倉田良成・東京ボエーム抄 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

倉田良成・東京ボエーム抄のページです。

倉田良成・東京ボエーム抄

倉田良成さんの『東京ボエーム抄』をたったいま読了した。
これで二度目だ。
自負の芳香と悔悟と人生愛をそれぞれ滲ませる極上の散文が計19篇並ぶ。
07年二月刊行の私家版。

各篇の終わり、そのそれぞれの「反歌」の位置には
サッフォー、吉岡実、石原吉郎、ボードレール、堀川正美その他、
引用詩篇がザックリ斬られて、放り出されたように置かれている。

ひとつの「読み」は、この反歌提示のほうが
もとの極上散文よりも「先験」していたと考えることだ。
すると「人工性構築」が、倉田良成さんの作文の動機となる。
こうした問いというか疑念は、解決に向け実は収束しない。
なぜなら、驚くべき記憶力によってディテールを羅列しつつ、
「スッと落とす」文のサスペンスというより「狷介美」、
文が刻印する抜群のリズム、奏でられてゆく複雑な奥行をもつメロディ、
そして博覧強記の「無底」をもふと感知させる文をつうじて、
繙読陶酔のうちにも、この「作者は要注意」と危険信号が灯るからだ。

巻末の行分け詩篇の例外を除いて「自作散文」を表面上並べたとみえるこの作品集は、
だが「詩集」と、作者によってはっきり銘打たれている。
これは「挑発」だろう。
未読だが今年は、小説と多くが認知する伊藤比呂美さんの
『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』に詩の賞・萩原朔太郎賞があたえられ、
一部に物議をかもしていたらしい。
何をもって、「詩」と「散文=小説」が一体分岐するのか。
これを論じないことには『東京ボエーム抄』評にはならないが、
とりあえずは、この点をのちの課題として作品の外郭から書き起こしてみよう。

タイトル「東京ボエーム抄」にすでに策略がある。
僕はクラシック音楽に極端に疎いが、
『ラ・ボエーム』といえば誰もがプッチーニ歌劇をおもうだろう。
詩と哲学と女と酒、それらの道具が揃っての
室内を舞台に置いた青春の狂奔。
誰かと誰かが熱く語り、誰かと誰かが恋に落ちる。
門外漢の僕には、その程度の理解だが、
「ボエーム」は(青春)放浪を旨とする「ボヘミア人」の形容詞。
以前、アキ・カウリスマキに『ラ・ヴィ・ド・ボエーム』という映画もあった。

「抄」の接尾辞にも作者・倉田良成の気概がみえる。
作品の全体構成は実は偶成的な抄録にすぎず、
この本の背後には「みえない全体」が控えていると示唆するようなのだ。
こんなふうに、「詩集」の体裁に自作群を切り取るなど簡単と、
どこ吹く風で嘯くような作者の表情がふと揺曳してくる。

倉田良成『東京ボエーム抄』には構成の妙がある。
慎みぶかい修辞により病名は伏せられてはいるが、
抗癌治療により頭髪の抜け落ちた男が、
小さな緩恢を得て病院から外出許可をもらい、妻とラーメン屋に入る。
そこで忘れていた春の訪れに直面し、胸に甘い痛みを拡がらせる――
およそこのように「要約」できるのが、冒頭「とんばた亭」だった。

次の収録篇がのちに詳述することにする「ゆふづつ」。
「青春終焉」の瞬間を、素晴らしい余韻の生ずるように切り取ったものだ。

以後、時間をいったん遡行して、「私」の人生の一コマ一コマを
鮮やかな回想で切り取ってゆく諸篇が並びはじめる。
克明な地名描写。友人や女たちが示した一瞬の姿の定着。
人生解決からは遠い、悔恨に値するような青春の狂奔が
文学愛、友愛、そして時々の人生の敗色傾斜などとともに語られ、
また語られた友は、人生舞台から
倉田の峻厳な修辞により、次々に脱落してゆく。無惨さが美しい。

当然、「私」の一人称がもちいられているのだから、
これら諸篇をつなぎ、読者は作者・倉田良成の「人生」を
想像裡に「再構成」しようとも努めるだろう。

典型的な「68年世代」。学生運動による高校中退。
以後は極貧の挿話も綴られる。デラシネめく共同生活の転変。
青雲の志は捨てず、「勉強会」をおこない、読書にも励む。
ただ、苦難がつづく。結果、詩を志しては、詩作も放棄する。
アルバイト先の下水工事会社での激務によって、
精神・肉体両面に失調を来す、という人生の苦患も余儀なくされる。
恋愛が成就しない日々。だがその果てに、とうとう伴侶も得る――
となって、冒頭の一篇に「作者の人生」が回帰するのだろうか。

僕はいまそれぞれの詩篇から「物語素」を抜き出し、
「要約」の手法をもちい、「ある男」の生を圧縮してみせた。
これがこの作品にたいし、「良い振舞」ではないとは伝わるだろうか。

屈曲や韜晦も孕む各収録文章から、確かに物語に還元できる材料を
尻尾として掴まえることはできる。
ただし、作者に生じているリズムが
その脈動のあいだあいだに記憶を挟みこむようにして
生態的に書かれている文の組成、これこそが見つめられねばならない。
リズムに代表されるものはむろん要約が不可能だ。
ただ、そうはいっても、石川淳でも上田秋成でも何でも、
リズムの良い散文というものが確かに世に存在している。

――だから言い方を変えてみよう。
倉田良成の文は、塚本邦雄的な美文と一見みえて、
実はそこから分解や抜き取りを促がす成行によって
「詩的な」不安定組成を隠し持っている、と。
たしかに書かれたものは牢固な文の塊にみえる。
ところがそれは一文一文の「束」の縛りが「同時に」淡く、
だから恣意的に文を抜くと、単純に詩への還元ができるのだった。
この組成の二重性が実は「詩の領域」に属している、といってもよい。

ところで僕は先刻、「ある男の生」と書き、「倉田良成の生」とは書かなかった。
つまり掲載されている文の一人称が
とりわけそれが小説なら、架空の生の描写のため導入されている
――こう考えることもできるからだ。
ともあれ、示されたものの「組成の二重性」は、
「私=倉田」という単純還元をも阻止する力となって働く。

「詩」が内在されていることの例示をしよう。
ただし、詩が脈動している点を露わにさせるため
僕の一存で、分かち書きに文を変形して
一篇から間歇的に文を抜き出す、掟破りの引用をしてみることにする。



二十歳にはまだ間があるころのこと。

海に沈んでゆく小さな太陽は
永遠が一瞬という針の
先端に震えるものであることを思わせたが、

夜には
空に懸かって小砂利をぶちまけたみたいな
強い光の銀漢を初めて見た。

突堤の夕陽は繰り返しやって来た。

海の前に立ち尽くして、
なんでこんなに禍々しいほど
美しい沈黙がつづくのだろうかと思う。

実は今でもあの浜で、
あの夏を過ごしている私たちがいるのだ。



「海」という文章から、時間と海に関わる記述を中心に抜いた。
そこに、小説的ディテールが噛み合い取り巻いているのだが、
こうして分光器にかけてみると、
あっさりと「詩」が出現してくる機微も理解されるだろう。

「私」は友人と二十歳前の夏、西伊豆の漁村にいる。
若さの特権で無謀にも同地に寝袋をもちこみ、
日々、海を前に、あるいは海のなかで極上の無聊を味わい、
それによって「精神」までもをボエーム色に灼かれたのだ。
しかも、それは幸福に終始するものではない。
「永遠」の所在を感知し、以後この体験は回想の元手となると同時に
永遠を希求する焦慮の引き金ともなる。

それで石原吉郎「海をわたる」から次の一節が反歌として引かれる。

愛することは
海をわたることだ
空を南へかたむけて
水尾の行く手へ
たわんだまま
はるかなものと
なってわたることだ

「至福」が「漂泊」への引き金を引く――
石原吉郎のしめした逆説を、
「作品に捉えられた男」は人生上、反復してもゆく。
もう一篇、事が恋愛に関わるだけに
悲痛が読者の胸を潰すような「言問い」から
中途と末尾の二箇所を引いてみよう。



初め愛されているということが
どうしても信じられなかった。
いやほんとうは、
たやすくその現実を受け入れぬことによって、
私が愛されているという驚くべき事実を
この世から秘匿し、
かつ鍾愛していたのかもしれなかった。

[…]

絶対にあってはならぬ幸福というものの実現。
そんなものに人間は耐えられるはずがない。
私は熱に浮かされ気がふれたピエロみたいに、
彼女に金の落葉の美しさについて、特権者について、
神から全速力で遠ざかる恐るべき神性について、
夜の煌きについて、語りつづけた。
同時に私は分かっていた。
そのとき彼女が私をどんな
悲しげな目で見ていたかということ。
私が彼女をどんなに傷つけてしまったか、ということ。
秋が終わりかけて本格的な冬が始まるころ、
痛いほどの星の光の下を
彼女と何も言わずに長いこと歩き、
私鉄の駅でおやすみを言った。
数日たって電話をして、
私のほうから別れを告げた。



時に修辞に平叙体が混入するから胸を打つ、とおもう。
誰しもに普遍な「恋愛不能」が唄われているがフォーキーではない。
「語りつづけた」の前の畳みかけなどは明らかな詩文だ。

「詩文」というならば、読み手の人生に深く照射浸潤する
「同調の魔」もまた、物語に拉する散文とはちがう、詩文の証ともなる
(この区分でゆくとネルヴァルの『オーレリア』もプルーストも
「詩文」ということになってしまうのだが)。

You don’t know what love is

倉田良成の肉を染めているのはその哀しいバラードの旋律だ。
このときの男の相手は、自分の真意をつたえようと男を書店まで引き
言葉なしに万葉集の相聞歌の頁を繰ってみせた女だった。
この女の無言と、文の背後に巣食っている「沈黙」が拮抗している。

恋愛は、あるいはぎりぎりの恋愛未然は
語りつづけられる男の身に、愛の不適格者の烙印を捺す。
このとき惨さを「相手」と「自身」に共有されるかたちで
倉田の文に、ボードレール的詩性が生ずる。
「深き淵」の一節――



私についたのはやせっぽちでソバカスだらけの、
中学を出て間もないような娘だ。
店に出るようになって
一週間もたっていないのではないか。
何を話すでもなく、私の水割りをつくるほかは
ただ黙って私の体を両腕で強く抱き締めるだけである。
私のどこを触るでもなく、
また自分のどこを触らせるでもなく、
顔をうつむかせ、若鶏ていどの肉のつくにすぎない
か細い少年のような全身をひたすらに押しつけてくる。
媚態というより私はまるで
憐れみ[ピエタ]の深い抱擁のただなかにいるような
感覚に冒された。



「若鶏」の比喩の効力(嘉村礒多のようなリアリズム)。
「冒」の字の奥行。そしてやはりここでも神性が出現してくる。
哀傷=キリスト降架=ピエタ。
それによって私がマグダラのマリアに抱かれる
死体のイエスへと変ずるような逆転の絵図が浮ぶのだ。
何重もの聖性反転。これを(擬似)恋愛中に経験すれば神経がやられるだろう。

これほど恋愛不能を刻印された「この男」に
前言したようについに婚姻の祝福がもたらされる。
相手との初デートは「悪い冗談のようだが」「浦安にある[…]遊園地だった」。

I know what小市民 is

逆説なのか喜劇なのか判然としない。
ただ、そのような場所に「このような男」が身を置くことに
僕自身はふかい哀しみを汲んだ。
それからは二人、遊園地施設をデート日ごとに行脚する日々が続く。
僕が「泣けてしまった」この文章のラスト。
これも分かち書きに直して引用してみよう。



日が斜めになってきたので、
地下のワインショップやデリカテッセンで
酒と食料を買い込み、
太陽の最後のきらめきが射している
ベンチに坐って乾杯をした。
都会の真ん中なのに
白銀の虫が沸いていた気がする。
暗くなるにつれ、まわりにいた恋人たちは
一組去り二組去り、やがて誰もいなくなる。
完全な夜が来て、タワー塔や高層ホテルの影が
峻険なまでに高く伸び上がり、
私と彼女はその先の空に、
配所で眺めるような大きな月を仰いだ。
ふたりともこんなふうに逢うのは限界だと感じていた。
年が明けて、彼女は私の妻となった。



最後の二文の「圧縮」と、そのまえの伸びやかな情景描写。
この斑らもまた「詩性」と呼ぶにふさわしい。
そして僕は「こんなにもその夜を憶えている」、
ひとの記憶の切なさにさしぐんでしまったのだった。

僕が「アッ」と驚いたのは
二番目に収録されている「ゆふづつ」だった。
有志で集まり、早春に川に行き、
それから白梅見物としゃれこんだ、という文の成行が
一瞬にして、青春終焉の哀悼色を帯びてくる。
この詩が二番目に置かれたことで、
以後一コマ一コマしめされる青春断面が
風前の脆さを美しく湛える、そんな構成の妙を得たのだった。
以下、当該箇所の引用――

――このなかで、誰が誰を求めていて、誰が誰を裏切ったか、
誰が誰を断念して、誰が世界の何を断念したか、
みんなお互い解りつくしていることだ。
なにも言わない代わりに、
こうしてただ酒を飲み、歌をうたい、花を見つづける。
浅い春の、これがみんなで集まる最後の一日だということを、
私たちは痛切に知っている。
やがて暗くなり、私たちはかがやく街に降り立つだろう。
踊り、うたい、酔いつぶれて、店の灯りから、
ひとり、またひとりと消えてゆく。



この一節には、何層もの交響が可能だとおもった。
僕がまずおもったのが赤尾兜子の、青春挽歌をおもわせる次の名吟。

《野蒜摘み八岐に別れゆきし日も》

僕はこの句を一人連詩『大玉』中「てつぶり」で部分引用した。

同じ気分をもった詩は連作「動詩」中、「さる」にもあった。
十行と短いので全篇引用を許してもらおう。

起床後すぐ浅酔いになって
微風にゆれている
白をこぼす坂の浜茄子を
茎から剪りあつめては
ひとつごとにそれぞれが
すきとおる接吻をあたえ
島影をはにかんで行き交う
うすい俤も心にえがいた
我々はその蜻蛉島を去る
――以後 若さを知らない

さらには、「かがやく街への降り立」ちかたは、
「作中の男」の往年のデモ行進の熱狂とも交響している。
銀座を起点とした反戦デモ。季節は70年代初頭だろう。
デモの行程は赤坂見附、青山一丁目、神宮と伸びていって、

巨大な神宮の石灯籠が視界に現れるころ、
私たちは滝口にむかう流れの高まりに浮かんだ
舟の客みたいな気分がしてくる。
驟雨を浴びたような四月のあかるい午後、
酒も飲まないのに奇態に明晰な酔いのうちにある。
河の流れがやがて極まって、
われわれを連れて真っ逆さまに墜ちてゆく瀑布の先に、
シブヤという、痛い光の震える暗渠を見た。
(「THE CRUELLEST MONTH」最終部)

むろん、「ゆふづつ」は倉田のいつもの流儀どおり、
その終結ののちに既存詩からの「反歌」を置いている。
朝から梅見に有志と繰り出したという文の冒頭を念頭に置き、
晩に一日の慰安が果て、一人ひとりが欠けてゆく文の経緯は、
朝の世界的散乱を夜が個別性へと帰着させるという趣の、
以下のサッフォーの美しい詩篇(呉茂一訳)により
「交響的に」救済されたのだった――

夕星[ゆふづつ]は、
かがやく朝が八方に
ちらしたものを、
みな もとへ
つれかへす
羊をかへし
山羊をかへし
母の手に
子をつれかへす

すべてひとつの文が別の詩を喚起している。交響している。
これもまた書かれたものが「詩文」だった証となるだろう。

それにしても倉田良成の時代の空気と風景の喚起力とは一体何か。
僕は掲出した「THE CRUELLEST MONTH」中の
「巨大な神宮の石灯籠」から表参道一帯の姿が
時代色のなかにまざまざと見えてしまった。

それはたとえば「豊玉姫」中、「渋谷の百軒店」の「名曲喫茶」から
実名表示されていない「ライオン」の店内を導くのと同じ効果だ。
黒い壁。青い照明。同伴喫茶型に並ぶ白カバーの椅子。
一言も許されず、ただクラシック音楽が大音響で流れる店内。
僕が大学生のころは、ここで長髪族が禁欲的に読書か書き物をしていた。
誰もがビビる、文学志望者の聖地で、実は僕自身も愛用していたのだった。



大体以上で、『東京ボエーム抄』の美しさや挑発性が伝ええたとおもう。
もう文も予定以上に長くなっている。

最後に倉田さんについて少しだけ。
第一詩集は19歳時、72年の時点で上梓されたということだ。
実は倉田さんは、『東京ボエーム抄』といった詩業以外にも
多彩な書きものの活動もなさっている。
『東京ボエーム抄』ご恵贈のときには、
「付録」として、食エッセイを集めた『解酲子飲食』(03年、開扇堂)という
瀟洒で、可愛さのあまり微笑んでしまう本がおまけについていた。
そして何と今日も、『ささくれた心の滋養に、絵・音・音楽をほんの一滴』
(06年、笠間書院)という芸術論集を郵送していただいた。
博覧強記はこれらでもわかる。底知れぬ人だ。

「なにぬねの?」で倉田さんの詩への注目を導いてくれた
近藤弘文さんにも最後に深い感謝の念を捧げ、この小文を終わります

2007年12月14日 現代詩 トラックバック(0) コメント(6)

『東京ボエーム抄』、怖い本です。

http://plaza.rakuten.co.jp/goingkyoto/diary/200702060000/

に、感想を書きました。
よろしければご覧下さい。

2007年12月15日 高野五韻 URL 編集

高野さんの『東京ボエーム抄』評、
いま拝読いたしました。
素晴らしい書評でした。

「記憶」は当人のものなのに、
それは余人にも反映されてゆく。
人生の機微でしょうが、
高野さんのおっしゃるとおり、
その無限は恐ろしくもあります

2007年12月15日 阿部嘉昭 URL 編集

倉田良成の詩のすばらしい理解者が出現したことを喜びます。間然するところのない鋭さと深さをもった圧倒的な「東京ボエーム抄」批評です。私も倉田の詩集や最近出た「一滴」の書評などを書いていますが、阿部さんのものを読み、恥ずかしくなりました。

2007年12月15日 水島英己 URL 編集

わ、水島さんからもコメントいただいた(笑)。
このmixiはりつけブログ、
読まれているのでしょうか。
これまでコメントがずっとなかっただけに、
悲観していたのでした。

水島さん、FARMの成行、注目しています。
詩よりも本当は連詩のほうが先行するのではないか、
そんな過激なことを考えてもいるのです。

詩集評もまた、連詩の「付け」のようなもの。
詩で書かれる必要があるのかもしれませんね。

あ、『一滴』のご書評はどこに書かれたのですか?

2007年12月16日 阿部嘉昭 URL 編集

http://plaza.rakuten.co.jp/waterisland/003008

阿部さん、お暇な折にお読みくだされば幸甚です。

来年あたりから暇になりそうなので、連詩の末席に加えてください。

2007年12月16日 水島英己 URL 編集

『一滴』書評、拝読しました。
重量級で、長い。
それだけで素晴らしい(というとヘンですが)。
「おバカ感想」の趨勢に過激に抗っていますね。
僕自身の『一滴』読了後、もう一回再読してみます。

「連詩」はいままだ「12人連詩」をやっていて、
それと今年は「一人連詩」を仕上げました。

「付け」の法則を、詩篇においてどうつくりあげるか。
まだまだ模索中です。
解答が出たらまた、新しいことをやりたい。

大人数でやるか、少人数でやるか。
複数の興行を同時開催するか。
写真、短歌俳句など、他の表現形式との連詩もあるか。

水島さんこそ、僕の相談にのっていただけたら幸いです。

来年はお会いしたいです

2007年12月17日 阿部嘉昭 URL 編集












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