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日蝕 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

日蝕のページです。

日蝕


 
札幌は部分日蝕。ピーク時は7時50分で、ほぼ80%の太陽の欠ケとなった。その時間を挟みこむように近所をあるいていた。月の位置が地球によりちかい皆既日蝕になると、地上にわかに夜へ変じて暗色が支配し、犬も恐怖のため吠えまくるのだろうが、金環日蝕ではあかるさはたもたれる。TVの各地報告でも世界はあかるいままだ。それでも札幌の部分日蝕では晴天下、物象の影がしるくあるのに、地上の明度と輝度がしずかに落ちこみ、全体がなにかの内部になったような、不吉な空気感につつまれた。この気配を満身に吸いこんだ。天体から核爆発の残影がひろがったあとに浸潤してくる体感。迂回と遍満が空中ぜんたいにある。
むろん専用の鑑賞眼鏡をもっていないので太陽そのものを見上げることはないが、それでも薄目にして擦過させる視界に太陽方向を混ぜると、太陽の重大な欠落を、一瞬感知できたような気がした。太陽そのものを視る、というのは見者になるための試練。たしか中沢新一は若い日にその試練をチベットで負わされたのではなかったか。ぼくは自分の弱い眼をまもる。
札幌の大きな通りは四車線で、歩道脇にクルマをとめて四人連れ親子が専用眼鏡で日蝕をみあげ、興奮していた。のどかだ。散歩中の犬は何の異変もかんじていないらしく、飄々と歩道を横ぎってゆく。ただしそれはもっと光量のおちる金環日蝕ではないからかもしれない。むろん犬は「蝕」の字をおもい、その本質的な怖さにからだを染めることはない。月蝕だって奇怪だ。あるいは星蝕は本質的な予兆とやはりおもえる。
柳町光男『さらば愛しき大地』冒頭の葬列シーンで、皆既日蝕が捉えられていた記憶があるが、たしかではない。そういう前例を考えるも考えないも、本能でいま映画人はロケ撮影にこの日蝕を生かそうと晴天地を走りまわっているのではないか。朝狩。象徴的にはその時間に、光の規定が急に解除されて、一瞬の「泥棒」がおこなわれる。撮影はもともと盗みだが、日蝕時にはそれが二重になるはずだとおもう。撮影はみずから不吉になることをのぞむのだ。いろいろな「群盗」的友人の暗躍を想像した。
もうひとつ、皆既日蝕が印象的な道具につかわれる映画をいまおもいだした。ピーター・プロッセンとドルカディン・ターマンによるモンゴル映画『ステイト・オブ・ドッグス』。暗鬱な傑作だった。
 
 

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2012年05月21日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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