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坪内祐三・探訪記者松崎天民 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

坪内祐三・探訪記者松崎天民のページです。

坪内祐三・探訪記者松崎天民

 
 
坪内祐三『探訪記者松崎天民』読了。新聞ジャーナリズムを主軸に、明治期から大正期にかけ、足尾銅山事件、木賃宿ルポ、娼窟ルポなどを、ヴィヴィッドな小説的(慨嘆的)文章で「探訪(ドキュメント)」した松崎天民(食道楽エッセイも著名)の「評伝」。

松崎天民といっても一般的知名度は低いかもしれない。竹中労の「素軽い」先駆者のようなイメージが一応あるか(ふたりとも石神井書林の古書目録が「特集」した)。天民については著作目録、書誌も完璧ではなく、「過去のひと」化して精査がしにくくもあるはずで、その絶妙な位置が、天民の文の描写力とともに坪内氏の興味を刺激したにちがいない。その木賃宿ルポの部分では、さきに読んだ塩見鮮一郎の文春新書『貧民の帝都』とも陸続きだった。

それとこの本の手柄は、明治期・大正期の「新聞社」の、人員、社屋から勤務体制、その印刷部数の増大と大衆化まで着実につたえるという点だ。「日露戦争以後」という視座は多くのひとがもつだろうが、坪内さんの注意喚起の目はもっともっとこまかい。

早稲田演博図書館内の「文庫」など図書館や、ネットをふくんだ古本屋目録をどう活用し、明治大正期の文学の周縁にかかわるネタ本・調査事典が何かも惜しげなく披露するこの本は、じつは坪内さんの(文庫以外の)書物へのスタンスを如実につたえるという点で、松崎天民にさほど興味のない坪内ファン(あ、これは形容矛盾か)をも、魅了するはずだ。興味、調査、記憶、配剤、執筆――これらそれぞれが車輪となって彼の書くものが幸福に「拡大」されてゆくのがわかる。探訪記事のなかに不意に自分の「事情」が混入してしまう天民の文章を坪内さんはニュージャーナリズムの先駆とするが、天民を「探訪」する坪内さん自身の文章にも自己事情がさまざま混ざる(そこが面白い)。

「ちくま」への元の連載は90年代後半、00年代初頭、10年代の「三期」にわたっているが、その三期をつうじ呼吸は一貫している(これが、坪内祐三は変わったという最近の風評に反論をなすだろう)。たとえば山口昌男の『「敗者」の精神史』のように、豊富な(周縁的)古書渉猟のうえに成立する本に、90年代(「東京人」退社後)の坪内氏は憧れて、それがたとえば『靖国』にもなったはずだが、この『探訪記者松崎天民』は、「ちくま」の小連載が、各パートで「終わらず」、結果、前連載を引き継ぐ「リレー」が反復されて一著となった珍しい経緯だった(それでも古書活用という点では、『靖国』よりずっと成熟した印象を受ける)。

ところで上の段落に出てくる本は、「ある共通の雰囲気」をもっている。出てくる人名の三割程度か半分程度しか具体的なイメージとか業績とかがつかめないのだ。その不明性のままに書中で「ネットワーク」がつくられてゆく。ところが知っている人名が魅力的だから、不明の人名にも未知の魅惑が転写され、結局は、そうした好事家対象の「周縁」を、つまり世界を、より知りたいという渇望ができあがってゆく。これが読む推進力へとさらに変貌するのだった。だからぼくはあの大著『「敗者」の精神史』を一日で読了した記憶がある。

松崎天民が大の「白飯」好き(これが死因に直結する)という逸話が最後に出てくる、坪内さんの構成の妙には笑った。活劇とハードボイルドが入ったような「描写」主体の天民の「探訪」文体は、湿潤なセンチメンタリズムもさらに加わって、その多元性が「現代」にもつながるものだ。横山源之助あたりの文体に較べ柔軟にもなっている。ところが天民の多元性(その興味の多元性のなかに食道楽や漁色が入ってくる)は、多元性であるがゆえに「凡庸」にもみえる。

その「凡庸」の一語を坪内さんは絶対にしるさない。代わりに決定打として出るのが「白飯好き」の逸話だったということだ。むろん凡庸な(けれど一定の才気ある)著述家の肖像(評伝)という点では、蓮實重彦がフロベールという対立軸をつかってマクシム・デュ・カンを評伝した『凡庸な芸術家の肖像』(これが蓮實さんの最大最高の「小説」だ)への意識が、坪内さんにあったのだとおもう。けれど山口昌男さんへの仁義からか坪内さんは書中に「凡庸」の語はつかわなかった(「凡百」の語はあったけれども)。

「凡庸」の一語に括られる大正期の印象は、天民も関わった『ニコニコ』という雑誌(坪内さんは漱石の「苦笑写真」のエピソードも紹介する)の誌面空間そのものと似ているのかもしれない。いわば時代の病だ。ところが坪内さんは大正期の天民の活写は、それまでの連載の流れの縮小再生産になる、として割愛してしまう。割り切りの良さ、攻撃性と皮肉の抑制――ここで『探訪記者松崎天民』は『凡庸な芸術家の肖像』から離れた。

松崎天民のヴィヴィッドで具体的で、空間をつねに髣髴させる文体の新しさはどこからきたか。坪内さんは大正期の「ベス単」ブームによる写真カメラの普及が、天民の文章の「視覚性」と平行していたとするが、そのブームになる前から天民の文体は視覚的だった(この視覚性が天民の非凡さで、逆に調子の良い音律を感じさせる聴覚性が彼の凡庸さだったのではないかと、坪内さんの引用でわかる――ただし写真趣味と文章の質は、一般的には直結しないのではないか。小津安二郎しかり、宮本常一しかり)。ということでいうと、やはり天民の文章の視覚性は、明治のある一時期からの感覚変転が原因だったというべきだろう。柄谷行人の「風景の発見」や前田愛の『都市空間のなかの文学』など、その傍証材料は多々ある。
 
 

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2012年02月09日 日記 トラックバック(0) コメント(2)

松崎天民のアバウトさをしめすのに、森銑三を「もってくる」冒頭から、坪内さんの運動神経は抜群だ。「配剤」そのものが活劇化をもたらすのが文章というもの。しかも森銑三の「不作為」によって天民への悪意を傍証する坪内さんの手つきにこそ博捜家のゆえんがみえる。そういえば少し前に「配剤」が見事な「活劇的」現代評論も読んだっけ。波戸岡景太『コンテンツ批評に未来はあるか』。こちらもご一読をお薦めします
 

2012年02月09日 阿部嘉昭 URL 編集

書き忘れた。坪内さんによって終わりにしめされる、天民の「白飯好き」のエピソードは、坪内さんが連載第一クールで詳述した、天民の青少年期の貧困、丁稚奉公を中心に繰り返した転職に、とうぜん関連があるだろう。「もとをとろうとする」人間の生の、どうしようもなさ。こうした主題がそこから浮上して、『探訪記者松崎天民』の掉尾は劈頭へと「回帰」してくる。これも「構成の妙」だが、じつは小説的余韻というべきかもしれない。そういえば坪内さんの『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』も同様の感触があったな
 

2012年02月09日 阿部嘉昭 URL 編集












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