『贖罪』第二回 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

『贖罪』第二回のページです。

『贖罪』第二回

 
 
黒沢清『贖罪』第二回、鏡のショットから小池栄子登場。体育館の剣道場面は、塩田明彦『月光の囁き』を超えて三隅研次『剣』を想起させる。プールサイドでの小池栄子の必殺剣はまさに三隅研次。水橋研二の起用は『月光の囁き』つながり。

(※以上、若干アレンジしたミクシィでのアイカワさんの日記文、以下は阿部の書き込み)

つまり「研」の映画。

小泉今日子への小池栄子の手紙文。左利きで書く手と、小池の文面ナレーションの交響。素直なトリュフォーの参照。あるいは万田邦敏の非参照。なにかが「磨かれて」(研磨されて)いる。

教室。教室は中島哲也『告白』のように撮られるべきか『鈴木先生』のように撮られるべきか。廊下。廊下は豊田利晃『青い春』のように撮られるべきか。ここでも黒沢清は潜在的な中間態の提示に終始していたが、理科室での「いじめ」シーンは、羽根の乱舞が、塩田『害虫』を引用していた。

体育館という、たぶん伊藤高志にあって黒沢清には縁のなかった空間が、やがてドラマ上は相米的な室内プール場に化ける。このとき、プールサイドで「対岸」を捉える大規模なレール移動が開始され、小池の動きを捉える後退移動がそれに伴い、画面−運動が脱相米的に幾何学化してくる。そのるつぼにプール内に逃げ込んだ学童たちが、そして水橋研二がいる(第一回目の蒼井優の経血は、第二回では侵入者の刃傷によって体育教師から流された血に化けた)。

それによって再度の体育館シーンには小池栄子の演説、という中心性が付与される。フリッツ・ラング的な権力、大衆と演説者の対立。

反復。教室での小池の不屈。理科室のいじめと室内プールの惨事。「十五年前」と現在の反復。第一回と第二回の反復。

時間の皺と、陰謀の多重性。小池の過剰防衛を、怖さを、学校サイトの掲示板に書き込みつづけたのは単に父兄たちなのか、教頭なのか、水橋研二なのか、両方なのか。つよい者が転落する。「過剰防衛」を論題にされることの本質的な疎外性、恐怖。サミュエル・フラーのような。

非ホラー映画での、ホラーの呼吸。剣道で小池栄子が打ち倒した相手が侵入者に変わる。そのおなじ「侵入」の呼吸で、最後、焦燥し狂気を孕んだ水橋研二が画面に切り込んでくる。そのまえ、大がかりな木漏れ日を体育館の壁に当てる照明がベタ照明に不穏に切り替わる。あれは加藤泰にあった照明変化の継承だろうか。すべてがおもしろい。

算数の授業風景。小池栄子が三人の学童を黒板の前に出し、大きな定規をつかって「直角」を書かせるようすが、寓意的だった。あの「直角」とプールサイドの動きのなかにあった「直角」が照応しているのか。

むろん小池栄子の、いわゆる「魔女顔」の物質性を前面化したという点では、『贖罪』第二回は、万田邦敏『接吻』と双璧をなす。

それにしてもラストの唐突感の「後味の悪さ(鮮烈感)」は『接吻』のラストの完成感とは似て非なるものかもしれない。『贖罪』第二回ラストの感触はたとえばフラー『ホワイト・ドッグ』のそれに似ている。

むろん人物の内側に秘められた葛藤という点では、ここでの小池栄子は『降霊』の風吹ジュンとも拮抗している。いずれもが、テレフィーチャー作品というのが興味ぶかい。『降霊』はもしかすると黒沢清の最高傑作なので、『贖罪』第二回は黒沢清のフィルモグラフィのなかでも大きな意義をもつ。

それにしても、一画面一画面に「連想」を働かせる黒沢さんの力は見事だ。ただしそれは映画狂的な「引用癖」ではなく、もっとエレガントなものだ。つまり知識ではなく、血肉にかかわっているものだ。だから黒沢清がやめられない。

『贖罪』第三回のヒロインは安藤さくら。本日夜、WOWOWにてオンエアされる。
 
 

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2012年01月22日 日記 トラックバック(1) コメント(0)












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2012年02月06日 【剣道マニア】