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田村孟全小説集ほか日記ふうに ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

田村孟全小説集ほか日記ふうにのページです。

田村孟全小説集ほか日記ふうに

 
  
現在店頭(金曜日まで)の「図書新聞」終面に、ぼくの書いた『田村孟全小説集』の書評が掲載されている。これほどの大冊にたいし三枚の枚数というのはむごいが、それでもなんとか仕上げた。文章は圧縮されているけれど、流麗な可読性が保てたとおもう。田村さんの小説はぼくにとっては江戸小説を読むていどの読解速度となることが多く、二段組・全700頁のこの本には、ほぼ二週間ほどかかりっきりだった。雪の前の紅葉の季節、いまとなっては夢のようだ。むろんその間、濃厚芳醇な小説性に浸されつづけて、読む苦労もまた至福だった。

原稿は編集部により、「七〇年代文学の強靭な可能態」とタイトルされている。拙稿では中上健次と佐藤泰志も引例したが、さて「70年代文学(小説)」とは何だろう。政治的枠組を横目に組織される隠喩性(エロスへの逸脱もまた政治的だった)を、明快な文体意識で曇りなく書いたのが60年代小説の典型だったとすると、大江健三郎を接続点にして、文体と構成を脱分節的に脈動化し、映像イメージを瞬発性によってちりばめ、しかも音響性を拡大した、部分の摘出の難しい永遠の隣接、そういう換喩型が70年代の小説の中心だったのではないか。構造の脱構造化。これは70年代の詩にも大きくはいえる。

ともあれ田村孟は、活動期間は短かったが、小説の最高の書き手だった。それは映画の現場からの敗北を運命的にしるされながら、映画性(とくに大島渚)を小説性に代位した、彼自身の生の、微妙な磁場の賜物だ。それにたぶん戦前文学の教養が化合した。厄介さと細心さと大胆さと哀しさが織りあわされた極上の文体。文体をいうのがナンセンスになろうという風潮のなかで、田村は自分の身体で文体価値の歯止めを、信念からおこなった。中心的に活用されたのが映画人材なのに/ゆえに、音響性だった。そこに衝撃がある。田村小説の音響性は風景のなかの人物の地声の輻湊による。多くが疎開時代に学童として育った妙義山麓の上州弁だ。だから彼の小説には個人的な記憶素がちりばめられているはずで、その結構も70年代的だといえる。

原稿執筆にあたってはご子息の田村盟さんからご丁寧にも資料提供をうけた。それを原稿細部につかわせていただいた。紙幅の関係で謝辞がしるせなかったのが残念だ。



いっぽう年明け早々の50枚の〆切のために、このところは吉本隆明漬けだ。『母型論』を読みなおして『言語美』の「自己表出」論と接続、そこで口唇と口腔の身体的宿命をからませ、言語と母性を考察する予定でいたのだが、ならばこれまで読解を怠っていた吉本詩の全貌、彼自身の「自己表出」を、思潮社の『吉本隆明詩全集』全七巻で俯瞰してしまおうとかんがえた。これで詩作者・吉本のみえかたが一挙に変貌してしまった。

60年代末期に入るまで吉本の詩業の「本体」だった『固有時との対話』『転位のための十篇』は孤独者の内心の展開のようにみえて、実際は暗喩的でない。そぎ落とされることで部分が軋むようにギリギリでつながる換喩詩、または詩の実体を欠いたメッセージの様相を呈していて、硬軟あいまぜて暗喩詩が趨勢だった荒地派とはずいぶん作風がちがうのは自明として、のちに発表されたそれ以前の初期詩篇と『日時計篇』は抒情の実質がのこりながら、しかも『固有時』『転位』が抹殺してしまった自己身体の実在を伝えている。

『固有時』『転位』だけなら「その後」はないが(実際、一時期、詩作者としての吉本はそうみえたはずだ)、それ以前の詩篇内の秀作は「展開可能性」を孕んでいて、それが70年代に間歇的に発表された詩篇の序奏を経て、「野性時代」連作詩篇、それを再構成した『記号の森の伝説歌』へと開花した。岡井隆さんには「野性時代」詩篇を『記号の森の伝説歌』より買っていた文章があったはずだが、『記号の森』のが断然いい。とくに杉浦康平がほどこした各詩行センター合わせを生存時の吉本の希望で天ツキに差し替えたことでその豊富にして素朴な本質が衒いなく前面に出てきた。

この『記号の森』自体が「修辞的現在」の一端を形成するのかというと事態は微妙だ。「木」「祖母」などの象徴系が活用され、ときに神話素がたかまる。この点は俯瞰して得られるだろう当時の詩壇の、レトリックとイメージからなる全体的平準性とは一線を画している。ところが部分的には構成不足と同語反復から印象される多くの吉本的粘着がレトリックに代位され、消えた結果、一行ごとの加算に鮮烈な驚愕が舞い込む細部が頻出する。鮮やかなのだ。

アレッ、とおもう。というのも政治的環境をうしない、イメージとレトリックのみを競うことで微差の幅に各詩作者が敷き詰められているようにみえると吉本がした『戦後詩史論』の「修辞的現在」では、吉岡実がそうした傾向の牽引車と名指されていた記憶があるからだ。間接的な言い方をやめると、『記号の森』のある部分は70年代以降の吉岡に少し似ていて、しかもより鮮烈にも映る箇所もある。シンプルだからかもしれない。じつは恥ずかしいことに『記号の森』も今回が初読。もっと早く読んでいたら逝去後の吉本像がまったく異なっていた。「詩手帖」の依頼も受けたかもしれない。

『詩全集』の最終巻には詩集ではなく詩的断章集成ともいえる『言葉からの触手』が入っている。ところがこれが『最後の親鸞』と匹敵するくらい美しい書物で、「ちいささ」が魅力という点では吉本著作の例外をなす。しかも『言語美』『母型論』の「斜め」に身を置き、さらに『固有時』『転位』を裏打ちする、吉本生涯の詩業を包括する絶妙の位置にある。この詩的断章集をも最後に収めた『詩全集』の構成が心にくい。これも初めて読んで、ふかい衝撃をうけた。衝撃は「うつくしさ」と直面したことによる。

どうしよう。ぼくは花田清輝贔屓で、ずっと吉本を倦厭してきて、吉本=知的巨人説に宗旨替えをしてからまだ10年程度しか経っていないのに、吉本の実質が思考力とともに「うつくしさ」だという印象をつよめている。ところが全著作を精読する時間がのこっていないような気もする。吉本はいま、ぼくのディレンマになりつつある。



「詩手帖」年鑑号の拙稿「詩と空間について」にはある程度の反響が出てきたようで、昨日は季村敏夫さんが『日々の、すみか』第二版を送ってくれた。東日本大震災の震災詩を捉えるよすがとなるべく、阪神淡路大震災(後)のディザスターの渦中で書かれた詩がふたたび日の目をみたわけだ。被災者=「私達」の非日常的な日常が冷静に転写されながらそこに詩と思索を巻き込んでゆく。凝縮の底にうねりのある文体。「ともに被災すること」の哲学的考察の多元化のなかで、とりわけ「事件」と「遅れ」の言及に思想的な震撼をおぼえた。今日は、大橋政人さんの絵本『ちいさなふく ちいさなぼく』が届く。これは就寝前の愉しみに
 
 

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2012年12月10日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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