大辻隆弘・ルーノ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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大辻隆弘・ルーノ

 
 
大辻隆弘さんにお願いして、ご本人の第二歌集『ルーノ』を頂戴した。93年、砂子屋書房刊。段ボール箱にしまわれていたのを大量発見し、よろしければ頒かちます、というご本人のお言葉にあまえたものだ。というのも、邑書林の『セレクション歌人9・大辻隆弘集』では『ルーノ』は抄録で、全貌をぜひ知りたいとつねづねおもっていたからだ。

ご本人はSNS日記で「ニューウェイヴ」に接近した歌集、と総括されていたが、発想の前人未到、口語性の混入などを符牒としたニューウェイヴ調もあるにはあるが、やはり正調の古語〈うたことば〉使用作のほうが全体を圧していて、ほかの大辻さんの歌集の端正さと印象がかわらない。それでも邑書林版、文庫形の歌集から割愛された歌に、ニューウェイヴ短歌のもうひとつの符牒である「性愛歌」があったのだ、と気づいた。

弓なりの背を暗黒に涵〔ひた〕しつつ息を抑へしをみなひとあはれ

という、たぶん騎乗位の相手を見上げた、素晴らしく実存的でふかい性愛歌なら邑書林版にも載っている。偶然の符牒だが、この大辻さんの歌は、今週の北大での女性詩講義であつかった、井坂洋子さんの詩篇「性愛」(『朝礼』所収)と好対だとおもう。最中の相手を見上げる、という共通の視線があるのだ。短いのでその井坂さんの「性愛」もここに掲げてみよう。80年代全般にわたって追求された視線だとおもうので。

【性愛】
井坂洋子


あなたの指と
あなたの頭とが
別々に動いている
指は指らしく
粘液をまとい
頭は
闇をかぶって
さらに狭い間道を
行ったり来たりしている



さて、邑書林版の抄録によって割愛されながら、素晴らしい性愛歌が『ルーノ』の大辻さんにはあった。まずは−−



昼前に終へたるあはき交媾は粥を掬へるごとし、といふか



直喩によりながら幽邃感が生ずる得難い一首だが、ラストの述懐というか意図的にもちいられた「つけたり」によって、さらに表現できないものにかかわる「反転」が起こっている。この反転こそ性愛特有の哀しみだとおもう。措辞の魔術にびっくりした。次は問題作−−



戯れに、言はば諸手〔もろて〕をつかしめて山羊をいたぶるごとくにぞせし



作品の視覚性が体位の具体性と直結しているからポルノグラフィックと論難されがちだし、「山羊」の語の斡旋には禁忌侵犯さえ揺曳するのだが、こうした措辞の悪虐をあえて選択した点から、こちらにもふかい哀しみが窺える。同時に一首ははるかな神話性にもつうじて、そこで実は脱像化という反転が起こるのだ。しかしこれは発表当時、物議をかもしたかもしれないなあ。

そういえば、大辻さんの師匠・岡井隆にも次のような性愛歌がある。角川「短歌」89年1月号の付録だった「短歌手帖」に掲出されていた歌なのだが、ググってもぼくの書いたもの以外にヒットしない、隠れた一首だ。ぼく自身、見落としたのか岡井さんの歌集に収録されているのを見たおぼえもない。



ひさびさに男となりて見下ろせり梅雨荒れの夜の楽器しろたへ



大辻さんの性愛歌と「気分」と、これも見事に寄り添っている。

なにか「性愛」ばかりを強調した一文となった。むろんこの大辻さんの歌集はそれ以外にも読みどころが多々ある。とりわけ「妻恋」の歌が好きで、その妻が妊娠・出産した流れを詠んだ歌集終結部の素晴らしさは、永久に記念されるべきだろう。最後に出産を控えた妻が里帰りして生じた生活の不如意を、象徴的な聖性で綴った一首(これも邑書林の文庫歌集には不掲載)。



妻あらぬ夜の厨べにわが立ちて冷や肉に塩ふりしは真実〔まこと〕
  
 

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2012年06月22日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

その後、大辻さんからご教示いただいた。岡井さんの《ひさびさに》の一首は『五重奏のビオラ』に入っているという。調べてみるとたしかに254頁に収録されていた。しかも自分で○をつけていた。ついでに見つけた『五重奏のビオラ』での性愛歌。《快楽は性の下僕〔しもべ〕であることをわれの楽器は奏ではじめつ》。

2012年06月23日 阿部嘉昭 URL 編集












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