わかる、おもしろい ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

わかる、おもしろいのページです。

わかる、おもしろい

 
 
昨日、年間の詩集回顧記事を書いていて、喉から出かかったが書かなかったことがある。

「わかる/わからない」「おもしろい/おもしろくない」の別を軸に評価座標をつくれば、以下の四つの場合分けができる。①「わかって、おもしろい」、②「わからないけど、おもしろい」、③「わからなくて、おもしろくない」、④「わかるが、おもしろくない」。

とうぜん①が理想、④が次善だが、詩は②の領域を最も許容する表現ジャンルだ。批評意識は「わかる/わからない」の弁別ハードルをなるべく思考によって低くし、「わかる」ものを大量化するよう腐心せよ、という要請をうけているようにみえるが、実作的立場からいうと、「おもしろい」ものを大量化するよう感覚をひらくことが、まずは肝要だと気づかされる。こりかたまった自己など抹消するのだ。むろん③を連発するひとは、たとえ詩作環境にあると自負していても、詩への関与にたいしすでに失格宣言をうけていると覚悟すべきだ。

ところが以上の評価はやはり自己の存在を確固たる前提にしている。反照的に詩作そのものを捉えてみると、自己の存在を基軸にしている詩のおおむねが退屈だと気づく。たとえば詩の要諦が文学性ではなく物質性なのはむろんだが、文学的な詩こそ、自身に疑義がかけられていない多幸症を演じている。

手癖がそのまま詩になっているもの、教養がそのまま詩になっているもの、生活がそのまま詩になっているものは、自身を詩に転写する自己中心主義にとらわれていて、実際は自己を抹消するどころか更新さえしていない。

ということは、自己抹消していることですぐれたものになっている詩にたいし対称的な批評をなすためには、自身の感覚・思考そのものを抹消しなければならなくなる。ひとつひとつの語に、詩行の時間性の一瞬一瞬におどろくというのは、自己抹消によって白地になった自身に、詩の物質性を刻々とりこむことなのだ。ところが最終的に実現されなければならない批評的自己の抹消は、詩に向かいあうたびに危機を更新してゆく無限負荷にも転じることになる。

こうした対象没入の危険こそが詩の批評の特有性であって、そこで自己定位からはじめ世界認識を志向する哲学との離反線がひかれはじめる。換言すれば、哲学的な自己とは加算的な蓄積なのではないか。いっぽう詩的な自己とは抹消と生成を繰り返すだけの、羊皮紙上の「みえない奥行」なのではないか。

詩の危機の加速は、「わかる」範疇にいる者が、生活の疲弊によって、詩を読み飛ばすことが多くなった現状から出来している。とくにネット上、発表される詩は無残で、スクロールをかけられて「読んだふり」をされることが多い。たとえ作者が発表詩篇をワード上にペーストしてプリントアウトしてほしいと依頼しても、それを実現する手間を惜しむ享受者がほとんどだろう。

詩は、その書かれてある物質性によって、(読解)抵抗圧を微細にもつ。つまり詩篇自体の指示する読解速度にたいし従順になるよう感覚をやわらかくすることが、詩への最初の対面態度となる。消費的に読まれるものなど、詩ではない。

ところが読解速度を高速化するよう指示する詩篇もある。それは饒舌性と大量性がつながれた外見をしていて、これこそがネット上で最もスクロール消費されるものだろう。詩をみじかく書くのはネット発表上の防衛機制だが、みじかく書けず、発語のとまらない詩は、どこに発表されるべきなのか。詩集をとおしての発表が理想だろうが、それがかなわないなら、作者は同人誌をつくり、詩篇を読んでほしい人間に郵送するしかない。

ぼくはいま短い詩しか書かないのでネットを個人誌と同一視しているが、ネットと同人誌/個人誌がちがうと主張するひとはかならずいるだろう。そのひとたちは潜在的に②「わからないけど、おもしろい」詩を、長く書くひとたちだろうとおもう。救出が急務なのは、そのひとたちだ。
 
 

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2012年10月30日 日記 トラックバック(0) コメント(4)

なるほどなるほど、4つの範疇について同意します。
ただ、「わかる」にも何種類もある気がして…。「わかる」の累乗、「わからない」の累乗、つまり読むたびに「わかる」「わからない」が深まるというのも面白さだとも思うのですが。

2012年10月31日 かきねま URL 編集

そうですね。「わかる」には「わからないことがわかる」もふくみますから、累乗というか点滅形態で現れる、とぼくもおもいます

> なるほどなるほど、4つの範疇について同意します。
> ただ、「わかる」にも何種類もある気がして…。「わかる」の累乗、「わからない」の累乗、つまり読むたびに「わかる」「わからない」が深まるというのも面白さだとも思うのですが。

2012年11月03日 阿部 嘉昭 URL 編集

詩の危機の加速は、「わかる」範疇にいる者が、生活の疲弊によって、詩を読み飛ばすことが多くなった現状から出来している。
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私たちは私たち自身で人生とか生活をつまらないななめ読みでやり過ごしがちだなと強くおもいました。
詩を書くことでそんな自分を救出したい、とひさびさにおもいました。
自己抹消の難しさ。人に読まれる文章や詩篇を綴ることは世のため人のためですね。

先生、北海道大学に移られたんですね。びっくりしました。

2013年06月20日 matsuoka miki URL 編集

まつおかさん、元気ですか?詩を書いたらみせてください

2013年06月21日 阿部嘉昭 URL 編集












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