是枝裕和+孤独のグルメ
朝寝しいしい、今日の午前中で、先週くらいからはじまった今クールの新ドラマを録画済みのなかからチェック。リタイアと継続視聴とに振り分けた。
是枝裕和監督が脚本・監督・編集を手がけた『ゴーイング・マイ・ホーム』は、さすがにインテリジェンスの高さがちがう。無前提にはじまる非説明的な科白やカット転換によって画面凝視をしいられるほか、音声でもちいさな科白発声がとりいれられていて、ボリュームを上げざるをえない。結果、DVDなどとおなじ視聴形式へともってゆかれる。むろんそれだけの内容の充実もある。TVドラマとしては実験的な立脚ではあるのだが。
主軸は阿部寛と山口智子の中年夫婦。阿部はへっぽこ広告代理店の現場指揮者、山口はフードコーディネイター。だから「業界知識」がきらめくナマなディテールも点綴される。いかにもテレビマンユニオンが出自の是枝監督らしい。阿部の実父役の夏八木勲が意識不明になって、その居住地(長野)で小規模な「一族再会」もある。集合者全員の「意地悪」な感触は、時に小津的、時に是枝自身の『歩いても 歩いても』的だ。
そうやって自身のフィールドに一旦視聴者を引き入れる一方で、「べつの」伏線も張られている。阿部・山口夫婦の娘(演技上手い/リズム感と冷めた表情が抜群)が「みえないもの」に関心があること。これにたいし、長野の病院に父の見舞いを目的に謎の美女・宮崎あおいが現れ、さらに「みえない」神話的存在へとドラマ全体が覚醒しそうな可能性が打ち出されている。それでたぶん、「役立たず」と至るところで陰口を叩かれる阿部自身まで賦活されてゆくのではないだろうか。
それにしても、病院に現れた宮崎を、阿部が尾行、エレベータに乗った瞬間を、携帯電話の通話を装った阿部が後ろ向きで写真撮影するときの縦構図、発明だったなあ。しかもその写真がエレベータの扉が閉まりかかるタイミングでの「撮り損ない」だったという点も見事だった。
ドラマはほかに『高校受験』に興味をもった。これは学校内の諸空間の撮り方に新機軸があって、まさか「高校受験」だけを集中的に描くのではないか、という緊張感もタイトルにある。苦手な長澤まさみ主演なんだけど、いつもなら受け手を愚民視する演技の沸点の低さを、演出が巧みに抑制して、ノイズがあまり出ていない。母校愛にまつわって、ドラマに異様なバイアスがかかっているほか、学校裏サイトという仕掛けもすでに作動していて、今後の展開が読めない。それでリタイアできない、という感じ。
ドキュとドラマのミニマリズム的折衷ともいえる松重豊主演の『孤独のグルメ』は、第二シーズンがはじまった。ガッツリ系の食価値、実在の(飾らない)店の豊かさの発掘、はっきりと打ち出される地勢、松重の歩き、など、食番組としてこの「ドラマ」を捉えれば「美食飽食主義」の趨勢からの「変化球」だし、松重の食いっぷりと、注文したものの旨さに「次第に」感動してゆく顔、さらには内的ナレーションの効果の見事さなどから、第一シーズンの時点でこの番組の大ファンだった。ほぼ東京に特化した店/彷徨場所の選定なので、北海道でのオンエアがないかと危惧していたが、無事放映されて、嬉しいといったらない。
ところが第一シーズンの「人気」の余勢を駆って、第二シーズンでは放映枠がほぼ倍の一時間ほどに拡大された。結果、「物語のすくなさ」と「紹介の集中による、情報の多いようでそうではない感触」が手を結び、TVのTV性に無重力の緩衝地帯をつくっていた第一シーズンの美点(これはドラマ版『深夜食堂』にもつうじる)を手放しつつあるのではないか。どこか危うい感触が生じつつある。むかしの『TVチャンピオン』などもそうなのだが、テレ東系番組はスケールアップすると裏目に出ることが多いので心配だ。とはいえこの番組の大ファンなので、継続視聴を決めこんではいるが。
まあ、今週はそんなところ。来週も新ドラマがはじまるので、一応は録画して、まとめてチェックします。
それにしても北海道は『NONFIX』の放映がない。したがって18日未明放映の小野さやか監督『原発アイドル』がみられない。東京の女房に録画を頼んだのだが、次の東京行まで見ることができないとおもうと、くやしい