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ドアーズ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

ドアーズのページです。

ドアーズ

 
 
【ドアーズ】


月天心にして地衣でも着物でも底はとおくまでひろがる。月明に血のあおくなるぼくは、血のくろくなるきみを。くろさの血の、老婆のきみを。つめたい両頬をこの手ではさみ、眼は遠塔へ差し向ける。あれが音楽だと。あおさの渦巻いているあの芯の、あのつたわらない裸がたったひとつだと。



北大後期の全学授業で「60-70年代のロックジャイアンツを聴く」という「啓蒙」講義をやることになっていて、往年の勘をとりもどそうと、このところロック漬けだ。いま聴いているのはアナログ音源をCD音源に買いかえたビートルズ、ストーンズ、ニール・ヤング、ヴェルヴェッツ&ルー・リード、ドアーズなどで、つくづく67-68年ごろの英米でのロック・ジャンルの創意的な立ち上がりと即座の自己変貌を、芸術史の奇蹟だとかんじる。地平から気配をつたえる何かが「音楽の者たち」に集団創作をさせていて、その音楽性をも偏差的に展開させていたのだ。その何かの仮面をはがしたい――と今でもおもう。女だろうか。

いずれも中学・高校の時分に熱中した音楽だ。ノスタルジアにひたるのかというと、そうでもなく、ある「体感」のよみがえりを怖れつつ自覚するにちかい。そのころのぼくは音楽にからだのすべてを占拠されて、気が短く刹那的・感覚的で、持続的になにかをやり遂げようとすると、ことごとく「内側から」ひねられていたのだった。だからとくに高校のときは音楽のなかにあって音楽を外在として定位できなかった。無残にも自分が音楽であり、自分が詩だとおもっていた――そういうことになる。勉強、できなかったなあ(笑)。

それぞれを聴いておもったことを、深い意味なく列挙。

ヴェルヴェッツのスターリング・モリソンと、ドアーズのロビー・クリーガーは、それぞれ脱ロック的なギター奏法によって、ロック・ジャンルの変成因子としてロックの懐ろに入る天性の直感をもっていた。つまりドゥルーズのいう「マイナー性」があって、それはサイケデリックとかあるいはルーツ、さらには思考上の何かとかに関連がなく、亡霊的なアプローチにちかい。この「マイナー」を直視すると、そこにジョン・レノン・コードも加えることができるだろう。俗にいうニール・ヤング・コードはトラディショナル・スケールの欠性として発露しているが、それも彼の独自の「声」と相まったときやはり「マイナー性」のひびきをつたえる。

ニール・ヤングについてはそのリード・ギターに顕著なように、非連続が連続する、斬り込み角度の変化する孤独な剣豪ギターだ。彼のフレーズは思念そのものに似ていて、孤独の唸りがディストーションになる。『精解サブカルチャー講義』にも書いたが、その体質的不連続性の負荷が、彼の歌詞のラインごとの非連続性と相即している。いまのCDに封入されている歌詞対訳は、バイリンガル気取りでこなれすぎていて、この厳粛な非連続性を無視している。立派さに径庭があるとはいえ池内紀訳のカフカにちかいかもしれない。

それにしてもルー・リード『トランスフォーマー』のプラスチックなミキシングは、ツェッペリン『Ⅰ』のメタリックなミキシングとともにロック史上の革命だった。音設計、音界面そのもので、体感がひきずりあげられてしまうのだ。身体心理学といったものを立ち上げなければ魅力が解けないだろう。ツェッペリンがキナくさい死への憧憬を分泌していたとすると、ルーがミック・ロンソンとともにそそのかしたのが、ズバリ「悪」のかがやきだった。各曲の「歌ヂカラ」も高い。モノローグと歌唱を融合させることで脱音符化したルーのピッチ、その「外し」は、東洋系演歌歌手の「外し」とは別次元、いわば「地獄的な」ダンディズムに負っている。ズレは「層」をなして、なにか言明できないものの充填を感知させた(これが『ベルリン』だとやや大袈裟になる)。ぼくは60年代ロッカーの歌真似が往年得意だったが、ルー・リードだけはお手上げだった。「精神」がうたっていたからだ。

ストーンズはやっぱり『メインストリートのならず者』が最高傑作だとおもう。キースがさえまくり、しかもミックの歌唱のモコらせかたによって、ルーズで下品で色気のある演奏と一体性が出ているのだった。胎児のように「内」へ入ること。騒がしさの遠隔性を経由しての哲学化。これもそれまでのストーンズ盤にはなかったミキシングの勝利というか発見だろう。この奇蹟は『ブラック・アンド・ブルー』では粒立ちそのものの水銀的粒子化という、別のかたちへ移行する。それにしても『メインストリートのならず者』の歌詞対訳もひどい。とりあえず、日本語として意味のつうじない訳詞は、もともとアプローチがまちがっていると自省すべきだろう。

なお掲出した詩篇は、とうぜんドアーズ、とりわけ「ホエン・ザ・ミュージック・イズ・オーヴァー」に触発されたもの。
 
 

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2012年09月24日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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