鍵のかかった部屋 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

鍵のかかった部屋のページです。

鍵のかかった部屋

 
 
昨日、最終回が放映された『鍵のかかった部屋』をいま観た(録画していた)。今クールでいちばん面白かったドラマで、最終回特有の重量感も納得できた。玉木宏はずっと贔屓俳優なのだ。視聴率の高さも、このドラマのファンがいかに多かったかを明らかにした。

セキュリティ会社の「謎の」社員、嵐・大野智と、弁護士事務所の代表・佐藤浩市、その部下の戸田恵梨香の三角コンビネーションが抜群だった。大野が寡黙で知的な演技、戸田恵梨香が髪をひっつめ、より「ダサい」演技を追求しているほか、佐藤浩市が「見栄っ張り」「自己愛」「バカ」演技を「新規開拓」して、途中回の「悪ノリ」までは終始笑わせた。

それと人気ドラマ特有の「パターン」を織り込んだことが継続視聴を促した。大野が顔の耳位置に拳をあげ、たしか親指と中指を擦りあわせ(「考える」ポーズ)、それが止まったときに「密室は破れました」と宣言、戸田の顔が輝くほか、映像的な「約束事」が多いのも注目された。この三人による冒頭シーンでの「抽象的総括」、事件現場のミニチュアでファイバースコープ映像による絵解き、黒味の不穏な使用、コンピュータ作画の画面への頻繁な導入、などがそうだ。

それぞれの回が「密室殺人の謎」を描いた。とくに、高島政伸を「ボイル・シャルルの法則」を駆使した「犯人」にした第二回のドラマの緊密さが忘れられない(政伸さんを私生活からバッシングする向きが多いのもわかるが、このところの「悪役」演技は「ドラマ的な今後」の可能性を占うものでもあることをTVドラマファンはご存じだろう)。原作は貴志祐介。もちろんぎっしりと「事実-推論-判明」のディテールが詰まっている。それを捌いてゆく脚本、演出、スタッフ、俳優のコンビネーションも高偏差値で、これがじつはいまの日本映画にあまり見受けられないスタッフワーク、協働性だともおもう。

勘所を「振って」、捌きをしてゆく「推進型物語」を俳優が肉化してゆくだけが「映像劇」の筋道ではない、とはもともとおもっている。理想をいえば「物語」をなすのは「事物」の相関であり、風景の変移であり、人物配置そのもののもつ意味性だからだ。つまり科白や説明的演出の上位にあるもので、映像の本来はみちあふれているべき、ということだ。ところがTVドラマでは説明機能の「手近感」が、スターの「記号性」と単純にむすびつけられればいい。『鍵のかかった部屋』はそのようにして、「多数」へのエンタテインメントとして成功をおさめた。この関門がいまのほとんどの映画にじつは突破できないことで、これを凌駕するには「コラボ・モンスターズ」的なドラマ→映像連関の「強度」を導入するしかないのだろう。

ともあれ、この『鍵のかかった部屋』で「月9」がOL向き、多幸症的な、「虚偽」だらけの業界(順列組合せ)的ラヴストーリーである必要がなくなったと証明された。また、『鍵のかかった部屋』最終回ラストシーンで、大野智の「人定」「出自」「動機」の謎解きをおこなわったことで、「スペシャル続編」の期待もできるような終わり方をしていた。映画化か二時間ドラマか、いずれにしても、愉しみだというしかない。
 
 

スポンサーサイト

2012年06月26日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する