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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

刑余

 
 
【刑余】
 
 
くりかえし飲食をしくじっている
きのうより瘠せるか肥るかしている
たぶん瞬間へのかんがえが惰弱なのだ
 
おやをはんでいるようにうごく
くちばしのひらきもできなかった
 
おんせつをくだき恥を嚥下する
はいぼくがこのあるべきくちになく
かおがまちがっていたにきまっている
 
のべたらなながれに絢をそえる
瞬間こそがわたしのかわりに
くちをひらくぜんぽうで
ことばもキスもするわたしは
咀嚼に耐えなければならないが
 
刑余にむけ椀へひかりもられた
こめすらくるしみなくあまいだろう
 
 

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2019年03月31日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

器官

 
 
【器官】
 
 
じぶんがかげのような死神で
だきしめたものをころせるならば
ぜひともあれをとねがう幹がみえた
 
しぬおりには乞うすがたをして
たかさをあおぎ、せつなく崩れたいが
だれかにふれられることで伝えたい
終焉の中途というたかはらもあるのだ
 
そんざいをめぐり球面のならいで
ひふはかぎりなく連続している
 
耳の左右のはなれにも周回がある
 
聴くうちに幹のむすめはめくれ
あいだには身を粉に、がまいおり
 
むらぎもなどじぶんに持たなかった
 
 

2019年03月28日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

卒業

 
 
【卒業】
 
 
みなみ風のはげしく荒れる日は
爾後もおぼえているにあたいする
おなじ舌が空でひるがえりやまない
 
わたくしどもの生きはさみしく
ものを祝うならその渦中にではなく
事前と事後の二度にこそそうすべきだ
渦中ならしずかに惜しみそれでも
祝意を倍にせずどう元がとれようか
 
予感しつつおくれだすこころばえが
たずねてする予祝のさだめだった
ことばみなが見送りだとも知っていた
 
みなみ風のはげしく荒れる卒業は
まなこをあけられぬまぶしさ
かおにきざまれたささくれすら
いならぶみなをいたみあげた
 
 

2019年03月25日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

運び屋

 
 
クリント・イーストウッド監督主演『運び屋』は朝鮮戦争退役軍人世代で、「男」を貫いた類型の、現在生存中ならという条件付きでその寒々しい孤独と、悔悛後のほんの少しの光明を描いた、恐ろしい映画だった。花作りに情熱を注いだあまり家族の大事な記念日にことごとく非礼を尽くし、家族から見放され、インターネットの花販売の影響で花農場を倒産までさせた90歳老人というのがイーストウッドの演じる主人公だが、彼は『グラン・トリノ』のイーストウッドの延長線上にそのまま存在しているようにも見える(あちらはモン族が民族的な混成要素だったが、今回はヒスパニック=メキシカン)。だから運び=移送を任務にしだしても、『ガントレット』のイーストウッドよりも格段と孤独に見える。イーストウッドは最後、家族に詫びる機会を得、また刑にも服することになるのだが、このときの「悔恨」テーマの深さは90年代前半の彼の監督作を髣髴とさせた。ただしあの時はイーストウッドの顔の皺の深さが悔恨と釣り合っていたが、本作ではイーストウッドの老いた体全体が悔恨を体現していて、慄然とさせる。たぶん今作のイーストウッドは若い頃に比べ身長が20センチていど縮んでみえる。共演女優に背の高いひとを配しているのだ。足元もよろよろにしている。本作のイーストウッドがジェームス・スチュアートに似ているというギャグが出てくるが、むろんこれほど老いを凄絶に晒したハリウッドスターは数えるほどしかいない(それでもイーストウッドはとてもうつくしい)。どのような因果関係かはっきりさせずに、クライマックス近く、黒いトラックの運転席のイーストウッドが、頭からの出血により、ゆっくりと顔に血流の筋を作り上げるのは、老いた肉はその醜さにより己を恥じて出血するという啓示だったのだろうか。とはいえ家族に疎まれたあと、自然に運び屋稼業に手を染めてゆく冒頭の描写の物語効率の高さ、運び屋過程での寄り道の予測不能な破天荒ぶり、さらにはいよいよ問題の運び屋の照準が定まったあとでのクライムサスペンスぶりは30年代からのアメリカ映画の王道を行く。それに見事にロードムービー性まで絡んでいるのだから脱帽のほかはない。なんと成熟した語りだろう。イーストウッドは自身の老齢化を讃美しているわけではない。「100歳まで生きたいのは99歳になった老人だけだ」という恐ろしい科白すらあるのだ。いずれにせよ、アニバーサリー、老齢化、一日だけ咲くリリー、運びの回数表示、苦痛の数十年の前にあった幸福な十年、カネと時間の関係など、作中には重層的に「時間」がテーマづけられている。再見したときはこの主題が映画的にどう昇華されているかに注意が払われるだろう。ちなみに本作は実在事件から着想されている。それと、アンディ・ガルシアが出ていたことに、クレジットで気がついた。3月19日、丸の内ピカデリーにて鑑賞。
 
 

2019年03月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

嵐電

 
 
すごい映画を試写で観た。鈴木卓爾監督『嵐電』。路面電車と縺れ合うようにいくつかのボーイミーツガールが進み、「どこにでも行ける」。ヒロイン嘉子役の大西礼芳の表情変化とタイミングと対象との距離に動悸と笑いがやまず。弁当屋さんの女子が方言指導で俳優と知り合いになる発端が素晴らしい。両輪性、ループ、幻想、キスの衝突など、路面電車的運動はさらなる増幅までかたどる。風景をやさしく、しかも飾らずに捉える鈴木一博のカメラに打たれ続けた。昼も夜も良いのだ。もともとぼくは江ノ電沿線に育ち、今も札幌市電の沿線住人なので、市電的なものには親和性があって、泣けてしまう場面もしばしば。複雑な語りなのに透明感があって、鑑賞に齟齬をきたさない。なんという叡智だろう
 
 

2019年03月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

仙境

 
 
【仙境】
 
 
水仙のひろがりが
しろくきいろくあり
かさならないものらのつねのように
 
おおきさをくつがえしゆれていた
 
そこからあそこへと
しゅうじゃくなく扇がのびると
百秒後の自分がみえるのも
 
恍惚のさだめなのだろう
 
ひかりはさす、ささなかった
ナイフをかたち以前にもどすために
 
よらない多数のむごい
さす、ささなかった

うごきうごきにありふれていた
 
 

2019年03月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

雨水

 
 
【雨水】
 
 
いくつか点をみおろすのはすきだけど
気圏のおびがうすくゆれているのは
はじめおそれてみあげるはずだ
 
どうしようもなく地圏の丘にあり
たたずみながら通過しているからだは
 
もうちかづいたとおぼえても
さらにちかづくものをながめやった
ひとつながめやることが
ひとつしずくまでもかたちした
 
めしあ、めしあ、みえないし
みえたとおくもまなこをでられない
 
そとには外しかないのだろう
うすぐもるふらののはて
あめとなる層のほうをのぞんだ
 
 

2019年03月09日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

五尺

 
 
【五尺】
 
 
ちりしかれたバラのはなびらを
秋のおわりになげいて焚いた
そのときの箒とほのおをおもった
 
かこわれて庭となった方形に
きみは箒とほのおよりさらにうすく
 
あけぼのの肩からあしもとへたれて
かげのようにひろがってもいたのだが
ふりかえってとささやきだすなら
ひらいた無対象へのいざないがあった
 
かおりの門をでた路地はしかし
焚かれなかったはなびらをくだき
そこに音を燻ずるすべもなくて
 
おんなであること五尺が
庭につぼむだけだった
 
 

2019年03月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)