メモ146
メモ145
145
しだれ萩のゆれざまにおどろく
しずかな宝蔵がさわさわして
秋のうらがわへすいじゃくをいれ
花のこまかさで目病みをさそう
メモ144
144
全関節が脱臼してぶらぶらするものに
ひかりそそぐひとの、布をおぼえた
文法が変なわたりをひもときひもとき
うつくしくかわる空洞がだいすきで
そのように秋もまどにあふれているが
前後の身頃がけはいのもといなんだ
メモ143
143
はげしいなゐののちくらやみがきて
けものらしさがからだにみちみち
あふれは欠落のようにくるいなおも
琴がこときれるほどしずかだった
やっぱりメモしておこう
【やっぱりメモしておこう】
外観的に酷似するふたりが相互に代替性をおびうるかという問題を、濱口竜介監督『寝ても覚めても』は、別次元へと飛躍させた。それは奔放な麦〔ばく〕と、実直な亮平の二役を演じる東出昌大にたいし、朝子がとるリアクションによってしめされた。おおきくいえば酷似性が刻印されたまま、代替性が決定的に無化されてゆくのだ。なのに「麦じゃん」という朝子のつぶやきは耳にのこりつづける。映画がしるした諸段階をふりかえると、どの局面の朝子=唐田えりかも、他者の配剤がどのように順番化されるかにたぶん世界法則をみていて、それが世界の奥行きにたいし不可知的な有機性を揺曳させるときにのみ、対象を全肯定してしまう、神秘主義的な諦観者なのではないだろうかとおもわせる。彼女は対象に批評が可能なときは単にそうするだけだが、批評性をこえるときには対象に自らを預けてしまう。遅延と唐突の弁別をゆるさないヒロインだが、彼女がたえず「視ている」者だという畏れはつたわってくる。この行動規範を観客に、科白の説明なしにつたえるのは至難のはずだが、濱口監督は、唐田とふたりの東出との、位置関係、動作生起、相互作用を、すべて適確な画角、距離、構図、周囲環境、ショット持続から刻刻と記録してゆく。朝子を基準にすれば、麦の失踪、亮平との戸惑いつつもあるゆっくりとした交情成立(麦失踪の二年後)、麦の再出現(さらにその五年後)と結果としての心変わりは、自ら信奉する世界法則に殉じた者の痛ましさをしるしつづける。運命に翻弄されたというドラマ的次元、道義的非難の次元は越えられ、内在問題がただ外形的に生起しているのだ。このことが演出的なすごさだった。
当初あった、牛腸茂雄写真展、爆竹、友人、扉、喫煙に使用される外階段といったアフォーダンス的な外界刺戟要素は、やがては原理的なものに巧みに配剤を替えられる。川、クルマの運転席と助手席の同乗関係、東日本大震災後につくられた防波堤、土手の道などに。並びうる場所、遮るもの、流れをつくりうるものに分離された世界で、朝子は亮平と暮らすはずだった関西の家屋の周辺で「いるはずのない白い飼い猫」を、名を呼んで探し続ける。それがとつぜん、半分閉じられた扉ごしに白猫を突きつけられるアクションに決着する。亮平の朝子にたいする、それまでの懲罰が明瞭になった惨い瞬間のはずなのに、そこには「試練→判明」という融解順序、あるいは懲罰対象が朝子から亮平自身へと拡大する空間順序が一瞬で確立され、それがあの圧倒的なラストショットを「おずおずと、しかも迅速に」用意するのだ。諦観と希望が綯交ぜになった終景というべきではないだろう。あらゆる順序が無化され、細部が一様化した別次元の何かがそこに現れたのだ。並んでいて、遮られていて、なおかつ流れをつくっている遠さのある屹立がそこにあった。このことのために用意された正面性。気づけばそれまでは映画は二人物を横から捉える生々しいショットを数々展開し、最初のクライマックス、ふたりの東出が一画面に収まる大仕掛けのあと、東出→東出の、ショット/リバースショットの切り返しを、ただ一回の映画的蠱惑として例外化していただけだった。けれどもふりかえれば、それ以外の各ショットの現実的な運用こそが、実際は世界法則の例外だったことがラストシーンから遡行的に判明してしまう。朝子のいること/いたことの決定性。みたことのない映画という感慨はそこからうまれたのだった。
掲載してもらえた
本日の北海道新聞夕刊に、地震関連報道の特別紙面構成のなか、連載中の拙コラムが無事掲載されました。札幌公開直後の三宅唱監督『きみの鳥はうたえる』、おなじく濱口竜介監督『寝ても覚めても』、11月にロードショー開始の武正晴監督『銃』を、例のごとく三題噺形式で紹介・考察しています。扇の要の位置に置いたのは、マニアックにも三宅監督の2012年の旧作『Playback』。新聞映評では通常、「物語」紹介が主なのに、果敢にもカメラワーク分析を主体にしています。字数的にもギリギリで可読性に達したアクロバティックな原稿。その点で愛着があっただけに、文化欄が消滅せず、とても喜んでいます
報告2
【報告2】
深夜ちかくになって、テレビの地上波画面がようやく自宅の受像機に出るようになり、11時台のニュースで初めて動画状態から地震の災禍を確認した。とりわけ胆振・厚真の山腹の大規模崩落、札幌市清田区の液状化の惨状に息を呑み、自分も体験する可能性大だった、停電の不如意のなかの市民のくるしみ、それもやはり他人事ではなかった。すすきの交差点の停電は深夜段階でもまだ実況されていた。北大の事務も機能停止だったらしく、事務メールが一切舞い込んできていない。北区の大停電に北大も巻き込まれているのだろう。電話確認したところでは、断水も付帯しているようだ。北18条あたりを居住の中心とする下宿生たち、命はともかく生活は大丈夫だろうか。女房は、ぼくの暮らす地域の復電が優先されたのは、震災復旧に重要な自衛隊駐屯地を控えているためかもしれない、とメールをくれた。
北海道新聞もなんとか懸命に発刊を続けているが、昨日の夕刊が4個面、今朝が16個面と、まだ通常の面数にもどっていない。写真構成。衝撃的な二段見出しの乱舞。じつはあすの夕刊文化面に、先月の第二土曜日=海の日の夕刊休刊のあと、ふた月ぶりに第二土曜日用のぼくの連載コラムが載るはずだったのだが、特別紙面のため文化欄全体が「飛ぶ」公算もあると担当者がいう。札幌公開直後の三宅唱監督『きみの鳥はうたえる』、おなじく濱口竜介監督『寝ても覚めても』、さらには11月にロードショー開始の武正晴監督『銃』を、三宅監督の旧作『Playback』を扇の要にして書いた、いわば濃密な原稿だ。ただし昨日の札幌中心部から自宅への帰路、停電をしいられてシアターキノは閉じていたし、札幌市民にしても地震の惨状に共苦して映画マインドにはなれないだろう。土曜夕刊の文化面が飛んだとしても、いたしかたない事情がそうしてある。
書き落としていたが、昨日、どこかノスタルジックな記事を書いた理由のひとつに、トンボがあった。トンボは秋が到来すると、大雪山での「避暑」を卒業して札幌などの地上に降りてくる。その群舞の数が並大抵ではない。いや、「舞」の字はふさわしくない。高速で多方向にスイッ、スイッと角ばって飛び、人体の間際で旋回したりする。まるでこちらの頰を斬りそうないきおいなのだ。一瞥でそんなトンボが空中に数百匹みえる。そういう日が札幌では年に数日あり、昨日はベランダで外のようすを確認した朝から帰途の夕方ちかくまで、たえずトンボとともにあったのだった。それが人々のすがたとあいまって、きっとノスタルジアをつくった。
ご報告
【ご報告】
揺れの衝撃と寝不足で朝からぼうっとしていた今日は、昼頃から重い腰をあげ、「生きるための努力」をしだした。東京にいる女房にケータイでせっつかれたためだ。ご存知のように全道停電という異様な事態で北海道の諸機能がほぼ麻痺したのだが、居住マンションの水道が電気によるポンプ汲み上げ式なので、断水というおまけまでついてしまった。食糧確保とともに、実際は死活に関わる局面に直面していたのだった。その自覚が当初なかった。
まずはトイレ用の流しの水の確保。断水をしいられた多くのマンション住民は、ポリタンクなどを持参し、最寄の公園などで一家総出の水汲みに精を出していたが、「生きる努力」のもともとないこの住人のこの住まいにポリタンクなどはない。ところが女房が、以前、ふたりで近場を歩いたときに見学した、山のうえの藻岩山浄水場で、土産にもらった飲料水緊急保存袋(ビニール製)がしまってあることをおもいだす。いわれた場所にそれはあって、ただしビニール表面に印刷してある使用法が、トリセツ音痴のぼくには解読できない。
昼頃の札幌は、とびかう電波の混雑からか、もうケータイで諸情報のアクセスが極度にできにくくなっていて、東京から女房がいろいろパソコンで調べまくる。なんと当該の藻岩山浄水場が飲料水の給付サーヴィスを緊急におこなっているという。それで前述の飲料水緊急保存袋(6リットル用)をふたつもってそこへ徒歩で向かった。ときに小雨のちらつく、蒸し暑い上り坂。浄水場自体が袋の配給元なので、複雑な使用法も教示してもらえるだろうと。予想どおり、単純に係員のひとに袋をいろいろ案配されて水を入れてもらったが、両手に6リットルずつ、計12キロの重さの水運搬は非力なぼくには理不尽きわまる責め苦のようで、運よく近づいてきたタクシーを拾った。
その時点でケータイはもうバッテリー切れにちかづいていて、次は、充電サーヴィス探しが急務となる。なにしろ女房の指示がないと、不作為が習いのぼくには死ぬ惧れすらあるのだ。だからこれもライフラインの確保にちかい。女房がみつけたのが北1条の地元TV局、STV。水をトイレタンクに入れたあと、またタクシーに乗って当該局にたどりつくと、長蛇の列の終点に、「本日分の充電サーヴィスは終了しました」の看板を立てている係員がいた。相前後して、充電サーヴィスは札幌駅近く、旧市庁舎前の赤れんがテラスでもやっていると女房から、バッテリー切れ寸前のケータイにメールが入る。今度はなんとか充電にありつけたが、「おひとり様5分」の限定つき。充電時間を10分に延長させてもらい、やっと充電率20%の状態にさせてもらうのが精一杯だった。後ろにも多くのひとが並んでいたので。
ところで、今日の札幌市民は異様な緩衝地帯にいたはずだ。停電だからJR、地下鉄、市電はすべて運休。信号機が幹線交差点以外は停電しているからバスの運行も皆無。会社に行ってもそこすら停電状態なのだから、父親が自宅待機というパターンが多かったのだろう、それで久しぶりに父親の指導下で、幼い子もふくめ一家が食糧と飲料、ならびに緊急時必需品の買い出しに励む姿が目立った。地震という非日常によって突然めぐまれた一家和睦の週日。ヘンないいかただが、どこかみな、愉しそうなのだ。
非日常と日常との予期しない配合ならいろいろあった。まずは地震後10分ていどで全道一斉停電になったのだから、TVが助けにならず、朝になって日の光のもとあらわになった被災地の惨状を動画でみているひとがあまりいないはずだ(ぼくもそうだった)。自宅待機パパが多いのだから、クルマの通行量も通常に較べかなり少なく、それだけで非日常が到来している感触だが、信号機の麻痺によって、道路を信号なしで渡る原初的=昭和30年代的な「かつて」も人々に蘇っている。コンビニ、ドラッグストアなど地域貢献を社是にいれた業種以外は、ほとんど停電で店があけられない。そのような閑散とした街なかを、交通機関が麻痺しているものだから、わりと遠出気味に一家それぞれ、あるいは恋人同士がわたりあるいて、さながらピクニックのようなのだ。店を閉めざるを得なかった店主のおやじたちは、店先の椅子に自ら坐り、往来をぼんやりと見渡している。ここにも偶然あたえられた寸暇を愉しむ倒錯がぼんやり滲んでいた。
赤れんがテラスでケータイをやっと充電率20%にしたのち、タクシーばかりに頼るのもバカらしくなり、小一時間かかる徒歩での帰宅を決意。電池式のケータイ充電器が見つかるかもしれないと狸小路をあるいてみると、目当てのラオックスは店を閉めている。ドンキにひとが屯しているほかは軒並みシャッターが下りているのだが、一風堂が果敢に店を開いて俄か難民を店先に集め、飲み屋が二軒、臨時で昼間に開店して、おもに外国人観光客のために、おにぎりを売りさばいている。その外国人たちも予期せぬ非日常を、不如意さを超えた奇異さとしてどこか珍しがっているようだ。彼らは日本でこんな経験をしたと帰国後、知己に自慢げに今日のことを語るのではないか。
帰り道には幹線の舗道ではなく、古くからある東屯田通を選ぶ。雲から濾過される陽光の加減で、街自体が不思議な黄色に染まっているなかを、子供連れの父・母・祖父母などが悠々とコンビニ袋を提げて歩いているのをみると、ぽっかりあいた空虚のなかに、どこか前述した「昭和」を嗅いでしまう。一家というものの本質は、実際はあまりかわっていないのではないか。時間にあいたこの景観の「穴」が、実際には起こっている惨たらしい被災からの「緩衝帯」になっているように錯覚した。風のなまぬるさと自らの首筋の汗が、錯覚に拍車をかけたかもしれず、自分がとてもぼんやりと歩いているとおもった。
さて東屯田通を南下して、自宅ちかくの南22条あたりに近づくと、風景に異変を感じだす。それまでずっと消えていた信号機が連続して点灯していて、内部に明かりのついている店も現れはじめ、あきらかに復電の徴候があるのだった。床屋さんのサインポールも点灯状態で回転している。とうとう自宅マンションに辿り着くと、エレベーターが作動している。家に入り、ブレーカーをオフからオンに戻すと、家の明かりも点いた。蛇口をうごかせば水も出る。ケータイの充電も可能だ。つまりいろいろ昼すぎから札幌内をさまよったのだが、自宅で待っていれば、すべて問題は自然解決したということ。それでも、ひさしぶりにからだを使ったのと、街なかに静謐な「昭和」を見たのとで、無駄足をつかった徒労感がなかった。むろん他の地域にさきがけて電気の恩恵をこうむった僥倖もそれにくわわる。
ところでまだ問題がのこっている。テレビは電源が入るのだが、画像が出ないままで、結局、地震によってどんな災難がどんな規模で起こっているのかを、動画状態でまだみられないままなのだった。
ともあれ、みなさん、ご心配をおかけしました。励ましに感謝いたします。
メモ142
142
ときを統べているのが残鶯のたぐい
番屋にてもながく世はながいまま
もちよる身のあと息だけのこる軽さ