武田肇の秋句
ご恵贈いただいた武田肇さんの第五句集
『二つの封印の書』をひもとく。
武田さんは詩もなし俳句もなすひとだから
詩的俳人の評価も罷りとおっているだろうが、
実際は「俳句知」がとても高い。
それが認識=配置の絢爛さではなく、
心眼の日本性にふれたときに、
ぼくは多く陶然とするようだ。
いまの季節を名残惜しみ、
秋の字の入った秀句を
以下、抜書きしておこう。
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跫の足と音とに離〔か〕るゝ秋
うちくるぶしそとくるぶしも秋時雨
「或る時」てふ譚〔はなし〕の端〔はな〕や秋深し
世界中の道の総数あき深し
窪のこる後部座席に秋深し
森を出る人匂ふまで秋時雨
秋深きメビウス坂の出入口
行秋やむかし野方に「野方町」
秋の暮すくなくも吾は四人ゐて
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ついでに「秋」の字の入らぬ、
素晴らしすぎる秋句もふたつ。
永劫に林檎うごかぬひるさがり
月を見て眼鏡を置かば月の音
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事物ではなく、「春」「秋」のように
季節と季語が一致したなかで俳句が詠まれると、
それはとうぜんメタ的な季節論の風合いを呈する。
象徴性が事物句より上位化するといってもいい。
むろんそれは秀逸な場合のみであって、
月並に堕すとむしろ惨状を呈してしまう。
以前、武田さんを「春」句の名人と書いたことがあったが、
今回の「秋」句のはるかさもふかく胸を打った