ザ・バンドの歌詞
10月25日と11月1日の立教・ロックバンド講義では
ザ・バンドをあつかう予定になっていて、
その配布プリントのためザ・バンドとその関連の歌詞のいくつかを
あらたに訳出してみた。
すでに訳してあるものは「阿部嘉昭ファンサイト」
http://abecasio.s23.xrea.com
の「未公開原稿など」中、「ロック訳詞集」のなかに収録されています。
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【イン・ア・ステーション】
(ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』〔68〕より)
駅の通路をあるいていたとき
だれかがきみの名を呼ぶのが聴えた
町なかでは子供たちの笑い声がさざめき
その声にだれかの声がまぎれた
戸惑ってしまう、きみはぼくをみつけられるだろうか
ぼくが生きている理由もわかるだろうか
ぼくにくれる啓示はなにもないのだろうか
人生はあたえるにはふくみがすくない
山を正面からのぼったことがあり
そこで野生の果実をほおばった
腹くちて眠ったのち月光が差して起きると
きみの髪をあじわった気がした
これがだれものみる夢なのだろうか
のちに声を聴いたが夢じゃないようだった
怠け者の腹黒さからぬけだせば
ぼくらはなにかを感じあえるのだろうか
かつてぼくはむなしく、とりのこされた
もう明日という日も訪れなかった
きみの笑い声をぼくの歌声にすることもできたが
じつはいまでもきみの名前を知らないのだ
きみへはなにかを支払わなければならない
きみがあたえてくれた「よきもの」のお礼に。
噂ひとつできみの遠慮がもし生じているなら
愛なんて倹約する価値もない
【ウィ・キャン・トーク】
(同上)
いまならぼくらは説明できる
あいかわらず古いあの謎を。
それは半分到達したところでたんに始まった
いっときは混ぜ返したが、やはり持て余した
そう、ぼくは論理的に判断しようともしたんだ
けれどきみはそれを背信ととらえるかもしれない
ひとつの声が全員をもとめ廊下にこだまする
父なる時計の存在を断念せずに
それについていまこそ話しあおう
きみに教えてあげたいんだ
車輪を回しつづけるには
エンジンをはげしく燃やさなければならないと
きみは牛を搾乳したことがあるだろうか
ぼくにはその機会が一度あった
でも日曜(礼拝)のため恰好をつけていたにすぎない
きみが思い悩む誰にたいしても、どこででもそうした
こうべをまっすぐにあげて歩けば
いまこそそれについてぼくらは話しあえる
ぼくにはおもえる、ぼくらはみな
自分の舌下になにかを隠していると
きみに背中をかるく叩かれてさえ
もしかするとぼくの肺腑が破裂するんじゃないか
落ち込んでいるようにみえるならどうぞ助けてくれ
でもむしろぼくはカナダで焼死したい
南部で凍死するよりも
永遠の土地を耕すなら
ぼくらはより鋭利な刃をみつけるか
さもなくば新しい土地をもちなおすしかない
しばし休息し、あたまを冷やすんだ
必要ない、慰藉など必要ない
〔われわれを鞭打つ〕御者など身罷ったのだから。
塩辛さなくして恍惚もなし
いちど後戻りしてしまえばもう安心だけど
それでは木の葉がチョークのように白変する
だからいまこそ話しあわなければ
いまこそ話しあわなければ
【アイ・シャル・ビー・リリースト〔わたしは解放されるだろう〕】
(同上)
万物は置換可能らしい
すべては遠く近づきえないらしい
だからわたしは自分を拘置した
すべての者の顔を思い起こすこともできる
わたしは自分のひかりが輝きわたり
西から東へとあかりだすのをみる
いつの日かいつの日にか
わたしは解放されるだろう
万人には保護が必要らしい
万人には転落も必定らしい
けれどわたしは罵りつつ自分の鏡像をみる
この獄壁のはるか高みのいずこに
ほら、孤独な群集のはるかかなたに
ひとりの男が佇ち、無実を口汚く言い募る
一日中、彼がおめきつづけるのを聴く
冤罪だとただ叫ぶのを聴くのだ
わたしは自分のひかりが輝きわたり
西から東へとあかりだすのをみる
いつの日かいつの日にか
わたしは解放されるだろう
【ミンストレル・ボーイ】
(ボブ・ディラン『セルフ・ポートレイト』〔70〕より)
黒人の真似をするミストレル小僧に
小銭を投げる者なんているものか
だれがミンストレル小僧に賽を振る?
ミンストレル小僧にはだれも祝儀をださない
彼の魂を救うのは簡単なのにだれもが彼を失望させる
ラッキーはずっとずっとクルマをころがし
いまじゃエンジン切れ、山のてっぺんで立ち往生
前進ギアで苦労しながらやっと登りつめたというのに
――最初はレイディたちもあまた従えていたというのに、
いまじゃ彼はひとりぼっちで山上にとどまっている
彼は集団の奥にいて働きづめだった
彼――マイティ・モッキンバードは
ひどい重荷を背負ったまま境界線にも押しつぶされる
ほかに言いようなどない
彼があんなにつらい旅をしたというのに
ぼくもまだ旅をつづけている
黒人の真似をするミストレル小僧に
小銭を投げる者なんているものか
だれがミンストレル小僧に賽を振る?
ミンストレル小僧にはだれも祝儀をださない
彼の魂を救うのは簡単なのにだれもが彼を失望させる
【オールド・ディキシー・ダウン】
(ザ・バンド『ザ・バンド』〔69〕より)
ヴァージル・ケインがわしの名
ダンヴィル鉄道でご厄介になった
嵐村の苦難がきて
鉄路をひきさいてしまうまでは。
1865年のことじゃった
わしらはみなひもじく
飢え死に寸前じゃった
5月10日までには
リッチモンドが陥落した
あのときのことは
何度でも憶いだす
旧き南部が舞台からひきずりおろされたあの夜
鐘が祝福を鳴らしつづけた
人びとも和して唄った
行進しつつ、ララララと
女房を連れてテネシーにもどったら
あるときあいつが呼ぶんだ、
「ヴァージル、来て来て。ご覧なさいな
ロバート・E・リーが凱旋してゆくわ」
いまじゃわしは薪割り仕事も辞さない
給金が安かろうが気にかけない
ひとは必要分だけ稼ぎ
のこりは受けとるべきでない
けれどそれは最良賃金を得ている者の言い分さね
旧き南部が舞台からひきずりおろされたあの夜
鐘が祝福を鳴らしつづけた
人びとも和して唄った
行進しつつ、ララララと
わしの親父が以前していたように
わしも地に足のついた仕事で一生を終えようか
あるいはわしの兄貴のように
敵愾心をおもてに出そうか
兄貴は18にして
高慢で勇敢じゃった
だが北軍ヤンキーの手にかかり落命
わしは血にかけて報復を誓った
ケイン家の名をとりもどさねばならぬ
一敗地にまみれたままではおられんのじゃ
旧き南部が舞台からひきずりおろされたあの夜
鐘が祝福を鳴らしつづけた
人びとも和して唄った
行進しつつ、ララララと
【ウィスパリング・パインズ】
(同上)
きみが風にまかれるぼくを見つけても
ぼくを夢のなかにとらえても
そこはぼくのひとりぼっちの部屋のなか
どっちでもかわりなんかない
大木の松がささやきながら
永遠の時をそびえたつ
たったひとつ星のかがやきさえあれば
何とかその内側にもはいりこめる
ぼくは星天が大きくめぐるのを待ちつづけた
心のなかにきみを映しながら
満天の星が悲泣していた
ならば行こうか、ひと晩をかけて
声をとばす海へ
自分のちっぽけな生活に固執しても
いちどは彼女はぼくのものになってくれた
波よ打ちあげよ
カモメも高鳴け
ぼくの命がよみがえりさえすれば
これらの時また時も死ぬことはない
きみがそこに立っていると感知した
きみは可視的でなくても
遍在しているのだ
枯井のわきに立ち
むなしく雨乞いをする
雲をつかもうとしても
雲いがいの何も手残りがえられない
白昼夢のなかをただよう
夜が回帰すれば
旅の夜も涼気にみちる
すべてが大きくめぐるのを待ちつづけよう
心のなかにきみを映しながら
孤独な空の果てまで見透そう
【ゴーイング、ゴーイング、ゴーン】
(ボブ・ディラン『プラネット・ウェイヴズ』〔74〕より)
わたしはとある場所にたったいま着いた
そこでは柳すら風にたまわない。
形容しがたく言葉すらわかない
真の終末の土地だ
だからわたしはそこを通りぬけつつある、
通りぬけ、立ち去ってしまう
わたしは本を閉じた
その頁で、その箇所で。
あとに何が書かれているかは
さほど気にもしなかった
わたしは通りすぎるだけ
通りぬけ、立ち去ってしまう
わたしは縒りあわさった糸にずっとしがみついてきた
わたしは真剣にその遊びに興じてきた
だが束縛をとかれねばならない、
手遅れになるまえに。
だからわたしはそこを通りぬけつつある、
通りぬけ、立ち去ってしまう
祖母はいった、心のしたがうままに行くんだよ
苦労があっても最後には光明が差すから
黄金だってすべてがひかるわけじゃない
おまえとおまえが真に愛するものは
けっしてばらばらに離してはいけないよ
わたしはずっと旅をつづけてきた
わたしはずっと僻地にくらしてきた
でももうわたしは行かなければならない
このままでは岩礁にのりあげてしまう
ゆえにわたしは行くだろう、
通りぬけ、立ち去ってしまうだろう
【ホーボー・ジャングル】
(ザ・バンド『南十字星』〔75〕より)
その晩とても寒かった
放浪者たちの野営地は。
みな操車場に横たわっていたが
ツルテンの外套には霜がおりた
いまはけれどだれもいない
奴らがどこへ消えたかも知らない
同時にいえる
だれもそこから消えてはいないのだと
焚火がおわってからは
夜がしじまにつつまれた
ひとりの老人の凍死がみつかる
凍てはてた冷たい地面のうえで。
彼はさまよえる鳥だった
だからゆく道が彼を呼んだ
流木から流木にとまり
満天の星空のしたで眠った
何時間も暇をつぶした
トラックが通りすぎる街道から少し離れて
葬儀に参列した
葬儀は放浪者のたまり場でひらかれた
長年連れ添ったが
籍を入れたわけではなかった
漂流者も放浪者も
遠方の友もやってきた
怒りなく悔いなく身を横たえていた
真昼かがようベッドに
男たちはその場を離れなかった
あしたまかせでゆけばよかった
けれども連れ合いはその男に誇りをもち
ずっと死の床からはなれなかった
故人はみずからの一生をあだについやした
地平線を追いかけつづけ
路上で寝起きし
満天の星空のしたに野営した
施し物を漁りつづけた
通りすぎるトラックをとめて
【アケイディアン・ドリフトウッド】
(同)
その戦さがおわり
心が砕け散った
丘もいまだに煙でくすぶっていた
兵士らが引き揚げたとき
わしらは崖のうえに佇ち
舟をみおろしていた
それが転覆し合流地点に沈むのをみていた
彼らは盟約書に署名した
それでわしらの望みが絶たれた
見放された者を〔福音主義的に〕愛しつつも
彼らはじっさいその者に関心をもつことがなかった
なんとか子育てをしてみても
子すら最後には敵方にまわってしまう
戦さに斃〔たお〕れた者が
アブラハム平野に累々としていた
アカディア地方からの流木
ジプシーの追い風
彼らはわしの家を訪れた
雪深い国の家を
カナダの寒冷前線が
むかってきた
雪道にやっとこさ乗りあげて
雪道をやっとこさ進む
それから生まれ故郷に帰っていった者もあり
司令官は彼らを処分した
けれども居残った者もいて
生活を始めた地で死んでいった
彼らはけっして離散しなかった
彼らは自分らのやりかたで暮らしをたてた
わしらは一族で南の国境にかたまったが
彼らはすこしは成長していって
一帯をめぐりつづけた
彼らはある手紙に書いた
「人生はずっと改善できる
だから子供らよ、自分の土地を境界づけるな
あとは来る者をこばまず、だ」
アカディア地方からの流木
ジプシーの追い風
彼らはわしの家を訪れた
雪深い国の家を
カナダの寒冷前線が
むかってきた
雪道にやっとこさ乗りあげて
雪道をやっとこさ進む
零下15度
めぐりくる日々が脅かしとなった
わしの服は雪に濡れ
わしのからだは骨の髄まで水浸しになった
氷湖に釣り糸をたらしても
釣りは無駄のくりかえしにすぎず
結局ひとはその地を去りたがった
彼の知られるただひとつの家族も
渦を越え、漕ぎだしていった
聖ピエールの土地へと。
宣言するもの何ごともなし
わしらはみな消え去った
食い詰めて海岸地方へ落ち
しかもそこで最も傷を負った
みかねて人びとがいったものだ、
「あんたらはずっと放浪するほうがマシなんじゃないか」
アカディア地方からの流木
ジプシーの追い風
彼らはわしの家を訪れた
雪深い国の家を
カナダの寒冷前線が
むかってきた
雪道にやっとこさ乗りあげて
雪道をやっとこさ進む
永遠につづく夏が
瘴気にみちている
この政府はわしらを
鎖につないだままあるかせる
これはわしらの芝生でもないし
わしらの季節でもない
ひとつたりともかんがえられない、
ここに居残るべき、よき理由など。
わしらはサトウキビ畑で働いた
ニューオーリンズから出向いて。
一面が緑いろだった
洪水がそこらをおおうまでは。
これが予兆と呼ばれるべきかもしれない
小僧よ、おまえがどこへ行こうとも
羅針盤の指す北をめざせ
わしなら自分の血圧で天気がわかるが。
アカディア地方からの流木
ジプシーの追い風
彼らはわしの家を訪れた
雪深い国の家を
カナダの寒冷前線が
むかってきた
雪道にやっとこさ乗りあげて
雪道をやっとこさ進む
アガテアにいう、
〔※フランス語〕「故郷が恋しい」
〔※フランス語〕「太陽の涙を流す」
〔※フランス語〕「いまそっちへ行くよ、アガテア」
ディダラム、ディダラム、ディダド…
【サイン・ラングエッジ(手話)】
(エリック・クラプトン『ノー・リーズン・トゥ・クライ』〔76〕より)
きみは手話で
ぼくにかたりだす
ぼくがサンドイッチをほおばっている
ちいさなカフェで。
3時15分前だった
ぼくは応答ができなかった
きみの手話に。
きみはそれをいいことに
ぼくを失望させていった
声にだしてなにかいってくれよ
パン屋のとなりの店だった
彼女はぼくのインチキを水浸しにし
ぼくのでっちあげの話にも耳も傾けなかった
それでもぼくはその場にとどまっていた
あのときのことをずっと気に病んでいるのを
彼女はわかっているだろうか
リンク・レイの音楽が響いていた
ぼくがコインを入れたジュークボックスから。
ぼくが語ったことばのせいで
誤解がふかまっていって
うまいほうにもってゆけなかった
きみは手話で
ぼくにかたりだす
ぼくがサンドイッチをほおばっている
ちいさなカフェで。
3時15分前だった
ぼくは応答ができなかった
きみの手話に。
きみはそれをいいことに
ぼくを失望させていった
声にだしてなにかいってくれよ