メモ102
102
樹下想像の図と画題されれば
もう影ではない影がうかび
おもえぬおもいはみだらづく
ゆうぐれビーストの斑のごとし
回、ともみえて回をつたえる
倉石信乃・使い
送られてきた倉石信乃の第一詩集『使い』(思潮社、黒い光沢紙に指紋のついたようなカバーが、タイトルとあいまってとてもホラーだ)をさっそく読む。親炙してきた彼の写真評論からすると、とてもヘンな文体。ひさしぶりに文体の奇異な詩集を堪能したという読後感だ。平易な隻句がときに文脈の矛盾を企てて連打され、対象のいない命法が中和されて、論理的に証明できない静謐が保たれる。予想しないところにある、しかも高速の転調から、かたちにできない、うつくしい像が瞬間的に明滅する。それらが駆動力となり、疲れずに読まされてしまう。魔法にかかったみたいだ。係累のない詩の、清潔な孤独。けれどもツェランの含有率が高いのかもしれない。まずはきれいな一節を引こう。
綿を植え
綿を摘み
綿を紡ぎ
綿を運び
綿を売る
それから次の一節などは、跛足の神を多重露光した変則的な自画像とも読める。ただし恐ろしいことに典拠はロバート・フランクの16ミリ作品『ハンター』と自註されている。未見の映画だ。むろんさきの引用とあわせ、詩集テーマ「使い」を喩的に具象する箇所だ。
おまえはみんなの家来であり伝令であり飛脚でありしかも脚が悪い
なぜなら靴が脚にあっていないから
と言われた わたしは
痛い
痛がっているのは足が大きくなっているから
育っている
メモ101
101
いっときに時間がはめこまれていて
そのありさまがもうスタンツェだ
まなざしが失明を裏箔させるように
おとみな失聴の予感で薄ごおりし
まぢかであればよりうつくしくなる
やがて声には聴像の部屋割りもうまれ
くわけがましろにもえさかるだろう
メモ100
100
百の橋をわたりゆくような
みずのながれるとおくがすきで
ひかりにはぎをいれずみされ
あの世この世と綾までうまれる
ひとまたひとのあやめのさまから
みずひそむまなぞこふかくへと
あらんかぎりの糸をまねいた
メモ99
99
釦をとめるのは肌をかくすのではなく
みもだえるからだをまとめるためで
ことなりにも倦みそめた詩のおまえは
同異のあやうさから詩魔となるのだ
メモ98
98
ソラをおもえばさらにとおい
シドにこがれてしまう日は
りんかくが水のみずからなす
みおのようにもみだれはて
茄子のうえへうつらなかった
メモ97
97
すぎた日は俗耳をこめかみ下にたて
ここがふるい器官だとつたえると
みることのないあながあたまにあり
ふるえだけをしろうとしているし
それもしろあやめのさだめとかえされ
ひかりまとうくずれでなおも耳殻を
わたがしのようにながすわたくし
メモ96
96
朝ぶろのあとにうつくしく湯ざめして
からだにある真珠をくもらせている
事後はことばだ、寡言をまもるための
メモ95
95
べつのすがたかおになるのがいやで
あたまを天にうずめるのもいやで
でるときには帽子をかぶらなかった
やまふじのころのかぜのかおり
けれどおなじさにこだわりもなく
こだちのなかでは髪へ羽根をつけて
かわやでないことにうっとりした
メモ94
94
とりかごをかなでるようにふとみえる
たてごとはだきごこちがうまく添い
瑞鳥ながれやまぬいくつものかなたに
まどおくふかいなにものかをおいて
ないことのあいださえ糸竹でひからす
メモ93
93
途中は恥しいので消滅後をみてくれ
ふるびた始祖鳥にそうつげられて
思いそのものをとおくおもいながら
まなざしはそらの奈落をくだった
メモ92
92
天へときえたロンドの跡地には
むすめらの靴がおおくのこり
墓原さながらあれはてているが
しろみがかりぼやけた雨足が
おのれの幽玄を靴に容れて
さみしくまわろうともしている
メモ91
91
クセのようなものだが空咳をすると
しきつめられた灰が林野をはねて
する者と聴く者そんなふたりにふえ
はるかという域にさえいるのだと
泉下がのみどをあかるく超えいでる
メモ90
90
じさつするタイプのイヌかもしれない
つかれとうれい、その度合がすぎて
ほとりにちかづくとはおそれがうまれ
恐水もひとつの形而上学とわかる
あめがふりだすとみんなあめのむこう
恋する人間
去年の北大文学研究科主催の、社会人に向けた全9回の公開講座「恋する人間」が、高校生にもわかる口語体講演原稿集として、一本になりました。鈴木幸人編『恋する人間』、北海道大学出版会、2600円+税。阿部は9人の演者のトップバッターとして、トッド・ヘインズ監督の傑作映画『キャロル』を対象に、「恋する顔」の諸属性をとりわけ視覚的に分析しています。口語体でわかりやすいし、恋を論じることでそのまま読者も恋に陥るような生成が起こります。阿部の書く映画評論では最もラヴリーなものと一部で評判。阿部自身がレズビアンに文学的なあこがれをもつからかな。文献提示もわれながら華麗。「顔の哲学」へと拉致されてゆきます。ご一読いただければさいわいです
メモ89
89
したしさがまもられみまかったとはいえ
ながらくあいさえしなかったのだから
とむらわれるかたみの不通がいたくあり
まぐのりあとおく夜目の葉すべても
はんげつのなりにひっそりと咲いていた
メモ88
88
はなれてさえいるルピナスときりたっぷを
ともにかたろうとするなら双方ではなく
むしろ同時性のもつ肉のゆれというべきを
あいだあいだのまことのとまどいとして
くちでしずませひからせなければならない
メモ87
87
自転車がもしあたえられたなら
はしりながらする休息と夜に
あおみがかる肺をおおきくさせ
すぎさるまちまちのさかいへ
ところのほうぼうをひるがえして
まわることのすべてで泣かせる
メモ86
86
うごきを停めているうつくしさが
水晶にひそむとかんじることがあり
槌で割りだすときに映画が起こる
ふたたびうごきだしたなにかはぬれ
よしんばことばでもかねごとだし
人面牛身、くだんのばけものだった
メモ85
85
三点をきめればまんなかを爆破できる
そんな流儀で二兎をしとめてきたのだが
いつの旅もかずの魔にたぶらかされる
ゆめごこちのそぞろあるきだったと
ひとつ三兎を世にあまらせてくるしむ
メモ84
84
斬りとばされて生首のみおろすのが
あしたのなかのきのうなのだから
だきよせる時の間もえだわかれして
相手以前の塩のはしらまでめでる