青原さとし・タケヤネの里 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

青原さとし・タケヤネの里のページです。

青原さとし・タケヤネの里

 
 
青原さとし演出のドキュメンタリー『タケヤネの里』が素晴らしかった。「タケヤネ」とは竹林の意味で、日本に通常多い竹が突然変異した「白竹」の産地、福岡県八女の竹林が日本の民具文化における「竹」ネットワークの中心として捉えられている。むろんネットワークを追うからには、ドキュメンタリーの撮影場所も縦横無尽する。移動シーンは控えられているが、実質はロードムービーでもあった。

「竹」はいくつかの意味で微妙な主題だ。まずは竹細工師が被差別民とみなされる了解が歴史的に蔓延していること。また竹皮を採り、竹材を伐り、筍を掘る竹林は、竹の開花によって全体が枯死するまで年ごとに丹念な間伐をおこない、運営をする必要があるということ。しかも竹皮採取などは二年ごとの当たり年すらあるらしい。また、竹皮の剥がれ落ちる数日に降雨があると最良のものが採れない、といった困難もあるという。

竹皮は、高級肉やおこわなどの包装にもちいられると一般人はまずかんがえるだろうが、細く裂き、縒り、編むことで多様な民具に変貌する。日光下駄や雪駄、あるいは京都の舞妓の履く「こっぽり」の蹠の当たる部分、版画摺りの馬連〔ばれん〕、あるいは茶道具としてつかう羽箒など用途は多様だ。「白竹」の皮が高級材として重宝されるのは、他の竹より色がしろく柔軟性にとみ、また細く裂けるので、細工が繊細な肌合いになるためだ。

『タケヤネの里』はまず青原の旧知の女性・前島美江を訪ねることからはじめる。彼女は姫田忠義の民族文化映像研究所で青原と同窓だったのだが、いまはなんと竹皮編の民具作家になっている。拠点は群馬県高崎。戦前、建築家ブルーノ・タウトがナチスをのがれ日本へ亡命してのち安らった地で、そこでタウトは地元の竹細工師たちと民芸運動を起こした。竹皮で編まれたバッグ、籠などの簡潔で温かく涼しい意匠はこの作品に挿入される資料写真に現れる。

ただし竹皮編の伝統芸は後継者を生むことなく途絶した。前島はその時点で高崎にのこっている竹皮編職人の縁者を訪ね、それを再興しようとしているのだった。しかも八女の白竹の林そのものもいまは完全な竹藪化の危機を迎えている。そこで竹林保全のための「八女カシロダケ活用プロジェクトかぐやひめ」を立ち上げた。つまり彼女は創作と、その創作のおおもととなる原産地保護の両面で、竹編文化をまもろうという気概なのだった。

そこまでなら『タケヤネの里』はいわば義人ドキュメンタリーの域に収まる。この作品の素晴らしいところは、竹皮の民具を追うことで、それ自体がネットワーク化することだった。繰り返すが、高崎の雪駄、日光の下駄、大阪の竹皮商、京都の「こっぽり」と茶道家元、東京の馬連、版画摺り師……そこで竹細工=被差別性という通念が歴史実証的にくつがえされる。つまり空間固定・身分固定とはちがった交通性が、もともと竹皮にはあったのだった。

九州の産地に竹皮商が赴き、それを需要する全国の職人にひろげてゆく。そうした交通性はたぶん竹皮編の技術がもともとアジア全体にひろがっていた過去とも関連しているはずだ。身分固定とは逆の流通性があったからこそ、茶道文化の真髄に「竹」は最高度に定着もしたはずで、作品はそうしたことがらを最小限度の説明でつたえてくる。というか、ナレーションよりも画が終始優位であって、結果、静謐も獲得している。頭脳警察の石塚俊明の音楽も見事だ。

途中、作品を離れて聯想したのは、竹そのものの中間性ということだった。それは樹木と草の中間に位置している。技術がとりまかなければ扱えないもの。あるいは成長の速さと強さ。竹林のちかくに家を建てると畳のゆかを竹の成長が突き破ることもある。同時に竹皮や笹の葉は殺菌力ももつ。

竹皮はまずは籠や簾などの民具になる。なにかを包むものであればその包囲性はかるい。なにかを敷くものであればそれは自在な領域化を結果する。裂かれ、縒られ、編まれてゆくそのものは物質であるとともに可塑性でもあって、じつはその可塑性そのものに美があるとたとえば茶道がみたのではないか。竹林が結界というひとは、それが空間にも可塑性として現れていることを意識していない。竹の自在があって、たぶん材料としての竹皮の空間突破力、ネットワーク形成力もあったのだ。

青原さとし『タケヤネの里』は、松川八洲雄の往年のドキュメンタリー『hands・手』を髣髴させる。松川は職人の手仕事のうつくしさをいわば交響楽的に編集したが、それと同等のものが、たとえば雪駄や馬連をつくる職人に注がれるこの作品の視線にあるのだった。ただし松川の視覚性が編集による音楽性の付加と相即するのにたいし、青原たちの視線は即物性を捉える静視にやどる。謙虚なのだ。ところがその謙虚さが単位となって、職人から職人への縦横無尽な「編み」を、つまり、それ自体が竹皮編をなすような連接を、おこなう。手そのものが連接した松川にたいし、場所が連接してゆく青原。手や作業への注視がおなじでもアプローチは対蹠的だった。

場所の展開を実証することは、実際は差別性を否定することだ。青原は明示しないが、この点を作品の隠れた主題にしている。そこに、八女の竹林を所有する女性が、じつは地場出身ではなく讃岐の娘だったという種明かしの挿話が同調する。彼女の家は竹の漁具として簾をつくっていて、それで出入りする竹皮商夫婦(しかもそれは正式な夫婦でなく、不倫関係だったというオチがつく)が竹林の地主の息子を縁談相手として紹介、彼女は瀬戸内から八女にわたったというのだ。彼女の移動、それにそれをうながした往年の竹皮商、それらの移動の自在性がこの作品の組成と精確に一致している。

そのうえで、「場所」のかけがえなさがさらに上乗せされる。晴天の日に白竹の皮の盛期を探そうとして撮影班が苦労するくだりがある。そこでついに白竹の林が八女隣在の山地に発見される。このときの「タケヤネ」が周囲にたいし自然にしろくひかっている様子に、おもわず嘆息がもれたのだった。

終わりに青原氏からいただいた情報を貼っておきます。

『タケヤネの里』延長(1週間)上映
11月16日(金)
◎本日14:30の上映後、前島美江氏トークあり
 好評につき、竹皮編ワークショップ決定!! 
 時 間 :18時~20時(途中参加OK) 
 場 所 :民映研事務所内 浅草橋(秋葉原の隣)西口から3分 
 講 師 :前島美江氏     花かごを作ります! 
 参加費:500円(材料費込み)(ハサミ、タオル持参)
申 込 :メールにて minneiken@alpha.ocn.ne.jp

『タケヤネの里』延長日程

 13日(火)、14日(水)14:50~  
 15日(木)20:30~  
 16日(金)15:00~ 最終上映
 
 

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2012年11月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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