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詩集、完成。 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

詩集、完成。のページです。

詩集、完成。

はじめての詩集、完成しました。
『昨日知った、あらゆる声で』(書肆山田)。
今週半ばくらいから大書店の詩書コーナーにも
並ぶんじゃないだろうか。

書肆山田の詩集らしい落ち着いた装丁。
四六判というのはやはりいい。
掌上に乗せると小さな花になる。
そんな形容に相応しい「女性性」が装丁には確かにあって
同じ版元による小池昌代さんの名詩集『地上を渡る声』、
そのはにかみ屋の妹のような顔立ちもしている。

栞文は藤井貞和さんと小池昌代さん。
非常に嬉しい文だったと以前の日記に書いた。
オビは臙脂色ではないかと予想していたのだけど
茶色にちかい色。
紙質と相俟って
書肆山田のつくった文案が和紙調に暈けている。
秋色だ。それやこれやで「吾亦紅」を連想した。

何回か読んでみる。
各詩篇はもう半年以上前につくりあげたものなので
ところどころ、へえ、これ自分が書いたのかという
「他者の感覚」がある。
自分で書いたものを読みなおすときは、
こういう感覚がつきまとわなければならない。
自分自身の狭隘よりも、「遠い恩寵」のほうを体感するほうが
自己確認の際には嬉しいものなのだ。
こうした幸福にちかい齟齬があって
達成感に足許をすくわれたり目くらんだりする弊害からも
するりと逃れられるのだとおもう。

この詩集は速読可能、よって再読もしやすいと
自分では考えているのだけど、
編集に骨を折っていただいた書肆山田の大泉史世さんは
じっくり読むことをしいられる、と最初おっしゃった。

むろん詩集は、読了に時間がかからないものが一番だ。
それを決定するのが「リズム」。
やがては大泉さんも、こないだの電話で語っていた。
集中とりわけ詩篇「めらめらしてる」の音が好きで
鈴木一民さんと事務所で音読をしあっている、という。
二人のご老体(失礼)のつつましやかな競演。
この微笑ましいエピソードが、すごく嬉しかった。
書肆山田の詩集作成に当たっての精神性も伝わってくるし。

何回か読み直してみて、
論脈をつよく組織せず、飛躍に向かった言葉の隙間からは
そのかぎりで「声」が伝わってくる、という感触があった。
だから詩行の運びもそのまま歌の流れのように実質化されてくる。
たぶんそこが、僕の詩のいちばんの特徴だろう。

土曜日、明学の朗読会のあと
森川雅美さんと新宿・花園神社近く、
お婆さんがやっている小ぶりの飲み屋に行って話しあった。
森川さんは、僕の詩は引用など仕掛けも多く、
喩形成も複雑で、読解や言及には真剣な注意がしいられるという。
それはそれで敬意のしめされた嬉しい評言なのだが、
「速読再読」をこそ繰り返してくれればいいとおもう。

そうすると「馴染むもの」「空白のままに置き去られているもの」
さらには「詩篇に潜む私」「私にあらざる私」などが
意味以前の感覚として立ち現れてきて、
読解も立体化してくるのではないか。

たしかにどの詩篇も手早く書いた。
だから思考の癖がそこには瞭然としているだろう。
僕の個性が世界内でどう有機化されているのか、
それは書かれたときの早さと同調する読みの早さからこそ
判明してくる事柄ではないか、とおもう。

むろん詩集は読む時間とともに、空間をも一瞥のなかにつくりだす。
テクストと編み物の語源的一致というのは日本語にもある。
詩集を「編む」というし、何より詩集は刺繍と同音なのだ。
書物愛はそういうテクスチャーの、換言できない物質性に
眼どころか躯まで洗われる喜びのなかに灯りだす。

詩集を掌上に乗せるときに働く「勘」とは
そんな運動をあらかじめ先取りする知見の謂だ。
だから書物は美しく、慎ましい表情をしていなければならない。
詩が好きな書肆山田はこの機微を知悉している。



【目次】

五月の義
It makes no difference
対話篇
連祷を拒む十五聯
へちまが見える
昔 梨の花林を通過して
今日からの長い返盃

昨日知った、あらゆる声で
車窓詩の試み
めらめらしてる
時の増殖

あとがき



こう目次をしるしてみて、以前からのマイミクさんは
「あ、あの詩篇が収められたのか」と確認するだろう
(実際はその多くが少し短縮されている
――申し訳ありませんが、みな日記欄から削除しました)。
そう、収録詩篇の初出はすべてmixi日記。
『僕はこんな日常や感情ができています』(晶文社)が
ブログ本だったように、この詩集もブログ詩集なのだった。
だからブログ詩とは何かのメタ考察にも導かれるとおもう。
定価2000円+税。



先週末はすごくバタバタした。
大泉さんから贈呈者リストの作成を促がされ徹夜で作成
(相談に乗っていただいた小池さん、森川さん感謝しています)、
その前後で詩集が到着、
翌日には出来上がった詩集を鞄に40冊ほど詰め込み
ギターも抱えて明学の朗読会に向かった。
これと早稲田学生からのレポートメールの受け取りが重複した。

【朗読会そのものは夢のように終わった。
十五分の持ち時間。
じかの音楽演奏を伴う唯一の朗読だったから清新に映っただろうが
最初の詩篇朗読は噛みまくって失敗
(三村京子さんとのギター合奏もタイミングが滅茶苦茶だった)、
二篇目から少し調子も出たけど、
こちらもギターの即興演奏がやはり練習とちがい空振りに近かった。
三曲目、三村さんの歌唱・ギターを
僕がサポートした際には最初のミキシングバランスが悪く
三村さんがマイクに近づき、僕がマイクから遠ざかった二番から
ようやく歌の本領が発揮されだした。

もう一曲、「みんなを、屋根に。」という新曲については
三村さんとユニゾン歌唱で披露しようとおもったけど
こちらは時間切れでお蔵入りとなってしまった。

終了後、小池さんは僕の声を褒めてくれたけど
やっぱり僕には朗読が向かないなあ(詩の質も滑舌能力も)。
こんご詩のイベントに呼ばれることがあれば
ただ唄うだけにしようか、ともおもう(あれば、の話だが)。
朗読会の打ち上げにいらした中年女性の面々も
歌はすごくよかったと口を揃えられていたし。】



さてマイミクのみなさんにお願い。
今度の詩集の寄贈は「詩を書くひと」にほぼ限ろう、
と考えています。
これはしょうがないこと。
詩集は贈呈されても、迷惑とおもうひとも多いとおもうし
僕自身、自分の詩集は、やはり敬愛する詩作者、
その詩精神とこそスパークするものになってほしいと願っているし。

逆にいうと、今後詩を書くだろう「暗数」については
いまのところ対応ができない。
ですので、興味をもたれたかたは
ぜひ書店で手にとっていただき、
ピンときたらご購入を、と懇願するしかありません。

詩集を出すのには費用がかかる。
僕の家にはいまこの詩集が数多く「在庫」されているのだけど、
これを僕は手売りして、そのことで
次の詩集を出す費用を捻出しなければならない。
学生の皆さんにも、この事情を知ってもらい、
買っていただくよう働きかけてゆくとおもいます。

明学の会場で最初に僕の詩集を買っていただいた
三村京子さん、依田冬派くん、明道聡子さん、どうも有難う。
それから面識のないまま、頁を少しめくっただけで
不見転買いをしてくれた名前も存じ上げないかたにも。
それから差し上げようとおもったのに、
さらりと買ってくださった渡辺めぐみさんにも感謝。

そういう善意に支えられ、
この詩集は今週半ばから地上へ航海に出ます。
なかなか書店で見つからない場合も多いとおもう。
今週末には僕のサイトに
メールでの購入申し込み方法もしめすつもりでいます。

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2008年01月28日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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