「自」 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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「自」

 
 
「現代詩手帖」5月号、吉本隆明追悼特集を読了。山嵜高裕さんの『マチウ書詩論』考察など水際立っていたけれど、橋爪大三郎+瀬尾育生(ふたりは東大でおなじクラスだったという)+水無田気流の鼎談がいろいろ興味ぶかい吉本的な問題系を露出させていた。

瀬尾さんはキーワードとして「開口部」ということばを何回かつかっているのだけど、これは『言語美』で展開された「自己表出」が「口腔の分節化」を皮切りにした『母型論』へとむかってゆく吉本思考の特異なながれを集約しているだろう。世界にひらいた身体的な「穴」がそのまま表出の根拠になる、として、吉本的な直観のすばらしさは、自身の欠性が、世界内対象からの「発語」をそのまま促進する、表出の逆説相を感知した点にあった。だから自己表出は指示表出と次元が異なる。それらはけっして「対」概念とならない。そのようにすすむべき論旨が、ハイデガー考察やネット考察の混入で不当に混濁してしまったようにぼくにはおもえた。

ぼくのかんがえではこの自己表出の「自」に、親鸞的な「自然(じねん)」(そのままそうなってゆくもの――これは肯定概念)、「自力」(これは仏からの「他力」とちがって否定概念)、それぞれの色彩がはいっていったのが晩年期の吉本ではないだろうか。そうでなければ、かつて賞賛した修辞的現在の多様性を、『日本語のゆくえ』で自然と神話の欠如、「無」と切り捨ててしまった、吉本の矛盾にみちた進展が解明できない。

吉本を「無教会派の司祭」とする橋爪は、吉本についてこう要約する。羊飼(エリート)のポジションをとらない。羊の群(「大衆の原像」?)のポジションもじつはとらない。群の趨勢とは反対側へ走ってゆく一匹の警鐘の羊こそが吉本だったと。じつはこれが親鸞的な「還相」の言い換えだと気づいた。

中公バックス『日本の名著・親鸞』から、親鸞『教行信証』における「還相〔げんそう〕」の定義(その現代語訳)を引こう。《還相とは、かの国〔※安楽浄土〕に生まれてから、心の乱れを払った精神の統一と、正しい智慧をはたらかせた対象の観察と、さらに巧みな手だてを講ずる力とを完成させ、ふたたび生死の迷いの密林に立ちもどって、ともにさとりに向かわせられることである》。悟達は親鸞においては安楽浄土に行きつく往路と、そこからの俗世への還路、その二重構造になっていて、行動性はむしろ還路のほうに宿るのだった。掲出中の「ともに」の用語にも注意が要るだろう。

この往還の行程に「知」から「非知」への様相変化がともなわなければならないとしたのが、吉本『最後の親鸞』の、戦慄的な直観部分だった。還路とは非知へのむごい旅出なのだ。実物をとりだして確認していないのだが、そうした還路で行動者は衰弱・縮減し、乞食化をもしいられると吉本はしていたはずで、そこにとりわけ感動したおぼえがある。つまり羊の逆走は認識的でありながら、自己衰弱化をともなう。このとき「自力」でひらいてゆく認識に、いわば恩寵としての衰弱=「自然」が付帯して、吉本的な「自」の問題は「相殺の無」へと壮大に昇華されてゆくのではないか(この視点からのみ彼の初期詩篇が再検証される意義が生ずるかもしれない)。

「安楽浄土」を、それ自体は変革力をもっていなかったポストモダン思考の繚乱としても、吉本自身がそのなかで余裕をもってふるまおうとした消費社会の理由なき爛熟ととってもいいだろう。ただそうした安楽性がピークに達しおわったとき、その後には還相的な、衰滅を内実にした世界認識があるしかない。だからバブル崩壊の下り坂のなかで、急激に吉本思考のリアリティがますようにぼくには映ったのだった。そうした吉本の位相変化に届こうとしている論文も、「詩手帖」五月号にはいくつかあった。

ただし「還相」は、物質的縮減ととうぜん相即している。そうなるとそれは、吉本が擁護しつづけた原発とは抵触する。この衝突を衝突のままにして彼は逝った。吉本はけっきょく巨大な矛盾、「自」でありつづけたのだった。
 
 

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2012年05月03日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

吉本のいう「自己」はどこか「自己再帰性」と見分けがつかない、という問題は『言語美』「自己表出」の段階からはらまれていた、と今回特集中の諸引用でも確認しました。それが初期詩篇の自己空隙感と化合する。だからその吉本的自己再帰は、自己と同時に、自己以外のたとえば「世界」といったものへと折り返されてしまう。これが吉本が一貫してもった思考の詩性の正体だとおもいます。その意味で吉本はドゥルーズ的なリトルネロの思索者だった。「なぜか自身に世界が混入してしまう」このことの裏返しには、流動生成する世界への肯定がとうぜんひそんでいます。これもドゥルーズにあったものだけども、先駆的には仏教に、とりわけ親鸞にあったもので、だから吉本の親鸞への親炙が必然だったとおもいます

2012年05月03日 阿部嘉昭 URL 編集












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