今日のいろいろ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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今日のいろいろ

 
 
榎本櫻湖さんから「臍帯血WITHペンタゴンず」2号と、「モンマルトルの眼鏡」、ふたつの同人詩誌のご恵贈を受けた。なかでも「モンマルトルの眼鏡」に掲載されている鈴木一平さんの「不具合」にとりわけ感銘した。「抒情の痕跡」をしるしている部分をはずして、以下に引く。文法の壊れがすばらしいので。近藤弘文さんの以前の詩風をすこしおもったが。

【不具合】鈴木一平

明日から骨格をきれいに打ち上げている
残りの音と話していたのだが
ここからだと思い、舌の上の耳に行く
走り回るだけになった私が
足音になってしまったものたち
浜辺で おどる

私は中身が
落ちていた服を脱いだら
失う指を代わりに使ってみることだ

〔…〕

〔…〕
ぼくは雪のふる
える耳まで私である 日も間もなく
まるで針金か何か
まるで結べた関節それぞれ
そのため、削いだ耳が
日暮れの近い季節になっていくように

〔…〕

遅れて聞こえると
誰もいなかった私が
どうしても混じってしまって夜なのだ
何も騒いでいる、静かでなんかない
どうして
ととのえられて宿屋になってしまったんだ
やがて一斉に明かりも点き始める

〔…〕



今日は北大からの助成が確定した映画評論集、その原稿の最終チェックを午前におこなって、編集者にデータをメール、それだけで疲れてしまった。あとは音楽を聴いたり、録画済のTV番組をぼんやりと観たり。

音楽ではこのところ、90年代末期結成の英国インディ・バンド、ブラックボックス・レコーダーの1st『イングランド・メイド・ミー』をよく聴き返している。歌姫ひとりと、マルチミュージシャンふたりの編成、ということからわかるように、スラップ・ハッピーの影響を受けている、とは感じる。英語歌詞だが、歌詞カードのない状態でのCD所持なので、歌詞分析ができずにもどかしい。抒情性と政治性が混在しているような気もするが、よくわからない。

サラ・二クシーの透明かつ憂鬱な、それでもブレのない歌声は、「少女機能性」として寸分の隙もない。同時に、(たぶんルーク・ヘインズによる)チョーキングも何もない機能的なエレキギター(アルペジオとはちがう単音奏法が中心)が「余情を切り詰めたゆえの余情」みたいなものを表現していて、そこにいまだに惹かれているようなのだ。構えたコードから出されるゆっくりとしたアップ・ストローク(一音一音が分散する)のすばらしさも、ドアーズの「エンド・オヴ・ザ・ナイト」からの現在形といえる。すべてが永遠に新しい。

このバンドのこと、もっとよく知りたいんだけど、ネット上でもあまり手がかりがないなあ。「トリップ・ポップ風」という形容があるけれど、たしかにリバーブの使い方が抜群にうまい。音を左右に振り分けるステレオ化も抜群に良い。音がすくない、ということを前提にしたバンド音なんだけど。

録画していた番組で震撼したのが「日曜美術館」の磯江毅の特集だった。「写実画」が精密限度を超えると、幻想性ではなく、事物の宇宙性というべきものが浮かび上がってくる。そこでは静謐が事物の寓喩となり、よって生気と廃墟性の区別がつかない。裸婦でも静物でもそうした二元性にたゆたい、一刻ごとに視線が奪われてゆく。まるで自分の「鼓動」を「視ている」ような気分におちいるのだ。

とりわけ鉛筆画では、こまかい「線」で陰翳と質感が表わされる。この線が大事だ。だから一見、写真に似つつ、写真から最も遠い、反転的な写実性がそこにあるともいえる。スペインで写実技術を学び、最終的には西洋でも東洋でもない真俯瞰静物画に行きついた細江の夭折が本当に惜しい。その静物画はフランドル的な「世界蒐集」性とは終始無縁だった。ぼくは彼の静物画とおなじ「配合」を知っていた。ベンヤミンのアレゴリーがそれだ。

いずれにせよ、接写、移動といったカメラワークを駆使する「日曜美術館」が、「肌理」にかかわる最高のドキュメンタリーとなったのが、この磯江の特集だった。溜息が出る、というより、固唾を飲みつづけた。TV鑑賞でこれほど緊張したことはない。むろん快い緊張だったが。
 
 

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2012年07月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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