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ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

創成

 
 
【創成】
 
 
ゆきかうひとらに雨傘がふえて
そらの雲はささえられだしている
 
さきごろまでうすいふちのカップで
ときを透く葛湯をのみすぎ
つましくうすくなったくちびるは
 
傘をかたげ天からのかんろを
くらいあなへいれようとひらく
このとき傘とすがたの分裂があり
かいやがらがこわくゆらいだ
 
おんなのようにいろどりになれば
あま傘も雨中をへだててやまず
創成橋にいたひとりがきえた
 
 

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2022年03月23日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

白石和彌・死刑にいたる病

今日3月16日、札幌の試写でみた白石和彌の『死刑にいたる病』が大傑作だった。キャスティングを記すだけで、何かネタバレの域を踏み躙りそうなので、全部抽象的なメモ書きで行く。

・拘置所の面会スペースのガラス張りの「向こう」に比較を絶して聡明で礼儀正しく恐ろしい犯罪者がいるという点では紛れもなく『羊たちの沈黙』の系譜
 
・開巻10分くらいの身の毛もよだつ残酷描写で観客を一挙につかむ
 
・拘置されているのは24人の、真面目で優秀な制服姿のハイティーン男女を次々と別々に殺していったとされる、秩序型のシリアルキラー。その佇まいの端正さが映画の質感を決める。この俳優のこの質感はとても怖い。とりわけ流暢な淀みなさと笑顔と柔らかい発声と間合いが出色だ。白石和彌が男優の造型において驚愕をあたえることは知られているだろう。『凪待ち』では香取慎吾の巨躯に寡黙な悲哀を接続した。『孤狼の血レベル2』では鈴木亮平に叡智とスピードと飛躍と脱領域による恐怖をあたえた。『死刑にいたる病』の主役犯人はそれらとはいずれも対蹠的なまま、そこにあらたな魅惑化がおこっている。丁寧な手数をかけ、偶然を装って生贄から一旦は信頼をかちとり、拉致後の急転直下、犠牲者に壊滅的な絶望と痛みをあたえるという手続きの典雅さが印象ぶかい。いずれにせよこれら優秀な男優造型には肉体=肉塊の部位と輪郭が確定できず自体溶融するフランシス・ベーコン的なものをみとめるべきかもしれない
 
・問題は犯人が殺したとされるうちの一人だけが自分の犯罪美学にもとる冤罪だと犯人が主張すること(それで「部分」検証が主眼となる)。全体が承認され、部分だけが審問にかけられる領域流動性が認知にとって禍々しい。いささか大技だが、その真犯人の捜査を、中学生のときにその男と懇意にしていて、いまは三流大学の学生が、担当弁護士事務所のアルバイトとして請け負い、しかも彼は弁護士の名刺を偽造、具体的に資料を駆使し、捜査領域に入ってゆく。そうなる必然は事後的に理解される。三流大学とはいえ、美形とともに秘められた能力があり、その自信なさげで謙譲的な捜査のすべてが実は的確だった。真相は高効率で近づいてくる。話法は全然ダレない
 
・この彼の例外的なポジショニングはやはり部分性の強調と通じている。彼は弁護士事務所の部分であり、シリアルキラーの部分だった。端的には半端だということ。よって主題も部分化、微分化ということになる。つまり、部分に肉薄していって全体性が不安定になる代わりに、部分が極点へとさらに収斂し、その様相や角度が伝わってくることでいわば微分が起こる。線形外が生じる。とはいえ蠱惑的な話法は実際はほぼこの原理に基づいている
 
・この部分化が配役の身体レベルでも起こり、運動的特質をもつ。手→指→爪、がそれ。だから部分化は細分化と換言してもよかった。それが作品の恐怖とエモーションの肌理を保証する。ただし手の部分化はブレッソン『スリ』の犯罪をおこなう手の全体的機能性の換喩的摘出のようではなく、部分がさらに部分化するように流れてゆく。同時に細分化は、殺人者がおこなった犯罪ディテールの、シャッフルとも紛う連続性へも転位する。そのとき犠牲者を演じた名も知らぬ俳優たちの胸騒ぎする魅惑に頭がおかしくなる
 
・面会室が、犯行舞台と共に中心化される。このとき面会される犯人と、看守のあいだに宥和が起こっている。結果、面会スペース自体が夢幻的に変貌する。一体そのシーンを正常な神経で見ていたのだろうか。このときも「手」が大きく物を言う。ひたすら驚愕した。そういえば面会室シーンは、かつての白石監督の出世作『凶悪』でも頻出した。「悪」を体現するに怪物的なピエール瀧、最後にはリリー・フランキーで。それらと本作では精度がまったくちがう。おおきな組成変更が起こっているといえる
 
・観客は物語の進展を追いながらもつねに推理を続け、最後などもどんでん返しを喰らう。少女的な共演者が存在感を増すそのラストは脳内に深く悪夢として刻印される。それらには時間の主題が付帯する。過去の写真の素晴らしさ
 
・主人公学生の出自の秘密がからみ、彼自身が犯罪者なのか自己実験をおこなうシーンなども、痛みが見事だ
 
・本作が犯罪ミステリ映画の白眉というのはこのような書き方でもなんとか伝わっただろう。面会室や取調室シーンのある黒沢清『CURE』、万田邦敏『接吻』と三璧をなす傑作と太鼓判をおしたい。これが監督白石和彌の強みだ。彼は残酷なポストヤクザ映画も瀬々敬久的な疎外者を主軸に置いた社会派的な重厚作も撮れる。その多彩さに身の毛もよだつ犯罪ミステリが加わったに過ぎない。残酷さは比較を絶しているが、エモーションの質が静謐なのが徹底的に正しい。中山美穂の表情にも謎がある
 
・脚本は高田亮。原作は櫛木理宇『チェインドッグ』。初版から文庫化にあたり、『死刑にいたる病』に改題された。部分的な改変もあるらしく、映画を観てから原作に当たるのがよい、という気がする。映画は5月にロードショー公開
 
 

2022年03月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

丘珠

 
 
【丘珠】
 
 
ひこう場のれんげのあたりに
あの丘珠璃子はいただろう
 
みぎひだり、あしんめとりいの
かおをもつきれいなむすめ
からだがかすんであおを発する
 
それでも腕や脚、それらは
どこへとつながっていたのか
あらゆる双数のゆめへとだろう
春のけはいは数にかかわる
 
しゅがーのかおがくずれると
うまそうな燕窩もあらわれ
れんげ雨がにおいだしてくる
 
 

2022年03月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

返照

 
 
【返照】
 
 
まうえのゆきぞらをみあげ
雪がひとみへふるにまかせた
 
くびからうえのまどをひやして
ただの空ではなくときをうつした
なみだとともにまぼろしがにじんだ
 
ゆっくりといちばへつどってくる
ゆうがたびとのけんぞくとなったが
みあげることがやすりをかけて
ひとらの返照も空にたいらだった
 
かおから綺羅をはがしつくした
身のたたずみもとぼしいか
ろかたの雪すら皺とあなだらけ
 
 

2022年03月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)

星辰

 
 
【星辰】
 
 
星がふたつあればすでに星座で
それらをにぎる手こそ
配列のとらえなおしで湿る
 
それでもつよくしたたるのは
双数の星がつくりだす共時なのだ
 
やがてあいまいになった把握は
こぶしで柑果をつぶしている
にがさともないまぜになり
てのひらのつづきをかんがえだす
 
たとえばめのまえにひらけば
掌上はしょうめつをかたどって
またもやよぞらへたちのぼる
 
 

2022年03月07日 日記 トラックバック(0) コメント(0)