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安永蕗子追悼 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

安永蕗子追悼のページです。

安永蕗子追悼

 
 
このところ、とくに週末は引越しの準備に追われて、吉本隆明に添うようにして他界した歌人・安永蕗子をちゃんと追悼再読できなかった(いまもそうだ)。いまとりあえず彼女の処女歌集『魚愁』で印をつけた歌を通覧する余裕を得た。凛冽、淋しさ、抒情性と音韻の見事な融合に、心がうるんでゆく。むろん彼女の歌は、戦後前衛短歌のうち、「女歌」の正統の位置にある。つまり葛原妙子の異端とも異なるのだが、正統のもつその極上の哀しさが肥後熊本で貫徹された彼女特有の生と響きあっていて、逆に葛原を都会派の織りなす乱調美だったとおもいなおす。安永短歌は『魚愁』ののち、修辞をより複雑にし、また「漢音」の硬質な響きも活用してさらに魅惑的な複雑体をなすようにもなってゆくのだが、そう知ればこそ『魚愁』の端的な抒情性、わかさを記念するおもいが湧いてくる。追悼に代えて好きな歌を以下に摘出しておこう。

朴〔ほほ〕の花白く大きく散る庭に佇ち茫々と生きねばならぬ

凍りたる白菜小さく刻みゐる硝子のごとき食〔じき〕も思へり

相隔つことをひそかに恃みゐて灼かれをり星と人の眼〔まなこ〕と

かすかなる雪ともなひてゆくことも町に逢ふ日のかなしみとせむ

紫の葡萄を搬ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

噛みあてし紫蘇の実暗き口中に拡がるものをしばらく恃む

ながらへて享けし孤独と思ふとき天譴のごとき白き額〔ぬか〕もつ

飲食〔おんじき〕のいとまほのかに開〔あ〕く唇よ我が深淵も知らるる莫けむ

降る雪も過ぐる時雨も沁まざれば我が深淵のかたち崩れず

「深淵」と女性性が安永にあっては類推関係だということが掲出でわかる。彼女は何かをおもいにずっと秘めていた。それと転記して気づくのだが、体言止めの歌が一首もない。塚本邦雄の歌に代表される体言止めはいわば「関係認識」の産物だろうが、体言で止めない安永は、「おもいの(動性の)余韻」こそを作歌の主眼に置いていたのではないか。そうかんじたとき、安永は吉本のいう「短歌的喩」の図式から最もとおい前衛歌人だったという感慨もうまれる。
 
 

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2012年03月19日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

 
その後の安永蕗子の秀歌も、若干しるしておこう。

慮外にて雪が虚空をさかのぼるあはれかすかに光らむとして
――『藍月』

みづからの悪かがやくと思ふまで水無月十夜雨後の月照る
――『閑吟の柳』

湖の悲寒の底になほ戦ぐ川苔〔かはのり〕薄く世を渡るかな
――『冬麗』

形影のごときを遠く切りはなし月下の歩み人を想はず
――『青湖』

「漢音」が見事、との感動をだれもがおぼえるだろう。気をつけなければならないのは、「和音」によって「漢音」が異物となる哀しみが測定されているということだ。
 

2012年03月19日 阿部嘉昭 URL 編集












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