
【内海の死のほとり】
 
海は海自体で反響している
わたしはうしなわれた波の上で
あなたへの声が自分にさえ聞えないと知った
わたしはゆうべどんな理由で
あなたの近くにいたのか
内海の死のほとり
 
静謐さのなかで、いくつかの驚異すべき点がある。1行目、空気や風とこすれあわないそれ「自体」の内部のうごきは、はたして反響として聴えるのか。つまり荒れ狂う海は水のなかを鳴らしているのか。物理的な水準でよくわからない。2行目「うしなわれた波」は「凪」につながって海のとどろきを消す効果をもつはずなのに、3行目、耳を聾せんばかりの波音によって、「あなた」への発語をみずから聴認すらできない事態がえがかれている。撞着かと捉えると、ふと2行目が《わたしはうしなわれた/波の上で》に分離してゆく。
 
主体が自ら(の発語)を聴くことが思考だとするデリダの音声中心主義は江代に参照されていないとおもう。声の喪失の多元化が主題になっていて、海自体の反響すら海のなかでは反響ではなく水流だとされているのではないか。「わたし」の自己発語はそれを模倣しているのだ。
 
4行目以降が、行空白なしに飛躍する。これも静謐の技法だ。《わたしはゆうべどんな理由で/あなたの近くにいたのか》と自問がなされれば、「愛の理由で」というのが解答だろう。ところがその解答は、自己内反響が水流になり、その声の判別がうしなわれる。とつぜん場所の代置が起こる。それが最終行《内海の死のほとり》だ。それはかたちのうえでは「あなたの近く」と同格で、このことを了承した途端、遡行が起こり、冒頭「海」との同定/非同定、あるいはおなじ場所の様相のちがいが「ゆうべ」からいまにかけて問われることになる。
 
理路が混乱する。「聴えていること/いないこと」「海/内海」「いま/ゆうべ」が論理的に弁別不能だと確認されてしまうのだ。一種の「様相の潰れ」(入不二基義『あるようにあり、なるようになる』)が顔を覗かせようとしていて、しかもすべてが寸止めの手前にあることで奇妙に静謐なのが、この詩篇の「場所」ではないのか。
 
それらが末語の「死のほとり」という天秤皿にのせられ均衡がはかられているが、ならば「もうひとつの」天秤皿にはなにがのっているのか。均衡であるかぎりおなじものが載っているとしか答えられない。つまり弁別不能なものどうしがつりあっていると使嗾する恐怖がこの詩篇の主題でもあった。
 
『昇天 貝殻敷』につづく『みおのお舟』では、「想起」にたいし(妙な用語になるが)「事実生起の写生」の気味合いがよりつよくなり、ほんのわずかだが、詩篇の趨勢が「よりながくなる」。気をつけるべきは、江代詩では回想が想起にずれる換喩的な鉄則のある点だ。そのとき「だれがだれを」という関係性が、いわば「世界原理」に逢着して不安定にゆらぐ。まずは以下を全篇引用――
 
【隣家の庭】
 
ながい午後の土間をとおり
ひとのいる部屋のまえを見舞って
友の名を呼びながら
あかるい戸口から庭のなかへ出ようとすると
見えない友の
寝たきりの祖母が
その友の名をはっきりと呼んだ
いまはここに
わたしひとりしか居てないので
まだちかいところへ
裏木戸からのがれでた
埋もれたとりでのうえから
友の声音でこたえようとするわたしなのか
 
計13行が連用つなぎの複文の駆使で、たった2文で構成されている(それぞれの文尾は7行目「はっきりと呼んだ」、最終行「わたしなのか」)。その構造じたいに錯綜感がある。「わたし」は場所の移動をともないつつその過去像を想起されていて、この不安定要素により、隣家の友の寝たきりの祖母が気配をかんじて友の名を寝床から呼ぶその声に、惻隠のあまり「わたし」が友の声音でこたえようか否かの葛藤が起こる。
 
「わたし」から「友」への生成が起ころうとしているが、詩篇の最終時制は、その寸止め的直前で、「――しようとするわたしなのか」という奇異な構文をつくりあげ、静謐が確保されることとなる。「わたし」にかかわる再帰的疑問文は、もともと逸脱的だ。現に問うている者と回答を第一に期待される者が同一だという自己言及パラドックス。詩ではそこに「わたしという亡霊」が二重化する。二重なものが一重に「潰れている」様相は静謐だ。杉本真維子の自己再帰文の奇妙な一節をふとおもいだした――《わたしは/やさしいか》(「やさしいか」『袖口の動物』)。
 
「わたし」もまた隣家とどうようの祖母をもつのか。あるいはもともと「祖母」というものに弁別などないのか。そのような根源的な不安におちいらせるように、『みおのお舟』では「祖母」主題のべつの詩篇も置かれている。「隣家」では「声への応答可能性」だった主題が、つぎにしめす「蛇」では可視化のむずかしい幻影が主題となる。書かれていることがわからないのは、カフカ的な精確さが過剰なゆえではなく(たとえば「父の気がかり」における「オドラデク」の描写)、「想起」そのものにある錯迷が「たりなさ」と手をむすび、それじたいの場所が余白となってしまった、倒錯的な光源化のあるためだ。その全篇――
 
【蛇】
 
白い手をつつみこみ
よこたわった祖母のいる物静かな部屋も
わたしのいる廊下も全部あかるいが
それはほかの者が暗い場所で
眠りつづけるからだろうとかれはおもった
わたしの膝頭はひかっている
よく転ぶ子どもだったからだ
白い蛇が廊下を這ってゆくと
近づいた部屋の障子に立ちあがる
おおきな鳥の影が仰ぎみえた
それはいっぱいに羽根をひろげ
わたしの白い手を孔雀のようにつつみこむと
またしずかによこたわって
うごかなくなった
 
対象が想起内の視点移動により「よびかえられる」江代詩では、5行目「かれ」と直後6行目の「わたし」はおなじ人物だ。祖母が(病)床に寝ている気配。家人のほかも寝ているとすれば、それは休業日の朝だろう。「子ども」の「わたし」のみひとり起きて、ひまをもてあましている。
 
白い蛇が家の廊下を這い、その不吉な気配におどろいた鳥が羽根をばたつかせ、空中に逃げようとする状態を、わたしは障子ごし、鳥影として仰ぎ見たのだが、そのうごきにわたしの手がつつまれ、その手のなかで鳥はおどろきをしずめて、またしずかにうごかなくなったと、のちつづられる。想起内容そのものの理路がこわれているのは、子ども時代のおぼつかない記憶が想起されたためだろうか。
 
江代的想起では自他の弁別があいまいになり、その曖昧化の推移に、世界様相が定着されるとすでに何回かくりかえした。この法則を過激化すると、廊下を這う白い蛇もまた「わたし」であり、その「わたし」におどろく「おおきな鳥」も「わたし」というさらなる逸脱が起こる。
 
この詩篇でいちばん咀嚼しがたいのは、冒頭1行「白い手をつつみこみ」が浮いている点だろう。独立して「わたし」の再帰的な動作がしめされているととりあえず了解すると、かたちをかえ終わりから三行目《わたしの白い手を孔雀のようにつつみこむと》が出てくる。当初予想された「自己再帰」は「他者干渉」に変貌しているが、本質的な差異がないと達観したとき、「わたし」「白蛇」「おおきな鳥」それらの差異性が同一性にむけて「潰れて」しまう。しかもその潰れすら、最終2行の再平定によって、あったかなかったかがわからなくなる。
 
江代は回想を起点とする想起そのものの不可能性を再帰的に想起しているのではないのか。これは無から無への一巡しかつくりあげない。そのはずなのに、ことばが具体的な連鎖としてつらなってしまう。けれども発語の前提がそうであるかぎり、ことばは静謐にみたされてゆくしかない。
 
いずれにせよ、江代はなにかの「中間」、その様相の本質的な静謐を想起している。最後に『みおのお舟』から現代詩文庫未収録詩を全篇ひいて、その奇妙さの内実とふれあってみよう。
 
【沈んだ娘】
 
波打ちぎわのふれる浜辺には
大腿骨に似た白い木切れがおちている
肩にかついで子供たちの前へ出ていくと
木切れにくいこんだ
おおくの砂つぶに気がついて
海からの木であることがわかってきた
はやくお前もかがやく飯をたべておしまい
その海からの温かな棺さながら
みどり児のいる肋木の道をかえりつづけ
庭へいこう
庭へいこうと歌おうではないか
庭には物干竿がみちあふれ
娘は周囲の見る眼にも分断されて
それぞれの分け前になるのだ
わたしたちが担ってきたのは
あの娘たった一人の世界でもあるにちがいない
 
終わりから4行目に「娘」がとつぜん現れるが、唐突さの印象はただしいのだろうか。江代詩にはめずらしく終わりから5~7行目の行頭が「庭」の字で揃う磁場が形成されていて、それで唐突な唄文句「庭へいこう」が具体的に庭を召喚するちからを備えたとみえる。しかも浜辺でひろった大腿骨のような木切れと物干竿に同一化が起こり、その大「腿」骨が娘の肉体の所在に喰いこんで、娘そのものが浜辺のしろい木切れにすりかわる。冒頭から3行目の「かついで」と最後から2行目の「担って」も近似物どうしのスパークを交わす――そんな騙し絵的な構造が次第に判明してくる。そうして娘のいる場所に物干竿が「みちあふれ」ているのみならず、木切れ=娘という図式が浮上してくるのだ。
 
明示されていないが、窃視症的な衝迫がかんじられる。たとえば娘が物干竿にしろいシーツをひろげて干す一瞬には娘の上体はそれに隠され、下半身のみが視野にのこって、「大腿骨」の存在が強調されるのではないか。からだの「部分化」が、そのからだへの視線の部分化を付帯させてしまう。そうして娘は終わりから3行目《それぞれの分け前になるのだ》。「世界の恋人」というものがあったとして、前提となるのは、事物から当人への対象推移と、それが視線により分有できる体制の確立だろう。詩篇はそんな愛の欲望にふれつつ、同時にスピヴァクのいうような女性性の本質、自体性をたちあげる。
 
むろん詩篇を虚心に読みすすめていったとき(あるいは即座に再読したとき)にはポストモダン的な欲望論など作動しない。ことばのすすみそのものが、偶有的な概念接着剤をひらめかせ、あやうく自己展開してゆく「ひかりの移り」のみがある。それでも江代的エロスとはなにかを読者はおもいなおす。そこで恋愛詩にとうぜん前提される「対象性」が、江代詩では審問にかけられていると気づかされるのだ。これこそがしずかな生成にかかわっている。
 
(つづく)
 
 

2015年08月09日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

柱状

 
 
【柱状】
 
 
ささげもつのにひつようなのは
もはやてわたすあいてでなく
あるくおのれだと念に押す
にがいめぐすりをさしたゆえか
暑いさかりへ霜ばしらがかさなり
おもいのほか道がざくざく音をたてる
手からむかっているそれがシラクサ
じぶんが刃物になっているほかに
まわりすべても刃物にみえる加算を
むねでしろくなったみどりとして
匍匐へこすりおろしているのか
葡萄に似た字で身の柱をひく
わたったくぼみを数ともしない
むしろ数の降下こそ霜になそうと
耳のなかをほそめながらすすむ
玻璃ケモノのそこがシラクサ
 
 

 
女房と電話で長ばなしのあと、川田絢音『雁の世』がとどく。ひもといて読み終わり陶然となって、なにか内容とは無縁かもしれない視覚ものこった。それを上の詩にした。いずれにせよ『雁の世』はことし屈指の詩集。けれどそれが何冊目かをかぞえはしない。ことしの袋はまだひらいておく。
 
午後イチからは気を入れなおし、また江代充にとりくむ。川田絢音と連絡線ができるかもしれない。できないかもしれない。まどのそとがしろくひかり、カーテンがゆれている。
 
 

2015年08月08日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

江代充について・2

 
 
【江代充について2】
 
(承前)
 
前回書いたことで、江代充の詩は「たりない」――だから読者は文意を補って読むひつようがある――もしそうおもわれたとしたら、それは誤解だ。ことばは、たりなさにめぐられたそれぞれの真芯に、かえって充実している。理路はたりないが、ことばはそれじたいで間歇しながら自立し、たりなさを過激に放散しているとみえるのだ。
 
そうした過激さにこそ「ただ」むかうべきで、文意を補い、読解の補助線をつくってゆくのは個々人の嗜好できる二次的な作業にすぎない。最初は「たりなさ」や錯綜に直撃され、ことばのつらなりの「不全なうつくしさ」にゆきまようべきだろう。わたしたちは苦悶する信徒のようにまよう。つまり読んでも意味のとれない(とりにくい)一回目の江代詩の体験は、そのわからなさにおいてこそ至純なのだといえる。そこに神学的体験との類似をかんがえることもある。
 
ある種の純粋さが江代詩にあるとしても、それが詩のなかでこれみよがし、自己再帰的に謳われることはない。禁欲的というよりも、至純さの構造がちがうのだ。江代詩は布教しない。信義の一点を俗情にむけ露出しない。至純はうすまってこそ瀰漫し、ことばの肉の内界をひろげる。聖なるものは一条の可視的な恩恵ではなく、たんに空間的・時間的なひろがり「として」、うすあかりのとらえがたい量感をもつだけだ。
 
ことばの時空は、ことばの時空それ以上でも以下でもない。そこをさまようことはできる。そのさいにさまよいの邪魔になるものが、詩篇から抽出されてしまう主張や教義だ。江代詩にそれらはなく、ことばの時空間だけがある。このことを、詩の純粋さといっていいだろう。修辞の手柄意識さえ江代詩では稀薄にうつる。
 
一例を江代の第二詩集『昇天 貝殻敷』(83)から出そう。詩篇「ダリア」――恋愛詩だ。この詩集から江代調、エシロ語が確立された。江代の著作中もっとも短詩のあつまる詩集で、この点からいまでも馴染みがふかい。考察では「たりなさをなるべく補わない」という自己戒律をまずはもうけてみる。
 
【ダリア】
 
石の上の黒いダリアを 見る姿で祈るかたちになり
舞いあがる胸 私は塀の向うへ曲がる
 
棘のある花のように 渇いた腕が束ねられる
肉と枯木の時刻 同一の あなたの体も黄色く
石から肌が独立してみえ
わたしの踏みしめる足の下に ダリア・ダリアの道はつづいた
 
かずおおい花瓣が放射状、幾何学的にひろがって肉厚の球形をなす洋種のダリアは、東洋起源の牡丹よりもさらに豊満華麗と映る。「花王」とよびたいほどだ。品種改良が盛んな園芸種で、朱から紫、黄、白と、色彩幅もおおきい。赤がつよくまされば黒ダリアとよばれる妖種もまぎれこむ。
 
いつものように二行目「舞いあがる胸」、三行目「渇いた腕」の所有格がわからない。前者は生命感にあふれ、後者は病弊にくるしむ。これと同様の配置が四行目(アキ行をかぞえない)に圧縮されている。《肉と枯木の時刻》がそれで、生命感と病弊の矛盾共存は時間性にも適用されているとわかる。その《肉と枯木の時刻》の直後、飛躍にとんで《同一の あなたの体…》と措辞がつづく。この「同一の」に詩篇の詩的構造が集中している。つまり時刻とあなたが同一であり、その「体が黄色」いとしるされて、時刻=あなた、さらにダリアにも架橋がなされる気色がうまれてくる。
 
この四行目は詩篇にちらばったことばの関係性を「中心の点在」として集約する箇所だ。このことから「それまで読んでいた各所」が再編成される。二行目「舞いあがる腕」はダリアの生気を想像力によって注入された「あなたの」腕になるしかなく、しかもそれは同道する「私」が「塀の向うへ曲がる」とき得た束の間の印象にすぎない。行間空白があって時間が飛躍すれば、あなたの顕れは途端に「棘」を生じて、仕種・姿勢を逼塞し、生命的な乳房をおおうように、「渇いた腕」が胸のまえに「束ねられ」てしまう(ここまでにもちいた「補足」が、「同道する」と「胸のまえに」に限定されているのに気づかれるだろうか)。
 
「あなた」の「みえかた」の盛衰が、時間の盛衰、個々のダリアの盛衰とともにあっても、あなたのからだはおのれに似た周囲に溶融同調しない。「石」を背景にしてもその「肌が独立してみえ」る。そうさせているのは、「わたし」の視線が「あなた」の本質をえぐろうと干渉的になっているためではないか。「あなた」に「渇いた腕」を「束ね」る防備の仕種をとらせたのも、この視線なのだ(ここでは補足は「背景にして」と「わたし」の視線にまつわる言及にふえだした)。
 
それじたいのなかで盛衰をゆらすものが聖なるものだ。その聖なるものは、時間とダリアへの類縁性をもった「あなた」として詩の中央から前半に浸潤して、「舞い上がる胸」「渇いた腕」を「あなた」の署名にする。この遡及的拡張運動こそが愛そのものの属性だろう。属性は「うごく」。このことも聖なるものの質なのだ。それで全篇が聖なる恋愛詩へと、読むそばから変成し、多様なダリアをながめるように、色を変えてゆく。たった六行なのにすばらしい。
 
さて以上の分析からとりのこされたふたつの行がある。最終行と冒頭行だ。前者から論及すると、最終フレーズ《ダリア・ダリアの道はつづいた》では、中黒で連鎖された「ダリア・ダリア」の措辞が異様とうつる。唄う感覚にとんで、恋愛の昂揚をつたえるかのようだ。しかもそれは、江代的な命名行為にもかかわる。江代の恋愛詩では、対象として「エリカ」の名が頻出する。朔太郎が恋人・馬場仲子を洗礼名の「エレナ」でしるしたようなものだろうか。となって、「ダリア・ダリア」は、「実際の花・恋人の呼び替え」の構造をもつのではないかと思料されてくる。
 
さて冒頭行《石の上の黒いダリアを 見る姿で祈るかたちになり》だけが四行目から恋愛感情が四方に横溢しているこの詩篇の行構造のなかで、他に馴致されない孤独な浸潤不能性をたもつとかんじられてくる(再読をして、とくにその感触がきわまってゆく)。黒いダリア――ダリアの魔的な異種が気づくと足許にあって、それを俯瞰する視線。この瞰下ろしが憔悴の様相をたたえ、それが自己祈祷のひろがりまでにじませてゆく――となると、見ることは祈りとおなじでありながら、憔悴ともおなじと言外に語られている気になる。これがこの詩篇でなされるべき最大の「補足」だ。
 
気をつけるべきは、「姿かたち」という連鎖的成語がありながら、それが分離し、しかも動作の振り分けが上乗せされて、《見る姿で祈るかたちになり》という措辞がうまれている点だ。ここから「姿」のはらむもの、「かたち」のかたどるものがかえって稀薄、もっといえば無にちかづく反作用が生ずる。このフレーズにうすくかんじられるのは、虚辞、減喩のたぐいで、じっさいここで減っているのは身体なのだ。
 
この身体の所有格がだれかといえば、「わたし」と捉えたい。結果、「わたし」にかかわる一行目と、その後の「あなた」「わたし」さらには「ダリア」「時刻」の錯綜する二行目以降に恢復しがたい寸断線がひかれている読みになる。これらの読みは発散される意味以上に、行構造からもたらされるのだ。
 
万物――とりわけそれがいきものならば、「姿」をもつ。自明の理だ。「姿」のないものはいきものではないのだから、姿は個別性を示唆されない純白の姿のままでは、いきものの質どころか存在そのものすら保証しない。この鉄則を侵犯した江代詩がある。エシロ語が完全確立されるまえの第一詩集『公孫樹』(78)にはタイトルではなく序数のみをつけられた詩篇が間歇性の印象つよくならべられているが、そのうちの以下が「姿」にたいする江代の異様な見解をしめしていて忘れがたい(『現代詩文庫212・江代充詩集』には未収録)。
 
【60】
 
鳥はあがっている わたしが姿をしている
 
棚で花瓶が折れて
やわらかい割れものは出ている
 
鳥はあがっている わたしが姿をしている
 
エシロ語が未発達というのは、遅読作用が形成されず、初見でスッと読まれてしまうためだ。それでも簡潔な主述により連鎖されている諸構文からその暗喩の奥行を吟味する余地が生じてくる。まんなかから行こう。
 
《棚で花瓶が折れ〔る〕》――動詞の誤用により、(こわれた)「かたち」から「姿」が顕れている。それが《やわらかい割れものは出ている》とさらに「姿」を強化されるが、いいおおせた途端に、いっさいはまた「かたち」に再還元される――そんな認識の振り子運動がここにあるのではないか。ところが回収されないのは「こわれたこと」、その事実の厳密さだ。
 
侵犯的認知もある。「割れもの」とは「こわれてしまった」花瓶そのもののはずなのだが、それが花瓶の亀裂から、その内側をもりあげるように露出していて、「かたち」としての花瓶の範囲が脱自明化するのだ。「かたち」を規定性、「姿」を脱規定性ながら感知できるものと二分してみるといい。「割れもの」が「やわらかく」「出ている」という措辞は、姿の姿であるゆえんも複雑に脱臼してしまう。
 
揚雲雀をおもわせる《鳥はあがっている》はどうか。春、どこまでも空の高みをあがり、眼路のはてへときえてゆく生命力あふれる雲雀は、たぶん「かたち」と「姿」の共存だろう。その共存は詩的直観によってしかほどけない。永田耕衣の名句《腸のまず古びゆく揚雲雀》がそれだ。運動の渦中に頽勢を予感すること。耕衣には《天心にして脇見せり春の雁》もある。そこではさらに明瞭に、かたちから姿が微分されている。
 
そうしてもんだいの《わたしが姿をしている》の出番となる。生物が姿をしているのは自明と前言したが、ここでは「姿」の実際が欠落し、記述されていない。まさに減喩だ。結果、「姿」の脱色により、「わたし」の匿名化・無名化が遡及するようになる。「なにもいわれていないこと」がここでいわれていて、それが「わたし」の「姿」をからめてゆく恐怖が感知されなければならない。この回転的な消却運動に、「かたち」という「わたし」の余波がやどる。
 
ところがこの「60」の意味性は、これら構文の質を「姿」「かたち」に腑分けするだけでは完成されない。一聯が最終聯に反復=ルフランされている行構造そのものが吟味されなければならない。二聯が「かたち」の「姿」への脱自明的な移行を最終的に示唆しているとする。すると、その意味形成前の第一聯と形成後の最終聯では含有物の反射性がことなるのだ。中間を省略して結論をのべれば、繙読経験のまだ純白な第一聯は、そのものが「姿」の抹消をともなう「かたち」であるのにたいし、最終聯は、「姿」の抹消をともなう「姿」そのものへと転じているのではないか。ただこうした見解は穿ちすぎた内分割ととられるかもしれない。
 
江代『昇天 貝殻敷』から、さらに自らをユダに擬した熾烈な恋愛詩篇「ユダ」をかんがえてみよう。全篇を引く。
 
【ユダ】
 
私は水を把握しようとし
石のように持つことができず
血ばかり流した
 
かわいた木の枝から
女のように恋人の家をうかがうと
背後にはエリカの枯木が見え
わたしの肉体が先取りされたようで
暗くなっていくことを覚えた
 
前半は述懐で、「水」「石」「血」によって暗喩化されている。ただし「水」を「石のように持つことがで」きないのは、ものへの「把握」の必然的にたどる自明性の域にあるとしかいえず、だから「私」は自明性にたいして流血したと三行を縮約してかまわないかもしれない。似た感触をもつ述懐としてジョン・レノンの「マザー」をおもった。「ぼくはあるけなかった/なのに、はしろうとした」。
 
後半――錯綜をほどいてみる。季節は冬場。「わたし」はいまでいうストーカーに似て、対象執着のつよさを抑えられない。ともあれ「見たい」。それで敷地の裏側から恋人=エリカの家を「うかがうと」、エリカは窓のうちがわに人間のすがたとして顕れず、家の背後の枯木のすがたとしてみえてしまう。生身よりも弱体化したものとして憧れは顕れるのだ。ところが枯木であるエリカは、枯木立のなかにいる「わたし」の場所を反映しているにすぎない。愛されないかぎり、見ることの欲望は不可能性に逢着してしまう。
 
枯木を媒介に、わたしとエリカが対照されることは、枯木がエリカにみえるわたしの衰勢があかしされることと表裏だ。枯木がわたしの「みること」であり「肉体」なのだ。わたしはそのように対象と視線の質を自らの行為のなかに「先取り」されているようで、肉体を暗くしてゆく。さらにいうと、この自覚が「みること」と「肉体」の不分離、あるいはエリカと枯木の不分離なのだ。
 
気づかれるように、詩篇を意味化しようとすると、意味の再帰性が「肉体のように」わだかまってゆく。これに気づくことがこの詩篇での読解線といえるだろう。理路があやういながら簡潔な措辞。それは顕れとしてあきらかに「たりない」が、そのたりなさへの充填が充実にむかわず、おなじものの再帰だけを蓄積してゆくのだ。最終行《暗くなっていくことを覚えた》。単純で再帰性をふくむ言い回しのなかにある冗語性のたわみ、そのうつくしい衝撃。
 
もちろん詩篇タイトルにつけられている「ユダ」が詩篇全体を包含する意味形成をさらにつくりあげる。単純には、「ユダ」はこの詩篇の一人称「私=わたし」への形容で、一人称に裏切り者の色彩を付与するほか、わたしの対象=女=じつは「エリカ」に、反作用的に聖性をともす。この聖性のなかに枯木もあるということになる。
 
さらには「私=わたし」の恋人の域への侵入(未遂)を口実(寓喩)にして、ユダそのものの属性考察が詩篇細部に脈打っているととらえかえすこともできる。「水」と「石」に弁別をつけられぬ者は流血する――イエスと銀貨――もっというと愛と憎悪に弁別のつけられなかったユダがみずから縊り果てて精液をながしたように。
 
「呪われよ」――それがイエスのユダへの愛のことばだったし、ユダはその呪いにはいることで結果的にイエスの復活劇と永遠化を宰領した。そこに共謀や黙契をみる者もいて、福音書(偽書)すらある。だが枯木立から対象を見ると対象が枯木の場所に枯木としてみえ、そのことが窃視者の肉体を暗くするというのは、ユダのイエスへの視覚そのものを高度にいいあてていて、ここからユダの役割をたかめようとする詭弁に、作者が与していないとつたわってくる。
 
それでも結局、そのユダの位置に詩篇の主体「私=わたし」が折り返される残酷が不変だった。自己穿孔的な恋愛詩だが、ところがその自己は減喩によりどこかで定位未然となる。この構造がすごい。「わたし」は詩篇内に実際は結像していない。結像があるとすれば、それもまた「枯木」のすがたなのだ。そこで身の毛がよだつ。なのにうつくしい。アクタイオンとディアナ、キリスト教にとっては異教的な神話構造を、詩篇が秘匿しているためかもしれない。
 
神性を対象に期待すると、対象から神性が分離し、対象そのものはきえる――そういう逆説があることも若い日の江代が意識していたかもしれない。「想起」のよびだす「分離」が、想起主体を修復不能にしてゆくこわさがこの時代の江代の詩にはあり、想起が円満化した『梢にて』の詩作とは様相がことなる。
 
もう一篇、『昇天 貝殻敷』から「顕現」(全篇)。これは詩文庫に収録されていない。ただしいわれているのはたったいま述べたのとは逆のことだ。神性の降誕を期待すると過去の恋人が顕れ、その性交記憶が神々しさに変転することで、神がそこから分離し、過去の恋人も性夢に出現した役割を終える――詩篇の砕片性を「復顔」してゆくと、あらわれてくるのはこんな認識だろう。
 
解説は付さない。ただし読解は、「あなた」「恋人」「似た者」「あのひと」「あかり」「同じ神」を腑分けすることにかかわる。このとき「眠り」「夢」「部屋内の点灯」という時空の変転が付帯してゆく。「分離」が江代詩の効果なら、「付帯」もそうなのだ。それと注意したいのは、詩篇「ダリア」で考察した「同一の」という措辞が、ここでは最終行「同じ神」に変化して、おなじ効果を発揮している点だろう。となると、「同一性の分離」が「付帯」だという江代詩の真諦がかんがえられるかもしれない。
 
【顕現】
 
あなたの顕現をはかるために
再び起きて 悲しい眠りにふけらねばならぬ
するとこの夢のなかに
過去の恋人に似た者が突然あらわれ
あのひとがわたしに 交わったときを知らせたまい
汚れた机上にあかりが点されると
そこにふたたび 同じ神はい給う
 
さほど「遅読生成」の顕著でない――それゆえに取扱い容易な江代詩篇ばかりを対象化してきたかもしれない。その反省にたち、初読と次読が「分離」し、措辞の原理性・原初性に畏怖した見返りに、読者の自発的な補足をしいられてゆく詩篇を、『昇天 貝殻敷』から招聘しよう。詩集タイトルの一角ともなっている「昇天」(全篇)――
 
【昇天】
 
手のあたたかな冬 わたしが速く流れ
土砂とともに水に燃える
砂利と砂利 身を曲げて馬の腰にのり
地膚の見える所まで血を投げかけても
守護の天使たちが見る者のからだにさわり
地につきまとうとはどういう傷か
 
「まったくわからない」者が出るかもしれない。「速く流れ」「水に燃える」「馬の腰にのり」「血を投げかけ」「守護の天使たち」「どういう傷か」と、各行ごとに意味形成の障碍フレーズがちりばめられ、そこに詩篇の厚みや奥行がやどるとかんがえても、最終行中「とは」でそれまでの総体を引き受け、間髪いれずに「どういう傷か」と急転直下する成行が、修辞的な衝撃をおぼえても、意味的には了解できない――そんな感慨になるのではないだろうか。
 
むろん音韻がすばらしいのだから、荒々しいことばの顕れと連関をまるごと掬せばいいという見解も出るだろう。ところが呪文は解読されなければ、呪文ではなく時間に意義が生じないとするかんがえもある。後者の立場にたち、この詩篇の難関を突破できるだろうか。「みおのお舟」でつかった方策をふたたび採用してみる。( )により詩篇の脱落部分を補足することで読解線をまずは近似的につくりあげるのだ(「みおのお舟」よりもずっと読解者の恣意の混入度がたかまる)。そのあと、ちがうことをいおう。
 
(しばれる砂礫の外気のなか)(それでも踏破の情熱をもって)手のあたたかな(とおぼえる)冬 わたしが(連戦も厭わず馬にのって)(遍歴地を)速く流れ
(ふきあげるかわいた)土砂とともに(騎乗をはげしくゆらし)(結果超える川の)水に(みずから)燃える(錯覚までかんじる)
(川べりの)砂利と砂利(砂利につぐ砂利の悪路) (とおい射手を予感して)(矢を避けるため)身を曲げて馬の(背ではなく後方の)腰にのり
(それでも回避にしくじり)(矢をつらぬかれ)地膚の(まぢかに)見える所まで血を投げかけ(るようにしたたらせ)ても
(天空にある)守護の天使たちが(「見る者はまもる者」という信念をくずさず)(地上の艱難にむけて降臨し)見る者(である十字軍のわたし)のからだにさわり
(それでわたしに付帯したまま)(馬ともどもほうほうの)地につきまとうとは(わたしのすがたにとっての)どういう傷(にみえる)か
(それは癒えないことですでに癒えている不死のあかしなのか)
 
ところが詩篇をこのように潤色してみると、穴埋めのむなしさに逢着するしかなくなる。つまり「たりないこと」が疎外され、ことばの荒々しい、謎にみちた連関がむしろ矮小化されてしまうのだ。読まれるべきは意味ではなく――むしろ馴致できない用語とその物質感にとんだ「語順」のほうではないか。たとえば「水に燃える」には感覚主体も感覚対象も途絶していて、詩篇のながれの須臾に「侵入」してくるなにかの暴圧だし、「馬の腰にの」る騎乗の謎もついに解けない。
 
最後の「傷」は「ありもの」だけで愚直に、文法的に解釈するひつようがある。試験問題的にいうなら、「傷」は「血を投げかけ」ることと関連があるようにみえて、直截には、「守護の天使が見る者のからだにさわり/地につきまとう」ことで現象化されているのだ。「わたし」の「すがた」の外在性のひとつを言い換えたとすら捉えられる。
 
ところが結語(疑問文だが)に向けた「とはどういう傷か」の急転直下じたいが、そのまま傷の感触をもち、「どういう」のシフターによる意味布置より先験的に、「傷とはどういう傷か」という同語反復疑問文の衝撃をつたえてくる。ならばそうした気色をうながしているものはなにか――くりかえすが、それこそが用語と語順の即物性なのだった。
 
この即物性が江代の言語感覚のするどさに並行している。結局、語順への惑溺は意味のとりこぼしまで付帯する――しかもそれは補足とは絶対に相容れないのだ。「それでも」詩篇はたとえば上記のような恣意の介入によって、抒情化される。「ないもの」が「ないままに」抒情化されるときは、かならず「あるもの」が捏造され、それが読者側の罪を形成するのだ。けれども江代詩に敗北した悲哀はいつも生じない。「ないもの」が「ひろがっている」空間の余裕。それがあらかじめ読者を救抜している。
 
「語順」のもんだいにするどく邂逅した趣の断章序数詩篇が第一詩集『公孫樹』にある。
 
【73】(全篇)
 
12の耳に海がきこえた
わたしは砂にちらばり
飛びあがる鳥が舞う
影がうつるあのひとの体を
動きながら見た
 
ごつごつと異物感のある「語順」で、ふつうの詩作者はこのようにしるさない。凡庸さと円滑にむけさらに助詞を添えて訂正をおこなえばたとえば解はこうなる――《砂にちらばって/やがて飛びあがる鳥の舞う/その鳥影がうつった/あのひとの体を/わたしは鳥を真似て/動きながら見た/12の耳に海がきこえた》。ところがこれは普通の詩篇であって、エシロ語で書かれたものではない。エシロ語は語彙ではなく、むしろ語順(の不適正と捉えられがちなもの)によって生成される。
 
語順は抒情を「73」のように遅延させる。抒情は最終的に皮一枚で読者を救出の域に寸止めされるが、これが反転し、粕谷栄市的な恐怖に連絡してしまうばあいもある。因果の脱落がそのまま因果となる――という意味で。序数断章「46」の全篇を、最後に解説を付さずに引いておこう(それにしても『公孫樹』からの引用は「鳥」にかかわるものばかりだ)。ちなみにこれは江代の現代詩文庫には未収録。
 
【46】
 
内部に拷問を受けている
完膚の鶴が舞いあがった夜更
刺客はひらかれた窓からしのび
いるひとの後頭へ剣を入れた
いるひとはわからないので
片足をあげ 鶴を真似た
 
(つづく)
 
 

2015年08月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

今クールのドラマその他

 
 
本日(8/6)の北海道新聞夕刊に、ぼくの連載コラム「サブカルの海泳ぐ」の第17回が掲載されます。今回のテーマはクロソフスキー→ボードリヤール由来ともいえるシミュラクル。しかもそれがゆがむことで生じる「笑い」の先端性をあつかっています。
 
串刺しにしたのは、先々週放映開始となったドラマ『民王』(入れ替わり設定の遠藤憲一と菅田将暉の怪演のほか真面目にやけっぱちを演じる高橋一生までもが笑える)、内村光良のコント番組『LIFE!』中の新シリーズ「実は…」(星野源を相手にしての、石橋杏奈の素っ頓狂なツッコミが爆発的に可笑しい)、それとサッカー本田圭祐の物真似で人気のじゅんいちダビッドソン。
 
ともあれ久しぶりに笑いについて書いていますので、北海道在住のかたはぜひ、キオスクやコンビニなどで購入してご一読を。50円です。
 
それにしても――今週はじまったあたらしい深夜番組『となりの関くんとるみちゃんの事例』にさっそく魅惑されてしまった。コメディ調の学園コミック『となりの関くん』と『るみちゃんの事例』、その異例の二本立て。後者のヒロイン、るみちゃんの行動の予測不能性も斬新ですが、『となりの関くん』のおどろきはさらに輪をかけていました。
 
授業中、最後列、となりの席の机のうえで何事かへのこだわりをひそかにしるしている関くん(渡辺佑太朗――かわいい)の、納得できない挙動の一々に、ただただのみこまれ、無言でアタフタするたったひとりの観察者・横井さん(清水富美加――かわいい――その「内心の声」が音声上の主軸となる)。つまり徹底的な受動構造のコメディドラマで、このつくりこそが未体験ゾーンでした。第一回の提示物は消しゴムでなしとげられる関くんの異様に緻密なドミノ倒し空間。
 
清水さんの困惑と驚愕を点滅させる顔、渡辺くんの没頭顔と、すべてどこ吹く風の余裕顔、それにつぎつぎと倒れてゆく消しゴムドミノ――それらがこれでもかという緻密なカッティングで、スリリングきわまりなく連鎖されてゆきます。なんという編集技術。放映第一回にして深夜ドラマ史上の金字塔だと確信しました。次回テーマは将棋だとか。
 
原作はカドカワ「コミックフラッパー」に連載され単行本化もされている森繁拓真の同題コミック。脚本・演出が細川徹。このひとは宮沢章夫、宮藤官九郎人脈の才人です。
 
それにしても『民王』と『となりの関くんとるみちゃんの事象』が最強フェイバリットドラマになるなんて、今クールは意外な展開だったなあ。ほかBSの『本棚食堂』も好きだったけど、今クールの放映が終わってしまい、残念しきり。反面、話題ドラマのほとんどをリタイアしてしまった… キャスティングは「二歩先」ていどがいちばんドラマを自由にできますね。
 
ゴールデン枠で興味がつづいているのが『刑事7人』だけというのは、ちとさみしいかも。期待株だった『探偵の探偵』も、北川景子のからだは切れるけど、最近、物語が自壊気味だし…
 
 

2015年08月06日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

江代充について・1

 
 
【江代充について1】
 
江代充の第三詩集『みおのお舟』(89)、その巻頭(つまり大切な位置)に計7行、短詩といっていい詩集標題作「みおのお舟」が収録されている。まずはその全篇を引こう。
 
【みおのお舟】
 
みどりのおい繁る洗い場のかげで
ながれるふかい水のなかへ
ねずみとりの柄をさげしずめていた
すぐに身をふるわしてうかび
金網にゆびをまげきつくなめらかな
唯一のかおをこすりつけると
仰向いてみおのま上にながれていった
 
詩集『みおのお舟』は所蔵しておらず、まずはその抄録形を『現代詩文庫212・江代充詩集』(2015・4月)で読んだ。おそらく冒頭標題作であることで作者の自認がつたわってくるこの詩篇(の意味)が当初まったくつかめなかったのをおもいだす。再読三読するうち、「ねずみとりの柄」「唯一のかお」がまず理解の障碍になっている点が確信できた。
 
ねずみとりを生家などでつかったことはないが、害獣=ねずみを餌でおびきよせ、ねずみを捕えるその器具は形態的にはどうも二様に大別できるようだ(ネットでの画像検索による)。ひとつは板状(板上)器械で、おびきよせたねずみの自重で発条が作動し、おりてきた四角の金棒でねずみのからだを一瞬にして挟みこむもの。いまひとつは金網もしくは金柵でつくられた牢というか籠内にねずみを誘い、ねずみが入った瞬間にそれまであった入り口が下りて確保するもの。詩篇であつかわれているのは、「金網」の語があるから後者だろう。ならば「柄」とは、その入り口をあげたときに取っ手として掴めるようすをあらわしているのではないだろうか。
 
そのように(とりあえず)把握してみて、ようやく詩篇がその理路の全貌をあらわしてくる。そのまえに注意すべきなのは、「ゆび」「かお」という身体部位の所有格がしめされていない点だ。省略されている所有格は主語どうよう主体だとする日本語原則を適用するのではない。文脈から補うべきだという江代詩の個別原則がかんがえられるべきなのだ。端的にいうと、「ゆび」「かお」には「ねずみの」が文脈上のせられる。このときのひらがな表記により、ねずみのゆびさきのほのあかさ、かおにかたどられている眼の黒点のちいささもうかびあがってくる。作者はひそかに、対象にあわれさといとしみをかんじている。
 
バカみたいだが、これからする江代論の導入部なので、読者の便宜をはかり、不恰好だが詩篇を冗語もいとわず補ってみよう。( )内に補足を添え、上記詩篇を再転記してみる。
 
(周囲に)みどりのおい繁る(山中の川の)洗い場の(、周囲の視角からふと隠れる)かげ(とよばれるべき一角)で
(川の)ながれるふかい水のなかへ
(ねずみを捕えている籠型の)ねずみとりの(入り口部分をひらき)柄(としてその扉をもって)(籠)を(水中に半分ほど)さげ(て)(わたしは)しずめていた
(籠のなかのねずみは)すぐに(環境変化に反応し)身をふるわして(籠の天井部に)(反転し腹をみせて)うかび
(籠の)金網にゆびをまげ(つかみ)(そのうち)きつく(哀願するように)なめらかな
(そのねずみだけの)唯一のかおをこすりつけると
(さらに)仰向いて(いるすがたのまま)(スローモーションでもみせるように)(ゆびを離し)(籠の入り口を水流にまかせてすりぬけ)(川の)みおのま上にながれていった
(わたしはそのようにして捕えられたねずみを解放し)
(ねずみとりのその籠をいったん「水脈の御舟」と見立てた)
 
こんなだらしなくもある措辞で、江代詩にある峻厳な省略を穴埋めしてゆくと、江代詩読解のむずかしさが「たりなさ」によるのかとおもいがちだろう。たしかにまずは、同語によって構文どうしをつなぎあうことで判明性をたかめる配慮が切断されているとわかる。詩は「たりない」。構文分布が空間的もしくは論脈的ではないのだ。この詩篇には代名詞=シフターが同語反復の忌避と同様に存在しておらず、それで逆にその静謐な詩のリズムにふかい透明性が浸透している。このことが個人的な「聖画」をなす必須条件であるかのように。
 
江代詩は体験想起を原資にしている。その想起じたいは精確なのだ。のち、『梢にて』(00年)で築かれる詩的文体をかんがえればこの点は自明だろう。ところがその想起では、書かれるうちに「自然と」省略や視点の多元化が起こり、複文形成による過重化がともない、さらにはそれを詩として書く動機にあたる措辞の偶発的な詩文化すらもたらされる。しかしそこにいわゆる詩語への耽溺がない。
 
体験が対象とするのは、「出来事」の「かたち」――いわば時間推移のなかにある事象変化の「枝ぶり」への注目だろうが、江代はそれらを一気呵成に書いてしまう。このとき「枝の分岐的明示」により、「ない」「幹」まで「あらしめる」想像を読者側へ託す。
 
つまり理解という事柄をつうじ、江代詩は読者へ強圧をかけているのではない。これほど挑発性のない詩作者は稀ともいえる。詩は詩であるために「たりない」が(「世界」とおなじだ)、読者の想像はそこを蹂躙してかまわないとうながしているのだ。開放性。ところがそこで起こる逆転が計測されている。読者は世界の組成素たることばのありのままにつつまれて、詩の極小的細部を歩行しながら、自分自身の想起を元手に、世界の透明性への畏怖をおぼえるしかなくなるのだ。
 
江代詩は原理的で、しかも独自のエシロ語でしるされている。独自とは秘教の意味ではない。認識と記憶力が固有だというていどにすぎない。しかし類例がないのだ(あるいは最近の川田絢音の詩に係累性があるかもしれない)。この点をおさえると、江代詩には二元論をささえる「片方」が適用できない、ともわかる。具象的な抽象的か。むろん、どちらでもなく、その両方なのだ。絵画的か音韻的か。これもおなじだ。
 
ただし速読が可能か、遅読がしいられるかは別途のもんだいとすべきだろう。速読可能な、すばらしい詩はおおくある。速く読めば読むほど身体的なスパークが脳裡にひらめき・もつれ、それが詩的体験の中枢をなすのだ。ふるくはシュルレアリスム詩がそうだろうが、たとえば廿楽順治の脱臼的なずれをはらむ詩なども速読によってその段差がおおきくなる。小峰慎也もそうだろう。
 
速読可能な詩から遅読のふさわしい詩の作成へと、詩作者が系統発生的な変化をしるすことはじっさい多いとおもうが、それらはことばの「跳ねない落ち着き」「省略のふかみ」「音韻のしずかな平定」「想像力や言語展覧の抑止」「理解度のハードル上げ」などをつうじて実現されるというのが、詩作にたずさわる者の経験則だろう。ところが江代詩の「遅読生成」はじつはこうした範疇に置くことができない。
 
遅読生成が素軽さを放棄したはての重みとなる、というのなら論外だが、江代詩読解の一回目はまず錯綜体験として生じる。よほどの読解力でないと、初読で詩篇を十全に把握するのは困難だろう。ところがなぜかひかりのきよらかな滲みがあって、読解は「わからない」という否定をもってしても放棄されない。読者は即座に二度目の読解にはいる。そのために江代詩のおおくが短詩のかたちにひらかれているのだ。すると詩篇の理路が、その絵画的細部をあかし(やや)明瞭になってゆく。いずれにせよ、世界そのものは理路のすがたなどしていない――因果ではなく多発性と推移性で構成されている真理がその詩に温存されている。
 
即座に二度目に読むときのこっているものがある。それは初読がもたらした音韻の残像だ。その音韻残像にのって二度目が読まれるとき読者が体験するのは、二度目が(消えた)一度目のコーラス=ルフラン=リトルネロになってしまうという、エシロ語でしかありえない倒錯だろう。
 
世界は多元化され錯綜していて、体験は枝分かれしつつ枝の交錯部に小鳥めいた宝石をともし、この場所があの場所に、この数があの数にいつの間にかすりかわりもするが、それらの世界構造をあかすのは世界の実在性そのものではなく、世界への想起のほうなのだ。そういった構造じたいが江代詩では「みえない」「あらかじめの」ルフランのように反響している。「徐々に」という顕れの様相は、主体側の想起が移動する際の、未加工状態にすぎない。つまりそれは「遅読生成」とは関わらないのだ。
 
わかりにくいかもしれないので、もっと説明をくわえてみよう。詩作者の手許という視点を導入したい。たとえば「かさね(重ね=累ね)ながら書き」、詩の時空間の内包度をたかめてゆくのが暗喩詩だろう。逆に、「たえずズレながら書き」、詩の時空間の外延性を志向し、座標でくくれない詩篇の容積を(つつましく)つくりあげるのが換喩詩だ。詩作者のからだは暗喩詩よりもこちらのほうに「うるわしくにじむ」。ここから敷衍して「減りながら書き」、空隙そのものを生成対象にするのがぼくのいう減喩詩だろう。これは速読可能な詩でも成立する(もういちど廿楽と小峰のなまえを出そう)。
 
江代詩の手許はどうだろうか。「想像」を峻拒し、「ただ想起しながら書く」――たぶんこれにつきるとおもう。記憶の基盤と、記憶された結果の二重性、その中間に江代詩が存在するが、記憶されたものの結果は宿命的に想起に負っていて、そこにみられる錯綜や省略は、もともと基盤にこそ伏流していたものだ。その伏流状態を江代が崇敬しているというしかない。
 
換言しよう。江代は「二重性になりながら書き」「錯綜が錯綜のまま精確になるように書き」「世界構造のように書き」「要約から離れて書き」「視点にあたるものの移動を書き」「想起が想起対象の推移のなまなましさをたどるように書く」のだ。顕れが峻厳だからいっけん江代詩も推敲の賜物ととらえられるかもしれない(現に、『現代詩文庫212・江代充詩集』にはそうした論旨で書かれた往年の稲川方人の論考が併載されている)。だが江代は「想起しながら書いている」にすぎない。そうした「ありのまま」が錯視性をともなうのは、もともと錯視性をもつ世界構造への熟考が詩作を下支えしているからだ。
 
想像による加工は、想像した作者がどんなに独自性をみとめていてもそれは普遍につうじ、けっきょくは作品の顕れを馴致してしまう。ほんとうは世界では原理だけが奇妙なのだ。想像を峻拒し、想起だけを旨とする江代充は、ほとんどの詩作者が習いや同調によって「そう書けない」特異性をある時期から実現している。厳密の魔と錯綜が同在的であること。しかしこれを発語の病理性ととらえる向きもあるだろう。たとえばこうした資質が「溶融」という踏み外しを結果することもあるためだ。
 
おなじ『みおのお舟』から「藤棚」の全篇を引こう。前述した稲川方人の論考が直截の考察対象とした詩篇だ(稲川の論考はいつものように恫喝的な原理提示によってしるされ、詩篇そのものを端緒とした「解釈詩学」が放棄されている)。論議の便宜上、分かち書きの各行頭に序数を付す。
 
【藤棚】
 
1 道をまがると何だかひくく磊落になったきもちにつれ
2 藤におどろいてそれをくぐりぬけるため
3 かげのあるすずしいまだらの道を
4 あるきはじめたこのものはただしいのか
5 藤はなだらかに藤棚からたれこめ
6 乾いた色がわたしのひたいにもふれてきている
7 ながめていこうひとびとの前で
8 ふるい肋間がいたみはじめ
9 ゆるやかな房の真下を区切るようにすすんで行くと
10 棚が切れるまえにあゆみもとまり
11 おそらくは自他の声もきこえなくなることだろう
12 それからさきは藤のたてがみを馴らすとか
13 その藤とわたしのような
14 しきりとわからない関係になるのだとおもった
 
支倉隆子の「藤棚」(『琴座』78年、全篇は阿部『換喩詩学』232―233頁に引用)の末部にあるように、《世界のはずれに/藤棚はある》としるされる藤棚は、藤の花の咲く季節、世界内の多様性をしるす幻影的な点在となる。そこに花房が無数に垂れている。だから藤棚を予感した者は鉛直性にたゆたう不確定性として自己身体をとらえかえすしかない。支倉の「藤棚」のうつくしい書き出し――《藤棚のみえるところで/だれかが手をはなしてくれた/彼女はうつくしい湯気になる/二重唱もきこえてくるだろう》は、藤棚の鉛直性にたいする身体の鉛直性の対応と捉えることができる。
 
だからこそ、「藤棚」はそのしたをとおると危ないのだ。西脇順三郎は『Ambarvalia』中「馥郁タル火夫」で危機をつげる警鐘を鳴らす。《何者か藤棚の下を通る者がいる。そこは通路ではない。》。「そこ」は鉛直性の下部であり、なにかが届くまえのぎりぎりのすきまであって、地上のひとつの狼藉なのだ。以下、江代「藤棚」にもどって、付した序数ごとに詩篇細部の再出現を考案する。
 
【1】散歩のよろこびは「道をまがる」際の眼路の変化の意外性にきわまる。世界がふえた錯覚が生じる。だから道はほそく、垣根などにかこまれていなければならない。「まがる」ことは直進性にとっては「ひくく」おもわれることだが、ひとの散歩はいつでも余禄をもとめる。それでまがりごとに「磊落」になる。そんな「きもちにつれ」――
 
【2】眼路にあらわれた藤棚の「藤」の盛りに「おどろ」く。西脇の訓戒にもかかわらず、そこは通路として「くぐりぬけ」を使嗾している。
 
【3】【4】「かげのあるすずしいまだら」は藤棚の花房のゆれがなす地面の光景だが、その木漏れ日のゆれは上方物による遮断の結果なのか非遮断の結果なのか、それじたい「藤色」にみえる。地と上方の隙間、絢爛たる光景の狼藉を「あるきはじめたこのものはただしいのか」。恐怖がまさってくる。だから自分を自分とはよべない。幽体離脱的に「このもの」とよんでしまう。となると自己規定の起点がすでに「わたし」ではなく、上部の藤棚に移っているのだ。わたしは湯気のように稀薄に蒸散している。
 
【5】【6】藤棚をみとめ、侵入し、そのましたを藤の花房のひとつとなるべく通過する。藤棚は通過者の縮減装置だ。縮減は上方からの働きかけで起こる。働きかけには重力とそれ以外が混淆している。ときにながく垂れた花房が「わたし」(「このもの」はいま「わたし」へと復帰した)の「ひたい」にふれる。愛撫をこえた、戦慄の感触。藤の花房は遠目には世界の靉靆をあかす湿りのようだが、間近には即物的に乾いているのだ。おまけに匂いが動物のようにきつい。
 
【7】【8】わたしのほかのひとびとは、神性をみあげるように首までのばし、下からみあげてはならぬものを「ながめて」憩っている。歩をとめて、それぞれが鉛直の停止になり、配列が絵画のようだ。ひとの配列に沿うものが「わたし」の体内にもあり、それが「肋間」だが、「自他」(【11】)の相違により、肋間の内在は「いたみはじめ」――
 
【9】【10】【11】花房の空間的な連続が集中させる鉛直方向のちからにたいし、それを交叉するように「区切るようにすすんで行くと」、だんだんに精気が吸われて、「棚が切れるまえに」膂力が尽きてしまう。「あゆみもとまり」、他のひとびととおなじように歩をとめてしまったかぎりは「自他の」弁別(それは差異の境の「声」として発露される)も感知できなくなって(「きこえなく」なって)しまう。「わたし」の肋間はきえた。そのように「きえるようにして」わたしは捕獲された。
 
【12】【13】【14】わたしも他人とおなじく自分の通過している場所の魔性に気圧されて、停止して藤棚をみあげ、この世の光景の狼藉をかんがえざるをえなくなる。藤棚はぜんたいがなにかのおおきなどうぶつで、花房の垂れは「たてがみ」ではないだろうか。それを眼で梳くことが「馴らす」ことだ。しかしそうやって試しに藤を馴致してみて、かえって「その藤とわたしのような」互いの互いへの効力が「わからない関係」が生成されてしまう。そのわからなさとは、わたしが藤棚と同一化したことに起因するのではないか。しかしわたしはいつ、この足だまりを解除できるのだろう、ひとびととともに。ともあれわたしは、ひとびとといっしょなのだ。
 
ぜんたいで14行あるにもかかわらず、詩篇そのものは四文で形成されている(それぞれの文尾は4「ただしいのか」、6「ふれてきている」、11「ことだろう」、14「おもった」)。もし動詞終止形で行のわたりが連続するなら、それが藤の花房の垂れと形象的につうじあう。そうならないのは、主体が藤棚のしたを通過しようとしているためだ。鉛直の藤が水平に「溶ける」そのことが、行の連用形連鎖、もしくはそれに類似する「長い息」の効果をよびこんでいる。
 
連用形連鎖はたとえば江代の『梢にて』の時期にうつくしい猖獗をきわめることになるが、この詩篇での行のわたりは、歩行に付随する空間的な開放性をゆるやかに織りあげている。そのゆるやかさは、稲川のいう「推敲」の選択肢除外性とはまるで印象がことなる(いくら稲川が「推敲」にたいし、《書きつつある作品を言語の鏡面に密閉するのにそれ以外のいかなる反映もない》状態と独自に規定していても、いわれていることがアクロバティックにしかひびかない)。
 
この詩篇の力学は、あるときの「わたし」のあゆみを「藤棚」とともに想起しなおしたとき、最終的に「わたし」と「藤棚」が分離できなくなってしまう経緯を、想起「そのままに」ゆるやかに詩作に展開した点にある。想起を主軸に置く詩作態度は江代的だが、わたしと藤棚の錯綜は明示的に定位されていて、展開そのものが錯綜をはらみ、それが世界構造につうじてゆく江代詩の真諦とはちがう境位にうつくしい抒情性が蒔かれている。だから詩的修辞の穴埋めもまた身体抒情的になり、峻厳性と抒情性が並立する。この並立は江代詩そのものというよりは、江代のある方向での精神的な双生児・貞久秀紀の詩作を先どりするもののようにおもえる。
 
もんだいは最後の行の「しきりと」にあるだろう。江代的再帰性は対象(このばあいは藤棚)との渾沌未分へとくりかえし漸近してゆくのだ。自己は減る。やがてはきえる。ところがそれが自己の世界化をつかんでゆく。いいかえれば江代的想起の迷路は、その一角にのみ自己を一点としてのこす。そのイメージこそが詩篇の読解を最後の最後に聖別的に「救済する」。「推敲」に「言語の鏡面」(イメージ論だろうか)をキメラのように交錯させた稲川のいかめしい所論では、空転が目立ち、江代詩の特異性へなにもとどいていない。解釈詩学の具体性がないのだ。
 
対象への「溶入」という江代的な特性をもう一例、みよう。江代の第四詩集『白V字 セルの小径』(95年)所収「底の磯」がそれだ。この詩篇は詩文庫には未収録。なんと「溶入」の対象は「ねむり」のなかの「沢蟹」なので、溶入は入れ子の境界消滅的な溶解構造までともなっている。それなのに、いきものとしての主体への共感をせつなく掻き立てる。全篇――
 
【底の磯】
 
わたしがねむり
川端の宿舎からながい光が出ていくと
沢蟹は青い山襞を降りたところの
凝土でかためられた
人工的な白い川床の隅にいることが分かってきた
そこまではひと筋の道があってわたしより多くの木が生い立ち
あかるい太陽と
道をその日はじめての枝葉表記がおおっている
共に川辺に行きついたとき
それはあらかじめそこにいたのではなく
ねむりの門口でことばをうしない
よく意味もつかめずにその家を出掛けたまま
道の途上になり
そこに沢蟹と名付けうる生きものとして
わたしたちは混在した
 
「宿舎から光が出ていくと」「(沢蟹の)(川床に)いることが分かってきた」という因果提示に注意がひつようだろう。斬新といっていい。あるいは「わたしより多くの木」という措辞にある冗語ぎりぎりの機微。さらには「枝葉」で済むところを「枝葉表記」と「表記」そのものがずれ、現下に書かれている一節に枝葉末節の感触がともなうこと。たぶん「わたし」「沢蟹」の再帰性が、そのような冗語構造を付帯させていて(これが貞久秀紀ならそのまま詩論的詩篇の主題となる)、気づくと「凝土」と書かれたコンクリートと、最終行の「混在」が再帰的・頭韻的な反復関係にあるとわかる。コーラス=ルフランは詩篇に内在されていて、それが「ねむり」そのものの質をも体現しているのではないか。
 
「わたしたちは混在した」という結語がわすれられない詩篇だが、「ゆめ」ということばが注意ぶかく峻拒され「ねむり」のみが二箇所現れているこの詩篇において、「沢蟹」がどの審級に存在しているのかが定めがたい。その定めがたさと、措辞の、意外性に富みつつ混迷する展開が共生し、そうした沢蟹と「わたし」が「混在」したのであれば、「わたし」もまたねむりのなかにかろうじてしるしづけられる、えがかれた沢蟹どうようの「ふたしかなもの」にかわってゆく。ところがこの変化の方向が、凝縮できなく、外延にむけての稀薄な拡散なのがうつくしいのだ。
 
この詩篇は、「藤棚」とことなり、行のわたりを追うとき、一度目は読解に齟齬をきたすとおもう。ところが即座に二度目、この詩篇の細部をたどってゆくと、前言したように一度目ののこした音韻の残存が、コーラス=ルフランになる。つまり沢蟹と「わたし」との交響は、初読と次読との交響にひとしく、最終的にはこうした構造が、現実と「ねむり」との二重性さながら鳴りひびいているのだ。これをうつくしいとかんじたとき、「途上」の「川辺」で沢蟹と「わたし」の「混在」する規定不能のキメラ、それこそを「わたし」と再規定する縮減の運動が付帯してゆく。最終的にはこの付帯こそが心をうつのだ。そう、江代詩の「効果」のひとつは「付帯」なのだった。それは「わたし」の通過に「藤棚」が付帯して、通過が停止してしまった感動と似ている。
 
(つづく)
 
 

2015年08月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

真夏の詩作

 
 
どうも最近の日々が冴えない。課題がすすまないこともあるのだが、やはり日中暑いのが要因のようだ。札幌の現在は最高気温30℃ていどで、暑気災害連続の本土からすれば手ぬるいとおもわれるだろうが、クーラーなし(札幌のマンション部屋のおおむねはそう)、ただ網戸、換気扇、扇風機をもって暑さをしのぐこの「原始装備」では、30℃だって超えがたい試練だ。最近の傾向らしい。地球温暖化を恨む。
 
おまけにぼくの棲処は市内交通の要衝に位置していて、クルマの量も多く、とくに日中、網戸にしているとうるさくてしょうがない。冬は二重窓を閉め切った無音状態にずっとあり、静寂に慣れきって読書などに集中しているので、騒音にたいしては脆弱な神経質へと様変わりしてしまった。
 
これも「札幌仕様」ということだろうか。さすがにいまは汗で肌がベタベタして一日一回はシャワーを浴びているが、六月までは風呂にはいらずともずっと肌がサラサラだった。札幌暮らしでいつの間にか汗腺が退化してしまったらしい。だから夏に東京へ戻っても汗を以前よりかかず、体内に熱が閉じ込められている厭な逼塞感が出る。これでは熱中症におちいる公算がつよいだろう。
 
札幌仕様というのは、根っからの地元民ならもっとはげしい。だいたい北海道は色白の美少女がおおいので有名だが、以前バスのなかでこんな色白女子高生たちの会話を聞いた。ゴールデンウィーク終了の頃。「東京へ遊びに行ったらさあ、陽射しがつよくて、灼けるどころか火ぶくれまでできちゃった。もう火傷だよう」。そうして真っ赤になった悲惨な腕を友だちに披露していた。
 
むろんいまなら夜の21時頃から朝の9時頃までは涼しい。その時間帯にしぜんと頭が冴える。となってずるずる昼夜逆転へも移行してしまった。そうした逆転生活は、汗だくで昼寝しているあいだに世界が進行している置き去り感・疎外感をつくりあげる。それでさらに精神的に低調になる。新聞さえ読まずに溜めこんでいた。これはヤバいとおもい、昨日、一週間分をまとめ読みをした。
 
今日は午前中、ひとからの連絡待ち。ところがそれが空振りして調子がくるった。その時間に意図あって、いまさらジョン・レノンをまとめ聴きしていた。午後になって取り戻さなくては、と取り組んだのが、必要ある読書ではなかった。昼間が暑く、うるさすぎるのだ。かわりになんと、ゲストとして招かれている関西の詩誌「イリプスⅡnd」の、九月中旬〆切の詩稿を早々書いてしまった。昨日の「TOLTA」にひきつづき、「またもや」という異常事態だ。
 
どうも精神に活力の棒をいれるのがぼくのばあい詩作ということらしい。とりくんでいる江代充さんの詩に触発された詩発想があって、その自分なりの調えのうちに、判断力が澄んでゆく。そうなると、精神の健康のため詩作を日常的に活用しなければならないことにやはりなる。いま日々冴えないのは夏バテもむろんあるが、連作というかたちでの詩作を不自然に中断しているからだろう。
 
それにしても詩誌へゲストに招かれて書くのは、きもちがいい。最近では海東セラさんの個人誌「ピエ」にも書いた。それと、いま出たばかりの『詩と思想詩人集2015』にも拙作が載っている。「詩論」というとんでもないタイトルの「詩篇」です。東京在のかたはぜひ大書店の詩書コーナーで立ち読みを。404頁です。
 
 

2015年08月04日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

土日

 
 
昨日・一昨日(土・日)は新詩論集、その最後の書下ろしパートに取り組もうと、江代充さんの既刊詩集を時代順に精読していったのだが(もう何度目だろう)、どうしても論の書き出しと、その後の線型的な展開をおもいうかべられず、けっきょく執筆を断念してしまった。自分を楽天的な性格、とはおもうが、こうした蹉跌に現実的に打ちのめされると、自分がやっぱり才能なしの無価値人間ではないかと、しぜんにおもえてくる。見た目どおりだ。
 
おまけに金曜日、仲の良い博士課程の中国人院生から、院ゼミでなぜ受講者の発言を辛抱づよくまたずに、自分の意見を全体化して開陳、学生の発言可能性を抑圧してしまうのかとお叱りをうけたばかりだった。もっともぼくはいつも全体的な結論をいわず、「複数の思考葛藤」を暗示しているだけだとおもっているし、発言をいくら待っても出て来ないのは彼らの顔色でわかるともおもっているのだが。要は、対象の映画が「これだけは示唆してほしい」と暗黙に訴えているものを、(ときに図式的に)提示するだけだ。たとえ「せっかち」といわれようともそうする。そうでなければ、映画がかわいそうだ。
 
ともあれゼミ授業も不評、書下ろし原稿も首尾わるい、おまけに、現在、詩作は作成過多防止のため連作を中断していて、依頼詩篇しか書いていない(もう二か月以上)――となると、自分が一挙になんにもできない(のこしていない)「無価値人間」におもえてくる。「このまま詩論を一生書けないんじゃないか」。そんな恐怖まではしる。ぼくはせっかちではなく、不安神経症なのだった。
 
昨日など、誕生日だというのに、そうしてどんどんダウナーになっていった。おまけにぼくの好きな料理を誕生日につくってくれる女房すらちかくにいないのだ。そういえばなんでぼくはひとりなのだろう。
 
なので今朝は、自分にもまだポテンシャルがある、と自己励起するため、まだだいぶ先の〆切なのだが、河野聡子さんから依頼のあったTOLTA「現代詩百周年特集」の詩稿を、自分のポテンシャル測定のため一気呵成に仕上げてしまう。書こうとしたら書けた。たまっていたわけだ。濃すぎたかもしれない。作者としてはまあ会心の出来なのだが(ぼくは恰好よさで自作の出来を判断する)――
 
それでも完成した詩は、やっぱりダウナーだった!(笑)。これ、なんとかしなくちゃ…
 
ちなみに厄介な自己課題をかかえていると、恵贈された本にさえひるむことになる。他人が偉大にみえて。白井明大さんの新詩集はそれでも届いてすぐに読了した。いろいろおもった。入不二基義くんの運命論の哲学書『あるようにあり、なるようになる』も、劇薬まちがいなしなのに、我慢しきれずに100頁ほど読んでしまった。やっぱり「しつこくて」すごいなあ(笑)。
 
そういえばTOLTAに書いた詩篇では、入不二くん自身も示唆している本タイトルのキアスム、「なるようにあり、あるようになる」をフレーズにつかっている。そっちのタイトルのほうがいいとおもうのは、ぼくが運命論の門外漢で、生成論をかんがえているからだろう。
 
 

2015年08月03日 日記 トラックバック(0) コメント(0)