『贖罪』第三話「くまの兄妹」 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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『贖罪』第三話「くまの兄妹」

 
 
黒沢清『贖罪』は、原作物だし一話一話にも振幅があるから、元来の黒沢清的世界(たとえば倉庫空間のがらんどうや半透明の幕)が描かれながら、そこに園子温的俳優(安藤サクラ)、熊切和嘉的俳優(加瀬亮)が介在して、清水崇的な瞬間まで訪れ(家階段の質感が『呪怨』をおもわせたのち、加瀬亮が二階の部屋の扉をあけると、マンガ『座敷女』のヒロインのように左右の眼の離れた安藤の風貌が、扉の開きによって徐々にあらわになってゆくときのホラー感覚)、大島渚的な結末を迎える、といった「複合」が起こる。

『贖罪』第三話「くまの兄妹」は、そうとはみえない「テリブル・マザー」(高橋ひとみ)によって引きこもりがちになった(むろん小泉今日子からの強圧もそれを促した)ブラコンの妹・安藤サクラが、連れ子をもつ女(内田慈)と結婚した兄(加瀬亮)に、連れ子目当てのロリコンの薄汚さを「見抜き」、葛藤に陥る、神経戦のような話だ(ところが描写の細部には、加瀬の犯罪性を実証するような明瞭な導きはどこにも置かれていない)。

『贖罪』各話にはかならず人物の出血があるが、今度は娘の死を聞いた十五年前の小泉今日子が、安藤サクラの子役時代の少女を玄関先に倒して流させた大量の鼻血がそれに当たる。それによっておしゃれな一張羅のワンピース(叔母からプレゼントされた)が台無しになったが、十五年後、「活人画的な同一構図で」(ゴダール『パッション』!)、今度は大人になって、おしゃれに興味をしめさない安藤に、兄嫁・内田慈から、おしゃれな衣服が授与される。結果、その衣裳をまとった安藤に再度、流血惨劇が訪れるのではないかというサスペンスが擬制されるのだが、それを裏切るのが、第三回から露頭しだした「円-球」をしめす主題系的な物質/運動だった。

黒沢作品への「階段」の例外的登場は、もう第一話の時点にあったが、第三話では階段は秘匿を解かれたものとして作品内に猖獗している(警察内、歩道橋、家屋内、倉庫内)。ドラマを呼ぶために別の主題系が必要だとたぶん黒沢監督は考えたはずで、それが球/円の主題系だった。ジャン・ジュネ『愛の唄』の主人公よろしく、安藤サクラが「くるくる回り」を室内で披露したのち、「円/球」は病原菌のように作品に蔓延しはじめる。リストバンド、輪投げの輪、縄跳び運動が作り出す輪(塚本邦雄の『日本人霊歌』にある《少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓駆けぬけられぬ》の一首をおもった)、オレンジ色の風船、庭の花壇にシャベルでつけられた同心円模様、クルマのハンドル、ショッピング・モールの建物のかたち(そこで安藤サクラは加瀬亮の、小学校高学年女児との「援交」を目撃することになる)……そうした円形反復ののち、やがて「何か」が人物を害するために「輪」のかたちをなす。それは映画的にいえば大島渚的主題の借用だった(大島映画の場合はそこに多く「日の丸」も付帯したが)。

安藤サクラが猜疑をおぼえた加瀬亮の行動は、眼を凝らしてみても、彼に生じた変態性欲疑惑の決定的な証拠を何ひとつ明かしていない。つまり黒沢清の描写は中間性に徹し、心理や欲望の奥行を秘匿しているということだ。それが黒沢監督の新しい達成点だといえるだろう。安藤サクラが最後に倉庫に踏み込んだとき、彼女が目にしたものは、それまでSOSを発していた義理の姪と、実兄・加瀬が織り成す、「駅弁」スタイルでの抱擁、ベッド上の抱き合いながらのぐるぐる回り、擽り遊戯などだった。そこで姪っ子は笑顔を湛えている。その笑顔が保身のための演技なのか、単純な快楽による結果なのか、眼を凝らしても終始不明な点がじつは最も怖いのだった。この映像の「中間性による戯れ」は予告されていた――倉庫内、吹きすぎる微風によって、ビニール袋が空中で「踊る」姿に(それは大和屋竺『裏切りの季節』ラストの蝙蝠傘のようだったし、コーエン兄弟『未来は今』の細部のようでもあった)。

映像的脅威という点ではもうひとつ、驚愕のワンショットがあった。安藤サクラを「ナメ」たテディ・ベア(今回のタイトル「くまの兄妹」にかかわる)のヌイグルミが、縮率のリアリティを突破して、やたらに大きいのだった(ゾッとしたあと、これが合成画面だという判断が生じる)。似た黒沢映画のディテールもあった。『回路』ラスト、煙を発して空を斜めに落下する旅客機も、また縮率異常的に大きかったのだった。
 
 

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2012年01月29日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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