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ブロウアップ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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ブロウアップ

 
 
【ブロウアップ】


とおさを近さにさしかえる移りのなかでは、眼が拡大器のはたらきを帯びる。そうして人体にいささかも似ないハスなどに、生よりおおきいものをみつけてしまう。この大きさこそ自身を超えるサラウンドスピーカーで、同期にとりまかれた眼は、近づくための暫定へただおとしめられる。
 
 

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2012年08月05日 現代詩 トラックバック(0) コメント(2)

 
フランス現代思想で得た思考の果実を、いかに3.11後に再導入するかをしめしたものとして、市田良彦の平凡社新書『革命論』(これは読了、ドゥルーズへの創造的なスタンスが抜群だった)とともに今年前半評判の高いのが、廣瀬純『蜂起とともに愛がはじまる』だろう。いま読みはじめて60頁。
この書での廣瀬の言及には映画を枕にするものがいまのところ多く、そこでは映画が寓喩になり、謎めいた内実や奥行きを湛え、「現実」考察の具にも変容してゆく。この感じ、何かに似ていると記憶を探ったら、おもいあたったのが花田清輝だった。
いずれにせよ、河出はほかにも佐々木中など70年代生の思考者のプロデュースに意欲的で(阿部晴政さんの嗜好だろう)、そこではニューアカ時とは異なる、力点の微妙な移動が起こっている。革命から大文字性を消している。あるいはチャート的な「点」支配から、無為ともつながる「移動」にむけての価値の転換。この転換そのものが移動だとして、そうするとそこに行きつく移動がすでに自己目的化されているわけだ。若手の論客に共通するのはそういうポジションで、そうであれば自己の身体も除外例にならない。多幸感に包まれないからだで「体を張る」、その気風の良さにも、ぼくなどは魅了されてしまう。
掲出詩は廣瀬純を読んでいる最中、彼の語彙をつかい詩篇をなそうと悪戯心を起こしたもの。
 

2012年08月05日 阿部嘉昭 URL 編集

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2014年10月01日 編集












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